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惑星Xは、まう一つの太陽となる、否、するのだ
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/208.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 5 月 14 日 00:38:33: xsXux3woMgsl6
 

 
 
 
 
惑星M
惑星マルデユク
惑星ニビル
惑星ネメシス
とも乎ばれてゐる其の星、
惑星Xは、
まう一つの太陽となる、否、するのだ。
 
 
惑星Xに對し、
大量の核ミサイルをぶち込んだ結果、
其れがトリガーとなり、
惑星Xが褐色矮星から、
まう一つの太陽となる。

其れが偶然にしろ、意圖的にしろ、
惑星Xは、
第二の太陽となるのだ。

そして、
其の炎の中から、
「b人 ゴツド・メンシユ」が、
誕生するのだ。
ラグナロクだよ、此れは。
b々の黄昏だ。

と言つた所でせうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
徳間書店刊
平成四年(西暦一九九二年)八月三十一日發行
紫藤甲子男氏著
「ヤハウエの巨大潮流預言 ―
 ラプチヤー(空中携擧)と聯星太陽の出現があらゆる豫言の共通項だつた!」

 3 地球の空に二番目の太陽が現はれるとき…

   地球に二つ目の太陽が現れる”聯星太陽現象”
   すべての預言が一致して示す”燃える星”の出現
   ゾロアスター、「死海文書」にも出てくる二つ目の太陽
   蟹座から太陽が現れるとゐふUFOコンタクト情報
   太陽にはもともと”ネメシス”という伴星があつた
 
 
 
 
2012年の黙示録-Bookstand3号室
ヤハウエの巨大潮流預言
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/bookstand-yhwh.htm
 
 
ヤハウエの巨大潮流預言
紫藤甲子男・著  徳間書店  1992年8月刊

  この本の著者の紫藤甲子男氏を、私は漫画家として記憶していました。同じ漫画家で桑田二郎氏も、般若心経や日月神示などについて優れた解説本を書かれていますが、それらは漫画がベースになっています。
 紫藤甲子男氏はこの本の後に『2000年5月全世界は壊滅する!』(たま出版)を出版されていて、いずれも難解な内容をわかりやすい文章で表現され、大変説得力のある力作に仕上げられています。
 残念なのは、どちらの本でも終末の時期を西暦2000年と読み誤られた点です。そのため、内容的には今こそ読まれるべき本なのに、既に「終わった本」扱いをされているようです。2012年が「大終末(次元上昇)の年」だと考えている私は、いま「艱難の7年間」を迎えつつある人類への啓示の書として、この本を多くの人に勧めたいのです。
 この本が述べている内容をひとくちに言いますと――
 艱難の7年間の間に彗星が太陽系に侵入する。それは太陽が2つになったように感じられる。その光によって地球は浄化され、聖書で言う選民はラプチャー(携挙)される。その彗星が3年半ののち地球に大接近すると、その影響で地球は地軸が移動し、大天変地異に見舞われる――というものです。
 聖書や日月神示、ポール・ソロモンおよびヒトラーの預言などを縦横無尽にからませて、終末の意味と様相を大変詳しく説明してくれています。まずは、私が抜粋したエキス部分にお目通しください。                           (なわ・ふみひと)

 地球に二つ目の太陽が現れる“連星太陽現象”

  新約聖書の黙示録のサワリの部分を項目的に列挙します。
  第1のラッパ 血のまじった雹(ひょう)と火が現れ、地上に降ってきた。
  第2のラッパ 火の燃えさかる大きな山のようなものが海に投げ込まれた。
  第3のラッパ たいまつのように燃えている星が空から落ちてきた。
  第4のラッパ 太陽の三分の一と月の三分の一と星の三分の一が打たれて、これらの
          ものの三分の一は暗くなり、昼の三分の一は明るくなり、夜も同じように
          なった。
  第5のラッパ ひとつの星が天から落ちてくるのを見た。

  旧約聖書のダニエル書でも、「ひとつの星が火を噴いて落ちてくる」とあります。
  以上を全体的に見れば、「燃えている星が地球に接近し、それによって地上に隕石が降りそそぐ」光景といっていいでしょう。

  第6のラッパ 私はもう一人の強い御使いが雲に包まれて天から降りてくるのを見た。
           その頭に虹をいただき、その顔は太陽のようで、その足は火の柱のよう
          であった。

  「イエス預言」と同じ内容を述べていますが、こちらは「人の子」ではなく「強い御使い」となっています。「御使い」とは天使のことで、もちろんイエスは天使ではありませんから「御使い」はイエスのことではありません。
  黙示録にはこの「御使い」がやたらと出てくるのですが、「強い御使い」が出てくるのはここだけなのです。

  ルカ伝をみると、「ロトがソドムから出て行った日に、天から火と硫黄が降ってきて彼らをことごとく滅ぼした。人の子の現れる日もちょうどそれと同じであろう」とあります。ソドムとは、原爆のような炎で焼き滅ぼされた町のことです。「人の子の現れる日」つまり「選民を救う日」がその日に似ていると言っています。
  すぐ前のところで「稲妻が天の端から光り出て天の端までひらめき渡るように、人の子もその日には同じようであるだろう」と記しています。

 雲に乗ってやってくるという「人の子」とは何者か

  マタイ伝には「そのとき、人の子のしるしが天に現れるであろう」という記述があります。同じ「しるし」を述べていると思われる黙示録のほうでは、「また大いなるしるしが天に現れた。ひとりの女が太陽を着て足の下に月を踏み、その頭には星の冠をかぶっていた」となっており、「人の子のしるし」ではなく「大いなるしるし」となるのです。
  では人の子の正体と何か。ダニエル書では、「見よ、人の子のような方が、天の雲に乗ってやってこられ、年を経た方の元に進み、その前に導かれた」とあります。

  「年を経た方」という語が出てきました。これは神秘学では有名な言葉で「太陽(その主宰神)」のことを意味します。
  古来多くの宗教が太陽を神と崇めていたことはご存じの通りです。
  聖書に出てくる「人の子」とは「神に準じるもの」とありました。ということは、ダニエル書のいう「人の子のような方」は「神(太陽)に準じるような方」とも言い換えられます。
  旧約聖書では「人の子」という言葉は預言者を呼ぶときに多く使われています。この預言者の原義は、@ぶつぶつ沸騰する、A呼び出される、B宣言する、の意味だといいます。
  以上をひととおり整理してみましょう。「人の子」が実質的に意味しているのは何か。
  実は、かのノストラダムスが明快にこの答えを出しているのです。

  大きな星が七日の間 燃え続け
  雲が二つの太陽を現すだろう
  どう猛で巨大な犬が一晩中吠え続ける
  法王が在所を替えるときに       (諸世紀U/41) 

  驚いたことに、地球は一時期「連星太陽」をもつことになるらしいのです。

 すべての預言が一致して示す「燃える星」の出現

  再びノストラダムスに説明願いましょう。

  それは北から現れるだろう
  蟹座からほど遠からぬ小熊座の星
  髪をなびかせた明星が近づいてくる
  スース・シェーナ・ボエチア・エリトリア
  夜明けに偉大なローマ人が死ぬであろう  (諸世紀Y/6)

  「偉大なローマ人」とはローマ法王のことで、これが前詩の「法王が在所を替えるとき」と関連しているようです。
  この「髪をなびかせた明星」は、つぎの「光の尾を引く星」に対応しています。

  光の尾を引いた星が現れている間
  三人の巨大な王子は敵対するであろう
  平和は空から打ちのめされ 大地は揺れ動き
  ポー川とティブル川は氾濫し
  蛇どもは岸でとぐろを巻く  (諸世紀U/43)

  この「燃える星」の出現については、ほとんどの預言者が言及しており、アメリカインディアン・ホピ族の伝承にも、「近い将来、宇宙から大きな星が地球めがけて接近してきて、それによりいまの第四世界は終わるであろう」と伝えられています。
  また、エドガー・ケーシーも「聖霊の介入によって主の星が現れ、それが自分の至聖所に入ろうとする人々に道を指し示すことが告げ知らされるであろう」と語っています。
  さらに、ケーシーのアンカーであるポール・ソロモンも「この光がいまの時代に到来することの意味をあなた方にわからせたい」としたうえで、この「宇宙の果てからやってくる赤い星」に「恐怖をもってそれに向かってはならない。しかして歓び迎えよ」なぜなら「これがこの時代にこの惑星地球にそれほどまで接近する神の光であり、存在するすべてに光を放つことを理解せよ。このクリスマス彗星、この光の球がこの地球上に最接近するそのときに向かって自分自身を開き、この光を飲みほせ‥‥この光は覚醒を与える最後の試みとして通過するからである」
  それは「彗星・光の球」であって、牧師さんであるポール・ソロモン自身が「人の子」だとは言っていないのです。
  日月神示でも、この星の到来がクライマックスとなっています。その結論部分に「新しい太陽が生まれるのであるぞ」とあるのです。
  このほか、12世紀のころカソリック史上最高の幻視者ともいわれているドイツの修道女・聖ヒルデガルトが、「世の終わりのとき、大いなる彗星がやってきて地上に大洪水をもたらす」と預言しています。

 ゾロアスター、「死海文書」にも出てくる二つ目の太陽

  拝火教として有名なゾロアスター教に「この世の終わり」の思想があります。このゾロアスター預言のアンカーともいうべきとびきりの大物が、あの『ツァラトウストラかく語りき』のニーチェです。
  ツァラトウストラとは「ゾロアスター」のドイツ語読みだからです。ニーチェの妹の証言によれば、「――かく語りき」はゾロアスターの夢告に従って書いたとニーチェ自身が述べていたということです(その後まもなく彼は発狂してしまうのですが)。
  さて、そのゾロアスターはこう語っているのです。

  汝、大いなる星よ‥‥これぞわが朝なり。いまこそわが日ははじまる。さらば昇れ、さらば昇れ、さらば昇れ、汝、大いなる正午よ。

  ゾロアスター教の預言によれば、「終わりの日に彗星が落下してきて、この世界は火によって滅ぶ」となっています。だとすれば、大いなる星→彗星、大いなる正午→火でしょうか。でも、なぜこの世界の滅亡が「わが朝」なのか。
  ここからがニーチェの驚くべき感性となるのですが、「だが、彼らは悟らない。私の朝のしるしが何であるかを」。
  ゾロアスター教では「太陽が天頂に静止して万物を浄化するとき、この世界は完全となる」と告げられています。

  今世紀最大の発見といわれる「死海文書」のなかに次のような記述があります。

  これは、あなた方のためのしるしである。義が世界の基準として太陽とともに現れるであろう。(奥義の書)

  しるしが「太陽とともに」であることに注目してください。これぞ「わが朝」です。

 星の到来、これは“至福”である
 
  陰鬱なものが多いノストラダムスのなかにも、次のような詩があります。

  五〇〇年ほどの後
  彼の時代を飾らんがため
  突如として大いなる光が降りてくる
  それは同世紀の人々に 最高の満足を与えるであろう
                        (諸世紀V/94)

  彼の生誕が1503年であることを考えれば、「五〇〇年ほどの後」とはちょうど今の時代ということになります。
  それにしても“最高の満足”とは何を意味しているのでしょう。
  ソロモンのソースは、「(この星の到来に)スリルを覚えよ‥‥これが至福であることを人々に知らしめるがよい」と述べています。では、どのような至福だというのか。

  存在するものすべてが変化するときなのである。(ソロモン)

 あらゆる存在が太陽の力で物理的に再編成される

  原子も同様であるぞ。物質が変わるのであるぞ。(日月神示)

  自然界の諸要素は熱に溶け尽くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます。
                                      (ペテロへの手紙)

  「自然界の諸要素」とは原子や分子のことを指しているのでしょう。「溶け尽くす」の原義は「解き放つ」の意だそうです。「暴かれる」は「物理的形態が放り出される」ということです。
  これは要するに「物質が崩壊する、または変異する」ことを言っているのです。

  ノストラダムスも次のように述べています。

  太陽の力は、われわれの物理的存在としての四大に光りをふりそそぎ、その四大により、われわれを再構成するのだ。(セザールへの手紙)

  「四大」とは「地水火風」の四元素のことで、「あらゆる存在を構成している自然界の基本的元素」と考えていいでしょう。
  同じことが日月神示には「八方的地上から十方的地上となるのであるから、すべての位置が転ずるのであるから、物質も念もすべてが変わるのであるぞ」と述べられています。
  この「八方」とはこの三次元世界の方位を意味します。それが「十方」になるということは、少なくとも現在よりは多次元の世界になるということです。だからこそ「物質も念もすべてが変わる」事態になるわけです。

 わたしたちはいま四次元時空に閉じこめられている

  もしかしたらこの世の物質というものは五次元(あるいはそれ以上)の力が形づくる一種の「影」のようなものかもしれません。
  最近の物理学の中に「あらゆる存在は、それぞれがその形態に対応したエネルギーの場を持っている」という考え方があり、これを「形態形成場の理論」と呼んでいます。
  たとえば、ガラス板の上に砂鉄をばらまき、その下から磁石を当てると、美しい幾何学模様ができます。この砂鉄を「物質」、磁石を「形成場」と考えればよいのです。
  この場合、磁石が形態を形成するのであって、砂鉄自らが形づくるわけではありません。そして、砂鉄(物質)がなくても磁力(形成場)は存在するわけで、このエネルギー場こそ存在の実態なのだという考え方です。
  この観点に立てば、私どもの体(細胞)にしても、それは目に見えない上位次元の力が各々の形態に見合った原子を引き寄せ、いまあるような体に構成しているのだとも言えるわけです。

 「わたしの父の家には、住まいがたくさんある」

  神秘学によれば、存在する世界はこの物質世界(三次元空間)だけでなく、さらにこの上に多次元世界が重層構造式に累加していると考えられています。
  そして、私どもがこの肉体を離脱したあと(つまり死後)、その意識は消滅することなく、より上位次元の領域(霊界)へ遷移して、それぞれの界層に見合った器(体)をまとうとされています。聖書の「私の父の家には、住まいがたくさんある」(ヨハネ福音書)はこのことを述べているのでしょう。
  臨死体験者が垣間見た世界というのも、この上位次元領域を感知したのではないかと思われます。また、“臨死体験者”がかいま見た世界というのも、おそらくはこの上位次元領域を感知したのではないでしょうか。
  ここで留意すべきは、私ども人間も、この瞬間すべての界層の器をあわせ備えているということです。(界層の呼び名については以下の表をご覧ください)

一般霊学 顕界 幽界 霊界 神界
神智学 物質(エーテル体) アストラル体 メンタル体 コザール体
仏教 欲界 色界 無色界 仏界
ヒンズー教 粗大身 微細身 原因身 真我
意識 表層意識 潜在意識 深層意識 集合無意識
〔仏教〕 〔五感〕 〔六識〕 〔未那識〕 〔阿頼耶識〕


 肉体も地球とともに変異する

  ソロモンのソースに耳を傾けましょう。

  光が到来し、地球が変形するとき、この地球を人体が大きく現されたものとみなし、到来するあの彗星の光、あの光をキリストの光であふれさせる目的で、この地球のチャクラ、脊椎をとおって上昇するクンダリーニに比べる炎とみなしてみよ。

  表現が難解なので、霊学に不案内な人にはなんのことかわからないかもしれません。
  わかりやすく翻訳すれば、
  「人体には7カ所にチャクラと呼ばれる霊的チャンネルがあって、これが開花すると脊椎のなかをクンダリーニと呼ばれる霊的エネルギーが上昇し、それによって霊的意識(高次元感覚)が目覚めるようになる」という意味でしょうか。それをこの地球にたとえて比較しているわけです。
  言い換えれば、あの燃える星の出現でおびただしく増加した太陽エネルギーが、瞬時に地軸を貫き、その衝撃ですべての存在次元が高められる――そう考えればいいのではないでしょうか。では、その衝撃で私どもはいったいどうなってしまうのでしょうか。
  ソースは続けます。

  ここで、地球において大規模に起きるのと同様の事柄が、小宇宙あるいは地上に生きる者たちにも起こることが指摘されていることを理解せよ。

  小宇宙とは物質のこと、そして私どもの肉体もこの変異のご相伴にあずかるということです。

  もし、地球のそのようなチャクラが刺激されるとすれば、あなた方自身の中枢への刺激はどれほど大きいことであろう。子らよ、もしあなた方のなかにそのとき神の力に同調し、来るべき光を受け容れる者がほんの2、3人でもいるならが、あなた方は、そのとき自らの存在レベルを変化させ、惑星に光明をもたらすだろう。
  このような神に召された者たちを見いだすことができれば、われわれはこの種族の性質を変化させ、これをはるかに同調したものとするであろう。

  くだいて言えば、ある人(々)がこの膨大なエネルギーを身をもって受けとめ、普通の人間でも許容し得るボルテージまで減圧してくれれば、私どももその振動率に共鳴振動して自らを新しい次元に高めることができる――という意味なのです。

 多数のキリスト存在が人類を導く

  まずはじめにこの地上のキリスト存在が自らのなかにこの膨大なエネルギーを取り入れ、自身を「新たな段階(次元)」まで高めるわけです。そして今度は、その結果起こる人類の意識レベルにおける衝撃波を私どもの体が受け容れ、それによって自らの「変態(メタモルフォーゼ)」を果たす――といったプロセスかと思われます。
  これをわかりやすい比喩で言えば、たとえば音叉を考えてみてください。ある音叉が外部からの衝撃を受けて音を発すると、その周りにある別の音叉もこの音を発している音叉の音波(波動)に同調して、みな同じように鳴りはじめます。この場合の最初の衝撃を「燃える星のエネルギー」、はじめに鳴る音叉をキリスト存在、そしてそれと共鳴振動する音叉が私ども――と考えたらわかります。言うなれば、スケールの大きな「念波同調」です。
  テレビのユリ・ゲラーに“同調”してスプーン曲げが出来る人がたくさんいます。科学的にはなんとも説明し難い現象が、現に物理的事実として起こっているのです。
  このような「同調現象の奇跡」は心的レベルにおいては現実に起きたことがありました。約2500年ほど前、釈尊が菩提樹の下で悟りを開いたとき、周りにいた修行僧1万人以上が釈尊と同調して瞬時に解脱の境地に達したと言われています(「仏陀の場」と呼ばれて有名です)。
  こういうカリスマ現象は、よりスケールの小さいケースでは過去にもたびたび見受けられたようです。ただ、今度は物理的変化まで伴う大きなスケールであるため、キリスト存在は一人でも多い方が効率がいいらしく、20世紀の聖者クリシュナムリティによれば、「ともに行動する目覚めた人が10人は必要である」と述べています。
  オショー・ラジニーシの方は「100人は必要である」と言い、哲人グルジェフは「1000人である」と告げています。黙示録に出てくる「14万4000人」を今度の覚者ボランティアだろうとする説もあります。
  では、私たちがそのキリスト存在に同調するとどういうことが起こるのか。

 あなたがたは「光の体」になる

  ソロモンのソースによると、奇想天外なことが起こるらしいのです。

  次元が備えられ、キリストご自身であるグレートシップへの召命が起こるとき、その次元に入る準備のできている人々は重い世界を離れ、軽い世界に入るであろう。

  「重い世界」がこの物質世界(物理的肉体)であるなら、「軽い世界」とはいったい何なのか。その場合、私たちの体はどうなってしまうのか。

  あなた方のなかにはそのとき瞬時に変えられてしまう人々がいる。あなた方が肉体をここで捨て去るというのではない。突如としてあなた方は物質の体と光の体とを知り、重く濃密な物質を光に変えてしまう。あなた方は肉体に関するものを何一つ失わないし、死んだ肉体を後に残すのでもない。死せるものを生けるものに変えるのである。

  彼らは皆、体に帯びる物質を減らし、大きく拡大された次元のなかに入っていく。それは四次元という表現では足りない。変化はそれ以上のものである。

  このことがなされるならば、準備されるならば、それらはあの一なる異象に至るであろう。あなた方は周囲の霊を見るであろう。

  霊が見えるということは、いわゆる「霊的世界」と同次元になってしまうということです。私どもの体は、俗に言う「霊体」になってしまうわけです。しかも、死ぬことなしに。
  聖書に「エノクは死をみることなく天に移された」とありますし、18世紀のフランスに実在したサン・ジェルマン伯爵という人は、1世紀以上にもわたってその世の時空間を無視した出没の仕方をしたことが記録に残っています。
  わが国でも、小野篁(たかむら)という人があの世とこの世を往来していたと言われていますし、チベットの高僧のなかには衆人環視のなかで突如透明になって見えなくなってしまう聖者がいると、中沢新一氏などが紹介しています。
  ただ、以上はあくまで個人的な特例でしたが、今度のケースでは、普通人が団体で次元飛翔を果たせるというのです。しかもそのときは間近に迫っているとか。

  時は迫っている。そしてこの時代に天と地の新しい表現に備える光の体を形成する必要がある。肉体の振動の時代は過ぎ去り、神への旅における人間の発達にとって、それはもはや適当なものではなくなっている。私たちはもはや物理的である必要はないのである。

 新しく生まれなければ神の国を見ることはできない

  では、このラプチャーは聖書のなかでも預言されているのか。当然です。これがイエスの言う「四方からその選民を呼び集める」ときで、これこそ奥義なのです。それをパウロは次のように述べています。

  あなた方に奥義を告げよう。終わりのラッパの響きとともに、またたく間に一瞬にして変えられる。というのは、死人は朽ちないものに甦らされ、わたしたちは変えられるのである。
                             (コリント人への手紙T−15/51)

  「朽ちるもの」とは物理的肉体のことで、それが「一瞬にして変えられる」と言い、しかもそれは「眠りにつく(肉体的死)」のではないと念を押しています。そして、

  この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである。(同)

  この「朽ちないもの・死なないもの」こそ、新しい「霊的BODY」のことを意味しているわけで、これこそ「新しいブドウ酒は新しい革袋に入れよ」(マルコ伝)の真意ではないでしょうか。
  では「聖書に書いてある言葉の成就」とは何か。これぞまさしく、あのイエス最大の聖句「神の国は近づけり」の「神の国」に違いありません。そのとき、

  私たちの卑しい体をご自身の栄光の体と同じ形に変えてくださるであろう。
                             (ピリピ人への手紙3/21)

  すなわち、私どもは“神の体”となるのです。

  よくよくあなた方に言っておく。誰でも新しく生まれなければ神の国を見ることはできない。
                                (ヨハネ福音書3/3)

  この一大事を、またソロモンのソースに語ってもらいましょう。

  あなた方はこのように理解するとよい。この世界が高められた段階に変えられることが必要なだけなのである。人がそのとき、瞬時にして次元を変化させるならば、教会の“ラプチャー”として述べられているのと同じありさまで、彼(皆さんのこと)は空中で主にまみえるために取り上げられる。(ソロモン)

  これこそがラプチャーだったのです。
  私たちの物理的肉体が空へ持ち上がるわけではなかったのです。すでに霊的BODYに変身した以上、空中どころか月でも火星でも、どこへでも一瞬にしてたどり着けるわけで、一足先にラプチャーを成し遂げていたキリスト存在(その他のボランティア)とも上位次元世界で出会える道理です。
  これを敬虔なクリスチャン側の実感から言えば、「人の子(イエス)が雲に乗って」お出迎えにきてくださると感じるかもしれません。その意味では、聖書の記述も間違っていなかったといえましょう。いずれにしても、

  変動が起こるとき、多くの者が移動するであろう。しかし、物質的にどこそこということにとらわれるな。(ソロモン)

  そうです。ラプチャーとは物理的に空中に浮かび上がるのではありません。天(神)の空間に次元飛翔するのです。そう、“大いなる飛翔”を!

 肉体・魂・霊は一体となって主の足元にひれ伏す

  そのとき、キリストに結ばれて死んだ人たちがまず甦り、生き残っている私たちはたちまち彼らと一緒になって雲の上に引き上げられ、空中で主と会うのだ。
                      (テサロニケ人への手紙4/16)

  雲の上に引き上げられるのは“甦った死者”と生き残っている私たちの両方であって、それが「空中で一緒になる」というのです。しかも、

  私は主の言葉によって言うが、生き永らえて主の来臨まで残る私たちが眠った人より先になることはないであろう。(テサロニケ人への手紙)

  “眠った人”とは死者のことですから、つまり死者が先で、肉体人間は後回しだと言っています。これはイエス預言からも確認できます。
  「地(この世)の果てから天(あの世)の果てまで、四方からその選民を呼び集めるであろう」ということですから、死後の世界だけのことではないのです。
  キリスト教会が言う「死者が永遠の眠りから覚まされ、墓から甦る」というのはこの日のことを指しているのでしょう。

  ある者は永遠の生命と平安のために、ある者は永劫の恥辱に遭うために目を覚ます。
                                 (ダニエル書12/1)

  一方、この世の人間のほうは、

  半霊半物質の世界に移行するのであるから、半霊半物質の肉体とならねばならん。
                                      (日月神示)

 そのような体になったら、

  原爆も水爆もビクともしない肉体となれるのであるぞ。いまの物質でつくった何物にも影響されない新しい生命が生まれつつあるのぞ。岩戸開きとはこのことであるぞ」(日月神示)

  こうなれば、もうあの「ハルマゲドン」も「恐怖の大王」も恐れる必要はありません。その「恐怖の大王」を預言したノストラダムスにさえ、次のような祝福の詩があるのです。

  魂なき肉体は もはや犠牲とはならず
  死の日は復活の日とならん
  神の御霊(みたま)は魂を幸せにし
  不滅のみ言葉が具現せん         (諸世紀U/13)

  「不滅のみ言葉」こそ、イエスが「わたしの言葉は滅びることはない」というその言葉を指しているのでしょう。その言葉に関しては次のような詩もあります。

  神の言葉が実質的に与えられる
  天地の間の神秘的な事象が明らかとなり
  肉体・魂・霊は一体となって すべての能力を備え
  天の座に集まって主の足元にひれ伏す    (諸世紀V/2) 

  最後の句は「ラプチャーされた人々」の光景でしょう。そこでは「肉体と霊魂が一体となり、神の言葉(預言)が成就する」というのです。とはいえ、さすがに信じがたいですか。よくわかります。次の日月神示を読んでください。

  今度の立て替えは人間の立て替えとは大分違う大そうじざぞ。見当とれんのざぞ。‥‥何もかも、人民までが変わるのが今度の大立て替え。食物も衣類も住居も、みな変わると申しているときがきているのぞ。‥‥地上界のすべてが変わるのぞ。人民このままというわけには参らぬ。死んで生きてくだされよ。(日月神示)

  しかし、やはり信じがたい。それもわかります。何しろ地球誕生以来46億年間、2つのお天道様をもった経験はなかったわけですから、それによって起こる事態は信じられない方が普通なのです。ノストラダムスも言っています

  理性的知性によって創られた理解は、それ自身からして「隠された世界」には適していない。(セザールへの手紙)

  ソロモンも、

  あなた方の知ることもなく、人の心が想像すらできない新しい地球、新しい天の夜明けである。(ソロモン)

  要は、私どもの認識力の問題だと思います。私どもの大脳はいままでの経験にない事柄はうまく理解できない仕組みになっているのです。

  科学は、科学のことはわかるが、それよりうえのことはわからん。科学は、あるものがあるということだけしかわからんのじゃ。(日月神示)

 変貌を遂げた“超人類”が誕生する

  私どもはこの新しい人類をなんと呼べばいいのでしょう。ニーチェは「われ、汝に超人を教う」(ツァラトウストラかく語りき)と述べています。
  これぞまさしく“超人類”の誕生なのです。

  人類はいつかその進化の頂点であるオメガ点をめざして“超人間化”し、この空間と時間から出て行く」(シャルダン)

  もしあなたが超人類に関心をお持ちなら、アーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』という作品をお勧めします。宗教SFの金字塔とまで激賞する人もいる傑作で、とくにその「20章」は泣けてきます。
  ところで従来、この“超人類”に関しては、DNAの変換とか、脳の機能の拡大とか、それによる超能力の開発とか、要するに物理的レベルでのみ論議がされてきました。しかし、現代人が思いつく程度のものを“超”と呼べるのでしょうか。私どもの理解をはるかに超えるレベルだからこそ“超”がつくのです。
  問題なのは、ここでも“肉体中心”で、器(肉体)があるから中身(心)が生じるという考え方なのです。瓶が変わったからブドウ酒がウイスキーに変質したというようなもので、完全に逆立ち思考と言えましょう。
  人間が精神的存在である以上、超人類も“心”の世界からアプローチするのが本筋ではないでしょうか。

  来るべき理解のための最善の準備は、心のうちにある。(ソロモン)

  ヒトラーが文明の終焉と超人類の出現を予告していた

  あのヒトラーは、ユダヤ人を虐殺した専制独裁者としてだけでなく、人類最大の黒魔術師(オカルティスト)としても注目されています。
  彼が、この“超人類”に異常なほどの関心を持っていたからです。かのユングも、「ヒトラーは真に神秘的な呪師の範疇に属する人間である」と記しています。
  そのヒトラーによれば、「人間の太陽期は終焉に向かいつつある。いまこそ世界史の転換期である」(『永遠なるヒトラー』ラウシュニング)として、

  巨大な変動により突如世界は別のものとなると黙示録は教えている。しかり、世界史は突然終焉するのだ。

  しかし、天地創造は終わっていない。少なくとも、人間という生物に関する限り終わってはいない。人間は生物学的にみれば明らかに岐路に立っている。創造の作業は終わっていない。人間はいまや変身の時期を迎えている。いまや人間は後戻りしているようにみえるが、これはさらに高く昇るためなのである。

  どのようにして高く昇るのか。

  完全に自然科学的意味における突然変異によってである。

  その突然変異によって現れる新しい種類の人間とは何か。

  人類の求めているのは神の子の到来である。人類は2つの変種となる。われわれは光の子だ。わかるかね?

  古い人類は衰退形態においてのみ、その生を生き永らえるのである。両者を「神人」および「獣的人間」と呼ぶことにしたい。

  人間は超克されなければならぬものだ。これこそ明快な意味なのだ。人間とは生成途上の神である。

  「すべては進化する。進化することのみが善である」(神秘学の哲理)ということです。地球や人類は滅亡するのではありません。新しい人間に“進化”するのです。“変身”するのです。
  そして、ほとんどの預言が「その日」は間もなくであると告げています。

  いまが自分を次の次元に引き上げる、ここにいる多くの者にとって最後の時代であることを知れ。到来しつつあるあまりにも重大な再臨として述べられている時代であることを。
                                           (ソロモン)

 ひとりは取り去られ、ひとりは取り残される

  でも、待ってください。喜ぶのはまだ早いのです。

  そのとき、ふたりの者が畑にいると、ひとりは取り去られ、ひとりは取り残されるであろう。
                                     (マタイ伝24/40)

  獣となりて這い回る人と、空飛ぶような人と、二つにハッキリ分かりてくるぞ。(日月神示)

  要するに、全人類がすべてこの恩典にあずかれるわけではないらしいのです。これはまことに切ない事態と言えましょう。なぜなら、ある日突然、あなたの親や子、夫や妻、恋人や友人が、あなたの目の前から(神隠しのように)消えてしまうのです。そして、あなただけが取り残されるとしたら‥‥。
 考 えたくない光景です。でも、あなたの感情や願望で「神の計画」が変更されるわけではありません。ならばここはともに頑張るしかないのです。

  大峠の最中になったら、キリキリ舞いして助けてくれと押し寄せてくるなれど、そのときでは間に合わん。逆立ちしてお詫びに来ても、どうすることもできん。みな己の心であるからぞ。いまのうちに改心結構。(日月神示)

  準備せざる者たちは、天を見上げたまま後に残され、神がそのときでさえ自分たちをお受け入れになるよう、天に向かって泣き叫ぶが、彼らは準備ができていない。もう遅すぎるのである。(ソロモン)

  「泣き叫んでも遅すぎる‥‥それは準備ができていないからである」と言っています。なんの準備か。魂の側の準備です。

  肉体の恐ろしさではないぞ。霊(たま)の恐さぞ。霊の戦や禍は見当とれまいがな。
                                           (日月神示)

  実は私どもは信じがたいほどの昔から、数多くの転生を経て、今日ここにいるのです。

  そなたは何万年の原因から生まれた結果であるぞ。(日月神示)

  その過去世における労苦や苦闘のいっさいは、ひとえにこの“大いなる飛翔”を期待しての準備だったのではないでしょうか。釈尊の言葉でいうならば、これこそが「解脱・成仏」だったのです。
  いままでそれは個人的な問題でした。しかし、こんどは100億年に一度の“恩典”で団体で飛翔できる(らしい)のです。

  以下はあなた(肉体我)に対してでなく、あなたの真我に対して申しあげます。よく聞いてください。
  もうときがないのです。いまはいたずらに惰眠をむさぼっているときではありません。あなたの肉体我が、この世の快楽に惑い溺れているのを、ただ黙って見ているときではないのです。ただ漫然と手をこまぬいているときではないのです。いまこそ目覚めてください。気づいてください。

  ここまで世が迫りているのぞ。まだ目覚めぬか。神はどうなっても知らんぞ。早く、早く気づかぬと気の毒できるぞ。そのときになりては間に合わんぞ。(日月神示)

  あなた方はホモサピエンスの最後の世代になるという事実に直面しなければならないのだ。(クラーク『幼年期の終わり』より)

 ラプチャーに取り残される人々がいる

  ならば、とてもノホホンと遊び呆けているときではないはずです。

  あなた方が放縦や泥酔や、世の煩いのために心が鈍っているうちに、思いがけないとき、その日がワナのようにあなた方を捕らえることがないように、よく注意していなさい。
                                     (ルカ伝21/34)

  よく注意していなさい。その日は地の全面に住むすべての人々に臨むのであるから。
                                     (ルカ伝21/35)

  目を覚ましていなさい。わたしがあなた方に言うこの言葉は、すべての人々に言うのです。
                                     (マルコ伝13/37)

  つまり、宗教宗派を問わず、国家民族を問わず、すべての人々に平等だというのです。では、どういう人々が「取り上げられる」というのか。
  その前に詰めておきたいことは、この地上にはまだ「取り残された」組が生存しているということで、この物質地球は終わっていないことを意味しています。ラプチャーはこの時点で起こる「かつてない艱難」から選民たちを救い出すための、いわば臨時の“緊急避難措置”といえましょう。
  では、そのラプチャーが起こるのはどのようなときなのか。黙示録では「日は暗くなり、月はその光を放つことをやめ‥‥」とあった、あの燃える星がはじめて太陽系に侵入してきて、天に大いなる異変がみられた時点です。
  では、各預言書が「その日」の箇所をどう記しているかみていきましょう。

  四方からその選民を呼び集めるだろう。(イエス預言)

  彼らはもはや飢えることなく、かわくこともない。太陽も炎暑も、彼らを侵すことはない。
                                      (黙示録)

  みよ。主の日が来る。(イザヤ書)

  また、うえでは天に奇跡を見せ‥‥そのとき、主の名を呼び求める者は、みな救われるであろう。(使徒行伝)

  古くから言われているように、太陽は暗くなり、大地はあちこちで裂け、神の道を奉じてきた人の心と魂のなかへ、聖霊の介入によって主の星が現れ、自己の至聖所に入ろうとする人々に道を指し示す。(ソロモン)

  何も心配ないから神の仕事をしてくれよ。神の仕事しておれば、どこにいても、いざというときには、神がつまみ上げて助けてやるから、御用第一ぞ。(日月神示)

  これらの起ころうとしているすべてのことから逃れて、人の子の前に立つことができるように、たえず目を覚まして祈っていなさい。(ルカ伝21/36)

  「起ころうとしているすべてのこと」――それが「かつてない艱難」であり、その艱難から逃れて「人の子の前に立つ」ことこそ、ラプチャーだったのです。

  あなた方の間には何ひとつ恐怖がないようにせよ。準備した者たちはその光が現れるときに引き上げられ、これらの体を離れ去るであろう。自らを引き上げつつ、彼らは光のようになり、自らの一部であるあの光に磁石のように吸い寄せられていく。(ソロモン)


●なわのひとこと●なわ・ふみひと
  この本の圧巻は第7章の「666から777超人類への大飛翔」です。ここには、「神の国に行ける人はどのような人か」ということが述べられています。 
 よく研究されていて大変説得力のある内容ですが、神秘学や霊学、あるいは聖書や仏教に関する基礎的な知識がないとなかなか理解できないと思います。この章の見出しを以下に載せています。これらの見出しからも内容の難しさが想像できるのではないでしょうか。
  ソロモンのソースも「来るべき時代への最善の準備は心のうちにある」と述べていましたが、要するに私たちがどのような心の持ち方ができるかということが、大飛翔できるかどうかの鍵を握っているわけです。それをひとくちに「愛」と表現している予言もありますが、その愛の定義も簡単ではありません。紫藤氏の分析の一部を以下に載せていますのでご覧ください。
 このように大変難解な内容ですので、第7章は割愛させていただきました。関心のある方は本書を購入してチャレンジしてみてください。
 自信がないと思われる方は、拙著『2012年の黙示録』(たま出版)に目を通していただくことをお勧めします。結論部分は、この『ヤハウエの巨大潮流預言』と全く同じです。その結論にいたる論理の展開を、私の本ではできるだけ平易に表現したつもりです。
 既に読まれた方は、さらに何度も読み返していただきたいと思います。表現をやさしくしていますので、大事な内容をさらっと読み飛ばしてしまわれる恐れがあるからです。
 あの本を出版したあとも関連するテーマの書籍をいろいろと読み返していますが、執筆した内容を加筆修正する必要が全くないことで、更に自信を深めています。
 ちなみに、私の本の巻末に載せている「参考文献」群は、家の本箱に並んでいる書籍の中から、ぜひ多くの人に読んでいただきたい本をアトランダムにリストアップしたもので、執筆時に直接参考にしたわけではありません。 


●●●第7章 666から777超人類への大飛翔 ●●●
  以下はこの章の見出しです(本文は割愛)。
●万物の根源は地水火風の“四大”にある
●地水火風は重層構造になった界層世界を表す
●古来の哲理は四大を基盤としている
●すべてはスパイラル状に進化していく
●聖書も四大の周回構造をもっている
●7万2000年に一度という周回の転換期
●落ちこぼれた者は「永遠の刑罰」をうけなければならない
●愛には四大のそれぞれのレベルがある

  地位相の愛
  ここは物質レベルの段階ですから、主として金銭や物品に対する「愛執」、男女関係で言えば「肉体的愛欲」のレベルといえます。このレベルではとても飛翔は及びもつきません。当然落第組となります。

  水位相の愛
  「感情・情念レベルの愛」の段階です。世間一般で“愛”と呼ばれているのは、おそらくこの水準だと思います。ここはこの世の世俗性と接触している界層ですから、その愛は自己を中心とした“社会的な関係性(人間関係)”がその主な対象となります(親子、夫婦、恋人、友人、あるいはペット‥‥。キリスト教のいう“隣人愛”はここの最高水準といっていいでしょう)。
  ただし、このレベルは愛と言うよりもむしろ“情”の範疇で、残念ながら飛翔はできません。もうワンランク、レベルアップする必要があるのです。

  火位相の愛
  さあ、ここに至ってやっと合格ラインと接触するようになりました。とはいえ、この水準の理解はなかなか厄介なのです。
  つまり火の座は地位相(この世の社会性)とは直接のコンタクトがなく、さらにここは知性による抽象思考(精神性)の領域ですから、具体的な対象に対する愛ではなくなってしまうわけです。強いて言うならば「普遍的愛念」とでもいうべきでしょうか。「ありとしあらゆるものに対する愛おしみの心」といったレベルとなります。
  対人関係で言えば、「すべての人間に対して相手の悲しみをわがことのように悲しみ、その喜びをわがこと以上に喜べるシンパシー‥‥」。これはちょっと無理でしょうか。でも、これが必要な水準であることを忘れないでください。
 
 
上(かみ) 顕界 幽界 霊界 神界
神(信仰) 現世利益(物) 不安除去(心) 真理直覚(霊) 神我一如(神)
愛 愛欲(関係) 愛情(感情) 愛念(精神) 愛(真如)
四大 地 水 火 風
 
 
●宇宙飛行士の“臨神感”こそ高レベルの信仰心
●私たちは神へと進化する“成長途上神”だった
 
 
 
 
 
 
 
 
2012年の黙示録-Bookstand3号室
終末と神の国誕生の超預言
http://www.h2.dion.ne.jp/~apo.2012/daiyogen28.html
 
 
2000年5月全世界は壊滅する!!
終末と神の国誕生の超預言
紫藤甲子男・著  たま出版  1999年刊


千年王国
 千年王国の到来と空中携挙

●世界は炎で焼かれ、その残りの灰から新しい天と地が創られる。(ミルトン・『失楽園』)

●ここでノストラダムスに耳を傾けましょう(『諸世紀』の中でも最も格調の高いことで有名な詩です)

 魂なき肉体は、もはや犠牲とはなず
 死を迎うる日は、復活の日とならん
 神の御霊は、魂に歓喜を与えたまい
 不滅の御言葉は、いまここに具体化せん
                   (U−13)

 神の御言葉が、実質的に与えられん
 天と地の隠された神秘的事柄は、いま明らかとなり
 肉体・魂・霊は一体となりて、あらゆる力を備え
 みな天の座において、主の足元にひれ伏す
                   (V−2)

●この「神の国」こそが聖書のいう「千年王国」であり、日月神示のいう「みろくの世・松の世」でしょう。この時代は文字通り「千年間」続くと多くの預言書に記されています。
<ノストラダムス>「それから神と人間との世界に平和が訪れます。それはおよそ千年の間安定し続けるでしょう」(セザールへの手紙)
<黙示録>「彼らは生き返って、キリストとともに千年の間支配する」(11/6)
<ケイシー>「最後の審判のときに、信仰深く公正であった者たちは、千年の間治め裁くために主に取り上げられるのだ」(5755/2)
 なお、仏典<観弥勒下生経>の中でも「弥勒の世は千年続く」と告げられています。
 そして、ケイシーが述べている「主に取り上げられる」人々。これこそが「空中携挙」なのです。(中略)
 これは、主にクリスチャンの間で古くより信じられてる教義で、「終わりのとき、イエス様が雲に乗ってやってこられ、敬虔な信者たちを空中に引き上げて終末のかん難から救って下さる」といった信仰です。言うなれば地上からの緊急避難組で、この選民達が千年王国の住人となるわけです。(中略)
 恐らく黙示録の次の言葉からきたものと思われます。
 「その時、天から大きな声がして、『ここに上ってきなさい』というのを、彼らは聞いた。そして彼らは雲に乗って天に上った」(11/12)

 選民はどのようにして行われるか

●しかし、そもそもの出発点はこの「空中携挙」という言葉にあります。
 これは英語の「Rapture」の翻訳語ですが、手元に英和辞典があれば引いてみてください。どこを探しても「空中」にしろ「持ち上がる」にしろ、そんな意味は載っていないでしょう。この語の本義は「狂喜、歓喜、忘我、恍惚」。すなわち最近流行の「至高体験」を意味する言葉なのです。(中略)
 事実、本職の牧師でもあるポール・ソロモンもそのソースを通じ、次のように述べています。
 「もしあなた方が福音で宣べ伝えられていること、召される教会のラプチャーを考えているとすれば、それはあなた方が迷信とみなしているものとさほど異なるものではないのである」(241)
 では、「迷信」でない真のラプチャーとは何か、まずイエスに聞いてみましょう。
 「そのとき彼(神)は御使いたちをつかわして、地の果てから天の果てまで、四方からその選民を呼び集めるであろう」(マルコ伝13/27)
 いいですか、このラプチャー(選民)は地(この世)だけでなく、天(あの世)の霊魂もその対象とされているのです。もっともこれは当たり前の話で、終わりのとき「死者はその眠りから覚まされ、裁きの庭に立つ」ということでした。だとしたら、最後の審判でラプチャー組に選ばれる死者も、もちろんいるわけでしょう。(中略)
 では、別の預言でこれを確認してみましょう。
 「そのとき、キリストに結ばれて死んだ人たちがまず甦り、生き残ってる私たちはたちまち彼らと一緒になって雲の上に引き上げられ、空中で主と会うのだ」(テサロニケ人への手紙4/16)

●「あなた方に奥義を告げよう。私たちすべては眠りにつくのではない。終わりラッパの響きとともに、またたく間に一瞬にして変えられる。というのは、死人は朽ちないものに甦らされ、私たちは変えられるのである。この朽ちるものが朽ちないものを着、この死ぬものが死なないものを着るとき、聖書に書いてある言葉が成就するのである」(コリント人への手紙T・15/51)
 最後にある「聖書にある言葉」が「神の国の成就」であることは、すでに度々見てきました。そしてその「神の国」へ入るためのラプチャーですから、「眠りにつく(死ぬ)のではない」と念を押しているわけです。では、どうなるのか。一瞬のうちに「朽ちるもの→死ぬもの→物質肉体」から、「朽ちないもの→死なないもの」へと変えられるといってます。これこそが「奥義」だというのです。では、どんな体なのか。
 「私たちの卑しい体を(神)ご自身の栄光の体と同じ形に変えて下さるであろう」(ピリピ人への手紙3/21)
 この「神ご自身」は上位次元者ですから、私どもの「卑しい体(肉体)」も、それと同じ次元になるということでしょう。なぜそうする必要があるのか。
 「わたしのおる所に、あなた方もおらせるためである」(ヨハネ福音書14/3)
 その「わたしのおる所」は当然「神の国」ですから、今やこの世が神の国化した以上、そこの住人の肉体もそれに見合った存在になる必要があるわけです。そして、神の国が「あの世的世界」であることも、すでに見たとおりです。ならば、そこで死者と出会っても不思議ではないことになりましょう。これがイエスのいう、「新しいブドウ酒は新しい革袋に入れよ」(マルコ伝2/22)の意義であるように思います。

 神の国になったらどうなるか

 ここらあたりは、ポール・ソロモンのソースの最も詳しいところで、
 「あなた方の中には、そのとき一瞬にして変えられてしまう人がいる‥‥あなた方が肉体をここで捨て去るというのではない。突如として、あなた方は物質の体と光の体とを知り、重く濃密な物質を光に変えてしまうのだ」(185)
 物理学では「物質とは、結局、凍結されたエネルギー(光)のことである」という言葉があります。この場合、こう考えてみたらどうでしょう。たとえば、氷が温められて水になったとき「氷が消滅した」というでしょうか。いや、氷というのはもともと特殊な状況下にあった水なのです。それがまた元の状態へ戻ったに過ぎません。私たちの肉体(物質)も本来は「光」だったのかも。ならば‥‥
 「肉体の振動の時代は過ぎ去り、神への旅における人間の発達にとって、それはもはや適当なものではなくなっている。私たちはもはや物理的である必要はないのである」(285)
 春になって「私たちはもはや氷である必要はないのである」と水がいうかも知れません。
(中略)
 「彼らは皆、体に帯びる物質を減らし、大きく拡大された次元の中へ入っていく。それは四次元という表現では足りない。変化はそれ以上のものである」(604)
 ここでも「次元」という言葉が確認できます。しかも、その変化は「四次元以上」だとか。これについて、ケイシーのソースは
 「(現在の)地球は、この太陽系では単に三次元(空間)を表すに過ぎない。では、この太陽系にはいくつの次元があるのか、それは八次元である」(5757/2)
 ここにある「地球は単に三次元を表す」とは、太陽系においては三次元生物の存在する唯一の星、そういう意味ではないでしょうか。(実際、神秘学の教えによれば、この地球以外の惑星にも、三次元以外の存在なら知的生命体は実在すると告げているのです)
 今度は我が(日月神示)の方でこれを見てみましょう。
 「大地も転位、天も転位するのぞ」(五葉之巻15)。どのように?
 「八方的地上から十方的地上になるのであるから、総ての位置が転ずるのであるから、物質も念も総てが変わるのであるぞ」(至恩之巻14)
(中略)
 「灰になる肉体であってはならん。原爆も水爆もビクともしない肉体となれるのであるぞ。今の物質で作った何物にも影響されない新しい生命が生まれつつあるのぞ」(五葉之巻16)。
 いうまでもなく、物質は物質にしか影響を与えることができません。これを見る限り、私どもはついに物質を超えた体になるのです。
(中略)
 「あなた方はこのように理解するとよい。この世界が高められた段階に変えられることが必要なだけである。人がそのとき瞬時にして次元を変化させるならば、教会のラプチャーとして述べられているのと同じ有様で、彼(皆さん)は空中で主とまみえるために取り上げられる」(ソロモン241)
 「よくよくあなた方にいっておく。誰でも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」(ヨハネ福音書3/3)

 臨死体験が意味すること

 どの道、肉体的には一度死なねばならないのです。この地球自体が今の肉体では生存できない環境になってしまうのですから。ここらあたりは「日月神示」がより詳しく、
 「何もかも一旦は天地へお引き上げぞ」(36)
 「残る者も一度は死ぬことあるぞ。死んでからまた生き返るぞ」(38)
 「地上界が総て変わるのぞ。人民のみこのままというわけには参らぬ。死んで生きてくだされよ」(星座之巻8)
 「人民一度死んでくだされよ。死なねば甦られん時となったぞ。今までの衣を脱いでくだされと申してあろう」( 〃 )
 「着物脱いで裸体になること、つらいであろうなれど、脱がねば新しい着物着られんぞ」(667)
 「大掃除激しくなると、世界の人民は皆、仮死の状態となるのじゃ。掃除終わってから因縁のみたまのみをつまみ上げて、息吹き返してミロクの世の人民と致すのじゃ」(紫金之巻4)

 神の国とはどんな所か

●「神は天にあるもの地にあるものをことごとくキリストにあって一つに帰せしめようとされたのである」(エペソ書1/9)
 いうなれば、天(あの世)と地(この世)を一つに合体するということです。
 それを今度は「大本神諭」「日月神示」の預言から見てみましょう。
 双方とも「三千世界をひとつに丸める」という言葉がくり返し出てきますが、さらに
 「天も地も世界が平均(なれ)るのであるから、今までの行為(おこない)を致して居ると大失敗を喰らうぞよ」「今までは天地揃ふての世ではなかりたが、(これからは)天と地が一つになりて統治(おさめ)るぞよ」(大本神諭)
「三千世界、一度に開いて世界一列一平一つのてんしで治めるぞよ」(日月神示)

●今までの三界はそれぞれ別階層で、全く交流のない世界でした。せいぜい、霊能者が幽界のとば口をかいま見る程度が関の山だったわけです。それが「神の国」では、「天(あの世)と地(この世)が一つになりて治める」ということです。単純化すれば「この世があの世化する」と考えればいいでしょう。
 「新しい人民の住むところ、霊界と現界の両面をもつ所」(日月神示)
 では、そこでの人間はどんな姿になってしまうのか。いえ、本当は考え方が逆で、
 「物質界は霊界の移写であり衣であるから、霊界と現実界、また霊と体とは殆ど同じ形をしているのであるぞ」(日月神示)
 ただし、霊界の方では物質的制約が全くなくなるわけですから
 「霊界は無限・絶対・自由自在であるぞ」(日月神示)
 「日々に 神の心の 急き込みは 自由自在を 早く見せたい」(おふでさき)
(中略)
 どんな事態か、要するに天と地が合体するのですから、私どもはそこで神々(上位次元者)と一緒に暮らすことになるのです。ウソではありません。東西の預言が口をきわめて次のように告げています。
 「これまでは 如何なる神と ゆうたとて 眼にみえんと いうていたなり」(おふでさき)
 「この度わ どの様な神も 真実に 現れ出して 話するなり」(おふでさき)
 今の世では、神というのは「目に見えない存在」だといっているが、今度来る世では、その神々と直接会って話ができるようになる。そう告げているのです。これはソロモンのソースも同様で、
 「そのこと(ラプチャー)がなされるならば、準備されるならば、それらはあの一なる異象に至るだろう。あなた方は周囲の霊を見るであろう」
 「周囲の霊が見える」のは何も霊視力が高まるからではありません。人間が神々と同じ次元の存在に変異するからで、これを「一なる異象に至る」と表現しているようです。いいいかえれば、
 「彼(キリスト→神)が現れるとき、私たちは自分たちが彼に似たものとなることをしっている」(ヨハネへの手紙)
 「似たもの」とは同じ姿形ということではなく、「わたしたち」人間が神と同位相の次元にレベルアップするという意味でしょう」

 神の国の住人とは

 「新しい霊界は、神人共でつくりだされるのざ」(日月神示)
 「神と人と一つになって、一つの王となるのぢゃ。上下揃うて一つになるのぢゃ」(日月神示)
 「神と人間、同じになれば神代ざぞ」(日月神示)
 「地上は砂漠のようになるでしょう。そして、神と人との間に平和と和解のときが訪れるでしょう」(聖母預言/ラ・サレットの告知)
 「見よ。神の幕屋が人と共にあり。神が人と共に住み、人は神の民となり。神自ら人と共にいまして、人の眼から涙をぬぐいとってくださる」(黙示録)
(中略)
 これは比喩でも何でもなく、まさにありのままの事実を述べていたのです。ただ、私どもは今まで各宗教が説いている、いかにも宗教臭いイメージで神を考えていたので、何やら構える姿勢になってしまうのではないでしょうか。神とは、要は私どもの世界より上位次元に住む存在なのです。したがって、次元上昇する次の世界では、
 「今度世変わりたら、臣民この世の神となるのざぞ」(日月神示)
 「新しき世とは神なき世なりけり。人・神となる世にありけり」(日月神示)
 ともあれ、このように飛翔した人間たちを、
 「今までは 同じ人間 なるように 思ているから 何も分らん」(おふでさき)
 「しかと聞け 同じ人間 なる様に 思ているのは これは違うで」( 〃 )
 これがいわゆる「超人類」の誕生です。「超」といっても、現在の肉体や大脳がスーパーマン化するのではありません。
 「世が代わるのであるから是迄に無かりた事が出来るぞよ」(大本神諭)
 ということで、文字通り存在の次元が違う人類が誕生するのです。それをこの神は、
 「だんだんと 珍しい人が 見えてある 誰の目にも これが見えんか」(おふでさき) 
 この「珍しい人」こそ超人類だと思います。すでに神の次元ではこの人類が見えているのでしょう。

 神の国の住人と神との関係

●「神」も人類の進化した姿なのでしょうか。どうもそうではないようです。真の神と呼ぶべき存在は、恐らく現人類よりは1進化期(以上)レベルの進んだ霊的生命体のように思われます(私どもでさえ次元上昇するというのに、神存在が、物理的肉体をまとっているはずもありません)。
 要するに、この神々は遠い昔、この地球上で進化を果たして神になった魂ではないということです。これは聖書がはっきりと断言しています。
 「第一の人は地から出て地に属し、第二の人は天から来る」(コリント人への手紙)
 この「第一の人」は私ども地球人で、「第二の人」が天から来た神々‥‥ということは、双方は別系統のようです。すなわち、
 「あなた方は下から出た者だが、私は上から来た者である。あなた方はこの世の者だが、私はこの世の者ではない」(ヨハネの福音書)
 つまり、人間はこの世(地球)から進化した者だが、わたし(神)はこの地球で飛翔を果たしたものではない、そういっているのです。明らかに違う進化系なのでしょう。
 ここらあたりは、ポール・ソロモンのソースが詳しいところで、
 「このように理解するとよい。地表に住む人間がほとんどいなくなり、新時代の指導が教師や長老として訓練された者たちから与えられる時代がくる。新時代の新人類にとって、彼らはまるで神のように目に映じるであろう」
 ここでいってる「新時代の新人類」こそ、あのラプチャーされた選民のことなのです。この新人類にとっても、新しい世界はいささか面食らう環境に違いありません。そこで、「そこには手助けが必要である。他世界から数多くの魂が到来する‥‥高度に進化した魂、大いなる師たちが遣わされるのである」

 この神々は「他世界からやってくる魂」だといいます。これを異次元からと取るか、あるいは別の星からと取るかはなかなかむつかしいとろです。しかし、物理的生命体でない以上、結局はどちらでも実質は同じことだといえましょう。いずれにしても、この方々は新しい地球人をサポートしてくださる、いわばボランティアで、もちろんお一人ではなく「高度に進化した数多くの魂」だといってます。
 そしてこの方々こそが、キリスト(救世主)存在なのです。救世主というのは、私どもを「この世の終わり」から丸ごと救って下さる方ではないのです。そんなことはどの預言書を見ても一言も記されてはいないのですから。ここはくれぐれも間違えないでください。
 さて、以上をまたノストラダムスに説明してもらいましょう。

 天使の子孫による支配が始まる
 彼らは王国を平和な連合により統治する
 逆らう人々の反抗は封じ込められ
 その平和は長く維持されるであろう

 「天使の子孫」が「他世界からやってきた救世主たち」でしょう。この方々はどうやら「天使族」ともいうべき系統のようで、この神々が新人類を支配するといいます。日月神示にあった「一つのてんしで治める(天皇ではありません。天使なのです)」時代ということでしょうか。

 神の国の様子

●「神の国と申すものは光の国、喜びの世であるぞ」(日月神示)
 「新しき臣民の体からも光が出るのざぞ。その光によって、その御位分かるのざ」( 〃 )
 「草木も人民も山も海も光り輝いて、真にそこら中がキラキラ致して頼もしい穏やかな世になるぞよ」(大本神諭)
 「水晶のように物が透き通りて見え出すから、悪の身魂の潜れる場所が無き様になるぞよ」( 〃 )
 「真実に この本道が ついたなら 末は頼もし 陽気尽くめや」(おふでさき)
 「世界中 皆一列に 澄み切りて 陽気尽くめに 暮らすことなら」( 〃 )
 「陽気尽くめ」とは「光尽くめの世」という意味のほか、陰(地)の気が失せるということでもありましょう。西洋系の方でも、
 「そのとき、義人たちは彼の父の御国で太陽のように輝きわたるであろう」(マタイ伝)
 「彼らは王冠の宝石のように、主の土地で高貴な光を放つ」(ゼカリア書)
 「目覚めた人々は大空の光のように輝き、多くの者の救いとなった人々はとこしえに光輝く」(ダニエル書)
 何やら全ての人々は、宗教画の聖人のように全身からオーラを発するようです。あらゆるものが光り輝くということは、要するにみな周波数が上がり、そのエネルギー値が高まったということでしょう。
 物理学でも「次元世界」というのは、結局のところ「エネルギー値の段階的界層性」であろうという説があります。ならば、これが次元飛翔の実態なのでしょうか。少なくとも、今の物理的世界の延長線上に想像できる光景ではありません。
 事実、預言の方でも、新しい世界では、
 「物が大変わり致す」「新(さら)つ洗い替えの世になる」「アンナものがコンナものに成りたと世界の人民に改心致させる仕組」(大本神諭)
 「今までのこと、ちっとも交わらん新しき世となる」「天地一度に変わると申してあること、近づいたぞ」(日月神示)
 「未来の王国は非常に異常な形で出現するだろう」(セザールへの手紙)
 「その事(神の国)が始まるのは、物理的変化がなされた時である」(ケイシー)
 「あなた方の知ることもなく、人の心が想像できない新しい地球、新しい天の夜明けである」(ソロモン)
 みなその衝撃的変化を強調しています。
 「面白や 多く人が集まりて 天の与えと いうてくるぞや」(おふでさき)
 これぞ人々に対する「天(神の国)の与え」ということでしょう。
 このような世界へジャンプするためか、人間の寿命も大幅に延びるようで、
 「世変わりたら、生命長くなるぞ」(日月神示)
 「体は新しくされ若返ることができる。体は地とその影響力を超えるからである」(ケイシー)
 とはいえ一気に不死身になるわけでもなさそうで、はじめの頃は、
 「新しき人民の住む所、霊界と現界の両面を持つ所」(日月神示)
 何やらまだ半分は物質領域に片足を突っ込んだ世界のようです。たとえていえば、神の国を二階とすると、まだ中二階の段階と考えればいいでしょう。ともあれ、
 「半霊半物質の世界に移行するのであるから、半霊半物質の肉体とならねばならぬ」(日月神示)
 その「半肉体」は、それでも今の私どもの体とは大違いで、
 「そこには、もはや若死にする者も、年老いて長寿を満たさない者もなくなる。百歳で死ぬ者は若者とされ、百歳に達しない者は呪われた者とされる」(イザヤ書)
 きんさん・ぎんさんなど、まだはなたれ小娘だというのです。そしてその長寿はさらに延び、出口王仁三郎の預言によれば、
 「人間の長寿は最初に二百歳。やがて四百歳・六百歳となる」のだとか。では、その先はどうなるのか。それを今度は「おふでさき」預言の方で見ると、
 「この助け 百十五歳を 定命と 定めつけたい 神の一条」
 「助け」とは例のラプチャーのこと。ここでは、まず百十五歳からスタートするようです。なら、その後はどうなるのか。
 「その後は 病まず死なずに 弱らずに 心次第で 何時までも居よ」
 気持ち次第で「病まず死なずに」好きなだけ生きていなさいということでしょう。
 もっと先になればどうなるか。
 「また先は 年限経ちた ことならば 年を寄めるは 更に無いぞや」
 ついに年をとらなくなる‥‥ということは結局不死身の体になるということです。それほど「年限経ちた」頃には、もう完全な「全霊無物質」の時代になっており、
 「物の世界から霊の世界へ、無限の世界へ入るから、無限の生命が与えられるのじゃ」(日月神示)
 「そして地に住む人々の心は変えられて、新しい感覚を身につける」(エズラ書)
 ここらは西洋系の方も強調しているところで、
 「正しい者は永遠の生命に入るだろう」(マタイ伝)
 「彼らはもう死ぬことができない。彼らは天使のようであり、復活の子らとして神の子となったからである」(ルカ伝)
 「もはや死もなく、悲しみも叫びも痛みもない。先のものがすでに過ぎ去ったからである」(黙示録)
 「もはや死ぬことも、滅びることも、パンの欠けることもない」(イザヤ書)
 「病は消え去り、死は姿を消し、地獄は遠ざかり、腐敗は忘れ去られる」(エズラ書)
 「そして、その上を歩く者たちすべては光の存在、父なる神と共に歩む聖なる存在と化し、今の次元では想像もできないほど偉大で高貴なものごとをなし遂げるであろう」(ソロモン)
 ついでといっては失礼ですが、かの日蓮上人も次のような予告をなさってます。
 「(ついに人類は)長生の術を得、人法ともに不老不死の理(ことわり)現れん時をご覧(ろう)ぜよ」
 まことに慶賀にたえません。

 想像を絶する夢の国

●そこで選民たちはどんな暮らしをするのか、ここらあたりは引用ばかりとなりますが、何しろ私の頭で想像できる世界ではありません。信じるしかないのです。
 「何もかも人民まで変わるのが今度の大立て替え、食物も衣類も住居も皆変わると申している時が来ているのぞ」(日月神示)
 「神となれば、食うことも着ることも住む家もなくなるぞ」( 〃 )
 「彼らは飢えることなく、渇くこともない」(イザヤ書)
 ありがたい話です。もっとも「食うこと」とは、早い話が肉体細胞に栄養を補給する作業ですから、その肉体が物理的でなくなる以上、「食う」必要もなくなるわけです。
 「今までの様な大小便なくなるぞ。不潔というもの無き世となるのざぞ」(日月神示)
 「私たちの住んでいる地上の幕屋が壊れると、神からいただく建物、すなわち天にある人の手によらない永遠の家が備えられていることを知っている」(コリント人への手紙)
 「いと高き方の都が示されようとしている所には、人間の手になる建物があってはならない」(エズラ書)
 マンションも一戸建てもあってはならないとか。つまり、人間がこの破壊された世界(地上の幕屋)を再建するのではないということです。この物理的世界は、そのまま放置されるのです。そしてこの世界では、
 「金いらぬ楽の世になるぞ」(日月神示)
 衣食住の必要がなくなるからには金を持っていても意味がありません。
 「警察いらんと申してあるぞ」(日月神示)
 金がないのですから、泥棒や詐欺師の出番もなくなるのでしょう。
 「今まで長者というは金持ちが長者や。長者一夜にして倒れるで。これからの長者はころりと違うで」(天理教)
 魂の長者こそ、真の長者であるという意味です。
 「世界のいろは一つになるぞよ」(出口ナオ預言)
 「いろは」とは言語のことで、それが「世界で一つ」ということは、全世界が共通語となるという意味です。多分テレパシーのようなもので意志を通じ合うのでしょう。
 「岩戸開いて明らかになったら、宗教いらんぞ。政治もいらんぞ」(日月神示)
 「人民の政治、神の国には用いられんのじゃ」( 〃 )
 「判るように申すなら、神の御社と臣民のお役所と市場を合わせた様なものが一時は出来るのぞ」( 〃 )
 「判るように申す」といわれてもさっぱり判りません。恐らくそうなるのでしょう。
 さて、すこぶる奇妙なのは次で、
 「復活の時には彼らはめとったりとついだりすることはない」(マタイ伝)
 つまり、「復活の時→神の国」では、結婚がないというのです。これもある意味では理にかなっています。結婚生活というのはつまるところ、子孫を残すためのSEX行為です。ところがもう物質肉体でなくなったうえ、千年王国そのものが人口を増やせないのです。なぜなら、そこに入れるほどの魂ならすでにラプチャーされているわけでしょう。
 「それ以外の死人は千年の期間が終わるまで生き返らなかった」(黙示録)ということですから、人口を増やすこと自体が不可能なのです(もちろん、ごくわずかの出入りはあるでしょうが)。とにかく、
 「これまでの事は一切用いられん事になるのぞと申してあろが」(日月神示)

 神の国には何人残れるのか

●しかし、その「神の国」へは今の人類全てが入れるわけではないのです。そこが実につらいところなのです。どんな素晴らしい所であろうと、自分がそこに入れなくては何の意味もないわけですから、ここからが本書の最大のテーマとなります。すなわち「どれくらいの人々が選ばれるのか」そして「どうしたら選ばれる側になれるのか」の二点です。
 では始めましょう。この世界は終末のトリプルパンチで恐らく惨憺たる様相を呈していることでしょう。しかし、次元飛翔を果たしたラプチャー組が舞い戻ってきます。もちろん彼らはすでに高次元化した体ですから、この物理的世界がどうなっていようと大して関係はないわけです。
 「灰になる肉体であってはならん。原爆も水爆もビクともしない肉体になれるのであるぞ」(日月神示)
 この半霊半物質の新人類が放射能などどこ吹く風とばかり、次々と立て替え後の「神の国」へ帰ってきます。でも、多くはなさそうで、
 「立て替えいたしたら、世は一旦寂しくなるぞ」(日月神示)
 「世界は縮小し、ほんのわずかの人しか生き残らない」(セザールへの手紙)
 「この世に蒔かれた人が全て救われるわけではない」(エズラ書)
 「いと高き方(神)はこの世を多くの人のために造られた。しかし、来るべき世は、わずかな人のために造られている」( 〃 )
 「招かれる者は多いが、選ばれる者は少ない」(マタイ伝)
 残念ながら、神の国へ入る人は多数派とはいえないようです。では、どのくらいの人がラプチャーされるのか。
 「そのときふたりの者が畑にいると、1人は取られ、1人は取り残されるであろう」(マタイ伝)
 要するに2人に1人ということか。いやこれはあくまで比喩であって、実数ではありません。実際はもっと少ないようです。
 「世界の人民三分になるぞよ」(大本神諭/明治27年)
 この「三分」というのは、「腹八分」という言葉もある通り「3割」という意味です。
 「何もかも三分の一じゃ。大掃除をして残った三分の一で、新しい御世のいしずえと致す仕組みじゃ」(日月神示)
 ここにある「三分の一」というフレーズは、聖書の中でもたびたび見られます。前の「三分」と同じ意味に取っていいでしょう。では、30%がラプチャー組か。いや、
 「今の世の守護神、人民の心では、三分も助ける身魂がないぞよ」(大本神諭/大正6年)
 「残る臣民、三分むつかしいぞ。三分と思えど二部であるぞ」(日月神示)
 ここで早くも20%に目減りしています。
 「臣民といふても、人間界ばかりでないぞ。神界・幽界のこともいうて知らしてあると申してあろが」( 〃 )
 そうです。今回は「三界」の大立て替えでした。したがってこの20%は、この世の人間だけでなく、死者(あの世の魂)も含めての数なのです。では、どちらが多く選ばれるのか。そんなことは分かりっこありません。(中略)
 「子が天国で親地獄という様にならん様にして呉れよ。一家揃うて天国身魂となって呉れよ」(日月神示)

 至福1000年後の選別

(中略)
 地獄というのは何もエンマ様に命令されて行く所ではなく、自分で勝手にそこへ突き進んでいくのです。つまりは、生前の意識が自らをそこへ追い込んでいくと思えばいいでしょう。そのうえ、今回は「末代に一度」という、すこぶる特殊な進化の時期にいるわけです。そのため、
 「大峠と成る前に改心を致して身魂を磨いて居らんと、大峠を越すのが辛いぞ」(大本神諭)
 では、その大峠をどう越せばいいのか。
 「因縁だけのことはどうしてもせねば、今度の峠は越せんのざぞ」(日月神示)
 「因縁」は、最近では「カルマ」という言葉の方がなじみ深いようですが、この度はそのカルマの総決算をせねばならない時だといいます。どうやらとんでもない時代に、私どもは生まれ合わせてしまったようです。しかも、
 「肉体あるうちに改心しておかんと、霊になっての改心なかなかぞ」(日月神示)
 でもどんな「改心」をすればいいというのか。改心とは「心(考え方)を改める」という意味です。ならば、結局のところ「体主(この世的思考)」からいかに離脱できるか、そして、どれほど「霊主」の考え方に近づけるかにかかっているでしょう。
 要は、いかに顕世的欲望を減らすかです。
 「この道は 惜しい欲しいと 可愛いと 欲と高慢 これが埃や」(おふでさき)
 「欲望と慢心」それが「埃(カルマ)」なのです。でも、残り時間はさほど多くはありません。
 「最後(どんじり)で改心を致しても、もう遅いぞよ」(大本神諭)

 不合格者は魂の進化が閉鎖される

●では、そういう「改心」のできない落ちこぼれ組はみんな地獄行きなのか。そうではありません。この層は曲がりなりにも顕界(物質)レベルまでは達した魂でした。でも、世界にはまだこの水準に到達していない人々が大変多いのです。原始的部族とか、第三世界の下層庶民層は多分まだこのレベルかと思われます。
 この人たちの魂は地獄へ行きようがありません。これは何も差別意識でいっているのではないのです。神秘学的にいえば、この人達は魂が人類に進化した時期が相対的に遅かっただけの話なのです。いうなれば人類としては比較的若い魂といっていいでしょう。
(中略)
 一方、現在で最も進んだインテリ層は、間もなく神(界)方向へ帰還する上昇期に入るわけです。すなわち皮肉なことに、物質界の能力が優れた人ほど「選ばれる側」に入る可能性が高いということになります。
 いずれにしても選別の基準はあくまで魂の進化のレベルの問題であって、信仰のあるなしではないということを、ここで再確認しておきたいと思います。

 今が最も重要なとき

●「殺さなならん臣民、どこまでにげても殺さなならんし、生かす臣民、どこにいても生かさなならんぞ」(日月神示)
 「身魂の審判(あらため)を致して神が網を掛けるぞよ。網掛けたら神は離さぬぞよ」(大本神諭)
 そうです。ここは何としてでも「網を掛けられる」組に入らなくてはなりません。さもないと、
 「四つん這いとなりて着るものもなく獣となりて這ひ回る人と、空飛ぶような人と、二つにはっきり分かりてくるぞ」(日月神示)
 「準備せざるものたちは、天を見上げたまま神がその時でさえ自分たちをお受けになるよう、天に向かって泣き叫ぶが、彼らは準備ができていない。もう遅すぎるのである」(ソロモン)
 いやそうならずに、是か非でも新しい「神の国」を共に見ようではありませんか。
 「これほどの 月日の心 心配を 世界中は 何と思てる」(おふでさき)
 おわかりでしょうか。今は、惰性的日常生活に流されている時ではないのです。
 「銘々に 今さい(え)よくば 良き事と 思う心は 皆違うでな」( 〃 )
 「それ知らず 皆一列(全ての者)は 銘々に 皆うっかりと 暮らし居るなり」( 〃 )
 果たしてそれでいいのでしょうか。
 「しかし、主の日は盗人のように襲ってくる」(ペテロへの手紙)
 「あなた方が放縦や泥酔や世の煩いのために心が鈍っているうちに、思いがけないとき、その日がワナのようにあなた方を捕らえることがないようによく注意していなさい」(ルカ伝)
 「その日がいつであるか、あなた方には分からないからである」(マルコ伝)
 「目を覚ましていなさい。私があなた方にいうこの言葉は、すべての人々にいうのである」(マルコ伝)
 「いよいよ何もかも引き寄せるから、その覚悟よいか。覚悟せよ」(日月神示)
 「何もかも一旦は天地へお引き上げぞ」( 〃 )
 以上、ここまでコトがコトであるだけに私個人の主観は極力排除したつもりです。そして、ただ預言の言葉のみに重点をおいて話を続けてきました。それも単品預言で判断をするのではなく、各種預言を突き合わせて見事合致するものばかりを紹介してきたわけです。さて、皆さんはそれをどう判断なさったでしょうか。
 では、その締めくくりとして、これまでの総まとめという形で、預言の神々によるディスカッションに耳を傾けてください。
 以下、簡略化のため(聖)→聖書、(天)→天理教のおふでさき、(大)→大本神諭、(日)→日月神示‥‥で表示します。
 「時は満てり、神の国は近づけり」(聖)
 「時違えぬ様に、時来たぞ」(日)
 「時節が来たぞよ、もう間が無いぞよ」(大)
 「月日より 日々心 急き込めど 刻限待ちて いると思えよ」(天)
 「その日は、すべての国に近づいている」(聖・オバデヤ書)
 「新しき世となる終わりのギリギリの様相であるぞ」(日)
 「月日には だんだん 見える道筋に こわき危なき 道があるぞや」(天)
 「月日より こわき危うき 道筋を 案じていれど 銘々知らずに」(天)
 「この世に地震、人々の騒乱、諸国民のはかりごと、指導者たちの不安定、君主たちの動揺などが現れてきたら、そのとき、これこそ高き方が前々から、初めのときからいわれてきたことであると悟りなさい」(聖・エズラ書)
 「しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである」(聖・マタイ伝)
 「1日に10万死にだしたら、神の世がいよいよ近づいたのざから、よく世界のことを見て皆に知らして呉れよ」(日)
 「病はやるぞ。この病は見当取れん病ぞ」(日)
 「それは起こらねばならないが、まだ終わりではない」(聖・マタイ伝)
 「大峠となりたら、キリキリまひして助けてくれと押し寄せるなれど、その時では間に合わん」(日)
 「天地のびっくり箱が開くと、天地が一度に鳴動(なり)だして、耳も目も鼻も飛んで了うようなエライ騒ぎとなるぞよ」(大)
 「その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きなかん難が起こるからである」(聖・マタイ伝)
 「腰が抜けて、あごが外れて、アフンと致して、四つん這いに成りて苦しむような事が出来(しったい)致すぞよ」(大)
 「いよいよ地獄の三段目に入るから、その覚悟でいて呉れよ。地獄の三段目に入ることは一番の天国に通ずることぞ」(日)
 「ここまで世が迫りて来ているのぞ。まだ目覚めぬか。神はどうなっても知らんぞ。早く気づかぬと気の毒できるのぞ」(日)
 「絶対絶命の世になりたぞよ。世界のものよ、改心いたされよ。世が変わるぞよ。ビックリ致すことが出来るぞよ」(大)
 「今までと 道がころりと 変わるでな 皆一列は 心定めよ」(天)
 「出来上がるまでは誰にも分からんが、出来上がりたら、何とした結構なことかと、皆びっくりするのざぞ」(日)
 どうでしょ。おわかりになりましたか。さあ当書もオーラスに近づきました。
 「『ソンナ事が在るものか』と申して、今に疑ふて居る人民ばかり」(大)
 「これまでは 何処の人でも 同じ事 何をいうても 皆疑ふて」(天)
 「人民は其の心通りに写るから、小さく取るから物事判らんのざぞ」(日)
(中略)
 以上の事柄を本気で信じられる人間なんて、多分そんなにいないでしょう。ただその場合、単純な思い違いがあるのではないでしょうか。ひとつ聞きますが、あなたが信じたから多数決でコトは起きるのでしょうか。
 逆に、人間の心が信じさえしなければ、全てのことは起こらないのでしょうか。いつの間にか人間の頭脳はそれほど完璧になったのでしょうか。聞くところによると、あの雲仙普賢岳の住民は、裏の山(普賢岳)が火を噴くなどとは噴火の直前まで誰一人として「信じていなかった」といいます。それでもあの山は噴火したのです。つまり、高度の自然性においては、人間の心が信じまいと、起こるときには起こるのです。天はあなたの気持ちに合わせて降ったり照ったりするのではありません。
 ただ、ここでの問題は、現代人のこのような考え方にあると思います。すなわち、あらゆる事柄を自然性(神界レベル)よりも人間側(顕界レベル)を上位にした発想をしているのです。まさに「逆立ち思考」で、これこそが(無意識的な)「体主霊従」の考え方といえましょう。そしてそのような発想が現代人の常識の原点になっているわけで、その常識が「ぐれんとひっくり返る」(日月神示)のが、この度の「立て替えの仕組」なのです。

 人知を超える預言の声

●この度の預言は、三界(神幽顕)の全てを含むということでした。ということは、この世界より高次元の領域までもターゲットにしてることになります。それを物質位相の科学だけで証明するというのは、どだいムリな話だったのです。まさに、「次元が違う話」なのですから。つまりは「1に1足すと2になるというソロバンや物差しでは見当とれんのざぞ」(日月神示)という次元になるのでしょう。そういう世界へ、私どもは間もなく入るということです。
 「その次元に入る準備のできている人々は、重い世界を離れ、軽い世界へと入るであろう」(ソロモン)
 「今が自分を次の次元に引き上げる、ここにいる多くの者にとって最後の時代であることを知れ。到来しつつあるあまりにも重大な再臨として述べられている時代であることを」( 〃 )
 これこそが、全預言の力説するメインイベントだったのです。それにしても、「最後の時代」という言葉はすこぶる重たい響きを持っているとは思いませんか。
 さて、今度は「神道系各教団」に伝わる預言エッセンス録です。
 「地球は今、一つの進化の時に至っている‥‥役行者が肉身を霊化させたと同じようなことを、現在の我々はなさなければならない」(白光真宏会)
 「(火の大峠越えをした後)真光の業で浄められた種人のみが選ばれ、霊を主体とした世界が始まる」(崇教真光)
 「その仮初めの死より覚めて(選民は)生き返らん。天の岩戸開きとは、人の世の魂開きなりと、真実告げ置くものなり」(天祖光教)
 「マコトの岩戸開きは、これからなり‥‥神の子に還ることが、この度の新生なり」(神道天行居)
 「今、天地の開ける音を聞いて、目を覚ませ」(金光教)
 以上ご覧になった通り、古今東西のあらゆる預言は、「神の国の到来」という点に関しては、いささかのブレも見せていないのです。
 結局のところ、常に右往左往していたのは私どもの方で、いつも終末のドサクサの方のみに気を取られ、ああでもない、こうでもないと大騒ぎをしていました。その一方で、「神の国」の方はというと、従来ただ何とはなしにこう考えられていたのです。
 「今のこの(物理的)世界を、神々の国のような素晴らしい社会に変えなくてはならない。そのためには、人々は今の生活態度を改め、もっと神や教祖様を全面的に信じる生き方をする必要がある」
 せいぜいがこの程度のアイデアしか浮かばなかったのではないでしょうか。しかし、実際はとてもそんな生やさしい素朴な事態ではなかったのです。それはまさしく「末代に一度より無い」驚天動地の「大立て替え」だったのです。
 俗に「蟹は自らの甲羅に似せて穴を掘る」という諺がありますが、私どもは結局自らのささやかな常識の範囲内でしか、上々(かみがみ)の言葉(高次元存在者からの預言)を理解することが出来なかったようです。それほど常識離れした内容だったともいえましょう。でも、起こる事柄がどんなに奇想天外であろうと、それはあくまでも私どもの社会通念にとって「奇想」であるに過ぎません。何も神界の上々までそのチンケな感覚に歩調を合わせる必要は全くないわけです。つまり、「人にはできないが、神にはできる。神には何でもできるからである」(マタイ伝)。そういうことなのです。
 「実地のことは、実地の誠の生神でないと出来ん。臣民はお手伝ひぞ。雨風さへどうにもならんであろう」(日)
 「人民の肉体生命はチョットの間であるから、霊魂の因縁性が判らんから、大変思いが違うのであるぞよ」(大)
 「めいめいの 思う心は いかんでな 神の心は みな違うでな」(天)

 あなたはいま恐るべき分岐点にいる

 何はともあれ、いままでの預言内容を結論的に整理すると、次のようになりましょう。
 @今度の「立て替え」は、三界(神幽顕)の全てを含む大変革である。
 Aこの大変革を推進する主体者は上々(高次元存在者)である。
 Bこの大変革により今の物理的世界は壊滅し、肉体人間はいなくなる。
 Cその後で「神の国」が到来し、この世界は「あの世化」する。
 Dそこへ、選ばれてラプチャーされた人々が戻ってくる。
 Eその新世界では、上々(かみがみ)と人間が一緒に暮らすようになる。
 Fその人間も、やがては上々と同じ高次元の存在者となる。
 以上の通りです。もとより、これらの預言を信じようと信じまいと、それはあなたの勝手です。しかし、信じて何か失うものでもあるというのでしょうか。それに対し、信じなかったことで、最後に後悔する(かも知れない)リスクは計り知れないほど大きいのです。

●再び繰り返しますが、私どもはどうやらとてつもない時に生を受けてしまったようです。でも前向きに考えるなら、これほど痛快なチャンスも、またとないといえましょう。少なくとも、今までの過去世で、こんなスリルを味わえた「生」もなかったはずです。ともあれ今回の生は、ただの「人生」ではありません。そう、うまくゆけば、私どもはこれから「神様」になれるのです。
 「あなた方は、かつて地上に生きた人々の中でも最も幸運な人々である。歴史の記録の中で、むしろ独特な人々の集まりの中にいる。何故ならば、一つの時代からもう一つの時代の過渡期に生まれ、地上に生きているからである。あなた方は前時代が終わりを告げ、新時代の霊的爆発、新しい誕生がある時代に生きているのである」(ソロモン)
 「人類において偉大なことは、人間が橋梁であって目的ではないことである。人間に於いて愛され得ることは、人間が通過点であることにある」(ニーチェ『ツアラトウストラかく語りき』より)
 「人間とは、生成途上の神である」( 〃 )
 「新しき世とは神なき世なり。人、神となる世にありけり」(日月神示)
 「わたしはいう『あなた方は神である』と」(ヨハネ福音書)
 ご覧の通りです。
(中略)
 「これらの言葉は信ずべきであり、まことである」(聖・黙示録)
 「この世を 始めた神の いふことに 千に一つも 違うことなし」(天)
 「神の申したこと、一言半句間違いないのざぞ」(日)
 「嘘の事なら、是れだけいつまでも執念(くど)うは申しはせんぞ」(大)
 ということです。
 

● なわ・ふみひとのひとくち解説 ●
  『2000年5月全世界は壊滅する!!』がこの本の正式タイトルです。大変おどろおどろしい表現がされているので、普通ならちょっと手がでない本ですが、同じ著者による前作の『ヤハウエの巨大潮流預言』(徳間書店)が大変いい内容でしたので、つられて購入した次第でした。
  読んでみますと、タイトルからは想像できないような真面目な内容でした。このたぐいの本としてはかなりレベルの高いもので、幅広い知識に裏打ちされた著者の鋭い分析力に感服いたしました。ただ、「終末の日」を「2000年5月」としている点については、多少論理的に無理があり、私もその点には懐疑的でした。
  終末の日の預言で最も世間を騒がせたのは五島勉氏の『ノストラダムスの大予言』ですが、これも1999年が何事もなく過ぎたことにより、いまでは全く話題にならなくなりました。その後、我が国における預言(予言)ブームも終わってしまった感があります。
  しかし、聖書を初めとする世界中の預言が荒唐無稽なものでないとすれば、今この時代こそ「預言の時代」ではないかと思われてならないのです。 しかも、我が国には「終末」という言葉でなく、「立て替え、立て直し」という、この世界の次元上昇(アセンション)を予告する立派な預言の書がいくつもあるのです。
  ほとんどが神道系の神様から降ろされたものとなっていますが、レベル的には聖書の預言に匹敵し、しかも相通ずる内容が述べられています。 著者は、これらを初めとして世界中の権威ある預言を調べ尽くし、渾身の思いでこの書をしたためたと思うのですが、残念ながら「終末の日」の分析が間違っていたため、せっかくの力作の寿命が短命に終わってしまいました。
  ということで、ここに私の手で著者の思いの一部を復元させていただいた次第です。
 
 
 
 
 
 
 
 
文殊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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文殊
文殊菩薩 - 智慧を司る、菩薩の一尊。

もんじゅ
もんじゅ - 福井県敦賀市にある原子力発電所(高速増殖炉)。

モンジュ
モンジュ (ミサイル追跡艦) - フランス海軍のミサイル追跡艦。
 
 
 
 
もんじゅ-ぼさつ 【文殊菩薩】

〔仏〕〔文殊は 梵 Majur の音訳「文殊師利」の略〕智慧をつかさどるとされる菩薩。普賢菩薩とともに釈迦に侍す。般若経典で重視される。形像は、智慧の威徳を示す獅子に乗る。中国では五台山をその霊地とし、日本では葛城山を当てる。妙徳。妙吉祥。法王子。文殊師利。文殊。

提供元:「大辞林 第二版」
 
 
 
 
文殊菩薩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


文殊菩薩(もんじゅぼさつ)、梵名マンジュシュリー (????????? [maJjuzrii])は、大乗仏教の崇拝の対象である菩薩の一尊。一般に智慧を司る仏とされる。

文殊は文殊師利(もんじゅしゅり)の略称。また妙吉祥菩薩(みょうきっしょうぼさつ)などともいう。曼殊室利等とも音写し、妙吉祥、妙徳、妙首などとも訳す。文珠菩薩とも書く。 三昧耶形は青蓮華(青い熱帯スイレンの花)、利剣、梵篋(ヤシの葉に書かれた経典)など。種子(種字)はマン(maM)。

概要

『文殊師利般涅槃経』によると、舎衛国の多羅聚落の梵徳というバラモンの家に生まれたとされる。また一説に釈迦十大弟子とも親しく仏典結集にも関わったとされる。『維摩経』には、維摩居士に問答でかなう者がいなかった時、居士の病床を釈迦の代理として見舞った文殊菩薩のみが対等に問答を交えたと記され、智慧の菩薩としての性格を際立たせている。この教説に基づき、維摩居士と相対した場面を表した造形も行われている。

文殊菩薩はやがて『維摩経』に描かれたような現実的な姿から離れ、後の経典で徐々に神格化されていく。釈迦の化導を扶助するために菩薩の地位にあるが、かつては成仏して龍種如来、大身仏、神仙仏などといったといわれ、また未来にも成仏して普見如来という。あるいは現在、北方の常喜世界に在って歓喜蔵摩尼宝積如来と名づけられ、その名前を聞けば四重禁等の罪を滅すといわれ、あるいは現に中国山西省の清涼山(五台山)に一万の菩薩と共に住しているともいわれる。また『法華経』では、過去世に日月燈明仏が涅槃した後に、その弟子であった妙光菩薩の再誕が文殊であると説かれる。

なお、これらはすべて大乗経典における記述によるものであり、文殊菩薩が実在したという事実はない。しかし文殊は観世音菩薩などとは異なり、モデルとされた人物が存在していたと考えられており、仏教教団内部で生まれた菩薩であると考えられている。

文殊菩薩が登場するのは初期の大乗経典、特に般若経典である。ここでは釈迦仏に代って般若の「空(くう)」を説いている。また文殊菩薩を「三世の仏母(さんぜのぶつも)」と称える経典も多く、『華厳経』では善財童子を仏法求道の旅へ誘う重要な役で描かれるなど、これらのことからもわかるように、文殊菩薩の徳性は悟りへ到る重要な要素、般若=智慧である。尚、本来悟りへ到るための智慧という側面の延長線上として、一般的な知恵(頭の良さや知識が優れること)の象徴ともなり、これが後に「三人寄れば文殊の智恵」ということわざを生むことになった。

また、中国の娯楽小説『封神演義』には普賢真人、文殊広法天尊という仙人が登場しており、彼等が後に仏門に帰依しそれぞれ普賢菩薩、文殊菩薩となったという設定になっているが、これは後世の全くの創作である。

中国においては、山西省の五台山が文殊菩薩の住する清涼山として古くより広く信仰を集めており、円仁によって日本にも伝えられている。

また中国天台宗系の史書である『仏祖統紀』巻29には、「文殊は今、終南山に住み給えり。杜順和上はこれなり」と、中国華厳宗の祖である杜順を文殊菩薩の生まれ変わりであるとしている。

建州女真族の本尊とされ、その名にちなみ満洲(満州)と自称。ホンタイジ以降、全ての女真族の呼称に代え満洲族と呼称するようになった。したがって満州の名は文殊が語源であるとされる。

鎌倉時代、真言律宗の僧叡尊・忍性は深く文殊菩薩に帰依し、1240年以後、各地で文殊供養と大規模な非人布施を行った。

像容

普賢菩薩とともに釈迦如来の脇侍をつとめる(参照:釈迦三尊)ほか、単独でも広く信仰されている。

文殊菩薩像の造形はほぼ一定している。獅子の背の蓮華座に結跏趺坐し、右手に智慧を象徴する利剣(宝剣)、左手に経典を乗せた青蓮華を持つ。密教では清浄な精神を表す童子形となり、髻を結う。この髻の数は像によって一、五、六、八の四種類があり、それぞれ一=増益、五=敬愛、六=調伏、八=息災の修法の本尊とされる。

また、騎獅の文殊、先導役の善財童子、獅子の手綱を握る優填王、仏陀波利、最勝老人を従える文殊五尊像も造形された。

また禅宗においては、修行僧の完全な姿を表す「聖僧」(しょうそう)として僧堂に安置され、剃髪し坐禅を組む僧形となる。この場合、文殊もまた修行の途上であるとの観点から、菩薩の呼称を避け文殊大士(だいし)と呼ぶことがある。

日本における作例としては、奈良の興福寺東金堂の坐像(定慶作、国宝)や安倍文殊院の五尊像(快慶作、重要文化財)、高知の竹林寺の五尊像(重要文化財)などが見られる。

真言

オン・アラハシャノウ


関連項目

日本三文殊
大和の安倍文殊 - 奈良県桜井市
丹後の切戸文殊 - 京都府宮津市
出羽の亀岡文殊 - 山形県高畠町(または高知の竹林寺、国東の文殊仙寺)
警策 - 坐禅の際に雲水(参禅者)を打つ棒のこと。警策は「文殊菩薩様の手の代わり」とされている。
文殊皇帝 - チベット仏教からの中国皇帝への尊称
五台山 - 中国の文殊菩薩の聖地
もんじゅ - 福井県にある原子炉
文殊 (列車) - 大阪府〜兵庫県〜京都府を走るJR西日本の特急の愛称
文珠駅 - 1988年に廃線となった歌志内線に存在した駅
鮫肌文殊 - 日本の放送作家
土用の間日
梵珠山
 
 
 
 
 
 
 
  
日本の核武裝と電磁波・プラズマ・スカラー兵器
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/198.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 5 月 10 日 22:14:31: xsXux3woMgsl6

ポール・シフトとb人(ゴツド・メンシユ)
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/179.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 5 月 05 日 23:40:41: xsXux3woMgsl6

■旧ソ連の驚異の宇宙情報──バイオプラズマ生命体とUFO飛来の秘密!
http://www.asyura.com/0304/bd25/msg/191.html
投稿者 秘密結社ファン 日時 2003 年 3 月 22 日 05:12:21:RqegNxsy0ZCFc

高き者達が我々の前に姿を現さないのは極當然の事
http://www.asyura2.com/10/bd58/msg/200.html
投稿者 卍と十と六芒星 日時 2010 年 5 月 10 日 22:22:04: xsXux3woMgsl6
 
 
 
 
 

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コメント
 
01. 2010年5月14日 02:03:32: IYdbklpE2A
あなたは、暗黒想念の海の中にいるのです。

この暗黒想念は、メンタル界まで。暗黒想念の中身は、思考、欲望。

つまり、物質のこと。釈迦が言った、こちら岸のこと。

黒色種族がいる。この種族は、邪悪な者たち。所謂悪魔。


それより上の次元が、彼岸。


彼岸には太陽が燦々と輝いている。死はない。

霊界のこと。霊の体は、如何なるものでも破壊不可能。

そこには、ホワイトの白色種族がいる。所謂天使。


 貴方が進化すれば、見に行ける。否、見させられる。これが現実。


もう一丁、

 シルバーコード(銀線のこと)の最下部にゴールドの完全球がある。

 この装置が、作動すると、錬金が開始される。

 全身の神経痛が発生する。 肉体が死ぬことがある。発狂することもね。

 従って、秘密にされてきたのだ。

  観照者のみが、これを見ることが出来る。

  この観照者が、


   あなたなのだ!  わかるかな??? 


02. 2010年5月18日 03:23:20: Ibq42D8bNQ
卍さん、まあまあ・・・。そこまで熱狂しなくていいのでは?
(そして上記の IYdbklpE2Aさんも。)

あなたの意見は、たとえ正論であったにしても、一般人には聞き苦しい(読み苦しい)、と感じました。


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