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「フジ子・ヘミング現象」の何が問題なのか?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/772.html
投稿者 中川隆 日時 2017 年 10 月 28 日 04:53:39: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 宇野功芳 ブルーノ・ワルターと我が音楽人生 投稿者 中川隆 日時 2014 年 1 月 27 日 00:04:27)

フジコ・ヘミング(Georgii-Hemming Ingrid Fuzjko)
Born on December 5, 1932 in Berlin, Germany to a Japanese mother and a Swedish father of Russian descent.
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%B8%E5%AD%90%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0


ラ・カンパネラ / フジコ・ヘミング - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=i1eGhpN1Zgk

フジ子・ヘミング - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=Fujiko+Hemming+
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%95%E3%82%B8%E5%AD%90%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0

ふじこヘミング あるピアニストの軌跡 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=gLnoUKAeJkU
https://www.youtube.com/watch?v=3VYEz3b3_mE

ドラマ「フジ子・へミングの軌跡」- YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%80%8C%E3%83%95%E3%82%B8%E5%AD%90%E3%83%BB%E3%81%B8%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%81%AE%E8%BB%8C%E8%B7%A1%E3%80%8D


2005.06.11
大きなお世話ですが、フジコ・ヘミングはヘタクソです。


◆フジ子・ヘミングが上手い、と思う方。他のピアニストの演奏も聴いてみましょう。

 このピアニストを最初に取り上げたのは、てっきりフジテレビのバカかいずれにせよ、民放だとおもっていたのだが、そうではなくて、NHKだと知って唖然とした。

 結論から述べるが、この人物はプロの演奏家として、十分な音楽性も、テクニックも持っていない。特異な経歴と風変わりの容貌は、テレビ屋にとっては、格好の数字を稼げるキャラクターであろうが、何が「魂のピアニスト」だ。

日本人は浪花節が好きだから、「心で歌う」というと珍重され、「テクニック」というと「冷たさ」を連想するようだ。

芸術は、確かに精神活動だが、表現するに必要なテクニック、しかも、素人とは次元の違うテクニックを持っているようでなければ、プロフェッショナルとはいえない。

ジュリアード音楽院で数々の名ヴァイオリニストを育てた鬼教師、イワン・ガラミアン教授の"Cry now. Play later."(今泣いて、後で弾け)とは、そういう意味である。

◆あんなトロいのは、「ラ・カンパネラ」ではない。

 他人がどんな音楽のどんな演奏を好もうが、私がとやかく言うべきでないことぐらいは、私とて承知しているが、このオバサンばかりは我慢がならん。

 リストのピアノ曲などというものは、テクニックを「見せる」ためにある。音楽的な価値という点では、ショパンや、シューマンや、ましてやモーツァルトやバッハと比べるのも失礼な作曲家なのだ。

 ラ・カンパネラはもともと、ヴァイオリンの奇才、パガニーニのヴァイオリンコンチェルトの主題をそのまま使って書いたピアノ曲だ。それに、リストがさまざまな修飾を施して、ピアノ独奏用の曲にした。

とにかく難しいテクニックのてんこ盛りである。それを如何に、スピード感を維持して弾ききるか、というのがピアニストのうでの見せ所なのだ。

 ところが、フジ子・ヘミングのテンポ設定は遅すぎる。早く弾けるのに独自の解釈で遅く弾いているのではない。本来のテンポでは弾けないから、遅く弾いているのだ。彼女がチェコのオーケストラ(天下のチェコ・フィルではない、2流どころ)とチャイコフスキーのコンチェルトを合わせるのを聴いて、良く分かった。

 絶対的なテクニックが不足しているのである。

 プロのピアニストたるもの、「カンパネラ」に限らず、楽譜に指定された、本来のテンポで弾けないのなら、その曲を客の前で弾いて、或いは録音をして、カネを取るべきではない。

 そういう人物が、マスコミに乗せられて、自分が上手くなったつもりでいる。他のピアニストで「カンパネラ」を聴いたことがない人はそれでだませるだろう。

 しかし、他の音楽家や長く音楽を聴いている聴衆はあきれている。私は、演奏家をこれほど酷評するのは初めてだ。それほど、許せないほど、ヘタクソなのである。

◆【追加】コメントを書き込む前に。

このエントリー(記事)をアップしてから5年が経ちますが、当ブログで最もアクセスが多い記事なのです。

コメントを書いて下さるのは、原則的に有難いのですが、あまにも幼稚で、ただ罵詈雑言が羅列してあるようなものは、レスをするのもアホ臭いので、IPアドレスがわかりますから永久にコメント書き込み不可にさせていただきます。

そして、フジ子・ヘミングさんのピアノがヘタクソだといわれて、反論なさるのは結構ですが、その前に、比較的最近(2010年2月)書いた、自分と他人の区別が付かない人々。
という文章をご一読頂きたいと思います。これは、

自分が良い演奏だと思うのなら、「それが分からないJIROはバカだ」と思っていればいいではないか。という趣旨です。ご参考までに。

◆【追加】本物のラ・カンパネラを聴いてご覧なさい。

Salvatore Accardo plays La Campanella by Paganini - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=YaxHZxvmSwQ

Evgeny Kissin - La Campanella (Liszt) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=0FbQZCsYXVg

Arthur Rubinstein plays La campanella - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=hQULyGMhhWs

Wilhelm Backhaus - La Campanella (1908) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=MQKsCJyclp0

Liszt La Campanella Godowsky Rec 1913 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Cn_J-5EDKqI

BUSONI PLAYS Liszt LA-CAMPANELLA - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=MGp6Hs6Yro0

ときどき、テレビで思い出したように「フジ子・ヘミング」を放送すると、このエントリーへのアクセスが増える。

今日(2007年07月01日(日))も何かやったらしいですね。
折角だから、本物の「ラ・カンパネラ」をお聴かせしましょう。

これが、本来のテンポと、ダイナミックス(音の強さ)なのです。
お分かりになったでしょうか。

◆Enpitu経由で届いたメール。

こういうことを書いても仕方がない、という見本です。

「だから、所詮、フジ子・ヘミングファンは・・・・」という私の偏見を強めるだけです。

2010年10月03日(日)に届いたメールです。

名前:愚者に気付く凡人 ( a@ezweb.ne.jp )

件名:あんた弾けんの?

あれ以上のピアノをあんたが弾けるってんなら公開してみろよ。
聞いて批評するだけならこんな文を公にする意味ねーだろ。
良いか悪いかってんならともかく、ヘタクソと言ったからにはもちろん弾く側なんだろうな?

日本語わかって載せてるんだろうから、公開してみろよ。
聴いて判断してやるよ。本当にヘタクソだったかどうか。
他の名演奏者を並べて誤魔化すなよ。

ヘタクソといえるのはあんたが挙げた演奏者自身だろ?
お前は言う資格ねーだろ!
まず日本語から学べ! ドアホ!!
http://jiro-dokudan.cocolog-nifty.com/jiro/2005/06/post-1fc5.html


「フジ子・ヘミング現象」の何が問題なのか? 冷泉彰彦 2011年09月28日

 ピアニストのフジ子・ヘミング女史のリサイタルを聞く機会がありました。場所は、ニューヨークのリンカーンセンター内のアリス・タリー・ホール。東日本大震災のチャリティーという主旨もあって、多くの聴衆が集まっていました。その聴衆ですが、ザッと見渡したところ95%は日本人のようで、場内のアナウンスも日本語だけであったり、在米日本人コミュニティーのイベントということは明らかでした。改めて日本でのフジ子人気の凄さを感じさせられました。

 リサイタルの内容ですが、一部で言われているような「超スローテンポ+旋律の濃厚な味付け」のユニークな演奏というのではなく、端正でロマンチックな普通の演奏でした。確かにテンポに変化をつける部分はありましたが、一小節内のリズムは良くも悪くもメトロノームを刻むような正確さがあり、節度を崩した演奏という印象はありませんでした。

 メカニックにしても解釈にしても最近のピアノ界の様々な「技術革新」や「研究成果」とは無縁のものでしたが、メロディー偏重の味付けは古き良きピアノ演奏スタイルであり、どこか懐かしさを感じさせる演奏だったと思います。中でもスタインウェイの中高音をブリリアントにしっかり鳴らしている「音」は、十分に印象に残るものであり、ご本人の人懐っこいステージマナーと共に、一晩のピアノ・リサイタルとしては満足の行くものでした。

 ですが、このリサイタルを聞いて、またヘミング女史に関する過去の日本のTV番組のクリップなどを見て、また一方でネット上に溢れている賛否両論に触れてみて、私は考えこんでしまいました。というのは、この「フジ子・ヘミング現象」というのは、日本の音楽界における専門家グループ、つまり「国内演奏家+音楽教育者+音大生」からも、そして愛好家グループ、つまり「新旧の海外演奏家のファン+文学的な印象批評の読者」の双方からほぼ全否定されているようだからです。

 実は日本のクラシック音楽界では、昔からこの「ドメスティックな専門家」と「音楽ファン」は仲が悪いのです。ベルリン・フィルやメットオペラの来日公演に一枚3万円とか6万円といったカネをはたく音楽ファンの多くは、国内の演奏家には見向きもしません。ただ、日本人が海外のコンクールで優勝したり、海外のオーケストラで常任指揮者になったりすると、突然「外タレと同レベル」に見なして応援を始めるわけで、そんな音楽ファンの存在は、国内の専門家には遠い存在でしかありませんでした。

 では、その犬猿の仲である両者がどうして「フジ子批判」ではタッグが組めているのでしょうか? 一つには、ヘミング女史の演奏スタイルが、現代の基準からは外れているということがあります。まず現代のピアノ演奏は、メカニックの面での技術革新が進んでいます。これは1970年代に「ポリーニ、アルヘリチ、ベルマン」といったピアニスト達がプロに要求される技巧的な水準を一段引き上げてしまい、現在はそうした「上手い」演奏を当然のように聞いて育った若手が、更にメカニカルな安定度を競っているわけです。

 そうした時代的な視点から見ると、60年代以前の香りのするヘミング女史の演奏は「許せない」ということになるのだと思います。右手がメロディーを歌っているときに、左手の伴奏がどう動くのかというのは、現代の演奏では意図して設計して立体感を出すのは当たり前ですが、フジ子流の即興的なスタイルでは、完全に意識が右手に集中してしまっているようなことがあり、これは「断じて許せない」ことになります。また「譜面の進行上に多少曖昧な部分がある」などというのは「あってはならないこと」なのでしょう。

 演奏解釈も同様で、70年代以降こちらも精密な表現技法がどんどん進む中、メロディーに耽溺するようなスタイルは、現代では嫌われます。そうした問題に加えて、長引く不況の中で、クラシック音楽界も大きな影響を受けているという環境では、ヘミング女史のリサイタルだけが突出して大勢の聴衆を集め、CDにしても百万単位で売れているというのは、嫉妬心を越えて業界全体の構造的な問題になっているのも分からなくはありません。


では、このまま専門家や音楽ファンからは「下手」とか「許せない」などとボロクソを言われる一方で、「現象」は続くという対立構図が続いてもいいのでしょうか?

 私はこの妙な対立の背後には深刻な問題があるように思うのです。それは、結局のところ専門家や音楽ファンは「フジ子・ヘミングの演奏に感動している人」をバカにしているという問題です。例えば、ヘミング女史の演奏を聞いて初めてショパンの魅力を知った人に対して、「ノクターンだけでなく、マズルカやバラードも聞いてみれば?」とか「エチュードは全部で12曲のものが2セットあって、有名なものをバラバラに聞くのもいいけど、続けて聞くと全体の構成がカッコ良いんですよ」というようなアドバイスならまだ分かります。

 ですが、「アノ人の演奏はダメ。例えばショパンなら、ポリーニとか、ピレシュとか、ブレハッチを聞きなさい」という言い方では、折角ヘミング女史の演奏を聞いて「初めてピアノの音楽で感動した」人に対して、その感動の体験を否定してしまうことになります。それは、その人の人格を否定していると言っても構わないでしょう。そのように人を見下した姿勢がその世界の「敷居を高くしている」ということに反省がなくては、「フジ子現象」をクラシック音楽愛好家の裾野の拡大に結びつけることはできないと思います。

 無国籍者として貧困と孤独の半生を送ったとか、今も天涯孤独でネコ9匹と暮らしているといった、音楽と無関係なファンタジックな人生物語が付随している、その点をバカにする人も多いようです。ですが、そもそもクラシックの音楽というのは過剰なまでの情報量を持っていて、何らかの人生観なり世界観に絡めて理解しないと受け止められない性質があるわけです。

 そう考えると、ピアニストのキャラクターに興味を持つことから音楽に親しみを持つというのは、一種の必然とも言えます。その点で言えば「ブレンデル引退コンサートに巨匠の人生が凝縮されている」とか、「革命と恋に生きたショパン」などという音楽ファンの言い方にしても、人生物語のファンタジーということでは変わらないように思うのです。
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2011/09/post-346.php  

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
 
1. 中川隆[-6099] koaQ7Jey 2017年10月28日 05:13:40 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2010.02.08 自分と他人の区別が付かない人々。

◆弊ブログでアクセスが常に最も多いのは

「大きなお世話ですが、フジコ・ヘミングはヘタクソです。」
http://jiro-dokudan.cocolog-nifty.com/jiro/2005/06/post-1fc5.html

なのです。

私のWeb日記とブログは本来、時事問題を取りあげる日記で、たまに音楽を紹介をする、というつもりでいたのです。

クラシックなど聴いて頂けないかな?と思ったのですが、自分で書くのもなんですが、

音楽記事を意外に気に入って頂けたようで、元々クラシックが好きだったと言う方からメールを頂くこともありますし、

今まで、殆ど知らなかったが、随分と色々楽しい曲を知ることが出来た、というコメントを頂いたりして、

私としては、誠に喜んでおります。ありがとうございます。

全ての記事(エンピツに登録したのが、2002年4月で、ココログにも同じ文章を載せ始めたのは2004年11月です)、

約2,600本の中で、目下最もアクセスが多いのは、きちんと統計を取った訳ではないのですが、ほぼ間違いなく、

大きなお世話ですが、フジコ・ヘミングはヘタクソです。(ココログのみに掲載)

でして、頂戴したコメント数も、全ての記事の中で一番多いのです。

多くの方にお読み頂き、大変ありがたく存じます。


◆コメントを頂戴するのは構わないのですが、不思議に思うことがあります。


ブログ・エントリー、大きなお世話ですが、フジコ・ヘミングはヘタクソです。をご覧頂くと分かりますが、

頂戴したコメントの数が多いのは前述の通りで、賛否両論あります。それは当然なのですが、

正直、少し不思議です。特に私の記事本文に反論をお持ちになったり激怒なさったりする方々が、コメントを書かれています。

フジ子・ヘミング氏はおカネを取って演奏を聴かせるプロですが、はっきり言って私はそのレベルに達していない、と書いています。

これに対して、反論はまだ、良い方で、「死ね、この野郎」の類のメールも頂戴します。


これは、無駄だと思います。どんなことを書かれても、私のヘミング女史の演奏に対する評価は変わらないと思います。

また、私は他の方がヘミングさんの演奏を最高のものだ、と「感じる自由」や、ヘミング女史を「崇拝する自由」を否定しておりません。

ただ、


ヘタクソだ。

という私の評価を書いております。音楽作品や演奏の評価で意見が割れるのは普通のことです。

例えば、私は、モーリス・アンドレというトランペット奏者を天才だと思っておりますが、

最近の若い方の中には、

アンドレはヘタクソだ。

という人さえ、おります。しかし、私は自分の評価に自信がありますから、モーリス・アンドレがヘタクソだ、という人は、

「アホだなあ」と思いますが、そういう文章を見つけても、何も致しません。自分の心の中でアンドレは永遠に不世出の名手だからです。


ですから、フジ子・ヘミング・ファンが、ムキになってコメントを寄せるのが不思議です。

自分が好きなら良いじゃないですか?私の、大きなお世話ですが、フジコ・ヘミングはヘタクソです。

を読んでも、

テンポが速く、テクニックを見せればいいってものじゃないだろう、「ラ・カンパネラ」は。こいつはバカだ。

と、お考えになれば良いのです。

ここに、何百通、私宛に罵詈雑言を書いても私のヘミング女史の演奏に対する評価は変化しない。

もう一度書きますが、その替わり、彼女はヘタクソですが、他人がヘタクソな演奏を好む自由を、私は何ら否定致しません。

「大きなお世話ですが〜」を良くお読み頂きたいのですが、私はヘミング女史の演奏はヘタクソだ、

と書いてはおりますが、彼女の演奏を聴くべきではない、とか、ファンになるべきではない、とは記しておりません。


兎に角。

自分が好む演奏を、他人が罵倒しているからと言って、自分と同じ評価に変われ、と私に強要しても、

貴方と私は別の人格ですから、それは無理です。

他人に自分と同じ主観を持て、と強要するのは、自分と他人の人格の区別が曖昧、または、区別出来ない人がすることではないか、

と思います。

また、私がヘミング・ファンの主観に同調しなければならないとしたら、

彼らの主観の方が私の主観よりも上位に位置すると言うことを意味しますが、それを認定する根拠はありません。


「JIROとかいうバカにはフジ子・ヘミング女史が弾く『ラ・カンパネラ』の価値は永遠に分からないだろう。

構わん。私はあくまで、世界中のピアニストでヘミング女史が一番好きだ」


と思っていれば良い。

それだけのことではないでしょうか。

本稿は、特別に変わった内容も、奇抜な発想も含んでおりません。

それどころか、あまりにも当たり前のことを書いているのです。
http://jiro-dokudan.cocolog-nifty.com/jiro/2010/02/post-bff9.html


2. 中川隆[-6096] koaQ7Jey 2017年10月28日 15:14:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

フジコ・ヘミング公式サイト
http://fuzjko.net/


amazon.co.jp イングリット・フジコ・ヘミング CD
https://www.amazon.co.jp/s/ref=dp_byline_sr_music_1?ie=UTF8&field-artist=%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%B8%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0&search-alias=music-artist

HMV フジ子 ヘミング CD
http://www.hmv.co.jp/en/search/music/adv_1/category_1/genre_Classical_700/keyword_%E3%83%95%E3%82%B8%E5%AD%90+%E3%83%98%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0+/target_CLASSIC/type_sr/



3. 中川隆[-6095] koaQ7Jey 2017年10月28日 15:19:54 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

ピアニスト フジコ・ヘミング 滝川クリステル いま、一番気になる仕事
https://goethe.nikkei.co.jp/serialization/takigawa/130829/


ピアノを弾くことは凸凹の難しい道を歩くのと同じ。常に必死だから 数奇な運命を乗り越えて、遅咲きのピアニストとして世界中でコンサート活動を行うフジコ・ヘミングさん。聴く人の魂をゆさぶるピアノの音色は、どう奏でられているのでしょうか。その人生観、仕事観について話をうかがいました。


ピアノに興味を持ったのは40歳を過ぎてから

滝川 そういう気持ちがすべてピアノの音に込められているんですね。私たち聴く側にとっては、夢のような時間だけれども、フジコさんはやるせない現実を思いながら弾いている……。

フジコ 恋をしているとお酒に酔ったみたいで楽しいけれど、ピアノで恋のように酔うことはできません。弾いている時は必死。難しい凸凹道を歩いているのと同じで、ちょっとでもぼやっとしたら違う道にそれてしまう。弾きながら「神様どうか、うまく弾けるように見守っていてください」と拝みどおしです。

滝川 緊張されるんですね。

フジコ 恐怖に近いほど。間違えたらどうしよう、他の人は間違えないのにどうして私は間違えるの、という恐怖心にとらわれてしまうと失敗します。あなたはそういうことない?

滝川 怖いというほどではないけれど、やはり緊張はします。カメラの前なら大丈夫なんですが、人がたくさんいるところは少し苦手かもしれません。

フジコ うちは母親がとても厳しくて、子供の頃にピアノを弾いて間違えるとヒステリックに怒鳴られたの。おまえはバカだ、ダメだ、と。そのうえ、難しい曲や、つまらない曲ばかり弾かされていたから、40歳くらいになるまでは全然ピアノに興味が湧かなかった。聴くのは好きだったけれど。絵やデザインのほうが好きでした。

滝川 40歳くらいの頃に何か転機があったんですか?

フジコ 耳が聴こえなくなって、ピアノ教師の資格をとるために知能テストをしたら、とても成績がよかったのよ。そこで、自分はバカじゃないと思えるようになって、だんだん、ピアノの才能も信じられるようになった。

滝川 今、ご自身にとってピアノはどのような存在ですか?

フジコ 私のすべてといってもいいでしょうね。でもお金をいただく仕事だという感覚はちゃんとありますよ。演奏して得たお金はほとんど恵まれない子供や動物愛護のボランティアに寄付しているから、もしピアノで生活できなくなったら、家を売らなくちゃ。そうならないためにも、最善を尽くして演奏会に臨んでいるつもり。

滝川 フジコさんは普段のお食事もベジタリアンですが、演奏の前にはカフェインやスパイスも控えるのだと聞きました。

フジコ そう、コンサート前は大好きなコーヒーをやめて、コショウもとらないの。ミルク多めのココアや、お餅をふたつ入れたお雑煮を食べることが多いかな。タバコももうほとんど吸わない。普段からよく歩くんですけど、演奏前には楽屋のなかで20分くらい靴を脱いで歩くようにしているんです。足の裏は脳につながっているから。

滝川 やはり、ご自身の体調に責任を持つことを徹底されているのですね。

フジコ それをせずにピアノに向かうと、なんだかモヤモヤして、“思い”が出てこないのよ。都合よく神様に祈ってもダメ。毎日、努力を続けていないと。

愛するものに囲まれたパリと東京の暮らし

滝川 フジコさんは動物愛護家としても知られています。今も、とてもたくさんの子たちと暮らしているんですよね。

フジコ パリでは猫5匹に犬が2匹。東京の家は猫30匹に犬が1匹……でも昨日、うちに入りたそうにしている野良猫がいたから、また増えるかもしれない。皆、気持ちよさそうにピアノを聴いているけれど、練習で同じところを繰り返しているとフイッといなくなっちゃう。

滝川 うちも犬と小鳥がいるんですけど、ギターを弾いていると、鳥は一緒に鳴いてくれます。犬は心地よいのか、寝ちゃいます。人間と一緒ですよね。今は、パリと東京にいらっしゃる割合はどれくらいですか?

フジコ だいたい半分か、パリのほうが少し長いくらい。パリの家のそばには、ショパンが毎週通っていたという、ランベール館があるんです。1750年ぐらいに建った建物で一般には非公開なのだけれど、以前、ご招待いただいてショパンの演奏会をしました。もう夢のようで……、最高の気分だったわ。20代の頃から憧れていたパリは期待以上の素晴らしい街。犬を連れて散歩していると、みんな話しかけてくれるしね。

滝川 私もいつか、お邪魔させていただけませんか?

フジコ ええ、どうぞ。古いアパートだけど、暖炉や彫刻の鏡があって気に入っているの。

滝川 犬や猫たちと一緒にフジコさんのピアノを聴けたら、最高ですね。心地よすぎて、うたた寝してしまうかも(笑)。


フジコ・ヘミング 滝川クリステル
やるせない思いがピアノの音になっていく


フジコ 私はね、ゲーテを少し、疑っているんです。

滝川 えっ。

フジコ 雑誌ではなくて、文豪のほうね。

滝川 ドキッとしました(笑)。

フジコ 70歳の時に16歳の少女に求婚してフラれているでしょう。教養のない女性を好む男性は、自分の思いどおりに騙(だま)そうとする悪いやつが多いのよ。

滝川 それは困りますね。フジコさんがお好きな男性は、どんなタイプですか?

フジコ リストは素晴らしい人だったと思いますよ。初恋の人を大切に思い続けたり、別れた女性とも生涯の友情を育んだり。とても温かい人。ラベルもドビュッシーもシューマンも好きです。みんな私の永遠の恋人。でも今、人間として惹かれるのはショパンですね。唯一無二の才能を持った人だから。

滝川 以前インタビューで、「愛情の豊かな人でなければ美しい仕事はできない」とおっしゃっていましたね。

フジコ 素晴らしい仕事をする悪魔のような人もいるけど、私の好きな音楽は愛情豊かで、“してやられた人”の作品ばかり。

滝川 してやられた人(笑)。

フジコ そう(笑)。あるいは、この世の中でうまく立ち回ることのできないくらい繊細な人。でもゲーテも「アリが必死に築いた住処を人間が簡単に踏み壊してしまうことは悲劇だ」と書いているでしょう。そんな繊細な感性を持っているなら、冷酷な男ではないんでしょうね。

滝川 そうですね。どんな仕事にも、人格って表れると思います。フジコさんのピアノを聴いていると、さまざまな感情の渦のようなものを感じるんです。先日の演奏会でも、皆涙を流しながら聴いていました。私も「トロイメライ」で泣いてしまいました。それって何の涙なのか、ずっと考えているんです。

フジコ 以前、私の弾き方は「やるせない」と言った人がいました。ショパンの「木枯らし」は、残酷に速く冷たく弾く人が多いけれど、私の場合はやるせない、どうにも行き場のないような弾き方で共感した、と。してやられた経験がある人は、共感してくれるのかもしれないですね。

滝川 フジコさん自身、やるせない気持ちを持ちながら、演奏していらっしゃるのですか?

フジコ ええ、何を見てもやるせないですよ。世界には10歳くらいで娼婦に売られる少女や、虐待される命があって……ひどい話ばかり。なんでこんな世界に生きているのだろうと毎日思います。ショパンは「この世に生まれてくるべきじゃなかった」ということを遺しているけれど、私もその気持ちがわかる。自分が槍で刺される代わりに、この世の中の恵まれない人や、かわいそうな犬や猫がみんな救われるなら、私はそちらを選ぼうと、時々考えることがあります。


4. 中川隆[-6096] koaQ7Jey 2017年10月28日 20:28:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

2010年12月 1日 残念なコンサート:フジ子・ヘミング


昨日(2010年11月30日)、友人に誘われてフジ子・ヘミングのコンサートに行ってきた。クラシックのコンサートなど、20数年ぶりのこと。しかも会場はその20数年前のコンサートと同じ東京文化会館だった。


クラシック音楽に関してはまったく無知無粋な人間なので、フジ子・ヘミングの名前は知っていたがその演奏は、ライブはもちろん、CD、テレビ、ラジオのいずれでも聴いたことがなく、今回は敢えてその「まっさらな状態」のままで聴いてみようと決意。一切の予習をしなかった。

Photoプログラムはショパン、ラベル、ドビュッシー、バッハ、リストと、幸い私でも名前を知っている作曲家たちの作品で構成されていた(写真参照)。


http://partyinmylibrary.cocolog-nifty.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2010/12/01/photo.jpg


とはいっても作品レベルになると、「知っている」、「聴いたことがある」と言えるのはわずかに3曲。あとは、聞いてはじめて「あ、聞いたことがある」という作品が2、3。なんとも心許ない観客である。

途中20分間の休憩をはさんで前後半で合計1時間40分に及ぶ演奏をすべて暗譜で通したのには驚いた。クラシックのピアノソロでは普通のことなのだろうか。このあたりの事情も門外漢には分からないところである。

演奏中気になったのは、「ミス」と思える箇所が少なからずあったこと。ジャズのライブでは「ミス」は付きモノなので、それに慣れている身としては眉をひそめるようなものではないが、クラシックを知らない人間が分かったぐらいだから、クラシック好きな人であったら、もっとたくさんの「ミス」に気付いていたのかもしれない。

フジ子・ヘミングの演奏を聴いていて、ふと思い出したのがグレン・グールドのことだった。でもその理由が分からない。分からないまま、最後の「ラ・カンパネラ」を聴いているときに、「かなり変わった演奏なのではないか」と感じ、グールドを想起した理由はそのフジ子・ヘミングの「風変わりなところ」ではないかと考えた。

では、フジ子・ヘミングのどこが「風変わり」なのか……分からないまま帰ってきた。今朝気になって仕方がなく、YouTubeでユンディ・リの「ラ・カンパネラ」を聴いて、「あれ、めちゃくちゃ速くないか」― 直ぐに同じYouTubeでフジ子・ヘミングの演奏を探し出し比べてみたら、ユンディ・リの演奏時間は約4分30秒で、フジ子・ヘミングの方は約5分50秒。その差は1分20秒である。なるほど、この遅さが「風変わり」の原因だったのだ。

作曲者の意図とはまったく違ったテンポで演奏したグールドを思い浮かべるなんて、俺の耳も捨てたもんじゃないなと一瞬悦に入ったりもしたが、客観的に考えれば、CDを持っているクラシックのピアニストはグールドだけなので、クラシックのピアノコンサートでグールドを思い出したのはそちらの事情の方が与って大きかったはずだ。

フジ子・ヘミングの「遅さ」はかなり有名なようで、今回YouTubeなどを調べている内に、こんなブログを発見した。「フジコは速く弾かないのではなく、速く弾けないのだ」ということのようだ。なるほど、「専門的観点」からはそう評価されるのかもしれないが、フジ子・ヘミングの演奏(解釈)、私は嫌いではない。

ただもう一度コンサートに行くかと問われれば、「行きません」と言わざるを得ない。たぶん、今回誘ってくれた友人も、私の反応からそのあたりのことは察してくれただろうと思う。単純に言って、ジャズの素晴らしいコンサートなどのようには感動することができないのだ。

それともう一つ理由が……。

フジ子・ヘミングには2歳年下の弟がいる。その彼がコンサート終了後にステージに登場 し― マイクを使わなかったので2階席の私たちには何を言っているのかはっきりとは分からなかったが ― 大声で観客席に向かって何やら話を始めた。その後、フジコが挨拶のため使用したマイクを借りて、「大日如来が……」、「曼荼羅が云々」といったことを興奮した口調で話し出した。

クラシックに限ることではないだろうが、コンサートの後というのは余韻を楽しむひと時である。緞帳がある舞台ならその緞帳をながめ、なければステージ上に残された楽器などをながめ、その直前まで目の前のステージで繰り広げられていた演奏の熱気を思い起こし、今一度味わう。そこまでを含めたものがコンサートである。

それなのに、山高帽にモーニングコートという些か奇抜な服装は措くとしても、演奏終了直後のステージにしゃしゃり出てきてのあの行動はそうした余韻を台無しにしてしまった。まるで、絵画に赤いペンキをぶっかけるような行為である。

それともああした弟の行動は今回に限ったことではなく、フジ子・へミング本人もファンもそれを赦しているのだろうか。であるなら、私ごときがとやかく言っても無駄であり、ご自由におやりくださいと言うほかない。
http://partyinmylibrary.cocolog-nifty.com/party_in_preparation/2010/12/post-8ad1.html


2012年4月14日 「フジ子・ヘミング」とアクセス急増


不思議なことが起こった。今日の午前0時から2時にかけて、普段の10倍以上のペースでこのブログへのアクセスがあった。それも特定の記事に。


もう2年以上前、「残念なコンサート:フジ子・ヘミング」というタイトルで何十年ぶりかに行ったクラシックコンサートのことを書いた。この記事は未だにアクセスがあり、なんとGoogleで「フジ子」と入れて検索すると、Wikipediaの記事に続いて本ブログの記事が表示される。

内容は、フジ子・へミングのことについて一切の予備知識なしにリサイタルを観た感想を述べたのだけど、どうやらフジ子・へミングのファンはそれがお気に召さないようで、時々「悪口コメント」が送られてくる。今回もアクセスの増加と並行してコメントが送られてきたが、どれもが理性を欠いた感情的内容で、中には「死ねー」レベルの品性のかけらもないものもあった。もうそういったコメントを整理するのも億劫なので、とりあえずコメントには、名前とメールアドレスの入力を必須条件とした(ココログの仕様で、どちらか一方だけ必須とすることができない)。これで「アホ」、「ボケ」レベルのコメントはだいぶ防げるだろうと思う。

で、アクセスが急増した理由だが、まさに同じ時刻に(14日午前0時から)NHKが『フジコ〜あるピアニストの軌跡〜』というブームの火付け役となった番組を再放送していた。だが私は今日(こんにち)の「フジ子・へミング」の原点ともなったその番組を観たことがない。気付いた時は既に放送時間を過ぎていた。

そこでYouTubeで『フジコ〜あるピアニストの軌跡〜』を探してみたところ、それはあった。5つに分割されているが全編がそのまま収録されているようだ。番組が放送されたのは1999年2月というから13年前、フジ子66歳の時のドキュメンタリーである。

「ドラマチック」―それがドキュメンタリを観ての感想だ。なるほど、あれだけドラマチックな人生を送った人物で、ピアニストであれば、人気が出るのも宜なるかなである。またフジ子の風貌や生き方(信念)、それにあの家という舞台装置の存在も与かって大きかっただろう。どんなに古く、ガタが来ていても、洋風の内装の一軒家が持つ効果は大きい。あれが六畳一間のアパートであったらピアノが弾けず、技量の維持も難しいし、だいいちテレビ・ドキュメンタリーとしては成立しなかっただろう。

とかく話題になることの多いフジ子の演奏だが、13年前の映像で弾いていたショパンの『夜想曲』はゆったりとしたテンポで音がやさしい。はたしてそれがクラシック音楽として「正しい」のかどうかは分からないが心地よいのは確かだ。或いは「本場」の耳を持って聞けば「邪道」なのかもしれない。が、音楽は「規範」で聴くものではない。好き嫌いは別にして、ああいう音楽があってもいいと思う。そういうところが「本格的クラシックファン」には許せないのだろうが。

これまでにいくつものコメントをもらい、そこから感じたことは、フジ子・へミングのファンというのは純粋な音楽ファンとは違うという印象である。ネットにも「ファン・クラブ」のサイトがあるが、その内容は音楽家・ピアニストというよりも、人間「イングリッド・フジコ・フォン・ゲオルギー=ヘミング」のファンなのではないかと思わせるところがある。もっと有体に云えばそれは信仰に近いものに見える。それはそれで、ファンではない者がとやかく言うことではない。わが国では信仰・信条の自由は憲法で保証されている基本的権利である。

30数年間外国に在って辛酸を嘗め、努力しても報われず、音楽家としての評価も得られず、常に異邦人であるという意識を抱き続け、ついにはこの世界に自分の国はないとまで思い込んだ女性がようやく自分を認めてくれる人々に出会うことができたのだ。その「幸運」をあげつらうのは嫉妬にも似てみっともないように思える。

ただ私は「少し間違ってもかまわない」(番組内での本人の言葉)という認識の「プロ演奏家」はやはり認められない。人間はパーフェクトではないし、結果として間違うことはある。努力しても克服できないこともある。でもそれは「間違ってもかまわない」という開き直りとは違う。「プロ」である以上、決してたどり着けないかもしれない高みであっても常に目指すべきだ。

さて、この話題に絡む記事は今回が3つめとなるが、実を言えば個人的にはあまりインタレストを覚える事柄ではない。今回もアクセスが異常に増えたことがきっかけで取り上げたのであって、結局その原因の方は不明のままだ。まさかテレビで番組を観ていた人たちが同時にここへとアクセスしたということはないだろう。ではなぜあの2時間だけアクセスが急増したのか…。個人的にはこちらの方が大いに気になるが、今の段階でそれを究明する方法が思いつかない。その方法に見通しがついたら、或いはもう一度取り上げるかもしれないが、とりあえず、「フジ子・へミング」という現象を取り上げるのはこれを最後とする。
http://partyinmylibrary.cocolog-nifty.com/party_in_preparation/2012/04/post-d7e2.html


2012年5月26日 (土)

「フジ子現象」についての最後の発言


1年半前の記事『残念なコンサート:フジ子・ヘミング』(2010.12.1)に未だアクセスがあり、コメントが送られてくること、その大半がいわゆる「悪口」でしかないことは前回の記事で取り上げた。
その記事にまたコメントがあった。「演奏者の立場・・・」というハンドル名の方である。長文で、内容も感情論と切り捨ててしまうわけにはいかないものがあり、ここにその全文を載せ、それに対する私の考えを述べてみたいと思う。
なお掲載に当たり、原文にあった不要と思われる改行はすべて1行あけに置き換えた。また文中に多数の全角スペースが挿入されているが、それは投稿者の文体/個性であると判断し、そのままとした。それ以外一切の修正を加えていないことを申し添えておく。


=「演奏者の立場・・・」さんのコメント===
  フジコさんの演奏会で 今度 スタッフで入ることになりました、 ものです。 そして 実際 私も ピアノの 演奏をしている 立場のものです。   こちらは 正直、すごいコメントでした。

 正直な コメントでしょう 。。。それは 自由だと思います。

 ですが、 演奏立場のこちらからすると、 こちら側の準備段階がどれほどの ものかをきっと 見て 知って 理解できない方の意見なのだろう、 ということだけは 容易に判断できました。

 逆に 知らないからこそ 簡単にいえる意見であり、 ある意味 貴重なご意見でありました。私も勉強になりました。 

 正直 残念なのと、 これが 聴衆の現実なのだと いう あきらめの感情と、、、 そして  フジコさんは こういう正直すぎる人の  すべての人の感情をしょって 世界で活躍していて。。 本当に大変だなぁ。と    神さまだよなぁ。と  おもいました。

 フジコさんの 耳に入ったとします。
  やはり 嫌だと思いますよ。 それは 断言できます。

 私は こんなことは 同じ演奏者の立場として、 そうだとしても、  失礼すぎて 苦労を踏みにじっているような 言葉であり、やはりなかなか こういう場で 言える言葉ではありませんね。

そして、 ミスについて・・・

 実際 ミスしたっていいじゃない、 機械じゃないんだから。 と  フジコさんは 本で よく 言っています。

  私には この 真実の 意味がよくわかります。 これは フジコさん 自体が  ご自分の 苦労を重ねて、 演奏者を励ます意見であり、 実際素人にむけての 自分のミスを肯定する 発言では ないと 思います。  ピアノを演奏する、 そういう 専門家にむけての 緊張がどれほどのものかを 熟知している それ ならではの   緩和してあげるための 名言、 なのです。

 私はこの 言葉を よく 自分が 演奏する 直前 見ます。
 そうすると、 とても 楽になるんですね、。

 フジコさん 以外にも たくさんの というか すべての 演奏者がミスを しない演奏を 目指していますが 本番ではそれが なかなか できない、 その 難しさ、 そして その ことに 名言をたくさん 残しており、 私には  一番これをお守りにしている言葉があります。
  ある 一流  ピアニストの言葉。 

 「 さぁ 世の中へ出て ミステイクをしてきたまえ、。

 でも それで いいんだ 

   君自身の ミスでなくては ならない。 

  君の音楽でなにかを 言ってきたまえ。 

   これが、 きみ だ、という なにかをね・・・・」 

  ミス を 気にしだしたら  消しゴムで消せる世界ではないので、 難しいのですが、 緊張してしまうと 毎回本番では 手の状態が化け物のように 変わる、そして  この 技術 芸術 練習を 何時間もしていても、 メンタル面がものをいう世界です。 また、 毎回ピアノの 鍵盤の重さが違う 、 毎回違う 会場にも 音の跳ね返りをも 演奏者は 注意し、 瞬時に 感じて  抑えたり、 いろいろ やるこ とが  本番と言えど、 あります。  

  ミスだけではなく、 すべての曲を 覚える、 若いときはいいですが、 年を経るにしたがって アンプが 不安になる。

 いろいろな 不安を しょって 舞台にたつ わけです。

 演奏者が気にすることは 一番は ミスをしないように ということで 練習準備を相当な時間と 工夫と 独自で見出した 緊張しても なるべく ミスしないように 本番の手の状態を 練習で 想像し、練習します。 でも ミスにとらわれすぎると、 今度は 保守的すぎて 勢いのない、 そして ただの 無難な 演奏になるわけです。

  その どちらを とるか、 なのですが、演奏者は まず、 ミスをしないように 徹底して練習している、 その かける時間も 半端では ありません。 

それを 今後はよく   熟知しておいて ください。 。

 そして  それで なお 発言してみてください。

 無知とは 怖いものであり、 こういう いろんな人の 意見をも 耳に入ってきても 気にしだしたら、 演奏できない 世界に 身をおいている、 という  世界にいます。

  でも あるいみ ミスを 気にしだしたら、 心に響く演奏もできないから、 それを 跳ね返すことば、 それを自分にもあんじに かけて、いる  その ことばが 

 ミスしたって いいじゃない・・・・

 なんだと思いますよ。

 私には 同じ世界にいても やはり、  オリンピックのような 厳しさだと 思います。   
 
  私は 同じ演奏する立場で 芸術ですので いろいろな 意見が あって いいと思いますが 私は 尊敬する 派です。

 フジコさんの 演奏は たしかに 遅めではあります。
解釈として、 間違いといえば 間違いと いう人もいるでしょう。。 でも 音楽家の立場から 話しますと、私たちの間でも話しますが、 間違い、というのは ないそうです。 

 解釈の違い、それを 面白がる人 。  芸術を楽しむとは そういうことなのかな。。
 そして それを嫌だという人。 

そして早いのは 弾けないなどと 言う人に 実は いろいろな 感情が含まれている 気がします。 

 ねたみ、 もしくは 感情で   心で  聴こうと  していない 人です。

 ミス に こだわるようでしたら、 どの 演奏家も ミスはします。

 そして 人間なので そのときの体調によって同じ曲でも 調子が いい、 悪い の 時があります。

 逆にいうと、 こんだけ 長く弾いていると 新鮮さ がなくなり いくら 得意な曲でも なかなか  感動させる のは 難しくなるはずです。

 でも、それなのに  たくさんの 人に  支持されている。。

 これは やはり 私たち 演奏者から すると 神の 域です。

   あなたの ご意見も 貴重ですが こういう こちら 側の意見を よく 熟知しておいてください。

   ちなみに 私は ふじこさんに お会いしたら 演奏者の 立場から 何を 気にしていらっしゃるか 今度 聞いてみたいです。 

===終了===

以下、私の反論・感想を述べます。

***
 ですが、 演奏立場のこちらからすると、 こちら側の準備段階がどれほどの ものかをきっと 見て 知って 理解できない方の意見なのだろう、 ということだけは 容易に判断できました。

 逆に 知らないからこそ 簡単にいえる意見であり、 ある意味 貴重なご意見でありました。私も勉強になりました。 
***

これは「演奏者側の苦労を斟酌しろ」という聴衆への要望或いは強要と判断したのですが、貴方がどういう立場の人か今一つはっきりしないので、果たして理解してもらえるか疑問ですが、上の私の解釈が間違っていないとすればそれは「あまい考え」だと断言できます。

私も一応「プロ」です。引き受けた翻訳はその内容が如何に難しかろうと、或いは「日本語になっていない日本語」であろうと、引き受けた以上は決められた期日までに仕上げて納品しなければなりません。そこに一切の「言い訳」はききません。

たった1行の文を理解し訳すのに半日かかるような仕事でも、またそのための調査に費用が生じたとしても、それを言い訳に、納期の延長や費用の追加請求などはできませんし、しません。それがプロです。

聴衆は決して安くない金額を払って、音楽を聴きに行きます。そこには対価に見合うパフォーマンスを演奏家に求める当然の権利が生じます。またプロは体調が悪かろうが、出がけに家人と喧嘩して不機嫌であろうが、会場の空調が最低であろうが、ステージに立った以上は一切の言い訳はあり得ません。

それはスポーツの場合に端的に現れます。先ごろ行われた大相撲で、横綱白鵬は指の骨を折っていたそうですが、本人はそれを負けていることの言い訳にはしませんでした(彼の師匠は余分な情報を流したものです)。サッカー選手も同様です。ピッチに立つ以上は、たとえ足首をねん挫していようが、鼻骨を折っていようが、それをパフォーマンスの低下の言い訳にはしませんし、(少なくともヨーロッパ一流リーグの)観客はそんな言い訳は聞き入れません。きちんとプレーできないなら出てくるな―それが鉄則です。

貴方の上記の発言は、「私たちはこんだけ苦労してるんだから、そのことも考えてよね」という甘えにしか聞こえません。

***
 正直 残念なのと、 これが 聴衆の現実なのだと いう あきらめの感情と、、、
***

流行りの表現を使うなら、実に「上から目線」ですね。貴方は聴衆を不当に過小評価し、あまつさえバカにしている。「あきらめの感情」とは「なにをあきらめた」のですか。聴衆に自分たちの苦労が理解されないこと? 冗談ではありません。そんなことを知りたいがために聴衆はコンサートに行くのではありません。「良い音楽」を聴きに行くのです。

***
そして、 ミスについて・・・(中略)

 実際 ミスしたっていいじゃない、 機械じゃないんだから。 と  フジコさんは 本で よく 言っています。

  私には この 真実の 意味がよくわかります。 これは フジコさん 自体が  ご自分の 苦労を重ねて、 演奏者を励ます意見であり、 実際素人にむけての 自分のミスを肯定する 発言では ないと 思います。  ピアノを演奏する、 そういう 専門家にむけての 緊張がどれほどのものかを 熟知している それ ならではの   緩和してあげるための 名言、 なのです。
***

これはあくまで貴方の解釈ですね。それで貴方の緊張がほぐれることと、フジコ氏自身の真意とは別物でしょう。NHKの番組の中でも氏は同趣旨の発言をされていたと思いますが、それは貴方が引用した「ある 一流  ピアニストの言葉」とはまったく異なっています。

***
「 さぁ 世の中へ出て ミステイクをしてきたまえ、。
 でも それで いいんだ 
   君自身の ミスでなくては ならない。 
  君の音楽でなにかを 言ってきたまえ。 
   これが、 きみ だ、という なにかをね・・・・」 
***(改行省略)

確かにこういう言われ方をすれば、救われたような気分になり、リラックスして演奏に集中できるということはあるでしょうが、フジ子氏の発言はこれとは全く違う趣旨であると私は解釈しています。

貴方は演奏なさるということですのでお分かりになると思いますが、「音楽の演奏に完璧はありません」。一つの楽曲でも解釈は十人十色であり、また一人の演奏家から見ても、たとえば年齢を重ねるごとに異なった解釈があり得ます。一言でいって、演奏する側からすれば音楽は無限です。

それでも、いや、だからこそ演奏者はその果てしのない音楽という無限の宇宙を少しでも極める努力を惜しんではいけないのです。一流のパフォーマーであればジャンルを問わず、誰もが同様の言葉を口にしています。音楽で言えば、小澤征爾氏は(病気をしてからは分かりませんが)毎日4〜5時間「譜面を読む勉強」を欠かさなかったと聞いています。スポーツの分野ではそうした「不断の努力」の話は枚挙にいとまがありません。それは自分が挑む対象が―それは音楽であったり、絵画であったり、スポーツであったり、文章であったりするわけですが―己の非力さに比べ、広大無辺でゴールにたどり着くことなどあり得ないという自覚、謙虚さを持っているからで、そうした不断の努力があったればこそ、人々を感動させるパフォーマンスが可能になると知っているからです。

単純に考えていただきたい―今でさえ感動するフジ子氏の演奏に、今よりもっとミスタッチが少なかったら、それはより良いパフォーマンスといえるのではないですか。その「より良い」ものを追求するのがパフォーマーの使命です。

貴方はフジ子氏の年齢のことも取り上げていますが、私に言わせれば、年齢だから演奏に多少の齟齬が出てもいたし方ないというのは、プロの演奏家にとっては侮辱以外の何物でもないです。

「先生もお歳なんですから、多少のことはしょうがないですよ」と演奏家本人に言えますか。本人はそんなことは言わない? でも、上記のコメントでは取り上げていますよね。つまり、貴方の上記のコメントは「本人にはとても言えない」陰口レベルということになる。

***
それを 今後はよく   熟知しておいて ください。 。
***

いえ、演奏会に行く時、私はそんなことは一切顧慮しません。なぜならそれはスタートラインの向こう側のことで、スタートラインからこちらしか見ない、聞かない聴衆には一切関係のないことだからです。調理人が厨房でどんなに大変な思いをしようが、出来上がった料理がまずければ、料理がまずいということは厳然たる事実であるわけで言い訳はききませんし、客は二度とその店には行かないでしょう。それとも貴方は、調理人は苦労してるのだからと、まずい店に通い続けますか。

***
 無知とは 怖いものであり、 こういう いろんな人の 意見をも 耳に入ってきても 気にしだしたら、 演奏できない 世界に 身をおいている、 という  世界にいます。
***

これも「演奏する側」にいる人の発言としては随分とひどい言い方ですね。聴衆の無知を指弾する―では聴衆とは音楽を聴く以前に、どの程度の勉強をして来いというのですか。料理に例えるなら、フランス料理を食べるのにフランスの文化、風土、地理、歴史を勉強しなければならないのでしょうか。確かにそういう知識があれば、味わいもひとしおかもしれませんが、それを料理を提供する側が要求するのは傲慢であり、ある種の侮辱です。それが分からないとしたら、貴方には永久に聴衆の心が理解できないでしょう。

端的に言いましょう。この1年半の間に数多くのコメントをあの記事にもらいましたが、その送り手の大半は「フジ子・へミングという人間に惚れこんでいる」のです。それを「ファン心理」という一言でいうのは簡単ですが、その「惚れこみ」度合いがフジ子ファンの人たちは非常に強い。なので、フジ子氏のすべてを受け入れてしまう。でも「是々非々」であるのが本当のファンだと私は思います。―率直に言って、フジ子ファンにはフジ子・ヘミングに対する「信仰」に近いものを感じます。

なので如何に理を尽くして論じても、そういう人たちの耳に私の言葉が届くことはないでしょう。またそういう人たちを説得しようとも思いませんし、説得することは不可能であると考えています。

前回の投稿でもう取り上げないと言った「フジ子・へミング現象」ですが、またぞろ取り上げてしまいました。でも本当にこれを最後にします。私の意見に対する反論や罵倒は、これからはご自身のブログなり、適切な掲示板、あるいはSNS、Twitterなどで存分におやりいただきたい。ここではもう取り上げません。
http://partyinmylibrary.cocolog-nifty.com/party_in_preparation/2012/05/post-362f.html


5. 中川隆[-6095] koaQ7Jey 2017年10月28日 20:47:18 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

フジコ・ヘミングを初めて聴いた 2014年6月21日


6月21日、武蔵野市民文化会館大ホールで、フジコ・ヘミングとN響メンバーによる名曲モーツァルトの夕べを聴いた(主催:サンライズプロモーション東京、提携:(財)武蔵野文化事業団)。指揮者なしの演奏。ちょっと欲求不満。

 最初にディヴェエルティメントニ長調K136と「ジュピター」。ディヴェルティメントに関しては、とても美しい音で、指揮者がなくてもとてもアンサンブルもしっかりしていると思った。だが、「ジュピター」ほどの大曲になると、やはり指揮者がいないとつらい。時々アンサンブルが曖昧になり、とりわけ緩徐楽章で集中力が途切れる印象を受けた。ただ、第4楽章はなかなかの迫力。

 後半、フジコ・ヘミングが加わって、モーツァルトのピアノ協奏曲第21番。私はもともとピアノ曲はあまり聴かないし、フジコ・ヘミング現象には無関心だった。ところが、最近、信頼できる人がフジコ・ヘミングを高く評価していると知って、一度聴いてみたいと思ったのだった。

 とても印象的な音。きっとフジコ・ヘミングが好きな人は、この音に惚れるのだろう。だが、音の連なりがあまりに個性的で、私には形が崩れているように思える。恣意的というか、あまりに不安定というか。このように演奏されると、モーツァルトらしくならない。ロマンティックになりすぎ、モーツァルト特有の美しさ、特有の悲哀がこもらない。この曲をこのように演奏されると、私はちぐはぐに感じてしまう。

 しかも、このような個性的なピアノにオーケストラがついていかない。指揮者がいれば調整できるのだろうが、それがいないので、乱れてしまう。

 そのあと、フジコ・ヘミング一人が残って、ショパンの遺作のノクターンと、「ラ・カンパネッラ」。モーツァルトよりはずっと感銘を受けた。が、これも私には、あまりに不安定で恣意的に聞こえる。

 ところで、コンサートの運営について考えさせられた。曲間だけでなく、楽章の合間にも、遅れてきた客を入れるため、演奏中も客が席を探している。そのためもあって、コンサート会場がざわつき気味になり、普段以上に、演奏中に話をする人、ガサガサと音を立てる人が多いように思えた。クラシック音楽のコンサートらしからぬ雰囲気を感じた。

私たちのゼミがコンサートをする時に、これらのことに気を付ける必要がありそうだ。
http://yuichi-higuchi.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-0aad.html


6. 中川隆[-6094] koaQ7Jey 2017年10月28日 21:02:45 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]


有名ピアニストといえば、フジコ・ヘミング


2014年10月 フジコ・ヘミングのピアノはとっても良い音色!

数年前に、フジコ・ヘミングの一生を描くドラマを見た。

そして、今度は渋谷のオーチャードホールで、彼女のピアノを聴いていた。


優しい音色に、思わず眠くなってしまった私。(汗)

特に、「ラ・カンパネラ」のピアノの音色は、とても良かった。
http://yuumeifujikosan.blog.jp/archives/2014-10.html

フジコ・へミング Ingrid Fuzjko Hemming 日本人の母とロシア系スウェーデン人の父の間に、ベルリンで生まれる。

5歳で日本へ帰国。父が母国へ戻ったことにより、ピアニストの母がピアノの手ほどきをしつつ、1人で育て上げる。

16歳の時、中耳炎により右耳の聴覚を失うが、東京音楽学校に進み、在学中より多数のコンクールで入賞。ピアノ留学を志すも、無国籍であった事実が発覚し、一時は断念する。

30歳の時、難民としてベルリン音楽学校への留学、卒業後はヨーロッパ各地で演奏活動を行う。世界的指揮者、レナード・バーンスタインに実力を認められリサイタルが決まるが、その直前に風邪をこじらせ左耳の聴覚も失う。その後は演奏家としての活動を一時休止してスウェーデンのストックホルムでピアノ教師として働きながら療養生活を送る(現在、左耳は40%程回復)。

1995年、日本へ帰国。99年、テレビのドキュメンタリー番組をきっかけに大きな注目を集めるように。以降、世界各地でリサイタルや一流オーケストラとの共演を行い、人気ピアニストとして多忙な日々を送る。
http://yuumeifujikosan.blog.jp/archives/2015-03.html


2015年03月5日 原点はパリにある

フジコさんは、日本人の母とスウェーデン人の父を持ち、ドイツで生を受けた。30歳まで日本で過ごした後、ドイツへピアノ留学、以降、ヨーロッパ各地で音楽活動を行うようになる。母の死後、日本に帰国。その後は日本のみならず、世界を舞台に活躍している彼女にとって、「国」とは何を意味するのだろうか。

ヨーロッパ各地で生活されてきたフジコさんが、現在、パリに居を構えていらっしゃる理由は何でしょうか。

20代の頃からパリに住むことを夢見ていました。たくさんの天才画家、そしてショパンやドビュッシー、ラベル、フォーレなど、私の最も好きな芸術家たちの集っていた所ですから。でもパリは物価が高く、ベルリンの音楽大学からスカラシップが出たので、仕方なくベルリンに行きました。1999年2月にテレビを通して一夜で有名になり、天からお金も降ってくるようになったので、パリに住むことができたわけです。

パリの好きな場所とその理由をお聞かせいただけますか。

私の住んでいるパリのアパートの辺りは、夜更けまで遊びの天才と言われるフランス人のざわめきでにぎやかです。私も夜遅くまでピアノを弾きますが、窓を開けっ放しでも音が聞こえないほどアパートの壁も厚く、動物も犬2匹、猫5匹を飼っていますが、うるさいと迷惑がる人間は1人もいません。日ごとの犬との散歩道は、どの角もユトリロやゴッホの画のようで、住んで良かったとため息のつきっぱなしです。

ご自身の原点はどの国にあるとお考えですか。またそのことが音楽活動にどのような影響を及ぼしていると思われますか。

私にとっては、ショパンやドビュッシー、ラベル、そしてユトリロやロートレックの国、パリ・フランスです。ショパンが毎週訪れて作曲をしたり、時々サロン・コンサートをしたと言われる、一般には非公開のランベール(LAMBERT)館が私の家の近くにあります。今年9月にフランス人からそこでサロン・コンサートをするよう頼まれました。客は招待されたVIP(ほとんどがフランス人とポーランド人)のみ。ショパンのみのプログラムを1人で組み、大成功しました。フランスに来て良かったとつくづく思いました。フランスのVIPが私のことを「3本の指に入るピアニスト」と評してくれたのもうれしい限りです。フランスならでは、とつくづく思います。

コンサートなどでは着物を着られることも多いです。フジコさんにとって、日本という国はどのような存在でしょうか。

日本人は自分たちの古い文化をもっとアピールするべきだと思います。戦争中、アメリカ軍が爆弾を1個も落とさず、わざわざ残そうとした素晴らしい京都の町も、日本人の手で次々に壊されていっています。とんでもないところのある国民ではないでしょうか。私のコンサートに何度も来てくださる人々は素晴らしい方たちだと思います。つまり、私の芸術、私の思い、動物や弱い者に対しての哀れみなどを心で感じてくださる日本人たちで、心からありがたいと感謝しています。

2015年03月8日 人生の達人

何十匹もの猫を飼っていたこともある動物愛護家で、絵画の腕前は個展を開くなど玄人はだし。西洋と日本のファッションを融合させた独特のファッション・センスも注目されているフジコさん。幼い頃からピアノ以外の生活を知らず、「人生=ピアノ」となってしまいがちな多くのプロのピアニストに比べ、ピアノを含めた人生そのものを謳歌しているように感じられる。

いつも個性的なファッションに身を包まれています。フジコさんにとってファッションとはどのような意味を持つものですか。

ファッションなしに私は生きていけないでしょう。高いお金を出すのとは関係なしに、裸足で歩いても粋な人々が私は好きです。ダンディーにすぐ恋をしたりしますが、中身が悪い人も多く、がっかりして冷めることもあります。でも、うわべだけの格好良さも悪くはないでしょう。みんな美しくあるべきと思います。鳥や犬、猫などは服など着なくとも美しいですが、裸の人間をビルの上から見たら、ウジ虫と同じくらいにしか見えないのではないでしょうか。

過去のインタビューで、「恋は大切」と語られています。恋することはなぜ大切なのでしょうか。またそれは、ピアノにとって大切、ということでしょうか。

恋をしているとピアノはあまり良く弾けません。でも、恋はお酒に酔っ払っているようにすてきではありませんか。若さを保つのにも良いでしょう。

恋愛対象となる男性は、音楽に対し理解のある方が良いですか。

恋の相手はやはり音楽をやっている人の方が良いです。

これまでの人生で「これは失敗だった」という恋愛はありましたか。逆に、「この恋は人生においてかけがえのないものだった」と思えた恋愛はありましたか。

ほとんどが「この人とではダメ」というシロモノばかり。結婚してくれとでも言われれば、「待てよ? もう少しマシなのが出てくるはず」と考えていっぺんに冷めてしまうものがほとんど。「1年でも結婚したら最高だろうに」と思えた相手は2人ぐらいです。

動物愛護家としても知られています。中でも猫に関しては、深い愛情を捧げられています。なぜ、猫が特にお好きなのでしょうか。

忙しい者にとって犬はちょっとやっかい。1日に2度も外へ連れていかなければなりません。猫はその点、楽です。世界的オルガニストで医者でもあるアルベルト・シュバイツァーは、「人生の艱難辛苦(かんなんしんく)から逃れる道は2つある。音楽と猫である」と言っています。

日常的な1日の過ごし方を教えていただけますか。ピアノには毎日、どのくらいの時間を費やしているのでしょうか。

毎日4時間、練習できれば良い方ですが、客が来たりするとできなくなることもたびたびです。画を描くと、次の日は手も痛く、疲れはひどいです。

ピアノ以外にもさまざまな分野で活躍されています。これらは皆、「ピアノにとってプラスになる」との思いから始められたのでしょうか。

ピアノにとってプラスになるからやっているわけではありません。人生にはやりたいこと、読みたい本、見に行ってみたいバレエ公演、他にもいっぱいありますよね。結婚していなくて良かったと思います。人は前世でやったことを天国(悪者のいない完全な場所)へすべて持って行けるそうです(物質ではなく才能など)。

波乱万丈の人生を「祈りがあったからやってこられた」とおっしゃっています。いつから信仰を持たれるようになったのですか。また信仰を持たれる前と後で、フジコさんのピアノや人生全体に大きな変化はありましたか。

信仰は子供の頃から自然についていました。青山学院でクリスチャンの教育を受け、教会の日曜学校でも子供ながらに牧師の話と姿に心打たれたものです。もちろん、芸術家は信仰と宗教なしにはうつろなものです。

フジコさんにとって、人生で最も大切なものは何ですか。

人生で最も大切なのは信仰と祈り、それに愛です。私は波乱万丈の人生の終わりに幸運を勝ち得ました。「遅くなっても待っておれ。それは必ず来る」という聖書の言葉は、私に訪れたのです。神のおきてはどんな宗教でも同じようなものです。どんな荒波の時でも神の言葉を守り通した人に、神は必ず救いを与えて下さいます。

2015年03月11日 一番大切なのは「音色」

「ミスタッチを直そうとは思わない」と発言し、同じ曲でも時に全く異なる演奏をする彼女に対し、否定的な見方をする向きもある。その一方で、どんなピアニストの演奏よりも、彼女の音色こそが心に響くと深く共鳴する人も数多い。テクニック偏重の傾向にある現代の音楽界において、フジコさんは何を考えて、ピアノと向かい合っているのだろうか。

好きな作曲家、好きな曲とその理由を教えていただけますか。

特に人間として好きなのはラベルです。パリ近郊にある彼の家を訪れた時は感激しました。猫を好きな、結婚しなかった男性ですね。

ピアノの演奏には、テクニックよりも大切なものがあるとおっしゃっています。そうした中であえて超絶技巧曲を好んで演奏されるのはなぜでしょう。

超絶技巧に中身(人間的、愛、頭)がなければ、うつろな響きしか出ません。そんなものは機械でやった方が良いでしょう。演奏家の人格と頭脳は、必ず演奏に表れます。たくさんの国際コンクール優勝者たちの人気が薄れ、演奏者から指揮者に変わっていくのは、彼らの人格が薄っぺらいからです。

ピアノを弾いている最中は、どんなことを考えていますか。

1人で弾いている時はとんでもないことを考えていることが多いですが(例えば今夜何を食べようとか)、コンサートの時は次の音を間違えなく弾くことのみ考えています。情感は作ったものでなく、人格と才能から自然に湧き出てくるものですから。

フジコさんにとって、ピアノを演奏する上で一番大切なものは何ですか。

作曲家の意思は霊感で自然に伝わるものです。一番大切と思うのは、私にとって音色です。

かつての名作曲家たちは、人生において貧困や革命など数々の辛酸を舐め、その時の思いを曲に投影することで自らの存在理由を示していたように思います。現代を生きる音楽家の多くは、経済的には恵まれ、英才教育を施されています。フジコさんは、人生においてさまざまな経験をすることはピアニストにとって重要だと思われますか。

運命を変えることはできないと思います。すべて神に任せ、祈り続けるより仕方ありません。経済的に恵まれて育っても、人格の気高い人は悪者がはびこるこの世の中で、辛酸を舐めなければならないでしょう。お金のみで通らないこともたくさんありますから。

ご自身のピアノの魅力、個性はどこにあると思われますか。

音です。

フジコさんにとって、ただピアノを演奏することと、「プロ」として聴衆の前でピアノを演奏することは違うのでしょうか。

R. シューマンが本に書いてあることがあります。「よく有名アーティストの受ける大々的拍手喝采(かっさい)に惑わされるな。真の芸術家、大家から受ける賛辞こそ信じるべき」。私は、ウィルヘルム・バックハウス*1、サンソン・フランソワ*2、ブルーノ・マデルナ*3、シューラ・チェルカスキー*4、ミーシャ・マイスキー*5、マキシム・ヴェンゲーロフ*6から最高の賛辞を受けています。心ない評論家の言葉など、もうへっちゃらです。
http://yuumeifujikosan.blog.jp/archives/2015-03.html


7. 中川隆[-6090] koaQ7Jey 2017年10月29日 05:40:14 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

専門家が聴くということ
ピアニスト・文筆家 青柳いづみこオフィシャルサイト 投稿日:2014年4月14日

オリンピックや世界選手権でフィギュアスケートの演技を見ていると、ときどき採点に違和感をおぼえることがある。すばらしい演技だと思ったのに、意外に点がのびない場合である。

テレビの解説者が、その理由を説明する。あのジャンプは回転不足だった、ステップで正しくエッジが使えていなかった、スピンの軸がとれていなかった、等々。こちらは納得しつつも、素人目にはよい演技にみえたのに、専門家というのはずいぶん感動に水をさすものだという不満が残る。

クラシックの演奏にも同じようなことが起きる。フィギュアスケートでは素人だが、クラシックではこちらが専門家だから、反対の立場になるわけだ。

4月12日、フジコ・ヘミングのリサイタルに足を運んだ。2006〜7年に文芸誌『すばる』の依頼で何回かコンサートを聴いて以来だから、ずいぶん久しぶりである。
そのときの記事が5月刊行『ピアニストたちの祝祭 唯一無二の時間』(中央公論新社)に収録されることになり、現在のフジコも聴いておく必要を感じた。

フジコ・ヘミングは、一般社会とクラシック界の断絶を象徴するような存在だと思う。クラシックにはあまり詳しくない人でも、フジコの名前は知っているだろう( なぜか、ヘミング” ウェイ” とおぼえている人が多い) 。クラシック関係者が日本の第一人者と考えるピアニストたちも、一般的知名度という点ではフジコにかなわない。

NHKドキュメンタリー「フジコ−−あるピアニストの軌跡」が放映され、リスト『カンパネラ』のCDが大ヒットしたのは、20世紀の終わりだったと記憶している。当初は、専門家筋では批判のほうが多かった。協奏曲で、弾きはじめのタイミングを指示する人間プロンプターがついている、演奏途中で止まる、楽譜に書かれていない音を弾く、テンポが極端に遅い、等々。

いずれも、クラシックのピアノ的には大罪なのだが、フジコのファンは少しも減る気配をみせなかった。少なくとも私が行ったときは、サントリーホール、東京文化会館大ホールなど都内の主要劇場はいつもいっぱいだった。
些細なミスをくまなく聞き取ってしまう専門家と、そうした訓練を積んでいない耳には大きな差がある。テンポも、作曲家の指示した速度や、習慣的にこのぐらいで弾くという基準値のようなものはあるが、そもそも基準を知らなければ、妨げにならないだろう。

そして、関係者が一様にびっくりした人間プロンプター。私が集中的に聴いたころ、最初のうちはたしかに、横に楽譜を持って指示を出す係がついていたが、途中から姿が見えなくなり、フジコは協奏曲を暗譜で弾くようになった。

どうしてフジコ・ヘミングはこれだけ多くのファンを獲得することができたのだろうか。
もちろん、ドキュメンタリー番組の効果は大きいのだろうが、フジコのピアノに人を惹きつける魅力があるのもたしかだ。まず、音がきれい。フジコの音はひとつひとつがよくのび、人間の声のように語りかけてくる。つぎに、間のとり方がうまい。聴き手が感情移入できるように、メロディの歌いはじめ、歌いおわりでふっとゆるめる、そのタイミングが絶妙だ。

1970年代、ピアノの技術がとんでもなく上がってしまい、モントリオール・オリンピックのナディア・コマネチのように完璧な演奏をするピアニストが増えた。それがそろそろ飽和状態になったころ、ひと昔前のなつかしいスタイルで弾くフジコがあらわれ、「完璧」に疲れた耳を癒したということはあるかもしれない。

それから15年。久しぶりに聴いたフジコのリサイタルは、相変わらずオペラシティ・コンサートホールがほぼ満員だった。黒のスパッツに長いレースのチュールを巻き、打ち掛けのようなものをはおり、ほつれ髪を花やリボンで飾るスタイルも元のまま。

フジコの音は、声楽家でいうところの、ツボにはまった音だ。モーツァルト『夜の女王のアリア』を歌うコロラトゥーラの歌手のように、ひとつひとつ確実に当ててみせる。スカルラッティのソナタでは、輝きと芯のある音たちが3階席までのぼってきた。

感心したのは、シューベルト=リストの『ます』。よく知られた旋律がリスト特有の技巧的なパッセージで装飾される難曲である。学生が一生懸命飾りを弾くと、旋律が埋もれて聞こえなくなったりするのだが、フジコはくっきりした音でメロディを歌い、まわりをうねるようなフィギュレーションでふちどる。音のさざ波がホール全体に伝わり、魚が楽しそうに泳いでいるようだった。

いっぽうで、これはむずかしそうだなと思った曲ではやはり破綻が起きたし、打鍵や暗譜が不安定な曲もあった。アンコールに弾かれたベートーヴェン『テンペスト』の終楽章では、途中で止まってしまってテーマに戻り、何とか最後まで弾き終えた。

帰りぎわ、ファンの一人が、あのベートーヴェン、すごかったね! と言っているのを耳にした。感激に水をさす気はないけれど、それだけは、どうしても専門家として同調できない。
https://ondine-i.net/journals/1596


8. 中川隆[-6089] koaQ7Jey 2017年10月29日 06:35:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

ピアニスト《フジコ・ヘミング》 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=e7TvhCfUbbo&index=42&list=PLxHkdEXvO_4ylnI_JdEQUy0GtKbaTbOhD

Story of Ingrid Fuzjko Von Georgii-Hemming - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=ETAJVv-1jQg&index=30&list=PLxHkdEXvO_4ylnI_JdEQUy0GtKbaTbOhD
https://www.youtube.com/watch?v=y7BnY03_QZ0&list=PLxHkdEXvO_4ylnI_JdEQUy0GtKbaTbOhD&index=31

FUZJKO HEMMING PIANO SOLO CONCERT USA TOUR 2012 - TVCM - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=SkcQkQv6HA0&list=PLxHkdEXvO_4ylnI_JdEQUy0GtKbaTbOhD&index=38

Fuzjko Hemming Piano Solo Concert USA Tour 2012 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Mj3rDDluDl0&list=PLxHkdEXvO_4ylnI_JdEQUy0GtKbaTbOhD&index=39
https://www.youtube.com/watch?v=eUg3n2d6sP8&list=PLxHkdEXvO_4ylnI_JdEQUy0GtKbaTbOhD&index=40


9. 中川隆[-6088] koaQ7Jey 2017年10月29日 06:36:03 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

フジ子・ヘミング(Fujiko Hemming) 絵画集〜エリーゼのために - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=W5JqCIorG5E&list=PLxHkdEXvO_4ylnI_JdEQUy0GtKbaTbOhD&index=14

テンペスト 3楽章 (フジコヘミング) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=LsAHkd2w4dg
https://www.youtube.com/watch?v=fJ0stwpKMs8&index=11&list=PLxHkdEXvO_4ylnI_JdEQUy0GtKbaTbOhD

フジ子・ヘミング〜ヴァイオリン・ソナタ「春」第1楽章 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=j_fJ96XBer8&list=PLxHkdEXvO_4ylnI_JdEQUy0GtKbaTbOhD&index=15

フジ子・ヘミング〜ピアノ協奏曲第5番(皇帝)〜第3楽章 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Cy5kqCcU6O8&list=PLxHkdEXvO_4ylnI_JdEQUy0GtKbaTbOhD&index=16

Schubert - Impromptu in G-flat major, Op. 90 No. 3 - Fujiko Hemming - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=75NAczQ5ROg

フジ子・ヘミング〜トロイメライ(シューマン) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=at3nkai9c4U&list=PLxHkdEXvO_4ylnI_JdEQUy0GtKbaTbOhD&index=8


♪ショパン:即興曲第4番 嬰ハ短調 「幻想即興曲」 Op. 66
イングリット・フジコ・ヘミング(p) 2003年3月 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=QgXHwkVXGxY

フジ子・ヘミング 〜 ショパン 「別れの曲」 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=fKuv_Xp7BOc&list=PLxHkdEXvO_4ylnI_JdEQUy0GtKbaTbOhD&index=3

フジ子・ヘミング〜雨だれのプレリュード - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=B7UgLUYW55U&index=17&list=PLxHkdEXvO_4ylnI_JdEQUy0GtKbaTbOhD

フジ子・ヘミング〜ノクターン第2番-ショパン - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=CJV4l0cnNO4&list=PLxHkdEXvO_4ylnI_JdEQUy0GtKbaTbOhD

Fujiko Hemming Chopin nocturne op.9 n°1 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=zhAqVLZSTrk&index=23&list=PLxHkdEXvO_4ylnI_JdEQUy0GtKbaTbOhD

Ingrid Fujiko Hemming plays Chopin Nocturne no. 19, Op. 72 no. 1 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=TGZJLu5HzDI&list=PLxHkdEXvO_4ylnI_JdEQUy0GtKbaTbOhD&index=22

♪ショパン:ワルツ第9番 変イ長調 「告別」 Op. 69, No. 1
イングリット・フジコ・ヘミング(p) 2003年3月 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PmeO-8OAtf4

フジ子・ヘミング〜エチュード 「木枯らし」 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=wg4f3AFoD3Q&index=13&list=PLxHkdEXvO_4ylnI_JdEQUy0GtKbaTbOhD

フジ子・ヘミング〜「革命」「木枯らし」 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=tTcPIVosW3E&list=PLxHkdEXvO_4ylnI_JdEQUy0GtKbaTbOhD&index=5

ショパン「革命」 フジコ・ヘミング UPC-0398 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=rgWSUylxBeI&index=29&list=PLxHkdEXvO_4ylnI_JdEQUy0GtKbaTbOhD

♪ショパン:ポロネーズ第6番 変イ長調 「英雄」 Op. 53
イングリット・フジコ・ヘミング(p) 2003年3月 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=zli7yTsi4gk
https://www.youtube.com/watch?v=oFJJzyNBU3M&list=PLxHkdEXvO_4ylnI_JdEQUy0GtKbaTbOhD&index=21

フジ子・ヘミング〜 ショパン バラード第1番 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=EnvxYMLVVPQ&index=9&list=PLxHkdEXvO_4ylnI_JdEQUy0GtKbaTbOhD

フジ子ヘミング ショパン 黒鍵 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Iah3retGZvs&index=12&list=PLxHkdEXvO_4ylnI_JdEQUy0GtKbaTbOhD

フジ子・ヘミング ショパン「夜想曲」第5番 嬰へ長調 作品15の2 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=-xgB_F7NNo4&list=PLxHkdEXvO_4ylnI_JdEQUy0GtKbaTbOhD&index=19

ある日の♪練習風景 #2ショパン-ノクターン Op.9-2 &バッハ -平均律Tプレリュード6番 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=O5ewA3DhTAQ&list=PLxHkdEXvO_4ylnI_JdEQUy0GtKbaTbOhD&index=28

フジ子・ヘミング〜 パガニーニによる大練習曲S.141 6番 イ短調「主題と変奏」(リスト) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=RQHelxYug8I&list=PLxHkdEXvO_4ylnI_JdEQUy0GtKbaTbOhD&index=18

フジ子・ヘミング〜春の宵〜作品568(リスト 原曲シューマン) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=b-APUiRM8SU&list=PLxHkdEXvO_4ylnI_JdEQUy0GtKbaTbOhD&index=20

フジ子・ヘミング〜ため息(リスト) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=e0Da2iepL38&list=PLxHkdEXvO_4ylnI_JdEQUy0GtKbaTbOhD&index=4

フジ子・ヘミング〜愛の夢(リスト) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=cdueOVOKyRA&list=PLxHkdEXvO_4ylnI_JdEQUy0GtKbaTbOhD&index=6

フジ子・ヘミング リスト コンソレーション - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=4a0DheeUZjo&index=24&list=PLxHkdEXvO_4ylnI_JdEQUy0GtKbaTbOhD

piano - Pavane pour une infante défunte - pavana para una infanta difunta - maurice ravel - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=xwQqFH-FT_g&list=PLxHkdEXvO_4ylnI_JdEQUy0GtKbaTbOhD&index=26

♪チャイコフスキー:「四季」op.37b〜11月 トロイカ
イングリット・フジコ・ヘミング(p) 2003年3月 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=y-Vq-inMtnc

♪チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番変ロ短調作品23
イングリット・フジコ・ヘミング(p),ユーリ・シモノフ指揮モスクワ・フィルハーモニー交響楽団 2002年10月 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=RcPgmregZOU
https://www.youtube.com/watch?v=AsbxPD4QD2A&index=27&list=PLxHkdEXvO_4ylnI_JdEQUy0GtKbaTbOhD


10. 中川隆[-6087] koaQ7Jey 2017年10月29日 06:42:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]
2009/07/27 フジ子・ヘミング:世界稀有のピアノ音色と著書「運命の力」が語る真実に惹かれる
http://www.bi-p.co.jp/essay/195/


 フジ子・ヘミング(フジ子と略称する)のピアノ演奏を書斎で聴くことが多い。皆様も良くご存知のピアニストである。書架にCD、本、DVDが増えている。いつの間にか好きなピアニスト、フジ子・ヘミングファンになったようだ。絵画力も素晴らしい筆致である。

 人間の心に触れあう独特の音色に生まれて初めて出会ったような気がした。その時の心の震え、日本人ピアニスト?への驚きは今も忘れない。神様は、世界稀有なピアニストをこの地球に使わしたのだと思う。

 音痴気味でありながら音楽愛好者の私が、珍しくCD・本・DVDを購入し、聴き、読み、見た。あの人間の色をした音色の秘密を知りたくて。フジ子・ヘミングのピアノが伝える人生の音色に私は取り込まれたのかもしれない。

 親しい友人からフジ子・ヘミングのCDを貸して欲しいという話があり、喜んですぐ貸すことを承諾した。ところがいざ渡す段になって、改めてすべてのCDを聴き、本も読み直した。それがBIエッセイ作成につながる機縁となった。友人に感謝したい。


(1)心に響く独特の音色〜リスト、ショパンのために生まれたピアニスト 
参考資料CD 参考資料CD
 1999年2月、NHK教育テレビのETV特集『フジコ〜あるピアニストの軌跡〜』で紹介されて、フジ子ブームが起き、コンサートは常にソールドアウト、CDも大ブレイクした。2001年には、ミュンヘン交響楽団との共演、カーネギー・ホールへのデビューコンサート、以後世界的に音楽活動を続けている。皆様、よくご存知の通りである。2003年10月には、フジテレビ系ドラマ『フジ子・ヘミングの軌跡』が放映された。

 私だけでなく多くの方が魅力を感じるフジ子ヘミングいう表現は当然であるが、音痴気味の私にさえ感動を与えるピアニストが現れ、出会ったという表現がより適切であろう。

 私も、CD『奇蹟のカンパネラ』、『永久への響き』を早速買い、何回も聴いた。心に響く独特の音色に聴き入る。初めて聴いた時は感動に震えた。聴衆に詩情を語りかけるような日本人?しかも高齢で無名のピアニストの存在に驚いた。それから10年経ったが、日頃書斎で聞く一番のピアニストはやはりフジ子・ヘミングである。既に1968年当時ドイツの新聞で「リストとショパンを弾くために生まれてきたフジ子・ヘミング!!」と大絶賛されたピアニストである。

 彼女の演奏する曲はすぐ私にも聞きわけられる。脳科学的に言うと、あの音色は、音符にフジ子独特のアルゴリズムが付加されて私の大脳皮質に格納され、演奏と共に再現するのであろうか。では音楽論としては、どういう意味があるのだろうか知りたかった。

 音楽ジャーナリスト伊熊よし子氏は、こう語っている。

『音楽家はしばしば、究極の夢というのは「1小節を聴いたら、すぐに自分の音だとわかる音楽を奏でること」と口にする。それは歌手にとっては可能なことであっても、器楽奏者にとってはかなり難しいことである。ひとつのフレーズを聴いてすぐに演奏家の名が浮かぶという演奏は、そうそう生まれるものではないからだ。しかしながら、ここに出だしを聴いただけでその人が弾いていることがすぐにわかるというピアニストが現れた。・・(略)・・フジ子・ヘミングである。』(参考資料5)

 音楽評論家の林田直樹氏は、「フジ子・ヘミングの演奏について」と題してこう述べる。
ちょっと長くなるが、芸術論としても重要なことのようなので紹介する。

『フジ子・ヘミングの弾くピアノ−それは、間違いなく、彼女だけにしか出せない特別な色を持っている。いわゆるクラシック音楽の世界では、「より早く」「より激しく」「より新しく」といったことが優遇されてきた。しかし、フジ子の音楽は違う。

「物思いにふけながら弾ける曲が好き」。

そんな言葉が証明するように、フジ子の音楽には。どんな曲を弾いている時でも、ひとつひとつの音の意味を考えているフシがある。1回1回がまるで違う演奏なのではないかと思われるほど、「物思い」の痕跡を音楽にとどめている。

それは、いわゆる規格品としての商業音楽には元来ふさわしくない、もっとも個人的な贈り物のような性格をもつものだ。そうした音楽がいま社会現象的に売れているということの皮肉を思わずにはいられない。・・(略)・・

「より速く」の世界からは、すっかり背を向けている。奇をてらうというのとは違う。やはり、どん底を見たことのある人間にしかできない、ある種の“強さ”が、そうさせるのだろうか?芸術とは確かにそのようなことかもしれない。芸術に触れようとする人は、純粋な美を堪能するというよりも、結局、人間的な贈り物を受け取りたいものなのだ。』(参考資料6)


 指揮者で作曲家である山本直純氏は、「心で歌うピアニズム」というテーマで以下のように讃えている。

『我国では、昨今、若いピアニストたちが、テクニックを競う時代となりましたが、フジコさんの様に、心で歌うピアノは、誠に貴重な存在と云えましょう。ショパン、リスト、ラフマニノフなど、いわゆるヴィルティオーゾたちの作品に於

いては、絢爛豪華なテクニックに耳を奪われがちですが、演奏家にとって、一番大切なことは、心に訴える芸術性であることは云う迄もありません。フジコさんの音楽を愛する心が、そのまま鍵盤を通じて、聴衆に感銘を与え、魅力あるピアニズムを感じさせるのでしょう。』(参考文献1:12ページ)


(2)フジ子・ヘミングが語る『運命の力』
参考文献「フジ子・ヘミング 運命の力」 参考文献

 フジ子・ヘミング自身の著『フジ子・ヘミング 運命の力』で語られた真実に胸を激しく打たれた。こんな人生は本当に実存するのか?フジ子・ヘミングは、運命の力を信じて生きたという。颯爽として、平然とした雰囲気で語る思い。何という強さ、気高さなのか!


<ピアノがあって・・・>

 フジ子は幼少時代、日本人であった母がよく弾くショパンの曲を聴きながら眠った。母は、東京音楽学校(現在の東京芸術大学)出身のピアニストだった。ピアノは身近な生活の一部であったという。5歳の頃から、母の指導でピアノを弾く毎日となった。

 青山学院、東京芸術大学、ベルリン音楽学校、そしてウイーンへ。やっと、一流のピアニストとして認められるリサイタルの直前に風邪を引き、中耳炎になり聴力を失った。演奏会はキャンセルとなり、それからは絶望の日々が本当に長く続いたのである。永遠に続くと思ったに違いない。

 フジ子自身は、「もう、私の出番は天国にしかないだろう、と長いこと思っていた。」(参考文献3:14ページ)という。

<音楽はみんなのためにある>

 お客様を大事にするフジ子の音楽観を聞いてうれしくなった。聴力を失った長期不遇のピアニストの再起を実現したものもお客様であった。フジ子のピアノとその音楽観が彼女を救ったのだ。

『演奏会のプログラムは誰にでも親しみがあって、観客が喜ぶような曲を選んでいる。それは、私が好きな曲でもある。・・(略)・・クラシックの世界で間違っていると思うのは、なぜ誰も知らないような曲をならべたがるのか。・・(略)・・

音楽は批評家のためにあるものではないのだから。リストやブラームスの『ハンガリー狂詩曲』は、家のないような貧しい人たちの音楽を書いた曲。

ドイツにいるときから私はよく弾いた。そしたらある教授が怒った。「そんな曲を弾くな!」と。

私は怒った。「じゃ、なんでそんな変な曲を、リストは作曲したのか」って。

リストは、貧しい人たちに心があったから、そこに耳を傾けて作ったのだ。日本の『会津磐梯山』『木曽節』とかは、庶民のために作られた曲でしょ。そういう人たちに耳を傾けて、温かい心で唄を作った人が日本にもいっぱいいる。・・(略)・・音楽はみんなのためにあるのよ。』(参考文献3:18ページ)

 1995年、母の死を契機に日本に戻り、日本のお客様に知られたフジ子・ヘミングは不死鳥のように蘇った。フジ子は、晩年の運を切り開いてくれたのは母であり、今日の自分があるのはなんといっても母のおかげだと感謝の言葉を述べている。


<壊れそうな『カンパネラ』があったっていいじゃない。まちがったっていいのよ>
 フジ子は、ファンからの手紙に応えて、自らのピアノについてこう語る。

『私のピアノはテクニックで弾くというものではない。音のひとつひとつに色をつけるように弾くのだ。・・(略)・・私は自分の弾くリストの「ラ・カンパネラ」がいちばん好き。鳴り響く鐘の音を模した曲。ぶっ壊れそうなピアノの演奏があってもいいじゃない?

私は機械じゃないんだから、いつも同じような気持ちでピアノを弾くことなんてできない。小さなミスを問題にするより、どういう音で私らしく弾くか、それが問題。・・(略)・・

耳が聞こえなくなってピアニストになる夢をあきらめかけ、ドイツの町々を音楽教師を続けながら移り住んだ。そうしながらも少しずつリサイタルを開けるようになり、毎回盛況だったから自分でも驚いた。

無名だったけれど、不思議にファンは多く、私はこのドイツの聴衆にいつのまにか支えられているのを感じた。報われなかったことや辛かったことに耐えた経験が、音の響きや音色に表われ、プラスになっている。』(参考文献3:23ページ)

<音楽と猫が人生を救った>

 失意のどん底を救ってくれたのは音楽と猫だった。ヨーロッパではいつも数匹の猫と一緒だった。

『「人生の艱難辛苦から逃れる道はふたつある。音楽と猫だ」 これはドイツの偉人アルベルト・シュバイツアーの言葉。・・・私も人間関係のもつれや不運など、つらいことが多かったけれど、それを乗り越えられてきたのは、猫と音楽があったから。招き猫っていうでしょ。ほんとうにそう。彼らに幸せを招いてもらった。』(参考文献3:35ページ) 


<画家フジ子・ヘミング>

 フジ子の絵が、プロ並だと私は思う。本やCDの絵から画家フジ子・ヘミングの片鱗が窺える。
 
 父は、ロシア系スウェーデン人で画家だった。素敵な漫画を書き、後に建築家となった。フジ子はナチス体制化のベルリンで生まれた。5歳の時、一家は東京に戻るが開戦の気配を嫌って父は日本を去り、以来再び父と会うことはなかったという。以後彼女は母の手一つで育てられる。

 小さい頃、叔母によく預けられた。その叔母は日本画の画家だったから、預けられると絵なんかを好き勝手に描いていたという。

 映画が好きな母は、よく映画館に連れていってくれた。フジ子も青山学院時代は、学校をさぼって映画を観に行くこともあった。

『ヨーロッパに渡ってから、まったく何も聞こえてこない状態が2年間続いた。音を失ってからのなぐさめは、絵を描くことだった。・・(略)・・私は、ロートレックや竹下夢二の描き方を参考にすることが多い。線が力強くて、職人芸的でないところに惹かれている。』(参考文献3:70〜72ページ)

<住みたかったフランスで暮らすフジ子>

 今、フジ子は、フランスに家を持ち暮らしながら、音楽活動を続けている。パリは憧れの地であるという。2001年以下のように述べていたことが実現できたようだ。きっと笑顔の中にいると信じている。

『年をとってピアノが弾けなくなったら、1年の半分くらいはパリに住みたいと思っている。ヨーロッパは、物価も安くて暮らしやすい。それに有名な人が住んでいた家が今でもちゃんと残されている。それを見るのに一日や二日では、到底まわりきれない。パリに住むようになったら、そんなことをして過ごすのもいいかなあと思う。それに美術館や教会、いろいろなところをじっくりと見て歩きたい。』(参考文献3:111ページ)

(参考文献・資料)

1.本 『フジ子・ヘミングT:奇蹟のカンパネラ』((株)ショパン1999年10月初版)
2.本 『フジ子・ヘミングU:ピアノがあって、猫がいて』((株)ショパン2000年4月初版)
3.本 フジ子・ヘミング『フジ子・ヘミング 運命の力』((株)ティビーエス・ブリタニカ  2001年6月初版)
4.CD フジ子・ヘミング『奇蹟のカンパネラ』(ビクターエンタテインメント(株) 1999年8月)
5.CD フジ子・ヘミング『永久への響き』(ビクターエンタテインメント(株) 2000年4月)
6.CD フジ子・ヘミング『トロイメライ』(ビクターエンタテインメント(株) 2003年1月)
7.CD フジ子・ヘミング『雨だれ』(ビクターエンタテインメント(株) 2003年11月)
8.CD フジ子・ヘミング『Melodies of Remembrance』(ビクターエンタテインメント(株) 2003年12月)
9.CD フジ子・ヘミング『こころの軌跡』(ビクターエンタテインメント(株) 2004年3月)
10.DVD NHKソフトウェア 『フジコ:あるピアニストの軌跡』(ビクターエンタテインメント(株) 2000年4月)
http://www.bi-p.co.jp/essay/195/


11. 中川隆[-6086] koaQ7Jey 2017年10月29日 07:07:26 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]


sin_guu_guu_edo_megumiさん 2013/1/30

フジコ・ヘミングさん 好きですか?


vanvondenさん 2013/1/31 09:44:03

NHK発掘当初は感激するほどの演奏をしましたが(NHK)放送により有名になると拝金主義に転じ以下今日まで恥ずかしいコンサ−ト(もどき)を続けています。

ちょっとはずれますが、本年レコ−ド芸術1月号で宇野功芳氏が彼女の演奏会に初めて足を運び

「途中で何度も指が止まってオケを止めたが心配していたミスタッチは少なかった。こういうコンサ−トも良いと思った」

と書いてます。

こんな評論をする大御所が彼女の支持者なのです。

というわけで「嫌い」というより「あきれて」います。


love_d_officeさん 2013/2/10 1:53:53

フジコさんの演奏がクラシックピアノ界の最高レベルで世界中で絶賛されているか?と訪ねられたら「NO!」と即答します、真面目には弾いてないですね。やりたい放題です、しかし本人もそれを百も承知で良しとしているし喜んで聴いてくれる聴衆も沢山いるので、それはそれで面白いと思います。

60代(多分)でスターピアニスト!?の仲間入りをして年間通して信じられない数のコンサートをこなしているスーパーお婆ちゃん(普通あの年齢なら家でヨボヨボしているか病院のベッドの上ですよ。)

真面目で頭のカタイ先生方からは「けしからん!」と酷評されていますが、ファンキー婆さんの枯れたピアノに心を遊ばせるのもまた一興かと。

よくミスタッチや暗譜の不備などが話題になりますが間違えてもちょっとピアノが弾けるくらいの素人がとやかく言えるレベルのピアニストではないですよ、嘘だと思うならフジコさんのリサイタルのプログラムを全部暗譜して自分で弾いてみてください、そしてその演奏を録音して聴いてみてください。(意地悪な事を言ってゴメンなさい)それすら出来ない人は話しにもなりませんが、要は自分の腕だけで勝負しているプロの世界はミスタッチがどうとか言う前に弾けるか弾けないかと言う事が問題になるんです。

まぁ本当はその先が重要問題なんですけど…。話がそれましたが近年あまりにも即物的なクラシック音楽界(特にピアノ)に「悔しかったら私よりお客を入れてみなっ。」と言わんばかりに人生最後のスカシっ屁を喰らわしたファンキー婆さんイングリット・フジコ・ヘミング…私は嫌いじゃないです。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13101158173


12. 中川隆[-6075] koaQ7Jey 2017年10月30日 01:56:10 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

「2018年度版!」「YouTube」の動画を安全にダウンロードする方法について
https://www.japan-secure.com/entry/blog-entry-459.html

YouTube動画変換 - MP3、MP4、AVIダウンロード
https://www.onlinevideoconverter.com/ja/video-converter


13. 中川隆[-6068] koaQ7Jey 2017年10月30日 10:19:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

フジ子・ヘミングさん|グランドメゾン|gmインタビュー
https://www.sekisuihouse.co.jp/gm/inter/10/

スウェーデン人の建築家を父に、日本人ピアニストを母にベルリンで生まれる。
幼い頃から才能を認められていたが、留学先で患った耳の不調のため演奏活動を休止。1999年に放映されたドキュメンタリー番組を機に一大ブームが起こり、デビューCD『奇跡のカンパネラ』はクラッシックでは異例の100万枚を越えるヒットに。


ヨーロッパ。さまよ彷徨いの日々


 ヨーロッパでは、ベルリン、ウィーン、ストックホルム、ハンブルグ、ハイデルベルグ…いろんな町に住んだわね。どこも思い出があるわ。

 30歳で留学したベルリンでは郊外に住んでいたから、緑が多くて、まるでおとぎばなしの国のようでした。春、森のなかに座って鳥たちの歌をじーっと聴いている幸福。部屋に戻れば、私を待っているピアノ。ほかの誰にも出せない自分だけの「音」、その音色こそがいつか私の財産になってくれると信じていたから…。

 4年後。なんとか演奏家として一人立ちしていた頃、指揮者のレナード・バーンスタインに手紙を書いたの。彼は私の演奏を褒めてくれ、リサイタルの後援まで約束してくれました。ところが本番一週間前に、風邪をこじらせて両耳が全く聴こえなくなってしまって…。

 哀しかった。私は耳の治療を受けながらストックホルムでピアノ教師の勉強を始めました。そして5年後にハイデルベルグで音楽学校の教師になったの。心が後ろばかりを向いた日々だったわね。

 ここは、ストックホルムにある思い出の“ホテル・ディプロマット”。20年前に母との最後の旅行で泊まったの。ほんとうに素敵だった。部屋ごとに内装がぜんぶ違っていて、北欧調のあんなきれいな色合いって、他のどこの国にも無いと思うわ。

 私の父は、このホテルのそばで育ちました。若いころは芝居関係の仕事をしていて、その劇場もまだ残ってる。私にとってストックホルムの街は、父とのつながりを感じることができる大切な場所なのです。

 猫を飼いだしてからよ、人生が変わったのは。ハイデルベルグ郊外の、百何十年もたった古い家。そこで毎日、猫にピアノを聴かせて。私の人生で、一番幸せな時。ええ、今より幸せだったかもしれない(笑)。

パリで過ごす“宝石”の時間

写真 ほっとするのは、やっぱり自分の家に帰ったときね。今はパリのモンマルトルとサン・ルイ島、ベルリン、そして東京の下北沢に自宅があります。
 パリの家は、私にとって”宝石“のようなもの。好きなパリで、ピアノに集中できる素敵な部屋を持つということにこだわって。それがサン・ルイ島にある、築400年のもと貴族の館にある稽古場なの。そこで猫と語らい、好きな絵を描いて。そうした宝石のような時間が気持ちを豊かにしてくれて、いっそうよい演奏ができるんじゃないかしら。

 下北沢の家は築60年を超えて多少ガタガタしてきたけれど、母が亡くなるまで過ごした家だから壊したくない。いつの間にか20匹に増えてしまった猫と、犬一匹とで暮らしています。裏手にある教会に平日の昼間、ふらりと入って一人で祈っているの。

 祈ること?どうか世界から、飢えで苦しむ子どもや動物がいなくなりますように。そして、私のピアノで救われる人がいるのなら、どうぞよりよい演奏ができますようにって。

 だから、立ち止まれない。進みつづけるだけ。私だけの音、私だけのピアノを、これからもっともっと高めていきたいと願っています。
https://www.sekisuihouse.co.jp/gm/inter/10/


14. 中川隆[-6060] koaQ7Jey 2017年10月30日 16:52:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

フジ子・ヘミングの人気の秘密



たくさんあると陳腐化する。陳腐化すると急激に価値を失う

弁護士も、税理士も、会計士も、その資格で食えなくなったのは、資格者が大量に増えたからだ。

資格を取っても、他にその資格保持者が大量にいたら仕事が回ってこない。仕事はそんなにあるわけではないので小さなパイの奪い合いになるのだ。そうすると仕事の単価は安くなり、あぶれた人は無職になる。

「溢れるほどたくさんあるものは価値がなくなる」

誰でもできる仕事の単価が安いのも、補充がいくらでもきくからだ。どんなに賃金を安くしても、それをやる人がいる。だから単価はじりじりと安くなっていく。

これは、すべての人間が知っておかなければならない不変の事実だ。

「溢れるほどたくさんあるもの」に人生を賭けているのであれば、その時点で苦闘の道を歩むことになる。競争相手が無限に存在すると自分の価値が保てないのである。

たくさんあると陳腐化する。陳腐化すると急激に価値を失う。

これは生産に関わっている人間であれば、本能的に理解できる現象だ。市場に同じ製品が溢れれば差別化が難しくなり、あとはコスト削減で勝負するしかなくなる。

他人と同じことをしていると自分が陳腐化する

コスト削減は、常に正しい生き残りに見える。

しかし、同業他社も必死でコスト削減に励むので、結局は最後に「合成の誤謬」に見舞われる。商品が丸ごと陳腐化・安物化してしまう。

よく知られているのは農作物だろう。

その年にミカンやリンゴやコメが取れすぎると、生産者は誰もが売れ残りを避けるために、値下げして他より優位に立とうとする。他も同じことを考える。すると、最後には必ず投げ売りになる。

そうなると生産者のすべてが儲からなくなってしまう。「豊作貧乏」とは、そのような理屈から生まれた言葉だ。

これは職業でも言える。

誰もがサラリーマンになりたがるのが日本社会の特徴だ。しかし、サラリーマンが増えれば増えるほど、この職業は陳腐化していく。

やはり最後には価格競争(賃金低下)に巻き込まれる。今、まさにその労働価値の低下が起きている最中である。

これは技術でも言える。

ある技術を習得しても、その技術を知っている人間が大量に生まれたら、その技術は価値がなくなる。買い叩かれ、やがて賃金低下に見舞われる。

つまり、「溢れるほど大量にあるもの」に関わると、その時点で将来がなくなる。他でもない、自分自身が陳腐化してしまうのだから当然だ。

陳腐化してしまった時点で、その場所で生きるのは実りのない苦しい戦いになる。

いったい、どうすればいいのか。

陳腐化した場所、技術、仕事から逃れるしかない。自分が陳腐化しないための訓練、自分が陳腐化するものに巻き込まれないための訓練が必要になっていく。


人は往々にして、社会的流行に巻き込まれる

そもそも、人はなぜ「溢れるほど大量にあるもの」に知らずして関わってしまうのか。なぜ他人と同じことをして自分自身を陳腐化させてしまうのか。

それは、人は社会的な動物だからだ。社会的であるということは、社会に協調して生きているということでもある。

自分が社会に協調することによって、社会に受け入れてもらっている。だから、人は往々にして、社会的流行や社会的熱狂に巻き込まれて行く。

・社会がひとつの方向に向かって走り出す。
・何かが大流行して拡散していく。
・バブルが発生して誰も彼もがそれに乗る。

これで多くの人が巻き込まれていく。そして、それを見ている人も、「バスに乗り遅れるな」という心境に陥ってしまう。熱狂とは、伝染するものなのだ。

「みんなやっている、みんな乗っている、みんな熱狂している」時に、自分だけ醒めた目で見つめることができる人は、そうザラにいない。

しかし、熱狂を生み出されてそこに飛び込むと、それこそが「溢れるほど大量にあるもの」の中に自分から飛び込んで行くことになってしまう。

たとえば、金融市場ではしばしばバブルが発生する。意味もなく、根拠もなく、理由もなく、どんどん値を上げていく金融商品がある。

そうすると、理由は分からなくても「上がっているから買う」「誰もが買っているから上がる」という熱狂が発生する。そして価格は雲の上まで到達するのである。

実際、多くの人はそれを分かっているが、分かっていながらそこから逃れることができないでいる。

なぜなら、ひとつの方向に向かって社会が動き出していると、どうしても無批判にそれに乗ってしまうからだ。

熱狂が冷めてから初めて人は「あれは下らないものだった」と批評できる。しかし、熱狂の最中にはそれが気がつかない。


陳腐化は淘汰の兆しであるという事実を忘れさせる

一番いいのは、「溢れるほどたくさんあるものは価値がなくなる」ことを自覚して、そこから離れることなのだが、それをするには訓練がいる。

無意識に流されて生きていると、どうしても巻き込まれてしまう。だから、そうならないように「訓練」しなければならないのだ。

・流行に巻き込まれない訓練。
・一歩引いて考える訓練。
・群衆に飲まれない訓練。
・同調しない訓練。
・バブルに乗らない訓練。
・他人を無防備に信じない訓練。

何でもかんでも他人と反対の意見を持つべきだとか、他人の反対のことをすべきだということではない。そんなことをしたら、社会から排除される。

重要でないところは常識的な判断で従ってもいい。

しかし、「それは陳腐化しつつある」と気付いたのであれば、決して同調しないようにする訓練が必要なのだ。

陳腐化しているものは、いつ暴落するのかは分からないが必ず暴落する。だから、関わっているものが陳腐化していると気付いたのであれば、そこから離れなければならないのだ。

他人が熱狂している時にこそ離れる。それは、他人の判断よりも自分の判断が重要だと思わないとできない。

簡単なようで難しい。

バブルを見て乗らない勇気、バブルに乗っていると気付いた時は降りる勇気が必要なのだ。

自分を見失わず、冷静な目で世の中を見つめることができれば、それに流されることはない。むやみに同調することもなければ、雰囲気に飲まれてしまうこともない。他人を盲目的に信じることもない。

訓練によって、社会の同調圧力から自分を引き離さないとならないのだ。そうしなければ、自分が社会に踊らされ消費され、陳腐化していると気がついた時には手遅れになっている。

しかし、多くの人は自ら陳腐化の渦の中に飛び込んでいく。「誰もがやっている」という熱狂が、陳腐化やバブルは淘汰の兆しであるという事実を忘れさせる。

しかし、「たくさんあると陳腐化する。陳腐化すると急激に価値を失う」という法則は必ずどこかで発令されるのだ。自分が「陳腐化したもののひとつ」にならないために、目を覚まさなければならない。


その年にミカンやリンゴやコメが取れすぎると、生産者は誰もが売れ残りを避けるために、値下げして他より優位に立とうとする。他も同じことを考える。すると、最後には必ず投げ売りになる。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/10/20171030T0321190900.html

Fujiko Hemming 月の光に- YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=tO1I6cDb92Q

フジ子・ヘミング(Fujiko Hemming) 絵画集〜エリーゼのために - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=W5JqCIorG5E

Ingrid Fujiko Hemming - La Campanella - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=xNzzF0M5hB0


15. 中川隆[-6058] koaQ7Jey 2017年10月30日 17:14:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

フジ子・ヘミングの人気の秘密 2

顧客が求めているのは「何も変えない事」


「新しいことに挑戦する」よりも、さらに重要なこととは? 2014年11月5日


電化製品やコンピュータは、毎年性能がアップするので、変わらないと取り残される。IT業界は、他人よりも早く「変わる」ことで生き残ろうとする。

家電業界でもファッション業界でも、「古臭い」と思われたら時代に見捨てられるので、毎年のように何か新しいものを出して、見捨てられないようにする。

ときには気が狂ったようにありとあらゆる分野で新製品を出しまくる企業もある。変わらなければ捨てられるので、死にもの狂いで今あるものに、あれこれ微細に手を加えて「変わりました」とアピールする。

日本企業も、要らない機能をあれこれ死ぬほど付け加えていくのは、そうでもして変わらないと見捨てられるという恐怖がそこにあるからだ。

そして、多くの企業が自分たちの得意とする分野を超えて、違う領域にも手を出していく。「時代の流行が変わった、流行りの分野が変わった、新しいもの、目立つものが変わった」と言うたびに、今までの蓄積を捨てて新しい分野に飛んでいく企業もある。


「変わらなければ、見捨てられる」という恐怖

新しい分野に飛び込んで行っても、古い分野はそのまま残すので、多くの企業は気がつけば「多角経営」になる。いろんなものを同時並行に取り込んで企業の実態が複雑怪奇になってしまうのだ。

「変わらなければならない」という強迫観念にも似た恐怖が企業を支配した結果、いろんな不必要な業務や部署が膨れあがって、誰も全貌が分からなくなってしまう。

面白いことに、こういった企業の動きとまったく同じように生きる個人もいる。毎年のように新しい趣味、ファッション、習い事、仕事をして、そのすべてが中途半端になってしまう。

「変わらなければ、見捨てられる」という恐怖がそこにあるのだろう。

しかし、「新しいものに手を出せ」と世の中が狂気のように叫んでいるのとは裏腹に、冷静になってよく考えて見ると、実は「変わらないこと」の方がより合理的で安定していることが分かるはずだ。

ずっと需要が続くものは変わらなくてもいい。ずっと需要が続くものは変える必要がない。永遠に需要が続くものは、永遠にそこに集中することで生き残ることができる。

たとえば、石油企業は石油だけに集中していればいい。石油の需要は変わらず、石油の性質は変わらず、石油の重要性は変わらない。

現代文明は石油を糧に回っているのだから、石油の性質が変わったら逆に困る。変わらないことが望まれている。だから、石油会社はやたら変化に強い企業でもある。世の中がどう変わっても生き残る。

ブランドを持ったビール会社はビールを売ることに集中していればいい。バドワイザーは永遠に味を変えなくてもいい。変えたら本社は焼き討ちに遭うだろう。変わらないことが望まれている。

だからバドワイザーを製造するABインベブ社も、やたら変化に強い企業でもある。世の中がどう変わっても生き残る。


何も変えることなく永遠に続けられる仕事

車会社やコンピュータ会社が危険なのは、製品がすぐに陳腐化し、競争が激しく、変わることにコストがかかりすぎているからだ。新製品を出しまくらないと生きていけず、その新製品を出すために莫大な研究費を必要とする。

バドワイザーは、広告が必要であっても新製品開発のための研究費も設備投資も要らない。新しいことをする必要がないのでコストがかからない。

タバコ会社もそうだ。信じられないかもしれないが、タバコ会社の大手フィリップ・モリスはマクドナルドよりも時価総額が高い。これだけタバコが嫌われている世の中なのに、マクドナルドよりも会社の規模が巨大なのである。

タバコ産業は、世の中から袋叩きにされても決して需要が消えず、何も変える必要もなく、ただそれを供給できればいい。新しいことをする必要がない。

新しいことをしないで生きていけるというのは、最大のコスト削減となり、強みとなる。

自分の人生を考えても分かるが、新しいことをするというのは、金がかかり、しかもそれが成功するとは限らない。あれこれ手を出してみても、自分に合わずにいつしか忘れられたものは山ほどあるはずだ。

仕事でも、新しい分野の仕事をしても時代が変わったら見捨てられるような仕事なら、それで生きていくのは心もとない。

世の中が変わっても生き残れる仕事、自分が老いても続けられる仕事、自分が才能を発揮させ続けられる仕事、すなわち「何も変えることなく永遠に続けられる仕事」をすることが最も合理的なのである。


「何も変える必要がない」というのが重要だ

「うまくいっていて永遠に続けられるもの」を発見する。

実を言うと、それこそが自分の人生にとっても、企業の存続にとっても、さらにはあらゆる生命体にとって最重要課題なのである。

新奇なもの、珍奇なものは古くなる。しかし、「何も変えることなく永遠に続けられるもの」は古くならない。そういった「何も変えないでもうまく生きていける」ものを見つけられれば、個人も企業も永遠に生き続けられる。

「何も変える必要がない」というのは、日に日に熟練するということである。熟練が極まると匠(たくみ)になる。つまり、その分野で他人を寄せ付けない「名人」になる。

あれこれよけいなことをしていれば、そのたびに「新人」と化して、大成できない上に実り(リターン)が得られない。人間はそれほど器用にできていないし、人生はあれこれ何でもできるほど長くない。

あれこれ何でも試してもいいのは若いうちだけで、その若いうちでも、自分の性格や体力や能力を最も活かせる「もの」を早く見つけられた人が、大成し、生き残れる人だ。

「あれこれ何でもすべき」「新しいことに挑戦」は、100%正しいことのように言われているが、それこそが人生を無駄にする要因になってしまうこともある。

いったん、実りが得られるものを見つけたら、もはやそこに集中して離れず、うまくいくものを永遠に続けて第一人者になった方がいいのである。

時間は限られているのだから、選択と集中が重要になるのは、個人でも企業でも同じだ。

「変わらないこと」は、長い目で見ると自分の得意を伸ばすことであり、得意を伸ばすことができればできるほど、他を寄せ付けない存在になれる。


人生の中で、永遠に続くものを、あなたは見つけられるか?
http://www.bllackz.com/2014/11/blog-post_5.html


フジ子・ヘミング〜子犬のワルツ - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=e1NykuLmM4M

フジ子・ヘミング〜華麗なる大円舞曲(ショパン) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=MK2pbvKw82o

エオリアン・ハープ♪ イングリット・フジコ・ヘミング より - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=pn59hHKVZqY

フジ子・ヘミング〜アテネの廃墟(トルコ行進曲) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=A0CkqKIJ2pQ


フジ子・ヘミング〜ハンガリー舞曲 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=sVbzDTGqeeA

Schubert - Liszt - Jorge Bolet, 1974 Die Forelle (The Trout) - Op.32 (D.550) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=2wyTO2YFLc0

Schubert - Liszt - Jorge Bolet Serenade (Hark! Hark! The Lark) - 1974 Recording - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=PHZpWG63UTo

Verdi - Liszt - Jorge Bolet, 1974 Concert Paraphrase on Rigoletto, S. 434 (LW A187) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=sQ0i4z-z06Q

フジ子・ヘミング〜トルコ行進曲 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=B7ccYFyQMrE

SKO Simon Chalk I Fuzjko Hemming W A Mozart K 21 C dur Allegro vivace assai - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dZQyOj9ooZU


16. 中川隆[-6056] koaQ7Jey 2017年10月30日 17:42:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

フジ子・ヘミングの人気の秘密 参考


ミッシャ・エルマン(Mischa Elman, 1891年1月20日:タリノエ - 1967年4月5日:ニューヨーク)


Mischa Elman plays Brahms - Hungarian Dance No. 7
http://www.youtube.com/watch?v=GSlI6cNtkqg

今回のCDで演奏しているのは、“エルマントーン”で当時一世を風靡したウクライナ出身のヴァイオリニストのミッシャ・エルマン(1891年―1967年)である。

“エルマントーン”とは一体何か?

一言でいうと「甘いヴィブラートと官能的なポルタメント」が特徴とでも言ったらよいのであろうか。常に音程が揺れ流れており、曲全体が甘く、官能的に聴こえてくるのである。

ここまで徹底して自己のヴァイオリンの音色を主張し続けたヴァイオリニストも珍しいのではないかと思えるほどだ。ちょっと鼻に掛かったようでもあり、ジプシーの音楽を聴いているような感覚にも陥る。多分、今こんなヴァイオリンの奏法したらたちどころに先生に矯正されるに決まっているし、リサイタルを開いたら、古い弾き方だと非難轟々となり、そのヴァイオリニストの将来はお先真っ暗になるのは目に見えている。

ミッシャ・エルマンが生きていた時代はまだおおらかな空気が流れ、充分にその存在価値を主張できたのではないであろうか。でも、今また、ミッシャ・エルマンみたいなヴァイオリニストが登場してくれないかな、と私は密に思っている。
http://blog.goo.ne.jp/classic_2007/e/b1486287087f3db0342b4b394e322b68


これはもう、エルマンの「芸」を聞くべき演奏だ。芸術を聞くつもりでいると、ムチウチ症になること間違いなしだ。

出だしからして普通じゃない。リズムの崩し方がすごい。最初に聞いた時は、のっけからのけぞってしまった。まさに大爆笑の大拍手ものだ。これを採譜しようとすると、無茶苦茶悩むことになるだろう。エルマンは日本でも明治時代から甘美な演奏家として広く知られていたようだが、その芸の集大成ともいうべき演奏だろう。大ヴィルティオーソ時代の最後のあだ花かもしれない。

たしかにこの演奏は技術的にはかなり危なっかしい部分もある。エルマンの全盛期は1930年代にはもう過ぎていたという人もいる。しかし、それでも、これらの欠点はエルマンの「芸」の凄まじさにはかすんでしまう。


エルマンは1940年代後半から1950年代前半までの約10年間、自分のスタイルを変えようとしていたように思える。英 DECCAへの録音による1950年代前半のモノーラル録音にはエードリアン・ボールトやゲオルグ・ショルティによる指揮でチャイコフスキーやベートーヴェンなどの協奏曲が録音されているが、第二次世界大戦後に起こった「楽譜に忠実」派の隆盛によって、エルマンがそういった演奏スタイルに変えようとして喘いで様が記録されている。

それは、1940年代から始まったRCAーVictorのエルマンへの冷遇(それはハイフェッツの録音量に比例している)によってエルマンを悩ませていたようだ。しかし、1950年代後半、米Vangurd と契約した頃には「自分は自分でしかない」という結論に達したようだ。


とにかく、この演奏はエルマンの奏でる「歌」を聞くためのCDだ。ピアニストで言えば、パデレフスキーやパハマンと同じように、楽譜を材料としてそれを如何に料理するかを楽しむための演奏だ。だから、ベートーヴェンやブラームスなどの音楽の根っこにある「観念」を表現しようとする音楽には向かないが、そういう背景があまりない曲では抜群に面白さを感じさせるものになる。

今日、このような演奏はまず聞かれない。それは、学術的研究の成果なのかもしれないし、あるいはコンクール全盛期の弊害なのかもしれない。
エルマンのような音楽家は今の音楽界では決して認められないだろう。

しかし、人間が音楽の上位にいた頃、それがエルマンの時代ではなかったのではなかろうか。そう考えると、果たして今のリアルタイムで聞くことが出来る音楽が当時よりも優れているかどうか、疑問が残る。
http://stokowski.web.fc2.com/jp/nattoku/elman.htm


1月20日は、ミッシャ・エルマンの誕生日です。


◆昔のヴァイオリニストです。美音でした。

しばしば、昔のヴァイオリニストは、個性的で、いまのジュリアードで習った人達はテクニックはあるけど、 つまんない、というような、ことを言います。

それほど、単純では無いと思います。今のヴァイオリニストでも、「あ、これは・・・」と音を聴いて分かる人、 弾き方の特徴(曲の解釈上の個性とでもいうのでしょうか)で、「あ、これは○○だ」と言う人はいます。

ただ、今の方が、世の中がギスギスしているのと、みんなテクニックがどんどん向上していくので、 つい、そちらの方に演奏者も聴き手も気を取られて、何だか少しカリカリしている気がします。

特にコンクールとなると、本来の演奏会じゃなくて、皆同じぐらい上手いので、ミスをした方が負け、のような(実際はそれほど単純じゃないでしょうが)状況ですから、ピリピリしています。

でも、少しぐらい間違えたっていいですよね。全部デタラメでは、お話になりませんけど。

そのようなことを、ロシア生まれのアメリカの往年のヴァイオリニスト、ミッシャ・エルマン(1891-1967)の小品集を聴いていると、感じます。

エルマンの美しい音は「エルマン・トーン」と呼ばれた、と言われています。

私は生で聴いたことがないので、本当はどういう音だったのか、分かりませんが、 そんなの今更どうしようもないんですから、ムキになることはない。


いや、失礼。


何を独りで怒っているかというと、

Wikipediaでミッシャ・エルマンの項
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3


を読んだら、 要するに上手かったのは、若い頃で、晩年はテクニックも衰えて、音色も、さほど大したことはなかったと、 珍しく情緒的な説明だったので、何かエルマンに恨みでもあるのか? と少々不愉快だったからです。

失礼を致しました。

◆エルマンより今の日本の若い人の方がテクニックはあるかも知れませんが・・・。


純粋に早いのを正確に弾けるかとか言うことで言ったら、それは今の学生さんの方が、 これからお聴き頂く晩年のエルマンより上手いでしょう。


そこが、逆に貴重でして、エルマンのヴァイオリンを聞くと、音楽家というのは、テクニックは身につけなければいけませんが、上手ければ良いというものではない、ということが分かります。


◆【音楽】アンコール集 エルマン(vn)セイガー(p) より。


CDは、AmazonでもHMVでもTowerRecordでも買えますが、Amazonだけ試聴できないので、 HMVのアンコール集 エルマン(vn)セイガー(p)と、 Towerのヴァンガード名盤選38::ヴィルトゥオーゾ・ヴァイオリン・マスターピースにリンクを貼っておきます。


ガヴォット(ゴセック)
http://www.youtube.com/watch?v=EqkRbC4EC-8
http://www.youtube.com/watch?v=y3ztkHOYtDc


エルマン先生、1拍目から弾かないで、前の拍のウラからシンコペーションにして弾いてます。

たしか、楽譜はそうなっていないはず。でも良いんです。これぞ「エルマン節」なんです。


今時、こういう可愛い小品を弾いてくれる、プロのヴァイオリニストっていませんよね。

或る意味では、大変怖いかも知れません。プロを目指して所謂「英才教育」を受けた子など、小学校に入学する前に弾けていたと思います。易しい曲ですから、誰でも弾けます。素人ですら、兎に角弾くだけなら弾けます。そういう曲を大勢の前で弾くのは、間違えたらすぐにバレますから。


2曲目はこれまた泰西名曲、ドヴォルザークの「ユーモレスク」です。

N響の第1ヴァイオリンで30年弾き続けた鶴我裕子さんは、仕事ではやれ、マーラーだ、ブルックナーだ、ショスタコーヴィッチだ、バルトークだ、と難しいのを弾いておられたのに、著書「バイオリニストは肩が凝る」の中で、エルマンの「ユーモレスク」を聴くと、ホッとする、と書いています。プロですらそうなのか、と、何だかこちらもホッとしたことを思い出します。


ユーモレスク 変ト長調 Op. 101 No. 7 (ドヴォルザーク--編曲:アウグスト・ヴィルヘルミ)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm7897609
http://www.youtube.com/watch?v=20xtbVx8sn8
http://www.youtube.com/watch?v=MrdrXJ73Xa4

エルマンが来日した時、日比谷公会堂かどこかで、リサイタルがあり、アンコールでエルマンは、この「ユーモレスク」を弾いたそうで、それを実際に見て、聴いた人によると、今の若いヴァイオリニストだったら、照れちゃってこんなの弾きませんが、エルマンは、実に気持ちよさそうに楽しそうに弾いたそうです。


ベートーヴェン 「ト長調のメヌエット」
http://www.youtube.com/watch?v=TwjzTHF2jgw
http://www.youtube.com/watch?v=iwE_40PrJ0c
http://www.youtube.com/watch?v=n7tuuEzLvBg


お聴きになれば、「ああ、あれか。」と思われる筈です。


ここまでの曲、いずれも「ヴァイオリンが歌っ」ています。その「歌心」が、聴き手の心の琴線を震わせます。


以上は技術的には易しい曲ばかりです。このレコードは1958年にエルマンのアメリカデビュー50周年を記念して作られたとか。


エルマンの晩年ですが、Wikipediaで批判的な文章を書いている人物は「チゴイネルワイゼンに至っては、技術が衰えているため、難しいところは思い切りテンポを落として弾いている」という意味のことを書いていますが、私はそれはどうかな?と思います。

聴いて頂きましょう。


サラサーテ:ツィゴイネルワイゼン
http://www.youtube.com/watch?v=eFtNt0d7KHo


ハイフェッツと比べたら、それは確かにテンポは遅いです。最後モルト・ヴィヴァーチェ。ハイフェッツは一番速いところでは、テンポ180近い。全盛期のハイフェッツと比較したら気の毒です。

岩城宏之さんの「棒振りのカフェテラス」という本に書いてありますが、ハイフェッツですら最晩年は、小品すら通して弾くことができず、編集でつないでいたそうですから。


エルマン先生は思いきり遅いですが、音質は乱れていないし、音を飛ばすこともない。

左手ピチカートもきちんと鳴らしている。曲の最後の最後ではアッチェレランドをかけて非常に高いポジションの音程が狂っていない。ただ、何度も出てくる、和音が三つ続くところで、あまりにテンポを落とすし、演りたい放題なので、これは伴奏者、ジョセフ・セイダー氏の健闘を讃えるべきでしょう。


最後です。


マスネー:歌劇「タイス」 - 第2幕 瞑想曲
http://www.youtube.com/watch?v=nYsSrhamhb0
http://www.youtube.com/watch?v=eL9xlJqd0zQ
http://www.youtube.com/watch?v=eaonFKJKG7U

全体としてお分かり頂けたかと思いますが、エルマンの音は決して、刺激的に鳴らないのです。

録音が古いこととは無関係だと思います。奏者が常に「美しい音」をイメージいていなければ、ヴァイオリンのみならず、どんな楽器でも良い音が出せるようにはなりませんし、それを維持できない。

エルマン氏は、一生、理想の音を追い続けていたのかも知れません。

好き好きですが、このCDはお薦めです。とにかくエルマン聴いたこと無い、じゃ、問題外でっせ。

コメント

しばしば、言われることですが、昔のヴァイオリニストって、本当に音に個性があるのですよね。

音を聴いて、「あ、○○の音だ!」とすぐ分かるような音色や、歌い方の個性は、何故か技術の進歩と共に埋没してしまいます。

ゴセックの「ガヴォット」やドヴォルザークの「ユーモレスク」など、素人でも弾くだけなら弾ける曲でなおかつ、聴衆を魅了するということは、プロコフィエフやショスタコーヴィッチのヴァイオリン協奏曲で高度なテクニックで人を「驚かせる」よりも難しいことだと思います。

今の時代にエルマンを愛好して下さる方がいらっしゃって、とても嬉しく思いました。
投稿: JIRO | 2011.04.18 23:12


昨日、私もエルマンのジュビリーアルバムとクライスラー愛想曲集を買い、同じように、ガボットの快活さに舌を巻き、音の素晴らしさに酔っていました。そして、同じくWikipediaの分かったような解説に腹を立てていたところです。
こんなに素晴らしい小品集は他にないと思います。
投稿: kuma | 2011.04.16 23:57
http://jiro-dokudan.cocolog-nifty.com/jiro/2010/01/12018911967-566.html





17. 中川隆[-6055] koaQ7Jey 2017年10月30日 17:51:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-8523]

フジ子・ヘミングの人気の秘密 参考2


ガラミアンは石ころでも立派に磨き上げて、ヴァイオリニストを創ることが出来たと評されている。


ヴァイオリン(Vn)教師の四方山話ーヴァイオリンを教えるとは


名指導者とは

 さる音楽談話例会における話題の中で、「名選手必ずしも名指導者にあらず」と言っていたが、 同じ事が音楽にも言えるのではないかと思う。

 ヴァイオリン(以下、Vn)の世界では、レオポルド・アウアー、エネスコやエルマン等は、一世を風靡した 歴史に残る超一流のソリストであったが、その弟子も一流のソリストに育てている。

   特にレオポルド・アウアーに至っては、弟子にジンバリスト、エルマン、ミルステイン、 ハイフェッツとくれば、これはもう驚きである。・・・歴史的な名ヴァイオリニストがずらりと並んでいる。日本では江藤俊哉がその範疇に入る様に思われる。

 しかしVn界全体を通して眺めて見た場合、自分自身はソリストとして前者ほど華々しく 脚光を浴びていない人物が、指導者として、超一流のソリストを育てている場合が、意外と多い様に 思われる。

 日本では鈴木鎮一や鷲見三郎がその範疇に入るのではないだろうか!

ジュリアードのガラミアンとディレイ

 アメリカではジュリアード音楽院のイワン・ガラミアンやドロシイ・ディレイであるが、共に 素晴らしい名ソリストを数多く育てている。ざっとあげてみると次のようになる。


イワン・ガラミアン
ズーカーマン。渡辺茂人。マイケル・レビン。
パールマン。チョンキョンファ。・・・Etc


ドロシー・ディレイ
パールマン。原田孝一郎。竹澤恭子。五嶋みどり。
諏訪内晶子。ギル・シャハム。アン・アキコマイヤーズ。
シュロモ・ミンツ。漆原朝子。チョーリヤン・リン。
チー・ユン。サラチャン。神尾真由子。数住岸子。
前橋汀子。加藤知子。ナイジェル・ケネディ。奥村智弘。・・Etc

(年長の生徒はドロシーがガラミアンの助手をしていたために共通の生徒がいる。)


 このようにして、Vnの指導を受けるのはジュリアードに限る、それもガラミアンや ドロシー・ディレイの指導を受けることが、ヴァイオリニストとしてのステイタスにもなっている ばかりでなく、実際に世界を席巻するソリストが、続々と送り出されている。

 ガラミアンの教育法は古い権威主義と呼ばれていた様に独自の指導法で、誰に対しても同じ方法で 徹底して指導したが、生徒は細部まで、正確に徹底した練習を求められ、テクニックの習得に重点が 置かれていたと言う。

 先生の指示する弓使い、指使いに従わない生徒には容赦をすることがなかった。

 特にガラミアンは運弓の名手と言われたカペーの弟子であっただけに運弓にはうるさく、後に ガラミアンのトレードマークになるが、大きく弓を使いいい音を出すことを徹底して訓練した。

   後にガラミアンは石ころでも立派に磨き上げて、ヴァイオリニストを創ることが出来たと評されている。

 これに対してドロシー・ディレイには固執する教授法はない。

 機械的に反復練習ばかりをさせる事はなく、この生徒のどこに問題があるのかを並み外れた洞察力で もって見い出す事に重点を置き、その生徒に必要なものは何かを的確に指摘した。

 そして生徒と徹底的に話し合い、やがては生徒自身が問題点を見つけ出せるところまで指導すると 言ったものである。

 また生徒の良い点は徹底して褒めて褒めて伸ばしていくと言う教育法をとった。従って生徒は気が付かない間に問題点を克服し、その子が知らない間に弾けなかったところが、いつの間にか弾けている と言う具合であった。

 従ってドロシイの生徒は画一的な教育法でないため、自分に合った様に、自由に成長していった。


 話はそれるが、かつて渋谷天外が藤山寛美を育てるとき、欠点はさておき褒めて、褒めて一流の 芸人に育て上げた教育法に似た感じがするが、しかしその生徒の数、レヴェルを考えるとき、 ドロシー・ディレイは実に天才的な指導者であったと言わざるを得ない。

 ただこれだけ優れた有名な指導者になると、教えを乞う生徒も莫大な数になり、そのいずれもを 平等にレッスンをすることは難しく、やはり才能のある生徒に重点を置かざるを得ないと言う悩みは あったようである。

 そのためか、単に一度か二度レッスンを受けたとか、公開レッスンに参加をしただけで、 ドロシー・ディレイに師事をしたと言う人がいるそうである。

 これはドロシーもよく知っていたが、その生徒がマネージャーとの交渉とか、後々の仕事がうまく行くのならばと言うことで、苦笑いしながらも黙認する事があったと言う。

ヴァイオリン(Vn)教師の逸話二題

 その一つは、地下鉄の駅の入り口でいつもVnを弾く、いわばホームレスがいた。足下には 「投げ銭」をもらうためにVnのケースを開けたままで置いてある。その傍をラヴエルが 通りかかり、

「こんな下手な演奏は今まで聞いたことがない、全くひどくて話にならん」

と通り過ぎた。

 次の日またラヴェルが通りかかったら、今度はVnケースの横に「ラヴェルに師事」と 書いてあったと言う。


   もう一つは、ある時ドロシー・ディレイが飛行機に乗っているとき、Vnを抱えた学生が 乗り込んでディレイの席のそばを通った。

 「まあVnを習ってらっしゃるの、すてきね〜、先生はどなた?」

と尋ねたところ、その学生は困った顔をしてディレイ先生です、と答えたという。


 これらは笑い話であるが、事実このような話はいくらでもあるようだ。

 日本でも、よくある事と考えられる。単に一度公開講座を受けただけで、誰々先生に師事と演奏会の パンフレットに書いてある。百歩譲ってそれでもよかろうと思うが、聡明な聴衆は決して騙される事は ない。聴衆は良い演奏とそうでないものはちゃんと聞き分けているものである。  演奏家はそのことを肝に銘ずるべきである。
http://chauchaw.web.fc2.com/hafuna-48-4.html

イヴァーン・ガラミアン(Ivan Galamian, 1903年1月23日 – 1981年4月14日)

1903年1月23日アルメニア人の両親の下に、ペルシア(現イラン)のタブリッツで生まれた。

1905年2歳のとき家族でモスクワに移転。彼は早くからVnに興味を抱き、両親はそれを伸ばした。

1916年13歳のときモスクワ・フィルハーモニック・スクールに入学し、アウアーの弟子であるコンスタンティン・モストラに師事した。

1917年ロシア革命後、父が実業家として成功していたため、ガラミアンは投獄された。しかし、当時ボリショイ劇場管弦楽団の団員であったことから、釈放された。

1922年パリに移住し、運弓法の権威であったパリ・コンセルヴァトワール教授ルシアン・カペーに師事した。

1924年パリでリサイタルを開いてデビューした。

このころからパリのロシア音楽院でヴァイオリンを教え始めた。

1937年ニューヨークに移住し、ヴァイオリンを教えた。

1944年にジンバリストの招きでカーチス音楽院の教授となる。

1946年ジュリアード音楽院の教授となり、1948年からドロシー・ディレイが助手となった。

ガラミアンの指導は、技術の習得を最優先した厳しいものだった。特に「弓使い」が専門で優れていた。

1970年にはディレイと仲違いをしたと言われている。

マイケル・レビン、パールマン、チョン・キョンファ、ズッカーマン等を輩出。
http://blogs.yahoo.co.jp/senninnehan/15169841.html

ガラミアンのスケールブックについて
http://www.youtube.com/watch?v=O6r0f7_JFo4

ヴァイオリン奏法と指導の原理 イヴァン ガラミアン (著)

・真面目にヴァイオリンを習得しようとした場合
・真面目にヴァイオリンを教えなければならない場合

きちんとした理論が欲しくなりますが、この本はそうしたきちんとした理論の代表格のようなものです。

値段は大変高く、訳も古く、本の体裁もとてもお堅いですが、ヴァイオリン教育業界では知らぬ者のないイヴァン・ガラミアンの著作とあれば、当てはまる人は参照して研究するべきでしょう。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E5%A5%8F%E6%B3%95%E3%81%A8%E6%8C%87%E5%B0%8E%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%90%86-%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3-%E3%82%AC%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%82%A2%E3%83%B3/dp/4276144523

アイザック・スターン曰く、

「ガラミアンは教師としてずば抜けた才能を持っていました。
ガラミアンは、まず初めは楽器を弾きこなすことが先決であり、そのために全てのテクニックの練習曲をさらうこと、
次に、テクニックを付けるための曲を弾くことが大切だと感じていました。」


ピーター・ウンジン曰く、

「人は、ガラミアン先生は石ころからでもヴァイオリニストを作ることが出来ると、いつも噂しました。

ガラミアン先生は右腕の移動の方法を知り尽くしていました。
ヴァイオリンの構造をよく理解していたのです。

生徒達は、数週間ごとに新しいコンチェルトを勉強するように言われました。
全ての指使いとボウイングを教え、それを生徒が間違いなく弾けば、その曲の学習が終わったことになります。もし、スピッカートが下手ならば、スピッカートのたくさん入った曲を練習させるのです。」


パールマン曰く、
「完璧に弾かねばなりませんでした。
さもなければ、先生の目がギラギラと睨みつけ、この世の終わりという感じでした。」


スタインハート曰く、

「私がもう学生ではなくなった時、先生は親しく口をきいて下さいました。
時々チェスをご一緒しました。ゲームの時はいつもウォッカのグラスを持ち、

『一杯目はおいしい。二杯目はもっとおいしい。三杯では足りないね。』

と言うのが口癖でした。」
http://blogs.yahoo.co.jp/senninnehan/15169841.html

ジュリアードの帝王 イワン・ガラミアンに見込まれてダメになった天才少年ヴァイオリニスト 渡辺茂夫


渡辺茂夫(1941年6月26日 - 1999年8月15日)


Shigeo Watanabe plays the violin
http://www.youtube.com/watch?v=6uMdz9HeREI

Schubert's Ave Maria Violin and Piano - Shigeo Watanabe
http://www.youtube.com/watch?v=qzaQJuVmJlI

Tchaikovsky Violin Concerto in D, Op.35 - Violin: Shigeo Watanabe - Japan - Miyajima
http://www.youtube.com/watch?v=UxEuFi6RpSo

Niccolò Paganini - Le streghe Op.8, MS19 - Violin - Shigeo Watanabe
http://www.youtube.com/watch?v=9kdSBAhki40

Felix Mendelssohn - Auf Flügeln des Gesanges ( On Wings of Song ) - Violin: Shigeo Watanabe
http://www.youtube.com/watch?v=HdLo_OUj6lo

Frédéric Chopin - Nocturne No.20 in C-sharp minor - Violin: Shigeo Watanabe
http://www.youtube.com/watch?v=XbEp4W5Z-dE

戦後日本に彗星のごとく現れた天才少年ヴァイオリニスト渡辺茂夫。

4歳半よりアウアー流派の教授法を研究した父季彦氏より薫陶を受け、13歳で来日していたハイフェッツに才能を高く評価される。

その後ハイフェッツによる熱心な推薦で無試験でジュリアード音楽院へ入学し、ガラミアンに師事。

アメリカでもその才能は高く評価されるも、ガラミアンとの意見の不一致や戦後間もない日米間の微妙な空気などから精神不安となり1957年自殺未遂、演奏活動の続行は不可能となった。

この悲劇的かつ伝説的な神童の演奏は渡米前、渡米中の録音がいくつか残されており、その類稀な音楽性を窺い知ることができる。演奏活動を続けていれば間違いなく世界的なヴァイオリニストに成長したと思われ、残念この上ないことである。
http://www.fstrings.com/player/detail.asp?id=68

渡辺 茂夫は少年時代に戦後復興期の日本で活躍したヴァイオリニスト。いわゆる伝説的な音楽的神童のひとり。

音楽家一家に生まれ、茂夫の生母・鈴木満枝はヴァイオリニストだった。4歳より、母方の叔父の渡辺季彦が経営する音楽教室(渡辺ヴァイオリン・スタジオ)でヴァイオリンを学び始める。その翌年、両親の離婚にともない、そのまま渡辺家の養子となった。


天才少年の誕生
1948年(7歳)に芝白金小学校に入学するが、早くもこの年に、巌本真理より音楽的才能を絶賛され、12月に最初のリサイタルを、翌年以降も毎年1回の定例コンサートを行う。また、1949年にはヴァイオリンを弾く少年役として映画「異国の丘」に出演している。早くも創作面にも関心を示し、音楽理論を石桁真礼生に師事しながら作曲活動や詩作にも着手し、小学校の最終年次にヴァイオリン協奏曲、オペラ、ヴァイオリン・ソナタを作曲。その作品はクラウス・プリングスハイムによって高く評価された。


渡米
1954年(13歳)に暁星中学校に進学。同年、イギリスの名指揮者マルコム・サージェントの指揮により、東京交響楽団とチャイコフスキーの協奏曲を演奏。来日したダヴィッド・オイストラフを訪ねて演奏を行う。5月、渡辺季彦の奔走により、帝国ホテルにおいて、来日中のヤッシャ・ハイフェッツに面会し、演奏を披露、ハイフェッツに深い感銘を与え「百年に一人の天才」と評される。

6月にハイフェッツからの招待を得て、両親に促されて渡米が決まる。1955年3月、ジュリアード音楽院院長より、「ハイフェッツ氏の熱心な推薦により」無試験入学が許可される。各方面の支援者(アメリカ軍属、朝日新聞社、その他の個人)から経済的援助を受け、期限は2年間、演奏旅行には連れ出さないとの条件により、7月に飛行機で渡米。


輝かしい未来
(14歳)カリフォルニア州で語学研修を受けるかたわら、奨学金を得て地元の夏季音楽講習会にも参加する。早くも天才ぶりと品のよい物腰から脚光を浴び、とりわけハンガリー人ピアニストのジェルジ・シャンドールに目をかけられた。

8月末にはモーリス・アブラヴァネルの指揮でベートーヴェンの協奏曲を演奏して、サンタバーバラ市の地元紙で絶賛される。講習会の告別演奏会にも出席して、自作のヴァイオリン・ソナタを披露する。9月にニューヨークに到着し、ジュリアード音楽院でペルシャ出身のヴァイオリニストイワン・ガラミアン(アイヴァン・ガラミアン)に師事することが決定。日系人の家庭にホームステイを始めるが、後にガラミアン宅に同居する。


最後の栄光
1956年(15歳)からニューリンカーンのハイスクールに通学。この頃から日本への連絡が途絶えがちになる(一説には、日本や日本語に対する嫌悪感があらわれたと言われる)。職業音楽家を集めたプライベートの演奏会において、ハイフェッツの伴奏者として知られるエマヌエル・ベイのピアノにより、ブラームスのヴァイオリン・ソナタ、ヴィエニャエフスキの≪協奏曲 第1番≫を演奏。出席者には、レナード・バーンスタイン、ピアティゴルスキー、レナード・ローズらの顔ぶれがあり、ハイフェッツのお気に入りの指揮者アルフレッド・ウォーレンスタインからは、世界一の演奏家になるとのお墨付きを得た。

新学期の9月には、ジュリアード音楽院で史上最年少の奨学生に選ばれ、さらに半額と規定されていた奨学金も全額支給される。秋にガラミアン教授宅を出て、ホームステイ先を変更。すでにガラミアンと折り合いが合わなくなっていた。

青春の終わり・悲劇の幕切れ
1957年2月、情緒不安定を訴え精神科に通院。春にふたたびホームステイ先を変更する。4月より助手としてジュリアード音楽院に残り、研究のかたわら治療を続ける。夏のヴァカンスでカリフォルニア州に行き、恩人ハイフェッツを訪ね、激賞された。9月にジュリアード音楽院に再入学するが、乏しい報酬と心もとない支援金により耐久生活を余儀なくされており、劣悪な住環境しか見つからなかった(身元引受先のジャパン・ソサエティによる配給額が適切でなかったためとされる)。

異国の地で人間嫌いと疎外感がつのるようになり、自殺願望をほのめかすようにもなると、両親は茂夫の急変を察知。ジャパン・ソサエティに緊急帰国を要請するも、同協会は茂夫の治療優先の方針を崩さなかった。ついに11月2日、茂夫は未成年が購入禁止とされているはずの睡眠薬を大量に服用する。11月5日に日本の家族に危篤を告げる電報が届いた。一命はとりとめたものの、不幸にも脳障害が残り、意識を回復する見込みはなかった。翌年1月、家族の要請により日本に送還され、その後四十年以上に渡って在宅療養を続けた。

演奏の特徴
茂夫の演奏は、ガラミアンにつく前にすでにある程度の完成の域に入っていた、と養父・季彦はいう。アウアー奏法を基本として技術的にも優れた才を示していたにもかかわらず、ガラミアンがそれに理解を示さず、独自の厳しい指導でもって自身の奏法へ転換させようとした重圧に茂夫は苦しみ続けたといえる。

茂夫の養父、渡辺季彦 (1909年 - 2012年6月10日[2]) はヴァイオリン教師であり、門下生の多くが国内の各地や海外で、ソリストや楽団員として活動している。渡辺季彦は、カール・フレッシュの理論書やレオポルト・アウアーの著作をひも解きながら、独自のメソッドを編み出しており、小野アンナと同様、早期教育の重要性を説いていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E8%8C%82%E5%A4%AB

渡辺茂夫は10代に満たない頃すでに国内では神童として名が通っていた。その評価が決定的になったのは、来日したハイフェッツに高く評価され、ジュリアード音楽院への留学を強く推薦されたことだった。

茂夫にヴァイオリンの手ほどきを施した父季彦氏はハイフェッツの師アウアーの教授法の熱心な研究者で、その最も偉大な門下生、ハイフェッツの推薦は決定を意味していた。しかしこのことが悲劇の幕開けとなるとはこの時、誰も思わなかった。

ジュリアードで茂夫が師事したガラミアンは、近代的合理奏法を推し進めた教育者である。そのため、アウアー流派を強く信奉し、既に完成したスタイルを確立していた茂夫とは奏法上の意見が折り合わなかった。

次第に茂夫はアメリカに来た意味を見失い始める。折りしも戦後間もない微妙な時期で、敗戦国からやってきたこの少年に対する周囲の目も相当に冷たいものであったともいう。こうして彼は演奏ができない体になって日本に戻った。時代と巡り合わせによる悲劇という他ない。

 彼は10代に満たない頃から既に深い音楽的洞察を行っている。これは残された録音からも明らかである。この天才を授かったわずか10歳そこそこの少年は、メニューインの来日時の演奏を日記中に評して「深みのない演奏だった」と述べている。実演がどうだったかはひとまずおいて、彼がこの感想を抱くだけの確立した音楽を自身の中に持っていたことは間違いない。

彼の音色は私の知るすべての日本のヴァイオリニストの中でもっとも個性的で、そして最も美しい。その上、天性に他ならない自然で優雅なフレージングを持っている。もし、演奏活動を続けていれば、と思わずにはいられない。
http://www.fstrings.com/player/

神童 渡辺茂夫

音楽の世界では、しばしば神童が現れます。古典的にはモーツァルトやメンデルスゾーン、現代では、ヴァイオリン奏者のヤッシャ・ハイフェッツや五嶋みどりが有名です。ところが、日本にもう1人まだ音楽活動を続けていたならば、演奏面のみならず作曲面でも歴史に留められたであろう神童がいました。

昭和20年代後半に若干10歳を少し越えて国内の演奏家として確固たる評価を受け、14歳で世界を睨んで、米国のジュリアード音楽院に留学した渡辺茂夫です。

残念ながら彼は留学中の昭和32年に自殺未遂をおこしその輝ける才能は16歳にして終焉をむかえます。両親をはじめ多くの関係者から世界の音楽家として一身に期待を受けていた茂夫でしたが、すでに音楽家としての「渡辺茂夫」は完成されていました。それでも彼が留学したのは、当時の日本では彼と共演できるレベルの音楽家が少なかったこと、それに最高を目指すにはやはり世界の舞台に立つ必要があったからです。

しかし、茂夫の音楽性を理解していた人たちは、それでもなぜまだ幼い時期に留学の必要があったのかと顧みます。今回は、神童の出現、渡米、そして自殺未遂まで、なぜ日本の偉大な才能が失われるに至ったかを考察します。

神童が生まれるまで

神童には2つのパターンがあります。生まれながらにしての天才、そして努力を重ねた結果の天才。モーツァルトを前者とすれば、茂夫は明らかに後者です。

養父の渡辺季彦はオーケストラのヴァイオリン奏者としても、また音楽教育者としても一流の人でした。自らの経験から音楽教育は幼いうちから徹底して行うべきだと、茂夫にも5歳のころからスパルタ式でヴァイオリンを教え込んでいきました。

毎日7〜8時間、幼い子供には地獄ともいえる特訓を施したのです。彼の完ぺきなまでのテクニックは父の指導のもと完成していき、そして彼の天賦の才能が加味して、後に「天上の音楽」とも呼ばれた、他にはまねの出来ない演奏を行うようになりました。7歳の小品の初リサイタルから、小学6年生の時にはすでにベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の共演まで神童にふさわしい音楽活動を続けました。

神童は神童を知る

ヤッシャ・ハイフェッツ茂夫がジュリアードへ留学するきっかけとなったのは、世界的なヴァイオリニスト、ハイフェッツとの出会いでした。茂夫の才能に惚れ込んだ彼は、最年少でジュリアード音楽院のスカラシップに推薦します。

ハイフェッツ自身、15歳の時ベルリンフィルと共演して、「100年に1人の天才」と呼ばれた人物です。非常にプライドの高い彼は、茂夫をして「25年に1人の天才」と称賛しました。これはハイフェッツにとっては最大の賛辞なのです。

また一方、茂夫は作曲の方面でも非凡な才能を発揮しました。茂夫が試作するソナタやオペラを見て、彼を指導した武蔵野音大教授プリングスハイムは最大級の賛辞を惜しみませんでした。もし、彼が作曲を続けていたならば、演奏家としてだけではなく、作曲面でもクライスラー以上の成功が約束されていたでしょう。茂夫の音楽にはそれほどの美しさが宿っていたのです。

ガラミアン学校
イワン・ガラミアン教授茂夫を推薦したハイフェッツには大きな誤算がありました。

父、季彦が茂夫に伝授した奏法はかつてハイフェッツも師事したレオポルド・アウアーの流れを含むものです。一方、ハイフェッツが推薦したガラミアン(Ivan Galamian 1903-1981)は当代最高の音楽教師でしたが、茂夫の演奏法には否定的でした。

ガラミアン学校では後にパールマンやズッカーマンなど今日では巨匠と呼ばれている演奏者を輩出します。しかしながら、厳格な彼の教育法はすでに完成されたスタイルを持つ茂夫には不適切で、才能を伸ばすよりむしろ混乱を与えたようです。感受性の高い思春期の子供への教育としてよく見られる傾向ですが、褒めることよりも厳格な指示による教え方は、かえって反発を買い、本人の才能を縮める結果となります。

特に感受性の高い茂夫にとっては、ガラミアンのレッスンは、本人の人格まで否定しかねなく、彼は徐々に情緒不安定に陥っていきます。彼の変化は単に反抗的になっただけではなく、人間嫌いになり、また自分自身を否定するような日本語拒否反応を示すようになります。この結果、周りからも疎外されていき、ますます孤独に陥るようになっていきます。さらにひどいことに、本来援助されるべき茂夫の生活費が、当時身元引受先であったジャパン・ソサエティから生活に必要な半分も支給されず、生活は惨めなものでした。


神童の悲劇
茂夫は未成年者が買えない睡眠薬をどこからか買って、それを大量に飲んで、自殺を図ります。それ以前に自殺を匂わす言動がしばしば見られましたが、残念ながら誰も真摯になって彼を顧みるひとはいなかったのです。一命を取りとめましたが、彼の脳細胞は薬の影響で破壊され、音楽家としての偉大な才能も失われました。
http://www.mozartant.com/Jordan/Classic/Shigeo_watanabe.htm

渡辺茂夫(天才バイオリニスト)の晩年の40年間の介護 2012/08/27

2012年6月10日、驚異のバイオリン教師、渡辺季彦氏が103才で亡くなられた。

 昭和21年(1946年)渡辺季彦、美枝夫妻にもとに美枝の妹、鈴木満枝の妹と長男の茂夫が同居を始めた。

 茂夫の実母の満枝もバイオリニストだったため、養父の季彦は5才から茂夫にレッスンをほどこしたが、

「最初は他の生徒と比べ、ダントツの下手さで馬鹿じゃないか、と思った」

という不器用さだったが、季彦の猛特訓に耐え、

「一年ほどたって、上達してきた」。


 それが7才で交響楽団と共演のリサイタル、だから驚くしかない。

 8才での名古屋交響楽団との共演では、日記に「交響楽団が全くついてこれないので苦労した」と書くほどだった。

 渡辺茂夫はジュリアード音楽院(NY)に授業料全額免除の破格の待遇でハイフェッツの推薦で入学。

 バイオリンは人の声に最も近い音を出す楽器という。

茂夫の演奏は門外漢が聞いても、まさに天上からの情感に満ちた、もしや人の声?
ではとさえ思わせる音色、演奏。

 8歳頃か、名古屋交響楽団と共演の際、楽団メンバーだった後述の若井一朗氏は

「いざ、本番、真剣勝負となると、まるで天から神様が降り立ったようだった」

と述べている。

  渡辺茂夫の天才ぶりは米国ジュリアード音楽学院時代の在学女性(米国人)も

「シゲオは現代のモーツァルトだった」

と感歎をこめて(番組で)語っていた。


 さて、渡辺茂夫は当時としては夢のまた夢の渡米してのジュリアード音楽院入学。だが、この渡米が天才バイオリニスト渡辺茂夫を潰してしまった。

ジュリアードの帝王、イワン・ガラミアンに惚れ込まれ、ガラミアン邸(ウェストサイドのマンション)に一室に住まわされた。だが、養父の季彦に教えられて完成の域の奏法を変えられてしまい、迷路に彷徨うハメになってしまった、のが最大の不運だった。

この点について、渡辺季彦氏は

 「ガラミアンのように、全て分かっているはずの人が自分の流儀に強引に変えさせるなんて、彼は結局、本当の芸術家じゃなかったんですね」

と憤懣やるかたない、のである。

 なおジュリアードでガラミアンにバイオリン奏法を変えさせられた被害者!に桐朋学園大教授のバイオリニストの小林健次氏もいて、番組でコメントされている。

 米国留学の必要は(あの時点で)、全くなかった。
来日した(1954年)ハイフェッツとの前での演奏が結果として命を奪った。

 クラシックの留学先としてアメリカは何か不適な面がある。
ヨーロッパが当然ベストだが第二次大戦での疲弊が激しかった。

 すでに完成していた奏法を強引に変えられ、生活面でも葛藤が多かったようだ。ガラミアン亭を出て一人暮らし、を始めてからは金欠の傾向が出てきた。

それはまさに経済的な困窮だった。留学に際して渡辺家は三条件の一つに「アルバイトはしない」を挙げていた。しかしあまりの茂夫の窮状をみかねたガラミアンは「週三回のオーケストラでのバイト」を提示した。
ギャラは月収75ドルでこれは当時の水準でも安い。

 ガラミアンの紹介したオーケストラは「National Orchestra association」で全米の演奏家の登竜門だった。 同時期にジュリアードにいた小林健次もこのバイトをしていたが、この中では小林、渡辺は抜群の実力だった。

 だが、このオーケストラにJudieという茂夫より年長の可憐な白人の少女がいた。16才になっていた茂夫はジュディにぞっこんになった。 茂夫は英文日記で

 「今、ジュディに電話しようかと迷っている。彼女は忙しく、僕のことなどに構ってくれないだろう。この夏は彼女によく逢えた。そして心を乱された。ジュリアードでは同じクラスを僕は繰り返し、幸福ではなかった。言葉も十分でなく、意思の疎通の出来ず、トラブルが多かった。生活も混乱した。他人の感情に悩まされてはいけな(ジュディを除いて)」

 小林健次によれば

「確かジュディという少女はいたように記憶しています。
まだ彼女も十代でした。派手でなく可愛い人でした。オーボエだったか、バ
イオリンだったか、」

 ともあれ、この頃の多感な茂夫が他生年上の少女に恋した、のも無理からぬことだった。だがしょせん、友情としか思っていないジュディは茂夫の苦しみの原因になった。

 日記「ああ、今すぐ、ジュディに逢えたら、と思う。彼女を忘れられない。
彼女のことで頭が一杯だ。この二日間、誰とも話していない。
ジュディがいないと寂しくなる。生きる希望を失っていた僕に希望を与えてくれたのだ」

 「この夏、ジュディに逢ったとき、人生で初めての幸せを感じた。だが、今
はそうではない」

 ジュディを知って逆に週三回のバイトが楽しみになった。

米国でも「二十世紀のモーツァルト」、「比べる者もない演奏」と評されても、・・・・・16才で終わりました、では悔やんでも悔やみきれない損失と言うしかない。

 「今の僕の考えは危険なものになりつつある。誰も親身になって気づか
ってくれないのだ。
 僕は一つの結論に達した。ジュディはもう僕などに関心はない。だが僕
は変われない。ジュディに聞きたい。僕をどう思っているのか。はっきりさせ
てほしい。もう逃げるしかない。全てが終れば何も感じないだろうから」

 「ああ、僕は間違っていた。僕を助けてほしい。ジュディだけが僕を助けてくれる。僕は疲れてしまった。今の僕は何も出来ない。もう数週間したら、・・・」

 十月下旬、茂夫はジュディへの手紙をオーケストラノメンバーに託した。
だが、返事はなかった。いくら待っても返事がないことに茂夫は絶望した。

 ・・・・実は手紙を託されたメンバーが忘れてジュディに渡さなかったのだ。
これが運命を決めてしまった。

 「僕はジュディに声をかけた。だが返事はなかった。もうジュディに頼らな
いことにする。僕はもう疲れてしまった。」

 「僕を本当に思ってくれる方へ
 策や彼女に別れを言って、全てが決まった。この夏、全く希望などなか った。僕自身、すべてを忘れようとして、いろんなことをやった。ただ幸福になりたくて友人をたくさん持ちたいと思った。しかし、心の中のどこかでこの世から逃げ出すことを決めていた。(中略)
NYに戻ったとき、人生が恐ろしかった。しかし再びジュディと逢った。気持が戻った。その後、いつもジュディに惹かれていた。彼女こそ僕を幸せに出来るただ一人の存在だ。核心は、僕は全てをジュディに捧げた。が彼女は僕を見ようともしない。もう何も考えないことにしよう」

 茂夫の悲劇が起こって手紙を託されて忘れたメンバーは後悔に苛まれ
た。

 下宿先の女性には自画像「鎖でベッドに足をつながれて演奏している自らの姿」を書いて見せていた。

 1957年11月1日、茂夫は日米協会を訪れた。いあわせたオーバートン事務局長に
「僕はたいへんなご負担になっている、と思います、日本に帰ろうと思うんです」

 日ごろの茂夫の日本嫌いを知っていた事務局長は驚いた。だから
「 無理に帰国させたら自殺のおそれもある」
と精神科の医師も言っていたのだ。それが突然の翻意だ。

 「今帰国したら皆、おかしいと思うよ」

 「そうでしょうか」茂夫は首をかしげた。

 翌、二日後もまた茂夫が現れた。
「もう身許保証人になっていただかなくていいです。すぐ日本に帰らせてください」

 翌日の三日は茂夫は終日、部屋にこもっていた。

 この日の午後、2階の小林健次の部屋を米国人がノックした。

 「建次、ちょっと心配なんだ。いま廊下で茂夫は私に錠剤を見せて
『これを飲んで死んでやる』
なんて言ってるんだ。大丈夫かな。私は仕事があるので見ていてやれないが」

 小林健次は茂夫の茶目っ気と思った。本気で死ぬ人間がそんなものを人に見せるだろうか。小林は、どうすべきか、思案していた。

 その夜、12時近く、うとうとしていた小林健次は誰かが激しくノックする音で目が覚めた。

 「建次、起きろ!茂夫が大変だ!」

 「何があった?」

 「茂夫が自殺したんだ」

 小林ははねおきて4階の茂夫の部屋に走っていったがすでに茂夫は運びだされていた。

 ニューヨーク市警に報告が入ったのは午後11時45分。パトカーが到着した時は既に誰かがセント・ルークス病院に運んでいた。

 市警の報告書

 「男性、16才、黄色人種。シゲオ・ワタナベは特定できない睡眠薬を飲んで明らかに自殺を計った。個人的にセントルークス病院に運ばれた。
 ジャパンソサイアティによれば本人は重体で面会謝絶。医師はスコポラミンとメサフィリンを服用したのが原因としている。この大量摂取は危険である。失恋で精神がめいっていた、との証言もある。要望で捜査は打ち切る」

 ただちに全力を挙げての茂夫の治療が始まった。意識不明で瞳孔散大 。
自律神経失調で発汗しない。そのため体温は急上昇して40度を超えていた。全身は反り返っていた。胃の洗浄したが薬物は既に吸収されていた。
呼吸困難が始まった。痙攣が顕著。服毒から治療開始まで7時間経過。

 小林健次も病院に来たが、
「口も利けず私が誰かもわからない。言葉も話せない」


 外務省にNY総領事館からの報告

 「目下、当地でバイオリン研修中の渡辺シゲオは米国人娘に失恋し、それを苦にして、昨日3日夜m多量の睡眠薬で自殺を企て、重体になっているところを発見され、直ちにセント・ルークス病院に搬送された。あらゆる治療がなされたが、午後にいたっても危篤状態は変わらず、担当医師の話では、回復の見込みはなく、命は取りとめても脳が破壊されているため通常の生活はおろか、寝たきりになって精神機能もないであろう、ということである」

 渡辺季彦はこれを信じることはなく、終始一貫、自殺など責任逃れであって、何者かの陰謀によるものだ、と信じて疑がわなかった。

 茂夫の治療費は莫大になっていった。協会の茂夫のためのお金はすぐに枯渇した。若井一朗は米国が責任を持って面倒見るべき、と主張した。

 結局、それは無理と分かり、茂夫を帰国させる、こととしたが、この重体の半死半生の患者をどうやって遠路はるばる帰国させるか、が問題になった。

 若井は協会会長に掛け合って渡辺茂夫基金を創設することを認めさせた。茂夫が生涯に得る金額は想像を絶する大金だろう。それだけの金があれば茂夫を帰国させても療養生活を余裕を持って送れる、と踏んで若井は自ら付きそって帰国させることとした。

 日本航空は断った。ノースウェストが受諾した。コクピットの後ろの特等席にある四つのベッドの一つに茂夫を固定した。若井が付き添っていた。 鼻にはvチューブ尿を取るカテーテル、他の乗客は何事か、と怪訝な顔をしていた。

 機内で茂夫は暴れ、わめき、他の客は必死で耐えた。

 昭和33年1月16日、羽田に到着した。そして渡辺季彦などの待つ自宅に到着した。・・・・・・

 テレビ朝日の番組では

 若井氏いわく「脳の表面が壊れてしまっていて、喜怒哀楽はかろうじてあるようだったが、四肢も動かせず全く動けなくなっていた.全身は硬直し、けいれんが続いていた」

 ・・・・脳の表面が壊れていた、・・・とは開頭したのだろうか。・・・・
睡眠薬多量服用のためとされる。

 だが養父の渡辺季彦氏は生涯、その死の原因を追究し続け、
「茂夫が自殺なんかするはずないじゃないですか。NYの新聞記者によれば茂夫はギャングの陰謀に巻き込まれたんですよ.。これは、はっきりしていることなんですよ」
(89才のとき、テレビ朝日放送番組で)

 ・・・・・渡辺季彦氏は鎌倉でバイオリン教師(レッスン)の傍ら91才まで茂夫が58才で亡くなるまで40年間、必死の介護、リハビリを行い、最後は何とか支えたら歩けるていどにまで回復させた。しかし帰国後、言葉を発したことは一度もなかった。

 TV]で放送されたその時の茂夫と風呂に入れて食事もさせる季彦氏(当時89才)のそのに気丈な姿。あまりに愛情に満ちて献身的な季彦氏である。

 なおこの時、番組スタッフが茂夫氏に何度かコンタクトを計り、最初は茂夫氏も警戒心を示していたが、徐々に完全に打ち解けてくれたそうである。

テレビ朝日で放送された茂夫死去2年まえの番組のゲストとして出演されていた服部克久先生が

 「さらに経験を積んで上達し、彼が最高の名器で、そして現在の録音技術の中で演奏していたら、どれほど素晴しいものが出来ていたことか。日本はまさに宝を失った、ということなんです」

 は、まさに至言と思われます。

 それにしても半生半死の状態で帰国、動けず、言葉もなく、感情も失せた茂夫を必死の介護で支えた養父の季彦は茂夫が1999年8月15日、58才で亡くなるまで二人で41年間、肩を寄り添って鎌倉で生きたのである。
http://madonna-elegance.at.webry.info/201208/article_28.html

まあ、これだけ気が小さくて意気地無しだったら大成できる筈も無いんですけどね。

ガラミアンには何ら責任は有りません。

欧米では か弱い女性でもこの自己主張の強さですからね:


ナージャ・ソレルノ・ソネンバーグ。

Nadja Salerno-Sonnenberg Plays Mendelssohn's Violin Concerto on the Tonight Show
http://www.youtube.com/watch?v=ROWnNIVgVyA


知っている人は知っている。私と同い年らしい。

1960年生まれのアメリカのヴァイオリニストで聴いて頂きますが、この人とんでもない「じゃじゃ馬」だったようです。

ヴァイオリン教師の神様のような伝説的存在、カーティス音楽院の故・イワン・ガラミアンに習ったのですが、全然、言うことをきかなかった。ガラミアンはおっかない先生で「イワン雷帝」というニックネームで呼ばれる厳しい人でした。とにかく基礎から徹底的に絞る。おかげでパールマンとかものすごく優秀な弟子が才能を伸ばしました。

ガラミアンの

Cry now. Play later.(今、泣いて、後で弾け)

という有名な言葉があります。今はとにかくテクニックを身につけろ。上手くなれるだけ、なれ。

音楽的にどうだとか、そう言うのは後で良い。と、まあ乱暴に言うと、そのような意味です。

以前、日記に書いたので、お読み下さい。

2004年01月07日(水) Cry now. Play later."―今、泣いて、後で弾け。― イワン・ガラミアン=ヴァイオリン教師

さて、今日お聴き頂くメンデルスゾーンのソリスト、ナージャ・ソレルノ・ソネンバーグという人。前述のとおり、並の変わり者ではないようです。

イワン・ガラミアンの生徒は大抵、先生に逆らうことなど恐ろしくて出来ませんが、ナージャは、言っちゃうんですね。ガラミアンがナージャの弓の持ち方がなっていない、と指導すると、

「どうして?他の子にはそれでいいかもしれないけど、私は嫌だわ」

一時が万事で、とうとう、ガラミアンは匙を投げたそうです。


その後、我流で練習していたらしいのですが、14歳の時に、やはりヴァイオリン教師の神様みたいな、ジュリアード音楽院のドロシー・ディレイという先生の門下生となるのですが、ディレイ先生も最初はひっくり返ったそうです。

ブルッフという作曲家のヴァイオリン協奏曲の一部を弾いて見せたら、ディレイ先生、ナージャの完全に我流のボーイング、楽器の構え方を見て、

「あんな弾き方でどうしてこんな演奏ができるのか、全く信じられない」

唖然としたらしい。それでも弟子にしたのは、音楽的な才能の片鱗をナージャに見出したのでしょう。

しかしながら、ナージャはディレイ先生のレッスンでも大変だったそうで・・・。

ディレイ先生、基礎からやり直させようとしたら、ナージャは、私には前のやり方が合っているし、第一、ちゃんと弾けています。教えなきゃいけないことだけ教えて下さい!

と反論したそうな。相当なもんだね。普通破門だけど、ドロシー・ディレイ先生、辛抱強く説得したんです。すると、ナージャ・ソレルノ・ソネンバーグはもともとバカじゃないから、先生の言うことの合理性が次第に理解出来て、教えに従うようになったと。

それで落ちつくかと思ったら、また大変でした。1981年にあるコンクールに出てナージャは優勝するのですが、その前、何がどう気に入らないのか、何と7ヶ月もの間、レッスンに楽器を持たずに現れては、ディレイ先生と話をするだけ、という「レッスン」が続いたそうな。ディレイ先生、半年は何とか我慢したが、ついにキレて、

7ヶ月目、
来週楽器を持ってこなかったら、破門にする。更にジュリアードも退学にする。
と、激怒して宣言したのです。それでやっとナージャ・ソレルノ・ソネンバーグは目が覚めて、コンクールまで1日13時間練習したそうです。で二ヶ月でコンクールに優勝したのだから、やはり才能あるんでしょうね。

芸術家に変わり者が多いのは、世間にも知られていることですが、最近の音楽家でこれほど、異端児は珍しい。演奏にも現れてます。
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=89954&pg=20090313


18. 中川隆[-13268] koaQ7Jey 2018年6月16日 17:13:04 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15655]

YouTube でフジコ・ヘミング 聴いたけど、中身ゼロのアホ演奏家だった

技術云々ではなく音楽自体が浅くて聴くに堪えない

聴くだけ時間の無駄


19. 中川隆[-13278] koaQ7Jey 2018年6月16日 17:42:29 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15667]
>>18
まあ、ポールモーリアと同じ様なムード音楽としてBGM的に聴くにはいいのかもしれないね

音楽の愉しみ方は様々だからね


20. 中川隆[-13302] koaQ7Jey 2018年6月18日 11:27:06 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15721]

ウラジミール・ホロヴィッツ
「東洋人と女にはピアノは弾けない」

21. 中川隆[-13301] koaQ7Jey 2018年6月18日 13:30:12 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15721]

これをフジコ・ヘミングと聴き比べれば、「東洋人と女にはピアノは弾けない」の意味が良く分かります:


Vladimir Horowitz 1950 - Chopin Piano Sonata No. 2 in B-flat minor, Op. 35 Funeral March - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=dBv-XPMRV3Q

HOROWITZ - CHOPIN ballade no.1 (1947) - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=2TrfQzwaOno

____

Wilhelm Backhaus plays Schubert Impromptu in A flat Op. 142 No. 2 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=rejfDi8RzlM

Wilhelm Backhaus play Schumann Des Abends - Warum - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=G6TticNoDOA&feature=fvwrel


22. 中川隆[-13300] koaQ7Jey 2018年6月18日 13:54:39 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15721]

これをフジコ・ヘミングと聴き比べれば、「東洋人と女にはピアノは弾けない」の意味が良く分かります _ 2:


Alfred Cortot plays Debussy, La fille aux cheveux de lin (1931) - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=upFwXnaP4EE

CHOPIN '' FANTASIE IMPROMPTU'' ALFRED CORTOT ON PIANO - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=XpAVBHMAK8U

Cortot - Chopin Nocturne No. 2 in E flat major, Op.9 No.2 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=0-kaDxaVBFA

Chopin - Barcarolle - Cortot 1933 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=dNhHWqVvPrg



23. 中川隆[-13299] koaQ7Jey 2018年6月18日 14:40:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15721]

これをフジコ・ヘミングと聴き比べれば、「東洋人と女にはピアノは弾けない」の意味が良く分かります _ 3:


スクリャービン 詩曲「炎に向かって」 ソフロニツキー
https://www.youtube.com/results?search_query=Sofronitsky+Scriabin+Vers+la+flamme


Chopin, Polonaise No.1 in C sharp minor, Op.26 No.1
http://www.youtube.com/watch?v=bcHSz9IzRqs

Vladimir Sofronitsky plays Chopin Polonaise Op. 44
http://www.youtube.com/watch?v=xsgJU6KyxKk

Sofronitsky plays Chopin Polonaise in A flat Op. 53 (live, 1949)
http://www.youtube.com/watch?v=9IPJhzkkCbQ

Sofronitsky plays Polonaise for piano No. 6 in A flat major ('Héroique') Op. 53
http://www.youtube.com/watch?v=6Ta3M4okWPU

Sofronitsky plays Chopin Five Mazurkas - live,1949
http://www.youtube.com/watch?v=LL5PPrSIpZ8
http://www.youtube.com/watch?v=W0a5jwVqA7I

Sofronitsky plays Chopin 5 Mazurkas
http://www.youtube.com/watch?v=r9fbI-Q-Oks

Vladimir Sofronitsky plays Chopin Mazurka in C sharp minor Op. 30 No. 4
http://www.youtube.com/watch?v=mzIJjoMoQMQ

Sofronitsky - Chopin - Mazurka Op. 41 n. 26, Op. 68 n. 49, Op. 50 n. 32
http://www.youtube.com/watch?v=WMOqM9YXncA

Vladimir Sofronitsky plays Chopin Mazurka op 50 no 3
http://www.youtube.com/watch?v=fZdDAQN0M9o

Sofronitsky plays Chopin Mazurka opus 63 no. 2 (1938 rec.)
http://www.youtube.com/watch?v=nVQ__JoapwQ


Vladimir Sofronitsky plays Schubert Sonata B flat major
Live recording 1960
http://www.youtube.com/watch?v=5XwPT5jz-9k&list=PL47127B65CB7ED537
http://www.youtube.com/watch?v=sa7vJunPTno&list=PL47127B65CB7ED537
http://www.youtube.com/watch?v=GFVymVw2DQI&list=PL47127B65CB7ED537
http://www.youtube.com/watch?v=iv4yYc5_QCs&list=PL47127B65CB7ED537



24. 中川隆[-13298] koaQ7Jey 2018年6月18日 15:11:21 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15721]

という事で、

フジコ・ヘミングと比べるべきはクラシックのピアニストではなく、こっちの方なのですね:


Grieg, "Peer Gynt" ソルヴェイグの歌 シセル・シルシェブー - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=esmPr6X8yDw
https://www.youtube.com/watch?v=lgKn6N697iE

Sissel Kyrkjebø - Shenandoah - 2001 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=W1EG_4IBzbA

Sissel - Silent Night - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=uK3_Kr2nLtA

Ave Maria - Sissel Kyrkjebø - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=4DfHCa4O_4E

____


エーゲ海の真珠/ポールモーリア Penelope /Paul Mauriat - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=PAUL+MAURIAT+PENELOPE

涙のトッカータ ポール・モーリア Toccata Paul Mauriat
https://www.youtube.com/results?search_query=Paul+Mauriat++Toccata

シバの女王 ポール・モーリア La Reine de Saba
https://www.youtube.com/results?search_query=Paul+Mauriat++La+reine+de+Saba

恋はみずいろ ポール・モーリア L'amour est bleu Paul Mauriat
https://www.youtube.com/results?search_query=Paul+Mauriat++Love+Is+Blue

オリーブの首飾り ポール・モーリア Paul Mauriat El Bimbo
https://www.youtube.com/results?search_query=Paul+Mauriat+El+Bimbo


25. 中川隆[-13302] koaQ7Jey 2018年6月18日 17:01:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15727]

フジコ・ヘミングと比べるべきはクラシックのピアニストではなく、こっちの方なのですね _ 2


「涙のカノン」(パッヘルベルのカノン) レーモン・ルフェーブル・グランドオーケストラ - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=lvQ-0GbYb0Q

カッチーニ作曲 「アヴァ・マリア」 レイモン・ルフェーブル - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=r2mgcKlSQYs

Raymond Lefevre - La Reine de Saba - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=LC4Mkck1OKk
https://www.youtube.com/results?search_query=Raymond+Lefevre++La+reine+de+Saba
RAYMOND LEFEVRE-LA REINE DE SABA(NEW Ver.) 新・シバの女王 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=YZf2oIoBigs

Raymond Lefèvre _ Boy on a Dolphin - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=K2ASGcZsIyw




26. 中川隆[-13301] koaQ7Jey 2018年6月18日 17:07:09 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15727]

G線上のアリア (レイモン・ルフェーブル) - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=2dgyf7r1i7I

Arioso JS Bach (Raymond Lefevre _largo of concerto BWV 1056 ) - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=+%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB++%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%BD

レイモン・ルフェーブルとクラッシック - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=1I1W4AL5M0E


27. 中川隆[-13300] koaQ7Jey 2018年6月18日 17:08:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15727]

ヘンデルのラルゴ (レイモン・ルフェーブル) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=bFYZDvJgWts

28. 中川隆[-13298] koaQ7Jey 2018年6月18日 17:16:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15727]

哀愁のアダージョ レーモン・ルフェーブル - YouTube 動画
(ミカエル・バケス アダージョ・カルディナル)
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%93%80%E6%84%81%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%80%80%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%AB%E3%80%80


29. 中川隆[-13296] koaQ7Jey 2018年6月18日 17:30:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15727]

フジコ・ヘミングと比べるべきはクラシックのピアニストではなく、こっちの方なのですね _ 3


まあ、一世を風靡したオペラ歌手のシャリャピンも同じ様なものですね:


Feodor Chaliapin - Death and the Maiden - Schubert - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=KJBZfj4Rigw

Chaliapin - Schubert - Russian - Aufenthalt.wmv - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=kAx3IbJff2Q

Doppelgänger - F. Chaliapin - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=4Ko5TiAEBZU

Chaliapin Sings Beethoven's In questa tomba oscura. 1921 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=0lj2wBZm_Xs

Feodor Chaliapin (Russian Bass) Brahms Sapphische Ode - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=iB308hsLkkM

The Great Chaliapin Sings Massenet's Élégie 1931 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=jiMzANUDnro

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ロシア民謡

feodor chaliapin - black eyes - dark eyes - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=b3nOBw2UlkI

Feodor Chaliapin - Song of the Volga Boatmen - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=s30Nb4PEQqw

Chaliapin - Volga Boatmen (1936) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=rLDo_i0uMEM

Song of the Volga Boatmen - Sung by Feodor Chaliapin - Played on a 1907 Victor VTLA Victrola - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=jIcPey_PfEw

The Song of the Volga Boatmen [Эй, ухнем!] - Performed by Feodor Chaliapin (1902) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=I3Ys37dFXuY

Feodor Chaliapin; SONG OF THE VOLGA BOATMEN - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=VVxmghzn-kM

feodor chaliapin - Stjenka Razin - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=94wgWfPM5Lk


30. 中川隆[-13299] koaQ7Jey 2018年6月19日 06:30:30 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15739]

フジコ・ヘミングはともかく、日本のクラシック・ファンは誠実(?)で超真面目な演奏しか受け入れないのが特徴で、

色っぽく弾き崩したり、一般大衆に受ける様に編曲したり、ドイツ語の歌を英語で歌ったりするだけで音楽の冒涜だと思ってしまうのですね。

20世紀を代表する超巨匠のレオポルド・ストコフスキーでさえ日本の評論家にはゲテモノ扱いされて、ドイツの指揮者より 1ランク下に評価されていたのもそういう背景が有るのですね。

レオポルド・ストコフスキー(Leopold Antoni Stanislaw Boleslawowicz Stokowski, 1882年4月18日 - 1977年9月13日)


バッハのストコフスキーによる編曲

Bach-Stokowski Chaconne D minor Leopold Stokowski - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=LoU_ToDmsKQ

bach Passacaglia & Fugue in C minor - Stokowski in Germany - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=x9Sbk3E8-ws

bach Toccata & Fugue in D minor - Stokowski at 90 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=idNJaLp6n0U

Komm, süsser Tod BWV478 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=iksL1j9GVlQ&list=PL87843CE7BC0F644F

Bach-Stokowski 'Little Fugue' - Bernstein introduces the Maestro - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=AaCHqJmG7HQ

bach-stokowski Prelude in Eb minor - Czech Philharmonic - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=hqh8v8C5mhk

Stokowski's Bach arrangements 1927-74 (6h48mins restored Megamix) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=yh2cBy5cVD4


31. 中川隆[-13298] koaQ7Jey 2018年6月19日 06:38:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15739]

Bach - Stokowski. Chaconne (1950) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=NEUYq5t-cCM

Bach-Stokowski - Chaconne in D minor - Stokowski (1934) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=UNwSEb1vcns


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参考


HELENE GRIMAUD - Bach Chaconne - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=1JZzAupJap0

Adolf Busch plays Bach's Chaconne - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=_ii7aPCQgHE


32. 中川隆[-13308] koaQ7Jey 2018年6月19日 07:02:02 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15751]

指揮者チェリビダッケの音楽語録〜 2008年04月15日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/c2454e666c6de0a509d1ca7dcd889015

先日(4月5日)、我が家での試聴にjmc音楽研究所長のO君が持ってきたCD盤の「シェラザード」がすっかり気に入って、いまのところ愛聴盤として活躍中。(4月8日付けのブログで紹介)

オーケストラの音の響かせ方やテンポ、調和のとれたハーモニー、独奏ヴァイオリンの歌わせ方などによく練りこまれた独特の味わいが感じられる。

こうなると自然にその指揮者に関心が向く。

セルジュ・チェリビダッケ(1912〜1996:ルーマニア)

「私が独裁者?モーツァルトこそ!〜チェリビダッケ音楽語録〜」(シュテファン・ピーンドルほか著、音楽の友社刊)に略歴や人となり、音楽の考え方などが詳しく記載されている。

哲学と数学を専攻する中、音楽に目覚め24歳のときにベルリンに移住して作曲、指揮、音楽学を修めた。1945年にはベルリン放送交響楽団の指揮者コンクールに入賞。

当時、ベルリン・フィルハーモニーの常任指揮者だったフルトヴェングラーが非ナチ化裁判のため指揮を許されなかった1945年から1947年にかけてベルリン・フィルを任されたほどの逸材。

フルトヴェングラー死去後、誰もが世界の名門オーケストラのベルリン・フィル常任指揮者に就任するものと思ったが、楽団員達が択んだのはなんとヘルベルト・フォン・カラヤンだった。

以後、チェリビダッケは国際的な指揮活動に集中せざるを得なくなり、イタリア、デンマーク、スウェーデン、フランスなどで指揮棒を振るが、晩年はミュンヘン・フィルハーモニーの音楽総監督として12年間に亘り蜜月時代が続く。

彼がとくに関心を抱いていたのが、若い指揮者を育てることで、自由になる時間のほとんどすべてを後輩の育成に捧げた。

彼がカラヤンに代わって当時のベルリン・フィルの常任指揮者に納まっていたら、その後、世界のクラシック音楽の動向も変わっていただろうといわれるほどの超大物指揮者だ。

チェリビダッケは言う。

「わたしがベルリン・フィルをさらに指揮し続けたら、このオーケストラは別の道を歩んだことだろう。カラヤンはアメリカ流に艶っぽく磨きぬかれたオーケストラに変えてしまった。わたしならそれをドイツ的なひびきを持つオーケストラに育て、その結果フルトヴェングラーの伝統を受け継いだことだろう。」

彼には指揮者から演奏者までさまざまな「歯に衣をきせない」発言がなかなか面白い。ここでは指揮者に限定して抜粋してみよう。

☆フルトヴェングラー

師として仰いだので次のように賞賛の言葉が続く。

「私はフルトヴェングラーの後継者になることを望まなかった。彼の後継者になれるものなどいない」

『私は彼にこう訊ねたことがある。「先生、ここのテンポはどうすればよいのでしょう。」答えは「そうだね、それがどんなひびきを出すかによるね」。まさに啓示だった。テンポとはメトロノームで測れるような物理的なものではない。結局、テンポが豊かなひびきを出し、多様性を十分に得るのに私はかなりの期間を必要とした。』

※通常、作曲家は楽譜にいかなるテンポで演奏するかを指定していないという。つまり、これは完全に指揮者任せということで、テンポ次第で音楽から受ける印象がすっかり変わる。しかし、速いテンポでも遅いテンポでも違和感がなく自然に聴ける唯一の音楽がベートーヴェンの作品!

☆クラウディオ・アバド

「まったく才能のない男。災厄だね。私は3週間何も食べなくても生きていける。だが演奏会に3時間もいれば〜心臓発作を起こしかねない。その相手が彼なら怒り心頭」

☆カール・ベーム

「彼の演奏を聴けば聴くほど、彼が心の中で音楽と思い込んでいるものと、彼という人間のあいだの距離が目に見えてどんどん開いてゆくばかりだ。」

「ベーム・・・・・、これまでのキャリアのなかで、まだ一小節たりとも音楽というものを指揮したことのない男」

☆ヘルベルト・フォン・カラヤン

「彼は天才ではない。すべての若い音楽家にとってひどい毒となる実例である」

「彼は大衆を夢中にさせるやり方を知っている。コカ・コーラもしかり。」

☆ユージン・オーマンディ

「あんな凡庸な楽長がどうしてストコフスキーの後継者になることができたのか」


☆ヴォルフガング・サバリッシュ

「私の見るところ、彼は高校の校長といったところ。彼は音楽家ではない。メゾフォルテの男だ。イタリアでは長距離専門アスリートをメゾフォルテと呼ぶ」

☆ゲオルグ・ショルティ

「ピアニストとしては傑出している。指揮者としては凡庸な耳しかない。テクニックはお粗末。」

☆アルトゥーロ・トスカニーニ

「トスカニーニは楽譜どおりに演奏した唯一の指揮者だといわれてきた。といっても彼はそもそも音楽などまったくひびかせず、音符だけを鳴らした唯一の指揮者だった。彼は純粋な音符工場だった。」

以上、かっての名指揮者たちもチェリビダッケにかかってはかたなしというところ。

最後に、最近HMVから取り寄せた3枚のチェリブダッケが指揮するCD盤を試聴してみた。

☆ベートーヴェン交響曲第6番「田園」

以前、このブログで田園の11枚の試聴を行って、およその演奏レベルを把握しているつもりだが、これは、ベストだったマリナー、ワルター指揮と十分比肩しうる名盤。
嵐のあとの感謝の歌の神々しいまでの荘厳さといい、全体的に細かいところに手を抜かず、重厚かつ深々としたひびきに”チェリビダッケは凄い”と感心した。

☆ベートーヴェン交響曲「第九番」

何だかフルトヴェングラーの最新ステレオ録音を聴いている思いがした。第一楽章から第四楽章まで時を忘れて聴き耽った。

☆シューマン交響曲「第2番」

仲間のMさんによるとチェリビダッケはシューマンとかブルックナーといったあまり陽のあたらない作品に光を当てて、見直させるのが得意な指揮者だという。たしかにこのひびきは人を飽きさせず作品に没入させる何かを持っている。

以上3曲(ライブ録音)についてとにかく重厚なひびきに圧倒された。これがドイツ的なひびきというものだろうか。ミュンヘン・フィルでこのくらいだから、彼がベルリン・フィルを引き継いでいたらもの凄かっただろう。本人が言うようにフルトヴェングラーの伝統を引き継ぐ資格に太鼓判を押したい。

ただし、自分が思うところフルトヴェングラー、チェリビダッケともにひびきを重視していることに変わりはないが、前者はいったん演奏に入るとひびきを忘れて演奏に深く没入するが、後者は常にひびきを念頭において(そのひびきを)冷静に第三者の目で観察しているところに違いがある。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/c2454e666c6de0a509d1ca7dcd889015

チェリビダッケ語録

「(マゼールは)カントについて語る二歳児」

「(クナッパーツブッシュは)スキャンダルそのもの」

「(ムーティは)才能はある、おそろしく無知だが」

「(アドルノは)世界史のなかでいちばんの大言壮語野郎」

「(ムターは)彼女は自分の弾き方に自信を持っている。だが彼女のやること全てには真に偉大な音楽性はない。彼女には視野がない」

「シェーンベルクはまったくどうしようもない愚鈍な作曲家である」

「イーゴリ・ストラヴィンスキーはディレッタントの天才に過ぎない。彼は生まれつき忍耐力に欠けていた。そしてこの欠陥をいつも、
新しい様式で補った。だから彼の音楽は様式感に欠けるところもあるわけだ」

「私の見るところ、サヴァリッシュは高校の校長といったところ。彼は音楽家ではない。メゾフォルテの男だ」

「リズムが機械的なものと理解すれば、それがブーレーズだ」

「(ムターに対して)さてと、あなたがヘルベルト・フォン・カラヤン氏のところで学んだことをすべて忘れなさい」

(とあるマスタークラスにて、若き日のインバルに向って)
「ちゃんと勉強しないと、バーンスタインみたいな指揮者になってしまうぞ!」

「ハイフェッツは哀れな楽譜運搬業者だ」

「人間は何も食わずとも3週間くらいは生きられる。だがアバドのコンサートを3時間聴いたら心筋梗塞を起こす」

「ベートーヴェンの交響曲第5番は失敗作、特に終楽章は」

「(カルロス・クライバーは)あんな常軌を逸したテンポでは何も分からない。
彼は音楽がなんであるか、 経験したことがない」

私が独裁者だって?モーツァルトこそ独裁者だ!」

評論家など寄生虫だ」

「フランス人くらいドビュッシーやラヴェルを下手糞に演奏する連中はいない」

「(ショルティは)ピアニストとしては傑出している。指揮者としては凡庸な耳しかない。テクニックはお粗末」

「チャイコフスキーは、真の交響曲作曲家であり、ドイツでは未知の偉大な男である」

「ベートーヴェンの《第九》の終楽章の合唱もサラダ以外のなにものでもない。ぞっとするサラダだ」

「(カラヤン時代の)ベルリンフィルには、世界最高のコントラバス奏者がいます。だから、ベルリンフィルのコンサートは、今、すべてがオーケストラ伴奏付きのコントラバス協奏曲なのです」

「(ハスキルは)すばらしいコンサート・ピアニスト。機知に富み、魅力的で、徹頭徹尾、音楽的。 ユーモアと生きる歓びに充ちている」


33. 中川隆[-13307] koaQ7Jey 2018年6月19日 07:10:08 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15751]

チェリダッケが、カラヤンのことを

「音は美しいが中身がない」

と言って、インタビューアーが

「でもカラヤンは世界中で知られていますよ」

と言ったら

「コカ・コーラだって世界中で知られているさ」

と言った話は有名です。


チェリビダッケは他にも

「トスカニーニは一流の演奏家だが音楽家として二流だ」

「オーマンディのような凡庸な指揮者がよくストコフスキーの後を継いでフィラデルフィア管の常任指揮者になれたものだ」

「人は水だけでもしばらくは生きていけるが、アバドの退屈な演奏を2時間聴いたら心筋梗塞を起こすだろう」

「ムーティは素晴らしい才能の持ち主だが、トスカニーニと同じで無学だ」

「ベームは音楽の解らないジャガイモ袋」


等、マスコミが喜びそうなことを言ってました
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1377955283

クナッパーツブッシュ
「(私がカラヤンみたいに暗譜で指揮をしないのはカラヤンと違って)楽譜が読めるからだ」


__________


カラヤンがモーツァルトの歌劇「ドン・ジョバンニ」を演奏していたときのこと。

その上演になぜか立ち会っていたクレンペラーが突然大音声を発した。

「いいぞ カラヤン、いいぞ、決して皆が言うほど悪くない!」

カラヤンは、それ以後決してクレンペラーを許さなかった、という。
http://nyhanako.exblog.jp/10641334


34. 中川隆[-13306] koaQ7Jey 2018年6月19日 07:14:50 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15751]
カール・フレッシュ(Carl Flesch、1873年10月9日 - 1944年11月14日)

24 :名無しの笛の踊り:2013/07/02(火) 23:10:42.65 ID:2+MrpgK6

フレッシュ先生曰く、

自分は神童だけを教えて名前を売ることは興味がなかった
あまり才能の無い生徒が集まってその欠陥を修正してあげた

アウアーには元々優秀な弟子が集まった
ハイフェッツもエルマンもアウアーに習う前から既に・・・

131 :名無しの笛の踊り:2013/07/09(火) 09:25:32.27 ID:hclRZwCs

フレッシュは当時珍しくセブシックを評価した。セブシックは馬鹿にされていた。


18 :名無しの笛の踊り:2013/07/02(火) 20:25:39.93 ID:XHp/vlaq

クライスラーは音程が悪いってフレッシュ先生が言ってた


19 :名無しの笛の踊り:2013/07/02(火) 21:38:41.84 ID:2+MrpgK6

シゲティはボウイングとアクセントの癖が酷いってフレッシュ先生が言ってた

エルマンはフレージングがでたらめってフレッシュ先生が言ってた

ハイフェッツはポルタメントが単調でテンポが速すぎるってフレッシュ先生が言ってた


76 :フレッシュ:2013/07/05(金) 20:21:51.90 ID:SfG6aqFw 

フーベルマン
技術はしっかりしている
独断的な奏き方が多い
弓の持ち方が古くさい
ヴィブラートを手首を使わないで指だけでかけている
半音をピアノの音でとっていたため、バッハ無伴奏が特に不快
音の出し方が乱暴で「ひっかく」か「ささやく」
パッセージの奏き方は音が正しくきれいに出る優れたもの

音楽的にはアーティキュレーションにおいて初歩的な誤りを犯している
特にアクセントのつけ方が間違っている
自分の性に合う曲だけは非常によい演奏をした


97 :フレッシュ:2013/07/06(土) 10:30:49.74 ID:b9SMt6s2 

クリングラー
訓練の仕方が悪かったため、才能を十分に伸ばせなかった
運弓技術は右肘を下げ手を手首において左右に動かすという誤った理論に基づいていた
大げさで癖のあるポルタメント
曲の解釈は立派
しかし技術的にも音の面でもボヘミア四重奏団やカペーの方が優れていた


98 :フレッシュ:2013/07/06(土) 10:57:58.88 ID:b9SMt6s2 

アドルフ・ブッシュ
音の出し方がフランス派やロシア派のヴァイオリニストよりも劣っていた
十分に柔軟性がなく、開けっぱなしで、柔らかみや抑制に欠ける音
内容の深い曲を取り上げ気分が乗ったときだけ、霊感によってこの欠陥を克服した


109 :名無しの笛の踊り:2013/07/06(土) 14:17:17.94 ID:41Z5UKin
>>97
メモワールのコピペやめれ。
佐々木庸一先生ご存命のはず。 昨年再刊した本の新しい後書き書いていらした。
クリングラーは鈴木鎮一の先生だから日本では最大派閥
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/classical/1372202725/


35. 中川隆[-13305] koaQ7Jey 2018年6月19日 07:19:24 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-15751]

>>32, >>33, >>34 でわかる様に、プロの世界は物凄い厳しいのですね。


フジコ・ヘミングさんは生まれてから一度も批判された事が無いので、進歩もしなかったという事でしょうね。


36. 中川隆[-13565] koaQ7Jey 2018年6月25日 10:03:32 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-16159]

フジコヘミング(@FuzjkoHemming)さん Twitter
https://twitter.com/fuzjkohemming

37. 中川隆[-13559] koaQ7Jey 2018年6月30日 10:17:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-16282]

フジコ・ヘミングと田川啓二が語る音楽や美 SWITCHインタビュー 達人達 2018年6月23日 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=1TEbmcyXbuE

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