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「いつか必ず仇を討つ」と思っていたが、日本を訪れてそのイメージは崩れていった―中国人学生
http://www.asyura2.com/15/china7/msg/227.html
投稿者 赤かぶ 日時 2015 年 10 月 09 日 09:13:05: igsppGRN/E9PQ
 

中国では反日的な考えを持っている人が多いが、西安交通大学の于添さんのように、実際に日本人と接してみた結果、その考え方に変化が現れるという人も少なくない。資料写真。


「いつか必ず仇を討つ」と思っていたが、日本を訪れてそのイメージは崩れていった―中国人学生
http://www.recordchina.co.jp/a120300.html
2015年10月9日(金) 8時58分


中国では子どものころから抗日戦争について教えられたり、毎日のように放送される抗日ドラマを見たりしている影響で、反日的な考えを持っている人が多い。しかし、西安交通大学の于添さんのように、実際に日本人と接してみた結果、その考え方に変化が現れるという人も少なくない。

中国東北地方の小さい町で育てられた私が、物心が付いた時から人に教えられたものは無残な日中戦争のことばかりだった。日本人が来ると、殺りく、強姦、放火、略奪など、悪事の限りを尽くしたということを聞かされて育った。正直に言って、日本に対して親近感どころか、まるで永遠の敵のように思い、「いつか必ず仇を討つ」という考えがいつの間にか芽生えてしまっていた。その考えを抱きながら私は高校生になり、そして自分にとって人生のターニングポイントを迎えた。

高校2年生になった時、ちょうど日中青少年友好交流年にあたった。私は日本国際交流基金主催の日中高校生友好交流の「より良い明日へ」というテーマの活動で選ばれて訪日団のメンバーの1人になった。その時は行くか行かないかさんざん迷っていたが、最後は「敵情視察」のような覚悟で日本の土を踏んだ。

成田空港に着いたときは大雨だった。私の故郷では、こんな雨が降ったらきっと川のような水溜まりがあちこちにできるが、東京では水は少しもたまらなかった。排水システムの良さを見て日本の都市インフラに感心した。迎えに来たガイドさんは40代の女の人で、ずっと笑顔で親切にみんなの入国手続きを手伝ってくれる。運転手さんも、微笑みを浮かべてみんなとあいさつしてくれる。彼らの微笑みは心からのものだと感じ、見るだけで温かくなった。

日本がこのように私たちを迎えてくれるとは思いもよらなかった。実際に目の前に広がった日本の姿と自分の頭の中で想像していた日本のイメージの差はあまりに大きすぎたから、自分が長年にわたってこだわっていたものが揺れ始めたのを感じた。

日本の綺麗な町並み、礼儀正しく親切な人々、豊かな自然などを自分の目で見ているうちに、以前聞かされた血が通っていない日本人のイメージは、だんだん崩れていった。そして生活を愛して、人に親切にして暮らしているイメージに変わっていった。そのため、来る前に最も期待していなかった日本の高校の見学は、一番の楽しみになった。日本に来るまで私はずっと大多数の中国人のように自分のことを歴史の「被害者」の立場に置いていたから、日本人との交流はできればしたくなかった。けれど、今はこちらから交流したいと思っているから、きっと楽しくおしゃべりできるはずだと思った。

ところが、そう思ってこちらから英語で声をかけても、相手はただ会釈するだけであまり返事がもらえない。目を合わせてもすぐ逸らされる。その時初めて、中国人が日本人を目の敵にするだけではなく、日本人も中国人にあまり好印象を持っていないのだということを意識した。「そうか、お互いに偏見と誤解を持っているんだ。じゃ、今、目の前の日本人と交流出来るチャンスがあるのだから、勇気を出して交流しよう。自分の気持ちを伝えたい。彼らの考えを知りたい。お互いに理解し合いたい」。そう思って一生懸命話しかけた。

私の気持ちはちゃんと伝わったのだろう、雰囲気はだんだん明るくなっていった。話し合って初めて、私たちは国籍が違ってもそれほどの差はないということに気づいた。別れ際にはもう友達になり、メールアドレスを交換して「絶対連絡するよ」と別れを惜しんだ。心を込めて交流すれば理解し合えるとつくづく感じた。

帰国後、私は自分の日本での体験を多くの人に語った。そして私を通じて周りの人も日本人に対するイメージが変わっていった。学生たちが身をもって行う真の日本との交流はまるで水面に石を投げ込んだ時の波紋のように広がっていく。一人の考えを変えるだけではなく、それをきっかけに周囲の人も変わり、やがて大きな変化に至る。今後、日中両国は青少年間の交流をさらに重視し、より多くの活動を行うなら、きっと進んでいくはずだ。より良い明日へ。(編集/北田)

※本文は、第八回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集「中国人がいつも大声で喋るのはなんでなのか?」(段躍中編、日本僑報社、2012年)より、于添さん(西安交通大学)の作品「より良い明日へ」を編集したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。


 

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コメント
 
1. 2015年10月09日 12:41:36 : b5JdkWvGxs
中国人は日本が多民族国家だというのを知らないだけさ

日本は支配階級が漢民族、被支配階級が縄文・弥生人だから、お上と一般庶民はこ人間性が全く違う


日本の支配層は朝鮮帯方郡に居た負け組の漢人

日本の農民で土地持ちは長江から来た弥生人

小作人は縄文人と弥生人の混血

部落民は縄文人


昔は家柄が結婚の条件だったので、混血したのは縄文人と弥生人だけだったんだな

天皇が一重瞼なのは2000年前の漢人と変わらない

日本人のY-DNAを調べると

皇族と武士は弥生時代の終わりに朝鮮から渡来した漢民族で「O3」

日本の自作農は 弥生系「O2b」,「O2b1」

小作農や極貧農は 縄文系「D2」


因みに戦前まで皇族と武士は家柄を重視して、弥生系・縄文系とは絶対に結婚しなかったので、1700年間 混血は全く起きて居ない


要するに天皇も武士も大和民族(縄文・弥生人の子孫)ではなくチョン・チャンコロなのさ。


2. 2015年10月09日 12:44:07 : b5JdkWvGxs
優しくて真面目な日本人は大和民族(縄文・弥生人の子孫)

殺りく、強姦、放火、略奪など、悪事の限りを尽くしたのが漢民族系日本人


3. 2015年10月09日 13:12:37 : HL0Tnh1ZXA
日本語作文コンクールで、日本を悪し様に落とすような作品が入賞することはない。
これだけ読んで、中国人って案外話せるじゃん、なんて思うと大変な目に遭う。
このような作品の何十倍も「日本人は敵」的な作品(未提出のも含めて)があると思わねばならない。

4. 2015年10月09日 13:41:31 : ij43W8buDg
そうだな、日本人にも君らのような話せない人間がいるようにな。

5. 2015年10月10日 00:37:40 : ZrRUkAuvEl
1と2は反日洗脳された中国人と同じレベルだな。

6. 2015年10月10日 01:32:36 : ij43W8buDg
中川さんは残念だなぁ。
投稿は”優しくて真面目”じゃないよ。

7. 忍穂耳の垢 2015年10月10日 05:24:32 : 5n2KmwfCW10dU : RKq4g0oItP
>>1. 殿

>要するに天皇も武士も大和民族(縄文・弥生人の子孫)ではなくチョン・チャンコロなのさ。


これはこれは、そうであって欲しいという願望の羅列かな?
DNAで日本人を語るのは、もういい加減、卒業されたらいかがだろうか。

たしかに、奈良時代の文献をみると、そこは朝鮮半島臭はある。
なぜなら、それは文字でしか残っていないから、なのだがね。

ところが、日本人の言葉、つまり、響きとしてみたら、まったく違う。

その朝鮮半島臭が残るその音韻は、あっという間に変化している。
日本という言語環境下のなかで、その朝鮮臭は、どんどん埋没していったといえよう。

例えば、上代仮名遣いもそのひとつだ。
これなどは、世襲する数世代のうちに、本来の朝鮮音韻を失ってしまった。
そう、百年も経たぬうちに。
皆、日本語を話す、実質日本人に成り変わってしまったのだよ。


異論もあるだろうが、国とは言葉なのだよ。

その懐に取り込まれたしまった帰化人たちのDNAを語ったとて、どれほどの意味があろうか。

確かに、彼らの残した表記上の「訛」は残った。そして、彼らが継いだ伝統も幾許かはあっただろう。
だが、それも時代とともに消えてゆく運命にあるのだ。

そもそも、人間をDNAに依拠する生物種と捉えて、その資質を云々するのはある種の暴論、陰謀論にも近い。
それは、血液型や干支(えと)でその人物を判断してしまうのと同じぐらいに、危うい。

もちろん、大きな意味での傾向をみる「よすが」にはなるかも知れない。
だが、そこには大きな問題があるのだ。
そうした方法論は、常に、決定論で物事を断じようとする人間の渇望に流されやすい。
こうした決定論は、いとも簡単に支配欲と結びつくものだからだ。
こうだからああなるのだと、決定してしまうその「強さ」に憧れてしまう。

それは、ひとつの凝り固まった偏りを生む。そうした立場を一般には「陰謀論」と謂う。
その頑さを、言外に感じ、皆が「引いて」遠ざかるのも、やむなしかな、だ。


8. 2015年10月10日 11:06:45 : b5JdkWvGxs
>ところが、日本人の言葉、つまり、響きとしてみたら、まったく違う。


皇室内では奈良時代までは中国語で会話してたんだよ

ひらがな は日本人との意思疎通の為に考えられた書き言葉


9. 2015年10月10日 12:18:16 : b5JdkWvGxs

日本人(縄文・弥生人の子孫)も天皇一族の様な漢民族系日本人の犠牲者なんだよ:


収奪と悪徳の限りを尽くした平安貴族 _ 朝鮮から渡って来た華僑は日本の支配階級となったが…
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/850.html


10. 2015年10月10日 15:38:33 : jXbiWWJBCA
「極めて遺憾」、ユネスコ「南京事件」記憶遺産への登録−外務省
2015/10/10 13:26 JST 
    (ブルームバーグ):いわゆる南京大虐殺の資料を、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産として中国の関係機関が申請していたのが登録されたことについて、日本の外務省は「中立・公平であるべき国際機関として問題であり,極めて遺憾」との報道官談話を発表した。
10日の発表文書によると、「南京事件」は「日中間で見解の相違があることが明らかなもの」にも関わらず、「中国の一方的な主張に基づき申請されたもの」で、登録された資料は「完全性や真正性に問題があることは明らか」だとしている。
日本政府はこれまで申請について中国に複数回にわたって抗議し、取り下げるよう申し入れると同時に、ユネスコにも慎重な審議を申し入れてきた。同文書によると、中国各地の公文書館などが共同で「南京事件」に関するとされる資料を申請していた。
関連ニュースと情報:トップストーリー:TOP JK 中国主席が南京事件の国家哀悼日で演説−「歴史忘れることは裏切り」菅氏:29日に抗議した−南京事件「30万人以上殺害」との中国主席発言
記事についての記者への問い合わせ先:東京 桑子かつ代 kkuwako@bloomberg.net
記事についてのエディターへの問い合わせ先:大久保義人 yokubo1@bloomberg.net 宮沢祐介
更新日時: 2015/10/10 13:26 JST
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-NVZL226JTSE801.html

11. 2015年10月10日 16:37:36 : b5JdkWvGxs

南京大虐殺は昭和天皇の命令でやったんだから、仇は天皇一族だけだろ

12. 忍穂耳の垢 2015年10月11日 12:15:50 : 5n2KmwfCW10dU : 5hv4Ec6AG9
>>8. 殿 コメントありがとう。

>皇室内では奈良時代までは中国語で会話してたんだよ

これは、なんというか語り尽くされたネタだとみるが。

こうしたプロパガンダを、支那と半島系は奈良時代からずっとし続けてきたし、
困ったことに、日本人もそれを真に受ける者が出て、そうした言説を後押ししてきた。

たしかに、
漢字が到来したという応神朝あたりから、大陸趣味に染まったのは事実だろう。
戦後の日本人が、アルファベットにある種のコンプレックスと憧憬を抱いたようにだ。

大陸の中華主義と、その分派となる半島系の小中華主義は、常に自身こそが主(あるじ)だとうそぶく。
うそぶくために、現実を隠蔽し捏造さえも厭わない。
だがその原点を探ればまったく逆の風景が広がっているのだ。

古代の半島は、日本人の、おそらく皇族の傍流が司政官として治めていた形跡がある。
百済の王族の陵墓、特に木棺などに確認されている日本趣味は、その最たるものだ。

おそらく、当時の百済の統治者層は日本語を話し、庶民層は朝鮮語を話していたのだろう。
つまり、半島にこそ二重性があるのだ。

だが、小中華に驕る半島人は、それを当然、受入れることが出来ない。
彼らは、その二重性を、日本へと、ぐるりと反転して喧伝しただろう。
日本の統治者層の方こそが、外国語を喋っていたのだと。
今のいわゆる従軍慰安婦のプロパガンダとまったく同じ、反転の構図がそこにある。
つまり、彼らは思考構造・精神性がそのまま、今も変わない、ということでもある。

ところが困ったことに、これを信じる純真な日本人が出てくる。
それに気を良くした中華主義は、さらにその種の言説をねじ込もうとする。それも大喜びで。

こうしたプロパガンダの歴史は累々と千数百年にも及んで今に至っているのだ。
そしてこうしたプロパガンダのお先棒を担いできたのがいわゆる知識人達だ。多くは無自覚だろうが。

日本語が漢語の派生形だとか、朝鮮語の派生だとか、大真面目に論じるトンデモ本が巷にはたくさんある。
良識ある日本人は、この種のものの背景にうごめく邪悪さに気付いているだろう。


13. 忍穂耳の垢 2015年10月11日 12:16:31 : 5n2KmwfCW10dU : 5hv4Ec6AG9
>>8. 殿 へのレスの続き

>ひらがな は日本人との意思疎通の為に考えられた書き言葉

これは、どうかな。
漢語や朝鮮語から受けた歪みはあるが、日本語の根幹は変らないとみるが。

漢語を始めとした大陸の言語の、その表記システムを導入したが故に、変化してしまったものは確かにある。
信じていただけるかどうかは分らぬが‥
「ん」の語は、漢語文化に嫌われて表記の場から一旦は「消え」た。
だが、大陸趣味が一段落し、ひらがなが生まれる頃にはこつ然と「復活」したのだよ。

日本語が漢音由来という説ではこの「ん」の突然の登場が説明出来ない。
むしろ、正統な表記法を遵守したが故の一時的な「消失」とみるのが合理的だろう。

もし、
日本語が書き換えられた言葉ならば、日本語音韻の幾つかが漢語や朝鮮語に無い音が存在するのを説明できない。その一例が、先の「ん」音。
それと、最近の話なら「そ」音と「つ」音もそう。

大雑把な話として、朝鮮音韻には、日本語の「そ」音と「つ」音にあたる音が無い。
いきおい、彼らが発音すると「そ」は「ショ」音となり、「つ」は「チョ」となってしまうという。
最近の報道でこんなものがある‥
「ロッテお家騒動 韓国メディアの在日韓国人差別がむき出しに」
 http://news.livedoor.com/article/detail/10668937/


日本の言葉や古い地名には、この「そ」と「つ」は当然ながらたくさんある。
 大津、熟田津(にぎたつ)、大磯・・
「熟田津」は、それこそ奈良時代を代表する歌集「万葉集」に載る歌枕だ。
これを帰化人たちは、「オオチュ」とか「ニギタチュ」、「オオイショ」と言ったとしたら、「そ」や「つ」の音韻がそのままこうして今に残る筈が無い、とも言えよう。


14. 2015年10月11日 12:42:43 : b5JdkWvGxs
>>13
何れにしろ、人類学的には近畿地方中央部の人間は朝鮮人と区別がつかないのですね

従って、

大和朝廷は2000年前に朝鮮から渡ってきた漢民族 O3

大和朝廷は長江から来た弥生人 O2b ではない

のは明らかなのですね。

朝鮮から渡ってきた漢民族は元々中国語を話していたのだから
弥生人 O2b や縄文人 D2 とは違う言葉を使っていたのは当然でしょう

まあ、朝鮮から渡ってきた漢民族 O3 も古墳時代以降は被支配層の言葉も話せる様になったという事ですね


15. 忍穂耳の垢 2015年10月11日 12:44:02 : 5n2KmwfCW10dU : 5hv4Ec6AG9
>>13 のつづき

失礼。ニュースにあるのは「そ」の濁音の「ぞ」の話だった。これについては訂正する。

とまれ、この「ぞ」音は当然、日本語にある。
かの時代にみるその一例として挙げるなら‥「かぞいろ:父母」。
それと助詞としての「〜ぞ」もある。

この「ぞ」は、古くは清音だったとも云われるが、濁音が無かったと断言できるわけでもない。
むしろ、先行する語をうけて清濁が混在していたとみる。
このように、外来音の書換えでは説明出来ない日本語独自の音韻が存在している。


16. 2015年10月11日 13:04:33 : b5JdkWvGxs
朝鮮と日本の神話の類似性

百済の国は朝鮮半島南部の西側、忠清南道の方です。百済の都は最初はソウルにあったんです。漢城という。南に遷都せざるをえなくなって公州(熊津)へ行く。そこからまた都を移って扶余(泗沘)に移る。

百済の故都はソウルです。百済の古い歴史を調べようとするとソウルの周辺を調査しないとわからない。

百済の建国の始祖は高句麗の神話と同じで、新笠の伝記の最後に都慕王(朱蒙)の子孫でお母さんは河の神の娘であると書いてあります。

新笠の伝記の中に書いてある神話は高句麗の朱蒙の神話なのです。


 共和国と韓国が分かれるのは北方は狩猟民が多くて、南方は農耕民族だと。そもそも民族が違うのだという南北分断を合理化するような説がありますが、それは大きな間違いです。

同じ神話を持っているわけです、南の百済と北の高句麗は。

伽耶という国、慶尚南道の方です。釜山から大邱にあった国です。始祖は首露という。

 「三国遺事」。13世紀の半ばに編まれた史書です。

そこに「駕洛国記」という伽耶の国の歴史を書いた文章が引用してあります。

伽耶の国の建国神話があります。[史料4]

「後漢世祖光武帝」「建武十八年」は紀元36年。「壬寅三月禊浴之日」。

禊ぎを3月にやっている。雛祭りの日です、3月の節句。中国の春禊の風習は朝鮮半島にも入っています。禊ぎの日に神様が降臨してくる。

「所居北亀旨(クシ)」。

今も首露を祀っている廟があります。

「有殊常聲気呼喚。衆庶二三百人集会於此」。

変な声が聞こえてきたので村人が峰に二、三百人集まった。人の声のようなものがするけれども、形は見えない。ここに人ありや否や。

「九干等云 吾徒在 又日 吾所在為何 對云亀旨」

と言ってお降りになった。これは伽耶の国の降臨神話です。

 天降りの神話です。そこで『古事記』(上巻)に[史料1]

「故爾に天津日子番能邇邇藝命に詔りたまひて、天の石位を離れ、天の八重多那雲を押し分けて伊都能知岐知和岐弓、天の浮橋に宇岐土摩理、蘇理多多斯弖、竺紫の日向の高千穂の久士布流多気に天降りまさしめき」。

高千穂の峰と書けばいいのにわざわざ古事記は「久士布流」という形容をしている。亀旨と同じです。高千穂の峰にクシという言葉がついている。

 「此地は韓國に向ひ、笠沙の御前を眞来通りて、朝日の直刺す國、夕日の日照る國なり。故、此地は甚吉き地。」

という言葉があります。

 高千穂伝承には[史料2]

「筑紫の日向の高千穂の槵觸峰」

「日向の槵日の高千穂の峰」

「日向の襲の高千穂の槵日の二上峰」。

いずれもクシという字があります。

朝鮮の神話と日本の神話に類似性があることを教えてくれます。

それだけではなく

「日向の襲の高千穂の添山峰」。

それを『日本書紀』(巻第二)[史料3]では「曾褒理能耶麻」と云ふ。
わざわざ「そほりの山」と読むと書いてある。

朝鮮半島では聖なる場所のことを「ソホリ」と言う。
韓国の都をソウルというのは聖なる場所という意味なんです。

『三国史記』には百済の最後の都・泗沘(シヒ)のことを所夫里(ソホリ)といっています。
高千穂の聖なる山ということが朝鮮の言葉のソフルと記されています。

天から神が降りてくる、その場所をクシとかソホリという言葉を使っていることに注目して下さい。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/kouzaueda.html


ニニギや神武天皇が朝鮮にいた漢民族で中国語を話していたというのは絶対に否定できないですね

ただ日本に来てから弥生人の女性と結婚したのでニニギや神武天皇の子供はバイリンガルになったという事ですね


17. 2015年10月12日 01:23:48 : ij43W8buDg
二人のコメントは興味深い。
でも中川さん、"絶対"って言い切っちゃうと科学的な考察からはずれちゃうんじゃない。

18. 忍穂耳の垢 2015年10月14日 14:03:31 : 5n2KmwfCW10dU : idCFfXzd0g
>>16. b5JdkWvGxs 殿

なるほど。興味深い蘊蓄をご披露頂いた。
私へのコメントとは判じ難いのだが、気になったことを少し。

過去の資料、特に大陸のものを典拠にするのは、危ういということ。
今話題の「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」にみるように、かの地ではプロパガンダがそのまま文献になる。その真偽を逐一確認する術も無い。つまり議論の土台がそもそも危ういだろう。


それと血脈の件、
先にも述べさせていただいたが、
血脈で論じるのは干支や血液型で人の行動を断じるのと同じくらいに、危うい。
むしろそこにあるのは、大陸趣味な決定論であり、それこそ日本的ではない。

既にずいぶんとおぼろげになってはいるが、
日本人は血脈を大事にすると同時に、そのダイナミックさをも理解していた。

例えば、「素盞嗚尊」だ。
この神は高天原で乱暴・狼藉を働きながら、大いなる悔悟を得て歌を詠む。
歌が残るということは、その悟りの深さが認められて名誉復権したということ。

その子もまた、国譲り説話にみるごとく、天に逆う。
このように問題ある血脈であるにもかかわらず、その子孫には偉大な御柱が輩出し、日本の精神性の基礎をなしてもいる。
記紀ではおぼろげだが。風土記や三輪山伝説からみてその家系の尊さがみてとれる。

日本人は、悪しき血脈なれども、それを覆すほどの傑物が出るのも、同じ血脈だと知っていた。
悪しは善しの契機である事を。

血脈に拠る決定論は、こうした機微が無い。
いきおい「あいつらは悪しき家系だ!」になり易い。
もちろん「よすが」としての議論は否定するものでは無いけれども。

(続く)


19. 忍穂耳の垢 2015年10月14日 14:04:16 : 5n2KmwfCW10dU : idCFfXzd0g
>>16. 先のコメントの続き

>朝鮮の神話と日本の神話に類似性があることを教えてくれます。

それは、逆だとみるが。
記紀の編纂に関与した者、その基盤となったプレ記紀をなした帰化人ら、半島系書記官らが、自らの活動の踏み台のために往古の神々の御名を利用した、結果がそれ。

これは、論じれば長くなる故、あくまでも仮説として言うけれども‥
記紀に散見する朝鮮系の地名は、後付けの可能性が高い。
それをしてまんまと日本で地場を築いたのが、有名なところでは応神天皇を掲げた半島系の豊国法師(とよくにほうし)の一群だ。そう、今に残る八幡信仰の起点がそれ。八幡信仰については近年研究が進んでいる。

さらに言うなら、堕ちた神である先の素盞嗚尊は、蘇我氏とそれに続く藤原氏による仏教興隆の起点として利用されたふしがある。
その蘇我氏を支えた大陸・半島系の者達がその狡知に関与していよう。
それを証すように、明治の神仏分離によって、その堕ちた存在が復権するパラダイムの、その基盤がぐらついてしまった。もしかすると日本の仏教信仰自体が力を失うやも知れぬほどだ。

彼らの「従軍慰安婦」や「檀君神話」を奉ずる異常さにみる如く、長年に亘って自らの出自と、その由緒の正しさを「創造」し、文書に挿入し続けてきている。日本の神の名を利用して、だ。

ご指摘の類似性は、こうした者等がなした挿入物に過ぎぬものとみる。
もちろん、それが一旦典拠となり、信仰の土台となれば、千年余の累々たる歴史をなしてもいるが。


>「日向の襲の高千穂の添山峰」。

この高千穂の峰に降臨したという話も、大いなる「捏造」の惨憺たる結果でしかない。
高千穂降臨神話に、そもそも疑義があるのだ。

たとえば、瓊々杵尊(邇邇芸命:ニニギ)の奥様である木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)は富士山麓は富士宮の本宮浅間大社に祀られているのは有名な話。
ところが、記紀には富士山麓の記述がそもそも無い。
なにより、ずっと後代の神武天皇による東征ではじめて、近畿圏まで制圧したというのが記紀の史観だが、そもそも来ていない皇孫が、なぜか奥様と共に富士山の麓で祀られているという事自体、論理的に矛盾しているだろう。

こうした高千穂降臨譚は、記紀の編者、その前段となるプレ記紀の編者らの政治的願望が多分に混じっている。
記紀の「高千穂」の言辞の周囲にどのような語があろうとも、とりたてて論ずる価値があるかどうかは、疑問だ。


20. 中川隆 2015年10月15日 05:43:46 : 3bF/xW6Ehzs4I : b5JdkWvGxs
>例えば、「素盞嗚尊」だ。
>この神は高天原で乱暴・狼藉を働きながら、大いなる悔悟を得て歌を詠む。
歌が残るということは、その悟りの深さが認められて名誉復権したということ。

>その子もまた、国譲り説話にみるごとく、天に逆う。
>このように問題ある血脈であるにもかかわらず、その子孫には偉大な御柱が輩出し、日本の精神性の基礎をなしてもいる。


スサノオ自体が弥生人ではなく朝鮮から来た漢民族ですからね
(アマテラスの弟という設定になっているのは両方共朝鮮から来たという意味ですね)

梅原猛は「芸術新潮(2009年)」の大特集「古代出雲王朝」で、

「日本書紀の記録や出雲で発見された古墳・遺跡・大社の社などから判断すれば、

スサノオは朝鮮半島から出雲へ来た

という説が正しい。スサノオがヤマタノオロチを切った刀は韓鋤の剣であることからしても、スサノオが韓国から来た神であると考えるのが最も自然であろう。

スサノオに始まる出雲王朝には朝鮮の影が強く差している。」

と述べている。さらに、梅原猛は、著書『葬られた王朝―古代出雲の謎を解く』で、

「出雲王朝の創立者は韓国系と考える。

その証拠に出雲王朝の遺跡から銅鐸が出てきた。
銅鐸の起源は韓国の貴族が双馬馬車につけていた鈴だ。
スサノオが韓国からきたとする説はますます有力になっている。
新しい日韓関係を見せてくれる。韓国に注目しなければならない。
古代日本にとって、韓国は文明国であったし、さまざまな文化を伝えてくれた。」


と述べている。

出雲市の斐伊川の上流に「鳥髪」という所がある。

市町村合併によりその地名なくなったが、奥出雲の「鳥上小学校」「鳥上公民館」の「上 かみ」は「髪」の音から転用した語である。

AD四世紀ごろ スサノオは韓国の「소머리 somoli 牛頭」から奥出雲の「鳥髪(とりかみ)」へ渡来し、「たたら流し」のリーダーとして名を成した人であるという。

スサノオは砂鉄によって「草薙の剣」を作った偉人という伝説があり、「草薙の剣」はヤマタノオロチの尾にあった剣のことである。「記紀」の神話を書く際に、フィクションのモデルにされたのはスサノオであろうという説がある。奇妙に思うかもしれないけれども、

「記紀」を書いたのは渡来人(主として百済のエリート)であり、「記紀」が書かれるより300年前の伝説の人 スサノオも渡来人である。

「日本神話」の成立についてのこのような話は、現在の日本人にとって想像を超えた物語に聞こえるだろう。


「소머리 somoli 牛頭」と「鳥髪(とりかみ)」は同じ言葉で、「소 so 牛」が「새 se 鳥」に転訛し、「머리 moli 頭 髪」は「鳥髪」の「髪」と同じ言葉であるという。

スサノオが天から降りて来たという神話は、朝鮮の「天孫降臨神話」を模したものでフィクションに過ぎない。このような真実を、馬鹿馬鹿しい想像によるものであると影に移し、「記紀」が書かれて1300年たった現在ですら「スサノオ」と「ヤマタノオロチ」は日本神話の真髄である。朝鮮の影が映っている歴史は影に過ぎないと追跡せず、朝鮮由来の歴史は朦朧と曖昧化されている。従って、日本の古代史の書籍には「謎である」という解釈が目立ち、日本語のルーツは明治以来150年にたってもわからないのだから、今後も「謎だらけ」であろうと豪語する学者らしき人の書籍が店頭を飾っている。
http://japanese130.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-1eca.html


21. 忍穂耳の垢 2015年10月16日 12:20:39 : 5n2KmwfCW10dU : noVOgdltON
>>20. 中川隆 b5JdkWvGxs 殿 コメントありがとう。

>スサノオ自体が弥生人ではなく朝鮮から来た漢民族ですからね
>(アマテラスの弟という設定になっているのは両方共朝鮮から来たという意味ですね)

失礼の段、たいへん申し訳ないが、これには参った(笑)。
なぜここまで断言出来るのか、と。

天照大神が特別扱いされているのは、神代紀に「日の神を生む」とあるように太陽の御霊を授かったとされたからだ。
親であるイサナギ・イサナミ神という存在も統治における稜威(いつ)としても特別だったはず。
それは、後世の統治観とはかなり違うダイナミズムが働いている結果でもある。

我々現代人は、それこそ大陸由来の統治観に歪められてしまって久しいが、
本来の統治とは、民の崇敬が基本だった。
大陸にみるような、覇者の示威行為、つまり脅しで得る上からの権威ではなく、民の信頼・敬愛によって成り立つ下からの権威。
つまり、方向が真逆。
想像も出来ないかもしれぬが、往時はいはゆる哲人政治が存在していたのだよ。
この親愛と崇敬の情は、いまの天皇を仰ぎ見る国民の姿に残っている。これが尊いことなのだが‥
このように、大変偉大な魂をもってお生まれになった日の神を、皆が崇敬する、それが往時の統治の姿だ。

それは、ご兄弟においても同じ、やはり特別扱いされただろう。
そうした特別さが記録される文言の端々に残るわけで、それをして外国人たる証拠と置いてしまうのに繋がるのか‥と。

とまれ、
先のコメでの論旨をご理解頂いていないようだ。
日本は血筋は大事にしたけれども、それに妄執はしなかったし、血脈を決定論に使うのは危ういぞ‥というのが話の筋だった。
つまり記録に残る扱いや、使われる語の切れ端が、そのまま異民族を指しはしないということでもある。

だから、百歩譲って外国人だったとしても、それは変らない。
例えば、垂仁天皇の命を受け、常世(とこよ)の国に橘の実を探しに行った田道間守(たぢまもり)は、新羅系の渡来人後裔だ。
持ち帰った折は、時遅く垂仁帝は崩じた後だった。彼は垂仁帝の陵(ミササギ:墓)の前で死を選択する。

こうした極端さはある種半島系の風を感じるけれども、
その田道間守(たぢまもり)はいま、菓子の神として日本人に崇敬されている。
そこに、半島系に拠る蔑視や、異端視はない。まさに日本文化の中の傑物として敬愛されているのだよ。
(続く)


22. 忍穂耳の垢 2015年10月16日 12:21:23 : 5n2KmwfCW10dU : noVOgdltON
>>20. 先のコメントの続き

>梅原猛は「芸術新潮(2009年)」の大特集「古代出雲王朝」で、
>
>「日本書紀の記録や出雲で発見された古墳・遺跡・大社の社などから判断すれば、
>
>スサノオは朝鮮半島から出雲へ来た

梅原猛と聞いて脱力してしまった。残念ながらこのお方は何も分ってない。
ただ文筆家としては有能だったのだろうが。名は挙げられぬが、私の周りでも皆、梅原の名で脱力する(笑)

それこそ、あと一月もすれば七五三の祝いだ。むしろ民の祝いに奉仕する市井の神職の方がよく分っている方がいるだろうに。
こうしたお方が出るのは、もてはやす側の問題だとも言えよう。
もっとも、いわゆる民俗学の権威とされる折口信夫も、あの連想ゲームな手法も、検証出来ないという点でかなり問題があるとみるけれども。


>という説が正しい。スサノオがヤマタノオロチを切った刀は韓鋤の剣であることからしても、スサノオが韓国から来た神であると考えるのが最も自然であろう。

根拠なき断定のオンパレードなので、私も悪乗りさせていただこう。
金属精錬の方法論は、日本古来から存在している。何も大陸・半島系の専売ではない。

それは、あかがね(銅)、しろがね(銀)、きかね(金)、くろがね(鉄)或いは、ばぐろとも言ったように、大和言葉にある。精錬方法の、たたら(鑪)も古い言葉だ。
こうした言葉は、漢籍や仏教伝来以前からの歴史をもつ。これは史学では答えられぬ歴史のオーパーツだろう。


>出雲市の斐伊川の上流に「鳥髪」という所がある。

こうした議論で半島・大陸と結びつける議論は大変多いし、それはこれを仕掛けた外来系種族らの目的でもあろう。

そうした意図的、あるいは無意識の混入以前の話として、
異言語が接する場では、こうした言葉の混在が起るのはあたり前の話だ。

たとえば、アイヌはその言語の構造からして日本とは異文化だとみるが、実際には長い長い歴史の中で、その占有する場が入れ替わったり、言語の混在はもちろん、人種の混濁や中間種の発生などという事態も起きたはず。

記憶で申し訳ないが、アイヌの古老だったか‥が語るには、日常語では恥ずかしくて使えない隠語に日本語の語彙を用いたという例もある。そう、寿司屋で客に分らぬような隠語つかうのと同じだ。
そうした言葉の交換は、日本語でも起きただろう。
そして、日本の東北地方では、アイヌ文化が失せた後に、土地の名称だけが残ったことも、たくさんあった。

このように、異言語圏が隣接する地域、特に山陰地方は半島系の方々との語彙の交換・混濁はたくさん起きたはず。
それが、いまみる資料に残っているとしても、それが一概にそこの民族全部が半島系だと断定する理由には足らない、とみるが。


23. 2015年10月16日 20:20:44 : b5JdkWvGxs

イサナギ・イサナミの話は大陸で広く伝えられているもの

アマテラスの太陽信仰は朝鮮の某民族の信仰:

民俗学的考古学的に調査を行った話としては、

天皇のルーツは朝鮮半島の38°線付近の小さな集落に、風習がとても似た村があると指摘されていて、

同行した当時KCIA局員の話としては、そうした天皇の由来について何らかの事情を知っていたらしく、意見を聞かれ 知らない方が良いこともあるのだ と答えたという研究者の話が伝わっています。
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/523.html



24. 忍穂耳の垢 2015年10月18日 13:55:01 : 5n2KmwfCW10dU : O6hncU2mXU
>>23.

なるほど。お話は相変わらずのよう。

話題の南京事件や、いわゆる従軍慰安婦にみるように、千数百年来そうした圧力をかけ続けてきたのが大陸・半島。
応神朝に来た王仁の痕跡が無いとなれば、新たに造作してしまう、捏造の風土だ。
だから、
その半島の中の集落に、なにかの痕跡があるとても、それをにわか信ずる気にはならぬ。
むしろ、日本から分流した種族が、朝鮮化して残存しているという論も立つ筈だろう。


こうした、大陸・半島にみる、捏造してまで歴史を残さんとする執念は、
前のコメでも触れたが、記紀、特に古事記には混じり込んでいる。
それをゆめゆめ真に受けることなかれ。

そもそも、夷人から奪い取り、独自の覇権文化にとり込んだ甲骨文字と鋳造の文化、後の漢字文化だ。
この漢字文化には、特に東方の夷人、神仙の島であった日本の伝承を、亡きものしてしまいたいという無形の情念が埋め込まれている。なぜなら、新幹線技術にみるように、既にそれは彼らの専有物になっているからだ。
漢字文化の基盤である、論理思考を研げば研ぐほど、その「風」に染まってゆく。
それは、立派な学歴のある先生方も、同じ。
というよりも、論理に堕ちるほどに、その無意識の「風」に気付けない。それは、滑稽なほどにだ。


何度も繰返すが、国とは「言葉」なのだよ。
いま、我々は日本語を話していることが、大事なこと。
かつて日本に来て、外来語を話していた人々も、日本語文化圏に取り込まれてしまった。

その言語の構造、基本的な音韻構造、どれをとっても大陸・半島とは異なる。表面的な語彙の交換はあるけれども。
こうした、大陸に無い独自性をもつ日本に、もっと自信をもってもよいだろう。


25. 忍穂耳の垢 2015年10月18日 14:18:21 : 5n2KmwfCW10dU : O6hncU2mXU
そうそう、
冒頭の記事について、コメントするのをすっかり忘れていた。

>中国では反日的な考えを持っている人が多いが、西安交通大学の于添さんのように、実際に日本人と接してみた結果、その考え方に変化が現れるという人も少なくない。・・

大陸の人々の無意識、その太古の記憶には、彼らがかつての神仙の島、つまり日本に学んだことを記憶している。
道教の淵源はこの日本にあるということを。

それを知っているからこそ、彼らは訪日して三神山のひとつ蓬莱山、つまり富士山を見んとするのだ。
地元の民衆に伝わるものを侮ることは出来ないだろう。
そして、日本にまた学びたいと願い、日本に親愛の情を寄せるのだよ。

もっとも、力をつけた大陸は中華思想に染まり、そうした伝承を尽く潰してきたのも、かの国だ。
道教を卑しい民間宗教におとしめて、その上に抽象的な神々を造作して、潰してきた。
だから、その風に吹かれると、変る。
普段は日本が好きな者も、政治的な思考をしたとたんに、反日に染まるのだ。

だから、ちょっと知識のある者になれば、なるほどに、わけが解らない、となる。
日本に親愛する情と、中華思想という宿痾との、両極があるのが、かの国とみる。


26. 2015年10月19日 13:15:34 : b5JdkWvGxs
天皇一族は一重か奥二重瞼で朝鮮人と同じ

縄文人も弥生人も二重瞼だから天皇一族は朝鮮人に決まってるんだよ


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