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問題はボート会場じゃない、「東京五輪開催」そのものを疑え! メディアにはびこる「どうせやるなら」論の罠(リテラ)
http://www.asyura2.com/16/senkyo215/msg/135.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 10 月 27 日 21:45:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

                     『反東京オリンピック宣言』(航思社)


問題はボート会場じゃない、「東京五輪開催」そのものを疑え! メディアにはびこる「どうせやるなら」論の罠
http://lite-ra.com/2016/10/post-2650.html
2016.10.27. ボート会場より東京五輪開催自体を疑え  リテラ


 迷走に迷走を重ねる2020年東京五輪。今度は、ボート・カヌー会場をめぐる問題だ。海の森水上競技場建設に491億円なんてありえない、なぜ当初予算の7倍に膨れあがったのか、仙台の長沼に移せば復興に繋がるのに、なぜ組織委の森喜朗会長らは抵抗するのか……。テレビからは毎日のようにそんな声が聞こえてくる。

 たしかに、招致段階では施設工事費7000億円と示されていたのが、都の調査で総費用が3兆円を超すことが判明しており、このまま海の森水上競技場の建設なんてありえないだろう。

 だが、いま起きていることは本当にボート会場を移せばすむ話なのか。問題はもっと根本的なところ、つまり五輪を開催するということにあるのではないか。

 しかし、テレビや新聞は費用のかけすぎや会場選定の不透明さは指摘しても、そのことには絶対に触れようとしない。最後は結局、「夢」や「感動」というフレーズをもちだし、「どうせやるならちゃんとやらないと」「アスリートファーストの素晴らしい東京五輪にためにみんなで知恵を絞らないと」などというきれいごとで終わらせてしまう。

 そんななか、東京での五輪開催自体に根源的な疑義を唱え、開催を返上するべきと主張する学者たちが現れた。今年8月末に出版された『反東京オリンピック宣言』(航思社)という本で、社会学系の学者・研究者たちを中心にした16人の論客がさまざまな視点から問題を指摘し、東京五輪の開催そのものにNOの声をあげているのだ。

 論者たちの多くが触れている最初の欺瞞が、安倍晋三首相が招致演説で口にした「アンダーコントロール」発言だ。鵜飼哲(一橋大学大学院教授)は、官邸HPに掲載の訳文──「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、及ぼすことはありません」──を引いたうえで、〈これほど公然たる嘘の前で、人はともすると虚を衝かれ、息を飲んでしまう〉〈この凶悪な言語行為〉と批判している。

 酒井隆史(大阪府立大学教授)は、この発言をほとんど問題視しなかったメディアの責任を問いつつ、「公人の無責任な虚言」を許容してしまう昨今の日本社会と、安倍発言に込められた暗黙のメッセージを次のように指摘する。

〈庶民の小さな「欺瞞」には、あるいは、特定の政治家が福島についてこぼした「真実」には、ときに、よってたかって血祭りにあげるこの社会の奇妙な「寛容」である。ここまで露骨に発言をひるがえし、あきらかに嘘をつき、それにひらきなおって、なお、立場がゆるぎもしない国や地方の首長がいる、という現象に筆者はこれまでおぼえがない〉
〈つまり、その発言で問題になっているのは、現実に福島第一原発がコントロールされているということではなく、「日本の状況」が完全にコントロールされているということ、そして、これからもコントロールするという約束である〉

 福島の原発災害を隠蔽しつつ利用する、このようなやり口は「災害資本主義」と呼ばれる。自然災害・戦争・大きな事件といった惨事に便乗するかたちで、復興の名のもとに収奪的・急進的な資本主義が市場を席巻し、一部の者に利益が集中する事例は世界中で枚挙に暇がないと塚原東吾(神戸大学大学院教授)は言い、間近に見た神戸の震災復興を例にこう書く。

〈神戸の時がそうであったように、地元にお金が落ちるのではない。市場化=自由化の名のもとに地元企業を押しのけて東京のゼネコンが復興事業をもぎ取り、地元にはお涙の、まさにおこぼれ頂戴程度にしか、お金は落ちてこないのが現実だった。そこでは古い利益誘導型政治と相乗りしながら、旧態依然とした自民党による利権政治に回帰していき、ますます東京への一極集中が進んでいる。そのなかで東北「地方」の東京という「中央」への従属が、さらに進行している〉

 だが、この災害資本主義は、惨事や非常事態に直面した人のなかに生まれる「ノーマルシー・バイアス」──たいしたことはない、自分は大丈夫だと被害を過小評価し、平常を取り戻すことを希求する心理──とも結びつき、社会全体が五輪というメガイベントへ突き進んでゆく。

 わずか2週間のスポーツイベントに巨額の公金を費やし、都市整備や治安を理由に貧困層を都心から追いやり、言論すら統制してゆく五輪に対しては、リオやロンドンなど近年の開催地でも反対運動が巻き起こった。そうした動きを封じ込めるため、喧伝されるようになったのが「レガシー(遺産)」という概念だ。東京大会組織委の「アクション&レガシープラン」を検証しながら、阿部潔(関西学院大学教授)がその問題点を論じている。

 同プランの説くレガシーとは、スポーツ・健康の分野以上に、文化・教育(「和の精神」の再評価と継承)、経済・テクノロジー(AIやビッグデータによる「ジャパンブランド」の復権)、さらには、東京だけでなく日本全体で取り組む「オールジャパン」体制に力点が置かれているという。阿部はここに、戦前の国家総動員体制にも似たナショナリズムの影を見る。

 阿部によれば、そもそもレガシーとは〈宗教的な権威と使命のもとに派遣された人物(特使)が、その赴任地において果たすべき営為(ミッション)〉が本来の意味であり、ということは、ここで語られているのは、現在の権力、つまりは安倍政権が自らの権威付けのために欲し、後世に残すべきとあらかじめ決めた、極めて政治的な「遺産」なのである。

〈このように考える時、一見すると健全で誰にでも受け入れられるかのように思われる「未来に残すべきレガシー」という発想自体に、実のところおぞましい暴力が潜んでいることが明らかになる〉

 こうしてスポーツやアスリートから乖離してゆく国威発揚イベントに対し、〈スポーツはもはやオリンピックを必要としない〉(池内了・総合研究大学院大学名誉教授)と決別を宣言するのが本書の意図だが、編著者である小笠原博毅(神戸大学大学院教授)が興味深い論を展開している。なぜ、これほど問題の多いメガイベントへの反対論がほとんど語られず、礼賛一色になってしまうのか。

 そこには、冒頭で指摘したような「どうせやるなら」派ともいうべき人たちの存在がある、という。

〈(「どうせやるなら」派は)初期設定においては批判的であり、できるならやるべきではないと思っている。しかし、招致活動が終わり、税金が捨てられ、インフラ整備を含む準備が始められ、開催権の返上や中止が逆に莫大なコストを必要としてしまうということを理由に、事実上後戻りできないと結論づけて、むしろそれまでかかった投資をどのようにすれば「資本貴族」たちの手から奪うことができるのかを提案する〉
〈オリンピックを「機会」ととらえ、統治側の計画を逆手にとって、本当に市民のためになると考えられる、都市の再開発も含めた「オルタナティヴ」を求めようというのである〉

 五輪が権力者の仕掛ける「サーカス」であり、国威発揚のスペクタクルであり、メダル数を競う勝利至上主義やスポンサー・関連企業への富の集中、環境破壊や都市の分断を加速するという「ありきたりな批判」を彼らもいちおう口にはする。だが、反対に回ることは決してない。経済情勢や国際関係、あるいは「ビジネスだからしょうがない」「もう反対しても遅い」といった“現実的判断”から流れに抗わず、「どうせやるなら」と消極的なポーズで現状を追認し、結局は賛同一色の空気に加担してしまう。そういう人たちが世の多数派だというのである。

 彼らは、権力者が決まり文句のように言う「批判するだけではなく代替案を出せ」という言葉に乗っかり、最初から「やらない」という選択肢を切り捨てている、と小笠原は批判する。いくら文化的で健全な「オルタナティヴ」を提案しようとも、それは「少し違ったサーカス」を見せようとしているにすぎないのだ、と。

〈「どうせやるなら」派は、「うまくやる」ことができると思っている。(略)オリンピックを食うことはできても食われることはないと思っている〉
〈オリンピックを中止にしても「資本貴族」たちはまた別のオリンピックのようなスペクタクルをつくり上げるのだからこのままやり尽くしてしまえ〉

 そんな一見賢しらな物言いを取り込んで五輪待望の世論が作られてゆく様は、政治や社会をめぐる報道・言論状況にも通じる。いまの日本に蔓延する「空気」の正体を突く鋭い指摘だろう。

 本書の出版イベントで小笠原が語ったところによれば、この論考集は当初、ある雑誌の特集として企画が進んでいたという。それが途中まで進んだところで、出版社から「やっぱりできない」と断りがあった。「反五輪」を明確に掲げるのは得策ではない、できれば避けたいという判断が働いたのだろう、と。いまのメディアや社会を覆う、こうした事なかれ主義と決別し、オリンピックやスポーツの意義を正面から見つめ直すための貴重な書である。

(大黒仙介)

 

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コメント
 
1. 2016年10月27日 22:59:31 : sJs5o6r2sI : M1Gb2mG9Xlk[2]

東京五輪開催返上に直ぐ踏み切れ。

五輪と尖閣国有化利権と豊洲疑惑隠しに走り回る自民党のカジノ屋小池百合子。 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/35207
小池塾4000人の顔ぶれと五輪の利権。
https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=115046

豊洲移転の巨大な疑惑を必死に隠蔽しようと走り廻っている改憲利権自民党日本会議の小池百合子をこのまま都知事として続けさせれば他の五輪疑惑なども霧散させられてしまうだろう。
いま、豊洲疑獄の犯罪隠蔽のために先頭に立っているのは極右日本会議の下部組織「日本会議国会議員懇談会」の副会長である自民党の小池百合子都知事である。
疑惑隠しの強烈な音頭取りをしているのが小池百合子なのだ。
そのために、小池百合子都知事は大阪維新直結の慶應大教授の上山信一をインチキ「改革本部」に迎え、豊洲疑獄の中心疑惑である自民党や石原日本会議代表委員である石原慎太郎や大手ゼネコンや財界の日本プロジェクト産業協議会(JAPIC)などを必死に隠そうとしている。
財界の手足となっているTVを始めとするマスコミと共に露骨な隠蔽猿芝居を演じているのだ。
百条委員会に引き出すことを何とか阻止しようと小池は必死ではないか。
宣伝リンク認定28244311.html
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-08-25/2010082515_01_1.html


2. 2016年10月27日 23:11:34 : cYC1FevdFg : _n21TvOA1GI[43]
このような本が出てきてほっとしているのは私だけだろうか。
いずれオリンピックは終わるとテレビを見ながら思う。

夢や感動は50年前の貧しい時代は皆が欲しがった。
今は違う。
アスリートは夢や感動を与えたいと言うが、夢や感動を与えてほしいと誰も言っていない。
押し付けだ。
それにしてもなぜ石原慎太郎は突如オリンピックを持ち出したのだろうか。 疑問。


3. 2016年10月28日 00:27:29 : LY52bYZiZQ : i3tnm@WgHAM[-7669]
 アンチナベツネ式プロ野球=チームから企業名を外したスポーツ文化の隆盛(実際は財閥によるスポーツの政治利用の促進→国内労働者の奴隷化・階級化の促進)という美辞麗句に完全に翻弄された大メディア。プロ野球選手を型にはめるやり方が正しいかどうかという論争のみが先走ってその陰に潜む強欲な資本家の悪意を批判できなかった。そのツケは善意の国民に回される。

4. 2016年10月28日 09:02:38 : nlvnyzGTAJ : XLFsGhHcIP8[70]
来日したIOCのボート担当委員に
「日本はコンパクト五輪といううたい文句で五輪を誘致した。
この期に及んで数千億が数兆円に費用が膨らんだからボート会場を変更するというのはおかしな話だ。費用の増加は日本側内部で調整すべきであって当初予定したボート会場を遠方に変更することは承知できない。」

と言われ小池知事はぐうの音も出なくなった。
もともとの見積もりがいい加減だったわけで小池知事も進退窮まっている。

国民(納税者)が当初見積もりで開催できないなら詐欺的行為なので、開催そもものを見直すべきだと声を上げるのが筋だ。
費用負担者が決定権があるのであって競技団体やJOCが決定権を持っているわけではない。


5. 2016年10月28日 10:10:37 : xQoZn42Pr2 : 2ydlNWODHRI[1215]
物事に流されてる国民が悪い
いい加減目覚めろ
この声が届いてほしい

6. 2016年10月28日 11:26:40 : x77MXoyvl2 : w40XIxOzBhA[319]

 04さん 同感です。
 費用負担者が決定権があるのであって競技団体やJOCが決定権を持っているわけではない。
 競技団体やJOCの勝手な言い分は認められない。
 費用負担をすることを前提にして主張せよ、ということだ。


7. 2016年10月29日 18:42:04 : bYUTlGq7cE : 3JjNxXW4xdg[486]
4さん>>。ヨ費用負担者が決定権があるのであって競技団体やJOCが決定権を持っているわけではない。」

全くその通りです。
「競技団体やJOCが決定権を持つ」と主張するのならば、「どこからカネを調達できるのか」を提案するべきだ。
いくら「決定権がある」と主張しようとも、「カネ」が調達できなければ開催不能ではないか。
もう子供の我儘に付き合う必要はない。


8. 2016年11月08日 19:10:18 : AgumpIiQVY : Qvb7DJ4Th0Y[26]
スポーツが純粋だとか神聖だとか寝言はやめてくれ。

金まみれ糞まみれの世界じゃないか。会場が欲しけりゃ寄付を集めるなりして自分たちで勝手にやってくれ。

税金は国民全体の健康で幸福な生活のために使うものだ。ましてや一部の特権階級が懐にするようなことは断じて許されない。
スポーツ団体の幹部と称する奴らの顔つきを見てみろ。銭ゲバの面じゃないか。鏡で見てみろと言いたい。


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