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原音とは何か?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/890.html
投稿者 中川隆 日時 2018 年 7 月 13 日 16:58:13: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 錯聴 (auditory illusion) _ 音の錯覚 投稿者 中川隆 日時 2017 年 9 月 16 日 08:46:46)

原音再生 なんて 幻想 だ!
http://www.schumann.jp/old/audio/au02-16.html

 
さて、ピアノに JBL サブシステムを乗っ取られたので(陰の声:それが目的でピアノを買ったんじゃないの?)、当然ながら、サブシステム用のスピーカー購入が急務となった。 手持ちは、QUAD, JBL なので、当然、それ以外のメーカーからの選択が妥当だ。

スピーカーが、そのシステムの音質を、おおよそ方向づけるのはよく知られたことだ。 

私は、原音再生なんて、幻想だと思っているので、いろいろな傾向をもつシステムがあった方がよいと考えているからだ。

原音再生とは何なのか? そもそも原音とは存在し得るのか?

とあるサイトで、ホールの場所によって音が変わるので、原音再生なんて幻想だという論に対して、それならホールの中央前列の音を原音と定義すれば良いと、原音再生派が強弁されておられた。 

原音再生派の幻想も、ここまでくると、私にはただの滑稽な喜劇である。 

私自身は、同じホールでも、演奏の種類によって、異なる席を選ぶのを常にしている。 例えば、オーケストラであれば、ホールのほぼ中央よりやや後方。 室内楽ならほぼ中央よりやや前方。 ピアノであれば、中央は避けて、少し側方にずれる。 ピアノの反響版からの直射音は単調で、つまらなく聞こえるからである。 

このように席を選ばないと、心地よい音が得られないのである。 

こんなことは、クラシック音楽聴きには常識なのだが、オーディオ評論家にはわかっていないらしい。
ホールの中央前列の音をオーディオ再生の目標にされたら、どんな音が聞こえるのであろうか? 
もちろん、そんなデリカシーの欠けた音を聞くのはごめんこうむりたい。

『原音を横に用意して、その都度比較しながら再生音を評価すると、記憶の曖昧さがなくなって飛躍的に精度は向上する。これが「原音比較法」である。その例を挙げてみよう。

 一番簡単なのは直流の掛かっていない場所の結合コンデンサーである。短い銅線でショートした時の音を原音として、コンデンサーを通した音を「そのコンデンサーの音」と評価すれば良い。小生が何度か実施したコンデンサーの音質評価はこの方法である。』

とあるサイトより引用

これは、一見正しい論法のように見えて、実は、何の意味もない方法である。 

ちょっと電気に詳しい方なら、すぐにおわかりいただけると思うが、直流がかかっていないところに、何故に結合コンデンサーをいれる必要があるのか? 
そんなところにコンデンサをいれて、音質の評価になるのか? 

結合コンデンサは、そもそも直流電圧がかかっているところにおかれるものであり、直流がかかっているときと、かかっていないときでは、そのコンデンサの音質が異なるというのは、良く知られた話である。 OS コンなんかは、そういう状況でないと、正常に動作できないことが良く知られている。 そもそも直流がかかっていたら、導線でショートしたら、電気的に回路が正しく動作しなくなってしまう。

 この意味で、上記の「原音比較法」というのは、ただのまやかしに過ぎないように私には思える。 

文句があるなら、私を論破して欲しいし、加えて、トランジスタなどの増幅素子の「原音比較法」をどうやって実現するのかも説明して欲しいものだ。 

上記の原音再生論は、MJ「無線の実験」にも執筆なさっている方のページにからの引用であるが、よりよい音楽を聴きたい、一介のオーディオファンの私から見てさえも、論点があやふやで、議論に耐えないレベルに思える。

かくいう私自身も、20 年前は、原音再生という錦の旗をふりかざしていたものであるが・・・。
http://www.schumann.jp/old/audio/au02-16.html  

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コメント
 
1. 中川隆[-13451] koaQ7Jey 2018年7月13日 17:06:00 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-16534]

2012.12.13
やはり、ヨーロッパの装置で聴けるクラシックというのは、アメリカの装置で聴くクラシックとは何かが違っている。ほとんど苦労しないで、ちゃんとクラシックが聴けるというところで、最初から全くレベルが違う。

アメリカ製品を使い始めて、濃厚な感じにどっぷりと嵌ってきたので、久々にこういう音を聴くと、こっちも必要だと思うようになった。
最初はちょっと物足りない感じがしたが、次第にこの方が正しいのじゃないか?と思い始めた。

前に、ムジークフェラインの1階のど真ん中で聴いたときに、ずいぶんと物足りなさを感じた。

ああ、実際は、こんな音だったんだ・・・と思ったのを覚えている。

どこから音がとんできているのか、さっぱりわからないくらいに、音がブレンドされまくっていて、その響きがまさにムジークフェラインのホールの特質というか、美点というのか、だろう。

オーディオで聴くような、セパレーションの良い音なんて、全くのウソっぱちだった。

じゃー、アメリカの音響製品は、ウソっぽいのか?ということになる。

デフォルメされた音、メリハリのきいた音は、面白くないかというと、ものすごく面白く感じるわけで、実際の音に迫る必要がないというところに立てば、全くのエンターテイメントであっていいわけで。

そこらへんは、マッキンアンプは実に上手いと思う。

家庭での音楽の楽しみ方というものを、実に上手く提示してくれる。
それは全くのウソっぱちの音だとしても。
http://blogs.yahoo.co.jp/gonta4350a/MYBLOG/yblog.html?m=lc&p=2


2. 中川隆[-12240] koaQ7Jey 2019年2月12日 14:21:47 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-22234] 報告

ベルチャ弦楽四重奏団 紀尾井ホール GRFのある部屋 2019年 02月 02日
https://tannoy.exblog.jp/30394201/


ベルチャ弦楽四重奏団 紀尾井ホール

久しぶりに雨やみぞれが降った翌日の2月1日の金曜日は、一転して北風が冷たい寒い日になりました。夕方になると、その北風が服を通して浸みてくるような寒さです。今日は、紀尾井ホールまで待望のベルチャ四重奏団を聴きに行きます。順調に来すぎて、紀尾井ホールの前に着いたのは六時頃でした。さすがに早く、寒さを避けるために、お向かいのホテルの地下街で時間をつぶしたのですが、こういう時の時間はとても遅く流れます。


ホールに戻っても開場までまだ15分もあります。狭いところにいるのも余り好きではないので、表に出ると、丁度パグ太郎さんが来られたところです。よく見るとその前をOrisukeさんが歩いておられました。お二人とも、何時もCD紹介記事等でコメントを交わし合っている中ですが、まだお会いしたことがなかったので、エントランスまで戻って明るいところで、お二人をご紹介致しました。開場時間の10分前でしたが、外は寒いので早めに会場になりました。二階のラウンジで、早速赤白のワインを頼みました。内側から少し暖まってきたようです。


今日のベルチャは現在最高の弦楽四重奏団の一つです。2階席のステージ横の席ですが、真上から眺められるので、音は最高です。その券が、4000円であったのも幸運でした。しかし、2階席の後の方の紀尾井管弦楽団を聴く何時もの席のあたりは、空席がありました。オーケストラに比べて室内楽は、やはり人気が無いのでしょうか?


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今日の席はステージ横の左側の二階席ですから、第一ヴァイオリンの音は、後ろ側の音を聴いています。第二ヴァイオリンは、真上の感じです。ヴィオラは表側、チェロは真正面を向いていますから、全体のバランスとしておとなしめに聞こえるのかもしれませんが、一番近いところで聞いているし、録音用のマイクも目の前にあります。今日の演奏会はNHKが収録していました。どのような音になるかも楽しみです。


プログラムは、モーツァルト、バルトーク、メンデルスゾーンの最晩年の四重奏曲ばかりを演奏します。モーツァルトの四重奏曲KV589は、プロシア王から依頼を受けた三曲の2番目の曲です。無くなる前年の作品で、この三曲以降は、四重奏曲はなく、弦楽五重奏曲になります。


モーツァルトの最初の音から、音の美しさに魅了されました。端正で、透明で落ち着いています。弦楽四重奏団というと、ともすれば元気なところばかりが前面に出でてきますが、音のバランスが絶妙です。不遜ですが、調整した和室の音とそっくりだと思いました。録音マイクの位置のすぐ横から聴いているので、CDの音のように聞こえるのでしょう。その音が会場に登って響いていく音がとてもきれいでした。

ベートーヴェンのレコードは何種類か揃っているのですが、モーツァルトは、五重奏は何種類かあっても、四重奏の演奏は、古い時代のレコードしかありません。アマデウスとかスズケの時代です。そういう印象から聴いても、今日の演奏は、優しく丁寧だと感じました。弦楽四重奏団は、第二ヴァイオリンがリードしていくタイプとヴィオラがヴァイオリンとチェロの橋渡しをしているタイプがあります。ベルチャはヴィオラを中心に音楽が進んでいくタイプですね。第二ヴァイオリンは黒子に徹しています。


そして、第一ヴァイオリンのコリーナ・ベルチャとチェロのアントワーヌ・レデランの技量が飛び出ています。そのチェロと第一ヴァイオリンが旋律をしっかりと歌い上げ、また常にバランスを取っているので、強奏の部分でも破たんしません。ヴィロード様な肌触りのモーツァルトでした。


それが、バルトークになると一変します。ヴィオラの悲しげな旋律が、静かに、深く、モノトーンの世界を作り出します。しかし、その平安が不条理な力にかき消され、チェロの粗野な暴力的でもある旋律の対比が、いかにもバルトークだと感じます。モーツァルトの後に聴いているから余計に、20世紀は複雑で、野蛮だったと思うのです。ただ、ベルチャの演奏は、その不条理は現れるのですが、この世のものではない狂気を直接は表には出さず、次第に苦しくなるような世界に導きます。


休憩は素晴らしい演奏を前に、驚きを皆隠せません。歓談していると、あっという間に、休憩時間は過ぎました。


https://tannoy.exblog.jp/iv/detail/?s=30394201&i=201902%2F02%2F99%2Ff0108399_15262638.jpg

これはメンデルスゾーンの絵です。絵も才能がありますね。

第二部は、メンデルスゾーンの六番です。この曲はモーツァルト・バルトークとも全く違って、シューマン風の響きで、執拗な繰り返しが、海からふいてくる暖かい湿った空気のように、気持ちをざわめかせます。モーツァルト、バルトークでは聞こえなかった、どこかロマ風な響きが、先日のコパチンスカヤのようにルーマニア人のベルチャのヴァイオリンから聞こえてきます。そのメランコリックな響きは、終楽章で何かに追われているような痛切な響きに変わります。モーツァルトやバルトークとは全く違う響きです。


アンコールが素晴らしかったです。

ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第13番の第五楽章のカバティーナです。ベートーヴェン特有の奥行きの深い響きに変わり、音が重層して行きます。作曲家の個性が鮮やかに浮かび上がり、豊穣な世界に浸かります。演奏は10分近く続き、とてもアンコールとは思えないほど満足しました。


Orisukeさんは、休憩時間にアンコールは、ショスタコヴィッチがかかるのではと言われていました。最新のCDに入っているすごい演奏です。

その通りでした。二曲のアンコールだけで30分ぐらい押しましたから、終了したのは、もう10時近くの時間でした。帰り道は、演奏の興奮で寒さも忘れるほどでした。


素晴らしい晩になりました。


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場所:紀尾井ホール

日時:2019年2月1日(金)開演:19時


出演者:ベルチャ弦楽四重奏団


曲目


モーツァルト:弦楽四重奏曲 第22番 変ロ長調 KV589「プロシャ王第2番」

バルトーク:弦楽四重奏曲 第6番 Sz.114

メンデルスゾーン:弦楽四重奏曲 第6番 ヘ短調 Op.80


アンコール


ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番より第5楽章カヴァティーナ

ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏曲第3番より第3楽章




Commented by パグ太郎 at 2019-02-03 06:22 x

GRFさん

本当に素晴らしい演奏会でした。まるでセッション録音のような完成度に、ライブの白熱感が乗っている、驚きの演奏でした。その上、自分たちのスタイルを追求するという段階は完全に通過していて、楽曲の本質・個性を際立たせることに集中するという、当たり前でも中々お目にかかれない稀有な演奏だったのではないでしょうか。

また、Orisukeさんとのお引き合わせ有難うございました。ネット上で頻繁にやり取りはあっても、やっとお目にかかることができました。


Commentedby TANNOY-GRF at 2019-02-03 13:01

パグ太郎さん

本当に楽しい晩でした。帰り道は寒さを忘れるようでした。演奏はとても美しく、CDのように完璧でしたね。アンコールを含めて五人の作曲家の本質を現していた演奏です。

Orisukeさんとの出会いが実現できて良かったですね。また、演奏会後の好例の感想会も楽しかったです。次は、四月のヴァンカイクですが、どうでしょうか・・・

Commentedby TANNOY-GRF at 2019-02-03 14:56

このショスタコヴィッチのCDに収録されている、ピアノ五重奏のピアノの音が素晴らしく良いですね。有名なSNAPE島のブリテン・スタジオでの録音ですが、録音する度に、エンジニアは変わります。そしてどんどん音は進化していると思います。DSD録音になった現在は、会場の設定が一番重要かもしれません。アコースティックの優れた静かな会場で、心を落ち着けて録れば、演奏家の実力が現れます。そし手最近の演奏者の水準は本当に上がっているといえましょう。

Commentedby Orisukeat 2019-02-05 00:03 x

GRFさん、パグ太郎さん
本当に楽しい演奏会にお誘い頂き、有り難うございました。
4人がひとつの楽器のように完全に一体化した見事な演奏でした。ベルチャさんの真後ろの位置でしたので、メンデルスゾーンで、気合いを入れる部分で腰を浮かせて弾いているのが分かりました。最後のショスタコは本当に最高で、これだけでも「聴きに来て良かったー」でした。

Commentedby TANNOY-GRF at 2019-02-05 09:26

素晴らしい晩になりました。演奏者をみるには、少しつらい位置でしたが、音は最高でしたね。マイクの位置とそう変わらない距離ですから、演奏のバランスも良く、ヴィオラとチェロのうまさが良くわかりました。最後のショスタコヴィッチは、ほんとうの意味でも、アンコールでした。
https://tannoy.exblog.jp/30394201/


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2019年 02月 05日
ベルチャと和室のユニコーンの音
https://tannoy.exblog.jp/30400182/


外は一月ぶりの雨が降っています。水分が大地に浸みていく様子がきもちいいですね。少しだけ窓を開けて、雨の音を聴いたり、窓の隙間から少しだけ吹き込んでくる雨の水滴が、嬉しいですね。深夜過ぎに終わってしまうのが残念です。

と、1月31日の日に書いていたのですが、明日は、もう一回雨が降るようです。また、今週末も雨か雪が期待されています。加湿器の水を補給する間隔が少し長くなりました。一月中は、毎日一回、2Lもの水を補給していたのですから。


木製のバックロードホーンを使っているユニコーンは、やはり湿気の有る無しでは少し音が変わります。カラカラよりは、湿度を45%以上に保っている方が良い音がします。それは微妙のモノです。


先週の金曜日には、紀尾井ホールにベルチャ弦楽四重奏団の演奏を聴きに行きましたが、ステージ横の2階席前方で、真下にステージがあり、横後方から四重奏団の音を聞けました。感想にも書いたとおり、ベルッチャ四重奏団の音は、今まで聴いたどの四重奏団の中でも、一番音がまとまり、どんなときでも破綻がなく、音がうるさく感じることはありませんでした。


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思えば、50年ほど前に上野に巌本真理弦楽四重奏団を聴きに通ってから、すいぶんと四重奏団も聴きましたが、大概が音が荒く、私には、音が汚く聞こえていました。しかし、今回のベルチャ四重奏団は音はあくまでも柔らかく、全力でい弾いているときでも、音が荒くなることはありませんでした。それでいて、モーツァルトはモーツァルトの柔らかさと悲しみ、バルトークは息が苦しくなるほどの、緊迫感と、不条理な苦しみ、メンデルスゾーンは、最愛の姉を失った心の苦しみが、悲痛な心の叫びとなって聞こえてきました。


また、アンコールで演奏されたベートーヴェンの13番の四楽章も、最後のショスタコヴィッチの3番の3楽章も、いすから腰を浮かす程の強奏でも、破綻無く、むしろ心地よく聞こえたのには驚きました。


この演奏は、3月21日に朝5時からのクラシック倶楽部で放送されるようです。果たして、どの曲が放送されるでしょうか?そして音は、どうでしょうか。私の席の同じ高さにマイクがセッティングされていました。上下の二段構えで、上方のマイクは内向きで、そこから1メートルぐらい下がったマイクは並行に、譜面台の中央には、90度開いた近接用のマイクがセットされていました。その近接用の音量を上げずに、並行のマイクから収録してくれれば良い音になるのにと思っていました。


会場でその音を聞きながら、今聴いているユニコーンの音と、ほぼ同じだと不遜にも思っていました。それくらい、今なっているユニコーンは音が良いと思います。自分の音については、どうしても辛口になりがちですが、今回は、我ながら良い音だと感心しています(笑)。

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変わった点は、前に書いたとおり、SPの位置調整につきるのです。変えたDAC用のACケーブルを戻しても、それほど変わりません。不思議なぐらい変わりました。湿気や温度も含め、総合的に何かが前と変わったのでしょう。おとはテーブルぐらいの位置から聞こえます。DDDユニットからは、何も聞こえません。
https://tannoy.exblog.jp/30400182/

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札幌のMさんから GRFのある部屋 2019年 02月 12日
https://tannoy.exblog.jp/30409010/


GRFさん、ご無沙汰しています。札幌のMです。


ぼくも札幌でベルチャー四重奏団を聴きましたので、ブログでのコメントに誘われてちょっと感想を。


たしかに、まさにアンサンブルの極致のようなすごい演奏でした。

最初のモーツァルトなど、第一バイオリンとチェロの掛け合い見事でした。難曲のバルトーク6番も、一寸の破綻なくバルトークのあの悲しみをよく伝えていた気がします(ぼくの前任者の方がハンガリー音楽の専門家で、タートライの日本初の全集盤を編集していて、よく聴いておりました。彼に紹介された「バルトーク晩年の悲劇」は傑作でした)。


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興奮して帰宅してからあの演奏は何だったのかしばらく考えていましたが、一つどうしても自分の中で処理しきれない疑問も残っています。それは、簡単にいうと、凄い演奏だけれど音楽的感動はもう一つだなあ、ということです。


家で、繰り返し、ベルチャーのCDをたくさん聴きました。スメタナやブダペスト、ハーゲン、ターリッヒなどと比べながら。


例えば、モーツァルトの不協和音。ベルチャーのはたっぷり緻密に歌っていますが、スメタナやブダペストのような音楽のコクとか味わいがもう一つ伝わってきません。


1回の演奏会だけではっきりとは言えませんが、どうもこの感想はじわーっと自分のなかでは残っているようです。


それは何なんでしょう? ベルチャーカルテットがテクニック優先だからなんてまったく思いません。ベルチャーさんを中心として皆さんよく歌っています。でも、スメタナやブダペストのカルテットを聴くと、その曲で彼らが伝えたい音楽的情動がじわーっと伝わってくるのです。で、モーツァルトの音楽にしみじみと感動するのです。時には涙しながら。


一昨年から、ほぼ完全リタイアで、暇にまかせて音楽会によく行くようになっています。おもにキタラの大小のホールですが、最近、有名アーティストの演奏でも、音楽的感動という点で首を傾げるのもけっこう少なくない気がしています。例えば、内田光子さんのシューベルトもすごい演奏でしたが、あまりにも重たいシューベルトで、その場ではシューベルトの音楽の良さを感じられませんでした。


逆に、音楽科を出て地元で地道に演奏活動を続けている卒業生たちの小さな会場でのコンサートにも応援旁々よく行っていますが、そういう演奏会で会場の雰囲気や演奏者の思いの伝わり工合で、非常に感動することも少なくありません。


素人っぽい話ですが、次の2点について考え込んでいます。


1 コンサートは、演奏者と鑑賞者との間の親密なコミュニケーションであり(鑑賞者なしの芸術はありえないとはへーゲルがよく見抜いていた近代芸術の本質です)、演奏者が聴き手にその曲の何をどう伝えようとするかが根本的に欠かせないし、そこに感動の有無もあるのではないでしょうか。いくら著名で世界的といわれるアーティストでも、名声だけでもてはやすのは音楽鑑賞の本筋から離れていると思います。


2 これは、ヨーロッパを含めて演奏会体験の豊富なGRFさんにご教示いただきたいことでもあるのですが、会場の問題です。いくら素晴らしいライブでも、会場によってまた会場の席によって全然違ってくるというのは、いつもGRFさんがお書きの通りだと思います。


昨年末、やはりキタラ大ホールで、イザベル・ファウストのベートーベンのコンチェルトを聴きましたが、席を失敗し、遠すぎてさっぱりファウストのバイオリンの清澄さを聴き取れずがっかりしました。夏には久しぶりに五嶋みどりさんとPMFオケを聴きましたが、こちらは最前列の右隅で近いけれどバイオリンの音が上方に飛んでいってせっかくのみどりさんの音さっぱりでした。舞台上部席も良し悪しで、歌ものですとよくありませんね。声って、ストレートに前方に放たれるのでしょう。


それと、最近気がついたことですが、ハーディング指揮パリ管のとき、最初にベルリオーズだったか100人以上の大編成でやったのですが、あとでベートーベンをやったときには、がらっと人数を減らし、5〜60人ほどでやりました。こういうやり方、オリジナル尊重の影響か最近はよくありますが、どうも気になります。確かにモーツァルトやベートーベンの時代の編成はそんなものだったのでしょう。でも、人数をがらっと減らしても、会場は2000人の大ホールで、モーツァルトやベートーベンの時代には考えられない大きさです。大ホールをそのままに、舞台のオケの人数だけオリジナル尊重で減らしてそこにどんな音楽的インティメイトがありうるでしょうか(ハーディング、パリ管の演奏自体はすばらしいものでした。とくにパリ管の艶やかな音色)。


この問題、どう考えどう解決したらいいのかよく分かりませんが、モーツァルトやベートーベンのシンフォニーなど、せめて7〜80人編成くらいは維持した方がいいように思いますがどうでしょう。第一バイオリン7パート、コントラバス6人ほどか。弦楽四重奏などは(多分ピアノソロも)、2〜300人のホールで聴くのがベストなんでしょうね。


家でのオーディオとコンサート三昧の日々、あらためて音楽的感動とは何か、音楽を聴く喜びとは何かに素人っぽい思いを馳せているところです。


札幌のM

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札幌のMさん 


こちらこそ、ご無沙汰しています。最近は、札幌出張も少なくなっていますが、それでも蓋つきに一回ぐらいは出かけています。しかし、ホテル事情もあり、大概は日帰りのとんぼ返りばかりです。また、タイミングが合えばキタラホールにも行きたいのですが、いつも演奏会があるわけではありません。毎日何かやっている東京とはやはり違います。


キタラホールでベルチャ弦楽四重奏を聞かれたのですね。確かにあの大ホールは日本でも有数な大きなホールで、マーラーやリヒャルト・シュトラウスなどのオーケストラにあっていますね。ゲルギエフのお気に入りのホールだそうです。確かに、彼のマリンスキーのパワー溢れるオーケストラには、キタラはぴったりだと思います。


しかし、ピアノ独奏やヴァイオリンソナタのようなソロや、室内楽をあの大ホールで聴くのは、エネルギーが届かないようにも思います。室内楽には、紀尾井や浜離宮、青葉台のフィリアとかの数百人程度の定員の小ホールがあっていますね。


また、ホールのどこに座るかによっても音楽の感動が違ってきます。一番前ではバランスが悪いですが、10列以上離れると、大ホールではエネルギーが届いてきません。ピアノ曲は、右側の席を取ります。反射板の影響で、左側は鍵盤は見えてピアノ奏者には参考になるでしょうが、鑑賞する我々には、譜面が見えたり、タッチが見えるのは、私の場合は音楽の印象が薄まります。


実際、会場で、たった一列前後に動いても、左右にずれても音楽の印象は変わります。それは、驚くほどです。演奏会場で音楽を聴くということは、その意味でリスクを追います。その点、録音はベストの状態で録られていますから、装置がよければCDの方が音が良い場合は多々あります。


特に、低域の再生をしっかり考慮された装置なら、演奏会場とほぼお同じ音が出すことも可能です。Mさん、東京に来られる時は、拙宅まで足をお伸ばしください。
https://tannoy.exblog.jp/30409010/

3. 中川隆[-8596] koaQ7Jey 2019年8月29日 16:30:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4156] 報告
■ 崩壊する録音環境 ■

オーディオマニアはイコライザーの使用を嫌います。

「レコードやCDには生の音源が入っているのだから、手を加えるのは言語同断」という
原音至上主義の方達が多くいらっしゃいます。
最高の録音であれば、良い音源は優れた再生音を生み出してくれます。

ところが実際には「録音」は千差万別です。
クラシックでも酷い録音は存在しますが、それでもバランスは取れています。

これが、80年代以降のロックやポップスやJ-POPSでは悲惨な録音状態です。
CDの登場によってオーディオ機器は小型化し、ラジカセ全盛の時代になりました。

CDを購入する多くの人々が、ラジカセで音楽を聴くので、
当然、録音スタジオではラジカセで格好良く聞こえる様な録音をする様になります。

ミキシングスタジオから大型スピーカーが消え、
YAMAHAの10Mという、白いウーファーの小型スピーカーが大増殖して行きました。
ラジカセは大型スピーカーの様には低音が出ませんので、
ミキシング時に低音を思い切り持ち上げて録音される様になりました。
さらには、小型スピーカーではあまり聞こえない重低音は、
管理されていないような録音も現れ始めました。

80年代前半のアナログレコードに時代までは、
それでも多くの人が大型のオーディオスピーカーを使用していたので、
録音はそれを考慮して、まともなバランスを保っています。

しかし、90年代以降はPOPSやROCKはそれこそ「悲惨」な状況です。

■ 曲毎、アルバム毎にイコライザーカーブをプリセットできるiTunse ■

イコライザーを使用すれば、部屋の音響特性と録音バランスを補正できるのですが、
録音バランスの違うCDにあわせてその都度イコライザーを操作するのは面倒です。

しかし、iTunseには、曲毎にイコライザーを設定する機能が付いています。
iTunesにプリセットされているイコライザーは、派手な演出でクソですが、
iTunseはバンド数が少ないながらも、自分で複数のイコライザーカーブを作って登録できます。

もう、これを使ってしまったら、病み付きになります。
古いジャズも、最新のロックも、最適なバランスに調整する事が出来ます。

■ ルームアコースティックを機材で調整する愚 ■

私は先日、コンクリートにクロス直貼りのマンションから、
ボード貼りのマンションに引越しました。

コンクリートにクロス直貼りの部屋では、低音がだぶ付いて始末に負えませんでした。
iTunseのイコライザーが無ければ、大型スピーカーは絶対に使えません。
ところが、ボード貼りの部屋では、ボードが丁度良いアンバイに低音を吸収してくれます。

これが、木造の和室では、今度は低音が不足するかも知れません。

このようなルーム・アコースティックの違いを機材で調整する事は至難の業ですが、
イコライザーでは比較的容易に調整できます。
https://green.ap.teacup.com/applet/pekepon/msgcate11/archive


2008/12/6
最強のオーディオ・・・iTunes  オーディオ
https://green.ap.teacup.com/pekepon/32.html

■プロケーブルの音

「プロケーブル」というネットショップをご存知でしょうか?
従来のオーディオ理論を覆す方法論で、
一昨年あたりからネットを賑わすオーディオショップです。

実は私もオーディオにずいぶんと散財した挙句に
プロケーブル仕様に落ち着いた一人です。

詳細はプロケーブルさんのサイトに譲るとして、
プロケーブルの面白かった所は、
2チャンネルや個人のブログを巻き込んだ賛否両論の一大実験が、
驚異的なスピードでのトライ&エラーを繰り返して、
プロケーブル・システムを進化させた点です。

サイトの記述内容に技術的な誤謬も多く、
詳しいオーディオマニアの方は、音を聞く前に
その誤りを指摘して、駄システムであると決め付けてしまいますが、
我が家のプロケーブル・システムは総額35万程度で、
以前使用していたカミサンには言えない金額のシステムを軽々と凌駕しています。

この秋、大阪の日本橋にプロケーブルのショップもオープンして、
ようやく実音も聴けるようになり、
プロケーブル論議も、ある結論に至ると思われました・・・。

先日、私も大阪に出かけた折にその音を聴いてきました。
ある程度、予測された事ですが、ジャズ喫茶の音がしていました。
高域のレンジが狭く、ダンゴ状態の音。

私があえてブログでプロケーブルを取り上げたのは、
プロケーブルの機材や方法論がもたらす音が、
あの程度だと認識されたく無いからです。

■オーディオの最大の問題点は録音にある

プロケーブルさんが世の中に知らしめた事の中で、最も重要な事は、
録音される国によってスタンダードなケーブルが異なり、
当然録音バランスが違う・・・という事です。

オーディオマニアは良く原音・原音と言いますが
実は原音なんて、どこにも無いんです。

クラシックを除けば、ポピュラー系のソースは
その時代の最も一般的なシステムで最も良く聞こえるバランスで録音されています。

60年代ジャズは、フルレンジや2ウエイのナローレンジ向け。
70年代、80年代ロックは大型システムが普及しただけに、比較的良いバランス。
90年代以降のはラジカセやミニコンポ向けの音。(ドンシャリ)

これを、なまじ広帯域でフラットバランスのシステムで再生すると、
単なる録音バランスのチェックになってしまいます。
優秀録音以外、まともに聴ける訳がありません。
それをシステムが悪いと思って、調整するから
ますます泥沼にはり、どんどん高価なシステムやケーブルを購入してしまいます。

例えば、アメリカ録音とイギリス録音のロックは
年代が同じでも大分違います。
ベルデンとカナレの違いが音に出てしまうのです。

LPの時代は、カートリッジを交換すれば、
こういった録音の違いを相殺する事が出来ました。

しかし、CDの時代がもたらした、再生環境の均質化が
むしろ、録音の違いを顕にし、
オーディオマニアを無間地獄に突き落としたのです。

■iTunesのイコライザーで全ては解決

本家、プロケーブルはこの問題をケーブルの選択と
マルチ駆動によるドライバーとウーファーの独立した
音量調節で解決しようとしています。

しかし、それはなかなか面倒ですし、システムも複雑になります。
さらに、ユニットの帯域内での微調整が出来ません。
結果的に、過剰気味の高域を抑えようとしてドライバー全体の音量を絞ってしまうので
12KHz辺りから上の倍音成分が不足して、
ジャズ喫茶の音になてしまうのでしょう。
中域が厚いので、一聴するとリアルで迫力がありますが、
音はダンゴ状になて、繊細さや軽やかさを失います。

しかし、iTunesのプリセットイコライザーを活用すれば
録音バランスの問題を簡単に解決する事ができます。

iTunesのプリセットイコライザーをは、
いくつかのイコライジングカーブを自作して名前を付けて記憶する事ができます。
さらに、曲毎、アルバム毎に、プリセットを関連付ける事が出来ます。
この機能を活用すれば、アルバム毎の録音バランスの問題を
簡単にキャンセルする事が出来ます。

さらに、再生システム自身やルームアコースティックの影響も低減できます。

アナログのグラフィックイコライザーは位相の乱れを生じますが、
デジタルでは位相の問題は発生しません。
ビット落ちの懸念もありますが、それも極く高い帯域の問題ではないでしょうか。

例えば、古い録音時代のJAZZをは当時の中域主体のシステム用に録音されています。、
それを、現在のワイドレンジシステムで再生すると逆に中域が薄くなって
迫力が無くなってしまうのです。
又、高域も低域も延びきっていないので、無理に再生すると、
レンジの狭さが強調されて、詰った音に聞こえてしまいます。
そこで、中域を盛り上げ、低域と高域にちょっとスパイスを効かせて
イコライザーカーブを作ります。
すると、あら不思議。
JBLやALTECの世界が現れます。暑く、迸るようなJAZZが再生されます。


TIME盤のソニー・クラーク・トリオは
ブルーノート盤に比べてナローで詰った録音ですが、
上手にイコライジングしてあげると、
途端に生き生きとした迫力ある演奏に豹変します。

「鬼才トリスターノ」は1オクターブ低く録音して、早く再生して録音という
とんでもなくトリッキーな録音で、無機質な音を作り出していますが、
これも、問題無く再生できます。

ビートルズを始めとするブリテッュロックの録音は、
通常胸焼けのするような、まったりとした再生音が特徴ですが、
(LPはクラシック用の高域が伸張したカートリッジでスカ!と決まります)
これもブリティッシュロック用のイコライジングカーブで
切れのある迫力の再生音を実現できます。
ドラムもスカ!!、ドスッ!!と決まりいますし、
ギターもカリ!!とした音を出してくれます。
正に、ライブの音です。

クラシックに関しては、大体良い録音ですが、
38cmの小型のPAスピーカーでは不足する125Hz以下の低音を増強すれば
オーケストラはコンサート会場の迫力で迫ってきます。


■位相制御にも活用

私はiTunesのイコライザーは位相制御にも使えると思っています。
ALLEN & HEATH のDJミキサーには3バンドか4バンドのイコライザーが付属します。
このイコライザーの位置によって、音楽が生き生き聞こえるポイントがあります。
低域をやや絞り、中、高域やや上げてあげます。

これは、スピーカーであるForce-iの各ユニットの
クロス付近の位相特性を整えているのでは無いかと思っております。

当然、再生バランスに影響を与えますので、
この分のバランスの変異も予めiTunesのイコライザーでキャンセルします。

■ラウドネス効果を無視して何が原音か?

さらに我が家はマンションですから、再生音量は小さめです。
当然、耳の生理的特性で低音と高音が低下して聞こえます。

原音再生を目指すオーディオマニアは、イコライザーを嫌いますが、
実用的な音量ではむしろ耳自体にフィルターが掛かっている訳ですから、
むしろイコライザーなりラウドネスを通した音の方が遥かに原音に近い訳です。

iTunesのイコライザーはラウドネスを兼ねる事も当然可能です。

■高価な外付けイコライザーはいらない

AD変換→デジタルでイコライジング→DA変化といった手順を踏む
高価な外付けイコライザーもありますが、
不要なAD変換、DA変換を経由するよりも
デジタル演算だけでイコライジングする方が
音に関する悪影響は少ないはずです。

又、ituneseのイコライザーは曲やアルバム毎に最適にプリセット出来るので、
単なるルームアコースティックの調整だけでは無く、
録音状態による影響もキャンセルできる点だけでも数段優れています。


■プロケーブル・システムの真価

プロケーブル・システムの真価は次の点です

@大口径で高効率のスピーカー
 高効率なスピーカーは微細な音を漏らさず再生します。
 又、音離れが良く、軽やかな音も良く表現します。
 
 38cmウーファーは、イコライザーに良く反応してローエンドが伸びて行きます。
 バスレスポートで無理に作った低音で無いので、
 イコライザーの懸かり方も自然でクセがありません。

A高ダンピングファクターのアンプ
 高いダンピングファクターのアンプは音が窮屈になるとも言われていますが、
 高能率スピーカーとの組み合わせでは生き生きした音を聞かせます

Bスピーカーケーブルは短くして高いダンピングファクターを維持
 結局、ダンピングファクターの高いアンプを使っても、
 スピーカーケーブルを何十mも伸ばしたら、ダンピングファクターは真空管アンプ並み。
 聴きやすくはなりますが、ハイスピードなドラムの音は絶対に聴けません。

 高域の上昇を抑える為には、錫メッキの太いより線が有効。
 私はウエスタン・エレクトリックの14Gを2.5mで使用。
 ウエスタンのケーブルは高域がしなやかで、なんとも言えない音の微粒子感があります

Cパワーアンプに入力ボリューム装備
 ミキサー(プリアンプ)を最適ゲインで使用出来、
 伝送経路での信号ロスを最小限に抑える事が出来ます。
 結局、微弱信号はなるべくレベルを落とさないでパワーアンプ直前の
 ボリュームまで到達させる事がどんなに大事か再認識します。
 (ピュアーネスを追求してプリアンプの代わりにパッシブアッテネーターを用いると
  悲惨な音になるのはこの為)

DALENN & HEATH のDJミキサーをプリアンプとして活用
 プリアンプの名機は数える程しかありません。
 ALLEN &HEATH の音は、フォノイコライザーも含め、
 プリアンプの名機と肩を並べるものがあります。
 ALLEN無くして、プロケーブルシステムは有らず。

EiTunesは是非プリセットイコライザーを活用して
 一度コツを掴んでしまえば、もう手放せません。
 イコライザー無くして音楽再生は有らず。

F200Vとダウントランス
 アース管理された200V電源の安定感は格別です。
 トランスですから、電源のアイソレーション効果があるのでは?

以上が私が考えるプロケーブルシステムのコアです。

さらに、iTunesのバージョンによても、
Windowsのバージョンによっても音はガラリと代わります。

私はiTunesはバージョン7.6.0.29が音がしっかりしていて好きです。
WindowsXPはSP2はまともですが、SP3は悲惨でした。
ここら辺、何が原因か分かりませんが、
安易なバージョンアップは音のバランスを崩します。

さらに、PAスピーカー(EVのFoce-i)のスピコン・プラグは百害あって一利無し。
多分、電力伝達能力が低いのでしょう。
低音が無くなってしまいます。
ネットワークにスピーカーコードを直接半田付けで
全く別のスピーカーに生まれ変わります。

ついでに、ドライバーの保護用ランプは百害あって一利無し。
低い抵抗値のランプが直列でドライバーの直前に入っています。
端子式なので簡単にパスできます。

以上、長々と書いてしまいましたが、
興味の無い方には、何が何だかチンプンカンプン。
それで良いのです。
オーディオの世界は底無沼です。
これを読んで分かってしまう方は、沼に落ちないようにお気をつけ下さい。
https://green.ap.teacup.com/pekepon/32.html


4. 中川隆[-8595] koaQ7Jey 2019年8月29日 16:49:43 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4157] 報告

最近のモニタースピーカ−はラジカセを対象にしている

モニタースピーカとは何者でしょうか?


40年くらい前にはアルテックやJBLも使われていました.我が国では,三菱電機がNHKと共同開発した「2S305」が有名です.

この時代のモニタースピーカは人の音声や楽器の音を本物らしく聞かせることに重点を置いていたように思います.

三菱のP610 で再生される人の声や,2S305 での楽器の音は実にリヤルです.国内外の有名スピーカでは聞き取れないアンプの欠点も,P610 や 2S305 で聴くと誰でも(多分)分かります.こういったスピーカこそがモニタースピーカではないでしょうか.

このため,モニタースピーカは通常音楽を聴くためには不向きとも言われていました.いわば厳しすぎるのでしょう. そのため,民生用では多少色づけされたタンノイ,グッドマン,ローサー,ヴァイタボックスなどのスピーカが好まれたと思われます.

しかるに,最近のモニターと称せられるスピーカは,聴けば聴くほど疑問が出てきます.楽器の音が聞こえない,演奏が見えない,音が耳障りで「曲」が解らない,

何を「モニター」しているのでしょうか?


ある時,懐かしい歌の復刻版CDを買ってきて,main system で聴くと,中低音(低音ではありません)がボコボコいってまともに聴けない物がありました.このCDをサラウンド用の8cmや10cmのスピーカで聴くと,摩訶不思議,そこそこに良い音として聞こえます.

そこで,ハタと気が付きました.どうもこれら最近のモニターはラジカセを対象にしているのではないかと思われてきました.

これらのモニターを採用している放送局,スタジオは,本来?のモニターすべき楽器や音声が対象ではなく,特定の,いわば,もっとも使用数が多いラジカセやミニコン機器でいかに聞こえるかを確認しているように思われます.

それはそれで音楽を送り出す場合は価値あることと思いますが,どうせまともに再生できない機器のためにモニターすることもないように思います.100Hz以下を切って,いかに低音らしく聴かせるかは技術ですが,よく聴けば,やはり出てないのは解ります.

こんなモニター?スピーカで,と言っても途轍もなく高いのですが,自宅で音楽を聴こうという方が間違っているように思えます.このような音が好みならば,数千円のスピーカで聴いた方が利口です.

有りの儘に録音した音楽,それはほとんど無いし,録音した時点で生とは異なりますが,それに近い音質を求める場合はそれなりのスピーカを使わなければいけません.その様な,新しい,良いスピーカが安く出ることを期待します.

それまでは,やはり,好みに合わせて,タンノイ,グッドマン,ローサー,ヴァイタボックス,アルテック,JBLやクオードなどのスピーカを使うほかなさそうです.

家庭で小編成や人の音声の曲を聴く場合は,我が顧問のM氏推薦の三菱P610Aは外観(相当に見窄らしい)からは想像できないほどの音が出ます.これで十分です.ただし,高音過多のきらびやかな(うるさい)音は出ません.あくまでも,バランスの良い音です!!

http://triodeamp.web5.jp/talk/sp.html

■モニタースピーカーは、いつのまにやら、堕落してしまいました。


優れたモニタースピーカーが製造されなくなって、その代わりが出来るほどの優秀なモニタースピーカーが、その後、たったの一つも出てこなかったというのが、その原因です。

1950年代から60年代の、マイルス・デイビスの時代までさかのぼってみます。マイルス・デイビスやジョン・コルトレーンが、レコーディング・スタジオでプレイバックされる音を聞いていた、そのモニタースピーカーは、アルテック(altec)612A(通称、銀箱)です。38センチ口径の604という型番のアルテックの同軸ユニットが入ったものです。その612Aモニタースピーカーを設計開発したチームの中には、誰もが知る人物がいました。当時、アルテック(altec)社に勤めていた、JBLさん、James B.Lancingさんです。

アルテック社は、WE社、つまり、ウェスタン・エレクトリック社の技術部門が独立して出来たメーカーです。アルテック社内で往年のウェスタンエレクトリックの技術を勉強したJBLさんが、その後アルテック社を退職してから作ったメーカーがJBL社ですが、この話は本論からはずれます。

アルテックのチームとその一員だったJBLさんは、そのとき一点の曇りもない、完璧なスタジオモニタースピーカーを設計することに成功しました。それが、アルテック612Aという604という型番のユニットの入ったモニタースピーカーです。604ユニットは、38センチ口径です。モニタースピーカーには、38センチ口径のユニットが必要不可欠であったということです。

38センチというと、低音を思い浮かべるかたが多いと思います。それは大きな間違いであって、当時のモニタースピーカー用途の38センチという口径のユニットは、中域をしっかり出して、「生音と等身大の音」を出し、間違いのないミックスダウンをするためのモニタースピーカー、つまりそれが、38センチ口径のモニタースピーカーです。勿論、低周波も出す能力もありますので、低域以下の低周波数帯域のミックスダウンにも失敗はあり得ませんが、中域はそれ以上に重要です。中域再生のため、ウーファー部は1500ヘルツ、ボーカル帯域までをも、しっかり出す能力を持っています。

上記のアルテック612Aスタジオモニタースピーカー(銀箱)は、1940年代から使われはじめ、その後長年に渡って米国スタジオの標準となり、その後、日本国内も、それに習って、アルテック612A(銀箱)が標準となりました。米国のジャズのほとんど、その後のロックなども、アルテック612A(銀箱)をモニタースピーカーにしており、それが基準です。1970年代頃までは、米国では、それが続いていたものと思われます。

日本の音楽の黎明期は、それよりずっと遅れてスタートしています。アルテック612Aとそのユニット604のモニタースピーカーが標準になったのは、1960年代後半くらいからでしょうか。604Eか、604-8Gユニットくらいの時代からでしょう。アルテック612Aモニタースピーカーが使われていたのは、1980年代くらいまででしょう。
実は今でもマスタリングスタジオが使っているモニタースピーカーは、アルテック604ユニットであったりします。最終的には、今でもアルテック604をモニタースピーカーにして音を聞いて、マスターを作る段階で、スタジオの間違ったミックスを修正しているというのは、本当のことです。これはマスタリングスタジオにもよるものと思われますが、東京四ツ谷にある、多くのレコード会社が信頼しているマスタリングスタジオは、今もアルテック604がモニタースピーカーに入っていると、そのオーナーさんと仲の良いエンジニアのかたから聞いています。

その後のスタジオモニタースピーカーは、おそらくJBLに移行したものと思われます。別のメーカーも入っていたのかもしれませんが、そのあたりは、詳しくありません。

重要なことは、メインモニタースピーカーの信頼性が、アルテック612Aに比較して、低くなっていったのと併行して、YAMAHA NS10Mがスタジオに入っていったということです。当時、「ラジカセ」というものが、非常に多く使われるようになり、非常に多くの若者はじめ米国国民がラジカセで音楽を聴くようになっていました。NS10Mの役割は、当時、二つありました。


■YAMAHA NS10Mがモニタースピーカーとして使われた本当の理由


1)ラジカセで聞く人たちがいかなる音で聞くのかを、チェックするためです。

つまり、ラジカセの代表、それに近いものとして、割と素直な性質のYAMAHA NS10Mが、それ専用のモニタースピーカーとして選ばれたということです。これがNS10Mがスタジオに入っていった最たる理由です。


2)おおざっぱな音決めのためです。


卓の上に置いて、至近距離でミックスダウンするわけですから、使いやすいのです。おおざっぱな定位などを最初に決めるため、NS10Mは「簡・易・的・な」モニタースピーカーとして使われました。もちろんNS10Mくらいのモニタースピーカーでは、信頼性が全くありませんので、最後には、ラージモニタースピーカー、ミドルモニタースピーカーなど、いろいろな種類のモニタースピーカーで検証して、音決めしていたものと思われます。

このあたりの時代で、モニタースピーカーを取り巻く環境が、すでに何かがおかしくなってきていることが分かります。というのは、1959年のマイルスやコルトレーンのジャズが、つまり、アルテック612Aモニタースピーカーでミックスダウンされた完璧な録音が、ラジカセでしっかり鳴らないなどということは、あり得ないことだからです。それが鳴らないのであれば、それはラジカセメーカーの責任なのですから、そんなことを、NS10Mなどをモニタースピーカーにしてまでチェックしていること自体、時間の無駄でしかなかったはずです。

メインモニタースピーカーを全面的に信頼できなくなってきていたからこそ、無意味なことでも、せざるを得なかったと言えます。

その後、さらにメインモニタースピーカーの信頼性は、時代とともに低くなっていき、ミドルモニタースピーカーにもろくなものがなくなってしまいました。というより、ミドルサイズには、最初からろくなモニタースピーカーは、一つたりとも、歴史上、登場していないのが実態です。

そして現代に至って、YAMAHA NS10Mだけが、無惨にもスタジオに取り残されてしまいました。役に立というが立つまいが、取り残されてしまった。だからNS10Mなのです。

■ミックスダウンの課程


自宅録音のかたも、プロのかたも、NS10Mをモニタースピーカーにしてのミックスダウン時には、次の課程を経ているはずです。


1)非常に録音の良い、優れたミックスダウンのイメージ、数枚のリファレンスCDの音が、頭の中にあります。理想とする録音です。それはおそらく数枚のCDでしょう。

2)そのリファレンスCDの音に近くなるように、モニタースピーカーの音を「目を凝らすように神経質に聞いて」、ミックスダウンしていきます。

3)プレイバックして、何度も聞き直し、良く分からなくなった時には、リファレンスCDを、そこでプレイバックしてみて、1枚で分からなければ、二枚のCDをプレイバックしてみて、ボロであろうがなかろうが、とにかくそこにあるモニタースピーカーを通して、どこがそれと違うのかを確認して、リファレンスCDの音に、時間をかけて似せていきます。


上記の方法を、NS10Mをモニタースピーカーに使う場合のミックスダウン時には、100%の確率で、取られていることと思います。頭の中は、音の足し算と引き算で埋め尽くされているはずで、そこにエネルギーの大半が吸い取られていきます。
その作業をしていること、しなければならないことこそ、そのモニタースピーカーが信頼できない品質のものである証拠です。

優れた本物のラージモニタースピーカーは、聞いた通りの音に録音されます。最も音楽が素晴らしく聞こえるようになる、まさにそのポイントに向かって録音するだけで、リファレンスの必要などありません。モニタースピーカーで聞いた通りの音が、マスターに刻まれていくからに他なりません。

また、NS10Mのように、爆音でミックスダウンする必要もありません。普通の音でプレイバックしたときにこそ、生音に近い等身大の音が出てきますから、全く無理がありません。等身大の生音という概念は、ミックスダウンには、非常に重要です。モニタースピーカーから「生音」が出ていれば、それイコール、完全に信用できるという、誰にでも分かる非常に単純なことです。ということは、NS10Mくらいのものではモニタースピーカーとは言えないということです。

そこにある音、人の存在、又は楽器の存在、音楽全体の存在が、よりいっそう気持ち悪いほどに生々しくなるように、さらに音楽が最も魅力的になるように、イコライジングしながらミックスダウンしていくだけです。

そして、その通りの生々しい信号が、マスターに刻まれていきます。それを再現しきれるオーディオ装置の有無などは、関係のないことで、間違いのないミックスダウンこそが最重要です。プロはどなたも最良のミックスダウンを望んでおられます。

ミックスダウン時の失敗や後悔、あそこはこうしておいたほうが良かったかな、というような、あとから来る迷いも、優れたモニタースピーカーさえあれば、一カ所もあり得ないミックスダウンになるであろうことは、プロのレコーディングエンジニアのかたならば、即座に理解されますでしょうし、作業が非常に早く、まったく合理的であることも、理解されますでしょう。

優れたラージモニタースピーカーが、早く出現することを願って止みません。プロのレコーディングエンジニアのかたは、集中力、気力等、並はずれて非常に優秀なかたがたばかりなのですが(今まで出会ってきたプロのかたは例外なくそうでした)、いかんせん、モニタースピーカーの環境が悪すぎます。一億五千万円もするニーブやスチューダーの卓(ミキサー)に、YAMAHA NS10Mしか接続されていないなどということは、異常事態です。

例えスタジオの経営側が、ラージモニタースピーカーは、これこれの46センチウーファーのものを壁に埋め込んで、背後からの反射をも防いでいる、これは米国のどこそこのメジャースタジオと同じであるなどと宣伝していたところで、レコーディングエンジニアのかたがた本人が、それらを全く信用できないものとして見限っており、全くあてにもせず、気分転換にしか使われていないようなことでは、それらは、ろくなモニタースピーカーではなく、使い慣れたNS10Mのほうがまだましだということで、今もNS10Mだけがスタジオに取り残されているのです。

■結論

「多くの人がラジカセだから、それにミックスダウンの音を合わせておこう。」

又は、

「多くの若者がiPODでイヤフォンで聞いているから、それに合わせてミックスダウンの音を合わせておこう。」


それは、非常に問題のある、「ムダ」、「ムラ」、「ムリ」、トヨタ生産方式で言えば、仕事の三大悪であり、絶対に許されない考え方です。真のプロフェッショナルのかたは、今まで書いたことから、すでに理解されていることと思います。そのような考え方は、二流の考え方です。プロフェッショナルは、責任を持って、徹底的に正確な信号をマスターに刻み込むこと、それが最高の仕事であり、最高の結果を生みます。皆が使う音源、風潮に合わせるなどということは、どうでも良いことです。プロのかたは、100年後にも、その音源が最高の音源であって欲しいはずです。

そのときに使われているものがラジカセなのかiPodなのか、そんなことは分かりません。完璧なフラットが出るものを誰もが使う時代が来ているのかもしれません。そのような時代は来ていないかもしれませんが、そんなことはどうでも良いことです。最高の録音を再現できないとしたら、それはラジカセ側の責任であい、iPod側の責任、未来の再生機材の責任であるということです。

レコード会社側の、二流の考え方に、プロのかたは妥協してはなりません。それでは二流の録音しかできません。


■さらに、上記の二流録音がもたらす結論を明確にしておきます。

徹底的に正確な信号を録音した一流の音源があるとします。かたや、iPodやラジカセに合わせた録音があるとします。両者をiPod、ラジカセで聞くとします。いづれが良い録音に聞こえるかは、明白なことです。

誰が聞いても前者を選びます。これで、十分でしょう。

http://www.procable.jp/setting/07.html

                          > 

5. 中川隆[-8590] koaQ7Jey 2019年8月29日 16:55:47 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[4162] 報告

モニター・スピーカは音楽を愉しむ為には作られていない


モニターの音はどうあるべきなのか!!


大阪のMusic Well studio の○○○○と申します。

私は常に “フラット” な音環境を切望し、そこを追究する事がリスナーの皆様に対しての責任だと日々考えております。目指すは良いものと悪いものをしっかり聴き分ける事が出来るフラットな環境です。その様な着色のない環境での制作を可能にしないと最終アウトプット(流通商品)時点では大変な事になります。

制作初期段階で少しでもピーキーなものが出来上がってしまうと、その後段階での作業で段々としわ寄せが積み重なり、ごまかしごまかしで最終的にはろくなものにはなりません。

制作スタジオに求められるのは限りなくフラットな音響環境です。
決して良い音も悪い音も『立派な音にしてしまう再生環境』ではありません。


Studioで自然に出来た“音の印象”がどの様な再生環境(ヘッドフォン、ラジカセ、カーステ、喫茶店の天井スピーカーそして高級オーディオ等)においても“同じ印象”で聴く事が出来れば、制作環境としては最高の状態と言えます。

歴史的に、あまり良い環境で制作出来なかった頃に“エンジニアの勘”というものが生まれ、そしてそれが重要視されてきた気がします。

フラットな再生環境では無いため“見越”の技術が必要だったんですね。なんとも恐ろしいですね。

“音”が解りにくければ、音楽制作は大変困難になります。

今、目の前では今までに感じた事の無い“素晴しい音”が鳴っております。

しかし、それだけではありません。制作段階では各トラックに色々な補正処理を施します。その中にEQ処理や音圧処理があります。 リニューアル後、特にEQ処理には大きな変化が出てます。パラメーターを動かす幅が大幅に減少しました。変化がとても良く見えるからです。処理後のEQカーブを見ても今までの様に大きくはなりません。なだらかで微妙な曲線です。

“自然に聴こえるまま”で、何の見越も必要なく作業出来ています。不安になるくらい。。。(笑)

これで大正解なのだと思います。大きく変化させる事はピークを生みます。振り返って、今までどれだけピーキーなものを創って来たのかと思うとゾッとします。音をCD-Rに納め、いつもの様に色々な再生環境で聴いてみました。実験です。ここが私にとって “肝” となります。 ドキドキです。

http://www.procable.jp/setting/07.html

オーディオは、プロのレコーディングとは違います。

アルテック612A(銀箱)というモニタースピーカーの名前、アルテック604ユニットというモニタースピーカー用のユニットの名前を出さざるを得ませんでしたが、素人のかた、オーディオのかたは、WEのフィールドスピーカーと同様、これにも近寄らないでください。これによって、いかに多くの熟練したオーディオマニアのかたが泥沼に陥ってしまわれたことか、それはまさしく吸血鬼のごとしです。
一生涯かけてもセッティングできないかもしれない、非常に危険なプロの道具です。

セッティングしきれるのはプロだけと想像します。アルテック612Aというモニタースピーカーは、セッティングしきってこそ、はじめて上記のような、聞いた通りの録音がしていけるものであり、セッティングが不完全ですとかえって混乱してしまうことになります。

あまりにも正確に信号を増幅してくるからこそ、一個のXLRプラグ、一本のケーブル、一個の電源プラグ、アンプ、卓などの選択ミス等、一つも許されません。もろにその間違いを出してきますので、その原因はプロのかたにしか皆目分からないはずですし、オーディオ用のプリアンプやパワーアンプくらいのものでは、とうてい鳴るものではありません。

したがって、アルテック612A(銀箱)の本当の音、本当の能力は、オーディオ界では、オーナーであれオーディオ店であれ、ただの一人も知らないはずです。 趣味に使うには、あまりにも過酷で、かつ、デリケート過ぎる、本物中の本物のモニタースピーカーなのです。

http://www.procable.jp/setting/07.html

6. 中川隆[-15238] koaQ7Jey 2019年12月03日 10:20:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2307] 報告

オーディオ vs 実演(ティーレマンVPO 感想)@
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1973837252


そんなの実演がいいに決まってるじゃないかというのは、昔の人である。現代思想的には、ボードリヤール以前の人ということになる。
実演のアウラが複製すると失われる、というとベンヤミンの論考になる。

高尚な議論はさておき、オーディオマニアでも、すいません本物のコピーしてますという謙虚な人もいれば、自分のオーディオにしか出せない音を出す(オリジナルより巨大等)という、突き抜けた人もいるだろう。
私自身は、「クライバーとウィーンフィルをムジークフェライン5列目中央近辺で聴いたときの感銘」を想定し、そこに近づけたいと願うので、実演の劣化コピーの劣化度を減らしたいという立場だが、それほど単純でない部分もある。

では、ティーレマン指揮のウィーンフィルの実演の音はというと、これは今回は、十分にハイクオリティな音を堪能できた。前回(2005年ムーティ)で人生終わらずによかった。
4列目中央近くで、まずボリュームが豊かである。前回の小さな音という印象はなくなった。
ヴァイオリンが6人並んでる感じなので、最大編成ぐらいだと思う。

Rシュトラウスは、なぜ評価が高いかよくわからない作曲家だったが、この日のドンファンとティルは最高だった。ティーレマンも手慣れた感じがある。ウィーンのお国モノという意味で、これ以上の演奏はちょっと考えにくい。人間臭い音楽で、マーラーのセンチメンタルな響きの代わりに描写的な色彩が豊か。
一方で、Jシュトラウスは芸風が重々しすぎて、クライバーの軽妙さが望めない。ただ、弦を粘っこく歌わせる感じはポリシーが感じられて、これはこれでよい。
ばらの騎士の組曲は、ラストの、伯爵夫人が若き恋人への別れを歌う旋律など、ウィーンのデーメルのケーキのように、濃くて極甘だが気品があり、シュトラウスのポルカのアンコールは、当地の白ワイン新酒を思わせる爽快さ。

前回と違い、ウィーンフィルの音はしているが、フェスティバルホールの響きもついているなという印象が勝った。
ムジークフェラインとウィーンフィルの音はセットというべきだと思う。
フェスティバルホールは、新型のほうがややキャラクターがあるかもしれない。反響板の凸凹の影響だろう。
ロンドン響のときは化粧の響きが多すぎるかなと思ったが、ウィーンフィルでは、ムジークフェラインよりドライだろうなと。
ウィーンフィルのときは、客を詰め込むために、ステージギリギリまで座席があったので、その違いもあるだろう。


コメント

mixiユーザー2019年12月01日 15:47

>ムジークフェラインとウィーンフィルの音はセットというべきだと思う。

まさに同感です。オーディオ装置に特有の音があるように、ホールにもあります。クラシックではそれが全てを支配してしまいます。オケの編成も、ホールに合った構成人数があるようで、外れてると良くないです。クラシックでは、生が一番だとは全然思いません。


mixiユーザー2019年12月01日 17:25

> mixiユーザー 

なるほど、フェスティバルホールは2700人入るという無茶な構成なので、ウィーンフィルもベルリンフィルも、ヴァイオリンは6名並んでました。さすが、高価なので手抜きなく来てくれたようです。
ベルリンフィルのサイトで来日前のブル8をみると、ヴァイオリンは5名の並びのようです。

ニューイヤーコンサートでシュトラウスは聴き慣れてますが、中低域が暖色というような音にふれていて、あの華やかさや高域の冴えは後退していたようです。


mixiユーザー2019年12月01日 19:21

生とオーディオの一番の違いと言えば、やはりバイオリン協奏曲でしょう。ソリストの音は、特に私のような二階席好きにとってはいつも、はてな???、と感じます。オーディオのような松脂が飛んでくるような鮮度にはなりません。当然ですが。でも暫くすると、馴染んだスッポンの鍋が味をじわじわと出してくるように、そこそこ聞こえてきます。それはそれで枯れた味わいです。まあでも、初めてバイオリン協奏曲のレコードがSPの時代に出た時は、賛否両論だったと思います。


mixiユーザー2019年12月01日 20:28

> mixiユーザー 
2階席好きとは意外です。ヴァイオリンとかの独奏は、オーディオでいけるんちゃうかと思ってしまうのですが、ある意味では再現がすごく困難とも思います。
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1973837252

7. 中川隆[-15237] koaQ7Jey 2019年12月03日 10:22:23 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2306] 報告

オーディオ vs 実演(ティーレマンVPO 感想)A
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1973837305


さて、オーディオと実演の違いだが、スケールはやはり完敗で、20センチとか30センチのユニットの存在意義がわかるし、20畳とか欲しいなあと。
一方で、音色はそんなに負けておらず、とくにヘッドフォンシステムなどでは、良い録音では十分リアル。真空管のQUADUも音色面が秀逸。
まあでも、弦合奏など大音量でも耳障りでなく極上というところは、ちょっと真似できない。

「ジプシー男爵」序曲は、クライバーのフィリップスLD(ソニーCDの音は不自然)で必死で再生してきたが、シンバルの衝撃や弦の刻みなど、クライバーが繊細な指示を出してるのかもしれないが、録音のミックスで理想的にいじっているかもという気もする。
打楽器の低音が床を揺らし分離があいまいになったり、そういうことも、ホールでも起こるといえば起こる。

直接曲での比較は、主にこの「ジプシー男爵」だが、「クライバーがいいなあ」と思いながら聴いていた。前回のムーティのときと同じ現象である。

最終的には脳が聴くのだから、実演にせよオーディオにせよ、ある音楽表現という信号としてインプットされる。
音圧や音像は、スピーカーに近づいて聞けば、ボリュームを上げれば実演前列並みの迫力である。後ろの席ならオーディオが勝つ。
耳の近くでいろんな情報が炸裂するというのは、オーディオのメリットかもしれない。確かにスケール感は実演が正しいのだが、シンバルの衝撃を心のうちに燃えたたせようとするなら、やたら距離が離れてるのは不利だ。
オーディオで得た満足を、実演に求めると満たされないという逆転現象も起こっているのだ。

さらには、現代の最先端の大型スピーカーを、よい部屋で、大音量で最新のよいソフトで聴けば、実演より細部が明晰で、ヘタすると艶やかな化粧を伴った耳に快い音が出るということはありうるかもと思う。

結論としては、私の環境や投入コストレベルでは、もちろん負けているが、10畳という制限の中では、健闘しているし、今後もしよりよい環境になれば、もっと近づけられるかなと。
オーディオではクライバーの凄さはわからず死んでいくとか、そういうことはないような気がした。

それに、ムジークフェラインに限らず、クライバーを5列目前後で聴くという経験そのものが、ほとんど不可能だったのだ。1992年当時に取れていた、S席の幻のチケットも、そんなに前方ではなかったはず。
また、馳せ参じられなかった「ばらの騎士」東京公演も、オペラはオケピットのサイズ上、小編成と思われ、今回の組曲形式のような万全なボリュームでは聴けなかっただろう。
体調や気分も、コンサートに合わせるのは難しい。

よく、コンサート評で大絶賛とかガッカリとかあるが、聴く位置でまったく違う印象になるから、また、その人がたまたまその曲に気分が盛り上がる日だったのかもしれず、かなり不安定な情報というべきだ。
年に数十回コンサートに行くとか、実演の関係者以外は、なかなかきちんと判断できないはず。
オーディオなら、録音の問題は大きいけれど、だいぶん判断しやすい。
コスパの観点を入れるなら、たとえばベルリンフィルの最新コンサートは、ハイレゾデータで2000円とか。43000円もいらない。

そう思ったのだが、メータとベルリンフィルのブル8実演が独特な体験(アウラ?)だったので、実演不要派ではなくなった。基準を確かめに、たまに行かねば。
とはいえオーディオも悪くない。
クライバー再生に呪縛されてきた人生で、今後もそうだろうが、少し解放された気がする。



コメント

mixiユーザー2019年12月01日 15:56

そうなのです。クラシックコンサートには、体調不良で寝てしまう、という悪魔の罠が潜んでます。というか、まわりで寝ていない人(自分も含めて)を見ないのは珍しいです。大枚払って寝に行く羽目なのが、実は真のクラシックコンサートでしょう。オーディオならば心置きなく寝れます。昔ならレコード針の内周のゴロゴロで起こされてましたが。

mixiユーザー2019年12月01日 17:13

> mixiユーザー 

仕事終わりに19時半、フワフワのシートに固定され冷暖房完備、静かでアルファ波タップリの音楽、となると、寝るなというほうが間違っていますね。クルレンツィスの悲愴2楽章はあまり覚えていません。
ロンドンでハイティンクとピリシュのときは、到着1日目で、日本時間の午前3時開演です(笑) しかもシューベルトのグレイト!

他に危険なのがトイレです。ブル8など90分なので注意です。シエラ・ボーゲスのコンサートは当時とても楽しみで、実際歌唱は素晴らしかったですが、最後の5曲ぐらい、尿意の記憶のほうが残っています。休憩時間にトイレに行ったので、安心してミネラルウォーターをけっこう飲んだのが原因のようでした。。
そもそも、シエラ・ボーゲスへの執着は、ニューヨークで聴いたはずなのに、そのときも到着2日目ぐらいで歩き回って、吐き気でコンサートの記憶がほとんどないという悔しさからでした。


mixiユーザー2019年12月01日 19:26

まあそれやこれやを多角的かつ経済的に考えるならば、コンサートは前列で、生のユジャ・ワンの指さばきとか露出に圧倒される、というのが正解かもです。それならば、きっと眠気も吹っ飛びます。コンサートは聞くのでなくて、見るのです。わーい(嬉しい顔)


mixiユーザー2019年12月02日 18:17

> mixiユーザー 

実はアイドルのコンサートがそうなってますね。バンドはなしで、基本的に口パク、ファンは生の本人とダンスと雰囲気を見に来てるということで。
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1973837305

8. 中川隆[-15236] koaQ7Jey 2019年12月03日 11:04:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2305] 報告

ウィーンフィルを求めて
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1973619350


以前にも書いたが、私は1992年という年に呪縛されている。
幾つかあるのだが、ひとつは、カルロス・クライバーのニューイヤーコンサートで、正月から生放送で雷鳴に打たれた。

3月にフェスティバルホールでウィーンフィルと2日コンサート、ブラ4や未完成、モーツァルトにシュトラウスファミリーの予定だった。
が、こいつがキャンセル。返金された分で、最初のコンポを買った。オンキョーのD202と、DENONのPMA390に32000円のCDP。

1994年にはクライバーはウィーン国立歌劇場と「ばらの騎士」で来日し、借りを返してくれてはいるのだが、私自身は、まだ学生で東京など遠い、オペラなど聴きとおしたこともない。
まあ人生は長いのだから、クライバーもまだまだ活躍し、いつか会えるだろうと思っていたのだが、そこから彼はほとんど表舞台に登場することはなかった。

11月10日に、フェスティバルホールで、ティーレマンとウィーンフィル、曲目はシュトラウスファミリーとか「ばらの騎士」組曲だという。
まあこれは、私に人生の整理をせよということかなと思って、37000円だがチケット購入。
座席は、長年の経験で舞台に近いほうが好みと分かっているので、4列目ゲット。
「ばらの騎士」は未聴だったが、カラヤンとフィルハーモニアの名盤をハイレゾ購入して聴きなれておいた。クライバーとウィーン国立歌劇場のLDも、ヘッドフォンシステムに組み込んで聴く。こいつは早くデジタルファイル化したいのだが・・・

ところで、10月末に、「ウィーンフィル公開リハーサル招待」みたいなニュースレターが届いた。
30分ほどだが、最高の座席で、200名がリハーサルを聴けるという。
これはすごいテンションが上がった。電話か往復はがきで応募し、はがきで招待状が届くという。応募者多数の場合は抽選と。
初日に電話して、「万一外れた場合は連絡しません」とのことだったので、「確率はどんなものですか?」ときくと、「初日なので何とも言えないが、すごく難しいという感じでは思っていない」というような返事だった。
雰囲気から、これは9割以上はいけるものと、はがきを楽しみにしていた。

はがきの到着可能性は、11月5日から9日まで。
ただ、たぶん6日に届くと思われる。
これが、6日に届かなかってから、7、8、9と、届かないのがとてもつらかった。

私は就職氷河期で、変な転職もしたので、届かない返事は慣れているが、逆に言えばそれを思い出した。
仕事やなんかは、自分のしてきたことの報いの面もあるのだけど、本当に好きな趣味で、働いたお金で大金でも出して好きにしているのに、こんな気持ちになるとは。

応募が殺到して倍率2倍以上だったのなら、「万一外れたら」的な期待を持たさないでほしかったし、220名中外れた20名とかだったのなら、なぜ因縁のこの私を外すかなと思う。
本当に行きたい人からお金を取ってどこかに寄付するとか、高価なチケットの人を優先するとか、500人であってもホールは2700人入るのだからオーケーにするとか、柔軟な方法はなかったのだろうか。

ほんとうに個人的な人生にまつわることではあるのだが、すっかりテンションが下がってしまった状態で当日を迎えた。

私のオーディオ人生は、カルロス・クライバーを生で聴けなかったということに対しての、カルロス・クライバーを納得いく形で再現するんだという執念が根底にある。
27年間の宿題の、答え合わせをする日でもあると思う。


コメント

mixiユーザー2019年11月11日 19:57

1992年のクライバーのフェスティバルホール、
自分もキャンセルを喰らいました。
しかし、代役のシノーポリが素晴らしい指揮で
(「交響詩ドンファン」「マーラー巨人」)
ウィーンフィルの底知れぬ力量を見せつけられました。

ただ、その後のウィーンフィルの来日公演は
小澤〜ショルティと不評続きで
いつもいい、というわけではないのだなと思いました。

それ以降は全く聴いてません。
良い指揮者もいなくなったなという感じです。

mixiユーザー2019年11月11日 23:59
> mixiユーザー 

そうなんです。脳科学者の茂木健一郎氏が、自身の音楽体験の中で最良のひとつとして、このときのシノーポリの「未完成」をあげています。私はあっさり手放しましたが、シノーポリも急死して聴けなかったことを思えば、これも聴いておくべきだったのです。とはいえ、ブルックナーの7番だったかは、当時聴いたこともなかったので、感銘を受けたかは不明です。
ティーレマンもドンファンは素晴らしかったです。
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1973619350

9. 中川隆[-15235] koaQ7Jey 2019年12月03日 11:05:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2304] 報告

ウィーンフィルを求めて 2
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1973623206


ウィーンフィル実演で、まずまず自分に理想的なステージ近くでの音と、長年聴いてきたオーディオでのウィーンフィルやクライバーの音。
どれぐらい一致しているのだろうか?

実は、これは確か2005年にムーティとウィーンフィル来日の時に、オリジナルのフェスティバルホールでも経験している。
そのときは、確か5列目か7列目ぐらいだったが、だいぶ左端だった記憶がある。
モーツァルトの協奏交響曲と、シューベルトの3番と未完成。3番がメインディッシュという、不思議なプログラム。
シューベルトの3・8というとクライバーの数少ないレパートリーであり、ムーティとクライバーは仲良し。2004年にクライバーが亡くなっていることから、オマージュ的な意味合いがあると、いま書いていたらますます思う。
ただ、当時ヒマだったので、共感できる仲間が欲しくて、2ちゃんねるにその種のことを書き込んだら、バカ発見的なシニカルな反応があった。すると、「まあまあ、こういう話題を書くのもいちいち批判してたら、だれも書くことなくなるんじゃあ」みたいなフォローが入った。
けっこう傷ついて、そういったこと以降2ちゃんねるにはあまり書いていない。

さて、その時の感想だが、ホールが変わってもCDのウィーンフィルの音がしていたことに驚いたのと、キュッヒルが禿げ頭とメガネできちんといたことに感銘を受けた。
しかし、それ以外は、ボリュームが小さいなというのがひとつ。この日はプログラム的に小編成だったのかもしれないのと、だいぶ端という意味で、音源からやや遠かったか。ウィーンフィルは室内楽的に小さい音のオケなのかな?、とも思った。
協奏交響曲は、いまでこそウィーンフィルの至芸が味わえるなと思えるが、当時の私は聴きなれないもの。
逆に、シューベルトはクライバーへの思い入れが強すぎて、未完成は悲劇性が足りない、3番は軽やかさがぜんぜん失われた、と、不満が募った。
アンコールのフィガロの結婚序曲だけが、華やいで歌劇場オケならではの名演と思えた。

あとは、コンサート中に、舞台裏でオケのメンバーが別日の曲を練習している音がけっこう聴こえていたと思う。こんなことが許されるんだと。3万円前後のチケットである。しかもこっちは人生かけて聴きに行ってるので、落胆した。
ただ、ウィーン学友協会は、小ホールでコンサートを聴いていると、大ホールの音が少し聴こえてきた。古い設計で、遮音性が悪いのである。忙しいオケのメンバーとしては、常識だったのかもしれない。

総じてガッカリしたというのが記憶である。

実は、学生時代にウィーン国立歌劇場で2回聴いているのだが、これは当時インターネットが発達してなかったので、現地でチケット購入したことから、遠くの立見席だったので、オーディオのほうがはるかに良いという感じ。

そんなこんなで、長くクラシックコンサート自体から引きこもってしまっていて、昨年仕事が一段落して、気まぐれにラトルとロンドン響のコンサートに行って、よかったのでまた通いたくなった。
ウィーンフィルは再挑戦である。


コメント

mixiユーザー2019年11月11日 20:22

いろいろ行かれてますね。小生が行った外国の一流オケはブロムシュテットとSKDです。最前列の端に当たってしまい、何やらよくわかりませんでした。それ以来大阪の地元オケ、学生オケ、アマオケばっかりですね。


mixiユーザー2019年11月12日 00:09
> mixiユーザー 

昔のフェスティバルホールは、3列目までは中央でも安い設定だったので、朝比奈さんのブルックナー等に足しげく通いました。大阪フィルでも演奏によっては十分いいとわかっているのですが、たまにCDで聴いているような有名どころを聴くと、CPは低いが「本場」の味を感じるのでした。


mixiユーザー2019年11月13日 13:23

生のコンサート、特にクラシックは当たり外れが大きいです。演奏家の気合、オケの構成とホールの広さ、聞く位置、自分の体調などが関係するので、S席買っても生は最高なんて中々ありません。

部屋の広ささえ確保できるなら、過去の伝説の名演奏を好きな時間に聞けるオーディオの方がコスパはずっと高い、というのが私の結論です。


mixiユーザー2019年11月14日 01:37

> mixiユーザー 

そうなんですよ。次回そのあたり書きます。
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1973623206

10. 中川隆[-15234] koaQ7Jey 2019年12月03日 11:14:57 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2303] 報告

メータとベルリンフィル ブル8ライブ(1)


ウィーンフィルについて数か月準備してきて、実演聴いて感想もまとめていたのだが、4日後のベルリンフィル公演に、前日チケット買って参加。
これがけっこう衝撃的で、ウィーンフィルの感想がふきとんで、しばらくウィーンフィルの音の印象をもとにオーディオでクライバー再生していこうと思っていたのが、ブルックナーを続けて聴く日々。
感想も、ウィーンフィルのものより先に、ベルリンフィルを上げたいと思う。

参加した経緯。
まず、メータとベルリンフィルで、まあ興味はあるが、メータはイスラエルフィルで2〜3回聴いている。低音が分厚く、弦が強烈に濃いのが美点だが、当時の私の受容力不足か、マラ9などの黄金プログラムで、席もよかった記憶があるが、それほど感銘を受けていない。
ニューイヤーコンサート含め、しばしば聴いているが、やはり低域が分厚くサウンドは堅固で美しいが、あまり感動することもないかなと。
例外は、アシュケナージとウィーンフィルとの、ベートーヴェン協奏曲4番。メンタルが不調の時に、こればかり聴いていた時期があった。

プログラムは、ブル8の日と、エロイカとRシュトラウスの日と。
ブル8については、宇野功芳氏の、「メータのブルックナーに期待したがガッカリした」という悩み相談への、「メータのブルックナーなど、聴きに行く方が悪い」「知らなかったとは言ってほしくない」という有名な放言がある。
ベルリンフィルの英雄実演は聴いてみたいし、Rシュトラウスもあまり聴いていないので、新鮮かなと。

価格については、ほとんどS席だが、43000円。1991年にアバドとベルリンフィルを聴いたときは、確か25000円前後だった。ティーレマンとウィーンフィルでも37000円で買っている。
クルレンツィスの現代最先端の話題公演で1万円台だった。
金銭感覚からして、これはない。
ウィーンフィルとベルリンフィルを1週間以内に、似た環境で聴き較べるのは、オーケストラファンにとっては最高の贅沢だろう。
私には、ROLEXの時計みたいなもので、腰が引けてしまった。

そもそも、平日の勤務時間を空けるといろんなダメージがあるので、物理的に無理という可能性も。転職後2年目に、当時どうしても行きたかったシエラ・ボーゲスのソロコンサート(東京の大手町)が、休めず行けなかった。

トータルで、特にブル8の日は、行く可能性は1%ぐらいになっていた。

急転直下行く気になった理由は、ウィーンフィルの公開リハーサルご招待というのに、行く気満々で準備していたのが、外れたというのが大きい。

なにかすごく食い足りない気持ちが残った。
大げさにいうと、ああ俺は選ばれない人間なのか、大事に温めてきた趣味のことでさえそうなのか、というぐらいに落ち込んだ。
すごく悔しくて、人任せの部分なんかに自分の満足を置いていてはいけないのじゃないか、どんなお金を払うとしても、そこは自分でコントロールできる部分だし、そこでこの不満を埋めようという気持ちが出てきた。

価格については、高いともいえるのだが、実は、仕事場からフェスティバルホールは30分以内で、追加の交通費は発生しない。
ブログなどで、東京の人が、ベルリンフィルのチケットを取れないことが続いたので、わざわざ大阪まで宿泊できた記事があった。今回は東京でも買えた気がするが・・・
当然、ベルリンまで聴きに行くことを思えば、またそこで良席ゲットを思えば、許せるか。
今回は、この価格でなかったら前日までに売り切れてただろう。

仕事については、さすがに前日なので、段取りはわかっていた。また、今年から、有休を5日取る法律のあおりで、休日出勤の代替遅出が奨励されている。会社に都合のいい話だが、その逆手を取って代替早退を申請。
いま業績は絶好調だが、入社以来有力者とバトルしてる影響で、評価など受けない。やることはやっていて失うものもない。休みやすいといえば休みやすい(笑)

ステージ近くの席でなければ大音量派の私は終わりだが、ブル8のほうは6列目の端が残っていた。宇野氏の毒舌の影響かもしれない(笑)
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1973699409

メータとベルリンフィル ブル8ライブ(2)


当日は、会議でいつもよりやや早く、演奏中の睡魔が心配。チョン・キョンファのときもそうだったが、今回はそれよりは1時間半マシ。
同じく早退したクルレンツィスの時も、コパチンスカヤの協奏曲は目が冴えたが、悲愴の2楽章は少し寝ていた。
「スタンフォード式 最高の睡眠」を読んで以来、風呂上がりに無理なく寝る習慣をつけているのでまあまあ。

小腹が空いたので、これも予防のため、ホール近くのパン屋兼喫茶店でサンドウィッチを求めたが、コーヒーメーカーが壊れているという。
で、コンビニでBOSS微糖を買ったが、出ると、「バリスタが淹れるコーヒーを」みたいな垂れ幕があり、「睡魔防止で、せっかくだし贅沢な気分になろう」と、BOSSをカバンに入れ、その店に。

メニューをみると、〇〇豆使用的な表示もなく、よくわからないので普通にアメリカンを頼むしかなかった。
これが550円で、インスタントと違いもわからず、急いでいるので舌先やけどしかける。
他の客も1名のみで、狭くて落ち着かない。

贅沢な気分とは程遠く、貴族的にお金を落として5分で退散。
水分はこれ以上は取らず、トイレには無理してでも行く。
ほんとに実演はコンディションに気を使う。。
チケットが4万もすると、前の週から風邪も要注意。

座席は、6列目だが右端のほうで、オーケストラをギリギリお尻から見る感じ。
横は座席ナンバーが2や3から始まるので、4列目や5列目ともいえる。
ウィーンフィルのときは4列目の中央に近いが、ステージもいっぱいに使っているので。左の弦の音中心に聴こえた。
前方は好きだが、そういう問題はある。

演奏だが、メータがゆっくり登場、あまりに遅いのでみると、杖をついている。
指揮台にも椅子がある。
メータというと、大柄で、威圧するような風格が印象的だったが、上半身の動きのみに制限されている。
演奏が始まると、これも「遅い」。また、音量も抑えられた印象を受ける。ウィーンフィルは音量は十分だったが、こちらは、弦楽器奏者6人並んでいてフルスケールにもかかわらず、音量があまり感じない。
記憶の中の、朝比奈大フィルのブル8、旧フェスティバルホールでの名演より静かである。

これは端と中央の違いなのか、わからないが、この状況で違う指揮ならもっとパワフルだと思う。

あまりにも静かでゆっくりした立ち上がり、老いたメータは大きな鋭い動きを取れない。
一体これからどうなっていくのだ、まあもう、すべてを忘れて、無限の時間の中でとことんこの演奏の速度につきあおうじゃないか、と決めたのだった。
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1973700471?org_id=1973699409


メータとベルリンフィル ブル8ライブ(3)
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1973701135?org_id=1973700471


ゆっくりしたテンポで、クレッシェンドも抑えられると、弛緩した演奏になる危険がある。
実際、1楽章から2楽章は、なんともいえない雰囲気だった。
老人の危険運転につきあわされているというか、指揮者本来の意図ではなくて、たまたま身体が不自由で遅くなっているという。
先日、ボザールトリオのピアニストという人が90歳越えで開いたリサイタルの映像をみたが、すごいとは思うが、指はもつれることもあり、繰り返し聴きたいようなものでもない。

そうだ、この日のメータも、CDになったらどう思うかは、ちょっとわからない。

このスローテンポが生きるのは、やはり3楽章。ゆっくり一歩一歩踏みしめて登った山から、太陽の輝きをみるような。

宇野評論で、ブルックナーは「うまく見せようとか、人工添加物のようなものを拒絶する」みたいなことを書いていて、だからカラヤンとベルリンフィルとかは絶対だめだ(朝比奈は素朴で最高だ)、ということも同時に書いてたかもわからない。
その評論は説得力のあるものだが、結局「老い」とブルックナーが相性が良いことも意味していると思う。
老いて身体が不自由になってきて、なお外面のカッコよさにこだわる人は少ない。カラヤンですら、アンサンブルの乱れが晩年は気になったし、悲愴感を出してもいた。

メータもつい数年前なら、自由自在のサウンドが作れただろう。しかし、こうして限られた動作の中で、じっくりと演奏されることで、虚飾がはがれ、ブルックナーの本質がみえてきたこともあるのかもしれない。

聴きものだったのは、この間延びしそうな危険なテンポを、じっくりと構築していくベルリンフィルの底力だ。
力任せにハイスピードにしたって、世界最高の性能をみせるだろうこの集団が、どれだけ抑えながら魅力を出していけるのか。
これはとても、誠実な音楽だったと私は思う。最大音量の時はかなりの力を見せたが、しかし、聴きものはあの静かな持続力だ。

ウィーンフィルを聴いて思ったのは、あの楽団は自分たちの音が強烈にあるということ。自分たちの歌やリズムや音色の枠を離れることはない。基本おっさんの集団だが、メイク済みの美女という感じで、そのキャラクターは絶対的。
よい指揮者は、それを利用しながら自分の個性を加えるということになるだろう。
この日のメータの指揮を受けても、きっとウィーンフィルなら、盟友でもありブルックナー正統でもあるので、強力な補整をかけて美しい歌にしただろうな、と思った。

でも私は、そんななめらかに美しいものを聴きたくはなかった。
この「老い」を、どうしようもない速度の低下を、そのままに受け止めながら、なんとか大曲をつくりあげるというその行為を、はらはらしながら聴いていたかったのだ。

宇野評論の影響で、朝比奈が正統で、メータのブルックナーなど異端だと日本人は思っていそうだが、今回記事を見ると、ウィーン大学でノヴァークに直接師事していたとか、戦後のカラヤンのブル8を学生時代に聴いて感激したとか、実はブルックナー演奏の生き証人みたいな経歴である。
サウンドの背後にきこえたのも、ラトルやアバドではなくカラヤンである。

こんな大家でなければ、ベルリンフィル相手にあのテンポは許されなかっただろう。
とはいえ、終演後に時計をチェックすると90分ぐらいだった。ノヴァーク版第2稿は短いみたいなので、それもあるだろう。
心理的には長かった。有名な、チェリビダッケのリスボン100分ブル8を聴きたくなる。このテンポは中毒性がある。

終演後、かなりブラヴォーもとんでいて、楽団員が去った後もメータが呼び出された。樫本大進と、確かオーボエの有名人が一緒に出てきたところに、この組織の関係の良さがみえた。これは、アバド時代の遺産だろう。

帰りの道では、年配の女性が「よかった〜」と2回つぶやいていた。
指揮者の体調不良というハンデが、皆で一緒に音楽に集中するきっかけになった気がした。
ライブでしか経験できないといいたいところだが、ベルリンフィルのサイトでは、このコンビのベルリン公演ブル8がみられるようだ。生放送でもみられたのかもしれない。

しかし私は、あの日の、ホールに流れる時間が、先が見えず止まりそうになったり、ぎゅっと凝縮されたりする様子は、2月のコパチンスカヤと並んで、かげがえのないものだったと言いたい。


コメント


mixiユーザー2019年11月20日 12:54

最近私は、生の良さはアンコールに最も現れるのかなと思います。前半にバイオリン協奏曲で、後半に交響曲のような構成だと、前半の協奏曲でもソリストによってはアンコールとして小品を弾きます。こういうのはCDでは聞くことが出来なくて、一期一会です。オケも慣れている曲をアンコールで弾くので、本題よりも良かったりします。逆におざなりな時もあって、そういう場合本番の方も冴えないですね。生はアンコールにあり、です。

mixiユーザー2019年11月21日 01:58
> mixiユーザー 

コパチンスカヤは、日本の現代作曲家のを弾きましたが、こっちがやりたいんだろうなと思いました。チャイコフスキーでなくて(笑)
ティーレマンとウィーンフィルは「快速列車で」?だったか、そんな感じのポルカ1曲。これも、シャンパンのようなというか現地の白ワインのようなというか、よいものでしたね。


mixiユーザー2019年11月24日 09:01

コンサートのチケットに4万円も出すと
なかなか客観的な感想書くのも難しいんじゃないでしょうか。
どうしても思い入れが強くなるというか。
ウィーンフィルとベルリンフィルを続けて聴くというのは
贅沢な経験ですね。
ガンか何かで、余命半年の宣告を受けたら
自分もそういう贅沢をするかもしれません。


mixiユーザー2019年11月25日 18:32
> mixiユーザー 

ありがとうございます。そのとおりだと思いますね。逆に、客も演奏家も、高額の動くイベントとして、実際神がかった感じになったり。晩年のカルロス・クライバーの登場のたびに神がかった感じになったのも、演奏家の凄さというより、イベントの希少性が熱気を生んだ、かえって本人に敷居が高くなったのではと思っています。
CDのほうが評論書く分にはいいですね。メータがどういう解釈でよかった云々は、客観的に書けないので、イベントの主観的な気持ちの動きを書いただけですね。

日記に書き忘れましたが、私自身、軽微ですが耳鳴りを経験し、健康寿命に恐れをもったというか、あと、ベルリンフィルはスルーのつもりだったのが、フェスティバルホールに6年ぶりとみたので、6年後は想像つかないなあと思って決めました。
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1973701135?org_id=1973700471

11. 中川隆[-15233] koaQ7Jey 2019年12月03日 11:24:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2302] 報告
「1,600万円のオーディオ装置」 2008.3.28

先日のブログにも書いたことだが、とある友人の紹介でオーディオ輸入業を仕事とされている方のご自宅を訪問させていただき、ご自慢の装置でいくつか音盤を聴かせていただいた。

何とスピーカーや高性能アンプ、CDプレーヤーなどで正味1,600万円ほどだという。地下1階の防音の効いた30畳ほどのリスニング・ルームにどっしりと鎮座している様は誠に神々しい。

あらゆるジャンルの音楽(J-Popから民族音楽風のもの、Jazz Vocal、クラシック音楽など)を耳にしたが、どうやらこのマシーンはオーケストラを聴くために調整してあるらしく、やはりクラシックのしかも管弦楽曲が抜群の音色で鳴っていた。レヴァイン指揮するサン=サーンスの「オルガン」交響曲第 2楽章冒頭やアバド&ルツェルン祝祭のマーラー「復活」冒頭、ドビュッシーの「海」第3楽章終結などなど、まるで目の前で実際に演奏されているかのごとくめくるめく錯覚をおこすほどの見事さであった。その彼曰く、

「世間の人は生演奏で聴くのが一番いいというじゃないですか。
確かに「実演」がベストです。でも、実演が必ずしも良い演奏とは限りません。先日などは3万円も払ってベルリン・フィルを聴きに行ったところ金管の何某がとちったものだからアンサンブルがガタガタになり、最低だったんですよ。
だから、名演を聴くならしっかり調整された最高のオーディオ装置で聴く方が良い場合が多いんです」と。

なるほど、確かにそう言われればそうかもしれない。ついでに彼が言っていたのは
「それまで名演だと思っていた演奏がこの装置で聴くと、特にオーケストラの良し悪しが手にとるようにわかるようになり、がっかりさせられることも多々ある」
ということ。ゲルギエフの「ハルサイ」などはその典型らしい。
へぇ、そうなんだと感心しながらもちょっと腑に落ちないなと感じる。


僕はSP復刻盤といわれる戦前録音された録音レンジの狭いCDを時折聴く。音質が悪いとはいえ感動させられてしまうのだから音の良し悪しを超越するエネルギーがあるのだろう。メンゲルベルクのチャイコフスキー「悲愴」やフルトヴェングラーのベートーヴェンなどはその際たるもので、今の時代に聴いてもその音楽の素晴らしさは最新録音盤を超える何かが確かにある。

「音」を聴きたいのではなく「音楽」を楽しみたいのである。音がいかに完璧に再生されるかに興味があるのではなく、心が震える感動体験がしたいのである。

確かにCD ラジカセじゃ限界があろう。でも、僕は今もっているオーディオ装置で充分だなと正直思ってしまった。そこそこ優秀な装置があれば音楽は「愉悦」を運んでくれる。そして何といっても、多少の瑕があろうと実演・生演奏のもつ波動が一番だ。

こう書くうちに以前柳田邦男氏が、「人生の1枚のレコード」と題するエッセーでメンゲルベルクの指揮するバッハの「マタイ受難曲」に言及し、その感動的な演奏に対する深い想いを書いておられることを思い出した。その中で「追記」された文章があり、それがとても印象的で、僕の今回の体験と何となく同じようなニュアンスを感じたので、その部分を抜粋させていただく。

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メンゲルベルク指揮のマタイ受難曲は、心を病んでいた私の次男・洋二郎も何度となく聴いていたレコードだった。1993年夏、自ら命を絶った洋二郎の遺体を病院から引き取って家に帰った時、偶然にもマタイ受難曲のアリア「主よ憐れみたまえ」がテレビから流れた。

「憐れみたまえ、わが神よ」をテーマ曲にしたアンドレイ・タルコフスキーの映画『サクリファイス』が、まさに終わろうとしていたのだった。私は、立ちすくんだ。それ以後、マタイ受難曲は、私にとって人生全体をゆさぶられるような重い曲となっている。

なお、音楽美学やドイツ音楽史の専門家で国立音楽大学教授の礒山雅氏は、詳細な作品研究の著書『マタイ受難曲』(東京書籍)のなかで、メンゲルベルク指揮のこの演奏を、バッハの基本からはずれていて、とくにテンポの伸び縮みがあまりにも恣意的だと、きびしく批判し、

「聴いていて途方に暮れ」
「うんざりする」

とまで書いている。批判は演奏に対してだけでなく、聴き手に対しても向けられ、

「この演奏に感動して涙する若い聴き手がいると聞くのだが、そういう人はどうやって耳の抵抗を克服しているのか、知りたいものである」

と冷笑している。どうやら楽譜を読みこなす力のない私や息子は、マタイ受難曲を聴くには失格らしいのだが、音楽とは人生の状況のなかでの魂の響き合いではないかと考えている私は、「それでもメンゲルベルク指揮のあの演奏は私の魂をゆさぶる」という感覚をいまも抱いている。
「かけがえのない日々」(柳田邦男著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/410124913X/250-8550177-4320268?ie=UTF8&tag=asyuracom-22&linkCode=xm2&camp=247&creativeASIN=410124913X
より

http://classic.opus-3.net/column/16002008328/

Willem Mengelberg [Matthäus-Passion]

Johann Sebastian Bach (1685-1750)
Matthaus-Passion BWV 244 (1727)
Willem Mengelberg & Concertgebouw Orchestra - 1939
https://www.youtube.com/results?search_query=Mengelberg++Matthew+Passion+
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9021434

12. 中川隆[-15232] koaQ7Jey 2019年12月03日 11:31:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2301] 報告
クラシックの核心 片山 杜秀 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E3%81%AE%E6%A0%B8%E5%BF%83-%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F%E3%81%8B%E3%82%89%E3%82%B0%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89%E3%81%BE%E3%81%A7-%E7%89%87%E5%B1%B1-%E6%9D%9C%E7%A7%80/dp/4309274781

「フルトヴェングラー」の章では「音は悪くてかまわない」と、小見出しがあって次のような記述があった。(137頁)

「1970年代以降、マーラーの人気を押し上げた要因の一つは音響機器の発展があずかって大きいが、フルトヴェングラーに限っては解像度の低い音、つまり『音がだんごになって』聴こえることが重要だ。

フルトヴェングラーの求めていたサウンドは、解析可能な音ではなくて分離不能な有機的な音、いわばオーケストラのすべての楽器が溶け合って、一つの音の塊りとなって聴こえる、いわばドイツの森のような鬱蒼としたサウンドだ。したがって彼にはSP時代の音質が合っている。」

オーディオ的にみて興味のある話で、そういえば明晰な音を出すのが得意の我が家のJBLシステムでフルトヴェングラーをまったく聴く気にならないのもそういうところに原因があるのかもしれない。

通常「いい音」とされているのは、端的に言えば「分解能があって奥行き感のある音」が通り相場だが、指揮者や演奏家によっては、そういう音が必ずしもベストとは限らないわけで、そういう意味ではその昔、中低音域の「ぼやけた音」が不満で遠ざけたタンノイさんだが、逆に捨てがたい味があるのかもしれないと思った。

「いい音とは」について、改めて考えさせられた。
http://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/9426791e31fc7636d184b63f894b6d3f

13. 中川隆[-13132] koaQ7Jey 2020年3月04日 11:40:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[400] 報告
「真空管アンプと音の響きについて」のネット記事の紹介
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/2c67fa684e71ad82afe94a6cfedd509c

「真空管アンプは、真空管の差し替えで音が変わります。最近私は真空管アンプに注目していますが、それは音源がPC/ネットワークオーディオになると、ますます潤いや音を作る楽しみが小さくなってしまうからです。

たしかに、PC/ネットワークオーディオでもケーブルを変えたり、再生ソフトを変えると音が変わるのですが、カートリッジの交換だけで1枚のレコードがまるで違う歌のように雰囲気までがらりと変わってしまったアナログ時代の音の変化とは、何かが根本的に何か違うように感じています。

デジタル時代の音の変化は、音の細やかさや透明感、立体感など「音質」に関わる部分で、音楽の雰囲気つまり「情緒」に関わる部分での変化が少ないように思います。

また、アナログ時代には「再生時の音作り」で生演奏よりも素晴らしい雰囲気で音楽を楽しめたのに対し、デジタル時代ではどう頑張っても生演奏を超えられないように思うのです。このアナログとデジタルの根本的な違いは、「響きの差」から生まれていると考えています。

音楽は響きの芸術です。音楽は、音の響きが多いか少ないかで情報量が変化します。良い例が「クラシック・コンサート」で、響きの美しいホールでなければ情緒深く美しい演奏が奏でられません。

演奏をより美しくするためには、楽器そのものの響きをさらに「響かせる」ことが必要です。音源がアナログオーディオの場合、再生プロセスではレコード盤そのものの響き、カンチレバーの振動など録音されていない「響き」が盛大に発生します。それを「味方」に付けることで音楽的な情報量を増やしたり、演奏の味わいを深められるのだと私は考えています。

ところが音源がデジタルになると、この「響き」が生み出されなくなります。アップサンプリングやビット伸長を行うことで音の細かさは向上しますが、響きが増えることはありません。

これが再生プロセスの芸術性でデジタルがアナログを超えられないと考える理由です。デジタルの音はアナログよりもあっさりしている、アナログのような暖かさや情緒深さが感じられない、立体感に乏しい、これらはすべて「響きが足りない」からだと考えられます。

このデジタルで不足する「響き」を補えるのが、真空管アンプです。今回のテストから明らかなように、真空管が音楽信号に呼応して響き、音楽の味わいを深めます。プレーヤー(音源)で響きを作るすべを封じられた今こそ、真空管アンプに注目すべきだと私は考えています。」

つまり、CDにしろSACDにしろさほどの変化を感じられなかった原因は「音の響き」がプアなせいだったのか、と思い当たった。

我が家の場合は、いまさらレコードに戻るのも億劫だしデジタルの音を「真空管アンプ+昔の高能率のユニット」で鳴らす方が「音の響き」にとって丁度いい塩梅だと勝手に思っている。

デジタルもアナログもそれぞれ長所もあれば弱点もあるので、長所をいかに伸ばし、弱点をいかにカバーするかが、ありふれたことだがオーディオの王道なのだろう。

そういえばオーディオ誌などを見ているとシステムや機器の「弱点」に触れている記事はまず見かけないのでうかつに信用できない。

たとえば「響きが足りないデジタルの音を響きの少ないTRアンプで鳴らす」風潮などがそうで、オーディオが衰退の一途をたどっている一因もその辺りにあると推察している。

https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/2c67fa684e71ad82afe94a6cfedd509c

14. 2020年9月21日 19:13:02 : LRsxCcIg7A : TDBiLmtTMHg5Wlk=[37] 報告
ホールの残響時間


2020年 08月 29日
カソリック教会とプロテスタント教会は、水と油です、いや宗教の話じゃあなくて、オーディオの話なんですが(汗)、の巻。
https://mitchhaga.exblog.jp/31616875/

音楽を聴く上では、ホールの響きは重要です。ホールの響きを表す簡単な指標の一つに、残響時間があります。


https://mitchhaga.exblog.jp/dialog/images/viewer/?i=202008%2F29%2F04%2Fc0257904_13231221.jpg


前々回の記事で、クリュイタンスのCDセットを扱ったのですが、その際、『教会というと、すぐ残響が豊か、とか思いがちですが、考えてみると教会だって、説教主体なら残響が少ないほうがいいです。プロテスタントはカトリックよりも説教が多いんでしたっけ?どちらもドイツ(プロテスタント)の教会ですから、そんな関係もあるのかもしれません。』と書きました。

この問題を、今回は実証的に調べてまいりましょう。まずは、記事冒頭の画像のグラフです。

これは、"Church Acoustics and the Influence of Occupancy", Article in Building Acoustics, Victor Desarnaulds et al., March 2002、から引用したものです。ヨーロッパの教会6箇所を対象にしています。それぞれ、occ満席時、non occ空席時、の2種類のグラフを示しています。合計12本のグラフが描かれているわけですね。それで、だいたい上から、すなわち残響の多い方から、並べるとこうなります。

教会名、所在地、国名、宗派、容積(立方メートル)、席数
Sacré-Cœur, La-Chaux-de-Fonds, Switzerland カソリック 9,137㎥ 183席
Fille-Dieu, Romont, Switzerland カソリック 5,600㎥ 124席
St. John, Porto, Portugal カソリック 6,048㎥ 200席
Pasquart, Bienne, Switzerland プロテスタント 4,472㎥ 114席
Cheseaux, Cheseaux, Switzerland プロテスタント 575㎥ 53席
Romanel, Romanel, Switzerland プロテスタント 477㎥ 28席

全体に容積が小さな教会ばかりなので、この点には注意する必要がありますが、まずは、みっちの気づいた特徴を箇条書きします。

1.カソリック教会の残響時間は、プロテスタント教会のそれよりも、一般に長めである。

2.音楽ホールの一般的な数値、「周波数1,000Hzで残響時間3秒以下」に近いのは、プロテスタント教会ですね。

なお、有名ホール・歌劇場は15,000立方メートル以上で、席数も2,000近いでしょう。それらに比べると、規模が小さいことは頭に入れておく必要があります。
有名ホール・歌劇場では、空席時でも、1,000Hzでの残響時間が3秒を越えるところはまずないです。

あちこちのホール・歌劇場のデータはここです。
https://mitchhaga.exblog.jp/25317983/

そういえば、オーディオ・マニアには有名なドレスデン・ルカ教会、ベルリン・ダーレムのイエス・キリスト教会、それにグリューネヴァルト教会、いずれもプロテスタント教会でしたなぁ。

あと、日本の教会はどないじゃい、ということなんですが、永田音響設計さんのページに、こんなグラフが載っていました。

https://mitchhaga.exblog.jp/dialog/images/viewer/?i=202008%2F29%2F04%2Fc0257904_13232049.jpg


カソリック教会とプロテスタント教会は、水と油です、いや宗教の話じゃあなくて、オーディオの話なんですが(汗)、の巻。_c0257904_13232049.jpg
浦上天主堂はもちろんカソリックですけど、あとはみなプロテスタントですね。日本では、カソリックだからといって、特に残響時間が長いという傾向はなさそうです。また、霊南坂教会の新旧(1985年に建て替えられています)を比べると、残響特性はぎょっとするほど異なり、響きの継続性というか、伝統はあまりないのかな、と失礼ながら思ってしまいました。

参考:
ダーレムのイエス・キリスト教会
https://mitchhaga.exblog.jp/26462806/
ドレスデンのルカ教会
https://mitchhaga.exblog.jp/25372931/

https://mitchhaga.exblog.jp/31616875/

15. 中川隆[-11236] koaQ7Jey 2020年9月21日 19:15:26 : LRsxCcIg7A : TDBiLmtTMHg5Wlk=[38] 報告
GRFのある部屋 2020年 09月 08日
https://tannoy.exblog.jp/31356931/

音場の話 1

最近、ここで使われている「音場とはなんですか?」というご質問がありました。「音場」という言葉を、しっかりと定義しないと意味や真意が伝わらないと思いました。最近、スクリーンを導入してサラウンドの実験をしていると、従来使ってきたクラシック音楽、とくにオーケストラの音場の意味を説明しないと誤解されると思ったからです。

クラシック音楽は、生の音を聞く芸術です。弦楽器の数や管楽器の本数も、曲によって編成が決まっています。オーディオでの再生はステージ上で演奏されるその「響き」を如何に、忠実に再現するかを問われます。周波数の範囲も、ヴァイオリンの最高音からコントラバスの最低音まで、6オクターブ以上の音程を再現します。

編成も小さな室内楽団ですと、第一バイオリンが8人ぐらいで、弦楽器が五部編成で、8・8・6・4・2の28名程度です。フルオーケストラだと、それが16人の16・14・12・10・8 の 60名の倍以上の編成になります。

それに管楽器が2管編成で10名程度、4管編成だと30名以上で、打楽器もいれると100名の大編成になります。その100名が、幅20メートル、奥行き約13メートルのステージの上に乗るのです。結構満員ですが、奥行きも結構あるのです。それらの大きな面積のオーケストラが、タイミングを合わせて、アンサンブルを構成し、あの大迫力の演奏を展開しています。

それらが、コンサートホールと呼ばれる、大きな箱状のホールでなるのですから、壁に反射して残響を付加します。オーケストラ自身から放射される音と、それらが壁に反射して、反対側のホールの奥へ数十メートル拡散していき、長い残響音を伴うのです。その音が、コンサートホール状で並んで、位置が決まります。その時、オーケストラが出して、その音がホールに響いている音の形態を、私の場合の「音場」と呼ぶのです。

PAを使わないで、コンサートホールに響いた音を、そのイメージを縮小するけれど、忠実に再現するとき音場が再生できます。ですから同じ編成の同じオーケストラだとしても、ホールが違えば違う音がします。

コンサートホールには、大きく分けて二種類のホールがあります。シューボックス型といって、四角い箱状のホールで、端にステージがあります。今ひとつは、ワインヤード形式と呼ばれる、ステージを客席が囲んでいる形状です。オーケストラの後ろには壁は無く、後ろに客席があるからです。サントリーホールやミューザ川崎、札幌のキララ、新潟のリュートピアなどです。最近はこの形式のホールが多くなりました。

シューボックス型は、オーケストラの後ろは壁ですから、音が反響しても客席方向に放射されます。一方のワインヤード型は、おとが拡散していき、残響の出方が違います。シューボックス型の方が特定の残響がつきます。その響きが良い場合、ウィーンのムジークフェラインとか、アムステルダムのコンセルトヘボウとかが代表例です。

ベルリンフィルハーモニーとか、サントリーホールなどのウィンヤード型が今や主流になっているようです。この二つでは形成する「音場」が随分と異なります。そして、録音されたオーケストラには、今ひとつの「音場」形式があります。それは、協会や中規模の録音に使用する会場が狭い場合、客席の座席を外して、その場所にオーケストラが展開している場合です。ウィーンのソフィエンザールやロンドンのキングスウェイホールなどがそうです。その場合、ステージにオーケストラが乗っているわけではないので、客席に展開したオーケストラの上にマイクを吊し集音しています。その場合は、オーケストラの真上から収録していますから、その録音を聴くとオーケストラの中に入って聴いているような音場が出現します。私がよく聴いているクレンペラーのマーラーの七番などがそうです。

またソフィエンザールのDECCA録音のショルティ・ウィーンフィルのワーグナーもそうです。それは、コンセルヘボウのようなホール残響の向こうにオーケストラがあるのでは無く、真下に展開している録音ですね。

これらの三種類の録音形式により「音場」の形式も変わります。それらの違いが正しく再現するには、録音されたときと同じような環境で再現することです。演奏会場で、マイクで集音された音は、そのマイクから放射されるように再生すると、元の音場が出現するのです。

その時集音しているマイクが、単一指向性か無指向性かで出てくる音場は異なります。またSP前方に放射されているホーン型のSPか、私のように無指向性のSPを使うと録音された音場がそのまま再現されてきます。家のSPでは、タンノイの同軸型のホーンが45度の内向きで、通常SPの後方に展開する音場が、交差する前方に出現します。ホーン型は正面(平行法)では、音場の再生は難しいです。

また、QUADのESL57のような平面SPでは、音場は出てきません。同じQUADでもESL63になると、同心円状にディレイが掛かっていて、タンノイのような同軸音場を再現します。57では音場では無く、音色を楽しむSPです。これは会場の中で聴いているのでは無く、ドアを開いたとき聞こえてくる音です。平面SPの楽しみ方は、二つの平面に挟まれた空間から、あたかも平面が続いているように中央に平面SPが出現してモノラルのように充実してオーケストラの響きがすることです。「音場」は出現しませんが、大好きなサウンドですね。
https://tannoy.exblog.jp/31356931/

16. 中川隆[-11202] koaQ7Jey 2020年9月23日 16:30:22 : VumBhQdrYQ : a1FlQUZBTWNFVUE=[61] 報告
「音楽&オーディオ」の小部屋

オーディオ意欲が減退する SP ユニット 2018年09月15日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/9c795a8b4ace56ec3221fc45bceb3fd9


口径30センチのSPユニット「トライアクショム」(グッドマン)が我が家にやってきたのは忘れもしない8月31日のことだった。

         

それから2週間、このユニットとじっくり向き合ってきたがおよそ欠点らしい欠点が見当たらないのに驚いている。いや、けっして自慢するつもりはありません。ありのままの感想です(笑)。

オーディオ機器の中でもスピーカーやアンプなどは「あちら立てれば、こちら立たず」みたいなところがあって、長所と引き換えに短所には片目をつぶるのが「我が家における常識」だった。他家でどうかはいざ知らず・・。

とりわけ「音像定位」と「周波数レンジ」はなかなか両立せず、たとえばフルレンジは音像定位にとって理想的だが周波数レンジではどうしても劣るし、2ウェイとか3ウェイシステムは周波数レンジは確保しやすいが音像定位の面でどうしても劣る。

どちらを優先するかはそれぞれの好み次第だが、このトライアクショムは「同軸3ウェイ」だけあって「音像定位」と「周波数レンジ」が両立している。もちろん口径30センチのユニットだから重低音を期待するのは無い物ねだりというもの。

生演奏とは違って電気回路を使ったオーディオ機器に100点満点を期待するのは愚かなことだと、ずっと割り切ってきたつもりだがその常識がまさに覆されんとしている(笑)。

ただし、一方では困ったことが起きている。

これまで我が家では「一つのエンクロージャーで3つのSPユニット」を入れ替えながら楽しんできた。

          

左からJBL「D123」、グッドマン「AXIOM150 マークU」、ワーフェデール「赤帯付きマグネット」だが、それぞれに捨てがたい味があって日替わりメニューのように重宝してきた。

今回、これに4番目のユニットとして「トライアクショム」が加わったわけだが、この出現で他の3つのユニットの出番がまったく無くなってしまったのである。

まあ、気分転換という面では存在価値があるかもしれないが「いい音」の基準とされるあらゆるポイントで凌駕しているのだからどうしようもない。

ちなみに、そもそも「いい音って何?」という方に、とあるオーディオメーカーの主張を載せておこう。異論がある方もいると思うがどうか「ワンオブゼム」として受け止めていただきたい。

「原音に近づく正しい音とは」

1 ボリュームを上げてもうるさくない音で会話が楽にできる。

2 音は前には出ない。後方に広がり自然に消える。

3 音像は左右後方に定位し、左右フラットに定位しない。

4 小さな音でも明瞭度が下がらない。

5 スピーカーの近くでも離れても後方でも音質、音圧の変化をあまり感じない(音は空気の波紋である)

6 音は思っている程、迫力、パワー感のあるものではない。

7 試聴上、歪(物理特性ではない)が小さくなると音像が下がり、音階、楽器の音色が正しくなる。

8 長時間聴いても疲れない。連室でも音が邪魔にならない。

以上のとおり。

しかし、欠点が見当たらないユニットも考えもので、オーディオ意欲が減退して張り合いを失うのも事実である。

これははたして贅沢な悩みなのだろうか(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/9c795a8b4ace56ec3221fc45bceb3fd9

17. 2021年11月15日 11:58:57 : WByHHcQUzE : c1RmRy5mVXdmMkU=[40] 報告
Date: 11月 14th, 2021
色づけ(colorationとcolorization・その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=35947

マスターテープに記録されている音をそのまま再現できれば、
素晴らしい音が得られるし、音楽的感動も得られる──、
オーディオに興味をもった人ならば、少なくとも一度はそう考えたことがあるだろう。

私もそう考えていたことがある。

再生機器というか再生系において何の色づけもなされず、
そして何の欠落も生じずに、
さらにまったついじることなく、
マスターテープに記録された音そのままを再生(再現)できれば、
それははたして、ほんとうにいい音、
それだけでなく聴いて感動する音が得られるのか。

いまだかつて、誰一人として、その音を聴いているわけではない。
それにマスターテープにどんな音が記録されているのか、
それを正しく把握している人がいるのだろうか。

菅野先生がよくいわれていた。
自分が録音したマスターテープであっても、どんな音が録音されているのか、
はっきりとはわからない、と。

さらにオーディオマニアはマスターテープの音が最上だと思っている人がいるけれど、
きちんとつくられたレコードならば、そっちのほうが音がいい、と。

録音した人ではない者が、マスターテープの音について語る。
それがオーディオの世界といってしまえば、それ以上いうことはないのだが、
オーディオ機器の開発に携わっている者が、大真面目に、
しかもまったく疑うことなく、そう主張しているのをみると、
一つだけ、その人に訊きたくなることがある。

マスターテープの音そのままの再生(再現)ならば、
音量はどうするのか、である。

音量調整をした時点で、音をいじったことになるわけなのだが、
こういう主張をする人にかぎって、そのことを無視している。
そのことに気づいているのか、気づいていないのか、
そこまでは私にはわからないけれど、音量調整は、
音をいじることではない、とでも思っているのだろうか。

http://audiosharing.com/blog/?p=35947

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