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アンダーグラウンドに光を
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投稿者 金十字架 日時 2025 年 11 月 22 日 07:54:43: mfAWtS4GF8MpY i@CPXI6aics
 

(回答先: Re: 夢による良き兆しの話 投稿者 金十字架 日時 2025 年 11 月 13 日 01:17:19)

前回(人類史から抹消されたピースを届けに)からの続き

20代の頃から不思議な世界への視界が徐々に開けていった。このことは明らかにわたしの母が影響しており、そこに引きつける何か力のようなものを中心に広がりをみたものだと解釈していた。

従姉妹の叔母も霊感が強く、恩師の元に母がお邪魔したのも叔母がきっかけである。叔母は水子供養の近くには近づけないと言うほど敏感だったようで、恩師の元で修行を奨められもしたが断り、憑いていたという観音様をとってもらったらしい。その時肩に真っ赤な痕が数日残ったそうである。この方も愛情深い方で母は実の姉のように慕って可愛がられていた。

わたしから見てもこの叔母の雰囲気は普通の人とは違い、芸能人のような魅力があった。しかし叔母はT氏とは一切顔を合わせようとはしなかった。母曰く、同じ雰囲気をこの二人に感じていたらしく、意識しあう程関係性は難しい為、とどのつまり、合わないのだそうである。晩年叔母のすっぴんを見たが本当に綺麗で、まさに昭和の女優のような気品と顔立ちを感じた。素直にそう病室の面会時話すと喜んでくれたようだった。惜しくも若くして亡くなってしまった。

ある時叔母は恩師との話の中で恩師のアドバイスを気丈に断り、その時恩師は叔母の前で涙を見せたらしい。後にも先にも、神さまを泣かせた話としてわたしたちに語り継がれている。ともかく非常に愛の深い人と言えるのだった。

母はそのような霊媒的体質の方とよく巡り合わせ色んな体験談を持っている。時には空海さんがつく方と、また、龍神様が憑いてる夫婦とも不思議な親交があった。

本人の元にも龍神さまとのツーショット写真がある。多分これほど鮮明に龍の姿が写り込んだ写真は他に無いだろうという位、ハッキリとした目鼻立ちに和やかな表情の龍神さまが写っている。恩師曰く、恩師との旅行先からついて来た龍らしく、叔母がその休憩先で撮影したものだった。その写真はキチンと今でもとってある。ロウソクに現れた龍はヒゲと角がシッカリ細いのにディティールがしっかりしていたがこちらは欠損したためお流ししてしまった。写真を撮っとけば良かったと後悔した。

ともかく社交性が高く、誰にでも好かれる、付き合いの幅が広くどの世代とも親しくなる。なぜこの人が呪われるのだろうと思った。

T氏は「ダキニがあんたのお母さん守ってるよ」と言った。わたしもよく小さな頃から稲荷さんの講中に手を引かれてついてった記憶があるが、祖父の代からの影響かと思っていた。しかしもっと過去に遡るようである。蔵王権現様と象顔の神さま(シヴァ神だが)が好きなことといい、後醍醐天皇の頃まで遡るのではないかと思ったりしてるが、どうも北条政子さんとも関係性がありそうであった。

T氏は、母に「死神があんたのこと誉めてるよ。死神が人を褒めることなんてめったにないよ」と伝えても居たらしい。

それを聴いてわたしが「○○さん(T氏のこと)、お母さんにはダキニ天がついてるって言ってたよ。稲荷さまのことだよ」と伝えると「お母さんにはグンダリ明王さまがついてるって言ったよ」と。ともかく何でも好きで手を合わせる性格で、わたし自身はその事自体には子供のする事と言うくらいに留めていたが、常に問題視していた。

恩師にも母の事は、いいものも悪いものも呼び寄せると言われ、改名もしたくらいである。思い出したが初めて二人で恩師の元に行った際、「どちらが親かわからない」と霊能資質を共にする恩師のご子息に笑われたことを母はずっと根に持っていたらしい。

解釈の方向性、そして許容性の問題だろうが身の丈にあわないものに手を出すとそこで大変な思いもする事になる。そのように以前はしょっちゅう頭が重いという日が多く病院通いをしていた。しかし恩師の元に行くと軽くして貰えたようだ。

そうして依存心が高く見えることがわたしには疲れたのである。なのでわたしは逆に頑固なまでに恩師に対しては(母を救ってくれてる事を感謝していた)頼み事や相談を持ち込む事はなかった。信仰と依頼心を強く分けたいとも考えていた。恩師の負担を考えれば当然のことと思ったのだ。しかしそれ以上に恩師は神としての力の使い方に責任を持っていたようで、時に愚痴を聞いてくれる人を求めていたり人間味を感じる部分もすごく好きだった。叔母がそれを果たす場面もあったようだが、そうした姿をわたしら若い世代に見せたかったようで、常にわたしの瞼の裏には恩師の自己に対する厳しさが植え付けられて行ったのである。当然全く近づく事すら出来なかったのだが。

残念ながら恩師ももうお亡くなりになられている。だが時折夢でアドバイスを頂いて耳の痛い思いもしている。

T氏の元にも不思議と遠くから来客が絶えなかったようだが、聞いた話で驚いたのは、フラフラと普賢菩薩さまに連れられて訪れた人なども居たようである。本当に不思議な世界と関わってこれたものだと思う。

T氏との間に起きた(前回の話)件にして、内心非常に困惑したというわたしの心情はこれで理解されたかと思う。心理的に距離を置かざるを得なかったのは信仰の度合いを常に計るかのように自分を諫めないとわたし自身が不安定だったから言える。T氏にも自身の信仰に対する思いを話した事があり、それについて氏は、

「同じ事をお願いするならどこに手を合わせても良いんだよ」との解釈を披露された。

が、わたしの信仰する恩師の父である神は共に祀って良いとする神は明確に分けていた。だがそれを恩師にも尋ねた時、そこで確かに「アマテラスは悪くない」と言われた。

つまりそれはアマテラスの取り巻きは悪い、と言うことだと即座に解釈した。この国の現時点まで続く政治権力をめぐる争乱に纏わる話だろうと理解した。しかし恩師の言い方を考えれば本来そうした解釈こそ慎むべきかもしれない事を諭してくれてるとも思うべきなのだろう。

また当時は新興宗教が乱立し、精神的退廃にも繋がってることについて非常に感じるところが強かった事もあり、人一倍信仰に対する厳格な矜持を必要としていたのかも知れない。そんな不安な社会性であった。警戒感が強かったとも言えるかもしれない。

折しもその頃は連日オウムや足裏占いの事件が世間をにぎわしても居た。社会がそのような状況だからわれわれもまた同列に視られることを拒んだ。世間一般の認識を代表するような性格の父も、又、そうした尺度からわれわれを痛烈に批判する側であった。(後に恩師の元での酒宴の席で参加者と触れることによってその認識は一変され、父はわたしたちの理解者側となったが)

文面には著してないがわたしの半生、ほぼ半世紀と言ってもいい時間は戦いと心労絶えない時間の連続と言えたかもしれない。だがそこを突き詰めた結果、全く物怖じしない性格に登り詰めてしまったと言える。

世間一般とは隔絶された時間だったとも言える。それが功を奏したとは主観からようやく言えることである。

さてある時、T氏が玄関先に現れていた。その時家にいたのはわたしだけだった為、何事かと応対したんだったと思う。(当時住んでいた家は冬以外、常に玄関は開放的であった)、

「あのさ、昨日の晩ね、いつものように手を合わせてるとね、こういう人が現れて」

と、両腕を外側に開いて、首をやや左に傾け、目を瞑ってうなだれる仕草をして見せた。

「キリストさんですか?」と訊いたらしい。

「すると何も言わないでじっと黙ってるのよ」

「だから(首を傾げて)うーんと、般若心経唱えさせて頂きますと言って」

般若心経を唱えたのだそう。

すると「ありがとう」と言葉を残して(終始静かなまま)消えたらしい。

そんな他愛もない話、とその時は思ったかと思う。何故その話をしに訪れたのかを後から考えれば、おそらく誰でも良かったのかも知れない。よほど困惑した話のようだったから身近な誰かに話して反応を見たかったのかも知れない。

しかし、随分後になってから頭によぎったのは、もしかするとそれは「双子の弟」とされるイスキリの事ではないかということ。

磔にされたのはイエス本人ではないというのは事実だ。アマテラスが男神というのと同じくらい知られた事実だ。

その事を知る者なら明快に答えがでるだろう。彼はその存在も知られることなく、少なくとも千数百年という歳月、誰にも望まれないその姿でいまだ人々の前に磔にされている。その事自体が呪詛ではないかと。

つまり、人々の記憶に彼の生きたドラマは抹消されて居り、と言うかその存在すら認められても居ない。

わたしがこの話をしようと思い立ったのも、このタイミング、水星逆行の時期と関係する。そしてこの話が出来るのはわたし位なのではないかとずっと頭に重石のように乗っかっていたのである。だからどうしてもこの世界に命がある内に書き込んでおきたいと考えてきた。

この掲示板にこのペンネームで書き込んだキッカケも(2004前後の事)不意に見せられた夢が原因であり、その夢の強烈な印象によってそれまでの自分が一変した。一切関わりを感じなかったキリスト教に面を突き合わせるハメとなったのである。古いページにはまだその投稿が遺されている。ここに出会ったこと自体、考えれば不思議である。

わたしがこうして関りを持つ○一族はどうも名古屋あたりにも居たらしく、先祖が残した通行手形や木彫りの太子象(紛失)、祖母の訛りの原形を辿るとそこに行き着く。

わたしの前世の一つは殿に仕える小姓のような側近だったと思うのは最近その夢を見たからだが、単なる願望として殆どそうして有り得ない夢ばかり見てきたと思う。

魂の変遷を独自に探る事となってきたが一朝一夕のことではない。複雑に入り混じった時限式パズルの様なもので突然口伝てにピースがはまる瞬間をつてに九州から、そして京都からと、何度もわが祖先はどこかに逃れるように移動して来た事が解ったのである。それは魂の旅路の数だけルートがあるようだ。

父方は中東系でアマゾン川流域にもルーツがありそうな顔をしている。それで思い出したが、母が以前インカ時代の夢を見た事があったようだ。父と母、もしくは自分もかつてその頃にも付き合いがあったのだろうか。その父は養子として現在の母方の○○家に入った。

つまりわたしは途中から母方の姓を名乗っている。

母方の先祖を探ると嫡男に恵まれない家系のようで、恩師からは七代祟られていると言われた。実際跡継ぎは皆若くして病死し、養子を迎えてなんとか繋いで来たようだ。曾祖父もまた養子で、小さな山里の出だがその集落の家系に小笠原家がある。母の従姉妹もその集落の出だ。

母方の父、つまりわたしの祖父だが戦争体験者で戦地で傷痍軍人として奇跡的に命をつなぎ止めた。聴く限り奇跡的な帰還だった。祖父の兄弟はみな腹違いで祖父は二人目の妻との間に生まれた。

この二人目の奥さん(祖父の母親)はナガマヤ系の様でたっぱ(体格)が大きかったようだ。祖父と曾祖父の骨格の違いに幼い頃違和感を感じていたが大人になって真相を聴いて複雑な大人の事情に、ただ圧倒されるばかりだった。命の襷を繋ぐのは本当に生半可な事ではないと感じる反面、魂の遍歴は肉体的な繋がり以上に強力なものだとも思う事となった。

母には祖父譲りの骨太さをも感じることながら視る限りに中東系の血も濃い。祖父の骨格はナガマヤ系の特徴として見られるものだと認識している。空海さんもそのような感じだろうか。

曾祖父の後の三人目だか四人目の後妻は連れ子で○○家に入ったが、出身地を探ると戊辰戦争後に入居してきた人々かとも思う。連れ子の顔立ちは半島系日本人(ソビエトに拉致された日本軍が渡って北朝鮮になった)、金正男そっくりである。わたしたちとは全く考え方が合わず、母とは腹違いの兄弟だが疎遠となった。このウチの長男は恩師の元に紹介されたが、恩師も拒否するほど人の怨みを買ってきたらしく、百体以上憑いていたらしい。戦後大きくなった建設業の幹部職で大阪を担当していた。恩師の家に入るや否やいっぺんに払う事は出来ない、とり殺されると当初突き放したと聞いた。

祖父の母親がナガマヤ系であるのは他の関連事項に照らしてすぐに解ったがこのナガマヤ系の家柄がその後も我が家と様々な方面で関係が深いことを知って本当に驚いたが嬉しくもあった。わたしはカラマヤ系だと当初思っていたが融合したのだと知ったからである。空海さんとの関係性もここに解ることであった。

母親が象顔の神を好むのも、「死神」に好かれてるというT氏の指摘もここに繋がってくるのである。ヒンドゥー教徒、南洋を船舶で移動してきた犬飼系(ベンヤミン)とも関係があるのではないかとも考えた。

この母方の父(わたしにとっての祖父)の二人目の妻(初代は病死)、即ちわたしの母の母親(祖母)がどうもカラマヤ系の様であり、祖母の姉妹も神武系そのものの顔立ちをしている。尚且つ、その祖母の姉の結婚相手がまるで日本人離れした虎のような強烈な顔をしていた(トルコ系回族のような顔立ち)。

母親はまだ幼い頃、その山里にある母親方の生家に行き、そこで祖母の祖母(私にとって)に不思議なまじないを見せられた事もあるらしい。その地域は現代において隠れキリシタンの定住した地域のそばに位置する。それを仄めかす地名ともなっている。

ある時、

「○○(母の名)よ、お前には癇の虫が憑いてるから取ってやる」と言って、手のひらに墨をつけた筆でぐるぐると渦巻きを書いたのだそう。

するとその線の中から白い線虫のようなものがニョロニョロと無数に出てきて驚いたそうである。カラマヤ系と融合した中東系キリシタンはそういう家系のようだった。

祖母の祖母はわたしの夢にも一度出てきて(そう名乗っていた)わたしを見守ってくれてたらしい。夢での姿を母に伝えたらまさにそれだと一致していた。写真も一枚だけ残っていた。

祖母もまた昔ながらの日本女性で学に通じることの無い暮らしをして来たように思われたが、直感に優れて洞察力が鋭く、わたしも小さい頃から他の大人が指摘しないことをしてみせるので一目置く存在だったと後に回想するところである。幼いわたしに初めて絵の具で色彩感覚を教えてくれたのも祖母で、今でこそわたしにはすごく教養の高い人物だったと思えるのである。よく家の中で左回りに遊んで走り回ると「左周りは葬式の時しかしない」と注意されたりもした。現代人がすっかり忘れたような色んな話しをされたものだった。

わたしの家の地域には一族について丹念に調べて本に書くような人も居て、よく祖父の代に家に上がり込んで話していく人がいた。祖父が亡くなってからも家に訪れて一冊の本に編集したものを持ってきたことがある。

それで興味が出て過去帳なども調べると母の前世はどうも母方の一族、○○家初代男性であり、それは恩師か恐らくT氏あたりに伝えられた事であったと思う。しかしよくよく見ると記録にはどうもわたしの誕生日がその初代の命日と重なる気がしている。母が理解するのはその初代の息子たちではないかと過去帳の記録からつい最近薄々そう思い始めたのである。

聴きだすと母もまたタンスの奥にしまってたものをとり出すように初めて聴く話ばかり次から次と出てきて、実はその初代には双子の片割れがおり、そことは何らかのすれ違いが起きてケンカ別れし、一方はカラマヤ系のルーツにより深く接する場所まで移動を続けたといった話もし始めた。不思議な話だが、祖母の姉妹のひとりがその離れた地域にまで嫁いでおり、複雑な縁の力を感じるのだった。

○○家はそうして調べられた範囲では複雑な家系だが広範に点在しており、血の融合を目指して来たかのようにも見える。歴史上にも余り表に出てこないが特定の時代に藩の要職も勤めてるらしい。そして不思議とすべて当て字であり、読みに変遷がある事が解った。つまり意図的にどこかの時点で過去と決別している。


今日は此処まで。

余談だが、母が一年ほど前、かわった夢を見た話で、玄関先に人が立っており、見ると白い帽子に白い服を着た人だかりが出来てズラーッと並んで口々に「トビデが開いた」と言ってると。

その列を最後列まで見渡すと一本のリンゴの木の陰から続いてるらしく、(リンゴの木は実際の景色には無い)その光景に卒倒しそうになったらしい。わたしはそれを聞いて、「トビデ」ではなく「ダビデ」?もしくは扉?と聴いたがトビデに近い発音だった様子。訳がわからない。  

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