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防衛省:韓国艦レーダー照射で動画を公開 !海自の正当性を強調 !
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/11367.html
投稿者 青木吉太郎 日時 2018 年 12 月 30 日 18:00:26: jobfXtD4sqUBk kMKW2Itnkb6YWQ
 


防衛省:韓国艦レーダー照射で動画を公開 !  海自の正当性を強調 !

   戦時中の日本と朝鮮との問題は ?

(mainichi.jp:2018年12月28日 23時10分より抜粋・転載)

 韓国海軍の駆逐艦が海上自衛隊の哨戒機に火器管制レーダーを照射した問題で、防衛省は、12月28日夕、当時の動画データを、同省ホームページで公表した。

 公開された動画は、12月20日午後3時過ぎ、石川県能登半島沖を飛行する、哨戒機から、韓国海軍の駆逐艦などが、航行する様子を撮影。「離隔する。一旦離隔する」「めちゃくちゃすごい音だ」などと、機長らによる緊迫したやりとりが収められている。

 レーダー照射は、攻撃の前段階として、目標に電波を当てて追跡するもの。「ロックオン」と呼ばれて、攻撃の意思がなくても、不測の事態を招きかねない、極めて危険な行為とされる。

防衛省は、データを解析し、複数回にわたって、レーダー照射を受けたと、結論づけていた。

 一方、韓国国防省のこれまでの説明内容は、変遷している。当初、北朝鮮の漂流漁船を捜索するために、全てのレーダーを使ったと主張。その後、防衛省から反論されると、火器管制レーダーについては、「光学カメラを稼働させただけ」などと、使用自体を否定するなど、双方の主張は、平行線をたどっていた。

 岩屋毅防衛相は、28日午前の閣議後記者会見で、海自は、国際法などにのっとり、韓国側が主張する、低空飛行などの危険行為はなかったことを、動画データで示すとの考えを示していた。

 岩屋防衛相は、動画データの公開に踏み切った理由について「日韓関係の修復は最終的に必要だが、自衛隊側に問題があるような韓国側の言いぶりは遺憾だ。国民に誤解なきよう、きちんと説明する必要がある」と語っている。

 これに関連して、菅義偉官房長官も、28日午前の記者会見で、韓国側の最近の動向に関して「日韓関係に、否定的な動きが相次いでいることは、大変残念だ」と述べた。

【中澤雄大/統合デジタル取材センター】

(参考資料)

  T 日本統治時代の朝鮮人徴用とは ?

(ウィキペディアより抜粋・転載)

◆朝鮮人徴用:

日本統治時代の朝鮮人徴用(にほんとうちじだいのちょうせんじんちょうよう)は、第二次世界大戦中の日本統治時代の朝鮮において日本が朝鮮人労務者を1944年9月[1]から労務動員したこと。

「強制連行」と表記されることもあるが、朝鮮人が日本国籍を持っていた「朝鮮系日本人」だった当時、戦時中の朝鮮人に対する動員(労務動員)や徴用を「強制連行」と表現することの妥当性については議論がある[2][3][4][5]。戦中の労務動員について朝鮮人労働者移入ともいわれる[6]。

戦後、戦時の朝鮮人徴用は歴史認識問題・歴史教科書問題、戦後補償問題として取り上げられてきた[7]。

◆概念・定義:

「強制連行#概念・定義」および「在日韓国・朝鮮人#徴用・強制連行と渡航」も参照

日本が動員・徴用、または斡旋した際に、集め方が強制的であったとして「強制連行」と呼ばれ始めたとされている[8][7]。
しかし、この「強制連行」という言葉には疑義が出されており、在日朝鮮人運動史研究家の金英達は、「定義が確立しておらず、ひとによってまちまちな受け止め方がなされている」「もともと、強制連行とは、『強制的に連行された』という記述的な用語である。

そして、強制や連行は、実質概念であり、程度概念である。その実質や程度について共通理解が確立されないまま、強制連行という言葉だけがひとり歩きして、あたかも特定の時代の特定の歴史現象をさししめす歴史用語であるかのように受けとめられていることに混乱の原因がある」と指摘している[2]。

◆戦時動員・労務動員との関連

金英達は、日本語の文脈で「強制連行」と記述する場合、ほとんどの場合は国家総動員法を制定した戦時体制下の大日本帝国政府が朝鮮半島で行った労務動員を指して使われる言葉となっていると指摘している[9]:32[3]:61。
金は、戦時中の朝鮮人の強制動員については「戦時動員」を使い、そのなかの具体的な暴力的なケースを「強制連行」とすることを提案している[2]。

また、鄭大均も朝鮮人の労務動員を「強制連行」と呼ぶのは、「日本人の加害者性や朝鮮人の被害者性を誇張しすぎている」として、当時の朝鮮人は大日本帝国の国民であり、日本人男性が戦場に送られていたのを代替するものとして朝鮮人の労務動員があったとしている[10]。

これらのほか、山田昭次立教大学名誉教授は1980年代には「朝鮮人強制連行」と論文で記していたが[11]、2005年の共著『朝鮮人戦時労働動員』(岩波書店)で「朝鮮人戦時労働動員」と呼ぶこととした[12]。

ただし、これは「強制連行」という言葉が攻撃されたからではなく、強制連行というと強制労働、民族差別の問題に目を向けなくなる恐れがあるためと述べている[13]。

山田は「戦時動員」には労働動員と軍事動員の二つがあり、同書ではこのうち軍事動員を除外した労働動員、それも日本内地に限定しこれを「朝鮮人戦時労働動員」と呼び、「強制連行・強制労働・民族差別」の三つの問題点を含めるとした[12][13]。

従軍慰安婦問題を含む一連の“強制連行”という言葉が広く紹介されるようになったのは、朴慶植の著作である『朝鮮人強制連行の記録』(未来社1965)によってである。

的場光昭は、自著『反日石碑テロとの闘い』(展転社)で、朴の著書において南方へ強制連行されたという人物について、北海道新聞が記事で紹介した総督府に残る資料と照合した結果、当該人物は、干ばつによる飢饉を逃れて、妻子とともにパラオに移住したことが判明したとして、実態は、朴の著書にあるような昼夜分かたず、官憲が男たちを狩り集めて連れ去ったという内容とは異なると述べている。

U 慰安婦問題とは ?

(www.asahi.com:2014年8月5日05時00分より抜粋・転載)

朝日デジタル:慰安所と慰安婦

 Q 慰安婦とは何か。

☆ A 戦時中、日本軍の関与の下で作られた慰安所で、将兵の性の相手を強いられた女性。政府は1993年8月に河野洋平官房長官が発表した談話(河野談話)で「当時の軍の関与の下に多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」と指摘した。

 Q どんな人々が慰安婦にされたのか。

☆ A 日本本土(内地)の日本人のほか、日本の植民地だった朝鮮半島や台湾出身者も慰安婦にされた。日本軍の侵攻に伴い中国、フィリピン、ビルマ(現ミャンマー)、マレーシアなど各地で慰安所が作られ、現地女性も送り込まれた。

オランダの植民地だったインドネシアでは現地女性のほか、現地在住のオランダ人も慰安婦とされた。政府は38年、日本女性が慰安婦として中国へ渡る場合は「売春婦である21歳以上の者」を対象とするよう通達した。

21歳未満の女性や児童の人身売買や売春を禁じた「婦人及び児童の売買禁止条約」のためとみられる。ただ政府は25年に条約を批准した際、植民地を適用除外とした。
このため植民地や占領地では売春婦でない未成年女子も対象となった。朝鮮からは17歳、台湾からは14歳の少女が慰安婦とされたとの記録がある。

 Q 何人くらいいたのか。

☆ A 総数を示す公式記録はなく、研究者の推計しかない。現代史家の秦郁彦氏は93年に6万〜9万人と推計し、99年に2万人前後と修正。吉見義明・中央大教授(日本近現代史)は95年に5万〜20万人と推計し、最近は5万人以上と改めた。韓国や中国ではさらに多い数字をあげる人もいる。

 Q 慰安所はいつ、どんな経緯で作られたのか。

☆ A 満州事変の翌年、32年の上海事変で日本兵が中国人女性を強姦(ごうかん)する事件が起きたため、反日感情の高まりを防ぐためとして九州から軍人・軍属専用の慰安婦団を招いたとの記録がある。
その後、性病蔓延(まんえん)による戦力低下や機密漏洩(ろうえい)の防止、軍人の慰安のためなどの理由が加わった。

 Q どのようにして集められたのか。

☆ A 多くの場合、軍の意向を受けた業者がまず日本国内で、さらに植民地の朝鮮や台湾で集めた。「仕事がある」とだまされたり、親に身売りされたりした場合も多いことがわかっている。

 一方、フィリピンやインドネシアなど占領地では、日本軍が直接暴力的に連行したとの記録もある。フィリピン政府の2002年の報告書によると、同国で日本軍は、現地の女性を暴力的に拉致・連行して日本軍の兵営とされた教会や病院に監禁し、集団で強姦を続けた事例もあったという。

 Q 慰安婦の暮らしは?

☆ A アジア女性基金のサイトでは「(慰安所で)兵士は代金を直接間接に払っていたのはたしかですが、慰安婦にされた人々にどのように渡されていたかははっきりしません」と記す。

戦況や場所により処遇にばらつきもあったことが推定される。政府は93年、河野談話とあわせて調査結果を発表し「戦地では常時軍の管理下で軍とともに行動させられ、自由もない生活を強いられた」と説明している。

 Q 慰安婦問題が国内で知られるようになった経緯は。

☆ A 戦後まもない時期から兵士の体験談や手記で触れられていた。70年6月、作家の故千田夏光氏が週刊新潮で「慰安婦にさせられた」という女性や旧軍関係者の聞き取りを紹介。73年にルポ「従軍慰安婦」を刊行した。当時はまだ戦時下の秘史という扱いだった。

 Q 日韓間の問題として認識されたいきさつは。

☆ A 1990年1月、尹貞玉(ユンジョンオク)・梨花女子大教授が韓国ハンギョレ新聞に「挺身(ていしん)隊『怨念の足跡』取材記」の題で慰安婦問題の記事を連載。5月の盧泰愚(ノテウ)大統領訪日をきっかけに、植民地時代の朝鮮半島で日本の軍人・軍属とされた韓国人らから日本に謝罪と補償を求める声が高まった。―以下省略―

 

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