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日本が自滅する日 殺された石井 紘基 (著)  全文 3章 公共事業という名の収奪システム
http://www.asyura2.com/09/senkyo68/msg/1072.html
投稿者 たけしくん 日時 2009 年 8 月 27 日 20:43:13: IjE7a7tISZsr6
 

(回答先: 日本が自滅する日 殺された石井 紘基 (著)  全文 2−5 官企業の就業人口は、なんと四〇〇万人 投稿者 たけしくん 日時 2009 年 8 月 18 日 08:42:33)

日本が自滅する日 殺された石井 紘基 (著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569614140/asyuracom-22


第三章 公共事業という名の収奪システム

第一節 公共事業とは何か

 社会資本整備事業を独占する政府

 公共事業とは、普通に考えれば、公共の福祉のために必要な道路や鉄道、電
気、上下水道や港などの社会資本整備ということになろう。諸外国では、ま
た、以前はわが国でも、民間どうLが協力して、民間自身がこうした事業に取
り組んできた。そして、ごく基本的な社会資本整備のみ、政府の関与によって
行われてきた。しかし、わが国の場合、この三〇余年にわたり、公共事業とい
えばすべて政府の事業という固定観念が定着してしまった。

 かつて人々が分担して土地や労力を出し合って作ってきた地域整備も今では
すべて行政の事業に組み込まれてしまった。本来なら、基幹的な道路、鉄道、
港湾、空港と基礎的なエネルギー、通信事業によって一定の経済成長が達成さ
れたあとは、国家経済的観点から原則的に、多くの社会資本整備事業を市場経
済の領域に帰依させるべきであった。

 ところが、わが国では、電力やガス、鉄道、通信といった民営化された分野
でさえ、いまだ官(行政) の強い首枷の下にある。それどころか、高速道
路、港湾、空港から都市開発事業、住宅建設、農業土木、農業生産管理、金
融・保険事業やレジャー、娯楽、趣味の領域に至るまで、ますます広範な事業
が“公共事業”に組み入れられてきたのが実態である。

 この結果、「公共事業費」は膨張の一途をたどり、国際的にも自由主義・市
場経済の他の国々とは、ひときわ異なる様相を里するに至っている。先進資本
主義国では、これらは一般的に民間の事業となっている。政府が造る道路など
にしても税収の範囲内でできる最小限、必要不可欠なものだけである。

 私が見てきたもののうち、フランスのノルマンディー大橋の場合は、数年
前、その地方の企業経営者たちがイニシアティブをとり、商工会議所が主体と
なって計画し、資本調達を行って実現したものだ。この過程で市役所や政府は
行政面からお手伝いをしただけだという。ちなみに、「社会資本整備は行政が
やるもの」それを「公共事業」という、そんな国はどこにもない。

 財務省が定める「公共事業費」とは、財政法第四条に定める公債発行の対象
となるものだ。つまり、費目上は「公共事業関係費」(平成一二年度、九兆四
三〇〇億円) のみを指し、「施設費」(いわゆる“箱モノ”、同、一兆円
弱)は含まれない。維持・補修費や管理費、人件費等も基本的には入っていな
い。

 しかし一般的には、公共事業費といえば社会資本整備にあてられる歳出であ
るから、ここではこの意味で国の公共事業予算額を出してみる。国の一般会計
だけをみていたのでは前記「関係費」と「施設費」を合せた約一〇兆四〇〇〇
億円だけのように思える。しかし各種特別会計の中の公共事業費を集計し、合
算・純計するとほぼ一八兆円となっている。これに後述の“補助裏”の交付補
助を加えると、合計二五兆円超になる。

 一方、総務省は公共事業費について、一般的概念に近い捉え方をしている。

 総務省は「行政投資実績」(平成一二年三月、旧自治省公表)によって、全
国の公共事業予算額を直近の数字で約四七兆円(平成一〇年度)と算出してい
る。ここに現れた金額は、中央政府および地方団体によって、公共事業に支出
されたものを現している。この場合、公共事業とは、固定資産として残る道路
や港湾、鉄道などのいわゆるハード面での建設事業である。したがって“箱モ
ノ”も含まれる。しかしソフト面、すなわち維持・管理等は入らない。また、
特殊法人等の関係の公共事業に関しては、一部は含まれるが、含まれないもの
も多い。たとえば都市基盤整備公団や地域振興整備公団、住宅供給公社などが
作る団地や住宅事業、区画整理、土地造成事業のような特定地域や特定の人々
のための公共事業は除かれている。

 そのうえでこの「行政投資実績」は、国の公共事業費を一七兆四三〇〇億円
と記している。しかしこれは国が負担区分したもののみであり、地方公共団体
が主体となって行う公共事業(単独事業)に対する国の補助負担や、地方公共
団体が行う起債に対する国の交付補助、いわゆる“補助裏”も含まれていな
い。地方公共団体の単独事業に対する国の補助負担は、平成一二年度で約四兆
円弱、起債に対する“補助裏”は同じく三兆九〇〇〇億円であるから、全国の
公共投資実績額四七兆円のうち、少なくとも約二五兆三〇〇〇億円は国の予算
支出となる。

 さらに、実際には特殊法人が行っている公共事業はすべて国の予算によるも
のと考えるべきであるし(特殊法人等の公共事業費のうち「行政投資実績」に
含まれていない金額は五兆円以上と推計)、事業にかかる人件費をはじめとす
る維持・管理費も一体のものであるから、国が支出する公共事業費の総額は三
〇兆円を優に超えている (建設国債の利払い分も公共事業から出たものであ
るが、予算上の性格が異なるので除く)。


 国会審議を締め出す公共事業計画

 このようにわが国の公共事業は、借金の負担分を除いても年間に三〇兆超に
もなるのだが、その多くは「国権の最高機関」である国会や地方議会で審議・
決定されるものではない。国についていえば、計画の策定も決定も個別事業の
決定(箇所付け)も、内閣と省庁がやってしまう。

 全国総合開発計画は内閣総理大臣、公共事業の長期計画(図表3−1)は閣議
で決めるのである。それはなぜか。巨額の国民の税金を使う道路や新幹線、空
港や港湾、ダムなどの計画をなぜ国会が決められないのか。

 それは、これらの事業を、財政上の許容範囲をはるかに超えて、税収の五分
の三以上も使って展開していることと関係がある。つまり、行政が税金を使っ
てでも実施する必要がある事業は会計上「支出」すればそれでよい。買い物を
するのと同じである。道路を作るにはそれに必要な「支出」を計上する。公共
事業もこれなら何ら問題はない。一般会計という行政の正規の会計で処理でき
る。

 しかし、わが国では大量の開発事業を行うために、便宜上、特殊法人、特別
会計、財投などの迂回組織や別会計を使ってそれらを収益事業(投資活動)と
して展開したのである。かりにこれを一般会計で扱うと、これらが借金を原資
とする長期の投資活動であるため、予算の単年度主義を定める憲法上、疑義を
招くことになる。国会が、そうした予算なしにはできない長期投資活動を計
画・決定するとなると、法的整合性が失われる恐れがあるのだ。


図表3−1公共事業関係長期計画一覧          (単位:億円)

区 分 期間等 総事業費
治水事業7箇年計画 第8次:平4〜平8 175,000
第9次:平9〜平15 240,000
急傾斜地崩壊対策事業5箇年計画 第3次:平5〜平9 11,500
第4次:平10〜平14 11,900
治山事業7箇年計画 第8次:平4〜平8 27,600
第9次:平9〜平15 37,700
海岸事業7箇年計画 第5次:平3〜平7 13,000
第6次:平8〜平14 17,700
道路整備5箇年計画 第11次:平5〜平9 760,000
第12次:平10〜平14 780,000
港湾整備7箇年計画 第8次:平3〜平7 57,000
第9次:平8〜平14 74,900
漁港整備長期計画 第8次:昭63〜平5 24,100
第9次:平6〜平13 30,000
空港整備7箇年計画 第6次:平3〜平7 31,900
第7次:平8〜平14 36,000
住宅建設5箇年計画 第7期:平8〜平12 (千戸) 7,300
第8期:平13〜平17 6,400
下水道整備7箇年計画 第7次:平3〜平7 165,000
第8次:平8〜平14 237,000
廃棄物処理施設整備計画 第7次:平3〜平7 28,300
第8次:平8〜平14 50,500
都市公園等整備7箇年計画 第5次二平3〜平7 50,000
翠6次:平8〜平14 72,000
土地改良長期計画 第3次:昭58〜平4 328,000
第4次:平5〜平18 410,000
森林整備事業計画 第1次:平4〜平8 39,000
第2次:平9〜平15 53,800
沿岸漁場整備開発計画 第3次:昭63〜平5 4,800
第4次:平6〜平13 6,000
特定交通安全施設等 整備事業7箇年計画 第5次:平3〜平7 第6次:平8〜平14 道路管理者分 18,500 24,800
公安委員会分 1,650 2,100
合  計 1735,350
(除く住宅) 2,084,400


 わが国は財政法においても、当然、行政に投資のための事業を許容しない立
場をとっていて、財政の単年度主義を定め、計画経済を認めていない。それゆ
え、図表3−1に示した長期計画はいずれも“緊急”措置法の名称を冠してお
り、発足当初は五年で終了することを前提として認められた。それにもかかわ
らず“緊急”がすでに第八次、第九次と度重なり、数十年も続いている。

 昭和三五年にできた「治山治水緊急措置法」 の場合、“緊急”といいなが
ら現在はなんと第九次で、平成九年から同一五年までの七ヵ年計画とされてい
る。これは他の一五種類の“公共事業”も同じである。私は国会で、旧建設省
に対して「もう四〇年近くもやっているが、一体いつになったら 『緊急』 
は終わるのか」と問い質したことがある。その返事は、「現在はまだ一〇年に
一度起こる規模の洪水を防ぐ程度の計画だ。目標は一〇〇年に一度起こるよう
な規模の洪水を防ぐことだから、何十年かかるか何百年かかるかわからない」
というものだった。

 この間に予算額はどんどん増えている。治水事業七力年計画の場合、第八次
は一七兆五〇〇〇億円だったのに対し、第九次は二四兆円と六兆五〇〇〇億円
も増えている。年平均で、三兆四〇〇〇億円程度の 「既得権益」を保証した
ものになっているのである。


 「国民の声」を装う審議会
 
 “公共事業”計画の大綱は「国土審議会」 の答申として出される「全国総
合開発計画」 である。現在実施中の第五次「全総」は「二一世紀の国土のグ
ランドデザイン」として平成一〇年三月二七日に当時の橋本首相に答申され、
閣議決定された。これは政府が作った一三三頁におよぶ日本列島の開発計画で
ある。

 審議会は“学識経験者”三〇人まで、衆参議員一五名までの計四五名以内で
構成されることになっている。国会議員を入れているところがミソだ。私も平
成二一年まで委員をつとめていた。

 学識経験者と言ってもその定義はあいまいで、知事や市長など利益代表も入
っている。大多数の学識経験者は委員に首相から任命されるだけで“名誉”と
感じる、政府の“イエスマン”である。中には“ちょうちん持ち”もいる。会
長選任の規定はなく、事実上政府が決める。

 では、「二一世紀の国土のグランドデザイン」には何が書かれているのか。
前段の三分の一の部分には、「自然環境は、国民がゆとりと美しさに満ちた暮
らしを営む上で不可欠な精神的、物質的恵みをもたらす存在」といった、意味
不明だが、聞こえのよい美辞麗句を並べている。

 この部分は良識的な学者委員の顔を立てたものだ。しかし中段の“方針”部
分になると、「東アジア一日圏」とか「全国一旦父通圏」「地域半旦父通圏」
構想など、陸海空の全面的開発計画を打ち出している。後段にはさらに具体的
な地域、路線などまで列記してある。

 私は審議会の席上、「支離滅裂な内容」と批判したが、要するに政府の“公
共事業”政策は「国土の均衡ある発展」をめざし、日本中を高速道路と空港、
新幹線、コンクリートの港で埋め尽くすことなのだ。少なくとも論理的にはそ
う読みとれるのである。

 当時の国土審議会会長は国土庁事務次官OBの下河辺淳氏であった。総会は年
一回程度しか開かれず、通常は計画部会が設置され、地方の利益代表や学者が
委員となっていたが、議論の中身をリードし、まとめるのは省庁である。「審
議会」とは要するに、公共事業や補助金など本来行政の事務としては憲法上も
財政法上も予定されていないことをやるために「国民の声」を装い、カムフ
ラージュする機関なのだ。議会をのけ者に官庁が直接、与党・族議員と組んで
予算配分を行うための仕掛けが「審議会」なのである。

 太田誠一総務庁長官(当時)は私の批判を受け入れ、二一二もあった審議会
を見直し、このうち一一八を平成一三年から廃止することにした。この中で確
かに「水資源開発審議会」や「潅漑排水審議会」など悪名高い審議会がいくつ
か廃止された。しかし、肝心の「国土審議会」や「運輸審議会」など統合的立
場のものは厳然として残っている。その上、廃止されたものの替わりに「社会
資本整備審議会」などが新設され、数は減っても機能はまったく変わることな
く維持されている。

“借金”で行っている公共事業

 第一章で国会と予算審議について説明したが、こと公共事業予算については
国会には審議権がないのと同然である。つまり、どこに何を建設し、それに、
いくらカネをかけるかという箇所付けは、省庁や特殊法人などの事業主体が決
めるのだ。そして、たとえば高速道路建設の区間名、土地買収費、建設工事
費、採算性などを、国会でいくら問い質しても国土交通省は絶対に出さない。
水資源公団が作るダム建設費にしても、どこの何というダムに建設工事費、土
地買収費、補償費等がいくら計上されるのか、事前には絶対にいわないのであ
る。

 しかし、実際には、各省庁で道路も空港も港もダムもあらかじめ示し合わせ
て予算をはじき出した上で政府予算を組み立てている。だから、予算が通過す
るや否や、省庁と行政企業は“予定通り”、「公共事業」 の予算配分表を“
解禁”しオープンにするのである。ここにも国の運営における抜き差しならな
い論理矛盾があり、憲法違反がまかり通っている。

 憲法第八三条には「国の財政を処理する権限は、国会の議決に基いて、これ
を行使しなければならない」とあるのが無視されているのだ。

 わが国公共事業の特徴の一つは、行政が建設国債や赤字国債の発行、あるい
は、財投により、“借金”で行っていることである。「将来は収益を得て返せ
る」という投資・収益活動の発想である。ここに基本的な矛盾があり、国会審
議に付せない理由もある。また、これが今日の借金漬け財政の要因ともなって
いる。しかも、公共事業の多くは地方を巻き込んで行われ、地方公共団体はそ
の負担分を、これまた地方債の発行によって賄うことになるので、地方財政破
綻にも繋がっている。

 さらに、公共事業は自然を破壊し、人類と生物の生存そのものを脅かす。人
間の心の破壊も進む。議会における決定でなく、権力(政府) の“指令”で
決まる“公共事業”は、議会を経ない強制収用や納付の義務などにより財産権
や住居権、生活権などの基本的な権利を侵害する。情報が隠秘され、参加の権
利が与えられず、抗告の手段もない状況の下で強行される多くの“公共事業”
は、人心を乱し民主主義の破壊に繋がるのである。


 金力は権力、権力は金力

 国家予算の「支出」は、その大部分が補助金及および公共事業費として実行
される。この方法こそ政官癒着の利権構造の財政的制度的温床であり、国民の
税金を地下水脈から政治へ還流させる仕組みそのものである。だから、公共事
業や補助金を受け取った先から上前をはね、かすめ取ってくる政治家が多い。
その金は権力になり、権力は金になる。「権力は金力なり。金力は権力なり」
である。

 鶏が先か卵が先か。古くから大物と言われる政治家は通常、地位を用いて大
金を作り大臣になり、さらなる巨満の金を作り派閥を作る。そして、与党の中
枢に座り、もっと大きな予算を動かすようになるのである。いま現在もそうい
う議員が何人かおり、「将来の首相候補」と取りざたされている。

 平成二年分の政治資金状況をみると、政党や政治家が党費以外の個人から集
めた寄付金の割合は、ごくわずかに過ぎない半面、公共事業や補助金の恩恵に
あずかる企業・団体から集めた資金は一一一億円にのぼっている。また、政治
家個人が集めた企業・団体献金の額は報告された分だけで一〇八億円であっ
た。

 隠れている企業・団体献金は「使途秘匿金」として、その一部が現れてく
る。平成一一年七月から平成一二年六月までの一年間に税務署が確認できた企
業の「使途秘匿金」は二七九六件、一三〇億円であった。一年間の企業・団体
献金の総額は判明しただけで三五〇億円に達する。ここには、公共事業を請け
負う土木建設関係の六〇万社と一万以上の公益法人、業界団体などを経由して
税金が間接的に流れ込んでいるに違いない。企業・団体献金は一定の枠内で税
の免除措置があり、業界団体(政治連盟)の献金も無税扱いとなっている。

 ちなみに、国から政党に支払われる「政党助成金」は平成一一年度三一四億
円であった。

 私は、補助金と公共事業という制度が、いかに政治のために利用されている
かを示すため、自民党総務局長だったS代議士について調査させていただき、
国会で追及した。私が平成一二年八月八日、衆議院決算行政監視委員会で公表
した内容は以下の通りである。

 S氏が北海道開発庁長官をしていた平成九年と一〇年、彼の政治資金収支報
告書に基づき集計すると、それぞれ一四〇〇社ほどの企業から約二億一〇〇〇
万円、二億六〇〇〇万円、二年間の合計で約四億七〇〇〇万円の企業献金を受
けている (自主的に申告したもののみ)。これら献金している企業は、ほと
んどすべてが官公庁から工事を請けることを業としている。

 このうち、S氏が直接予算配分および工事契約の権限を持つ北海道開発庁の
工事を請け負った企業数と献金額は、平成九年が二七五社で六四八四万円、平
成一〇年が四〇〇社で八九四五万円。合わせて延べ六七五社(実数四四二
社)、一億五四二九万円である。企業数も金額も長官に就任した平成九年より
翌年のほうが大幅に増加している。

 この調査結果は何を意味しているのか。北海庁開発庁を通して発注される年
間の公共事業予算一兆円余りのうち、二年間で少なくとも一億五四二九億円が
S氏に還流したということである。

 こうした誰が見ても贈収賄であることが日本ではまかり通っている。受注企
業側は「仕事が欲しい」「来年も仕事を切られたくない」「意地悪をされたく
ない」などの理由で献金する。他方、受け取る政治家の方も、自分の職務上の
権限に相手が期待して献金することを当然意識している。あるいは、職務上の
権限を相手企業に期待させて献金を求めるはずである。これは国民にたいする
背信行為ではないか。平成二年、不況が深まるなかでS氏への企業献金は三億
五〇〇〇万円を超えた。わが国の制度では、こうした行為は司法の場において
立件することがなかなかむずかしい。当事者間で極秘裏に行われる「請託」に
対する具体的な証拠がなければ立件されないのが通例であり、このため、こう
した事実上の贈収賄がまかり通っているのである。

 S氏の場合、北海道上川支庁管内の大がかりな「官製談合」事件で、公正取
引委員会が摘発し排除勧告した企業四二社からも政治献金を受けている。弱い
立場に置かれている企業だけが指弾され、政治家や行政は責任を問われない日
本のシステムの下に、税金が止めどなく政治に還流し続けているのである。


第三章 公共事業という名の収奪システム

第二節 高速道、港湾、空港、農道の実態

 ラジコンの遊び場となった農道空港

 農道空港は、昭和六三年に「流通の合理化」「農作業の効率化」が“目的
の「農道離着陸場整備事業」として構想され、平成三年から八年にかけて人力
所が完成した。福島市の福島飯坂、岐阜県の飛騨、岡山県の笠岡、大分県の豊
肥(ほうひ)、北海道の十勝西部、北後志(しりべし)、中空知、北見がそれ
だ。これこそバラ撒き政治の端的な見本である。

 総事業費二二億八〇〇〇万円は当初、国が四九億円、都道府県が四三億円、
市町村が二一億円ずつ負担したが、政府は平成七年になって道、県、市町の負
担分を事実上肩代わりすることにした。地方の起債限度を負担分の五〇%まで
としていたものを、九五%まで可能と変更し、しかも、その元利償還の八〇%
を国が交付することにしたのである。これは地方負担がきわめて少ない「農
道」などとほほ同様の負担率である。

 予期された通り、野菜を運ぶ飛行機場などというバカげた話が現実に成り立
つはずはなく、平成二年度の年間利用回数は福島飯坂で三七回、北見で一七
回、中空知は一四回という惨たんたる状況となった。仕方なく各地とも空港を
「多目的利用」に変え、“スカイパーク”などの名称を付けてラジコン競技や
ジャイロプレーンなどの遊び場に利用している。また「ふるさと体験遊覧飛
行」や「ふれあい空港」などとうたっての遊園やイベントにときどき使ってい
る始末だ。

 農道空港は、予算の大部分を占めてきた農園整備や土地改良などの事業費が
減少してきた農水省が、「既得権益」を確保するためにひねり出したものとい
われている。「既得権益」とは、農水省の官僚や農林族議員のものである。
「農業」や「農民」が大事にされているわけではない。

 この事業は、農水省の会計課でさえクビを傾げたのに、旧大蔵省の査定を通
ってしまったといわれる。旧大蔵省も既得権益には甘いのである。

 北海道新得町では、町長が社長になって「西十勝フライト農業公社」なる第
三セクターを作った。平成二年の第一便は八月一八日、サヤエンドウ二キロ、
サヤインゲン八キロを積んで帯広空港まで運び、大阪と広島へ空輸された。

 これらは新鮮で、たいへん美味しかったというが、ある人がコスト計算をし
たら、ひとサヤ三〇〇円についたという話だ。陸上輸送と比べたコスト高から
空便での「農産物の輸送増は見込めない」といっているという。

 私が訪れた平成二二年九月には、斎藤敏雄町長は「農業用に飛行機をとばす
ことは年に一二回しかない、トラック輸送に比べてコストが高く、町の財政負
担も大きい」と頭をかかえていた。

 八ヵ所の農道空港の利用は平成二年度に七三八〇回であったが、そのうち農
業利用はわずか六%の四五三回に過ぎない。財務状況はどこも悲惨だ。

 福島飯坂は年間利用料収入がわずか四〇〇万円で、赤字の七五〇万円は福島
市が負担している。十勝西部では輸送による利用料はゼロ。体験飛行の収入が
五〇万円のみである。

 北見の場合もグライダー利用料が七〇万円のみで、赤字の八八〇万円は北見
市が負担している。豊肥では利用料収入二九〇万円、市の持ち出し二一〇〇万
円という。すべて、空港の大赤字を県や市町が負担する構図に変わりはない。


 強引な乱開発「スーパー林道」

 官僚たちがでっち上げたムダで有害なものの典型がスーパー林道(大規模林
道)だろう。私は平成一〇年二月六日、佐藤謙一郎代議士と二人で、朝日連峰
葉山のスーパー林道の現地視察に出かけた。目指したのは、朝日−小国区間全
長六四キロメートルの計画のうち、完成済みの一四・三キロである。佐藤氏は
「公共事業をチェックする議員の会」事務局長、私は「国民会計検査院国会議
員の会」代表だ。

 山形県のJR奥羽本線赤湯駅から、現地の市民運動団体「葉山の自然を守る
会」の人々が用意してくれたマイクロバスで二時間半、葉山連峰の愛染峠に向
かった。途中、白鷹町を経由して黒鴨林道入口からの約一時間一〇分は、細い
デコボコの登山道だ。

 ふだんクルマはほとんど通れない道であるはずだが、新しい多量の砂がまか
れ、大きなデコボコなどはならされていた。ふと見ると私たち国会議員が視察
に来ることを知った森林開発公団(現・緑資源公団)が雇った作業員たちが仕
事を終えて休憩をとっていた。スーパー林道は車が入れないところにあるとい
う批判をまぬがれたいという、公団の姑息な“気くばり”が感じられる。

 標高一〇〇〇メートルの山岳高地に忽然と巨大建造物遺跡群が姿を現すの
は、インカ帝国の遺跡である。私が愛染峠で目にしたのが、まさにそうした景
観だった。

 突如として幅七メートルを超える真新しい完全舗装道路が出現するのだ。そ
のスーパー林道は、まだ真新しく見えた。完成して何年もたっているのにクル
マは通っていない。そもそも、そのクルマの導入路がない。クルマが入って行
けない所にまですばらしい道路があるのである。

 朝日―小国ルートは、私たちの視察と農水省および林野庁への申し入れから
約二カ月後に中止が決定された。長年にわたり苦労して反対運動を続けてきた
現地住民や大石武一元環境庁長官、良識派の知識人たちの勝利だった。それに
しても、車の入れない道路は撤去されるのだろうか。

 自神山系朝日連峰の南部は急峻で緑の断層崖といわれ、ブナやヒメコマツな
どの植生の中に天然記念物のイヌワシやクマタカ、ツキノワグマなどを頂点に
した生物群集がある。この全国でも貴重な残された自然が守られ、数百億円の
さらなる税金が無駄に使われずに済んだのだ。

 スーパー林道は、昭和四四年に国土審議会が決定した新全総(新全国総合開
発計画)で策定された。全国七地域に大規模林業圏を設け、二九路線、二一〇
八キロメートル(北海道の端から鹿児島の先ぐらいの距離)の道路を、森林開
発公団が作るという壮大な構想だ。総事業費は七八〇〇億円とされていたが、
実際には当初計画の約五倍の四兆円近くなっている。

 森林開発公団は昭和三一年に発足した農林省の天下り特殊法人で、当時の設
置目的は紀伊半島(熊野川流域)と四国(剣山周辺)の林道開削だった。その
後、どんどん「目的」をデッチあげ、今日では、水源林や林道、スポーツ・レ
クリエーション施設を作るほか、貸し付けなどの金融事業まで行っている。や
りたい放題である。

 スーパー林道の当初の目的は、山間部奥地の天然林を伐採し、生産性の高い
樹種を植えることだった。しかし、計画はいい加減だった。建設が進むにつ
れ、大規模な自然破壊をもたらし、さらに林道の衰退、税金の使途の不透明、
地元自治体財政の圧迫などの問題を引き起こした。

 森林開発公団は平成二年に農用地整備公団を吸収、「緑資源公団」に改称し
た。森林を破壊する公団が「緑」を名乗ったのである。そして、今度は、山間
地と平野部の間を開発するという、余計な自然破壊を「目的」に追加した。平
成七年度末現在の財投からの借入残高は二七〇〇億円。八年度の政府からの補
助金は六〇〇億円である。大規模林道事業では、国が八割を負担するが、県が
一五%、市長村も五%の負担を強いられるため、地方自治体の借り入れも膨れ
上がっていく。


 狭い日本に一〇〇の空港

 公共事業を請け負う六〇万社にのぼる全国の土木企業に仕事を与える方法の
一つが、空港建設である。空港建設もまた広い範囲に予算を配分できる。滑走
路やターミナルなどの本体部分の他に、保安施設、駐車場、整備池、周辺道
路、河川改修、区画整備、緑地整備、農地開発、騒音対策、鉄道整備、通信設
備、商業施設、土地不動産などの事業に金が落ち、利権が生まれる。

 現在わが国にある飛行場は九三、建設中を含めると一〇一である。この中に
は地方の小規模なもの (調布、大分県央、枕崎等) や民間空港、米軍のも
の (三沢)、ヘリポートは含まれていない。

 空港建設費は特別会計等で処理され、各空港の財務に計上されないため、一
般に実際の財務状況はきわめてわかりにくい。

 しかし、建設費を別にして空港の運営だけを見ても、たとえば、庄内空港
(山形)の場合は、着陸料などの収入が三億円、人件費などを除く維持管理費
支出が三億二〇〇〇万円余である。大館能代空港のように収入一億円、支出四
億円余というところもある。

 国が第七次空港整備計画(平成八年度〜一四年度)で平成一二年度までの五
年間に注ぎ込んできた建設費は約二兆五〇〇〇億円。地方負担分はこの五分の
一弱だ。しかし、この金額の大部分は“使い捨て”なのである。

 借金で賄われた建設費に対する国と地方の負担は年間約六〇〇億円に達して
いる。こうしたコストが国際的にもダントツの空港使用料や航空運賃、そし
て、国民の税負担、“高狂”料金にバネ返っていることはいうまでもない。

“空港は県のステータス”といわれる。静岡県島田市と榛原町(はいばら町)
の間に計画された静岡空港は、県が事業主体の第三種空港として、平成一六年
完成をめざして建設工事が進められている。事業区域五三〇ヘクタールの半分
以上はオオタカやノスリなどが生息する自然地帯である。この建設計画に静岡
県内の一般住民はほとんど関心を持っていない。利用する可能性がないからで
ある。

 伊豆から東寄りの人々は羽田の方が便利だし、愛知県寄りの人は第一種空港
の中部国際空港が建設中だ。静岡近辺は東名も走っているし新幹線も通ってい
る。静岡空港が完成しても、成田や関空、羽田といった国際線や過密ダイヤの
空港とは繋がらないから、行き先は松山、高知、熊本などの地方空港にせいぜ
い札幌、沖縄という路線だ。

 県は開設可能性のあるローカル七空港と結べば一七八万人の利用が見込める
というが、県が主体で設置する五七の第三種空港のうち、三大都市圏との路線
以外で利用者が一〇〇万人を超えるのは観光スポットの石垣島だけだ。机上の
空論で「試算」を行い建設に突っ走るのは、馬鹿げたことである。

 県は建設費を二〇〇〇億円と言っているが、難航している用地買収の残り分
や標高二一〇メートルの山を八〇メートルも削り取った二七〇〇万立方メート
ルの土砂処理などで、実際の総事業費は少なくとも五〇〇〇億円以上になるは
ずだ。あらゆる大規模“公共事業”と同様に当初見込みの二・五倍から三倍の
金が必要になるのである。ちなみに昭和六三年に開港した岡山空港の場合も、
当初見込みは八〇〇億円だったが、できてみたら二〇〇〇億円かかっていた。

 静岡空港のような第三種空港の建設費に対する国の補助率は、本体が五〇
%、附帯施設が五〇%であるほか、地方公共団体の起債の元利償還に対しても
国の交付措置が定められている。国からお金をもらいたければ港を、ダムを、
飛行場を造りなさいという仕組みになっているのだ。とくに中央省庁出身の多
くの知事たちは、地元に金を回す方法は、公共事業を推進することであること
を、よく知っている。空港が必要なのではなく、公共事業が必要なのだ。

 神戸空港は昭和五七年に建設構想が発表され、平成五年に神戸市が事業主体
となる地方第三種空港として政府の整備計画が決定された。平成一七年完成に
向けて現在建設中である。総事業費は三一四〇億円で、空港用地を含めて二七
〇ヘクタールの埋め立てを行い、埋め立て地の売却や埋め立て用に山を崩した
跡地に団地造成を行って、事業費の大半を捻出する計画だ。

 平成二年春に、私がはじめて現地を視察したとき、すでに小高い山が一つ切
り崩されていたが、平成一二年末に行ったときもまだ二つめ(三つめ?)の山
を切り崩し、その土砂を延々と海まで続くベルトコンベヤーにかき上げてい
た。空港本体の建設費は目下のところ五〇〇億円である。

 神戸空港が完成すれば、阪神地区にはアクセス三〇分以内に関空、大阪空港
に次いで三つめの空港が出現することになる。現存の二空港でさえ運営が暗礁
に乗りあげ、様々な問題が表面化しているところに、どう逆立ちしても神戸空
港が立ち行くはずはない。一刻も早く建設を中止しなければならない。


 羽田の国際線利用の道を塞ぐ国土交通省

 運輸官僚の主張が合理性をまったく欠いているのが、羽田空港の場合であ
る。一兆五〇〇〇億円をかけた沖合展開は完成し、すでに二四時間運用を実施
しているのだから、夜間は国際便に利用するのがもっとも合理的である。しか
も三〇〇〇万人の人口を持つ首都圏メガロポリスの空港として、成田の能力は
あまりに過小である。

 成田の年間発着能力が年一三万回なのに、ニューヨークは二カ所の国際空港
で七四万回、ロンドンは五九万回である。羽田を国際線に利用すれば、首都圏
はニューヨーク、ロンドン並みの玄関口を用意することができるのだが、羽田
の国際線利用に踏み切れない。その理由はただひとつ、成田を国際空港として
建設してきた運輸官僚のメンツである。

一方、関西空港を経営する第三セクター「関西国際空港会社」 (大阪府泉佐
野市) の累積赤字は平成一二年度末で一七三〇億円に達した。平成一〇年度
末には一三三三億円であったから、二年で四〇〇億円も膨らんだことになる。
旧総務庁が平成一二年一月二七日に発表した同社の財務調査結果だ。同社は空
港島の建設費(一期事業分) にあたる一兆五〇〇〇億円の七割を借入金でま
かなったため、年間四〇〇〜五〇〇億円の金利負担に苦しんでいる。

 平成二年には黒字となり一五年には配当ができるという当初の約束には、ほ
ど遠い現状だ。需要予測は大幅に狂っている。着地料収入も予想を下回り、今
後の伸びは期待できない。旅客ターミナルビルのテナントも撤収があい次ぎ、
テナント科収入は減少傾向に転じている。関空会社の累積赤字は、今後膨らむ
ばかりで、解消される見通しは皆無といっていい。

 関空でさえ赤字体質だというのに、平成一〇年には中部新国際空港建設が着
工された。空港建設の事業主体は、成田が公団、関西空港は第三セクターの特
殊法人であるが、中部の場合、形の上では民間がほぼ全額出資する株式会社に
なった。

 国は特殊法人を通して資金を出すが、そのほとんどを将来の返済が必要な貸
付金とせず、空港用地を事業主体会社と共有するための代金として拠出する。
このため当面は返済を求めないとされている。総事業費は八〇〇〇億円で、そ
のうち三二〇〇億円は無利子資金。うち二一二三億円は国に頼る。このほか四
八〇〇億円の有利子借入金を使うが、これについても政府保証をつけるなど、
国への依存度が強い資金計画となっている。

 東京−名古屋、東京−仙台の両航空便は、新幹線との競争力がないことが実
証されて姿を消した。中部新空港が関空以上の営業成績を出すのはまず無理
で、国のカネをどんどん吸い込んでいくブラックホール的な事業となる公算が
大きい。それなのに、なぜ中部新国際空港なのか。「中部エゴ」はわかるが、
旧運輸省がわざわざそこに一枚かむのには“政治”の見えない事情があるのだ
ろう。


 「一〇〇億円の釣り堀」を作る港湾建設事業

 旧運輸省が所管する港は、重要港湾一二三、地方港湾九六〇の計一〇八三ヵ
所である。このうち運輸省予算が投入されているのは毎年四百数十から六〇〇
ヵ所前後となっている。約半数の港で毎年毎年、工事が行われており、六〇〇
〇億円から六八〇〇億円が使われているのである。

 現在進行中の第九次七箇年計画は、事業費が七兆四九〇〇億円である。年間
の港湾関係予算は平成一二年度で一兆二七三六億円で、うち国費は九六四四億
円だった。このうち港湾整備のみを取り出せば六三九九億円、国費が三五七五
億円となる。

 港湾事業といっても新たな港を造ることはめったにない。限られた海岸線に
は、もう、そんな余裕はないからだ。そこで、港湾本体の方ではもっぱら埠頭
の増設、整備が多く、中でも水深を下げる事業が中心である。埠頭の水深を下
げると、外海までの航路も下げ、泊地やその防波堤なども造ることになるか
ら、数年がかりの大事業となる。浚渫工事や改修工事も定期的に行われる。関
連事業も臨港道路、海浜公園やレジャー開発、団地などの都市開発へと際限な
く広がっていく。

 旧運輸省が港湾事業の中で展開したもう一つのビジネスは、中曽根時代に端
を発したウオーターフロント開発だった。この中には「リフレッシュ・シーサ
イド事業」 や「エコポートモデル事業」など、海浜開発、レジャー産業の主
要な領域が網羅されている。政府権力は海上交通から海浜ビジネスへと支配を
広げたのであった。

 こうして港湾建設事業全般にわたって、民間企業の入る余地は閉ざされ、行
政権力の支配するビジネスとなった。港湾関係の土木、建設、運輸、物流、レ
ジャー産業などは、旧運輸省に縋(すが)り依存し、業界団体を通じて便宜供
与を受けることによってしか存立できなくなっている。

 こうして整備された港湾だから採算の合う所など皆無であり、数千本の埠頭
は暇を持て余して釣り人の訪れるのを待っている。ある港湾関係者が試算して
みたら、川崎港で釣れたハゼの天ぷらのコストは一匹三万円につくことになっ
たという話だ。

 元運輸省の事務次官でJR東日本の社長を務めた住田正二氏は、運輸省退官
後、運輸省の港湾事業がいかに無駄であるかを明らかにした(住田正二著『お
役人の無駄遣い』読売新聞社)。その一部を紹介してみよう。川崎港では、平
成八年四月に水深一四メートルのコンテナ埠頭が完成すると、さっそく水深一
五メートルの埠頭建設計画にとりかかったのだが、事業をいっぺんにやらず、
岸壁や外海までの航路を何度も掘り返す。

 もともと川崎港には水深一二メートルの岸壁が六バースあって五万トンの船
六隻が同時に着岸できるのだが、コンテナ船が出現してからこれらのバースは
さっぱり使われなくなってしまった。一方新しく造ったコンテナ埠頭を使うの
も外国の小型船ばかりで、一四メートルの水深はほとんど必要がない。まして
や一五メートルを要する超大型船はまず着岸の可能性がなく、従来の一二メー
トル六バースの活用で十分だと住田氏はいっている。

 わが国には、真珠のようにとても大切で美しい港がある。そのうち二つをと
りあげたい。ひとつは、万葉集にも歌われた広島県の鞆(とも)の浦港だ。私
は平成三年二月の文化の日に、福山市にあるこの港町を訪れた。この由緒ある
地域で文化財保護運動に取り組んでいる方々に誘われたのだ。

 友人の山田敏雅代議士とともに半日案内してもらって、私はいたく感動し
た。すべて歩いて回れる小さな町で、町中の道は細いから車だとかえって不便
だ。豊臣秀吉が来たこともある古くからの通商の基点で、貿易港でもあった。
江戸時代、将軍が替わるたびに接見のために訪れていた朝鮮通信使も、この港
を経由して江戸に上がった。町には国の指定文化財や史跡、名勝が九ヵ所、県
の重要文化財が八つもあるが、私が感動したのは、むしろ港だった。

 鞆の浦の湾には、長さが七〇〜八〇センチメートルほどの石を積み重ねた、
四〇〜五〇メートルの波止(はどめ)(堤防)が突き出している。二〇〇年以
上前に造られたものだ。波止のつけ根あたりの大きな岩の上には船審所が建っ
ている。同じく波止のつけ根あたりから港の中ほどに向かって雁木(がんぎ)
という岸壁がある。自然の石をひとつずつ階段状に積んであるのは見事という
ほかない。港の中央部近くには、石造りの美しい常夜灯(じょうやとう)(灯
台)が立っている。さらに、ドックにあたる焚場(たてば)もある。

 何百年も昔の技術や経済活動、交易や暮らし、そして、その雰囲気がそのま
ま残っている。江戸時代の空気、万葉の昔のロマンそのものだ。しかし、そこ
に、巨大なコンクリート造りの高架道路をつくる計画が進んでいるのだ。
 たまりかねて私は平成一二年二月九日、衆議院決算行政監視委員会で、この
辺りが選挙区である宮澤喜一大蔵大臣に「こんなすばらしい所を壊してはダメ
だ。地元の生活に必要な道路は他のルートもある。鞆を守るべきだ」と訴え
た。地元の海産物問屋さんや観光業者などが道路をほしがる理由はわかる。し
かし、鞆の文化財と自然を傷つけてしまえば、何ものにも代えがたい、日本一
の歴史的港湾としての価値を損ね、ひいては観光も海産物も失ってしまう。

 もう一つの小さな港は、伊豆大島の波浮(はぶ)港だ。私は四〜五年前、港
を守りたいとの陳情を受け、私が代表をしている「国民会計検査院」のグルー
プの五人ほどで現地を視察した。すると驚いたことに、反対運動をやっている
人々の中から一人の老婦人が「村上です」と話しかけてきた。その人は私の学
生時代の友人の母親で、当時東京の杉並に住んでいた。大島とは緑もゆかりも
なかったのだが、自然がすばらしいので健康のために数年前に引っ越して来た
という。

 しかし、東京都がその目の前の波浮の港に荷積用岸壁の建設計画を決めてし
まった。岸壁ができれば、「三つ石」と呼ばれている、自然がつくったプール
を中心とする遊びと憩いの環境がなくなってしまう。反対運動のリーダーは
「利権屋さんの力が強くて小さな島では正論を主張しにくい」と残念がってい
た。

 二〜三年前に台風対策で防波堤が造られたが、そのためにかえって潮を湾内
に呼び込み、被害が増えた。それで、呼び込んだ潮をよけるための二つめの堤
防を造る計画もあるという。最初の堤防を取り壊せばよいのに、さらに作る。
そうやって自然を破壊するのが利権政治の常道である。いま波浮の人々は、必
要のない岸壁建設中止を裁判に訴えてねぼり強く闘っている。

 大規模な自然破壊、諌早湾と中海の干拓

 ここで農水省の直轄事業である長崎県の諌早湾と島根県の中海の干拓につい
てみておこう。

 諌早湾干拓は、三五五〇ヘクタールもの広大な海を埋め、一五〇〇ヘクター
ルの農地を作ろうと昭和六一年に着工された。総事業費は当初一七二七億円だ
ったが、平成九年に二三七〇億円に修正された。

 中海干拓事業は、昭和三八年にスタートした。中海と宍道湖を水門で日本海
から隔て、淡水化し、中海に延べ二五〇〇ヘクタールの干拓地をつくり、農業
用水八〇〇〇万トンを供給するという大事業で、すでに七二〇億円が投じら
れ、四工区約八五〇ヘクタールが完成している。当初三九〇億円とされた総事
業費は、その後六九六億円に増額された。

 諌早湾の干潟も、汽水湖の代表的な存在である中海も、日本に残された貴重
な自然だ。両方とも私は視察に行き、事業中止を主張してきた。経済的な効果
もなく、そもそも、こんな事業を開始したこと自体が間違っていたのだ。

 二つの事業についてはマスコミで詳しく伝えられているので、ここでは現状
だけを簡単に記しておく。中海干拓は、最大の干拓地である本庄工区が未着工
で残っていたが、自民党の亀井静香政調会長を中心とする与党三党による公共
事業見直しの一環として、平成三年九月に中止が決まった。中止にまで持ち込
んだのは、地元の住民たちが粘り強く反対運動を続けた成果だった。もっと
も、島根県の澄田信義知事は干拓工事にかわる公共事業を国に要求し続けてい
る。依然として公共事業依存から抜け出す意思はないのだ。

一方、諌早湾干拓については、平成一三年八月に武部勤農水相が縮小の方針を
発表した。こちらは、干拓工事によってノリ養殖や漁業に大きな被害を受けた
有明海の漁師たちが厳しい抗議行動をした成果である。ただ農水省は、干拓規
模を半分程度にする方針で、具体的にどのような結果になるか、まだはっきり
しない。


 本四連絡橋とアクアラインは質の悪い「犯罪」だ

 ここに取りあげる本四連絡橋と次に述べるアクアライン(東京湾横断道路)
は、公共事業の中でも、とくに質の悪い「犯罪」である。

 瀬戸内海の美しい島々に数十本の道路橋を架けめぐらせ、それを三本のルー
トで管理しているのが本四連絡橋公団である。この公団は、借入金残高が四兆
三七〇〇億円で、うち有利子負債が三兆八〇〇〇億円(平成一〇年度末) に
達し、金利だけで年間約一四〇〇億円。これに対して通行料収入はわずかに八
七〇億円しかない。

 旧総務庁は監察の結果、収支率が二一一(一〇〇円の収入を得るのに二一一
円の経費を要す)と発表している(平成一一年四月)。これでは経営は成り立
たない。財政的にも行政的にも、まったく解決の方法はなく、こうしているう
ちにも借金は倍々ゲームで増えるだけだ。地域経済にとっても、生産と流通の
コストが結局は高くなり、全体に悪影響を及ぼす。

 政府は平成一三年度予算で国費八〇〇億円を無利子で融資し、利払いの穴埋
めをした。しかし、そのような問題の先送りは“捨て金”となるだけだ。

本四連絡橋に注ぎ込まれた五兆円近い金を価値あるものに転化する方法が、た
だひとつある。それは、これらの橋を将来への教訓とすることである。計画当
時から強かった反対論を無視して無謀な公共事業を強行した者たちの責任を追
及することが必要である。これに関わった政治家、役人、審議会委員、地元団
体の責任者たちを徹底的に洗い出し、彼らが果たした役割を明らかにするの
だ。業者からの集金・集票に立ち回った政治家、漁業補償の名目で暴力団に金
を配った連中などすべてを洗い出し、彼らの“功績”を称えるために、全員の
立派な銅像を作って橋に陳列するのである。一〇メートルに一個ぐらい建てら
れるかもしれない。橋の名称は「責任海橋」だ。修学旅行や観光コースに入れ
れば勉強にもなるし交通量も増える。そのうえで総理大臣が国民にお願いし、
国として借金の大半を税金で負担して結着をつける。あとはすべて地元の判断
と責任に任せればよい。

 アクアラインにいたっては、旧総務庁の調査でも収支率が三一六に達し、赤
字は雪だるま式に膨れ上がっている。高速自動車国道の計画に入っていなかっ
たこの事業を、日本道路公団は昭和六二年に一般有料道路事業として強引に許
可にこぎつけた。

 当初は建設費が九三〇〇億円、料金の徴収期間を三〇年としていた。しか
し、その後三回の変更許可を経て工事予算は一兆二三二三億円に膨らんだ。開
通後三年目の平成一一年の実績交通量は、平成九年に下方修正した計画交通量
に対してさえ三〇・五%という状況である。

 この道路の雪だるま式に増大する借金負担に対応するため、道路公団はアク
アラインに接続する京葉道路と千葉東金道路とを一体プール制にした。このた
め平成二七年の期限に向かって順調に償還が進んでいた京葉道路などは、期限
を三二年間延長され、少なくとも平成五九年まで料金徴収が延長されることに
なってしまった。現在のアクアラインの惨状からすればそれも甘過ぎる。

 そもそもアクアラインは、計画段階から“政治路線”“利権”の噂が高く、
不透明な過程を経て造られたものだ。千葉県の産物である落花生などの作物や
魚貝類の流通にバカ高い高速料金を払ったらどうなるか、誰でもわかっていた
ことだ。だからこそ、東京湾の真ん中に“海ほたる”などという素人考えの観
光スポットを作り、道路利用客を確保しようとしたのである。今では“海ほた
る”など見向きもされず閑古鳥が鳴いている。

 この道路は、交通上の必要からではなく、作るために作られた“高速利権”
道路である。この計画、建設過程を徹底的に検証し、場合によっては刑事責任
を追及できるようにしなければならない。その上で最終的には道路公団の他の
路線と合わせて行政事務法人の下に置くのが適当である。

第三節 ダム建設という巨大なムダ

 イヌワシの生息地、湯之谷村のダム計画は中止

 平成三一年九月五日、私は、国の特殊法人である電源開発株式会社が「湯之
谷揚水発電所の建設計画を中止する」と発表したニュースを、湯之谷村の中根
慎太郎氏からFAXされた現地の新開記事で読んだ。ジャーナリストの中根さん
が「石井さんのお陰です」と書き添えてくれたことにも、ひとしお感慨深い思
いがした。

 二年前の三月、新潟県北魚沼郡湯之谷村の現地を訪れ、心ある村の住民たち
から話を開いて、イヌワシやクマタカといった絶滅危倶種の猛禽類が生息する
貴重な自然を破壊するこの計画に心を痛めていたからだ。

 村役場の書類によると、反対を押さえるために、電源開発は数年間にわたっ
て村に一〇億円以上の金を出していた。支出の名目は、職員の役職手当・超勤
手当等の人件費、食費、文具・電話代などの事務費などとなっており、さらに
村の交流センター、観光用スロープカー、下水道施設、研修施設などの建設事
業費も入っている。村にしてみれば、貴重な自然と人々の心を売り渡す代償と
いうことだろう。電源開発はそれを金で買っているのである。

 湯之谷揚水発電計画は、新潟県が湯之谷村に佐梨川ダムを、電源開発が隣の
入広瀬村に明神沢ダムを建設し、原発から出る夜間の余剰電力で佐梨川ダムか
ら明神沢ダムに水をくみ上げ、昼間に落として揚水発電するというものであ
る。出力一八〇万キロワットの巨大発電所となる。

 電力需要のほとんどは昼だから、夜間の余剰電力を使って水を上のダムに上
げ、昼のピークにあわせてその水を落として水力発電を行うというこのシステ
ム、一見、電力を有効活用する工夫に見える。しかし、よく考えれば、電力需
要のピークは夏の暑い日と決まっているのだから、そのピーク時電力を抑える
努力をすればいい。わざわざ揚水発電のためにダムを建設する必要もない。そ
のほとんど不要なもののために、莫大な費用をかけて自然破壊が行われるので
ある。

 中止決定に、今年亡くなった湯之谷村の村長も草葉の陰でがっくりきている
ことだろう。この発電所こそ村長の「期待のプロジェクト」だったからだ。事
業費は約四〇〇〇億円で、運転が始まれば発電所立地促進のための電源三法交
付金が年に二億円余り入るほか、関連施設の整備も国費で見込める。ダム事業
を織り込んで平成八年に作り変えられた村の総合計画には「役場の新築」「公
園整備」などが並んでいた。

 村の財政規模は約六五億円だが、公共事業は村や県の単独事業のほか国の補
助事業も入れると四〇億円近くになる。村の就業者三七〇〇人のうち約二割が
建設業、このほか約二〇〇人いる農家の人たちの多くも建設作業に出ており、
住民の半分は何らかの形で公共事業と関わっている。この地域もまた、公共事
業がなければ生きられないようになってしまっているのである。

 電気を“湯水のごとく” ― 高度成長時代の浪費のススメ

 日本国内にある堤高一五メートル以上のダムは、二六〇四ヵ所にものぼる。
計画中と工事中を含めると三〇〇〇を超える。一県あたりにならすとほぼ六五
ヵ所となる。もっと小規模のものや砂防ダムを加えればその数はとうてい数え
切れない。

 ダムは目的によって発電用、利水用(工業・農業用水、飲料水など)、治水
用(洪水などの防災用)に分けられるが、これらを組み合わせた多目的ダムが
最も多い。

 よく知られている河についてダムの数を挙げてみると、石狩川=六七、北上
川=三八、最上川=三八、阿賀野川=四三、利根川=六六、木曾川=七七、信
濃川=七六となる。

 数え切れないほどのダムの建設によって、かつての節電から一転して電気は
使い放題となった。工業用水も一般家庭の水道も、節水は過去の遺物で、逆に
使え使えという浪費のススメとなった。果たして、これが、「豊かな未来」と
いえるのだろうか。

 下流のダムといわれる河口堰もまた、無駄なダムの典型である。

 鵜飼いで知られる長良川の河口から五・四キロ上流、三重県桑名郡長島町に
建設された長良川河口堰は、全長が六六一メートルもある。事業主体は水資源
開発公団である。

 この壮大な無駄が計画されたのは昭和三五年である。四三年に閣議決定され
たものの着工は延び、四八年に金丸信建設相(当時)がようやくゴーサインを
出した。

 ダムの建設計画には、なぜダムが必要なのか、という理由がいる。そこで、
国土交通省や都道府県は周辺の市町村に水の需要を割り当て、企業や工場とも
できるだけ多量の消費量で契約するのである。押し付けられた企業の方は災難
でしかない。

 長良川河口堰の問題で水資源開発公団は、「一般家庭で一人一日四〇〇リッ
トル使ってもらわなければ困る」といっていた。現在の平均は約二五〇リット
ルだから、水の浪費のススメである。ところが、毎秒二二・五トンの取水能力
があるものの、実際に利用されているのは、愛知、三重両県の計三・八三トン
だけ。つまり取水能力の八〇%以上は無駄となっている。

 構想が作られた時期は重厚長大産業が全盛で、工業用水の使用量はどんどん
増えるという予測を盛りこんだ旧建設省の「フルプラン」(基本計画)も、も
っともらしく見られた。だが、この「フルプラン」は、じつにいい加減なもの
であった。後に(平成二年)私はそのことを証明する資料を入手した。平成五
年当時の建設省の内部資料だ。

 旧建設省が関係省庁に水需要の見通しを問い合わせたのに対して各省庁の見
解が表明された。そこに旧通産省は「工業用水は供給過多で今後需要の伸びは
見込めない」と明記しているのである。実際に一九八〇年代以降、工業用水の
需要は減少の一途をたどっている。堰は不要だったのだ。その現実には目もく
れず、政府は「壮大なムダ」を強行してしまった。

 休日に来る釣り人にまで漁業補償

 河口堰建設にあたっては、漁業補償が行われた。補償を受けた団体の一つ
に、サツキマス漁に従事する小さな内水面漁協がある。この漁協の組合員は当
時一〇名の漁師だけだったが、四億三〇〇〇万円の補償を獲得し、一億九〇〇
〇万円を約六〇〇人で分けて、残りは国債を買ったという。

 私は現地で「なぜそんな大勢の人々に配ることができたのか」と聞いてみ
た。「日曜日に川釣りに来る人々まで入れて、一人当たり二〜三〇万円から三
〇〇万円を配ったのです」というのが答えだった。私に説明してくれた組合員
の一人は「自分も三〇〇万円を受け取ったが、河口堰ができてサツキマスがい
なくなり、今では生計が成り立たなくなった」と怒りをぶちまけていた。

 漁業補償だけではない。カモ猟をする猟友会まで、砂利採取の「協力金」と
して年間一五〇万円を獲得した。支払ったのは、河口堰の浚渫作業を中部地建
から請け負っている砂利採取業者の組合で、「サンドポンプの音でカモ猟がで
きなくなった」という猟友会の主張を認めたのだという。

 巨大工事に対する地域の住民の反発は強い。自然を破壊するだけでなく、生
活の糧を奪うからだ。だから、反対を和らげるために莫大なカネをばらまく。
これが巨大開発事業の常道だ。釣り人やハンターにまで補償金を出したこと
が、ばらまきの構図のひどさを物語っている。

 長良川沿いのある町の元役場職員は「河口堰は打ち出の小槌。町が国に言え
ば必ず予算はつく」と打ち明けた。しかし同時に「町の有力者は利権を求めて
走る。これでいいのだろうか」とも話す。ばらまきの構図は、利権と腐敗をも
たらし、自治体政治を歪めてしまうのだ。

 ばらまかれたカネのツケは、自治体にも回ってくる。総事業費一八四〇億円
中、直轄事業として国が負担する三四〇億円を除く一五〇〇億円のうちの六
割、つまり九〇〇億円は「受益者負担」というのが旧建設省の計算だ。受益者
とは水利権を確保した自治体のことだ。

 堰が生み出す毎秒二二・五トンの水利権は、愛知県=一一・二五トン、三重
県=九・二五トン、名古屋市=二トンという配分になっている。この比率で九
〇〇億円を二三年間かけて水資源開発公団に支払うのだ。住宅ローンと同様の
元利均等払いである。

 その初年度の平成七年度、予算案に計上された償還額は、愛知県が三五億七
八〇〇万円、三重県が二七億九一〇〇万円、名古屋市が六億五八〇〇万円(愛
知、三重両県分は、両県発行の企業債償還分も含む)で、合計七〇億二七〇〇
万円となる。償還総額は一六四〇億円余りという巨額だ。

 二県一市が確保した水利権のうち、利用計画が決まっているのは愛知県の
二・八六トンと、三重県の〇・九七トンだけ。三自治体は「売れない水」の代
金を二三年間にわたって支払っていかなければならないのである。県といって
も実際に泣かされるのは県下の企業や住民だ。

 ちなみに、水道料金が世界一高い日本でも、一番高いのは宮城県南郷町であ
る。家庭用が月二〇トンで六一九〇円だ。南郷町は鳴瀬川から取水する一日一
五〇〇トンに加え、昭和五五年から漆川ダムの水を三六〇〇トン県から買って
いる。しかし実際に漆川ダムから必要な量は一八〇〇トンなのだ。住民は使わ
ない分まで負担させられているわけである。

 全国の多くの自治体で、水道料金の値上げが周年行事のように行われてい
る。最近でも、平成九年四月以降、全国に約一九〇〇ある水道事業体のうち約
三割にあたる五九〇が値上げした。値上げの主な原因がダム建設にあるのであ
る。


 岡山県奥津町の苫田ダムでも札束攻撃

 旧建設省のダム構想に長期にわたって「拒否」姿勢をとり続けたのが、岡山
県奥津町だ。

 町を流れる吉井川に「苫田ダム」を建設する計画は昭和三二年二月に岡山県
が発表した。目的は農業用水確保で、総貯水量は八五〇〇万トンと中国地方最
大級。完成すると、同町全世帯の半分近い五〇四戸が水没する。三村の合併に
よって奥津町が発足したのは昭和三四年四月。その議会合併協定書には、ダム
建設阻止が明記された。それをそのまま町の「苫田ダム阻止特別委員会条例」
として制定し、建設阻止が町是となった。

 苫田ダム建設阻止期成同盟会の勢力は強かったが、昭和四七年に「革新」に
かつがれて県知事に就任した旧自治省官僚OBの長野士郎氏は、昭和五一年の再
選後ダム建設推進路線に転換し、この計画を県の事業から国の事業へと“昇格
”させた。

 この時期、長野氏は「四〇〇億円の補償金」を確保したいと発言し、一戸平
均一億円をほのめかした。昭和五三年末には一戸当たり一〇〇万円を苫田ダム
協力資金から無利子で貸し出すこととし、その時点で一六〇世帯がこの札束攻
勢に屈した。借りるに当たって、建設のための調査に同意する旨の契約書に調
印させられた。昭和五四年には無利子で二〇〇〇万円貸し付けを行った。事実
上補償金の一部前払いである。

 その一方では、岡山県は昭和五七年以降、水没予定地域での事業を一切認め
ない方針を打ち出した。非水没地域でも教員宿舎建設の補助事業認可や町営レ
ストラン建設の起債を引き延ばした。奥津町に対する露骨ないじめ、ダム反対
町政への弾圧である。

 こうしたいじめによって町長が次々に辞任したが、七代目まで常に当選した
のはダム阻止派だった。町長選のたびに町民はダムに対して「ノー」という回
答を出したのである。

 そこで県は、アメとムチの作戦を強める。アメとは、総額六五五億円の「奥
津町長期振興計画」である。ダム建設への同意を前提に、資金面では旧建設省
と県が全面協力するからバラ色の未来像を描け、という三者合意の形をとって
いた。これを町長が拒否すると、県は国からの補助金を県段階でストップする
手をとった。無茶苦茶である。

 旧建設省や県との戦いの中で、町の過疎化も進んでいた。人口は、町制施行
の昭和三四年の六四七五人をピークに減り続け、平成四年の年頭には二六三五
人にまで落ち込んだ(平成一〇年三月末日現在二〇三四人)。住民は高齢化
し、息子、娘は過疎の町には帰ってこない。水没地区の住民たちの姿勢は変化
し、「移転補償費など条件が合えば町を出る」ということになった。この住民
の意識変化に国の札束攻勢が結びつき、反対期成同盟の力量が落ちていった。

 平成五年一〇月の町長選では、もはやダム阻止派は立候補せず、選挙の時か
らダム容認派だった初めての町長が誕生した。


 計画発表から四一年目の着工

 最終的に苫田ダム建設に向けての手続きが完了したのは平成六年八月二九日
だ。この日午前、奥津町の臨時町議会で「苫田ダム阻止特別委員会条例」を廃
止する条例案が可決され、午後には旧建設省と岡山県、奥津町の三者が、苫田
ダム建設基本協定書に調印した。ダム建設の見返りとして総額一三八五億五〇
〇〇万円でまとまった奥津町地域総合振興計画も、協定書で認知された。

 平成一〇年七月二八日にはダムの起工式が挙行された。昭和三二年の建設計
画発表から、四一年が経過してようやく着工にこぎ着けたのだ。その後、遺跡
の調査などに時間がかかり、本体の基礎工事が始まったのは平成一一年六月で
ある。

 苫田ダムの計画が発表された昭和三二年から四〇年余りたって、日本経済は
大きく変わった。農政は減反政策に移行し、苫田ダムの建設目的も上水と工業
用水利用へと変わった。その後、水余りも指摘され、目的は「一五〇年に一度
の大洪水に備える」と三転した。

 その中で変わらなかったのは、国と岡山県のダム建設を是が非でも実現させ
るという意志だけである。いったいなぜ、こんなにも意志が強固なのか。た
だ、ダムを建設したいというだけである。水の確保などは単なる名目で、とに
かく土建業者に利益を与えることが目的なのだ。


 ダム建設を拒み続けた徳島県木頭村

 奥津町の抵抗が敗北に終わったのに対し、ダム建設計画を拒み続けて、つい
に中止に追い込んだのが、四国の霊峰・剣山の山系にある徳島県木頭村(きと
うそん)である。

 徳島市から車で約二時間半。高知県境に接し、村の九三%が標高五〇〇メー
トル以上の山地にある。その木頭村の中心部を、紀伊水道に注ぐ那賀川の最上
流部が西から東に流れる。村民の多くは林業で生計をたて、ユズの特産地とし
て自然とともに生きてきた。しかし、過疎化の波には勝てず、人口は平成一〇
年に入って二〇〇〇人を割ってしまった。

 その村に細川内(ほそごうち)ダムの建設を打ち出したのは国と徳島県だ。
「下流域の工業用水などを確保し、地域振興の柱にする」という名目だった。
洪水調整、農工業用水確保などの多目的ダムで、ダムサイトの高さ約一〇五
メートル。総貯水量六八〇〇万立方メートル。総事業費は二〇〇億円というも
のである。建設が実現すれば、同村西宇地区の約三〇戸が水没する。

 この計画に対して村議会は平成二年に白紙撤回を求める決議をする。その実
行を目指して平成五年、村長に無投票当遺したのが藤田恵さんだった。村の意
思が「ダム阻止」にまとまったのである。

 徳島県の円藤寿穂知事が柵川内ダム建設を最重点施策の一つに据えるなど、
逆風が激しいなかで藤田村長は、自ら「村環境基本条例案」を起草した。木頭
村版「ダム建設阻止条例」案である。

 条例案は、前文で「豊かで広大な森林とこれに発する那賀川の源流は、村の
すべての生命の源である」と述べ、「村民は良好な環境を享受する権利を有す
る」と環境権を前面に打ち出した。環境権の理念を実現するために、村長の権
限で「環境保全地区」の設定ができ、ダムなどの工作物の新築や開墾、木竹の
伐採などに村長の許可を必要とする「特別地区」を設置する条項も盛り込ん
だ。

 村長の許可を受けない開発行為に対して、村長は中止命令を出すこともでき
る。その命令に違反した場合は、最高六月から三月の懲役、五万円から一万円
までの罰金刑という罰則規定もある。この案は町議会で議論の末、「木頭村ダ
ム建設阻止条例」と「ふるさとの緑と清流を守る環境基本条例」 に改めら
れ、成立した。

 私は平成一〇年、五月の連休を利用して一人で木頭村に行った。ダムの予定
地は岩肌の美しい深い渓谷が中心になっていて、水没予定地とされている区域
はとてつもなく広大だった。

 村長らは私を予定地よりかなり上流の方まで案内してくれた。そこで私が見
たものは、まさしく墓だった。自然の墓、川の墓となったダムだ。ダム建設を
予定して造られた砂防ダムだ。

 ダムに満ちているはずの水は、途切れながらちょろちょろと流れているにす
ぎない。水の代わりにダムを覆っているのは堆積した土砂である。土塊が五〇
メートル前後も続くと、その下から水が染み出すように流れ出ている。段々畑
のように土塊、細い水流、土塊、細い水流と繰り返す。それが十重二十重に続
いているのがダムなのだ。

 これがダムで破壊された川の末路である。大雨が降ると、水はどっとあふれ
るだろう。しかし、ダムでせき止められているから土砂は流れず、果てしなく
たまっていく。ダムは建設されてから何十年も経つと、必ずこうした“川の墓
”となるのである。

 柵川内ダムの計画予算額は三五〇億円だったが、計画が実行された場合、間
違いなく一〇〇〇億円以上の税金が注ぎ込まれることになる。木頭村はそのお
こぼれにあずかることを拒否し、山村の特色を生かした村づくりにチャレンジ
している。私は読者諸兄に木頭村支援を呼びかけたい。

 平成一〇年秋には、郵便局の廃屋を利用した山村留学センター「結遊館」を
完成させた。近くの村立北川小学校(児童一七人)は、平成三年度から山村留
学制度を始め、地域の家庭が里親になっていたが、高齢化が進んだため、セン
ターを開設することにしたのだ。特産の無農薬ユズの果汁を原料にした食用酢
を生産し、販売もしている。

 平成二年からは、農作業を手伝うボランティアを募集した。「ダム拒否」の
村づくりを理解してもらうため、都市と山村の交流を目指すシステムである。

 藤田村長らの必死の努力が実り、細川内ダム計画の中止が最終的に決まった
のは、平成一二年一一月である。島根県の中海と同様、現地の住民と野党議員
の運動に押された与党三党の公共事業見直し委員会が中止を勧告し、旧建設省
も強行は無理とあきらめたのだ。村は晴れて、ダムなしの村づくりに取り組め
ることになった。

 もっとも、その前途は平坦ではない。翌一三年四月の村長選挙で藤田氏が敗
れたからだ。当選したのは、「ダム問題はもう終わった。これからは県と協調
した公共事業の誘致だ」と主張した前村教育長の伊藤英志氏である。ダムはご
めんだが、公共事業はほしい、という村民の複雑な思いが選挙結果に投影して
いるようだ。

 藤田氏は、ユズの無農薬栽培やジュースなどの商品化をおこなっている株式
会社「きとうむら」の社長として、村おこしに情熱を注いでいる。会社の電話
番号は〇八八四・六八・二二一二である。


“堆砂の放流”という新たな事業に乗り出す国土交通省

 ダムは川をせき止めるから、水が運ぶ土砂がたまっていくことは避けられな
い。この堆砂こそ、ダムの究極の問題である。政府部内でも、平成元年に「水
資源の開発・利用に関する行政監察」を行い、その結果を平成二年九月に発表
して、ダム堆砂が最も深刻な問題だと指摘している。

 これに対して旧建設省は「一〇〇年分の堆砂容量がある」と居直っていたの
だが、平成一〇年八月末、突如、ダム堆砂の 「放流実験」に取り組む方針を
うち出した。

 このとき建設省は、平成八年一月現在のデータをもとに、ダムの総貯水容量
に占める堆砂の割合は平均で六・九%だが、七〇%以上のダムが一六カ所ある
と発表した。大井川水系の千頭ダムが九八%であるなど、土質がもろい中部地
方で堆砂率が高い。

 堆砂は貯水能力を減らすだけでなく、上流ではダム洪水の危険を生み、下流
では、砂利採取もあって、河床の低下や海岸線の浸食を引き起こしている。海
岸線は浸食が進み、過去一五年間の平均では、全国で毎年一六〇ヘクタールの
海岸線が消滅しているという。

 こうした事実を旧建設省が認めたことは、率直な「自己批判」のようにも見
える。しかし、官僚の行動はそれほど単純ではない。堆砂の放流には莫大なカ
ネがかかる。建設省は、天竜川水系の美和ダムで初の土砂バイパストンネルを
計画しており、その費用は一五〇億円。黒部川水系の出(だ)し平(だいら)
ダムでは排砂用のゲートを造るが、その費用も数十億円だ。同省の所管ダムは
全国に三三七あるから、こういう工事を次々行えば、大変な金額になる。真意
は「新たな事業づくり」なのである。

 しかも、黒部川では、出し平ダムの排砂ゲートから溜まった泥を押し流す実
験を繰り返すことによって、川は死に、富山湾の漁業にも大きな被害が出るよ
うになっている。不要なダムを取り壊すのではなく、一つの問題の解決策に、
また新たな問題を生む同種の公共事業を作り出すのが利権政治と権益行政の習
性なのだ。


 徒歩でも越せる大井川

 日本の河川行政が川を川でなくしてしまっている事実も指摘しておきたい。

 静岡県の大井川は、全長一六〇キロ、東海道を横切る水量豊かな川であっ
た。徳川幕府が大井川に橋を架けさせなかったから、江戸時代は水量が増える
と川を渡れなかった。それで「箱根人里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井
川」と歌われた。

 いまの大井川にその面影はない。私は平成九年の春、数名の議員と共に上流
から河口まで視察を行ったが「散歩がてらに渡れる大井川」である。両側に護
岸堤防があり、その間は低地になっているが、そこに、川の生命であるはずの
水流がないのだ。いまの大井川は「大井川跡」というべきだろう。

 川の水量が減ったのは、第一には森林が破壊されたためである。森の保水力
が失われたため、雨の降らないときは水が極端に減少する。そのうえ、上流に
建設されたダムが、利水用や発電用に水を浪費する。このため川がなくなり、
河原砂漠になったのである。

 大井川では昭和六二年一二月に、流域の静岡県榛原郡本川根、中川根、川根
町の町民約二五〇人が「川に水を戻せ」と主張して、静岡県と中部電力に対す
る要求行動を行った。この時点で大井川には、上流に一九ヵ所ものダムが完成
していて、とくに中流域では極端に水量が減っていた。

 この要求行動は、昭和六三年から平成元年にかけて、大井川上流、中流域に
ある中部電力の七つの発電所の水利権が三〇年に一度の更新時期を迎えるのを
前にして行われた。

 中部電力側は旧建設省、静岡県、流域自治体などを巻き込んで、昭和六〇年
に「大井川中流域検討会」(座長、鈴木徳行名城大教授)を作った。その検討
会でさえ、大井川の「流況改善」が必要だと認めた。

 川の正常な機能を維持するためには、現在ほとんど放水していない三つのダ
ムで、毎秒〇・七トンから三トンの放流が必要、という内容だった。これに対
して住民側は「少なくとも毎秒五トンなければ、川としての浄化能力は期待で
きず、アユも棲まない。景観上も貧弱だ」と反発。県と中部

電力に、放水量の引き上げなどを求める要望書を手渡した。

 川辺川ダム、徳山ダムーー各地で噴き出す疑問

 五木の子守唄で有名な熊本県の五木村と相良(さがら)村に建設を予定され
る川辺川ダムの計画は、昭和四一年に旧建設省が治水目的として発表、その後
昭和四三年に潅漑と発電の目的が追加され、昭和五八年には農水省も国営川辺
川総合土地改良事業を始めた。予定事業費は時の経過とともに増大し、現在ま
でにすでに一千数百億円が消化され、総計では約四〇〇〇億円といわれてい
る。

 平成二年末には川の水を迂回させてダムサイトの川底の水を除く仮排水路の
トンネル工事が完成した。湖底に沈む予定の五木村の住民は当初からこぞって
反対してきたが、旧建設省や県の攻勢の前に耐え切れず、大かたは補償金を受
領して新たに造成された代替地などへの移転を余儀なくされた。三〇年以上に
わたる圧力と対立の中で疲れ切ってしまったのである。

 私は平成一〇年一二月に現地を祝察した。五木村の墓地の前を通り過ぎたと
き、墓石のあまりの小ささに、その昔、人吉の町へ出稼ぎに出されて一家の生
計を支えた五木村の少女たちの悲しい人生が偲(しの)ばれるような気がした
ものだ。

 川辺川ダムの“目的”は三つある。第一は一万六五〇〇キロワットの発電だ
が、川辺川ダムの建設によって水没する既存の発電所の発電量がそれを上回っ
ているから、無意味である。

 第二は農業利用(潅漑)だが、四〇〇〇名の対象農家のうち二〇〇〇名の農
民が「水は不要」として反対している。農水省の土地改良事業には対象農家の
三分の二の同意が必要なのに、その同意の取り方に疑義があるとして現在係争
中だ。

 したがって、残る目的は第三の治水以外にないが、昭和四〇年七月に死者六
名、家屋の損壊・流出一二八一戸などをもたらした球磨川氾濫水害では、基準
容量を超えた上流の市房ダムからの大量放水が引き金になったといわれてい
る。ダムの存在がかえって被害を大きくしたのだ。そもそも昭和四〇年当時と
比較して最近では、川の拡幅、堤防の設置、内水排除施設など全体に河川改修
が進んだためもあって、当時を上回る雨が降っても大きな洪水被害は発生しな
くなっている。

 川辺川ダムには多数の漁民も反対している。水系に漁業権をもつ球磨川漁協
は、平成二三年二月の総代会で漁業補償の受け入れ拒否を決めている。行政側
はダム本体の着工を左右する球磨川漁協に一六億五〇〇〇万円の補償を提示し
たが、同年二月、漁協はこれをも拒否した。すると国土交通省は共同漁業権強
制収用の申請を決めた。福永人吉市長は「一〇〇〇億円の投資がくる」とラッ
パを吹いて札ビラ攻勢を展開しようとしている。流域の自治体では、ダムの賛
否を問う住民投票を求める動きも相次いでいる。

 岐阜県の揖斐(いび)川に建設中の徳山ダムも、数多くの疑問点を抱えたま
ま水資源開発公団によって最近強行着工された多目的ダム事業である。公団の
“親会社≠ナある旧建設省は将来の水需要予測(フルプラン)すらあいまいに
したまま、何が何でも強行するという態度だった。総事業費は二五四〇億円。
名古屋市はすでに「水は要らない」と利水を返上した。工事の影響でクマタカ
は繁殖に失敗。必要のない工事が自然を破壊し税金を呑み込んでひとり突っ走
っている。

 田中康夫知事の「脱ダム宣言」

 そうした中で、しがらみのない無党派知事となった長野県の田中康夫さんが
「ダム建設」と闘っている。田中氏は従来から無責任な“公共事業≠批判し
続けてきた。平成二年に私が「神戸空港建設」の現地視察をした時、田中さん
は建設反対運動の先頭に立って熱心に案内してくれた。それ以来私たちはいわ
ば“同志≠セ。

 長野県もまた“ダム大県”の一つである。県のダムが二五(完成二、建設中
二二、計画中一、中止一)、国のダムが七(完成五、建設中二)、電力会社の
ダムが二四(完成)と合計五六ものダムがあるのだ。

「数百億円を投じて建設されるコンクリートのダムは、看過し得ぬ負荷を地球
環境に与えてしまう」

「国から手厚い金銭的補助が保証されているから、との安易な理由でダムを建
設すべきではない」

「よしんば、河川改修費用がダム建設より多額になろうとも、一〇〇年、二〇
〇年先の我々の子孫に残す資産としての河川、湖沼の価値を重視したい」―田
中知事は平成一三年二月二〇日「脱ダム宣言」を発表し、建設中・計画中の八
事業を見直すとともに、一事業(大仏ダム)を中止すると述べた。

 私は、このうち、建設中の下諏訪ダムと浅川ダムの二つを平成一三年四月、
「公共事業をチェックする議員の会」で中村敦夫参議院議員らと共に視察し
た。その結果、ここには紙数の関係で詳細は省くが、二つのダムともきわめて
疑問の多い事業であることがよく理解できた。

 ダム本体の建設を請け負うことができるのは、大手の限られたゼネコンであ
る。そして、国の補助は建設費の八割以上にも上る。大規模な河川改修もほぼ
同じである。これに対して工事費三〇〇〇万円以下の河川の維持修繕や浚渫な
どは市町村等の事業となり、これにはまったく国から金が出ない。こうした仕
組みになっているのも、根底には政治と利権の関係があるのである。

 ダムには国から金がくる。しかし、かりに一兆円のダムを造れば二〇〇〇億
円近くは地元の負担だ。排出する残土処理に要する費用までは国は出さない。
完成後の維持管理費もそうだ。堆砂の浚渫にも金がかかる。目先のエサに喰い
ついた結果が国民・県民の懐を痛めることになるのである。

 田中知事の「脱ダム宣言」は、ダム建設の裏にある本質的な問題を金の側面
と自然の価値の側面、さらには文化の側面から発想し、考え直すことを促して
いる。一九九三年に発足したアメリカのクリントン政権は、連邦政府でダム建
設を担当する内務省開拓局総裁に、環境保護団体で活動していたダニエル・ビ
アード氏を起用した。ビアード氏は就任後ただちに「ダム建設の時代は終わっ
た」と宣言、それまでの建設促進の流れにピリオドを打った。

 平成八年九月、長良川河口堰近くで開かれた「国際ダムサミット」出席のた
め来日したビアード氏の話では、米国でもダム建設推進派は正直でなかった。
決定は政治的であり、経費は見積もりより増えた。一部の地主、農家、政治家
が「少数の者が得をすればいい」という発想で推進した。

 しかし、この構図は破綻した。環境破壊が明らかになり、市民側から情報の
公開、政策決定への参加を求める声が高まったからだ。不正が暴露され、国民
の支持は消えた。
 平成八年秋の時点で平成六年と比較すると、アメリカのダム開発関係予算は
一八%、人員は二五%削減された。ダムの破壊、生態系の復元にも取り組んで
いるという。

 アメリカでは、グラインズキヤニオンダムやエルワールダムを取り壊すこと
になっている。ドイツも河川の再自然化に取り組んでいるし、フランスでは環
境庁が川を管理している。

 日本の国土交通省は、河を「鉱物」とみなし、工作の対象にしている。国土
交通省河川局長の竹村公太郎氏は河川局開発課長だった平成八年七月一三日付
『朝日新聞』名古屋本社版紙上で、水資源利用のためにダムはまだ必要だと主
張している。いまだに日本の川の現実を見ようとせず、世界各国の動向に学ぼ
うともしないのが、多くの日本の政治家と官僚なのである。

第三章 ここまで

日本が自滅する日 殺された石井 紘基 (著)  全文 目次
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日本が自滅する日 殺された石井 紘基 (著)  全文 序章
http://www.asyura2.com/09/senkyo68/msg/741.html

日本が自滅する日 殺された石井 紘基 (著)  全文 1−1 利権財政の御三家―特別会計、財投、補助金 誰も知らない日本
http://www.asyura2.com/09/senkyo68/msg/1064.html

日本が自滅する日 殺された石井 紘基 (著)  全文 1−2 究極の“裏帳簿”特別会計
http://www.asyura2.com/09/senkyo68/msg/1065.html

日本が自滅する日 殺された石井 紘基 (著)  全文 1−3 官制経済を支える“闇予算”財投
http://www.asyura2.com/09/senkyo68/msg/1066.html


日本が自滅する日 殺された石井 紘基 (著)  全文 2−1 経済むしばむ“官企業”―特殊法人と公益法人など
http://www.asyura2.com/09/senkyo68/msg/1067.html

日本が自滅する日 殺された石井 紘基 (著)  全文 2−2 民間経済の上に君臨する特殊法人
http://www.asyura2.com/09/senkyo68/msg/1068.html

日本が自滅する日 殺された石井 紘基 (著)  全文 2−3 世界一のゼネコン ― 日本道路公団
http://www.asyura2.com/09/senkyo68/msg/1069.html

日本が自滅する日 殺された石井 紘基 (著)  全文 2−4 利権に利用される公益法人
http://www.asyura2.com/09/senkyo68/msg/1070.html

日本が自滅する日 殺された石井 紘基 (著)  全文 2−5 官企業の就業人口は、なんと四〇〇万人
http://www.asyura2.com/09/senkyo68/msg/1071.html


 

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