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本澤二郎の「北京・天津友好の旅日記」(8) (「ジャーナリスト同盟」通信)
http://www.asyura2.com/10/senkyo100/msg/110.html
投稿者 五月晴郎 日時 2010 年 11 月 21 日 09:48:13: ulZUCBWYQe7Lk
 

http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/51684679.html
『「ジャーナリスト同盟」通信』の本澤二郎の「北京・天津友好の旅日記」(8)2010年11月20日
から下記を転載投稿します。

=投稿開始=

<日中首脳会談の思い出> 

 日中国交正常化交渉について思い出してもらった。72年9月だ。筆者も同年早々に政治部に配属され、ポスト佐藤の自民党総裁選取材を担当した。山口政治部長から大平派を担当するよう指示された。初めて夜回りをした相手は世田谷の鈴木善幸邸だった。大平派参謀の鈴木自らジョニーウォーカー赤ラベルの水割りを作ってくれた。居間のテーブルには水産族のドンのせいで、新鮮な刺身が盛られていた。隣に共同通信の三喜田記者もいた。自民党派閥についても無知、未知な世界で筆者は、必死で両者の会話を聞くのに懸命だった。ために、初めて口に入れた英国の高級酒の味もわからなかった。

 黒塗りのハイヤーに社旗をたなびかせる夜回りという深夜取材に振り回されることになるのだが、そのころから反福田連合の政策の柱が日中国交回復だった。三木派の日中友好代表格の宇都宮は、独自の党内人脈を利用してワシントン工作に余念がなかった。
 後年彼は「中国は戦争被害の賠償を受け取らないということがわかった。もし、かつて日本が清国やロシアに対してやったように、逆の立場となったらどうしようか、このことが一番の心配だった。莫大な賠償を支払うということになれば、日本の経済成長も止まってしまう。しかし、周総理はそれを要求しないという。それを確認して、これなら日中国交回復は出来ると自信をもった。そこで残る最大の壁のワシントン対策に突進した。サンタバーバラ会議が駄目押しとなった」と筆者に何度も語っている。
 政治記者になり、大平派を担当、合わせて宇都宮との交流から、歴史にも政治・外交にも無知だった筆者は、戦後最大の外交問題に興味と関心を抱くようになってゆく。
 大平派の総裁選作戦本部は、首相官邸西側にあるホテル「キャピトル東急」だった。宇都宮もよくここに筆者を連れて行ってくれた。衆院議員から参院議員になったころの彼は、夕刻になると秘書のOさんを呼んで、冷蔵庫から缶ビールを出させた。二人で乾杯した。中国の青島ビールだ。同ビールの存在に気付いた。宇都宮の中国好きはアルコールの世界にも及んでいた。

 <厳しかった2回目会談> 

 「田中・大平―周恩来会談は9月25日から29日まで。通訳は私と李さん。大変でした。特に2回目のやり取りは厳しかった。田中総理が歓迎宴で発した言葉です。侵略という言葉は徹底して避けてきた。確か、日本は長い間、中国に迷惑をかけた。深く反省しているという内容でした。これに対して首脳会談で“迷惑とは何だ”と激しいやり取りが続きました」
 この激しいやり取りを二人の通訳が大汗を流したのだ。思うに、歓迎宴での田中発言にまで大平は気を回す余裕などなかったのだろう。数千万人が想像を絶する被害・災いを受けている中国の人民に対して「迷惑をかけた」では話にならない。
 この「迷惑」発言のやりとりで「1日も費やしてしまった。ましてや日本政府は侵略したという言葉もつかわず、ぼやかしてしまった。後の村山談話ですっきりとさせたが」という不甲斐ない日本ではあった。筆者は、ここにこそ天皇制という不可解な縛りが存在している日本なのだと思いたい。宇都宮の指摘でもある。率直に謝罪させない、出来なくさせている特異な政治体制なのだ。
 王コウ賢夫人の思い出話を聞いていて、そう判断せざるを得ない。大平の苦悩と苦心もここにあったのかも。

 <台湾問題の処理> 

 いよいよ交渉は本題に入ってゆく。それは台湾問題だった。日本は日華条約を締結していたからである。ワシントンもこれには目を光らせていた。「日華条約の破棄」は中国政府の大原則だったのだから、その処理も容易ではなかった。
 「中華人民共和国は中国を代表する唯一の政府、台湾は中国の不可分の領土、日華条約は破棄する、という復興3原則を認めることについても時間がかかりました。台湾問題は覚書貿易時代から常に問題になっていました。台湾は内政問題が中国の立場でしたから。特に、高島条約局長が台湾は既に賠償を放棄しているという主張に対して、周総理は本当に怒った。台湾にその資格があるのかと」
 結局のところ、共同声明と大平会見で難問を処理した。知恵である。台湾との政治的関係を切って北京の立場を実質受け入れた。台湾にテコ入れる東京の右翼勢力とワシントンを前にして、大平外交はワシントンに釘づけされている外務官僚も抑え込み、見事決着を付けた。
 「田中総理の決断力もすごい。そして本当の知恵を出した大平外相のコンビによって国交回復が実現したと言えるでしょう。トウ小平さんも大平先生と3回会っています。彼は大平先生のことを指折りの政治家と絶賛していました」
 田中の決断力と大平の知恵で、戦後最大の外交問題を処理出した、戦後初めて自立した日本政府なのだった。彼女に復興後の印象に残る政治家を指摘してもらった。すると大平、宇都宮、後藤田正晴、伊東正義の4人をあげた。
 伊東は大平の盟友・親友である。後藤田を政界に押し込んだ張本人は田中である。現在の小沢は田中門下生、鳩山由紀夫の父親もそうである。人脈は生きている。日中友好派と反中右翼派の攻防が、今も繰り広げられている。後者の中核が前原や野田の松下政経塾だ。仙谷や枝野は前原グループである。いわば、かつての台湾派の青嵐会という構図になる。
 自民党右翼政権よりも右傾化したネオコン政権となろうか。

<永田町の変貌に驚愕する外交部通訳> 

 王コウ賢夫人との雑談を、途中からあわててメモを取り始めた。日中関係史そのものだからである。彼女の先輩・肖向前さんの時もそうしていた。ジャーナリストの義務だし、特権でもある。上海では周恩来通訳の周斌さんにもそうした。周恩来を知る3人の語学の達人から話を聞くことが出来たことになる。
 劉理事の配慮か、昼食の用意までしてくれた。油の少ない健康中華料理が素敵な部屋のテーブルに並んだ。高給レストラン以上である。学食に満足する人間だが、それでも静かな館での食事と料理もまた格別である。

 日本の政情を解説させてもらった。松下政経塾内閣分析に夫人は驚きの声を上げた。そのはずである。松下財閥は、いの一番中国に進出した財閥企業だ。その配下ともいえる政治集団が、反中派という説明に腰を抜かすばかりなのだ。
 「トウ小平さんは松下幸之助さんと会っている。非常にいい印象を持っていました。本当にびっくりです」
 人のいい中国人ということになろうか。騙されやすいのは筆者も同様である。筆者は進歩的発言をする中曽根康弘に騙された政治記者である。それゆえに「大勲位・中曽根康弘」(健友館)を執筆、その場で夫人に贈呈した。「ちゃんと読みます」と約束してくれた。そういえば肖向前さんも中曽根のために骨折り、周恩来に会わせたのだが、やがて総理大臣になると裏切られた。
 騙し、騙されるのは政界の常だが、それを外国にまで拡大するのは間違いである。外交は武力ではない。誠心誠意であらねばなるまい。大平を学べ、といいたい。

<宇都宮邸の秘話> 

 「最近は孫の世話で忙しい」という夫人は、日本での思い出を尋ねると「宇都宮夫人ととても親しかった」といった。その上で意外な秘話を打ち明けてくれた。「中日貿易を前進するために、それまでの前払い制を改めようとの話し合いが密かに進行したのです。松村先生はランの愛好家だったので、ランの訪日代表団を東京に派遣することになった。孫平化、王暁雲と私も加わった。周総理の指示です。直ぐ行けということで。池田内閣が延べ払い方式にOKしたからです。そのための密会場所が宇都宮邸でした」
 「代表団から我々3人が宇都宮邸に入ると、既に通産省の担当者が2階の部屋で待っていました。これによって中国はビニロンプラントの工場を中国に輸入することが出来ました。これは松村先生からの1本の電話、すなわち池田総理の意向だったのです。密談の場所を宇都宮先生が提供してくれたのです。63年のことです」
 うれしい秘話である。これに宇都宮邸もかんでいたのである。この時代の宇都宮邸は、現在の神奈川県大和市の中央林間ではなく五反田ではなかったか。そう理解したのだが、実は中央林間だった。宇都宮は、このことを孫の徳一郎君にも打ち明けていた。

<前門のサンザシ> 実に爽快・痛快な日中関係史をベテランの周恩来通訳の王夫人に聞かせてもらい、筆者と苑教授は大満足だった。72年の国交正常化後の日本留学組第1号となった劉理事は「またどうぞ」と声をかけてくれた。
 肖向前さんが91歳で亡くなり、中日友好協会と関係が切れてしまったと思っていたら、そうではなかった。心が通じ合える限り、人脈は切れないのである。「中国とは誠意だ。誠意があれば必ず通じる」が宇都宮の筆者への遺言である。

 苑さんと長安街に出た。歩いて天安門広場を横切り前門に出た。昨年の今頃、学生が案内してくれた。ここにある有名な北京ダックの店に案内してくれたのは蘇夫妻だった。
 昨今、観光客にとって北京市内の一番人気というと、王府井からここ前門街に移っている。一度食べてみたかった、串に団子の形をしたサンザシをご馳走してもらった。
 苑さんは我が夫妻向けにシルクの襟巻を購入した。この人の配慮にはあきれるばかりである。東京ではコーヒーしかサービス出来ない筆者だというのに。

<コーヒー店でおしゃべり> 

 前門から地下鉄に乗った。結構な混雑であるが、さりとてさほど深刻なほどではない。1回乗り変えれば学校近くの駅に着く。下車した後、目の前にあるマクドナルド店でコーヒーを飲みながら、雑談に花を咲かせた。
 苑さんの博士論文は石橋湛山研究である。彼を評価していた宇都宮という関係だから、話題は広がる。今日の王夫人の話は、彼にとっても興味深いものだった。
 人間は皆同じだ。だが、欲に絡む人間もいる。彼らが権力を悪用する。すると、そこから略奪・戦争が始まる。資本に振り回される人間が、問題を引き起こす。ほどほどというルールをわきまえないからだ。
 この輩は現在、ワシントンに集中している。東京にも。資本と権力の癒着に警戒を怠ると、そこから大事件が発生する。苑さんもこのことに注目している学者である。
2010年11月20日13時40分記

=転載終了=

<反日は虚報>など 本澤二郎の「北京・天津友好の旅日記」(1) 
http://www.asyura2.com/10/senkyo99/msg/406.html

<ひやり快速電車>など 本澤二郎の「北京・天津友好の旅日記」(2)
http://www.asyura2.com/10/senkyo99/msg/415.html

<中国社会科学院日本研究所>など 本澤二郎の「北京・天津友好の旅日記」(3)
http://www.asyura2.com/10/senkyo99/msg/462.html

本澤二郎の「北京・天津友好の旅日記」(4)(5)(6)(7) 
http://www.asyura2.com/10/senkyo99/msg/889.html  

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コメント
 
01. 2010年11月21日 10:15:17: 7Om6NJChUQ
これで、キッシンジャー博士が怒ったのだ。

外交に関しては、故田中角栄氏は、大したことなかった。

世界情勢の分析、判断は、素人程度なのだった。

 アメリカ政権と、裏ルートで、キチンとサシで、了解を取るべきだったのだ。

そうすれば、ロッキード事件は、なかったのだ。

 当時も今も、世界の盟主はアメリカ支配層なのだ。

外交に関しては、切れ者の参謀も、いなかったね。

石油の日本独立資本政策も、間違いでした。

 実例、最近の、イランの日本石油資本の撤退が、
    アメリカの指図で頓挫したのは、アメリカの意向無くしては、
    成り立たない、と云う事。

 日本では、アメリカの承認がない政策は、政権にとって、非常に危険なのだ。

    


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