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北朝鮮:11月3日,弾道ミサイル発射 !
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投稿者 坂本誠 日時 2022 年 11 月 03 日 16:48:11: LfYamC01pAGAQ jeKWe5C9
 



北朝鮮:弾道ミサイル「火星17型が飛行に失敗か」:2022年11月3日

防衛省は、3日朝に北朝鮮から多数のミサイルが日本海の方向に発射されたと発表しました。
また、岸田総理大臣はミサイルのうち1発は、ICBM=大陸間弾道ミサイルの可能性があると明らかにしました。情報を随時更新でお伝えします。

米ホワイトハウス「ICBM発射を強く非難」
北朝鮮が長距離弾道ミサイルなどを発射したことについて、アメリカ・ホワイトハウスは声明で「北朝鮮によるICBM=大陸間弾道ミサイルの発射を強く非難する」として、発射されたミサイルの中にはICBMが含まれていたと指摘しました。

そのうえで「今回の発射は今週、相次いだ弾道ミサイルの発射とともに国連安保理の複数の決議に違反し、言語道断だ。不必要に地域の緊張を高め安全保障を巡る状況を不安定にするものだ」として北朝鮮を非難し、国際社会に対して連携を呼びかけました。

また、アメリカのインド太平洋軍も声明を発表し「われわれは弾道ミサイルの発射を認識しており、韓国や日本などの同盟国と緊密に連絡をとりあっている。今回の発射はアメリカの国民や領土、それに同盟国に差し迫った脅威を与えるものではないと判断しているが引き続き、状況を注視していく」としています。

日米韓高官「国際社会に対する明白かつ深刻な挑戦」
北朝鮮による弾道ミサイルの発射を受けて、外務省の船越アジア大洋州局長は、アメリカ国務省のソン・キム北朝鮮担当特別代表、韓国外務省のキム・ゴン朝鮮半島平和交渉本部長が電話で協議し、「きのうときょうの一連の弾道ミサイルの発射は前例のない頻度とやり方による挑発行為であり、日本や韓国を含む地域の安全保障にとって重大かつ差し迫った脅威だ」としたうえで、「国際社会に対する明白かつ深刻な挑戦だ」と強く非難しました。

そして、日米韓の安全保障面での協力をさらに推進することで一致し、国連安保理における更なる対応や制裁の履行強化に向けて引き続き緊密に連携していくことを改めて確認しました。
Jアラート 3発とは別の物体を探知 実際は日本列島を越えず
防衛省によりますと、3発の弾道ミサイルとは別に、政府は午前7時50分ごろから8時ごろにかけてJアラート=全国瞬時警報システムなどで、宮城県、山形県、新潟県を対象に北朝鮮からミサイルが発射され、上空を通過したとみられるなどと情報を発表しました。

防衛省は日本列島を越えて飛行する可能性があると探知したものは、実際には日本列島を越えず、日本海上空でレーダーから消失したことが確認されたとしていて、ミサイルだったかどうかも含めて詳しい分析を進めています。

防衛省「最高高度2000キロ、飛行距離750キロ」
防衛省によりますと、3日午前7時台から8時台にかけて、北朝鮮から少なくとも3発の弾道ミサイルが東の方向に向けて発射されました。

このうち午前7時39分ごろに西岸付近から発射されたものは最高高度が2000キロ程度、飛行距離がおよそ750キロで、日本のEEZ=排他的経済水域の外側の日本海に落下したということです。このミサイルについてICBM=大陸間弾道ミサイル級の可能性があるとしています。

また、午前8時39分ごろと8時48分ごろに内陸部から発射されたあわせて2発の弾道ミサイルは、いずれも最高高度は50キロ程度、飛行距離はおよそ350キロで、日本のEEZの外側の朝鮮半島東岸付近に落下したということです。

* 岸田首相「ミサイルのうち1発はICBMの可能性」

岸田総理大臣は記者団に対し、北朝鮮が発射したミサイルのうち1発は、ICBM=大陸間弾道ミサイルの可能性があると明らかにしました。

*主体思想から見た北朝鮮
(1)社会主義国における指導者の世襲
 北朝鮮の基本的思想は「チュチェ(主体)思想」だが、それについて考える前に自分の体験を紹介したい。
 私が『朝鮮新報』社の記者をやっていた時、ショッキングな出来事があった。1974年2月、朝鮮労働党第5期第8回中央委員会総会において金日成の後継者として金正日が指名されるとともに党の唯一思想体系確立のための「十大原則」が内部決定され、数日後、我々にも伝達されたのだった。この決定前から『労働新聞』では金日成の長男・金正日が「親愛な指導者同志」と紹介され、我々の間では喧々諤々の論争があった。金日成の弟であり、歴史的な南北共同声明(1972年7月4日)を仕切った金英柱労働党組織指導部長が後継者とする見方が支配的であったため、まさか無名の長男への世襲はないだろうと考えていたが、背後で骨肉の凄まじい権力闘争が行われていたのだ。その結果を正当化するのが「十大原則」であったが、目を疑うものであった。その核心は、第一「神格化」、第二「絶対化」、第三「無条件化」であった。要するに、決定をつべこべ言わずに受け入れろという上位下達文であった。正直言って、マルクス・レーニン主義を掲げる社会主義の国で、どうして指導者の神格化がなされるのかという疑問が突きあがり、私は動揺した。
 しかし、記者の水に慣れた頃であり、なぜそうしたことが起きたのかと好奇心が疼いた。もう一つ、かねてから私にはぜひ知りたい疑問が芽生えていた。「個人軍事独裁」「収奪、搾取される植民地」と労働新聞や朝鮮新報が烙印を押していた朴正熙政権下の韓国が目覚ましい経済発展を遂げ、1970年代初めころから日本の新聞の一面に「漢江の奇跡」と報じられるようになっていたのだ。他方で、「社会主義の優等生」「自立的民族経済」と誇っていた北朝鮮の経済が長期停滞に陥り、次第に統計数字も出てこなくなっていた。何が起きたのか?後継者問題とともに、どうしても知りたい、知らねばならない課題となった。
 奇しくもその5年後の79年9月に私は朝鮮大学校に異動となったが、1か月後の10月27日の北朝鮮憲法の講義中に教室外が騒がしくなり、「朴正熙が暗殺されたようだ」という第一報が飛び込んできた。
 その2年後、積年の疑問を直に自分の目で確かめる機会が訪れた。1981年4月から6月までの3カ月間、私は北朝鮮を訪問する機会を得たのである。前年の10月10日の第6回朝鮮労働党大会、その直後の党第6期中央委員会第1回総会で金正日が党中央委員会政治局常務委員、中央委員会書記、中央軍事委員会委員に就任し、後継者として正式にデビューしていた。在日の識者から選抜された訪朝団の目的は、後継者問題の理論化について北朝鮮側と意見交換することにあった。3カ月間、ピョンヤン旅館に滞在した我々のカウンターパートナーは金正日と金日成総合大学同期の最側近のキム・ヨンシク党中央組織指導部指導員で、後継者問題について自身で著した『哲学概論』を送られた。彼以外にも金日成高級党学校の教授らと討論を重ねたが、信頼されていたためか「世襲と認めるしかないのでは?」と我々の中からきわどい意見が提起されるほどフランクで率直な場であった。驚いたのは、「ドイツの哲学者のニーチェを研究する必要がある」と年配の教授から言われたことである。「超人思想」を拝借して父子後継を合理化するということらしく、積年の疑問であった「神格化」とはそういう意味であったのかと妙に納得した。
 そこには北朝鮮の特殊性がある。一般にスターリン主義的な社会主義体制はプロレタリア独裁とされ、長期政権化と個人崇拝に陥りやすい。それに加えて北朝鮮では血統主義の伝統が強いため、父子世襲となったのである。
 また、残るもう一つの疑問である北朝鮮経済長期停滞の原因も、北朝鮮各地の企業所、工場などを視察する中で理解できた。最高人民会議に傍聴員として招かれ、数時間、最前列から5番目の席から金日成主席が指導をする様子を間近に見たが、こっくりこっくり舟を漕ぐ代議員が少なくなく、惰性と倦怠感が満ちていた。思わず場内を見渡した想定外の光景は、今も眼に焼き付いている。無競争、非効率性が技術革新を妨げ、何年たっても同じものを作り続ける。すなわち、ソ連社会主義を真似た北朝鮮経済は分業化を基本としており、それが競争や独創性を阻害する本質的弱点となってしまったのである。そうした問題点をまとめて私は1990年に処女作「朝鮮が統一する日」を著し、同年9月にソ連極東の軍港都市ウラジオストクでのシンポジウムに招待され、以後、ソ連各地を回って北朝鮮と全く同じ長期停滞問題を抱えていることを確認できた。
 それと対照的なのが朴正熙政権下の韓国であった。政治は軍事独裁であったが、経済は資本主義的な自由競争を採用し、サムスン、現代などの世界的な企業を育て、「漢江の奇跡」を生みだした。独裁体制下で外資を導入し、経済を飛躍的に発展させた朴正熙のユニークな経済発展戦略は文化大革命で荒廃した社会主義経済を再建する手立てを探していた隣国中国のケ小平の目に留まり、やがて改革開放路線となって「深圳の奇跡」を生みだしていく。『ケ小平は改革開放政策のヒントを朴正熙による「漢江の奇跡」から得た。実は、朴正熙とケ小平は生前交流があり、密使が往来していた。後に私が某大学教授の紹介で東京で会った密使(元新聞記者)の話によれば、ケ小平は日本の新幹線や先進技術に強い関心を持っていたが、政治システムが異なることに不安を感じていた。それを解消したのが朴正煕の開発独裁であった。
 金日成もケ小平の改革開放政策が効果を上げていることを知っていた。だが、「修正主義者」「資本主義の手先」と批判してきた手前、素直に耳を傾けることが出来ず、ソ連崩壊のあおりで揺らぐ自国経済になす術がなかった。
 私は1995年に父母と共に初めて韓国を訪れ、翌年に「韓国を強国に変えた男 朴正熙 その知られざる思想と生涯」を著した。1997年に韓国語版も発行され、朴槿恵大統領から「父のことを良く書いてくれた」と評された同書で、朴正熙の独裁を「個人独裁」ではなく、外資導入を効率的に活用した「開発独裁」と定立し、「金日成は抗日闘争の英雄ではあったが、経済で朴正煕に負けた」と書き添えた。


 

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