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語られないディズニー(4) (akazukinのブログ)
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投稿者 こーるてん 日時 2017 年 3 月 01 日 17:50:11: hndh7vd2.ZV/2 grGBW4LpgsSC8Q
 

(回答先: 語られないディズニー(3) (akazukinのブログ) 投稿者 こーるてん 日時 2017 年 2 月 26 日 12:00:51)


語られないディズニー(4)

2010-08-27 11:00:00
テーマ:ディズニーとハリウッド娯楽産業

今だかつて類を見ない詐欺の一つ ディズニー (4)


不可解な歴史

参考サイト(原文)
http://www.theforbiddenknowledge.com/hardtruth/the_disney_bloodlinept1.htm

*注 原文の中の著者とは「フリッツ スプリングマイヤー」

AS A WITNESS BEFORE CONGRESS

議会での目撃者として

第二次世界大戦の後、強い共産主義の影響が見られたハリウッドを懸念していた国会議員によって行われた、Un-American hearings の傍聴のときにウォルトディズニーはハリウッドにより、彼等のディフェンスのため証言するように要請された。

ウォルトはハリウッドは共産主義の影響はほとんどないと議会で証言した。
しかし面白い事に、 ウォルトの父親は、社会主義の新世界秩序を支持した合衆国の強力な社会党のリーダーだった。

彼は定期的に社会主義の大統領候補者ユージン・デブスEugene Debsに投票した。
ウォルトが少年の時に最初に描いた絵の1つは、父親が取り寄せていた、社会主義の定期刊行誌"Appeal to Reason" で見つけた社会主義の政治マンガをコピーすることだった。

参考サイト
http://en.wikipedia.org/wiki/Eugene_V._Debs

ウォルトが、1930年代に彼の父親が社会主義の成功に関してどのように感じたかを尋ねたとき、「早い時期から、私が苦労して戦って得た事は、両方の大政党の中に吸収された。今、私はそれに関してかなり良い気分でいるよ」と、彼の父親エリアスは言った。(Thomas, Bob. Walt Disney, An American Original, pg. 147-148)

ウォルトの映画、 Alice’s Egg Plant(1925)は、赤い雌鳥(共産主義者)が労働者のニワトリ達を率いて、農場経営者のジュリアス(シーザー、資本家)に対して対抗するという、純粋な共産主義の教義についての話だった。

1940年のディズニーのストライキ、労働組合化は、共産主義へ傾斜したウォルトを気難しくさせた。
ウォルトはディズニーの労働者たちによる公的なウォルトへの言葉による個人的な攻撃と、彼への屈辱を決して許さなかった。

ウォルトが公共で見せる共産主義への嫌悪にもかかわらず、彼のマジック帝国(ウォルトが王であった彼の城)はNWO(ニューワールドオーダー、新世界秩序)が計画していることとよく似て、社会主義の独裁のように経営されていた。

ディズニーの従業員は皆タイトルを持っていなかった。 それは強力な独裁者であるディズニーがトップに君臨し、それ以下は全て顔のない人類平等主義だったからだ。
また、それは人種的な精鋭主義だった。

ウォルトの生涯で、ディズニーの唯一のアフリカ系アメリカ人の正規従業員は、靴の輝きの黒人男性だけだった。

ウォルトは国家社会主義(ナチ)の社会主義者だったのだろうか?
Arthur Babbittは「ウォルト・ディズニーとGunther Lessing ガンサー・レシグとをナチのミーティングで一回以上見かけた」
「それは他の多くのナチで悩んでいる顕著なハリウッドの人種と共に。」とクレームした。
「ディズニーは、絶えず、ミーティングに行っていた。」
ガンサーレシグGunther Lessing はギャングのWillie Bioffの親友だった。 Bioffはギャングとしてハリウッドに来る以前は売春宿を経営していた。

ーー*Gunther Lessing ガンサー・レシグはディズニーのコーポレイト弁護士だった。

参考サイト
http://www.skewsme.com/nazi.html

1940年6月19日のミッキーマウス漫画の最終的なパネルでは、卍が現れた。
ある人々の疑問は、ディズニーの仕事の中の「秘密の合図」が何を意味しているのか?という事だ。

ディズニーはイルミナティではなかった。
力のあるエリートは独立的に裕福になり始めている個人と交際する事、そして彼等をコントロールする事においては非常に熟練している。

例としては、彼らはロバート・モリス、米国独立戦争の偉大な金融家を滅ぼした。
彼らはウォルト・ディズニーで単にヘーゲルの弁証法を使用した。
彼等の労働組合とギャングはディズニーのスタジオを彼らの主要な目標の1つにした。
ウォルトを共産主義者であると見なしていた組合から、我が身をかばうようにするために、ウォルトはFBIとギャングから助けを得た。

ウォルトは組合から攻撃されやすかった、それは彼が労働者を長時間労働や、低賃金、繰り返し彼らの威厳を傷つけ、労働者をひどく扱ったからである。

ウォルトの多くの労働者たちは、彼等の何年にも及ぶ、創造的できつい仕事についても、どんなクレジットや評価を受け取る事は出来なかった。
それらのきつい仕事は、本質的には盗まれて、ウォルトのイメージの設立に利用された。

(誰かが何らかの不鮮明な例外を見つけるかもしれないので、私は「本質的には」と書きますが、
全面的に、ウォルトのクリエイティブなスタッフが作り出した仕事の全てが、ウォルトのクレジットになったのです。)

ウォルトは「偉大なアニメーター」という公共からの称賛を、自尊心の高揚のために必要としたのだろう。
しかしその人々の賞賛はウォルトがスタッフから盗んだものであるのだが。

なぜなら、彼は芸術家あるいは漫画家になりたかったのだが、失敗したからだ。
賞賛は彼の傷を癒すのを助けた。

あるスタッフは思い出して、こう語る。
「ウォルトは、本当に図法に関する知識もなく、音楽に関する知識もなく、文学に関する知識もなく、何に関する知識でも全く持たなかった、でも彼は偉大なエディターだった。」
多分これは誇張ではないだろう。
なぜならウォルトは高校を落第して、ミズーリ農場で貧困の中で成長したからだ。

ウォルトが初めて映画を監督した公式の試み(そして最後の)は1935年のフィルムThe Golden Touchだった。
フィルムは困惑したものだった。
そのためウォルトは分配するのを打ち切らなければならなかった。
もし、ウォルトがアニメーションの能力がなく、監督出来ないのなら、何が彼の才能だったのだろう?

ウォルトは原動力、言わばディズニーの背後にある精神だった。

彼は彼の労働者から、彼等が与えることができると思っている能力(仕事)以上に要求する事が出来る独裁者だった。
そして、それを得る事が出来た。
中略

彼は、自分が何が欲しいかをよく知っており、他人にそれをやらせることができる猛烈な天才だった。
彼は衣装を着させられた衛生従業員の軍隊に几帳面にディズニーランドを掃除させる原動力だった。

平年の間、ウォルトは、ディズニーランドで80万の植物を取り替えさせて、植物を踏みにじらないように「お客様」(訪問者)に頼むサインを取り付けるのを拒否した。


A possible CHRONOLOGY OF EVENTS surrounding WALT DISNEY'S ILLEGITIMATE BIRTH

ウォルトディズニーの違法な出生にまつわる出来事についての可能な年表。


ディズニーが私生児であったというのは疑いの余地はないが、しかしその事実は不可解な出来事の長いリストをもたらした。

また、それは飢えた男達にウォルトディズニーをゆする格好の材料になった。 これらの「大きい少年」がディズニーを適切に利用するのにゆすりを使用したので、この情報は的を得ている。

以下の年表はこの著者が信じている出来事であり、ほぼ確実に起こった事のようだ。
遺伝子検査なしでは、ウォルトの実の親がだれであったかという疑いを払いのけ、ウォルトディズニーの本当の歴史はどうであったのかを決定するのは難しい。

いくらかの人々は、彼の出生について、本当の事実を調査するのに何年も費やした。
多くのおもしろくてじれったい手がかりが見つけられた。
この作者は、以下の年表が証拠によって示されると信じている。

( 何百ページもの証拠なしでこの著者の年表を提供します、
なぜなら人々がどんな言い訳をしてもウォルトディズニーの出生の秘密は疑いの余地はなく、この著者はこの章の本来の目的から外れたがっていないので。)

これは、ウォルトディズニーは、私生児出生の秘密があったのを示している。それにはジョン.エドガー・フーバーJohn Edgar Hooverが関わり、および彼と彼の上司たちがウォルトディズニーをゆすったのだ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ジョン・エドガー・フーヴァー

$akazukinのブログ
http://ameblo.jp/ootadoragonsato/image-10630039549-10713637512.html

また、彼のギャンブル負債と異常な性欲が、わなにかけられるのを助けたかもしれない。より多くの証拠と事実が欲しい人は、こちらを推薦します。

Almendros, Mojacar, Corner of Enchantment, p. 83; Interview magazine, no. 242, ""Walt Disney Was from Almeria"", and last but not least Eliot, Marc. Walt Disney, Hollywood’s Dark Prince, chapter 11.)

1890年ーーマヨルカ(Mojacar)の魅力的なスペイン人女性、イザベルZamora Ascensloはカリフォルニアへ、続いてフランシスコ会の修道院へと旅に出た。

同じ年、1890年の終わり頃、ウォルトの将来の父親エリアス(自分自身で女好きだと思っている)が、金鉱地で出世の道を求めて家を出た。
ここで他の新来者のイザベルと出会い、カリフォルニアの新来者によくある事で、二人は恋に落ち性的関係を持つ。

1891年ーーエリアスは、財産を作れずシカゴに戻ったが、彼はイザベルを忘れなかった。

1893年ーーイザベルとエリアスの間に男の子ができる。そして、エリアスは家族の評判と結婚が壊れるよりも、赤ん坊を自分たちの子として認めるように彼の妻を説得した。
息子は最初の2人の少年に全く似ていなかった。

1901年ーーイザベルとエリアスには、別の嫡出でない息子ができた。エリアスは、その子を連れて来て、彼が通う教会の牧師にちなんでその嫡出でない息子をウォルターと名付けた。

2人の嫡出でない息子はエリアスのより年取った息子に似ていなかった。兄弟たちは決して多くの関係はなかったが、兄弟としてお互いに執着した。

1903年ーーエリアスが通う教会の牧師が、私生児たちに関して気がついたのでエリアスはスキャンダルが秘密のままになるように、すばやく州から引っ越した。 また、エリアスにはギャンブル負債があった。

1905年ーーミズーリ州のMarcelineに引っ越した後、イザベルは、疑いをかけられる事なく彼等の所へやってくる言い訳として、ディズニーのお手伝いとして雇われた。
彼女は多分二人の男の子の世話し育てた。

1918年ーージョン.エドガー・フーバーは第一次大戦での徴兵忌避者の起訴にかかわった状態で忙しかった。

そして、それは軍人になるために彼の両親の署名を鍛造するという犯罪を犯すウォルトディズニーのケースと机上で交差していた。

ウォルトのようなケースは注意が向けられた。なぜなら、将来ゆすることができる人々はフーバーにとって資産だからだ。
その年、ウォルトは彼の出生証明書がない事に気がついた。
ウォルトは出生証明書についてと、他の質問を両親にしたが、
彼の両親のおかしな反応を見て、彼の父について深く疑いを持ち始めた。


1938年11月ーーウォルトの母親はガスで死んで、ディズニーのお手伝いはエリアスを煙から引き離すが、ウォルトの母親は死亡した。

1939-40年ーーフーバーは、もしウォルトがFBIで働くなら、ウォルトが彼の本当の両親の居場所を見つけるのを助けると提供する。

フーバーは、ウォルトが私生児であることを既に知っていたか、またはすぐ調査から真実を学んだかどちらかだ。
このことは、フーバーにウォルトディズニーをゆする力を与えた。
そして、ウォルトをフーバーに忠誠にさせることができた。

フーバーは、ウォルトディズニーに真実を知らせて、次に、気前よくディズニーと彼の父親の評判を保護するために動いた。

2人のFBIの男がマヨルカ、スペインに1890年にイザベルに生まれたホセJose Guiraoと命名された子供、洗礼の情報を作り上げる。

この日付は、ウォルトの生年月日から10年離れていて、それは人々を問題からそらすためだった。

彼らは1901年の記録にウォルトのためににせの出生証明書を偽造する事ができなかった。なぜなら皆が、第一次世界大戦からなにも存在しないのを知っていたからだ。

それゆえ、彼らはウォルトのために1890年、イリノイ州記録ににせの出生証明書を作る。
彼らは、人々が、どういう訳かファイリング誤りが発生したと考えることを望んでいた。

この方法が、もし何かが発覚して、最悪な事態が起きても、ウォルトは少なくとも彼が違法な私生児ではなく、養子であるというふりができたからだ。

彼らは、マヨルカの町民に特定の話をさせるために、彼等を買収した。 町民はたぶん支払いを受け取った。

1941年ーーウォルトは彼の父親に真実を突きつけて、彼の父親は自殺した。そして彼の本当の母親は彼のお手伝いとして彼と同居するようになった。

1954年ーーウォルトがスペインで生まれたという神話を補強するために、フランシスコ会修道士のグループは、Mojacarに行って、明らかにホセGuirao、そして/または、ウォルト・ディズニーの出生歴について問い合わせをした。

彼らは、市長と時間を過ごして、皆がウォルトディズニーがホセと繋がることを確実にした。ホセは、FBIが記録を作成した架空(名目上の)の人物である。


1967年ーーウォルトの死の1年後の1967年、
大人数のアメリカ人が、(彼らが1940年の2人のFBIの男たちのように熟練していなかったので、大きいグループが必要だった)
アメリカの政府のための「公式」のビジネスであるふりをして、

ウォルトディズニーの財産へのスペイン人の主張者が全くいないのを保障するために、ホセGuiraoのすべての記録を破壊するためにスペインのマヨルカに行った。

その後、この架空の物語がしっかりと保証され、ウォルトディズニーの秘密への疑いを持つかも知れない少数を欺くため、
スペイン政府はある力を持った人々へのために協力し、ウォルトディズニーのスペインでの出生を調査させるために捜査官に資金援助した。

村の人々は、いかほどの恐怖も誇示もなしで、ウォルトディズニーが彼らの村で生まれたと人々に進んで言ったが、
村はディズニーの出生場所に関するどんな記念碑も、印も、全く示したことがなかった。

村人の幾人かは、それが偽りであることをたぶん知っていたので、彼らはたぶん長年そういう事をしてこなかったのだろう。

より歳をとった人々がいなくなり、偽りはたぶん真実としてより確立されるようになり、そして、たぶん、ウォルトディズニーへのある種のメモリアルが存在するようになるだろう。

WALT DISNEY’S CHARACTER

ウォルトディズニーの性格

なぜなら、ディズニーの詐欺が世界中の主要なイルミナティの詐欺であり、ウォルトディズニーがすべてのディズニーテーマパークや映画やその他の背後の主要な触媒だったので、彼の性格を調べる事は重要である。
歴史上の人物を研究する際に、この著者はどん底の真実を得ようとした。
どうしてそれが可能だったのか?、と聞く人がいるかもしれない。

特に、彼等のメディアとエスタブリッシュメントによって、何十年もの間広められた神話があったのに?

以下の手順はウォルトディズニーと他の歴史上の人物と一緒に行われた。
この著者の手順の最初の部分は、他の著者がどんな偏見と有利な地位から来るのかを特別な注意を払いながら、一人の人間について見つけられる事全てを調査する事だった。

また特別な注意はむしろ、お世辞を言ったり、神話や平凡な説を繰り返し伝えたりしている、認証されている伝記作者たちより、見つけられる真実の全てを伝えようと試みている別の伝記作者に払われた。

研究者は他の伝記作者たちに注意深くなければならない、なぜなら彼等は序文で「自分は何のつながりもない研究者だ」と宣言し、「痛みを伴うほど、正直なレポートだ」言っておきながら、実際は彼等が書いている人物について非常に巧みに真実を覆い隠すからだ。

中略

この著者は、専門的に筆跡鑑定をした有資格の筆跡鑑定家である。 Graphoanalysis/筆跡学を使用するのは、歴史上の人物への公正で深い
一見(理解)を得るすばらしい方法なのだ。

それは、すべてのプロパガンダと神話を回避させる方法だ。

しかしながら、歴史的な外観と様々な歴史上の人物の筆跡鑑定はいつもお互いにマッチした。それはこのケースについてもだった。
見つけられたものとは、

以下のパラグラフは1920年代に、ウォルトはどのようであったか、という事だ。

ディズニープロダクションズの微細管理のプレッシャーと財政難の伴う生活のプレッシャーから、1940年代には、ウォルトは彼の妻を手荒く扱い、二人の子供たちにも手荒く尻をたたいていたという、激怒した状態であったとわかる。

彼はプレッシャーに対処するため精神医学のカウンセリングに行った。
そして、残念ながら、時間の進行で、1960年代までには、ウォルトはサディスティックで利己的なアルコール中毒患者になってしまった。

一人の伝記作者が彼についてこう説明した、、
「暴漢で知ったかぶりである」 (Disney’s World, p. 220)
その時でさえ、ウォルトは人々を彼のために働かせた、ウォルトを崇拝していたビルウォルシュ(子供の時は孤児であった)などのように。

しかし、1920年代に彼はどうであったかがわかる。

ウォルトは絶えず商品の販路を探していたエネルギッシュで自己を動機づける人物だった。
(人々は彼のこの特色に関して多くを書いた。)
人との付き合いで彼は受け取るより与える人だった。

(最初の頃の数年間は、彼はビジネスの契約法を作るのに責任があった。彼はしばしば利益のための価格設定なしで彼の仕事を与えたりした。彼は彼のボスに手紙で最優先は利益ではなくて、良い漫画だと書いた。しかし彼は彼の仕事に感謝が欲しかったのだ。
(それは彼の繊細な部分を見せていた)
ウォルトは誰かのアイデアや、または誰かが実行するのを待たなかった。
彼は最初にそこにいたのだ。
彼は彼のアイデアと明快かつ容易に連絡する事が出来た。そしてアイデアからアイデアに動くことが出来た。

(彼は、ディズニープロダクションに乱入して、彼のスタッフの耳に次から次へとアイデアと吹き込むだろう。) 彼は競争を楽しんでいた。

彼には、迅速な考えと鋭い直観力があった。 彼は頻繁にリスクを負って彼自身の安全を危険にさらして、直感と衝動にしたがって行動した。
(彼は彼の貯蓄とかき集めることができるすべてを使用してプロジェクトのために賭けをした。)

長いプロジェクトは彼を退屈させた。 (幸い、漫画の本当の忍耐のいる退屈な仕事はスタッフのアーティストたちによって行われた。)

家の雑事と、繰り返される雑用は彼を退屈させた、そして、彼はそれらを避けていた。 (独身時代、彼の家の周りは本当にだらしなかった。)

彼はあいまいな哲学には忍耐がなく、具体的な現実が好きだった。
彼の人柄には遊び好きな面と、 (時に残酷な悪ふざけにも及ぶ)達成したいという攻撃的で偏狭なせっかちな面の両方があったので、彼とうまくやっていくのは難しかった。

当然、ウォルトの周りの人々は、潜在意識のレベルでウォルトの性格のどちらの側面と対処するのか混乱させられた。

私たちはスタジオの周りで‘芸術'という単語を使用さえできなかった。(Current Biography "Disney" article p. 248 )
「だれかが芸術家を気取るようになり始めるなら、それらを打ち倒す。」 中略

彼は挑発されると爆発しそうだった。 (昔のスタッフは彼の爆発的気性を覚えている。)
彼は、ダイナミックなエネルギーを持ち、好色で(感覚的で)、鋭い考えを持つ人物だった、そして快楽主義の使徒だった。


なぜなら、彼の父親がとても虐待的であり、権威の地位を誤用したので、ウォルトは権威に対して根深い反抗的な状態で成長した。

(彼のフィルムのテーマは繰り返して権威に反逆する人に同情して、警察と他の権威者はとんでもないものと一貫して示されている。 彼が示した一つの例として、活気があるダンスシーンで無責任を表現した。これは20世紀を通してティーンエイジャーの反逆の顕著な特徴になった)。

ーー(*しかし彼自身が権力を振りかざす人間になったのだが。)

(漫画の中のアナーキーは"Alice Rattled by Rats"で最高潮の表現に達成した。それは猫たちが逃げて行くとき、ネズミたちが同じ事をしたのだ。)ウォルトは「規則」とは彼以外の人々が従わなければならないものであると感じた。(これは彼が法律の外にはみ出し、不法な行為を犯した理由の一つである。)

また、ウォルトは細かく監督されるのが好きではなかった。 彼はまるでそれが彼自身の王国であるかのようにディズニーマジックの王国を管理したがっていた。彼は、権威者でありたかった、そして実際に彼のマジック王国の独裁者になった。
ウォルトの従業員がウォルト自身の視点と異なっていた時は、彼等が個人としてウォルト自身の不可譲の権利を侵害したと感じた。)

彼はいくぶん鬱病的であり、人生をまだ楽しんでいる完璧主義者のタイプの人間だった。
彼は他者との親密さに対して自分自身をかばう必要性を感じていた。彼はほとんどの時間は家で過ごすと決めていた。
ウォルトには、幹部社員の特色があった。
ウォルトは彼の最も奥深い気持ちを表に出すのが遅かったということであり、確実に彼自身の目標を設定していた。

彼は事態が困難になると、耐え忍ぶタイプの人間だった。
同様に彼の考えやプラン、および所有物にしがみつくタイプだった。
(彼の兄弟、ロイがディズニーランドの創造を止めるのを許す事を頑固に拒否し続けた事は、兄弟を分かれさせた。
成功しようとする彼の強い決意は、何らかの負債と共にウォルトををゆするのに暴力団によって利用された。
ウォルトは彼の夢を得るためには、シンジケートが欲しかったものを進んで与えようと思っていた。)

ウォルトの時には墓場のユーモアのセンスというような、ぞっとするようなユーモアのセンスや、他者が受けている痛みを見ていられる高い忍耐性は、医療従事者として働いていた第一次世界大戦が終わった後で、バルカンの戦いでボランティアが必要だった時、ウォルトはまた従事しようかと真剣に考えたという手がかりになる。

ウォルトは人々より動物を愛していた。
彼が農場で成長している間に心を通わせた関係を持っていた唯一の人間が彼のエドEdおじさん(彼がElfおじさんと呼んだ)だった。

その叔父は小妖精とプルーン?との中間のような容姿だった。
エドおじさんは動物の音声や鳥のさえずりをするのがうまく、ウォルトを喜ばせた。
ウォルトは農場と自然の魅力をとても愛していた、そして、彼は王権と壮観、フリーメーソンが提供するような厳しい社会の階層制度を愛していた。

彼はしばしば「納屋の前庭」に「王のパレード」と
「他の王の衣装」と言う具合に、相反する組み合わせを使って織物を織るように物語を織った。

例えば、「アリスパイパー(Alice the Piper)」では王ハムリンHamlinは、農家で眠る農業者だった。

「長靴をはいた猫」では、地元の王はちぐはぐな村に建てられた正統の宮殿で生活していた。

彼の初期のフィルム、「Alice’s Day at Sea」では王立の法廷とアメリカのサーカスの両方の特徴を含ませた。

権威に対する典型的なディズニーの軽蔑で、彼はAlice & the Dog Catcher, Alice Foils the Pirates, Alice’s Mysterious Mysteryで
犯罪友愛グループの儀式、パスワードを入れて、彼等をからかったりした。


そして、秘密のFBIのエージェントでもあったウォルトは、フーバーの願望に反して、FBIの権威をからかった。
ウォルトは、彼が信じていたことに忠誠であり、彼の忠誠にふさわしいと考えたそれらの個人に忠誠であることはあっても、彼は、誰にも彼の上で権限をふるって欲しくなかった。
(ウォルトは320フリーメーソンでオカルト信仰者であり、その哲学に忠誠であって、若い頃は父親的存在だった兄のロイ ディズニー Roy O. Disneyに忠誠だった。)


スタジオの誰かが、ウォルトが兄のロイに怒っていた時、ウォルトに同意したなら、その人は、彼らの仕事を失う危険を冒した。
両方の兄弟は、お互いに保護し合っていた、もう片方を批評できる唯一の人間は兄弟だけであると感じていた。

[翻訳 そら]

 

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