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副島隆彦『フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした』から抜粋
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投稿者 仁王像 日時 2014 年 10 月 05 日 16:10:47: jdZgmZ21Prm8E
 

副島隆彦『フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした』(成甲書房)’14年から抜粋
http://www.snsi.jp/bbs/page/1/

 はじめに──副島隆彦
 この本は、世界最大の秘密結社であるフリーメイソン(リー)が、幕末・明治の日本にどれほど強い影響を与えたかを解明する本である。
 幕末・維新、そして明治の日本の指導者たち11人の「偉人伝」を読み解いてゆくことで、明治の元勲たちの中にフリーメイソンの思想が、どのようにびっしりと入(はい)り込んだかを、正確な歴史史料に基づいて解明しようとする本である。

 フリーメイソンの思想が入り込んだ、というよりも明治の指導者(最高権力者)たち自身が、自ら進んで新しい時代の先駆者となるべくヨーロッパとアメリカで、それぞれ自分の先生(パトロン)を見つけ、彼らから徹底的に指導を受け、資金援助と人脈(ネットワーク)の紹介もあって、それでアジアの新興国・日本がいち早く華々しく擬似(ぎじ)近代国家として成長を遂げたのである。偉人たちの人名は、後(うしろ)のほうで列挙する。

 私はこの本で弟子たちと共同研究をして、秘密結社(ザ・シークレット・ソサエティ)のフリーメイソンが、実はそのままユニテリアン派のキリスト教会と表裏(ひょうり)となって深くつながっており、その実態は全く同じ思想運動であることを証拠つきで突き留めた。ユニテリアン教会は、確かにキリスト教プロテスタントの主要な一派(セクト)なのだが、その思想(教義)の中身が、一体どのようなものであるのか、これまで日本人は、なかなか把握しづらかった。

 私は弟子たちと、この共同論文集で、フリーメイソンリー Freemasonry という闇に隠れた(ことになっている)恐ろしい秘密結社であり、長い間、有識者たちの間でヒソヒソと語られてきた思想集団が、実は18、19世紀には、極めて優れた、開明的で先進的な人々の集まりであることを究明した。と同時に、私たちはユニテリアンUnitariansというプロテスタントの一派が、ものすごく魅力的な、当時の世界規模の最先端での政治思想(ポリティカル・ソート)であることも同時に突き留めた。

 私は、ユニテリアンというキリスト教の一派が、今もヨーロッパとアメリカの理科系の物理学者や工学者たちの間でさえも、一番信じられている宗教思想(普通に通う教会でもある)であることを知った。彼ら科学者(大学教授たち)は今もユニテリアンの教会に通う。ユニテリアンは、科学的(サイエンティフィック)なプロテスタント≠ナあるからだ。彼らは、イエス・キリスト(ジーザス、Jesus)という男の一生を信奉する。イエスの生き方と言葉を極めて素晴らしいものとして、崇(あがめ)尊重する。そして、それ以外の、教会儀式や三位一体(さんみいったい)説という訳の分からないカソリック教会の教理(ドグマ)や、その他のキリスト教の大教団が持つ威圧的な僧侶(司祭や司教たち)の巨大な偽善の階層構造(ヒエラルヒー)を認めない。すなわち、神による奇跡(ミラクル)や恩寵(グレイス)や聖母マリアの処女懐胎(無原罪妊娠、むげんざいにんしん)などの、非合理で愚劣な宗教思想を峻拒(しゅんきょ)した。だからユニテリアン信徒たちは、密かにフリーメイソンリーの会員でもあるのだ。

 この無神論(atheism)に輪をかけて難しい思想が、「理神論(りしんろん)」である。理神論というのは、デイズム Deism といって、「神(ゴッド)を合理的(ラシオナル rational)に理解する」という考えである。デイズムの De「デ」はギリシアの Deuz(デウス、ゼウス)のデである。デイズム(理神論)は、本当のことをズバリと言うと、無神論(神の否定)に至り着く一歩手前の、その途中にある政治思想である。「私は神 God の存在を疑う」と、ヨーロッパで、16世紀からようやく知識人層の間で公然と口に出来るようにはなった。しかし、神の否定(無神論)までは、皆、さすがに恐ろしくて言えない。捕まって異端審問(オーディール)で拷問にかけられて殺される。異端審問官 インクイズィター inquisitor という、ローマ・カトリック教会の恐ろしい政治(宗教)警察官(ソート・ポリス)が、ヨーロッパ中で目を光らせており、その子分たちがうようよいた。だから、無神論(神の否定)など、とても公言できなかった。だからその一歩手前の「神を疑う」(理神論、デイズム)のところでヨーロッパ近代人(モダンマン)たちは、踏みとどまり以後400年間もぐずぐずと悩んできたのだ。そして現在まで続いている。

 ローマ・カトリック教会は、中世ヨーロッパでたくさんの知識人を無神論者(エイシスト)と異端者 ヘレティック heretic (裏切り者)として焼き殺した。異教徒 ペイガン pagan なら侮辱され相手にされないからまだましだ。宗教支配者であるローマン・カトリック(その突撃隊がイエズス会)は長く血塗られた虐殺者の集団である。だから1517年からドイツでマルチン・ルターの宗教改革(ザ・リフォーメーション)が起きた。このキリスト教の宗教争い(宗教戦争)の中で育(はぐく)まれて500年悩み苦しんだ優れた思想が、デイズム(理神論)なのである。だから今のハーヴァード大学の教授たちの多くもユニテリアンの理神論者(デイスト)だ。決して無神論者(エイシスト)ではない。

 デカルトもニュートンもガリレオもパスカルもライプニッツもジョン・ロックも、その他、優れたすべてのヨーロッパ近代知識人たちは、すべてこの理神論(デイズム)の立場なのである。そして、それを継ぐフランス近代啓蒙思想家(ヴォルテールとダランベールが代表)たちもまた、デイスト(Deist 理神論者)である。17、18世紀でもまだ神の否定まで言うと、いくら彼らでも捕まって殺される危険性が高かった。だから、「神の合理的な説明」という形で、神の否定のギリギリ一歩手前のところで生き延びた。こういう大きな真実、大柄に人類史の全体を見渡す大きな思想(宗教)理解が日本の知識人世界で、いまだに出来ていない。皆、大きな真実を知らされていない。誰も、誰からも教えられていないのである。

 そして、この理神論(りしんろん)が今のハーヴァード大学(アメリカ東部のリベラル派の牙城)で生きており、そしてユニテリアン思想(教会や教団としても存在する)そのものなのである。欧米の理科系の大学教授たちは、いくらなんでも、ただのそこらのキリスト教会の坊主(司祭や神父や牧師たち)が説教する、くだらない、訳の分からない、日本の仏教の各宗派(全部で16派ある)の坊主と全く同じ、非合理的な話を信じるわけにはいかない。そんな坊主、神父、牧師(総称して聖職者 クラージマン という)の幼稚な説教など、いつまでもうなだれて聞いているわけにはいかなかった。だから、早くも17世紀からユニテリアン運動が起きたのである。

「私たちはイエス・キリストという極めて優れた人間のコトバと生き方を尊重し崇拝する」とまでしか、彼らはどうしても言わなかった。アメリカの賢人トマス・ジェファーソンやベンジャミン・フランクリンもそうである。
 この生き方の態度は、ミケランジェロとモーツァルトとゲーテとニーチェら、ヨーロッパ最大級の芸術家や思想家たちの中で受け継がれてきた考え方でもある(このことは私の他の本で論証した)。そして彼らの敵は、まさしくただひたすらローマ・カトリック教会(バチカン)である。ローマ教会という、キリストというひとりの男の、本当のまじめな思想表明を裏切って、キリストを神棚に飾って、祭り上げ、ただただ民衆に拝ませることで、彼ら僧侶(モンク)の集団自身が人類を支配する巨大な悪(イーヴル)と偽善(ヒポクリシー)の大教団を作った。このワルの創作者がペテロとパウロである。このローマ教会との文字どおり命懸けの闘いこそは、ヨーロッパ500年間の知識人たちの中心の闘いであった。

 この一点の真実が分からなければ、私たち日本人が、近代(モダン)ヨーロッパなるもの≠理解したことにはならない。
 私は、ここまでローマ・カトリック教会への強い悪口を書いた。しかし、カトリックの個々の神父(ファーザー)たち(そのほとんどは強度の偽善者である)の中にも立派な人々が少数だがいる。例えば、1970年代の南米諸国(ラテンアメリカ)で、飢えた貧しい民衆を救けるために「解放の神学」(セオロジー・フォー・リベレーション)を唱えて、自ら武器を持ってゲリラ戦の中に身を投じた神父たちを私は深く尊敬している。

 だからこのローマン・カトリックから毛虫のように嫌われ続けたフリーメイソン=イルミナティ=ユニテリアン思想は、これまで、日本の出版業界が「おどろおどろしい闇の支配者たち」だとか、「裏に隠れた悪魔の集団」などという愚か極まりない理解を日本国内に蔓延させた。一部の脳タリンの陰謀論者(いんぼうろんじゃ、コンスピラシー・セオリスト。私はこの愚かな ×「陰謀論」というコトバを使わない。拒絶する。私はコンスピラシー conspiracy のことを「権力者共同謀議(きょうどうぼうぎ)」と正しく訳し訂正した)たちが巧妙に煽動されたのである。

 その真の元凶は、やはりローマ・カトリック教団そのものである。彼らは、この世の諸悪の根源である。実は、フリーメイソン=イルミナティの思想が、ローマ・カトリック教団の中にまでじわじわと潜り込んでゆき、自分たちの巨大な偽善(ヒポクリシー)を暴いて突き壊しに来るのがイヤでイヤでたまらないのだ。このことは、たとえばローマ教会の協賛で作られた近年の映画「天使と悪魔(エンジェルズ・アンド・デーモンズ)」(2009年。ロン・ハワード監督、ダン・ブラウン原作)を見るとよく分かる。だから、今もフリーメイソン=ユニテリアン教会が自分たちにとって一番危険な思想集団であるとして、カトリックとイギリス国教会(アメリカではエピスコパリアンと名乗る)は、フリーメイソンやユニテリアン思想をひどく嫌ったのである。

 だが、ところがである。どうもきっかり20世紀(1900年代)に入ったあたりで、本当にフリーメイソンリーとイルミナティ(こっちは現存するか分からない)は、世界を頂点のところで支配する超権力者(スーパークラス)たちの、秘密の集団(ビルダーバーグ会議やロックフェラー財団など)によって乗っ取られて大きく変質をとげたようである。どうやら、このことは事実のようである。フリーメイソンリーは上の方から組織全体を彼らに乗っ取られていったのだ。

 だが、19世紀(1890年代)中までは、そうではなかった。すなわち日本の明治時代(1868〜1912年)を生き生きと作った指導者たちがフリーメイソン=ユニテリアンに加入していた頃までは腐敗していない。19世紀までは、大変優れた開明派の知識人、実業家たちが結集する組織であったらしいのだ。決して今のような、世界を上から操る非公式の超財界人の権力者たちの集まりではなかった。

 この本では、石井利明(しいとしあき)くんが、福澤諭吉(ふくざわゆきち)についてその人物像を深く研究した。慶応義塾を創立した福澤諭吉は日本が誇るべき、本当に優れた偉大なる知識人である。石井くんは、このあと本書に載せた論文で、「ユニテリアンは、フリーメイソンであった」の大発見もした。この学問業績は、のちのち高く評価されるだろう。

 私たちは、この本でまるまる一冊、明治時代の新しい日本を創った指導者たちで、後に「偉人」とされた人々に光を当てた。この明治の偉人たちはフリーメイソン=ユニテリアン教会と、何らかの深い関係があった事実を私たちは丁寧に掘り起こした。

 私は、この本のきっかけを作るために、2013年9月7日に、同志社大学の創立者である新島襄(にいじまじょう)の出身地である群馬県安中(あんなか)市に行った。ここで私は大きな収穫を得た。私にとっての人生の十大出合いのひとつに数えられるぐらいの大発見をさせてもらった。この地に安中教会(あんなかきょうかい)という、新島襄と彼の支援者たちがつくった教会が有る。そこの牧師さんである江守秀夫(えもりひでお)氏からお話を聞いた。このことと関係する私の新島襄論及び妻の八重(やえ)の話はあとの方に載せた。

 私が江守牧師の説教を聞いてびっくりしたことがいろいろあった。このときユニテリアン教会というキリスト教の一派の宗派のことが大まかに私の脳の中でついに解明された。私は長い間ずっと分からないまま放置していた。江守牧師自身は、「自分たち(同志社大学神学部を出た者たち)は、組合教会(くみあいきょうかい、あるいは合同教会。コングリゲイショナリスト)派です」と自己定義している。

 私が江守牧師と話して、もっとびっくりしたのは、彼はコングリゲイショナリスト(大きくはユニテリアン)というキリスト教の牧師なのだが、「私(たち)は神ゴッドという言葉なんか使いたくもない」と吐き捨てるように言ったときだ。そのときに私は愕然として椅子からずり落ちそうになった。やっぱり、そうだったか。彼らはすでにもう無神論(atheism エイシズム)の思想スレスレにまで近づき、たどりついている人たちなのだと、これではっきり分かったからだ。私の人生の十大ビックリのひとつだ。彼らは、ローマ教会とイギリス国教会(アングリカン・チャーチ)が押しつける神が大嫌いなのだ。彼らはイエス・キリスト ジーザス Jesus という男しか信じない。アメリカ独立革命の偉大な父(ファウンダー)たちであるベンジャミン・フランクリンやトマス・ジェファーソンもそうだ。皆、堂々たるフリーメイソンの当時の大幹部でもある。

 前述したとおり、エイシイズム atheism 一歩手前で、神(いわゆる God)を疑いながらも、まだキリスト教徒のままであり続けたこの人たちの信仰運動が、欧米で現在まで300年間ぐらい続いている。それが前述した デイズム deism 理神論(りしんろん)である。ヨーロッパ全体では、大きな勢力としてはオランダで始まった Jansenisme(ヤンセニズム)がある。オランダ人のコルネリウス・ジャンセン(あるいはヤンセン。1585〜1638)という神学者が始めた。修道院(アビー)運動もやった。

 だからヤンセニズム(オランダ改革派。ピューリタンも含まれる)もまた、まさしくデイズム deism だ。パスカルというフランス人の化学者がヤンセニズムの大変な信奉者で、ローマ・カトリック教に対する激しい批判の言論を行っている。カトリックというよりも、その中心に今も隠然と居座っているイエズス会(ソサエティ・オブ・ジーザス Jesuit ジェズーイット、Society of Jesus)との激しい宗教論争をパスカルはやっている。デカルトもそうだ。このヤンセニズム(オランダ改革派)をも組み込みながら、ユニテリアンが全ヨーロッパと北米で台頭したのだ。

 フリーメイソンリーというのは、都市の裕福な人々が、商業活動や営利事業をすることを認め合いながら、規律ある生活を自分たちに課し、ともに商業で栄えるということを理念に置いている結社(アソシエイション)だ。その現在の末端の下部機関がロータリークラブやライオンズクラブである。それに対してローマ・カトリック教会は、どうしても人間の本性(ネイチャー)である営利活動や都市商工民の華やかな暮らしぶりを蔑(さげす)んで見下し禁止しようとした。だから両者は互いに激しい憎み合いに入った。

 勃興するフリーメイソンたちは、だんだんと教会の僧侶(クラージマン、神父、聖職者)を嫌うようになり、「神」という言葉を使いたくなくなった。そしてその代わりに、フランス革命(1789〜92年)の前後からプロビデンス(摂理せつり、providence)とか、合理性(ラチオ、レイシオratio)という言葉を神の別名として、宇宙(ユニヴァース)を支配する原理とし、人類の新しい指導原理にした。フリーメイソン=ユニテリアンは、このプロビデンスとリーズン(reason 合理。フランス語ではレゾン。ドイツ語ではフェアヌンフト)という言葉を非常に大事にする。フランス革命の時に出来た人権宣言(レ・ドロア・ド・ユマニテ)は、「神によっ(テ)てではなくプロビデンスによって、ここに人権(ユマニテ、ヒューマン・ライツ)を宣言(デクララシオン)する」と書いている。これら大きなコトバ(ビッグ・ワード)は摂理(せつり)、合理(ごうり)と日本語では訳すしかない。

 ユニテリアンとフリーメイソンは、組織として表裏一体の関係になっている。彼らは一応、キリスト教信徒としてユニテリアン教会に行く。だが、もうほとんど神(ゴッド)を信じていない。しかし、そのことを互いに口に出してはいけない。そういう苦しい闘いを、もう何とこの300年間ぐらいずっと、欧米の知的上層の人々は続けているのだ。このことを私はようやく最近わかるようになった。欧米白人世界のキリスト教の支配というのはこれほどに恐ろしいものなのだ。

 フリーメイソンリー=ユニテリアン運動は、金持ち層になっていった技術屋とか職人頭(職工長。マイスター)みたいな人たちや、モーツァルトのような音楽家、芸術家たちといった立派な都市市民(シトワイヨン、シチズン、ビュルガートゥーム)によって担われた。彼ら新興ブルジョワジー(イギリスならジェントルマン、郷紳階級 ごうしんかいきゅう)たちは、当然に、王侯貴族及び僧侶との激しい憎しみ合いになった。彼ら新興階級を、貴族や坊主たちが蔑み、見下したからだ。だから彼らは秘かにフリーメイソンの結社を全ヨーロッパそして北アメリカのすべての都市に作っていった。そして時代が100年進んで、1840年代になると、ヨーロッパに労働者(ワーカー)という階層が出現してくる。このワーカーたちの中から生まれた思想が、社会主義(ソシアリズム)という思想だ。

 ヨーロッパのすべての主要な都市の中心の広場(メルクト)には、17世紀(1600年代)ぐらいからフリーメイソン会館という建物が必ず出来て、今もある。彼らフリーメイソンたちは、新たに出現してきた工場労働者たちを、かわいそうだと思って応援した。だから、このメイソン会館を貸してあげて、この建物の中で、労働者たちの待遇改善運動の政治集会が開かれた。

 江守牧師たちは、Presbyterianism(長老派、カルヴァン派)たちと穏やかな論争を今も日本基督教団の中で行っているらしい。しかしそれでも日本基督教団という、日本におけるプロテスタントの大きな合同団体の総会では、「203(長老派)対197(その他全部)ぐらいで、自分たち少数派もかなり数としてはいる。クエーカーやバプテイスト系などが少数派で自分たちの仲間だ」と言った。

 だがイギリス聖公会はローマ教会と同じく、当然、日本でも「三位一体説(さんみいったいせつ)」を掲げている。この三位一体、トリニティ Trinity は、アタナシウス派が作った。西暦325年のニケア宗教会議で確立した。三位一体説(ニケア信条)とは、「父と子と聖霊 ホーリー・スピリット holy spirit この3つ全部で God 神 だ」とする。私は、この三位一体は、きわめておかしな宗教思想(教義)だと判断する。「神と子と聖霊」のうちの「神(父)」は、天(ヘヴンHeaven)にいるデウス(ゼウス、天帝)である。その「子」というのがイエス・キリストだ。そのあとの「聖霊(ホウリー・スピリット)」というのが、これが一体何なのか分からない。全く分からない。いくら、この「三位一体説を頭から(どっぷり)信じなさい。理解しなさい」と言われても、私は拒絶する。

 そして日本で、イギリス国教会(聖公会)は、この「三位一体」を何と、「父と子と天皇陛下」という言い方に変えたそうだ。そのように日本国に妥協して、日本の信者を取り込んだ。これにはさすがの私もたまげて腰が抜けそうになった。イギリス本国では、だから、まさしくこの三位一体が「父とその御子と女王陛下」という言葉になっているそうだ。恐らくイギリスでは今でもそうなのだろう。びっくり仰天、のけぞるぐらい恐るべき話だ。だから、戦争中に日本のキリスト教教会が、戦争に加担、翼賛したことの責任問題で敗戦後に内部で大激論になった。それでイギリス聖公会は、日本基督教団から出ていったらしい。

おわりに──副島隆彦
 この本を編んで私が最後に思うことは、19世紀(1800年代)までは、フリーメイソン=ユニテリアンは、欧米白人の中のすばらしい人々の集まりだったという事実だ。ところが、1901(明治34)年に、福澤諭吉とビクトリア女王が死んでいる。この年からが20世紀だ。この時から人類は理性(リーズン)の光を失った。この本で私が弟子たちと、正確に史料を使って論究したとおり、1800年代までは、フリーメイソン=ユニテリアンたちは極めて立派であり、開明的で優れた欧米知識人の集団であった。ハーヴァード大学神学部でユニテリアン宣教師のアーサー・メイ・ナップが1887年に来日した。さらに1889年に、そのナップがハーヴァード大学から仲間のユニテリアンの優れた若い教授たち3人を連れ戻った。彼らは、慶応義塾大学の招きで、日本に真実の社会思想と最高水準の学問を教えに来た。そのことが明治日本にとって計り知れない成果、財産となった。

 ところがどうか。20世紀に入った途端に、フリーメイソン=ユニテリアン思想は激しく劣化し、奇妙な変質を遂げている。優れた人々の結社(けっしゃ、フェアアイニング・アソシエイション)でなくなっている。
 一体、何があったのか? おそらくこの組織は大悪人たちに乗っ取られたのだ。その大悪人たちが、現在のフリーメイソンリー秘密結社を世界中で運営して、世界各国を非公式の権力で操っている。

 日本が誇る大知識人である福澤諭吉と、明治の最高権力者のワルの頂点である伊藤博文には共通の考えがあった。それは、「日本はインドや中国やエジプトやトルコのように外債(がいさい、外国からの借金)を理由に西洋人に騙されて西洋列強パウアズ(とりわけ大英帝国ブリティッシュ・コモンウェルス)の悲惨な支配下に置かれないように、急いで欧米の(当時)最先端の政治思想と諸学問(理工系の科学技術だけでなく)を輸入し(翻訳し)、身につけなければならない」と、共に切迫した気持ちで考えたことだ。

 だから、当時、隆盛しつつある新興国のアメリカの東部の名門ハーヴァード大学から、優れた4人(ユニテリアンたち)の教授を1880年代に招聘(しょうへい)して、彼らから真剣に学んだ。

 それに対して、イギリス国教会(アングリカン・チャーチ)から来た宣教師(教授)は、大英帝国のビクトリア女王の女王陛下のスパイ≠ナあるから、福澤は彼らを上手に敬遠しなければならなかった。そのように福澤と伊藤という日本の最高の頭脳(伊藤の大悪人性を判った上でも)が同じことを考えていた。
 福澤は、伊藤博文らに謀(はか)られて追いつめられ決起した西郷隆盛の自刃(1877=明治10年、西南の役)のあと立憲運動として起きた自由民権運動が、同じく狡猾な伊藤によって、自由民権運動の最大のヒーロー(頭目、自由党総裁)となった土佐の板垣退助(いたがきたいすけ)が早くも1881(明治14)年には、洋行の資金で籠絡(ろうらく)されててっぺんから切り崩されていく様(さま)をずっと苦々(にがにが)しく見つめていた。板垣が伊藤の子分になり下がって自由民権を内部から壊(こわ)したのだ。だから福澤は、終始一貫して、伊藤博文ら買弁(ばいべん)指導者たちに一歩も譲らなかった。知識、思想、学問の方が現実の政治権力よりも常に上に立つべきだ、と生涯この説を通した。その言論証拠はたくさん残っている。偉大な福澤の生き方を本書の私の弟子たちの論文を読むことで、明治の20、30年代がどのような時代であったか、その全体像を私はようやく掴んだ。

・人間の原罪思想、これは人間に対する脅迫だ〜この地上で一番の悪の集団はローマ・カトリック教会である/副島隆彦
http://www.asyura2.com/12/bd61/msg/472.html
投稿者 仁王像 日時 2014 年 7 月 16 日 20:04:32: jdZgmZ21Prm8E
 

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コメント
 
01. 2014年10月05日 18:51:15 : FunEihTCHc
つぎはぎ細工のくだらない説だ。副島の知ったかぶりは見苦しい。

02. 2014年10月05日 20:02:54 : ZtmAIT5uVE
旧約聖書は解剖学の本 パート1
http://chilledvodka.blog.fc2.com/blog-entry-230.html
マンリー P.ホール(フリーメイソンリー33階級グランドマスター)著

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