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翁長沖縄県知事の追悼式:「沖縄県民の魂の飢餓感」訴える !
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投稿者 青木吉太郎 日時 2018 年 10 月 01 日 20:18:10: jobfXtD4sqUBk kMKW2Itnkb6YWQ
 


翁長沖縄県知事の追悼式:「沖縄県民の魂の飢餓感」訴える !

   国政野党の主張・行動は ?


(www.kyodo.co.jp:2018年9月25日より抜粋・転載)

 沖縄県の基地負担軽減を求め、先頭に立ってきた翁長雄志沖縄県知事が、8月8日、膵(すい)がんのため任期途中で亡くなった。67歳だった。
米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設阻止を掲げ、安倍政権と対峙(たいじ)≠キる中での死去だった。
翁長県政の時代に、共同通信社那覇支局長を務めていた筆者が、彼の足跡をたどった。(編集部)

「イデオロギーよりアイデンティティー」―。

翁長さんを思う時、まずこの言葉が思い浮かぶ。2014年11月の沖縄県知事選で、自民党などが推薦した、現職の仲井真弘多知事に対抗して、出馬した際の旗印だ。
米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に向け、仲井真氏が、前年、沿岸部の埋め立てを承認したことの是非が最大の争点だった。

 2010年の知事選では、再選を目指した、仲井真氏の選挙対策本部長を務め、「(普天間の)県外移設」を公約に盛り込んだだけに、埋め立ての承認に強く反発した。
自民党県連幹事長も務め、保守政治家を自認する翁長さんだが「新基地をつくらせない」と主張した。共産党をはじめ、革新勢力にまで、ウイングを広げた「オール沖縄」の結集軸が、「アイデンティティー(県民意識)」だった。

 県内移設を推進したこともあった。1998年の知事選では、民主、共産、社民各党などが推薦した、辺野古移設反対の現職大田昌秀氏を、自民党県連推薦の稲嶺恵一氏が破った。

陣営の中心メンバーとして、当選に大きく貢献したのが、県議だった翁長さんだ。

 ただその後、中央政界に「違和感」を持つように。きっかけは、第1次安倍晋三内閣当時、2007年の教科書検定問題だった。
太平洋戦争末期の沖縄戦で、日本軍が住民に「集団自決を強制した」との記述を削除・修正するよう求めた、検定意見書が出され、撤回を求める、超党派による県民大会が開かれた。那覇市長だった、翁長さんも実行委員会に名を連ねた。

 民主党政権時代の2012年10月、県民の反対をよそに、米軍の新型輸送機オスプレイが普天間に配備される。
第2次安倍内閣発足直後の2013年1月には、配備撤回を求め銀座でデモを行うが、歩道から罵声を浴び、本土の冷淡さを実感した。
知事当選後の2015年5月、那覇市内の球場で開かれた「辺野古新基地断念を求める県民大会」では、「うちなーんちゅ、うしぇーてー、ないびらんどー(沖縄人をないがしろにしてはいけませんよ)」と安倍政権の無理解を批判した。

 そんな思いの根は、家族の体験にあるのだろう。米軍に追い詰められた、旧日本兵、県民多数が命を落とした、糸満市に立つ「魂魄(こんぱく)の塔」。
敗戦翌年の、1946年1月、戦場で散り散りになっていた、真和志村(現在は那覇市の一部)の住民たちを、米軍が集結させる。

辺り一面に、戦没者の遺骨やミイラ化した遺体が散乱していたといい、真和志村の人々は遺骨を収集。米軍から提供されたセメントなどで建立した。

 先頭に立ったのが、当時の村長の金城和信(きんじょうわしん)氏と翁長さんの父で、教員だった翁長助静氏。遺骨は、3万5千にも上ったという。

 10万人を超える県出身者が、命を落とした沖縄戦。戦後は、長く米国の施政権の下に置かれ、1972年に日本に復帰したが、国土のわずか、0・6%の面積に米軍専用施設の70%超が集中するという不公平さだ。

父・翁長助静氏は、戦後、真和志村長、立法院(米施政下の議会)議員などを歴任した。

また、兄の翁長助裕氏も、県議会議員や副知事を務めた、政治家一家に育った翁長さんは、父や兄同様、沖縄政治が直面する、戦争の傷跡や理不尽さへの対応に追われ続けた。

「沖縄の人々は、自己決定権や人権をないがしろにされている」。
2015年9月、国連人権理事会での演説で述べた。

2014年12月の知事就任後、翁長さんの「違和感」の裏返しでもあるかのように、安倍官邸は、沖縄を冷遇し続けた。
安倍首相と翁長さんの初会談は、2015年の4月になってからだった。
2015年8月に沖縄を訪れた、菅義偉官房長官に、翁長さんは、「沖縄県民には、魂の飢餓感がある」と訴えた。

 山中貞則元通産相、橋本龍太郎、小渕恵三両元首相、梶山静六、野中広務両元幹事長ら、沖縄との対話に努めた、自民党重鎮らが、物故あるいは一線を退いていったことも、政権との距離を広げた。
「飢餓感」の表現で、苦難を言い表した一言は、限りなく重い。

 那覇市内のヤギ料理店で、市長時代の翁長さんと一緒になったことがある。「沖縄の人は、海で泳がないらしい」などと、話し合う観光客に向かい、奥に座っていた、翁長さんは「沖縄の学校に長い間プールがなかったせいですよ」と話しかけた。

市長と気付かせないまま、他県との間にある格差を、穏やかな口調で、明瞭に説明する姿に胸を打たれた。オール沖縄に集った、各陣営が、違いを乗り越え、「腹八分」「腹六分」でまとまったのも、翁長さんの人間味あってこそだった。

☆おなが・たけし氏:1950年、那覇市生まれ。那覇市議、沖縄県議を経て、2000年、那覇市長になった。2014年12月から沖縄県知事になった。2018年8月、死去。

(共同通信編集委員 中川 克史)」


(参考資料)

T 増子幹事長代行と泉政調会長、故・翁長沖縄県知事の慰霊式典に参列

(www.dpfp.or.jp:国民民主党:2018年9月26日より抜粋・転載)

 増子輝彦幹事長代行と泉健太政務調査会長は急逝した故・翁長雄志沖縄県知事の死から四十九日にあたる、9月25日夕、沖縄県糸満市を訪れ、平和創造の森公園内・「魂魄(こんぱく)の塔」で行われた野党会派合同の慰霊式典に参列。

故・翁長知事を追悼するとともに、その遺志を継ぐ玉城デニー候補勝利に向けて力を尽くす決意をあらためて語った。

 慰霊の式典は自由党の小沢一郎代表が呼びかけたもので、立憲民主党、共産党、無所属の会、社民党、参院会派「沖縄の風」、沖縄社会大衆党のそれぞれの代表者が出席した。

 記者団の求めに応じて式典後に各党代表はそろって発言。
増子幹事長代行は「野党そろって故・翁長知事の四十九日に合わせてご冥福をお祈りさせていただいた。心からのご冥福をお祈り申し上げたい。

いま選挙戦が行われているが、故・翁長知事のご遺志をしっかり受け止めて、この沖縄の知事選をしっかりと勝ち抜いていく。

そのことが日本の恒久平和につながり、みんなで素晴らしい日本を作っていくことになる。(今日は)あらためてそのスタートとしたい。
今日までの故・翁長知事のご功績に心から敬意を表しながら、これからその遺志を受け継いでわれわれがしっかりと玉城デニーさんを支えながら、恒久平和を作りながら、沖縄の繁栄を一緒になって作り、これからまた力を合わせて心を一つにしてしっかりと行動してまいりたい」と表明した。

「このような機会をつくっていただいた小沢・自由党代表をはじめ、共産党の志位委員長、そして立憲・岡島さん、福島・社民党副代表、そして中川・無所属の会、糸数参院議員、穀田・共産党国対委員長、さらには沖縄社会大衆党の比嘉県議、ありがとうございます」と謝意を示した。

「みんなで力を合わせて翁長知事のご冥福を祈りつつ、しっかりと日本のために、沖縄のためにがんばって行くことを再認識し、結束しながら、これからも全力でがんばって行きたい。

そのことが故・翁長知事に対する私たちの最大の恩返しであり、またご冥福をお祈りすることになる」と述べ、決意を新たに取り組む考えを表明した。

U 魂魄の塔訪れ翁長氏を追悼 !

    野党代表そろい、玉城デニー勝利へ決意

(www.jcp.or.jp:共産党:2018年9月26日より抜粋・転載)

 沖縄県名護市辺野古の新基地建設反対を貫いた翁長雄志知事の急逝から四十九日にあたる、9月25日、県知事選(30日投票)で翁長知事の遺志を継ぐ玉城デニー候補を支援する各党・会派の代表がそろって翁長家ゆかりの糸満市の「魂魄(こんぱく)の塔」を訪れ、翁長知事を追悼するとともに県知事選の必勝を誓いました。

 自由党の小沢一郎代表が呼びかけたもの。日本共産党の志位和夫委員長、立憲民主党の岡島一正国対副委員長、国民民主党の増子輝彦幹事長代行、無所属の会の中川正春衆院議員、社民党の福島瑞穂副党首、沖縄社会大衆党の比嘉京子県議、参院会派「沖縄の風」の糸数慶子代表らが献花し、弔意を表しました。

 魂魄の塔は沖縄戦後の米軍占領下、地上戦を生き延びた旧真和志村(現那覇市)の住民が、移動させられた糸満市米須の集落に散乱していた戦没者の遺骨3万5千体を軍・民、国籍を問わず収集し、供養するため建立されました。

翁長知事の父で糸満高校真和志分校の校長だった故翁長助静氏(のちの村長)らが遺骨収集の先頭に立ちました。

 助静氏の教え子で、翁長知事の叔母にあたる翁長安子さん(88歳)=那覇市=も駆けつけ、「県民が一つになることを願っていた雄志さんの遺志を引き継ぐ一人として私も今度の選挙、ぜひ勝ってほしいと思います」と話しました。

 翁長雄治那覇市議(知事の次男)は、翁長知事らが選挙に臨む告示日の早朝には必ず翁長家の平和の原点である魂魄の塔を訪ね、決意を新たにしていたことを紹介しました。

 献花後、各党代表があいさつ。「翁長知事の遺志を受け継いで玉城デニーさんを支え、心を一つにして行動したい」(増子氏)「翁長知事の志を県民だけでなく日本国民にも伝える役割がある」(岡島氏)「沖縄のアイデンティティーは平和にあることを確認した」(中川氏)「魂魄の塔の前で各党派が顔をそろえ、日本の平和の第一歩となる知事選を、心を一つにして頑張ろう」(小沢氏)「地上戦を経験した沖縄が心を一つに平和をつくっていくという翁長さんの原点を確認できた」(福島氏)「知事に安らかに眠っていただくためにデニーさんの勝利、埋め立て承認撤回を結実させたい」(比嘉氏)「この魂魄の塔の前で私たちは改めて野党共闘を誓いました」(糸数氏)などの発言がありました。

◆志位委員長あいさつ

 今日は翁長知事が亡くなられてから四十九日という節目にあたりまして、野党代表がそろって、翁長さんへの追悼の気持ちを新たにするというためにまいりました。

 そして、翁長さんのお父上の助静さんもたいへん尽力されたこの地(魂魄の塔)で、沖縄戦の犠牲者の方々への追悼もおこないたいと思ってまいりました。

 翁長さんは最後の最後まで命の炎を燃やして、辺野古の新基地は造らせないとがんばりぬき、力をふりしぼって撤回の表明をされました。
私たちは、そのご遺志を継いで、必ずいま大激戦となっております県知事選において、玉城デニーさんの勝利のために、国政野党としても「オール沖縄」のたたかいをみんなでサポートしたいという思いでやってまいりました。最後まで頑張りたいと決意しております。


V 大激戦 ! 沖縄知事選 玉城デニー氏が奮闘 !

(www.jcp.or.jp:共産党:2018年9月26日より抜粋・転載)

 大激戦・大接戦のまま終盤に突入した沖縄県知事選で、「オール沖縄」の玉城デニー候補は、9月25日、県内各地で力強く支持を訴え、猛奮闘しました。

同日は志半ばで翁長雄志知事が亡くなってから四十九日にあたります。デニー氏は翁長家の弔問で、名護市辺野古に新基地は絶対に造らせないという「翁長知事の遺志を継ぐ」とあらためて強調しました。

 糸満市の総決起集会で訴えたデニー候補は、知事になれば「万国津梁(しんりょう)会議」をつくって沖縄の基地問題を国際社会に提起するとともに米国に沖縄の民意をつきつけ、「アメリカの財産である米軍基地を持って帰ってもらうよう説得する」と宣言。

翁長知事から「平和あっての経済、経済あっての暮らし」というバトンを受け継いだと述べ、「翁長知事が目指した未来を県民のみなさんと一緒につくっていきましょう」と気迫を込めました。

 一方、安倍政権丸抱えの佐喜真淳陣営も総力をあげています。同日、那覇市内で開かれた日本維新の会の決起集会に自民党の二階俊博幹事長らが参加し、檄(げき)を飛ばしました。

また、創価学会のものとみられる内部文書には、佐喜真氏のおしあげのため「断じて逆転へ!!全国から猛攻撃を」と指示し、全国からの支持拡大を呼びかけています。

 

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