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語られないディズニー(3) (akazukinのブログ)
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投稿者 こーるてん 日時 2017 年 2 月 26 日 12:00:51: hndh7vd2.ZV/2 grGBW4LpgsSC8Q
 

(回答先: (akazukinのブログ) 投稿者 こーるてん 日時 2017 年 2 月 26 日 11:52:55)

http://ameblo.jp/ootadoragonsato/entry-10619222906.html


語られないディズニー(3)

2010-08-14 12:09:45
テーマ:ディズニーとハリウッド娯楽産業

今だかつて類を見ない詐欺の一つ ディズニー (3)

無意識に忍び込むディズニーの洗脳


参考サイト(原文)
http://www.theforbiddenknowledge.com/hardtruth/the_disney_bloodlinept1.htm

*注 原文の中の著者とは「フリッツ スプリングマイヤー」

MICKEY MOUSE ミッキーマウス

1つの情報筋によると、ミッキーマウスのアイデアがどこから来たのかはかなり多くの説があるが、
ウォルトが失業していた時に溝にいたネズミを見たことが、彼にミッキーマウスを作るインスピレーションを与えたらしい。

Ub Iwerksは、彼がハリウッドでのアニメーターのミーティングでミッキーを考え出したと主張した。
(biographical article written by Elting E. Morison, p. 131)の中でウォルトは、
「私の中にいっぱいネズミがいる」言った。実際、Ub Iwerksはウォルトに対しミッキーマウスが
「本当にあなたと同じ鼻で、同じ顔、同じほおひげ、同じジェスチャー、表現などがそっくりだ」
と言った。「彼が現在必要とするのはあなたの声だけだ。」

1988年にウォルトディズニー社で出版された本は、ウォルト ディズニーが、「全く率直に言って、私は人々より動物を好む」とWard Kimballに言ったのを明らかにしている。 通常、ウォルトはミッキーマウスの声としてしばしば登場していた。(彼は芸術家ではなかったが。)

彼の母親は ウォルトの仕事に寒気を感じていた。
1940年頃、幾度もの懇願の後に、彼は母親にミッキーマウスを見させた。
彼の支援的でない母親は(血の繋がりのない)彼にミッキーマウスの声が好きでないと言った。
それについて、ウォルトはそれは自分の声だと言うと、彼女は「ひどい声だ」と返事をした。

彼女がミッキーマウスに投げた「冷たいタオル」は、ウォルトにミッキーマウスの漫画を作るのを止めさせるようにさせたので、
その後に出たものはあまり多くない。ディズニーから出たフルレングスのミッキーマウスの漫画はファンタジアで、ミッキーはほとんど音声なしになった。
The Sorcerer’s Apprentice のアイデアのいくつかはウォルト自身のものだった。

The Sorcerer’s Apprentice の中でミッキーマウスに「地球とその他の要素の完全なコントロール」をさせる事は彼の夢だった。
ディズニーランドとディズニーワールドはコントロールという夢のための、部分的な実現だった。

ウォルトの死ぬ直前の最後のプロジェクトは、几帳面に復元された魔法のフィルムのバージョンで、,,Bedknobs and Broomsticks." ベッドかざりとほうきだった。
(Disney Magazine, Winter 96-97, pub. by Disney, p. 96 mentions this.)

これはプログラミングの装置だった。潜在意識で女性がもつネズミへの遺伝学的に伝えられた恐怖をコントロールするのにミッキーマウスはよく作用した。
ミッキーマウスが持つイメージは愛憎の関係を作り上げることを助け、それはマインドコントロールされた奴隷の「トラウマとプログラミング」ために非常に価値があった。

ある筋によればウォルトの動物への愛はミゾーリのMarcelineの側に家族が農場を持っていた事によるという。
彼はMarcelineで学校に行き始めたが、
8歳の時から、カンザスのベントンスクールに行った。
彼の父は重度のギャンブル癖があり、それはウォルトにも伝わった。ウォルトは高校を卒業しなかったが、アートへの自然な愛と能力があった。しかしそれは(公共のイメージとは裏腹に)彼を芸術に堪能には決してさせなかったが。

第一次世界大戦の時、年齢を偽って救急車の運転手として軍に参加した。戦争の間、高官のお抱え運転手にもなった。
またその間彼は非常に意義深いある事をした。
彼は軍にいる間、ギャンブルと酒を楽しんだ。
戦場で拾われたドイツ兵の私物を人々に売るという詐欺もした。
戦争遺物は、それらから得られる可能な限りの金を得るためにいじり回された。

ウォルトが得た勝利品、ーー例えば、ヘルメットの内部をグリース、髪、および血液でコーティングして、穴を開けたりして、それらを飾り立て、高価な記念品にそれらを見せかけたりした。
これはウォルトがお金が支払われるためなら、進んで幻想を作り上げても良いと思っていたことの現れだ。
彼はもし彼が利益と思うなら、人を欺く事も出来たという事だ。

子供の時から彼は人生の闇の部分を見ていた。(例えば、彼の父は地下室で彼を殴る習慣があったなど)
そして、魔術に興味を持っていた。
ボブ トーマスは、「ウォルトは、彼の両親をだますという少年的な喜びを持っていた。」、
「彼は手品に心を奪われた」と書いている。ーー(Walt Disney, An American Original, p. 35.)

軍隊の後、ウォルトはアーティストとしてのキャリアを持つ事を望み、Pesman-Rubinの広告代理店に応募した。この代理店の銀行口座の仕事をしていた、ウォルトの兄弟のRoy,ロイは、彼のおかげでPesman-Rubinはウォルトを雇ったと主張している。
広告代理店が彼の能力不足のため彼を解雇するのに1ヶ月かかった。

Current Biography 1952によると、1923年、ウォルトとロイは合わせて290ドル持っていた。ロバート ディズニーという彼らのおじのひとりから500ドルを借りて、漫画を作ろうとし始めた。
カリフォルニアのEdendaleという地域で成功していた採掘のキャリアを退職したロバートはウォルトの父親エリアスの近くにいつもいて、ウォルトとロイを助けた。
ウォルトはチャーリーチャップリン(Collins一族の一人)を勉強するのに熱中した。

*コリンズ家については「イルミナティ悪魔の13血流」フリッツ スプリングマイヤー著、太田龍監訳 参照

彼はチャップリンのボディランゲージ、顔の表情、ギャグの方法など走り書きした。
また彼はアニメーションや漫画に関して読めるものは全て読んだ。
仕事場は彼等のハリウッドの叔父の家の車庫であった。
1928年、彼等はついにSteamboat Willie、スチームボートウィリーという良い漫画を作る事が出来た。それはすぐにヒットした。

多くの出来事が人生にあるように、漫画だけが良かったのではなく、結局ウォルトに正しいコネクションがあったということだ。

1928年の11月18日、「スチームボートウィリー」は全くの宣伝や広告なしで、小さな町の個人経営の劇場で上映された。

しかし驚いた事に!、New York TimesやVarietyそして Exhibitor’s Heraldなどが翌日のマンガレビューで書き立てた。これは偶然だろうか?
これらの名門の定期刊行物のジャーナリスト達が、ただたまたまこの小さい独立している劇場にいたのだろうか?否、それはコネクションだった。

ディズニーがハリウッドの最新の"boy wonder"として、スチームボートウィリーを出した後、エリートたちがウォルトディズニーを昇進させると決断した理由は、株式市場の崩壊で、ユダヤ人の金融家に対して発生した莫大な批判から向きをそらすことだった。

ハリウッドが発生した最初の20年間でさえ、ハリウッドはすでに「バビロン」とか「Sin City 罪深い都市」として知られていた。
映画産業はユダヤ人によって経営されているという事はとても広く知られている事だった。
そして、多くの人々が株式市場の崩壊をハリウッドがこの国に注入した道徳の退廃のせいにした。

政府に対してハリウッドの淫らな映画を止めさせるようにと抗議の声が上がっていた。

ロサンゼルスのユダヤ人文化促進協会の一部であった主要な映画制作会社の精神的指導者、エドガーマグニン(Edgar Magnin)はクリスチャンの「家族重視の価値観をもっている白馬の騎士」として
ウォルト・ディズニーを導入し注目させることによって、
我が身をかばう必要があったMishpuckaと他のユダヤ人文化促進協会映画制作会社を勇気づけた。

(ところで、エドガーマグニンは「星(スター)のラビ」とあだ名されていた。なぜなら「ハリウッドラビ」であったからだ。)

エドガー マグニンの祖父の百貨店チェーンはイタリア銀行の最初の主要なアカウントの1つだった、そして、エドガーマグニンは彼の家族とイタリア銀行との近い関係を保った。

この親密さはイタリア銀行とユダヤ人文化促進協会とADLの親密な関わりから来る。

1930年に、映画産業は、映画を子供にとって適切にするための特別な努力をしなければならないと述べた生産コードを作った。

ハリウッドは映画産業がしたがっていたことに関する模範的モデルとして掛け値なしにディズニーを称賛した。

ユダヤ人文化促進協会とADLの後ろ盾で、ウォルトは名声に向けて出帆し始めた。

多くのセックスと暴力で汚れていたすべての映画撮影所は、ウォルトの清潔で健全な漫画を見せるために便乗した。
ウォルトはアメリカ人が大恐慌のためにアメリカの品行について考えた後に、ハリウッドが必要としたフェイスリフトだった。

通常の 多くの映画制作会社は道徳的な問題からかけ離れ、非常に腐敗していたのが、ウォルト・ディズニーは白も黒も知っていた。

ユダヤの映画会社はキリスト教原理主義者として宣伝されていたウォルトを(ほとんど教会に足を踏み入れなかったフリーメーソンの”キリスト教徒”にもかかわらず)彼等の最高の希望として前面に押し出した。
(Walt Disney Hollywood’s Prince of Darkness, p. 50.)

奇妙な事に、伝記ではウォルトは1927年に、実際に図面を描くのをやめて、金の工面や漫画ビジネスの発展の方向へ完全に専念したと示している。

ディズニーの漫画を作ったアーティストであるというウォルトディズニーの公共のイメージは間違っている。ディズニー兄弟は実際は多くのアーティストを雇い、彼等に仕事をさせた。

もしウォルトが1927年に漫画を描く事を止めたのなら、彼等の市場で売れた最初の漫画は1928年なので、彼が実際に描いたのでない事は明白だ。
彼自身の直感的な趣味に合うように仕事が行われているかどうかを、常に厳格に点検し、
監督し続けた。

実際にウォルトディズニーを成功させた天才漫画芸術家(アニメーター)は、ウォルトに何回も「世界一のアニメーターだ」と言わせた、Ub Iwerksだった。

Ub Iwerksがウォルトのアイデアを現実にさせる事なしでは、ウォルトは決して有名になる事はなかっただろう。


Ubは、線の感覚、ユーモアのセンス、忍耐、組織、およびウォルトが欲しかったものを察するすばらしい感覚を持っていた信じられない天才だった。

ウォルトは、彼を時には残酷に扱ったり、彼を遮ったり、だましたりした。そして彼への報酬は完全に正直であったとは言えなかった。

それでもUbは数年間ウォルトのもとに滞在し、そしてウォルトを成功に導いた。
(The books Disney’s World and Disney Animation: The Illusion of Life have information on the unheralded genius Ub Iwerks.)

他の知られていない偉大なアーティストはフロイド Floyd Gottfredsonだ。
Floyd Gottfredsonは1932年から1975年の10月まで全てのミッキーマウスを描いた。
(ーーそれは45年半だ)
Floyd Gottfredsonはモルモン教徒として1905年に駅で産まれ、ソルトレイクシティーから180マイルの小さなモルモン教徒の町、Siggurdで育った。
1931年、フロイドが完全にミッキーマウスの描写をすることになるまで、彼はウォルトに何を描くべきか伺っていた。

例えば、ウォルトがミッキーマウスが自殺する漫画シリーズを作ると主張した事はフロイドを当惑させた。
彼は「冗談でしょう!」とウォルトに言った。
しかし、ウォルトはその自殺のシリーズはおもしろいと思っていた。

何年もの間、ウォルトディズニー製品はフロイドの名前について決して言及しなかった。多くのファンがウォルト自身がミッキーマウスの漫画を描いていると信じているように導かれていた。
(Walt Disney’s Mickey Mouse in Color. Ed. Bruce Hamilton, pub. The Walt Disney Co., 1988.)

Fred Moore はプルートと他のキャラクター製作に関わった。
プルートのアイデアはウォルトのものだったが、
アイデアを実際の画像へと描いたのはNorm Fergusonの才能だった。

ウォルトは彼のスタジオの仕事により、個人的に32のアカデミー賞を与えられた。

ウォルトディズニーの有名なサインは実際には他の誰かがデザインしたもので、ウォルトへ教えられたものだ。
(Schickel, Richard. The Disney Version: The Life, Time, Art and Commerce of Walt Disney. NY, 1968, p. 34.)

ウォルトは粗雑なディズニーのサインしか書けなかったので、
Bob Moore,を含む他の幾人かのアーティストをディズニーの宣伝アーティストとして派遣した。
その後、ウォルトの度重なるサインの練習により、やっと宣伝でも使えるようになった。
多くの人が彼に手紙で署名を頼んだが、実際にウォルトがしたものを受け取った人は、彼のスタッフがした偽物を受け取ったと思った。なぜならウォルトのサインが酷かったからである。
見栄えの良いものの方が偽物だったのである。

1940年にディズニーに加わったアーティストは、彼の最初の日にウォルトが彼に言ったことを思い出す。

「あなたはここでは新しい、私はあなたにただ一つの事を理解してもらいたい。ここで何を売っているのかというと、ウォルトディズニーという名前だ。もしこのことを納得できて、いつも覚えていられるのなら、あなたは幸せだ。しかし、もしあなたが"Ken Anderson"というあなたの名前をどこかで見たいという考えが起こったら、ここから直ちに立ち去る事をお薦めする。」


OCCULT PORN KING オカルトポルノの王

ウォルトは虐待的な家庭環境でオカルトに魅惑されて育った。
彼は漫画、自然、子供たちにも心を奪われた。
彼は子供たちにアピールする上質な漫画についての直感的センス持っていた。

ある時、シンジケートがウォルトに負債を負わせた。
ある時点では彼は彼等のものだった。
彼は彼等に借りがあり、それで彼等は彼を捕らえていた。
秘密には、ウォルトはポルノ王になっていた。
犠牲者は、彼がサディスト的であり、スナッフポルノ映画 (snuff porn films)
を楽しんでいたと言っている。
彼の子供への関心は愛他的とはほど遠かった。

13番目のイルミナティの血統のハプスブルグはウィーンにセックスのサロン(客間)を持っていた。そこでは、フェリックス ザルテンFelix Saltenというポルノ写真家が働いていた。

フェリックス ザルテンはバンビの本を書いた。
(次に、バンビは、悪名高い共産主義ホイッテイカーチェンバースによって英語に翻訳された)
エリートたちは今日の環境保護運動の元、ルーツを作り始めていた。
この本はディズニーの好みにあった。なぜならディズニーは動物が人間より好きだったからだ。
本の中では、飼いならされた動物は、人間を神とみなし、自由な野生の動物は人間をただ「彼」と呼び、悪魔とみなす。

本は飼いならされた動物と野生の動物が、「人間が彼等に対し同じくらい確かに支配権をふるっている」と認識しているという事から始まる。
最後では、悪質な動物は殺されるのに値し、人間も単純に動物と同じレベルであるという動物たちの考えを示す。

ディズニーは漫画家たちに動物を「人間として」作らせるように命令した。「私は人々に動物を見ているという事を忘れてほしいのだ」

バンビはキリストのように動物たちが「王子」と拝めて、飼葉桶出生を受けるようになっていた。

彼の性的な問題から、ウォルトは、1度に数時間続けて氷の中に彼の性器を凍らせて固めることを自分自身に許可した。(Elliot, Walt Disney Hollywood’s Dark Prince, p. 83.)

子供たちにはウォルトを「ウォルトおじさん」と呼ぶように命令した。
この例はMouseketeersより。

マインドコントロールのプログラマーが、彼らの子供の犠牲者に「叔父」と呼ばれるのが伝統的にどのように好きであったかを知っている人々にとっては、「叔父」として知られていたウォルトの主張は不快だった。

この著者が、ウォルトの隠されたサディスト的なポルノ王としての知られていない非公共生活に関する何人かのソースから学んだことから、彼の人生の他の部分に関する疑問が湧いて来た。

例えば、ケネスアンガーの本、「ハリウッドバビロン」
"Hollywood Babylon II, p. 192" では、「何人かのアニメーターが、ボスのウォルトディズニーが、少年と恋に落ちたように思えたと述べた。それには何らかの真実があるのかもしれない、、」ウォルトと恋に落ちた
少年は1946年にディズニーと契約したボビー・ドリスコル Bobby Driscollという若くて小さな魅力的な少年俳優だった。
彼は「南部の歌、Song of the South」「宝島」で演技した。
ピーターパンの声も彼だった。

ボビー・ドリスコルは、非常に知的で魅力的だった。 ディズニーは、彼を助けたのだろうか?それとも虐待したのだろうか?

もしディズニーがそんなに発展した健全な雰囲気をもっていて、この子役が彼に全てを貢献したなら、なぜボビーは17歳の時にメタンフェタミン中毒者になり、たった数年後に死ななければならなかったのか?
なぜ彼の才能と早期のキャリアは、彼の人生でなにか良い方向に彼を行かせなかったのか?

ウォルトを個人的に知っていた人々は彼が解剖学の尻の部分に取り付かれていた事を学んだ。
彼は彼のスタッフに頻繁に解剖学のこの部分に関する冗談を言って楽しんでいた。
スタッフは漫画のスクリプトから彼の下品な臀部のジョークの多くを削除していた。

エディターたちによって得た二つの例は
小さい男の子がパジャマのボタンが出来ずに、彼のパジャマの尻当てを落とすというクリスマススペシャルで、彼の慎み深さを維持しようとする彼の問題が、漫画の中の連続するギャグになった。
結局は、サンタがchamper potを彼に与える。

2番目の例は、3匹の子豚でオオカミに使用される体罰の機械だ。
多数のディズニー漫画で、挑発的に引きつるキャラクターの臀部を特集している。

参考サイト

http://www.jordanmaxwell.com/articles/questions/questions7.html

$akazukinのブログ
Walt Disney visits with NASA head Werner Von Braun.
ウォルトとNASAのヘッド、ナチの科学者だったWerner Von Braunと。
http://ameblo.jp/ootadoragonsato/image-10619222906-10692796234.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/ヴェルナー・フォン・ブラウン

[翻訳 そら]

 

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