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1969年1月 剱岳大量遭難 プロジェクトX 「魔の山大遭難・決死の救出劇」
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/729.html
投稿者 中川隆 日時 2017 年 6 月 10 日 05:45:10: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 「吹雪で動けない」 爺ケ岳の女性 投稿者 中川隆 日時 2015 年 2 月 16 日 18:41:18)

1969年1月 剱岳大量遭難 プロジェクトX 「魔の山大遭難・決死の救出劇」

プロジェクトX 「魔の山大遭難・決死の救出劇」 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=fNlPKBfBapI
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%AF%E3%83%88X+%E3%80%8C%E9%AD%94%E3%81%AE%E5%B1%B1%E5%A4%A7%E9%81%AD%E9%9B%A3%E3%83%BB%E6%B1%BA%E6%AD%BB%E3%81%AE%E6%95%91%E5%87%BA%E5%8A%87%E3%80%8D


剱岳 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%89%A3%E5%B2%B3

剱岳、登山用ルートの核心部 日本アルプス登山ルートガイド - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=nA_xtZx5XNI

剱岳登山 (危険個所) 2013-8-11 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=UcX7FkfRFKs

剣岳カニのヨコバイ - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=_yyXDHmJ-1A


1969年(昭和44年)1月 中日ニュース「剣岳で“大量遭難”」 - YouTube 動画
富山県北アルプス剣岳で厳寒のすさまじい吹雪に150人が閉じ込められ死者多数。
https://www.youtube.com/watch?v=Rm7xMFwGxss
http://www.chunichieigasha.co.jp/?p=13220


1969年(昭和44年) 剱岳周辺 大量遭難 葛飾山岳会他(5パーティ18名)
剣岳周辺で相次ぎ遭難死

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昭和44年1月11日、捜索打ち切りとなった剣岳付近で起きた雪崩による相次ぐ遭難事故では5パーティ18人が犠牲となった。

このうち最大の8人全員の犠牲者を出した東京都の葛飾山岳会は小窓尾根から1月2日に下山予定だったが、奥大日尾根付近で遭難したものと思われた。

次いで4人の犠牲者を出した大阪府立大の13人のパーティは大明神山の尾根1000mで1人が死亡、そして山頂に取り残された6人のうち3人が死亡した。

日比谷高校山岳部OBのパーティは3人全員が昨12月22日に薬師岳に入山して1月3日までに下山せず、遭難したものと思われた。

清水RCCの2人は剣岳早月尾根の2800mの場所から東大谷側に滑落死、

電電九州小窓隊の5人は剣岳頂上付近で1月3日、雪崩でテントが潰され1人が死亡した。
http://mtgear.blog18.fc2.com/blog-entry-70.html

魔の山、剱岳

 北アルプス立山連峰、剱(つるぎ)岳。

 標高二九九八メートル。荘厳なまでに美しく、しかも険しいその姿から、「岩と雪の殿堂」と呼ばれる。三〇〇〇メートル級の山々が一〇を超して連なる北アルプスでも、屈指の名峰である。

 しかし、剣の刃先のごとく連なる鋭い絶壁、深く入り組んだ沢、狭い尾根。半歩足を踏み外せば深い谷に吸い込まれる。日本海までわずか三〇キロ余り、富山平野から急に三〇〇〇メートルも立ち上がっている地形は、他の山よりはるかに変わりやすい天候と、冬場のドカ雪をもたらす。

 滑落、雪崩(なだれ)、疲労凍死……。日本で近代式登山が始まり、剱岳の登頂がめざされるようになったのは大正時代半ば。それ以降、剱岳がのみ込んでしまった命はあまりにも数多い。


 昭和二(一九二七)年、当時、前剱の東斜面にあった剱沢小屋が雪崩で崩壊し、『東大山の会』のメンバーや山岳ガイドなど七名全員が死亡。

 昭和二五(一九五〇)年、剱岳から西に走る早月(はやつき)尾根の北側直下、二二〇〇メートル付近で雪崩に遭い、山岳ガイドが死亡。

 昭和二七(一九五二)年、単独行の明治大学生が、頂上手前で疲労凍死。

 昭和三四(一九五九)年、早月尾根北側の池ノ谷で雪崩に遭い、立命館大学山岳部の六人パーティーが全員死亡。

 昭和三六(一九六一)年、池ノ谷で雪崩に遭い、『不二越山岳会』の三人が死亡。その池ノ谷をはさんだ北側の赤谷(あかたん)山で耐寒訓練中、豪雪に閉じ込められ、富山大学山岳部のパーティー六人が凍死。


 別名、魔の山。

 死と隣り合わせであることで、ますます多くの登山者をひきつける山。それが剱岳だった。

 昭和四四(一九六九)年正月。その剱岳で、史上最悪の大量遭難が発生した。一五パーティー八一人が、猛吹雪に閉じ込められた。かろうじて機能していた無線で救助を要請してくるパーティーがいた。何の連絡もないまま、下山予定日を一週間過ぎても下りてこないパーティーがいた。

 救助に向かったのは、発足から四年目の『富山県警山岳警備隊』。そして、北アルプスの山岳ガイドからなる民間協力隊。そこに全国から駆けつけた三〇〇〇人のボランティアたちも加わった。

 山岳警備隊の指揮官には、つらい過去があった。弟を山で失った。子どもや兄弟を失って嘆き悲しむ家族の姿は、もう見たくなかった。

 この日に備え、岩場や厳冬期の剱岳で猛訓練に励んできた隊員たちは、張り切っていた。

 その前に、冬の剱岳が襲いかかった。風速三〇メートルの猛吹雪に視界は消えた。先頭を歩くベテランガイドは、雪山の罠に落ちた。

 残されたのは三人の若手隊員。

「俺たちの助けを待つ人がいる」――隊員たちは魔の山の頂に、踏み出していった。
 これは、剱岳で遭難する人たちを救おうと、魔の山に挑んだ男たちの物語である。

愛知大学山岳部一三人、薬師岳に消ゆ


 この物語の大量遭難事故から逆上ること六年前、昭和三八(一九六三)年一月。日本列島を戦後最大のドカ雪が襲った。日本海側の福岡から新潟まで、交通が寸断。新潟や富山、石川では積雪が平野部でも二メートルに達し、家や工場に潰れるものが出て、都市機能はマヒした。のちにいう「三八(サンパチ)豪雪」である。


 一月一三日。

 剱岳のふもと、富山県上市(かみいち)町の警察署に、突然連絡が入った。剱岳の南約一八キロにある薬師岳(二九二六メートル)を登山中の、愛知大学山岳部パーティー一三人の捜索依頼だった。下山予定は一月六日。すでに一週間が過ぎていた。

 急きょ、警察官九人と山岳ガイドからなる捜索隊が結成された。

 隊長は、刑事課鑑識係の伊藤忠夫。大正一一(一九二二)年生まれの四〇歳。山登りの技術は県警一だった。五年前に「山岳救助担当兼任」ということで上市署に転勤になっていた。

 降りしきる雪の中、先頭を歩く伊藤――。捜索に出るたびに去来する苦い記憶があった。


 ――伊藤は四人兄弟姉妹の長男。下二人は妹で、一番末が弟の辰三(しんぞう)だった。伊藤の兄弟は、父親譲りのスポーツ一家。伊藤自身、スキーは県大会で優勝するくらいの腕前だったし、弟・辰三は、それに加えて野球のピッチャーもこなすという万能選手だった。伊藤は六つ下の辰三をことのほかかわいがってきた。

 戦後まもない、昭和二三(一九四八)年、その辰三が山で行方不明になった。営林署仲間といっしょに朝日岳(二四一八・三メートル)に向かったまま、帰らなかった。まだ二一歳の若さだった。父の小四郎は猟師や村人を雇って探し回ったが、見つからない。自費で人を雇い入れ探してもらうしかない時代である。家の財産はひと月で底をついた。当時、「家族が山で遭難すれば家が潰れる」といわれていた。しかし、どんなに月日が経とうとも、母は、葬式を拒みつづけた。

「両親はいまにどっかから出てくるんじゃないか、明日にでも帰ってくるんじゃないかと、何回でも言っとりました」

 伊藤はそんな両親の姿を見ていられなかった。せめて骨だけは拾ってやりたい。それから何年も周辺の山を探しつづけてきた。伊藤の山登りは、そんななかで培われたものだったのである――。


 愛知大学の一三人のもとに向かった、伊藤たち救助隊。当面の目的地は標高二二七三メートル、薬師岳頂上まで約四キロの地点にある山小屋『太郎小屋』だった。

「小屋にこもってくれていれば、助かる」

 しかし、吹雪と、三メートルを超す積雪が行く手をふさいだ。
http://www.papy.co.jp/act/books/1-21822/

富山県警山岳警備隊まとめ - YouTube 動画
https://www.youtube.com/playlist?list=PLU-RtLANLs-eNDLCVIRZa6tSvouMer3EU

富山県警山岳警備隊 剣沢警備派出所 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=DbpkXtcenNs

プロフェッショナル 富山県警 ヘリ救助 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=nWuyyNWd03k


登山者「落ちるなら富山へ」 中日新聞 2016年1月31日

 一流登山家も多くの命を落とす県内の北アルプス立山・剣岳などで遭難救助に当たる県警山岳警備隊が発足から半世紀を迎え、記念式典が富山市で三十日にあった。関係者は日本屈指の救助技術を誇る集団へ成長した歩みをたどり、山岳救助への決意を新たにした。(伊勢村優樹)

 前身の山岳救助隊ができたのは一九五九(昭和三十四)年。隊員は機動隊員が中心の十五人だった。

救助隊時代から所属し、警備隊長を務めた谷口凱夫さん(77)によると、昭和三十年代半ばは、登れば初登のパイオニアワークの時代。

毎年のように悲惨な遭難が起き、社会問題になったことが警備隊発足のきっかけになった。

 中でも、「三八豪雪」の六三年にあった愛知大生全十三人の薬師岳大量遭難は歴史に残る悲劇。

その二年後の六五年三月、組織改編で警備隊が誕生した。隊員も二十五人に増えたが、当時は山の知識、技術、経験に乏しく、 十分な予算もない。登山者からは「貧乏隊」とからかわれたという。

 救助の中心は立山一帯を知り尽くした地元の山岳ガイドで、隊員は補助的な役割にとどまっていた。それが六九年一月に剣岳周辺で十五パーティーの八十一人が遭難し十九人が死亡、ガイドが二重遭難する事態が発生。

「民間人を危険にさらすわけにはいかない」と、警察主体の体制へ切り替わった。

 全国に例のない山岳警備派出所を整備し、年間常駐体制をとり、最新鋭のヘリコプターを導入した。冬に五十キロの荷物を背負って山に登るなど厳しい訓練を実施。救助体制や救助道具を学ぶため欧州遠征も重ね、遭難者を背負って搬送する装置などを取り入れた。

 これまで三人の隊員が命を落としている。遭難者の遺体搬送中に崩れてきたブロックの下敷きになったり、訓練中に雪崩に巻き込まれたりした。

「警備隊に入ったら、死を覚悟せよ。できないならやめろ」。〇八年まで約十年間隊長を務めた椙田正さん(68)は、若い隊員らにそう言ってきた。

技術を磨くには、危険な場所での実戦的訓練が欠かせないからだ。

 苦難を乗り越え着実に実力をつけ、日本一まで成長した警備隊。いつしか登山者の間では「落ちるなら富山側へ」が“定説”に。命を助けた登山者や死亡した登山者の家族からの礼状が続々と届き、隊員の励みになっている。県外から警備隊を目指す人も増え、今では二十八人中十九人が県外出身者だ。

 谷口さんは、ヘリによる救助ができるようになった今でも「救助の基本は担いで歩くこと。担がれた人が絶対大丈夫だという安心感を与えられるようにならないと」と現役に伝授。高瀬洋隊長は「私たちの取り組みが広く登山者からも基本とされるよう努力を続けることが今後の使命と考えている」と意欲を見せた。


___________


昭和30年代、日本は登山ブームを迎え、山での遭難事故が増え始めた。昭和38年、後にサンパチ豪雪と呼ばれるドカ雪で、北アルプス薬師岳を登山中の愛知大学山岳部13人が全員死亡。前代未聞の大量遭難となった。

 この事故で、救助チームの隊長を務めたのは富山県警上市署の鑑識係、伊藤忠夫40歳。伊藤はかつて最愛の弟を山で亡くしていた。昭和40年、伊藤を指揮官とする山岳警備隊が発足。しかし県内の警察署から集められた隊員達は、山歩きの経験が無い素人集団。伊藤は助っ人を頼もうと、北アルプス麓の集落、あしくらじ芦峅寺を訪ねた。黒部ダム建設の際、資材を運搬。第一次南極観測隊にも選ばれた山のエキスパート達が住んでいた。隊員は、あしくらじ芦峅寺の男達に山登りの技術を学んだ。

 昭和44年正月、剣岳を記録的なドカ雪が襲った。15パーティー81人、史上空前の大量遭難が発生。山岳警備隊はあしくらじ芦峅寺の男達に応援を頼み、山頂付近にいた金沢大学山岳部17人の救助に向かった。しかし猛吹雪の中、先頭を切っていたベテランガイドが谷に転落。あしくらじ芦峅寺の男達は仲間を救出、山を降りた。後には、3人の若き警備隊員が残された。「今こそ厳しい訓練の成果を見せる」遭難者が待つ山頂に、足を踏み出した。
http://www.papy.co.jp/act/books/1-21822/

2005/01/26 事実を捻じ曲げるプロジェクトXの番組改変問題

 昨日、「魔の山大遭難 決死の救出劇」というドキュメンタリー番組を見た。内容は、富山県山岳警備隊の活躍を賛美する内容だ。

 昭和38年、北アルプス薬師岳を登山中の愛知大学山岳部13人が全員死亡するという事件を契機に、富山県は山岳警備隊を発足。県内の各警察署から集められた隊員が、黒部ダム建設に従事した立山町芦峅寺の男たちに山岳技術を学ぶ。

昭和44年正月、猛烈な寒波とドカ雪の剣岳で15パーティー81人という史上空前の大量遭難が発生。山岳警備隊は、山頂付近にいた金沢大学山岳部17人の救助するために、芦峅寺の男たちを山岳ガイドに救助に向かうが、ガイドの一人が雪屁を踏み抜き滑落。救助に成功するも、二重遭難の危険から撤退を主張するガイドに、山岳警備隊は救助の続行を主張してガイド抜きで救助を続行。山頂にいた遭難者と合流し救助したという内容だった。

 番組では、合流後、後続隊の人海戦術によるルート工作で、安全に下山したことを映像を流し付け加えていたが、番組は、ガイド抜きで遭難者と合流したことで遭難者が救われたと、山岳警備隊の賛辞に終始している。

 しかし、後続隊の存在を知りながら遭難者との合流を目的とする救助ならば、食料などの運搬が主目的となるが、この救助隊の編成では、とても17人分の食料を持っているとは考えられない。また、安全に下山させることが目的であれば、山岳ガイドは必要不可欠であり、当時の山岳警備隊のメンバーではこれも意味をなさない。

 結果的に、麓に集まった大勢の山仲間によるルート工作で安全に下山できたのであり、他のパーティーで十数人も遭難死が出たのが現実である。総合的に考えると、二重遭難を回避する山岳ガイドの判断は正解であり、これを無視して山頂に向かった山岳警備隊は、むしろ17人の遭難者と合流することで二重遭難から逃れられたのではないのだろうか。

 番組の最後には、山岳警備隊のヘリコプターによる救助や、ロープを使った救助の映像が流れていたが、むしろ、この事件を契機に、人海戦術による救助から機動力を使った救助に方針転嫁したのではないだろうか。

 隊員たちの訓練風景の映像でも、現在のフリークライミング技術による岩登りを、クライミングシューズではなく、登山靴をつかって困難さを強調したりいわゆるヤラセが目に付いた。折りしもNHKの番組改変問題が起きているが、ドキュメンタリー番組であるのに、製作者の意図的な行為で、出演している人の意見や主張が捻じ曲げられているという問題と、永田町とNHKのズブズブの関係という問題は別問題だ。

 この「魔の山大遭難 決死の救出劇」は2002年11月19日放送されたものであり、昨日のはアンコール放送だそうだが、あのような内容の放送を繰り返し放送させていいのだろうか。昭和44年正月の剣岳大量遭難で得た教訓が捻じ曲げられるのは、日本の登山の歴史に泥を塗る行為である
http://link-21.com/masahiro/diary/kd_diary.cgi?viewdate=20050126

富山県警山岳警備隊と遭難事故、「またか」。 2016年05月03日


交通事故以外に何も深刻な話題がない普段の富山のローカルニュース。しかし、春シーズンがやってくると「またか」と思ってしまうニュースが駆け巡ります。

言うまでもなく、春山の遭難のニュースがそれで、「北アルプス◯◯岳付近で◯◯県の会社員が不明、県警山岳警備隊が付近を捜索中」と流れると、「またか」と思ってしまいます。

(ほとんどの場合、◯◯県の部分は東京か愛知で、不思議なことに大阪っていうケースはありません。)

そして、5月1日のローカルニュースでもそんな「またか」が起きてしまいます。

好天から一瞬にして吹雪へと変わる「ホワイトアウト」に襲われたものだと思われます、問題はその遭難に遭われた方。富山在住の山屋の多くの方が、そのニュースを聞いて「またか」ではなく「まさか」と思われたのでは。

狭い社会の富山、とやどこ管理人の「知り合いに知り合いがいる」くらいの有名な方らしく、とにかく立山登山のベテラン。登山装備も通常の登山者の倍は持ち歩くという入念な方で、まさかこのような事態が起きるとは誰も思っていなかったとのこと。

そんな登山の大ベテランでも遭難してしまう春の立山連峰、標高2450mまで「誰でも気軽に」行けるようにしてしまったアルペンルートが遭難者を増加し続ける一助になっているのは否定できません。

富山県警では、そのような特殊な事情を鑑みて全国でも珍しい「山岳警備隊」を設置しています。現役の警察官たちが山岳事故に備えて春から秋にかけて室堂ターミナルや剣の登山口馬場島に併設された派出所に常駐しています。

北アルプスを登る山屋さんの間では「滑落するなら富山県側に!」との言葉が囁かれているほどの、山岳事故における精鋭部隊である富山県警山岳警備隊。

その訓練の厳しさは有名で、50kgにも及ぶ装備を担ぎながら10Kmの雪道を走破。

まさに、命懸けの訓練を行う富山県警山岳警備隊が創設されて、今年で50年。

もともとは、立山町芦峅寺地域の佐伯氏一族を始めとする有志により結成された救助隊がその起源で、その後救助隊は県警の山岳事故の対応に「協力隊」として参加。

初期の「協力隊」のリーダー佐伯文蔵氏の「遭難者を親、兄弟と思って親身に行動せよ。」の言葉が、現在の富山県警山岳警備隊に受け継がれているとのこと。

職人技に加え、ハイテクも導入する富山県警山岳警備隊、昨年11月には最新鋭のヘリに更新、富山空港から10分で救助地に到達。このヘリ、場合によっては救助者を乗せてそのまま富山市の市民病院の屋上に降り立つことも可能です。

まさに、陸空医の三方面から遭難者の救助にあたる、日本一のマウンテンポリス、富山県警山岳警備隊、しかし一番の願いことは彼らが「活躍しない日々」が続くこと。
http://toyadoco.blog.jp/archives/1056721651.html

県警剣岳遭難、へえ〜死んだ一人は夏まで残置ってか 2011-03-01

富山県上市町の北アルプス・剱岳の「池ノ谷ガリー」(標高2750メートル)付近で富山県警山岳警備隊員が雪崩に巻き込まれた事故で、県警は1日早朝、県の防災ヘリで捜索を開始、救助を待っていた6人のうち5人を収容し病院に搬送した。

 雪崩は2月28日午後1時20分に発生。冬山での救助訓練のため1列になって登っていた6人のうち、前の3人が雪崩に巻き込まれた。自力で脱出した飛弾(ひだ)晶夫警部補(40)が、約3分後に木村巡査を、約20分後に丸山巡査部長を救助したが、2人とも意識がなかったという。

 その後、巻き込まれなかった3人が飛弾警部補らと合流。丸山巡査部長はすでに心停止状態だと判断し、木村巡査を発生場所から標高差で約240メートル下った地点まで運び、5人でテントに泊まって救助を待っていたという。

 県警生活安全部地域室は「冬山の山岳救助は困難を極めるため、あえて難しい状況下での訓練を実施することも必要だった」としている


(記事から読み取れること)

 あのなあ、雪崩くらいでビビるなよ。それが訓練だったんじゃないのか。

5人を救出にきたヘリから、スノーボートくらいはおろして、そして登り返して死んだ一人は、現時点で救出しなくてどうするんだ。そういう訓練で、剣岳にきたんじゃないのか、訓練中に、実に実践的な事例が生じたのだから、そこで成果見せてくれよ、ポリさん。少なくとも3人は元気なのだから、宿泊した1900mから、死体残置の2100mまで登り返して、引きずり出してヘリに乗せるべきだと思うけどね。んなこともできないのから、最初から救助隊辞めてくださいね。

 まあいまどきのゆとりポリとは、暖房の部屋の中での計画段階は勇ましいけど、ちょっと実践っぽくなると、とたんにへにゃへにゃになるとは、まさにこのこと。遺体も夏までここママじゃ、浮かばれないなあ。

ここで特有の是々非々持論を言わせてもらうと、発生して流された雪崩にビビらずに、ここで冷静に対処できるポリ登山者だったとしたから、いまどきの池ノ谷ガリーを、視界が100mしかないときに登山なんかしないというわけだ。つまり雪崩なんかに遭遇しない。

 逆に、特攻隊死にそこない部隊だったからこそ、こんな死にそこない事象が発生して、そしてこういう現場に出くわすときに限って、口先特攻隊というのは、ビビりまくりで何もできないというわけなんです。

 したがって余談だけど、65年前の特攻隊というのも、いきなり死んでくれたからこそ、それらしく歴史に残っているけれど、あれはイスラムの自爆テロ以下の、ただの昭和ニッポンが指令した、犬死部隊だったということです。
http://blog.goo.ne.jp/sptakagammon/e/e17c29140271a2d1a508d59461a93c77

「山ガール」ブームに潜む危険な側面〜「剱岳遭難の富山県警山岳警備隊員、5人を救助」 2011/03/01


【剣岳山頂からのパノラマ(夏山期)】
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/004/444/21/N000/000/000/129905666918316103080_0107_Tsurugidake_south_v_name.jpg

【剱岳遭難の富山県警山岳警備隊員、5人を救助】-----
(2011年3月1日11時56分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110301-OYT1T00495.htm


 富山県上市町の北アルプス剱岳・池ノ谷ガリー(2750メートル)で救助訓練中の県警山岳警備隊員6人のうち3人が雪崩に巻き込まれた事故で、現場周辺で野営していた重体の上市署巡査・木村哲也さん(33)と、足などにけがを負った同署警部補・飛弾晶夫さん(40)は1日午前6時45分頃、県防災ヘリで救助され、富山市内の病院に搬送された。

 木村さんは意識を回復した。

 重体となっている入善署巡査部長・丸山政寿さん(45)は、心肺停止状態で、雪崩で押し流された険しい場所(2140メートル)にとどまったままという。


 天候状態も悪いため、ヘリは現場に近付けないままとなっている。県警は天候の回復を待って、同日中にも救助したいとしている。

 また、この3人と一緒に訓練していた同パーティーの残りの3人も1日早朝、ヘリで富山市内に運ばれた。けがはなかった。

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【山岳警備隊員2人を救助=北アで訓練中に雪崩―富山県警】-----
(2011/03/01-11:14 時事ドットコム)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011030100368


 北ルプスの剱岳で訓練中、雪崩に巻き込まれた富山県警山岳警備隊員3人のうち2人が1日、同隊にヘリコプターで救助された。

 2人とも命に別条はなく、同隊は残る1人の救助を急ぐ。


 県警生活安全部地域室によると、救助されたのは飛騨晶夫警部補(40)と木村哲也巡査(33)。

 木村巡査は意識不明の重体だったが、会話ができるまでに回復、飛騨警部補は足首を捻挫しているという。 

 残る丸山政寿巡査部長(45)は心肺停止となっており、天候回復を待ってヘリで救助に向かう。 

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 山岳警備隊=山岳救助隊は、登山のプロである。
 しかし、いくらプロだろうが遭難事故が起きてしまう程、積雪期の北アルプルとりわけ後立山連邦(「後立」)は危険な地域だと思う。 

 しかも雪崩に巻き込まれればひとたまりも無い。

 雪崩に遭い、滑落したにも生還したのは、普段の訓練と充分な装備があったからだろう。

 しかし今尚、心肺停止状態のまま雪に埋もれているという事から考えると時間との闘いとなり、かなり厳しい状況だと思う。 

 一般的に12月〜2月頃までの「冬山」=「厳冬期」は危険と思われだが、実際は3月頃の春山の方が危険度は高いと思う。

 厳冬期の後立はドカ雪で動けなくなるケースが多いが、充分訓練や装備をしていれば耐えられる。 

 しかし、春山は予期せぬドカ雪と気温の上昇から今回の事故のような雪崩の発生、雪庇のぶち抜きなど様々な危険な要因が多い。 


 
 以前、後立では無いか、3月に涸沢西尾根から涸沢岳に順調に登頂し、その後も何ら問題無く涸沢岳から縦走し奥穂岳を通過して西穂岳にむかう途中に、天候が急変し一夜でテントが埋まり慌ててテントを放棄し雪洞を掘り避難した事があった。

 それまで順調に来ていたので気の緩みがあった。

 本来はパーティーので交代で夜はテントが潰されないように、雪かきをしなければならなかったのだが、あまりにも順調だったので、3名のパーティーだったが、皆眠りこけていた。

 目が覚めた頃には、テントのポールは折られており、皆雪の中にから慌てて脱出し、なんとか最低限の装備だけを掘り起し、丸々1日かけて雪洞を掘った。

 稜線上だったので、かなりの暴風と豪雪で目もあげていられない状態だった。

 雪洞に無事避難した後は、雪洞の入り口が塞がらないように3時間置おきに交代で、入口を守った。

 一応、ビバーク用のツェルト(簡易テント)はあったが、問題は稜線上でありテントが無いという事で、一気に下山しなければならないという点だった。

 このような暴風と豪雪に再度みまわれると、ツエルトもあまり期待ができない。また稜線上なので、雪洞を掘れる程の積雪が無い場合、休む場が確保できない。

 仕方が無く、体力を温存し天候の回復を待って強行下山を試み、無事約20時間程かけて新穂高温泉のスキー場まで下山できた。

 更にスキー場を下降している頃には真夜中だったが、たまたまスキー場の整備をしていた大型車の除雪車に出会った。

 運転手の方から声を掛けてもらい、快く乗せてもった。

 更には夜中にも関わらず付近の宿を手配してもらって、無事宿にたどり着いた。

 皆、疲労困憊で後輩は直ぐに寝てしまったが、宿の主人が話し好きで、貴重な熊の肉や鹿の肉などを焼いて食わせてもらった。

 自分が所属していた山岳部は事故率の低さで定評があったが、十数年前に涸沢西尾根を登攀中に雪庇を踏み抜き滑落するという事故が起きた。

 宿の主人はたまたま、その際に編成された救助隊に加わっていたという事で、話しが盛り上がった。
 しかし、滑落したOBは残念に救助隊が到達する前に息絶えてしまっていたのである。

 眠い目をこすり、疲労困憊な身体だったが、不思議な縁から朝まで酒を交えて様々な話しを想い出す。

 とにかく積雪期の北アルプスはいくら訓練で体を鍛え、充分な装備をしても危険から逃れられない。

 実際に積雪期の際に備えて入れる保険は皆無である。

 登山ショップで、山岳保険の受付けをしているが、ピッケル・アイゼンを付けるような積雪期登山は、地震・天災・革命・暴動などと並んで免責事項として列挙されている。

 唯一、掛け捨ての山岳保険があった。思い出せないが、その保険会社は後に倒産していまった。

 当時入れた保険は死亡・遭難時に100万しかおりないというもので、救助用のヘリ費用の足しになる程度だったと思う。

 今、「山ガール」といったブームが起きているようだが、安易に山に入るのは、地震・天災・革命・暴動などと並んで危険という事だけは肝に銘じておくべきである。

 各都道府県では様々な山岳団体が存在する。例えば日本勤労者山岳連盟や日本山岳協会などである。

 登山をはじめるにあたってこれらの山岳団体で講習や研修、訓練等が受けられる。

 特に北アルプスや南アルプスを目指すならば、上記の山岳団体等で充分な訓練と装備を教わり、日頃の体力作りをして緊急時に対処できるだけ力量が付き前までは、近郊の低山で訓練を重ねるべきである。

 更に各消防署に問い合わせれば、救急救命救助の基礎的な講習が受けられる。

 気道の確保や人工呼吸などの初歩的な緊急救急手当などのやり方を習える。

 充分な知識・体力・装備で、緊急時に冷静に対応できる力量を日頃から養っておく必要性がある。 
http://fxtrader.at.webry.info/201103/article_3.html
 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
1. 中川隆[-7587] koaQ7Jey 2017年6月10日 06:10:43 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2008年 東映 劔岳 点の記

劔岳 点の記 無料動画
http://www.56.com/u50/v_NTAzMjU1Njc.html
http://yume551.com/japanesefilm/1177.html

長次郎谷から劔岳山頂- YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=eoBu1WnQaZ8
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%95%B7%E6%B2%BB%E9%83%8E%E8%B0%B7

2008年 東映 劔岳 点の記
監督・撮影:木村大作
原作:新田次郎
音楽監督:池辺晋一郎 演奏:仙台フィルハーモニー管弦楽団

キャスト
柴崎芳太郎(しばざき よしたろう) - 浅野忠信
参謀本部陸地測量部測量手。

宇治長次郎(うじ ちょうじろう) - 香川照之
近代登山の黎明期に活躍した山案内人。現在も「長次郎谷」として剱岳にその名を残す。

宮本金作(みやもと きんさく) - 螢雪次朗
人夫。山登りの名人。現在も薬師岳東面の金作谷カールにその名が残る。

小島烏水(こじま うすい) - 仲村トオル
日本山岳会を率いてヨーロッパ製の登山装備と合理的な姿勢で剱岳登頂を目指す。

古田盛作(ふるた せいさく) - 役所広司
元陸地測量部測量手。柴崎の先輩で、かつて剱岳の登頂を試みたが断念した経験を持つ。柴崎に助言し、山案内に長次郎を推薦する。


1906年(明治39年)、参謀本部陸地測量部の測量官・柴崎芳太郎に未踏峰とされてきた剱岳への登頂と測量の命令が下った。それは日本地図最後の空白地帯を埋めるという重要かつ困難を極める任務であった。

山麓の山案内人とともに測量に挑んだ男たちは山岳信仰から剱岳を畏怖する地元住民の反発、ガレ場だらけの切り立った尾根と悪天候・雪崩などの厳しい自然環境、日本山岳会との登頂争い、未発達な測量技術と登山装備など様々な困難と戦いながら測量を行うが…。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%92%E5%B2%B3_%E7%82%B9%E3%81%AE%E8%A8%98


 小説「劔岳 点の記」は、実在の測量官柴崎芳太郎が不屈の闘志で剣岳登頂に挑む姿をつづっている。名作「」などの撮影監督を務めてきた木村カメラマンが「経済至上主義、効率主義の世の中にあって、今とても必要ながある」と映画化を発案。初めて監督も務める形で製作が決定した。

 77年に発表された原作「劔岳 点の記」はこれまで映像化困難と言われてきた小説だ。北アルプスの立山連峰にそびえる標高2999メートルの剣岳は、登頂ルートによっては滑落事故が後を絶たず、特に厳寒期のロケ撮影は不可能と言われてきた。東映は同カメラマンの情熱に押される形で映画化を決め、足掛け2年、約200日に及ぶ撮影スケジュールを立てた。

剣岳に立った人間の目線にこだわるため、CG処理、ヘリコプターによる空撮は行わない。俳優を含む撮影隊は標高2600メートル地点にベースキャンプを張った上、気温が氷点下40度にも達する中、山小屋やテントと山頂付近の上り下りを繰り返す。

松田龍平演じる生田の救出シーンで、雪崩に巻き込まれた設定の元、松田を数メートルの深さの雪に埋めて撮影したが、松田は酸欠で失神状態になった。しかし松田は弱音を吐かずに演じ続け、実際にこの場面が映画で使われた。
http://hhiroko.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_643b.html

『劔岳 点の記』60点(100点満点中)
2009年6月20日(土)公開 2009年/日本/カラー/139分/配給:東映

苦労したことはわかるが、そればかり前面に出すのはどうか

日本地図最後の空白地を埋めるため、命がけの挑戦をした男たちの実話ドラマ。『劔岳 点の記』は、かように魅力的な題材であるが、初監督作品特有の限界が見える、惜しい一品であった。

明治39年、ロシアの南下に備えるため、日本陸軍は国内地図最後の空白地、劔岳の測量を決定する。その任を命じられた参謀本部陸地測量部の柴崎芳太郎(浅野忠信)とそのチームは、現地民で山に詳しい宇治長次郎(香川照之)を頼りに、この未踏峰に挑む。一方、日本山岳会のリーダー小鳥烏水(仲村トオル)もこの山を狙っており、あたかも二人の登頂対決のごとき構図となってゆく。

海外の最新装備でクレバーに攻める民間チームと、現地ガイドの豊富な経験を頼りに根性で進む軍チーム。ドラマに乏しい本作のストーリーに花を添える設定だ。ちなみにこれは脚色で、史実では二者の登頂時期は微妙にずれている。

CGに頼らず、すべて実際に山に入って現地で撮影するという、今の映画界ではあまり歓迎されない(労働強度と報酬のバランスが悪いので)困難なやり方にこだわったのは木村大作監督。黒澤明の撮影技師として知られる名カメラマンで、今回が初監督。脚本づくりは世界のクロサワに倣い、チームでカンヅメになって行ったという。

カメラマン出身だから、本物にこだわる。まったくもって正しい方針といえる。出演者とともに山小屋で雑魚寝し、述べ200日も山にこもったその苦労を思うと、感情的には無条件で賛美したくなる。

……が、当然ながらそうした裏話と作品の評価は切り離して考えるべきだろう。撮影隊の苦労を追いかけたテレビ番組の特集を見てからでないと凄さがわからない映画、というのでは、やはり不完全というほかない。

『劔岳 点の記』は、確かにその撮影風景を思えば「凄い」と思える映像が続出するが、実のところ、そうした観客の「親切な」想像力がなければ、さほどの驚きはない。それは、監督が「絵」を作ることに精一杯で、物語と調和させる事まで手が回らなかった事実にほかなるまい。これほどの素材がありながら、素材だけになってしまったように見えるわけだ。

たとえCGを使おうがセットを組もうが、完成したものを見て「凄い」ならば、裏の苦労は少ないほど良いに決まっている。少なくとも、舞台裏で苦労して仕上がりが甘くなるよりは、ずっといい。

この映画を見ていると、ボディビルジムでよく見かける、やたらと大きなウェイトを真っ赤になって持ち上げている一般トレーニーを想像する。そういう人に限って、肉体は案外普通だったりする。あんなにつらそうに運動しているのに、目的の筋肉は得られていない。これでは単なるマゾか、凄いトレを行った(と思い込む)事で自己満足しているだけである。

一方プロのビルダーは、驚くほど軽いウェイトでとてつもない強度のトレーニングを行い、素晴らしい結果を出す。あのドリアン・イエーツ(90年代に活躍した、超高重量トレで知られるプロボディビルダー)でさえ、ベントローで最大140kg(彼の体重と大差ない重量だ)しか使っていなかったと聞けば、誰もが驚くに違いない。

相変わらずわかりにくいたとえで申し訳ないが、なにはともあれ初監督作品で、しかも69歳という年齢で、これだけこだわった映画作りを見せてくれた点については評価できる。
http://movie.maeda-y.com/movie/01305.htm

芦峅ガイドの系譜 - 立山カルデラ砂防博物館
www.tatecal.or.jp/tatecal/proceedings/11-19-55.pdf

剱岳と立山信仰 - 日本測量協会
www.jsurvey.jp/tsurugidake/topics200902.pdf

1. 剱岳と立山曼荼羅 江戸時代から明治時代にかけて,剱岳は地元の人々 に地獄の剣の山,あるいは針の山として畏れられ,崇められており,古来,前人未踏の山,登頂不可能な山,登ってはいけない山,無理に登ると罰が当たって遭難する山などと信じられていたようである。

とく にその意識は立山禅定登山者を案内した立山衆徒の間で強くみられ,剱岳を登山禁忌の山として登らな い,登らせないといった風習が存在した。実際,剱岳 はあまりにも急峻なため登攀が難しく,いつの頃か らか,弘法大師が草鞋3千足を使っても登れなかった との伝説が語られるようになった。

こうした剱岳に対する立山衆徒の意識が最も如実に 表れた絵画に,「立山曼荼羅」がある。この絵画は,

立山博物館 福江 充
図−1 『立山曼荼羅 佐伯家本』(個人所蔵)
 剱 岳 ( 地 獄 の 剣 の 山 と し て 畏 れ ら れ た)
39THE JOURNAL OF SURVEY 測量 2009. 2

立山に関わる山岳宗教,いわゆる“立山信仰”の内容 が,大きなものでは縦160cm×横240cmの大画面に 網羅的に描かれた掛軸式絵画のことである。私の調 査では,これまで,全国各地に47点の作品を確認している。

立山曼荼羅の画面には,立山の山岳景観を背景にして,この曼荼羅の主題である「立山開山縁起」の幾つかの場面をはじめ,立山地獄の様子,阿弥 陀如来と諸菩薩の来迎場面,立山山麓・山中の名所や 旧跡,芦峅寺布橋大灌頂法会の様子などが,マンダ ラのシンボルである日輪(太陽)・月輪(月)や参詣者 などとともに,巧みな画面構成で描かれている。江戸 時代から昭和時代初期まで,立山山麓の芦峅寺村や 岩峅寺村の宿坊の衆徒たちは,この立山曼荼羅を絵 解きしながら,立山信仰を全国に広めた。

『劒岳 点の記』のなかには,宇治長治郎が柴崎芳太郎を立山山麓芦峅寺村の宿坊家・宝泉坊に案内した際,その主人の佐伯永丸がこの立山曼荼羅を用いて, 柴崎に立山信仰の歴史や剱岳が地獄の針の山であることを解説する場面がみられる。

立山曼荼羅には剱岳が地獄世界の「刀葉林」,ある いは「刀葉樹」として描かれているが,それらは天台宗の僧侶源信(942〜1017)の著書『往生要集』に記載がみられる。

「刀葉林」は地獄世界の中で最も浅いところにあり, 比較的罪の軽い者が堕ちる等活地獄に属する。ここには,生前に殺生の罪を犯した者が堕ちる。刀葉林 では全山に剣が林のように突き立っている。木の幹, 枝,葉の全てが鋭い刃になっているので,亡者は獄卒に追われて逃げまわるうちに全身が切られたり刺され たりして,傷だらけになってしまうのである。立山曼 荼羅では,剣の刃を突き立てたような鋭い岩峰の剱岳が,その特異な山容から「刀葉林」に見立てて描かれ,亡者が獄卒に追われ,身体を傷つけながら,山上へと逃げ登っている。

「刀葉樹」は地獄世界の衆合地獄に属し,等活地獄か ら黒縄地獄を経て,その下にある。そこには生前に殺 生と偸盗・邪婬(夫または妻以外の異性との情事など, 人の道にはずれた性行為)の罪を犯した者が堕ちる。 刀葉樹とは,刃物のように鋭く切れる葉をもった 木である。獄卒が男性の亡者を捕まえて刀葉樹の林 に放置する。そのうち亡者は,刀葉樹の頂に綺麗に 着飾った美女がいることに気づく。亡者が木に近づくと,美女は亡者を誘惑する。亡者は嬉しくなり,すぐさま木に登っていく。すると,刃物のような木の葉が全て下を向く。亡者は美女の魅力に取り憑かれ,刃物の葉で身体の肉や筋がずたずたに切り裂かれていくのも気にかけず,ひたすら美女を求めて木の頂へと登っていく。

ところが,やっとの思いで頂にたどりついても美女 の姿が見えない。亡者が探しはじめると,いつのまに か木の下にいる。そして先ほど同様,亡者を強烈に誘惑する。これを聞いた亡者が急いで木から降りようとすると,今度は葉が上を向き,またもや身体が切り 裂かれていくのである。何とか地上に降りると美女は木の頂にいる。亡者はこれを見てまた木に登り出す。こうして亡者は自分の心に惑わされ,同じ行為を 果てしなく長い時間,繰り返すのである。


2. 剱岳山頂で見つかった銅錫杖頭と鉄剣

図−2 剱岳出土の銅錫杖頭と鉄剣 (富山県[立山博物館]所蔵・国指定重要文化財)

剱岳は登山禁忌の山だったが,明治40年(1907) 7 月13日,旧陸軍参謀本部陸地測量部の測量官柴崎芳太郎と測夫・生田信らの一行が,三角点設置のために 剱岳の登頂を果たした。当初はこれが剱岳の初登頂かと思われた。だがその登頂の際,柴崎一行は山頂 で銅錫杖頭と鉄剣を発見し,持ち帰っている。

のちの明治44年(1911),高橋健自氏が『考古学雑誌』第1 巻第7号でこの銅錫杖頭を取り上げ,成立時期を奈良時代末期から平安時代初期と推定した。

この遺物により,登攀がなかなか困難な剱岳も,奈良時代末期 から平安時代初期の頃,すでに諸国の山岳霊場を巡 って回るような山間修行者に登頂されていたことがうかがわれる。

なお,この銅錫杖頭と鉄剣は,昭和34 年(1959)に「銅錫杖頭附り鉄剣」の名称で国の重要 文化財に指定され,現在,富山県[立山博物館]に所蔵・展示されている。

ところで,立山は古くは「たち山」と呼ばれていた。 「たち山」は立山連峰を全体的に指す呼称とする説や, 連峰のうち,剣のように鋭い山容の剱岳を指す呼称 とする説がある。江戸時代中期の百科事典『和漢三才 図絵』には,剱岳の本地は仏の不動明王とされ,垂迹は神の天手力雄命とされている(現在は須佐之男命) 。 さらに,天手力雄命は日本の記紀に登場する神であるが,それは地元の土着の神としては刀尾権現とさ れている。ここで興味深いのは,「たち山」の呼称をは じめ,不動明王は持物の「剣」が,刀尾権現は「刀」の 文字が,「剣」を強くイメージさせる点である。

こうした剱岳の「剣」のイメージと山間修行者の守護尊を不 動明王とすることなどを併せて考えると,剱岳の山頂 に銅錫杖頭と鉄剣を遺していった修行者にとっては, 鉄剣こそが剱岳に奉納すべき「主」の品であり,錫杖 は「副」の品だった可能性も考えられないだろうか。


3.『地蔵菩薩霊験記絵巻』に描かれた剣の山の剱岳 米国・フリア美術館所蔵の『地蔵菩薩霊験記絵巻』 は,立山信仰の内容を描いた最古の絵画であるが,13 世紀半頃の成立と推測されている。現在では詞,絵 ともに欠失があり,詞5段と絵6段が1巻となっているが,その第2段の絵は,詞書の題名に「地蔵講結縁の人にかはりて苦を受給事」とあり,次のような内容である。

立山に登った修行僧が,夜中に悲しみ訴える声を聞く。それはもと京都七条に住み,若くして死んだ女性で,いま立山の地獄に堕ちて早朝,日中,日没の3 度,苦しみを受けるという。しかし生前,地蔵講に2 度結縁聴聞したおかげで,火災の苦しみと「剣の山」 の苦しみは,地蔵菩薩が代わって受けてくださるが,
鬼に鞭打たれる第3の苦しみだけは逃れることができない。どうか都の父母に告げて,自分の生前使ってい た鏡を地蔵菩薩に供養し,この苦から助けてほしい と頼んだという。

この内容は,平安時代末期の仏教説話集『今昔物語 集』に収められた立山地獄説話のひとつ「越中立山の 地獄に堕つる女,地蔵の助けを蒙る語」(巻第17第 27)を題材としている。同話は,立山参詣中の修行僧 延好が,立山地獄に堕ちた女性亡者の依頼を受け,そ の京都七条の生家を訪ねて,遺族に地蔵菩薩像1体の 造立や法華経3部の書写,亭子院での法会など,亡霊 救済の追善供養を営ませた話である。そのなかで,女 性が生前,祇陀林寺の地蔵講に1,2度参詣した功徳 で,地蔵菩薩が毎日地獄にやって来て,早朝,日中, 日没の3回,自分の身代わりとなって苦しみを受けてくれることも併記している。

実際に作品の画面を見ていくと,それは次の4つの 場面で構成されている。

@鳥居がかすむ立山の山中, 画面右上に坐すのは修行僧延好で,女性亡者が延好 に合掌して,救済を哀願している。

Aその左には女性 亡者に代わって炎に焼かれる地蔵菩薩。

Bさらに左 には女性亡者に代わって剣の山に登る地蔵菩薩。画中に「剱岳」を示す文字注記はないものの,この剣の山はおそらく「剱岳」であろう。

C画面下部には断崖 に逆さ吊りにされて鬼に鞭打たれる女性亡者。

さて,『今昔物語集』の立山地獄説話と『地蔵菩薩霊 験記絵巻』の内容を比較すると,前者には,女性亡者 が受けた責め苦の内容は具体的に記されていないが, 後者には,責め苦のひとつに地獄の剣の山が記され ていることから,どうやら平安時代末期から鎌倉時 代中期の間に,剱岳が地獄の剣の山,あるいは針の 山に見立てて信仰されるようになっていたものと考えられる。
www.jsurvey.jp/tsurugidake/topics200902.pdf


2. 中川隆[-7586] koaQ7Jey 2017年6月10日 06:19:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2014年07月16日 立山〜剱岳 立山で半遭難と、半インチキ劔岳 山行記録
http://singlesmile.hatenadiary.jp/entry/20140716/p1

2014年7月13日(日)曇りのち暴風雨
       14日(月)雨

立山周回〜剱岳

13日
07:00 立山駅よりケーブルカー
07:30 美女平より立山高原バス
08:15 室堂
10:15 一ノ越山荘
11:15 雄山
14:10 剣山荘

14日
06:00 剣山荘
08:00 剱岳
09:35 剣山荘
11:15 剣御前小舎
12:50 室堂

13日
歩行距離 9.1km 5時間55分(休憩含む)
室堂標高2440m 最高点:雄山標高3003m 標高差563m 累積標高1715m


14日
歩行距離 9.0km 6時間50分(休憩含む)
最高点:剣岳標高2990m

道中の飲料水 携帯お茶2.0L内0.7L使用

着衣(上) 長袖ヒートシャツ カッパ フリース(室内) ウインドブレーカ(未着用) ULダウン(未着用) 防水風防パーカ(未着用)

着衣(下) 化繊のズボン カッパ

靴 トレランシューズ ゲイター アイゼン

他 ヘルメット ピッケル(未使用)

会社の休日調整でどういう訳か平日の月曜日が休みになった。平日の月曜日なんて家族誰も居ないしどっか山でも行こうか。って考えてたら、そうか日曜日も使って普段行けない山に行こう。夢の北アルプスに行こう。北アルプスなら何処に登る?何か良く分からないけど、次に何時行けるか分からないから一番の難所と言われる劔に登ろう。劔岳から眺めれば、北アルプスがどういうもので、今度は何処を目指したくなるか分かるはず。こうして僕の初北アルプスの計画が始まった。

アクセス

岐阜方面からだと、東海北陸自動車道を北上し、北陸自動車道に入り立山ICまで。

僕は1区間ケチって富山ICを使う。

高速を下りて富山地鉄立山線の立山駅を目指す。立山駅前に無料駐車場有り。

立山駅からケーブルカーに乗り、立山高原バスに接続、室道まで。

ケーブルカー&高原バスの往復運賃は大人4310円。
荷物が10kg以上になる場合は、高原バスで追加300円(片道)。
ケーブルカーの荷物料金加算は無し。

G割(ぎふわり)という高速道路料金割引サービスが有る。
名神と中央道の一部、東海北陸自動車道全線の区間内で2日間走り放題5千円。平日だと片道でも5千円オーバーするので、名古屋方面から向かう場合は使い方によってはお得。事前に登録が必要。

ケーブルカーの始発は7時。室堂から下る高原バスの最終は17時。時期によって時刻表が変わる為、予め調べておいた方が良い。


今回のルート
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/single779/20140715/20140715204125_original.jpg


山旅ロガーでGPSのログを取り、カシミールで表示させています。

地形図を作りたい場合は、カシミールから地図を印刷する手順をまとめたのでそちらを参照下さい。

カシミールで登山地図を作る
http://ameblo.jp/single779/entry-11534520210.html


13日
室堂から室堂山〜龍王岳を経由して一ノ越山荘、雄山に登り大汝山、真砂岳、別山を経由して剣御前小舎、剣沢を下り剣山荘まで。

14日
剣山荘から剣岳、剣山荘に戻り剣御前小舎、雷鳥坂を下りミクリガ池を通り室堂まで。


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立山駅前駐車場。天気は下り坂。早めに行動したいけどケーブルカーの始発は7時。登山者と観光客半々位かな。ヘルメットを持っているのは僕以外に1人だけだった。

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何気にケーブルカー楽しい。楽しいのに写真を撮っているのは僕だけだった。早朝のケーブルカーは静まり返ってる。

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高原バスを乗り継いで室堂へ。高原バスからちらっと剱岳が見えた。天気しばらく持つかなって期待したけど、バスターミナルを出たら既に雨だった。まだかろうじて山が見える。
8:15 室堂スタート

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去年立山を歩いた会社の友人が「立山はハイキングコースみたいだった」って言うからイージーなんだろう。じゃあ雄山(一ノ越)を目指さずにまずは室堂山から登るか(これがアダとなる)。

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室堂山へ向かう登山者はとても少ない。前方に1人見えるだけ。雪渓を登る。

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雪渓から岩の急登。結構ハード。天気が悪くてテンション上がらない。

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雷鳥さんこんにちは。人が近寄っても逃げない。

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すっかりガスって何が何だか分からないまま小屋が現れた。大学の研究施設と書いてある。この後一ノ越へ下るルートが分からないから小屋の人に尋ねてみた。雨の中親切に行き先を教えてくれた。ありがとう。

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一ノ越へ向かって下る。天気が良ければ行き先が見えるから迷うことも無いんだろう。室堂付近の雪渓が見える。

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10:15 一ノ越山荘。一ノ越は登山者で賑わってた。

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一ノ越から室堂方面。雪渓を登ってくる登山者。

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一ノ越から雄山に向かう岩の急登。全然ハイキングコースじゃないんだけど。しかも風が強い。でも登れない状況じゃないから立山を周回して行く事に。

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岩の急登から一ノ越を見下ろす。登る人、下る人が交錯する。結構しんどい。室堂山を経由した事を少し後悔する。

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11:15 雄山神社。急登でペースが上げられなかった。意外に時間を体力を使ってしまった。でもここまで登れば後は稜線伝いだろう。雨をしのいで手早く軽く食事して出発する。先が長いからのんびり食事してられない。

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雄山神社を過ぎると登山者見かけなくなった。ひっそりとした山小屋。映画の舞台となった小屋らしい。ここまではまだ余裕が有ったけど、この後猛烈な突風に曝される。どれ位猛烈かというと、息が出来ない位、真っ直ぐ歩けない位で、身の危険を感じる。突風でよろめく度に踏ん張るから、ペースは全く上がらず疲労していく。既に随分進んでいるから戻るに戻れない。なるべく早く稜線を抜けるしかない。

もう時間とか写真とかそんな余裕は全く無い。ここからは音声のみでお届けします。

「あばばばば!」(息が出来ない)
「あかん!ヤバい!遭難する!」

「メガネ!メガネヤバい!」(メガネが飛ばされそう)
「ぼへぇ!」(ハイマツに突っ伏して体勢を整える)

「こっちで良いんかいな」(地図をゆっくり見る余裕も無い)
「道無いやんけ」(別山から剣沢に下るルートが真っ白けで分からない)


北斜面に入ってしまえば風がしのげるからとりあえず真っ白けの雪渓を下るか、強風覚悟で明瞭なルートを下るかしばし悩んで、ルートを外さない事を選んで剣御前小舎へ向かう。

やっとの事で剣御前小舎に着く。遭難せずに済んだ(*´Д`)=з 剣御前小舎は登山者で賑わってた。小屋の人に剣山荘までの道のりを尋ねる。雪渓を下るとキャンプ場が有り、その先に劔澤小屋が有り、その横を抜けて行くと剣山荘が有ると教えてくれた。雪渓はマーキングが有るものの、この天気では不明瞭かもしれないので無理しないようにって教えてくれた。

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雪渓をトラバースしていく。剣御前小舎に向かう登山者とすれ違う。劔澤小屋までの行き方を教えてもらう。晴れていればなんて事は無いルートのはずが、視界不良と強風で困難になる。稜線を下れば風が収まるかと思ったら、雪渓の上も強風。剣山荘まで行けないかもしれない。

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強風にあおられて雪渓を下ると、雪渓を横切るマーキングが見えた。劔澤小屋から剣山荘方面に向かうルートだ。ルート上に点々と石が置いてあってルートが分かりやすい。たどって何とか剣山荘にたどり着けた。着いたものの、入口が頑丈な板でふさがれてる。勝手口を叩いて入れてもらう。良かった。たどり着けないかと思った。

f:id:single779:20140715204059j:image
剣山荘はとても綺麗だった。悪天候と翌日が平日という事で宿泊客は僕を入れて4人だけ。だから個室になった。広い部屋を1人で使えてありがたい。シャワーと水洗トイレが使える。食事も美味しかった。

一日暴風雨に曝されてテンションガタ落ち。正直なところ剱岳どころじゃなく、半遭難状態で剣御前小舎に着いた時点で僕の北アルプスは既に終わった気分だった。

劔に向かう人はみんなちゃんとした装備を持ってる。グリベルの3種の神器(ピッケル・アイゼン・ヘルメット)だ。中国製のオモチャみたいなアイゼンと手作りのピッケル持ってる人なんか居やしなくて、「ふざけてるのか?」って言われそう。

しかも、上着は沢山持ってきたのにパンツとズボンの替えが無い。濡れたズボンを穿いたままだと尋常じゃない震えが。仕方ないのでパンツだけでガマンし、その間にカッパを乾かし、カッパを穿いてズボンを乾かした。とても惨めな気分だけど、個室で助かった。

剣山荘には二人組みの青年が居て、今日の午前中に剱岳に登って来たと言う。午前中は天気が持って良かったらしい。そこで剱岳の状況を色々教えてもらった。翌日の天気予報は曇り。天候の回復を願って食ったら寝よう。19時位には寝てしまう。

朝4時に起きて外を見ると、相変わらず強い風と雨が降ってる。こりゃダメだ登れそうに無い。寝直す。5時に再度起きて5時半に朝食、天気予報は相変わらず曇り。風が少し収まった。昨日の暴風雨の後だから行くか行かないかかなり悩んだ末、行ける所まで行ってみる事にする。

重いザックは小屋に置いていく。昨日の青年にピッケルは要らなかったと聞いたから、ピッケルも持たない。アタックザックに最低限の荷物を入れ、極力身軽にする。

6:00 剣山荘出発


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小屋からの序盤に雪渓をトラバースする。ステップが切ってあるから歩きやすい。アイゼンを必要としたのはこの序盤のみだった。

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劔に向かう途中で今日も雷鳥さん。雷鳥は天気が悪いと現れるんだよね。って宿に泊まったおじさんが話してた。雷鳥トラウマになりそう・・・

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鎖場を幾つも越えていく。マーキングが有るものの、視界が悪いとルートが時々分からなくなる。登山者は全く見掛けない。ただ、予想していたよりも風が無い。登山道は丁度稜線の風下側を通ってるから比較的穏やかに歩ける。

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梯子と鎖場。コルは風の通り道だから気を遣う。ガスで真っ白けで今自分がどの辺りを歩いているのか、頂上までどれくらいなのか見当つかない。

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ひたすらマーキングを辿り、鎖をたぐる。剱岳といえばカニのタテバイ、カニのヨコバイが有名だけど。それ以外もハードな鎖場が連続する。

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鎖場を下る。矢印が上を向いてる。これ下山道の鎖場だ。誰も居ないからまぁ良いか。

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トイレ。こんな所によくトイレなんか作ったよな。って思うけど、片道3時間、往復で6時間近い行程になるからそりゃトイレも必要だよね。登山者で渋滞している中、岩場でおしっこなんか出来ないしな。

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トイレ過ぎて、カニのヨコバイ。あれれ?登りはカニのタテバイだよね? 実は宿で一緒だった青年が「人が少ない時はヨコバイから登ると楽なんだそうですよ」って教えてくれた。なんだかインチキ臭くて正直ヨコバイで登るのはどうなんだろう?って思うものの、じゃあタテバイ以外で登るのは剱岳を登ったとは言わないのか?というとそれも違うだろうし、そもそもこの悪天候で誰も登っていない状況下で剱岳にどうやって登ろうがどうでも良いんじゃないか?という事でとりあえず山頂まで行く為にヨコバイから登る。

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ヨコバイをクリヤして剱岳山頂。看板持って記念撮影するのはお約束だそうだから、僕も撮影するけど感動もへったくれもありゃしない。山頂付近の風が心配だったけど、どういう訳か穏やかだった。お陰で無事に山頂に立てた。助かった

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再びヨコバイで下る。ハンパ無い高度感だけど安全帯が有るから安心感が有る。足がかりは有るけど手がかりは鎖しかない。鎖が無ければ普通は歩けない場所。

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ヨコバイ後のアルミ梯子。丁度風上側になって風にあおられる。梯子は安全帯つけられない。雨で滑りやすいから注意して下る。

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何だろう?平蔵の頭?ガスって良く見えない。

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下山道は比較的歩きやすいものの、風が強い。でも昨日に比べたらピクニック気分。

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岩場を下る。鎖場じゃなくても危ない。鎖場じゃない方が危ないかもしれない。
9:35 大きなトラブルも無く剣山荘まで戻ってきた。往復3時間半で予想よりも遥かに早く戻ってこれた。支度してオーナーにお礼を言って室堂へ向かう。

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剣御前小舎に向かう雪渓が地味にしんどい。昨日は下りで風にあおられてたからあっという間だったけど、地味に急斜面で地味に長い。早めに劔から戻ってこれて良かった。バスの時間を気にしながらこの登りはキツい。

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やっと剣御前小舎。一息ついて室堂へ下る。

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室堂(雷鳥沢)へ下るルートはとても明瞭。沢山の登山者が歩いてるんだろう。平日にも関わらず何人も登山者とすれ違う。

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雪渓に出て下る。雷鳥沢キャンプ場付近が見える。下から登山者パーティが登ってくるのが見えた。

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パーティは今日剣山荘へ泊まるそう。明日は晴れそうで良かったね・・・

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立山。散々だったけど、最後に少しだけ見れた。

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雷鳥沢キャンプ場付近を見下ろす。剣御前小舎から室堂まではすぐだろう。って思ってたら、結構下って結構登る。

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あぁ、やっと室堂着いたよ。って思ったら雷鳥沢ヒュッテだった。室堂はさらにここから登ってぐるりと回る。

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さようなら立山。

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ミクリガ池を抜ける。この辺りは観光客も多い。

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室堂に着いてカッパ脱いだら丁度バスの発車時刻だった。小綺麗な観光客に混じってよれよれで湿ったおっさんがバスに揺られる。平日にも関わらずその後ケーブルカーも観光客でぎゅうぎゅう。

こうして僕の初めての北アルプスが終わった。

ルート

室道から一ノ越山荘間と、雷鳥沢キャンプ場から剣御前小舎に向かう途中はかなりの雪渓有り。剣御前小舎から先の剣沢もかなり雪渓有り。

一ノ越山荘から雄山〜大汝山〜真砂岳〜剣御前小舎間は積雪無しでピッケル、アイゼン不要。

剣山荘から剱岳へ向かう序盤は雪渓有り。それ以降積雪無し。雪渓はステップが切って有るので軽アイゼンでも歩けそうだけど、剣山荘に至るまでに雪渓をかなり歩く為まともなアイゼンは有った方が良い。ピッケルは今回は終始使う場面無し。剱岳へのルートはマーキングが有るものの、一部迷いやすい所も有る。特に天候が悪いと先が読みにくいのと、滑りやすいので難易度が上がる。また、登山道と下山道が交錯する為、下山道で登ったり、登山道で下ったりしてしまった。

初めて登るなら、なるべく良い天気の日に、渋滞を覚悟で登山者が多い時期に行く事をお勧めする。登山者について行けばルートで悩む事もなく、難所の歩き方も参考に出来る。剣山荘の受付前に剱岳までのルートの詳細な解説と参考写真が有る。カニのヨコバイの最初のステップ等は参考になるので一見の価値有り。

感想

今回一番の難関は初日(13日)の立山での暴風雨だった。冬の鈴鹿で強風は何度も体験していたけど、ここまで酷い突風は初めてだった。まっすぐ歩けない、息が出来ない位の激しい風に曝されながら稜線上を歩くのは、僕の対処出来るレベルを超えていた。あぁなるほど、みんなこうやって遭難するんだって思った。無事に下山出来たのは運が良かったとしか言い様がない。

初日がそんな状態だったから、天候不順な中を剱岳へ向かって良いものかかなり悩んだ。だけど、ほぼ同じルートをピストンするから帰りのルート状況は把握出来るし、無理そうなら早々に諦めるとして行ける所まで行ってみようと思う。やや風が有るものの登山道はほとんど稜線の風下側を通っていて、強風に晒される事はほとんどなかった。山頂も僕が到着した時は予想に反してとても穏やかだった。下山道は風を受けるものの、結果さほど苦労する事無く登ってこれた。ただ道中の眺望は全く無し。単に山頂へ行ったというだけ。

一般登山道最難関とされる剱岳よりも、友人曰く「ハイキングコースみたいだった」という立山の方が遥かに怖かった。難易度が高いと言われるルートも条件が良ければ困難ではないし、例えハイキングコースレベルだとしても条件が悪ければ遭難する。そんな当り前の事を痛感させられた。散々な山行になったけど、これほどギリギリの体験をする事もそうそう無いだろうからとても貴重な体験になった。

自分の限界を超えてしまいそうな程のギリギリの山行をする事は非難されても仕方がない。読みが甘かったのは間違いない。僕だってこれほどの強風に見舞われるのが分かっていたら登らなかった。でも自分で体験してみなければ本当の事は分からないし、未熟さ故にアテが外れる事もある。強風がどれほど困難かは、僕があれこれ言った所できっと体験した人にしか分からないだろう。「遭難するかと思った」って奥さんに言ったら、「そんな訳ないやろ」って鼻で笑われた。知らない人からすればそんなもの。

今回、剣山荘から剱岳往復で3時間半だった。剣山荘で一緒になった青年二人組は往復6時間ほど掛かったと言っていた。剱岳を満喫したのはどちらか?と言えば、間違いなく彼らだ。速く歩けるに越した事はない。だけど、登山は競技じゃない。どうせ登るなら天気の良い日に、渋滞すら楽しめるだけの余裕を持って登りたい。「登り2時間でした」と言ったなら、「あらもったいない」って言うべきだ。そう、僕は初めての北アルプスなのに、全然満喫出来てないんだ。登山者の憧れである北アルプスがこんなもので良いはずがない。


覚書に今回の教訓を書いておく。

・カッパはなるべく良い物を。軽量コンパクトとか透湿性とかではなく、とにかく丈夫な物。暴風雨の中でカッパが破損するって事は本当に命に関る。

・メガネはメガネバンドで。視力が悪い人が悪天候の中でメガネを無くすという事は、即遭難に繋がる。今回「風が強かったら困るかも」程度の考えでとりあえず百均のメガネバンドを持って行ったけど、激しいスポーツにも耐え得るバンドを持っていた方が良い。

・ヘルメットは実際に被って確認。さすが北アルプス。ヘルメットを持っている人をちらほら見掛けた。剱岳に登るなら必須だろう。ヘルメットは実際に被って自分に合うか確認した方が良い。僕は長時間被ると頭が痛くなった。

・ハーネス(安全帯)推奨。精神的な安心感が違う。タテバイ/ヨコバイ以外でも普段経験する事が無い高度感を味わう事になるから、ハーネスじゃないにしても安全帯は持参した方が良い。市販のスリングとカラビナで簡易的な物が作れるし、切り売りのザイルを使っても良い。登山用品店で尋ねると教えてくれるはず。カラビナは頻繁に掛け替えるから、ケチらずに使いやすい大き目の物を。

・剱岳に登るならアタックザックを使用した方が良い。身軽な事は物凄く有利になる。

・前線でも荒れる。気圧の谷間は風が強いの分かるけど、前線でもこれほど荒れるとは知らなかった。天気図は事前に何度も確認して停滞前線が掛かり雨が近付いているのは分かっていたけど、停滞前線でこれほど荒れるとは思わなかった。
http://singlesmile.hatenadiary.jp/entry/20140716/p1


3. 中川隆[-13357] koaQ7Jey 2018年12月29日 08:32:11 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22210] 報告

冷やす女 (世にも奇妙な物語) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=TMKgLH1Yi6U

2000年春
水野美紀
辻仁成

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