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新左翼のお祭りさわぎと、ガラパゴスのような、アメリカ人のような日本人
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/404.html
投稿者 蒲田の富士山 日時 2016 年 8 月 15 日 20:22:12: OoIP2Z8mrhxx6 ipeTY4LMlXiObY5S
 

 
 
−−−以下引用
 
 本日の集会に参加された抑圧民族としての日本の諸君!
 
 本日盧溝橋三十三周年にあたって、在日朝鮮人・中国人の闘いが日本の階級闘争を告発しているということを確認しなければならない。芦溝橋三十三周年の問題と、在日朝鮮人・中国人の問題とは密接不可分であり、日本人民はそれを知るべきである。諸君は日帝のもとで抑圧民族として告発されていることを自覚しなければならない。
 
 今日まで植民地戦争に関しては帝国主義の経済的膨張の問題としてのみ分析されがちであったが、しかし日本の侵略戦争を許したものは抑圧民族の排外イデオロギーそのものであった。
 
 今日、日・朝・中人民が分離されたかたちでマルクス主義が語られており、日本国家権力と日本人民、日本国家権力と中国人民、日本国家権力と朝鮮人民という形での分離が存在し、そういう形で植民地体制が築かれてきたが、それは分離したものではない。日本人民は三者の中でどうするのか。抑圧民族という自己の立場を自覚しそこから脱出しようとするのかそれとも無自覚のまま進むのか。立場は二つの分かれている。
 
 なぜわれわれは、本日の集会に向けての七・七実行委を退場しなければならなかったのか。闘う部分といわれた日本の新左翼の中にも、明確に排外主義に抗するというイデオロギーが構築されていない。日帝が敗北したとき、ポツダム宣言を天皇制が受けたかたちになり、日本人民がそれを避けられなかったところに、日本人民の排外主義への抵抗思想が築かれなかった原因がある。
 
 七・七集会を日本の新左翼が担うことは評価するが、それをもって入管体制粉砕闘争を怠ってきたことを免罪することはできない。七月三日の実行委員会に集中的にあらわれたように、七・七集会を全国反戦・全国全共闘の共催に使用とする八派のすべてが、入管闘争の一貫した取りくみを放棄しており六九年入管闘争を党派として総括することができなかった。また各派は、なぜ六五年日韓闘争において、法的地位協定の問題を直視しなかったのか。六九年入管闘争を闘っていたときも入管法を廃棄すればプロレタリア国際主義は実現することになるといった誤った評価が渦巻いていた。しかもそれは大学立法闘争にすりかえられ、十一月闘争の中で霧散し消滅し、今年一月、華青闘の呼びかけによってようやく再編されていったのだ。
 
 このように、勝手気ままに連帯を言っても、われわれは信用できない。日本階級闘争のなかに、ついに被抑圧民族の問題は定着しなかったのだ。日韓闘争の敗北のなかに根底的なものがあった。日本階級闘争を担っているという部分にあっても裏切りがあった。日共六全協にあらわれた悪しき政治的利用主義の体質を、われわれは六九年入管闘争のなかに見てしまったのである。今日の日共が排外主義に陥ってしまったのは必然である。
 
 われわれは、このかん三・五の「三・一朝鮮万才革命五十一周年入管法阻止決起集会」と四・一九の「南朝鮮革命十周年、全軍労闘争連帯、安保粉砕、沖縄闘争勝利、労学窓決起集会」で声明を出し、その内容を諸君らが受けとめ自らの課題として闘っていくことを要求した。四・一九革命に無知でありながら国際闘争を語るようなことでどうするのだ。
 
 われわれは戦前、戦後、日本人民が権力に屈服したあと、我々を残酷に抑圧してきたことを指摘したい。われわれは、言葉においては、もはや諸君らを信用できない。実践がされていないではないか実践がないかぎり、連帯といってもたわごとでしかない。抑圧人民としての立場を徹底的に検討してほしい。
 
 われわれはさらに自らの立場で闘いぬくだろう。
 
 このことを宣言して、あるいは訣別宣言としたい。
 
−−−引用終了
 
以上は、あれこれ検索していて、たまたま見つけた文なので、引用元は記しません。
ただ、このような声明があった事は、以前から存じておりました。
検索して、沢山出てくるかと思ったら、なかなか出てこないですね。
 
あんたも、日本人なら、<お祭り騒ぎ>などと言わずに、もっと考えろよ。
とか、おこられるかもしれないですが。
 
ウオール街を埋め尽くすデモとかがあった時に、この声明を、ついつい、思い出してしまう。
 
アメリカ人のプロレタリアに連帯するのが先か?
 
日本人としてと考えると、薩長にさかのぼるしか出来ない。
それが、近代日本人の限界であり、自分自身を西洋人として考えるから、隣国人からの批判を正面から受け止める事が出来ない。
   

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コメント
 
1. 彼岸楼[26] lN6K3ZhP 2016年8月16日 15:43:40 : zphFMaUgvE : CGjD1PkokeQ[1]

 蒲田の富士山さん、今日は、お久しぶりです。


 >以上は、あれこれ検索していて、たまたま見つけた文なので、引用元は記しません。

 でき得るならば、お手数ですが引用元を記していただければと思っています。因みに件の声明(訣別宣言)については、例えば“華僑青年闘争委員会”でググルとその全文が数箇所のサイトで確認できます。

 >あんたも、日本人なら、<お祭り騒ぎ>などと言わずに、もっと考えろよ。とか、おこられるかもしれないですが。
 >ウオール街を埋め尽くすデモとかがあった時に、この声明を、ついつい、思い出してしまう。
 >アメリカ人のプロレタリアに連帯するのが先か?

 1970年7月7日の野音での状況の只中に蒲田の富士山さんが居られなかったものと想定して、敢えて言及しますと、それは“華青闘(華僑青年闘争委員会)”が新左翼(中核派)に対し“出入国管理法制定阻止運動”に関する当事者性(当事者意識&当事者能力)を問うたものだと謂えるでしょう。つまり、最も近しいアソシエイト(協同者)のコミットメントについて問題にしたのであり、当事者意識の不明確さにたいして愛想を尽かしたものと解釈ができるかも知れませんが、アメリカ人のプロレタリアとの連帯がどの程度テーマとして俎上に上って来るかどうかについては疑問を禁じ得ません。

 >日本人としてと考えると、薩長にさかのぼるしか出来ない。
 >それが、近代日本人の限界であり、自分自身を西洋人として考えるから、隣国人からの批判を正面から受け止める事が出来ない。

 明治維新の後裔たちが当時のアジアの状況を十分踏まえた展望の無きまま、もしくは西欧との差異を具に認識せぬまま、西欧世界の雄である米国と一戦を交えて完膚なきまでに打ちのめされた日本(人)が、単なる薩長への回帰によって新たな“当事者性”の構築が可能かどうか、余り期待ができないと思うのですが、如何でしょうか。

 Auf Wiedersehen.

 [参考図書]:『明治維新の国際舞台』 鵜飼政志著 有志舎 2014年


2. 蒲田の富士山[123] ipeTY4LMlXiObY5S 2016年8月16日 17:41:55 : BD0wXhtCPk : jd39l1XJeCE[1]
引用元
http://konansoft.com/zenrin/html/huajingtou77.htm
彼岸楼様 お久しぶりです。
引用元の引用元が中核派だったので、遠慮をいたしました。
中核派の人と話をした事は一度だけあります。
ヘルメットに「血債」とか書いてあった。
その時はわからなかったのだが、それは、この声明に対しての自己批判の印だったのかもしれない。
70年は私はノンポリ高校生だった。
また、追記します。
今、図書館からヘンな本、借りているので、それを読み終えたら、「明治維新の国際舞台」を読んでみます。

3. 蒲田の富士山[124] ipeTY4LMlXiObY5S 2016年8月16日 17:49:08 : BD0wXhtCPk : jd39l1XJeCE[2]
訂正
「その時はわからなかったのだが、」→「その時はわからなかったのですが、」
以上
なんか、読み返してみると、ヘンなので。

4. 蒲田の富士山[125] ipeTY4LMlXiObY5S 2016年8月19日 17:48:46 : j5dSz2Hh9g : crd@FBZCahE[1]
引用元の引用元の引用元が、華青闘だったんですね。
もとの、文章があるのではなく、演説だったわけで、テープレコーダーからか、速記なのかは、わかりませんが、今はこれのみ残されていると思います。
特に、中核派だけを批判しているのではなく、日本の新左翼全部だと思いますが。
「三・一朝鮮万才革命」「四・一九南朝鮮革命」については、私もよく知らない。
よく知らないのに引用するのは、あまりよいことではないけれど。
これと、ウオール街を埋め尽くすデモ、との、お話しの飛び方を埋めるためには、その間に、あと20行以上以上は書かないとと、ほんとは思いますが。
それから、「明治維新の国際舞台」は、横浜市の図書館にはありませんでした。 鵜飼政志さんの本は2冊ありました。

5. 彼岸楼[27] lN6K3ZhP 2016年8月20日 05:53:01 : zphFMaUgvE : CGjD1PkokeQ[2]

 蒲田の富士山さん、今日は。


 >もとの、文章があるのではなく、演説だったわけで、テープレコーダーからか、速記なのかは、わかりませんが、今はこれのみ残されていると思います。

 当方にとっては45年以上も前の事であり、当日アジビラが配られたのか、それを手にした記憶が定かではありません。しかし、おそらく記事として論考の基となるべき声明の正式文書は存在したと想われます。

 >特に、中核派だけを批判しているのではなく、日本の新左翼全部だと思いますが。
 
 もし、中核派がこの集会(デモ)の趣旨を曖昧にせず、その一環として“出入国管理法制定阻止運動”を明確に打ち出していたならば、或いはそのように集会を事前にハンドリングしていたならば、果たして斯かる声明は発表されたでしょうか。
 やはり、この場合の名宛人は中核派と見てよいのではないでしょうか。だからこそ、それほど間をおくことなく機関紙上で応答したのであって、それは或る種党派性を有する存在(主体)の至極当然とも謂える所作ではないかと思います。

 >それから、「明治維新の国際舞台」は、横浜市の図書館にはありませんでした。 鵜飼政志さんの本は2冊ありました。

 最寄りの横浜市内の図書館で検索し請求していただくと、その所蔵ではなくともラインナップされていれば、神奈川県内の図書館を探して取り寄せてくれると思います。また、蒲田の富士山さんの住所地の域外になるのかも知れませんが、東京都内の区立図書館や都立中央図書館には私が検索した限りでは合計で2,3点はあるようです。

 Auf Wiedersehen.


6. 蒲田の富士山[126] ipeTY4LMlXiObY5S 2016年8月21日 14:46:08 : ajUkvL6bbQ : rgi4K0fpnKU[1]
神奈川県内図書館横断検索
https://www.klnet.pref.kanagawa.jp/cross/CrossServlet
パソコンで検索して、大和市の図書館にありました。
しかし、この横断検索で見る限りですが、この1冊しかない。
な〜んて、こった。
神奈川って、そういう所?
まあ、しかし、予約が入ってなかったので、最寄りの図書館で取り寄せてくれるようです。
ついでに、言い忘れておりましたが、引越しをしました。
鶴見区から港南区です。
最寄りの図書館は、鶴見図書館から、港南図書館に変わりました。
ちょっと、遠くなりました。

7. 2016年8月24日 13:35:13 : oiWKuSeSBo : y_2dt9ua7uM[39]
この華闘の文章は,地方で69年入管闘争を戦った元中核派としてずしりと来る文章ですね。

8. 蒲田の富士山[127] ipeTY4LMlXiObY5S 2016年8月26日 15:19:58 : phN4ZADfeU : rRq8qDg6o2U[1]
07様、コメントありがとうございました。
「入管闘争」で検索したところ、以下のようなものがありました。
 
−−−以下引用−−−
「中国の文化革命の影響と陳玉?留学生事件、李智成の服毒自殺事件などは、在日華僑青年たちの意識を大きく変えていった。まず、ハワイ大学に留学中、ベトナム北爆反対デモに参加した台湾政府から留学継続申請を棄却された陳は、帰国の途中で日本に寄り留学を要請したが法務省入管局によって拒否され強制送還された。その後、陳が台湾で死刑を宣告されたことに激怒した在日華僑青年は、1969円3月9日、華僑青年闘争委員会(以下「華青闘」)を結成した。華青闘は華僑連合や華僑総会とは違い、入管法案・外国人学校法案反対運動を「戦闘的」に展開することを決意した。
 さらに、華青闘の李智成が二大法案に反対する遺書を残して服毒自殺した事件は、華青闘にさらなる衝撃を与え、華青闘は入管法案反対運動にとどまらず、排除と差別の「入管体制」全般に対する抗議運動を展開するようになった。華青闘の反「入管体制」運動は、日本人やアメリカ人との「国際連帯・共同闘争」の形で行われた。一方、在日韓国人の反対運動とハンストから強い影響を受けた改正等と国際青年共闘は、7月1日から新宿駅西口広場にすわり込み、ハンストを繰り返した。韓青と華青闘のハンストは、在日韓国・朝鮮人と在日中国人の連帯を通じて日本社会に入管法案の重要性を訴え、日本人の入管法案反対運動を促す役割をしたと評価された。」
−−−引用終了−−−
http://www.arsvi.com/2010/2010no.htm
 
華青闘の誕生のいきさつは知りませんでした。
 

9. 蒲田の富士山[128] ipeTY4LMlXiObY5S 2016年9月23日 15:59:52 : OmmMZ83vH2 : mITNyetPFaY[1]
明治維新の日本は借金まみれ。
外国からの負債(賠償金)。
なんか、借金というと、俺みたいか。
べつに、外国から借金していないけどね。
あ〜金がない。
明治の日本は俺と似ている。
 
「明治維新の国際舞台」を読んだ感想です。二週間借りたのですが、目を通しましたが、1850年年代から1870年代まで、およそ20年から30年の歴史。この本は、年表の代わりに一冊持つのがいいのじゃないか。と思いました。2600円です。
お金のあるときに買います。

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