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Re: 夢による良き兆しの話
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投稿者 金十字架 日時 2025 年 11 月 13 日 01:17:19: mfAWtS4GF8MpY i@CPXI6aics
 

(回答先: 夢による良き兆しの話 投稿者 金十字架 日時 2017 年 3 月 05 日 14:46:46)

インドのヒンドゥー教はその母体は密教である。密教の母体は神道である。神道は儒教から始まったものではない。神道は日本の古代信仰形態を母体にするものだ。おそらく神武の代、すなわちマヤの時代、いや、ムー以前、もっと古い時代からも持ち込まれた何かが融合して伝えられたものだろう。記憶では密教自体はドルイド僧が岩窟修道時代に発掘したものと言うから数十万年前のものだろうか。

仏教はインド派生したものだがこれを伝えたのは釈迦の弟子たちで釈迦本人の意志ではない。キリスト教もまた同じだ。又、それらの教伝の本元は日本のマヤの教伝ナーカル書の写しとある。それを西側諸国に写しを翻訳し伝えたのがペルシャ系ユダヤ人のイエスである。つまり正統なユダヤ人とは黄色人種、アジア人である。

仏教は密教とは異なり哲学であり、空海が伝えたとする仏教は本質的にそれではない。よって空海の本尊は大日如来であるがそれは日本で言えば八幡菩薩であり、大黒天であり、大国主命であるがつまり、それぞれの時代の人々の信仰形態の変遷とともに想念がそこに形を与えたものですべて一つである。八幡、ヤハタ、ヤワタいわばヤハウェだ。そしてヒンドゥの祭神シヴァ神=夫婦和合=伊勢神道が真言宗空海の裏本尊である。

神は全てを許容し、そこに意識を一致させようとするものを上へと引き上げる。純粋に人の世の作り出した概念の外に平穏がある。

このあたりがゴチャゴチャさせたままだから人々は未だ宗教の本質、或いは信仰の本質について理解に至ることが出来ず迷いに埋没している。

そもそも人語を通して伝えられた知識がそのまま力を持つはずもない。修験道がそこに足りないものを補う。

聖書は殆ど正確な史実を敢えて遺さぬよう偽書も多く弟子たちに作られた。暗号化されて。エッセネ派が隠した本物にしても5割方暗号化されている。

だからこそ信仰、或いは学問とは文書から学ぶだけのものでは無いのである。その事は禅宗にも「不立文字」としてしっかり表れているだろう?

日本に仏教を持ち込んだとされる聖徳太子にも同様のことが言える。彼は厩の王子として現・茅ヶ崎に生まれたれっきとした日本人だが、顔立ちはペルシャ系移民の様である。藤沢市にはゆかりの神社があるそうだ。

そしてまた、もう一つ、聖徳太子が推古天皇(女性天皇)の代に変遷した書物で天照大神が女性ということにされてしまった話も考えてみればエッセネ派と同じ扱い方に思えるのである。

つまり、聖書は読み手のレベルに合わせてそこに書かれている内容をキチンと解き明かせる者とそうでない者とに分ける試金石となる内容に敢えて書き換えて遺しているのだ。

ともかくそのムー大陸が存在する以前から様々な人種が交流して日本の土台を築いてきた。(白人種以外)それが1万数百年前、海に沈んだのだ。大量の水が月から落ちてきたとされる。この月の前駆体はマルドゥクだったもの(その一部)だろうか。

ムーが沈んだ後の日本には、ムーが沈む際ユーラシアに避難したものたちがみな帰ってきたが、よほど大事な何かがそこにあったのだろう。

どこで聴いた話だったか、氷川大社の主祭神素戔嗚尊(一説にはソサの国の王)は神奈川へと流れ着いた秦一族(ジョフク)とされてるらしいが知らない話だ。ジョフクはGREATWALL建設に嫌気がさし、秦の始皇帝に不死の薬を探すと嘘をつき、一族引き連れて日本に亡命したという話だと認識している。おそらくわたしの血統もそれだ。

海を渡ったジンギスカンの話も現在の戦争屋のルーツブルーブラッドの根絶を当時決行した話だったと考える。

ともかく、ようやく待ちに待った時を迎える前段までたどり着いたので、人類史から抹消された重要な記憶のピースをここにはめ込みたい。




数年前こんな夢をみた。

周囲に大勢の宗教者、霊能者が座っており、その中でわたしがひとり立ち、こう挨拶している。

「この度はわたしの為にお集まりいただき誠にありがとうございます」

その前列にはわたしが唯一先生と呼ぶ恩師の姿もあり、リアルでは不義理が祟り疎遠となって十数年経っていたが「これこれ現在はこうでこういうことがわかりました」などと鎮痛な思いで話すと恩師は(夢ではあるが)生前のように「そうか」といつもの堂々とした佇まいでニコッと微笑んでくれるのだった。

そこでは様々な見覚えのある霊能者がわたしに付き、祝詞の上げ方声の出し方などをレクチャーされた。

場面は変わってその会場の裏手に楽屋裏のような回廊があり、そこで懐かしい顔に出会う。

「あれ?あんたこんな所で何してんの?」

と、そこで声をかけられた相手もまた疎遠となって久しい人物だった。ではこの人の話に移りたい。


今から二十数年も前の話。

当時まだわたしは神の世界に触れて間もなく、こんな世界があったのかとそれまでの人生観を一変する節目に遭遇していた。

まず前段の恩師と出会う。わたしはそれまで今以上に社会に反発を持つどうしようもない荒れた人間だった。しかし恩師と出会って世界観が一気に開けたようになった。人生観がひっくり返ってしまった。

わたしが求めていた世界がそこにあったのだ。そしてそこはわたしを受け入れてくれた。何も解らない人はこれを新興宗教にはまり込む人間の典型的なパターンと警戒して受け取ることだろう。解っている。それでいい。話を続ける。

つまりすでにそうしてわたしはその時、信仰する神を一つに絞っていた。それだけ恩師の生き様、人物としての理想高見を行く振る舞いに惚れ込んでいたのだ。

ある日、わたしの住んでいた家のすぐ裏手に夫婦で引っ越されて住み始めたばかりの奥様が我が家の庭を通り道のように毎日通過していく。
(便宜上、この奥様のことをT氏と呼ぶ)
T氏は都会的で明け透けに人の懐に入ってくる面倒見の良い姉さん風なキャラクターで声が通ってズケズケとした物言いでやや苦手ではあったが、下町の人情味を感じる雰囲気がわたしにとっては刺激的だった。スーパーの帰りには必ず家に寄り、惣菜などを勝手に置いていくのだった。
母ともすぐに打ち解け、賑やかな近所づきあいが始まった。母より10も年輩だったろうか。

住まいとなった裏手の家は老夫婦が居たのだが、T氏はそこのお嬢さんだった。残されたお父様の為、婿養子の旦那と同居に至ったらしかった。亡くなられたお婆さんはかろうじて面識があったが聞けばイタコをしていた方らしく、それ程近所づきあいがあった訳でもなかった為、気にも止めたことがなかった。

ある時その家から深夜火が出て、騒がしさで気づいて一目散に消火器を持って駆けつけた。消防車がくる前で野次馬が既に居たが、誰も火消しをしていない。馬鹿かと思った。気づいたら消火器の栓を抜いていたが煙を吸ってしまって殆ど何も出来てないような有り様だった。外壁を黒くするぼやで済んだが、こういうときに口ばかりで何も出来ない人間を観ると怒りを覚えるタチだとその時自覚した。

そこからどうだったか余り覚えていないが、深夜にそのお宅にお茶飲みに来いと誘われるようになった。どうもT氏は引っ越した後から日に日に霊的な力に目覚めたらしく、連日変わったことを口走って居ると母親づてに聴いていた。

「宇宙さま、赤鬼青鬼さま、閻魔様、観音様、毎日違って出てくるんだって」

「わたしを死神さんが誉めてくれてるって。死神が人を誉めることなんてめったに無いんだって」

母はよく相談事などしてるようだったが、わたしは既に恩師のもとに一本の人間だったので困った事だと思っていた。浮気心に揺れる事を嫌い、付き合いを制限したい思いが募っていた。

ある時、そのお宅で看病されてたもう一人のお父様もお亡くなりになられ、その時わたしは自宅で深夜まで商売の飾り付けに追われて店に灯りをつけて居たが、その時シャッターの陰に老夫婦が二人立つような気配とともに、「お世話になりました」との声を確かに聴いた。丁度そこに母も居たかと思う。

その晩丁度お亡くなりになられていたと後から聞いて、嗚呼、挨拶に来て下さったのかと、T氏には伝えたかと思う。

ある日の晩、確か母から誘われて初めて深夜遅くまでそのお宅にお邪魔したかと思う。火災の後リフォームしてそのお披露目もあったかも知れない。猫を飼っていて、黒い招き猫も飾られていた。「猫を飼う人はねぇ…」「猫は視えるよ」とそんな他愛のない会話で初日は楽しんだかもしれない。

昼間外で会う時のがさつな雰囲気と夜とではまるで異なり、魔女の家のパーティーにお邪魔するような気分であった。気さくで人付き合いに線を引くような人ではなく都会人らしく優雅で気品があった。

いつものようにコーヒーを飲みに来いと誘われれば、母がお世話になっていることもあり、無碍に断ることはできなかったのだと思う。そこではわたしのことも十分に理解してくれて安心感もあった。

旦那さんは当初、宗教的な話には敬遠気味で口数も少なく、真逆のタイプかに思えたが、実は人前で試していたのだと知る。わたしの信仰心が本物だと解ると突然雰囲気が変わり、「この子はどこのアレなの?」と奥様に聴くと、「ほら、○○の○○さまだって」と奥様が答えて「ふーん」という感じだった。

そこからたびたび畑の手伝いや何やらで時折お邪魔するようになったが、それでもまだわたしの方で線を引いていたように思う。

そんなある晩のこと、今度はひとりで来いと言うのでお邪魔したんだったかと記憶する。とにかくその日は特別な日だった。いつものようにコーヒーをごちそうしてもらって居ると目の前に座ってわたしを観ると言うことになった。なぜそうなったかの経緯はまるで覚えていないが、内心困ったことになった、とそわそわしたのは覚えている。


T氏は目を瞑りじっとし、わたしはその様子をただ見守っていたが、しばらくすると口を開けた。

「ワシはアマテラスと言うものじゃが」

内心何が起きてるか全く解らない状態となった。

「オヌシ、ワシのことを知っているか?」

と聴かれてすぐに「はい」と答えた。

この時心では「まさか」という疑念の方が強かったと思う。

「そうか、ならばよい」

「オヌシはもう“自分の神を持っている”からワシから何か言うことはないが…」

そう言って手のひらを上へ向けてテーブルの上に出すよう指示を受け、その通りにすると、内心「困ったことになった」と拒む意識があった筈だが、言われるとおりにするとわたしの両手に上から手を乗せてきた。

すると次の瞬間、わたしの左肩にまで一気に強烈な気が走ってこれまで感じた事のない強いショックに急に胸が押し開けられた様に感じて目頭が熱くなって涙が止まらなくなった。心にじかに触れられたような温かみを感じた。

「これでもうオヌシは普通の人間ではないよ」

「この力で汝の母を助けなさい」

「今度オヌシの神に会いに行ってみよう」

そう言って消えた。

T氏の意識が戻ったばかりのような表情でぼうっと目を開けて、「誰が出てきた?」と聴いてきた。

わたしはそこで「またまた!」という気持ちを抱いたが、恐る恐る「アマテラスと言っていました」と伝えるとと「へー!」といって驚かれた。

その反応を予想してなかったので心中複雑となった。覚えていないってのはおかしい、と思いつつ、真偽を確かめるようにこう訊いてみた。

「アマテラスオオカミって男神ですよね?」

「そうだよ」

その時はぐうの音も出なかった。

その日の事はずうっとそこから後を引いて、頑なに「頂いたとする力」には触れぬようにしようと封印するように意識から遠ざけてきた。

その後、恩師のもとにお邪魔したのだが、いたたまれなくなって思い切ってこう訊いてみた。

「神棚の中央にはアマテラスオオカミを祀ってありますが、○○さまを一番に置いて(信仰して)良いのですか?」

すると恩師は目の奥で考えるようにやや間を置いて「はい」「それでいい」

そして「アマテラスは何も悪くないよ」と聞いてない事についても一言触れられた。

今日はここまで。続きは明日以降。  

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