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「象徴天皇制は人間主義なのか、象徴天皇制は戦前の国体と断絶しているのか、僕は違うと思う。:住友陽文氏」(晴耕雨読)
http://www.asyura2.com/16/senkyo211/msg/139.html
投稿者 烏滸の者 日時 2016 年 8 月 11 日 21:55:02: hk3SORw2nEVEw iUef9YLMjtI
 

「象徴天皇制は人間主義なのか、象徴天皇制は戦前の国体と断絶しているのか、僕は違うと思う。:住友陽文氏」 
http://sun.ap.teacup.com/souun/20543.html
晴耕雨読 2016/8/12
 
 
https://twitter.com/akisumitomo
 
@考えが揺れている。もう一度考えを整理するためにツイートする。あらかじめ言っておくが、皇室典範を改正して生前退位を認めることは検討の余地はあるが、慎重にした方がよいという考え。「やめる自由」を認めると「やる自由」を認めるざるをえなくなり、それは憲法改正の問題につながるからだ。
https://twitter.com/akisumitomo/status/763573704089448448

A象徴天皇制を全く新しい制度だと考え、天皇の人間性を容認することがこの制度を補強し、だからこそ生前退位という天皇個人の「人間らしい自由」を認めることは、より象徴天皇制を完成の高みに上げるのだという議論が形成されつつあるのだとするなら、これはかなり警戒した方がよい。
https://twitter.com/akisumitomo/status/763573863489732608

B天皇を人間主義的な方向に導くのが象徴天皇制の完成形であるとする見方とは正反対に、生前退位を否定する者を頑迷固陋な守旧派、もしくは戦前回帰型の国体論者とみなすのは、やはり厳密な考察を欠く。象徴天皇制は人間主義なのか、象徴天皇制は戦前の国体と断絶しているのか、僕は違うと思う。
https://twitter.com/akisumitomo/status/763574044734033921

C象徴天皇制下の天皇にさまざまな自由が制約されており、本来市民なら認められる権利が与えられていないことは誰しも認めるところ。そもそも男系の男子しか皇位継承されないのは戦前の「万世一系」が続いている証拠だ。イデオロギー上、天皇が社会に寄り添う者であるとするのは戦前も今も同じだ。
https://twitter.com/akisumitomo/status/763574293187788800

Dならば天皇にも人権を? 本来、人権概念は君主という特権的な身分・血統との対抗で出てきたもの。抵抗感なく「天皇にも人権を」と言えないのはそういう点と関係があるし、その事を踏まえて現行憲法が存立している。天皇への人間主義的な思い入れは天皇と国民との懸隔を安易にフラットにしてしまう。
https://twitter.com/akisumitomo/status/763574491783888896

E天皇と国民との関係を人間主義的なものとして位置づける、支配・被支配という制度上の関係から逸脱する法外の関係性こそ、20世紀に入って新たに国体に付与されだしたイデオロギーだった。情誼的で道徳的な関係性こそ君民関係の本質というのが新しい国体論であり、これこそ護持された国体だった。
https://twitter.com/akisumitomo/status/763574683966906368

F1946年1月1日に昭和天皇が発した「新日本建設の詔書」で、天皇と国民との間の紐帯は「信頼と敬愛」(この言葉は今回の天皇の談話にも登場する)とによって往古から結ばれていたと過去を言い直したが、この「お言葉」が「人間宣言」と呼ばれるのは、やはり意味深長なのだ。
https://twitter.com/akisumitomo/status/763574896999829505

G昭和天皇は以上のような新しい国体思想の形成の時期を歩んだが、同時に大元帥であり現人神でもあった。室伏高信(戦前のジャーナリストで敗戦後の憲法研究会の主要メンバー)から柳田国男まで象徴天皇論は戦前から存在したが、それもまた新しい国体論と親和的であった。
https://twitter.com/akisumitomo/status/763575180379627520

Hすなわち昭和天皇はすでに大日本帝国憲法の体制下でカリスマであり、戦後、自身が国民を統合する象徴だと言われるのは不自然ではなかっただろう。その意味で、昭和天皇はすでに「象徴天皇」で「あった」が、現在の天皇は「象徴天皇」で「あろう」とすることで象徴天皇の地位にいたと言えるだろう。
https://twitter.com/akisumitomo/status/763575879813378048

Iリベラル派からも愛された現在の天皇が「象徴天皇」たらんとして、戦前の近代天皇制とは区別された天皇像を主体的に追求する存在であればあるほど、天皇と国民との間の障害物(「君側の奸」)は排除され、戦前日本で形成された新たな国体思想に近づくという逆説。歴史とはまたそういう一面を持つ。
https://twitter.com/akisumitomo/status/763576616630956033

J教育勅語を出す時に、起草者である井上毅は、立憲主義の原則では天皇といえども人民の内面に干渉できないので、教育勅語を社会上の天皇の個人的な著作広告として発布したいと言っていた。立憲主義の制約を離れた道徳上の天皇像は臣民の内面に入り込み、臣民のアイデンティティの一角を形成した。
https://twitter.com/akisumitomo/status/763576907912712192

K今回の天皇の談話でも憲法上の制約を考慮し、天皇という立場から離れて個人として気持ちを語ると言ってる。個人としての天皇の発言が国民の感動を呼んで、国民統合の象徴としての天皇をいただく国民として一人ひとりが大いなる感化を受ける。もはや天皇が空気みたいで存在感がないなど誰も思わない。
https://twitter.com/akisumitomo/status/763577278739517441

L今後、皇室典範改正が行なわれて天皇の生前退位が認められていくのかもしれないが、はっきりしている事は、この発端を作ったのはまぎれもない「天皇個人としての気持ち」の発露である。特権的な立場にいる天皇が主権者を動かし、動いた国民はその天皇を自分たちと同じ人間として認める前例ができる。
https://twitter.com/akisumitomo/status/763577523422711808

M当初、天皇の談話は録画されていると聞いていたので、変に編集されないか気がかりだったが、それはなさそうであったが、逆に全文を国民に向けて直接語りかけるその「仕掛け」には注意が必要だと思った。
https://twitter.com/akisumitomo/status/763578570438381569

Nいろいろ歴史を知る者として懸念があり、今回の談話(必ずしも内容のことではない)を歴史家としては「すばらしい」とは言えない複雑さを感じている。賛成か反対かをはっきり言えないもどかしさはそこから来ている。「思考」をあえて「停止」するということになっているのもそのため。(了)
https://twitter.com/akisumitomo/status/763578740374765568

>土井洋彦 @doinakamura
『注釈日本国憲法上』(青林書院)から。樋口陽一氏「皇室典範の改正によって退位制度を設けることはもちろん可能であるが、一般的な立法論としていえば、生前退位の可能性を認めることは、皇位を政治的ないし党派的な対立にまきこむおそれが多いことを、考慮しなければならない」
https://twitter.com/doinakamura/status/763038133050937344

このごにおよんでも、まだ日本国憲法は占領軍が「書いた」と言ってる不勉強者がいるが、いちいち応えない。そう思う前に、まず憲法研究会の憲法草案をはじめ、憲法制定過程での国会などの審議過程での議論を見るがいい。何度も書き換えられ、新たに政府発案の条項まで追加されている。
https://twitter.com/akisumitomo/status/763579654057766912

日本国憲法を「押しつけられた」だけの憲法、占領軍が「書いた」憲法などというのは新手の「自虐史観」だ。敗戦直後の日本の支配層(政府や国会議員や官僚たち)や広汎な知識人層をなめてはいけない。
https://twitter.com/akisumitomo/status/763580150394957824

>田川滋 @kakitama
現憲法施行時、憲法学者は「日本の国体は変わりました。国民に主権が移ったのですから。8月15日は革命」と言い、政府の(9条発案者とされる)幣原喜重郎は「国体は護持された」と言った。このすれ違いは最初から今まで続いている。
https://twitter.com/kakitama/status/763578747748442113

憲法学者はそう言わざるを得ません。しかし国体は法外の存在ですから、その部分も含めてすべて戦前と戦後が断絶しているというのは無理があります(美濃部自身、国体を憲法の外に置きました)。「ノモス」論はそういう点をついていますね。
https://twitter.com/akisumitomo/status/763581692774723584

>ITO Toshikazu @toshiitoh
今回の「お言葉」は象徴天皇制の長期的な存続に大きな役割を果たすと思うが、今上は別に「いい人」ではなくて、怖ろしいほど聡明で冷徹な政治家だったという真実を見せつけられた感じがする。
https://twitter.com/toshiitoh/status/763581288162795520

そうかもしれませんし、象徴天皇制の理想像を追求するあまり、絶妙なバランスで憲法と「調和」していた天皇像が大きく崩れ、何か大きな変革を呼ぶ可能性だってあるかもしれません。
https://twitter.com/akisumitomo/status/763582415805689856

もう一つだけ(じゃないかもしれないが)。象徴天皇制というのは、安定を志向するなら、理想型を追求してはいけないのかもしれない。まさに空気のような存在でいること、それが求められたのかもしれない。象徴天皇制に風穴を開けるのが、「天皇の人権」問題になるというのは皮肉(なことになるかも)。
https://twitter.com/akisumitomo/status/763583203604955137

>田川滋 @kakitama
戦前にもあった国民と天皇の「超法規的な」共同体関係が、法の枠を飛び越えた政治に繋がる危険。その懸念は分かる。しかし立憲主義においては法の枠を飛び越えた「統治」は絶対に出来ない。「幽霊はいない」と言い続ける事で幽霊は消える。「幽霊が蘇る」と恐れるほどに、幽霊は本当に蘇るんです。
https://twitter.com/kakitama/status/763600719194664960

幽霊は社会の仕組みに何ほども影響を及ぼさないですが、僕が示したような国体思想や規範の問題というのは「陶冶」という問題に関わり、人びとを感化・教化します。ある憲法学者が言うようにその問題は立憲主義にとってのアキレス腱です。
https://twitter.com/akisumitomo/status/763636224321916928

すなわち立憲主義は、逆説的ですが「法外」にある国体思想や道徳によって補完されます。なぜなら結局、立憲主義を支えるのは人力だからです。田中希生くんもその問題を文学や言葉の問題に広げて考察しています。
https://twitter.com/akisumitomo/status/763636408103821312

林尚之くんとの共編著『立憲主義の「危機」とは何か』(すずさわ書店)に収載されている田中論文と拙稿をご参照下さい。
https://twitter.com/akisumitomo/status/763636544448049152

>松本徹三 @matsumotot68 
自国の憲法に「戦争を放棄する」と書いたら、自国の平和と安全は守れると本気で考えている人は、まさか世界のどこにもいないでしょう。そんな事なら世界はバラ色ですから。本気で考えている日本人がいるのなら、韓国やベトナムやウクライナに行って、熱心にその方法を薦めてこられたら如何でしょう。
https://twitter.com/matsumotot68/status/763413126377115649

>Simon_Sin @Simon_Sin
こうやって嘲笑するひとよりも「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」と当然のことを当然であるべきだと愚直に宣言している憲法前文のほうが人として立派だとおもう 
https://twitter.com/Simon_Sin/status/763414155252555776

憲法に「戦争放棄」を書いたら平和が保てるのかと言う人は憲法が何かわかっていない。憲法は他国が侵略してくることをストップさせる魔法の言葉ではなく、自国の権力が武力を使って暴走しないようにするためのものだ。それに憲法前文に国際社会への信頼を表明したから日本は壊滅させられなかったのに。
https://twitter.com/akisumitomo/status/763636733833469956
 
                         ◇
 
上に紹介されている文章は、住友陽文 @akisumitomo氏による一連のツイートである。それをさらに投稿者が紹介するにあたり、「復元的」な細かいつけ足しとレイアウトの変更をおこなった。「晴耕雨読」の元記事を参照の上、ご容赦いただきたい。元記事には紹介されていないツイートで要点がコンパクトにまとまっているものがあったので、ついでに紹介しておく。(投稿者)
 
                         ◇
 
戦前の国体思想といっても実に多様です。国体を憲法内秩序として捉える理解があるかと思えば、憲法を越えた秩序として捉える理解もありました。例えば君民は支配・被支配の関係ではなく道徳的な関係にあるといった君民一体論もその一つ。(1/3)
https://twitter.com/akisumitomo/status/763019167599505408

現在、国民は天皇の「お気持ち」を考えることが重要だという言説があったり、また先日の天皇の談話では天皇は国民に寄り添うとも言ってます。戦前の国体思想に近いものがあります。(2/3)
https://twitter.com/akisumitomo/status/763019330007085056

法の次元では国体は変わったが、天皇と国民との人格的な関係としては戦前の国体論が残っていると僕は考えています。こちらを参照→拙著『皇国日本のデモクラシー』(有志舎)。(3/3)
https://twitter.com/akisumitomo/status/763019382859501570  

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コメント
 
1. 2016年8月11日 22:35:34 : tllIYU2y8o : n2nikUWCpVI[2]
象徴天皇制は、超長期ビジョンにおいて天皇制廃止の課程での過渡的段階だぜ。

そして、今後現政権のような悪徳なトンデモ政権が一切誕生しないのなら象徴天皇制は廃止すべきだぜ。

しかし、いつまでたっても現政権のような悪徳なトンデモ政権が誕生する可能性があるなら、それが完全になくなるまで象徴天皇制は残しておいていいと思うぜ。

国民にとって悪徳で暴走するトンデモ政権が存在している現在は、国民は象徴天皇制を大いに活用して、悪徳トンデモ政権を叩き潰すことに利用すべきだぜ。

それこそが象徴天皇制を活用した国民主権である。

今回の天皇の行動は、現政権のような悪徳で暴走するトンデモ政権に対して相当のジャブを効かせたと思うぜ。

今年度中に悪徳暴走トンデモ政権は瓦解するぜ!

ざまあみやがれ!


2. 2016年8月11日 23:14:26 : 04tBVkhlsg : WNR3iL8NQtg[1]
>Nいろいろ歴史を知る者として懸念があり、今回の談話(必ずしも内容のことではない)を歴史家としては「すばらしい」とは言えない複雑さを感じている。

この住友陽文氏って、ほんとに歴史家なの?
歴史家って、社会的に起きる事象を、「すばらしい」とは言えるかどうかで評価してるの?違うでしょう。事象の歴史的背景や意味、歴史の動きへの影響などを善悪・好悪の感情なく分析することではありませんか?
歴史論文や歴史小説を同業者として評価するならわかりますが、今回の天皇陛下の談話はそういったものではなく、まさに歴史的観点から分析されうるものではありませんか。
歴史家を名のる資質にいささか疑問を覚えます。



3. 2016年8月11日 23:15:10 : bdcWHc5lIs : Iey26BhC67o[291]
よく分からなかった…

「現在の天皇が「象徴天皇」たらんとして、戦前の近代天皇制とは区別された天皇像を主体的に追求する存在であればあるほど、天皇と国民との間の障害物(「君側の奸」)は排除され、戦前日本で形成された新たな国体思想に近づくという逆説。」

ココが結論ですかねぇ… (誤読したかも)
だから、象徴天皇制は戦前の国体と断絶していないと…

くまモンと熊本県民が近づきすぎてはいないか?
くまモンが熊本県民に近づきすぎると、戦前の形だが、新たにできあがった新種の国体思想になるのか?
くまモンの中に入っている人には代わりがいないのか?
くまモンの中に入っている人は「辞めたい」と言えないのか?
くまモンが熊本県民のアイデンティティの一部になりうるのか?
くまモンが大分県民にディスられると、熊本県民は大分県に宣戦布告するのか?
くまモンがバカにされて、それでもへらへらしてたら、隣のオヤジに「非熊本県民め!」と怒鳴られるのか?
くまモンのために死ねと言われて従うのか?

国民の側も「象徴」と「権力者」の違い、とくに「自分のアイデンティティになるかどうか」を想像してみましょう。


4. 2016年8月12日 12:48:16 : Oozg29Kcag : Qiiwq5NaXgQ[218]
住友氏がかなり重要なことを指摘しているのはまちがいなさそうだが、前提とされる知識がこちらに不足しているので、十分に理解できない。くわししいことは氏の著書 『皇国日本のデモクラシー』(有志舎)を読めというのだが、なにしろ値段が高い。
5,832円 (税込み) http://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784903426457

せめて古い本の埃をはらって読み返してみよう。おれの家にも丸山真男の 『日本の思想』(岩波新書)くらいはある。国体思想が取りあげられているのは最初の「I日本の思想」。それを読むとどうなるか。丸山のいっていることがすらすらとわかるのだ(というのは大げさだが)。昔は難しくて読みとばした箇所がなぜ今わかるようになったのか。その理由の1つは、現在の日本社会から「日本の思想」の力をひしひしと感じているからだと思う。丸山が次のように断っている注記などをみると、住友氏が問題にしている文脈についてもある程度見当がつけられる。

……いまや忽ち五ヵ条の御誓文から八百万神の神集いの「伝統」まで「思い出」されて、日本の國軆は本来、民主主義であり、八紘為宇の皇道とは本来 universal brotherhood を意味する(極東軍事裁判における鵜沢博士の説明)ものと急転した。外からは突然変異のようでもすべてが既知数として内部に揃っているために、「伝統」の空間的な配置転換によって主観的にはスムーズに行われる、と前にのべた個人の思想的転向形態は、敗戦による國軆の「転向」によって最大のスケールで現われたわけである。しかしいうまでもなく右の例は「國軆」の思想的特質を示すためにのべたのであって、だからといって天皇制がこうした転向後も戦前と連続性を保ち、したがって今後ふたたび権力と精神の統合体としての旧姿にまで膨張する可能性をはらんでいるという意味ではない。(第3刷 35ページ)


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