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NHK等が隠す、小池都知事と 二階幹事長の深層は ?  政党渡り鳥は、小池百合子氏と同類 !
http://www.asyura2.com/10/nametoroku6/msg/6560.html
投稿者 青木吉太郎 日時 2016 年 8 月 04 日 19:01:58: jobfXtD4sqUBk kMKW2Itnkb6YWQ
 


NHK等が隠す、小池都知事と二階幹事長の深層は ?

小池百合子氏との関係改善、自民・二階俊博総務会長

「必要ないという意見なんてありうるわけがない」 小池氏処分に慎重 !

安倍官邸が最も警戒する男・二階俊博〜官邸VS自民党

   二階俊博氏の1993年以降の経歴 !  政党渡り鳥は、小池百合子氏と同類 !


T 自民・二階俊博総務会長の記者会見 !

(www.sankei.com:2016.8.2 14:09より抜粋・転載)

自民党の次期幹事長に内定している二階俊博総務会長は、8月2日の記者会見で、東京都知事選で自民党推薦候補を破り当選した小池百合子知事について「関係改善が必要ないという意見なんてありうるわけがない」と述べ、同党都連が検討している除名などの重い処分に慎重姿勢を示した。

 二階氏は、「小池知事に都民の圧倒的な支持があったことは事実だ。選挙の結果だから、自民党もこれを厳粛に認めることが大事だ」と述べた。

一方で、総務会での意見として「自民党としての規律や今後の対応もあるので、一定の冷却を置きながら関係改善を図るべきだという意見が大勢を占めた」と紹介し、当面は小池都政を静観する考えを示した。

U 安倍官邸が最も警戒する男・二階俊博〜官邸VS自民党

(net.keizaikai.co.jp:2014年5月27日より抜粋・転載)

鈴木哲夫(政治ジャーナリスト):

◆予算委員長の立場を逆手に取って力を誇示 !

 「間合いが抜群というか、ケンカ上手。とにかく駆け引きでは何枚も上」
 安倍首相側近の1人がそう話すのは二階俊博予算委員長。そして、警戒心をあらわにした。
 「官邸が今一番(動きに)神経をとがらせているのは野党でも何でもない。二階さんだ」
 二階は当選10回の重鎮。運輸相、経産相、自民党総務会長、国対委員長などを歴任してきたが、二階の厚みは、過去、新進党や保守党などにも籍を置いてきたこと。

「逆にそれで根気や胆力を身に付け、結果的に与野党問わず幅広い人脈を築くことになった」(自民党幹部)のである。

 人脈は、野党では新進党以来の公明党との太いパイプ。このほか他党の落選議員や、かつて敵対していた議員らが路頭に迷うような状況になれば自らの二階派に受け入れ、「今の時代数少ない本当の親分肌」(前出・自民幹部)との評もある。

 そんな二階を、安倍政権はむしろ重用すればガバナンス上もメリットは大きいはずだが、それが逆に警戒とはなぜか。自民党の7役経験ベテラン議員はこう話す。

 「二階さんをはじめ党内のベテラン議員たちは、参院選で勝ってねじれを解消するまでは、多少の不満はあっても安倍さんに協力してきた。ところが、官邸が政策や人事を決めるいわゆる『政高党低』が相変わらず続いている。

じゃあ与党とは何なのかと派閥領袖やベテラン議員などは我慢できないところまできた。そうしたマグマが集団的自衛権見直しなどを契機に、一気に安倍批判の声になって噴き出してきたということ」


◆さらに二階の場合、どうしても譲れないのが外交路線だ !

 「二階さんは親中国派。中国や韓国など近隣諸国を大事にしながら経済交流を深め、相互発展していこうという考えだ。そこが安倍さんとは真っ向からぶつかる」(二階派中堅議員)
 こうしたことから、今後は二階が安倍首相の政策に対して度々変更を迫る可能性が高まってきたのである。


◆では二階の「何枚も上」の駆け引きとは どんなものなのか ?

 例えば、官邸は人事で二階を予算委員長に就けたが、これは実は動きを封じるためのポストだった。「国会のしかも委員長というのは中立でなければならず私情も挟めないから勝手な動きは許されない」(前出・首相周辺)からである。しかし、二階はこれを逆手に取る。

 「二階さんも最初は『今さら俺がなんで予算委員長なんだ』と周囲に怒っていたのに、いざ国会が始まったら予算審議などで安倍さんに意地悪をするどころか、逆に混乱させずにスピード通過させてしまった。

つまり『安倍さんよ、与野党をしっかり押さえてちゃんと通したぞ。分かってるだろうな。こっちの言うことも少しは聞けよ』という力の誇示、無言のプレッシャーだ。表向きには安倍さんの国会運営に協力しながら、実は同時に安倍さんを脅す。
正面から攻撃してくるよりもずっとすごみがあって、官邸が震え上がるのも分かる」(前出・元7役議員)


◆新たな権力闘争の構図がうごめきだす !

 また、リベラル派の二階自身も反対の集団的自衛権の解釈改憲については、パイプがある公明党に水面下で接触し連携を図っているという。


◆公明党幹部が言う。

 「二階さんは早い段階から、『自民党内でも反対は多い。こっちはこっちで動くから』と言ってくれていた。3月ごろからうちも代表や幹部が『見直しには慎重な議論を』と公言し始めたが、そのとき二階さんは、『いくらでも兵力を出す。遠慮なく言ってくれ』と。

つまりうちが反対の声を上げたら同時に援護射撃の声を自民党内でも上げるという意味です。事実二階さんは親しいベテラン同士に持ち掛けて慎重論の声を盛り上げ、『公明党の立場を大事にすべき』とまで言ってくれた」

 むやみに正面切っての殴り合いはしない。間合いの取り方やケンカ上手、人脈をフルに使うといった二階の真骨頂が見え隠れする。

ただ、二階にも最後の一線がある。例えば親中・親韓の外交政策は絶対に捨てられないし、集団的自衛権のむやみな行使にも反対だ。「安倍さんがこの2点で暴走するなら、そのときは反安倍ののろしを上げるだろう。

党内の人脈は、青木幹雄元参院会長、古賀誠元幹事長、大島理森前副総裁、額賀福志郎元財務相ら。彼らと連携して反安倍の総裁候補を立てて戦うこともあり得る」(三役経験者)という。これに対して安倍側近の一部は、「支持率は高い。古い自民党と戦う形に仕立てて遠慮なく進めばいい」と話す。

 安倍晋三VS二階俊博 !

自民党の新たな権力闘争の構図がうごめきだした。

(敬称略):政権交代請負人、小沢一郎が語る永田町の内幕

(参考資料)

二階俊博氏の1993年以降の経歴 !

(ウイキペディアより抜粋・転載=

自民党離党後[編集]

運輸政務次官[編集]

1993年、宮沢内閣不信任決議案に賛成して自由民主党を離党、小沢らと共に新生党結成に参加した。総選挙後に発足した細川内閣で再び運輸政務次官に就任する。細川内閣での政務次官時代は社会党の運輸大臣伊藤茂を差し置いて「影の運輸大臣」と呼ばれた。
小沢一郎の側近[編集]

細川・羽田政権後、新進党にも参加し、「明日の内閣」建設・運輸・国土政策担当などを務める。
小沢側近として小沢の党首選出にも尽力した。

1996年、第41回衆議院議員総選挙で新設された和歌山3区から立候補し、自民党(清和研)の現職野田実を破り5連続当選を果たす(野田は比例復活したが、後に連座制を適用されて失職した)。

1998年、新進党分党後も小沢側近として自由党結党に参加した。
運輸大臣[編集]
自由党国会対策委員長として自自連立政権樹立に動き、1999年の小渕内閣第2次改造内閣で運輸大臣兼北海道開発庁長官として初入閣した。


保守党結成[編集]

2000年4月、自由党の政策が実現されないとして連立解消を主張する小沢ら連立離脱派と袂を分かち、野田毅や扇千景ら連立残留派とともに保守党を結成する。
自公保連立政権に参加し、小渕内閣を引き継いだ第1次森内閣で運輸大臣兼北海道開発長官に留任した。

同年7月、保守党国会対策委員長に就任。2001年、保守党党首の扇が野田に党首の座を譲ったことから、保守党幹事長に就任した。

2002年、保守党の後継政党である保守新党でも幹事長に就任したが、2003年の第43回衆議院議員総選挙で保守新党は代表の熊谷弘が落選するなど惨敗し、自民党に吸収された。
かくして二階は約10年ぶりに自民党へ復党することになる。


自民党復党後[編集]

自民党総務局長[編集]

自民党への復党後、旧保守新党の議員らで新しい波(二階グループ)を結成して会長に就任。2004年9月、自民党総務局長に任命される。以後、自民党が下野する2009年までほぼ一貫して政府や党の要職の座につけ、政界再編期の離党・出戻り組の中では異例な存在であった。

2005年5月、内閣総理大臣小泉純一郎の意向により、自民党総務局長を兼任しながら衆議院郵政民営化法案を審議する特別委員会の委員長に就任する。郵政国会では郵政民営化法案の衆院通過に尽力した上、その後の郵政解散による第44回衆議院議員総選挙では選挙責任者の総務局長として候補者擁立などに奔走し、自民党圧勝の功労者となった。

この大勝利をきっかけに総務局長の地位が見直され、地位向上が行われるようにもなった。またこれによって、比例当選議員が中心ではあるものの二階派の議員数が増加することになり、二階が一定の政治的影響力を持つことになった。

経済産業大臣[編集]−省略−

自民党総務会長[編集]

2007年8月、党三役の一角である自民党総務会長に就任。その直後、自らが代表を務める和歌山県第三選挙支部の政治資金収支報告書未記載問題が発覚する[2]。2007年9月14日、自民党幹事長麻生太郎の総裁選挙立候補を受け、自民党役員会において、2007年自民党総裁選期間中の幹事長職務を一任された。9月24日、福田康夫が総裁に就任し、総務会長に留任することが決まった。

2008年の福田内閣改造に伴い自民党総務会長を退任し、福田改造内閣に経済産業大臣として再任された。2008年9月24日に発足した麻生内閣でも経済産業大臣に再任されている。

−以下省略−

 

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