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舛添都知事 「母介護の大ウソと骨肉の銭ゲバ闘争」〈姪が怒りの告発〉〈「私の政治の原点は母の介護」のはずが…〉(週刊文春)
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投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 6 月 08 日 18:55:55: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 


舛添都知事 「母介護の大ウソと骨肉の銭ゲバ闘争」〈姪が怒りの告発〉〈「私の政治の原点は母の介護」のはずが…〉
http://9321.teacup.com/sinpo/bbs/2205
「週刊文春」2016年6月2日号 東京新報 投稿日:2016年 6月 8日


「政治家としての原点は母の介護」。舛添氏はそう公言して、介護本を量産し、厚労相となり、都知事にまで上り詰めた。だが氏の故郷で“美談”を信じる人はいない。「叔父によって祖母を奪われた」。実の姪が初めて明かす舛添家の隠された“ファミリーヒストリー”。

「本当の言葉というものをあの人は持っていません。これまでの人生も嘘ばかり。今回の騒動は積もり積もった嘘が暴かれ、誤魔化し切れなくなったんでしょうね」
 渦中の舛添要一都知事(67)を厳しい言葉で評するのは、舛添氏の姉の娘、つまり実の姪にあたる後藤春香さん(48・仮名)だ。

 とりわけ春香さんが「許せない」と憤るのは、舛添氏が自身の母親であるユキノさんを介護したと公言し、さらに舛添氏の姉である春香さんの母に対して、後述するような執拗な人格攻撃を行った点である。

■もともとは“自慢の弟”だった舛添氏

「叔父は長年母親を介護したと言いますが、まったく事実ではないし、本当に頭に来ます。叔父は介護を全部手掛けたように語り、私たちの家族が痴呆を放置したように批判しますが、そもそもずっと東京に住んでいて祖母と同居したことすらないのに、介護の現場が理解できるのでしょうか」

 いったい両者の間で何があったのか。その前に舛添家の家族構成に触れておく必要があるだろう。

 舛添氏は一九四八年、北九州市八幡で、父・弥次郎さんと、母・ユキノさんの長男として、五人姉弟の末っ子として生まれた。上には四人の姉がおり、春香さんの母が長姉にあたる(下は家系図)。



 父の弥次郎さんは舛添氏が中学生のときに他界しているが、一九九八年、舛添氏は母・ユキノさんの“介護”体験を綴った『母に襁褓をあてるとき――介護 闘いの日々』を上梓し、発売三カ月で八万部を突破する大ベストセラーとなる。

 この出版を機に、介護問題について十冊近い著書を出版するなど、それまで国際政治学者として知られていた舛添氏は介護問題においても評論家としての地位を固めたのだ。

 その後、九九年に都知事選に出馬してから現在に至るまで舛添氏は、繰り返し、こう語っている。

「私の政治家としての原点は、母の介護経験です」

 〇七年には、その経験を買われ厚労大臣に就任。政治家・舛添要一にとって、介護問題はライフワークであるはずだが、小誌が入手した一五年四月からの「知事週間日程予定表」によると、美術館には四十回近く通いながら、介護施設への訪問・視察は一度もない。

 もし春香さんの言葉通り、その“原点”に疑義があるとすれば大きな問題だが、小誌では、舛添氏が〇七年に厚労相に就任した際にも、この疑惑を報じている(〇七年九月十三日号「舛添要一『消せない過去』」)。

 当時、小誌に舛添氏の介護の実態を証言したのが、春香さんの母だが、二〇一一年に、ひっそりと鬼籍に入っている。

 小誌取材班は改めて春香さんに話を聞くべく、北九州へと飛んだ。

 かつて舛添氏の生家があった北九州市八幡東区の三条地区は、近年県道が整備されるなど大きく変貌を遂げたものの、いまだ野焼きの匂いが微かに漂う。

 東西に走る県道を一本脇道に折れ、石畳の階段を登っていくと、長年、舛添氏の母親と長姉一家が同居していた一軒家が現れる。春香さんは、今もここに住んでいる。

 春香さんによれば、父を早くに亡くした舛添家において、長姉は十一歳年下の舛添氏の面倒をわが子のようにみてきたという。

「食事の世話はもちろん、大学まで叔父を進学させたのも母です。自慢の弟だったんですよ。叔父が国際政治学者としてマスコミに出るようになると、母は我が事のように喜んで、叔父が出る番組すべてを録画していました。数百本近くのビデオテープが、まだ残っているほどです」

 一方で、長姉夫婦は母・ユキノさんと、三十年以上同居してきた。

 ところが九六年、そのユキノさんが自宅で段差に躓き、転倒。その少し前から、認知症の兆候が見られたこともあり、介護施設へ入ることとなった。

「トイレも自分でできなくなってました。父は、祖母が徘徊しないように、玄関で寝起きしていました」

 だがその時点で、舛添氏が母の介護に特段興味を示すことはなかったという。

「仕事の都合で実家に帰ってきたとき、施設に顔を見せに行っていた程度です。一時間滞在すれば長いほうで、祖母は叔父の顔が分からないこともよくありました。施設の費用は叔父が払っていたと思いますが、洗濯物など日常の世話は、母に任せきりでした。私も母と一緒に祖母のところへ行っていましたから、よく覚えています」

 入所から約一年が経った九七年、その後の骨肉の争いの発端となる“事件”が起こる。舛添氏が突然、介護施設での母親の様子を、テレビの報道番組『サンデープロジェクト』で取材させたいと言い出したのだ。

 生前の長姉は、〇七年の小誌記事の取材に、次のように答えている。

「『サンプロ』の件は、何も聞かされていませんでした。『今からテレビ局の人と一緒に施設に行くから』と要一がいうので、慌てて施設に行くと、『サンプロ』のスタッフの女性にどんな気持ちですかと尋ねられたので私は正直に『戸惑ってます』と答えたんです」

■長姉夫婦に送られた「警告書」

 舛添氏が母の車椅子を押す場面も撮影したが、空気はどことなく固かった。

「このときの様子をおかしいと思ったんでしょう、後でスタッフの女性から『放映してはいけませんでしょうか』と電話がありました。『私は反対です』とお伝えしたんです。すると要一から『放映を中止されたら損害賠償を求める』などの内容の文書がファックスで送られてきたんです。それでこちらも知り合いを通じて弁護士さんに相談しました。(略)あの子は頭がいいから何をやってくるかわからんし、恐いですよ」(同前)

(当時の舛添氏は小誌の取材に対して「サンプロには他の人の命を救いたいから恥を忍んで母を出したんです。損害賠償なんてあるわけがない」と答えている)。

 この「サンプロ事件」が契機となって、舛添氏と長姉の関係は急速に悪化していく。春香さんが語る。

「叔父にとっては、政治の世界に足を踏み入れようという時期であり、自分が介護している姿をテレビで取り上げてもらいたかったんでしょう。それまで喧嘩なんてしたことはなかったのですが、この件で、母と叔父が激しく言い争った。それまで叔父は、祖母について『マスコミに出せるような母親じゃない』と存在を隠してきたのに、認知症になった途端、テレビに出して利用しようというのが母には許せなかったのです」

 さらにユキノさん名義の定期預金をめぐるトラブルも発生する。

「たまに叔父が帰郷したときに生活費として祖母に渡したお金を貯めて管理していたのです。一回につき二、三万、多くて五万円くらいでしたね。それに加えてうちの家からのお金もあったと思います。そういう祖母名義のお金をまとめて、当時、私が勤めていた信用金庫に定期預金で預けていたのです。すると、叔父が私の職場に対して『その金を返せ。そうしないと働けないようにするぞ』と脅迫めいた電話をかけてきたのです」

 同時期に、舛添氏は長姉夫妻、春香さんの三人に対して、「警告書」や「告訴準備書面」と題した書面を数回にわたり送り付けている。今回、小誌はその文書を入手したが、その内容はとても、肉親に宛てたものとは思えない。

 最初に送られた「警告書」にはこうある。

《(長姉夫妻は)病身で、吐血し、十二指腸潰瘍まで併発し、療養中の舛添ユキノに対して、罵声を浴びせかけ、恫喝により恐怖のどん底に陥れ、病状を悪化させたことは、人間失格ともいえる行為であり、絶対に許すことはできない。さらに、舛添要一、三姉(原文では実名・以下同)の私邸におしかけ、暴行ないし暴行未遂を繰り返し、金品を強要するに至っては、法治国家である日本においては刑事罰の対象となることは言うまでもない》

 この内容について、春香さんは、「大嘘もいいところです」と語る。

「全部、叔父の作り話です。両親が祖母に罵声を浴びせるなんてありえません。この文面をみて両親は、『ほとんど脅迫だね』と恐怖を感じて、弁護士さんに対応を一任しました。

 たしかに父が叔父に対して文句を言いに行ったことはあり、父は田舎育ちで言葉遣いが悪いところがありますが、手を出すことはあり得ません」

■「舛添さんはほとんど来なかった」

 こうした身内のトラブルについて、舛添家以外の第三者はどう見ていたのか。

 近隣住民に話を聞いたが、長姉夫妻によるユキノさんへの暴行、暴言を見聞きした人間は皆無だった。

「(長姉の)ご主人は町内会長をされていて、世話好きできちんとされた方でした。近くの公園に雑草が生えていたら気づいたときに一人で全部抜いてくださったりして。病院に連れていくときに、お祖母さんを背負って階段を下りる姿をよく見ました。違うことは違うってはっきり言われる方ですけど、暴力はもちろん金銭要求などするはずもありません」

 一方、舛添氏が介護に従事する姿はほとんど目撃されていない。

「舛添さんはほとんど八幡に帰ってきていなかった。たまに来たと思ったらカメラマン連れてきて、お母さんを車椅子に乗せて散歩しているところを映していました。私の知人が、ユキノさんと施設で同部屋だったんですが、最近、その方から『舛添さんはほとんど来なかった。ずっとお姉さんが世話をされていた』と聞きました」(同前)

 当時ユキノさんが入居していた介護施設を運営する法人の理事長は次のように証言する。ちなみに理事長は舛添氏の高校の先輩で、両者は顔見知りでもある。

「うちの施設で、お姉さん夫婦がお母さんを虐待や罵倒なんてことは一切なかった。他の入居者の目もありますし、何かあったらすぐ報告が上がってくるので不可能です。私が見る限り、お姉さん夫婦とお母さんとの間にぎこちない様子は全くなかったし、きちんとお世話をされていました。

 テレビの取材のときは、舛添自身が私のところにお願いしますと頼みにきました。取材の様子を見ていましたが、舛添は自分がカメラに映りたがっていましたね。だからお母さんの車椅子を押すのもお姉さんたちじゃなくて舛添。お姉さんたちには『脇に避(よ)けといて』という感じでした」

 先の警告書のなかで、長姉夫妻と春香さんに対して、舛添氏は次のような事項について誓約書を書くよう求めている。

《(1)舛添ユキノと親子の、舛添要一、次姉、三姉と兄弟姉妹の縁を切る。
(2)介護をはじめ、あらゆる件につき、舛添ユキノ、舛添要一、次姉、三姉に一切関わらない。
(3)舛添家とは一切の関係を絶つ。父、舛添弥次郎、および舛添家のすべての位牌を、八幡東区の舛添要一宅に配送させる。長姉の家から舛添の表札をはずす。
(4)舛添ユキノの財産の相続権を放棄する。
(5)舛添ユキノ、舛添要一、次姉、三姉に対して、何等の金銭的、物質的要求はしない。》

 一方的に絶縁を迫る内容であるばかりか、驚くべきことに、これらの項目が履行されないと、刑事告訴だけでなく、損害賠償請求まで起こすという“銭ゲバ闘争”も仕掛けている。

《(1)舛添要一に対して暴行し傷害を与え、また多大な精神的苦痛を与え、仕事を妨害した件につき、2000万円
(2)舛添要一の妻、舛添雅美に対して、多大な精神的苦痛を与え、健康を害させ、仕事を妨害した件につき、1000万円
(3)舛添ユキノに多大な精神的苦痛を与え、病状を悪化させた件につき、1000万円
(4)昨年4月以降、舛添要一が負担してきた舛添ユキノの介護費用、200万円の4分の1に相当する額、50万円》

 さらに「警告書」の翌月には、「告訴準備書面」を送付。内容はさらに激しさを増している。

《私は、残念ながら全国的に極めて知名度が高く、自分の姉一家を刑事告訴するということになれば、マスコミに報道される可能性が高く、精神的にも耐え難い苦痛を受け、また物質的にも多大の損害が予想されます。(略)
 私は、幸いなことに毎年数千万円納税する高額納税者であり、その納税額の十分の一にも満たない母親の預金を狙うほど困窮しておりません。そのカネを強要したのは長姉の夫であり、金の亡者と化した長姉一家の思考は、所詮は金のことにしかめぐらないのです》

 問題となったサンプロの取材を強行した理由については、こう主張する。

《今や老人介護の問題は日本全体の大きな社会問題となっており、オピニオン・リーダーとして、介護の現場にいる私が、大所高所から取り上げる義務があります。そこで、新聞や雑誌に論文を書くとともに、テレビで番組作りをしているわけです。(長姉夫妻は)介護を社会的視点からとらえることもせず、また母親を介護するどころか、命を縮めるようなことをしながら、テレビの取材に「憤慨する」とは、よくぞ言えたものです》

■長姉夫婦への執拗な人格攻撃

 舛添氏からの一連の“恫喝文書”の送付は、長姉夫妻が弁護士を通して、舛添氏に三百万円の定期預金の通帳を渡した途端、ピタリと止んだという。

 当時、長姉一家の代理人を務めた弁護士が語る。

「長姉夫妻が、舛添さんが書いたような人たちではなく、きちんとお母さんの世話をしていた事は聞いていました。長姉夫妻も突然、舛添氏から、このような対応をされ仰天していたというのが実際のところです。夫妻はお金にこだわりはなく、彼らが着服するかのように書いているのは全くの誤解で、舛添さんが話を作っているのでしょう」

 以降、舛添氏は長姉一家を母・ユキノさんの介護から引き剥がしていく。

 舛添氏はユキノさんを別の介護施設に移し、舛添氏のファミリー企業の役員でもある三女にユキノさんの介護を任せていたという。

 以降、様々なマスコミでユキノさんを介護する舛添氏の姿が盛んに報じられるようになるのだ。

 そんな状態におかれても、長姉はユキノさんのことを片時も忘れることはなかった。

「祖母について『どうしているのかな。認知症が進んではいないか』と、ずっと心配していました」(春香さん)

 だが長姉一家の苦しみはこれで終わらない。その深い傷跡に、舛添氏は、容赦なく塩を塗り込んだのだ。

 九八年、舛添氏は前述の『母に襁褓をあてるとき』を上梓するが、そのなかで、長姉を「女帝」、その夫を「ドーベルマン」などと評し、次のように執拗なまでの人格攻撃を行なっている。

《人間の欲にまみれた一番醜い面を見せられて、何とも情けなく、不快な気分になりました。長姉は、金のことには淡泊で、飢えても人の金などには手を付けない潔癖さを持った女でした。その点は、母によく似ていました。ところが、その姉にして、まるで人が違ったように、金の魔力にとりつかれてしまったのです。(略)今回のわが家族崩壊で私が最もショックだったのは、A子(長姉)までが、母の命よりも金を優先させるような人間に堕落してしまったことです。「似たもの夫婦というから、長年の共同生活で長姉も吝嗇亭主に洗脳されてしまったんだろう」とでも考えるしか、自分の気持ちが整理できません》

 家族の問題は外部から窺い知れぬものがあるのは確かだが、それにしても、これが出版物を通じて肉親に投げ掛ける言葉だろうか。

 前出の介護施設の理事長は、同書についてこう語る。

「話題になるように、想像もたくさん入れた小説のようなものでしょう。オーバーに書かないと売れませんからね。題名にもあるオムツ(襁褓)ですが、舛添が施設で母親にオムツをあてるなんてことはありません。全部職員がやりますから。舛添自身は、後に『この本のおかげで厚労大臣になることができた』と話していました」

 前述した文書を長姉夫妻に送付した理由を舛添氏に尋ねたが、回答はなかった。
 春香さんにとって、舛添氏とはどのような人物なのだろうか。

「叔父には、幼い頃から可愛がってもらいましたが、自分は頭が良くて特別な人間だという振る舞いをしていました。一言でいえば、傲慢な人です。たとえば周囲の人が自分のために世話をしてくれても、お礼一つしないんです。『有名人である自分と知り合えることが、向こうにとって有り難いことなんだから』とよく言っていました。

 今回、叔父の領収書をめぐる疑惑が問題になっていますが、叔父と一緒のときはいつも自分の会社で領収書を切っていました。私に洋服を買ってくれた時ももらっていましたからね」

 舛添氏には三度の結婚歴があるが、結婚するたびに妻を実家に連れて来て、長姉にも紹介していたという。

■「遅かれ早かれ、いつか自滅する」

「叔父が奥さんを連れてくるときは、母は張り切ってご馳走を作っていました。片山さつきさんともお会いしたことがあります。今の奥様である雅美さんは叔父にとって自慢の奥さんだったようです。結婚当初から、『料理も上手いし、家事をきちんとこなしてくれる。女優の松雪泰子に似ていて美人だろ』とのろけていました。雅美さんは誰に対しても人当たりがよく、感じのいい人だなという印象を持っています」

 だが、舛添氏と長姉夫婦との関係が修復されることはなく、それどころか、長姉夫婦は、舛添氏のファミリー企業の取締役である三女を含めた一族からも孤立してしまったという(今回、改めて次女以下に取材を申し込んだが、取材は叶わなかった)。
「二〇〇〇年に祖母が亡くなったときも私たちには一切連絡がなく、死に目にはあえず、葬儀にも呼ばれませんでした。訃報は報道で知りました。私も祖母と一緒に暮らし、可愛がってもらっていたので、本当に胸が痛みました。両親はただ、『もう諦めるしかない』と話していました」(春香さん)

 そして先述したとおり一一年、長姉は亡くなり、夫も後を追うようにして亡くなった。

「母は他界する直前、『私にきょうだいはいない。一人なんだ。要一たちには絶対に知らせないで』と言い残して逝きました。だから叔父や、母の妹たちにも連絡していません。亡くなったことは伝わっているでしょうが、今に至るまで何の連絡もないし、花も届いていません」(同前)

 だがそんな状態であっても、最後まで舛添氏の行く末について心配していたという。

「叔父が厚労大臣になったとき、母は『要一は人間関係がうまく築けないから大丈夫か』と心配していました。あそこまで手酷い仕打ちで裏切られたのに、なぜ母が叔父のことを思いやるのか、私には不思議でした。ただ最後には『これまでのウソが暴かれる前に、自分から身を引いたほうがいいのに。遅かれ早かれ、いつか自滅するときが来る』という言葉も遺しています」

 姉の“予言”はまさに現実のものとなりつつある。

「週刊文春」2016年6月9日号





舛添〈都知事〉 カネと女「爆弾証言」
http://9321.teacup.com/sinpo/bbs/2205
「週刊文春」2016年6月2日号 東京新報 投稿日:2016年 6月 8日

小誌が舛添都知事の“公用車で別荘通い”を報じてから間もなく一カ月が経つ。この間、その異常な公金感覚を取材する中で、舛添氏と深く関わった人々から、氏の人間性に関わる証言を数多く得た。なぜ舛添氏は最後に人を裏切るのか――そこに一連の疑惑の原点がある。

 五月十八日十九時前、東京都中央区にある「東京スクエアガーデン」。地下駐車場に通じるエレベーターが開くと、そこに満面の笑みを浮かべた舛添要一都知事(67)の姿があった。

「週刊文春です」

 小誌記者が声をかけると、「はい」とだけ答えた舛添氏の笑顔は一瞬にして強張り、そのままSPに守られるようにして、公用車に乗り込み、走り去った。

 その二十分ほど前――。

 同ビル五階にあるコンベンションホールでは「国際自殺予防学会」のイベントが開かれていた。この場で、乾杯の挨拶に立ったのが、舛添氏だった。世界各国から百名近い医療関係者が参加し、マスコミは完全シャットアウト、スピーチも英語ということもあって、舛添氏は饒舌だった。「Can I speak more(もっと喋っていいですか)?」と言いながら、十五分以上もスピーチは続いたという。

 とても数々の疑惑の渦中にいるとは思えないが、パーティの参加者が語る。

「会場に着くやいなや、舛添さんは関係者と談笑を始めていました。スピーチでは、東京を世界一の都市にするため都内の交通渋滞を完全解消すると語り、『二〇年の東京五輪の時に、達成できているかどうか見に来てほしい』と話していました。二〇年まで都知事でいる気満々だなと思いましたね」

 自身の疑惑については、スピーチの最後の方で、

「I did some mistakes(いくつかミスをしてしまいまして……)」

 と語り、酒ではなく、お茶で乾杯する理由を自虐的に説明し、会場の笑いをとったという。

 それから二日後の五月二十日。東京都庁では、舛添氏の三度目となる釈明会見が行われた。会見が始まる三時間前には「満席」となるほど報道陣が詰めかけたが、この日の会見は実質的な「ゼロ回答」。二時間十五分の会見の間、舛添氏は何を聞かれても、壊れたレコードのごとく「まず第三者の厳しい目で調査する」と繰り返すのみだったのである。

 これまで小誌をはじめとするメディアが報じた舛添氏の主な疑惑は以下の表の通り。



 こうした問題をすべて、第三者の弁護士に調査を丸投げするというのだ。

「批判が高まっていた海外大名出張についても、すでに都庁職員による検討会を立ち上げていますが結論はまだ出ておらず、今回も単なる時間稼ぎでしょう。五月下旬にはサミットが開催されるので、自分の疑惑への注目が薄れるのではないかと考えているのでしょう」(都政担当記者)

■元愛人は「会見はまさに猿芝居」

 露骨な“時間稼ぎ”に世間には怒りの声が渦巻くが、「まさに猿芝居でしたね」と冷ややかに評するのは、都内に住むA子さん。かつては、舛添氏の愛人だった人物である。

「返すべきお金を国庫に返納し、都民に謝罪したうえで一刻も早く辞任するべきだと思います」

 舛添氏には三番目の妻である雅美夫人との間に二人の子供がいるが、愛人女性A子さんとの間に一人、別の愛人女性B子さんとの間に二人の婚外子がいる。

 当時の状況をA子さんの母親が振り返る。

「彼は東大の助教授で、娘の指導教官のような立場でした。『妻とは離婚するから』と言って、娘は騙されたようなものです。彼が挨拶に来た時も、『二千万円ありますか』とか、ウチの資産状況を探るようなことばかり聞くので、違和感がありました」
 A子さんが産んだ子は成人しているが、重度の障害を抱えているという。

「残念ながら一生、自立できないと思います。娘は女手一つで育てましたが、正直ものすごく大変だと思います。子供が生まれてしばらくは、彼も子供の顔を見に来ていましたが、その後は電話の一本すら寄越さないのです。孫を連れて都庁に乗りこんでやろうかとも思ってます」(同前)

 一方のB子さんと舛添氏は、舛添氏が雅美夫人と再々婚した際に、裁判沙汰となっている。

「二人の子供が生まれてからも、舛添氏はB子さんに対して『もう結婚しない』と言って、交際を続けていた。にもかかわらず雅美夫人と籍を入れたため、B子さん親子は大きなショックを受け、慰謝料を求めた」(B子さんの知人)

 A子さんもこう証言する。

「お子さんを二人抱えたB子さんの方がもっと大変だと思います。当時、B子さんから私のところに『一緒に舛添を訴えましょう』という電話もありました」

■「舛添氏に裏切られた」人たちの証言

 舛添氏の奔放な女性関係は、雅美夫人との結婚を機に、影を潜めたというが、今回浮上した疑惑をめぐっては、舛添氏の個人事務所の代表を務める雅美夫人への注目も集まりつつある。

「間違ったことは一つもございません!」

“第三者連呼”会見当日の早朝、自宅から姿を見せた雅美夫人は、フジテレビ記者に「政治資金について……」と直撃されると、声を荒げた。さらに雅美夫人は「きちんと取材してからいらしてください!」と“逆ギレ”。

 雅美夫人は聖心女子大の出身だが、小誌は夫人が同窓会の会報誌に綴ったエッセイを入手した。雅美夫人は、九九年の都知事選(舛添氏は三位で落選)を振り返ってこう綴っている。

〈夫にも恵まれた、と思う。(略)夫が自ら出馬することになった。お金も組織もなかったが、私利私欲もなかったし、その代わり、大志と政策と、何の見返りも求めずに手弁当で駆けつけてくれる仲間があった。それまで私が思っていた以上に夫は真っ直な人物であった。夫を心から「カッコイイ」と思った〉

 だが、その選挙戦の実情は夫人が言うような清廉潔白なものではなかった。

 舛添氏の自宅近くに住む男性が、地元で話題になった“ある事件”について語る。
「都知事選告示の一カ月ほど前から、舛添さんの自宅周辺の電柱や壁に、B4サイズの『たずね猫』のポスターが貼られていました。奇妙だったのは、ポスターに猫を抱いた舛添さんの写真が付いていたことです。こんな『たずね猫』のポスターは見たことなかったし、これは新手の選挙運動ではないかと疑いました。たしか猫の名前はポンタだったと思います」

 時効が過ぎているとはいえ、これは公職選挙法に抵触するのではないか。

「ポスターを貼ることができる場所は選挙管理委員会によって定められています。所定外の場所にポスターを貼る行為は公職選挙法違反となり、猫探しのポスターであっても、候補者の顔と名前を載せているとなると選挙運動性が認められるので、摘発の対象となります」(都の選管本部)

 当時、選対本部長を一時、務めた栗本慎一郎・元衆院議員は選挙期間中の“金銭トラブル”を明かす。

「ある支援者から一千万円の寄附の申し出があったんです。私が一千万円の配分を決める事になり、二百万円を選挙カーやマイクの費用、残る八百万円を、舛添個人、選挙対策本部で四百万円ずつ分けようとした。しかし彼はこれが不服で、全額自分のものにしようとした。結局、支援者の方がイヤになって、寄附自体、立ち消えになった。とにかく異常な金銭欲と権力欲を持った人間なのです」

 以降、“盟友”だったはずの舛添氏と栗本氏は袂を分かった。舛添氏の周辺を取材していると、誰もが「舛添氏に利用され、裏切られた。その後は連絡もしてない」と口を揃えるのに驚かされる。

 初出馬の都知事選から一一年まで後援会会長をつとめたC氏もその一人だ。

「長年応援してきた自分に恥じ入るばかりです。地元の同級生たちも口を揃えて、『とんだ恥さらしだ』と言っています。今回の記者会見は恥ずかしくて見ていられなかった」

 C氏は舛添氏の幼馴染であり、小中高の同級生だ。

「我々が卒業した八幡(やはた)高校は毎年全国各地で数百人単位の大規模な同窓会を開きます。当時、私は関東支部副会長を務めており、そのネットワークを彼は都知事選に使いたいと思って、後援会会長を引き受けるよう頼んできたのです」

 彼の人間性については次のように語る。

「当時、『お金に関してはクリーンに』と口癖のように約束していたのですが、彼の実像はあまりに異なっていた。昔から金銭面は本当にケチでしたね。他人のためにお金を使うことは絶対にしない。財布を出すところを一度も見たことがありませんし、食事を奢ってもらったこともありません。とにかく彼は他人を利用するという考えしか持ち合わせていないのです」

 一〇年に舛添氏が自民党を飛び出した際にも、事前に相談もなく、以来、C氏は舛添氏と一度も顔を合わせていないという。

 一四年に再び都知事選に挑戦、知事の座を射止めた舛添氏だが、その人間性は、まったく変わっていないようだ。八幡高校同窓会関係者が明かす。

「都知事就任後、舛添氏のキャラクターを活かしたまんじゅうを作って、同窓会で販売しようと計画したのです。これが今回、政治資金で購入したと報じられている『東京世界一。黒糖まんじゅう』なのですが、この計画を聞いた舛添氏は、同窓会サイドに対して、『権利関係が発生するから、こちらにロイヤリティー(特許料)を寄越せ』と言ってきたのです。これにはさすがにみんな嫌気がさして、もう関わらないようにしようと決めたのです」

 一度は応援に駆けつけた人々をして、ここまで言わせてしまう舛添氏に、果たして、都知事としての資格はあるのだろうか。

■美術品購入をめぐる新たな疑惑

 元鳥取県知事の片山善博氏は次のように語る。

「政治家を構成する要素で大きいのは『あの人が言うなら大丈夫』という信頼感です。その信頼感がなければ都知事が指示を出しても職員も素直に受け取ることはできない。また辞任するかもしれない都知事の元で仕事に身が入らないのは当然です。もはや都政はレームダックに陥っているといっていいでしょう。

 舛添氏は第三者の厳しい目で調査すると繰り返しましたが、本来、マスコミこそが、第三者のはずです」

 新たな疑惑もある。

 今回、小誌取材班は情報公開請求によって、「知事週間日程予定表」(以下、「日程表」)を入手した。

 二〇一五年四月〜今年五月まで約一年分の「日程表」をめくると、都政そっちのけで“趣味”に精を出す舛添氏の姿が浮き彫りになった。

「日程表」によれば、舛添氏は一年間で三十八回にわたって都内の美術館・博物館を視察に訪れている。なかには一日に二つの美術館をはしごすることもあった(以下の表参照)。



「このうち東京都が協賛しているものはほとんどなく、“視察”という大義は立ちません。公用車を使って美術展に行き、そのまま自宅に直帰したり、朝も自宅から美術展に直行しているケースもあり、やはり“趣味の美術展めぐり”と言わざるを得ません」(都庁関係者)

 さらにオークションサイト「ヤフオク!」における舛添氏の購入履歴と「日程表」を突き合わせると、興味深いことがわかった。

 たとえば舛添氏は一五年七月十五日に太田記念美術館を訪れ、「浮世絵の戦争画 国芳・芳年・清親」という展示を鑑賞している。

 その直前の十日にはヤフオクで〈浮世絵木版画/本物/広重芳年/国芳の美人画『新吉原角町』浅草〉を購入している。さらに展覧会後の九月三十日には、〈本物浮世絵版画 国芳画 歌舞伎 新左衛門妻 忰新吉〉を購入している。

 つまり美術展視察の前後で、同じ画家の作品を落札しているのだが、その代金を政治資金から支出している疑いもある。

 というのも、舛添氏は過去にも、ヤフオクで購入した〈キース・ヘリングの手紙〉などの美術品を、“資料代”として政治資金から支出したことが、報道で明らかになっているからだ。

 一五年分の舛添氏の政治資金収支報告書は未公開のため、美術品購入について舛添事務所に質問状を送ったが、回答はなかった。

 六月一日からは、東京都議会の定例会が始まるが、舛添氏は今後どうなるのか。

「二年前の都知事選で舛添氏を推薦した最大会派の自民党と公明党は、選挙を避けたいため、未だ沈黙を保っています。ただ野党は、代表質問で厳しく責め立てるでしょうし、罰則規定のある百条委員会の設置を求めると見られています。そこで自公が賛成しなかった場合、都民の怒りの矛先が、自公に向かう可能性もあります」(前出・都政担当記者)

 騒動の渦中で、舛添氏はいかにこの事態を乗り切るかに腐心しているという。

「このところ、舛添さんは自民党関係者と会うと、『元宿(仁・自民党事務総長)さんは何と言っている?』と、大きな発言力を持つ自民党の金庫番の意向を気にしてばかりいます。さらに自身の特別秘書に自民党幹部の動向を探らせています」(自民党関係者)

 五月二十三日には安倍晋三首相が国会で、次のように述べた。

「公私混同という厳しい指摘がある以上、政治家は信なくば立たずですから、しっかり説明責任を果たすことが求められている」

 潮目は変わりつつある。

「週刊文春」2016年6月2日号




 

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コメント
 
1. 2016年6月08日 19:38:14 : QrRJl0EEHQ : 97G@RQmaj54[10]
この内容を知ってまだ舛添氏を支持するという人は皆無だろう。

この件は当時少しばかり報道された。訴訟沙汰にしたのだから表に出た。私は彼ならそんなものだろうとは思ったが多くの人はそれからも彼を信用していた。テレビの力は恐ろしい。

この内容が広まれば彼はもう終わりだろう。


2. 2016年6月08日 23:36:01 : LY52bYZiZQ : i3tnm@WgHAM[-9964]
>要一から『放映を中止されたら損害賠償を求める』などの内容の文書がファックスで送られてきた

 これは従米メディアから脅されて米国に魂を売った(=ので家族を裏切った)→メディアが優秀だとやたら煽てて賢者のイメージをやたらと刷り込む→ゆえに自己の選挙地盤がなくとも参院議員や都知事になれた、ということを意味しているのか?

 桝添の出身校の八幡高校はこの地区では県立で2番目のランクで1番目の高校の合格者がホリエモンの出身高校やラサールなどにも併願合格することがあるのに対してその合格者がいるというのをあまり聞いたことがない。九大合格者も20人以下ぐらい。県下のトップ校からは140人くらい合格するし東大にも多い時で20人くらい合格する。なぜ桝添だけが優秀だと煽てられるのかが以前から本当に謎の一つ。


3. 2016年6月09日 05:57:48 : teDmf30Has : zF8hDIkyF3c[39]
昨日今日、政治家になったわけでもないのに、何を今さら感。
自民党議員だった頃、厚生大臣だった頃に何で書かなかったんですかね。
知らなかったんですか
日刊ゲンダイだけか何かがチョロっと書いてましたけど。
吉本芸人を吊るし上げてた『2ちゃんねるのアイドル』片山サツキは、こいつの親姉妹モンダイは知らなかったんですか。
モト嫁ですけど。

4. 2016年6月10日 17:38:40 : xluNIJzNQw : QqrR1Qvu5eM[1]
在日朝鮮族は同族意識が強く同族の悪口は言わない筈だが、それがこれ程の悪口だからこのカス知事は図抜けたカスなんだな。

実はコイツは知事になる前から在日ではないか思っていたが、コイツが韓国の女大統領と会見した時の満面の笑みの映像を見て間違いないと思った。
それが今日Toyo Ohashi君の記事から確認が取れた訳だ。
在日だからどうなんだという声もあるだろうが、在日とか橋シタ小僧のように出自に引け目を感じている奴がのし上がっていく場合は、その過程で無理をするんだ。
それがこのカスのように結果的に水に落ちた犬のように叩かれることになる。
まあ自業自得だな。


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