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戦後日本の「安保」はこうして作られた 〜アメリカ・昭和天皇・吉田茂 「戦後レジームの正体」第11回(前編) 現代ビジネス
http://www.asyura2.com/16/senkyo203/msg/767.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 4 月 02 日 08:25:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

           2015年8月30日、安保関連法案に反対する国会前デモ〔photo〕gettyimages


戦後日本の「安保」はこうして作られた 〜アメリカ・昭和天皇・吉田茂 「戦後レジームの正体」第11回(前編)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/48311
2016年04月02日(土) 田原 総一朗「戦後レジームの正体」 現代ビジネス


■国民も憲法も無視して成立させた安保関連法案


2015年9月19日、午前2時17分、集団的自衛権の行使を柱とする安全保障関連法案が参議院本会議で可決された。もめにもめた安保法制が成立したのである。


このとき、真夜中にもかかわらず国会の周囲は、「安保法制反対」を叫ぶ数万人の市民たちで埋め尽くされていた。


9月19、20日両日に実施した共同通信の世論調査によれば、安全保障関連法について「国会での審議が尽くされたとは思わない」の回答は79.0%、「尽くされたと思う」は14.1%だった。安保法への安倍政権の姿勢に関し「十分に説明しているとは思わない」は81.6%、「十分に説明していると思う」はわずか13.0%。


朝日、毎日、読売各紙の世論調査を見ても、反対が約5〜6割、賛成は3割台、そしていずれも「説明が不十分」はほぼ8割に達している。国民のほとんどが不満を覚えているのである。


集団的自衛権については、自民党政権は一貫して、「独立国として権利はあるが、憲法上使えない」という姿勢を通してきた。


たとえば1960年に岸信介首相は「自国と密接な関係にある他の国が侵略された場合に、これを自国が侵略されたと同じような立場から、その侵略されておる他国にまで出かけていってこれを防衛するということが、集団的自衛権の中心的の問題になると思います。そういうものは、日本憲法においてそういうことができないことはこれは当然」と国会で答弁している。


さらに1972年に田中角栄首相の政府見解としても、「他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されない」と明確に言い切り、81年5月には鈴木善幸内閣でも「集団的自衛権を行使することは、(中略)憲法上許されない」との見解を示している。


その集団的自衛権を、従来の姿勢を大きく変えて、なぜ安倍晋三内閣は行使することにしたのか。


自民党の幹部の一人が、「冷戦時代が終わって、日米安保条約の前提が大きく変わった」のだと説明した。


「日米安保条約は、憲法と同じように、アメリカ側が強要ともいえるかたちで日本に求めたのだ」というのである。


憲法は、本連載第6回(→こちら)で記したように、GHQがいわば密室作業でつくり上げたのだが、日米安保条約が、アメリカの強要によるとはどういうことなのか。あらためて日米安保条約が結ばれる経緯をたどってみることにする。


■踏みにじられた正論


1950年、朝鮮戦争が勃発する直前に、国務省の顧問だったダレスが日本にやって来た。東西冷戦が激しくなり、アメリカは日本を西側陣営に取り込むために、講和条約と日米安保条約の取りまとめを急ぎ、その交渉のために訪日したのである。


ダレスは、当時首相だった吉田茂に「再軍備をせよ」と強く要求した。だが吉田はこの要求を頑として断った。



吉田茂〔photo〕gettyimages


「『経済もいまだ回復していないのに、再軍備をするのはおろかなことだ』というのが、吉田の主張であった。それに、日本が再軍備をすればアジア近隣諸国が日本軍国主義の復活を恐れるだろうし、だいたい、日本は憲法で軍備を持たないことになっているから、持てるはずがないと彼は付け加えた。そして、吉田は彼の主張を支える手を打っていた。彼はマッカーサーに対し、日本の再軍備は無理だという立場を前もって説明しておいた」


当時京都大学助教授だった高坂正堯は『宰相吉田茂』(中央公論社)の中で、こう書いている。


ダレスと吉田は、翌1951年1月末にも「再軍備」の話し合いを行った。


「ダレスは前年と同じ議論をくり返し、吉田もまた同じように反駁した」(前掲書)ということだ。つまり、アメリカ側が執拗に再軍備を要求するのを、吉田は懸命に拒んだということになるのだが、豊下楢彦(元関西学院大学教授)は、著書『安保条約の成立』(岩波新書)の中で、この構図を否定している。



ジョン・フォスター・ダレス。日米安保の"生みの親"〔photo〕gettyimages


ダレスは、吉田と会う前のスタッフ会議で、「我々は日本に、我々が望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利を獲得できるであろうか? これが根本的な問題である」と述べているというのである。つまり、日本の再軍備への約束を獲得することが最も重要な課題ではなかったというのである。


もっとも、吉田は、独立後もアメリカが占領時代と同じように日本に軍事基地を持つことに反対だったようだ。


1950年7月29日に、参議院で社会党の金子洋文の質問に対して、吉田は「私は軍事基地は貸したくないと考えております」「単独講和の餌に軍事基地を提供したいというようなことは、事実毛頭ございません」と明言し、連合国の側も日本に軍事基地を「要求する気もなければ、成るべく日本を戦争に介入せしめたくないというのが、日本に平和憲法を据えるがいいと希望した連合国の希望だろうと思います」と答弁しているのである。


だが、被占領国である日本が、占領国のアメリカに対する「バーゲニング(交渉)」能力を持てるはずがなく、吉田首相の筋の通った「正論」は、いわば無残に踏みにじられてしまい、ダレスが述べた「我々(※筆者注 アメリカ)が望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる権利」を獲得してしまうのである。


■日本を無期限に縛る不平等条約


1951年9月8日のサンフランシスコ講和会議で日本が独立してまもなく刊行された「フォーリン・アフェアーズ」誌(1952年1月号)で、ダレスは講和会議の日の午後に調印された日米安保条約について、「アメリカは日本とその周辺に陸海空軍を維持し、あるいは日本の安全と独立を保障する、いかなる条約上の義務も負っていない」と明言しているのだ。


そこで、豊下楢彦の前掲書を引用して、日米安保条約の核心を点検しなおしたい。


「まず、安保条約の第一条では、米軍の日本駐留は義務ではなく米側の『権利』と規定されている。したがって米側は、みずからの判断でいつでも『権利』放棄をして米軍を撤退させることができるのである。


さらにこの米軍は、『日本国の安全に寄与するために使用することができる』のであって、ダレスのいうように安全を保障する義務を負ってはいない。しかし、他方において同じ米軍は、日本の『内乱』に介入し『鎮圧』することができるのである。


より重要な問題は、これら在日米軍の“任務”を規定した条文の最初に、『極東条項』がおかれていることである。しかもそこでは、『極東における国際の平和と安全の維持に寄与』するためと述べられているだけで、米軍の“行動基準”はなんら示されていない。極東とはどの地域を意味するのか明示されていないし、国連との関係にもまったくふれられていない。


要するにこの規定は、米側が『極東』とみなす広大な地域における、日本を拠点とした米軍の『一方的行動』を“保障”したものにほかならないのである」


「第三条では、米軍の配備を規律する『条件』が行政協定で決定されることが謳われている。五二年二月に締結された行政協定では、基地を設置する地域を特定する規定(米比〔※筆者注 アメリカ・フィリピン〕基地協定にさえ明記されている)が欠落した『全土基地化』の権利が米側に保障されている。


さらに、基地外で公務中ではない米軍人の犯した犯罪についても、フィリピンにさえ与えられている裁判権が日本には付与されていない。要するに、米軍には『治外法権』が保障されているのである」


さらに第四条では有効期限も定めず、日本を「無期限」に縛る、占領下と変わらないひどい不平等条約である。


■すべては天皇を守るため


「バーゲニング」能力が全く持てない吉田首相の精いっぱいの抵抗は、講和会議に出席しないこと、「忌避」することであった。吉田は講和会議には「外交界の長老であり、前総理・衆議院議長であった幣原喜重郎」(吉田の発言)に全権を委任するという決意をダレスに示していた。ところが1951年3月10日に幣原が80歳で他界した。


そして4月に訪日したダレスとの会談では、吉田は、佐藤尚武参議院議長に全権を委任すると主張した。首相の自分は日本を離れられないというのが理由であった。


だが、吉田は講和会議を忌避しているのではなく、同じ日に調印することになっている不平等きわまる日米安保条約を忌避するつもりだったのである。


7月7日には会議の開催地がサンフランシスコと決まったが、吉田の「忌避」の姿勢は変わらなかった。


だが、ダレスを含めて米国側は、吉田首相以外の全権は全く想定していなかった。そして吉田首相の「日米安保条約」の「忌避」を認めなかった。結局、吉田首相は「忌避」を翻すのである。どういういきさつがあったのか。


豊下楢彦は、前掲書で「推測」を交えて、それまで誰も示していなかった大胆なストーリーを展開している。


「それでは、かたくなに『異常』なまでに固辞をつづけた吉田がついに全権をひきうける決意を固めた契機はなんであったろうか。それは、天皇への『拝謁』であった。(中略)一九日(※筆者注 1951年7月)の朝に天皇に『拝謁した後に』、吉田は日本の全権団を率いることに『同意』した」というのである。


そして豊下は次のように書いている。


「推測の域を出るものではないが、ダレスは吉田への圧力として“最後の切り札”を切ったのではなかろうか。ダレスは『然るべきチャネル』を通して、吉田への『御叱り』と『御下命』を天皇に要請したのではなかろうか」


徹底的に「固辞」する吉田首相に「全権」を引き受けさせるために、ダレスは昭和天皇を使ったというのである。


占領体制の延長のような安保条約を吉田首相が認めず、全権を「固辞」したのは、それこそ精いっぱいの正論であった。それを、なぜ昭和天皇は「叱り」、吉田首相を翻意させたのだろうか。昭和天皇は、占領体制の延長のような安保条約をどのように捉えていたのか。


豊下は、次のように説明している。


「内外の共産主義から天皇制を守るためには、米軍駐留を確保することが絶対条件であった(中略)昭和天皇にとっては、戦後において天皇制を防衛する安保体制こそが新たな『国体』となった」(豊下楢彦『昭和天皇の戦後日本』岩波書店)


占領体制の延長のような安保条約を、昭和天皇は天皇制を守る絶対条件と捉え、そして、ダレスに頼まれて「固辞」する吉田首相を叱りつけたのだというのである。


しかし、これは豊下が勝手に決めつけているのではなく、安保条約が調印されて10日を経た1951年9月18日に、マッカーサーに代わったリッジウェイ司令官との会談で、昭和天皇は講和条約を、「有史以来未だ嘗て見たことのない公正寛大な条約」だと高く評価して、「日米安全保障条約の成立も日本の防衛上慶賀すべきことである」「日米安全保障条約が成立し貴司令官の如き名将を得たるは我国の誠に幸とするところである」と、安保条約の成立を絶賛している。


繰り返し記すが、昭和天皇にとっては、天皇制を内外の共産主義から守ることが第一義で、そのためには米軍駐留の確保が絶対条件だったわけだ。


こうして、占領体制の継続ともいえる日米安保条約は、交渉の最高責任者である吉田首相が固辞するのを、ダレスと天皇の圧力によって翻意させ、締結にいたったのである。


■相手にされなかった安保改定


だが、保守合同に先立って日本民主党が誕生し、鳩山一郎内閣になると、日米間の不平等条約を改定して、対等条約に近くしようとする動きが強まった。


そして55年8月下旬に外相の重光葵を代表とする交渉団がアメリカに派遣された。幹事長であった岸信介と農相の河野一郎が同道した。交渉相手は、アイゼンハワー大統領に任命された国務長官のダレスであった。


ダレスは安保改定に否定的だった。重光は「現行条約を締結した時、日本には防衛力がありませんでした。だから、日本はアメリカに頼らざるをえなかったのです。しかし今は違う。日本は自国の防衛力を保有しているのです」と主張した(塩田潮『憲法政戦』日本経済新聞出版社)。だから条約を改定すべきだというのである。


だが、ダレスは「日本の防衛力は不十分」だと指摘した。


「アメリカが万一攻撃を受けた場合、日本ははたして軍隊を国外に派遣し、アメリカを助けてくれるのでしょうか。これは疑わしいでしょう。もし日本が妥当な戦力をもち、また、法的な枠組みが整理され、改正された憲法をもっているというのならば、状況は変わってきます」


つまりダレスは、憲法を改正し、集団的自衛権の行使ができないかぎり、安保条約の改定は無理だと言い切ったのである。重光の交渉は、ダレスにほとんど相手にされないで終わった。


そして、このやり取りを聞いて、岸は、何としても憲法改正をして、安保改定を成し遂げなければならないと強く思ったのである。もちろん憲法改正は岸が戦後復活したときからの持論であった。


■岸信介のグランドデザイン


56年12月に鳩山一郎が首相を辞任すると、岸信介は総裁選に立候補したが、石橋湛山、石井光次郎の2、3位連合に敗れて、石橋が首相となった。ところが石橋は体調を崩して退陣し、57年2月25日に岸内閣が発足した。岸は衆院議員となって3年10ヵ月しか経っていなかった。


首相になった岸は、自分の内閣の目標を「目指す政治の基軸は外交と治安」だと言い切った。


そして、女婿の安倍晋太郎が、「なぜ治安立法なんかに力を入れるのですか。得意の経済で勝負したほうがいいのでは」と尋ねると、「首相というのはそういうものではない。経済は官僚でもできる。問題が生じたときに政治が正せばいいが、外交や治安はそうはいかない。首相になったからにはこの二つこそ力を入れる必要がある」と答えている。


ノンフィクション作家の塩田潮は前掲書の中で、実は、岸は「占領期に吉田元首相が敷いた『経済重視・富国軽軍備』路線からの転換をもくろんだ。占領政治の影を払拭して独立国にふさわしい国家経営のスタイルを確立するのが政界に復帰したときからのグランドデザインであった」のだと書いている。


ところで、岸は、ダレス・重光の激しいやり取りから、もちろん不平等きわまりない安保条約は改定しなければならないが、それは憲法を改正した後だと考えていたはずである。だが、現実には憲法改正をしないまま、安保条約改定に踏み切った。なぜなのか。


一つには、マスメディア、そして何よりも、自民党の「天敵」である社会党の委員長をはじめ党幹部たちが「不平等条約の改廃」を強く求めたのである。


「この際特に総理の所信を確かめておきたいことは、日米安保条約、日米行政協定に対する基本的な考え方であります。砂川流血事件のような、同じ血につながる同胞が血を流すといったような不幸な事件や、米国の軍政下における沖縄同胞の血みどろの抵抗を、総理は如何に考えられるか、如何に見られるか。


これらの問題について、アメリカ政府と交渉し、あるいは国連に提訴し、誠意をもって問題の解決に当たることはもちろん、こうした問題の根本的解決のため、同時に日本民族独立のために不平等条約の改廃を断行するため、総理は国民と共に、政府をひっ下げて、力強く一歩を踏み出す決意をもっていないかどうか」(鈴木茂三郎、57年2月4日)


また社会党参議院議員会長の羽生三七は、翌5日に次のように主張している。


「この条約と協定は、サンフランシスコ平和条約締結の際に、早急の間に取り決められたものでありますが、実に多くの欠陥に満ちた条約であり、協定であります。しかも昨今の国内的情勢との関連においてこれを見るときは、速やかに再検討さるべきものであることはここにあらためて言うまでもないところと信じます」


「安保条約あるいは行政協定というものは、私どもはもはや改正の段階にある、あるいは改廃の段階にある、あるいはもっと言葉を強めて言えば、改廃を目標にして、何らか積極的な手を打つ段階がきておると私は思うのです」(和田博雄、57年2月8日、衆議院)


それと同時に、重光外相に対しては冷淡そのものだったアメリカ自体が姿勢を変えたのである。具体的に言えば「不平等条約」を改定しなければならない、と考え始めたのだ。


(明日公開の後編につづく)


 

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コメント
 
1. 2016年4月02日 09:12:49 : RL9L5GYw26 : 3V7ueSAY@h4[48]
1950年 米国占領下である、朝鮮戦争勃発 非常事態

米国の政策変更いたしかたあるまい、共産国に日本を占領されては困る。

日本には戦力、軍隊がないのだから。

天皇制は2500年続く日本国体(国柄)である、守るべきもの。

1950年当時 占領下では 日米安保はやむを得ぬ選択。



2. 中川隆[2200] koaQ7Jey 2016年4月02日 09:14:22 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[2195]

マサチューセッツエ大教授のジョン・Dダワーは米国の公文書館で天皇ヒロヒトの発言を見出した。


@ 天皇は「日本人の心にはいまだに封建制の残澤がたくさん残っている。それも根こそぎにするには長い時間がかかるから占領は短かすぎない方がいい」といった。

A「神道を奉じる分子とその同調書は反米的だから警戒を要する」といった、というものである。


ヒロヒトの発言は決して日本国の象徴たるものにふさわしいといえない。まさに偽帝の言というべきである。
http://www.snsi-j.jp/boards/sirogane/152.html

戦争放棄の第9条は米軍の日本の占領政策として考えたもの。

敗戦国の日本がクーデターや共産革命を起こさない様に戦力は一切持てない様にしたのさ。

占領政策は昭和天皇とマッカーサーが何回も会談を重ねて決めた

戦前も戦後も日本の外交は昭和天皇がすべて決めていたよ

戦後総理になった吉田茂も昭和天皇の指示通りに動いていたしね

東京裁判は昭和天皇の戦争犯罪を陸軍軍人にすべて肩代わりさせる目的で行った

南京大虐殺, 731部隊の人体実験とか従軍慰安婦強制連行は昭和天皇が直接指示してやらせたものだったので、東京裁判では意図的に触れない様にした

浅香宮の様な昭和天皇の虐殺指示を軍部に伝えた皇族は裁判には出さない様にした

昭和天皇は自分がアメリカとグルだったとばれない様に色々工作したのさ

東京裁判の事を検証すると天皇制を廃止せざるを得なくなるんだよ

昭和天皇とマッカーサーが一緒に写った写真は意図的に昭和天皇をみすぼらしく撮ったヤラセ写真

マッカーサーの昭和天皇との会見記も嘘八百のでっち上げ

マッカーサーは当時世界一の資産家だった昭和天皇から巨額の賄賂を貰ったという噂だよね


昭和天皇がルーズベルトに日本を占領して共産革命から守ってくれと頼んで太平洋戦争を始めたんだろ

沖縄返還の時に米軍が出て行こうとしたのを引き止めたのも昭和天皇

昭和天皇が御前会議の内容をすべてルーズベルトに伝えていたのは有名な話
つまり、真珠湾奇襲攻撃はルーズベルトが昭和天皇に指示してやらせたんだよ

そもそも当時の日本で真珠湾の事を良く知っていたのが昭和天皇だけだったというのは有名な話

アメリカは不景気対策として日本と戦争したがっていた
それで昭和天皇に命令して真珠湾を攻撃させた

宣戦布告を遅れさせたのもルーズベルトの指示だろうね

天皇が護憲派なのは、天皇一族は日本国憲法で保障された日本最大の既得権益者だから簡単に改憲される様になったら困るんだよ

そもそも米軍が東京の近くにいるのも革命から天皇一族を守る為

日本に軍隊が有るとクーデターや革命を起こして天皇一族を処刑する可能性があるので、昭和天皇は

日本が永遠に軍隊を持てなくなる様にしてくれ

とマッカーサーに頼んだのさ

それが第九条の背景


昭和天皇も今上天皇も軍人によるクーデターや革命を極度の恐れているから、日本軍を持たないで米軍に皇居の近くに駐留して天皇一族を守ってもらいたいという事さ


3. 2016年4月02日 09:31:15 : RL9L5GYw26 : 3V7ueSAY@h4[49]
1>>。ヨ昭和天皇がルーズベルトに日本を占領して共産革命から守ってくれと頼
   んで太平洋戦争を始めたんだろ」

   ならば はじめから 反共だった日本を米国がいじめて、戦争においこん

   だのだ、ソ連に膨大な軍事援助したのは米国だった。

   君の論理には矛盾がある。


   むしろ、日本、ドイツを叩いたあとの 第二次大戦後、米国 ソ連の

   冷戦 でまた金儲けようとした 国際金融資本、軍産複合体ら の

   深謀だったというほうが 筋がとおる。


4. 2016年4月02日 09:49:38 : RL9L5GYw26 : 3V7ueSAY@h4[50]
「昭和天皇がルーズベルトに日本を占領して共産革命から守ってくれと頼んで太
 平洋戦争を始めたんだろ

 真珠湾奇襲攻撃はルーズベルトが昭和天皇に指示してやらせたんだよ

 アメリカは不景気対策として日本と戦争したがっていた
 それで昭和天皇に命令して真珠湾を攻撃させた」


 上記は あくまでも 1>>さんの 妄想、フィクション にすぎない。


 むしろ、ソ連 悪魔スタ−リンの謀略説のほうが信憑性がある。

 つまり、当時の米国ル−ズベルト政権内部にはコミンテルン、ソ連スパイ

 多数潜入して、日本攻撃へ誘導する工作をしていた(ハリ−ホワイトら)

 ル−ズベルト政権はピンク色(赤が混じってた)


 日本にたいしては スパゾルゲ、尾崎らにより近衛内閣に南進(対米戦争)

 を進言させていた。

 スタ−りン謀略大成功、 第二次大戦後大きな力をもったのがソ連だった

 ことを見ればうなづける話。


5. 中川隆[2201] koaQ7Jey 2016年4月02日 10:20:55 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[2196]

どちらにしろ昭和天皇と吉田茂、海軍の上層部がアメリカと通じていて八百長戦争やったのは厳然たる事実だ:

日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」

太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941.9.6の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」とは吉田茂。
元自民党総裁選=麻生太郎の祖父。

また吉田茂元首相の再軍備問題のブレーンだった辰巳栄一元陸軍中将(1895〜1988年)も、米中央情報局(CIA)に「POLESTAR―5」のコードネーム(暗号名)で呼ばれていた。


吉田茂は昭和天皇の指示で御前会議の内容を毎回、細大漏らさず すべてアメリカに伝えていたん

アメリカから昭和天皇への指示は国務大臣、グルーによって日本の吉田、牧野、樺山、白州のヨハンセングループを通じ貞明皇后に伝わっていた。
http://mayo.blogzine.jp/blog/2008/07/post_3bbd.html


6. 中川隆[2202] koaQ7Jey 2016年4月02日 10:45:46 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[2197]
阿南陸相が自決の直前に言ったという言葉『米内を斬れ』

「阿南陸相は、なぜ『米内海相を斬れ』と言ったのか」

つまり米内光政がアメリカのスパイだと知ったからだよね。

米内光政も吉田茂も昭和天皇の指示通りに動いていただけなんだけどね。


7. 中川隆[2203] koaQ7Jey 2016年4月02日 10:55:19 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[2198]

広田弘毅 は何故 天皇陛下漫才!!!!!! と皮肉を言って死んでいったのか:


三階から処刑第一組として土肥原、松井、東条、武藤の四人の順で、列をつくって降りて来られた。

『三誓偈』の初めの三頌を声高らかに私は読んだ。四人は頭を下げて、静かに瞑目して聞いておられ、終った時、「非常に有難うございました」とお礼をいわれた。それから松井さんが音頭をとって「天皇陛下万歳」を三唱、さらに「大日本帝国万歳」三唱を共に叫ばれた。


仏間に戻って、再び用意して待っているところへ、第二組の三人、 板垣、広田、木村さんが降りて来られた。

顔を合せると、すぐ広田さんが真面目な顔で、

「今、マンザイをやってたんでしょう」

といわれた。

「マンザイ? いやそんなものはやりませんよ。どこか、隣りの棟からでも、聞えたのではありませんか」

私も真面目に、こうこたえた。

「いや、そんなことはないが・・・・・・」

お経の終ったあとで、広田さんが、

「このお経のあとで、マンザイをやったんじゃないか」

といわれた。私も、やっと気がついて、

「ああバンザイですか、バンザイはやりましたよ」

といった。それでやっと、マンザイがバンザイだとわかって、

「それでは、ここでどうぞ」というと、広田さんが板垣さんに、「あなた、おやりなさい」とすすめられ、板垣さんの音頭で、大きな、まるで割れるような声で一同は「天皇陛下万歳」を三唱された。

花山信勝 「巣鴨の生と死」  
http://www.c20.jp/1948/12senpa.html


要するに、昭和天皇がアメリカのスパイだというのをどうしても国民に伝えたかったんですね。


8. 中川隆[2204] koaQ7Jey 2016年4月02日 11:03:20 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[2199]

東条英機は何故、東京裁判で無罪を主張したのか:

東京裁判で収監された東条英機は尋問に答えて、

「我々(日本人)は、陛下のご意志に逆らうことはありえない」と言った。

これは当時としては真実である。

しかし東条のこの発言が宮中に伝えられると天皇は焦ったと言われる。
責任が全部自分に来てしまい、自分が絞首刑にされる。

それで天皇は部下を遣わして、東条と軍部に戦争責任を負わせるべく工作をした。

 それから天皇は、なんと東京裁判のキーナン検事に宮廷筋から上流階級の女性たちを提供し、 自分が戦犯に指名されないよう工作した。キーナンはいい気になって、しきりに良い女を所望したと鬼塚氏は書いている。

キーナンに戦争の責任は全部東条ら陸軍軍人におっかぶせるからよろしく、 との意向を女を抱かせることで狙った。女優・原節子がマッカーサーに提供されたという噂は、 噂ではあるが、当時から根強くあったのは有名である。おそらくそういう悲劇が多数あったのだろう。

みんな天皇一人が責任を回避するためであり、東条らが天皇を騙して戦争を指揮したというウソの歴史をつくるためであった。


_______


要するに昭和天皇がアメリカとグルだと知っていたからアホらしくなったんだね


9. 2016年4月02日 11:42:02 : RL9L5GYw26 : 3V7ueSAY@h4[51]
1>>。ヨ昭和天皇と吉田茂、海軍の上層部がアメリカと通じていて八百長戦争や
   ったのは厳然たる事実だ」

  なぜ 昭和天皇がアメリカと八百長戦争しなくてはならないの?

  日本がアメリカと八百長戦争しなければならなかった 動機はなぜ?

  全く理解できないのですが。

  八百長なら米国に負けてもらう筋書きもあったろう。


10. 中川隆[2205] koaQ7Jey 2016年4月02日 12:16:52 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[2200]
>>9

真珠湾攻撃をやるまえに海軍自身が「石油は2年しかもたない」といっていたが、天皇も軍部も最初から負けるとわかっていてアメリカとの戦争に突っ走った.

天皇が一番怖かったのは日本のなかでの革命だった。

満州事変のまえの2・26事件にしても、日本は農村恐慌で農民一揆も2000件もあり、社会不安が起こる危険性が高かった.

ソ連や中国に負けるわけにはいかなかった、どうしてもアメリカに負けなければならなかった

そうした背景があって青年将校が事件を起こした。事件そのものは鎮圧したが、天皇や上のものは、共産革命が日本でも起こることを念頭においていただろうし、それをもっとも恐れただろう。

太平洋戦争でアメリカに負けたというが、そのまえに中国でさんざんにやられている。それが日本の敗戦を決定的にしたのだ。

 日本軍は中国人や朝鮮人を「チャイナ」とか「ヨボ」とかいってべっ視しきっていた。創氏改名をさせ、名前も宗教も認めない、日本に労働力として強制連行したり、兵隊にとっていた。中国に負けて撤退となると、「勝った、勝った」という大本営発表がうそだったということになり、国内で大混乱になる。

それこそ革命が起こり、天皇の首が危なくなる。だから、「中国からの全面撤退」は絶対に認められなかった。それよりも天皇制を維持するために、負けるとわかりきったアメリカとの戦争に突入した。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/utunomiyamutuo.htm

そのまま行ったらソ連が参戦してきて日本は占領されてしまう.

そして,昭和天皇が中国での大虐殺の黒幕だったことが明らかにされ,戦犯として死刑になり,その汚名は世界中で何千年も語り継がれる事になる.

しかし,昭和天皇は凡人には想像を絶する程の賢こかったんですね.

昭和天皇が考えた天才的アイデアとは:


アメリカはアジアを侵略した日本を懲らしめるため、そして国民が好戦的であるから原爆投下をして戦争を終わらせ、いく百万の人命を救ったと、みずからを平和主義者であるかのように宣伝してきた。

だが実際は、日本を侵略し、単独で占領して属国にする計画を、ずっと以前から持っており、それを実現するチャンスと見なして緻密な計画を持って望んだ戦争であった。日本支配にあたっては、天皇を傀儡(かいらい)とする政府をつくることも計画していたし、戦時中も天皇や皇族を攻撃してはならないという命令を米軍将兵に厳守させていた。それは天皇側にも知らされており、近衛文麿や吉田茂などはその線で動いていた。東京大空襲でも皇居は攻撃されていない。


国民は皆“お国のため”といって国に殺された。天皇はアメリカに日本を占領してくれとお願いしたんだ! それは共産主義が怖くてアメリカに自分を守ってもらうためだった。

米軍の無差別空襲のなかで、不思議なことに皇居は攻撃対象からはずされ、三菱重工広島造船所や長崎造船所は広島、長崎の原爆投下でも被害はなく、下関空襲でも三菱や軍は無傷であった。


アメリカの国立公文書館で発見された「米国陸軍軍事情報部真理作戦課『日本プラン』」

日本プラン」は1941(昭和16)年12月、すなわち日本軍の真珠湾攻撃の直後に作成が開始されたもので、「天皇を平和の象徴(シンボル)として利用する」戦略が明記されていた。すべての戦争責任を、「軍部」に押しつけて天皇を免罪し、「象徴天皇制」のもとで日本を占領支配するという計画を立てていた。1942(昭和17)年5月には「皇室に対するすべての攻撃は避けられなければならない」とする「英米共同指針計画」を出し、皇居への爆撃の禁止命令を厳格に実施させた。戦後駐日大使となったライシャワーはその当時、「日米戦争勝利後の“ヒロヒトを中心とした傀儡(かいらい)政権”」を提言し、「天皇は100万の軍隊駐留に匹敵する」と主張していた。

三井、三菱、住友、安田の4大財閥は、太平洋戦争中の4年間に重工業においては全国投資額に占める割合を18・0%から32・4%にふやし、金融では25・2%から49・7%へと急膨張を遂げており、「三菱は戦争のたびに大きくなった」と三菱電機社長はのべている。

 こうして1945(昭和20)年までの15年戦争で、日本の人民大衆は320万人以上が殺され、日本の都市の大部分は焼け野原となり、親兄弟、息子を殺され、家屋敷、家財道具を空襲で焼き払われて失い、塗炭の苦しみを味わった。だがこの戦争で、三井、三菱などひとにぎりの独占資本はボロもうけし、天皇を頭とする支配階級はアメリカによりすがり、アメリカの日本占領支配の下請機関となって生きのびた。そして戦後61年たった今、世界でもまれにみるアメリカの従属国家となっている。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/320mannninngakorosaretadainizisekaitaisenn.htm


11. 2016年4月02日 15:34:11 : RL9L5GYw26 : 3V7ueSAY@h4[52]
11>> へ-、 昭和天皇は戦前からソ連共産党、中国共産党の膨張を見通し

    ており、 負けて勝つの作戦で米国に負けて、米国のもとで日本の共産

    化を避ける作戦を考えたのですか。へ---。

    ま、わしとしては天皇制が守られてよかったと考える側ですが。


    で、アメリカの軍事力が弱まり、共産中国の力が増大したいまどうする

    かですね、 今度はどこの国に負けて、中国共産党の脅威を避けるか

    ロシアと戦い負けて、ロシアの属国として、天皇制を守るべきでしょう


    か?


     


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