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膨大な奨学金返し、最低賃金で働き続ける人が多発!自己実現できないと死ぬ日本(Business Journal)
http://www.asyura2.com/16/hasan110/msg/872.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 7 月 17 日 00:35:10: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

              シンポジウム「学生と戦争 - 経済徴兵制をぶっ潰せ!」の様子(左から2人目が高橋若木氏)

膨大な奨学金返し、最低賃金で働き続ける人が多発!自己実現できないと死ぬ日本
http://biz-journal.jp/2016/07/post_15919.html
2016.07.17 構成=林克明/ジャーナリスト Business Journal


 本連載では、4月30日に早稲田大学で行われたシンポジウム「学生と戦争 - 経済徴兵制をぶっ潰せ!」の内容を3回にわたりリポートしてきた。学生の貧困化、社会全体の貧困化が進み、手をこまねいていれば若者に未来はないことは明らかだ。

 今回は、このような状況を変えるために、「最賃1500円運動」(最低賃金を時給1500円にするための運動)と、中小零細企業への支援を求める「エキタス」(AEQUITAS:ラテン語で公正・正義)という運動に参加する、大学任期制専任講師の高橋若木氏(現在は大正大学地域創生学部地域創生学科)の講演を紹介する。

■学生は貧困状態にある

 社会問題はいつも、まず「問題の否認」を乗り越えることで始まります。賃金や貧困の問題においては、多くの学生や若者が「貧困である」という事実を、社会的に広く認知してもらう必要があります。

 具体的な数字を見ていきましょう。私は1980年生まれですが、80年当時の国立大学の授業料は年間18万円でした。それが今は53万5800円で、入学料と合わせると初年度は81万7800円かかります(文部科学省「国立大学と私立大学の授業料等の推移」)。

 私立大学は、1980年の授業料が平均およそ35万5000円でした。2014年度の授業料は、86万4384円で、入学料26万1089円、施設整備費18万6171円と合わせると、初年度に平均131万1644円と、私立も国立も授業料は3倍以上になっています。 

 親の収入や実質賃金は減っているといわれる一方、学費は高くなっているのですから、学生はアルバイトをしなければなりません。14年7月の学生アルバイト全国調査によれば、ほとんどの学生がバイトしています(ブラック企業対策プロジェクト「学生アルバイト全国調査結果」)。

■67%の学生がバイト先で不当な扱い

 バイトをしている学生のうちの29%は週に20時間以上働いてますが、特に大学1年と2年は、取得単位数が多いので、これでは授業の予習復習をできる状況ではありません。約67%の学生は、労働上なんらかの不当な扱いを経験しています。

 奨学金を受給している学生は回答者の約36%(日本全体では約50%)で、平均利用額は300万円ほど。私自身も現在、日本学生支援機構の学生ローンを必死に返済しているところです。

 私が大学に入学したのは1998年ですが、その頃には教員になると奨学金返済が免除になるという制度は廃止されていましたので、私には免除特権がありません。日本の大学院時代に借りた膨大な奨学金を、ずっと返し続けていかなければなりません。

 これ以上は学生ローンを増やせないと思ったことも、07年にアメリカの大学院に進学した理由のひとつでした。アメリカでは、一定レベル以上のPh.D課程(大学院博士課程)では学費が要らないのです。

 どういうことかというと、学費は研究室がすべて負担し、さらに生活費兼給料のようなものを月に1300ドル(13万円)ほどもらっていました。その間、日本の奨学金返済の開始は遅らせてもらっていました。

■日本の公的教育費はOECD34カ国中で最低

 あまり知られていないことですが、日本の奨学金は80年代から根本的に変化しています。84年に有利子の第二種奨学金が導入され、現在、借りられている総額の3分の2が有利子の奨学金です。かつての日本育英会が独立行政法人化して日本学生支援機構になって以来、委託された取り立て会社による取り立ては極めて厳しく行われています。

 そもそも、日本の教育への公的支出は極めて低いのです。15年のOECD(経済開発協力機構)の発表によれば、12年のGDP(国内総生産)に対して3.5%で、34カ国中最下位でした。平均は4.7%で、最高がノルウェーの6.5%でした(産経ニュース「教育への公的支出、OECDで最下位」http://www.sankei.com/life/news/151125/lif1511250029-n1.html)。

 日本の学生は、教育への公的支出がこれだけ低いという、世界的に見て特殊な状況に置かれています。日本のように、資源が乏しく、人的資本でもっているような国では、国力を維持するために教育が極めて重要なわけですが、日本の教育行政は、教育にかかる費用は個人で負担するべきとの考えを基調にしています。

 この考え方は、終身雇用と年功序列を基本とする高度経済成長期の労働環境では、なんとか機能していたのでしょう。しかし、今や労働人口のうちの4割が非正規雇用です。そして、長時間労働が蔓延しています。労働や賃金のあり方が変わっているのに、学生ローンだけはかつてと同じか、それ以上に厳しく個人への負担を強いているという現状です。

■なぜ最低賃金を時給1500円にすべきなのか

 エキタスは、このような状況にあっては最低賃金時給1500円が必要だと訴えています。今日、最低賃金時給で働く人の典型的な姿は、バイトをしている学生や主婦ではありません。一家の生計を支え、奨学金を返済しながら子育てをしているような人たちが、最低賃金で働いているのです。

 安倍晋三政権は、最低賃金を毎年3%ずつ段階的に1000円まで上げると言っています。しかし、時給1000円では年収200万円程度であり、貧困状態といえます。この収入で、仮に都内に住んで、家賃や水道光熱費、携帯電話の料金を支払うのは困難です。さらにそこに奨学金返済が入ってきたら、暮らしていけません。

 時給が1500円になれば、フルタイムで働いて年収280万円程度になります。これだけあれば、なんとか生きられる水準に近づいてきます。そして、消費者として少しお金を使う気にもなるでしょう。だからエキタスは、最低賃金を時給1500円にすべきだと言っているのです。

 政財界の考えは、経済全体がうまく回り、富裕層が十分に私財を蓄えたら、そこから溢れてくる分で最低賃金を上げてやろうというスタンスです。しかし、これは最低賃金法の趣旨とは違います。最低限度の文化的生活を営むための、そのときの社会で生きて行くことのできる生計費が、最低賃金であるべきなのです。つまり、働いて得た給料で、生活できる金額でなければいけないのです。

■最低賃金を上げると雇用は減る?

 最賃時給1500円を主張するエキタスに寄せられる意見には、大きく分けて3つのタイプがあります。

(1)物価が上がり、結果として自分のクビを絞めるのではないか
(2)雇用が減るのではないか
(3)中小企業が潰れてしまう

 これらに対する反論は、エキタスがホームページ上で答えていますので、参照してください。

 諸外国で、最低賃金を上げた結果、雇用が著しく減ったということは立証されていません。控えめにいっても、明確な結論は出ていません。

 確かに、最低賃金を上げれば一時的な物価上昇は避けられないでしょう。しかし、今はデフレの悪いサイクルがアベノミクスによって続いています。国内市場が縮小しモノが売れない→値下げをするしかない→給料が低くなる→カネは使えない→モノが売れない……という悪循環になっています。

 この悪循環を絶つには、最低賃金を上げて生活者が使えるお金を増やすことが欠かせないでしょう。特に低所得者ほど、増えた分の収入は消費に回します。

 また、エキタスは中小企業支援も訴えています。デモでは、「最低賃金を1500円に上げろ」という訴えと共に、「中小企業に税金つかえ!」というコールを必ずセットで使っています。具体的に念頭に置いているのは、社会保険料の負担を軽減するような措置です。

 貧困の当事者のためだけではなく、経済全体を見通して最低賃金アップが必要との姿勢を強く打ち出すことで、普遍的な運動にしようとしているのです。貧民を守れ、学生を助けようという「支援」や「憐憫」ではなく、「これをしなければ社会全体がもたない」という訴え方が、エキタスの特徴だと思います。

■債務者としての学生にのしかかる重荷

 ただし、やはり最低賃金アップの運動の背景には階級対立があります。ただ格差が広がっているという話ではなく、階級とは支配関係の問題です。今日では、債権者と債務者の関係として理解するとよいでしょう。

 たとえば、イタリア哲学者のマウリツィオ・ラッツァラートは、資本主義を理解するうえでの基本概念として、借金の問題を取り上げています。日本でこの問題をもっとも厳しいかたちで経験しているひとつの集団が、大学生ではないかと思うのです。

 負債の問題と密接に関係しているのは、労働を通して感情的な側面も含めた自己実現を達成することが望ましいとされる、昨今の風潮です。今は接客業、看護師、苦情処理、介護士、広報などの職種だけでなく、ほとんどの仕事にコミュニケーション能力を中心とする感情労働が求められています。

 一定時間働いて、「成果を出してくれればそれでいいよ」というわけではなく、「キャリアで自己実現しなさい」ということも要求される。会社にも積極性を求められるし、メディアでも、それが価値の高い生き方なのだと喧伝される。

 今日の学生は、「君たちはフレキシブルなコミュニケーションを身につけて自己実現を準備しなければならない」「生き甲斐のある働き方を見つけないと、これからの流動化した時代には適応できない」と教育されます。

 そして、それを実現しないと奨学金を返せないとなるわけです。このように、出発点に立つために借金を負わされることと、個人の内面や人格の部分まで労働市場にあらかじめ収奪されることがセットになっているのです。

「君たちは一生、個性や積極性を発揮することによって、自分を見つけだし、生き甲斐のある仕事を見つけだし、コミュニケーションし、新しい価値を創出していくことによって貢献していかなければならない。そうでなかったら、死ぬ」と言われているような感覚があります。

 これは、借金の担保に、モノではなく学生自身が入れられているようなものです。「自分が大切なんだ。自分を発見しなさい。君たちのオンリーワンの個性をもって、フレキシブルに創造的に生きて行こう」と勧めているのです。

 こういうソフトな自己実現型のプレッシャーは、画一的なプレッシャーよりもきつい部分があります。かつての画一的なプレッシャーのもとでは、一定の労働を果たしさえすれば、あとは凡庸で普通の幸せにとどまることが許されました。

 退勤後も自己啓発本を読んだり、英語の勉強をしてスキルアップを狙い、「より充実したキャリアで自己実現しよう。それができない自分は無能だ」というような重圧をコンスタントに与える労働支配は、最近になって加速しています。

■運命論から脱出するための運動

 自己実現型のプレッシャーのもとでは、すべては最終的に「才能」の問題になってしまいます。コミュニケーション能力や、個性的な創造性、生来のものを教育で鍛えるというのは、実はかなり無理のある話なのです。

 このような社会の中では、多くの学生が自分は運命的にダメなんだと感じてしまう。だから、長時間労働や低賃金といった条件にも従うしかないという心境になるのです。
 エキタスのような運動は、こういう運命論に抗する力のひとつで、人格的な尊厳の問題そのものなのです。

 社会に負債を負い、「運命的に自分はこうやっていくしかない」と追いつめられている若者や非正規労働者たちに、こうなったのは運命でもなんでもなく、社会の労働の在り方や具体的な法律が原因であって、変えることができる、「この重圧は不当だ」と言っていいのだと伝えるべきではないでしょうか。

(構成=林克明/ジャーナリスト)
 

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