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銃剣で議会を制した山縣有朋 メディアで国全体を騙す安倍晋三(世相を斬る あいば達也)
http://www.asyura2.com/16/senkyo200/msg/646.html
投稿者 笑坊 日時 2016 年 2 月 03 日 11:27:27: EaaOcpw/cGfrA j86WVg
 

http://blog.goo.ne.jp/aibatatuya/e/a66d8691f70b34868c493982283e5e44
2016年02月03日

明治天皇が、老境に達し衰弱した時点で、長州の下級武士でもなかった山縣有朋は、天皇を凌ぐ地位を獲得していた。しかし、この山縣有朋の支配には、陸軍と云う明確な暴力装置を縦横無尽に作動させながら掌握していたのだから、一般人としては、そのメカニズムは手に取るように理解出来る。大日本帝国憲法の所為だけで、山縣のような人物が国を支配したと考えるのは短絡的思考だ。

安倍晋三は、今上天皇、皇后の第二次大戦の教訓を、今こそ日本人はもう一度考えなおす時であると云う切実な「良識」の訴えを、日夜、逆撫でするような政策に奔走している。安倍も、長州であり、遠く遡れば吉田松陰に学んだ者の一人と関わりがあるらしいが、同じく下級武士層にあった。その点でも山縣有朋と似ている。似ていないに点は、国家支配を銃剣サーベルではなく、メディア支配を源泉に行っている点だろう。

安倍首相は、岸信介の改憲精神と、佐藤栄作の議会運営と、山縣有朋の暴力支配手順を、丁寧に教本としてなぞっている姿が浮かんでくる。大きな違いは、赤裸々な暴力装置を作動させられないので、官僚を人事で縛り、マスメディアを恫喝と利権構造の中に引き込むことで屈服させてきた。司法も同様に人事権での掌握となっている。最後に残されたのが議会であるが、これは小選挙区制と政党助成金制度の重大なる瑕疵を、重大な武器に置きかえて、利用すると云う悪魔の手法に手を染めている。

本来であれば、米国大統領選でバーニー・サンダース議員が民主党大統領候補として、ヒラリー・クリントンと大接戦を演じているように、国民が対抗勢力として立ち上がるべきなのだが、我が国では、驚くなかれ、そんな安倍政権への支持率が、悪いことをすればするほど支持されると云う皮肉な現象が起きている。この現象を、昨日のコラムでは、国民の安倍自民政権打倒の高等戦術などと揶揄したが、そんな冗談も言っていられないかもしれない。経済だけが国を滅ぼすわけではなく、隣国と戦火を交えることでも、国は滅びるように、謝りを糺す精神を失うことでも、国は滅びる。

昨日のコラムでは、『最近の日本の世論調査を見て驚いたのだが、相当にブラックユーモアな国民性では?と穿った感想を覚える事態になっている。もしかすると、さっさと、安倍自民党に引導を渡すには、第二次世界大戦以上の敗戦のショックを、出来るだけ早く現実化するために、絶対的支持表明をすると云う、ウルトラなハイテク政府操作に、国民の知恵が働いたのではないか?そんな風に考える今日この頃だ。筆者が愚民だと言っていた日本人の多くが、実は、筆者の数倍もニヒルで、勇断を 持って、毒には毒をと云う、ブラックユーモアたっぷりの国民なのかもしれない。いや〜恐れいった。参った、参った。』と書いたが、少し痛すぎるブラックユーモアになるやも知れない。

経済的な行き詰まりは、じわじわと下層人口が増えるのだが、戦火を交えた場合には、一気呵成に滅びる可能性もあるだ。きっと、日本人の多くが、筆者のような推論を鼻先で笑っているのだろうが、沖縄方面への軍事力増強のニュースは、辺野古新基地問題よりも、直近の危険性を示唆している。GPIFの責任分散化の審議会も設立したので、年金基金が火だるまになっている事を暗示している。日銀、マイナス金利は銀行関連の体力を奪い、住宅ローンなどの金利上昇を招くだろうから、経済と軍事の両面から、国民はさらに一層の下層階級国民になって行くのだ。堪えられないと、国民が叫び出した頃には、マイナンバーで雁字搦めになった警察国家が誕生しているだろう。そう云うことにならないように祈りたいものだが、安倍の大願成就した姿ばかりが夢に出てくる。


≪「軍国主義」の原型はこうして作られた
 〜山県有朋という“絶対的権力者”誕生の瞬間

 正月から物騒なニュースが相次いでいる。北朝鮮が「水爆」実験に踏み切り、中東ではイランとサウジアラビアが国交を断絶した。南シナ海では、中国が人工島に作った滑走路を使っての試験飛行を強行した。

 この先、何が起きるかわからない。だから改憲で強い日本を取り戻さなければならぬ―というふうに世論は動きつつあるようだが、ちょっと待ってほしい。
 それだと、いつか来た道を歩むことになりはしないだろうか。明治から昭和にかけての軍国日本の過ちを繰り返さぬことが私たちの課題ではなかったのか。

 明治10(1877)年代の東アジア情勢は今よりもっときな臭かった。不凍港を求めて南下するロシアの脅威が迫り、朝鮮半島情勢も緊迫していた。 そればかりか明治17年、英独両国が東部ニューギニアを領有した。翌18年、ドイツはマーシャル諸島に進出、フランスは台湾海峡の澎湖島を占拠し、英国はビルマに侵攻した。東アジアは、西欧列強の植民地主義の攻勢にさらされていた。

 では、そんな情勢に日本はどう対応したか。大江志乃夫さんの名著『日本の参謀本部』(中公新書)に拠りながら、陸軍の動きを追ってみよう。

 大江さんによると、明治10年の西南戦争を最後に陸軍は内乱にそなえる軍隊としての任務を終えた。以後は、外敵との戦闘を主任務とする軍隊=国土防衛軍へと性格を転換させた。この国土防衛軍が想定していたのはあくまでも国内戦だ。

 ところが明治15年の壬午軍乱(朝鮮兵士らの反日反乱)による清国との軍事的対立をきっかけに〈清国との軍事抗争の戦場〉が朝鮮に設定され、〈日本の軍事政策は、急拠外征軍備の拡張整備に転換した〉。  

 そのため、ドイツの参謀将校メッケルが軍事顧問として招聘され、ドイツをモデルにした外征軍隊の建設が進められた。陸軍部内を二分する大論争が起きたのは、その最中だった。

 ドイツモデルの外征軍隊への転換を進めたのは、前回登場した陸軍の大御所・山県有朋が率いる陸軍主流派である。

 これに反発したのが、西南戦争の活躍で知られる農商務大臣の谷干城(陸軍中将・土佐藩出身)ら反主流派の将軍たちだ。

 彼らは〈島国日本の防衛を目的とする軍隊が侵攻作戦を目的とするヨーロッパ大陸の陸軍の模倣をすることの愚〉を説き、〈「攻撃は最良の防御」という箴言は戦術次元の問題としては成立しても一国の軍備には適用できない〉と専守防衛を訴えた。

 あの時代にこんな卓見を持った軍人たちがかなりいたのである。だが、彼らは山県の手で陸軍から追放されてしまった。彼らの牙城と目されていた兵学研究会・月曜会も明治22年に解散させられた。

■絶対的権力者が誕生した瞬間

 しかし、そこで彼らは抵抗をやめたわけではない。反主流派の将軍の多くは貴族院議員として政界入りした。参謀本部次長だった小沢武雄(陸軍中将)もまた反主流派として陸軍を追われ、貴族院議員となった。

 明治24年の貴族院で、反主流派のリーダー谷干城は議員74人の賛成を得て、軍事費を大幅に削減し、残りを減税に回す建議案を提出した。〈陸軍を追 われた専守防衛派の将軍たちが、山県らの外征軍隊建設派にたいし、国民の耳にとどく政治の場で公然と批判を開始したのである〉と大江さんは言う。

 なかでも山県の神経を刺激したのは、つい最近まで参謀本部次長だった小沢武雄の演説だったらしい。小沢は軍の内情を熟知していただけに具体的資料を挙げて谷の建議案を裏付けた。

 さらに小沢は内閣のチェックの効かない参謀本部の廃止や、憲兵の廃止なども訴えた。これは、清国との戦争準備にまい進する軍にシビリアン・コントロールの軛をかけ、外征を不可能にすることを意味していた。

 谷が提出した建議案の採決の日。貴族院の傍聴席は腰の剣をガチャつかせた軍服姿の軍人で埋まった。議員らは威圧され、谷の建議案は97対78で否決された。さらに小沢は軍機に属することを公表したかどで陸軍中将の地位を剥奪された。

 こうして外征軍隊への転換に反対する政界の動きは封殺された。反主流派が一掃されたことで〈陸軍は、山県有朋という人物が結成した単一の派閥が支配する陸軍となった。山県に反対の意見の持主は、陸軍の軍人として生活することができなくなった〉と大江さんは言う。

 つまり、明治国家最大の権力者・山県の権力基盤は、月曜会をめぐる一連の事件で確立されたのである。山県は内相や首相などを歴任しながら、陸軍だけでなく内務省や司法省などにも自らの派閥を築き上げていく。

 山県の権力が絶頂を極めたのは明治の末期だ。それを物語る有名なエピソードがある。

 明治45年7月10日、東大に行幸した天皇は階段を上がるごとに足をそろえねばならぬほど衰弱していた。5日後、天皇は枢密院会議に出た。その時、天皇の体力は極度に衰えていたらしく会議中にうとうとした。

 議長席の山県はそれを目ざとく見つけると、軍刀の先で床を強く何度も叩いた。その音で天皇を起こし、姿勢を正させたのである。これではどちらが国家元首だかわからない。

 さて、以上のような山県の絶対権力者ぶりを踏まえ、前回触れた大江さんの言葉に立ち返ろう。大江さんは『日本の参謀本部』のなかで森鴎外=山県の情報将校説を示唆していた。

 鴎外が東大医学部から陸軍入りしたのは明治14年。ドイツをモデルにした陸軍の外征軍隊化が始まる直前だった。3年後に彼は衛生学を修めるためドイツ留学を命じられ、帰国したのは明治21年9月。そのころには山県による陸軍の一元支配がほぼ確立されていた。

 軍医として鴎外が栄達を遂げることができるかどうか。そのカギは山県の掌中にあった。二人はやがて接近し、互いに利用し、利用される関係になっていくのだが、その経緯については次号で触れたい。

*参考:『山県有朋』(半藤一利著・PHP文庫)
≫(現代ビジネス:わきみちをゆく〜魚住昭の誌上デモ…『週刊現代』より)


*参考 (筆者注:立身出世のはじまり。菅官房長官に似ているな〜w)

≪ 幕末 天保9年(1838年)、萩城下近郊の阿武郡川島村(現在の山口県萩市川島)に、長州藩の中間・山縣三郎有稔(さぶろうありとし)(中村喜左衛門の子)の長男として生まれる。足軽以下の中間身分ながら将来は槍術で身を立てようとして少年時代から槍の稽古に励んでいた。このころ友人・杉山松助らに松下村塾への入塾を勧められるも、「吾は文学の士ならず」として辞退したともいわれる。

安政5年(1858年)7月、長州藩が京都へ諜報活動要員として派遣した6人のうちの1人として、杉山松助・伊藤俊輔らとともに上京し、尊皇攘夷派の大物であった久坂玄瑞・梁川星巌・梅田雲浜らに感化を受け9月に帰藩後に久坂の紹介で吉田松陰の 松下村塾に入塾したとされる。松陰門下となったことは出自の低い山縣や伊藤らが世に出る一助となったと考えられる。山縣が入塾したとされる時期から数か月 後に松陰は獄に下り刑死することになったため、山縣の在塾期間は極めて短かったと考えられる。しかし彼は松陰から大きな影響を受けたと終世語り、生涯「松陰先生門下生」と称し続けた。

文久3年(1863年)、高杉晋作の奇兵隊創設とともにこれに参加し、武芸や兵法の素養を活かして頭角を現す。高杉は身分にとらわれずに有能な人材を登用したため、低い身分であった伊藤や山縣などが世に出るきっかけを与えた。松下村塾と奇兵隊の存在により、幕末の長州藩からは伊藤や山縣のように、足軽以下の平民と大差ない身分の志士が多く出ている。

同年12月、高杉が教法寺事件の責を負い総督の任を解かれた際には3代目総管・赤根武人とともに奇兵隊軍監に就任し、赤根が出奔した後は事実上実権を握った。慶応元年(1866年)に四代目総管に就任し、長州征討で高杉と共に活躍、戊辰戦争では北陸道鎮撫総督・会津征討総督の参謀となった。 明治2年(1869年)、維新の功によって賞典禄600石を賜っている。 ≫(Wikipedia抜粋)
 

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コメント
 
1. 2016年2月03日 11:57:40 : Q8ccK8e33w : Hfo3R5VixsQ[3]
明治当時の西欧列強はすべて帝国主義国家。侵略によって他国を植民地にして支配することがそれこそあたりまえの世界情勢だった。その流れに後から加わろうとしたのが日本の明治政府だった。当時に民族自立とか主権とか主張しても誰も相手にしなかっただろう。今の価値観で当時の政策を単純に批判はできない。

ただし、今の時点でその当時の政策を善しとし同じような政策を推し進めようとするのはさらに罪が深いし低脳だ.現在は二度の悲惨な世界大戦を経て少なくとも建前としてだが軍事力で国境を変更してはいけない。そのために国連という組織を作った。決議があれば軍事的手段もとれるとなっている。

それを時代も価値観も超えて昔に戻りたい安倍政権にその追随者、とんでもない考え方だ。安倍晋三および日本会議の阿呆さは際立っている。


2. パラノイア[209] g3CDiYNtg0ODQQ 2016年2月03日 12:51:44 : EqDTa0S8g6 : 8qYQGp0f7GA[3]
山縣有朋は吉田松陰の“外交雄略”も出来なかった不遜の弟子。

3. パラノイア[210] g3CDiYNtg0ODQQ 2016年2月03日 12:59:16 : EqDTa0S8g6 : 8qYQGp0f7GA[4]
すいません、少し詳しく。
外交雄略→外交に於ける「航海雄略論」

4. 2016年2月03日 13:42:26 : zqlc77DP1Q : znlsmhNjozE[19]
−谷の建議案は97対78で山県に否決された−

結構、微妙な票差に驚いた。得てしてこのような僅かな差が弾圧・粛清に繋がるかもしれない。大差の予測なら「いつでも我が物顔で実行できる。心配一切ご無用!」と緩むのだろう ← 自民党は今ここ?

過去の自民党・投票者は毎日支持離れを起こしていると思いたいけどね。
甘利は次回当選するの? 
パンツ・高木は次回当選するの? 
一方で栃木のドリル・優子は支持者が意地になって支援しまくったみたいだが。


5. 2016年2月03日 20:39:13 : axdxgm3Wdc : WoR5VAJtx2c[89]
お裾分け もらうメディアも 共犯者

6. 2016年2月03日 22:06:59 : LY52bYZiZQ : i3tnm@WgHAM[887]
山縣・伊藤・桂などの反共主義者は植民地支配や戦争責任を巡っていつも批判のターゲットにされる。日本国内でも大久保や西郷に比べるとあまり賞賛されない。理由は人間が小物で狡いだけが取り柄で無責任さを感じさせるから。奇兵隊も現在のネトウヨも同質だと考えれば納得がいく。

7. 2016年2月03日 22:50:17 : KD08whx8K6 : dew9IKFVe9Y[7]
狂介ですからね(笑)

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