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一億総貧困時代
http://shueisha-int.co.jp/amamiya/
2016.08.29 雨宮処凛 集英社インターナショナル
景気は上向き、就業率も上向きだ、さあこれからは一億総活躍社会だ──と、耳にする。
非正規労働者が4割を超え、18歳以下の子どもの貧困率が過去最悪の16パーセントを超え、30代の貯金ゼロ世帯は30パーセントを超え、単身女性の3人にひとりが貧困と言われるいま、そんなセリフがどこか遠い国のおとぎ話のように聞こえてしまうのは、ひねくれた者だけなのか、あるいは“努力が足りない”者だけなのか。
たとえば、炊き出しの列に並ぶ人たちのため息と安堵の声、給食のない長期休みに飢える小学生、深夜のファストフード店にいる若いホームレスの女性、大学卒業と同時に500万を超える奨学金返済を背負いこむ学生たち、数少ない正社員の椅子とひきかえに、身も心もぼろぼろになる若者、ある日契約終了を言いわたされ、食費を切りつめ続ける派遣社員、トリプルワークで深夜に帰宅するシングルマザー、5年たったいま、いまだ住む場所の目処が立たない被災者、DVや虐待で仮の住まいに身を寄せる女性や子どもたち、家族を失い、夜の路上が唯一の安らぎとなる人たち、そして、じわじわと生活苦や破産に追い込まれる老人たち……特殊な境遇にしか思えないそんな<誰か>と、少し先の将来も描けないのに「ふつう」だと思っている<私たち>は、まったく同じ時代に、同じこの国で、生きている。<特殊>と<ふつう>のあいだには、いったい、どれほどの違いがあるのだろうか。
第9回 人の命を財源で語るな──<生存権裁判>が問いかけるもの
そして、生活保護費の切り下げの中、高齢者への「老齢加算」が段階的に廃止されたことについて、聞き覚えのある方はきっと多いのではないだろうか。
連載第9回目の今回は、80歳を目前にして「生存権裁判」の原告となった一人の男性とその支援者に、雨宮さんとともに尼崎までお話を伺いに行った。16歳のときに敗戦を迎え、その後、日本の高度成長を全国の飯場で支えた彼が、心臓動脈瘤の破裂のリスクを抱えながら訴え続けること、そしてその理由とは。耳を傾けたい。
「老齢加算」廃止が孤立を招く
夏である。猛暑である。
熱中症で連日、多くの人が病院に搬送されている。
消防庁が把握しているだけで、この夏、8月14日までに実に3万7428人が搬送されたという。内訳を見てみると、その約半数が高齢者。熱中症による死者がもっとも多かった2010年では、その8割が高齢者だったという。
さて、今回ご登場頂く勇誠人(いさみ・まこと)さんは、86歳。ご高齢ということもあって、取材に応じて頂けるかどうか一抹の不安があった。しかし、8月はじめの猛暑の午後、勇さんは尼崎の一人暮らしの自宅から、取材場所まで一人でやってきた。86歳とは思えないほどしっかりした口調で理路整然と話す勇さんはパリッとしたシャツに身を包み、紳士的な雰囲気をまとっている。そして終始ニコニコと穏やかな笑顔を絶やさない。介護要支援2の判定を受け、車椅子に乗ることもあるというが、この日は車椅子はなし。
そんな勇さんの部屋にはエアコンがあるものの、ほとんど使わず、扇風機で暑さを凌いでいるという。理由は、「電気代がかかるから」。
なぜ、暑さに耐えてまで電気代を節約しなくてはいけないのか。
それは、勇さんが生活保護を受けているからだ。その額は、4万2000円の家賃込みで11万3900円ほど。生活費として使えるのは約7万円だ。ここから食費、水光熱費、通信費や交通費などのすべてを賄わなくてはならない。勇さんが生活保護を受け始めたのは2003年。その頃と比較して、支給される保護費の額は2万円近く減額された。「老齢加算」が廃止されたことが大きな原因だ。
老齢加算とは、生活保護を受けている70歳以上の人に支給されてきた加算。勇さんの場合、月に1万7930円だった。高齢になると噛む力が弱くなり、消化吸収のよい食事が必要になること、体温調整が難しくなることから冷暖房費や被服費に特別な配慮が必要なこと、また、お葬式やお見舞いなどの社会的費用がかかることなどから、40年以上、この加算が支給されてきた。
しかし、小泉政権下の03年、厚労省の専門委員会でこの老齢加算が必要ないという主旨のとりまとめがなされる。翌年04年から老齢加算は段階的に引き下げられ、06年には完全に廃止された。この廃止を受け、生活保護を受けている高齢者に起きたのはどんなことか。以下、当事者からの声である(<生存権裁判を支援する全国連絡会>のチラシより)。
「加算が廃止されてから、近所付き合いや冠婚葬祭の出席などできなくなったのが一番つらい」(青森県 男性 78歳)
「熱中症で倒れ施設に入居する決意をしました。老齢加算があればエアコンをつけることができ、家で生活できたと思います。老齢加算復活を願っています」(新潟県 女性 89歳)
「買い物は夕方の割引になるのを待って買い、ご飯は2合を8回に分けて食べます。夏は風呂に入れずタライに水を入れて行水しています」(福岡 女性 81歳)
「老齢加算がなくなり、また生活保護が大幅に減り、足の悪い私は安売りの買い物にも行けなくて節約の毎日です」(兵庫県 女性 86歳)
勇さん自身も、老齢加算廃止によって冠婚葬祭などに行けなくなった一人だ。勇さんは、穏やかな口調で言った。
「身内が死んでも、香典も出されなくなる。友人たちが亡くなっても、見送ることもできない。そのうち、『近所付き合いが悪い』と陰口を言われるようになる。もう、孤立してしまってね。外出することもできなくなる」
このような状況を受け、勇さんは現在、老齢加算廃止は生活保護法と憲法の理念に反するとして提訴、「生存権裁判」を闘っている。
勇さん、そして裁判を支える支援者の方にお話を聞いた。
敗戦、就職、結婚、そして飯場へと
勇さんが生まれたのは昭和5年。小学6年生の時に太平洋戦争が始まり、16歳で敗戦を迎えた。
と、さらっと書いたが、昭和一桁生まれというのは、戦争を経験した世代なのである。勇さん自身も戦時中には学徒動員され、東洋鋼鈑で働いた。空襲に遭い、火傷なのか、体が膨れ上がった人々の遺体がずらっと並ぶ光景を目にしたことも話してくれた。
「それが戦争体験だね」
勇さんは振り返る。
父親は、勇さんが生まれてすぐに亡くなっていた。母親に育てられ、学校を出てからは中国地方の某県で会社員となる。結婚もして、端から見れば安定した生活を送っていた勇さんだったが、ずっと嫁姑問題に悩んでいた。そのことについては言葉を濁しながら語ってくれたものの、嫁姑の確執は相当なものだったようで、妻は姑の葬式にも出ていない。そうして40歳の時、勇さんは家を出る。同時に、課長補佐となる話もあった県庁も退職。いわゆる「失踪」なのだろう。それほどに、家庭内のゴタゴタは勇さんを追いつめていたようだ。
「その後、転々としてね」
まず向かったのは、中国地方からはほど遠い北海道だった。1970年。炭坑の事務員の募集があったので炭坑の街・赤平に行ったのだが、事務の仕事ではなく、突然炭坑に下ろされた。
「炭坑夫になるつもりはなかったんだけど下ろされて、『ああ、これはダメだ』と。そこから、いよいよ人生がおかしくなってね」
それからは、日本中の飯場(工事などの現場にある宿泊所)を転々としながら働く暮らしが始まった。東京、神奈川をはじめとして、東北電力や山形電力、福島の原発関連の仕事をしたこともある。日本各地の高速道路や港、ダムの建設にも携わり、「行ってないところは鹿児島だけ」とのこと。70年代からの日本のインフラ整備を支えてきた一人である。
バブル時代には、朝7時から夜8時までダム建設の仕事をし、手取りは40〜45万円にもなったという。が、バブルが崩壊してからは、仕事がなくなっていく。同じ飯場にいる人の中には、飯場での食事代(雨天で仕事がない日でも引かれる)や酒代の前借りなどで、飯場への借金が100万円ほどに膨らんでいる人もいた。が、「酒も煙草もやらない」勇さんは真面目に働くため、得意先から「マコちゃんで」と指名が入るほど。更に技術を持っていたので「引っ張りだこ」だったという。
そんな生活が、73歳まで続いた。本当の年を言うと働けないので年齢は60代とごまかしていたという。
「僕は天涯孤独で行くところがないから、孤独死する覚悟で飯場で働きよったんです」
しかし、ある現場が終わり、次の仕事が決まった時、健康診断でひっかかってしまう。
「今にも倒れそうな高血圧」ということが判明したのだ。
これでは仕事を任せられないと、勇さんは飯場から出されてしまう。そうして辿り着いたのは、阪神電車のある駅。そこで初めて、2週間ほどのホームレス生活を体験する。ずっと駅にいると追い出されるので、毎晩移動を余儀なくされる日々だった。しかし、そんな辛い日々を振り返る時にも、勇さんは当時の「よかったこと」を思い出して話してくれた。
「親切な人は、朝、むすび持ってきてくれてね」
貧しい高齢者への仕打ち
そんな路上での生活が終わったのは、現在、裁判も含め勇さんを支援している<尼崎生活と健康を守る会>との出会いだ。高血圧で治療が必要だけれど、健康保険もない。お金も住む場所もない。勇さんはまず入院して治療を受けることになる。そうして退院の際、住む場所がないということで、会と関係のある集合住宅に入り、生活保護を受給。ほどなくしてアパートで一人暮らしを始めた。
現在、勇さんは高血圧だけでなく、心臓動脈瘤も抱えている。医者からは、突然死に至る危険性が高いと言われているそうだ。が、手術は身体への負担が大きく、脳梗塞を併発するおそれがあるということで現在は投薬治療を続けている。
勇さんが生活保護を受けたのは03年。当時はまだ1万7930円の老齢加算があった。
しかし、それが04年から9000円ほど削減され、次は6000円ほど、その次は3000円ほどと、3段階かけて削減されて廃止されてしまった。
この状況を受けて、全国から「裁判をしよう」という話が持ち上がる。そうして07年5月、勇さんも老齢加算の廃止はおかしいと「生存権裁判」の原告の一人となった。尼崎からは、勇さんを含め、4名が原告になったという。裁判を支えるのは、「尼崎生活と健康を守る会」だ。
会の事務局長であり、生活相談員の早川進さんは言う。
「老齢加算が下がった時、やっぱり悲鳴が聞こえたんですよね。でも、生活保護って叩かれ続けてきたので、誰も反論できない。下がっても、贅沢やから下がったって言われて、みんなずーっと頭を下げ続けないといけない。それを見てて、とにかく頭を上げてほしい、胸張って生きてほしいって」
ちなみにやはり小泉政権下では、生活保護を受ける母子世帯への母子加算も廃止されたのだが、こちらは民主党政権になってすぐの09年に復活。
「なんで母子加算は復活したのに、老齢加算は廃止のままなんでしょうね?」
素朴な疑問を口にすると、早川さんは一言「数が多いからでしょう」と即答した。その通りで、現在、生活保護を受けている世帯の半数以上が高齢者世帯。一方、母子世帯は約7%だ。この国の政治が語られる時、「投票率の高い高齢者に優しい」という言葉をよく耳にするが、「貧しい高齢者」にはこの仕打ちなのである。
「健康で文化的な最低限度の生活」の値段
さて、こうして「生存権裁判」が始まったわけだが、声を上げたのは勇さんたちだけではない。東京、京都、福岡、広島、新潟、秋田、青森、熊本でも裁判が始まった。全国9都府県で100人以上が原告となり、生存権裁判を闘ってきたのだ。が、結果はというと、東京、京都、福岡は最高裁で敗訴を言い渡され、広島、新潟、秋田、青森、熊本では上告棄却・上告不受理という決定。唯一福岡高裁では「老齢加算は正当な理由がなく廃止されたから生活保護法に違反する」として原告勝訴の判決が出たが、最高裁では敗訴となった。
そんな生存権裁判で、唯一続いているのが勇さんが原告となっている兵庫の生存権裁判。神戸地裁で棄却され、大阪高裁でも棄却。現在、最高裁での受理を待っている状態だ。
その間にも、尼崎のメンバーを含めた神戸地裁を闘った原告は、9人から8人に減った。1人が亡くなったからだ。また、残った8人のうち1人は病院に入院中、もう1人は特別養護老人ホームに入居した。文字通り、「命がけ」で闘われている生存権裁判。そして「残りひとつ」となったこの裁判は、最後の砦のようなものでもある。
勇さん、早川さんが問いたいのは、老齢加算は何を根拠として廃止されたのかということだ。早川さんは言う。
「健康で文化的な最低限度の生活の値段って、どうやって決まってるのっていうのが私の中でずっとあって。積算根拠を知りたいんですよね。1日の食費をいくらで見て光熱費をいくらで見ているのか。今、エアコンが当たり前の時代ですけど、エアコンがつけられないお年寄りがたくさんいて、熱中症で亡くなる人もいる。でも、(生活保護を受けている高齢者に)エアコンつけようって言っても、4人に1人くらいは『いらない』って言うんですよね。『なんで?』って聞くと、『電気代がかかるから』」
先に書いたように、勇さんの部屋にはエアコンがあるもののほとんど使っていない。
取材に同席してくれた69歳の男性(生活保護受給中)は言った。
「だいたい普段は電気代、2000〜2500円くらいです。クーラーをつけた途端に8500円くらいになる」
ちなみにこの男性の保護費は7万9000円ほど。それが70歳の誕生日が来た途端に3600円引き下げられるのだという。
「これで電話代が払えんようになったって人もいました」
生活保護費は、このように年齢によって変動する。が、70歳といえば、十数年前であれば老齢加算が支給されていた年齢だ。
エアコンを極力つけずに節約しても生活は楽ではない。勇さんはいつも、スーパーが安売りになる時間帯を狙って行くという。
「僕のところの近くにスーパーがあるんやけどね、ちょっと高いから、少し遠くのスーパーに行くようになったの。そこに16時半に行くとね、値下げしたのを貼ってくれるんだ」
食費はそうして節約できるが、削れない出費もある。
勇さんが今楽しみにしているのは、週に2回のデイサービス。友人もできて、行く日を心待ちにしているという。しかし、そこに立ちはだかるのがやはり、お金の壁だ。
「デイサービスに行くと、昼食代が400円かかるんです。それと風呂に入って、1日700円かかる。月に9回くらい行くから、6300円払わないかん。デイサービスは行って楽しいけど、もうやりくりやりくりでね」
普段、よほどのことがないと1回の食事に400円などかけられないという。
というか、こういったデイサービスにかかる費用こそ、老齢加算でまかなうべきものではないのか。
また、早川さんの知人の高齢者(生活保護受給中)の中には、公民館でやっている絵手紙教室に通いたいものの、材料費や講師謝礼などで週に2000円ほどかかることから、諦めている人もいるという。「健康で文化的な最低限度の生活」。憲法25条の言葉が、なんだか空しく思えてしまう。
さて、そんな生活保護での生活だが、勇さんの家賃を除いた額は約7万円。ここから電気・ガス・水道・通信費などが1万5000円かかるとしたら、残りは5万5000円。1日に使えるお金は2000円未満だが、ここから食費だけでなく洗剤など様々な生活用品や交通費、衣服代などもかかってくる。あなたは果たして、やっていく自信があるだろうか。
「いや、自分はもっと少ない収入でカツカツで暮らしてるから生活保護とか老齢加算復活とか甘えてる」とおっしゃる方、どうか今すぐ福祉事務所の窓口に行ってほしい。その生活は「国が定めた最低生活費以下」の暮らしなので、収入があったとしても、「最低生活費に足りない分」が保護費として支給される。
墓参りに帰りたい
さて、勇さんは最近、「老齢加算があったら」とつくづく思うことがあったという。
それは生存権裁判の原告として集会で発言するため、東京に行った時のこと。心臓動脈瘤と高血圧を抱える身。医者からは心配する声もあったが、「どうしても行きたい」と勇さんはカンパなどで交通費をまかなって東京に行き、舞台でスピーチしてきた。
茨城に住む姉の長男から電話があったのは、尼崎に戻ってからのことだった。東京に日帰りで行ったことを伝えると、姉の長男は「それは残酷だな。一晩でも東京に泊まってて、こっちに連絡あったら会えたのに」と言ったのだ。交通費は出ても宿泊費のことは考えていなかったため、日帰りする以外なかった。姉は98歳で入院中。勇さんはしみじみと言う。
「老齢加算があったら、その金で姉に会えるっちゅうことね。あの時、つくづく感じた」
86歳の弟が、金銭的な理由から98歳の姉に会えない。もしかしたら、最後のチャンスだったかもしれないのに。私も含め、多くの人が当たり前にしている兄弟との付き合いや親戚付き合いは、最低限のお金があってこそ叶うものなのだということに、改めて衝撃を受けた。
「老齢加算が復活したら、他にやりたいことはありますか」
そう問うと、勇さんは「まず墓参りに帰りたいね」と即答した。
最後に墓参りに行ったのは、もう10年以上前。生活保護を受けたことによって数十年ぶりに姉に勇さんの居場所がわかり、一緒に墓参りに行ったのだという。その時は姉がお金を出してくれた上、まだ老齢加算が支給されていたので今よりは余裕があった。
「今は行けないね。新幹線で1万5000円から2万円くらいかかるかわからんけど」
お見舞い、墓参り、葬式──。まさに高齢ならではの社会的費用だが、老齢加算の問題に取り組む中で、支援者である早川さんは「ある制度」を発見する。
「(生活保護を受けている人が)お葬式に出るための交通費、『出ない』って言われて、ずっと出ないもんだと思ってたんですけど、三親等の葬式に行く交通費1人分は出しますよってことになってたんです。『父親が亡くなったのに、行く金がなかった』って言ったら、『いや出ますよ』って話になって。保護手帳を見たら、たしかに出すって書いてあった」
しかし、あくまでも1人分の交通費のみで三親等以内。香典などはもちろん自腹だ。ちなみにお葬式は突然来るので、その日は役所が休みということもある。そのような場合は、「行った先からでもいいから」電話すればいいという。また、葬式に行ったことを証明するもの、例えば「お膳で出た箸袋」や「香典返し」などを持って帰ってくればいいという。
お葬式の交通費が出ることに関しては、この日、私も初めて知った。早川さんは言う。
「一番の問題は、ケースワーカーの方が情報については絶対優位なんですよ。なのに、絶対向こうからは言わん。最近は、ケースワーカーの中にも情報を知らん人がぎょうさんおる」
生活保護制度に限らず、この国の役所は「ある制度・使える制度」を率先して教えてはくれない。自分で調べぬいて「こういう制度があるはずだからそれを使いたい」と言ってはじめて対処してくれるというケースのなんと多いことか。
ちなみに、交通費への配慮があるのはお葬式だけで、お見舞いや墓参りは含まれない。これでは、親族が「危篤」という連絡があっても、駆けつけることは難しい。
「生存権」の意味
さて、現在は顔を出し、名前を出し、積極的に自らが前へ出て老齢加算問題について訴えている勇さんだが、3年前までは野外の会場や街頭でスピーチしたことはなかったという。それがなぜ、堂々と顔も名前も出して前面に出るようになったのか。
勇さんは淡々と言った。
「あれは3年前か。尼崎の駅で初めて喋ったのは。やっぱりね、みんなが本気になって、自分ももう先が短い。病院での診断の結果もあって、これはやらないけんなっていう気になった」
83歳にしての街頭演説デビュー。80代でも、人間は周りの熱意に押され、勇気を出して新しいことを始められるという事実に、なんだか胸が熱くなってくる。
さて、この裁判は憲法25条の理念に反するとして提訴されたわけだが、勇さんにとって、25条の生存権はどんな意味を持っているのだろうか。
「いや難しい問題だな」と勇さんは笑うと、訥々と続けた。
「まぁ、そうだな。人間らしく生きる権利、って憲法に書いてある。なのに、国がその生きる権利を奪っていきよるんだからな。生活保護は他の制度と絡んでいて、年金、賃金、保険、いろいろなものに連動しよるのね。なんとかして老齢加算を復活しなければ、国民が人間らしく生きる権利を奪われて、社会保障が壊滅させられるんじゃないかって。今、憲法を改正しようとかいろいろ言われてるのに対して、非常な懸念を持ってる」
社会保障費削減と防衛費
勇さんの指摘した通り、生活保護の基準は、様々な制度と密接に絡んでいる。12年末、第二次安倍政権が発足し、すぐに生活保護基準の引き下げが決められた。13年から3段階に分けて引き下げが始まったのだが、このことによって少なくとも38もの制度が影響を受けたと言われている。例えば、経済的な理由から給食費や学用品費、修学旅行費が負担できない家庭に支給される就学援助。今や小中学生の6人に1人が受けている。この制度は生活保護を基準としているため、生活保護基準が下がったことによって、収入は変わっていないのに就学援助を受けられなくなる世帯が生み出された。また、住民税が非課税になる額の設定とも連動しているため、収入は変わらないのに非課税世帯から課税される世帯も続出。そうなると、医療、介護、福祉などの分野で、負担減免になっていた世帯に自己負担が発生したりと様々な制度に影響が出たのである。
「自分は生活保護など受けていないから関係ない」と多くの人が思っていたわけだが、実は生活保護を受けていない低所得世帯にも、引き下げは大きな影響をもたらしたのだ。
それにしても、勇さん、よく勉強していて、最新のこともよく知っている。感心していると、早川さんは言った。
「勇さんは原告になってから、すごく勉強してるから。勇さんに限らず、原告になると、皆さん本当にすごく勉強されるんです。勇さんは80になってもこれだけ勉強している」
そんな勇さんに、現在、社会保障費の削減が続いていることに関して聞いてみた。ちなみに15年度の社会保障費削減額は3900億円。が、これだけ削減する一方で、3600億円かけてオスプレイを購入するそうだ。
「まぁ結局社会保障費を削減するということは、他の何かにいくわけやな。早く言えば防衛費とか、そういうのに回す。そやから、社会保障費を削るいうことは、誰かが惨めな思いせにゃあかん。それを結局弱者に持っていきよるわ。金持ちから税金でも取ればいいのに、弱者から全部その制度を引き下げていく。賃金は上げない。年金は下がる。介護の給付も落ちるとかね。そういう制度は直していかにゃいけん。今度は最高裁の闘いやね」
淡々と語る勇さんだが、声には静かな決意が滲んでいた。
人の命を財源論で語るな
現在、勇さんたちが闘う生存権裁判は、「朝日訴訟」を引き継ぐものとして語られることが多い。
人間裁判とも呼ばれた朝日訴訟は、1950年代、重度の結核患者だった朝日茂氏が、当時の生活保護の水準が憲法25条の定める「健康で文化的な生活」を送るに不十分な水準、憲法違反だとして提訴したものだ。一審で勝訴、二審で敗訴、最高裁は本人死亡のため終結となったものの、「朝日訴訟」を支援する輪は大きく広がり、日本の社会保障運動の原点とも言われている。また、高裁では負けたものの、一審判決の翌年には生活保護基準が16%、日用品費が47%も引き上げられるなど、確実に制度を改善・前進させた(詳しくは、あけび書房の『朝日訴訟から生存権裁判へ いま、改めて「朝日訴訟=人間裁判」から学ぶ』にて)。
そんな朝日訴訟が終結した64年から50年以上。今、同じ理由で生存権裁判が闘われている。朝日訴訟の時は結核患者という病人。今回は高齢者。いつの時代も皺寄せを受けるのは、強いとは言えない立場の人だ。
勇さんの住む兵庫では、70年代、やはり生存権を巡る「堀木訴訟」という闘いもあったそうだ。全盲の視力障害者だった女性が、障害年金と子どもの児童扶養手当を並行して支給することを求めて闘った裁判。最高裁で棄却されたものの、生存権を巡る裁判は大きな注目を集めた。
早川さんは言う。
「弁護団の人たちは言うんです。『朝日訴訟は1人だった。堀木訴訟も1人だった。次に続いたのが勇さんたち9人だ』『人権裁判の道筋は朝日さんが開いて、それを堀木さんが神戸で開いて、茨の道を一人で切り開くのを弁護士たちがみんなで助けてきた。勇さんたちは9人でその道を広げてくれたんだ』と。そのあとに、年金者組合が年金訴訟を始めた。勇さんたちが開けた道を、今度は多くの年金生活者の人たちが切り開いて裁判をしてる」
早川さんの言う通り、15年、年金引き下げを違憲として、13都府県で1500人以上が原告となり、各地裁に提訴が行われた。
そして現在、生活保護を巡る新しい裁判が全国で起きている。先に書いたように、安倍政権になってから生活保護基準が引き下げられたことを違憲とする裁判だ。また、基準だけでなく、15年からは家賃の基準引き下げ、寒冷地で灯油代などのため支給されてきた冬期加算の引き下げが始まった。現在、27の都道府県で900人以上が原告となり、裁判が行われている。
早川さんは言う。
「やっぱり構造改革推進の流れの中、お金を調整しながら福祉をやるっていう考え方の中で、しょっぱなに廃止されたのが老齢加算ですから。国際条約である社会権規約では、福祉は理由もなく後退させてはいけないとある。この裁判できちっと正せれば、あとの基準引き下げや年金引き下げの裁判が、すごく有利になってくると思うんですよね」
朝日訴訟の一審判決の要旨には、次のようなものがある。
「最低生活水準を決めるときは予算の有無によって決めてはいけない。むしろ、予算を指導・支配するべきである」
この考えは、今の時代にこそ復権されるべきものではないのか。
「人の命を財源で語るな」
この10年、貧困問題のデモなどで必ずと言っていいほど掲げられてきた言葉だ。しかし、国の答えはいつも「財源がない」。そうして人の命よりも財源論が優先される社会で、「命」はいつの間にか軽くなっていった。財源によって、人権は値切られ続けてきた。
2016年7月、相模原の障害者施設で19名が殺害されるという痛ましい事件が起きたわけだが、容疑者の歪んだ差別意識は、そんな社会の空気と決して無関係ではない気がするのだ。障害者や「生産性のない者」をお荷物扱いするような風潮。
そんな意識から解放されないと、いつかその「お荷物感」は自分に向かって牙を剥く。少なくとも私は、働けなくなった途端に死ななきゃいけない社会は嫌だ。「役に立たない」自分を責め続けなくてはいけない地獄のような毎日なんて送りたくない。最低限の保障がない社会は、生きるために手段を選ばない社会だ。それは治安の問題などに跳ね返ってくるだろう。
取材の間、早川さんが勇さんに何度も言った言葉がある。
「勇さんの世代は、一番日本を支えてきた世代なんですよ」
勇さんはそのたびに、ちょっと照れた様子で、だけど嬉しそうに微笑んだ。
「戦時中の学徒動員で支える。戦後は、会社組織の一員として頑張った。オリンピックや万博があって好景気になって、バブルが来た。で、40万の時代が来た(笑)。その後バブルが崩壊して、どんどん土建屋の仕事がなくなってくる。だから一番支えて、翻弄された時代の人たちだろうなと思うんです」
勇さんの人生は、戦後史とそのまま重なる。
老齢加算を巡る最高裁の法廷がいつ開かれるかは、まだ未定だ。が、生活保護引き下げを巡る裁判や年金引き下げ違憲訴訟は、今まさに全国の裁判所で続いている。興味のある方は、ぜひ、傍聴してみてほしい。
最後に、朝日訴訟の朝日茂氏の言葉で締めたい。
「権利は闘う者の手にある」
なんか、シビれる。
◆ Profile
雨宮処凛(あまみや・かりん)
1975年、北海道生まれ。愛国パンクバンドボーカルなどを経て、2000年、自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版)を出版し、デビュー。以来、若者の「生きづらさ」についての著作を発表する一方、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。 06年からは新自由主義のもと、不安定さを強いられる人々「プレカリアート」問題や貧困問題に積極的に取り組み、取材、執筆、運動中。反貧困ネットワーク世話人、09年〜11年まで厚生労働省ナショナルミニマム研究会委員を務めた。著作に、JCJ賞(日本ジャーナリスト会議賞)を受賞した『生きさせろ!難民化する若者たち』(ちくま文庫)、『ロスジェネはこう生きてきた』(平凡社)、『14歳からわかる生活保護』『14歳からの戦争のリアル』(河出書房新社)、『排除の空気に唾を吐け』(講談社現代新書)、『命が踏みにじられる国で、声を上げ続けるということ』(創出版)ほか多数。共著に『「生きづらさ」について 貧困、アイデンティティ、ナショナリ
ズム』(萱野稔人/光文社新書)など。
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