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「神風特別攻撃隊」の本当の戦果をご存じか? 一隻撃沈のために、81人の命が犠牲に…(現代ビジネス)
http://www.asyura2.com/16/warb19/msg/133.html
投稿者 赤かぶ 日時 2016 年 11 月 06 日 08:32:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 


「神風特別攻撃隊」の本当の戦果をご存じか? 一隻撃沈のために、81人の命が犠牲に…
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50088
2016.11.06 栗原 俊雄 現代ビジネス


特攻。今日では美化されて語られることの多い「十死零生」のこの作戦。一方で、はたしてその戦果がどの程度だったのか、が語られることは少ない。毎日新聞記者・栗原俊雄氏が、ある特攻隊員の証言と史料をもとに、歴史の闇に斬り込む。(前編はこちらから


■「特攻の記憶」

目の前に、「桜花」を抱いた一式陸上攻撃機(一式陸攻)が飛んでいた。護衛のゼロ戦に乗っていた野中剛(1925年生まれ)は突然、「耳元でバケツを打ち鳴らされたような音を聞いた」。そして機体後部に「ガン」という衝撃を感じた。

1945年3月21月。海軍鹿屋基地(鹿児島県)から特攻隊が飛び立った。一式陸攻18機を基幹とする「神雷部隊」である。護衛のゼロ戦は30機。敵は九州沖南方の米機動部隊(航空母艦=空母を基幹とした艦隊)であった。一式陸攻は爆弾、魚雷も搭載できる軍用機だが、この日は初めての兵器を胴体に抱いていた。
 
その兵器こそ特攻のために開発された「桜花」である。重さ2トン。機体の前身に1・2トンの爆弾を積んでいる。ロケットエンジンで前進し、小さな翼でグライダーのように飛ぶ。車輪はない。つまり一度空中に放たれたら、着陸することはほぼ不可能であった。
 
「普段は前三分、後ろ七部なんですが」。護衛30機のパイロットの一人だった野口は、70年近く前の体験を振り返って筆者にそう証言してくれた。

ゼロ戦のような戦闘機に限らず、撃墜される場合は死角である後方から攻撃されることが多い。このため、搭乗員は前方よりも後方を強く意識するのだ。「しかしあの時は前の編隊(「桜花」を抱いた一式陸攻の部隊)を守る意識が強すぎて、後方がおろそかになりました」。

第二次世界大戦末期、大日本帝国海軍は航空機が搭載した爆弾もろとも敵艦に突っ込む「神風特別攻撃隊」(特攻隊)を編成した。現在は「カミカゼ」と読まれがちだが、当時は「シンプウ」と呼ばれることが多かった。また「神風」は海軍側の呼称であり、海軍に続いて特攻隊を送り出した陸軍は、「神風」という言葉を組織としては使わなかった。

呼称はともかく、海軍も陸軍も爆弾を搭載した飛行機もろとも敵艦に突っ込む、という点では同じだ。成功すれば搭乗員は必ず死ぬ。「九死に一生」ではなく、「十死零生」である。飛行機も必ず失う。

爆撃機でいえば、通常の作戦ならば搭乗員は敵艦に爆弾をあてて帰還し、さらに出撃する。その繰り返しである。もちろん、その過程で戦死することは多々あるが、あくまでも前提は生還することである。
 
特攻は、そうした戦争の原則から大きく逸脱するものだ。筆者がカッコつきで「作戦」と書くのはそのためである。
 
その「作戦」は、前回みたように1944年10月、フィリピン戦線で始まった。海軍の「敷島隊」5機によって米空母1隻を撃沈、ほかの1隻にも損害を与えた。


 特攻を受けて轟沈する米艦船【PHOTO】gettyimages

第二次世界大戦において、帝国海軍は戦艦12隻を擁していた。「大和」「武蔵」はよく知られている。帝国海軍の実力は、艦船数や総トン数などでみるかぎりアメリカとイギリスに継ぐ第3位であった。しかし戦艦部隊の実力に関する限り、それは世界第一位であったといっていい。
 
敗戦時、12隻のうち何とか海に浮かんでいたのは「長門」だけ。ほかの11隻は撃沈されるか、航行不能だった。戦果と言えば、戦艦が米空母で沈めたと思われるのはたったの1隻(レイテ沖海戦における護衛空母「ガンビア・ベイ」)だった。「思われる」というのは、「ガンビア・ベイ」を撃沈したのが日本軍戦艦だったのか、あるいは巡洋艦だったのか判然としないからだ。

ともあれ、世界に誇る12隻の戦艦群が沈めた敵空母が、最大でも1隻でしかなかったことは事実である。「敷島隊」の戦果から半年後、「世界最強」と謳われた戦艦「大和」は瀬戸内海から九州東南を経て沖縄に向かったが、米軍機の空襲が始まってからわずか2時間余で撃沈された。

敵空母を撃沈するどころか、その姿をみることもなく、かすり傷一つ与えることはなかった。
 
そうした現実からみると、たった5機の「敷島隊」による戦果は巨大であった。海軍内部には、特攻に対する抵抗もあった。前述の通り、作戦ではなく「作戦」だからであり、まさに「統率の外道」(特攻創設者とされてきた大西瀧治郎・海軍中将の特攻評)だからである。
 
しかし「敷島隊」の大戦果によって、海軍は特攻を本格的に進めた。陸軍も、同じフィリピン戦線で特攻を始めた。「外道」が「本道」となり、「特別攻撃隊」が「普通の特別攻撃隊」になったことを、確認しておこう。


■子供の玩具のような特攻機 

当初は確かに戦果を挙げた。なぜなら、米軍を初めとする連合軍は、爆弾を積んだ飛行機が飛行機もろとも自分たちに突っ込んでくる行為が、継続的かつ組織的に行われることを予想していなかったからだ。このため日本軍の特攻への対処が遅れ、被害が拡大した。日本軍からみれば戦果が拡大した。
 
特攻隊が「敷島隊」のような戦果を挙げ続けたら、第二次世界大戦の流れは変わっていたかもしれない。しかし、現実は違った。
 
米軍は、特攻の意図を知って対処を進めた。特攻機の第一目標は航空母艦(空母)であった。レーダーを駆使し、空母群と特攻隊の進路の間に護衛機を多数、配備する。戦艦なども多数配置する。こうした結果、特攻隊は目標に体当たりするどころか、近づくことさえ困難になった。


 【PHOTO】gettyimages

また、そうした護衛部隊をかいくぐってなんとか米空母群付近にたどり着いたとしても、そこにはさらなる護衛機群があって、艦船からは十重二十重の迎撃弾が吹き上がってくる。日本軍機は、一般的に少ない燃料で航続距離を伸ばすため軽量化を図り、その反面防御力を犠牲にした。

大戦後半、米軍機が日本軍の機銃を浴びても分厚い装甲がそれをくいとめ、墜落を免れることがあった。一方、ゼロ戦を初めとする日本軍機は敵機の一撃が致命傷となり得た。
 
さて特攻機は、出撃したものの機体の故障のため帰還することが少なくなかった。なぜか。

以下は大戦末期に連合艦隊司令長官、つまり帝国海軍の現場の最高責任者だった豊田副の証言である(『最後の帝国海軍』)。米軍が沖縄に上陸した1945年4月以後の状況だ。
 
「沖縄戦がだんだんと進行してゆくと、次は内地の本土決戦以外には考えようがないので、専ら本土決戦準備に、陸海軍とも狂奔し、すべてこの兵力の整備とか建直しをやつた」。ところが「今まで百機持つておつたのに、更に五十機来たとして、今までの可動五十機だつたのが、今度は三十機乃至二十機になるという始末」だった。

豊田は航空部隊で、「新型飛行機」の完成品をみた。「それは新型戦闘機で、まるで子供が悪戯に作つた玩具のようなもので、一見リベットの打ち方もなつていない。実にひどいものだつた」。
 
つまり生産機数が落ちているだけではなく、できあがった飛行機の質も著しく低下していたのだ。さらに言えば、精密機械である飛行機を維持するには、プロの整備兵が必要だ。しかし国を挙げての総力戦が長引くうち、パイロットのみならずその整備兵も不足していった。

また南方の石油産出地域を占領していたものの、その石油を運ぶルートの制空権と制海権を米軍に抑えられているため、石油を十分に輸送することができなかった。このため、オクタン価の低い航空燃料で飛行機を飛ばすことになった。

要するに、飛行機の生産数が減っていき、せっかく生産された飛行機は少なからずポンコツで、そのポンコツに粗悪な燃料を積み、その上十分な整備もなされないまま前線に送り出された航空機が多かった。それは特攻機としても動員されただろう。

さらに言えば、1941年12月の対米戦開戦より前、日中戦争から使われていた老朽機も特攻に投入された。出撃したものの、引き返すケースが多いのは当然だった。


■1隻沈めるのに、81人の命

ところで特攻といえば、一般的には「家族や国を守るため、自らの命を投げ出した若者たち」という印象が強いだろう。それゆえ特攻はそれが終わってから71年が過ぎた今も、多くの人たちの心を打つ。
 
筆者はこれまで、たくさんの特攻隊員、しかも実際に出撃した特攻隊員を取材してきた。彼らの証言を聞き、あるいは戦死した人たちの遺書、親や妻、子どもたちに書き残したそれを読むと涙を禁じ得ない。
 
「そうした尊い犠牲の上に、今日の日本の平和がある」という感想を、しばしば聞く。筆者はその感想にも同意する。同意するが、新たな疑問が生じてくるのだ。「なぜ、だれが未来有望な若者たちをポンコツ飛行機に乗せて特攻に送り出したのか。戦果が期待したほど上がらないと分かった時点で、どうして特攻をやめなかったのか」と。


 【PHOTO】gettyimages

ともあれ、海軍による特攻「作戦」は当初、既存の航空機に爆弾を搭載していた。しかし軍が期待したほどの戦果は上がらなかった。前述のハードルを越えて敵艦に突っ込んでも、そもそも飛行機には浮力があるため、高高度から放たれた爆弾のような衝撃力はなかった。さらに爆弾が爆発する前に機体がくだけてしまい、肝心の爆弾が不発なこともあった。
 
そうした中で開発されたのが、機体そのものが爆弾といっていい「桜花」である。搭乗員は必ず死ぬが、命中すれば敵の損害は大きい。しかしこれも敗戦まで、大きな戦果を挙げることはなかった。

そもそも、ただでさえ動きが鈍く防御力の乏しい一式陸攻に2トンもの「桜花」を積んだら動きがさらに鈍くなり、敵戦闘機の餌食になるのは必定であった。実際、冒頭にみた、野口が護衛した「神雷部隊」の一式陸攻18機もすべて撃墜された(「桜花」を搭載していたのは16機)。 

敵艦は一隻も沈んでいない。被弾した野口機は、何とか帰還したが、「作戦」自体は大失敗だった。
 
敗戦まで、航空特攻の戦死者は海軍が2431人、陸軍が1417人で計3830人であった(人数には諸説がある)。一方で敵艦の撃沈、つまり沈めた戦果は以下の通りである(『戦史叢書』などによる)

正規空母=0/護衛空母=3/戦艦0/巡洋艦=0/駆逐艦=撃沈13/その他(輸送船、上陸艇など)撃沈=31

撃沈の合計は47隻である。1隻沈めるために81人もの兵士が死ななければならなかった、ということだ。しかも戦果のほとんどが、米軍にとって沈んでも大勢に影響のない小艦艇だった。

この中で大きな軍艦といえば護衛空母だが、商船などを改造したもので、もともと軍艦ではないため防備が甘く、初めから空母として建造された正規空母より戦力としては相当劣る。特攻が主目的とした正規空母は一隻も沈まなかったという事実を、我々は知らなければならない。

「撃沈はしなくても、米兵に恐怖を与えて戦闘不能に陥らせた」といった類いの指摘が、しばしばある。そういう戦意の低下は数値化しにくく、戦果として評価するのは難しい。それは特攻=「必ず死ぬ」という命令を受けたか、受けるかもしれないと思って日々を過ごしている大日本帝国陸海軍兵士の戦意がどれくらい下がったのかを数値化できないとの同じだ。

我々が知るべきは、特攻の戦果が、軍上層部が予想し来したものよりはるかに低かった、ということだ。むろん、特攻で死んでいった若者たちに責任は一ミリもない。


■押し付けられた責任

ところで、「特攻隊を始めたのは誰だ?」。そういう問いに対してはしばしば、大西瀧治郎海軍中将の名が挙がる。実際1944年10月、フィリピン戦線で最初の特攻隊を見送ったのは大西だ。しかし、前出の豊田は言う。


 一番右が大西瀧治郎【PHOTO】gettyimages

「大西が特攻々撃を始めたので、この特攻々撃の創始者だということになっておる。それは大西の隊で始めたのだから、大西がそれをやらしたことには間違いないのだが、決して大西が一人で発案して、それを全部強制したのではない」
 
特攻は、大西一人の考えで始まったものではなかった。たとえば軍令部第二部部長の黒島亀人である。同部は兵器を研究開発する部署であった。奇抜な言動から「仙人参謀」と呼ばれた黒島は、戦争中盤から特攻の必要性を海軍中央に訴えていた。

黒島以外にも、海軍幹部たちが特攻を構想・準備していた証拠はある(拙著『特攻 戦争と日本人』)。しかし戦後、特攻を推進した者たちは、自分が果たしたであろう役割を語らなかった。
 
大西は敗戦が決定的となった1945年8月、自殺した。若い特攻隊員を送り出した将軍のなかには「自分も後から続く」などと「約束」しながら、敗戦となるとそれを破って生き延びた者もいる。そして大西以外の特攻推進者たちは、「死人に口なし」とばかり、大西に責任を押しつけた。
 
巨大組織である海軍には様々な部署があったが、メインストリームは砲術つまり大砲の専門家であり、あるいは雷撃すなわち魚雷の専門家であった。そうした中、大西の専門は創設間もない航空であった。自分が育てた航空部隊への思い入れはひときわ強く、部下思いでもあった。

その大西がなぜ、航空特攻を推進したのだろうか。次回はその理由をみてみたい。

(文中敬称略)



 

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コメント
 
1. 中川隆[4834] koaQ7Jey 2016年11月06日 09:09:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[5248]
太平洋戦争は八百長戦争

八百長がばれない様に本気で戦っていたように見せ掛けたかった

そこで考えたのが特攻作戦

昭和天皇直々の命令でやる事になったんだ


2. 中川隆[4835] koaQ7Jey 2016年11月06日 09:13:31 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[5249]

特攻作戦を主導した昭和天皇(ルーズベルトとグルだったのは有名な話)


特攻第一号神風隊の関大尉の別れの杯、

特攻隊員に対する昭和天皇の「よくやった」というお言葉

を隊員に紹介する隊長、「見事に死んでもらいたい」と訓示する上官、そして

昭和天皇は大元帥であったことを再確認する馬に騎乗し閲兵する姿
http://anarchist.seesaa.net/article/49087839.html

特攻を断ると根性注入棒で毎日殴られるから、どうせ殺されるんならと根性無しから順に特攻志願していったんだなwww

最初の特攻であった、海軍神風特別攻撃隊の隊長である関大尉。

戦後出版されてきた、捏造戦記では、特攻を命ぜられて、すぐに

「ぜひ、私にやらせてください」

と答えたなどと都合よく書かれていたが、実際は違った。

「一晩、考えさせてください」

と言ったのが真実。今も昔も変わらない。上司からの命令は絶対であった。雪印や三菱のような不祥事が続く悪しき温床は、昔から続いている。

艦爆乗りで腕に自信があった彼としては、戦闘機零戦に乗ること自体が納得いかず、特攻は新婚の兵士に命ぜられることはないと聞いていたので、がっかりしたというのが本音であった。

実際、彼は同盟通信特派員につぎのように語っている。

「ぼくのような優秀なパイロットを殺すなんて、日本もおしまいだよ。やらせてくれるなら、ぼくは体当たりしなくとも500キロ爆弾を空母の飛行甲板に命中させて帰ることができる。

ぼくは明日、天皇陛下のためとか日本帝国のためとかでいくんじゃなくて、最愛のKA(妻)のためにいくんだ。日本が敗けたら、KAがアメ公に何をされるかわからん。ぼくは彼女を守るために死ぬんだ。」


まったくもって無念であったろう。彼は、戦死するが、みごと軍神となった。残された貧しい母は軍神の母となって、絶望的な戦局の中、国民を欺くプロパガンダに利用された。敗戦となると、あれほど近所から尊敬された『軍神の母』は、周りから罵声を浴びせられ、ひどい仕打ちを受けたそうだ。
http://www.asyura2.com/0406/war57/msg/880.html


3. 2016年11月06日 13:06:20 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[976]
特攻作戦に 戦果なぞ 実際殆ど上がっていない

敷島隊が遭遇した護衛空母部隊は、実は 大和を中心とした栗田艦隊に ボロボロにされた艦隊で
「サマール島沖海戦」 と呼ばれる砲撃戦から 命からがら生還した艦隊であった
ほとんどマトモに対空砲火も打てなかった半死半生の艦隊に、とどめを刺しただけだった

つまり、言うなれば 栗田艦隊との共同戦果 これを特攻の純粋な戦果と勘違いした軍中枢と大本営は
これ以降、特攻と言う名の【無駄な攻撃】をただ繰り返すばかりの 「馬鹿の一つ覚え」 となった

この記事では述べられていないが、戦艦大和の沖縄戦水上特攻も 列記とした特攻作戦の一端であるが
これなんかもう 悲惨の一言でしかない なにせ戦艦大和以下 第二遊撃部隊全体では5000人近い死者を
出しているのに比べて、米軍側の被害は 艦載機の未帰還機が 記録によると たったの10機だけである
「無駄死にの極致」 としか、言い様はない

● あの、真珠湾攻撃でさえ 29機もの未帰還機を出し 米軍の死者は3600人余りだったという ●


4. 2016年11月06日 16:58:02 : ZQaUpuhUK2 : cc0dtlqGZdo[120]
●零戦を構成する素材について。この間呉の大和ミュージアムで実物の零戦(六十二型)を観てきました。「実際に飛んでいた」という触れ込みです。しかし外装が布や紙でできているようでした。布や紙でも飛ぶのに支障がないのは分かりますけど(スピードや旋回性能はともかく、ある程度のスピードと揚力を生み出す翼さえあれば大学有志が作った手作り飛行機でも40km以上飛ぶ)、この外装で敵の戦闘機から機銃を撃たれたときに乗員を守れたのでしょうか?
※ベストアンサーに選ばれた回答
そうですね、一般人が飛行機の外板を見たら多分飛行機に乗れないでしょうねw ジャンボジェットの場合は4ミリ程度有りますが、戦闘機やヘリコプターの場合は1〜2ミリ程度しかありません。T-4やF-15などを良く扱いますが、本当に紙の様に薄いですね。アメリカも同様で外板はそれほど厚い物ではありません。また、ゼロ戦はエルロンが実際に布で作られています。これは古くからある方法で、布に特殊な塗料を塗り固めると言う物で、複葉機で多く使われました。また、映画の影響により多くの方が間違えていますが、外板には防御能力は一切無く簡単に穴が開きます。通常はコックピット周辺に防弾性が有る板を装備しており、これによって燃料タンクや乗員を守ります。当然ながら防弾装置が無い場所に弾が当たるとスポスポと貫通してしまいます。ゼロ戦の場合は非力なエンジンを補うために極限にまで薄くして重量を削減したためさらに防御能力が弱く、防弾装備も無いため尾翼に当たった弾が普通にパイロットにまで届きます(後方から撃たれたらほぼアウト)。上層部はそれを機動力で補おうとしましたが、上でも書いたようにエルロンが布で出来ていたため中速域から極端に性能が悪くなり、ロールが極めて遅いと言う状態に陥りました。初期はパイロットの錬度の差や最高速度の差によゼロ戦が圧倒しましたが、ゼロ戦は布張りエルロンの為その後の高速戦闘機についていく事ができませんでした。結果的にゼロ戦のもっとも得意である巴戦をやろうとしてもロールが遅いため旋回最中に撃墜されたり、旋回しても相手を振り切れない等という酷い状態に陥りました。紫電なども同様の布張りらしいのですが、これらの機体は迎撃機として使用され一撃離脱を主戦法とした為ある程度活躍できました。(日本で有名な撃墜王の上位は一撃離脱を好む人です)
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1048127090
●零戦は被弾するとすぐに火を吹くので、米兵から"ライター"と呼ばれてたという話を祖父が持っていた本で見たのですが、そう呼ばれてたのは事実ですか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12118588467
●うちのじいちゃんが零戦はライターと呼ばれていたと言っていたのですが、本当ですか?
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1324750078
…↑これは私も子供の頃、先生から聞きました。ゼロ戦は被弾するとすぐ火を噴くので「ゼロ・ファイター」をもじって「ゼロ・ライター」と呼ばれていたと。

5. 2016年11月07日 09:10:03 : Lk3WFC7iZ5 : FHuSunY0lw4[12]
三菱の不良品造りの社内文化は、この頃から形成されていったのだろう。

6. 2016年11月07日 12:21:45 : fpt8itpB5Q : zW@YYVl31Kw[1065]
現場は、それでいいわけだ
勝つことが目的の戦争では無かったのだから
現場の朝鮮人指揮官としては、どれだけ多くの日本兵を殺すかという目標はあったかも知れない
そんなバカ日本軍を見て、米国太平洋艦隊情報参謀は
「日本軍の作戦の意味がつかめず最後まで困惑した」
ということだから、命がけの日本軍は傍目にはモンティパイソンなみに笑えるものだったに違いない
それで朝鮮人の神社である靖国神社に入れられてしまうのだから何と言っていいか分からない

7. 母系社会[1240] leqMbo7Qie8 2016年11月07日 12:29:32 : eJMgSn6yuI : aCqb6KXBK_0[1]

●戦争は、勝とうが、負けようが庶民には無関係。戦争協力などせず、とにかく家族を連れて逃げるべき。

戦争末期に戦争協力した満州の農民たちは、結局は最前線に取り残され、家族も守れなかった。

先の大戦では、日本の富裕層の中には、軍を買収して徴兵を逃れた者もいるし、白洲次郎のように、人脈を駆使して徴兵を逃れた官僚もいる。

★また、戦死した皇族は一人もいない。

(皇族で死んだのは、軍の演習中の事故で死んだ一人だけ。戦死した皇族がいたとウソを流す者がいるが、実は元皇族であって、戦地にいた皇族は手厚く保護されていたから、戦死した皇族は一人もいない)

★しかも、「徴兵逃れ」のズルい白洲次郎は、占領軍にタメ口をきいたから、日本の<英雄>だと、富裕層の手先であるNHKは称賛する。

●だから、戦争は、勝とうが、負けようが庶民には無関係。

●太古の民衆のように、侵入してきた異民族と戦うかどうかは、税金交渉をしてから決めても遅くはない。

●究極的に重要なのは生命であり、日本の文化である。戦争に負けようが、文化の力で勝った異民族を同化して飲み込み、滅ぼしてしまった中国の漢民族のような民族もいる。

このことは、今のアメリカの白人貧困層を見ればわかる。

アメリカは先の大戦の戦勝国で、日本を占領した米軍部隊もその後、朝鮮に送られて戦死してしまった。★

運よく生き残ったアメリカの庶民である白人層も、今では貧困に喘いでいる人の方が多い。

戦争は、勝とうが、負けようが庶民には無関係。戦争になったら、戦争協力などせず、とにかく家族を連れて逃げ、生き延びるべき。

お人好し=無知だったために、政府の戦争プロパガンダに騙されて、戦後も世界各地で戦い、血を流してきたアメリカ人も、ついにヒラリーのようなエセ人道派=エセ正義派=富裕層の守護者を嫌い、サンダースやトランプを支持するようになった。アメリカ人さえも覚醒しつつある。(トランプの支持者は失望する運命だが、それでも一歩前進する)


★:つまり、先の大戦で日本兵を「サルと人間のハーフ」と侮蔑して大量に殺した米軍を、更に大量に殺して日本の<敵>を取ったのは中国の人民解放軍だったということ!!

しかも、ネトウヨには中国の人民解放軍を日本の<敵>のように言うアホがいるが、某右翼評論家によると、中国大陸で、主に日本軍と戦ったのは、中国共産党=人民解放軍に負けて台湾に逃れた国民党と国民党軍であって、中国共産党=人民解放軍は、ほとんど日本軍とは戦っていないと言う。

これは、中国伝統の兵法を大量に取り入れ、強い敵との戦いは避け、退却しながら消耗戦しかしない毛沢東の「人民戦争論」からも言えることであり、事実である。


8. ネコの目[68] g2yDUoLMlto 2016年11月07日 16:09:06 : kQufOUyS5Y : S8rFd9MT5gs[28]
特攻は馬鹿馬鹿しいほどの、基地外行為で、自分はとても理解できないし、
又、その手の手記で涙することも無いね。
自分の祖父は台湾で、特攻機の整備を担当していたが、なぜか途中で引き返してくる特攻機(祖父は、故障と言っていたが)が度々あったそうだが、誰も非難もせず、
「当たり前だよ、あの程度の飛行機が飛ぶ方がおかしい」
と言っていたそうだよ。
余りにも、戦後に美化されすぎて、祖父は気分を害していた。
真実は、誰も行きたくなかったようだ。それは人間として、当然のことだと思うが。

9. 2016年11月08日 01:57:11 : fpt8itpB5Q : zW@YYVl31Kw[1067]
亡くなった方々には申し訳ないことだが美化しちゃいけない
これからの若者が同じ状況に陥らないようにするためにだ

それが家族を守るため、国を守るためであれば、そんなことを言ってはいけないんだが
朝鮮人天皇の金儲けのために仕組まれた戦争だったのだから
愚か者として伝えていかないといけない

戦闘機に乗り込む隊員はブルブルと震え、ある人は失禁し
それを覚せい剤を飲ませて特攻させる
日本の映画界は朝鮮人の映画監督しかいないと言われるが
それをイケメン俳優を使って勇ましいヒーローとして描いている
なんという腐った国であることか

戦争の総括をしろよ腐れ朝鮮人天皇
聖人君子ズラしやがって
皇族が一丸となってアジア各地で金品の略奪をしていたことを国民に教えろ
そして首を吊って謝罪しろ

[32初期非表示理由]:担当:言葉使い

10. 2016年11月08日 03:24:36 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[981]
>>7
残念ながら 中国共産党軍(八路軍)は、日中戦争の途中から大規模に参戦しております
しかもその戦い方は 国民党軍よりも“かなりえげつない戦い方”だったのです

それは、民間人に紛れて日本軍の駐屯部隊を包囲し夜間に奇襲攻撃を掛けるというもの
国民党軍は まがりなりにも軍服を着て日本軍と戦ったが 八路軍は 完全に村人たちと同化し
民間人とまったく見分けがつかない格好で奇襲攻撃をしてくるのです 有名なのは百団大戦です

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E5%9B%A3%E5%A4%A7%E6%88%A6

日本軍は、これまで軽視していた中国共産党軍の戦闘能力に対する評価を改め、対抗策を強化した。
_____________________________________________

と、(ウィキには)書かれておりますが、その日本軍による対抗策は これまたえげつないもので
八路軍に協力した村 あるいは協力しそうな村を 村ごと殲滅するようになったのです
そのくらい、日本軍は 八路軍の奇襲攻撃に パニック状態になったのです
そして ここから、日本軍の民間人への残虐行為が 一気に加速し 先鋭化するきっかけとなったのです

もちろん、民間人への残虐行為は どんな理由があろうとも 決して許される事のない戦争犯罪であり
日本軍の行為が正当化できる訳ではないものの そのきっかけを与えた
民間人と完全に同化する八路軍(共産党軍)の戦いぶりにも その責任の一端は あると言えるでしょう

http://dd.hokkaido-np.co.jp/cont/topostwar70year_4_1/


11. 母系社会[1243] leqMbo7Qie8 2016年11月08日 18:32:16 : bVfbPdpYYU : P1SmRNaQZWw[1]
>>10さん

>残念ながら 中国共産党軍(八路軍)は、日中戦争の途中から大規模に
>参戦しておりますしかもその戦い方は 国民党軍よりも“かなりえげつない
>戦い方”だったのです

●10さんは家で寝ている時、いきなり刃物を持った強盗に襲われても、「過剰防衛」で強盗を必要以上に傷つけないように配慮しながら戦える冷静な方なのでしょう。立派と言う他ありません。

私なら、とにかく可能な手段で戦うだけですから、「過剰防衛」で強盗を殺してしまう場合もあるし、場合によっては殺した後も、家族が強盗に傷つけられていたりしたら憎悪を爆発させて、強盗をバラバラに切り刻むかもしれませんね。

他人の家に忍び込んだ窃盗犯が、家人に見つかってしまい、殴られてケガをしたら、「俺は単なる物取りで、人を傷つける気はなかったのに、殴った」などと家人を非難しても誰も認めないでしょう。ですから、単なる物取り=窃盗犯も、強盗と間違われるリスクを自覚すべきです。そもそも、中国に侵入した時点で、どのような目に会うか覚悟をすべきです。

●もし、日本に中国軍が攻めてきて、交渉やデモ、ストライキ、サボタージュなどの平和的な手段では解決できない、戦うしかないとなった場合、どのような手段で戦うかは、占領された側の日本人が決めることであって、侵略した中国側から「かなりえげつない戦い方」だとか、「残虐だ」とか言われる筋合いは全くありません。

他国を侵略する軍民は、ありとあらゆる残虐な方法で報復されることを覚悟しなければならないのです。中国では、1937年に日本軍の爆撃機が中国軍の訓練基地を誤爆する事件が起きて、その後、通州という町で日本軍守備隊が襲撃されて全滅し、日本の民間人も幼児や女性も含めて220〜260人ぐらいが強姦され惨殺される事件が起きたそうです。(日本側の情報しかない)

それで、良くこの事件をネトウヨは持ち出すのですが、この町は麻薬密売の町で、中国人から憎まれていたことは言いません。また、上海などの日本人居留地の腐敗堕落ぶりは半端ではなく、中国人が虐待されていたことも、日本では知られていません。もちろん、当時は日本人だけが残虐だったのではなく、中国人も欧米人も残虐でした。この件は下記の★へ

●日本がハワイで行った「真珠湾攻撃」のような<奇襲攻撃>も、卑怯と言えば、極めて「卑怯な戦い方」です。しかし、現代戦では奇襲に成功したら、そのまま勝利する場合が多いので、奇襲攻撃は当たり前になり、むしろ奇襲された方が「愚か」と評価されてしまいます。

太古の昔には、日本でも中国でも、戦う時には相手にも通告して、相手が戦う準備を完了するまで待ち、相互に名乗りを上げてから戦った。だから、<奇襲攻撃>などは、卑怯と見なされたので、絶対にしなかったわけです。ところが、最も効果的手段で戦うという「マキャベリズム」が戦争でも公認され、現代戦の時代が始まりました。物事の解釈の基準は歴史的・文化・社会的に変わります。

●アルジェアの独立戦争では、街で警備をしているフランス軍兵士に対して、いきなり爆弾を投げつけるなどの、明らかに<テロ>としか言いようがない手段が使われたので、同じアルジェリア人も巻き添えになりました。

と言うのは、おそれく、そのような方法でしか戦う方法が無かったからです。アルジェアは、1830年から1962年までフランスに占領され、その間には極めて過酷な弾圧が行われたために、一般のアルジェリア人は、独立のために戦う意思を完全に喪失していました。一般のアルジェリア人には、フランス兵が巨人のように見えたのでしょう。

そのような国内状況から、初期のアルジェリア独立派の人々は、ガンジーのような平和的手段での独立を目指したのですが、やがて武装闘争を志向した青年たちが誕生し、彼らは武装蜂起する前に、まず同じアルジェア人の平和派を数千人も皆殺しにし、平和派を文字通り一人も残さず根絶してから、武装蜂起したのです。

こうして独立派による爆弾闘争が始まり、フランス軍兵士が爆弾で吹き飛ばされる姿を見て、一般のアルジェリア人も、フランス軍兵士といえどアルジェリア人と同じ人間だと気づいたのです。それで、一般のアルジェリア人も独立戦争に参加するようになり、ついに1962年に独立しました。

武装闘争派の青年たちが、平和派の先人たちを皆殺しにした真の理由はわかりませんが、とにかく、欧米の帝国主義の脅威に晒されて日本でも、攘夷派と開国派が殺し合いをしたり、幕府軍と維新軍が殺し合いをしましたが、似たような悲劇がアルジェリアでも起きたわけです。

この時、資金不足の独立派には、制服など高価なものを準備する資金などありませんし、そもそも普段着で爆弾を投げつけ、そのまま民衆の中に逃げ込まないと逮捕されてしまうので、おそらく間違って逮捕されたアルジェリア人もいたでしょう。しかし、その方法でしか戦う方法が無いのです。

●それを、戦闘員とわかる制服や標章を付けていないとか言い、「ジュネーブ条約」や「ハーグ陸戦規定」違反で、国際法を守っていない便衣兵=不正規ゲリラだと言って、不正規ゲリラは裁判無しで殺しても良い、合法だと言うのが日本のアホなネトウヨです。

こうしたアホは、自分がゲリラとして戦う側に立った場合のことを想像しないで物事を判断するので、国際法がどうのと言うわけですが、そもそも、他国を侵略し、植民地や属国にすること自体が絶対的<悪>なのです。

植民地化戦争は絶対的<悪>ということを前提にしないのであれば、日本が中国やロシアから軍事侵略されても、ネトウヨは一般的な戦争と見なすのでしょう。そもそも、島国の日本には補給や休憩する後背地が無いので、制服を着てゲリラ戦などしたら、たちまち全滅です。バカバカしい限りです。万一、日本が占領され、平和的方法では無理となったら、日本人も便衣兵として戦うしか、他に方法がありません。

●日本と米国が、東アジアの支配権を争奪し合った太平洋戦争は、帝国主義国同士の戦争ですが、日本が中国に攻め込んだ戦争は、帝国主義国同士の戦争ではなく、日本が中国を日本の植民地にするための戦い=侵略戦争でしたから、同じ戦争でも全く異なる戦争でした。

そもそも、戦争は<絶対悪>ですから、国際法で戦争ルールなど決める方が狂っているのです。つまり、国際法でルールなど決めたら、ルールを守っている限り、合法戦争=正当な戦争と化すからです。

★当時は日本人だけでなく、中国人も含めてアジア全体に「野蛮」や「残虐」が満ちていたのではないかと思います。これは、アジアでは「人類」(人間)という概念が希薄で、全て「生類」とカテゴライズされていたことが原因ではないかという説があります。

つまり、全ての生物が「生類」と見なされると、人間と動物・虫や菌の差が無くなるわけで、人間が特別視されなくなり、下位の人間は動物と差が無くなるわけです。

これが、一方では、仏教や「動物に襲われたときにも動物を傷付けてはいけない」というジャイナ教のように「極端に殺生を嫌う」というアジアの良い面も産み出すのですが、一方では、インドの「カースト制度」や日本の「部落問題」のように、下位の人間と見なされると、家畜との差が無くなってしまうわけです。

もちろん、等位同士の場合は相互にヒューマンに振る舞うので、アジアでは、この落差が激しいわけです。それで、アジア人は誰に対しても「野蛮」や「残虐」に振る舞ったわけではなく、日本兵も日本に帰れば、やさしい普通の日本人に戻るので、アホなネトウヨは理解不能となり、皆ウソだ、反日日本人だと思うわけです。



12. 2016年11月09日 02:59:33 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[983]
>>11
私が 「えげつない」 と言ったのは 日本軍に対してではありません 誤解のなきよう

日本軍の将兵は、貴方のおっしゃる通り どんな過酷な戦いに引きずり込まれようと自業自得と言うもので
中国大陸で部隊を展開している時点で、「立派な侵略者」 であり ネトウヨのように弁解する気はありません

「えげつない」 という表現になったのは、日本軍に対してではない もちろん八路軍でもない
中国の一般民衆 村人たちに対する表現なのです

当初 国民党軍だけを相手に戦っている内は、戦闘員と非戦闘員の区別はついており
日本の駐屯軍と 地域の村人たちは ある程度 住み分けは出来ていた これは大勢の日本軍将兵の証言が有ります

つまり、日本軍の軍紀が タガが外れたように乱れたキッカケは やはり八路軍の攻勢なのです

そして、八路軍も 住民達を武力で脅し 言う事を聞かせていたのですから
住民たち 村人たち にとっては、「日本軍も 八路軍も【敵だった】と言う事」 なのです
どこの国でも いつの時代でも 戦争の犠牲になるのは 立場の弱い人間達です
「えげつない」 というのは、あくまでも村人たち 中国の一般民衆にとっての表現であり
決して 日本軍の行動を正当化する意味はないのです

どんな理由があろうとも 住民への非人道的行為は 未来永劫 許されるものでは無い戦争犯罪
私は、日本軍の行動を正当化する意図はまったくない だが 村人たちにとっては
日本軍も八路軍も、過酷な戦い方をした 【どちらも敵だった】 そういう意味で 「えげつない」
と表現したのです。


13. 2016年11月09日 13:44:42 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[984]
同様の事は 沖縄戦での住民達にも言える事です 本来の敵は米軍なのであるが
沖縄の住人にとって、日本軍も 敵だったのです せっかく作った防空壕を日本軍に追い出されたり
沖縄の方便を使うだけでスパイの容疑を掛けられたり 米軍に投降する事を相談してただけで殺されたりと
米軍と日本軍 どっちが敵だか判らない 民間人の死者は10万人とも言われますが
米軍ではなく日本軍に殺された沖縄住人も そうとう居たはずです

沖縄の住人が 日本軍に密接に協力させられていた事は、太田実海軍中将の最後の電文でも明らかです
電文では 沖縄住人が積極的に手伝ったように表現していますが、そんなのはごく一部の人達でしょう
日本軍に強制的に協力させられていたであろう事は、マトモな人なら誰にでも想像くらいは付きます

そしてそのせいで、米軍の火炎放射器に 丸焼きにされた沖縄住人はどれ程いた事か
そうでなければ、10万人もの民間人が犠牲になったりする訳はありません 日本軍人の死者8万人より多いのですから。



14. 2016年11月09日 18:15:16 : fpt8itpB5Q : zW@YYVl31Kw[1070]
>>12
かなり苦しい言い訳だな
まるでチョンネル桜みたいだ
日本人は侵入した他国の国内事情をあーだこーだ言える立場ではない
神にでもなった気でいるのか
とても気持ち悪い異常な人間だ

15. 2016年11月09日 23:23:18 : 6IIz0sGDuQ : 3tiPUQmNaGY[128]
http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/bangumi/movie.cgi?das_id=D0001200004_00000

これを見ればわかる、米軍は暗号解読とレーダーやVT信管の採用によりベテランパイロットを失い実戦経験のないパイロットが操縦していたゼロ戦は機体軽量化のために機銃を撤去し、重たい爆弾を搭載し動きが鈍く防弾や消化装置のない薄いジュラルミンの機体は被弾すると空中分解や火災が発生し次々と墜落していった、
もちろん空母艦載機の迎撃も受けたがもちろん反撃することもできない。

http://homepage2.nifty.com/naito-patent/blog/hawaii/a/DSCF3577-2.jpg(衝突跡)


http://i.imgur.com/jjyjUZc.jpg(激突直前の写真)

そんな中で後に降伏調印文書を署名する戦艦ミズーリにカミカゼ攻撃があった時の写真がある。


https://www.youtube.com/watch?v=5NOfOb5l2M8

特攻に失敗して手りゅう弾で自殺する日本人パイロット(はまだ幼さなさが残る顔だ)


16. 2016年11月09日 23:25:33 : 6IIz0sGDuQ : 3tiPUQmNaGY[129]
訂正:上のミズーリの写真上下逆。

17. 母系社会[1244] leqMbo7Qie8 2016年11月10日 17:22:39 : rJ2uD6xUxc : RTNbrHT4e8I[2]
>>12さん

トランプの勝利で、さしあたりTPPは終わり。また名前を変えて復活するのでしょうが。

>日本軍の軍紀が タガが外れたように乱れたキッカケは やはり八路軍の攻勢
>なのです そして、八路軍も 住民達を武力で脅し 言う事を聞かせていたの
>ですから住民たち 村人たち にとっては「日本軍も 八路軍も【敵だった】
>と言う事」 なのです

●1904年〜1905年の「日露戦争」の時の日本軍は軍紀を守り、統制が良くとれていたのですが、1918年〜1922年の「シベリア出兵」の時には、既に、日本軍の腐敗・堕落は始まっていました。

WIKIによれば、シベリア派遣軍の将校は<毎日「裸踊り」の観覧にうつつを抜かし>、<「酒楼に遊蕩」していた>そうです。また、兵士は村民から、<薪及鶏類を窃み又駅員其他の家屋に押入りて婦人を辱めた>そうです。

その腐敗堕落ぶりが、余りにも凄まじかったので、ついに右翼の黒竜会の機関紙『亜細亜時論』にまで、シベリア派遣軍の腐敗・堕落を告発する「絶叫書」が掲載され、政府に解決を求めたほどです。

ロシア革命が起きた時、米国やイギリス、フランス、イタリアなど世界中の主要国がロシアに軍を派遣して、ロシア革命を潰そうとしたのですが、その中でも、最大規模の軍を派遣し、他の軍があきらめて引き揚げた後、最後までロシアに残り、軍事干渉し続けたのが日本軍でした。

ロシアに派遣された日本軍が腐敗した理由は、4年間もの長い間派遣されていたこと、そして、派遣軍には、なぜロシアで戦わなければならないのか、その意義が理解できなかった事もありました。

また、そもそも日本や中国には昔から、戦争に勝った軍は何をしても良いという「戦争文化」があったわけで、更に、この「戦争文化」には11の「生類」の件も影響したと思います。

人間を動物とは本質的に同じ生物と見なして、人間と動物との間に線引きをしない「生類」として括ると、戦争に負けた側は人間の中でも劣っているから負けたので、動物と差が無い生き物ということになり、動物と同じ扱いをしても良いということになってしまうわけです。

ですから、日本でも「大阪夏の陣」の時、勝利した徳川軍による大阪の民衆の略奪や暴行、奴隷化が起きたし、1868年〜1869年までの戊辰戦争の時には、勝った官軍による会津民衆への略奪や暴行が起きました。この頃には、日本国内でさえも、現在のような同じ民族という意識は無かった。

(現在のような大和民族・日本民族という民族意識は、明治になって国家主導で形成されたものであって、これは欧米でも同じであり、過去200年ぐらいの間に形成されたものです)

また、日清戦争までの日本人は、中国をアジアの大国として畏敬していたし、中国側も日本を小国として軽視していたので、日清戦争で日本が勝つと、その反動で、日本人は、中国人を軽視し過ぎるようになってしまったわけです。

尊敬して礼儀を尽くし、尊大な態度も我慢してきた人が、実は尊敬にあたいしない人と判明した場合、それまで礼儀を尽くしたのは自発的であっても、何となく騙されたような気がして、怒りも倍になるわけです。

★だから、八路軍の蛮行で日本軍の「軍紀が タガが外れた」というのは誤りです。既に、それ以前から、極寒のシベリアで酷使された日本軍のタガは外れていたのです。

●子供を大人の基準で評価してはなりません。それと同じように、中国のような「モザイク国家」と日本や欧米のような「国民国家」とを、同じ基準で評価してはなりません。

米国のアホなネオリベは同じと考えて、独裁政権を潰せば民主化すると勘違いすると、アフガンやイラク、リビア、シリアのように、却って酷い破綻国家となってしまい、手がつけられなくなります。(14億もの人口がある中国で、シリアのような内戦が起きたら、地球規模の大惨事になり、日本も無事では済みません)

最近の調査でも、中国には少なくとも150以上の文化集団(民族)があり、漢民族も台湾の漢民族も含めれば、言語が微妙に異なる9つの集団に分かれていて、中国に帰属意識を持たない人が、まだ多いわけです。(共産党幹部でさえも、海外に金を持ち逃げする原因です)

日本軍が中国を征服できると考えたのは、中国国内には実質的な小国(軍閥)が沢山あってバラバラだったからで、実際に侵入してきた日本軍を歓迎した集団もあったからです。(学校でイジメられている子なら、常にイジメる周囲の子らよりも、新しく転入してきた子の方が、望ましいわけです)

また、そもそも中国共産党も、中国という矛盾に満ちた社会から誕生した政党ですから、それまでの様々な歴史的経緯を皆、背負っているわけで、中には「抗日」という大義名分で、同じ中国人集団を虐待し、それまでの恨みを晴らす輩も存在したかもしれません。ですから、住民を虐待する八路軍部隊も存在したかもしれません。

しかし、最終的に、人民解放軍が日本軍や国民党軍を圧倒することが出来たのは、概ね人民解放軍の方が民衆の支持を得ていたからです。このことは、当時、中国で日本人医師が経営する個人病院で看護婦をしていた人からも聞いたことがあります。

というのは、初めて八路軍の将校が病院に来た時、その将校は普通の患者と同じように順番待ちをしていた患者の列に加わり、普通の患者と同じように、自分の番が来てから治療を受けたので驚いたそうです。と言うのは、国民党軍の将校の場合は順番待ちなどせずに、直ぐに治療しろと強要するのが普通だったからです。

また、この人は敗戦後もしばらく、中国に残っていたので、病院があった地域での共産党の統治の仕方も知っていました。その話によると、当時は地域の共産党は定期的に、民衆から苦情を聞くと言うか、批判を受ける会合を開催していたそうで、民衆は不満があれば容赦なく共産党を批判し、共産党の幹部も大人しく民衆の話を聞いていたそうです。

これが、今も開催されている「政治協商会議」の始まりで、当初の毛沢東時代の共産党は、概ね謙虚だったと思いますし、また、革命の理念を本気で実現しようとしていたのです。

というのは、政権樹立後、直ぐに地主から農地を取り上げて、農民に分配する「農地改革」を実行したのですが、これが行き過ぎて、清朝時代にも何度も反乱を起こした戦闘的なイスラム教徒の回族との厳しい内戦になってしまう事態まで起こしたからです。

中国のイスラム教徒には、西部のウイグル族やカザフ族以外にも、中東からイスラム商人として移住してきた人々の子孫で、中国各地に住む回族がいますね。イスラム教には、子供にイスラム教を教える寄宿制の「マドラサ」という学校がありますが、この学校には広い農地が付属していて、生徒と親御さんたちも手伝って、自給自足で「マドラサ」は運営できるようになっています。

しかし、これが共産党には、イスラム教団によるイスラム民衆の搾取施設に思えたわけです。それで、共産党はイスラム教信者の民衆を「不当な搾取」から解放しようとして、この広い農地を手放すように要求して教団と対立し、1950年代に、ついに双方に多数の犠牲者を出す内戦が中国の南西部で起きたのです。

革命直後の共産党の権力が、まだ不安定な時代ですから、本当はわざわざ強力な敵を造る必要はなかったわけです。しかし、当時の共産党には、理想の実現に燃えていた党員が多かったので、その善意で戦争を引き起こしてしまったのです。後に、誤解であることが判明して許可されましたが。

今の共産党の本音は何だかわかりませんが、少なくとも当初の毛沢東時代の共産党
は本気で農民を地主の搾取から解放しようとしたのは間違いありません。この件は、「張 承志」という回教徒自身が証言しています。

★つまり、八路軍には、住民を武力で脅した部隊もあったでしょうが、そうではない部隊もあり、総じて国民党軍や日本軍も民衆の支持を得られたので、内戦に勝てたのです。

★2013年なので少し古いデータですが、誤解している人が多いので付け加えます。アメリカの有名な調査機関「ピュー・リサーチ・センター」の世論調査では、北京政府の支持率は85%もありました。しかも、調査した39か国中では、最初の2002年から、9年連続で中国政府の支持率は第一位です。ですから、今でも大部分の中国人は北京政府を支持していると思います。

ただし、中国国民が北京政府を支持する理由は、これまでの歴代政権と比べて、まだマシという支持で、評価基準が低い。それで、必ずしも熱烈に支持しているわけでもないのでしょうが。

「国の方向性に対する満足度2013」が発表 / 満足度ナンバーワンは中国で85%! 日本の満足度は33%
http://rocketnews24.com/2014/02/26/417470/

シベリア出兵
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A2%E5%87%BA%E5%85%B5

回教から見た中国―民族・宗教・国家 (中公新書) 新書 – 1993/4 張 承志 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E5%9B%9E%E6%95%99%E3%81%8B%E3%82%89%E8%A6%8B%E3%81%9F%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E2%80%95%E6%B0%91%E6%97%8F%E3%83%BB%E5%AE%97%E6%95%99%E3%83%BB%E5%9B%BD%E5%AE%B6-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E5%BC%B5-%E6%89%BF%E5%BF%97/dp/4121011287/ref=asap_bc?ie=UTF8


18. 2016年11月11日 02:51:03 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[987]
>>17
日本軍の悪辣さは まったくその通りであり それを否定する意味はまったくありません

ただ、だからと言って八路軍(共産党軍)が、正義の軍隊であったかのような物言いはどうかと思うだけです
八路軍の正悪はともかく、私の言いたい事は あなたの>>7における 「中国共産党=人民解放軍は、ほとんど日本軍とは戦っていないと言う」
これは、認識がおかしい という事 20万人もの大攻勢をかけ 日本軍をパニック状態に陥れて
「ほとんど戦っていない」 とは、どう考えても言える事ではありません。


19. 母系社会[1245] leqMbo7Qie8 2016年11月13日 08:49:21 : YGECnNy2ng : NWekqAHfYMU[1]

>>18さん

>だからと言って八路軍(共産党軍)が、正義の軍隊であったか
>のような物言いはどうかと思うだけです

●八路軍(共産党軍)が正義の軍かどうかと問われれば、正義の軍です。しかし、これは、国民党軍と比べた場合の相対的な評価です。台湾で「二・二八事件」を起こした国民党軍と比べたら、人民解放軍の方がはるかにマシです。もちろん、人民解放軍にも国民党軍の軍人と余り変わらない人もいたでしょうし、今もいます。

だから、相対的な意味で中国の民衆にとっては、おそらく中国4000年の歴史の中では、トップクラスのまともな軍だったと思います。何と言っても、諸悪の根源である地主層を一掃して「農地解放」をしたのは共産党と人民解放軍の手柄です。

正義かどうかは全て関係が決めることなので、昨日までは「正義の軍」であっても、今日は「悪の軍」ということもあり得ます。いつでも、どんな場合でも、誰に対しても正義の人がいないように、本質的に「正義の軍」というような軍は存在しません。

それで、少なくとも「改革開放」(天安門事件の頃)までは、人民解放軍は、中国の民衆にとっては「正義の軍隊」だったでしょう。文革で共産党が事実上崩壊した時、中国の秩序を回復させられたのは、人民解放軍だけしかなかったのです。

実際に、当時、厳しい対立が起きている現場に行き、闘争を停止せよと直接伝えるだけで、文革の混乱を鎮めることができました。人民解放軍は武力など使わなくても、その圧倒的な権威で対立を静められたのです。★1

●そもそも、毛沢東やスターリンは、マルクスが「一国社会主義」は不可能だと言っていたことを知らなかったか、もしくは無視したのです。マルクスは、イギリスやアメリカ、ドイツなどの先進国で労働者が権力を握り、先進国が主導する世界的規模での革命でなければ、社会主義への移行は不可能だと言っていたのです。これは、レーニンやトロツキーたちには常識でした。

それで当時、ドイツ軍と戦っていた前線のロシア軍には弾薬も食料も無く、ロシア本国も飢餓状態だったので、とにかく直ぐに戦争を止めなければならない危機的状態でした。それで、戦争継続派の政府を打倒したのですが、あのロシア革命は、あくまでも先行革命として実行したのです。

つまり、第一次大戦後には、ドイツなどで革命が成功するハズだから、それまで持ちこたえれば、先進国の援助で後進国のロシアでも革命が成功すると期待していたわけです。しかし、ドイツ革命は失敗したので、レーニンたちはNEP政策を採用し、資本主義を復活させたのですが、レーニンが死ぬと、スターリンは「一国社会主義」は可能だと言って、ロシアを資本主義以下の暗黒社会にしてしまったのです。

この「一国社会主義」という点では毛沢東も同罪であり、戦後、毛沢東が実行した政策は全て失敗し、中国を大混乱に陥れました。しかし、毛沢東は官僚を嫌い、直接民主制を重視するという良い点もあるので、全否定するのは誤りですが、この直接民主制は、日本のような国民国家でしか実現できず、中国のようなモザイク国家に、文革のような直接民主制を導入すると、大混乱に陥るわけです。★2

現在の金食い虫と化した人民解放軍が、まだ、大量の貧困層がいる中国にとって本当に「正義の軍隊」かどうかは大いに疑問です。

>私の言いたい事は あなたの>>7における 「中国共産党=人民解放軍は、
>ほとんど日本軍とは戦っていないと言う」これは、認識がおかしい 
>という事 20万人もの大攻勢をかけ 日本軍をパニック状態に陥れて
>「ほとんど戦っていない」 とは、どう考えても言える事ではありません。

●よく、読んで下さい。確かに「ほとんど戦っていない」と書きましたが、これは「遠藤誉」の言葉を要約したものです。最後に「と言う」と書いています。しかも、この要約文には「主に日本軍と戦ったのは・・・」とも書いています。この「遠藤誉」説を支持した文です。

それで、今回、下記のWIKIの「日中戦争」の記事を調べました。この記事には、日中戦争では大小90前後の戦闘=会戦(作戦)の記事がありますが、八路軍と日本軍の戦闘の記事は、たった一つだけです。他の戦闘にも、共産党軍も多少は関わったものがあるかもしれませんが、日中戦争の前半は、地方軍閥と日本軍との戦いです。

これは、国民党はまず共産党軍を壊滅させてから、日本軍と戦う作戦だったからで、1937年までの国民党は、満州を容認するかのような態度を取り、日本軍との戦いを避けていたからです。それで、共産党軍は日本軍と戦うどころではなく、生き延びるのが精一杯でした。遠藤誉はアホですが、この点は正しいのではないでしょうか。

ただし、人民戦争論の八路軍は、強敵にはゲリラ戦で対抗するのですから、個々の戦闘は小規模で双方の犠牲者も少数のはずですから、記事化されていない戦闘が多いのでしょう。国民党軍は無謀にも、日本軍に正規戦を挑み続けたので、犠牲も多ければ、倒した日本兵の数も多いことは間違いないでしょう。

●中国共産党の結成は1921年で、1924年から始まった「第一次国共合作時代」には、デモやストライキを統制する「武装労働者糾察隊」が存在したのですが、これは軍のような存在ではありません。この時代の共産党員は、国民革命軍に参加していたので、共産党軍と言えるような部隊はありませんでした。初期に、華北方面で日本軍と対峙していたのは国民党軍でもなく、独立した軍閥の軍です。

1927年4月に上海で、国民党右派が左派を弾圧した「上海クーデター」が起き、5月には、蒋介石は国民党からの全面的な共産党排除を実行したため、多くの党員が殺され、「第一次国共合作」は終了しました。

同年8月には、中国南部の南昌で共産党が蜂起し、この過程で後に「中国人民解放軍」へと成長する「中国工農紅軍」が結成されましたが、朱徳が指導した紅軍以外は壊滅し、朱徳の紅軍も逃げ回るだけでした。その後も、毛沢東指導の「中国工農紅軍」が湖南省や江西省で蜂起して失敗し、同年12月には広州で「広州ソヴィエト政府」を樹立しましたが、ここも反撃されて逃げ出しました。こうして、都市で蜂起に敗北した共産党は、日本軍が存在しない中国南部の農村地帯に小さな支配地域を築いて逃げ込むだけでした。

当時、江西省瑞金付近の山岳地帯が共産党の最大勢力地で、「柳条湖事件」が起こった1931年、共産党は全勢力を瑞金に集めて、「中華ソビエト共和国臨時政府」を樹立しました。この新国家は正規軍である「中国工農紅軍」の「紅一方面軍」約10万人と、民兵5万人が防衛していましたが、チベット・東トルキスタン・内モンゴルの中国からの「離脱の権利」★3を認めた連邦制国家でした。しかし、この瑞金も国民党軍の攻撃で放棄し、共産党は1934年から1935年末にかけて、有名な「長征」に乗り出しました。

●共産党はこの「長征」の過程で、各地の少数民族に、中国からの「離脱の権利」を認め、農民を奴隷化してきた地主制度の廃止=「農地解放」などの共産党の政策を宣伝を行いました。それで、共産党は各地の少数民族からの支援で生き延び、後の国共内戦時には、共産党は少数民族からも支援されて勝利できたわけですが、後に取り消したので、共産党が少数民族を裏切ったのは確かです。

こうして、共産党は中国南西部の辺境地帯を、1万km以上も徒歩で移動して、北西部の陝西省延安に逃げ延びることが出来ました。しかし、10万名もいた共産党軍は、わずか数千名に激減していたと言います。それでも、わずか5年後には40万もの軍を組織することができたのは、農民に「農地解放」を約束したからであり、また人民解放軍が国民党軍よりも軍紀を厳しく守る軍だったからです。

この延安は、満州から更に西進して今の内モンゴルや山西省を支配しようとしていた日本軍に近い地域でした。しかし、満州から更に西進する日本軍と戦ったのは、延安の弱体化した共産党軍ではなく、共産党と友好関係を築いていた回族の騎馬ゲリラ部隊(馬賊)でした。

延安時代の共産党軍は、国民党軍からの脅威は無くなったのですが、かわりに内部に忍び込んだスパイ問題で指導部は疑心暗鬼に陥り、かなり激しい内ゲバを行っていたので、とても日本軍と戦えるような状態ではなかったという説もあります。

●1937年に、盧溝橋事件が勃発すると、国民党政府はようやく日本軍と戦う決意をして第二次国共合作が行われ、共産党軍(八路軍)★4は日本軍と戦いました。しかし、日本軍と正面で対峙したのは国民党軍です。もう一つの新四軍は中国南部で組織されたので、日本軍とはほとんど戦っていません。

ロクな装備もないために、ゲリラ戦しか出来ない八路軍は、前線のはるか後方で、主に日本軍の輸送部隊や鉄道などの攻撃・破壊戦を行いました。

★1:文革が大混乱に陥った理由には、解放前の清国時代には、凄まじい過酷な支配が行われていたことがあったからだと思います。それで、共産党が政権を樹立すると、全国で支配層の大虐殺が起きたらしいのです。共産党は党の支持層が怒りを爆発させているので、しばらくは放置したらしいのですが、余りにも酷いことになったので、共産党が途中で止めさせました。

民衆の怒りが治まらずに潜在化したままで、文革が発動されたために、再び解放前の怨念が爆発してしまい、中国は大混乱に陥ったのだろうと思います。ですから、文革から間もない天安門事件の頃の中国が民主化などしたら、どうなったかわかりません。

また、共産党(毛沢東)が、親がブルジョアだと、子供もブルジョアというような血統主義を、明確に否定しなかったことも原因でしょう。これは存在が意識を決定するというテーゼの誤解です。マルクスは関係の対自化(自覚化)が意識という極当たり前のことを言っただけです。この点は今でも曖昧なので、中国では、革命家の子供は革命家という「太子党」なるものが幅をきかせるわけです。

毛沢東は、精華大学付属中学の「紅衛兵」に何度も手紙を送り、この精華大学付属中学の「紅衛兵」が、全国に毛沢東の指示を伝えていたのですが、17の張 承志は、その精華大学付属中学の紅衛兵で、「紅衛兵」とは張 承志のペンネームでした。だから、中国で最も文革に詳しい人物の一人が張 承志ですが、その張 承志は、今の中国では文革は誤解され過ぎているので、まだ真相は明かせないのだそうで、時期が来たら、真相を明かすと言っているので、まだまだ、謎があるようです。

★2:とにかく、100万人ぐらいの難民がヨーロッパに来ただけで、あの騒ぎですから、中国で内戦が起きたら、内戦で負けた側が武装難民となって周辺国に流れ出し、世界規模の大惨事が起きるかもしれません。ある意味、アジアの歴史は中国大陸での負け組が周辺に流れ出して、様々な国を形成してきた歴史だからです。日本も、中国大陸や朝鮮半島の負け組が、海を渡って逃げてきて創った国の一つでしょう。

★3:この頃の共産党は、フィンランドの独立を認めた「レーニン主義」を忠実に引き継ぎ、帝国に吸収された他民族の「離脱の権利」を
を認めていましたが、政権を握ると放棄してしまいました。おそらく、政権樹立時には250ぐらいの自称の「民族」があったので、チベット・東トルキスタン・内モンゴルに「離脱の権利」を認めると、他にも離脱を求める少数民族が出てきて、収拾がつかなくなることを恐れたのでしょう。

★4:敗戦後の八路軍は、日本軍の林弥一郎少佐が指揮していた「関東軍第二航空団第四練精飛行隊」の指導で、「東北民主連軍航空学校」を設立してパイロットと整備員を養成した。この学校で養成されたパイロットたちは、人民解放軍空軍の最高指揮官となったし、中国の航空機産業には、日本陸軍の精神が残っているかもしれない。また、日本軍の日向勝少尉などの協力を得て八路軍は、「砲兵学校」も設立した。

張承志
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E6%89%BF%E5%BF%97

二・二八事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E3%83%BB%E4%BA%8C%E5%85%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6

国民革命軍
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E9%9D%A9%E5%91%BD%E8%BB%8D

八路軍
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E8%B7%AF%E8%BB%8D

百団大戦
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E5%9B%A3%E5%A4%A7%E6%88%A6

日中戦争
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E4%B8%AD%E6%88%A6%E4%BA%89


20. 2016年11月14日 03:03:37 : w3M1BHSquE : 5KToaZSVnLw[992]
>>19
これは、貴方の示したリンクですよ↓ (八路軍)
____________________________________________

行動地域[編集]

八路軍は主に日本陸軍占領地域の後方攪乱とゲリラ戦を担当した。1940年8月から華北において百団大戦という鉄道や炭鉱に対する大規模なゲリラ攻勢を行い、日本軍を一時的に混乱させたが、日本軍の本格的な攻勢が始まると忽ち一掃された。これ以降、このゲリラ戦に対して、日本陸軍 第1軍の反撃も三光作戦などと呼ばれたように本格化ないし泥沼化した。

戦果[編集]

八路軍の戦果は、中国側の研究によれば、作戦回数は約99,800回、戦死または戦傷させた日本軍の合計人数は約401,600人、戦死または戦傷させた「偽軍(主に汪兆銘傀儡政府によって組織された軍を指す)」の合計人数は約312,200人となっている[3]。

2008年現在、中国国民の多くが「中国は日本に戦闘で勝利した」と信じている。
______________________________________________

↑ こう書いてあるじゃないですか

八路軍の攻勢がきっかけで 日本軍の暴虐が一気に加速したのは 数多くの日本軍将兵による証言があります
彼らは 「自分達の恥ずべき行為」 を、率直に暴露 告白証言をしているのだから
口を揃えて嘘を言っているとは 考えにくいのです

もちろん、日本軍による数々の非人道的行為を 八路軍のせいにする事は 言い逃れに過ぎません

しかしながら、村人たちにとっては 沖縄戦での日本軍がそうだったように 八路軍も敵だったのです
戦争をするような軍隊に 善の軍隊など 存在しません そんなものが有るとすれば 戦争を未然に防いだ軍隊
それを、辛うじて 「善と言える」 軍隊ではないのでしょうか
実際 敗戦によって日本軍が撤退した後 またすぐさま 国共内戦は再開されたではないですか。



21. 母系社会[1247] leqMbo7Qie8 2016年11月15日 21:15:35 : TQnvuZBBgo : f_PlQcWMrho[1]

●八路軍の戦果の記事は、当方も読みましたが、中国側の発表ですから、そのまま鵜呑みにはできません。日本の大本営も敗北しても勝利したと、正反対の発表をしていました。

特に、現在の北京政権の場合は、戦後の一連の社会主義化事業が成功して、社会主義を実現できていれば、その点も北京政権の正当性の根拠にできたのでしょう。しかし、失敗したので、経済システムを資本主義に戻して近代化を優先し、世界情勢の変化を待つ、長期持久体制を選択しています。★1それで、北京政権の正当化の根拠としては、中国から外国軍を追い払ったという点の比重が増しました。

だから、八路軍の戦果を誇大に宣伝している可能性が高いわけです。そのような意図が無い場合でも、戦争では自軍の戦果を多めに見積もりがちなので、このまま信用することはできません。★2

●19で書いたように、八路軍が戦闘していたのは華北だけです。華南の新四軍は戦略予備軍のような存在でしたが、急速に勢力を増大させたために、脅威を感じた国民党軍と武力衝突★3するなど、日本軍よりも周囲の国民党軍と対峙していたのが実態のようです。

1937年に国共合作が成立して、華北では八路軍が組織されましたが、WIKIの「百団大戦」には、1940年頃までは・・・

<引用開始>

実際には他の国民革命軍部隊の赤化工作や、民兵の組織を積極的に行って、独自の戦力養成に努めた。1940年春には、山西省に展開していた国民党系の第97軍のほとんどを吸収していた。八路軍の装備は迫撃砲や機関銃程度の範囲ではあるものの次第に充実し、ヘルメットを着用した兵士が増えている。兵の練度も向上してきた。しかし、八路軍は「政治七分、軍事三分」を標榜し、前述のように国民党政権軍の戦闘に積極的に協力せず、日本軍との直接交戦は避けることを基本としていた。

<引用終了>

とあるように、国民党の10分の1以下の兵力しか無い共産党軍は、日本軍が撤退した後の本番に備えて、勢力の温存と拡大、兵の教練が主な活動だったわけです。そして、有名な「百団大戦」も、体制を整えた1940年の8月から12月の5か月間のことです。

八路軍が、「百団大戦」に動員した兵力は40万人説もありますが、20万人説もありますし、主な作戦は駅舎や線路、橋、トンネル、炭坑や通信施設の破壊であって、この時には、戦闘部隊へ直接攻撃して成功したのは1か所ぐらいだったようです。

「百団大戦」での日本軍兵士の損害も、中国の資料でも1万〜2万人を死傷させただけです。八路軍の被害は、中国の資料でも約2・2万人が死傷ですから、八路軍の方が少し多く、この数字は日本側の資料とほぼ一致します。ですからこの頃、ようやくゲリラ戦でなら、日本軍と互角に戦える士気の高い軍が、中国側に出現したということなのでしょう。

一方で、各地の軍閥の軍を吸収した国民党軍は約400万人前後もの兵力となり、欧米やソ連の援助で航空隊や戦車など、装備も充実していました。しかし、時には中国民衆への略奪も行うような軍でもあったために人気が無く、練度不足だったのに、蒋介石は日本軍との正規戦を行わせたので連戦連敗し、膨大な犠牲者を出し続けました。

国民党軍が日本軍と互角に戦えるようになったのは、日本軍が弱体化した敗戦直前でしたから、蒋介石も毛沢東と同じようなゲリラ戦をすべきでした。ゲリラ戦の場合、主に相手の補給物資を破壊することで無力化するので、相互に人的被害は少なくて済みます。

●「八路軍の攻勢がきっかけで 日本軍の暴虐が一気に加速したのは 数多くの日本軍将兵による証言」があるなら、それも事実の可能性が高いと思います。しかし、八路軍の全体が暴虐であったかどうかとは別です。

八路軍の結成が決まったのは1937年8月であり、この頃はまだ、実際の活動はしていませんが、既に1937年8月〜12月の「南京攻略戦」(南京事件)の時には、南京だけでなく、上海から南京に進軍する過程でも暴走しているのです。また、日本軍は同時期の1937年8月〜10月に、内モンゴル自治区で「チャハル作戦」を行いましたが、この時にも、子供も含めて男性を350〜500名も殺す「陽高事件」を起こしています。

この事件の責任者は、何とあの「東條英機」です。そして、大変珍しいのですが、この事件は、日本側も中国側とほとんど同じ内容で、事実と認めている住民虐殺事件です。これは予想以上に戦死者が出たために、激高した現地部隊が敵愾心のあまり実行したもので、基本的には「南京虐殺」と同じでしょう。しかし、「南京虐殺」については、下記のような田所耕造氏の驚くべき証言もあります。

つまり、八路軍と日本軍の戦いが始まる前の時点で、既に日本軍は暴走しているのです。この原因の一つは、「シベリア出兵」の時の体験談が軍内部で広まっていたことや、下記の戦争文化=「乱妨取り」、それと、おそらく1937年8月〜10月の「第二次上海事変」の時、25万人動員して死傷者が予想以上の約4万人も出たことで、激高したのでしょう。(最大の被害を出したのは、1944年の50万人も動員した「大陸打通作戦」で、死傷者が10万人も出てしまいました)

もし、八路軍と村人の関係が、どこの村でも「村人たちにとっては 沖縄戦での日本軍がそうだったように 八路軍も敵だった」のであれば、<17>のリンクで示したように、北京政府の支持率が、9年連続で85%もあるはずがないと思いますし、人民解放軍が文革の混乱を静めることもできなかったでしょう。★4

とにかく、われわれが正義と見なすものは、この世界の関係と共に変わるものだと思います。神戸地震の時も、3・11の時も、割と早くヤクザ組織が被災地に支援物資を届けました。ヤクザにはヤクザなりに、悪いイメージを変えたいという意図があったのかもしれませんが、支援物資を受け取る被災者には関係ありません。被災地に支援物資を届けた時のヤクザ組織は、正義の組織だったと思います。

同様に、全ての存在・組織が善から悪へ、悪から善へと変わるわけだし、<11>のアルジェリア独立戦争の例で示したと思うのですが、テロリズムでさえも、一概に悪とは言えない例外的な事態もあると思います。

●既に、<11>で書いたように、万一日本が侵略されても、まずは抵抗せずに、非暴力で戦うべきだと思いますので、憲法9条を守るために、日本は即時、無条件で、一方的に軍縮を始めるべきだと思います。無条件で一方的に軍縮を始めるということは、東アジアの国々に、「日本が信頼している」というメッセージを発することになるわけで、これにより、東アジアの緊張緩和を促すべきです。

先月の29日、 日本、中国、韓国の3カ国の経済貿易相が都内で会合を開き、日中韓の自由貿易協定(FTA)などの経済連携交渉について、交渉加速化に向けてさらなる努力を行っていくことで一致したという報道がありましたが、この「日中韓FTA」交渉と、東アジア全体での「東アジア地域包括的経済連携」(RCEP)交渉が妥結すれば、次は「アセアン経済共同体」と、「日中韓」か、あるいは「日中韓+α」で、「東アジア経済共同体」結成の交渉が始まります。(「東アジア経済共同体」は、日本農業には悪影響はありません。既に関税がほぼゼロだからです)

そして、この「東アジア経済共同体」結成に合わせて、全ては話し合いで決め、武力行使はしないと誓う「東アジア平和条約」の締結が行われる可能性があるのです。というのは、以前、「東アジア共同体」の議論が盛んに行われていたころ、この「東アジア共同体」を結成するなら、中国やベトナム、ラオスなどの共産党政権の国があるので、「東アジア平和条約」の締結が必要とされていたからです。

それで、「東アジア平和条約」を一日も早く締結するには、「東アジア経済共同体」の場合でも「東アジア平和条約」の締結が必要と言う国際世論を盛り上げるべきで、そのためには、日本が緊張緩和のメッセージを発するべきです。

長いことありがとうございました。また、どこかで。


<三笠宮崇仁インタビュー「闇に葬られた皇室の軍部批判」より>、
<小川哲雄氏「日中戦争秘話」より >
http://www.geocities.jp/yu77799/nihonjin.html#mikasa

【これはひどい】「命令」にもとづいて強姦・虐殺を遂行した南京での日本陸軍 田所耕造の証言
http://anarchist.seesaa.net/article/78079481.html#comment

乱妨取り
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%B1%E5%A6%A8%E5%8F%96%E3%82%8A

★1:中国のような途上国一国だけでは、原理的に社会主義化は不可能なので失敗したために、ロシアでも、レーニンとトロツキーが資本主義を復活させたように、北京政権も、ひとまず資本主義を復活させて中国を近代化し、世界情勢が根本的に変わるまで、長期持久体制を堅持して雌伏することにしたのです。

これは、中国共産党内の反毛沢東主義的な体制派的左派の見解ですが、現在では、大問題となっている中国の格差問題も、市場経済化が中途半端だから解決できないと主張し、公然と資本主義体制を支持する右派の学者グループも現れているので、党内には、相当強力な資本主義派が存在すると推認できますので、今後どうなるかわかりません。

最近、中国共産党は「和諧社会」の「和諧」(調和)など儒教用語を使用し、全世界に中国語と中国文化を広める機関として「孔子学院」を400以上も設立しています。また、「マルクス主義」を放棄して、「儒教社会主義」を掲げるように提唱する有力な学者グループも存在します。

これは、儒教の究極的な理想社会である「大同社会」とは、一種の社会主義社会であり、しかも「マルクス主義」と同じく、皇帝が存在しても存在していないような政治権力が事実上消滅した社会を理想としているので、両者は、大変よく似ているからです。

中国では、あのトロツキーの著作まで出版が許可されているように、共産党独裁体制を批判しない限り、ほぼ言論の自由も認めていたのですが、ユーゴやイスラム世界、ウクライナなどで、米国が資金を提供した市民団体が、デモや集会?騒乱状態?選挙か内戦で、一連の「民主化革命」を実行したので、最近は市民団体にも、厳しい対応を執るようになりました。

★2:中国での日本兵戦死者は約45万で、中国での18の戦闘(作戦・会戦)での戦死者数と負傷者数の割合は約1:3なので、負傷者は戦死者の3倍として135万。45万+135万で中国での死傷者の合計は約180万人なので約200万人前後。共産党の戦果の数字が正しいとしても、全体の20%であり、共産党軍は2倍に見積もっていたとすれば10%です。

他の北京政府の功績としては、女性解放や農地解放、そして現在では、中国を世界第二位の大国にしたという点も、北京政権の正当性の根拠になっているのでしょうが、やはり、外国勢力を追い出したというのは、大きな功績となっているでしょう。

★3:「皖南事変」のこと。1941年1月に安徽省南部で、国民党軍による包囲攻撃で、新四軍(約9000人)が壊滅的打撃を受けた事件。

★4:ただし、天安門事件の時には、人民解放軍の威信は通用しませんでした。あれは、中国のインテリの運動だったからでしょう。中国のインテリの一部は既に、金儲けゲームのむなしさに気付き、中国の伝統文化を再評価し始めています。


22. 石爺[561] kM6W6g 2017年6月10日 21:47:53 : O1ko4sqODU : xayR_dX9Zmo[197]

  私の両親の実家に行くと、軍服を若い男性の写真が
 
 いくつも掲げられていました。父方のお祖母ちゃんが

 戦死した旦那様の弟さんと再婚していました。

 その人は俳人で、戦争の悲惨さを語ってくれましたが

 怖くて逃げ回っていたように記憶しています。

  母方のお祖母ちゃんはすでに一人でした、

 いつも険しい顔をしていたように思います。

 人間生きていて なんぼ だと思います。
 

----------------------------------------------
教訓T 加川良
 https://www.youtube.com/watch?v=FSaMY7TRgFI

作詞:加川良
作曲:加川良
唄 加川良

 命はひとつ 人生は1回
 だから 命をすてないようにネ
 あわてると つい フラフラと
 御国のためなのと 言われるとネ
 青くなって しりごみなさい
 にげなさい かくれなさい

 御国は俺達 死んだとて
 ずっと後まで 残りますヨネ
 失礼しましたで 終るだけ
 命の スペアは ありませんヨ
 青くなって しりごみなさい
 にげなさい かくれなさい

 命をすてて 男になれと
 言われた時には ふるえましょうヨネ
 そうよ 私しゃ 私しゃ 女で結構
 女のくさったので かまいませんよ
 青くなって しりごみなさい
 にげなさい かくれなさい

 死んで神様と 言われるよりも
 生きてバカだと いわれましょうヨネ
 きれいごと ならべられた時も
 この命を すてないようにネ
 青くなって しりごみなさい
 にげなさい かくれなさい

 青くなって しりごみなさい
 にげなさい かくれなさい

 青くなって しりごみなさい
 にげなさい かくれなさい


23. 石爺[562] kM6W6g 2017年6月10日 22:01:28 : O1ko4sqODU : xayR_dX9Zmo[198]
戦争しましょう
 歌詞 加川良
 https://www.youtube.com/watch?v=pD4cxI3ktes

もうずい分 昔のはなし
大東亜戦争のころ
日本空襲 花ざかり

大日本帝国 苦戦中

沈黙続けていた 一人の男
神国大和の国のため
もうがまんできんと馬にのり
全国各地をかけめぐる

空襲のがれた おもちゃ屋で
花火をたくさん 買い集め
花火の火薬をぬきとって
大きな爆弾 2個つくる

大日本帝国 すくう道
最早 これしかないんだと
大きな爆弾 2個かつぎ     ←← 広島・長崎の比喩?
太平洋を泳ぎだした

アメリカよ まだかまだかと
ふんどし1つに 刀を下げて
急がねば 急がねば 急がねばと
太平洋を泳いだのだ

思えば彼の目も足も
仲の良かった友達も
アメリカ B-29 の
えじきとなって 死んだのだ

ナポレオンを思い出し
不可能はないとがんばった
歯をくいしばり泳いだのだ
そのかいあってアメリカへ
アメリカ上陸 あいなった

ところが月日は 流れてた
日本敗戦 アメリカ勝利
今じゃ仲よくやっているという
おこった彼は 再び日本へ

国会議事堂 前にして
ギョロ目 出てこいとさけんだが   ←← 岸・佐藤 兄弟
所は交通地獄の どまんなか
車にあてられ死んだという

これは大日本帝国の
勝利と正義 ひたすら信じ
真実一路に 歩みつづけた
勇敢な男の物語

日本国民 政府の皆様
あなたの夫や子供や親の死を
犬死にさせないためにも
今こそ 立ち上がる時です

今すぐ戦争の用意をしましょう
今すぐアメリカをせめましょう
戦闘開始いたしましょう
そして そして 勝ちましょう


24. 2017年8月13日 22:54:01 : rkJU4oOov6 : NsyCTgkVO_g[293]
一隻撃沈のために、81人の命が犠牲に

何かえらく効率が良いんじゃない?

戦艦大和1隻での空母撃沈はかろうじて護衛空母一隻沈めたか沈めないか、
結局大和一隻乗員2740名損失。 


25. 2017年8月14日 10:30:38 : TnqJEdmju2 : g3s7TP83aTA[4]
日本がアジアに侵略を進めたのは厳然たる事実だろうがよ。それに自国を守る為に立ち上がった中国軍を一方的に善悪で付ける事は出来ないとはいえ、大義(この言葉も好きでは無いが)は中国の方にあったよ。

そもそもネトウヨは旧日本軍を、欧米の十字軍のように見ていて、イスラム諸国からすれば悪逆非道の侵略者だった十字軍を奉るような具合なので、中国やアジアから顰蹙買うのも当たり前だ。そういう偏った価値観だから、特攻の真実と現実、そして結果からも目を逸らしている。どこの国の総理と同じ事だ。

特攻は実行者だった大西中将は戦死した部下と共に死ぬ道を選び、最後の聯合艦隊司令長官だった小沢治三郎はそんな大西達の姿と最後に部下達に「死んだら誰が責任を採るんだ?」と戒めた。

だが、特攻推進グループの変人黒島や、ヤー公源田は戦後も敗戦や特攻の責任を採らず、のうのうと生きていた。源田に至っては、アメリカにケツ振りして虐殺者ルメイに勲章まで贈ったくらいだ。ネトウヨはそんな黒島や源田達と同類だ。


26. 2017年12月01日 23:53:41 : UvMVlndKqU : 66wJzevfMGY[1]
そもそも特攻がなかったら敵艦隊の撃破率が半分以下になりますよ
特攻隊3800人の犠牲でアメリカは1万人の死者を出しました
負傷者も合わせれば3万人を超えます
たしかに人道的な戦略とは言えませんが、戦果としてはこれ以上の戦略はありませんよ?

27. 2018年1月10日 19:59:05 : rkJU4oOov6 : NsyCTgkVO_g[384]
その時の上層部には勝つための闘いではなくいかに有利な条件での講和に
持ち込むかだったんだよ、勝つなんて思う者は居なかったし、物資生産力すら
無くなっていたのに勝つ為の戦いなんて誰も考えていない。
その為に特攻や玉砕行ったんだから。兵には死を命じて自分達上層は降伏
考えてたのが実情。中にはツッパラかった者達が徹底抗戦やると息巻いたが
物資が無い武器弾薬が無い食料も無いのに戦闘継続なんて無理な話。
結局は天皇が最後まとめてくれたみたいだが。


28. 2018年1月11日 13:19:41 : A4AvZivHZs : VNftEPmtM9w[66]
特攻には 一万トン以上の大型艦船を 沈めるだけの威力が もともと無い

「ゼロ戦に250キロもの爆弾を積ませれば 時速300キロも出せない」 こう指摘しているのは
歴戦の搭乗員生き残り 坂井三郎氏である

爆弾は 高空から落下させて その弾速により装甲を貫徹させることが出来る訳で
真珠湾攻撃で 戦艦アリゾナに致命傷を与えたのは 高度2500から自由落下で命中させた 徹甲爆弾である
当初 真珠湾攻撃の攻撃計画の段階では高度1500からの爆撃を予定していたが、その高度では
戦艦を沈めるほどの威力が得られないとして 高度をより高くして命中させるための猛訓練に励んだ結果である

したがって、爆弾を抱えての特攻は とてもじゃないが弾速を稼ぐことが出来ず、威力はタカが知れている
実際 一万トン以上の大型艦船は 一隻たりとも沈めることが出来なかった これが現実だ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E6%94%BB%E3%81%A7%E6%90%8D%E5%AE%B3%E3%82%92%E5%8F%97%E3%81%91%E3%81%9F%E8%89%A6%E8%88%B9%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

小型の護衛空母 駆逐艦 駆潜艇 揚陸艦 給油艦 などなど ほとんどが小型艦船ばかりである
ちなみに 唯一の大型艦船とも言える 重巡インディアナポリスは 回天ではなく 通常の魚雷攻撃で沈めている
これが 特攻作戦における最大の獲物という 情けない話である。


29. 2018年1月12日 11:17:45 : yKldkP2vf2 : R4m68vCswmU[3]

ミッドウェー海戦で熟練パイロットをほとんど失ってしまったのが最大の要因。

空中戦どころか、やっと普通に飛べるようなレベルの乗務員で戦かわざるを得なくなった選択肢の無い不本意な策でもあった。

資金も装備も物資も戦闘員も乏しいテロリストの自爆攻撃と同じ状況。


30. 2018年1月20日 03:34:22 : A4AvZivHZs : VNftEPmtM9w[96]
そして 人的損失も考慮すれば まったくもって馬鹿な戦法としか言い様はない

航空機搭乗員を養成するのに どれほど手間と経費が掛かっているのか、熟練搭乗員を擁するには8年かかる
それまでに要するコストを計算すれば ただの一般兵士に一万人の死者を出させたとしても釣り合わない
>>26など、馬鹿の見本である 本当に特攻が確実な戦果を上げたなら 米軍は撤退しているはずである

搭乗員3800人の方が 経済論理的にも痛いと言える損害だ しかも 米軍の勢いはまったく衰えず
当初は恐れおののいた米軍兵士達も 終戦近くなると どんなに簡単に落とされても落とされても
ただ闇雲に突っ込んでくる神風特攻を 嘲り笑うようになってしまったというのも事実である。


神風特攻に 戦果が挙がったというのは 最初だけ(フィリピン攻防戦)なのである
最初だけ ある程度熟練した搭乗員を使ったというだけの事なのだ。


31. 中川隆[-12878] koaQ7Jey 2018年6月05日 12:37:58 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[-14935]

あなたは知っていますか?日本の軍隊は太平洋戦争で心の高揚に『ヒロポン』を常用させていました

覚せい剤服用

日本は、1941年大日本製薬メタンフェタミン製剤「ヒロポン」(覚醒剤)武田長兵はアンフェタミン製剤「セドリン」(覚醒剤)を海軍、陸軍に大量に納入しました。


特効薬として特攻隊員に菓子袋に入れてカジュアルに支給しました。
製品は、「ヒロポン」の周りをチョコレートで包み『菊のご紋章』を付けて納入していました。


出撃前に注射やチョコレートを特攻隊員に食べさせていました。それを食べた若者は、意気揚々と戦地に出撃し散っていきました。むごい、悲しいことです。これを書くと、涙がでます。


九州の基地では、1036人の特攻隊員に「アンプル」を投与。国を守るため計6000人が玉砕していきました。悲しい事実です。
精神を高揚させ、人間性を失くす「ヒロポン」は慰安婦問題や、南京事件を起こした悲しい現実があります。


日本政府は、大日本製薬 武田長兵商店に、覚醒剤の製造中止を勧告、昭和26年(1951年)覚醒剤取締法が制定されました。
西堀貞夫の父、西堀孝一は軍医として特攻隊のヒロポン支給の恐ろしさを知り、軍上層部に進言、ニューギニアの戦地アインで戦死しました。


この想いが私たちの原点です。患者の会には、この真実を知るたくさんの遺族の方がお見えになります。
映画「永遠の0」では明かせなかった特攻隊員の死の真実。彼らはヒロポンで人間性を失くし玉砕しました。
http://www.onkyo.tokyo/guntai.php


ドーピングを誘発しやすい社会だから覚醒剤が浸透していく


1945年、日本の敗戦の後、どさくさに紛れて売られていたのが「ヒロポン」と呼ばれる薬だった。

ヒロポンというのは、文字通り「疲労がポンと取れる」という意味で付けられた安易なものだったが、その内容は今で言うところの「覚醒剤」だった。

戦時中は兵士や特攻隊の士気を鼓舞させ、労働者や女工たちに眠気防止で武器弾薬を作るために使われていて、大日本製薬の主力の薬のひとつだった。

この当時はヒロポンの成分であるメタンフェタミンが強い依存性を持つことが知られていなかったので違法ではなかった。新聞にも、堂々と「除倦覚醒剤」と銘打って売られていた。

「除倦覚醒剤」とは要するに「疲れを除き、覚醒する薬」という意味で、このメタンフェタミン系のドラッグを「覚醒剤」というのはここから来ている。

戦中は軍民共に戦争に駆り立てられていたので、「疲れた」などと言っている場合ではなかったのである。

だから、軍需企業・民間企業共に、ヒロポンを大量にストックしていたのだが、敗戦後、この薬が闇市を通して社会に大量流通するようになった。


終戦後の作家は、みんなドラッグ漬けだった

ヒロポンは社会の底辺で広がっただけではない。有名人でもみんなこの薬を使っていた。何しろそれは違法ではなかったのである。

漫才トリオの正司歌江、ミヤコ蝶々、中村八大、桂文楽、六代目笑福亭松鶴等はみんなこのヒロポン中毒になっていた。作家で言えば、『堕落論』で知られている無頼派の坂口安吾もヒロポン中毒だった。

無頼派と言えば、織田作之助も田中英光も同じジャンルに入るのだが、この2人もまた坂口安吾と同じくヒロポン中毒だったと言われている。

織田作之助などはヒロポンを注射しているところを写真を撮られて、それが出回って話題になったという。

何か物を書くというのは孤独で単調な作業だ。そして、集中しなければならないので、精神的にも激しい疲労が蓄積する。当時の作家は、それをヒロポンで乗り切っていたのである。

芥川龍之介は小説『歯車』で幻覚を描いているのだが、この幻覚はヒロポンから来ているという説と、睡眠剤から来ているという2つの説がある。

そこには、歯車が見えたとか、銀色の翼が見えたとか、黄色いタクシーが見えたとか、過去の罪の残像が繰り返し現れるとか書かれていて、その幻影に主人公が怯えている。

ストーリーもなく、ただ意識の変容を揺れ動いているだけなので、どちらかと言えば睡眠剤のような雰囲気がある。詳しくは分からないが、精神的には相当追い詰められていたことが窺い知れる。

この小説の最後は、誰か自分が眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはいないか」となっている。実はこの小説は芥川龍之介が服毒自殺した後に発表されたものだった。その「死にたい」という述懐は本心であったと思われる。

荒正人という小説家もいたのだが、この人は自分だけでなく妻にもお手伝いさんにもヒロポンを飲ませて、一家総ヒロポン依存症になっていたという。

萩原朔太郎はヒロポン中毒ではなかったが、コカイン中毒だった。しかし、ヒロポンでの幻影は小説『猫町』で触れている。

私たちが今、日本の戦後文学としてありがたく詠んでいる文学は、その多くが覚醒剤で「ドーピング」された精神状態の中で書かれていた可能性がある。


無頼派作家、坂口安吾。執筆はヒロポンと共にあった。


ヒロポンがもたらす集中力は凄まじい効果だった

ヒロポンが意識集中のために使われていたというのは、覚醒剤依存者が48時間ずっと麻雀をやっていたとか、賭け将棋をしていたという逸話からも読み取ることができる。

凄まじい集中力が得られるので、ヒロポンが合法だった時代の学生は、東大受験のためにヒロポンを使うのが当たり前だったという。

この「受験のためにヒロポンを使った」というエピソードを聞くたびに私が思い出すのは、タイで知り合ったあるレディーボーイのことだ。

英語を流暢に話す彼はいったいどうやってその英語力を磨いたのか。もちろん、そこには仕掛けがあった。アンダーグラウンドでは、記憶力でさえも金で手に入ったのである。

(記憶力でさえ金で手に入れる。危険な方法が裏で流行している)
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20131023T0342460900.html


別にこのレディーボーイのやっていることはおかしなことではない。欧米のエリートたちも、スマートドラッグを使って同じようなことをやっている。

アスリートはドーピングで最強の身体的パフォーマンスを手に入れるが、エリートたちもまた「スマートドラッグ」というドーピングで最強の頭脳を手に入れていたということだ。

言うまでもないが、このスマートドラッグも覚醒剤とよく似た成分(アンフェタミン系)が入っているので、言ってみればヒロポンの現代版である。

副作用はもちろんある。しかし、副作用があったとしても、現役時代に最高のパフォーマンスが発揮できれば、地位も収入も約束されるわけで、これで人生を逃げ切ることができると考える人たちもいる。


ヒロポン錠。「疲労の防止と恢復に!」と堂々と宣伝されていた。この薬は1951年に覚醒剤取締法が制定されるまでは「合法」だった。


覚醒剤には潜在的に巨大な需要があるとも言える

戦後の混乱期にヒロポンを使っていた人は、どちらかと言えば快楽が欲しいというよりも、もっと労働したい、疲労を取りたい、馬力が欲しい、という切実な発想から摂取されたので、皮肉なことに真面目な人であればあるほど依存地獄にハマっていった経緯がある。

そして、ヒロポン依存になると、虫が身体を這い回るような幻覚や、わけの分からない幻聴に悩まされるようになり、暴れ回るような異常行動を引き起こす。

そのため、1951年には覚醒剤取締法が制定され、警察が大々的な摘発を行ったので、乱用者は激減していった。

しかしヒロポンは覚醒剤として生き残り、現代でも有名な歌手や野球選手が次々と覚醒剤依存に堕ちて逮捕される姿が繰り返されている。

今後も、「大物」が逮捕されるような流れが続くだろう。

覚醒剤はいったん地下に潜ることはあっても、絶対に廃れることがなく歴史を刻むのである。欧米でも、覚醒剤は「メス」「スピード」「アイス」と言われて依存者が減るどころか増え続けている現状がある。

覚醒剤はそれ自体に快楽があるというよりも、自分がこれからやりたいことを猛烈な集中力で取り組める「ドーピング作用」が強い。それが、恐ろしい魔力なのである。

自分の潜在的な能力を、一瞬にして最強フルマックスの状況に持っていけるのが覚醒剤である。そんなものを覚えてしまったら、覚醒剤のない人生など考えられなくなる。

現代社会は、常に人々に最高のパフォーマンスを求める時代である。そうしたプレッシャーは誰にでもかかる。言ってみれば、ドーピングを誘発しやすい社会なのだ。

そのプレッシャーは坂口安吾や芥川龍之介の時代よりも、はるかに強いと言える。だから、覚醒剤は今でも潜在的に巨大な需要がある。覚醒剤の流行はこれからも起きていく。


いかにも作家という雰囲気を醸し出している芥川龍之介。晩年は睡眠薬のベロナールやらジアールを大量に飲んでおり、結局は服毒自殺に追い込まれた。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20160316T0122080900.html

メタンフェタミンを使用した神風特攻隊

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 メタンフェタミン(覚せい剤)は1893年、日本人の科学者によって合成された。これがよく使用されるようになったのは、第二次世界大戦のことだ。

 日本ではヒロポンの名称で販売され、疲弊した兵士や腹をすかせた兵士に与えられた。また神風特攻隊のパイロットにも使用されている。

 彼らは小さなコックピットに閉じ込められ、数時間飛行した末に自爆攻撃を仕掛ける。そこで兵士の士気や注意力を保つために高用量のヒロポンが投与されたのである。
http://karapaia.com/archives/52243839.html


南京大虐殺とか日本兵の残虐行為はすべて覚醒剤の影響下で行われたという事ですね。

もちろん虐殺命令自体は昭和天皇が出したんだけど。


[18初期非表示理由]:担当:混乱したコメント多数により全部処理

32. 2018年8月05日 23:56:55 : HghZ9Z1y3U : rAVO88cVEm0[3]
ここ・・反日日本のスレだな。

33. やもめーる[-12449] guKC4ILfgVuC6Q 2018年8月08日 20:50:31 : FPiCE3o6DA : LoNTabhiFSc[-155]
>>32
そういうふうにほざいているお前こそ
似非国士で㋖印カルトの信者でバカウヨでアメポチな反日だろ?
特攻隊員の代わりにくたばって地獄に落ちろ!!


[18初期非表示理由]:担当:言葉遣いが適さないコメント多数により全部処理
34. 2019年1月13日 03:11:26 : ksiEhTWjAU : fJ9kzPqfFRE[1] 報告
ここの人たち(分かっていたことだが)馬鹿しかいない…
軍事を語るならともかく政治思想ばかり語っていて気持ち悪い。

特攻は立派とは言えないかもしれんが、確たる戦果を挙げた戦法だったの事実だろう。
ここの連中は感情論ばかりでまとまりがないし、まず結果ありきで語ってるからおかしくなるんだろうに。特攻が最も効果的なやり方で赤とんぼでさえも戦力化できるってのはおおきいだろう。沖縄でも米海軍艦隊のピケット艦等に突っ込んで損害を与えている。

戦果としては撃沈は少ないが、それでも太平洋戦争全体の駆逐艦撃沈数の凡そ半分が沖縄戦で沈んでいる。また、忘れられがちだが撃沈に至らない大破等で修理不能になり後に廃艦となった艦も多い。損害を受けた隻数は実に約360隻にも及ぶ。

批判するならまずは調べてから書けよクソサヨ共が。


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