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トムラウシ山遭難事故
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/717.html
投稿者 中川隆 日時 2017 年 6 月 04 日 03:34:41: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 「吹雪で動けない」 爺ケ岳の女性 投稿者 中川隆 日時 2015 年 2 月 16 日 18:41:18)

奇跡体験!アンビリバボー:山の恐怖 〜トムラウシ山遭難事故〜 - フジテレビ動画
http://www.dailymotion.com/video/x4oagj9_%E5%A5%87%E8%B7%A1%E4%BD%93%E9%A8%93-%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%93%E3%83%AA%E3%83%90%E3%83%9C%E3%83%BC-%E5%A4%8F%E5%B1%B1%E3%81%AB%E6%BD%9C%E3%82%80%E6%81%90%E6%80%96sp-8%E6%9C%8811%E6%97%A5_fun

トムラウシ遭難事故
https://www.youtube.com/watch?v=sodw39L6jhM


 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
1. 中川隆[-7619] koaQ7Jey 2017年6月04日 03:35:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

トムラウシ山遭難事故は結局どうすりゃ良かったの? [無断転載禁止]©2ch.net

1 : 底名無し沼さん 2017/02/22(水) 23:35:50.84 ID:7jOiNOY3

2日目に下山が正解だったのかな?


2 : 底名無し沼さん 2017/02/23(木) 07:09:08.97 ID:CQyPn9Vt

当日小屋に留まれば良かったんやで
ツアーが日程的に回らなくなるから強行したのが敗因や

11 : 底名無し沼さん 2017/03/09(木) 09:01:24.38 ID:4kt9v+lf

結局どの日も停滞を決断するには微妙な天気なんだよね。初夏だったし。
しかし体力に不安のあるメンバーを考慮するとどこかで停滞すべきだったかと。
メンバーの体力格差があると本当に判断は困難になる。


12 : 底名無し沼さん 2017/03/28(火) 21:56:37.10 ID:GXxA/QJV

当日小屋泊まりやろね


13 : 底名無し沼さん 2017/03/28(火) 23:37:23.61 ID:c3Mi+qUk

停滞かもしくは最初から中止
天気予報を確認しないのはね


15 : 底名無し沼さん 2017/03/29(水) 00:08:30.75 ID:UiG8Mt7v

参加者がガイドよりベテラン揃いだったのがむしろ留まれなかった要因なのだと思いますね。

客商売である以上、お客を悪くは言えないのでやんわり会社から圧力があった風に説明していますが、顔ぶれを見る限り実際には違うのだろうなと思います。

山好きの爺さん婆さんなんてどれも一癖も二癖もあるのは分かり切っていて、
オッサン一人、アンチャン二人のガイドで御しきれるわけがないんですよ。

ケロっと生還したオバチャンはその辺り強かで、前のめりなムードと見るや
自身は後方待機策で極力体力を温存して先行勢が自滅した後を悠々と差し切り勝ち。

きっと「私はミスターシービーなのよ」などと想像しながら歩いていたのは間違いないところだ。


16 : 底名無し沼さん 2017/03/29(水) 07:56:36.43 ID:EVeJaBlu

私は登山した経験はないが、昨年釧路の方を旅行した時、現地の登山家と話をする
機会があった。あの遭難事故の時、どんな感想を持ちましたか、と聞いたら、彼は
しばらくしてから、

北海道の山は内地の山と違って山小屋・避難小屋の間隔が非常に大きい、このことを頭に入れて判断するべきだった、と言っていたな。


17 : 底名無し沼さん 2017/03/29(水) 08:20:19.66 ID:cSYZeAC2

ヒサゴ沼避難小屋でもう一泊しておけばOKだった。


18 : 底名無し沼さん 2017/03/29(水) 10:10:21.49 ID:8oKpYwFj

停滞せずに動くのなら、ヒサゴ沼から天人峡へ向かうべきだった気がします。

北沼近くに、雨によって川のような水の流れが発生していたことが事故のかなり大きな要因だと思います。
もし、これが大量の雨のときにしばしば発生する現象なのだとしたら、 渡渉で決定的ダメージ受けるリスクが高いことも予見できたのでは。


19 : 底名無し沼さん 2017/03/29(水) 10:34:52.51 ID:cVc1KUU/

北沼からの越水ルートを徒渉するずいぶん前に低体温症起こしてたのいたから。
天人峡へエスケープは条件次第では悪くないとは思うけど行動自体がビミョーだったと思うなあ。


21 : 底名無し沼さん2017/03/29(水) 17:07:57.05 ID:w7I8jWP9
>>18
ヒサゴ沼から稜線に出たら物凄い風だった
本来1時間位の工程のはずが数時間費やした(通常の状態で8時間かけて下山する計画にもかかわらず テントも人数分なかったんだっけ ヒサゴ沼に次のツアーにために置いて行った)
この時点で遭難確定だよ
停滞以外ない 


22 : 底名無し沼さん 2017/03/29(水) 21:58:04.02 ID:UiG8Mt7v
>>21
しかし、こうベテラン揃いの顔ぶれではガイドも留まるとは言えなかったのだと思いますね。
その後の商売に影響しないようツアー会社が泥を被りましたが、実際には予定どおり帰宅できるよう圧力を掛けたのは参加者側なのだと思います。

どう見たってツアー会社が計画変更(下山延期)を提案したところで言うことを聞くような面子じゃない。


23 : 底名無し沼さん 2017/03/29(水) 22:25:45.93 ID:E9Tcdr4A

停滞を決断するには微妙な天気だったってマジ?
北海道全域が荒れ狂ってたような印象もってたが


24 : 底名無し沼さん 2017/03/29(水) 23:21:34.34 ID:UiG8Mt7v
>>23
年寄りの集団自殺にガイドが巻き込まれた側面もあったのだと思います。


25 : 底名無し沼さん 2017/03/29(水) 23:45:52.18 ID:J6ttih3M
>>23
実際に遭難した4日目は午後から天気回復する予報だった


26 : 底名無し沼さん2017/03/30(木) 01:38:26.71 ID:eWoUiI2Y
>>11
>>15
を見て分かる通り 参加者が自分で気づかなくて他人が気づいてあげないといけないのは無理
結論は無理かどうか自分で気づきましょう・・・だ


27 : 底名無し沼さん 2017/03/30(木) 01:41:38.15 ID:eWoUiI2Y

無理かどうかは自分で気づきましょう
石巻の大川小学校も結局は
子供が危ないと気づいたのを教師が邪魔したかどうかで争っている


28 : 底名無し沼さん 2017/03/30(木) 02:17:32.25 ID:/RPeaZm4

無理言うなよ
無理かどうかは無理になるまで判らない


29 : 底名無し沼さん 2017/03/30(木) 04:05:31.67 ID:KGrsdxw7

ツアー客がベテラン・バイアスがかかってたのも確かだね。
でもって、オッサンガイドはルートの経験がなく、アンチャンガイドが経験あるといういびつな構造で進言しにくかったかもしれない。

しかし、自分の経験を考えてもヒサゴ沼〜 短縮路駐車場(もしくは東大雪荘)は結構たいへん。


31 : 底名無し沼さん 2017/03/30(木) 07:12:08.09 ID:uMfJgK/r
>>22
報告書を読むとガイドも問題ありすぎただったけどね
参加者もその日にどのくらい歩くかも把握してない人も多かったらしい
ミーティングも適当だったんだろうな


32 : 底名無し沼さん2017/03/30(木) 12:55:58.51 ID:NYyXeX1y

このようなツアー登山で、リーダーが出発する決定をしてるのに、自分は小屋に残るって言い張るのは許される?


33 : 底名無し沼さん 2017/03/30(木) 13:41:07.56 ID:uMfJgK/r
>>32
わからない
だからツアー登山なんてよほどしっかりした所じゃないと危険


34 : 底名無し沼さん 2017/03/30(木) 23:53:40.54 ID:DglHnEjf
>>32
離団届けを一筆書いて以後の安全確保は求めません、と宣言させる会社もある。


35 : 底名無し沼さん2017/03/31(金) 21:25:37.93 ID:r89CRoJT

モンベルの青いゴアジャケ着とけば全員助かったかもしれない


36 : 底名無し沼さん 2017/04/01(土) 17:16:01.19 ID:csxLgHzh

私がこの事故を追いかけて得た教訓
装備は(下着も含め)最高のものを身に着けましょう
寒くなったらとにかく何か食べましょう


37 : 底名無し沼さん 2017/04/01(土) 18:49:55.49 ID:T1MoHh9J

食べてたらしいよ

だからさ、判断ミスの最大の理由は

1危険な時期ではないはず
2皆がいるから大丈夫なはず

の2つのバイアスでしょ
とくに2がヤバい


38 : 底名無し沼さん 2017/04/01(土) 18:56:28.20 ID:T1MoHh9J

2の皆がいるから、はいろんな意味を含むね

皆が行けそうな空気を作る
自分は無理だ、が言えない
お前ら無理だ、も言えない
ガイドもいて誰かがきちんとリードしてくれてる気がしてる
とか

俺はこれが苦手で単独行が多い


39 : 底名無し沼さん 2017/04/02(日) 08:49:29.94 ID:CFyFfQ+v

早くからこれは遭難だから連絡とってくれと言ってたお客がいたのに無視してたな
その時に連絡をとっていたら山に詳しい人のアドバイスをうけられて多少犠牲は減らせたかも

40 : 底名無し沼さん 2017/04/02(日) 10:16:33.52 ID:YKLcwpX6
>>39
いや、遭難じゃない、と希望的観測を持って強行したか強行しようとする圧力で正しい判断を否定した
つまり適切な判断を鈍らせる圧力がツアーにはある

対処法は
ヤバい時は民主主義!だな
それか本当に全責任を背負う船長的な心構えのリーダーを要請する事


41 : 底名無し沼さん 2017/04/02(日) 10:21:08.71 ID:YKLcwpX6

一応の責任者、ではなく責任を伴った本当のリーダーをツアーガイドにも作る事だね
ガイド長とか上級資格を作り危険な時の命令権を付与する


42 : 底名無し沼さん 2017/04/02(日) 13:45:16.39 ID:jr86v1qP
>>38
ツアーだから遭難はあり得ないみつぃなもんだね


43 : 底名無し沼さん 2017/04/02(日) 21:34:53.05 ID:SFTgy7UK

まぁ単独山行だったら普通に撤退しただろうな
集団心理が働くと悲劇、今回の集団訓練中の雪崩事故も同じ
責任の所在が自分で無くなる事の怖さから単独行しかしない


45 : 底名無し沼さん 2017/04/02(日) 22:14:26.13 ID:CFyFfQ+v

確かに現場以外に決断権の強いリーダー長がいれば違ってたかな
ガイドが寄せ集めのメンバーだった事や一番年長者のガイドが早くに低体温症で判断力を失っていた事が原因の一つになってるし


46 : 底名無し沼さん 2017/04/03(月) 00:33:49.54 ID:+/3nS4y5

60代の年寄りの集まりが1日十時間も歩くって時点でリスク激高じゃないか
歩けなくなった老人を背負えるわけでもないのに
企業の責任もあって、気軽に救助を求める訳にもいかない

気温10度で台風のような暴風雨が吹いてたら1歩歩くのも大変そう
誰が登山してても遭難者多数発生の悪天候なんだろうなあ

登山経験ほとんどない素人だからきその目線で書いてるけど
真夏の富士山8号目で夕方、気温7度、強風でもないのに山小屋の外の焚き火に当たりながらブルってたなあ
あれで暴風雨だったら死ねるわ

この客たちは60代だもんなあ
今まで日本の経済成長で順調に生きてきた世代だから、なんでも挑戦して成功してやろう、成せばなる!って世代なのかな


47 : 底名無し沼さん 2017/04/03(月) 00:42:42.52 ID:9DFkArxg

登山ツアーっていいなあって思ってたけど こういうのを知ると怖いな
悪天候だからここに留まりたいと希望しても、自己責任で行動しますって一筆書かされるなんて行くも地獄、留まるも地獄という状況になってしまう

ツアーだから旅行日程に天候が悪くなっても旅行代金を考えたら、そうそう捨てられるもんじゃない
悪天候でキャンセルしても、別のツアーにチェンジ出来るようなら個人の判断で危機回避できていいのに

集団行動にありがちな「他人に迷惑をかけるな」「足を引っ張るな」の連帯責任、軍隊行動みたいでキツいわ


48 : 底名無し沼さん 2017/04/03(月) 08:30:31.72 ID:89cPqE7Y

雨漏りのする避難小屋で濡れた寝袋で寝て、疲れが取れないまま雨の中出発するのは辛いな。

ヒサゴ沼避難小屋の説明:

  「ヒサゴ沼避難小屋」は、化雲岳の南、約2kmのヒサゴ沼湖畔に設置されています。

  この建物は、山小屋ではなく、悪天候時など緊急を要する際に、避難するための小屋 として造られておりますので、登山で現地に宿泊したい場合に、利用するための施設ではありません。

 ですので、現地に宿泊される場合は、宿泊用テントを持参し、防寒対策をとった上で、野外の野営場でテントを設営し、宿泊 をって下さい。

 現地で「避難小屋を利用される場合」 に、常時開放されていますので、利用者みなさんで協力して、ご利用願います。


50 : 底名無し沼さん2017/04/03(月) 13:15:15.51 ID:3SXJ8z/X

各自ツェルト持ってれば良かったろうな。
雨具と同様にすぐ出せる位置にしまっとく。


51 : 底名無し沼さん2017/04/03(月) 20:12:07.49 ID:+6Ur5X+c

吸汗速乾なんていう化繊のペースを着ているから冷えて死んでしまうだよ
ベースは夏でもウールだよ


52 : 底名無し沼さん 2017/04/03(月) 20:42:54.79 ID:lPXlL+cJ
>>50
ツェルトに入って残ったガイドと女性客も亡くなってる。
渡渉でずぶ濡れになったのが致命的だったと思う。


53 : 底名無し沼さん 2017/04/03(月) 21:41:02.82 ID:objMQ9C8

自転車で30分のイオンに行こうといつもの堤防道路を走ってたら その日は強風で1m走るのにもペダルが重くて重くて前に進まない時があったけど
真下に見える草をじっと眺めながらひたすら自転車をこいだわ
何十年も自転車に乗ってるのに、川沿いは走ったこと少なかったから初めて経験する強風
常に風圧がかかって全然、前に進めないからなあ
あれがトムラウシ登山での寒風だったら、低体温症で遭難するわな

55 : 底名無し沼さん 2017/04/03(月) 23:24:42.84 ID:G5aBY1Sp
>>47
ツアーの特徴って「安さ」と「楽さ」だと思うんだ
単なる観光なら良いけど登山でそれらを求めるのはどうかと思う
なんていうか自分の命を自ら安売りしてるような・・そんな感じ


56 : 底名無し沼さん 2017/04/04(火) 01:46:29.94 ID:DaGYlCv+

とっとと下山が正解だけど、雨具や防寒具や乾いた着替えを余分に用意しておくことと、全速力で踏破する体力をつけておくことかな。
寒くて死にそうになったとき、引き返して高度が下がるにつれて温かくなって元気を取り戻したのを思い出した。

58 : 底名無し沼さん2017/04/04(火) 07:44:20.20 ID:XX4GrTo5

げんに、このトムラウシのアミューズツアーのメインガイドで死んじゃった広島から来たKガイドがヒサゴを出るときに

「今日の私の役目は皆さんを安全に下ろすこと、よって山頂は巻きますからご了承ください」

といったと報告書にある。
いうだけなら言えるんだよ。実行できるかは別。


62 : 底名無し沼さん 2017/04/05(水) 17:43:18.20 ID:YbiPQLOb

北沼付近まで無理にでも歩を進めてしまった時点で詰んでるっしょ
その時点で>>47の言う通り進むも地獄、退くも地獄ですわ
出発段階で小屋にとどまるか、
出発後でも早い段階で小屋に引き返すしかなかった

悪天候でも、平地の予報見て回復するだろうと甘い判断で強行した結果がコレ

その背景にツアー登山の日程遵守、交通機関手配、経験不足のガイド、避難小屋の私物化トコロテン方式とか色々あるけど遭難事故起こしたらなんにもならんわな

64 : 底名無し沼さん 2017/04/06(木) 01:19:48.48 ID:Trj4ctVO

みんな経験があると思うが集団になると自分の意見を抑える
結局参加者のほぼ全員でそれをやってしまったんだ

だからさ、ガイドの中にガイド長を作って絶対権力を作らないとだよ
航海並みのリスクがあるんだから


65 : 底名無し沼さん 2017/04/06(木) 16:07:17.74 ID:H/s63Ebl

ツアー主催会社は現場ガイドに強力な中止権限を与えないとアミューズみたいに事故起こして潰れるぞ


66 : 底名無し沼さん 2017/04/06(木) 22:13:57.63 ID:z8GGI9sl

みんななんか勘違いしてるけど、ヒサゴ沼まで来ちゃったら引くも地獄、進むも地獄だぞ

化雲岳から天人峡も長いし、五色岳まで戻って沼ノ原も長い。

一番キツいのは間違いなくトムラウシにむかって、東大雪荘方面に下ることだけど、出なきゃならないなら、選択肢3つの中からトムラウシに向かったのは分からないではない。

だから、ヒサゴ沼避難小屋の状態も悪かったが、停滞以外に正解はなかった。


67 : 底名無し沼さん 2017/04/06(木) 22:22:26.77 ID:G1PVmXKu

また今日も雨漏りのする小屋で過ごすのかと考えたら、出発したくなる気持ちはわかる。


69 : 底名無し沼さん 2017/04/06(木) 23:08:07.76 ID:1lW887r+

この時はツアー客以外に単独の人も死んでるんだよね


70 : 底名無し沼さん 2017/04/07(金) 20:35:16.70 ID:D1eX1+E/

ガイドの1人は 4-5人用のテントも持ってたんだよな。
こんな時使わないでいつ使うんだ?


71 : 底名無し沼さん 2017/04/08(土) 08:12:41.49 ID:WiZz0O57

救助された時ガイドは使ってたよ


72 : 底名無し沼さん 2017/04/08(土) 10:19:49.36 ID:045Kww2z

客もベテランと言っても人の計画した山行に後ろから付いて行くだけの登山をしてきた人達だろ
そんなのは何百回登山をしようとベテランとは言わない

75 : 底名無し沼さん 2017/04/16(日) 17:18:32.61 ID:f0Wj9YDR

谷川でプチ低体温症なったからやばさはわかる。判断力なくなるし。
とにかく着替えてなにか食べて飲んで冷えないようになるたけすぐ動くこと。
あの時は信じられん強風だったわ


77 : 底名無し沼さん 2017/04/16(日) 22:44:25.62 ID:nhgiCen6

ヒサゴ沼小屋でもう一泊が一番だったろうね
ただツアーガイドにそんな選択の余地は無かっただろうな
ツアーを日程どおりにとか、本来なら命に代えられないものなのに、そういうので誤った選択してしまう

80 : 底名無し沼さん 2017/04/17(月) 22:39:20.74 ID:+OL59aOA

夏山といっても防寒具なしでは...ってのがこのトムラウシでの事例かなあ
ジジババの体力の限界もあるけど、
最低限ツェルトやレインウェア、あとは衣服が濡れた時用に替えの下着とかな

82 : 底名無し沼さん 2017/04/18(火) 06:52:07.55 ID:qLABVu3R
>>77
次の日に五色沼からあがってくるアミューズツアーがいて、天気が回復する見込みで避難小屋も混雑が予想されていたことも判断を狂わせたんだろうね


85 : 底名無し沼さん2017/04/19(水) 22:06:50.77 ID:ZCD9rwia

別物だけどそれを気づいても言えない状況だったんだろ
自分独りなら正しい決定をできる人が集団の中で正しい決定を出来なくなってたはず

特にガイドが複数の時はガイド長を作って船長みたいな責任者にすべきだ

87 : 底名無し沼さん2017/04/20(木) 21:18:15.83 ID:BQJInYFd

ヤマケイ出版の本読んだけど、
初日から超マイペース行動や準備不足で他のメンバーたちを苛立たせてた人たちはなんだかんだで生還してんだよね
最初に北沼で行動不能になって亡くなったのはそれとは別の女性

自分も単独参加なら多少体調が悪くても誰にも言わずに我慢したと思う
ギリギリまで黙っていきなり倒れるのはやったらいかんと心に刻んだ


88 : 底名無し沼さん 2017/04/21(金) 21:08:40.64 ID:JNLjavz/
>>87
1回でもCLやったら、んなことわかるだろ。
余裕があるうちにヤバいっていってくれないとにっちもさっちも行かなくなってパーティー全滅という。


90 : 底名無し沼さん 2017/04/26(水) 21:20:05.84 ID:WtJYeSow

雨降ったら避難考えないとね。
今の時期も大量に汗かくほどだけど、霧雨食らって休憩入れたら歯がガタガタ言うよ。
多少寒くても、なんて考えてたらアッというまに体が動かなくなるからな。
意識がハッキリしているだけに怖いよ。

92 : 底名無し沼さん 2017/05/05(金) 08:16:35.34 ID:XkKfINRN

ヒサゴ沼非難小屋って今でも雨漏りガンガンのボロ小屋なのか
この小屋がちゃんとした雨漏りのしない小屋だったら結構生き残ってたかも
もっと頑丈な小屋作っとけよ北海道はそんなのばっかりなのかよ
http://matsuri.2ch.net/test/read.cgi/out/1487774150/


2. 中川隆[-7618] koaQ7Jey 2017年6月04日 08:48:27 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

トムラウシ山遭難事故 調査報告書 −日本山岳ガイド協会
http://www.jfmga.com/pdf/tomuraushiyamareport.pdf


トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか (ヤマケイ文庫) 2012/7/23
羽根田治 (著), 飯田肇 (著), 金田正樹 (著), 山本正嘉 (著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4635047466/asyuracom-22/

2009年7月16日、大雪山系・トムラウシ山で18人のツアー登山者のうち8人が死亡するという夏山登山史上最悪の遭難事故が起きた。

暴風雨に打たれ、力尽きて次々と倒れていく登山者、統制がとれず必死の下山を試みる登山者で、現場は修羅の様相を呈していた。

1年の時を経て、同行ガイドの1人が初めて事故について証言。夏山でも発症する低体温症の恐怖が明らかにされ、世間を騒然とさせたトムラウシ山遭難の真相に迫る。

『HONZ』で紹介されていたのを読んで購入。

ああ、この遭難事故のこと、なんとなく記憶にあるなあ、などと思いながら、読み始めました。

最近、妻がアウトドアとか山登りにハマっていて、ちゃんと「アウトドア講座」とかも受講しつつ息子と日帰りで山に登っているんですよね。

僕自身は、相変わらずインドア派で、なんで休みの日にネットもできないところに行かなければならないのだ……などとボヤキつつ、ときどき付き合って一緒に行く、という感じなんですけど。

僕は「人がなぜ山に登るのか?」って、この年齢までよくわからなかったんです。

景色はいいかもしれないけれど、身体はきついし、トイレも行きたいときに行けるわけじゃないし、ヘビとか熊に遭遇するかもしれないし、遭難するかもしれないし……

でも、実際に行ってみると、なんだか「程よい孤独感」と「自分の身体への信頼感」が少し回復するような気もするので、ハマる人の気持ちも、わからなくはないなあ、と。

ただ、仕事のことを考えると、携帯電話の電波が届かなかったり、病院から遠く離れてしまう場所にいることそのものに、けっこう不安もあるんですよね。

まあ、「基本的に、大好きにはなれない」のだろうな、と。


前置きが長くなりましたが、このトムラウシ山の遭難事故、ニュースで聞いたときには「真夏に遭難するのか……登っていたのは60歳代くらいの人が多かったし、山を甘くみすぎていて、ピクニック気分だったのでは……」などと勝手に想像していたのです。

「やっぱり山は怖いな」とも。

でも、事故を詳しく検証したこの本を読むと、このグループの装備が極端に軽装だったということもなく、当時のトムラウシ山の気候も、7月としては寒く、雨と強風がみられていたものの、この山では年に何度かはみられる程度の、それほど異常とはいえない天候だったそうです。

 東京都千代田区に本社を置くツアー登山の専門会社・アミューズトラベル株式会社(以下アミューズ社)のパンフレットに、その商品は次のように紹介されていた。


 北海道最高峰の旭岳から歩き始め、大スケールの景観が広がる縦走路を「遥かなる山」トムラウシ山へ、無人小屋に泊まりながら縦走します。縦走ならではの魅力が凝縮された例年満席の大人気コースです。お申し込みはお早めに!

 期日は2009年7月13日(月)から17日(金)までの四泊五日で、料金は15万2000円。「魅力の大縦走 大雪山系縦断の満喫コース」と銘打たれたこのツアー登山に、最終的に15人のツアー客が参加した。

 大雪山系の旭岳からトムラウシ山へと縦走するプランは、ツアー登山を扱う会社にとって、募集すればすぐに定員一杯となってしまう人気商品だという、その一方で、避難小屋を利用する長丁場のコースであることから、旅程および安全管理が難しく、またコストや人員配備の問題もあり、やむなく商品化を中止したり、日程やコースを変えるなど工夫して催行しているツアー会社もある。


この本を読んでいると、このツアーに参加していた人たちは、みんなそれなりに登山の経験があったようです。

もちろん、ヒマラヤの8000m級の高山に登るような「山のエキスパート」ではないのですが、「日本百名山」を休みの日には巡っているような人たちばかりです。

このトムラウシ山のツアーも、天候が良ければ、彼らの数多くの山での経験のうちのひとつ、でしかなかったはず。

むしろ、3人のガイドたちが、このトムラウシ山にあまり詳しいとはいえず、参加者のスキルをあまり把握できておらず、意思の疎通もとれていなかったことが大きかったようです。

そして、出発時から天候が悪かったにもかかわらず(天候は回復する、と予想していたらしいのですが)、山小屋に留まらず、出発してしまったことが、最大の失敗だったと著者のひとりは指摘しています。


これだけの大きな犠牲が出てしまった理由には、身体が濡れてしまったことや、防寒対策、栄養摂取不足、低体温症への知識不足などが原因としてあげられていますが、やはり、いちばんの問題は「なぜ、悪天候にもかかわらず、出発してしまったのか」なんですよね。

一日、たった一日、天候が回復するまで山小屋で待っていれば、こんな形で、命を落とさずに済んだのに……

結末を知っている僕は、そう思わずにはいられないのですが、生還することができた参加者たちは、こう語っています。


 いずれにしても、悪天候のなかを出発するべきか停滞したほうがいいのかについて、参加者の見解は必ずしも一致していない。

「今回でトムラウシは二度目だったので、上の吹きさらしになるところはよく知っている。ヒサゴ沼避難小屋の建っている窪地でそうとう風が吹いていたのだから、上はもっと凄いだろうということは容易に想像できた。前の晩の状況から考えたら、出発すること自体に無理があると感じた。いちばん望ましいのは、出発しないことだと思う。もしガイドから参加者に対して『どうしましょうか』という問いかけがあったら、おそらくスタートするのは難しかったのではないだろうか」(寺井)

「こんな日には行きたくないなあと思っていたけど、ガイドさんたちが相談して『行く』と決めたのだから行くしかない。もしヒサゴ沼避難小屋で一日停滞していたら、ほんとに快適なトムラウシ登山が楽しめたと思う。でも、自分は一日ずらしてほしいと思っても、ほかの人の予定を考えたら、そんなに簡単にずらせるものではないのだろう」(平戸)

「私の場合、どの山に行ったときでも天気の悪い日の朝は『行きたくないなあ。でもみんなが行くんだから行こう』と思ってしまう。今回も同じ。『あ、行くんだ。しょうがないなあ』と思った。逆に停滞して行程が一日ずれたとしても、それはそれで『しょうがないなあ』と思っていただろう。ただ、もしあのとき『予定どおり帰りたいですか』と聞かれたら、私は『帰りたい』と言っていたと思う」(星野)

 だが、自分たちの不安や要望を誰も口に出してはいない。

 五時半の出発間近になって、西原ガイドが参加者にこう伝えた(トイレに行くなどして話を聞いていなかった参加者も何人かいる)。

「今回の僕たちの仕事は、皆さんを無事に下ろすことです。なのでトムラウシ山には登らず迂回ルートを通るので、了承しておいてください」

 ガイドも含めてみんな、「これは危ないのではないか」と思っていたのです。

 でも、結果的に「止めること」を決断できないまま出発してしまい、引き返そうと思ったときには、もう、引き返せないところにまで来てしまっていた。

 こういうのって、ありますよね……このツアーだけが「異常」だったわけじゃない。

 旅行だと「予定どおりに帰らないと、用事がある」という人だっていますし、同じようにリスクを受け入れて出発しても、途中で天候が回復したり、無事に到着できたりすることもあります。

 というか、多少無理をしても、結果的には何も起きないことのほうがはるかに多いはず。

 引き返したり、延期したりしたら、雇われガイドとしては会社からの評価が下がったり、ツアー客からのクレームが来たりすることもある。

「行けたんじゃないか?」って。

 

「無理をしない勇気」って、本当に大事なのだけれど、いざというときにそれを口に出すのは、けっこう難しい。

 とりかえしがつかなくなってから、後悔しても遅いのに。


 登山をする人は知っておくべき、「低体温症」についての知識が、この本では紹介されています。


 登山中の低体温症は、濡れ、低温、強風などを防ぐことが不十分の場合、行動してから5〜6時間で発症し、早ければ2時間で死亡する、とJ.A.ウィルカースンが述べている。

 低体温の症状が発症し、震えがくる34度の段階でなんらかの回復措置をとらないと、この症状は進行して死に至る。条件によっては、体温低下が急激に進行するために時間的な猶予はない。

 34度の段階で震えが激しくなったことには、すでに脳における酸素不足で判断能力が鈍くなっている。そのため本人または周囲の仲間に低体温症の知識がなければ、何が起こっているのかわからないままにその回復を遅らせてしまうことになる。

 したがって、この34度の症状がポイントとなる。

 しかし、この本で、実際に遭難してしまった人たちの生々しい体験談を読んでいくと、現場では、一緒に行動している人も同じように低体温症を発症していることが多いのです。

 自らも危険な状態なのに、他の人に対して最適な対応をしていくのは難しいですよね。


 この本を読んでいて、僕がいちばん驚いたのは、生還した人たちの「その後」でした。


 もっとも、「自分が行きたい山へのツアーがあれば、これからもアミューズ社を利用する」と寺井は言う。平戸も、「地方には東京のようにツアー会社がたくさんあるわけではなく、選択肢が少ない。かといってひとりで未知の山に行くのは不安だから、自分の目的と都合に合えば、今後アミューズのツアーに参加することもあると思う」と言っていた。事故直後からマスコミやインターネットを通じてアミューズ社とガイドへの批判を繰り広げていた久保は別にして、清水も里見も星野も、事故後もアミューズ社のツアーを利用し続けている。

 多数の死者を出す大量遭難事故の当事者になりながら、その後も事故を起こした会社のツアー登山に参加し続けるのはどうしてなのだろう?

「アミューズ社に対してはなにも思わない。天気がよければ、なにも起こらなかった。だからアミューズ社の責任でもガイドさんの責任でもないと思う」(里見)

「信頼の置けるガイドだったけど、たまたま多数の悪条件が重なり事故が起きた。そのことについて、素人の私が『ガイドが悪い』『あれが悪い』『これが悪い』と言える立場ではない。それよりも、トラブルを最小限に抑えるには、ツアー客一人ひとりがしっかりしろということ」(清水)

 生還した人たちのほとんどが、また、山に登っているのです。

 というか、登り続けている。しかも、同じツアー会社を利用している人もいる。

 僕だったら、もし山でそんな目に遭ったら、もう二度と登らないと思います。

 一度山の魅力にとらわれてしまうと、遭難を経験しても、やめられなくなってしまうのですね……

 いや、僕は正直、これを読んで、「正気か?」と思ってしまいました。

 車の運転とかなら、イヤでもやらないと生きていけないという事情もあるでしょう。

 でも、「登山」は、自分からやろうとしなければ、たぶん、一生やらなくても困らないだろうに。


 とりあえず、「登山が趣味」という人は、一度は読んでおいたほうが良い本だと思います。

 一枚多く防寒着を着ていたかどうか? 一個飴を食べていたかどうか?

 そんな些細なことが、生死を分けることもあるのが、山という場所だから。
http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20140704

トムラウシは北海道でいえば、普通の山です。

もちろん、アルプスなどと同じ山という意味ではありません。

あきらかに本州の山とは何もかもが違います。

同じように捉えていることで危険になるというわけです。

私も2年前にトムラウシ温泉〜黒岳縦走しました。

何が危険かといったら、北海道の登山ではテント持ち登山がデフォルトであるため、
管理人がいる山小屋は季節限定で少しありはするが、飯や布団などはないし、
多くが避難小屋。その避難小屋も5時間くらい歩かないと次の小屋が見えません。

山に入り込むとエスケープルートを取っても丸2日かかる。

水源はあるが、動物がいるため煮沸しないと飲めない。

よって、食糧、水、コンロ、シュラフ、テントなどを日数+α分持っていくことになり大変な重量になります。

私の時は、2人で50kg超えました(テントの重量は含まず)。

ちなみに、テント持参せずに管理人のいる小屋に泊まろうとすると怒られます。

学生の山岳部の連中だったら暴風雨でもない限りは追い出されます。

重量過多により何か減らそうとすると、服が減ることになります。

しかし、湿度も高く、小屋ではまず乾かないので、やっぱり重量が多くなるか、
或いは、濡れた服のまま縦走することになり、体調を壊しやすいです。


重量が多くなれば、それだけ疲労も蓄積することになります。

考えてみてください。20kgのリュック背負って毎日10時間歩くんです。

さすがにこれだけの重量があるとコースタイムより大幅にかかります。

アルプスの登山道のようにわかりやすい道はあまりありません。

だだっ広い岩と草原の中、地図とコンパスを頼りに進まざるを得ません。

ましてや、事故当時のように大量の雨により、コースが水浸しになり、
池となってしまっていたら、道を見失うのは必然とも言えます。


誰が池の中が本来のコースだと思えるでしょうか?

そこにはマークもロープも無いんですよ?


私はその現場に行ったから状況がよくわかります。

人災だのガイドの責任だの平然と非難する人たちは登ったことすらないでしょうね。


トムラウシは毎年何人も帰らぬ人となっています。毎年何人も遭難しています。

トムラウシでの遭難事故は単独、複数問わず毎年起きています。

2009年のトムラウシ遭難事故の前にも、2002年にツアーでない遭難事故が起きています。

2009年のトムラウシ遭難事故になる当日に出発したヒサゴ沼避難小屋は、
遭難者の関係者の寄付によって立った避難小屋です。

避難小屋が立つほど恒久的に遭難事故が起きているんです。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1093858495


山の恐怖 〜トムラウシ山遭難事故〜 2016/08/11
http://www.fujitv.co.jp/unb/contents/160811_1.html

今日、8月11日は、今年から新たに制定された「山の日」。 登山ブームなどにより、山に親しむ機会が増えた一方、昨今では山での死亡事故も増加の一途をたどっている。

 夏山史上最悪と言われる、8名の犠牲者を出した『北海道・トムラウシ山遭難事故』を詳細な事故調査報告書、事故の真相に迫った書籍、その作成に関わった関係者への取材…そして、生還した人々の証言から検証する。 そこから見えてきたのは…人間が次々に正気を失っていく恐怖の現象だった。


今から7年前の7月14日。 この日、18名のパーティが北海道中央部にそびえるトムラウシ山を目指して出発した。 まずは北海道の最高峰・旭岳の5合目までをロープウェイで上がり、そこから登頂したあと、山々の稜線を伝って最終的にトムラウシ山へと登頂するルート。 途中、無人の山小屋に宿泊しながら2泊3日で踏破する、本格的なツアー登山だ。

 北海道とはいえ、真夏なら気温は10℃前後になり比較的穏やか。 景色も美しく、登山愛好家にとっては憧れの地だった。


東京の旅行会社が企画したこのツアーは、50代〜60代の登山客15名に経験が豊富なプロのガイド3名が同行。 万全の態勢で挑んでいた。 さらに、ツアー参加者は、一番経験の短い人でも6年の登山歴があり、皆、登山装備はしっかりした物を準備していたという。

 初日は天気もよく、参加者たちは意気揚々と登山を開始した。 その日は順調にルートを消化し、山小屋に宿泊。


2日目も早朝5時に小屋を発ったのだが…出発時から降っていた雨が次第に強まり、山道はぬかるんでいた。 それでも15時前には、予定通り2日目の宿泊地となる山小屋に到着。 だがそこでは、すでに他のパーティが宿泊していたため、十分なスペースが確保できず、濡れた装備が乾かせない状況だった。


そのあとは、思い思いに夜を過ごした参加者たち。 旅の話で盛り上がり、遅くまで起きていた者もいれば、喧騒を避け早々に床に着いた者もいた。

 深夜3時、雨脚は強まり暴風雨と化していた。 雨が小屋の中に染み込んで満足に眠れない者も多数いた。 そして、この状況こそが、のちの悲劇に大きな影響を及ぼすことになったのだ。


翌朝。 ガイドは天候の回復を考慮して、予定より30分遅い朝5時半に出発することにした。 さらに、トムラウシ山への登頂は諦め、迂回ルートを通って下山することを決定した。

 参加者たちは、登山経験豊富とはいえ、ほとんどが素人。 台風のような天気の中、歩くことに不安はあったが…山のプロであるガイドの決定に従うのは当たり前のことだった。 さらに…ツアー登山だったため日程を延ばすと、飛行機・旅館など予約しなおさねばならず、それ以上の出発延期はためらわれた。


 結局、5時30分、パーティは山小屋を出発。 途中、木道を通り、岩場のロックガーデンへ。 まっすぐ進むとトムラウシ山にぶつかるが、この日は頂上には登らず、反時計回りで迂回し、麓へ下山していくルートだ。

 だが、山の稜線に出て木道に差し掛かった頃だった。 パーティをものすごい強風と激しい雨が襲った。 ガイドたちが予想した天気の回復は遅れていた。 しかも、風を遮るものがない稜線に出た時に、風雨は最も激しくなってしまったのだ!


さらに、出発して1時間も経たない頃だった。 男性が、足がもつれ上手く歩けなくなっていた。 参加者の1人である前田さんが声をかけ、名前を聞いたものの…明らかに様子がおかしかった。 だがこれは、のちに彼らを襲う恐怖の現象の序章に過ぎなかった。


まともに歩けないほどの強風の中、前進を続けるパーティ。 北沼と呼ばれるトムラウシ山の見所の1つまで到達したのだが… 氾濫した水が幅2メートルほどの流れとなって、行く手を遮っていた。

 それでも、ひざ下くらいまでの水量だったため、2人のガイドが川に入り、参加者たちが渡るのを必死に介助した。 だが…山崎ガイドが転倒し、ずぶ濡れになってしまった。


一方で、先に渡った参加者も全員が渡りきるまで待機。 強風が吹きつける岩場で、1時間から1時間半もの間、待たされることに…。 すると、1人が突然奇声を上げだした。 さらに…他の参加者たちも、けいれんを起こすなど、次々に異変を起こしていた。 中には意識を失う者もいた。 さらに、ガイドリーダーである西原の様子もおかしい…。


判断が出来ない西原に代わり、2人のガイドが相談した結果、行動不能になった参加者は、その場で救援を待つことになった。 雨が弱まる中、山崎ガイドはその時点で行動可能だった10名を引き連れ、下山を始めた。

 前田さんは、知り合いの阿部さんに体力をつけるために飴を舐めることを勧めたのだが…阿部さんは無表情に振り返りかえっただけだった。

 一方その後方では…歩くことが困難になった者が現れ…さらに、倒れてしまう者もいた。 そばにいた参加者が「誰か手を貸して」と叫んだのだが…その声に応える者は誰もいなかったのだ。

 先を行く参加者にも異変が現れていた。 突然、歩くのを止めて…意味不明な言葉を発したかと思えば、その場に倒れてしまった。


次々に不可解な行動をとりだす参加者たち。 だが、彼らの下山を先導するはずの山崎ガイドは…後ろを振り返ることなく進んでいた。

 山崎ガイドに必死に追いついた前田さんが「みんなを待たなくても良いんですか?」と質問したのだが… 「救助を呼びに行かなきゃいけないから早く行くんです。」と言い、歩き出してしまった。 だが、…山崎ガイドにまで異変が起こり、座り込んで動けなくなってしまったのだ!


すると、その時…前田さんの携帯が鳴った! これまではずっと圏外だったが、ようやく電波の入るエリアに差し掛かっていたのだ。 電話をかけてきたのは夫だった。 前田さんは遭難しかけていると伝えたのだが、夫は遭難を冗談としか捉えてくれなかった。

 すると…山崎ガイドがその携帯で110番するように指示をした。 しかし…警察に場所を聞かれるものの、山崎ガイドは呂律が回らず伝わらない… 途中、何度も電波が途絶えたりしたこともあり、結局、居場所を伝えられぬまま、バッテリーは切れてしまった。


すると、山崎ガイドが自分の携帯を出すと言いだした。 前田さんはこの時、『自分の携帯を持っているなら、自分で110番すればいいのに』と思ったという。 しかし…山崎ガイドは携帯を出したものの、でたらめにボタンを押すばかりで電話がかけられない状態だった。 統率するはずのガイドまでもが、完全に正気を失っていたのだ!

 楽しいはずの夏山でパーティを襲った恐怖の異変。 経験豊富なガイドさえも正気を失っていた。 そこへ、山崎ガイドの先導で下山していた参加者の1人が合流。 遅れてはいたが正気を保っていたので、救助要請を急ぐため、山崎ガイドを残して2人で下山することにした。


そして、2人はなんとか麓にたどり着き、警察に救援を要請。 その日は日が落ちていたため、翌朝から捜索が開始された。 陸上自衛隊からも約30名が投入され、ヘリコプターによる懸命な救助活動が展開された。 だが、参加者7名に加え、途中で異変を起こしたガイドリーダー西原、合計8名が命を落とす大惨事となった。

 パーティを襲った謎の異変の正体。 それは…『凍死』。 当時の報道によれば、8名全員が真夏に凍死していたという。


事故調査に携わった金田正樹医師によると、これらは典型的な低体温症だという。 低体温症とは、体温の低下に伴って体に異変が生じ、最後には死に至る恐るべき症状である。 症例に個人差はあるが、通常なら36°C台の体温が1°C下がると寒気に襲われる。

 35°Cになると、皮膚感覚が麻痺したようになり、次第に体が震え出し、歩行が遅れがちになる。 参加者の多くの歩行が遅くなったのは、この症状だ。

 34°Cになると口ごもるような話し方で、意味不明な言葉を発するようになる。 無関心な表情をしたり、軽度の錯乱状態になることで判断力が鈍ったりする。


 34〜32°Cになると、もはやまっすぐに歩くことは困難。 感情がなくなり、不整脈を起こす。
 32〜30°Cでは、立つことさえ不可能に。
思考が停止し、筋肉が硬直。 意識を失う者も出てくる。
 30〜28°C。
半昏睡状態となり脈が弱くなる。 呼吸数も半減。
 28〜26°Cでは昏睡状態。
心臓が停止し、死に至ることが多い。


だがなぜ、真夏に低体温症になってしまったのか? 事故が起こった日、トムラウシ山の気温は、いつもなら10°C前後のところ、午前中は約6℃。 午後はさらに低下し、3、8℃を記録。

 確かに寒い、だがこの時期のトムラウシ山では想定内の気温。 特別寒かったわけではないという。 参加者たちも十分な防寒具を持っていたと報告されている。 では、彼らの体温を奪った原因とは?


低体温症に至る要素は、すでに前日の山小屋から始まっていた。 雨で濡れた装備を完全に乾かすことができなかったため、湿った服が徐々に体温を奪ったという。

 その後、風速20メートルを超える強風に体温を急激に奪われた。 風速が1メートル増すごとに、体温は1℃下がるという。 湿った服と強風で、当時マイナス10数℃くらいの体感温度になっていたと推測される。

 亡くなった人たちは、ザックの中にダウンジャケットなど防寒具を入れたまま、着用せずに倒れていた。 これは、低体温症により思考が鈍っていたためだと推測される。


参加者たちは、氾濫した沼を渡る時、暴雨風の中に長時間さらされていた。 この時に体温は34℃を下回り、低体温症になった人が多かったと思われる。 その時点で行動可能だった10名が、のちに次々と異変を起こしたのは、歩き出したことで冷やされた血液が全身に回り、低体温症が急速に悪化したためだと考えられている。

 登山中の低体温症は対策が不十分の場合、行動してから5〜6時間で現れる。 その後、早ければ2時間で死亡すると言われる。 低体温症を発症し、判断力が鈍り始める34℃の段階でなんらかの回復措置をとらないと、症状は進行して死に至るケースが多いという。

だが、同じ環境下にも関わらず、助かった人もいた。 生死を分けたものとは一体何だったのか?


『理由1 十分な睡眠休息』
 亡くなった参加者たちは、前日の山小屋で十分な睡眠をとっていなかった。 疲労が蓄積すると、体温をあげるためのエネルギーも不足してしまう。


『理由2 防水・防寒対策』
 助かった人たちの多くは、防寒具の隙間に雨が入り込まないように、タオルなどで水の浸入を防いでいた。 自力で下山し、救助要請をした前田さんは…タオルに穴をあけた簡易防寒具を首から被り、なるべく体が濡れないように細心の注意を払っていたという。

 また、低体温症が進行する前に、フリースなどの防寒具を着用した者もいた。 低体温症が進行し、判断力が鈍くなってからでは遅い。 現に亡くなった方は、防寒具を持っていたにも関わらず、ザックから出すことすらできなかったという。


『理由3 カロリー摂取量』
 自力で下山した前田さんは、ポケットにすぐ口にできる飴やチョコレートを入れ、時々食べていた。 一度、正気を失ったにも関わらず、チョコレートを摂取したことにより回復、正気を取り戻した参加者もいた。

 だが、亡くなった人の多くは、ザックの中に食料をしまっていた。 思考が低下していたこともあって取り出さず、また食べる量も少なかったという。 つまり、熱を生み出すカロリーを多く摂取していた人の生存率が高かったのだ。


トムラウシ山遭難事故の原因は1つではない。 ツアー会社の管理責任、ガイドの見通しの甘さ、参加客の山に対する認識不足など…複合的なものだったとされている。 だが何より、1番の原因は…低体温症という、死に至る恐るべき現象が、未だ世間に正しく認知されていないことに尽きるのではないだろうか?

 生還者の前田さんは、この経験からこう警笛を鳴らしている。
「夜は絶対ぐっすり眠ることですね。」
http://www.fujitv.co.jp/unb/contents/160811_1.html


3. 中川隆[-7609] koaQ7Jey 2017年6月04日 13:18:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2009年07月17日 山の安全全体に公開
トムラウシ山遭難事故。低体温症と、ツアー登山。2つの問題
https://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-3691



 16日、北海道のトムラウシで18人パーティー(内ガイド、付き添い役3人)が遭難し、17日午前9時現在で8人死亡、1人行方不明。同じく美瑛岳で6人パーティー(うちガイド3人)のうち1人が死亡しました。
 山で亡くなられた方々に深く哀悼の意を表します。

 遭難のことでは、私はこのトムラウシで、残雪のため道に迷って、沢を滑落してなくなられた父子のパーティーと行き違ったこともありました。この時期のトムラウシは雪とガレ場でルートを見失う場合も多く、小屋から先はふもとまで人工の退避場所はありませんから、みなさんかなりの苦労をされたように思います。

 7月の道内の山はこれまでも同じ性格の遭難が続き、犠牲者を生んできました。今回のとくにトムラウシ山遭難事故は、道内の山岳遭難としては、かつての北大山岳部の日高山脈での雪崩遭難(6人死亡)の規模を超える、道内登山史上最大の遭難事故になりつつあります。それが夏山の一般コースで起こり、繰り返されていることが、近年の特徴です。

 最近は報道関係者に山の経験がない記者が多いため、どの山域の遭難事故でも、状況や原因が最後まで的確に伝えられない場合があります。今度の問題も気象条件にポイントが当てられた報道になっていますが、私は、とくにトムラウシの大量遭難は、2002年の多重遭難と同様に、ツアー登山がもつ独自の危険性と、低体温症への無警戒が生んだ事故と思います。

 山の遭難では、しばしば気象が原因にされます。今回もその無謀さはあった様子です。そして「気象」と対になって「疲労凍死」という不明確な死因が伝えられることもあります。

 実際には、少し前まで元気で行動してきた登山者が、急に動く意志をなくしたり、状況判断ができなくなったり、その場に倒れこんでしまう。介抱にあたった同行者も、同じ事態に陥る。低体温症特有のこうした事態で不幸を招いてしまう場合が多いのです。

 疲労との違いは、事態が突然、始まること。そして、疲労は徐々にくるし、自覚もできる。また休めば回復するものですが、低体温症は、休憩のあいだも危険ライン(直腸温で30度)へと事態はすすみます。行動できるなら、ゆっくりでも歩いて体温を維持する。動けないなら、風をよけ、濡れた衣服を替えるか、カイロを使うなど、その人の体温を保全し、上げる手立てがすぐとられないと、ほぼ確実に死に至ってしまうことです。

 付近で風を避けビバークし発症者を介護するか、歩行できるならより安全地帯に動けるなら休まず行動するか、的確な判断がいります。吹きさらしで行動も判断も停止するのは最悪です。

 (09年12月18日補足――今度のように強風・雨・低温下で行動中に発症者が出た場合は、発熱量よりも、失う熱の方が上回っている状況です。個人差あり。そのまま行動を続けること自身が危険という段階にあります。北沼で相当数の発症が始まっていたことについては下記を参照。北沼の渡渉は、最後の一線をこえてしまうことになり、ビバークの用意がないままガイドらも低体温症、判断不能に追い込まれた。)

 トムラウシ山遭難。山岳ガイド協の中間報告にみる「低体温症」の実際
http://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-5521

 「疲労凍死」という呼称は、低体温症という真の原因から見ると、次の問題があります。

 1)こうした危機を感じたら、(歩行できるのならば)休むのではなく安全地帯へ向けてゆっくり行動し体温を保持することが、一番の予防策となるし、安全地帯を得てビバークへも移れます。悪条件下で休むというのは、「疲労」という「偽りの原因」のために、もっとも危険な道へすすんでしまうものです。

 2)休んでいる最中にもどんどん体温が下がる現実、体を早く的確に温める措置の必要性を認識しない点でも、「疲労凍死」という概念は、登山者にとって非常に有害と思います。

 そして3)疲労一般ではなく、低体温症の危険への認識があれば、天候判断やパーティーの行動力の見極めにこれが入ってくるし、体を濡らさず、保温するという装備と服装のうえでの対応、とくに下着対策、ビバークの用意が、出発前に視野に入ることになります。

 新田次郎の「八甲田山」で吹雪のビバークのなか最初に気がふれて、暴れ、衣服を脱いで裸になり、気を失う若い兵士がいました。あれが、低体温症の典型的すぎる始まりです。

 判断力、行動の意欲そのものが急激に失われるのが、もっとも怖い。リーダーが同じ装備、条件にあるパーティーに一気に事態が広がるという認識がなく、暴風をよける地形への退避、テントへの退避と保温の措置、他のメンバーにあらゆる服装を身につけさせる、温かい飲み物をとるなどの可能な限りの機敏な処置をとらないと、低体温症は急速に全体に広がりだします。

 何よりも、その日の出発時に濡れと保温を考慮した服装・装備を身につける指示が決定的です。備えがなければ、そういう天候での行動はやめることです。

 この遭難の特徴は、同じ山で同じ気象条件のもとで行動・入山した他のパーティーがいたのに、そのなかで風雨よけの対策の不備やパーティ全体の行動力の低さなどから、特定のパーティーに犠牲者が出ること。発症はしばしば、突然の判断停止、行動不能として現われ、全体の行動をその場で制約すること、そして、1人の行動不能者が出ると悪条件で救護するメンバーに次々と犠牲者が広がること、そのためある地点でパーティーの相当な割合の人が倒れること、などだと思います。犠牲者の拡大は、リーダーが低体温症の脅威を認識しているか、無防備かという問題が、大きく効いてきていると思います。

 10数年前の立山・真砂岳での、新雪のもとでの8人の遭難もそうでした。

 参考になる良いサイトがあります。

 http://www5.ocn.ne.jp/~yoshi515/teitaion.html

 その場に至れば対応が困難ですから、リーダーは、まず何よりも悪天候下の遭難は低体温症から引きこされることがあること、それは突然に行動不能になる危険をもつことを認識する。そのうえで、行動の判断をすることが求められると思います。全員が退避できるツェルトの用意なども必須になります。

 5年前の同じ時期に、十勝岳で同じ条件、同じツアー登山で犠牲者が出ています。このときは、犠牲になった人の雨具が不備で、症状が出てからも体温保全の処置が尽されないなど、低体温症の認識の点で問題がありました。犠牲者は、濡れた服を着替えることもされず、避難小屋に置かれたまま、パーティーは山頂をめざしました。

 もう一つの問題は、ツアー登山という形式です。

 もしかしたら、今回も、下山後の宿の予約や航空便の予約などで、予備日のない、ぎりぎりの日程だったのではないでしょうか。下山口でツアー客を待っていたマイクロバスが象徴的でした。

 ガイドには、形の上では現地での判断の権限を任される場合もあります。しかし、めざす百名山に登れてなんぼのお客さんと、ツアー会社です。ツアー会社からの評価をふくめ、実際にどこまで中止の判断の権限や条件があったのかと思います。

 天候は16日に悪化していますから、せめてヒサゴ沼から天人峡へ向かえば、トムラウシに着く時刻には森林限界以下に入ることができたと思います。旭岳とトムラウシ。百名山の2つの縦走が売りだったのですね。困難なトムラを後にもってきていますが、週の予想天気の不安定さからいえば、逆ルートを個人の山行なら選択したでしょう。旭岳は、いったん下山してからでも、簡単に登れます。

 行動中の対応もツアー登山は至難です。初対面の同行者の体調判断をしなければならないし、行動できない人が出たあとの指揮系統やチームワークの維持の問題もあります。今回、現地を知るガイドがほんとに1人?だったら、これは会社側にも責任が出てきます。

 NHKニュースでは会社は「すべてはガイドにまかせている」と言っています。
 ではそのガイドの方がどういう地位と権限に、実際におかれていたのかが。気になります。日本の山岳ガイドの全体の地位向上ともかかわる問題と思ってきました。

 ツアー登山問題は、私の下記のページもご覧ください。
http://trace.kinokoyama.net/mt-journal/journal-porosiri2003.htm

 (17日昼すぎの書き込み。写真は、右がトムラウシのカウンナイ川。左が、トムラウシの俯瞰図で、ランドサット衛星画像をカシミール3Dで描画したもの。)

 下記のリンクを追加しました。

低体温症の対策) 予防的なウエア、装備
http://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-3787

トムラウシ山遭難。山岳ガイド協の中間報告にみる「低体温症」の実際
http://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-5521

2009/7/17 16:52

RE: 低体温症と、ツアー登山。追加情報
 追加の情報です。

 トムラウシの遭難ですが、同行した山のガイドは何人で、現地の経験者はうち何人だったかは、まだ確認できるニュースがありません。

 ツアー登山の一端について、現地ガイドの立場からの、情感こもった怒りの告発は、下記にあります。
http://homepage.mac.com/hirosis/watching/watch031022.html

 今回、主催したツアー会社の、旅行規定(契約)の要点を下記に貼り付けておきます。それによれば、

1)ツアー・リーダーの指示に従わねば、契約解除。つまり旅行代金は返ってこないし、自己責任と読めます。
 「この天気では、避難小屋に残る」といっても、実際上、むずかしいですね。

2)遭難にかかわるあらゆる負担は、個人もちです。
 この規定は、リンクしていた幌尻岳のツアー会社と同じです。

(以下に規定)

添乗員の業務

(17)
@当社は旅行の内容によってツアーリーダー又は添乗員を同行させて、お客様が旅行中サービスを受けることができない恐れがあると認められる時は、旅行契約内容に従った旅行サービスの提供を確実に受けられるために必要な措置を講じます。

A登山旅行はツアーの特殊性から添乗員ではなくツアーリーダーやガイドが同行いたします。添乗員は表記されたコースを除き同行しません。

Bお客様がツアーリーダーの指示に従わず、団体行動の規律を乱し、旅行の安全かつ円滑な実施を妨げた場合は、旅行の途中であっても、そのお客様の事後の旅行契約を解除することがあります。

Cツアーリーダーは、経由地や現地での合流解散になる場合があります。


当社の責任

(18)当社は当社または手配代行者がお客さまに損害を与えたときは損害を賠償いたします。また次のような場合は原則として責任を負いません。お客様が天災地変、戦乱、暴動、運送、宿泊機関等の旅行サービス提供の中止、官公署の命令その他の当社または手配代行者の関与し得ない事由により損害を被ったとき。


特別補償

(19)当社はお客様が当旅行参加中に、急激かつ偶然な外来の事故により生命、身体または手荷物に被った一定の損害について、あらかじめ定める額の補償金及び見舞金を支払います。当社が前項の規定に基づく責任を負うときは、その責任に基づいて支払うべき損害賠償金の額の限度において、当社が支払うべき前項の補償金は、当該損害賠償金とみなします。・・・

旅行傷害保険(任意保険)について

(23)旅行中に被られた一定の損害は、特別補償規定(19)によりお支払いしますが、規定以外一切当社は責任を負いません。万一、事故・疾病等が発生した場合に要する費用はお客様の負担となります。特に山岳事故や海外での疾病の場合は、治療費、移送費、その他救援・捜索など多額の費用がかかることがありますので、お客様ご自身で十分な額の旅行傷害保険に加入することをお勧めします。


 
2009/7/17 20:06

RE: 低体温症と、ツアー登山。2つの問題
ぶっきらぼうなコメント失礼します。

1.10名以上の年寄り中心のクラブツーリズム的なツアーは登山の邪魔です。

2.天気が悪くても私は登りますが、遭難しないように、またしても自力下山できるよう、あらゆる準備(体力、GPS、食料等)をします。


tanigawa

2009/7/17 22:24
RE: 低体温症と、ツアー登山。2つの問題

>10名以上の年寄り中心のクラブツーリズム的なツアーは登山の邪魔です。

 北海道の場合は、山の地形、山そのものの拡散具合なんかもあって、夏場でも本州の山ほどの人ごみは感じません。

 ただ、今回は平日とはいえ、19人パーティーで避難小屋をはしごするという、計画なんですね。非常識です。もう一組と鉢合わせしたり、悪天で停滞が重なったら、にっちもさっちもいかない。ツアー外の登山者からみて、この計画自体がマナー違反の膨張主義、儲け主義と思います。

 将来的には、一定の公的機関や民間の専門機関で認定を受けたガイドが、会社から独立して、ガイドの専門的な仕事にあたる体制があってもいいと思います。営利的なツアーは、こうした独自の権限があるガイド抜きではツアーを組めないようにする。規模も常識程度に抑える。一例ですが、こんなこともあってもいいと思います。

 
>2.天気が悪くても私は登りますが、遭難しないように、またしても自力下山できるよう、あらゆる準備(体力、GPS、食料等)をします。

 私も、そのためにも、遭難事例から大事な問題を学ぶことも必要と思っています。

 今回、ずっとひかかっているのが、ゴアテックスの雨具の保温性です。冬に使うとわかるのですが、こいつはとても寒く、風が抜けます。冬用のジャケットとえらい違います。

 「オールウェザー対応」みたいな宣伝もされたりしてきましたが、実は、低山以外では、気温、風速などをよく考えて、弱みがあることも考えて使うべきではないかなと。

 今度の件で情報はないのですが、一般には本州の山では薄着の上にゴアテックスという着方でないと不快です。普通は本州ではそうする。

 しかし、今度のケースでリーダーが過去のこの山での低体温症による遭難事例をよく把握していてくれれば、もう1,2枚、中に温かいものを着用して雨具を使えと、指示もできたかもしれない。
 ここらへんの、先例から学ぶ対応がどうだったんだろうと思います。

 冬山では、今度のトムラウシの体感温度(たぶんマイナス10度とか)よりずっと悪い気温と風の中で行動する場合もあります。それでも動けるのは、ちゃんと着ているからです。

 そういう意外な盲点、危険が、夏の山にはあると思いました。

 それから、悪天にもいろいろ地域差があります。

 今の季節、本州で低気圧が爆発的に発達することはまずありません。台風は別にして。

 ところが北海道ではこの時期もまだ起こりうるし、風もまるで違う。同じ台風にしても、北海道は発達の程度がまるでちがいます。

 テレビでは「北海道の2000メートルは、本州の3000メートル級」なんて繰り返し言ってますが、これは「掛け声」ぐらいにしか問題をわかっていない。
 たとえば気象という点でも、気をつけるポイントが違うのです。

 また小屋はない。登山者もほとんどいない。自分たちしか頼れない。有名な山でも踏み跡も条件はさまざま。同じ気象条件でも本州とはかなり違うと思います。

 ここらへんも、どこまで現地についての認識があったのかなと思います。

 さて、今回の経過はだんだん明らかになりつつあります。

 6時前、出発の判断だけでなく、
 北沼までのとても遅いペース(すでに相当の問題があった)、
 10時30分、北沼(一番のふきさらし)で最初に行動できない人が出た時の対応、
 結果的に5人以上が落後して、散り散りになり始めて、やっと15時40分に救助要請、その要請を誰がしたかも不確定、

 ・・・出発時の判断と装備が一番の問題ですが、北沼にいたる時点で、あるいはせめて北沼で、低体温症が一気に広がる恐れを、過去の遭難事例からリーダー役が認識できていれば、これほどの事態にはならなかったのではと思います。

 北沼の手前なら小屋にも戻れるし、一時風をよけられるハイ松帯や岩かげがありますから。

RE: 低体温症と、ツアー登山。2つの問題

この手の遭難が発生するたびに 繰り返されるのが会社側の 「登山の決行、中止等の判断は ツアーガイドに任せてある・・」の発言。

旅行会社との雇用関係はわかりませんが 常識的には 旅行会社の意向を超えて
中止、撤退などを決断するのは 難しいと思うので会社側の責任転嫁の発言には 憤りを感じます。

tanigawaさんの言う通りで 一般的に避難小屋は規模が小さいのに 19人もの人が入ってきたらどういう状態になるのかと思うと ゾッとします。

ツアー登山
tanigawaさん

こんばんは。ツアー登山。最近多いようですねぇ。tanigawaさんが指摘されたように、日時に限りがあり、ガイドはできる限り「目標達成(山の場合は山頂を目指す)」ことに専念すると思います。さらに僕が思うには「ツアー」という言葉から来る、容易な、「絶対安全」というイメージもあるのではないでしょうか。「ガイドさんがいる。絶対大丈夫。」そんな極度な他人依存の山登りは危ないと思います。しかも多数で。

インターネットの動画ニュースで見ただけですので、詳しい状況は分かりませんが、自力で下山した方(単独行)が「天候がかなり荒れてたから、山頂に行かずに下山してきた」という事をおっしゃっておりました。日時も余裕があり、「絶対に登頂する」などという会社からのプレッシャーもない、この方の判断は正解だと思いました。しかもこの方、かなりの厚手のジャケットを着ておりましたので、北海道の夏山を知っておられる方だとお思います。


RE: 低体温症と、ツアー登山。2つの問題
 
 刑事犯罪に問われるのは、これまでいつもガイドの方たちでした。
 問題がここまで大きくなった時点で、今回の捜査は会社側を翌日
から「捜索」したりしています。

 ツアー登山に改善、社会的ルールが必要なことは、これまで繰り返し
強調されてきたのに、今回まで何もしないできた行政、司法の問題が
問われると思います。

 私は、今回のように、年齢、体力、装備、経験等々、見知らぬ人が
全国から参加して、20人近いパーティーを組むこと自体に、登山とは
すでに異質の危険、不自然さを感じます。これでは、登山が成り立た
ないし、パーティーとしての行動は無理です。

 今回、そのうち自力下山者は5人でした。
 避難小屋をはしごする計画も問題です。
 登山計画書はどういうふうに出されていたのかと思います。
 
 この改善と合わせて、ガイドの問題があります。

 ガイドの権限や地位、もちろん収入がきちんと守られ、力が生かされ
る体制が、日本でも必要と思います。

 そのうえで、ガイドが行った判断には全面的な社会的責任が問われる
べきだと思います。

 道路工事でも、船乗りでも、バスの運行でも、個人ではなく不特定
多数の人を相手になんらかの営業をする場合は、ふつうは必ず、資格
が必要です。そして重い責任が課されます。
 ツアーという営業をするのなら、その責任役は、会社はもちろんガイド
も、地位の保全と責任あるしくみが必要です。

 以上のことはいっぺんには行きませんが、今回は行政が何もしなかった
というわけにはいかないと思います。

 その後のニュースですが、次の事情が伝えられています。

*ガイド役は3人。うち現地のコースの経験者は1人。
 権限をもつツアー・リーダー役と、経験者のガイドが同一か否かは、
まだ報道されていません。

*小屋を出発するさいに、ガイドにためらう意見を言った参加者がいた。

*参加者の中には、ゴアテックスなどの通常の雨具でなく、薄手の軽雨具
を使って、亡くなった人もいた。
 また、ほとんどの人が服装は軽装だった。

RE: 低体温症と、ツアー登山。2つの問題
深い考察、考えさせられるものがあります。
今回の件は様々な問題をはらんでいますね。

ツアー登山問題については

個人の体力や、それ以上に山に対する覚悟を度外視してのツアー企画自体登山には適さないと思います。

が・・・
自分の知り合いのクラブツーリズム企画担当の話では、やはり孤独な年寄りは、おりからの登山ブームによるニーズと何より「カネ」をもっているためターゲットから外すことは考えられないそうです。

そこに規制をかけると、今度は自由な商業活動の阻害ということになってしまいます。

危険な際の判断や責任だけ規制すべきだという外野からの無責任な批評はありますが、会社の社員(ガイドなど)に対する処遇は会社に権利と責任があります。

結局みんな(会社もマスコミもそして今回亡くなった登山者本人も全員)の「責任転嫁」の結果の惨事ですよね


RE: 低体温症と、ツアー登山。2つの問題

>日時に限りがあり、ガイドはできる限り「目標達成(山の場合は山頂を目指す)」ことに専念すると思います。

 ツアー登山は一つの形と私は思いますが、企業はできる限り営利と低コストを求めますから、そこになんらかの社会のルールが必要になってくると思います。

 それからこの種のガイドの方は、実際のところ、どのくらいの日給になっているのでしょうね。また、下山してすぐ別の山で別のパーティーをガイドするようなスケジュールを会社が組むケースもありうると思います。

 事例は違いますが、去年でしたか、大阪の高速バス会社で運転手を連続勤務させて、過労・居眠りで大事故にいたったケースがありました。会社の責任が追及されました。

 大勢の人の命を預かる場合、そこを無秩序にしてはおけないと思います。
 これは個人の登山とおのずから区別して、ルールや制度が必要です。現に事故にいたれば、後始末でしかないですが、社会的責任を問われます。

>さらに僕が思うには「ツアー」という言葉から来る、容易な、「絶対安全」というイメージもあるのではないでしょうか。「ガイドさんがいる。絶対大丈夫。」そんな極度な他人依存の山登りは危ないと思います。しかも多数で。

 そう思います。登山者としては、いったい山登りの何を楽しみにするのか、目的にするのかという中身が問われると思います。

 今回の縦走コースは、天気が悪いとたとえ無事であっても、ただただ悲惨なルートです。花と景色が楽しめない条件では、長いだけでいい思い出にもならない。大雪のすばらしさを体験できる登山形態や自由度がある山登りをしてほしかったですね。

 一日、停滞するだけでも、青空が待っていたのに。

 トムラウシは、私が一番、心に残っている良い山です。日本の他の場所にない自然の庭園と雪渓、そして日本のどこにもない景観の沢があります。
http://trace.kinokoyama.net/hokkaido/kaunnai83.8.htm
http://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-1173

 テレビで、マイクロバスまでが、林道のかなり上部まで上がっているのを見て、びっくりしました。地元からは日帰りができるようになった分、この山らしさは変わりつつあるようですね。


RE: その後の情報など
 その後の情報から。

1)自力下山した男性によると、遭難前日の15日、白雲小屋(無人)からヒサゴ沼避難小屋まで、このパーティーは風雨のなか13時間もかかってたどり着いたとのことです。

(2009年10月11日訂正。この時間は、コメントをアップした時点での新聞報道をもとにしたものです。その後、このパーティーは前日、ほぼ予定通りにヒサゴ沼避難小屋へ到着したことが、報じられています。ただし、1人がひどく体調を壊したことは、事実。以下、最初のコメントのままを修正せず残して記しておきます。)

 通常の行動タイムの倍。この時点で、トムラウシ越えは天候が同程度でも無理なパーティー編成だったように思います。通常ならば、予定を変更して、忠別小屋泊まりにし、天人峡へ下山するところです。
 そこまでして予定通り十勝側へ下山しなければならなかったことになります。

2)最初に動けなくなった人が出た北沼付近で、参加者からガイド役に、救助要請をした方がよい、との意見がだされたとのことです。
 実際の要請は、16時前。

3)2組が落後した段階で、3人のガイドのうち、残った1人が動ける参加者の下山誘導を担当。ところが、動ける人を引率するはずのこの1人が速すぎて、参加者はついていけず、パーティーは散り散りになったとのことです。旧道へ下山したり、沢に入ってしまったり、ビバークする参加者も出ました。

 後方羊蹄山の遭難事故の際のガイドと同じ状況でした。

 参加者は、その先にまだ前トム平の吹きさらしがある条件で、はぐれることになります。自力下山ができたというのは、すごいことだったと思います。

4)日本山岳ガイド協会は、独自の試験、実技を含む講習をふまえた認定制度を設けています。しかし、行政側の要請・法規定により、自分たちは公的機関でないと宣言しています。この団体はツアー登山のガイドがおかれた状況やレベルにも、心を痛めている様子です。

 この団体のことはHPにあること以外、私はくわしく知りません。ツアーのガイドはこの資格のない人が多いそうです。しかし、ガイドの立場からも、ガイド全体の質の向上とあわせて、改善の意向は出ている様子です。

 
>そこに規制をかけると、今度は自由な商業活動の阻害ということになってしまいます。

 登山は自己責任ですが、事業として営利目的で、人の命を危険にさらす行為には、対策が必要です。事故後の処罰では、何も対策になりません。

 それから、ルールや制度は、必要なもの、野放しにできないものがあると思います。法人には、現に経済的法的なたくさんの法の規定があります。規制=阻害なんて、小泉さんのせりふになってしまいます。そして、こういう問題のように、対策が抜けている分野もある。
むしろ、ルールを設けることで、着実な発展をすすむ場合が多いと思います。

 今度の件にかかわって、下記のニュースはちょっと気になりました。
http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20090718/CK2009071802000021.html?ref=related

 今回もそうでしたが、こういう無謀な登山隊と、一般の個人の登山パーティーが、生々しい形で行き違う場合もあるんですね。記事にある救助隊ならなおさらです。

 救援を求められれば、登山パーティー同士は助け合って当然ですが・・・。しかし、こんな大人数のカリナリ登山隊に助けを求められては、どんなパーティーでも身がもたない。今回のようなケースは考えてしまいます。


RE: 1週間。その後の情報
 遭難の日から今日7月23日で一週間です。
 その後の情報を記録しておきます。

*トムラウシで遭難した18人パーティー(他にガイド1人がヒサゴ沼避難小屋にとどまった)のうち、8人が亡くなられましたが、そのうちツアー客7人は、防寒・防水のジャケットではなく全員軽装のものだったと伝えられています。ヤッケのようなジャケットの参加者もいたとのこと。ガイドで亡くなった1人は、防寒性もあるジャケットを着ていたとのことです。(「朝日」23日付)

 この記事は、ゴアテックス製や、保温材などには言及していないため、登山者が読んでとてもわかりにくい記事になっています。山用のジャケットは、保温材の有無やパネルが二重かどうかなどから、夏冬が基本的に区分けされていますが、そこが記事では不明。山の経験者が読み手を意識して書いた記事とは思えません。防寒の冬ジャケットを着て夏の大雪に入ったというのも、奇異です。夏山のこのケースではジャケットはともかく、下着なんです。より問題は。

(訂正。「山と渓谷」2010年3月号は、上の新聞報道を証言にもとづき訂正しています。全員がゴアテックス雨具とのこと。そうすると、今度のような低温風雨の条件では、ゴアテックスだけでは低体温症から守れないことが、いよいよはっきりします。2010年2月2日記)


*ヒサゴ沼避難小屋を出発する時点で、ガイドに出発を思いとどまるよう発言した男性の参加者が2人いたとのこと。この2人は、生還しています。(「毎日」23日付)

*北沼まで登ったところで、沼からあふれた水が川になって流れだすところを「渡渉」したとのこと。そのときに男性の参加者は、「川が波しぶきを上げて流れていた」。ますます強くなる流れを見て、「バックするならもっと手前だった」、「もう引き返せない」と思ったそうです。(「毎日」同)

 北沼は直径100メートル前後、通常、沼の東側の尾根(登山ルート)から見て、水面は8〜10メートルぐらい下にあります。もっと水位が低いこともあります。沼の西側には、より高い稜線があるため、雨水がたまって登山ルート側の尾根を乗り越えて、雨水が流下し、縦走路を寸断していたことになります。異常な雨量ですし、リーダーとしては十勝側の下山路の他の沢の状況も心配になるところです。

 ここを越えてしまったことが、すぐ先で最初の犠牲者が出たあとも、前へすすむ選択を強いたことが想像されます。

 また、この渡渉では下半身をぬらした参加者も多かったし、山靴の中も全員、濡らしたと想像されます。北沼はこの時期、湖面の半分は雪田に埋まっており、沼の水温は当然にも零度前後です。

*山頂と迂回路の分岐で最初に女性が動けなくなったとき、一行は1時間30分もこの地に留まりました。別の女性が奇声を発したとあります。「救助要請を」「ガイドは行動の指示を出せ」と、参加者から声があがりました。(「毎日」同)

 ガイドには、この段階でも低体温症への警戒や認識がなかったこと、またすでにリーダーとしての統率が失われかけていたことが、見て取れます。

 証言はないのですが、この1時間30分のなかで、会社と携帯で連絡をとらなかったことは、大変不思議です。12時に出発したあとも、南沼の側に回りこんだところからは、少なくとも携帯が通じたことが確認されています。

*主催したツアー会社の社長の発言が伝えられています。防寒の用意はあらかじめお知らせしている。各自の責任で用意したはず。小屋からの出発を含め現地の判断はガイドに任せている、等々。

 すでに書いてきましたが、この説明のいちばんの矛盾は、参加者に配った規則では「ツアー・リーダーに従え」と規定しているのに、そのリーダーの判断どおり行動した犠牲者にたいしては、結果とあらゆる費用は参加者がもて、とこれも規則で規定していることです。規則と指示どおりに行動して起きた結果に、会社は責任を負わない定めを「私的」に設けていることです。

 参加者の側から見れば、このしくみは自分の判断も入れることもできない、現場での声も通らない、つまり、「自己責任」ですらないことになります。

 


RE: トムラウシ遭難。1週間後の情報追加

 昨晩(23日)、NHKクローズアップ現代がトムラウシの遭難を取り上げました。30分番組ですので、新しい解明があるかと期待したのですが、残念な内容でした。

 唯一の新しいニュースは、ツアー会社がNHKの取材に「会社にも責任がある」と認めた、とキャスターが話していたことでした。なぜ、それを通常のニュースで流さないんだと逆に不思議に思いました。

 もう一つあえて挙げると、下山後に登山口のトムラウシ温泉に宿泊を予約していたことでしょうか。

 生還者のうちガイドを除く4人が証言していましたが、内容は新聞が取り上げてきた内容より、部分的でした。番組内容も、山岳遭難にくわしいとされた解説役の方も、行動の判断、装備、低体温症の認識、この山の条件からくる独自の困難など、どの問題もつっこんだ問題意識が希薄で、ツアー登山一般の問題を話すだけでした。

 解説役は「トムラウシでは2002年に遭難があり、ツアーの危険な面も事前に知らせるべきだった」と話していました。しかし、低体温症にふれず、ただ遭難をいっても、参加者には何が危険か、どう備えるかはわかりません。

 ガイドの不安定な地位について紹介がありましたが、旅行の規定などにそくして、具体論でやってほしかった。ガイドが客の機嫌をとることまでやらされてることと、肝心の判断の権限とは、次元が違います。今回は後者が問われているのですから。

 今後の展開で、結局、会社とガイドの刑事責任、そして犠牲者の民事賠償責任だけが問われて、終わりになるような気がしてきました。

 こういう営業形態をそのままにする制度が変わらなければ、参加者のいっそうの高齢化という事情もよりすすみますから、山の現場での悲惨な事故はなお広がると予想します。

 私は次のことだけでも、改善してほしいと思っています。将来的なこともふくめてですが。

1)ツアー登山で、会社とガイドの指示と判断のもとで引き起こされた遭難の責任は、会社にあることを明確にする。

2)ガイドには、計画(予定日と予備日をふくむ)、パーティー構成(装備・体力に不安がある者の参加を事前に断ることをふくむ)をはじめ、登山中の行動のすべての判断をみずから行える地位を保障する。ガイド自身の判断を保障する制度、その地位や収入が脅かされない制度をつくる。(具体的には、公認ガイドを参加者の人数割りで一定数、同行することを義務付ける。)そして、ガイドは自らの指揮と判断にもとづく遭難に会社とともに責任を負う。

3)制度ではなく、常識的なマナーの問題ですが、ルートが限られ、登山道が細く、避難小屋しかないような山域に、大人数で押し掛ける等々のツアー登山は、事前の登山届による自治体の承認を必要とする。もし許可するときは事前に十分な周知期間をもって、「○日、○○ツアー一行により、ヒサゴ沼避難小屋は満杯です」などの掲示を自治体のサイトにおこなう。

 制度が当面、できなくとも、こういう性格の登山ツアーをであれば、安心して参加できるという人たちも、いるのではないでしょうか。参加費は倍?


RE: トムラウシ遭難。地元自治体がガイドの国家資格制度を要望
 7月23日の「北海道新聞」から

トムラウシ避難小屋新設を新得町が要請へ (07/23 07:06)

 【新得】十勝管内新得町のトムラウシ山で本州の登山ツアー客ら9人が死亡した事故を受け、同町の浜田正利町長は22日、同山への避難小屋新設やガイドの国家資格制度創設など再発防止策を、国や道の関係機関に要請することを検討する考えを明らかにした。

 トムラウシ山には、今回事故が起きたヒサゴ沼から短縮登山口まで、通常で8〜9時間かかるとされるルート間に避難小屋がなく、以前から天候悪化や負傷などのため日暮れまでに下山できないケースがある。浜田町長は「避難小屋新設は環境への影響などを考える必要があるが地元として要請を検討する。ガイドについては登山者の命を守るために、より厳格な資格制度が必要だ」と話している。

 感想) ガイドの資格制度と配置の義務付けは、根本的解決の第一歩と思います。

 しかし、避難小屋建設は、ちょっと待ってほしい。付近には、「原生的自然環境保全地域」があります。すでにオーバーユースなのに、より入山しやすくしたら、結果的に遭難を増やす恐れもあります。

 どこも一律に観光地的な山にしちゃうのは、いただけません。

 今度の遭難にしても、ハードの問題でなく、ソフト(人と運営)の問題です。じゃあ、十勝側に小屋を作ったら、助かったのかという問題になります。ソフトの問題をそのままにしたら、もっと気軽な登山者がおしかけるでしょう。


トムラウシ山遭難。生還した戸田さんの証言 1)ガイドの体制と実情
トムラウシ遭難で生還した戸田新介さん(65歳)の証言が下記サイトに膨大な分量で掲載されています。
http://subeight.wordpress.com/

7月31日から8月7日にかけて、質問に戸田さんがメールで答えたものです。

 とても大事な現場の証言ですので、テーマごとに区分けして、発言の抜粋を順に紹介します。

 ○印で表示。

 文章はそのまま、補正はしていません。

 まず、(1)ガイドの体制について

吉川ガイド(61歳、死亡)、
多田ガイド(32歳、正ガイド、現地ビバーク)
松本ガイド(38歳、救護担当、動ける10人の下山の引率役)

 戸田さんの証言によると、38歳のガイドは「夏休み」としてこのツアーに参加していたとのこと。

 また、落伍者が出たあと、誰が残るか、下山する10人を引率するかが問題になった際に、正ガイドの32歳のガイドの指示と、38歳ガイドの意思に食い違いがあり、38歳ガイドの希望が通って、正ガイドが山頂下に残ることになった経過が見てとれます。

 ガイドは、北沼の沢でみな体をひどく濡らしています。この時点で、亡くなった吉川ガイドの体調や判断力も、気になります。

 以下は、戸田さんの証言から・・・。

○32歳ガイドがすべてを決めていたと思います。北海道がはじめてで、気候やコースについて何も知らない人になんの決定権がありましょう。38歳ガイドとは行きの飛行機で相席となり、彼が「夏休みの代わりとして会社があたえてくれた」といっているのをきいています。つまり責任の軽いもので、お手伝いをすればよいとかんがえていたようです。吉川ガイドのことは分からないが、「雨は気にしないで歩けばよい」といったことをいう人です。

○最大の問題はあの2人がガイドになったことです。北海道が初めてで、下見もしないガイド・・・。

○先頭は今回を通じて32歳ガイドがつとめました,正ガイドの務めだそうです。最後は添乗員たる吉川ガイドがつとめ、サブガイドの38歳ガイドは中間に位置すると決めていたようです。

○(山頂の分岐から再出発するとき)38歳ガイドは「この中で一番元気なのはお前だ」と32歳ガイドにいました。彼がなぜそんなことを言ったかが問題です。自分の聞いていないやり取りがその前にあったようですが、それは何かがわからない。たぶん38歳ガイドにのこってほしいとたのんだのだとおもいます。38歳は断ったのだと思います。推測しかありません。


トムラウシ山遭難。戸田さんの証言 2)前日の様子
(2)前日の様子

○前日は朝から終日雨でした。風速は5mぐらいです。山の雨ですからはじめはそれほどには気にならなかったのですが、そのうちからだの芯からぬれたようにかんじました。・・・ただ着衣は上は春夏ようのジャッケトとゴアのカッパで十分でした。下着まで全部ずぶぬれです。靴はズクズクで靴下は絞れるほどです。自分は全部着替えましたが着干しの人もいました。

○なおこの日は一時間早く小屋につきました。けっこう急がされたという感じです。

○最初の日にすでに一人の女客が旭岳から白雲岳へ行く途中でうつむいてゲロをはくこと、ゲイゲイとやっていた。体調をくずしていたようです、ガイドに連絡しなにかやっていたようですが、自分の視界からきえました。その日にもう一度目撃し、次の日に一度目撃しました。彼女が延期を言ったのかもしれませんが、彼女が最初の故障者(歩けない人)だとおもいます。

(訂正。その後の事故調査と証言では、最初に行動不能になった方は別の2人であることが判明しました。「山と渓谷」2010年3月号などを参照。2010年2月2日記。)


トムラウシ山遭難。戸田さんの証言 3) 天候判断
(3)天候と出発の判断

 この問題では、低体温症にかかわって、たいへん大事な実相が浮かび上がってきたと思います。

 強い雨の時間、強風の時間は、午後の早い段階で終わり、風雨は午後には順次、回復したことが見てとれます。

 そして、稜線で行動した5、6時間のうちに1人、2人と犠牲者が広がっています。

 気温の低下と強い風雨。それに対する備えがない登山者に順次、症状が出て行ったこと、ガイドや登山者に低体温症への認識と事前の用意があれば、かなり対応できた遭難だったことがわかります。

 この条件からいえば、問題は天候判断という問題だけではなかったことが浮き彫りになったと思います。
 
 1)天気は予報通り、回復に向かっていますが、ガイドには知床沖で低気圧が猛烈に発達し、稜線は強い風が吹く。上空に冷たい空気が入ってきていることへの警戒が弱かった。

 2)強い踏破力と備えをもったパーティーならば、この強風下でもこの稜線の一番危ない部分を4時間程度で抜けられたと思います。休息やカロリー補給も理にかなった場所と用意でおこないながら。現に抜けた登山グループはいました。しかし、遭難したパーティーは、装備・体調・体力がまちまちで、これを統率するガイドの判断力・力量が耐えられなかったという状況だった、ことになります。原因は、平均的な水準で見るのではなく、このパーティーの実情に即して、見えてくると思います。
 
 3)最初に倒れた女性が、前日からひどく体調を崩していたことを紹介しました。お腹をこわしていたこの女性は、小屋を出る前に食事をとれたのかどうか? 衣服は濡らしていなかったのか? 何を着用したのか? どういう判断で山頂を越えて10数時間の行動に耐えられると判断したのか? 天気が好条件でも行動の判断を大きく左右する件です。

 この段階から、通常の登山と違う異様な心理状態のなかで出発が判断された可能性もあります。そして判断の基礎情報・認識も欠けていたのかもしれません。そもそもルートを知らない人たちが、出発を判断したのかも知れません。

 以下は戸田さんの証言。

○(小屋を出発する判断について)トイレに行っていて、帰ったら何もなかったから議論などなかったのでしょう。数人が中止をもうしでたというがこれもきいていません。

○だれかが中止を言い出したと報道にありますがそれは女客だとおもいます。だれが言い出したか知りたいのにいまだに分かりません、たぶん亡くなられたのだと思います。

○停滞について、さきにすすむコースがどういう風なのかしらないので前日のように行けれると思っていました。ロックガーデンでこんなコースと分かっていれば自分なら止めるのにとおもいました。

○(山頂下の分岐付近で停滞してから、出発したときの天候)始めより弱くなったと思います。雨はばらばらと降る感じです。風はむしろ乾くので心地よいにですが、のちに体が冷えると肌についた下着のあせでたえられなくなってくる。

○(午後の天候、前トム平の下降時点)下りでは風のことは忘れました。既におさまりつつあったと思います。

 以下は、新聞報道から。

◆別のパーティーで、同じ山小屋に宿泊した静岡県函南町の男性は16日早朝、遭難したパーティーから5分ほど遅れて山小屋を出発した。「横殴りの雨が降り、突風にあおられて倒れた仲間もいた。遭難したパーティーはとてもペースが遅く、バラバラになった人たち全員を追い越してしまったが、『この人たちは大丈夫だろうか』と心配していた」と話す。


トムラウシ山遭難。戸田さんの証言 4) 引き返しと一時退避
引き返しの判断、およびビバーク。

 カウンナイ川の源頭の鞍部で、強烈な風に一行は見舞われます。短時間で体温を低下させられる条件。冬山なら一時、風除けして身を守る場面ですし、落後者も出かけていました。せめて、模様眺めをすべきところ。

 あの一帯ならまだ大岩や深いハイ松があります。

 しかし、テントは4人用1張りしかない。行動続行。

 そのうえガイドは衣服をもっと着ける指示もせず、このまま最悪の北沼へと上がっていきました。

 戸田さんの証言。

○天沼からロックガーデンにかけてに木道があるとおもいますが、そこが一番風が強かったと思います。体とザックにたいする風の圧力で木道から飛び出すことになります。

○(その風の強さを山で体験したことは)ありません。町で台風にあった時がそれです。


トムラウシ山遭難。戸田さんの証言 5) 北沼と分岐点
 ここで、低体温症は動けなくなった2人だけでなく、パーティーの半数近い人に、影響を及ぼしました。

 事態を悪化させたのは、沢を渡って、冷水を浴びたことでした。
 18人のうち8人が、この現場付近に残ることになります。

 戸田さんの証言。

北沼での濡れ、風、様子
○(北沼からの増水の水流の渡渉)かれ(松本ガイド)は北沼の小川で客のサポートに回っていて背を水につけたと聞きました。待機中は自分の前で顔をしかめジッとしていました。

○小川を渡るときも彼女(最初の行動不能者)だけ渡れず、32歳ガイドが別のところを探してきて手を伸ばしていました。この時38歳ガイドが水に入ったのだと思います。

○吉川氏。彼も小川で客を渡すさい水没したといいます。それで自分が見たことと合致します。それで亡くなったんでしょう。

○(山頂下の)トムラウシ分岐が10時30分とされていますが自分は11時〜11時30分と思います。小屋から5時間でなく6時間(コースタイムは2時間30分)です、2倍ではなく3倍に近い時間を食ったと思います。そして分岐の下で停滞したのが1時間半とされていますが、2時間と思います。

○(山頂下の分岐付近での停滞時間)出発が12じでは、コマドリ沢分岐で110番したのが4時と確定しているから4時間もかかったことになり(地図では2時間5分)おかしい。出発は1時半ごろではないか、あの時自分は空腹を覚え時計を見て1時20何分だったと記憶しています。

○1時半に出発しようとしたら立てない人が一人出ました。低体温症が停滞中に発症したと思います。市川さんです。

○(訴えたとき)自分が叫ぼうとした時か、さけんでるとちゅか、突然このままでは危ない、かれらには故障者は手に負えないのだ、助けを呼ぶのが一番良いとおもいました。・・・ガイドたちは遭難と言われてびっくりしたのかもしれません。このまま続けるのはできないとおもったようで、はじけるようにすぐ「あるけるひとはしゅぱつします」というので妙な気がしました。

○(同地点を出発時の順序)亀田   前田   真鍋  市川  岡  味田 竹内 長田   戸田  植垣 松本 第一故障者 植垣  斐品   野首  木村 女救出者 吉川
男生還 女生還 女生還  女亡 女亡 女亡 女亡 女生還 男生還 女亡 男生還 女亡     女亡 男生還 男生還  男亡 女生還  男亡

○(下山を始めて)下山がとにかく長く、全員に故障者がなくても無事下山できたとは思えなかった。ガイドは知っていたはずでなにをかんがえていたのだろうと。下山はできないということははじめからわかっていたのにと。距離の長さにあぜんとしました。


トムラウシ山遭難。戸田さんの証言 6)低体温症の認識
 次に、時系列ではなく、低体温症の認識と備えについて、場面場面での現われを抜き出してみました。

 戸田さんの証言

○(ヒサゴ沼避難小屋の出発時に)重ね着の指示はありません、誰も聞かなっかたからだとおもいます。

○(ロックガーデン付近で強い雨のあと)以後休憩するとか、食事を取れとか、フリースを着なさいなどの指示はなくなりました。だれも何も言いません。自分はみんなは食事をきちんととったのだるうか、これが生死の分かれ目になったのではと思っています。

○(非常食として食べたもの)アミノバイタル3袋、これは天沼から日本庭園の間に立て続けに食べました。カロリーメイト2箱、全部たべました。

○(山頂下の分岐で最初に行動不能者が出てパーティー全員への連絡)それは32歳ガイドがしました。添乗員の仕事とおもいますが、吉川さんはすでに低体温症にかかってていたのではとおもいます。32歳ガイドがふれ回ったと思います。理由の説明は一切ありません。

○(救護の内容)彼は背中をさすり、大声で「元気を出せ」と叫んでいました。吉川さんがやってきてテルモスの湯を与えていました。ただそれだけです。もうしませんでした。

○(テントは)4にんようテントが1つですから。とにかく歩き続けるしかない。

○テントについて。川角、市川、植草のほか野首、石原も不調を訴えて残ったといいます。吉川も入れて6人では4人用テントは狭いので、多田が南沼キャンプ場まで探しに行き、5人用の空きテントを見つけてきたといいます。これが写真に写ってるものです。4人用テントは使わなかったそうです。

○自分はガイドたちに低体温症の知識があったとは絶対思いません。そして自分に低体温症の知識があれば、もっと早く対策を要求したのにとおもいます。

○(低体温症と認識したのは?)誰も低体温症と知らなかったと思います。救急隊によって、マスコミの発表によって救助の時にというのが自分の回答です。

 以下、明日にまたアップします。


トムラウシ山遭難。戸田さんの証言 7)低体温症に備える服装
 低体温症に備える服装の実態は、今回は戸田さんについては詳細がわかりました。

 戸田さんは、木綿製品は着ておらず、中間着としてフリースを北沼の手前、カウンナイ川源頭付近で着用しています。

 商品名が出ていてありがたいのですが、「ジオライン」は夏用の薄手のポリエステル100%の下着・Tシャツです。戸田さんのはその長袖タイプ。これだけでは、この天候のなか生還は微妙だったでしょう。逆にいえば、小屋の出発時、ガイドが服装面でもパーティーに何も気を配っていなかったことが見て取れます。

 登山パーティーとして見ると、これは初歩の初歩のことです。

そもそも下着や防寒対策は事前の打ち合わせの事項だし、その日も小屋出発時にフリースや余分な下着の重ね着を指示する場面です。

 証言1)にあるように、ゴアテックス雨具は着用したものの、前日も、雨の中の行動で下着もかなり濡れています。16日は、冷たい風雨のなか、その経験と寒さとから、戸田さんが自分の判断でフリースを着用したことが、体温保全に役立った模様です。

 今回の条件では、雨具だけでは、低体温症になるメンバーが出るのを防ぎきれないと想像します。そして1人でも症状が出れば、危険の認識のないこの状態のパーティーでは対応できなかったのだと思います。

 この件では、私が再三指摘してきた、今回の遭難報道の大きな「穴」の問題があります。

 報道で、パーティーの雨具が不備とされている件たいして、戸田さんは自分が知った範囲で異論をのべています。なぜ、いまだに外見でわかる雨具の素材についてさえ、事実がおさえられていないのかというと、そもそも取材する側に、装備についての必要な知識がない。雨具と下着を調査する必要がわからない。その基礎になる低体温症への認識がなかったのです。依然として下着が全数調査されていない問題と理由は同じです。

 これは長年の遭難報道の歴史からいっても、未曾有! のことです。
 その背景も私は指摘してきました。登山をする記者が激減しているからです。

 この件、次の私のページを参照。
http://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-3787

 以下、戸田さんの証言。

○(北沼の手前で)自分はそのまえに隊列から抜け、そのためにあらかじめ前に出ておいてフリースを着ました。雨があり雨宿りもないところでカッパを脱ぐと、肌についているシャツが濡れるのでイヤだったが強引に着ました。

○(雨具)モンベルのゴアテックスでひとつ前のタイプと思います。北海道警察が死んだ人の雨具は全部ウィンドブレーカー等防水の弱いもので、生還者は本格的な防水透湿のものだったと発表した。歪曲です。竹内さんはゴアテックスをきていました。

○(戸田氏の服装)上半身  モンべルジオライン3d長袖、モンベル薄フリース、雨具
下半身  ブリーフ(廉価品)、ワコールタイツスタビライクス、ズボン、雨具
帽子なしでカッパのフード、手袋なし 反省しています。


トムラウシ山遭難。戸田さんの証言 8) 救助要請
 救助要請をめぐる事情も、リアルにわかってきました。

 今回、犠牲者を拡大してしまったもう一つの要因です。そして、その背景には、出発時の判断とあわせて、「ツアー登山」とそのなかでのガイドの実質の権限という問題があります。

 以下、戸田さんの証言。

○(山頂下の分岐で)自分がどなったときの10分前に、吉川さんのところへ出向き「どうしますか」ときくと、「ようすをみる」とだけこたえました。妙な答えです。自分はもとの位置にもどり10分まちましたが何も動きはありません。その時自分はこのままではみんな死を待つことになると突然思いました。それで遭難と認めてどうしたらよいか指示を出せといったのです。

○(山頂下の分岐で救援要請しなかった経過)さらに言えば、かれ(ガイド)は頂上付近で電波が通ることを知っていたのです。4時30分に会社にメールをいれているのが証拠です。風雨が強かったからという説もありますが風雨はおさまってきています。かれは携帯を出して連絡しようともしていない。

○なぜその時110番をしなかったのか謎です。4時30分まで連絡をいれなかったのか。電波が届くとわかったいまはそれが最大の謎です。このとき110番していれば多くの人が救われたのに。

○(32歳のガイドによる救援要請)かれはコマドリ沢分岐の上の草付きでねていて長田さんが見つけ目の前で電話しなさいといわれ5時に会社にメールを入れたのです。長田さんが自分にいったことです。

○16時の110番が23時45分の知事の自衛隊への出動ようせいまでがおくれたのはサブガイドがきちんと電話しないからである。亀田、前田の2人が降りて事情が分かるまで知事の要請が行われなかったのである。自衛隊の能力からはあるいはこの7時間余のロスがなかったならばと考えてしまう。

○彼(32歳のガイド)はサバイバルのため先を急いだのです。曲がり角で10人を確認するようにと言われ、20m下でおーいおーいと叫び、自分がおーいおーいと答えると一目算に下って行ったのです。

○自分はガイドが出発を決行した判断ミスを弁護はしませんが、それと同等のものとして危機に直面して彼らが何をしたかという点で重大な問題があったと思います。彼らは何もしなっかった。ただちに110番をすればたすっかたのに、いつまでも何かにしがみついて何もしなかった。この点で自分は怒っています。判断ミスは避けられない、もちろんその責任は負うべきですが、それでも危機に直面して適切な行動をとれば信頼は回復したでしょう、多くの登山者の深いところでの共感もえられたとおもう。

トムラウシ山遭難。3人の女性の頑張りに感動
 別の方の日記にコメントした内容ですが、パーティーの様子がわかる内容のため、こちらにもアップしておきます。

 遭難したパーティーのうち、様子が証言から報道されている方がいます、そのうち、とくに3人の女性の頑張りに、私はとても感動しました。

 広島から参加したM子さん(64歳)。
 動ける10人をまとめて下山する役目のガイド(38歳)が、先に行ってしまったあと、そのガイドが途中で動けなくなっていたのを発見し、「起きて歩きなさい。あなた、子どももいるんでしょ!」と激励。このガイドは翌朝、発見・救助。
 携帯から110番に救助要請したのも、このM子さん。別の男性ととともに夜11時すぎに自力下山した。

 仙台市のN子さん(69歳)。
 10人とガイドがばらばらになった後、動けない女性に手を貸し、あとから来た男性が眠るというと、「こんな場所でビバークしたら死ぬ。いっしょにがんばろう」と激励。この男性とははぐれたが、別の男性と、もっとも長い旧道を使って、午前1時前にトムラウシ温泉まで下山した。
 N子さんに励まされた男性も、標高を下げた場所で仮眠をとって、生還。

 浜松市のMKさん(55歳)
 前トム平で、下山中に歩けなくなった女性を介抱。あとから来た男性に手伝って、と頼む。MKさんはそのまま介抱していた女性とビバークし、その女性は亡くなったが、MKさんは翌朝5時すぎに救助された。

 あれだけの条件で、朝5時過ぎから行動して、最後までパーティーの一員として頑張りぬいて生還したことに、本当に驚きました。
 そして、亡くなった他の方々のなかにも、同行者らを介抱したり、気遣ったりしつつ、ついに自分も命を落とすことになった方がおられたのだと思います。

 個々にはこういう方々もおられたわけです。


RE: トムラウシ山遭難。低体温症と、ツアー登山。2つの問題
本州以南の平地で、10月の台風の最中に3時間、4時間と濡れたまま歩くのは、10代だとか中高年とかの区別無く「疲労」するでしょうね。この際、ツアー参加者の年齢は考慮から外していいと思います。

ラジオで当日の天気予報を確認していなかったことを非難めかして報道しているメディアもありますが、旭岳ゴンドラの運行も全然OK(揺れもしない)で、旭岳山頂も微風、だけど、間宮岳までの僅か百メートルの間に何箇所かガスで視界10m・暴風域あり、なんて経験をしました。

台風は接近しておりませんでしたし、前日までは山中も快晴そのもの。ところが当日のその風たるや、ジェット流のように途切れ無く吹くのです。裾合平をゆっくり散策する予定でしたが、帰りのゴンドラが運休になると困るので慌てて来た道を戻りましたが、姿見の池付近はハイキング日和。「狐につままれたよう」とは、このこと。下界の天気予報、北海道の山上の一部区域では無意味です。

冷静に考えて、強いと思っても風速20〜25mは吹いていないのです。せいぜい、10〜15m。衣類やテントなど軽くて風を孕む幅のある ものは吹っ飛びます。でも、実質は、重量僅か数グラム小石さえ吹き飛ばせない強さ。でなければ、大雪山系は、這松さえ生えていない大岩ごろごろ裸山のはず。

心理的恐怖と、ゴアテックスへの過剰信頼と、雨に濡れたのではなく汗で内側から濡れて冷えたこと、それなりのリーダーシップとそれなりの統率の取れた従順な集団であったことが原因でしょう。

一度、天気のいい時にその縦走路を歩いた経験があれば、風雨に負けず、いっそ荷物を捨てて空身で小走りで簡単に下山できただろうにと思ってしまいます。気温8度なら、雨でも絶好調のはず。

ツアーも3日目なのだから、気心も知れてきていた筈で、頻繁な声掛けと口伝え式の伝令で20名ぐらい何とかなったのではないかと思ってしまいます。早い段階で、元気な客が代理リーダーの責任を半分肩代わりするぐらい強硬に出しゃばってもよかったかと。

何を言っても後の祭り。我知らず、関係者や心ある方の神経を逆なでするような記述になっていたら、ご免なさい。


RE: トムラウシ山遭難。低体温症と、ツアー登山。2つの問題
 nonatamaさんへ。
 札幌へ法事で行っていたため、返事が遅れてすみません。

>この際、ツアー参加者の年齢は考慮から外していいと思います。

 今度のことで登山者が一番認識してほしいことは、なんといっても低体温症の独特の現れ方と、危険性です。それにどう対応するかという点で、今回はツアー登山(ガイドと企画会社と、参加者の問題)の独特の危険があったように思います。
 年齢に関係なく様々な経験や知識、技量、体力の人がいるのが登山者の実態と思いますので、私も最重要の要因とは思いません。

 ただ、

>10月の台風の最中に3時間、4時間と濡れたまま歩くのは、10代だとか中高年とかの区別無く「疲労」するでしょうね。

 という点は、そうは思いません。

 今回の場合も、装備や技量、とくに低体温症の認識と備えの如何で、結果は大きく違ったと思います。同じ天気のもとで行動しても、踏破するパーティーはいます。

 当日の小屋の出発は、今回のパーティーの前日来の実情からはNO ですが、どのパーティーもそうとはいえません。

 それから、私が問題にしているのは、「疲労」一般ではありません。
 疲労と低体温症は、症状も対処もまったく違います。

 低体温症は、「疲労」という角度から見ていると、怖さがわかりませんし、備えができません。

 今回も疲労は、二次的か三次的な要因だったと思います。疲れて行動不能になったのではなく、北沼の冷水の沢を渡った直後に、事態は急展開しています。

 停滞で2時間前後、動かないでいた間に、症状は一気に広がりました。

 例とするにはちょっと度合いが違ってきますが、冬山では、マイナス10度以下は普通ですし、風もあって当然です。それでなぜ、低体温症にならないかといえば、ちゃんと着て、食べて、体の熱を保持しつつ必要な装備を使って休んでいるからです。

 それよりずっと「好条件」の夏山や秋山で、なぜ特定の問題をかかえるパーティーが大量遭難を繰り返すのか? なぜ同じパーティー内でも服装や装備の差異で生死のこれだけの違いがでるのか? ここに一番の焦点があります。

 それとまだ多くの登山者は、問題を明瞭にとらえていないと思う。だから、nonatamaさんにとっては、ご存じのことかもしれませんが、敢えて強く言わせていただきました。

>一度、天気のいい時にその縦走路を歩いた経験があれば、風雨に負けず、いっそ荷物を捨てて空身で小走りで簡単に下山できただろうにと思ってしまいます。気温8度なら、雨でも絶好調のはず。

 これは長い行程のトムラウシでは、そういうふうにはできないと思います。むしろ非常露営が相当な割合であると思って、備えて登るべき山と思います。トムラウシは、ツアー登山という形に依存して参加するような登り方も、もっとも危うさがある山の一つと思います。晴天でも縦走ならば相当なアルバイトと距離を行動しなければありません。生還した男性が行程の長さ、厳しさを語っていた通りです。

 それから昨晩、十勝の山好きの方々にその日のことを聞きました。帯広市内でも「特に寒い」と感じるような日だったそうです。つまり、低体温症の条件は、そろっていたことになります。

 踏破するには、この条件をよく認識し、備えたパーティーでないとむずかしかったでしょう。

 北アの薬師岳に、もし薬師岳山荘がなければ、スゴ乗越から太郎兵衛平まで縦走する人には、悪天候下でどういう困難な山になるか。ただ薬師岳はまだ道が明瞭ですし、多数の登山者が入っています。助けてくれたり、急報してくれる登山者があいる。

 そういう対比ができると思います。

>ツアーも3日目なのだから、気心も知れてきていた筈で、頻繁な声掛けと口伝え式の伝令で20名ぐらい何とかなったのではないかと思ってしまいます。早い段階で、元気な客が代理リーダーの責任を半分肩代わりするぐらい強硬に出しゃばってもよかったかと。

 このご意見にも、同感できません。
 そもそもあのパーティーで、ガイドをふくめ、ルートを歩いた経験者は1人しかいなかったのです。パーティーとして成立しないような構成です。

 それから再度、いいますが、統率をする人がだれであろうとも、低体温症の怖さや症状を知らなければ、今回の経過の要所で的確な判断は困難だったように思います。

 天候の判断は、今度のケースでどのパーティーにとっても100パーセント行動は無理とはならない。けれど、あのパーティーは動くべきではなかったし、入山自体が無理だった。

 また、低体温症の怖さを知り、服装を出発前や当日朝の念を入れてチェックし、それを行動の判断に入れるするリーダーであれば、天候や稜線の風も勘案して、的確な対応が時々にとれるように思います。

 ともかく、ツアー登山のガイドのような立場にあったり、またツアー会社の社長のような立場にある人でも、低体温症についての認識がないというのが、いまの日本の登山の世界の現状なのです。これは、今回の美瑛岳遭難のガイド、前回のトムラウシ遭難のガイド、4年前の十勝岳遭難のガイド、みなに共通するのです。

 夏山で大量遭難で死ぬとしたら、原因は過去の教訓からいって低体温症と落雷くらいしかないのに、問題がそれほど知られていないということでしょう。

 山岳雑誌も9月号は手が回らなかったようですが、ちょっと扱いが軽すぎます。

 その現状に私は一番の立ち遅れがあると思い、今回の事件の翌日、まだ低体温症に報道機関も触れていない段階から、書いてきました。はたして結果はまさにそうだったと思っています。


RE: 岩崎元郎氏、ツアー会社の資質、ガイドとしての特性
 「登山不適格者」などの本があり、ガイドでもある岩崎元郎さんが、9月号の「文春」に、今回のアミューズ・・社の件を書いていました。

 私はずっと上のコメント(事故翌日)でこう書きました。

>ただ、今回は平日とはいえ、19人パーティーで避難小屋をはしごするという、計画なんですね。非常識です。もう一組と鉢合わせしたり、悪天で停滞が重なったら、にっちもさっちもいかない。ツアー外の登山者からみて、この計画自体がマナー違反の膨張主義、儲け主義と思います。

 岩崎さんによると、この会社は、大雪山系や屋久島などの避難小屋で、ガイドによる「場所取り」を常態化させていたそうです。

 ガイドが1人、パーティーを離れてはるかに先行してしまい、避難小屋にシートを敷き詰めるなどして、他のパーティーが泊まれないような「場所取り」と続けてきたのだそうです。だから岩崎さんは、今度の事故のあと、あの会社なら、と、ぴんときたそうです。

 今回の事故では、ガイドの判断や資質の異例さが話題になっていますが、それが個人に属するものならそのガイドの問題になります。

 しかし、今回は、
日程も、
こうした非常識な人と装備の節約も、
夏休みをかねた偽りのガイドが1人いたことも、
ルートの経験者が1人だったことも、
「遭難」になってからの会社側の情報・判断の遅れと救助活動の開始の遅れも、
ガイドが遭難と判断したくなかったことも、

 もろもろの問題はみな組織的に起こったように見えます。

 もう一つ、岩崎さんは、山頂下で2時間前後も待機したことを中心に、ガイドの資質、能力の欠如を指摘しています。確かに「低体温症」についての適切な認識がなくとも、この状態が危ういか否かは、登山者であれば本能的にも自覚できることです。

 この解決には、制度が必要と思います。

 またこれはしかし、参加者の側にもふりかかってくる問題ではあります。
 現に、「私なら、あの状態で、ガイドの判断停止は無視して行動する」という登山者も相当な割合でいるでしょう。

 いずれにしても、今回、現行法にもとづく処罰だけでは、問題は解決しません。

 *公認資格のガイド制を設けて、営利登山には参加者数に応じて、必ず一定数を配置。

 *公認ガイドの判断が、日程変更、ルート変更、等々にまで行え、そのことで会社から不利益を被らない態勢の保障。

 *遭難を起こした会社の一定期間の資格取り消しなど、ツアー会社そのものにも資格制度をつくる。

 2番目は、岩崎さんも言っていました。


久しぶりに、日記とか読ませてもらいました。
日航機の事故現場行ってたんですね。
報道関係の仕事をしてたとのこと、ちょっと、tanigawaさんへの理解が深まりました。

ところで、『トムラウシ山遭難。3人の女性の頑張りに感動』の出典元はどこですか?

はじめの広島の方は、道新の記事だと思うのですが、他の2人の証言についても、ネット上に元記事があるならURL教えてください。
ネット上になかったら、何日付の何新聞かとかでも教えてくれると嬉しいです。

また、死亡したベテランガイドは、自分の衣服を衰弱している人に貸し与えていたという話も聞いたのですが、出典・元記事ご存じですか?良かったら合わせて教えてください。


2009/8/31 10:52

RE: トムラウシ山遭難。低体温症と、ツアー登山。2つの問題
 ihara1990さんへ

 その件で資料に使ったものは、次の3点です。

 毎日新聞 2009年7月23日付 24面
 「大雪山遭難 疲労蓄積 ツアー強行」

 産経新聞
 http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/090723/dst0907231350013-n1.htm

 週刊文春 7月30日号
 「大雪山系 死の行軍  生存者 衝撃の証言」


RE: トムラウシ山遭難。低体温症と、ツアー登山。2つの問題
tanigawaさん

回答ありがとうございます。図書館で探して文春の記事読んでみようと思います。

近年、子育てしていて思うのですが、女性の協調性・思いやり・忍耐力ってすごいですね。僕なんて全然余裕ないです。

ところで、ツアー登山利用する人って、女性の方が多いんですかねぇ。それとも今回はたまたまだったのかしら。


「貴様なにさま」の反応に驚いています

私のハンドル名をよくご存知の方々から、「貴様なにさまのつもり」と叱責を受けました。書いてはいけない場所に書いてはいけない事を書いて、tanigawa さんのみならず、他の閲覧者まで過剰に不快にしたと指摘を受けました。

ここ2ヶ月間、連日、「お前、山登るな」「仕事干すぞ」「お前にだけは絶対にツアーに参加してもらいたくない」などの脅しに耐えております。

真夏にガーゼのおくるみだけで赤ん坊を寝かせ、扇風機を連続運転すると低体温症で死ぬ、などという知識は一般的で、雨風に打たれれば真夏でも高山は危険というのは、山の初心者でも常識中の常識であると思っておりました。

RE: トムラウシ山遭難。低体温症と、ツアー登山。2つの問題

 そういう出来事があったことは、私にとっても驚きです。

 私は今回の件は、現在の登山における遭難の、とても典型的な特徴が現われていると感じてきました。ですから、さまざまな経験や見方をもつ方が、今回の出来事と正確な情報をもとに、討論をおこない認識を深める必要があると考えてきました。

 公の場でない場面で、nonatamaさんにきびしい意見があったのだとしたら、その方の見方をふくめて、ぜひみなさんがわかる、公正な形で論議すべきと思います。

 nonatamaさんのコメントについては、私は、今度の書き込みと以前のものとに、段差を感じます。また、扇風機の例をあげていますが、大事なことは、家庭では気をつけるような扇風機の扱いのようなことが、登山の低体温症の場合には認識されているのかどうか、ということだと思います。

 「風雨に打たれれば危険」ということだけでは、低体温症を知ったことにはなりません。そんなことなら、今回の遭難パーティーも全員「危険」と答えるでしょう。ところがその全員が、登山者にとって低体温症の危険とは何か、それはどう現われるかを誰も知らなかった。生存者がいみじくも語っています。

 そこを私は言っているのです。


避難小屋の利用について、十勝支庁が注意
 ヒサゴ沼避難小屋を管理している十勝支庁が、HP上で、場所取り禁止の告示を出しました。

 私は、大きなパーティーが予定計画的に避難小屋を使うこと、そのものを原則禁止にしてほしいと書いてきました。学校行事等でどうしても使う場合は、混雑する時期や曜日を避けて、特別に許可し、そのことを事前にHP等で登山者に知らせることも提案してきました。

 今度の処置は、一歩前進ですが、一方でツアー会社側をこのモラルで縛る措置も、併せて必要と思います。

 支庁のこの掲示を素直に読めば、一定規模の人数のツアー登山が、混雑期に避難小屋を使うこと自体が、成り立たないと思います。ところが、事が営利目的ですすむと、歯止めが利かなくなる。避難小屋が本来の役割を果たせるように、自治体として、その措置が講じられるべきです。

 しかし、結局のところ、この掲示の精神をほんとうに実施するなら、大雪ではツアー登山は、テント縦走でやるしかないことになります。つまり自分の装備と食料を担げる人だけが、これに参加できる。このことは、冷静に考えれば、こういう結論にしかならないのですから、それにふさわしい対応を関係機関に求めます。

 百名山のなかに、いくつかはそういう山があって良いのではないでしょうか?

 テント利用となると、これまたヒサゴ沼をはじめとして、受け入れ容量の問題が出てきます。むずかしい問題です。


http://www.tokachi.pref.hokkaido.lg.jp/ts/kks/sizen/yama/hisago/Shelter
http://www.tokachi.pref.hokkaido.lg.jp/ts/kks/sizen/yama/hisago/hinanngoyaryuuijikou.htm


北海道新聞8月20日
【新得】大雪山系トムラウシ山(2141メートル)で7月、8人が死亡した登山ツアーの一行が、最後に宿泊したヒサゴ沼避難小屋(定員30人)を訪れた。同小屋では、道外ツアー会社による「場所取り」が横行、小屋を管理する十勝支庁に一般登山者から苦情が寄せられている。同支庁は「悪天候時の緊急避難という小屋の利用目的に反する」として、ホームページで禁止を周知する方針だ。


RE: トムラウシ山遭難。低体温症と、ツアー登山。2つの問題
(10月号の山雑誌の特集について、yamarecoでのある方の書き込みに私がコメントしたものです。
 このツリーに関係するので、コピーしておきます。)

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 私は「岳人」の同じ特集をとりあえず立ち読みしました。

 低体温症の件では、生還し、証言している方のうち服装がわかる3人の方が、そろって山ズボンの下にポリエステル性のサポート・タイツを着用していたことに注目しました。

 ズボンと重ねては、夏の本州では暑い服装ですが、今度の条件では体温保護にある程度は役立ったのでしょう。とくに、北沼で下半身に冷水を浴びたことにたいして、その後の下半身の濡れと風からの保温で効果があった可能性があります。

 医師による寄稿では、ポリプロピレンなどより保温性の高い下着の用意を強調していました。このサイトでは私はとりあげてきましたが、新聞では出てなかった論点です。

低体温症の対策) 予防的なウエア、装備
http://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-3787

 一番、注目したのは、なぜ出発をしたのか? ということにかかわって、あの日に同じアミューズ社の別のパーティーが避難小屋に向かっていたことでした。20人ほどが入れ替わりで入ってくるため、空けるしかなかったのだそうです。

 7月22、23、24日にも連続で、この会社が避難小屋を占拠して、予定を組んでいたそうです。

 場所取りは、最初聞いたときは、ルール違反と思ってきましたが、ここまで徹底していたとは、愕然としてしまいます。

 ツアー登山がルールなしで進んでゆくと、ただ収益性・効率だけの観点から、ここまで落ちてしまうのだと思いました。

 「岳人」では、ツアーは、施設が不備の北海道には不適としていました。一挙にそこまで結論づけるのはどうかと思います。まずまっとうなルールをと思います。避難小屋を大人数で予定計画的に連日組み込むのは、他の登山者まで危険にさらすものと思います。


ガイドの面からの改善の具体的な提案
 以下は、「毎日」に載った記者の論説です。

 遭難の背景となったうち、ガイドの問題についてより詳しい事情と改善を書いています。

 大半は、私も賛成です。

 このツリーでは、低体温症の認識の問題(疲労凍死という言葉の危険性)、避難小屋の使用の問題、ガイドの問題など様々書いてきましたが、いろいろな部面から同様の声が出てきているのは、議論の始まりとして大事なことと思います。

 以下は引用。

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毎日新聞 2009年10月22日
記者の目:トムラウシ遭難に見たツアーの課題=田中裕之

・・・ところが、国内ではガイド資格の取得者が圧倒的に少なく、無資格者がツアーを引率するケースが目立つという。今回の場合、ガイド3人のうち61歳ガイドは日本山岳ガイド協会認定の資格を持っていたが、他の2人は無資格。しかも、61歳ガイドが今回のルートを案内するのは初めてで、結果的にガイドの知識を十分に生かせなかった。

 日本旅行業協会によると、近年のツアー登山参加者は年間約30万人。ツアー数は数千に上るとみられる。だが、日本山岳ガイド協会認定のガイド資格取得者は、現在の内容に改正された04年以降わずか約130人。試験では危機対応力を問われるなど難易度が高く、合格率は2割前後に過ぎない

山岳の多い北海道が独自に設ける資格の取得者は約130人、長野県認定の資格者は約500人しかおらず、日本トレッキング協会の越谷英雄理事は「現状ではガイドをすべてのツアー登山に同行させるのは困難」と言う。現在のツアー登山は、資質のあるガイドが確実に引率しているとはいえず、トムラウシのような「本州の3500メートル級に相当する」(越谷理事)とされる山では一つのミスが致命的な結果につながる。

 こうした状況を打開する一案として、ガイドのレベルをランク分けし、山の難易度に合わせて適材適所に配置するのはどうだろう。難しい山にはレベルの高い資格を持つガイドを充てるよう旅行業者に義務付け、比較的簡単な山についてはワンランク下のガイド資格を新設して対応する。そうすればガイド不足を解消でき、危険性の高い山には優秀なガイドを集中して投入できるかもしれない。北海道の担当者も「山の特性を制度に取り込んでいく議論が必要かもしれない」と指摘している。

(引用終わり)

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 私がこの提案と別に考えているのは、ガイドの地位保全と雇用形態です。

 ツアー企画会社の意のままに扱われ、行動時の判断が事実上、失われている面も、資格の面と同時並行で改善が必要と思います。

 例えばの案では、私が述べてきたように資格者のガイドの同行・案内を義務づけるだけでなく、そのガイドが企画会社にたいして(雇用上も)独立した地位をもたせる仕組みです。

 ガイド団体が必要な権限をもつことも、方策としてあると思います。

 参加者から見れば、理想的には、誰がガイドするのか明確に紹介して、ツアーを募集するという方法もあると思います。

 先に私が必要項目として挙げたのは、次の点です。

*公認資格のガイド制を設けて、営利登山には参加者数に応じて、必ず一定数を配置。
 
*公認ガイドの判断が、日程変更、ルート変更、等々にまで行え、そのことで会社から不利益を被らない態勢の保障。
 
*遭難を起こした会社の一定期間の資格取り消しなど、ツアー会社そのものにも資格制度をつくる。

 それにしても思うのは、ツアーなら安全だと思って参加している、その実態は、深刻な実情にあるということです。ツアーは、現状ではもっとも危険な登山形態かもしれません。行き先次第では。

 また、危ないツアー会社ほど、危ないガイドの体制にある。判断の余裕がない日程や回転を強いている。

 しかも、登山の経験が浅かったり、他人のリードで登ってきた人には、この体制上の危険性を察知することは難しい。また場面に出遭っても、対応がむずかしいことも、今回、はっきりあらわれました。

 今回の遭難をほんとうに繰り返さないというならば、低体温症の認識、ツアー登山の実態など、徹底的に実情を知らせきる、とりくみが必要と思います。マスコミも、山の雑誌も、まだ遠慮や、事実の甘い押えがを感じます。

 まだ、そこには程遠い
https://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-3691


4. 中川隆[-7608] koaQ7Jey 2017年6月04日 13:35:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2010年07月02日 10:48山の安全全体に公開
09年トムラウシ遭難――「最終報告書」にみる低体温症への対応
https://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-9921



 昨年7月16日のトムラウシ山遭難事故から、まもなく1年になります。

 あのとき私は、事故の救助活動の模様をつたえる翌17日朝のテレビで、この遭難を知りました。状況からすぐ思い浮かべたのは、この数年、北海道のツアー登山などで繰り返されてきた低体温症による遭難死でした。そこで、昼すぎに、次の内容をヤマレコ日記にアップしました。

 トムラウシ遭難――低体温症とツアー登山、2つの問題
 http://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-3691

 この事故の経過が明らかになるにつれて、低体温症の実態、その独特の怖さを私自身も再認識しました。「疲労凍死」「気象遭難」とされた過去の遭難死の、本当の原因について、多くの登山者が新しい認識をすすめる契機になった出来事でもありました。

 その後、日本山岳ガイド協会は、トムラウシ山遭難事故調査特別委員会を設け、昨年11月に「中間報告書」をまとめました。
 トムラウシ山遭難事故。山岳ガイド協会の中間報告書にみる「低体温症」の実際
 http://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-5521

 私はこのスレッドの最後のところで、「中間報告書」の内容と構成にたいして2つ、意見を書きました。

 1つは、低体温症の脅威と対応を登山界全体が認識できる体系的な構成にしてほしい、ということです。

 報告書は、低体温症が、犠牲者の直接の死因であることを指摘しながら、このパーティーが低体温症にたいしてどう認識し、どう備え、どう現場で対応したのかについて、一貫した視点での記述と総括が不十分だったからです。そのために、この中間報告書はマスコミに、ガイドのスキル、力量不足一般に原因があったとして報道されてしまいました。中身はけっしてそういうものではなかったのに。

 この遭難の最大の原因は、ベテランの領域に入ったリーダー・ガイドをふくめ参加者の全員が、低体温症の脅威について認識がなく、無警戒だったことでした。ほんの数年前に、同じ山で同じ季節に、2つのパーティーが低体温症で死亡者を出していたことも、全員が知りませんでした。不幸だったのは、そのリーダーが遭難にいたる最初の段階で、低体温症の症状である判断不能に陥り、別のガイドも渡渉で転倒して低体温症に続いて陥り、パーティが瓦解したことでした。これではガイドのスキルの発揮どころではありません。

 中間報告書は、経過の記録や専門家の詳細な調査から、この原因が読みとれる内容があるのに、大事な問題が部分部分に埋もれてしまっていました。

 2つめは、原因の一端をガイドの力量に求めるのならば、ガイドの水準、認識を向上させ、ガイドが参加者の命にかかわる問題で的確な判断を保障しうる制度が必要ではないか、ということです。

 ガイドは人の命を預かるのですから、当然にも営利優先となる会社からは独立した立場で、安全の可否を判断しなければならない。ツアー登山には、専門的なガイドを配置することを義務付け、ガイドの判断によってその地位や生活が脅かされない立場を保障する、そういう制度を提言してほしいということです。

 実際上は、停滞、中止の判断が保障されていない不安定な地位にガイドはいます。停滞の予備日もないもとで、無理が先に立つ判断を強いられる。避難小屋を出発しないと、同社の次のツアー団体が、その小屋に入ってくる……。

 こういう抜本的な改善がなければ、事故のたびに個々のガイドが司法で裁かれてきただけという状況は、ちっとも変わらず、同じことが繰り返される。


 今年3月、「最終報告書」が出ました。
 http://www.jfmga.com/pdf/tomuraushiyamareport.pdf

 この間にいろいろなところから意見がよせられ、検討がすすめられたのだと思います。最終報告書では、私が思ってきた第1の点は、大幅と言っていいくらいに内容と構成が拡充されました。

 第2のガイドの地位の問題は、現状ではいけないという認識は反映されて旅行会社に管理運用上の改善策を提起しています。ガイド団体にもスキルアップの角度から提案しています。しかし、これだけでは運用上の範囲にとどまり、旅行会社の自由裁量になってしまう。制度問題と法的なルールに踏み込んだ内実が提言されないと、旅行会社は動かないと思います。もっと大胆に提起して、世論を喚起してほしかったと思います。

 しかし、そういうことはあっても、最終報告書は、多くの登山者がこの大量遭難事故のななから、低体温症の脅威と備え、リーダーが果たすべき役割、日本の登山界のなかでのガイドの地位と力量の向上を考えるうえで、他に替わるものがないほどの、大事な事実と探究、痛切な教訓がおさめられていると思います。登山者にとって、とても大事なレポートです。

 このスレッドでは、最終報告書のなかから、とくに低体温症への対応を中心に、事故にかかわる新しい事実、登山者として学んだ大事な点を、いくつか紹介していきます。
 
 形式上、最終報告書からの紹介と検討が順にすすみますが、みなさんとともに考えていきたい問題ですので、いろんな角度からのコメントをいただくのはもちろん歓迎します。

 (画像は、ランドサット衛星画像と国土地理院数値地図をもとに、カシミール3Dで描いたトムラウシ山西面、カウンナイ川)

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2010/7/2 17:22

RE: 09年トムラウシ遭難――「最終報告書」にみる低体温症への対応

たいへん参考になる書き込みを有り難うございます。「最終報告書」をじっくり読ませていただきました。

遭難被害を出さなかった伊豆ハイキングクラブのパーティも,危険な状況にあったのですね。

昨年7月16日のトムラウシ山での大量遭難が起きた日に,私は旭岳〜白雲岳避難小屋のコースを歩きました。

強い風雨の中,旭岳を目指して歩き出したものの,7合目を過ぎたところでかつて経験したことのないような猛烈な風に危険を感じ,一旦避難小屋まで退避。しかしながら,天候は回復するとの予報が出ていたことから,少し風が収まったところで無謀にも再度スタートし,強風に吹き飛ばされそうになりながらも,なんとか白雲岳避難小屋まで歩き通しました。

でも,本当は自重すべきだったと,今でも反省しています。
一歩間違えば,自分も遭難しかねない状況であったわけですから。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

私の山行記録はこちらをご覧ください。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-67545.html


RE: 09年トムラウシ遭難――「最終報告書」にみる低体温症への対応

 遭難事故から1日遅れの行動での山行記録、読ませていただきました。
 大雪から十勝にかけての稜線は、樹林帯がない吹きさらしなだけに、あの日、一帯を襲った猛烈な風のすごさを、記録からも感じとることができました。

 rikimaruさんの場合も、その日にトムラウシを越える長丁場の行程であれば、問題のパーティーや静岡県のパーティー、そして美瑛岳のパーティーと同じで、生死にかかわるような行動になった可能性がありますね。

 寒さをかなり感じていた様子ですから、紙一重で低体温症にいたらなかったように読めます。

 それは、行動を続けるだけの体力、筋力、カロリー補給と、行程の短さのせいだったように思います。ウエアは、できれば行動前にもっと着込む必要があったですね。

 トムラウシは、長丁場で、自力で我が身を守るしかない山です。ツアー登山のパーティーは、リーダー・ガイドがこのルートは初めてで、これは想像ですが少々の悪天候でも、2100メートルそこらの山なら、十分越えて行けると、当初は思ったのではないかと思います。

 本州の感覚なら、そうでしょう。

 しかし、実際には、北アの薬師岳並みのロングルートで、日中なのにその気温は同時期の北アでも記録的なほどの水準に低下していた。しかも山頂付近に小屋はない、途中に人はほとんどいない。他者の助けをえられないということが、どんなに深刻なことか、ツアー登山のパーティーと静岡のパーティーは厳しい状況に立たされました。

 最終報告書が指摘していますが、ツアー登山のパーティーは悪天候下でこの山を乗りこせる主体的な力量と認識が欠けていたのだと思います。

 このスレッドでこれから順次書いていきますが、低体温症の脅威について、どう対応するかについて、rikimaruさんは体験を通して、一つの到達点を示していただいているように受けとめました。

RE: 09年トムラウシ遭難――「最終報告書」にみる低体温症への対応
衝撃的な出来事からまもなく一年がたとうとしていますね。

まだこの頃は登山もほぼ中断中、ヤマレコを見ておらずにただ驚くばかりでした。
その後で登山再入門してこの遭難の詳細を知ることとなった立場です。
その際に大変tanigawaさん含めたヤマレコユーザーのご意見、検討が大変役に立ちました。感謝申し上げます。

そして、示唆に富んだ意見を頂けること、大変ありがたいことと存じます。


夏山シーズンを迎えるにあたって、今年こそは同じ轍を踏むようなことのないことを祈ります…。


この一年で低体温症の恐ろしさは本当に浸透したのでしょうか。
少なくとも、安全に普段から気を遣っている人にとってはそうであると信じます。

しかし、山岳情報に無頓着な観光気分の人はどうでしょうか。
はたして、山の雑誌もチェックせず、誰かに引率されて自分の行く先も現在地も正確に把握せず、装備も人の言うままの人達がどれだけの認識をもつようになったのか…。

そしてたとえ防寒着を持っていても面倒と思うことなく先手をうって使用していかないと効果的ではありません。その判断をできる人達がこのような人の中にどれだけいるのでしょうか。
そのようなことはガイドに任せている、では何ともならない事も浮き彫りにもなりました。

これらの人、また、この遭難を知らずに山を始められた方々にいかにうまく伝える事ができるかが今後の課題になるのではないかと思っています。


低体温症の恐ろしさは、その進行の早さと判断力の低下を来す点であることは間違いないでしょう。tanigawaさんのご指摘の通りと思います。

それが起こる前、震えの出現と停止の段階で処置しなければ発症は止められません。

そして、これすらも条件が悪いと一足飛びに進行していくということも生存者の証言から判明しました。

つまり、雨風の気象条件、どれだけの運動持続が可能か、体の濡れをどれだけ防ぎうるか、非常時の待避が可能な装備か、総合的な判断を下して発症するような条件にならないように行動をしていくしかないということになります。

私たちができる最大の対策は、勉強して備えることです。


遭難事件は悲劇ですが、そのなかで適切な処置によって意識障害を来した重症の方でも生還されました。

このことを一筋の光として認識したいと思います。
風をよけて体温を保持すること。乾いた衣服を身につけ、暖かいものと速やかに熱源となる糖分を摂取すること。

つまり、熱のロスを最小に、加熱を最大にするように心がけるというとてもシンプルな事。
いかにこれが大切なのか。


最後に…

1に体力(発症させない行動維持能力と耐寒能力)
2に知力(発症する条件を知り、状況を判断する能力)
3に装備(的確な処置を行うための装備と条件をよくするための着衣)

優劣つけがたいですが、低体温と戦うための武器はこれだと思っています。
といっても頭だけの初心者ですから、安全を確保しながら体験していくしかないだろうと思います。


RE: 09年トムラウシ遭難――「最終報告書」にみる低体温症への対応
あれから一年ですね。
ちょっと質問なんですが
例えば ツアー参加者が本能的に危険を感じてツアー全体の意向に反して停滞や撤退などを強行(ツアーパーティーを離脱)することは許されるの
でしょうか?

RE: 09年トムラウシ遭難――「最終報告書」にみる低体温症への対応

 komadoriさん、すごいです! 私がこれから紹介しようとしていることの大事な要点を、簡潔にみなまとめちゃってる。それに何と言っても、低体温症が新たにどうとらえられてきたのか? 1人1人が登山者としてどういう心構えや備えをすべきか?
 その新しい内容をしっかり押えられてますね。

 私が、中間報告書と、最終報告書で強く印象付けられたのは、

 「低体温症とは、登山者にとって、薄壁一枚の向こうにあるような、身近な脅威であること」

 「登山の様ざまな危険の一つとして絶えず意識して備えをとっておくべきことで、不意打ちでくらったら、自分には判断も、対応もしようがないこと」

 このことです。

 あの日、トムラウシで8人と1人、美瑛岳で1人、我が身に何が起こったのか、おそらく認識できないまま意識を失っていったのだと思います。低体温症が、代謝にも大きな攪乱を起こすことが今回、調べられました。ものすごく苦しいなかでのことでもあったように想像します。

 89年秋には、立山の大量遭難もありました。一人一人が事態を知ることで、登山の世界のきちんとした常識に、この問題をしていきたいと思っています。


RE: 09年トムラウシ遭難――「最終報告書」にみる低体温症への対応

 ほんとうにあれから1年という感じですよね。あのとき、miccyanさんからコメントをいただきましたが、あれが最初のmiccyanさんとの「会話」だったように思います。

>例えば ツアー参加者が
>本能的に危険を感じて
>ツアー全体の意向に反して停滞や撤退などを強行
>(ツアーパーティーを離脱)することは許されるの
>でしょうか?

 旅行の規定では、パーティーのメンバーはリーダーの指示に従ってもらう、従わない場合は、それにともなう経費と危険は自分持ち、というルールだったと思います。

 しかし最終報告書からは、一部に意見がでた程度でした。出発というときの個人の気持ちのなかで「停滞したい」という心境だったことを、あとで語った人がいました。

 でも、ガイドの決めたことに反する行動をとろうとしたということは、なかった様子です。

 人間には、危険にたいして、備え、回避する本能が確かにあるはずです。
 ところがそれは、表立っては発揮されなかった。

 その原因として、低体温症への認識以前のこととして、参加者の経験、技量の問題がやはりあります。生存者の男性は、「これほどの長丁場の行程だと知っていたら、絶対出発なんてしなかったのに」という趣旨の話をしています。ガイドを批判する内容ですが、客観的に見れば、自分でルートすらしっかり調べていなかったということです。リーダーの出発の判断も、ルートの長さ、厳しさを体験していないゆえのものではないでしょうか。

 つまり、危険にたいする本能的な認識を効かすには、この山でこの条件で、何が危険かを判断するだけの、また備えを考慮するだけの、的確な知識と二次的もいいから体験が必要ということではないかと、私は思います。

 一方、静岡県のパーティーの場合は、出発も、途中でも、前日にも、内部でさまざまな意見があり、それが持ち越された様子です。


その1)急性低体温症と、急激な意識障害、行動不能

 「最終報告書」で改めて裏付けられたのは、パーティーのなかで行動に支障を起こす人が、かなり早い段階で生まれたことです。

 この点では「山と渓谷」の今年3月号が、生存者の証言から、ヒサゴ沼避難小屋から縦走路にあがる雪渓、また縦走路に上がってすぐの地点で、2人が介助されなければ歩けなくなったと、していました。

 パーティーは、5時すぎに小屋を出発して1時間もたたずに行動に大きな支障が出ていたことになります。
 
 最終報告書は、「最初に体調を悪くした人が、疲労ではなく、低体温症の始まりであったことがその表われである。」としています。また、「低体温症の前兆はロックガーデンであったと思われる。」と記しています。時刻は8時30分頃。

 女性客Gさん(64 歳)の証言。
 「ロックガーデンの登りで、男性客M(66 歳)さんが脚を空踏みし出して、ふらふら歩いていた。支えて歩かせていたが、次第に登る気力が失せたのか、しばしば座り込むようになった。これでは自分の体力が持たないと考え、ガイドに任せた」(最終報告書)

 ロックガーデンでは、2,3人が低体温症の兆候を示していたとのことです。

 午前10時ごろ、北沼へ。ここまでコースタイムの2倍の5時間を費やしています。

低体温症の症状は、北沼に上がって、沼の増水のため渡渉したあと、意識を失う人を介護するため烈風のもとで行動をやめた段階で、パーティー全体に拡がります。

  女性客Gさん(64 歳)
「北沼は白く大きく波打っていた。小さな沼がこんなに、と怖かった。渡渉後、その先で皆休んでいたが、女性客K(62 歳)さんが嘔吐し(何も出ない)、奇声を発していた」(最終報告書)

 「聞き取り調査によると、北沼分岐の待機でほぼ全員が低体温症の徴候を示していた。」(最終報告書)

 パーティーにとって深刻だったのは、ガイド3人のうち、リーダー・ガイドをふくむ2人までが、低体温症に見舞われたことでした。

 ガイドの体制は、リーダーA(61 歳、北沼で死亡)、ガイドB(32 歳、唯一のルート経験者)、ガイドC(38 歳、渡渉時に冷水を浴び、発症。その後、意識を失う)、の3人。

 「全員、渡渉を終える。「どこか風を避けられる所はないか」というリーダーA のリクエストに応えるべく、ガイドB が出発しようとしている時、ガイドC(38 歳)から「ずっと肩を貸して歩いてきた女性客J(68 歳)の様子がおかしい」との指摘がある。スタッフ3 人は懸命に女性客J の体をさすったり、声を掛けて励ましたり、暖かい紅茶も飲ませたりしたが、しだいに意識が薄れていった。」(最終報告書)

 一行は、意識を失う人が出たためガレ場でそのまま約1時間停滞します。

 ガイドCの証言。
 「リーダーA(61 歳)が『俺が看るから』と言うので、『それじゃ、お願いします。私は本隊を追いかけますので』と言って別れた。彼は男性客D(69 歳)が貸してくれたツエルトで女性客J(68 歳)を包んでさすってあげていた。風が強いので、ツエルトを巻こうにも巻けない状態だった。そのころの彼の表情は、どこか虚ろだったように思う」

 女性客H(61 歳)の証言。
 「リーダーA(61 歳)さんは度々お世話になっているが、特別調子が悪そうには見えなかった。ただ、ザックカバーを飛ばされているので、体もザックも濡れて、寒いだろうな、と心配していた」

 現場は、「岩がゴロゴロした遮蔽物が何もない場所で、プロのガイドがビバーク・サイトとして選ぶ場所ではない」(最終報告書)ところ。

 *3人のガイドがいるのに、一度は移動を指示したものの、その場で介護としたこと、

 *以後もパーティー全体に風の弱い地帯への退避を指示しなかったこと、

 *ツエルトも満足に扱えない(風とガイドらの行動能力の低下)、リーダー自身が我が身さえ守ろうとしなかったこと、

 *動けるメンバーが退避行動に移った直後に、行動不能者が次々とあらわれたこと、

などから、「ほぼ全員が低体温症の徴候を示していた」ということは、現実のことだったと思われます。

 「そのような対応ができなかったということは、リーダーA自身に危急時対応の経験が少なかったか、あるいは体調不良であったか、はたまた本人も低体温症に罹っていて、判断能力が低下していたものと推測される。彼が亡くなっている今となっては、確かめる術がないのが残念である。」(最終報告書)

 この時点で、パーティーは構成員の多くが下山行動に耐えられたない、遭難段階におちいりました。
 
 最終報告書が指摘しているのは、低体温症の急激な進行です。

 生存者に聞き取り調査した医師のコメント。

 「体温下降時の症状は前述したとおりで、体温が下がる過程で体温下降を防御しようとする「震え」が、必ず35 ℃台でくるものと思っていた。

 しかし、その「震え」の過程を見ると、「震え」がほとんどなく意識障害にすぐに移行した例や、「震え」と同時に「眠気」に襲われた例、震えながら意識が飛んだという症状が見られたことは、体温下降の過程で同じ症状が段階的に進行していくのではない、ということが分かった。

 行動中のどこかの時点で「震え」があったものと思われるが、行動していれば低体温症にならないということではなく、体温を作り出す「熱量」がなくなれば、「震え」がこずに体温が低下すると思われた。

 「行動中に意識が飛んだ」「ストーンと落ちていくように意識がなくなった」という証言は、急激な意識喪失がきたものであるが、これは寒中の街で起こった低体温症の患者の例には見られない症状で、山で起こった偶発性低体温症の特徴的な症状とも思われる。」(最終報告書)

 今回の急激な発症を、この医師は登山の場合(偶発性低体温症)に起こる稀れな事例ではなく、「特徴的な症状」であると指摘しています。

 低体温症が、特定のメンバーにではなく、パーティー全体に一気に現れるというのは、昨年の最初のスレッドに書いたことであり、実は登山における低体温症の発症の、かなり基本的な現れ方ではないかと、私は思います。「疲労凍死」という「事件」名称は、この点でも一掃しなければなりません。

 1人が動けなくなると、その場で、介助者をふくめ何人もが行動不能に陥る。89年の真砂岳の大量遭難死も同じことが起こりました。1913年、長野県中箕輪高等小学校の木曽駒ヶ岳集団登山における遭難事故(11人死亡、「聖職の碑」)がありますし、私の郷里の吾妻連峰でも同種の遭難があります。

 常でない震えがきてから備える(退避、重ね着)のでは、次に来る意識障害や行動不能に、間に合わない場合がある。そして、それが登山の特徴的な現れであるからこそ、来るときは同じ状況にある登山者に(もちろん最初の兆候はあるにしても)一斉にくる。

 低体温症は、追い込まれてから対応することは困難である。登山の危険の基本要素として、気象や行程から予測事項に入れて、予防的に対応する、そういう相手である。このことを、トムラウシの犠牲者と生存者が身をもって登山界に訴えているように、私は受けとめています。

RE: 09年トムラウシ遭難――「最終報告書」にみる低体温症への対応
tanigawaさん

当日の私の状況について,少し説明をさせて下さい。

>寒さをかなり感じていた様子ですから、紙一重で低体温症にいたらなかったように読めます。

> それは、行動を続けるだけの体力、筋力、カロリー補給と、行程の短さのせいだったように思います。ウエアは、できれば行動前にもっと着込む必要があったですね。


この点についてですが,実は,私の場合,行動中はそれほど寒さは感じておりませんでした。

衣服の状況ですが,夏山用の薄手の長袖シャツと長ズボンの上にゴアテックスの雨具を着用していました。

最大瞬間風速30メートルを超えるような風に立ち向かって歩いていましたので,相当の熱量消費により,体温が維持されていたのではないかと思います。ゴアテックスのおかげで風による冷えを遮断できていたこともあると思います。一方,手先だけは,グローブをしていても凍え,とても冷たく感じました。

また,行動中は一度も震えを感じませんでした。ところが,避難小屋の中に入ってから2〜3分で体中が震え出しました。文字通り歯がガチガチと音をたてて震えました。

これは,行動が終了したことで発熱がなくなり,急激に体温が低下したためと考えています。

私が思うに,低体温症への最も有効な対策は,常に行動し続け,発熱を維持することではないかと思います。

そこで重要なのは,行動を継続できるだけの体力と,発熱を維持できる量のカロリーの摂取です。

私の場合,登山途中で避難小屋に戻り,十分なカロリー摂取ができていたことが,その後の行動維持に寄与したと思います。

トムラウシ山遭難事故では,ロックガーデンの登りで既に一部の方に低体温症の症状が出始めたということですが,あの暴風雨の中で行動を続けられなくなったために発熱を維持できず,体温低下に至ったのはないでしょうか。

今回の遭難では,ロックガーデンの先,北沼付近で長時間待たされ,発熱が止まってしまったたことが,低体温症発症の最大の原因ではないかと思います。

RE: 09年トムラウシ遭難――「最終報告書」にみる低体温症への対応
 rikimaruさんへ

>実は,私の場合,行動中はそれほど寒さは感じておりませんでした。

 とありますので、以下の私の記述のうち、寒さの点は削除いたします。

>>寒さをかなり感じていた様子ですから、紙一重で低体温症にいたらなかったように読めます。

 それは、行動を続けるだけの体力、筋力、カロリー補給と、行程の短さのせいだったように思います。ウエアは、できれば行動前にもっと着込む必要があったですね。

 それで、「紙一重」だったのかということですが、rikimaruさんはこのときの山行記録に、次のように書かれています。

>なんとか頑張ってここをやり過ごし,白雲岳避難小屋を目指しますが,徐々に体力が落ちていく感じがしました。手袋をしていても指がこごえて,うまく動きません。ゴアテックスの雨具を着ていても,霧状の雨が中の衣類を濡らします。
途中の岩陰で休憩をとり,ウェストバッグに入れておいたアメ玉を頬張ってエネルギー補給です。ザックを開けて食料を食べるような余裕はありませんでした。
小屋に入ってザックをおろした途端,寒さと安堵感で全身が震えました。

 白雲小屋は、先代くらいの時期の小屋の前を秋に通過したことがあります。いまのものもそうですが、きちんとした避難小屋で、風も避けられます。

 そこに行き着いて、間をおかず、猛烈な震えがきたということは、このときの体温が、「最終報告書」の目安でいえば、次のレベルだったことになります。

**たとえば、「全身的な震え」が始まったと思われる症状があった時を35 ℃、意味不明の言葉を発した時を34 ℃、意識不明になった時を32 ℃以下としたが、確定ではない。

 これが、私の「紙一重」の根拠です。

 行動を終了したことで、熱の産生が落ち、そのことで体温が下がることはありますが、小屋内で風のない条件で、一方で熱の喪失という点では、戸外にくらべて格段の違いがあります。

 この差引をどう見たらいいのか。


 A)微妙な状況にあったからこそ、35度水準の震えがすぐに来たといえるのか、あるいは、

 B)気持ちが落ち着いたところで、体の正常な反応が始まったのか。

 定かではありませんが、体温は警戒信号を発し始める水準ではなかったかと思います。

 このことと、手の冷たさ、インナーのウエアの濡れ、休憩しても食事をまもとに摂取できない状況について、rikimaruさんは、書かれています。

 もしも、あと1キロ、白雲小屋が遠ければ、rikimaruさんが現場で思案したビバークを実際に実行していたかもしれません。

 そこでわが身を守れるか否かは、低体温症の脅威の認識と、カロリー補給と、的確な保温対策にかかっていたと思います。
 
 なお、上記のAとBについては、最終報告書が、震えについて、必ずしも予兆として起こるとはいえず、起こらないまま進行する場合もあるとしていることに、私は注目しています。

 つまり可能性としては、小さいと状況にてらしていえますが、次の可能性もわずかにあります。震えがくる水準に体温が下がっていたが、なんらかの原因で震えのプロセスが飛び越えられていたのかもしれない、ということです。

 rikimaruさん以外にはその経過を体験していないので、rikimaruさんの記憶や確認がなにより有力です。

 rikimaruさんの記録でもう一つ重要なのは、ゴアテックス雨具の下のインナーウエアなどが雨の吹き込みで、小屋で着替えが必要な状態に濡れたと書かれていることです。

 これは、汗ということはなかったのでしょうか?
 雨にまちがいなく体表がひんやりしていたとすれば、トムラウシ遭難でもう一つ、問題になる、ゴアテックスの機能や雨具のつくり、そこから来るインナーのウエアの保温性の確保という問題が出てきます。

 この件で予防的にいえば、低体温症が心配される条件では、予防として、下着、中間着の保温性に気を配る必要があります。

 rikimaruさんに、もう一枚着るべきだったと書いたのは、その理由からです。

 なお、行動を続けることの可否については、最終報告書も新しい見解をのべています。別に1項をとって紹介します。
 

RE: 09年トムラウシ遭難――「最終報告書」にみる低体温症への対応
tanigawaさん

詳しい分析をしていただき,恐れ入ります。
私の状況について,若干補足させていただきます。

1 衣服の濡れについて
 行動を再開した午前11時頃以降,雨は小降りとなり,視界30メートル前後のガス状となったことは私のレポートに書いたとおりです。登山をされる方ならだれでも経験があると思いますが,濃いガスの中を歩行すると,かなり衣服が濡れます。雨具を着ていても,袖口や首周りの開口部周辺が濡れることがあります。当日は,大変強い風の影響で,細かい水の粒子が,開口部から進入したと考えています。

 避難小屋に到着した時,着替えたのは長袖シャツのみですが,全体が濡れたわけではなく,袖や首周りが濡れていて気持ちが悪かったので,着替えたわけです。下着やズボンは着替えていません。雨具の性能には問題なかったと思います。問題があるとすれば,それは,一眼レフカメラを首から下げたまま雨具の内側に入れて歩いたため,開口部の面積が広がったことが考えられます。

2 体の震えについて
 避難小屋に到着してから体の震えが起きるまでに,ある重要な状況変化があります。それは,小屋に入り,小屋番さんに宿泊の申し込みをしていた時に,小屋番さんから,ザックを降ろすよう促され,床にテント装備の大型ザックを降ろしたあとに,震えが来たという事実です。

 歩行中はずっとザックを背負っていましたが,ザックが保温材となって,背中の冷えを防いでくれていたのではないかと思います。それがザックを降ろしたことで,背中から体温が一気に放出された。と同時に,行動に伴う「熱の産生が落ち」たことで,震えが来たのではないかと。

 あのときの震えは,例えば真冬に暖房の効いたクルマから薄着のまま外に出たときに発する震えによく似ていました。外に出てすぐに震えが来るのではなく,少し時間が経過してから震えが来るというパターンです。震えていた時間もわずか数分だったと記憶しております。

3 遭難パーティとの差異について
私の歩行時間を昭文社の山と高原地図のコースタイム(CT)と比較するとこうなります。

(CT)旭岳石室(2:30)旭岳山頂(1:50)北海岳(1:40)白雲岳避難小屋 計6時間
(実際)旭岳石室(1:50)旭岳山頂(1:40)北海岳(1:10)白雲岳避難小屋 計4時間40分

あれだけの厳しい気象条件でも,ザック重量20キロをかついでCTを1時間20分短縮しています。
(ちなみに快晴となった翌日は,写真撮影に熱中してCTを大幅に上回りました。)

 一方,遭難したパーティの行動記録では,ヒサゴ沼から北沼までCT2時間半のところを倍の5時間かけています。

歩行に相当な困難が伴い,遭難パーティが北沼に到着したときには,皆,疲労困憊ではなかったでしょうか。

 私が岩陰でビバークを考えながら休憩したのは,丸4時間,休憩らしい休憩をとらずに歩きつづけ疲れがたまったためです。4時間も行動をしていれば,誰でも,疲れを感じると思います。しかし,疲労困憊していた訳ではありません。思考も冷静でした。あの厳しい状況下でも,ポイントごとに記録写真を撮っていますし,地図とGPSで現在位置を確認するという余裕もありました。

 したがって,「紙一重で低体温症にいたらなかった」状況と指摘されると,正直,違和感があります。

RE: 09年トムラウシ遭難――「最終報告書」にみる低体温症への対応
rikimaruさんへ

 状況のご説明、よく納得しました。

>したがって,「紙一重で低体温症にいたらなかった」状況と指摘されると,正直,違和感があります。

 この件も了解いたしました。
 限られた情報のなかでの私の書き込みのために、ご説明のお手数をおかけして、申し訳ありませんでした。

 rikimaruさんのケースは、GPSの積極的な利用によって、状況を打開していった、たいへん典型的な事例だと思いました。北海平は、残雪が多いこの時期には、年によってはルート判断がたいへんなところですね。

 また、rikimaruさんの経験が冷静な位置確認と判断を生みだされていたように思います。


その2)ガイドは低体温症を認識していたのか? そもそも認識とは?

 今回の遭難死の直接の死因は低体温症でした。

 最終報告書は、この件で、そもそも旅行会社のガイドの研修でも、また日本山岳ガイド協会の研修でも、低体温症がほとんど位置付けられてこなかったと述べています。

 登山のなかでは、事故・遭難にいたる危険について、通常の場合、登山者は地形や積雪などから、あらかじめその危険を予測し、回避する対応をしています。

 ところが低体温症の場合は、これまで「疲労凍死」という誤解を生む名称が通ってきたために、実際には「疲労」そのものとは異なったしくみで、そして「凍死」とは言えないような気温の条件と季節に起こることが、十分認識されず、登山者に伝えられてきませんでした。
 
 今度のパーティーはどうだったのか?

 「生存者ほぼ全員が低体温症について知らなかった、と答えた。また、2002 年に同山域で、低体温症で亡くなった事例があることも知らなかった。

 2 名のガイドは低体温症については知っていたが、その詳細については知らなかった、と述べた。」

 「ツアー会社、ガイド、ツアー客に低体温症の知識がなかった」

 「今回の遭難の直接的な原因は、低体温症である。近年、低体温症に対する注意がたびたび喚起されており、活字にもなっているが、スタッフはそれほど深刻には認識していなかったのではないか。」

 亡くなったリーダー・ガイドがどこまで低体温症について認識していたのかについては、本人の証言が得られません。しかし、最終報告書がいうように、実際の言動に移すまでの認識はなかったと見るほかありません。

1)遭難のすべての過程で、とくに発症者が出た後でも、3人のガイドも、参加者も誰一人、「低体温症」と言葉で話したものはいなかった。

2)出発の判断から、最初の発症者が出たロックガーデンでも、本人が行動不能におちいるまでの過程で、低体温症からパーティーを予防し、発症者が出たあとは拡大を防ぐ対応がない。

 何が起こったのか、次にどういう危険がくるのか、認識していた形跡がない。

 こうしたなかで、パーティーは低体温症に無防備でさらされ、遭難におちいってもなを、認識がないまま個々に対応することになります。


 男性客F(61 歳)
「引き返してみると、M(66 歳)さんが直立不動で立ち止まっているのが見えた。岩場の通過ではM さんを抱えて歩かせ、ほかの女性たちを先に行かせた。さらにM さんをなんとか歩かせようとするが、脚を出せと言っても、左右の区別ができない。平らな場所でもしゃがみ込んで、立ち上がれない。なぜ歩けないのか、自分には分からなかった」

 男性客D(69 歳)
「低体温症で疲労し、意識が朦朧としている人を担いでテントに入れる場面は、いくら考えても何が原因か、摩訶不思議だった。」

 「女性客H(61 歳)
 「とにかく寒くて気がついたら、テントの中で女性2 人と並んで寝かされていた。夕方だったから19 時ごろか? ガスコンロが一晩中、燃えていた。それでも寒いのでダウンを着て、さらにガイドB(32 歳)さんがレスキューシートを貸してくれた。それでもなお、自分は低体温症だとは思っていなかった」

 ガイドC(38 歳)
「低体温症の知識は、文字の上では知っていた。しかし、実際に自分がなってみて、こんなにあっけなくなるんだと感じた。この分岐に着いた辺りから『あぁ、俺はもう死ぬんだ』と思い始めていた」

 今回の最終報告書のなかで私が気付かされたのは、そもそも、研究の分野からも、登山時の低体温症がどのように進行するのかさえ、まだ調べが途上だというのが、現状だということです。

 ロックガーデンでの明瞭な発症から、2時間で、最初の犠牲者が出たことにも、研究者は驚きをのべています。

 35度前後で始まる体の震えも、自覚できなかった人がいます。

 詳細に血液等の検査がおこなわれたガイドCの検査結果からは、熱の産生や思考機能にもかかわるようないくつかの異常値が見つかっています。

 低体温症については、今後、さらにその脅威が明らかにされていくのではないか?

 その途上にある今の段階では、カロリー補給でも、着衣でも、行動時間の限度の問題でも、低体温症の危険がある条件では、気付かないうちに敷居をまたいでしまうことがないように、十分な対応が必要。こんなことを、現時点では考えています。


その3)静岡県のパーティーはなぜ生還できたか? 行動続行の当否

 最終報告書には、静岡県の別の6人パーティーが、同じ日の同じルートを行動し、1人が低体温症となったなか、回復の措置をとって、全員下山したケースを検討しています。

 まず、パーティーが低体温症に見舞われた状況は次のようなものでした。(いずれも最終報告書から)

 「ヒサゴ沼分岐に到着して、風の強さに驚く。天沼の木道を8 時ごろ通過。ロックガーデン付近で風雨が強く、寒いと思った。しだいに震えがきて、盛んに眠気がして転倒した。このロックガーデンでアミューズPを追い越したのが9 時30 分過ぎ。彼らはあまりにも遅すぎるという印象だった。」
 (注、転倒した人、震えや眠気が来た人は、1人のよう)

 北沼で。「立ち止まると寒いので、休憩は取らずに歩き続けた。」

 「トムラウシ分岐付近よりメンバーのA(67 歳、女性)さんがよろよろし出し、足がふらついてまっすぐ歩けず、仲間の問いに対する返答が覚束なくなった。仲間に荷物を持ってもらってトムラウシ公園付近の岩陰で休憩し、仲間が差し出したお湯を5 杯飲んだ。この時、ザックからダウンジャケットを出して雨具の下に重ね着した。」

 「トムラウシ公園には12 時ごろに着いた(出発から6 時間経過)。ここでパーティを2 つに分け、Aさんは男性2 人に挟まれた格好で後方を歩いた。前トム平付近で風が止んだ。コマドリ沢への下りにある雪渓付近で体調が戻り、しっかり歩けるようになった。」

「ヒサゴ沼避難小屋を出発して13 時間後にトムラウシ温泉に着き、アミューズPの遭難を知った。たびたび転んだため雨具にたくさん穴が開いて、下半身には打撲痕があった。」

 A さんの証言。「自分が低体温症だったとは知らなかった。仲間には「夢遊病者のような歩きだった」と言われた。低体温症から脱することができたのは,仲間が助けてくれたためと思っている。昼ごろ、休憩した時にお湯を5 杯飲んだのと、ダウンジャケットを重ね着したことが、体温を回復させてくれたと思っている、と語った。」

 次は、この状況を調査し、分析した医師のコメントから。

 「しかし、トムラウシ分岐に差し掛かると、メンバーの一人が低体温症を発症した。

 まっすぐに歩けない、転倒する、会話がしどろもどろになった、などの症状から体温は34 ℃、もしくはそれ以下に下がっていたと推定できる。34 ℃という体温は山中で回復可能なぎりぎりの温度で、条件が悪ければ、そこからどんどん下降することがある。」

 「立ち止まることなく歩き続けたことは、結果的には良い結果に結びついたと思われる。しかし、それはあくまでも結果論的なことで、場合によっては低体温症が悪化して、アミューズPと同じ遭難が起こったかもしれない。低体温症の症状が悪化し出した時に風がやんだこと、お湯を飲んだことで熱源? と水分の補給ができたこと、ダウンジャケットを重ね着して、体温の放射を防ぐ空気の層ができたことが、体温の回復に繋がったと言えるだろう。」

 「このパーティがアミューズPと同じ時間、同じコース、同じ気象条件下でありながら無事下山できた理由は、周到な準備、仲間意識、前日の短い行程による体力の温存、長時間の停滞がなかったこと、などが挙げられる。

 しかし、天候の予測とパーティの行動決定については、意見をまとめることに苦慮していた。行動に不安を感じたら、やはり安全策を優先させるべきだろう。結果的に無事下山できたとはいえ、あの悪天候の中、ヒサゴ沼の避難小屋を出発すべきではなかったと思う。」(以上、最終報告書から)

 このパーティーの場合は、トムラウシに次のような準備、訓練、装備をもって、望んでいました。

 「リーダーは6 年前にトムラウシ登山の経験があった。6 名が参加することになり、出発までにそれぞれ役割分担を決めて計画を練った。メンバーは女性4 名、男性2 名で、平均年齢が65 .8 歳。

 1 日の行程は年齢を考慮して5 〜6 時間とし、山中3 泊4 日で、1 日予備日的に余裕を持たせた。テント2 張を持参、食料計画も立てた。防寒対策としてフリース、ダウンジャケットを持参し、荷物は一人13 Kg 以上になった。出発までに4 回のミーティングを重ね、ボッカ訓練は15 kg 以上の荷物を背負って1 人3 回のノルマで山行を行ない、また、北海道は雨も予測されるので、雨天の訓練山行も行なった。」(最終報告書)


 私がこの経験と記録から学んだことは、次の点です。

1)まず食糧計画が、両パーティーで根本的に異なる。

 アミューズ社のトムラウシツアーパンフレットは、「背負える最大荷重の目安」として女性の場合、「50歳では12キログラム、60歳では8キログラム」としてきた。

 参加者は自前のコンロをもたず、調理はガイドのお湯の配給に頼っていた。メニューと量は制限された。

 「生還者が食べていた内容を大まかに言うと、朝食としては、インスタント・ラーメン、アルファ米(前夜の残りの半分という人もいた)、スープなどの回答が多かった。行動食については、カロリーメイト、ソイジョイ、ゼリー飲料、バナナ、チョコレート、アメなどを食べていた。また夕食では、アルファ米とカレー、調理済みのアルファ米(半分だけ食べるという人もいた)、スープ、野菜といった内容だった。

 これらのエネルギーの総和は、多めに見積もったとしても1000kcal台の前半から後半にしかならず2000kcalを超えている人はほとんどいないように思われた。」(中間報告書)

 これは日常生活で摂取しなければならない必要カロリーをも下回っている。

 ヒサゴ沼の出発の是非が一時、検討されたときの、参加者の証言。

 女性客A(68 歳)
「・・・私個人としては1 日停滞しても、キャンセル費用は掛かるが、命には代えられないと思った。

ただ、私は用心のため8 食持ってきたが、ほかの方は6 食ぎりぎりではないか。最悪、皆でシェアすることになるな、と思った」

 このカロリー摂取の大きな違いが、冷たい風雨のなかでも静岡県のパーティーの行動の継続をささえ、低体温症におちいる仲間を最小限に抑える基盤になったと思われる。

2)静岡パーティーは、出発の判断については大きな意見の違いがあったにしても、最初の発症者が出たあと、ついに行動に支障が出た時点では、体温保持、お湯の摂取などの対応を組織的にとったこと。

 これによって、発症したメンバーは体温と判断、行動の力を回復した。フォローしあえる体制があった。

 ここで大事なのは、静岡県のパーティーには低体温症の症状や介助について、明確な認識がなかったように思われること。なぜなら、発症したAさんの証言にあるように、歩けなくなった理由について、本人も低体温症と認識していない。

 おそらく現場の会話の中にも低体温症の言葉はなかったのではないか? 認識があれば、最初に兆候があらわれたロック・ガーデンの時点で、なんらかの対応と会話が残ってきたはず。

 寒いこと、消耗したことなどから、ある時点で危機は認識され、トムラウシ公園まで下降を始めたところで、行動不能になり、ダウンジャケットを着たり、カロリー補給の手立てがとられた。

3)低体温症の脅威にさらされる気象条件と行程のもとで、このパーティーの場合はコースタイムから3時間ほど遅れたものの、行動を継続することで、体温低下を防ぎ、危険な標高から脱することもできた。

 医師が述べているように、「それはあくまでも結果論的なことで、場合によっては低体温症が悪化して、アミューズPと同じ遭難が起こったかもしれない。」 また、この経験は、誰にでも、どのパーティーにも、あてはまるものとはいえない。
 
 食糧計画がずさんで、カロリーを行動中もふくめて補給できない場合、

 長い行程を強風下で、なんども転倒しながら行動を継続する、その基礎体力が欠けている場合、

 気温・強風の度合いや防寒服装などの不足から、行動中にも、発熱量が喪失する熱量に負けている場合、

 こうした場合は、行動を続けることは不可で、一刻も早くより安全な場所でビバーク態勢に入る必要が出てくる。しかも、上記の状況は事前には予測しがたく、他のメンバーの体調を的確に把握する必要が出てくる。低体温症へのしっかりした知識もいる。

 その点では、このパーティーの場合も、認識・判断もふくめて適切だったといえない面を残している。

 最初の自覚症状としては全身の震え、足のもつれ、指先が使えないほどの冷たさなど。パーティーメンバーに発症者が出る場合も、危険信号。このパーティーでは、ロック・ガーデンからがその始まりだった。

 本来ならここで、保温用の衣類を重ね着する、即効性のある行動食をとるなどしてもよかった。以後の経過はかなり変わったはず。

 そして、なお歩行に支障が出る状況が改善しないのなら、北沼にいたる前に、引き返すか、天人峡へ下山の判断もあった。

 私の意見では、静岡パーティーの場合は、発症者の症状が行動を続けられる範囲だったことが幸いしたとしか言えない。1人完全に動けなくなれば、どういう結果になっていたか。

 これほどの準備をしたパーティーにとっても、この日は過酷な気象条件と長い行程だった。

 もう一つ、行動継続に幸いしたのは、発症者が歩行が困難になり、介助を受けた場所が、行程が下降に入った十勝側の下山への分岐付近だったこと。

 もしも北沼で「カロリー切れ」が起こっていたら、行動を続けることには、困難が大きくなる。十勝側は、よく踏まれており、地形も穏やか、あとはどんどん下降するだけで、主稜線をはずれ風も弱くなっていく場所だ。

 現に、アミューズ社のパーティーが北沼からトムラウシ公園一帯で風にさらされていた時刻に、静岡県のパーティーは前ト平へいたり、風が弱まったことを証言している。

 行動の継続か、とりあえず風をよけられる場所を選んででビバークするかは、状況と体調、残されたルートの難度次第。今度の件から一面的な教訓化はできない。動けるうちに、時機を逃さずその判断をすることが必要になる。

4)では、静岡パーティーの出発の判断はどうだったのか? 遭難事故後のいまの段階で低体温症への認識がすすんだなかでふりかえるならば、医師がのべているように、出発の判断は正しくなかったと思う。

 これは静岡の同クラブの代表者が、事故の経過、教訓として、「経験がありそうに見えたガイドがいるアミューズ社パーティーが小屋を出発して行ってしまったので、自分たちも出発することにした」と十分な検討がなかったことを報告している通り。このパーティーの場合も、下山口の宿の予約と航空機の予約の制約があったと伝えられている。

 それならば、どうしても行動を起こすというなら、3時間以内で森林限界に降りられる天人峡をめざすべきだった。

 両パーティーはどこが違っていて、どこが同じだったのか? このような気象条件で登ることに、ふりかえって考えて何の意味があるのか? 答えを問い続ける意義はあると思う。

その4)その日のトムラウシの悪天候は、特別なものではなかった

 気象の検討からも、低体温症との関係で新しい情報や考え方が、最終報告書には盛り込まれています。(中間報告書と同趣旨のものです。)

 1つは、あの日のトムラウシの気候は、数十年に一度というような、特別の悪天候だったのか? という点です。

 いま1つは、北アなど本州の山岳では夏季に同じような気象条件になることはないのか? という点です。

 (1)7月16日の悪天候はめったに起こらないものだったのか?

最終報告書は、過去の観測データを検討して、こう記述しています。

(過去6年間の高層天気図と高層気象データからの検討)

「札幌の7 月午前9 時の800 hPa での月最低気温、月最大風速の極値を示す。月最低気温の極値を見ると、1 位が0 .5 ℃、10 位が4 .5 ℃で、遭難日16 日の気温8 .4 ℃は10 位の記録にもはるかに及ばない。また、月最大風速を見ると、1 位が31 m/sec、10 位が27 m/sec であり、16 日の記録20 m/sec よりもはるかに大きな値となっている。これらから、16 日は低温強風の悪条件下ではあったが、数十年に一度というような極端な気象条件下ではなかったということができる。」

 「7 月の最低気温を見ると、6 年間の平均で2 .8 ℃と低く、極値では0 .2 ℃(1993 年7 月)という氷点下に近い値が記録されている。これは、7 月16 日の最低気温3 .8 ℃と比較しても低い値である。これらより、遭難時と同様の低温は大雪山では7 月に毎年のように記録されていることが分かる。」

 (風の強さは、どの程度の水準だったのか)

「五色観測サイト(2015 m)での2009 年7 月の気象観測結果を図4 に示す。図より、遭難日の16 日に匹敵するような強風、低温の悪天候が7月8 日に見られる。平均風速が17 m/sec、最大瞬間風速が25 m/sec に達し、最低気温は6 .6 ℃を記録している。また、7 月10 日の悪天候では最低気温が4 .1 ℃となっている。これらより、2009 年7 月のわずか1 カ月間でも遭難時と同様の気象状況が起きていることから、遭難時の状況は大雪山として決して特異な状況ではなかったということができる。」

「これらより、7 月16 日のトムラウシ山の気象は、大雪山では例年起きている気象状況であり、決して特異な現象ではない。」

あの日のトムラウシの天候は、入山した登山者をあそこまで苦しめたものだったにしても、気象条件としては夏季に毎年のように起こっている範囲のものだったということになります。

なお、この項の筆者は、トムラウシの地形が風を強めるものだったことの検証は、それとして必要としています。

(2)北アなど本州の山岳では夏季に同じような気象条件になることはないのか? 

 (立山・内蔵助山荘と、大雪・白雲岳との比較)

 「平均気温を見ると観測年は異なるが白雲岳避難小屋、内蔵助山荘とも7 月が10 ℃前後、8 月は11 .5 ℃前後とほぼ同じ値であった。7月の月最低気温は、白雲岳避難小屋が平均2 .8 ℃、内蔵助山荘が平均4 .4 ℃と白雲岳避難小屋の方がやや低かったが、8 月の月最低気温は白雲岳避難小屋、内蔵助山荘とも平均で4 ℃前後とほぼ同じであった。また、白雲岳避難小屋では1993 年7 月に0 .2 ℃、内蔵助山荘では、2002 年8 月に0 .1 ℃と夏期にもかかわらず氷点下近くに達する低温が記録されていた。以上のことから白雲岳避難小屋と内蔵助山荘の7、8 月の気温状況は平均的に見るとほぼ同じであり、両山域とも夏でも気温が氷点下近くまで下がることがあることが分かった。」

 「2000 m 級の大雪山の稜線付近の気象状況は、3000 m 級の北アルプスの稜線付近の気象状況に匹敵するものであり、夏山といえども氷点下近くの低温下、風速20 m/sec 近くの強風下に曝されることがある」

「寒冷前線通過時には夏の北アルプスでもトムラウシ山で遭難が発生した7 月16 日に匹敵する強風、低温といった気象現象が発生している可能性が高い」

 ツアー会社は、事故後、事前の準備や用意の「想定を超える悪天候」という趣旨を連発していますが、実は過去の悪天候時の遭難例から、当然備えるべき範囲でした。ガイドの体制も十分な備えが本来必要でした。ここでも、2泊3日の強行軍で大雪・トムラウシを縦走するプランに比べての、必要な下調べの欠如が浮き彫りになります。

 北アでこの種の事故が登山者数の割合には少ないのは、おそらく小屋が多いためでしょう。一方では、それだけ様々な装備とレベルの登山者が入っていることになり、潜在的な危険性はつねにあることになります。

(3)低体温症の危険性が高まる気象条件を登山者はどのように察知、予測できるのか?

 3つめに、最終報告書の気象の検討に、過去の低体温症の遭難事例のデータと、勤労者山岳連盟などが実施したこの遭難事故のシンポジウムの報告資料なども基礎にして、危険な気象条件の察知・予測について書きます。
http://www.imsar-j.org/2009-04-23-09-38-06/2009-04-23-10-26-43/97-2010-03-04-08-13-46.html

 危険の予測という点では、まず第一に、この遭難事故は、北海道の低体温症による遭難では典型的といっていい気象条件のもとで起こりました。

 1999年9月
 後方羊蹄山で3人ビバーク、うち2人が低体温症により死亡。

 ツアー登山者がパーティーからはぐれる。台風が北海道を通過した直後の暴風雨のなかを登山。台風は、オホーツク海で猛烈に発達。

 2002年6月
 十勝岳でツアー登山のうち1人が低体温症により死亡。
 強風、冷雨が稜線ではみぞれになるなか登山。亡くなった方は雨具をバスに忘れ、上半身にアノラックを着ただけ。歩行不能になったなか、避難小屋に放置され、パーティーは山頂に立った。

 2002年7月
 トムラウシでガイド付き登山など2パーティーが遭難。2人が低体温症で死亡。
 本州に上陸した台風が岩手県沖へ抜け、この日釧路に再上陸するなかをトムラウシをめざす。台風は北海道沖で猛烈に発達。

 2009年7月(問題の遭難事故)
 発達した低気圧が宗谷海峡を抜けて、オホーツク海でさらに発達。低気圧にともなう前線が北海道を通過。大陸方面から寒気が強風とともに流れ込む。平地では雨は山を越したが、上空に雨雲が残り、大雪では暴風雨。

 遭難事故はいずれも、悪天候をもたらす低気圧(および台風)が襲来し、北海道の北東海上へ抜けて発達。そこへ北西から冷たい強風が吹きこむという条件のもとで起こっています。

 09年のトムラウシ遭難の場合、前日にくらべて16日は強い風と気温の低下が著しく、雨も残りました。低気圧の動きや風の強まりから発達の程度を予測すれば、少なくとも出発時に危険信号は察知できたし、とくに稜線に上がった時点では「2002年の遭難」を当然、連想できる条件でした。

 ところが、おそらく、ガイドも参加者もそもそも2002年の遭難を知らなかった! シンポジウムの報告では、最終報告書と同じ事情を記述しています。
 気象を読めなかった根本原因に、低体温症と遭難事故そのものの認識の欠如がありました。

 第二に、シンポジウムでの気象問題の報告者は、「ガイドが平地の気象予報を参考にしていた」ことを問題にしています。「昼に回復する」は平地の予報。北海道では低気圧が抜けた後に、風と寒気がやってくるのが通常であり、山岳部ではそのことを注目しなけらばならないという指摘です。

 この報告者は、高層天気図の情報(短波放送やインターネットで公表される)をなぜつかまなかったのか? 高層天気図には雨の予測も、寒気の入り込みも、読みとれるものだった、とも問題提起しています。

 避難小屋の現場でどこまで可能だったかということもありますが、大きなパーティーなのだから、社として専門会社と提携して情報を得られる体制もとっておくべきだったとの意見です。なるほど、翌日には同社の別パーティーが小屋に入ってくるくらいですから。衛星電話の携行(遭難時の連絡用も考慮)も問題提起されています。

 出発を遅らせるほど迷うのなら、事態を見極めるための情報をさらに集めるべきだった。

 平地と山岳の気象の違いに注意をはらう。少なくともこのことは現場で気象情報から目を向けることが可能です。しかし、この努力も、過去の遭難事例を知らないのでは、「魂」が入りません。ガイドのレベルアップが必須です。社としてのバックアップにしても、事故後も「参加者の自己責任」をいうA社にはこれは無理なお願いかも。

 テレビやラジオの一般気象ニュースにとどまらない情報を、どう登山者に提供するかは、全国の山小屋や公的な救助機関の問題にもかかわります。月に1,2度という悪天候が予想されるときの、警戒情報です。今後の安全確保の大事な問題です。

 第三に、本州の山でも、遭難事例を知ることは、低体温症の危険の予測につながります。

 とうのも、低体温症の遭難事故の気象条件は、北海道の場合と同様に、本州なりの共通性があるからです。

 1989年10月8日、立山の真砂岳の稜線で関西の登山者10人が猛吹雪に遭い、 8名が死亡(低体温症)。低気圧が台風並みに発達。強い冬型気圧配置。ザックから食糧や衣類を出した形跡もないまま、遺体はある場所にまとまって倒れていた。

2006年10月7日、九州の男女7人のパーティのうち、4人が死亡する事故が起きた。4人は白馬山荘や村営頂上宿舎から300mまでたどりついて死亡している。

 2つの台風が発生し、東北を北上、964hPaで完全な台風並みの勢力。8日にかけて北海道東岸まで移動している。7日からは西高東低の冬型。
 パーティは7日に雨の中、祖母谷温泉小屋を出発、途中で吹雪に。

 本州の北アなどでの低体温症による遭難も、秋の事故は冬型の気圧配置の烈風のもと、登山者が十分な耐寒装備などの備えを欠いたなかで起こっています。

 少なくともリーダー役やガイド役は、急な強風と低温に見舞われる典型的な気象条件(天気図)は頭に入れて、行動、ウエア、行動食を考える必要があります。


その5)保温に役立つものは、意外なものでも、何でも使う

 「最終報告書」と、シンポジウムの報告資料などから、18人のパーティー全体のウエアと結果についてリストを紹介します。

 亡くなられた方については、ウエアの空欄が多いのですが、これは当時、捜査にあたった警察以外にこのデータを入手、収集する条件がなく、公表もされていないためです。

 また、リーダーがウエアについて、必要な時点ごとに確認・指示することをほとんどしてこなかったことも、情報の少なさに影響しています。山岳会のパーティなどの場合には、そのとき、その場で何を着るかまで、かならずお互いで声を掛け合うところです。


メンバー,年齢,結果,発症地点,行動終了地点,*** 雨具,保温着ほか
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女・J,68,死亡(ビバーク態勢とれず),北沼渡渉点,北沼分岐,***ゴアなど,
ガイドA,61,死亡(ビバーク態勢とれず),北沼分岐,北沼分岐,***ゴアなど,ソフトシェルなし
女・N,62,死亡(ビバーク中),北沼分岐,迂回コース入口,*** ゴアなど,
女・I,59,死亡(ビバーク中),迂回コース入口,迂回コース入口,***ゴアなど,
男・M,66,死亡,ロックガーデン,迂回コース中間,*** ゴアなど,
女・K,62,死亡,北沼渡渉点,トムラウシ公園,*** ゴアなど,
女・L,69,死亡,迂回コース中間,トムラウシ公園,*** ゴアなど,
女・O,64,死亡(ビバーク中),迂回コース中間,トムラウシ公園,***ゴアなど,ビバークの際、シュラフを使用
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女・H,61,ビバーク、救助,北沼分岐,迂回コース入口,*** ゴアなど,サポートT、ビバーク時にダウンJ着る
ガイドB,32,ビバーク支援、救助,なし,迂回コース入口,*** ゴアなど,ソフトシェル
男・D,69,ビバーク支援、救助,なし,迂回コース入口,*** ゴアなど,(ツェルト携行)
女・B,55,ビバークでOを介助、救助,北沼分岐,トムラウシ公園,***ゴアなど,下着、長袖シャツ、Tシャツで行動。サポートT。これらはすべて着替えを携行・着用。フリースを北沼渡渉手前で着用。ビバークでマット、シュラフ使う。
ガイドC,38,救助,北沼分岐,前トム平下部,*** ゴアなど,ソフトシェル
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男E,64,自力下山,なし,,*** ゴアなど,ロックG手前でダウンJ着用
男・C,65,自力下山,なし,,*** ゴアなど,サポートT。ロックG手前でフリース着用
男・F,61,自力下山,なし,,*** ゴアなど,
女・G,64,自力下山,なし,,*** ゴアなど,ソフトシェルを着用。サポートT。(フリース携行)
女・A,68,自力下山,なし,,*** ゴアなど,北沼以後に、レスキューシートを体に巻いて雨具。寒くなくなった。


 補足事項を幾つか。

 シュラフはパーティー全員が携行していました。

 ビバークのためのテントは、ガイドCがザックに1張りのみ携行していましたが、最後まで使われませんでした。

 区分けのうえで、救助された方と、自力下山とを区分しています。しかし、救助された方には、自分でビバークを決めたり、あるいは他のメンバーの危急の介助をするためビバークをし、救命の活動を続けたメンバーが含まれています。

 そのことを前置きにして、低体温症の予防という面からのウエアや対応の検討をします。

 1)ガイドからは、ヒサゴ沼避難小屋の出発にあたって、低体温症の説明や前兆の症状への注意、雨具の中に何を着て、ザックから何を取り出しやすい場所に置くかなどの説明は、ありませんでした。

 2)生還者のなかで、出発時の備えとしてしっかりした用意をされた方々がいます。女Bさんは、着替えをすべて用意し、前日に濡れた着衣はサポートタイツを含めてすべて着替えて出発。寒さを感じた時点でフリースを着用しています。ビバークの時点でもシュラフ、マット等を介助したメンバーとともに使用しています。
 
 3)証言では、亡くなった方のうち少なくとも3人は、フリースをザックに用意していました。

 生還者の多くが、ある時点でそれぞれ防寒ウエアを着用していることから、ガイドの的確な指示があれば、状況は大きく変わったことが想像されます。

 4)代用品という限界はありますが、意外なものが、役だっています。

 1つは、生還した2人のガイドが、雨具の下に着用していた「ソフトシェル」。小さくたためポケットにも入る防風ジャケットですが、撥水機能もあり、ゴアテックス雨具の機能が落ちたり、風が抜けたりする条件で、濡れ防止と保温作用があったようです。

 いま1つは、レスキュー・シートを体に巻きつけ、その上から、雨具を着たら寒くなくなった事例です。

 5)このことは、ゴアの雨具は防寒性能や、風の抜けにたいしては、頼みにならないことを示しています。

 「ここで注意しておきたいこととして、雨具は防寒具ではないということも知っておくべきである。雨天時の行動では、下着のような薄い衣服を1枚だけ着た上に、直接雨具を着ている人がいる。これは無風の場合ならばあまり問題にならないが、今回のような強風時には、肌と外気との間に形成されるはずの空気による断熱層がほとんどなくなってしまう。つまり、裸体に近いような状態となり、急速に体温を奪われることになる。」(最終報告書)

 シンポジウムでは、「雨具の劣化<防水、撥水能力の実験が急がれる。アンケートではかなり濡れる報告が多い」とされました。

 6)私は、保温性の向上という点で、薄手の保温下着(ポリプロピレン製など)の着用が効果的と思っています。

 上下ともごく薄手のものがあり、併せても200グラムぐらいと軽量。肌に直接ふれる部分に、熱伝導性がない素材をつかうため、大げさにいえばセーターを1枚着たくらいの効果を感じます。

 強風、低温など不安を感じる日、あるいはビバークが予想される際など、「勝負下着」として使えます。

 夏用の汗抜けのみを考えた下着は、木綿よりは増しにせよ、保温性・断熱性とは逆の性能がもたされていたりします。

 7)ビバークの際に何が役立つかも、今回は教訓的でした。

 シュラフやマットレスは、使えうことができる体力と症状の人には、命の分かれ目でした。一方で、ザックの中身をほとんど何も使わず、倒れていったガイドやメンバーがいました。判断と行動がまずやられる低体温症に特有の事態だと思います。

 シュラフカバーだけでも、大きな助けになりそうです。
 ツェルトも、参加者が携行していたものが活躍しました。
 そして、ここでも、保温ウエアです。

 ガイドが、もっと早い段階でビバークの判断をし、連絡要員を派遣する一方で、現地調達を含めすべての装備・ウエアを利用していれば、天候は午後にはっきり回復したのですから、犠牲者はかなり減った可能性があります。

 個人的なレスキュー装備、非常食・行動食の大事さ、パッキングの際の心得など基本的な事柄を、今回の事故は教えくれたと私は受けとめています。
https://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-9921


5. 中川隆[-7605] koaQ7Jey 2017年6月04日 15:49:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2009年12月10日
トムラウシ山遭難事故。山岳ガイド協会の中間報告書にみる「低体温症」の実際
https://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-5521



 12月7日に発表されたこの中間報告書は、7月のトムラウシ遭難事故について多くの証言やデータをもとに専門家も参加して詳しい状況を報告・分析しています。

(日本山岳ガイド協会 トムラウシ山遭難事故調査特別委員会の「中間報告書」)

 これまでの遭難事故報告書に比べて、この中間報告の一番の特徴は、大量遭難事故の犠牲者の直接の死因を「低体温症」ととらえ、その様相と、そこに至った原因を多角的に検証しようとしていることです。

 そこには、これまで認識されてこなかった「低体温症」の脅威と進行の様子が、おそらく史上初めてのことと思いますが、多数の証言で明らかにされています。

 中間報告は、次のように書いています。

 「今回の生還者も、「疲労凍死」という言葉については多くの人が知っていたが、「低体温症」という言葉は、ほとんどの人が知らなかった。したがって、低体温症に関する正しい知識を啓蒙することは、今後の遭難防止にとって重要なことだろう。」

 ガイド協としてはこの報告書の全文をWEB上に掲示していませんが、ぜひ全文を読めるようにし、多くの登山者に読んでほしいと思っています。

 なお、この問題では、私の事故翌日昼の次の日記のスレッドも、比較検討していただくことを希望します。

 「トムラウシ山遭難――低体温症とツアー登山、2つの問題」
http://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-3691

 以下、中間報告から、この角度での要点をツリー形式で紹介していきます。
 

 まず、低体温症の今回の現れ、です。
 報告書は次のように記述しています。

「北沼周辺で亡くなつた人の内2-3名は、北沼以前(ロックガーデン周辺)から発症していたと思われる徴候があった。ロックガーデンを登り終え北沼に降りる時点で、ほかの人の力を借りなければならないような歩行状態は、すでに症状が進んでいたと推定できた。発症は待機が始まった時間(北沼に到着した時間)の 10時30分にした。」

 「北沼分岐ですでに低体温症になった人たちが、待機から行動に移った瞬間から低体温症は急激かつ加速度的に進行し、症状が悪化する。これは静止状態から運動状態に移つたことで、冷たい血液が体内に一気に流れ出し、脳や筋肉の機能障害が急速にきたためと思われる。インタビューした多くの人が、この北沼分岐を出発したと同時に「意識が朦朧とした」「つまずいて歩けなかった」と証言したことで証明できる。」

 「北沼からトムラウシ分岐までの20分間という短い距離と時間の間に、低体温症で次々に倒れていった事実に注目しなければならない。

 発症から死亡するまでの時間(推定)は、

 2〜4時間以内:5名 、
 6〜10時間半以内:3名

 (6〜10時間半以内の死亡者の中には、テント内でビバーク
した2名を含む)

 死亡者の半数以上が2〜4時間以内で亡くなっていることは、低体温症が加速度的に進行、悪化したものと思われる。これは急性低体温症といえる。

 低体温症が始まると、前述したとおり、体温を上げるために全身的「震え」が35℃ 台で始まるのが特徴的であるが、今回の症例ではこの症状期間が短く、一気に意識障害に移行した例もある。あまりにも早い体温の下降で人間の防御反応が
抑制され、30℃ 以下に下がっていったと思われる。」

 今回の低体温症は、北沼のずっと手前で症状が現われたこと、そして、続いて報告しますが、参加者の全体に大なり小なり発症していたことが、一つの驚きでした。

(以下で、参加者への低体温症の現われを見ていきます。写真は9月下旬のトムラウシ)


2009/12/11 18:34

どんな気象条件だったのか?
 証言に入る前に、7月16日の遭難事故当日は、どういう気象条件だったのかというデータを、事故調査「中間報告」から紹介します。


○現地調査班のレポート

 「16日の山の天候は気温6℃、風速20m/secだった。」(新得
警察署)

○気象担当者のレポート

 「遭難日の7月16日について見てみると、15日に通過した低気圧は、16日未明に宗谷海峡を東進した。この低気圧は閉塞化が進み、閉塞前線が形成されているが、大雪山系では、当日未明から寒気とともに強い西風が吹きつける状況であった。
 この低気圧はゆつくりと東進したため、大陸から吹き出す寒気も強

い状況が維持された。札幌の高層観測によると、16日9時の1900m付近の気象は、気温が8.5℃ と急下降し、風速も19m/secを記録している。また、風向は西北西に変化している。」

 「大雪山・五色観測サイトにおける気象観測からの推測

 大雪山の高山帯では、北海道大学大学院地球環境科学研究院GCOEが無人気象観測装置を使って気温、風向風速、降水量などの気象観測を行っている。・・・今回の遭難現場の気象を推測するのに適したデータ
であるといえる。

【気圧】0時から8時にかけて780hPa前後と低い値が続くが、8時以降、上昇に転じた。気圧の変化から推測するとパーティが出発した5時30分は、まだ悪天候のピークの真っただ中であったと思われる。

【気温】パーティが出発した5時30分の時点で7℃ であった。その後、パーティが稜線に出た6時から14時頃にかけて6℃ 前後で推移し、14時になるとさらに低下し始めた。17時30分に日最低気温3.8℃ を記録、17時30分以降、気温は上昇に転じた。」

 「【風速】パーティが出発した5時30分から21時頃にかけての平均風速は15〜18m/secであった。このことからパーティ出発後、強風は夜中まで収まらなかつたことが分かる。特にパーティが稜線に出た6時頃から14時頃にかけて、最大風速が連続して20m/secを超えており、歩行困難に陥るほどの強い風が、持続的に吹いていたことが窺える。

【降水量】夜間の2時から3時にかけて、時間雨量が12mmに達するかなり強い雨が降っていた。しかし、3時以降雨は弱まり、8時になると止んだ。
パーティが強い雨に打たれたのは、出発直後から8時までの2〜 3時間程度であったと推測される。」


 「トムラウシ周辺の気象状況の推定

 ・・・主稜線に出てから8:30頃にロックガーデンを通過するまでの間、風速20m/sec以上の強風が吹き荒れていたことが窺える。最大瞬間風速は平均風速の1.5〜 2倍に達するといわれるので、この間の最大瞬問風速は30〜 40m/secにも達したと考えられる。台風の暴風圏の中を登山していたような状態である。

 一方、この間の雨に関する証言はあまり多くない。出発時くらいまでは降水量が多かったが、その後は風が主体で、降水量は減少していたと考えられる。

 10:00の北沼渡渉点でも強風が続いた。北沼が風で大きく波打っていて、これが水位上昇に関与したことも考えられる。12:00頃には、北沼分岐や南沼キャンプ場で風も弱まり、雨も止んでいた。これから午後にかけて天気は回復傾向にあった。

 トムラウシ山南斜面の前トム平では、16:00頃雨も上がり風も弱まっていた。そして19:00頃には、南沼キャンプ場付近でも月明かりが見えるほど天気は回復して、晴れとなる。」

○運動生理学の分野からの検討レポート

 「今回のトムラウシ山遭難の当日は、気温が終日10℃ 以下(最低では5〜 6℃ 程度)まで低下していることから、低体温症が起こる可能性は十分にあったことになる。

 以前は「低体温症」という用語が一般的ではなく、「疲労凍死」という言葉が使われていた。「凍死」というと、環境温が0℃以下の時に起とるというイメージを与えるが、そうではなく、低体温症は夏山でも起こり得ることを知る必要がある。」

低体温症で亡くなられた方についての、生存者の証言(1)
 

 この遭難で亡くなられた方は8人です。(他に単独行の男性が1
人死亡)

 亡くなられた地点ごとに分けて、同行して生還した参加者の証言
を掲示します。
 (以下、参加者の略記号などは「中間報告」の通り。文の頭に※印
は、tanigawaによる注記)


≪北沼渡渉点 第一ビバーク地点≫ 2名死亡

◆女性客J(61歳)さん
 ※北沼渡渉点の手前から、ガイドCが肩を貸して支えられて登
高。
 
※北沼渡渉のあと、ガイドCは、ガイドBに、女性客Jさんの様
子がおかしいことを告げる。

 「ガイドC(38歳)の呼び掛けに対する反応が薄く、体を動かそう
としない状況だった。」(ガイドB(32歳))

 「直前の渡渉地点では典型的な前兆がなく、空身とはいえ自分で
歩いて渡っていたので、本当に驚いた。あまりにも急激だった。」
(ガイドB)

 「スタッフ3人は懸命に女性客Jの体をさすったり、声を掛けて励
ましたり、暖かい紅茶も飲ませたりしたが、次第に意識が薄れて
いった。」(報告書)


◆リーダーA(61歳)
 
「リーダーAが『俺が看るから』と言うので、『それじゃ、お願い
します。私は本隊を追い掛けますので』と言って別れた。彼は男性
客D(69歳)が貸してくれたツェルトで女性客Jを包んでさすってあ
げていた。風が強いので、ツェルトを巻こうにも巻けない状態
だった。その頃の彼の表情は、どこか虚ろだったように思う」(ガ
イドC)

 ※翌朝4時。
「ガイドB(32歳)が第1ビバーク地点まで行く。リーダーA(61歳)は
うつ伏せで、雨具の上下を着たまま女性客」(61歳)と倒れていた。
ツェルトは風で飛ばされ、近くの岩に引っ掛かっていた。その場は
ツェル卜だけを回収して戻る。第2ビバーク地点からは、空身でわ
ずか5分ほどの距離だった。」(報告書)

 ※この「第一ビバーク地点」について、現地調査報告では、次の
ように記しています。

 「川を渡った所は大きな石がゴロゴロした地帯で、風を防げるよ
うな所ではない。・・・強風に対して無防備でここに滞在したら、低
体温症になることは想像できただろう。・・・岩がゴロゴロした遮
蔽物が何もない場所で、プロのガイドがビバーク・サイトとして選
ぶ場所ではない。」

 ※このビバーク地点選定の判断をみても、パーティーが相当なショック
と混乱、判断不能の状態におちいり出していたことが推測されます。
そのことは、すぐその先の第二ビバーク地点で、はっきり現れてきま
す。


低体温症で亡くなられた方についての、生存者の証言(2)
≪北沼分岐の先 第2ビバーク地点≫5人ビバーク、2名死亡

 同行して生還した参加者の証言を、続けて掲示します。
 (参加者の略記号などは「中間報告」の通り。文の頭に※印
は、tanigawaによる注記)

 ※ここは第1ビバーク地点から、通常なら5分のところで
す。頂上へ登らず、西面をトラバースするルート上。

 「北沼分岐ですでに低体温症になった人たちが、待機から行
動に移った瞬間から低体温症は急激かつ加速度的に進行し、症
状が悪化する。・・・インタビューした多くの人が、この
北沼分岐を出発したと同時に「意識が朦朧とした」「つまずい
て歩けなかった」と証言したことで証明できる。」(報告書)

 ※症状が広がったうち、歩行不能の女性客N、女性客H、女性
客I(59歳)が、動けなくなり、男性客D(独自にビバークを判断?)、
ガイドBが付き添って5人がビバークします。

 ※女性客N、女性客Iが亡くなりました。


◇女性客H(生還)
 ※第2ビバーク地点では、3人の女性が動けなくなり、残る。
「北沼渡渉点を過ぎて立ち上まった所で、体が一気に冷え込んで
きた。パーティの後方にいたので休むスペースがなく、少し離れ
たところでがたがた震えて座っていた。腕で押えても上められな
いほど全身が震え、歯ががちがら嗚った。その時一時、『あぁ、
これで私は死ぬんだろうか』と思った。(本人の証言)

 「とにかく寒くて気がついたら、テントの中で女性2人と並ん
で寝かされていた。夕方だったから19時頃か? ガスコンロが一晩
中、燃えていた。それでも寒いのでダウンを着て、さらにガイド
Bさんがレスキューシートを貸してくれた。それでもなお、自分
は低体温症だとは思っていなかった」(本人の証言)

◆女性客N(62歳)
 ※第2ビバーク地点。
「北沼分岐付近では、女性客Nさんの後ろを歩いていたが、彼女
は何ごとか叫びながら、四つん這いで歩いていた。私も同じよう
な状熊で、やがて記憶を失くした。どこで倒れたか記憶にない。
最初の停滞地点から5分くらいの場所だと思う」(女性客H)

 ※18時ごろ、ガイドBらによって収容されたテント内で。
「その時点で女性客Nが危険に見えたが、声を掛けたら反応があった
ので、急いでガスコンロに火を点けた。再度声を掛けたら反応が
ないので、心臓マッサージを20分くらい行ったが蘇生せず。」
(ガイドB)

◆女性客I(59歳)
 ※第2ビバーク地点。
 「持っていたツェルトでは5人は十分に入りきれないので、男
性客D(69歳)にも手伝ってもらってマットを敷いて、女性客I(59歳)、
女性客N(62歳)、女性客H(61歳)を寝かせ、ツェルトを被せるように
する。ガイドB(32歳)も一緒に入って、添い寝するようにして、体
をさすり保温に努める。泣き出したり、大声で叫んだりする女性
がいた」(ガイドB)

 ※女性客Nさんが亡くなられた後。
 「ガイドB(32歳)は、女性客2人(※IとH)にお湯を飲ませた
り、ガスコンロの火に手をかざしてあげたり、抱きかかえて保温
に努めたりした。やがて、2人の状態が落ち着いてきた」(報告
書)

 ※ガイドBは、救援の連絡を終え、夜7時すぎ、テントに戻
る。
「女性客I(59歳)が20時30分頃、意識不明になったという。10分ほ
ど心臓マッサージを施したが、蘇生せず。」(ガイドB)


 ※このビバークで使ったテントとガスコンロは、ガイドBが南沼のキャンプ指定地で見つけてきたものでした。この時点で、ツアーのテントは、下山を続行した参加者を引率する役目のガイドCがザックに担いだまま先行してしまい、最後まで使用されていません。

 ※ガイドBと、男性Dは、3人の女性の介抱のために大きな役目
を発揮しています。男性Dは、リーダー・ガイドらが第一ビバーク地点でとどまった際に、自分のツエルトを提供しています。また、ガイドBとともに、3人の行動不能の女性の、ツエルトへの退避、テント設営後の移動、テント内の保温などを協力してすすめています。資料では、装備していたザックの重量も17キロ近くと最大です。

 男性Dがかなりの余力を残しながら、なぜビバークを決め、ガイドBと協力したか、本人の証言は示されて
いません。登山経験年数だけをみると、50年以上の方ですが、この方も次のように証言しています。

 「低体温症で疲労し、意識が朦朧としている人を担いでテントに
入れる場面は、いくら考えても何が原因か、摩訶不思議だった。」(本人)

 ※結果論ですが、パーティー全体が2つのテントを使って、風をよけられる場所で早い段階でビバークしていれば、午後には風雨が落ち着きだしたこともあり、犠牲者はさらに減ったように思われます。

 しかし、実際にはガイドが携行したテントは使われず、ガスバーナーとテントのデポ品を発見して、初めてビバーク体制が本来の形になり、テント内の加温も開始されます。

 それは、北沼での最初の発症から8時間後の18時ごろのことでした。

ガイドが次々と低体温症にかかった

 ※ここで、以降の経過を把握しやすくするために、下山を引率する役
目のガイドCの状況を、中間報告から紹介します。その前に、全体を把
握しやすいように、ガイドの体制について、紹介します。

(文の頭に※印は、tanigawaによる注記です)

 ※第2ビバーク地点から下山を開始した10人の参加者のなかから、
次々と犠牲者が広がりました。なぜそうなったのか。そもそも引率役を
任されたガイドC自身が低体温症に襲われていたことが、全体を制約す
ることになったと見られます。

 ※第1ビバーク地点でリーダー・ガイドが残り、第2ビバーク地点
で元気だったガイドBが残るという、パーティーとしての統率・一体性
の崩壊が、さらにそのおおもとの問題としてあります。そうなったの
も、リーダー自身が北沼からの沢の渡渉と1時間の現場での介抱のなか
で、すでに低体温症にかかり、全体の指揮やビバーク地点の選定を含め
てあらゆる適切な判断ができなくなっていたことが、根本にある可能性
があります。

 ※中間報告は、ガイドの体制について、次の記述をしています。

 「ガイドの選び方に問題はなかったか。ガイドの選定方法としては、
参加者の多い支店からガイドを出すことがアミューズ社の方針になって
おり、今回、広島と名古屋からそれぞれリーダーとサブガイドを出して
いる。ただ、2人とも今回のコースは初めてで、しかもスタッフ3人とも
各々面識がなからたという。コース経験の有無は、ガイドの絶対的条件
ではないが、万が一を考えると不安な構成である。今回のようなロング
コースでは、接客力優先ではなく、危機対応能力を中心に、厳しく選定
する必要があったのではないか。」(事故要因の抽出と考察)


 「ガイドの力量に問題はなかったか

 *登山歴、ガイド歴はそれなりにあったと思うが、危急時における対応
経験はどこまであったのか、また、危険予知能力(参加者の状況把握、天
候変化予知、時間経過判断など)をどれほど持ち合わせていたか、疑問が
残る。今回、特にスタッフの判断の迷いや遅れによって対応が後手後手
に回り、パーテイ全体をどんどんピンチに追い込んでいったと思われるふ
しがある。

 *リーダー・シップとフォロアー・シップに関して認識が薄く、シビア
な状況下でのパーティ行動の経験が、不足していたのではないか。

 *夏山といえども危急の事態を想定し、その対応についてスタッフは事
前にどれだけ真剣に打ち合わせをし、緊張感を共有していたか。また、危
急時の連絡方法についての共通認識を持ち合わせていただろうか。」(事
故要因の抽出と考察)

 ※ともかくガイド全体がこの時期の危機対応に低体温症を想定せず、
リーダーも最終引率役のガイドも低体温症になっては、パーティーとし
て存立できません。


10人を引率するガイドCが低体温症だった。本人と生存者の証言(3)
(文の頭に※印は、tanigawaによる注記です)

 ※ガイドC(38歳)についての調査委員の医師の報告(中間報告に
添付)の記述を紹介します。

 「北沼分岐を出発時に低体温症を発症」。

 「北沼分岐手前で渡渉中に転倒、全身ずぶ濡れになる。このことは後
に「最大のミス」だった、と証言している。」

 「出発した時から全身的震えが始まった(35℃ 台)。トムラウシ分岐まで
20分ぐらいで着いた。ここで参加者2名が遅れたが、捜すだけの気力はな
く、遭難の通報を入れることだけを考える。

 死を覚悟して早足で歩き、歩ける所まで歩こうとする。人を救う体力と
気力はなく、次第に足が棒のようになって膝が曲がらなくなり、転倒を
繰り返した。」

 「トムラウシ公園付近では意識が薄れ出した(34℃以下)。
 前トム平に就き、携帯で電話する。・・・このとき一緒だった女性客G
は、彼の返答は呂律がまわらなかった、と証言((33℃以下に下降し始め
る)。」

 「前トム平より巨石のあるトラバースぎみの下山路(当時はこの辺に雪
渓があった)を下り、ザックを降ろして携帯を出そうとして、そのまま前
のめりにハイマツの中に転倒、意識を失う。・・・その時の体温は33℃ 、
あるいはそれ以下だったと思われる。」

 「以後、救助隊に発見されるのが17日の10時44分、病院に収容された
のが11時35分で、意識が正常に戻ったのが12時50分頃になる。この間、
約21時間意識を消失していたことになる。帯広厚生病院の入院時の所見
によれば、・・・大声で呼びかけたり強く揺さぶると開眼する程度の意識
で、直腸温は34.7℃ であった。」

 ※前トム平。
 「彼が(※携帯で)なんとか答えたが、ほとんどもう呂律がまわらない
状態で、盛んに『ポーター、ポーター』と叫んでいた」(女性客G)

 「本人によるとストーンと下がるような状況で意識を失った、と証言し
ている。なお、低体温症は言葉では知っていたが、自分でもこんなに早く
意識障害がくるとは想像していなかった、とも述べている。」(調査した
医師の記述)

低体温症で亡くなられた方についての、生存者の証言(4)
≪南沼キャンプ場手前≫ 1名死亡

(文の頭に※印は、tanigawaによる注記)

 ※ガイドによる引率、パーティーとしてのまとまりが崩壊したもとで、低体温症を発症した参加者のあいだに、さらに犠牲が広がってゆきます。

◆男性客M(66歳)さん 死亡
 ※男性客M(66歳)さんは、もっとも早くから発症した人の1人。
  以下、時系列でMさんの状況。

 ※8時30分すぎ。
 「口ックガーデンの登りで、男性客M(66歳)さんが脚を空踏みし出
して、ふらふら歩いていた。支えて歩かせていたが、次第に登る気力
が失せたのか、しばしば座りこむようになった。これでは自分の体力
が持たないと考え、ガイドに任せた」(女性客G)

 ※第2ビバーク地点を出発。
 「ガイドCが引率して歩行可能と思われる10人を下山させること
に。」(行動概要)
 
 ※12時すぎ。南沼キャンプ地手前。男性客Mさんが遅れた。
 「引き返してみると、Mさんが直立不動で立ち上まっているのが見え
た。岩場の通過ではMさんを抱えて歩かせ、ほかの女性たらを先に行か
せた。さらにMさんをなんとか歩かせようとするが、脚を出せと言って
も、左右の区別ができない。平らな場所でもしゃがみこんで、立ち上が
れない。なぜ歩けないのか、自分には分からなかった」(男性客F)

 ※13時30分〜50分ごろ。

「男性客Fは男性客Mを歩かせようとするが動かせず、やむなく諦
める。」(行動概要)

 ※翌朝5時45分。

 「道警ヘリが南沼キャンプ場付近で意識不明の男性1人を収容する。」
(行動概要)


低体温症で亡くなられた方についての、生存者の証言(5)
≪第3ビバーク地点 トムラウシ公園上部≫ 
 4人が取り残され、3人死亡
(文の頭に※印は、tanigawaによる注記)

 ※現場は主稜線からトムラウシ温泉側へ下降しだした地点。ここまできて、取り残され、亡くなられた方の中には北沼付近ですでに低体温症を発症していた方もいました。

 ※中間報告は、便宜の上で「ビバーク地点」としていますが、テントは使われず(ガイドCが担いだまま)、2人はそのまま行動中に倒れ、残る2人は岩にもたれただけでした。

 ※発症した時点からの、証言を見て行きます。

◆女性客K(62歳) 死亡
 ※北沼で。
 「北沼渡渉後、その先で皆で休んでいたが、女性客K(62歳)さんが嘔吐し、奇声を発していた」(女性客G)

 ※南沼キャンプ場の手前で。
 「女性客K(62歳)さんが意味不明の言葉をしゃべり出した。そこで『Kさん、何か食べないと、歩いて下山できないわよ』と励ました。何か少し食べたようだ。ここで初めて死にたくない!と思った」(女性客G)

 「女性客Kさんはぐったりしていた」(男性客F)

◆女性客L(69歳) 死亡
 ※南沼キャンプ場の手前で。
  「衰弱していた女性客Kと女性客Lも歩行が覚束なくなる」(行動概要)

 ※南沼キャンプ場の先?
  「女性客Lさんは奇声を発していた」(男性客F)

 「トムラウシ分岐を過ぎると緩い下りのトラバース道となり、トムラウシ公園に続く。その公園の上部で、男性客Fに見守られながら、女性客Kの意識が次第になくなり、続いて女性客Lも静かになった。」(ガイドC)

 ※2人が倒れた場所のすぐ下では、女性客Oさんと、女性客Bさんが、ビバークを決めます。

◆女性客O (64歳) 死亡
 ※トムラウシ公園。

 「登山道の脇に草むらがあり、大きな岩もあって休めそうな感じだった。自分でなんとなく、とっさに判断して、女性客Oさんに『ここで救援を待った方がいいんじゃない?』と声を掛けたが、それまでしっかり歩いていたのに、何も反応がなかった」(女性客B)

「自分のシュラフを女性客○に掛けて介抱していたが、18時30分頃、冷たくなった」(女性客B)

◇女性客B(55歳)さん(生還)
 ※本人の証言。

 「北沼分岐の待機時間に寒さを感じた。立ち上がって歩き始めた時から意識
が朦朧とし始めた(35℃ 以下)。隊列を組んで歩いていたが、ほかの人がうまく
(真っ直ぐ)歩いていないなと思った。しかし、自分もよろよろと歩く状態だった。

 南沼の途中の雪渓で思わずつまずいてしまい、ハッとして体勢を整えた時に、
今まで朦朧としていた意識が「我に返った」ようになった。 トムラウシ分岐
付近の歩行はよろよろした状態で、ストックで支えながら歩いた(35℃ 台)。」

 ※18時30分すぎ。

 「自力下山を考える。しかし、もうすぐ暗くなって道に迷うことも考えられるので、ここで初めてビバークを決意する。・・・翌日早朝からの下山に備えて自分のシュラフとマットに横たわる。」(行動概要)

 ※翌午前3時40分。

 「女性客Bが・・・ビバーク地点から歩き出し、前トム平へ下降する。」(行動概要)


 ※午前5時16分。

  「道警ヘリが前トム平で自力歩行可能な女性客Bと、さらに意識不明の女性客1人(O)を収容する。」(行動概要)
 

低体温症からの生還。発症後の手立ての大事さ

 証言の紹介を終えて、ここからは通常の書き込み形式で、2、3の大事な問題を「中間報告」をもとに書いていきます。

 今回の遭難では18人パーティー(ガイド3人、参加者15人)のうち、10人が生還していますが、このうち少なくとも次の3人は、いったん低体温症の明確な症状が出たものの、助かりました。

 従来は、登山時に低体温症を発症すると、歩行・会話・意識障害などにまで症状が進んだ場合、あるいは自分で体温を上げられない段階にまで症状がすすんだ場合、山では「患者」にたいする積極的な加温の手立てがとれないため、回復はきわめて困難であるというのが、低体温症の怖さとして強調されてきました。

 今回は、この問題について、悪条件のもとでも可能な対応をすすめるなかで、新しい可能性が確認されてきたと思います。


◇女性客H(61歳)
 北沼で発症。第2ビバーク地点で、意識を失う。症状から推定体温は33度。岩陰に運ばれ風をよけ、次いで3人の意識不明の女性の1人として、テントに収容。このとき、ガイドBと男性Dは、3人を保温するように体を寄せ、また、ガスバーナーでテント内部を保温。19時過ぎに意識が戻る。ダウンの防寒具を着、スープなどを飲み、夜を明かし、救出。Hさんは、雨具の下は濡れはなかったと証言している。

 (同じテント内で女性2人が死亡しているが、うち1人はいったん夕方に意識をとりもどしたあと、急変、亡くなっている。)

◇女性客B(55歳)
 北沼の出発時点で、意識朦朧、よろよろと歩く(35度以下)。南沼でつまづき、我に返る。トムラウシ公園上部の岩のたもとでビバーク。このとき風は弱まりだし、雨があがっていた。マットレスを敷き、シュラフに入って、そのまま3時過ぎまで眠らず過ごす。自力で1時間下山し、救助ヘリに発見される。本人はどこで着用したか覚えていないが、雨具の下にフリースを着用していた。また、ガイドCと同じく、チョコを行動食として食べてきた。

 「自力判断でビバークした参加者は、この1名だけである」(医師の調査報告)

◇ガイドC(38歳)
 3人の中ではもっとも症状が重く、翌日昼前、意識をなくした状態で救出(前項に詳述)。自力生還ではないが、テント、ツェルトなしで一晩倒れたままで生存。体温は推定で33度かそれ以下まで低下。服装等に保温性があった可能性。また、倒れる前にチョコなどの行動食をとっていた。

 以上の内容から、低体温症の典型的な兆候、自覚症状などが出た場合も、リーダーがただちに、風よけのできる場所への退避、ビバーク、そのためのテント、ツエルトの用意とガスバーナーによる保温対策、重ね着の実施、温かい飲み物、など、可能な手立てを尽くすことが、一定程度の効果を発揮することが確かめらるように思います。

 この点で、中間報告が、症状が出る危険がある場合に、そのまま体温保持(熱産生維持)のために、緩やかに行動を続けるという対応が適切でない場合があることを指摘しているのは、とても大事だと思います。

 今度のような特別の悪条件下では、行動することで生まれる熱量よりも、体から奪われる熱量の方が、上回っている人が多かった。(着衣、食事内容、運動能力等により個人差あり。) そのような場合は、適切な場所でビバークし、保温・加温とカロリー補給に努めることが大事だということです。

 発症するメンバーが出たら、なおさらただちに、ということです。

 実際上は、突然の意識・運動障害、判断力の喪失を想定して、この対応は早めにすすめることが大事になります。

 同時に、何よりも登山者本人が、低体温症を想定した非常時の対策、保温性のある下着、重ね着の用意と着用をおこなうことが、重要だと思います。晴天・好条件用とは厳密に区別して。加えてツエルトの用意も。

 そして非常時にこそ、非常食・行動食の用意と行動中の摂取が決定的であることも、確認できるように思います。 あえて言えば、非常食は山で飢えないためだけにあるのではなく、非常事態で行動を支える用意として、備えるだけでなく、積極的に食べるためのものである、ということでしょうか。

 それにしても、Hさんは前日も体調不良(高山病)から吐いてばかりで、2日間十分な食事をとれていなかったのに、ここまで回復できたのは、周囲の救護の力の大事さを示しているように思います。


貧弱な食糧計画では低体温症を予防できない

 今回の「中間報告」は、驚きと発見が幾つもあり、登山者の1人として学ぶことが多いものでした。

 その1つに登山時の食事の問題がありました。

 本州の、施設が整った山小屋を使う登山の場合、ツアー登山も山小屋の、ある意味では多面的な保護の恩恵を受けます。食事では、北アや八ツでは、途中の山小屋で昼食やおやつを食べることもできます。

 ところがトムラウシ山の縦走の場合は、無人の避難小屋を使ったとしても、大きな制約があります。今回も、濡れたソックスや雨具は乾かないし、就寝中も風雨の吹き込みでシュラフが濡れたりする。何かほしいと思えば、その分、自助努力がいるし、総じて必要な装備は増えることになります。

 そのしわ寄せのなかで、非常時の服装や装備を、携行できない、という参加者もいました。

 そして、しわ寄せが、もう一つ及んだ分野が、食事だったということを、私は、中間報告の「運動生理学的見地から」の調査と考察を読んで、認識させられました。

 ツアー登山の場合、個人がそれぞれ参加するため、報告にあるようにアルファ米とレトルト食品のおかず(カレーなど)のように、かなり簡素な食事が続きます。

 またコンロも個人ではもたないことが、普通のようです。(第二ビバーク地点で使用できたコンロは、南沼の他人のデポ品でした。)

 コンロはシェルパ役の場所取りガイドが共同利用で用意しています。そして、ガイドが沸かしてくれたお湯を、参加者に配るという方式で、各自の食事の準備が進められます。

 自前のコンロなしの条件では、メニューが制限されます。

 また、濡れたものは乾かせません。初めて知る実情でした。

 私のこれまでの山の経験では、幕営などの際の食事はもっとも楽しく、好きな素材やメニューを用意しておなかいっぱい食べることに集中する、そういうイメージがありました。そこではコンロは大活躍します。家族の山行でも、同じ。食糧計画は、共同の準備と調理がその食事の基本条件になっています。

 施設が完備した山小屋を使えない山域に入る場合、ツアー登山では個々人が自分の体力と相談しながら、食事を制限するということが、起こっていたことになります。少なくとも、今回の会社の体制ではそうでした。

 この我慢と制限は、ツアー会社が参加者に示した荷物の目安にも、現れていました。パンフレットでは「山行に支障を来たさない範囲で背負える最大荷重の目安」として、女性の場合、「50歳では12キログラム、60歳では8キログラム」と、ほとんど非現実的な数値(日帰り登山並み!)を基準に示しています。

 これは、お手軽登山ツアーのお誘い以外の何物でもありません。

 しかし、3日間40キロの無人の行程を行く大雪山の縦走は、このような装備と食糧の携行で対応できるものではありませんでした。

 実際に参加者の食事はどうだったのか?
 中間報告によると、3日間のこのツアーの食事は次のようなものでした。

 「生還者が食べていた内容を大まかに言うと、朝食としては、インスタント・ラーメン、アルファ米(前夜の残りの半分という人もいた)、スープなどの回答が多かった。行動食については、カロリーメイト、ソイジョイ、ゼリー飲料、バナナ、チョコレート、アメなどを食べていた。また夕食では、アルファ米とカレー、調理済みのアルファ米(半分だけ食べるという人もいた)、スープ、野菜といった内容だった。

 これらのエネルギーの総和は、多めに見積もったとしても1000kcal台の前半から後半にしかならず2000kcalを超えている人はほとんどいないように思われた。」

 この考察の筆者は、本来必要な参加者の1日の必要カロリーは、女性で2500キロカロリー弱、男性で3500キロカロリー弱だったと算出しています。しかもこれは、気象条件が理想的に良い場合です。

 これに事故があった日のような低温、風雨のなかでは、必要カロリーは「この値の数割増し」と算出しています。

 つまり参加者のカロリーは、必要量から見て、「摂取量が大幅に少なかった」と書いています。前日の雨中の行動と含めて、半分のカロリー程度しかとれていません。

 熱源的に、カスカスの状態を続けて、低温・強風・雨の稜線にとりついていたことになります。

 「中間報告」のこの考察では、今回のように「風に逆らって歩く場合には莫大なエネルギーを使い、疲労を早める」と、述べています。

 そして、「今回の低体温症の発症が非常に急激だったことを考えると、寒さや風といった気象要因だけではなく、その前段階として、体力の非常な消耗が関係していた可能性がある。」としています。

 低体温症に抵抗するための熱の産生が、1)激しい行動でカロリーが早い段階で失われただけでなく、2)粗食3日目という条件で早々と補給源が尽きてしまった(個人差あり)という考察です。こうした場合、筋肉のたんぱく質を分解してカロリー源とする防御反応も、起こりうるという指摘も記述されています。

 関連は不明ですが、医師の報告では、精密な検査が行われたガイドCの場合、代謝面や、肝臓の異変を示唆する可能性をはらむ、幾つもの異常な数値が検知されています。

 多くの登山者は自己防衛的に、本能的にも、食事の量とともに、行動中のカロリー補給には気をつけています。

 しかし、低体温症という課題に向き合う形で、食事の面からのフォローを改めて見直す必要を感じさせられました。前コメントで書いた、非常食をこういう場合に積極的に食べることも、その1つです。


「中間報告書」への私の注文

 この遭難事故調査特別委員会の座長のS氏は、私も一度、少人数で食事をする機会があった方です。山へ入る修行僧を思わせる風貌をもつ、一本気な方という印象を持ちました。

 座長としての巻頭の文言では、今回の「中間報告書」は、登山者の目線で事故原因を明らかにする、という立場からまとめあげたと述べられています。私もこの位置づけには、賛成できますし、調査と考察の内容はその目的に応えるものがあると感じます。

 登山の愛好者と岳人のなかに、この「報告書」の中身が広く認識され、討論・交流されることが大事になると思います。

 私のここでの一連のコメントも、そういう趣旨でおこなってきたものでした。

 その立場から、最後に、「中間報告書」について、私の意見を述べることにします。


1、低体温症の脅威と対応を登山界全体が認識できる体系的な構成に。

 最初の私の書き込みにあるように、この「中間報告書」の一番の特徴、日本の登山・遭難の歴史のなかでの新しい特徴は、大量遭難の直接の死因を「低体温症」ととらえ、そこにいたった経過と原因を多くの生還者の証言をもとに多角的にとらえて教訓化しようとしていることにあります。

 調査に参加した複数の専門家の記述も、大量の犠牲者を出した直接の原因は低体温症だったことを的確に規定しています。パーティーが生死の際で直面したのは、まさに低体温症との戦いでした。

 ところが、この「中間報告書」を第一報したマスコミ報道は、「ガイドの力量不足、判断ミス」に焦点を置いた内容になっていました。ここには、書いた記者の認識の段階も反映していると思います。

 しかし、「中間報告書」の構成を見ると、全体を通して読み解けば低体温症の問題がくっきりするものの、たとえば事故にいたった原因の総括的な考察は、総ざらい的に問題を列挙するものになっています。先入見なしに、末尾までしっかり読みこまないと、何が起こったのかが体系的につかみにくい構成になっていることも、関係しているように思えます。

 この大量遭難は、8人の犠牲者が滑落や落雷で亡くなられた事故ではありません。ヒグマに襲われたわけでも、沢の鉄砲水に呑み込まれたわけでもありません。
 パーティー自身は「無自覚」だったけれど、彼らを襲ったのは報告書が指摘するように、低体温症でした。個々人の経験と技量、ガイドの力量はまさにその点で問われました。

 そして、低体温症の危険を予測し、予防し、出発前と行動開始後、さらに発症後のあらゆる局面でこれと闘いぬくためには、従来の登山者の認識の水準を超えるような、総合的な判断、認識が問われた事件でした。生死を分けた勘所も、気象、運動生理学、装備と食事、救護の在り方など、多面的に検討されるべきものだったことは、中間報告書が示す通りです。

 私が今回の事故でもっとも大事だと思ったのは、18人の全員が、低体温症に無警戒だっただけでなく、言葉として低体温症を現場で頭に思い浮かべた人もガイド1人だけで、かつその認識も現場の進行と対応させて考えるにいたらない、おぼろげな水準のものだったことです。

 現場では、3日間の全行程を通して、何より、症状が出てからさえも、「低体温症」という言葉そのものが、ガイドと参加者の誰からも発せられることはありませんでした。

 参加者には30年、50年という登山の経験者もいました。それだけの登山者が集まってもなお、低体温症は現実の脅威として現場で認識されることはなかったのです。介護を続けながら「摩訶不思議な出来事」と最後まで思っていたというベテランの参加者の証言が示すとおりです。

 これは、例えて言えば岩場に取り付いている登山者が、何が危険か、どう安全確保するか、予測も認識もしなかったようなものです。これでは、ガイドも参加者も対応・備え・回避のしようがありません。
 
 不幸なことに、低体温症は、人の判断力、行動力そのものを突然、奪うものでした。リーダーガイドが「力量不足」の焦点に立たされていますが、彼のパーティーを襲ったものが低体温症でなければ、彼は長年の経験と判断とを生かして、事に対処していた可能性もあります。低体温症の認識がなかったからこそ、ガイドと登山者側の対応も後手に、あるいはなすすべもないところに、追い込まれた可能性が強くあります。

 今回の大量遭難事故の最大の問題がここにあります。

 (関連して言えば、私が遭難直後のツリーで書いていたことですが、北沼の渡渉も、低体温症との関係でより力点をおいてほしいことです。雪渓に半ば埋まった北沼の水温はほぼ零度です。急激な発症者が直後に複数出たのは、この水に漬かったことと深い関連があります。そのうえ1時間、待機させられ、発症が拡大した。低体温症への無警戒の顕著な現われと思います。北沼は現場の判断の最終関門でした。「もう引き返せない」という証言の通りです。)

 そうした問題であることが把握しやすい構成、原因論の論じ方になっていれば、記者のみなさんもああいう記事の中身にはならなかったでしょうし、何よりも多くの登山者にとって、これは新しい、深刻な問題が提起されていることが、受けとめられることにもなります。

 私は、今度の遭難の最大の問題は、日本の登山界でその程度にしか低体温症の怖さが認識されてこなかったこと、そのことにあると思っています。そこを広く指摘し、その問題を根幹にすえて、体系だった報告書、とくに原因究明をすすめることが、事故報告書として大事ではないかと考えます。

 それこそが、広く登山者の目線で原因と教訓を明らかにする方向ではないかと思います。

2、ガイドの水準、認識を向上させ、ガイドが参加者の命にかかわる問題で的確な判断を保障しうる制度の提案。

 2つめの問題は、いま述べたことを本当に実行するには、解決策として何がかなめか、ということです。

 報道のようにガイドの力量不足がかなめだというならば、個々のツアー会社と個々のガイドの今後の努力に委ねるという策が基本になってしまいます。
 そのことで、解決がなしうるのでしょうか?

 パーティーがあの気象条件とパーティーの構成で、足の揃った静岡のパーティーでさえ夜7時半にようやく十勝側に下山できたような行程に出発せざるを得なかったのは、行くしか選択肢がない立場にあったからでした。

 麓の温泉は予約済み、バスも待っている、飛行機の便も団体で予約済み、当日は同社の別のパーティーが避難小屋に入ってくる、もしかしたら、下山後はすぐ次のガイド番にふりあてられていたのかもしれません。

 そして、3人のガイドの構成そのものが、ルートの未経験者が2人もいる、非力なものでした。中間報告書がいうように、ガイドの構成、予備日なし、出発の判断も自分の裁量が限られる、そういう条件で、この登山は始まったのです。

 小屋にサポート役と、テントとガスコンロを、その日に入れ替わりでやってくるパーティーのために残しておくという、無防備な体制でです。

 制度としては、ガイドが会社とは独立に安全最優先の判断をおこないうる、そうした体制・制度に改善されることが第一の問題です。それでこそ、ガイドの力量は発揮されます。

 そして、その制度化と併せて、ガイドの力量の向上が必要です。

 人の命を預かるのですから、会社から独立した立場でこうしたツアーに、専門的なガイドを配置することを義務付け、ガイドの判断によってその地位や生活が脅かされない立場を保障する。

 そのうえで、ガイドが行った判断には、ガイドは会社とともに、全面的なそれぞれ独自の責任を負う。もちろんガイドは、接客役とは区別して、有資格者でなければなりません。ガイド協会が雇用形態の面で、会社側と専門ガイドとの間を仲立ちする仕組みづくりも一案と思います。

 こうした制度が創設されないかぎり、コスト優先のガイド配置とツアーの運営が手つかずになり、事故はこれまで通り、繰り返されることになると思います。
 ガイドの力量・判断の問題は、いまに始まったことではなく、長年の野放しの結果、今があるということが大事と思います。
 

RE: 「山渓」3月号掲載の証言

 「山と渓谷」2010年3月号で、3たび、トムラウシ遭難事故の特集をおこなっており、そのなかで、ツアーに参加した方の新しい証言を載せています。

 経過の全体は、ここまでの「報告書」の分析で書いてきた通りです。

 今回の証言で新しくわかったことは、最初に行動に支障をきたす参加者が出たのは、ロックガーデンではなくて、ヒサゴ沼から縦走路に上がる雪渓、また縦走路に出てすぐの地点だったことです。2人が介助されなければ歩けなくなった。

 北沼までかなり長い時間がかかった理由は、すでにこの段階で、行動が困難な参加者が出たためだったことになります。

 先の行程の長さ、気象条件を考慮すれば、そのまま北沼へと進んだ「判断」が問題ですが、ガイドの間にはこの状況でも、相談・検討はなかったと、レポートされています。

 先への行動に駆り立てたものは、なんだったのか。ガイドをふくこの会社の状況が背景にあるとしか思えません。
https://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-5521


6. 中川隆[-7604] koaQ7Jey 2017年6月04日 16:44:35 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2009年07月27日
低体温症の対策 予防的なウエア、装備
https://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-3787



 今回(2009年7月16日)のトムラウシ山、美瑛岳の10人の死亡事故は、低体温症の怖さ、また、それが多くの登山者に知られていない現実を、まざまざと示しました。

 登山を続けてきた1人として、私が大事にしたいと思っているのは、自分、友人、そして多くの登山者の遭難や失敗の経験から、しっかり学ぶということです。今度の事故は、個人的にはもちろんですが、山登りをする多くの人に、衝撃的な印象を残しました。(私の日記・プロフィールへのこの9日間のアクセスは2800人に達しました。)

 その点で残念なことは、私はこの件の最初の「日記・ブログ」から書いてきたことですが、最近はマスコミ関係者に登山の経験が十分な記者がめっきり減ったため、原因にかかわる具体的な調査・取材がまだ不十分なことです。

 以前(1980年代ころまで)であれば、当時はまだ「疲労凍死」という原因が不十分な把握ではありましたが、生存者・死亡者のとくに服装を詳しく調べ、報道する記事がありました。とくに生死が分かれる遭難では「疲労凍死」の原因の一番のポイントとして、下着の問題が浮き彫りになりました。

 つまり「疲労凍死」は原因ではなく結果の外見的な状態であり、体温を奪われることによる低体温症こそ、生死を分けた直接の原因であることが明確になってきたわけでした。

 今回は、低体温症が直接の原因であることが早い段階から問題にされてきたにもかかわらず、ウエアを徹底的に調べた記事がありません。この件での報道は断片的で、なにより全体像がわかる比較検討の視点がありません。

 ある死亡者の下着が濡れていたことを伝えた記事はありました。しかし、肝心のその素材は示されていないし、遭難報道で大事になポイントである全数調査、その点での生存者と死亡者の比較もありません。おそらく、実物を見せられても素材に思いが及ばない登山経験での取材になっているのではと思います。

 とくに下着は、濡れた部位も今回は問題です。北沼があふれた沢渡渉がありましたし、下半身だけが濡れたのか、雨で袖口や首周りが濡れたのか、全体にわたって濡れたのか、その部位と個々人の雨具の関係など、どれも今後に生かす大事な注目点です。現行のゴアテックス雨具は、強い風雨にたいする性能そのものの見直し問題や、盲点もあるかもしれません。

 その雨具も、素材(材質)、雨天用か、冬の着用も考慮したウエアかなど、きちんと調べて比較した報道はありません。軽装というが、実態が不明。

 帽子と手袋も大事ですが、帽子の防水性や保温性にも全数調査的な報道はありません。

 山岳雑誌等の今後の報道、また自分でも山に登る記者の今後の報道に期待しているところです。
 
 低体温症に備える服装・装備は、特別なものではないと思います。

 登山用品店では、夏場は「通気性」や「汗抜け」をメインに宣伝してきます。

 ポイントはこれと区別して、下着などに非常用を用意し、状況に応じて着分けすることだと思います。

 一方、山行中ずっと着るズボンとシャツは、天候や目的地に応じて選び、必要な場合は通気性より保温を考えた用意をします。

 大雪・十勝連峰の夏は、北アなどの6月、9月など(盛夏を除く)の時期を想定した雨天・防寒対策で対応可能と思ってきました。現に北海道の登山者は、見かけ上、本州の登山者とあまり変わらない服装で登っています。晴天ではなおさらです。大事なのは、悪天候時の備えです。

 まず雨具は、撥水機能が落ちていないゴアテックス素材等の防水透湿のもの(構造はラミネートされた布地のシングル縫製)が、この時期は普通に使われています。

 問題は、寒いときにはこれだけでは不十分であり、アンダーウエアなどの対応がいることを、知って使うことがポイントと思います。

 服装では、これも本州の対策と基本的に共通で、加えて非常用がいります。風雨の稜線をどうしても歩かねばならないとき、あるいは幕営などの朝晩の冷え込み対策に、薄手のポリプロピレン、あるいはアクリル素材の上下肌着(登山用品店にある冬用下着の薄手タイプ)を状況に応じて着用し、その上に寒いときは夏用の下着(素材はポリエステルが多く保温性が弱い、綿が入った素材は危険)、山シャツ、山ズボンを着用します。

 この種の薄地の冬用肌着はとても小さくたため、軽量。非常用にじゃまになりません。断熱性が高く、濡れても体温を保持してくれ、濡れても乾きやすい。厚地のものは、夏は使えません。

 本州の山ではこの薄地の冬用下着の用意があれば、夏は朝晩のフリースはいらないくらいです。フリースは、北海道では雨具を暖かく着る(ゴアテックスでも中が濡れ、寒い場合)ため、薄手でもあった方がいいと思います。

 頭部は、帽子か頭をタオルで包むようにすると、雨具からの冷えこみから頭部を守れます。

 うちのカミさんは防水性のある帽子と、手袋をセットで使っています。

 スパッツは、夏のロングスパッツは、私はどうしても抵抗があり、過剰装備と思ってきました。あれは雪山用です。百名山ブーム以後に登山を始めた方が、なぜか夏の暑い時期にも、そして雪がまったくない山でも、使うようになりました。それまでは夏は持って行っても、短スパッツでした。

ロングスパッツは、山靴の7割ほどを覆い、靴の通気性を著しく阻害します。昔は登山靴の防水性が悪い時代があり、残雪や雪山でそれを補う目的もあって、スパッツは使われたのです。通気性を悪くすれば、夏場は足の皮膚をふやけさせるし、豆の原因にもなるでしょう。

ただ、今回の風雨と沢渡渉を見ると、枝沢を越えるたり、沢沿いルートの場合、短スパッツは携行したいと思いました。条件によって適切に適時に使用することで、足首からの濡れや風を遮断できます。

 次に、非常用の装備。稜線に小屋が連なる山でなければ、以下の用意がいります。

 パーティー人数分を収容するツエルト、テント等は必須。

私の友人は、ツエルトと別に、ホームセンターで特大のポリ袋(透明で長さ120センチほど)を求めて、1枚常時携行しています。ツエルトやポリ袋は、体をつつんで荷造りベルトで固定して、風除けの行動にも使うそうです。

ツエルトは、信じられないくらい小さな1人用もあり、日帰りでも低山でも持ち運ぶのをクセにしてしまうといいと思います。私は2人用をいつも携行しています。

 それから、ガイド役の場合は、行き先に応じて、携行用の手もみカイロをもって行くと、非常時にもっとも有効に脇の下から保温することができますね。脇の保温は、行動不能におちいりだしたメンバーをツエルトに収容して保温する方法としてもっとも有効です。個人山行ではカイロまではちょっとできません。

 いろいろ書きましたが、一番大事なことはこうした用意や装備の選定を通じての、低体温症にたいする警戒心だと思います。

 (写真左は9月下旬のトムラウシ、右は8月の熊野岳)

(今回の遭難についてのニュース、検討は引き続き下記に追加の記述をしています。)
http://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-3691

トムラウシ山遭難。山岳ガイド協の中間報告にみる「低体温症」の実際
http://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-5521


2009/7/29
RE: 低体温症の対策) 下着、具体的事例

 具体的には、どのメーカーのどの商品? ということに、次になるわけですが、私は1つに絞って宣伝する立場にないのですが、しかし、山の装備は商品の経験を交流するのは普通のことなので、控えめな範囲で。

 夏用(3シーズン)の、非常用防寒下着は、ヘリーハンセンのこれを使っています。
http://goldwinwebstore.jp/shop/ProductDetail.aspx?sku=HY98807_N_L&CD=S0900515&WKCD=S0900508-S0900509

 ポロプロピレン(ポリ塩化ビニル)100%。購入は4年前でロングセラーもの。冬用の4分の1くらいの厚さしかなく、肌ざわりはドライです。通気性があり、真夏のアプローチなどでは死ぬほど暑いですが、稜線に出ればずっと着用可能。沢遡行や、真冬の低山でも使えます。

 ICIとかゴールドウィンで以前、白いやや厚めのTシャツタイプを同素材で出していて、これも家族用に2着ありますが、これは夏には暑い。肌あたりもちくちくします。完全に非常用。それにくらべ、ヘリーハンセンのは着やすい。

 タイツ(やはり超薄手)は、以前にノースフェイスが出していた同素材のグレーのものを、家族で2着、3シーズンに使っています。これも、履き心地が良いです。
 形は、下記に似てます。これも同素材。
http://goldwinwebstore.jp/shop/ProductDetail.aspx?sku=HY93807_N_L&CD=S0900515&WKCD=S0900508-S0900509

 カミさんは、タイツは下記と同じアクリル素材のもの(メーカーは別)を使っています。
http://www.greenlife.co.jp/item/under/mush-nukuitaitu-w.html

 これらはいずれも、とても小さく収納できるのがミソで、その分、フリースなどを薄地にできます。

 それから、ポリプロピレンは吸水性がゼロなので、すぐ乾くし、気温がほどほどなら絞って、ついで振り回し脱水をして、そのまま着ることができることです。

 大事なことは、汗抜け、通気性をうたった夏用素材には、化学繊維という点は同じでも、断熱性・保温性にひどく劣るもの、保温とは逆の目的をもたせたものが多いことです。

 中には、綿を混紡しているものもあります。

 店によっては、区別が甘い場合や、そもそも夏の薄地の保温用は念頭にない場合もありえますので、素材をしっかり把握して入手するのが大切と思います。

 そして、機能を良くおさえて、現場でそれぞれ着分けするのが大事と思います。

 本格的な純冬用の下着は厚手ですので、店でふれればわかります。あれは、寒い山でしか使えません。羊毛を使った製品(メリノ・ウールなど)も、冬ないし秋・春はいいですが、夏にもつかうのは条件が限られそうです。他にないときに何かの用意にはいいですね。

 夏や3シーズンに薄地の保温下着を現場で着分けする場合も、天候や条件を考えて、意識的に使うことになります。先日の南アではテントを張って夕刻を待って、着替え、翌日もそのままテントに下山するまで使いました。その分、フリースはカット。

 使用頻度でいうと、夏は非常用ですが、風や雨の稜線では力を発揮します。春・秋は常用になります。

 ネット上では、山用の保温下着として、ユニクロのヒートテックが注目されていますね。

「素材アクリル39%・ポリエステル33%・レーヨン20%・ポリウレタン8%」
 素材的にはいいですし、このなかでポリウレタンは伸縮性があり、断熱性が高い。

 問題は、登山用ではないので、山で汗をかく場合のドライ性能でしょうか。ヘリーハンセンのものは、ある程度快適です。

 ヒートテックも着やすければ、目的地に応じてこの季節に使えるかもしれません。

 なお、下着のことではないですが、今回の生存者のなかに雨具の下に軽羽毛服を着用した方がいたことから、テレビなどでこの角度の報道もされています。ちょっと違うんじゃないかなと思います。マスコミのみなさんには、今回の件についても、ウエア問題にしてももっと全貌をとりあげ、比較検討する態度がほしいと思います。ダウンジャケットは、みな持って北海道へ行くわけじゃないし、地元の定番でもない。吸水性もきわめて大きく、大雨のもとで着用するのは、是非論が出ると思います。うわっつらを見ずにこの方の服装全体をきちんと取材してほしいと思います。

 「下着は化繊なら大丈夫」という取り上げ方もネットに出回っていますが、こういう状況でいいのかと思います。

(低体温症についての関心ですが、この日記もさっそくGoogleで40位台に掲示されました。今回の遭難は痛苦な出来事でしたが、登山者の多くが強い関心をもち、情報を求めていることは大事なことだと感じています。)
 


RE: 登山家の野口さんが

 今日(8月3日)、夕方にカミさんいわく。

 「登山家の野口さんが、今日見た美容室の女性週刊誌に書いていたよ。みんな上着やジャケットのことばかり言ってるし、登山者もそこだけ気を配るけど、ほんとに生死を分けるのは下着もなんだって。
 ユニクロにだっていい下着があるって。」

 おお、さすが! と思いました。
 なんて週刊誌なのか? 誰か読まれた方はいませんか?

 それにしても、ちゃんとした記事が出ない。
 山の店も、新聞も、なかなか正確な情報が提供できない時代になりました。
 今度の事故は、あまり期間をおかずに、また同類のケースで繰り返すのではないか、と危惧してます。
https://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-3787


7. 中川隆[-7614] koaQ7Jey 2017年6月05日 06:50:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

トムラウシ山遭難事故を起こしたアミューズトラベル株式会社
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%99%E3%83%AB


本社所在地
東京都千代田区神田駿河台2丁目8

設立1991年10月30日

事業内容 旅行業

資本金 5,000万円

従業員数 50名

旅行業登録番号(観光庁長官登録旅行業第1366号)

アミューズトラベル株式会社は、日本の元旅行会社である。本社は東京都千代田区にある。

1991年10月30日に福岡市博多区で設立され、主として登山やトレッキングを行うための旅行を企画していた第1種旅行業者であった。

大阪・名古屋・福岡・仙台・広島に支社や支店や営業所を構えていた。

登山に関する会や冒険のクラブを作るというやりかたで顧客を増やしたが、平成21年7月に同社が主催したトムラウシ山でのツアーでトムラウシ山遭難事故が起き、その後は売上げが縮小し、またその後、2012年11月に起こした遭難事故(後述)により同年12月、旅行業の取り消し処分を受けた。

トムラウシ山遭難事故

2009年7月、同社が主催した大雪山系を縦走する企画旅行において、トムラウシ山で悪天候により遭難し、ツアー参加者7人とガイド1人が低体温症により死亡する事故が発生した。

その後、トムラウシ山遭難事故を引き起こしたことに対する行政指導で51日間の営業停止処分になっていた期間中に、新規顧客10人と新たに契約してツアーに参加させていたとして厳重注意を受けた。

万里の長城遭難事故

2012年11月3日、同社が主催した万里の長城付近の山を巡るツアーにおいて、大雪のため5人が遭難し日本人客3人が低体温症で死亡(凍死)する事故が発生した。

会社として現地の確認をしておらず、現地のガイドにまかせっぱなしにしてろくに確認もしていなかった、と釈明したという。

また、このツアーは

入社1年目の新入社員に企画から任せていたこと、

現地の提携会社に一任し会社自身で現地の下見を行わなかったこと、

山間部に入るにもかかわらず添乗員に衛星電話を持たせず普通の携帯電話だけ持たせ、その電話での毎日の連絡を怠り、電話をかけたときにはその携帯電話はすでに圏外になっておりツアーグループ全体と連絡のとれない状態になっていたこと、

同社ではこのように社員に現地下見をさせずに催行しているツアーが全体の1割から2割に達すること

などが明らかとなった。


同年12月4日、同社は観光庁に対して、12月20日付で事業を廃止し旅行代理店業務から撤退する意向だといった内容の電子メールを送ったが、そうした同社側の動きに対して、観光庁のほうは同社の登録取消の手続に入り、18日に聴聞を行った上で(同社が廃業しようとしていた20日以前の)19日付で旅行業登録を取り消す処分を下した。

旅行業登録の取り消し処分を受けたことで、同社及び社長と役員は、5年間旅行業の再登録が出来なくなった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%99%E3%83%AB


8. 中川隆[-7594] koaQ7Jey 2017年6月07日 09:40:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

(21.7.20) トムラウシは魔性の山
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/21720-6bf2.html


http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/07/20/image0_3.jpg
 (一番奥のとんがった山がトムラウシ山)


 大雪山系で、私と同年齢の60歳代の人を中心とする10名に及ぶ大量遭難死亡事故については、驚きと共にそうしたことがあって不思議がないという気持ちを強くした。

 実は私自身も今回遭難者9名を出したトムラウシ山(他の1名の遭難者は美瑛岳)で同様の経験をしているからである。

私が同僚のタムさんと大雪山系の縦走をしたのは2000年の夏だから気象条件的にはまったく同じ頃といえる。

 今回8名の遭難者を出したパーティーとはちょうど反対のルートをたどって美瑛岳からトムラウシ山の稜線南沼キャンプ指定地でキャンプを張った。

南沼はとても水のきれいな直径70〜80m程度の沼で、二人で沼に入って身体を洗ったり泳いだものである。

 その日は快晴でこうして沼で泳ぐことができたのに、翌日の早朝から天候は大荒れになってしまった。横殴りの雨がテントに吹きつけ、雨で視界がさえぎられわれわれ二人は風の音がするたびにテントを押さえなければならなかったほどだ。

 とても歩けるような状態でなく、今回の遭難者の話しにあるような、気温10度程度、風速20m以上、体感温度マイナス5度以下という状況だった。
「こりゃ、動くのは無理だ。ここで天候の回復を待とう」

 私たちは動くことを断念し、ここに逗留することにしたのだが翌日も暴風雨は収まらず、2日間テントの中で寝ていた。さすがに3日目になるとあせってきた。

「これ以上いても、天候は回復しない。思い切って動こう」

 暴風雨のなかでテントをたたみ、タムさんは時間の関係でトムラウシ山からトムラウシ温泉に下山し、私は大雪山系の主峰旭岳にむかって縦走を開始した。
ちょうど今回遭難した8名と反対方向に動き始めたことになる。

 このとき私は大変不思議な経験をしている。暴風雨が荒れ狂っていたのはトムラウシ周辺だけであり、トムラウシを離れるに従って信じられないほど風雨が収まったのである。

トムラウシ山を見上げるとそこだけが雲がかかり、雲が恐ろしいスピードで流れていた。

「なんだ、荒れていたのはトムラウシだけか・・・・」

今回遭難者が泊まっていたヒサゴ沼分岐あたりまで来ると、風はかなり弱まっていたのを覚えている。

地図
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/07/19/image01_2.jpg

  今回の集団登山の遭難者18名(うち8名死亡)はトムラウシから2時間程度の距離にあるヒサゴ沼避難小屋からトムラウシに向かって出発したのだが、客観的には無謀だったとしかいいようがない。

ヒサゴ沼周辺の気象条件より、トムラウシ山周辺の気象条件は比較にならないほど厳しく、嵐に向かって進んで行ったようなものだ。

 アイヌ語で「花の多い山」という意味のトムラウシは、一方で魔性の山といってよく、一旦荒れ始めると手がつけられない。

私たちはまったく動くことができず停滞し、2日間寝ていたため体力的には温存されていたが、私はトムラウシの下降路のロックガーデンでは岩にへばりつきながら歩いていた。

そうしないと身体が飛ばされそうだったからだが、持っていたマットがリュックから外れて1秒程度の間に30m程度飛ばされたのには驚いた。

 しかしトムラウシ山を離れるに従って風も雨も穏やかになる。今回の遭難者は私とは反対にその魔性の山が牙を剥いているトムラウシに向かって行動したのだから遭難するのは当然だ。

 実際はヒサゴ沼からの避難路は化雲岳から天人峡温泉に降りるルートか、トムラウシ山を経由してトムラウシ温泉に降りるルートしかない。どちらも同じくらいの時間がかかるが、今回のパーティーはおそらくトムラウシ温泉に宿の手配がしてあったために無理をしたのだと思う。

 トムラウシ山は魔性の山だ。普段はとてもおとなしいが一旦牙を剥くと手がつけられない。それもトムラウシに近づけば近づくほど牙を剥く。
そうしたことを今回のツアーを企画したガイドが知らなかったか、知っていても計画上無理をしたのか分からないが、いずれにしてもトムラウシ山を侮ったことだけは確かだ。 

 

 

コメント


私もこの山で危険な領域に踏み込みつつあったとブログを読み気付きました。
2002年7月8日は雨でした。トムラウシ温泉よりスタート。登山口の駐車場には数台の車です。

当時は沢沿いのコースで10回程渡河します。増水により飛び石は水の中でくるぶし位の深さでした。

流れも速くダブルストックのおかげで沢に落ちるのは免れました。
レインウエアの防水の劣化で雨がしみてきて体は冷えてきました。

こまどり沢入り口では水が滝のように流れ落ちています。ここで登るのを断念してUターンです。

風の事は当時全く気にしていませんでした。この2,3日後50代の女性が2人疲労凍死されています。

生死を分ける分岐点がこまどり沢入り口であったと思います。
投稿: jizan | 2009年7月22日 (水) 20時05分
http://yamazakijirou.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/21720-6bf2.html


9. 中川隆[-7593] koaQ7Jey 2017年6月07日 09:54:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

(24.11.7) またか アミューズトラベル 万里の長城周辺で3人の遭難死

 昨日田中真紀子氏を称して「人間にはどうしようもない性(さが)と言うものがある」と記載したが、企業にも同じくこの性(さが)があるようだ。

11月3日から4日にかけて、中国の万里の長城周辺の100kmトレッキングを行っていた日本人パーティー4名とガイド1名、それに添乗員1名の計6名が吹雪の中で遭難し、うち日本人3名が凍死した。

 このトレッキングは「グレート・ウォール100kmトレッキング」と命名されおり、万里の頂上付近のあまりメインでないコースを7日間かけて歩く企画になっていた。

日本の旅行会社アミューズトラベルが企画したもので、この会社は3年前に北海道大雪山系のトムラウシ山で8名の遭難死を出したあの旅行社である。

 たった3年の間に2回も大量の遭難死を出しており、これはこの会社の体質としか言いようがない。

トムラウシの遭難死のあと50日間程度の営業停止になっていたが、その後マニュアルの整備等を行い営業を再開していた。

しかしいくらマニュアルを整備しても体質は何も変っていなかったようだ。

 今回もそしてトムラウシ山のときもそうだったが、こうした企画に参加する人々は資金的に余裕があり、かつ時間的に余裕のある人々に限られるから中高年、はっきり言えば老人が中心になる。

今回遭難死した人の年齢は76歳、68歳、62歳で私と同年輩だ。

 トレッキングは7日間で辺鄙な万里の長城周辺を歩く企画で、一日あたりの歩行距離は20km以下、時間にして5時間から6時間だったと言う。

確かに通常であれば何と言うこともない距離だし、今回参加した人たちは登山やハイキングのベテランだったから気軽に参加したのだろう。

 しかしこの時期天候がどのように急変するか分からない。

トレッキング6日目の3日から4日にかけてこの周辺では52年ぶりという猛吹雪になり平地でも積雪が47cm程度積もっていた。

映像で見る限り遭難場所はかなりの山岳地帯であり、積雪は平地よりはるかに深く風も強かったと思われる。

 ガイドが救援を求めに下山したが、残った5名は簡易テントでビバークして、内3人が凍死をした。生存者は25歳の中国人添乗員と59歳の女性だったから、年齢の高い順に死亡したことになる。

雪の中を歩くのは屈強な若者でも往生するのだから、76歳の老人が動けないのは想像に難くない。

 私はこのアミューズトラベルの企画に基本的な問題点があると思っている。

トムラウシ山のときもそうだったが、無理にスケジュールどおり行動しようとしており、天候の急変の可能性を楽観的に判断している。

注)トムラウシ山のときは手前にエスケープできる道があるにもか変らずトムラウシ山を越えた反対側にある当初予定の宿に向かっていた。


 なぜスケジュールを強行するかと言えば、こうしたツアーは宿の手配とか自動車の手配とかを事前に済ませていて、一旦そのスケジュールが狂うとそのあとの手配に多大な苦労が伴うからだ。

そして思わぬ場所に宿泊することになればツアーの主催者側でその費用を見なければならない。

だから旅行社はガイドや添乗員に「必ずスケジュールどおりツアー客を案内するよう」に強要しており、天候に少々懸念があっても無理に登山やトレッキングを決行する。

 もしメンバーが20歳前後の若者であればこうした無理をしても自力でいかようにも生還できるが、実際は老人ばかりだ。老人は体力差が大きく、又昨年は元気であっても今年も元気である保障はない。

 
 薄い利幅の旅行社が無理を承知でスケジュールどおりのトレッキングや登山をさせて、老人を遭難死させている構図で、これがこのアミューズトラベルに遭難死が多発する原因だと私は思っている。
http://yamazakijirounew.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-dc84.html


10. 中川隆[-7606] koaQ7Jey 2017年6月07日 14:44:04 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

カロリー収支の角度から装備と行動食を見る
https://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-35253

 低体温症は、究極のところ、カロリー収支の結果が、事態をおおもとから左右することになります。

 カロリーの「収入」の方は、食べて行動することによる熱の産生です。
 「引き算」されるのは、外界へ熱が奪われることです。

 体温の限度以下への低下(体幹部で35度未満)は、この熱の出入りと、登山者がその拮抗のレベルをどれだけの時間、耐えて行動し続けられるか、という継続時間の問題も加味されて、左右されてくると考えられます。

 たとえば、たとえ体熱を奪われやすい気象条件で行動し、そのうえ装備の一部に弱点があっても、登山者が対抗できるだけ食べ、また行動による発熱量が、失われるカロリーと同等レベルであれば、行程の長さ如何によっては、 生還が可能です。

 つまり、装備、あるいは天候という1つの角度だけから、○×式には、実際の問題を把握しがたいのが、低体温症の問題です。

 

過去の記録には、気象条件としては低体温症の発症の危険が大きくあるなかで、行動し生還した登山者の、関連するデータも、参考にできるものがあります。

 これらから、「カロリー収支」を定量的につかみことはできませんが、身を守る対応の様子と考え方は、見えてくる問題があるように思います。

 以上のようなアプローチで、ケーススタディとして考えながら、低体温症にどう対応したのかを、考えていきたいと思います。

 なお、設定する問題としては、

「始めから悪天候では行動しなければいい」
「入山しなければいい」

というご意見もあると思います。 これは私も通常は、そう努めたい単純明快な処方です。 でも、これを原則として固めてしまって済ませられないのも登山です。

 登山者は、悪天候の中で、あるいは装備が不足するなかで、生還を期して行動する局面に、ときには立たされます。引き返し覚悟の登山もある。大雨のもと翌日の晴天を確信して目的地に入る登山もある。悪天時には退避する用意をしながら、数日かけて目的を遂げる登山もあります。

 ヤマレコでも、雷雨や吹雪はもちろん、登山道からの転落、雪渓下の沢に転落、道迷いなど、所持してだけの装備と判断とで、予想外の災難に遭遇し、生還したケースが様ざま報告されてきました。とくに積雪期やエリアによっては、不測の怪我などが事態を悪化させる場合があります。
 なんでもない、一般ルートであっても。

 そのときに、用意した装備や食料を活かしながら、低体温症は、用心の大事な対象です。

 山には絶対的な安全圏はないのですから、私も、できるだけ多くの事例から、学んでいこうと思います。

コメント

低体温症に限らすカロリー収支の考査。

小生・登山はもちろんですが、冬季になるとハーフ・フルマラソン(時に駅伝等)を中心にやっておる市民ランナーでもあります。

行動規範のパターンこそ違うなれど、やはりランニングのレースの時にもこのカロリーコントロールは重要な要素であってその辺の摂取配分を見誤ると、即正直にタイムに影響をきたす事間違いないです。

ここでスレ主の方の言われている消耗カロリーと摂取カロリーのバランスの事を書かれておりました。

内容的には「全くもって」という感触なのですが、問題はその摂取した食料が吸収されてカロリーと変換するのに、若い20代で30分程。
私のような40代のシニア(マラソンの世界では40歳超はシニア部門)
2時間程というタイムラグがあるセオリーがございます。


要するに、そのような理想的カロリー摂取は自分の体にエネルギーとして変換されている状態にのタイムラグを考えて、事前に補っていかないと天候の急変等の憂い目に遭ってから摂取しても間に合わず、また時間経過を追うごとに体力的に吸収能力が衰えて、ますます悪循環に嵌ことになります。

(コレはマラソンレースでも同様。フルマラソンの時スタート5K・10Kの補給が一番重要であって、疲れた30K・35Kで補給しても今度は体が受け付けない。)

詰まりは、今回の場合、小屋でお弁当を受け取った時点で食しておれば結果はあるいは変わったかも知れません。燃焼系や即エネルギー系のアミノ酸粉末等も水と一緒に飲んでいれば尚良かったかも知れません。

どうしても年齢を追うごとに、心肺機能や吸収機能の劣化は避けられない生理的事実と、ココの処の天気図に載らない「上空の寒気団」の存在をマークするという、情報収集も欠かせなくなってきていると思います。

平たく記述するとお腹が減ってから食べては遅く、のどの渇きを感じた時に飲んでも遅いという、事はマラソンのコーチにも良く言われる程です。

RE: 検証 白馬岳低体温症遭難2)カロリー収支の角度から装備と行動食を見る

 私も最近の山行で、行動中の計画的なカロリー補充と給水が、個人の能力を最大限に発揮する為にとても重要であることを実感しました。

 一方で、国際山岳連盟が推奨する十分なカロリーを摂取することは、比較的若い私でもなかなか困難です。たとえ、低山であっても行動が長時間に及ぶとカロリー収支をゼロに持っていくのは難しいでしょう。

 ”いわんや悪天候をや”

 行動食についての情報は不明ですが、二人前の弁当だけでは明らかに不十分でしょう。

 実は低体温でヒヤリとしたことがありますが、比較的早期にカロリー補充と給水を行い歩き続けることで切り抜けました。

 きちんとした装備により体温喪失を少しでも減らすことも大事なのですが、以前よりご指摘の通り、体温を維持するのは骨格筋の運動、そして運動するにはカロリーが必要。また末梢循環を維持するためにも脱水は避けなくてはいけない。これらは全て軽量化とは相反する事ですが、リスク回避の為には避けられないのではないかと考えます。


朝ごはんと昼ごはんの摂取と、行動経過

>問題はその摂取した食料が吸収されてカロリーに変換するのに、若い20代で30分程。
私のような40代のシニア(マラソンの世界では40歳超はシニア部門)
2時間程というタイムラグがある

 食べたばかりの食料は、カロリー変換までにタイムラグがあるということですが、その間は、糖分や脂肪分など体に蓄えてきた分を、順次カロリーに変換しながら運動を維持し、つないで行くと考えればいいのですね。

 しかも、高齢者ほど、この消化・変換は時間がかかる。

 普通の街の生活でも、朝食べても、4、5時間もすれば腹がへる。

 山登りでは、糖分、脂肪分などを行動食として随時、摂っていくことが大事になりますね。


>今回の場合、小屋でお弁当を受け取った時点で食しておれば結果はあるいは変わったかも知れません。燃焼系や即エネルギー系のアミノ酸粉末等も水と一緒に飲んでいれば尚良かったかも知れません。


 今回の天候のもとでは、行動中のカロリー、水分補給は、ほんとに大切だったと思います。


摂取すべき必要カロリーと、水の問題

>国際山岳連盟の推奨するだけのカロリーを摂取することは、比較的若い私でもなかなか困難であると思います。

 トムラウシ遭難の事故調査報告書でも、同じ見地で、この遭難パーティーが摂取すべきだった必要カロリーを、計算しています。

 体重76キロの男性Cさんの場合、3日目にトムラウシ温泉まで 8時間で歩ききるための行動時間(8時間)のエネルギー消費量は、2300〜2700キロカロリー。

 さらに残る16時間の安静時の代謝量が、 1040キロカロリー。

 必要カロリーは、合計3350〜3750キロカロリー程度。

 ところが、実際の食事を調べたところでは、1日分の食事で 1000キロカロリー台の半ばのメンバーが大半で、2000キロカロリーを超えている人はほとんどいないようだ、とのことでした。

 トムラウシのツアー・パーティーは粗食だったことが、小屋の同宿のパーティーにも目撃されていますが、そこまでいかなくとも、必要なカロリー摂取はなかなかたいへんですね。

 おにぎりだと、1個200キロカロリーにしかなりません。

 水分摂取は、寒さを感じている条件では、テルモスに特別の飲み物を用意するなどしないと、体に入りませんね。


RE: 検証 白馬岳低体温症遭難2)カロリー収支の角度から装備と行動食を見る

 expedition(遠征登山)においては1日あたり 4000kcal + 3L の水の摂取を国際山岳連盟は奨めています。これだけのカロリーを歩きながら摂取するには”弁当”スタイルでは無理でしょう。

 私は経験も浅くまだ分からないことだらけではありますが、夏も冬も行動食の一部であるはずの食事を”弁当”スタイルで提供する小屋、受け取る登山者の双方が、”必要な熱源の確保”についてリスクを抱えているのかもしれません。

 条件の厳しい山域にある小屋では、登山者の年齢、性別、体格、予定コースから必要エネルギー量を推計した上で、

 ・そのカロリーに見合うチョコバー
 ・ビタミンやミネラル(+アミノ酸)などのサプリメントのセット

 上記セットを、弁当ではなく 1日分の行動食セットとして提供する、あるいは登山者にアドバイスするといった科学的なアプローチが必要な時代なのかもしれません。小屋番やガイドは登山者の食事量の観察も欠かせないことになります。また、テン泊であれば、日数に応じた必要カロリーを概算して、持ち歩くか現地調達できることがテン泊の条件になります。また、悪天候で停滞することは、エネルギー消費を抑えるという点でも有用です。トムラウシの場合は摂取カロリーの観点からも、停滞することが正しい、ということになりますね。

 大変質の良い食事を提供する山小屋の存在や、ヤマレコでも冬山の夕食で美味しそうな料理をガッツリ食べているレコを散見します。スタイルはどうあれ、”必要なエネルギー源の確保”という点でとても大事なことなのだと認識を新たにしました。


食料と摂取カロリーを検討することの大事さ

>1日あたり4000kcal + 3Lの水の摂取を国際山岳連盟は奨めています。これだけのカロリーを歩きながら摂取するには”弁当”スタイルでは無理でしょう。

 このデータは、海外のより本格的な登山と思われる方もおられると思います。とくに水分については、高度障害の対策が若干加味されている数値ですね。
しかし、トムラウシの遭難報告では、向かい風15m、登り、という条件では、通常の登山のさらに2倍近いカロリー摂取が必要(8時間の行動中の必要カロリーとして)、と検討しています。

 おにぎりに敢えて例えれば、10個ずつを朝、昼とっても、まだ足りない。
 ですから、

>トムラウシの場合は摂取カロリーの観点からも、停滞することが正しい、ということになりますね。

 まさにそうでした。

 しかし、あのパーティーは、あの日やってくる同じツアー会社の後続パーティーのために、避難小屋を空けるしかなかったのです。また、迎えのバスはトムラウシ温泉側へ、すでに回送中。

 ガイドに判断できる裁量は、実質的になかったといえます。


RE: 検証 白馬岳低体温症遭難2)カロリー収支の角度から装備と行動食を見る


体の熱産生は主に筋肉で、単位時間当たりの熱産生量には限界があり、年と共に衰えます。みぞれで衣服が濡れ、そこに強風の吹雪が吹付け満足な防寒防風対策をとらなければ、奪われる熱の方が多くなり低体温症に至るでしょう。

私は、食事を摂ったかどうかはあまり関係ないと思います。元々グリコーゲンの体内備蓄は普通の生活レベルで数時間分しかありません。普通の人で脂肪だと1ヶ月分以上の備蓄があります。

ちなみに私はここ2年間、行動食は食べていません。登山前と登山後にアミノバイタル1袋づつ飲んで、行動中は水かお茶、夏は塩分補給をします。(岩塩/味噌/マヨネーズ)+きゅうりなど。下界でも朝晩の2食のみです。

判断する時間の余裕と、発症と

カロリー摂取は、予防・緩和役。着衣と相まってのもの

>私は、食事を摂ったかどうかはあまり関係ないと思います。元々グリコーゲンの体内備蓄は普通の生活レベルで数時間分しかありません。普通の人で脂肪だと1ヶ月分以上の備蓄があります。


 これまで議論されてきたことで、登山者が、急に大量のカロリーを要求される(奪われる)事態になっても、それを短時間に、あるいはリアルタイムで供給することは難しいことが、明らかになってきたと思います。

 一方で、悪天候のなかで、大量の熱を奪われる、そのハンディを知り、低体温症に備えるためにも、出発前の食事でのカロリー補給や、即効性のある行動食、水分の補給が、緩和に役立つことも。

 退却やビバーク、安全な小屋への逃げ込みの際は、重要な備えになると思います。

 さらに、ここまででまだ議論になってこなかった下着を含めた服装の問題があります。

 真冬の山で、このようなケースで低体温症になるのは、むしろ少ないように私は思う。

 それは、始めから−15度、−20度の気温と強い風とに備えて、着衣と食事が根本的に違うからだと、私は思います。

 GWや6月、そして秋の山での備えは、その応用問題でもあると思いますが、冬と異なるのは濡れですね。


補いきれないながらも、食べて生還したケース

 コメントでも、人間が用意でき、その場で使うことができるエネルギー源は、多くない、というご意見がありました。

 低体温症の実体験者でもある北海道の医師のサイトには、次のような解説もあります。

「人間が貯蔵できるグリコーゲン

􀂄 通常は摂取カロリーの 60% 2000kcal×0.6=1600kcal しか肝臓と筋肉に貯蔵できない。

⇒従って、繰り返し行動中に摂取することが必要。」


 しかし、予防には限度があるなかでも、そのときに懸命に食べ、あるいは少しでも食べる努力を重ねて、大事を回避したり、生還した事例があります。
 いくつか紹介していきます。


◇2009年 トムラウシ遭難の生還者の証言から。
 (同遭難調査報告書から)

○私は持参したカロリーメイトや魚肉ソーセージ、きな粉棒をたべたり、アミノバイタルやアリナミンV などを飲んだり、何分かおきに、何かを口に入れるようにしていました。

○「猛烈にお腹が空いたので食べた」「アメ玉1 個を食べただけで、こんなに違うのかと驚いた」

○「悪天時なので、身体を動かすために食べなければならないと判断して食べた」

○「(非常食として食べたもの)アミノバイタル3袋、これは天沼から日本庭園の間に立て続けに食べました。カロリーメイト2箱、全部たべました。」

○「トムラウシ公園の手前に来て、登山道脇の草むらに座り込んでビバークを覚悟した。生還した理由として、ビバーク地点にマットを敷いたことが断熱になり、体温を下げなかった、と語った。

 どこで着たのか特定できないが、雨具の下にフリースを重ね着したこと、時々チョコレートなどを食べていたこと、南沼を過ぎたころには雨風が止んでいたこと、ビバークで体力を温存できたこと、もともと体力があったこと、などが生還できた主な理由と思われる。」(これは報告書執筆メンバーの医師の記述)


◇トムラウシ遭難の同じ日に、旭岳から白雲小屋まで行動したヤマレコのユーザーの体験。

 「昨年7月16日のトムラウシ山での大量遭難が起きた日に,私は旭岳〜白雲岳避難小屋のコースを歩きました。

 強い風雨の中,旭岳を目指して歩き出したものの,7合目を過ぎたところでかつて経験したことのないような猛烈な風に危険を感じ,一旦避難小屋まで退避。しかしながら,天候は回復するとの予報が出ていたことから,少し風が収まったところで無謀にも再度スタートし,強風に吹き飛ばされそうになりながらも,なんとか白雲岳避難小屋まで歩き通しました。

 でも,本当は自重すべきだったと,今でも反省しています。・・・

・・・なんとか頑張ってここをやり過ごし, 白雲岳避難小屋を目指しますが, 徐々に体力が落ちていく感じがしました。手袋をしていても指がこごえて,うまく動きません。ゴアテックスの雨具を着ていても, 霧状の雨が中の衣類を濡らします。

 途中の岩陰で休憩をとり, ウェストバッグに入れておいたアメ玉を頬張ってエネルギー補給です。ザックを開けて食料を食べるような余裕はありませんでした。
小屋に入ってザックをおろした途端,寒さと安堵感で全身が震えました。

 また,行動中は一度も震えを感じませんでした。ところが,避難小屋の中に入ってから 2〜3分で体中が震え出しました。文字通り歯がガチガチと音をたてて震えました。

これは,行動が終了したことで発熱がなくなり,急激に体温が低下したためと考えています。

 私が思うに,低体温症への最も有効な対策は,常に行動し続け,発熱を維持することではないかと思います。

そこで重要なのは,行動を継続できるだけの体力と,発熱を維持できる量のカロリーの摂取です。

私の場合,登山途中で避難小屋に戻り,十分なカロリー摂取ができていたことが,その後の行動維持に寄与したと思います。」


RE: 検証 白馬岳低体温症遭難2)カロリー収支の角度から装備と行動食を見る

 国際山岳連盟医療部会のガイドラインでは、行動中のカロリー摂取スケジュールについての記述も(やや曖昧ですが)あります。

体重 75kgの私ですと、最初の 30分に凡そ 400kcal、以後 4-6 時間の間はは 2時間ごとに(おそらく)400kcalの補給が必要です。

これは expedition における基準のようですが、素人が自身の限界にチャレンジするような場合にも参考にして良いかと思います。

>低体温症への最も有効な対策は,常に行動し続け,発熱を維持

 無事に生還した今だからこそ白状しますが、3月の雲取山で本当に危ない目に遭いました。

 芋の木ドッケの巻き道で息子が行動不能に陥いりかけたのですが、その後あめ玉程度ですが行動食を与え続け、白湯を飲ませ、暖かい乾燥した装備への交換を行ったところ、山荘までの 10時間余りを歩ききりました。新雪のラッセルであったために大人の歩行速度が落ちた結果、皮肉にも子どもには無理の無い移動速度となったことも大きかったと思います。

(冬も山行を継続していたので、歩いていれば寒くないことを息子は体で覚えていました。樹林帯であったことや 3月で気温も -5度程度であったことも幸運でした)
 息子の意思表示はいつもギリギリなので、その山行以後は以前にも増してよく観察し、しつこいくらいに声をかけるようにしています。

tanigawa様の結論に敢えて付け加えさせていただくならば

 ”無理の無い移動速度で” 行動を持続させる

こちらのほうが better かと考えますが、いかがでしょうか。

RE: 検証 白馬岳低体温症遭難2)カロリー収支の角度から装備と行動食を見る

> ”無理の無い移動速度で” 行動を持続させる
こちらのほうがbetterかと考えますが、いかがでしょうか。

 おっしゃる通りと思いますが、大前提としては、生死にかかわる深刻な状況に遭遇しないように、また、それに準ずる場面でも、着衣やカロリー補給で、登山者が状況にたいして用意で負けない対応を先手先手ですすめることだと思います。

 気象条件の厳しさや登山者の側で基本的な防御体制が欠けているときは、行動をするのは事態を悪化させる場合があります。

 トムラウシがまさにそうでした。

ロックガーデンの手前でハイ松帯を生かしてビバークし、シェルパのいるヒサゴ沼に伝令を出していれば、犠牲者はかなり減ったと思います。

 しかし、彼らは人数分のテントがなかった。

 とくにパーティーを組んでいる場合は、この優位性がしばしば、個人差が出てきて、瓦解の糸口になる。

 その点で、紹介いただいた体験は、息子さんの体調との連携がうまくコントロールされていたケースと思います。

 


装備面のデータ 関連するもの
 関連するものを、上げておきます。

◇やはりスコップは役立つ

 同じ5月4日、白馬岳に別ルートで登って、ビバークした男性(61歳)がいました。(「読売」5月6日)

 テントのそばに、高さ1・5mの雪の防風壁を作って、一晩しのいだとのこと。
 「5日未明まで吹雪が強かった」と話しています。

 この時期の稜線を、不安定な天候で行動するなら、やはり軽量スコップはビバークの必須装備になります。
https://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-35253


11. 中川隆[-7605] koaQ7Jey 2017年6月07日 16:19:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2012年05月22日 検証 白馬岳 低体温症 遭難 3)
持参した保温衣料はなぜ使われなかったのか?
https://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-35495

 ここまで見てきてどうしても不可解なのは、6人は全員が軽ダウンジャケットをザックに用意していながら、なぜ、それを着込むことができないまま、低体温症にすすんだのか? ということです。

 「日経」5月9日付夕刊は、こう伝えていました。

 見出しは、「防寒具は持参 身守れず」。
 4個のザックは、記事に写真があります。

 「遭対協によると、7日現場から回収されたリュックは4個で、容量はいずれも60リットル程度。全てに薄いダウンジャケットが入っていた。現場にはツェルトと呼ばれる簡易テントが残っていた。回収した山岳関係者は「全然軽装じゃない」と言い切った。」

 ここには、低体温症の遭難に特徴的な状況が、はっきりと現れています。
 なぜ、用意した装備を使うことなく、亡くなっていったのか?

 9人が亡くなった2009年のトムラウシ遭難では、その調査報告書に次のような記述があります。

 「生還者のコメントを見ると、自主的にフリースやダウンのジャケットを着たり、レスキューシートを身に着けた人が何人かいる。このような人では、それをしなかった人よりも体温の低下を防ぐことができ、生死を分ける要因となったことも考えられる。」

 このトムラウシの遭難の場合は、過度な軽量化によって、出発時に小屋で着込もうにも、その用意のない参加者が多かった点で、今回とは異なる状況がありました。

 一方、8人が亡くなった1989年10月の立山遭難では、現場の発見者が次のように証言しています。

 「8人は翌朝、発見。男女1人ずつは発見時に息が あり、男性は「救助隊の方ですか?」としゃべった。

 死亡したうち他の6人のザックにはセーターがあったが、いずれも使われていなかった。」

 この立山遭難は、ザックの防寒装備が役立てられなかったという点で、今回の白馬岳と共通点があります。

 以下、この問題を検討しながら、低体温症の進行の独特の様相を考えていきます。


体感温度の問題。保温性能と濡れの有無とが、むしろ影響大

 本論に入る前に、幾つか基本データと情報を掲げておきます。
 まず、低体温症の角度から見た「体感温度」について、書いておきます。

 登山者の体の熱の奪われ方には、大きく分けて、「乾性寒冷」(冬山)と、「湿性寒冷」(3季の風雨)とがあります。

 風速が1m増すごとに1度ずつ体感温度が下がる、という「算出法」でいえば、冬山では、「体感温度マイナス30度」は、ごく普通の条件。

 それよりも「体感温度」がはるかに高い春や秋山などで、低体温症の遭難事故が起こるのか、数字のうえでの疑問が出るところです。

 トムラウシ遭難調査報告書で、調査チームの医師は、「乾性寒冷」よりも「湿性寒冷」の方が、実は熱を奪われやすいと述べています。

 これは、水の気化熱が1ccあたり約350カロリーもあることから、濡れた衣類と体からは大量の熱が逃げていくため。

 さらに

「風が強ければ、体温の下がる速度は加速度的で、低体温症の悪化が早い。」、

「体温の放射を防ぐには、乾いた衣服を重ね着して、肌との間に空気層をつくることが重要。」

としています。

 また、この報告書では、従来言われてきた「体感温度」は、裸の人体の条件でのもので、保温衣料を用いることで大きく条件は緩和されるとしています。

 低体温症の危険がありうる条件では、保温用の衣類をタイムリーに用いることが、死活的になってきます。自分は、この衣類で保温するということで、しっかり用意し、臨機に使う。

 この際に、セーターやフリースとともに、肌に接する下着がかなり肝心であることを強調したいです。

 またゴアテックスなどの雨具や冬用ジャケットなどの防水性能をしっかり確認して、濡れに備えることが必要になると思います。

 下着については、私の下記の日記に。

低体温症の対策) 予防的なウエア、装備
http://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-3787 


3つの遭難の、気象条件と行動―立山の場合

 検討する前提として、まず低体温症による3つの遭難の、気象条件と経過を掲げておきます。

 白馬岳については、このシリーズの1)目撃者の証言から、のスレッド末尾に、天候の推移と行動経過を記しています。

/////////////////////////////

○1989年10月8日 立山・真砂岳

 遭難場所の真砂岳付近では、風速10メートル、気温はマイナス10度。猛吹雪。
 10人パーティー。8人死亡、2人救助。

 40歳から60歳代。
 一行のほとんどは、冬山経験はなかった。 

 室堂出発時、天気は快晴。気温はマイナス6度。風はほとんど無し。
 冬型の気圧配置となり、一ノ越から雪が降りだす。

 全員が雨具を着用。

 12時ごろ、雄山山頂で1人が足を痙攣。風雪。

 14時ごろ、富士の折立手前で追い抜いた2人組の登山者が、このパーティーを目撃する。男性1人が抱えられ、女性2人が立っていられずに座りだしたりする。
 パーティーは2つに分かれる。

 16時ごろ、真砂岳付近で、10人がいったん合流。
 風速10メートル、気温はマイナス10度。猛吹雪。

 男性2人が内蔵助山荘へ救助へ向かうが、視界がなく雪で道わからず、剣御前小屋へ向かい、途中の別山付近でビバーク。翌朝、登山客に発見される。

 8人は翌朝、発見。
 男女1人ずつは発見時に息があった。

 他の6人のザックにはセーターがあり、使われていなかった。
 付近には、コンロや食糧が散らばっていた。


3つの遭難の、気象条件と行動―トムラウシ山の場合

○2009年7月16日 トムラウシ山
    (データは、同遭難事故調査報告書による)

 ツアー登山。
 一行はガイド・スタッフ3人、メンバー15人の計18人。
 ガイド1人をふくむ9人が低体温症で死亡。
 自力下山は5人。

 前日に低気圧が通過して、北海道東方で発達。
 16日の山の天候は気温 6℃、風速 20m/secだった。(新得警察署 遭難対策本部)

 入山3日目、5時30分、ヒサゴ沼避難小屋出発。
 雨は出発時、弱くなった。
 6時10分、稜線のヒサゴ沼分岐。
 風強まる。ガイドが耐風姿勢を教え、風の弱まる瞬間を狙って前進するほどに。

 8時30分、大岩を上がるロックガーデン。
 男性客 M(66歳)さんが、しばしば座り込むようになる。
まっすぐに立って歩けない風になる。

「札幌管区気象台の高層観測によると、16日 9 時の 1900m 付近の気象は、気温が8.5℃と急下降し、風速も 19m/secを記録している。

また、風向は西北西に変化している。12時の天気図では、従来の低気圧の隣にもう一つ小さな低気圧が発生して、この低気圧の発達が大雪山の天気回復を遅らせたことも考えられる。」

 北沼周辺で亡くなった人の内 2〜3名は、北沼以前(ロックガーデン周辺)から発症していたと思われる徴候があった。

 10時00分ごろ、北沼渡渉点。 
 渡渉後、動けない人が出て待機。

 女性客K(62 歳)さんが嘔吐し(何も出ない)、奇声を発していた。
 女性客J(68 歳)の意識が薄れる。

 行動の指示がないままでの強風下の待機。
 メンバーは小さな岩陰に三々五々座り込んでいたが、風に曝されていた。

 10時30分ごろ。
北沼分岐ですでに低体温症になった人たちが、待機から行動に移った。
 以後、パーティーはばらばらになる。

 リーダーA(61歳)は渡渉地点近くで、動けなくなる。(第一ビバーク地点)

 11時30分ごろ。
 ガイドB(32歳)とともに歩行不能な女性客 3人と付き添いで男性客D(69 歳)1人は、第二ビバーク地点でテントに収容。 

 ガイドC(38 歳)が引率して歩行可能と思われるメンバー 10人の引率役で下山再開。

 13時30分、南沼キャンプ場。
 パーティーはばらばらになり、さらに行動不能のメンバーが出る。
 
 15時5分。
前トム平で、女性客G(64歳)が携帯電話で自宅を通じて、110番通報。

17日、
9人の遺体が収容。生存者が救助される。

 「多くの遺体が下腿に打撲痕があった(転倒したためだろう)。」

・・・・・・・・・・・・・・


体温の低下と、症状の現れ

 もう1つ、低体温症による体温の低下と、症状の段階的な進展についての目安を上げておきます。


 「IKAR (国際山岳救助協議会)による低体温症の現場での治療勧告 1998, 2001編」によると、低体温症の症状は、体温の低下と症状の進行ごとに、次のように規定されています。
(一部訳文あり。http://www.sangakui.jp/medical/ikar/

段階
HT1 35−32度。 震えあり。意識清明。
HT2 32−28度。 震えなし。意識障害。
HT3 28−24度。 意識なし。
HT4 24−15度。 生命兆候なし。
HT5 15度以下。  死亡。

 それから、トムラウシの遭難事故調査報告書でも、体温と症状を、次のように示しています。

36 ℃
 寒さを感じる。寒けがする。

35 ℃
 手の細かい動きができない。皮膚感覚が麻痺したようになる。しだいに震えが始まってくる。歩行が遅れがちになる。

35 〜 34 ℃
 歩行は遅く、よろめくようになる。筋力の低下を感じる。震えが激しくなる。
 口ごもるような会話になり、時に意味不明の言葉を発する。無関心な表情をする。眠そうにする。軽度の錯乱状態になることがある。判断力が鈍る。

 *山ではここまで。これ以前に回復処置を取らなければ死に至ることあり。

 * 34 ℃近くで判断力がなくなり、自分が低体温症
になっているかどうか、分からなくなっていること
が多い。この判断力の低下は致命的。


34 〜 32 ℃
 手が使えない。転倒するようになる。
 まっすぐに歩けない。感情がなくなる。
 しどろもどろな会話。意識が薄れる。
 歩けない。心房細動を起こす。

32 〜 30 ℃
 起立不能。思考ができない。錯乱状態になる。震えが止まる。筋肉が硬直する。不整脈が現れる。意識を失う。

30 〜 28 ℃
 半昏睡状態。瞳孔が大きくなる。脈が弱い。呼吸数が半減。筋肉の硬直が著しくなる。

28 〜 26 ℃
 昏睡状態。心臓が停止することが多い。

 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 以上のデータに、実際の遭難での経過にそくして、

「6人がザックの防寒具を役立てられずに亡くなっていったのは、なぜなのか?」、

私の見方を以下に述べてみます。

低体温症の危険信号は、本人には自覚しにくいことも?

 「何故、ザックの中のダウンジャケットを生かすことができなかったのか?」

 それは、これまで言われてきたよりも早いピッチで、体温低下が進行し、危険認識や防衛本能などを麻痺させる次のフェイズに進んでいるからではないか?

 低体温症による遭難事故の経過を見ていて、こんなことを思っています。

 そう思う根拠は、単純なことです。

 体温低下は、低体温症の症状を一段一段、時間的余裕をもってゆっくり下がっていくわけではない。

 とくに薄い防備で強風にさらされた場合は、症状の各段階を短時間で駆け抜けてしまうからです。

 だから、自分や周囲が「危うい」と自覚できる瞬間は、実際にはしばしば見逃されてしまう。


 例えば、体温の低下が進みだしたとき、低体温症の危険を本人が察知できるのは、激しい寒さの感覚と猛烈な震えです。

 この猛烈な震えは、自分で低体温症におちいりかけていることに気づく、最初で、そして最後の関門になっています。

 ここを過ぎると、寒さの感覚や震えによる熱の産生という自己防衛反応はなくなる。

 救助にあたっても、

 「活発な震えは熱産生に最も重要な手段である。糖分を含む飲物でカロリーを補給し、震えを促進する(糖分を含む事は温かい飲料より重要)」(アラスカ州寒冷障害へのガイドライン2003(2005改訂))
http://www.sangakui.jp/medical/alaska/alaska02.html

 とされるほど、大事な指標になっています。

 ところが、その大切な局面で、保温が不備だったり、パーティーの事情があって行動を停止・あるいは制限するなどして、熱の産生が負けていると、体温の降下は、「激しい寒さの感覚と猛烈な震え」の体温水準を、短時間で通り過ぎて、より下がってしまう。

 トムラウシ山遭難事故では、15分当たりコア体温1度低下という、猛烈な体温低下も検証されています。

 その体温降下の途中の段階で、「激しい寒さの感覚と猛烈な震え」という段階は短時間で突破され、寒さを感じなくなり、危険に無関心になる無防備な段階にいたってしまう。

 こうして、登山者は、本人らは大丈夫だと思っているうちに、もはや自分一人では後戻りできない感覚や意識障害の段階に入って行ってしまう。

 つまり、低体温症の一連の症状の中には、ここが、地獄の三丁目! という「震え」のフェイズが多くの場合にあるのですが、

 ところが、防寒が不備で気象条件が激烈なときは、そこを本人が自覚しないうちに通りすぎてしまうのではないか、ということです。

 「震え」のフェイズがかならずあるかといえば、これには個人差があります。ない場合もある。

 しかし1つのパーティーのなかで、1人にこの関門のスルーがあると、パーティーは行動不能になるメンバーを、次の段階でかかえることになる。

 また、同じ条件で行動してきたメンバーは、やはり体温低下の過程に入り込んでおり、ここからも行動不能が広がる条件が生まれてしまう。

 今回の白馬岳の6人パーティーの場合、少なくとも、11時に白馬大池を出発する前の、大池到達時点あたりまでは、体温低下は始まっていなかったと思われます。

 コースタイムからすでに2時間20分遅れですから、大池での長い休憩などがあれば、そこから体温低下が始まっていた可能性を残します。

 大きなカロリーの喪失は、天候急変で周辺の山岳にとりついていたヤマレコ・ユーザーらが撤退を開始した、12時前後から。

 13時30分、小蓮華岳の手前で、「1人が疲れた様子で、その人のザックを別の人が担いでいた」様子が目撃されています。

 この時刻が、パーティーのメンバーに「最初の関門」越えが始まった段階と思います。


○HT1 35−32度。 震えあり。意識清明。

○35 ℃
  手の細かい動きができない。皮膚感覚が麻
 痺したようになる。しだいに震えが始まって
 くる。歩行が遅れがちになる。


 しかし、「先生どうしましょうか?」という相談の結果は、さらなる前進でした。
 ここで、「震え」のフェイズの突破があったのかもしれません。症状はもっと進んでいた可能性があります。

 いずれにしても、低体温症のシグナルは見すごされました。

 白馬のパーティーは、さらに1キロほど登って、稜線の三国境の手前で行動を停止しています。

 ペースから見て、さらに1時間以上、吹きさらしの向かい風のなかを行動。

 この時点では、体温低下はメンバーにさらに広がり、複数の行動不可能者が出た可能性があります。

 ザックを開けてテントを取り出し、みんなにかぶせようと努めた、それだけの体力と危機の判断力とを残していたメンバーもいました。

 「周囲は踏み固められ、ツェルトをリュックから出して使おうとした形跡があった。」(「日経」5月9日付夕刊)

 しかし、稜線の吹きさらし、強風・吹雪のもと、体温低下が進むなかでは、それが最後の防衛行動だったのかもしれません。

体温の急激な低下についてのデータ

◇体温の急激な低下のデータとしては、トムラウシの事故調査報告書に記述があります。

 「低体温症が始まると、前述したとおり、体温を上げるために「全身的な震え」が 35 ℃台で始まるのが特徴的であるが、今回の症例ではこの症状期間が短く、一気に意識障害に移行した例もある。あまりにも早い体温の下降で人間の防御反応が抑制され、30 ℃以下に下がっていったと思われる。」
 
 「マイクル・ウォードは『高所医学』という本の中で、

「低体温症になると 2 時間以内に死を来すことがある」

と述べている。この遭難事故でも、発症から死亡まで 2 時間と思われる症例がある。条件が揃えば、人体の核心温が一気に下がり、死に至る温度の 30 ℃以下に、急激に下がるのに 2 時間とかからない、ということになる。

 なぜ急激な体温低下を来したのかは、体力、気象条件、服装を含めた装備、エネルギー源としての食料摂取などを、総合的に検討してみる必要がある。」
 
 「体温の下降は 1 時間に約 1 ℃ の割合で下がった計算になるが、本人によるとストーンと下がるような状況で意識を失った、と証言している。」

 「小屋を出発した時の体温が 37 ℃に近い温度だとして、心停止の温度が 28 ℃以下だとすれば、体温が 9 ℃下がるのに 2 時間と要していなかったことになる。これは単純に計算すると 15 分で 1 ℃下がったことになり、この急激な下がり方であれば、「震え」で体温を上げることはとても間に合わないことになる。」


◇別の資料から

「震え(shivering)を唯一のT°の指標とすべきでない。」
(IKAR (国際山岳救助協議会)による低体温症の現場での治療勧告 1998, 2001編)


RE: 検証 白馬岳 低体温症 遭難 3)持参した保温衣料はなぜ使われなかったのか?

 以下は、ヤマレコ日記であるにコメントしたものです。
 ここにも張り付けておきます。

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Gさん、予兆から軽度の低体温症の発症までを範囲とする「予防」の段階を超えて、登山者の備えや対応をテーマにすると、なかなか微妙な問題がありますね。

 以下、提起されている問題に即して、ちょっと長めになりますが、コメントします。

(1)中度より重い低体温症の現場での対応、搬送されて以後の医療の対応は、かなり基本的な処置の点で、医学的にも探究途上だったり、不一致の面があります。症状によってもかなり違う。そもそも、そこまでの問題になると、医師にも知識がない方が大勢です。

 具体的には、同じ中度の患者の場合でも、種々の検査をして症状とどこが危ういかをつかまないと、その処置が良く出ることもあれば、致命的になってしまうこともある。

 例えば、加温による心房細動の誘発があります。これは、どこまでが急加温かが、むずかしい。実際には、意識を失うまでに体温が下がった場合に、山という条件では、あらゆる加温措置が動員されても、まだ足りない場面が予想されます。

 逆に、低体温症の患者が低体温になることで、脳の活動を抑え、血液と酸素供給が少なくとも、命だけは守り、搬送後に的確な措置で蘇生する事例が幾つもあります。この場合は、穏やかな加温であっても、脳の活動を再開させてしまって、それによって脳が酸欠となり、死亡してしまう場合がある。

 雪崩に長時間埋まっていたり、低体温症にかかって体温が大きく低下した人を救護する場合は、脳を守るために、加温せず保温(保温材やシートなどによるラッピング)だけで搬送されることもあります。

 できるだけ早くその場から安全なエリア移送して、専門医師の処置を受けるしかありません。

 これは、救助隊なども、実際にルールとしているのではないかと思います。

 低体温症の場合、心臓も、低いレベルで活動を続けている場合がありますから、脈拍を短時間見ただけで、心臓マッサージをすることなども、医師の判断なしには避けたいところです。

 登山者が何ができるかは、中度以上(意識喪失以下)にまで進行してしまった低体温症では、他の怪我などにくらべて、むずかしい問題があります。


(2)その一方で、蘇生の手立てが限られる山の条件でも、患者の様子によっては、心房細動の危険を度外視して加温する場合も、判断としてはあります。多くは、そのことまで考えないで、とにかく必死で加温されて助かる例があります。

 実際に、トムラウシ山遭難では「第2ビバーク地点」で、助かった女性への処置がそうでした。彼女は、意識を喪失していました。男性の参加者が懸命の保温と加温の措置をとって助けました。

 新田次郎の「芙蓉の人」(基本は実話)では、富士山山頂の観測小屋から瀕死の容態で退却して、八合目の小屋に担ぎ込まれた男性主人公が、必死の加温と摩擦によって命をつないでいます。

 いずれの場合も、意識喪失とはいえ、まだ中度の症状の入り口あたりだったから、生還できたとも言えます。


(3)私たちとって大事なことは、意識喪失以下にまで進行した段階のことではなくて、やはり予防だと思います。

その一線にいたる前に予防する。

 低体温症では、1人でも症状が進んだら、パーティー全体の行動が困難になりますから。

 具体的には、震えの時期を通り越してしまう前に対応する。つまり、体温がさらに低下し、当人が保温に無関心になる、足がふらつきだすような段階の前に、震えの段階までに先手で手立てをとってしまう。

 震えの段階までに、着込み、カロリー補給、天候判断と退却などの対応を、すすめることです。

 その前提として、震えには個人差があり、進行速度にも個人差があることを、知る。
これはリーダーと当人が、低体温症の独特の進行の怖さを認識していないと、手遅れもありえます。

 そして、予防の根本は、天候と行動のそもそもの判断、下着や濡れ対策、食糧計画など、出発時の用意と判断だと思います。

 
 私は、予防の上では、「低体温症」という言葉を要所でパーティー内で口にして、互いに注意し合い、観察し合うことも、大事なことだと思います。

 トムラウシの遭難では、出発時も行動中にも、遭難に至ってからも、誰一人、「低体温症」という言葉を発しなかったことが、生存者全員の聞き取りと証言から判明しています。

 言葉が発せられなかっただけでなく、ガイド1人を除いて、そもそも知らなかった。

 その気象条件で最大の脅威であったはずの対象が、最後までノーマークだったのです。(これも証言から)

 雪崩の危険個所や岩場などでは、パーティーは必ず相互に声をかけあいますが、低体温症については、意識的に努めないと、そこまでマークがいかない。
ここにこの難題に特有の「穴」があります。
https://www.yamareco.com/modules/diary/990-detail-35495
 


12. 中川隆[-7589] koaQ7Jey 2017年6月09日 19:11:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]


2009年08月06日 『大雪山系の大量遭難』

北海道大雪山系トムラウシ山周辺での10人死亡の夏山としては史上最大の遭難事故のニュースを聞いて感じたことですが、

自分の責任で山を登るのではなく、深田久弥が選んだ百名山をいくつ登ったかという『アリバイ作り』に近いは愚かな行為で残念で成らない。

今回の遭難者は全員が60代。

参加者でルートを事前に歩いたものはいない。
山岳団体ではなく観光会社のツアー客。

登山なら必ず有る予備日が設定されていない。
もしもの時の退避ルートも無い。

今回は遭難日だけでなく前日も雨が降っていたのでこの時点で下着や靴などの装備を濡らしている。

体力を消耗している入山三日目に一番長いルートが設定されていた。

これだけ条件が揃えば、さらに天候悪化などの悪条件が加われば大量遭難は避けれなかったと思われがちだが、この遭難は十分に避けれた。あるいは被害を最小限に抑えられていた。


『(下着を濡らす)雨は恐ろしい』

確かに直接身体に纏う下着を濡らす雨は体温低下につながり恐ろしいが、冬山と違い夏に雨が降るのは当たり前である。

冬山の雨は、上高地の奥の横尾をベースにした山岳会の冬季合宿で沢渡から入山した時に霧雨だったが(冬山なので)雨具の用意が無い。

下着を濡らすと後の登攀に差障りが有るので服を全部脱いでセーターにヤッケという珍妙なスタイルで50キロほどの荷揚げを行ったが、動いている間は全く寒くない。ところが、止まるととんでもなく寒い。

それで仕方なく雨で凍った雪道を休憩なしで予定より早く、ばてばてになって辿り着いた経験がありますが、若かったから無理が出来たのでしょう。

冬季剣岳の大量遭難時でも雪洞に閉じ込められて生死を分けたのも、下着の濡れ具合だった。

生き残った登山者が乾いた下着を用意していた訳ではなく、装備は変わらなかったが濡れた下着を裸になって何回も繰り返し絞って着て生還している。

装備の有る無しよりも装備の使い方に問題が有る場合が多く、疲労凍死した遭難者のザックの中に乾いた衣服が残されていた等の例は案外と多い。


『トリアージ(選別)』

10人が死亡した大雪のツアー登山大量遭難では午前10時半には早くも一人が動けなくなっている。

(この時既に登山パーテーは遭難状態であったと解釈できる)

この場合には、其れ以外の(同じ様な危険な状態の)大勢の人達の命を救うために、倒れた人をサブリーダーなり誰か適当な人を付き添わせて、それ以外のメンバーを一刻もこの現場から早く退避させるべきであった。

しかし、何の指示も無いままに暴風雨の中で1時間半も(何もする事も無く)全員がその場に止まって待っていた。

其の後に動ける比較的元気な者達は元の非難小屋に退避では無く、予定どうりトムラウシ温泉に下山しようとした。

この判断の間違いと遅れが大量遭難に繋がっている。
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/444b48a190b43b050492af15876f502a


13. 中川隆[-7347] koaQ7Jey 2017年6月25日 10:00:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

ヒサゴ沼避難小屋の利用について | 十勝総合振興局保健環境部環境生活課
http://www.tokachi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/kks/sizen/yama/hisago/Shelter.htm

  「ヒサゴ沼避難小屋」は、化雲岳の南、約2kmのヒサゴ沼湖畔に設置されています。

  この建物は、山小屋ではなく、悪天候時など緊急を要する際に、避難するための小屋 として造られておりますので、登山で現地に宿泊したい場合に、利用するための施設ではありません。

 ですので、現地に宿泊される場合は、宿泊用テントを持参し、防寒対策をとった上で、野外の野営場でテントを設営し、宿泊 をって下さい。

 現地で「避難小屋を利用される場合」 に、常時開放されていますので、利用者みなさんで協力して、ご利用願います。


 ※管理人は居ません。

 ※緊急時に避難する施設ですので、事前の予約は、一切受け付けておりません。

 ※登山ガイドツアーなどで、避難小屋を全面占拠するなどのマナー違反行為は、
  一切行わないで下さい。


                         避難小屋利用の留意事項


ヒサゴ沼避難小屋の画像

避難小屋(内部写真)
http://www.tokachi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/kks/sizen/yama/hisago/inside.htm

大雪山国立公園 山岳概念図
http://www.tokachi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/kks/sizen/yama/hisago/taisutsugainen.htm


過去のヒサゴ沼の雪渓状況(参考)
http://www.tokachi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/kks/sizen/yama/hisago/hisago2.htm

(注)その年によって雪の量は大きく違いますので、ご注意願います。

また、この付近の山々は本州の3,000m級の山の気象条件に相当しますので、

登山される場合には、テント・防寒対策など、万全の装備でお願いします。

収容人数 約30人

利用期間 通年

設置年度 昭和57年

利用料金 無料


•満員となる場合がありますので、テントを持参してください。
(避難小屋前に野営指定地(約30張設営可能))

•ヒサゴ沼の水は煮沸するにしても、飲用としては使わない方がよいと思われます。
付近に雪渓の融雪水の水場がありますので、こちらを煮沸してお使いください。

•小屋にはトイレがありますが、便槽の中にゴミを捨てないでください。

•ヒサゴ沼周辺の状況は、年ごとに異なります。

•登山前に必ず気象予報を確認してください。



14. 中川隆[-7346] koaQ7Jey 2017年6月25日 10:02:28 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

北海道管理の避難小屋ご利用にあたっての留意事項


北海道が管理している大雪山国立公園「ヒサゴ沼」、「旭岳石室」、「忠別岳」、「上ホロカメットク」の避難小屋は、悪天候時等に登山者が一時避難することを目的に設置した公共施設であり、不特定多数の方々に、無料で開放しています。

 そのため、登山行程において、山中で宿泊を計画する場合は避難小屋での宿泊をあてにせず、十分な装備の元、野営指定地で野営しましょう。

 なお、やむを得ず避難小屋をご利用する場合は、次のことにご留意され、登山のモラルとマナーを守り、安全で快適な登山を楽しまれますよう、お願いいたします。

 また、避難小屋内に滞在以外、荷物を恒常的に置くことは原則禁止しております。

1 荷物の整理整頓を徹底し、利用者相互が譲り合って使用しましょう。

1 ご利用後は、必ずゴミを持ち帰り、清掃の保持に努めましょう。

1 特に、先乗りしての場所取り行為 又は、場所取り行為と疑われる行為は、絶対に行わな いようにしましょう。

北海道十勝総合振興局
http://www.tokachi.pref.hokkaido.lg.jp/hk/kks/sizen/yama/hisago/hinanngoyaryuuijikou.htm


15. 中川隆[-5756] koaQ7Jey 2017年12月31日 16:58:41 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

トムラウシ遭難旅行会社元社長を書類送検 ガイド3人も 12/28 07:35

 十勝管内新得町の大雪山系トムラウシ山(2141メートル)で2009年7月、登山ツアー客7人とガイド1人の計8人が死亡した遭難事故で、悪天候下の対策を怠り客7人を凍死させたなどとして、道警は27日、業務上過失致死傷の疑いで、ツアーを企画した旅行会社アミューズトラベル(東京)の元社長で自営業松下政市容疑者(58)=東京都西東京市=、当時の同行ガイド3人(うち1人死亡)の男計4人を書類送検した。

 過去のツアー登山事故で、同行していない旅行会社幹部を立件するのは極めて異例。公訴時効(10年)まで2年を切る中、道警は元社長を含めて立件に踏み切り、国内の夏山史上最悪となった事故の全容解明を進める。

 道警などによると、送検されたのは松下容疑者のほか、ツアーで死亡したリーダーガイドの吉川寛容疑者=広島県廿日市市、当時(61)=と、ガイドの無職多田学央(たかお)(40)=長野県安曇野市=、会社役員松本仁(47)=愛知県一宮市=両容疑者。

 4人の送検容疑は09年7月16日、安全対策を怠り、暴風雨の悪天候下でツアーを続行させるなどし、客15人のうち、静岡、愛知、岡山、広島各県の59〜69歳の男女7人を低体温症で死亡させ、女性1人に軽傷を負わせた疑い。道警は元社長らの認否を明らかにしていない。


16. 中川隆[-5755] koaQ7Jey 2017年12月31日 17:00:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

トムラウシ山遭難事故 調査報告書
http://www.jfmga.com/pdf/tomuraushiyamareport.pdf

17. 中川隆[-5471] koaQ7Jey 2018年3月10日 10:23:51 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

トムラウシ8人遭難死ガイド・社長不起訴 2018年03月09日
https://rindow33kai.grupo.jp/blog/2103438

 トムラウシ山ツアー登山で大量遭難死者を出した事故の裁判は、ツアーを企画した旅行会社の社長とガイドが不起訴となった。

 トムラウシ山大量遭難事故は、平成21年7月、北海道大雪山系トムラウシ山のツアー登山で、客の男女7人とガイドの男性1人を合わせて8人が死亡した事故。

 この遭難事故は、ガイドらが安全管理を怠り、悪天候にもかかわらず登山を続け、客の男性1人、女性6人を低体温症で死亡させたとし、ツアーを企画したアミューズトラベルの社長とガイド3人が業務上過失致傷容疑で書類送検されたもの。

 しかし、3月9日、釧路地検は社長と生存しているガイド2人を嫌疑不十分で不起訴。死亡したガイドは被疑者死亡で不起訴とした。
 
 この事故は、当時から社会的影響の大きな事故で、ツアー登山のあり方やガイドの責任について語るときに話題にあがる遭難である。
 
 客の登山者は、安全に登山するために、ツアーに申し込み、ガイドの案内により登山を楽しもうとしたはず。このままツアー会社社長やガイドの責任がまったく問われず裁判が行われないのだろうか。

 ツアー登山のガイドでも、下見をしないで行き当たりばったりの対応をするような方もいるらしいが、高額のツアー代金を払う価値はどこにあるのだろうか、納得のいかない部分が残る。

 トムラウシ遭難事故に関する詳細はこちらをご覧ください。

トムラウシ山大遭難事故
https://rindow33kai.grupo.jp/blog/1372703


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