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中島みゆき「世情」(1978年) _ 中島みゆき は何故 30歳以降 才能が完全に枯渇してしまったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/286.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 3 月 06 日 00:05:13: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: いい日旅立ち _ 山の向こうで待っている人とは… 投稿者 中川隆 日時 2019 年 3 月 05 日 10:32:22)


中島みゆき「世情」(1978年4月10日) _ 中島みゆき は何故 30歳以降 才能が完全に枯渇してしまったのか?


中島みゆき 歌曲検索
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▲△▽▼

中島みゆき 初期の名曲

エレーン
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おもいで河
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かなしみ笑い
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キツネ狩りの歌
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この空を飛べたら
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さよならの鐘
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サヨナラを伝えて
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すずめ
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ばいばいどくおぶざべい
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ヘッドライト・テールライト
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ほうせんか
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ホームにて
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まつりばやし
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わかれうた
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煙草
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黄砂に吹かれて
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夏土産
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歌姫
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海鳴り
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強がりはよせヨ
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砂の船
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最愛
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時は流れて
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時代
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春なのに
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女なんてものに
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世情
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ローリング
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船を出すのなら九月
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地上の星
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朝焼け
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追いかけてヨコハマ
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美貌の都
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遍路
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僕は青い鳥
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霧に走る
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夜曲
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柏原芳恵 春なのに - YouTube 動画
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柏原芳恵 - 最愛 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%9F%8F%E5%8E%9F%E8%8A%B3%E6%81%B5+-+%E6%9C%80%E6%84%9B

作曲家 中島みゆき80年代 10 Songs - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=FV1pUUiPfNw


▲△▽▼

中島みゆき も若い頃は天才だったんだ。
でも何であんな風に なっちゃったんだろう?


中島 みゆき(本名:中島 美雪(読みは同じ)、1952年2月23日 - )は、日本のシンガーソングライター、ラジオパーソナリティ。北海道札幌市出身。1975年にシングル「アザミ嬢のララバイ」でデビューした。


経歴

幼年期 - デビュー前

祖父は帯広市議会議長なども務めた中島武市、父・眞一郎は北海道帝国大学医学部出身の産婦人科医で中島産婦人科院長。札幌市に生まれ、5歳のときに岩内に引っ越し、11歳までを岩内で過ごす。帯広に移り、市立帯広小学校を卒業、市立帯広第三中学校に入学する。1966年の夏には体調不良の母親が実家で一時療養するのに合わせて山形市に移り、市立第六中学校に通うが、高校受験のため4ヶ月で帯広に戻る。その後、帯広柏葉高校を経て、藤女子大学文学部国文学科を卒業する。

帯広柏葉高校3年生の時、文化祭(第20回柏葉祭・1969年9月1日)で初めてステージを踏む。この時歌ったオリジナル曲は、「鶫の唄」である。大学時代は、放送研究会に所属し、ローカルラジオ局でスタッフのバイトなどをする。北海道大学フォークソングのメンバーと交流を持ち、活発に音楽活動を展開し、「コンテスト荒らし」の異名をとった。「フォーク音楽祭札幌予選」では「私の窓から」を歌っている[注 1]。1972年には「フォーク音楽祭全国大会」に出場し、「あたし時々おもうの」で入賞している。この時の音源は大会実況版としてLP化されている[注 2]。後年、コンテストに出場したのは交通費や弁当代が支給されるので、バイト代わりであったと述べている。大学卒業後は帯広に帰り、家業を手伝うかたわら、アマチュア活動を続ける。ジャズ喫茶オーディオのマスター、渡辺晃が主催した「自由集団」の企画で多くのステージを踏んでいる。 デビュー前に地元では既に多くのファンを獲得しており、オリジナル曲は既に100曲以上存在していたが、それらの一部は現在でも音源化はされていない(後述の「未音源化楽曲」を参照)。

デビュー - 1970年代後半

1975年5月、財団法人ヤマハ音楽振興会の主催による「第9回ポピュラーソング・コンテスト[注 3]」に「傷ついた翼」が入賞した。9月には「アザミ嬢のララバイ」でキャニオン・レコードからレコード・デビューを果たす。1975年10月の「第10回ポピュラーソング・コンテスト」に「傷ついた翼」から急遽差し替えた「時代」によってグランプリを受賞し、11月の第6回世界歌謡祭でもグランプリを受賞した。「時代」は12月に2作目のシングルとして発売。これをきっかけにミュージシャンとしての実力をヤマハミュージックの川上源一に見出される。その後中島は川上を現在に至るまで師父のように仰いでおり、中島のアルバムには、今日に至るまで、スタッフが記載されたクレジットに「DAD 川上源一」と記載されている。ヤマハ育ちでも、ヒットが出ると離れていくミュージシャンが多い中で、中島はヤマハをそのまま自分の拠点としている数少ないミュージシャンである。

1976年4月、ファースト・アルバム『私の声が聞こえますか』を発表。その後現在まで、1年につきアルバム約1枚のペースでコンスタントに作品を発表し続けている。同年には研ナオコに提供したシングル「LA-LA-LA」と「あばよ」が大ヒット、ソングライターとしての名を世間に知らしめる。同年大晦日『第27回NHK紅白歌合戦』で研ナオコが「LA-LA-LA」で出場、一挙に認知度を広める[1]。翌1977年には歌手としても「わかれうた」が70万枚を超えるセールスを記録し、ミュージシャンとしての地位を確固たるものにした。作詞家・作曲家としても、先述の研ナオコに提供した「かもめはかもめ」をはじめ、桜田淳子「しあわせ芝居」、増田けい子「すずめ」など数多くのヒット曲を世に送り出し、大きな成功を収めた。

数少ない出演番組のひとつとして1977年から放送された『コッキーポップ』がある。その中で披露された「時代」では第6回世界歌謡祭グランプリ受賞の様子がインサートされ、「この空を飛べたら」においては加藤登紀子と共演している。

歌手としてのブレイク曲「わかれうた」が収録されていた1978年発表の4枚目のアルバム『愛していると云ってくれ』には「世情」という楽曲が収められている。後年にTBS系ドラマ『3年B組金八先生』の劇中に使用されて大きな話題を呼び、シングル・カットされなかったにもかかわらず中島の初期の代表曲のひとつとなっている。『親愛なる者へ』以降、1985年発表のアルバム『miss M.』までの8枚のスタジオ録音アルバムは連続でオリコンのアルバムチャートで1位を獲得している。1977年発表のアルバム『あ・り・が・と・う』から1996年発表のアルバム『パラダイス・カフェ』までの22枚のスタジオ収録アルバムは連続で同チャートで10位以内を獲得している。

1980年代

1979年、ニッポン放送『中島みゆきのオールナイトニッポン』(月曜1部)がスタートし、番組においての軽妙な語り口がリスナーのあいだで大きな人気を集めた。1980年代前半にはミュージシャンとして更に大きな人気を集めており、1981年のシングル「悪女」はオリコンのシングルチャートで自身2度目の1位を獲得し、1982年の年間チャートでも6位を記録、この曲のアルバム・バージョンが収録された1982年発表のアルバム『寒水魚』が同年のオリコンの年間アルバムチャートで1位を記録するなど、1981年から1982年にかけてはその人気はピークに達した。1983年には柏原芳恵に提供した「春なのに」が大ヒットし、第25回日本レコード大賞の作曲賞を受賞した。

以降アルバム・セールスは下降線を辿り、1980年代中期から後期にかけてはサウンド・アプローチや作風そのものについてもひたすら模索する時代が続いた。甲斐バンドの甲斐よしひろやクリスタルキングなどをプロデューサーに迎えてアルバムを制作したり、テッド・ジェンセンやラリー・アレキサンダーなどによるニューヨークでのミキシングなどに臨んでいる。1985年発表のシングル「つめたい別れ」ではスティーヴィー・ワンダーの吹くハーモニカを大々的にフィーチャーしている。中島は後年になって模索に励んだ1980年代中期[注 4]を振り返り、「御乱心の時代」と称している。自らのレコード・セールスが伸び悩む一方で、職業作家としては工藤静香の「MUGO・ん…色っぽい」、「黄砂に吹かれて」などの作詞を担当した[注 5]。

「御乱心の時代」は、1988年のアルバム『グッバイガール』のプロデュースを手がけた瀬尾一三との出会いによって収まることとなる。中島にとって「これまで自分がやってきたあらゆるスタイルに対処してくれる」という瀬尾は適任らしく、現在に至るまでの全てのオリジナルアルバムでアレンジ、プロデュース、演奏に携わっている。1989年からは、瀬尾が音楽監督として名を連ねる演劇とコンサートを融合した舞台「夜会」(やかい)をBunkamuraシアターコクーンで毎年12月に上演するようになる。「夜会」は中島にとってのライフワークともいえる舞台となり、1998年に一旦、年一回の公演という形を終了し、その後は不定期で上演されている。

1990年代

1990年代の日本の音楽業界では、テレビドラマやCMとのタイアップによってミリオンセラーを記録するシングルが後を絶えなかったが、中島みゆきも例に漏れず、ドラマ『親愛なる者へ』の主題歌「浅い眠り」をはじめとする3枚のミリオンヒットを記録している。いずれもテレビドラマの主題歌として起用された楽曲であり、安達祐実主演の日本テレビ系列『家なき子』の主題歌として書き下ろされた1994年の「空と君のあいだに」は147万枚のセールスを記録した。1983年発表のアルバム『予感』収録曲「ファイト!」との両A面扱いで発売されたこのシングルは、中島にとっての最大級のベストセラーである。この時期のアルバムはシングルほど芳しい成果を上げるわけではなかったものの、1980年代後半よりも安定した成績を収めた。『EAST ASIA』から『パラダイス・カフェ』までの5作は全て20万枚以上のセールスとなっている。1996年にはベストアルバム『大吟醸』がオリコンのアルバムチャートで1位を獲得し、日本における女性ソロアーティストのアルバムチャート1位獲得の当時の最高齢記録を更新した[注 6]。

1989年から始めた舞台「夜会」に自身がかけるウェートはより大きくなり、1995年以降に上演されたものは書き下ろしの新曲を中心に構成され、より大掛かりなものへと変貌を遂げた。

1999年には文部科学省の国語審議会委員を務めた。この審議会の委員を務めた歌手は中島みゆきだけである。

2000年代以降 -

2000年には25年にわたって在籍したポニーキャニオンを離れ、当時創設されたばかりで自らが取締役・主要株主として経営にも参画するミニ・メジャーのレコード会社・ヤマハミュージックコミュニケーションズに移籍。以降現在に至るまでヤマハから作品を発表している。

移籍後最初にリリースされた中島のシングルが、NHKのテレビ番組『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』の主題歌「地上の星/ヘッドライト・テールライト」である。主に中島の作品にこれまで馴染みの薄かった中高年層のサラリーマンを中心に大きな人気を集め、最終的にオリコンのウィークリーシングルチャートTOP100に連続174週にわたってランクインするという驚異的な記録を打ち立てた。

発売当初は全くと言っていいほど話題にならなかったが、『プロジェクトX』の人気が高まるとともに注目され、アルバム『短篇集』には、1曲目が「地上の星」、ラストが「ヘッドライト・テールライト」という構成で収録された。このアルバムを発売するにあたっては、ジャケットの仕様をめぐり岩波書店からクレームがつき[注 7]、発売直前になって急遽デザインが差し替えられるというハプニングも起こった。

このロングヒットをきっかけに中島は2002年の第53回NHK紅白歌合戦に出演。『プロジェクトX』内でもとりあげられた黒部ダム(黒部川第四発電所)からの中継で「地上の星」を歌った。このときに初めて「動く中島みゆき」を見た人も多く、番組中最高の歌手別視聴率(52.8%:ビデオリサーチ調べ/関東地区)を記録。極寒の中で極度の緊張から2番の歌詞を間違えたにもかかわらず反響は大きく、「地上の星/ヘッドライト・テールライト」は翌年1月、発売から2年半近くを経てシングルチャートナンバーワンに輝いた。これはオリコン始まって以来のリリース後最長期間(130週)を経た1位獲得記録である。同時に、1970年代 - 2000年代まで4年代連続の1位獲得となった。

2005年12月28日には『プロジェクトX』の最終回に出演。歌詞以外はほとんど声を発することなく、スタジオで同番組エンディングテーマ「ヘッドライト・テールライト」を熱唱した。その影響で2006年1月16日、「地上の星/ヘッドライト・テールライト」は、2004年2月2日以来のオリコンシングルチャート100位圏内返り咲き(66位)を達成。通算オリコンシングルチャート100位圏内チャートイン記録を183週に延ばした。

1990年代前半から本格的に行うようになった海外でのレコーディングは2000年代からは主流となり、近年では、アレンジ等にベックの父親として知られるデヴィッド・キャンベルや、ヴィニー・カリウタ、ニール・スチューベンハウス、マイケル・トンプソンなどといった有名スタジオ・ミュージシャンを迎えて毎年アルバムを制作するのが恒例となっている。

1998年に一旦休止した「夜会」は2000年から再び不定期で行われるようになり、2006年の「Vol.14 24時着00時発」は、東京においてはこれまでのシアターコクーンではなく青山劇場で、大阪では初めてシアターBRAVA!において上演された。

2006年、第56回芸術選奨 文部科学大臣賞を受賞した。「コンサートツアー2005」が評価されてのこと。シンガーソングライターとしては初の受賞者。

同年には、TOKIOに提供した「宙船 (そらふね)」の作詞が評価され、第48回日本レコード大賞の作詩賞を受賞した。

2007年8月から新たに設立されたヤマハミュージックアーティスト(現・ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングス)がマネジメントを行う。秋には2年ぶりの全国ツアー「コンサートツアー2007」が行われた。

2009年11月3日、紫綬褒章を受章。中島は受章に際して、

「 思いがけずうれしいことの表現に『棚からボタ餅』と申しますが、今の私の気持ちは『棚から本マグロ』くらいの驚きでございます。ふつう、何かを頂けそうな場合には2度くらいは辞退して、それでもとおっしゃるならちょうだいするのがマナーなのでございましょうが、褒章となりますと『ふつう』ではないことですので、辞退なんかしたら二度とこんな機会はないかもと思いまして、即座に『いただきます!』と、お返事してしまいました。 」

とコメントした。

2010年10月から2011年1月まで3年ぶりの全国ツアー「中島みゆきTOUR2010」が27公演9会場で行われた。このツアーから各公演の様子を伝えるTwitterを開始した[注 8]。

2012年10月から2013年2月まで全国ツアー「中島みゆき縁会2012〜3」が27公演12会場で行われた。また、2013年11月から12月まで「夜会工場」と称するガラコンサートを開催した。

2014年9月よりNHK連続テレビ小説『マッサン』の主題歌として「麦の唄」が使用され、同年12月31日の第65回NHK紅白歌合戦にも出場し、同曲を歌った。中島にとっては2002年以来12年ぶり、2回目の紅白歌合戦出場となった。

歌詞
中島みゆきの曲には、日常風景の一部を切り取り、そこを行き来する男と女や働く人々をテーマにし、その一人一人にスポットライトを当て、その心情を曲にのせるものが多い。非常に巧みな比喩表現を用いており、聞き手によってそれぞれ異なった意味を受け取ることができる。普遍的なテーマを歌詞にしていることも非常に多い。例えば、1991年発売のアルバム『歌でしか言えない』収録曲の「永久欠番」。この曲は、「人は誰しも唯一無二の存在である」ということをテーマにした曲で、東京書籍発行の中学校用の教科書『新しい国語3』に引用されている。対照的に、工藤静香に提供した「MUGO・ん…色っぽい」や西田ひかるに提供した「きっと愛がある」のように軽いノリの詞も存在する。ただし、この2曲に関しては、いずれもCMのキャッチコピー[注 9]にひっかける方が望ましいと中島が指示を受けていた経緯がある。大学の卒業論文では谷川俊太郎を論じており[3]、現代詩からの影響が濃い。また、中島みゆき自身の歌詞が現代詩の一つとして扱われ名詩選に収録されていることもある[4]。歌唱法基本的に、深いブレスと力強い声質を生かして朗々と歌い上げる。曲によって、また曲の中でも情景や詞が含む感情によって、いくつもの声色を使い分けている。例として、「地上の星」と「ヘッドライト・テールライト」の歌いまわしの違いが挙げられる。同じアルバムの中でももっと声質の大きく異なる曲が収録されることも多い。歌っているときの声と普段の喋り声とのギャップも著しい。転調が得意であるため、転調する曲が多い[5]。例として、「浅い眠り」と「空と君のあいだに」が挙げられる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E3%81%BF%E3%82%86%E3%81%8D


NAKAJIMA MIYUKI OFFICIAL SITE
https://www.miyuki.jp/

「中島みゆき研究所」
http://miyuki-lab.jp/
 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 中川隆[-11696] koaQ7Jey 2019年3月06日 07:37:56 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[294] 報告

中島みゆき「世情」(1978年4月10日)
https://pv755.com/sejo
https://www.nicovideo.jp/watch/sm27227751


▲△▽▼


3年B組金八先生 2 第24話 - YouTube 動画
22:55 から中島みゆきの「世情」が流れる
https://www.youtube.com/watch?v=Ai9gWCQjrXI


心に残るこのシーン 2017/3/8

加藤逮捕!

中島みゆきの「世情」が流れる『3年B組金八先生』の加藤逮捕シーン!
https://lineblog.me/wondergarage4444/archives/244364.html

加藤逮捕!
僕の中では何と言ってもこのシーンですね。

このシーン、当時のテレビ番組では相当衝撃でしたよね。
まだ学生だったのですが、すごくショックを受けたのはよく覚えています。

大人視点でドラマを見れば他の方法があるだろうにって思うのでしょうが、まだまだ未熟な中学生からすれば、大人達に対して感じた矛盾への精一杯の主張でしょう。
良いドラマでした (´ー`)

この逮捕シーン、今では観ることができないですよね。
テレビ局がダメなのか中島みゆきさんの「世情」がダメなのかよくわかりませんが…

でも、見つけちゃいました (๑˃̵ᴗ˂̵)
こういうところは、さすが中国!
感謝です ( *´艸`)

中島みゆきさんの「世情」…
このシーン以降、ずっと心に残ってます (´-`)
https://lineblog.me/wondergarage4444/archives/244364.html


▲△▽▼

特段の欝状態で、生きるか死ぬかのときに、女性で誰を聴くかといえば、それは、あなた、中島みゆきでしょ@@

アルバムでは『愛していると云ってくれ』が好きだが、当時はドロドロの愛憎歌が多く、彼女のファンだった女の子が、毎日聴いてると暗くなるから、、と言っていた^^

彼女の詩質へのこだわりは谷川俊太郎との出会いが決定的だとよく言われるが、そのとおりでしょう。

アルバムのなかに「世情」というのがある。

***********************************

世の中はいつも 変わっているから
頑固者だけが 悲しい思いをする

変わらないものを 何かにたとえて
その度崩れちゃ そいつのせいにする

シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を 流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため

世の中は とても 臆病な猫だから
他愛のない嘘を いつもついている

包帯のような嘘を 見破ることで
学者は世間を 見たような気になる

シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を 流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため

シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を 流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため

シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を 流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため

*************************************

この歌は難解であるとか、反体制・不条理とか、いろいろ枕詞が並んでいるがそんなことはない。

句読点を仮に入れればこうなる。

シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
1 変わらない夢を 流れに求めて、
時の流れを止めて 2 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため

対立の構図が明確だ。
前者の夢を後者の体制は卑下したように眺めいる、ここでの夢は永遠性をもった聖。
これは自然な解釈だ。

しかし、この歌を聴いていると、隠された聴きづらさが伴う。
1 と 2 は同じ夢なのか?
そう思うリスナーも出てくるのだ。

前者は無産共産主義の夢で、後者の夢 2 は現世で確立された利益、なのかもしれない。

そうなると、それぞれが自分に都合のいい夢を求めているという、むしろ、染み入ってくるような解釈になる。

そして、面白いのは「流れに求めて」という反権力志向的なデモスタイル。
当時の学生運動の根底にあったのは「暴力の肯定」であり、建前は鉄と血の意志だったはずだ。
決して流れに身を委ねたわけじゃ、あるめー

歌詞というのは、かように、面白いものなんです。
1978年当時、ベトナム戦争はすでに終結し、若者は長髪を切って社会人になった。

自由主義思想と共産主義思想のハザマを勘違いした自称共産主義者が、愚かな行動を続けていたが、多くの若者はさっさと現実に戻っていた。

この歌は、変革への情念が冷えつつあったときに、(価値観がゆっくり壊れだした)絶対と相対の相克感を歌っているような気がする。

そして、深い現実に対してなにもなしえない、知識人へのサヨナラ。
いまの民進党はそのころの残党が多いので、未来を見据えていた歌ともいえる。
しかし、それはいまだから語れる詩篇に対する評論であって、中島みゆきは、単に学生運動の敗残者に対して歌ったのかもしれない。

ここまでアタシが話を引っ張ったのは、坂本龍一がこのアルバムに参加しているからです。

坂本は高校の後輩で同じ社研にいたが、早くから吉本隆明の胡散臭さを言っていました。

アタシと同じで、根っこはアナーキストの香りがする男だ。

彼が自在な思想観を中島みゆきに伝播した結果、色彩不透明な歌詞がうまれたともいえるし、おそらくそうだと思う。

アタシはこの曲を聴くたびに、ただ涙が流れ出してよろよろして、倒れそうになるので、あまり聴かないようにしている。。。

ちなみに中島みゆきのレコードを仕切っていたのは川上源一、ヤマハの天皇といわれた男。

中島みゆきのレコードの音質がいいのは、世界のヤマハの音響技術のおかげだ。
彼女は生涯、川上への畏敬の念を失わなかったという。
https://sniperfon.exblog.jp/25835674/

2. 中川隆[-11695] koaQ7Jey 2019年3月06日 08:33:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[295] 報告

「世情」という曲と、もののあはれ 2010-08-10
https://blog.goo.ne.jp/tousui-00/e/4a7c2f53bdc9a4eb9a88fa23ee0fec36


1 世の中はいつも 変わっているから
  頑固者だけが 悲しい思いをする

  変わらないものを 何かにたとえて
  その度 崩れちゃ そいつのせいにする

  シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
  変わらない夢を 流れに求めて
  時の流れを止めて 変わらない夢を
  見たがる者たちと 戦うため


2 世の中はとても 臆病な猫だから
  他愛のない嘘を いつも ついている

  包帯のような 嘘を 見破ることで
  学者は 世間を 見たような気になる

  シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
  変わらない夢を 流れに求めて
  時の流れを止めて 変わらない夢を
  見たがる者たちと 戦うため

  シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
  変わらない夢を 流れに求めて
  時の流れを止めて 変わらない夢を
  見たがる者たちと 戦うため

  シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
  変わらない夢を 流れに求めて
  時の流れを止めて 変わらない夢を
  見たがる者たちと 戦うため


初出は、1978.04.10発売のアルバム、『愛していると言ってくれ』。

中島みゆきという人は、自分の歌詞について、解釈は聴く人によって様々だから、あえて本人からは説明しないという旨の発言をしている人であるので、歌詞も、勝手に解釈してみたいと、そう思います。

ああ、その前に、最近知ったエピソードをひとつ。
実は、このアルバム、スタジオミュージシャンだった頃の坂本龍一が参加しているのだが、彼が当時の事を書いている文があり、興味深いので、それをここに書いておきます。

彼はこんなエピソードを書いています。

「当時、僕がスタジオミュージシャンだった頃、みゆきさんのスタジオに行って、リハーサルなんかやるんですが、彼女は最初の頃、今度のアルバムのこの曲はね、って言って、まず自分でギター弾いて教えてくれるんですよね、で、ある時、聴いてたら、どこかで誰かがすすり泣く声が聞こえるんで、あれ?と思って、キョロキョロしてると、みゆきさんがギター弾きながら泣いてるんだよね、驚きましたよ。だから、彼女は、最初の頃はさ、売れるとか売れないとか、まったく考えずに、ピュアーに、音楽そのものをやってたんだと思うんですよね。云々。」と。

坂本龍一自身が、1983年頃にそう書いているのですが、初期の頃、というと、このアルバムが出たのが1978年だし、彼自身も参加しているLPな訳だから、当然、すすり泣いていた頃、のみゆきさん自身のどんぴしゃの時期に当たる。

坂本龍一は、「最初の頃」には、と書いていて、その後、すすり泣く事なく、ピュアーな領域からエンタテイメントの領域へと彼女が移っていった時期がある、と、論じていく訳ですが、この辺は、僕自身とは多少考え方が異なる所があります。尤も、坂本龍一自身、そのように変わっていった事を批判しているのではなく、個人的なピュアーな所からエンタテイメントの領域へと移る際に、落ちていく人と残っていく人が分かれるが、中島は残った人で、その移り変わりの際に、彼自身の用語でいうと、サーカスのような事が行われた、と、書く訳です、が、その辺は、僕にはよく理解できませんでした。

歌の解釈に入る前に、もう少しだけ、このアルバムや曲が成立した背景を探ってみたいと思います。

以下は、

「中島みゆき研究所」
http://miyuki-lab.jp/

のこの曲のコメントを丸引きです。

「中島みゆきの通算4枚目のアルバム『愛していると云ってくれ』のラストに収録されている名曲。1981年3月20日放送のTBSテレビ系ドラマ「3年B組金八先生(第2シリーズ)」で中学生たちが警察に連行されるTVドラマ史に残る名場面で挿入歌として使われ話題となる。この曲を起用した演出の生野慈朗氏は1960年代の学生運動を描いたアメリカ映画「いちご白書」の主題歌、バフィー・セントメリーの「サークル・ゲーム」をイメージしたという。」

余談が続きますが、このバフィー・セントメリーの「サークル・ゲーム」と「世情」の曲調自体は、実際聞いてみればわかると思うが、全く違うと言ってもいいと思いますが、そこは、アーティスティックな演出の秘儀とでも言う他無く、それはそれで想像出来ます。唯、いちご白書という記念碑的な映画との連想は、全く同感で、この曲は、明らかに、学生運動を題材として作られた曲であると、二十歳の頃、この曲を始めて聴いた瞬間から、そう思っています。

この「世情」から10年後、みゆきさんは、「ローリング」という曲を作っていますが、その二番の歌詞が、私が思うに、将に「世情」と同じ題材、つまり、学生運動を想定していると思われ、その歌詞はまた、「世情」の歌詞を読み解く上での傍証ともなると思われますので、ここでその部分だけ、紹介しておきます。


ローリング
https://pv755.com/roringu

中島みゆき ローリング 歌詞
https://t.co/4M4HzS0l4W


「黒白フィルムは 燃えるスクラムの街
 足並揃えた幻たちの場面
 それを宝にするには あまり遅く生まれて
 夢のなれの果てが転ぶのばかりが見えた」

と、いうものです。

ずいぶんな皮肉というか、痛烈な批判精神というか、・・・僕はこういう中島の側面も大好きな者の一人なのですが、この歌詞に、「足並揃えた幻たちの場面」とありますが、それは将に、「世情」の中で歌われる、「シュプレヒコールの波」と二重写しに見えます。

と、いうことで、前置きはここでやめて、「世情」の歌詞の、超個人解釈を以下に書かせて頂きたいと思います。

とても難しいですね、解釈が。二義性というか、どちらとも取れる言葉の連なりが横たわっています。

まず、一番から。

  世の中はいつも 変わっているから
   頑固者だけが 悲しい思いをする

ここでいう、「変わっているから」といのは、「変わり者」の変わっている、という意味ではなく、変化し続けているから、という意味ですよね。
だから、「頑固者だけが 悲しい思いをする 」。頑固者、って、誰のことでしょうか。変わり続ける世の中にあって、変わってはいけないもの、それを、誰がなんと言おうが、信じ続け、持ち続けている者、という意味でしょう。そういう人は、いつも、悲しい思いをする、という訳です。


  変わらないものを 何かにたとえて
  その度 崩れちゃ そいつのせいにする

これは、「変わり続ける世の中」が、「変わらないものを」何かしらの標語に巧み、呼んで、呼ばわる度に、自分自身が崩れ(変わり、変貌し)ては、崩れ壊れ変節したのは、お前、頑固者の、そいつのせいにする、という意味で、歌われていると思います。

ファーストアルバム「あぶな坂」の一番の歌詞をここで思い出してもいい訳です。(橋を壊したお前のせいだと、口を揃えてなじるけど」と、ありますよね。)

「そいつのせい」にされた、この私、頑固者こそ、可愛そうだと思いませんか ?

1978年というと、みゆきが、26歳の時、です。26歳にして、この洞察は、驚くべき事ですね。音楽家の洞察ではなく、むしろ、文学者の洞察だと思います。

そして、曲はサビの部分に入っていきます。


  シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
  変わらない夢を 流れに求めて
  時の流れを止めて 変わらない夢を
  見たがる者たちと 戦うため


うむ、これも難しい。両義的であり、軽々しく判断する事を拒む表現ですね。
まず、肯定か否定か、という判断はお預けにして、辿ると、これは、何を言っているかというと、変わり続け、変貌し続け、ある意味で変節し続ける、臆病でズルイ、人間たち、当然、この自分もその中に入っているのであろう、頼りない、情けない、爪も牙もない獣のような者達が、その「変わり続け変節し続ける流れこそが、変わらない夢なんだと、自ら、集団的に信じ込み続けながら、あの悲しい無口な頑固者をやっつけようと、戦うために、足並み揃えて、シュプレヒコールを繰り返し、見よ、今もまた、通り過ぎていく」と、歌っているのです・・・、きっと。

いやぁ、・・・すごいもんだ、おおげさに聞こえるかもしれませんが、これはもはや、予言的な洞察力と、表現力です。

さて、二番は、一番の展開部という事になります。


  世の中はとても 臆病な猫だから
  他愛のない嘘を いつも ついている

  包帯のような 嘘を 見破ることで
  学者は 世間を 見たような気になる
  

この二連のフレーズは、ほぼそのまま言葉通りですね。説明はいらないと思います。

注目すべきは、臆病者の猫がつく嘘、を、「包帯のような嘘」と、言っていることです。
本当は、傷つき、痛みを感じつつ、その嘘は付かれているのかもしれない、という、彼女のやさしい眼差しがある。
このモチーフは、「あぶな坂」にも息づいています。

唯、歌詞の解釈からちょっと離れて、二十歳の頃、この曲を初めて聴いた時に感じた事なのですが、この、「世の中はとても 臆病な猫だから」という冒頭の、臆病な猫、という直喩が、ちょっとわざとらしいというか、ださい、と感じました。

しかし、今はちょっと違って、・・・彼女は或る一定の語句を繰り返し、何かしらの詩的イメージとして、異なった場面で繰り返し用いる所があって、「猫」、は、他の曲でも使われていて、その類推をすると、改めて納得性のあるものとなって、現れてくる、という事を、リスナーである僕は度々経験しました。

一見、奇妙な風にも感じられる場合がある直喩には、揺らがない、彼女自身の底意が息をしている。

それをここで少し言うと、「猫」は、まず、「やまねこ」という曲で全面的に表現されていますが、一番の冒頭に、

  女に生まれて喜んでくれたのは
   菓子屋とドレス屋と女衒と女たらし
   嵐あけの如月壁の割れた産室
  生まれ落ちて最初に聞いた声は落胆の溜息だった


と、あります。これは、第二の性としての女性が置かれた場所、を言っているのですが、底にあるのは、共苦の感情、だと思う。少しオーバーな表現で言えば、受難。パトス的で、非戦闘的な、本質的な意味での女性性・・・。

また、「あした」という曲のサビでは、


  もしも明日 私たちが何もかもを失くして
  ただの心しか持たない やせた猫になっても
  もしも明日 あなたのため何の得もなくても
  言えるならその時 愛を聞かせて


と、ある。

「ただの心しか持たない やせた猫になっても」・・・言えるならその時、愛を聞かせて、・・・これはもう、極北の言葉だ、と言っていいと思います。

 因みに、が、多くて申し訳ないのですが、・・・因みに、「世情」から20年後、「瞬きもせずに」という曲の中では、女性・女を暗示する「猫」は、より一層進化し普遍化して、「獣」という表現を得ます。歌詞としては、こうです。

ああ 人は獣 牙も毒も棘もなく
 ただ痛むための涙だけを持って生まれた
 裸すぎる獣たちだ

「やまねこ」は「世情」の8年後に発表された曲ですが、その中では、この山猫は、

  傷つけるための爪だけが
  抜けない棘のように光る
  天(そら)からもらった贈り物が
  この爪だけなんて この爪だけなんて

と、嘆きながら、怒りながら、女性という同じ性を持つ者としての共苦として歌われていますが、更にその12年後には、猫は「獣」となり、女性をも男性をも含む「人」の比喩として登場し、上のように歌われるに至っている、という事です。


さて、話を元に戻して、2番の歌詞の続きをやりましょう。


続きと言っても、あとは、

  シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
  変わらない夢を 流れに求めて
  時の流れを止めて 変わらない夢を
  見たがる者たちと 戦うため

が、3回繰り返しとなるだけで、言葉としての展開はありません。しかし、歌い方、の展開があり、最後の「戦うため」の絶唱には、その声自体に、言葉を超えた、或いは、言葉の基底部にある、意味がある、とも言えるもので、将に、この解釈自体が、一番難しいと感じます。

例えば、或る人と直接話していて、非常に重要な場面では、言葉だけではなく、いや、むしろ、言葉ではなく、相手の声の感じとか、目の表情とか、微妙な息遣いなどをじっと聴き取り、見入り、その底にある本当の意味、を、探ろうとする事がありますが、中島みゆきの歌には、この「世情」だけではなく、リスナーをして、自然に、必然的に、そういう場面まで引きずり込むという、著しい特徴があると思います。

この「世情」の、最後の「戦うため」という歌唱には、遥か遠い、雷、・・・遠雷の遥かな轟きのような感があります。

曲の一番最後の声を長く伸ばすことで、言葉以上のことばを訴える例として、「泣かないでアマテラス」の最後、それから、「思い出だけではつらすぎる」のラストにも、同じような、非常に深い感情を喚起させる、いわば、卓越した歌唱の力が、彼女にはあって、中島みゆきを聴く事は、これを聴くかどうかで、彼女の歌自体の意味が著しく異なる、と言えるような気がします。

だから、「世情」の歌詞の解釈は、ラストの、この「戦うため」という、声の姿をどう感じるか、という所に帰す。

これは、聞き手の責任という事になります。一般的な解は無い、という事にもなるのだと思います。彼女自身も、そのような意味の事を言っている。

僕自身の聴き方、としては、こうです。
これは、先にも言ったように、肯定か否定か、という事ではなくて、まぁ、いわば、許容量の問題というか、彼女自身は、頑固者も、シュプレヒコールを繰り返して歩き流れていく者たちも、同じように悲しい、と言いたいのではないでしょうか。

無論、本人にたとえ会えたとしても、そして、訊ねてみたとしても、けして答えはしないでしょうが。ならば、聴いた私自身が、どう感じたかを、告白するほかない訳で、それを自分の言葉で言うと、こうなります。

「世の中」や「世間」と、「世情」とは、質の異なる、次元の違うものとして、捉えなければなりません。
だから、臆病な猫(世の中)がつく嘘も、その「包帯のような」嘘を見破って「世間」を見破ったと、その気になってはしゃいでいる学者も、もっと大きな、宿命的なと言ってもいい「世情」の湛える澄み切った底なしの悲しみのなかにある、という、存在的な認識が、ここで、歌として、その声として、露わになっている、と受け取るべきでしょう。

この認識に最も近いことばは、僕は繰り返し考えた末、やはりこう言わざるを得ないのだが、それは、宣長などのいう、「もののあわれ」という事です。

すると中島みゆきは、信じがたい事に、表現者として、同時代の誰彼ではなく、(笑わないで欲しいのだが)、紫式部と同じような地平・・・というか、式部が立っていたであろう大地と同じ大地に彼女は立っていて、そこから、彼女は歌、というものを育み生み出している、と言う他無いと、思うのです。

そのような傍証はいくつかある。まずひとつは、彼女自身、もともと国文出身だったという事と、また、夜会では、古事記からの取材で訳本も書いているという事などもある。

宣長の「古事記伝」はつとに有名だが、彼はまた、「紫文要領」や「いそのかみの私淑言」という、源氏論も書いている。頭のいい、国文を専攻した彼女が、学生時代から、これらのいわば基本書を読まなかったとは想像し難い。

更に想像を廻らせれば、小林秀雄が大著、「本居宣長」を「新潮」に連載していたのが、1966年から1977年まで。みゆきさんが、12歳から23歳までで、最後の方は彼女の学生時代と重なるし、1978年には出版もされ、それによって日本文学大賞も受賞している。新潮社から複数の著作も出している中島みゆきさんでもあるし、もともと、作家的な才能も豊かな人だから、氏の「本居宣長」も、もしかしたら新潮連載時から読んでいた可能性も、僕はあると想像している。

氏の「本居宣長」では、式部の源氏から宣長がどのようなものを汲み取ったかという、真率で丁寧な、ものあはれ論も展開されている。

変な言い方だが、中島みゆきを、単なる「はやり歌歌い」としてだけで見ていると、どこか頓珍漢な評価に陥る危険があると、僕は思っている。いずれにしても、彼女の表現の世界は、その根は、わが国の文化の、非常に深い所から自生していることは確かだと思われる。

無論、「世情」の最後の絶唱から、直接紫式部を連想する、という事ではないのだが、あの声の響きと揺れが告げるものは、この世界に生きる私たち人間の、宿命的で根源的な、哀しみ、どうしようもないあわれさへの、彼女自身の魂の涙なのだ、・・・そう、この歌を受け取ります。

冒頭に、坂本龍一のエピソードを紹介した。

ギターを弾きながら、すすり泣いていた曲は、何だったのだろう。
それは、同じアルバムのなかの「海鳴り」でも、この「世情」であっても、一向に構わない、と、・・・僕は一人で想像している。
  


「宙船」

その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

その船は今どこに ふらふらと浮かんでいるのか
その船は今どこで ボロボロで進んでいるのか
流されまいと逆らいながら
船は挑み 船は傷み
すべての水夫が恐れをなして逃げ去っても
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな


その船は自らを宙船(そらふね)と 忘れているのか
その船は舞い上がるその時を 忘れているのか
地平の果て 水平の果て
そこが船の離陸地点
すべての港が灯りを消して黙り込んでも
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな


何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな
その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな
https://blog.goo.ne.jp/tousui-00/e/4a7c2f53bdc9a4eb9a88fa23ee0fec36

3. 中川隆[-11694] koaQ7Jey 2019年3月06日 08:40:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[296] 報告

2017.11.06
中島みゆき『世情』の歌詞の意味が深すぎる・・・。
○○を見たことから誕生した歌詞の意味を徹底解釈!
https://otokake.com/matome/T2BvU3


他の誰も真似できない歌声と楽曲でたくさんの人を魅了し続ける中島みゆき。中でも『世情』は「3年B組金八先生」の名シーンで流れたことから一躍有名になった曲です。でもその歌詞はかなり難解との噂。曲が作られた時代背景と共に歌詞の意味を深掘りしてみました。

ジークレー 珊瑚色


中島みゆきってどんな人?

中島みゆき『世情』の歌詞の意味が深すぎる・・・。○○を見たことから誕生した歌詞の意味を徹底解釈!の画像


祖父は市議会議員、父は中島産婦人科の院長というエリート一家に育った中島みゆきは、大学時代に音楽活動を本格的に開始します。

そして1975年、ヤマハのコンテストで入賞したことをきっかけに『アザミ嬢のララバイ』でデビューを果たしました。

同じ年に開催された世界歌謡祭では『時代』を歌ってグランプリを受賞。翌年にはファーストアルバム『私の声が聞こえますか』をリリースしています。

その後は70万枚のセールスを記録した『わかれうた』、研ナオコが歌ってレコード大賞金賞を受賞した『かもめはかもめ』などのヒット曲を量産し、シンガーソングライターとしての地位を確かなものにしました。

ラジオパーソナリティとしても人気に


1979年には「中島みゆきのオールナイトニッポン」が開始され、その語り口が大人気に。

歌から受けるイメージとは正反対の軽く明るい話し方に多くの人が魅了されることとなります。

歌手への楽曲提供がすごい!

中島みゆき『世情』の歌詞の意味が深すぎる・・・。○○を見たことから誕生した歌詞の意味を徹底解釈!の画像


そして自分で歌う以外にも、歌手へ楽曲を提供していることでも有名です。数え上げたらきりがないので、代表的なものをピックアップしました。

「この曲、中島みゆきが作ったんだ!」と驚くかもしれません。

•工藤静香『FU-JI-TU』
• 〃  『MUGO・ん…色っぽい』
• 〃  『群衆』
• 〃  『黄砂に吹かれて』
• 〃  『私について』
• 〃  『慟哭』
•柴崎コウ『思い出だけではつらすぎる』
•TOKIO『宙船』
•中島美嘉『愛詞(あいことば)』
•ももいろクローバーZ『泣いてもいいんだよ』
•平原綾香『アリア−Air−』
•研ナオコ『かもめはかもめ』
•柏原芳恵『春なのに』
•薬師丸ひろ子『未完成』

『世情』の時代背景って?


ではさっそく、難解だと言われている『世情』の歌詞を紐解いてみましょう。

でもその前に、この曲が作られた時代背景を知る必要があります。

安保闘争が背景に


『世情』が発売されたのは1978年。4枚目のアルバム『愛していると云ってくれ』の収録曲でした。

今の若者世代にはピンとこないでしょうが、1960〜70年代にかけて、日本では大規模な反政府運動が起こっていました。

日米安全保障条約の改定に反対し、国会議員のみならず労働者や学生までも参加してあちこちでデモが行われました。

中心となったのは大学生で、勉強どころではなく学内は争いの場に。

東京大学の安田講堂を占拠して機動隊が突入した「東大安田講堂事件」に代表されるように、火炎瓶や投石が飛び交う激しい争いが繰り広げられていました。

中島みゆきが大学生だったのはちょうどこの時代。

先輩たちがシュプレヒコールをあげてデモをする様子を日常的に見ていたそうです。

そして、その様子を見た時の想いを歌にしたのがこの『世情』だと言われているのです。

歌詞の解釈に挑戦!

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世の中はいつも変わっているから
頑固者だけが悲しい思いをする

変わらないものを何かにたとえて
その度崩れちゃ そいつのせいにする

シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を流れに求めて

時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと戦うため

出典: 世情/作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき


<世の中は変わり続けるものだから、

 変わらないことを大切にする人は頑固者とけなされて、

 悲しい思いをしてしまう。

 頑固者は悪のように例えられて、

 何かがうまくいかないといつも

 「お前のせいだ」と言われてしまう。

 シュプレヒコールをあげてデモをする人々は、

 変わらないことで得られる夢を求めている。

 時の流れを止めて同じように

 変わらない夢を見たがっている者たちと戦うために。>

安保闘争のむなしさを表現している?
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続き
https://otokake.com/matome/T2BvU3?page=2


「頑固者=安保改定という変化に反対する学生たち」とするとこんな風に解釈できます。

<学生たちは変わらないことで

 未来の夢を手に入れようとしている。

 一方政府は、安保改定の調印をして

 未来の夢を手に入れようとしている。

 時を止めて、今の平和がこれからも

 永遠に続くことを確定させるために。

 だとしたら、学生も政府も同じ夢を見て、

 同じように時の流れを

 止めようとしているのではないか。>

こう読みとってみると、平和と幸福を求める気持ちは同じなのに、激しく争う安保闘争のむなしさを表現している歌詞だと感じることができます。

俯瞰する中島みゆき

中島みゆき『世情』の歌詞の意味が深すぎる・・・。○○を見たことから誕生した歌詞の意味を徹底解釈!の画像

世の中はとても 臆病な猫だから
他愛のない嘘を いつも ついている

包帯のような 嘘を 見破ることで
学者は 世間を 見たような気になる

シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を 流れに求めて

時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため

出典: 世情/作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき


<世の中はとても臆病で、

 自分を守るために他愛のない嘘をつく。

 でもその嘘は、傷を隠して守る包帯のように

 ほどけやすいものだ。

 学者たちはその包帯を自慢げに剥ぎとって、

 「真実を見た」としたり顔をする。>

安保闘争を全てわかったような顔で説く見識者たちを皮肉る表現ですね。

こうしてみてくると、歌詞の中には「学生」と「政府」と「学者」という3つの姿が描かれていることがわかります。

そしてタイトルは『世情』です。世情とは「世間の事情」という意味を持つ言葉。

中島みゆきは安保闘争を世間という立場になって俯瞰して眺め、とてもむなしく悲しい争いだと感じた気持ちを歌ったのではないでしょうか。

金八先生の名シーンで有名に!

中島みゆき『世情』の歌詞の意味が深すぎる・・・。○○を見たことから誕生した歌詞の意味を徹底解釈!の画像


『世情』が注目されたのは、1981年に放送された『3年B組金八先生』の第2シリーズ、「卒業前の暴力(2)」がきっかけでした。

“腐ったミカン”と呼ばれた加藤優が、古巣の中学校の校内暴力に巻き込まれ、結果的に放送室を占拠。

校長から謝罪の言葉を引き出したものの、通報によって駆けつけた警察に学校の中で逮捕されてしまいます。

逃げまどう加藤たち。警察には渡すまいと必死に追いかける金八。でも集まった生徒たちが邪魔になって先へ進めません。

音声はなく映像はスローモーション。そこに『世情』の泣くような叫ぶような歌声だけが流れます。

一度だけの挿入歌だったにもかかわらず、残した印象は強烈で、金八先生の最大の名シーンとともに語り継がれることになったのです。

改めて聴き入ってみよう

中島みゆき『世情』の歌詞の意味が深すぎる・・・。○○を見たことから誕生した歌詞の意味を徹底解釈!の画像


『世情』はシングルカットもされていませんが、中島みゆきの隠れた代表作とも言える1曲です。

時代背景が違うとはいえ、彼女の歌い方や歌詞は今の私たちの心のどこかにも刺さるはず。

たくさんの歌手がカバーして『糸』が広く知られるようになったように、『世情』も一度聴けば虜になってしまう名曲です。聴く人の年齢を選ばないでしょう。

ぜひ一度、じっくり聴いてみてください。
https://otokake.com/matome/T2BvU3?page=2

4. 中川隆[-11678] koaQ7Jey 2019年3月06日 13:17:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[313] 報告

泣きながら歌った歌。 2007/1/16

 坂本龍一が、中島みゆきのアルバム 「あ・り・が・と・う」 のスタジオミュージシャンとしてでスタジオに行った時、みゆきが 「こういう曲よ」 といって、今回の収録曲を自ら歌って紹介し始めた。 しばらくして、辺りから嗚咽が聞こえ始め 「誰か泣いているのかな?」 とキョロキョロ見回してみたら、そこに泣きながら歌っている中島みゆきがいた…。

 このことに、坂本龍一はかなり驚いたらしい。

 みゆきが泣きながら歌った歌とは?
 それはどうやら、みゆきの父の死を歌った 「まつりばやし」 だったらしい。


 「北海道の夏の終わりはもう冷たい風が吹いているんです。
 その風の中をお祭がやって来るんです。どの家も軒にも、紙で作った赤い花を飾って、お祭を待つんです。

 寒い朝でした…。…脳溢血でした。
 救急車の音の中で、何がどうなったのか、わかんないままに、三日待てって言われて、三日待っても目が覚めなかったら、もう諦めてくれって。

 着の身着のまま徹夜で一日待って、徹夜で二日待って、徹夜で三日待って。
 …お祭でした。日が暮れるまで待ったけど、目は覚めませんでした。何日もかかって準備したお祭の支度は、うちだけ無駄になりました。

 病院の外をねえ、まつりばやしが通って行くんです。綺麗で賑やかでねえ。まつりばやしを追いかけて、浴衣を着た子供が走り出すと、その子の父親が、追いかけて、走って行くんです。
 走って…行くんです」

 当時コンサートで 「まつりばやし」 を歌った時の話である。


まつりばやし
https://pv755.com/matsuri-bayashi


 まつりばやし  詞・曲:中島みゆき

肩にまつわる 夏の終わりの 風の中
まつりばやしが 今年も近づいてくる
丁度 去年の いま頃 二人で 二階の
窓にもたれて まつりばやしを見ていたね
けれど 行列は 通り過ぎていったところで
後ろ姿しか 見えなくて 残念だった
あとで思えば あの時の 赤い山車は
私の すべてのまつりの 後ろ姿だった
もう 紅い花が 揺れても

今年よく似た 声をかき消す まつりの中
信じられない おまえの最後を知る
眠りはじめた おまえの窓の外
まつりばやしは 静かに あでやかに通り過ぎる
もう 紅い花が 揺れても

人は誰でも まつりの終わりを知る
まつりばやしに 入れなくなる時を知る
眠りつづける おまえよ 私のところへは
まつりばやしは 二度とは来ないような気がするよ
もう 紅い花が 揺れても
もう 紅い花が 揺れても
もう 紅い花が 揺れても
https://blogs.yahoo.co.jp/bokkemon2006/2557151.html


▲△▽▼

坂本龍一 2007/1/14

 「坂本龍一」 といえば、アカデミー賞やグラミー賞などを受賞した世界的にも有名なアーティストであるが、スタジオミュージシャンとして活動していた時期に、中島みゆきの3rdアルバム 「あ・り・が・と・う」 の制作に参加している。

 「プロデューサーとアレンジャーとで、アルバムを練り上げていくっていう、今もとっている方法がこの頃から始まります。
 この時来たメンバーは坂本龍一さんとか、癖の強い人が多かった。スタジオが野性動物園と化した(笑)。

 坂本さんが 『今日出がけに金魚食べてきた。不味かった』 と言ったのを覚えています。それで彼、スタジオではみかんばっかり食べてなかなか弾いてくれないんです。

でも、全部食べて手もなめて、ポロッと弾いたらこれがすごくいいタイミング。

 天才はこういうものだ! と思いました」
 と、アルバム制作の時の坂本龍一のことを、みゆきはこのように語っている。

 あるインタビューに坂本龍一が当時のことを語っている。

 「…中島みゆきのアルバム 『あ・り・が・と・う』 にどういう経緯で参加したか、いまはっきり覚えてないんだけど。

 エピソードとして思い出すのは、僕たちがスタジオ・ミュージシャンとして行くと、みゆきさんが 『こういう曲よ』 って自分でギター弾いて聞かせるんですが、そのうち、しばらくして嗚咽が聞こえてくるんです。

 誰か泣いているのかなと思ってキョロキョロしていたら、みゆきさんが歌いながら泣いているわけね。それで、ちょっと、びっくりしたんです。オソロシかったですね。 

 当時は、居直りとかなくて、つまり、あまり衆人環視されていなかったわけです。レコード売上枚数とかにかかわりなく、存在として、ピュアな真剣さだけでやれたと思うんです。

 しかし、それが時間を経て、気持ちの上でも断層というか、切断が現れて、自分に対して客観視せざるを得なくなった時期があったはずなんで、そこでエンターテイメントとして落ちる人と浮上する人とが別れるという気がします。

 僕がスタジオ・ミュージシャンとしてやっていた時のみゆきさんは、純粋なシンガー・ソングライターだったと思いますね。そのままではエンターテイメントになれないという意味でね」

 
坂本龍一プロフィール

52年東京生まれ。
東京芸術大学大学院卒。

スタジオミュージシャンとしての数々の活動を経て、'78年アルバム「千のナイフ」でデビュー、同時に「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)に参加、その世界的な成功により80年代テクノポップ・ブームの立役者として名を知らしめる。

'84年映画「戦場のメリークリスマス」('82年公開)の音楽を担当し、英国アカデミー賞音楽賞を受賞。'83年にYMOを散会した後、映画「ラスト・エンペラー」('87年公開)の音楽を担当、'88年にアカデミー賞作曲賞他多数受賞、続く'89年グラミー賞映画・テレビ音楽賞を受賞。その後も世界的に幅広く活動中。
https://blogs.yahoo.co.jp/bokkemon2006/2491529.html?type=folderlist

5. 中川隆[-11677] koaQ7Jey 2019年3月06日 13:22:20 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[314] 報告

女なんてものに 2007/1/17


 当時の彼女は、このようなことを語ったことがあるそうである。

 「私の歌を聴いて、どこかにひとりドキッとする人がいるはずなのよ」


その歌の一つが、このアルバム 「あ・り・が・と・う」 に収録されているらしい。

 それは本人が語ったわけではないが、巷で言われていることである。
 その曲とは 「女なんてものに」 である。

 アルバム発売前の1年くらい前に、彼女は作家の故・吉行淳之介氏と 「プラトニック・ラブ」 について対談をしている。

 その中で彼女は実に面白いことを言っている。

 「私は欲ばりですから、たぶん、肉体的な愛を待ち構えている時期をプラトニック・ラブというんじゃないかと…きっとそうなるだろうけど、待て待てしかし…と言ってる間がプラトニック。
 たとえばネコがネズミに飛びかかる前に、身を低くしてねらっている、そのときがそう」

 しかし、気になるのは次の対談部分である。

中島:「私、いつもわからなくなるのは、男性が女性を本当に好きだからふれないでおこうというのと、本当に好きならふれないではいられないというのと、どっちが本当だろうということなんです」

吉行:「後のほうが本当でしょうね。好きだから手もふれないというのはスリカエているわけなんだ。十代の終わりごろの男のセリフでね。それは女、並びに性行為がこわいんですよ。
 だが、男はこわいと言えないから、そういうロジックを立てる場合が多いね。
 はじめて自分の武器を使う場合に醜態を演じるんじゃないかというおそれがあるから、それを精神的なものにすりかえて自己を正当化するわけでしょう」

中島:「でもプラトニックでいるほうが恋愛が長続きするようね」

吉行:「恋愛とは、その構造基盤からいっても 『情熱』 でしょう。すると持続できないような構造ですよね。

 もう何十年も前に岡本かの子がすでに書いているが、愛を長続きさせるには、技巧を用いて努力する必要がある…。つまり 『愛』 の要素には 『努力』 がいるが、 『恋』 のほうはただやたらに燃えるわけです。

 しかしここでは愛については一応切り捨てて考えないと話がやっかいになるからね。だが、やむを得ない障害によって、プラトニックであらざるを得ないなら、長続きする、とは言えますね」

中島:「ああ、つまり障害もないのに、ふれないでもすむようなのは、大した恋じゃない」

吉行:「ええ。しかしぼくは疑っているんだが、女の人って恋愛感情を持てるのかな。
 本当に、持ってるの?」

中島:「は? まア (笑)」

吉行:「一生の計算で言ってるんじゃないのかな。努力して一流商社勤めの男性を獲得したいのを、自己暗示にかけてほれほれしたって言ってるのかもしれない。あのハンドバッグがほしいと思うような情熱を、恋愛の情熱と錯覚してるんだ。

 もっと言えば、女の人には観念的、抽象的な能力が、あまりない。恋愛感情というのは、かなり抽象的なものだよね。その能力がないものが、抽象的なものに支えられていることができるかという疑いを持っているんだ、ぼくは」

中島:「そうかなア」


 みゆきは 「女の人って…」 と言われたことに深く傷ついたのかもしれない。その思いが 「女なんてものに」 の中で歌われている。


女なんてものに
https://pv755.com/onna-nante-mono-ni

 女なんてものに  詞・曲:中島みゆき

女なんてものに 本当の心はないと
そんなふうに言うようになった
あなたが哀しい
女なんてものは 心にもないことを
平気で言うと人を諭してる
あなたが哀しい
笑ってごらん なんて なぐさめを
あたし これから 信じないわ
泣いても どうにも ならないけれど
笑っても あなたは 帰らないじゃないの

女なんてものは 愛などほしがらないと
笑いながら 言うようになった
あなたが哀しい
女なんて奴の 涙は 売り物だと
泣いてる人を指さして言う
あなたが哀しい
忘れていれば なんて 言い方を
あたし これから 信じないわ
呼んでも どうにも ならないけれど
忘れても あなたは 帰らないじゃないの

笑ってごらん なんて なぐさめを
あたし これから 信じないわ
泣いても どうにも ならないけれど
笑っても あなたは
忘れても あなたは 帰らないじゃないの


吉行淳之介 (よしゆき じゅんのすけ) 

1924年〜1994年 
東京大学英文科中退。

'54年 「驟雨」 で第三十一回芥川賞を受賞。
その後、 「砂の上の植物群」 「暗室」 などの本格的な長編や、軽妙なエッセイなどを多数発表している。
https://blogs.yahoo.co.jp/bokkemon2006/2637971.html

6. 中川隆[-11676] koaQ7Jey 2019年3月06日 13:29:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[315] 報告

あ・り・が・と・う


 1977年6月25日、3rdアルバム 「あ・り・が・と・う」 をリリース。
 
 前作の2作の編曲が、当時ヤマハ所属の 「エジソンと発明王」 というグループに委ねられていたため、サウンド的にどちらかというとフォーク的な色が強かったような気がする。

 しかし 「あ・り・が・と・う」 では、スタジオミュージシャンが変わり、サウンド面でも前作とは全く違う洋楽的要素が組み込まれ、奥行きが深くなったように感じる。

 また、歌詞も、一曲一曲の中に登場する主人公たちの姿や心情が具体化され、情景が目に浮かんでくるぐらいその表現は研ぎ澄まされ始めたようである。

@ 遍路
https://pv755.com/henro

A 店の名はライフ

B まつりばやし
https://pv755.com/matsuri-bayashi

C 女なんてものに
https://pv755.com/onna-nante-mono-ni

D 朝焼け

E ホームにて
https://pv755.com/homu-nite

F 勝手にしやがれ

G サーチライト

H 時は流れて
https://pv755.com/tokihanagarete

主人公の恋愛遍歴を遍路巡礼に例えた@。
 
みゆきが札幌の女子大生の頃に、実際に行きつけだった店のことを歌ったA。
 
みゆきの父が倒れてから亡くなることを歌ったB。
 
ある作家との対談の時に言われた言葉で作ったと言われるC。
 
思いを寄せる人が違う女の元へ去り、ひとり眠れぬ夜を過ごすD。
 
地方から都会へ出て来た者たちの郷愁の思いを歌ったE。

 
などなど、このアルバムには中島みゆきの実体験的な歌も収められている。

 そして、単調なワルツのリズムで始まるが、徐々にみゆきの押さえ切れない感情が涙声に変わり、次第に壮大になっていくラストのHは、感動的で胸を打つ。

 このアルバムのライナーノーツには下記のようなことが書かれている。

 「いつだって 物語のようになんか いかなかった。
  別れは みっともなかったし
  愛は お笑い沙汰だった。
  言えばよかった筈でも とても
  ありがとう なんて 言えなかった。
  言えばよかったこと そして 言わなければよかったこと…
  いつだって 物語のようになんか いかなかった。
  だから 今夜。」

 恋破れ人と別れ、その哀しみも癒えた頃、ふと思い出を振り返った時にこのような素直な気持ちになれるのだと思う。

 このアルバムに収められている曲の主人公たちが、歌の中では哀しみにいたとしても、 「ありがとう…」 と言える時がいつか来る…。それがこのアルバムのテーマなのだろう。
https://blogs.yahoo.co.jp/bokkemon2006/2240109.html

7. 中川隆[-11675] koaQ7Jey 2019年3月06日 13:33:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[316] 報告


中島みゆきの父・中島真一郎氏は産婦人科の開業医である。彼女は常に生命の誕生を肌身に感じていたのではないだろうか。

 真一郎氏はどうやら 「赤ヒゲ」 的な開業医だったらしく 「医者にもピンからキリまでありまして、ウチの場合はキリでした。家には10万円のお金もなかったのよ」 と彼女はある雑誌の対談の中で話している。

 その中で父親のことを次のように語っている。

 「人間としてやっちゃいけないことは、殴ってでも許さなかったですネ。私が音楽やること、やれとは言わなかったけれど、反対はしませんでした。世間に対しては、まるで不器用な処し方しかできない人でしたネ。そう、生きること自体が下手だったんです。」 

「頑固で融通が利かなかったンですねぇ。私と同じで愛想も悪くて」

 そんな父に対して世間が何と言おうと、彼女は自分自身を「ファザコン」と自称するほど父を尊敬している。

 一人静かに焼き鳥屋で酒を飲む父親の相手をしてあげていたようである。

 1975年9月。彼女の元にデビュー曲 「アザミ嬢のララバイ」 のサンプルレコードが届く。

 しかし、彼女はそのレコードを直ぐには父に見せなかったようである。正式にデビュー曲が発売される9月25日に見せようと考えていた。

 そしてもう一つ考えていることがあった。それは、翌月に行われる第10回ポピュラーソングコンテストで賞を貰うことができたら、その賞金で父にはオーバーを買ってあげようということであった。間もなくやって来る北海道の厳しい冬に向けて最高のプレゼントになる筈だった。

 そんな矢先のことである。

 「九月だった。寒い朝に父が倒れたの…。脳溢血。家は小さな病院だけど、その日の診察料で食べるような生活だったの」

 救急車で運び込まれた病院で 「3日待っても目が覚めなかったら諦めてほしい」 と宣告され、着の身着のまま徹夜で3日待った。が、真一郎氏の目は覚めなかった…。

 そんな中、中島みゆきはレコードデビューをし、そして翌月10月12日に第10回ポピュラーソングコンテストを迎える。

 本選会では、予選の時の歌を歌うのが通常であるが、彼女は予選の時に歌った歌とは違う 「時代」 に急遽変更し本選会に臨んだ。


時代
https://pv755.com/jidai-pv


 彼女は父が目を覚ますことを願って 「時代」 を歌い上げたかったのだろう。

   旅を続ける 人々は
   いつか故郷に 出逢う日を
   たとえ今夜は 倒れても
   きっと信じて ドアを出る
   たとえ今日は 果てしもなく
   冷たい雨が 降っていても
 
     めぐるめぐるよ 時代は巡る
     別れと出逢いを くり返し
     今日は倒れた 旅人たちも
     生まれ変わって 歩き出すよ

 「時代」 は見事グランプリに輝き、翌月の第6回世界歌謡祭でもグランプリを獲得した。

 彼女は、このことを誰よりも父に報告したかったに違いない。

 しかし、真一郎氏の目は、倒れてから一度も覚めることはなかった。愛する娘のデビューと成功を見ることもなく、翌年の1月、真一郎氏は静かに旅立って逝った。

享年51歳。
https://blogs.yahoo.co.jp/bokkemon2006/596380.html
 

8. 中川隆[-11674] koaQ7Jey 2019年3月06日 13:39:08 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[317] 報告

愛する娘のデビューと成功を見ることもなく、真一郎氏は静かに旅立って逝った。
1976年1月のことである。

 「ポピュラーソングコンテストで賞を貰うことができたら、間もなくやって来る北海道の厳しい冬に向けて、その賞金で父にはオーバーを買ってあげよう」 と考えていたその賞金は、全て父の葬儀代へと変わってしまった。

 しかし、みゆきはいつまでも父との別れを悲しんではいられなかった。
 一家の大黒柱を失った家族の生活が、一気に彼女の肩にかかってきたのである。

 彼女には3歳年下の弟が一人いる。その弟は医大生になっていた。父の志を引き継ぎ医者を目指していた彼の夢を叶えるために、彼女はプロとしてやっていく決意をしたのだと思う。

 彼女は仲間たちに 「弟が医者になるまで頑張る」 と告げ、北海道と東京を往復しながらプロとして活動を開始した。

 彼女は対談などで一度も「残された家族のためにプロになった」とは話したことはない。父の死後、家族の生活を守るのは自分しかいない。それは当然のことだと思っていたのだと思う。

 以前、某テレビ局で、熱烈なみゆきファンの著名人を集めてそれぞれがみゆきについての思いを熱く語るという企画の深夜番組をやっていた。

 その一人、登山家で医師でもある今井通子女史が 「私は医師である中島さんの弟さんを知っているのですが、彼は今でもお姉さんのみゆきさんのことを尊敬してますねぇ」と話していた。
 
 「時代」 で第6回世界歌謡祭グランプリ受賞直後のインタビューでは次のように応えている。

 「あの頃って、アマチュアでやるのにもイヤ気がさしていたし、それにもう歌う場所がなくなりかかっていて、本当に悲しかったわ。まだ他にも私と同じように自分を殺しかかっている人もたくさんいるでしょうに…。私は幸運だったんですね。」
 
 どうしてアマチュアでやっていくことにイヤ気がさしていたのか、ある対談で次のように話している。

「機材を持っているアマチュアっていないからね。それにアマチュアだけのコンサートなんてやってくれないし、アマチュアがでれて機材もあるっていったら、とりあえずコンテストぐらいしかないんだよね。学生やアマチュアが集まるのもやっていたけど、機材が全然問題にならなかったしね。PAも専門家だし、スタッフもいてくれるし、コンテストはね。」

 丁度その頃は、反戦フォークを歌う若者達が新宿西口にあふれ、それを機動隊に排除されてしまう 「新宿西口の騒ぎ」 があった頃である。

 ギターを持って歌うことが認められなくなっていった時代である。
 
 自分の心の中の叫びを歌にして伝えたい。その残された場所が 「プロでやっていく」 ということだったのかもしれない。

 彼女はプロになりたくて歌ったのではなく、歌を歌う場所を求めて、そして家族の生活を守るために 「プロ」 という道を選んだのだ。
https://blogs.yahoo.co.jp/bokkemon2006/662894.html

9. 中川隆[-11672] koaQ7Jey 2019年3月06日 14:14:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[319] 報告

中島みゆき 誰のせいでもない雨が 動画
https://pv755.com/dare-no-seide-mo-nai-ame-ga



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中島みゆき難解な名曲「誰のせいでもない雨が」2011-10-24
https://ameblo.jp/lupin-akane/entry-11057745125.html


You Tube で この歌を カバーしている 人が

1番を砂川闘争 2番を学生運動 はともかく
3番を洞爺丸事故と 想定した

と 書いてあったが、突拍子も無い同じ事 想像する人 世の中に いるんですね 
驚いたよ  


誰のせいでもない雨が降っている
しかたのない雨が降っている
黒い枝の先ぽつりぽつり血のように
りんごが自分の重さで落ちてゆく
誰のせいでもない夜が濡れている
眠らぬ子供が 責められる
そっと通る黒い飛行機があることも
すでに赤子が馴れている
もう誰一人気にしてないよね
早く 月日すべての悲しみを癒せ
月日すべての悲しみを癒せ

怒りもて石を握った指先は
眠れる赤子をあやし抱き
怒りもて罪を穿った唇は
時の褥に愛を呼ぶ
されど 寒さに痛み呼ぶ片耳は
されど 私の裏切りは
誰のせいでもない雨が降っている
日々の暮らしが降っている
もう誰一人気にしてないよね
早く 月日すべての悲しみを癒せ
月日すべての悲しみを癒せ

船は港を出る前に沈んだと
早すぎる伝令が火を止めにくる
私たちの船は 永く火の海を
沈みきれずに燃えている
きのう滝川と後藤が帰らなかったってね
今ごろ遠かろうね寒かろうね
誰かあたしのあの人を救けてよと
跣(はだし)の女が雨に泣く
もう誰一人気にしてないよね
早く 月日すべての悲しみを癒せ
月日すべての悲しみを癒せ
早く 月日すべての悲しみを癒せ
月日すべての悲しみを癒せ

中島みゆき 難解な名曲の1つです

みゆきさんの歌は 多くのインテリが様々な解釈をしています

しかし本人は 「ああ こういう解釈もあるのかぁ」といっさい

弁解や解説は致しません

それがまた 多くの 解釈を生むのでしょう


学生運動 左翼系の活動家の心情がテーマとして歌われている

というのが 定説になっているようです


1番の歌詞は どこか「砂川闘争」を思わせるような 感じです

2番の歌詞

「怒りもて石を握った指先は」
「眠れる赤子をあやし抱き」
「怒りもて罪を穿った唇は」
「時の褥に愛を呼ぶ」
「されど 寒さに痛み呼ぶ片耳は」
「されど 私の裏切りは」

七・五調の文学的表現ですが どのフレーズも ???一見なんのこったか 

しかし 元活動家が 過去を想い 志半ばで 挫折した己の 現在の心情と見ると 

なるほどそうかな とも思えてきます

3番 最も難解な歌詞

私はなぜか 飢餓海峡の「洞爺丸事件」を想像してしまいました

 岩内で放火強盗殺人事件が起き 町は大火となります

 その日 港を出る 洞爺丸が台風で沈み 大勢の犠牲者がでます 

岩内といえば みゆきさんの 故郷ですね なにか結び付けたくなります

そして いきなり出てくる「滝川」と「後藤」とはいったい何者か


「月日すべての悲しみを癒せ  おおぅお〜」

無邪気な少女が 意味も分からず 口ずさんでいるような 

たどたどしい 歌い方で歌い終えています


消し去りがたい 過去を引きずる者にとって 

最後の 「おおぅお〜」 は 

胸を掻き毟られることだろう


みゆきさんは 数ある歌の引き出しの中から

敢えて意図して この歌い方をしたのだろうか
https://ameblo.jp/lupin-akane/entry-11057745125.html



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学生運動の歌をあらためて聴く 「誰のせいでもない雨が」(中島みゆき)

 今回は中島みゆきの「誰のせいでもない雨が」を、私なりに解釈していこうと思います。

 「神田川」で、いっしょに暮らしていた二人は、運動の志のせいかどうかはわかりませんが、結局は別れてしまいました。

 一方、この「誰のせいでもない雨が」は、「神田川」の主人公が恐れた、まさにその通りになった、女性活動家の歌だと思います。
 道浦母都子に、

ガス弾の匂い残れる黒髪を洗い梳かして君に逢いにゆく

という句があります。

 大義を掲げた運動をしていて、いくら目的に関係のないものはみんな排除しようとしても、「人間らしさ」というものは抑えきれないのでしょう。

 中島みゆきのこの歌の女性は、誰かと恋愛関係になり、子供が生まれ、結局、高邁な目標よりも平凡な日常を選んで、運動から降りてしまいます。

 学生時代、権威に反対する運動へ身を投じた人の多くは、結局は世の流れに呑み込まれ、男は平凡な勤め人に、女は平凡な母親に、恐らく彼ら・彼女らが「こうした人生には埋没したくない」と思っていたその人生に落ち着いていきました。

 自分の変わり身に何の痛みも覚えず、さっさと会社で出世している人もたくさんいますが、罪悪感のような落ち着かない気持ちを抱えて毎日を送っている人もいます。

 この歌の女性は明らかに後者であり、この歌の「雨」は彼女が感じている後ろめたさ、やり場のない気持ちの象徴です。

 黒い飛行機がそっと通るくらいですから、世界は、彼女が考えるまともな場所に、全くなってはいません。

 それでも彼女は今では、かつて投石した手で赤ん坊を抱き、罪を糾弾した唇で愛情を囁きます。

 運動から降りてしまった自分は非難されても「仕方ない」、でも、人間である以上、りんごが自分の重さで落ちていくように、今の生活を選び、落ち着いていったのもまた「仕方ない」ことだ、彼女に降るのはたぶんそんな「雨」です。

 「寒さに痛み呼ぶ片耳」とは、活動中に怪我を負った耳を指すのかもしれないし、活動家たちのメッセージを、今では全身を傾けては聞けないが、さりとて無視したくもないという落ち着かない気持ちの比喩なのかもしれません。

 その他、私の勝手な想像ですが、「港を出る前に沈んだ船」は、改革が何らかの具体的な実行段階に移される前に、頓挫させられたこと、「火を止めに来る早過ぎる伝令」とは、もうあきらめなさいと囁く、体制側の声のような気がします。
それでも船は沈みきれず、火の海で燃えます。

 運動から降りてしまった彼女は、そうした成り行きや、かつての仲間である滝川と後藤が逮捕されたという知らせをやりきれない思いで受け止めながら、時間が気持ちを鎮めてくれるのをひたすら待っている、これはそういう歌ではないかと思います。


 あらためて考えてみると、「誰のせいでもない雨」って、すごい言葉です。

 この一言で、「私にはこうするしかなかった」「どう思われようと受け入れるしかない」「世界の現状の中で暮らしていくしかない」

 「人間とは悲しいものだ」等、様々なイメージが喚起されます。

 中島みゆきは、本当に凄い歌手だと思います。
http://nekosabu.blog.fc2.com/blog-entry-69.html

10. 中川隆[-11671] koaQ7Jey 2019年3月06日 14:43:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[320] 報告

中島みゆき エレーン 動画
https://pv755.com/nakajima-miyuki-eren

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中島みゆきさん『生きていてもいいですか』―「エレーン」と「ヘレン」
http://bund.jp/?p=14806


 初めて中島みゆきさんの「エレーン」という曲を聞いたのは高校生の頃だったでしょうか。まだネットなんて影も形もなく、音楽はレコードとカセットテープで聞いていた時代で、その手の情報は主にラジオの深夜放送という頃でした。

 一般にはそんなにヒットしたという印象はありませんが(シングルカットもされてなかったと思う)、不思議と印象に残る曲で、みゆきファンの間では最高傑作にあげる人もいる有名な歌です。私も長らく心に残る曲として覚えていましたが、ネット時代に入ってから、これが実話であることを知り、大変にショックを受けました。中島みゆきさん本人が、コンサートであかしたそうで、すでにファンの間では大変に有名な話だったそうです。

 中島さんが20代の頃、ヒット曲に恵まれて都内に拠点を設けるにあたり、「有名人の居宅」として騒がれるのを嫌って、麻生の外国人専用マンションを選んだそうです。そこに「ヘレン」と名乗る外国人娼婦が住んでいました。中島さんはヘレンと知り合い、時おりカタコトの英語で会話をかわすようになります。

彼女は髪を金髪に染め、いつも派手な化粧と、ファッション雑誌から切り抜いたような派手な衣装を着ていました。自分をモデルと自己紹介しましたが、夜になると何度か住人以外の日本人男性がやってきて、ヘレンのドアをノックし「ハウマッチ?」などというところを目撃するようになります。


 そんなある日、警察が中島さんのマンションを訪ねてきました。
ヘレンが殺されたので、住人にも聞きこみをしたいというのです。

ヘレンは顔面を潰されて絞殺された上に、全裸でゴミ捨て場に捨てられていたそうです。
顔が潰されているので、しばらく身元も特定できなかったとのこと。

手口と状況から見て、所持品目当ての犯行という疑いよりも、「客」がいざこざから犯行に及んだとの疑いが濃いとのことでした。


 中島さんは訪ねてきた刑事に

「だったらヘレンの客にあたって事情を聞けばいいのでは?」

と質問してみました。刑事の答えは

「それはわかっているが、誰が彼女のことを話したがりますかね?」

だったといいます。

聞き込みなんてしても、どうせ誰もヘレンのことを知っていたとさえ話したがらないだろうと、だから最初から無駄なことだと言うのです。中島さんは絶句するしかありませんでした。

 これだけ無残な大事件なのに、新聞はたった数行の扱いでした。前述のように警察の動きも鈍く、結局は犯人もわからないまま早々に迷宮入りします。

ヘレンには身内もおらず、やむなく管理人がヘレンの荷物を整理しましたが、華やかにみえた衣装は実はすべてが安いまがい物で業者も引き取らず、ゴミとして出すしかなかったそうです。

 私でさえ大きなショックを受けた話です。若き日の中島さんは、自分と同年代のこの女性の死を、どういう思いで受け止めたでしょうのでしょうか。

そしてこの歌ができました。


中島みゆき『エレーン』の歌詞
http://www.kasi-time.com/item-18203.html


 歌詞の「生きていてもいいですか」はアルバムのタイトルとなり、この歌は同アルバムの中心的な曲となっています。

 重要なことですが、中島さんは曲の中で、決してヘレンの生き方を美化も肯定もしていません、まして安易な同情を歌っているわけでもない。ただ、ヘレンを金で抱きながら、口をつぐんで悪口を流す世間への嫌悪感、そしてただ哀しみを歌っています。同情でも美化でもないこの哀しみが、この曲が心に残る所以だったのかなと思います。

 人の死は平等ではない。そのことがただ哀しい。同じように惨殺された人でも、大きく報道されて世間の同情を集め、何年でも警察が威信をかけて捜査することもあれば、同じような目にあいながら、わずか数行しか報道されず、さっさと迷宮入りあつかいされてしまう人もいる。

 刑事が訪ねてくる数日前、おそらくはヘレンが殺されるまさにその前日、中島さんがマンションのランドリーで乾燥機を回しているヘレンを見かけます。その時のヘレンはいつもとは違い、濃い化粧が抜け落ちていて、珍しく沈んでいるようにみえました。「これが私の普通の顔よ」と言って恥ずかしそうに笑って振り向いたヘレンの素顔は、普段よりもふけてみえたが、一番きれいだったと中島さんは語っています。

 学生時代に調べた正当防衛の判例で、ホテルの密室に呼びだされた娼婦が、客の男性から酷い「SMプレイ」を強要され、殺されるかもしれないという恐怖に逃げ回っているうちに、あやまって男性を突き飛ばして死亡させたという事例がありました。この事例では弁護士の努力にもかかわらず、正当防衛が認められずに実刑となり、女性は刑務所にいきました。理由は女性は娼婦なのだから、男性の要求をある程度は受け入れるのが当然だからということでした。

 同時に調べた別の事例では、空き巣にはいった泥棒に遭遇した男性が、逃げる空き巣を家の外まで追いかけて、そのままバッドで殴り殺したという事例がありました。この場合は正当防衛が認められ、男性は無罪になります。男性の「自身ではなく家族を守るためにやった」という証言が決め手になったそうです。

 人の死のあとに残るのはその人の生き様だけです。それに安易な肯定も同情も美化もしません。ただ、あとから作られた社会の価値観によって、自分だけは手を汚していないような顔をしながら、人の死に優劣をつけて分類していく、そんな世間の仕組みを見ながら、それがとても哀しい。

 そういう、人ならば当然に感じる人間らしい感性を「中二病」などと切り捨てたり、そんな人間らしい感性を失っていくことが大人になることだとか、それをなくすことが求められるような社会が哀しい。だからどうだとか言う前にただ哀しいのです。

 せめて、中島さんの歌を通じて、ヘレンという女性がいたことをいつまでも覚えていたいと思います。「エレーン」は今日も私たちの食卓を窓から眺めていると思うから。

 私は(そしてわりと多くの人もそうだと思うのですが)この話を聞いて、聖書で一般に「姦通の女」と呼ばれている話を思いだしました。中島さんの通っていた藤女子大学は北海道で唯一のカトリック系の女子大だったそうです。中島さんも、おそらく刑事の話を聞いた時、この話を思い浮かべたのではないかと思います。


 イエスはオリーブ山へ行かれた。朝早く、再び神殿の境内に入られると、民衆が皆、 御自分のところにやって来たので、座って教え始められた。
 そこへ、律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。
 「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか」
イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。

 イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」
 そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。

 これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと、真ん中にいた女が残った。イエスは、身を起こして言われた。
 「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか」
 女が、「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。
 「私もあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」
(ヨハネによる福音書、第8章の1〜11節)

http://bund.jp/?p=14806

11. 中川隆[-11670] koaQ7Jey 2019年3月06日 15:10:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[321] 報告

中島みゆき ローリング 動画
https://pv755.com/roringu



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学生運動の歌をあらためて聴く(1) ローリング(中島みゆき)

 この間あることで「ブサヨク」と決めつけられたのですが、これをきっかけに、ふと、学生運動に関する歌をまとめて聴いてみたくなりました。

 私と同い年の音楽仲間Kさんは、大学に入ったら必ず学生運動に参加しようと思っていたとよくライブで話していますが、 私たちが大学に入る頃には、もう学生運動は終っていて、大学側と学生が対立するようなことなどなく、学内はいたって平穏でした。

 私が通っていた大学は敷地が広いので、勝手に車で来る学生も多く、特に大学祭の時期などは構内に車が溢れるようになっていましたが、 これを憂えた大学側は門に警備員を置き、学生の車は許可証なしでは学内に入れないようにしました。

  「車の規制はいいとしても、学生に相談もなく制服の警備員を常駐させることに、きみたちは抵抗がないのか」と、英文学の講義中、教授に呆れられ、言われてみればそうかもしれないとやっと気づくくらい、私たち学生は管理されることに鈍感になっていました。

 それでも、上からの一方的な押し付けや権力を嫌う空気はまだ残っていて、運動を継続しようとする学生も多少はいました。

  「○○首相訪米阻止」などと大書された立看板が、翌朝には叩き壊されている、などということはまだよくありました。

  でも、ヘルメットで武装した学生など1度も見たことはないし、世の矛盾を声高に糾弾するような者は周囲から浮いていました。

 私も含め、学生の多くは政治などどうでもよく、楽しい時間を過ごせればそれでいいと思っていました。

 そんなわけで、私は学生運動とはほぼ無縁で、かろうじてその残り香にふれたくらいでした。

 インターネットでちょっと見てみると、若い人達は概ね学生運動を大変否定的にとらえているようで、「ゴミ」「基地外」などの言葉がやたらと目につきます。

 まあ、ネットに匿名で無責任に書くのは所詮こんな程度の人間なのでしょうが、それでも、頭のイカれた無責任な人達が、ヘルメットをかぶり、顔をタオルで覆い、ゲバ棒を持って暴れた、

というのが、今の若者が持つ、学生運動のイメージのようです。

 確かに、末期には先鋭化した幹部が仲間を殺したり、テロ行為に走ったりと、単なる犯罪者と成り果てた者もいます。

 また、当時、激しく体制を批判しながら、その後大変器用に体制に順応して、平然と企業の幹部に納まっている人もきっとたくさんいます。

 でも私は、匿名性を利用してインターネットに放言したり、ナンパ、合コン、車などに明け暮れている学生より、犯罪行為は別として、当時運動に参加していた学生をどうしても好意的に見てしまいます。

 歌で自分の思いを伝えるという、今では当たり前のことがこの時代に生まれたことからつい贔屓目に見てしまうのですが、それでも彼ら、彼女らのほとんどは、少なくとも運動の最中は、本当によりよい世界構築のために行動していたのだと思います。

 インタビューなどを読んでも、当時運動に関わっていた人の9割は、本気で世界をよりよい方向に変えようとしていたことがわかります。

 その後の個々の進んだ道は様々ですが、学生たちが一時にせよ、自分の時間とエネルギーをその時点で正しいと信じたことに傾けたのは事実だと思います。
 「金と暇を持て余した学生の遊び」などと言われたりもしますが、私はもし自分がそのとき大学生だったら、銀色の盾を持って向かってくる機動隊に対峙する勇気が自分にあったかどうか、正直疑問です。

 地雷除去や反原発で有名な坂本龍一のように、自分の才能を活かして、その後も社会的な活動を、もちろん合法的に続けて世界中から評価されている人もいます。

 現在私たちは、民衆はただ上からの指示に従うだけの存在ではない、という意識を当たり前のように持っていますが、
この常識を根付かせたのは、学生運動の功績ではないかと思います。


 前置きが長くなりましたが、まず、中島みゆきの「ローリング」です。

 1952年生まれの中島みゆきは、学生運動の志に共感を覚えながらも、結局は参加しなかったと言われています。

 運動に参加することができず、それを大昔の出来事とも見ることができないどっちつかずの自分の年代を、彼女は Rolling Age と呼んでいるような気がします。

 この歌は学生運動そのものを歌っているわけではありませんが、2番の歌詞を聴くと、運動に参加しなかったこと、運動に幻滅したことが、中島みゆきにとっては乗り越えなければいけない課題だったのではないかと思われます。

 中島みゆきの曲では、この他に、「まつりばやし」「世情」「誰のせいでもない雨が」「永遠の嘘をついてくれ」などが、学生運動に関わりのある歌だと言われているようです。
http://nekosabu.blog.fc2.com/blog-entry-65.html


▲△▽▼


中島みゆき 「ローリング」2012-04-03
https://ameblo.jp/lupin-akane/entry-11211158342.html


工事ランプの凍る路地をたどって
探しあぐねた たむろできる場所を
昨夜騒いだ店は 客を忘れて
一見相手の洒落た挨拶を配る
Rollin' Age 淋しさを
Rollin' Age 他人に言うな
軽く軽く傷ついてゆけ
Rollin' Age 笑いながら
Rollin' Age 荒野にいる
僕は僕は荒野にいる


黒白フィルムは 燃えるスクラムの街
足並揃えた幻たちの場面
それを宝にするには あまり遅く生まれて
夢のなれの果てが転ぶのばかりが見えた
Rollin' Age 淋しさを
Rollin' Age 他人に言うな
軽く軽く傷ついてゆけ
Rollin' Age 笑いながら
Rollin' Age 荒野にいる
僕は僕は荒野にいる


9桁の数字を 組み替えて並べ直す
淋しさの数と同じ イタズラ電話
ボックスを叩く街の風が冷たい
どうしても1つだけ押せない組がある
Rollin' Age 淋しさを
Rollin' Age 他人に言うな
軽く軽く傷ついてゆけ
Rollin' Age 笑いながら
Rollin' Age 荒野にいる
僕は僕は 荒野にいる
僕は僕は 荒野にいる

70年代の匂いのする   男歌

なんといっても 歌い方が かっこいい

以下 勝手な イメージ

革命思想にかぶれ 上京し 都会の大学へ 

学生運動に身を投じたが 既に波は過ぎ去り

結局 革命などは 起こせるはずもなく

就職にも失敗

日々の労働で 食いつないでいるが

今のままでは 郷里に帰ることも叶わず

でもまだ 握りこぶしの中に 持っている 

もう 2年 もう 10年 忘れ捨てるまで・・・

 

そんな感じです

学生運動は 70年安保を境に その燃えるスクラムの波は 過ぎ去り 

一部過激な者達が アンダーグラウンドに潜り

72年 浅間山荘事件 連合赤軍事件を引き起こす

みゆきさんは当時 二十歳の女子大生 

音楽を通じ 北大の学生達と交流があったと聞く 

その中に まだ学生運動の 夢のかけら を追いかけて 

あぶな坂を転げ落ちていく エリート達を見ていたのかもしれない

 軽く軽く傷ついてゆけ

学生運動をしていた事で 採用試験に失敗 

本当はショックだったが 

エリートのプライドからの やせ我慢か

  笑いながら  荒野にいる
 
笑っているのは 自分の生き様に対し プライドからくる自嘲なのか 

 荒野は 望まない職場か 肉体労働かもしれない


みゆきさんの "歌" の根っ子の1つが 「哀しき父への鎮魂歌」ならば

もう1つの 根っ子は この  「Rollin' Age」  

転げ落ちていく 群像への レクイエムだろうか


「世情」 「誰のせいでもない雨が」 「君の昔を」などにも 
この 「Rollin' Age」 の影が見える 
 

 

中島みゆき 数ある曲のなかでも 常に人気上位の曲  

この曲に対する 思いや 解釈も 皆それぞれ と思います 
https://ameblo.jp/lupin-akane/entry-11211158342.html

12. 中川隆[-11669] koaQ7Jey 2019年3月06日 16:49:22 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[322] 報告


70年代過激派の醜い内ゲバを描いたキツネ狩りの歌

中島みゆき キツネ狩りの歌 動画
https://pv755.com/kitsune-kari-no-uta


中島みゆき は高校時代の彼氏が内ゲバで亡くなったことがトラウマだとか

▲△▽▼

2017年06月05日 中島みゆき 『生きていてもいいですか』 キツネ狩りの歌

 能天気なピッコロ・トランペットによって奏でられるファンファーレ。2.まで余韻として残っていた「うらみ・ます」の重い空気を吹き飛ばす、みゆき風大人のお伽話。でも、歌われている内容は皮肉めいた暗喩に満ちており、どこか奇妙な明暗を落とす。

 軽快なアルペジオによる爽やかな叙情派フォーク・サウンドは、このアルバムの流れでは躁病的に映る。なので、A面はノン・コンセプトの小品集なのだ。

 昔聴いた時は、単なる寓話として受け止めていたけど、後になって、様々な暗喩を含んだ解釈を知るようになった。

最終的な部分は結局、人それぞれになってしまうけど、大方の意見のように、
70年代過激派の醜い内ゲバを描いたというのが、俺的には納得の落としどころ。
http://oresuki.dreamlog.jp/archives/70903289.html

中島みゆきさんの「結婚」につながりそうな噂


現在は独身とのこと。結婚歴もなくずっと独身ですって。
なぜ結婚しなかったのでしょうね。

そういえば、松山千春さんと熱愛したんじゃなかったっけ?〔中略〕

某ギタリストの彼氏とホテルから朝帰りする写真を撮られたことあるし。

高校時代の彼氏が内ゲバで亡くなったことがトラウマだとか。

某プロデューサーと不倫関係で、同棲してるとか。

もっと深刻なのが、同〇愛〇だとか。
https://entertainment-topics.jp/43047

13. 中川隆[-11668] koaQ7Jey 2019年3月06日 17:04:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[323] 報告


ang********さん 2010/6/4 08:52:30

狐狩りの歌です。

曲名は忘れました。中島みゆきさんの物凄く古いアルバムで、狐狩りの歌の歌詞を知りたいです。

狐狩りにいくなら
なら●●●●●
ねぇ 狐狩りは素敵さ
ただ生きて戻れたら

●には何が入りますか?



i_a********さん 2010/6/5 15:26:32

♪きつねがりにいくなら〜
『ララ、きこえるょ〜』
♪きつねがりはすてきさ〜
ただ生きてもどれたら、ね

cs8********さん 2010/6/4 21:26:50

本当の歌詞を書くよ

「内ゲバのことも忘れず」

恋人を殺された中島みゆきの怒りが垣間見られる・・・と思っている。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1441756209

14. 中川隆[-11667] koaQ7Jey 2019年3月06日 17:10:06 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[324] 報告

えのき堂‏ @skoda130rs

中島みゆきの「キツネ狩りの歌」は革共同の内ゲバについて歌っていると言われているが、確かにこの歌詞はそういうものを想起させるものだと思う。

内ゲバ云々については昔、京大吉田寮のプレハブ部屋に住む中島みゆきファンの京大生から聞いたのだった。

10:18 - 2011年12月1日
https://twitter.com/skoda130rs/status/142306665130246144

15. 中川隆[-11666] koaQ7Jey 2019年3月06日 17:37:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[325] 報告
百理 ★5n9Jhh5DYh_dB9

みゆきさんは、最近聞いた事が無くて申し訳ありません。

大御所になるとバックの抱えている人数が違います・・

うぶな頃の曲しか興味が無くて申し訳ありません。

何でも初々しいままでいられないのでしょう・・

やはりデビュー仕立ては、魅力がありますが・・何年も経つと・・以下略・・

1年前 No.852 

雲龍 @steiner777 ★iPhone=hxAEwl8GlZ

「いつからそうではなくなったのか?」

これはハッキリとは中島みゆきに聞かなければ分かりませんが、アルバム的には「愛していると言ってくれ」からでしょう。

百理 ★5z6bVAmgS3_VuR

久しぶりにみゆきさんの新曲を聞きました・・やはり気迫が感じられません・・
デビューしてから数年の旬の歌がいいですね・・

雲龍 @steiner777 ★iPad=U7R3mnzrE6

もう還暦だからねえ。
しかし彼女とうとう結婚しなかったね。
http://mb2.jp/_swn/122_801.html#UPG

葉山 @kirin035 ★Android=gN3GKHk0Vr

中島みゆきの「世情」はファンでなくても大体知っているほど有名だ。

しかし、この曲の歌詞の意味する所は人によって解釈が違うようだ。

http://m.youtube.com/?hl=ja&gl=JP#/watch?v=O3ZODWsWCPM


「世の中はいつも変わっているから

頑固者だけが悲しい思いをする

変わらない物を何かに喩えて

そのたび崩れちゃそいつのせいにする」


(1)全共闘運動が背景に有る事は間違い無いから、「頑固者」とは機動隊を導入した教授の側だ、というのが最も単純な解釈だ。


(2)逆に、いや全共闘の側こそ頑固者の象徴として歌われているのだ、という解釈も成り立つ。


(3)三つ目は中島みゆき自身が頑固者なのだ、という解釈だ。


さて、皆さんはこの歌を聴いて頑固者を誰と見るだろうか?


僕はずっと(1)の解釈をして来たが、それではこの曲はあまりに薄っぺらな気がする。

(1)+(3)と考える事でこの曲のイロニーが浮かび上がる、と今では考えている。

4年前 No.709 

高知の片隅で ★LQZwOZniVZ_9G6

葉山さんこんにちは。

世情という曲の歌詞の"頑固者″についての解釈を自分なりにしてみました。

この曲があくまでも、中島みゆきの目線で書かれた歌詞ならば
"悲しい思いをする頑固者"とは、自身が学生時代、自分よりちょっと上の
学生運動に参加し主義主張をシュピレヒコールしていた先輩たちのことではないでしようか。

少なくても、権力側、体制側に立つ頑固者たちには
"悲しい"という形容詞は不似合のような気がします。

ただ、過激派と呼ばれ反社会的な破壊活動をした人物たちではなく
純粋に学生として大学の在り方に疑問を呈したり、この国の将来を憂いて
シュプレヒコールをしながら通り過ぎていった若者たちのことだと思いますが。

世情についてご本人は
「学生時代がちょうど学生運動の時期と重なってたんで
私よりもちょっと上の先輩たちがこのシュピレヒコールを上げてた
先輩たちだったんですよね。
〜中略〜
しょっちゅう耳にしてたので、ごく日常的な言葉で使っちゃったんですけどね」
と述べていますね。
https://www.youtube.com/watch?v=DDpGyIiVwlY#t=20

学生運動をリアルには知らない1961年生まれの、もしかしたら的外れかもしれない解釈です^^;


葉山 @kirin035 ★Android=gN3GKHk0Vr

高知の片隅でさん、どうも初めまして!

レスいただき大変嬉しいです。

今は時間が無いので、9時か10時頃にでもレスします。

4年前 No.711 


葉山 @kirin035 ★Android=gN3GKHk0Vr

高知の片隅でさん、

改めて初めまして。

今までもこのスレに何度もレスしていたんですね。

今後も拓郎への思い入れをぜひ語って下さい。

世情の解釈ですが、貴方の解釈も一理有ると思いました。

そこで僕の解釈は(1)+(2) +(3)に変わりました。(笑)

中島みゆきが当時の学生運動に対しどういう立ち位置を取っていたか?
それによって解釈は変わってくるでしょう。

僕の見方は、彼女はユーミンと同じで、一時は心情的に共鳴していたが積極的に参加はしなかった、 というものです。

そういう者達は活動家に対して屈折した感情を持っています。

つまり、大学当局=権力=悪、 全共闘=反権力=善、という様な単純な見方はしていない筈だと思います。

サビの部分で、シュプレヒコール を上げる側が「変わらない夢を流れに求め」

権力者の側は「時の流れを止めて変わらない夢を見たがる」と描かれています。

どちらも「変わらない夢を見ている」、この言葉が中島みゆきの立ち位置を示していると思います。


多くの学生がこういう立ち位置にいました。

学生運動側に共感したのは、やはりテレビや新聞で流されるベトナム戦争の映像が強烈だったからでしょう。

積極的に参加できなかったのは、 三派系全学連の暴力的スタイルや 古臭いマルクス主義の理論を支持できなかったからであり、また自 分の就職という現実を考えたからでしょう。

また、その学生運動の側もその後の凄惨な内ゲバやリンチ殺人を見ると、彼等自身も権力者と同じ精神構造を持っていた、とも思えま す。

この曲を作った時、既にそういう状況がハッキリしていました。

この事を考えた時、権力者側と学生運動側、どちらも頑固者で悲しい存在であり、またどちらの立場にも徹底できなかった自分も悲しい存在である。

そういう心情を歌ったのだと僕には思えます。

二番の「世の中はとても臆病な猫だから、たわいの無い嘘をいつもついている」

これなどはみゆき自身の事と考えるのが一番自然でしょう。

4年前 No.712 

高知の片隅で ★LQZwOZniVZ_9G6

葉山さん、こんばんわです。


>世情の解釈ですが、貴方の解釈も一理有ると思いました。

拙い解釈をお汲み取り下さりありがとうございます。
その作品を作ったご本人には申し訳ないかもしれませんが
楽曲は聴く側がその年齢や経験によりいろんな解釈ができる(許される)点が面白いと感じます。

>そこで僕の解釈は(1)+(2) +(3)に変わりました。(笑)

ほほぉ(笑)

>中島みゆきが当時の学生運動に対しどういう立ち位置を取っていたか?
>それによって解釈は変わってくるでしょう。

まさに、おっしゃる通りですね( ゚ー゚)( 。_。)ナットク


>僕の見方は、彼女はユーミンと同じで、一時は心情的に共鳴していたが積極的に参加はしなかった、 というものです。
>そういう者達は活動家に対して屈折した感情を持っています。
>つまり、大学当局=権力=悪、 全共闘=反権力=善、という様な単純な見方はしていない筈だと思います。

いつの時代にも、その世代の主流となる物事の見方があるにせよ皆が皆「右向け右」ではなかったはずですよね。
(表面的にはそれらしく振舞っていたとしても)

中島みゆきさんという人は、けしてみんなで手を取り合って主義主張を繰り広げるタイプの性格ではないように思います。

>サビの部分で、シュプレヒコール を上げる側が「変わらない夢を流れに求め」
>権力者の側は「時の流れを止めて変わらない夢を見たがる」と描かれています。
>どちらも「変わらない夢を見ている」、この言葉が中島みゆきの立ち位置を示していると思います。

サビの4連、みゆきさんがこの作品で表現したかった意図はここにあると思います。
なにせ、くどいと思えるほどリピートさせてるわけですから(笑)
戦うために通り過ぎてゆく人の群れをみゆきさんはどのような心境で見送っていたのでしょうね。

>権力者側と学生運動側、どちらも頑固者で悲しい存在であり、またどちらの立場にも徹底できなかった自分も悲しい存在である。

言葉のあやというか屁理屈かもしれませんが「悲しい存在」=「その存在が悲しい」と置き換えることが可能ならば
葉山さんがおっしゃるとおりだと私も思います。

4年前 No.713 

葉山 @kirin035 ★Android=gN3GKHk0Vr

高知の片隅でさん、

再レスありがとうございます。

まあ、彼女が実際はどういう目で見ていたか、いろんな噂も有りますが、本当の所は分からないので、いろんな解釈があって良いと思います。


ところで、ネットでこの歌の解釈を幾つか見たのですが、面白い解釈が有ったので紹介します。

この頑固者は新撰組など、佐幕派の事を歌ったもの、と解釈すると、学生運動よりもっとぴったり来る様な気がします。

シュプレヒコールを上げる側とは薩摩の軍勢の「宮さん、宮さん、お馬の前のちらちらするもの何じゃいな」と歌いながら江戸へ進軍する様子であり、

時の流れを止める夢を見る者が佐幕派、という事です。

もちろんコジツケですが、こちらの方が歌の最初の「世の中はいつも変わっているから、頑固者だけが悲しい思いをする」という一句がジワジワ来ます。(笑)

4年前 No.714 

葉山 @kirin035 ★Android=gN3GKHk0Vr

ついでに言うと、これは全くのデタラメという訳でもありません。

2・26事件を自分の思想的原点と考えた三島由紀夫と全共闘の学生たちが意外な共振現象を起こしていた事を考えると、それなりに深い意味が有るようにも思えます。

4年前 No.715 

葉山 @kirin035 ★Android=gN3GKHk0Vr

しつこい様ですが、また世情の話です。

上の動画に金八先生が出て来るのが不思議だったのですが、金八先生のラストシーンにあの曲が流れたんですね。

全く金八先生はトコトン偽善番組です。

中島みゆきを汚しやがって!

許せん!


葉山 @kirin035 ★Android=gN3GKHk0Vr

そもそも現代の教育荒廃の根本原因は教育が「様々な職業に人間を配分する」という差別・選別機能を持たされている点にある。

「熱血教師」が出て来て解決する様な甘ったれた話ではないのだ。

金八先生という番組の本質はその様に社会問題を矮小化し、核心を隠蔽する事にある。

学生運動を徹底的に矮小化して描いた三田誠宏の「僕って何?」が芥川賞を取ったのと同じカラクリがそこに有る。

4年前 No.717 

まこっち ★M0gPGdWDJy_M0e

学生の頃に流行った「時代」で中島みゆきの存在を知りました。

ヒット曲も多く、ファンでなくとも常にその存在感を意識させるアーティストです。

私も一定のイメージを持っていましたが、みゆきさんのラジオ番組のトークを初めて聞いた時にはぶっ飛びました。

何とハイテンションな人なんだろう!と。

女の情念を歌うみゆきさんとあのトークはどうしても結びつきませんでした。

そして、拓郎のおっかけをしていたという話には、二度ビックリ。

その後、みゆきさんがどんどんスーパースターへの道を歩み始め、拓郎も意識し始めたようです。

あまり他のアーティストを褒めない拓郎も、しっかりリスペクト。

そのクライマックスが、2006年のつま恋ライブだったと思います。

会場の大半は、拓郎(かぐや姫)のファンで占められたはずですが、天女のように舞い降りたみゆきさんを見たファンのどよめき・歓声は本当に凄かった。

幸い、最前列のブロックで見られた私も、あのオーラには圧倒されました。

みゆきさんは、いわゆる美人にはあたらないと思いますが、ステージで歌う彼女は、本当に美しかった。

私のように中島みゆきを意識する拓郎ファンは、結構多いのでは。

4年前 No.722 

葉山 @kirin035 ★Android=gN3GKHk0Vr

まこっちさん、初めまして。

妻恋をライブで見たんですね。羨ましい限りです。

僕はYouTubeでしか見てないのですが、みゆきが出て来て拓郎がどんな合わせ方をするのかな?と変な事に注目して見ました。

みゆきが歌う間の拓郎の伴奏、曰わく言い難しです。(笑)

特に張り切るでもなく、恥ずかしがるでもなく、普段と同じ様にギターを弾いているのですが、それでもみゆきに対する気持ちが手に取る様に分かりました。

拓郎はシブいですね。(笑)

みゆきが惚れるのも無理ないですね。
http://mb2.jp/_swn/122_701.html#UPG

16. 中川隆[-11665] koaQ7Jey 2019年3月06日 17:46:15 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[326] 報告

中島みゆき ホームにて 動画
https://pv755.com/homu-nite

▲△▽▼


心 人、 ★4P7XD2RRXb_Id2

今夜は前にも言いましたが、みゆきの『ホームにて』を語らせてもらいます。

この曲は彼女のサードアルバム【ありがとう】に収録されてますね。
他にも『店の名はライフ』とか『まつりばやし』とか自分の好きな曲が入ってるアルバムなんです。

この『ホームにて』はお登紀さんが唄っても合いそうな感じがするのですが、、、。
そのお登紀さんの初期の曲「帰りたい帰れない」をふと彷彿させることもありました。
望郷の想いを綴ってますが、その表現が、、、。


 >♪振り向けば 空色の汽車は
   今ドアが閉まりかけて
   灯りが灯る窓の中では帰り人が笑う。♪<


故郷へ帰れる人を羨んでいる。そう!お登紀さんの歌のように♪帰りた〜い帰れない、♪


本当は帰りたいけど、、、。帰れないのは何の事情かは説明がない。
人それぞれなのでしょう。


 >♪走り出せば間に合うだろう、かざり荷物をふり捨てて
  街に街に挨拶を、
  振り向けばドアは閉まる。♪<


駅のホームにはさまざまなドラマがある。旅行者が楽しそうに駅弁を食べ、はしゃいでる光景、
ご無沙汰親子が再会を喜んでいる光景、サラリーマンがキオスクで缶ビールを買い疲れた横顔を見せている。
ホームの影ではカップルがしばしの別れを惜しんで女性は泣いている男性は肩を抱き慰めている。
おそらく遠距離恋愛のカップルだろう。
そんなさまざまな人間たちの中で、ここにもひとつのドラマがある、


 >♪ふるさとは 走り続けたホームの果て 叩き続けた窓ガラスの果て
  そして手のひらの残るのは白い煙と乗車券♪<


帰りたいけど帰れないのは何故なのか?最初の歌詞では


 >♪ふるさとへ向かう最終に乗れる人は急ぎなさいと
  優しい優しい声の駅長が町仲に叫ぶ♪<


とある。だから時間的な物理的な理由ではない! 意地なのだろうか?


 >♪たそがれには彷徨う街に 心は今夜もホームに佇んでいる。
  ネオンライトでは燃やせない ふるさと行きの乗車券♪、


ネオンライト、かざり荷物 の表現がいいですね。
結局 しがらみ なのかな?


 >♪ふるさとは 走り続けたホームの果て 叩き続けた窓ガラスの果て
   そして 手のひらにに残るのは 白い煙と乗車券♪<


この歌は帰れる想いを立ち切って都会での暮らしにしがみつく気持ちを唄ってるのだと思います。


 >♪涙の数 ため息の数 濁って行く空色の切符
  ネオンライトでは燃やせない ふるさと行きの乗車券♪<

ネオンライトでは燃やせない ふるさと行きの乗車券、が何度も出て来ますね。
そして空色の汽車、空色の切符、
空色とは何の意味か?単なる汽車の色なのか、きっとふるさとの空のことだと思います。

ふるさと行きの乗車券をネオンライトでは燃やせないのは、ふるさとへの想いは都会の歓楽では立ちきれないのではないかな。
それだけ故郷への想いが強いことでしょう。

またこの歌は都会に骨を埋める覚悟は出来ていても家を捨てた筈でも故郷への思い入れまでは捨てきれない想いを
唄った歌だとも思います。


___

ミトラ ★1VBAC8U5ZM_1G6

心人さん「ホームにて」ですが、貴方の解釈はその通りだと思いますが、「エレーン」と同様に、また違った解釈もあり得るという事を書きたいと思います。

「ふるさと」は「世間並みの幸せ」を意味していると僕には聞こえました。
恋愛、結婚、温かい家庭、かわいい子供、要するに女性にとっての幸せです。

何故そう感じたかというと、次の句からです。

 「ふるさとは走り続けたホームの果て 叩き続けた窓ガラスの果て」

この一句には相当の激しい号泣、涙が枯れるほど泣き続けた過去を思わせます。

「私から去らないで!」と彼をどこまでも追いかけ、とうとう去った後の長い涙。「ひまわり」の最後の場面を思い出します。

そのつもりで聴いてみると「灯りともる窓の中では帰りびとが笑う」は「エレーン」の2番を連想します。幸せな人々の姿が不幸な自分にはあまりに痛すぎる。

「かざり荷物をふり捨てて走り出せば間に合うだろう」プライドをかなぐり捨てれば幸せにたどりつける。しかし躊躇している内にドアは閉まります。

「ネオンライトでは燃やせない ふるさと行きの乗車券」またも幸せを逃したみゆきは、都会のネオンライトに憂き身をやつします。

「涙の数 ため息の数 溜まってゆく 空色のキップ」青い空を見るたびに、今まで一体いくつの幸せを逃したのか、と涙とため息がでる。

僕にはこの歌は「エレーン」と同じモチーフを歌った歌に聞こえました。

6年前 No.449 

心 人、 ★4P7XD2RRXb_Id2

 ミトラさん、
 なるほど、みゆきの『ホームにて』をそう云う風に解釈されたのですか。
 ふるさと≠世間並みの幸せ≠ナすか、フムフムなるほど。

 そして、映画【ひまわり】のラストシーンを、、、、、、、、。随分奥深く捉えたんですネ。

 貴方って深い感性があるんですね。
 自分はやっぱりふるさとへの望郷への強い想いを唄ってるように聞こえます。

 望郷の歌としてもう少し話を進めますが、。

 メロディも緩やかでいいですねぇ、アコギのアルペジオでみゆきが淋しく唄いますが、
 ひとつのフレーズの後の余韻がたまらなく切なくて、、、。
 ここで唄われてるのはお分かりいただいてると思いますが、単なる一時的な里帰りではことではないですね。


   >♪灯りともる 窓の中では 帰り人が笑う、♪<


 笑顔でふるさとへ帰る人々は、、単なる里帰りかも知れないけど?そんな人々を羨んでる。

 都会で傷つき?疲れ果てている。
 もし、帰ってふるさとで暮らすとしても、きっと昔の友人たちや恋した人も違う世界で暮らしているのだろう。
 都会での人間関係も出来、しがらみも多い、


   >♪たそがれには彷徨う街に 心は今夜もホームにたたずんでいる。
     ネオンライトでは燃やせない ふるさと行きの乗車券♪<

 だからネオンライトではなかなか燃やせないように思います。

 たしかにミトラさんの仰るかざり荷物をふり捨てて走り出せば間に合うだろうプライドをかなぐり捨てれば幸せにたどりつける。しかし躊躇している内にドアは閉まります≠ナしょうネ。

 でもミトラさんの解釈のように聴けばまた違った歌にも聞こえて奥が深いですね 映画、小説と一緒で観た人読んだ人聴いた人の
 数だけドラマがあるものだと思います。
6年前 No.450 

心 人、 ★4P7XD2RRXb_Id2

 前 >>450 で書き忘れましたが、

 ふるさと行きの乗車券≠フふるさと行き≠雪≠ニ解釈した人もいるそうです。
  つまりふるさと雪の乗車券≠ニ

  みゆきは北海道出身ですからね、
http://mb2.jp/_swn/122_401.html#UPG

17. 中川隆[-11664] koaQ7Jey 2019年3月06日 19:30:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[327] 報告

中島みゆき あぶな坂 動画
https://pv755.com/abuna-saka


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故郷の考察 -中島みゆき『あぶな坂』より-1


先日、高村智恵子について書いた中で『逃避願望というか、回帰熱』という事を書きましたが、そのことについて友人から質問を受けましたので、ちょっと敷衍しつつ、雑文をば。

「回帰熱」という言葉は、中島みゆきがアルバムのタイトルに使っていますが、彼女の作品には故郷の喪失感というか、故郷に対する憧憬と諦念が同居しています。

それは最初のアルバムの、最初の作品である『あぶな坂』に、ハッキリと見えます。まずは、以下をジックリと読んでくださいませ。

『あぶな坂』 -アルバム【私の声が聞こえますか】より-

 あぶな坂を越えたところに
 あたしは 住んでいる
 坂を越えてくる人たちは
 みんな けがをしてくる
 橋をこわした おまえのせいと
 口をそろえて なじるけど
 遠いふるさとで 傷ついた言いわけに
 坂を落ちてくるのが ここからは見える
 
 今日もだれか 哀れな男が
 坂をころげ落ちる
 あたしは すぐ迎えにでかける
 花束を抱いて
 おまえがこんな やさしくすると
 いつまでたっても 帰れない
 遠いふるさとは おちぶれた男の名を
 呼んでなどいないのが ここからは見える

 今日も坂は だれかの痛みで
 紅く染まっている
 紅い花に魅かれて だれかが
 今日も ころげ落ちる
 おまえの服が あんまり紅い
 この目を くらませる
 遠いかなたから あたしの黒い喪服を
 目印にしてたのが ここからは見える


けっこう難解な内容で、ファンによっても解釈はいろいろあります。ただ、故郷への喪失感というキーワードを最初に頭に置いてみると、わりとすんなり理解できるんじゃないでしょうかね。自分の大好きな演歌や浪花節では、故郷というのは肯定される存在です。これは、アジア全体、漢字文化圏に共通の心情のような気がします。東洋のユダヤ人と言われる中国架橋にしても、最終的には故郷に帰る、故郷に錦を飾るというのを非常に重要視しています。

王貞治監督の父親である仕福さんも、そういった行動を取られていらっしゃいます(詳しくは鈴木洋史『百年目の帰郷』(小学館文庫)を一読いただけると、王貞治監督の背負ってしまった物の正体も含めて、非常に興味深く読めると思います)。千昌夫の歌とか典型的ですが、カルビーのカールのCMフレーズ「いいもんだぁなぁ ふるさとはぁ♪」なんかに代表される、故郷肯定の感情ですね。演歌や浪花節では、まず否定的には語られないですよね。

【2004.05.17 Monday 08:00】 author : 土岐正造

「生きていてもいいですか」の「キツネ狩り」がとても怖い歌ですよね
(歌詞だけでなく歌唱法?も)
| Doblogコメント移植 | 2009/05/31 12:01 AM |


アレも、解釈に幅のある歌ですよね。
一応、名曲『世情』と『誰のせいでもない雨が』と重ね合わせて、全共闘の挫折体験(内ゲバによる仲間殺し)という解釈も可能でしょうか。

しかし、ずいぶんと鋭いところを突いてきますね。
詞の怖さを指摘する人はまぁまぁいますが、歌唱法の怖さまで感じる人って、少数派じゃないでしょうか。突き抜けた、乾いた狂気が宿っている歌い方だとは、自分も漠然と感じてはいましたが。
[ motowota ] [2004/05/18 11:43] [ Myblog ] [ 削除 ]


全共闘シリーズ? は「はじめまして」の「僕たちの将来」でひと段落着いている気がしますね。
救いようのない絶望で一旦死に、「はじめまして」で転生すると。
以上、猪木の独り言でした(違います)。
[ 土岐正造 ] [2004/05/18 11:54] [ Myblog ] [ 削除 ]


「あぶな坂」知らなかったんで歌詞だけの印象ですがモロ男女モノで想像しました。
「ふるさと」を失くした男と「ふるさと」になれない女、みたいな。=都会、というのは「ほぉ」と。
故郷モノ(?)で谷山浩子の「ネコの森へは帰れない」を思い出しました。
ば、漠然としたヒトリガタリですいませんー
[ motowota ] [2004/05/18 16:37] [ Myblog ] [ 削除 ]

[ 土岐正造 ] [2004/05/21 10:57] [ Myblog ] [ 削除 ]
>>motowotaさん
そこら辺の、全共闘の挫折に対する中島みゆき論は、いつかまとめてやりたいですね。いやマジに。
イラクの3人組とか見ていますと、人間は相変わらず同じような失敗と過ちを繰り返しているようですしね。

時代は変われど人は変わらず……って自分の作品のキャッチコピーですな(苦笑)。
[ mutsumi ] [2004/05/20 00:36] [ Myblog ] [ 削除 ]

18. 中川隆[-11663] koaQ7Jey 2019年3月06日 19:45:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[328] 報告

故郷の考察 -中島みゆき『あぶな坂』より-2

「予言者、故郷に容(い)れられず」という言葉があります。新約聖書でイエスが故郷で「大工の息子が、なんだしゃんどえりゃあ偉そうなことぬかしおって、ちょうすいとりゃあせんきゃ?」と、拒絶されたことを言うのですが、これは孔子にしても故郷を亡命し、14年にも渡る流浪の生活を送ったわけですから、宗教家にしろ思想家にしろ芸術家にしろ、突出した自我と行動を起こそうという人間は、故郷にはじみづらいのでしょう。


さて、本題に戻って中島みゆきの『あぶな坂』です。

『あぶな坂』とは、いったい何のメタファー(隠喩)なのでしょうか? そして詞中の『あたし』とは? 勘の良い方は気づいてらっしゃるかもしれませんが、自分は

 あぶな坂=故郷と都会との境界線
 あたし=都会

のメタファーだと考えています。

 この詞で唄われているのは、1番の歌詞では明らかに「ふるさと→都会(あたし)」というルートをたどっています。

遠い故郷で傷つき、あぶな坂を越えてきています。そして、怪我をした理由を「橋をこわした おまえのせい」と非難し、なじっているわけです。

橋とはなんでしょうか? 

これも故郷と都会との境界線とも考えられますが、「あぶな坂=故郷と都会との境界線」というメタファーがすでに提示されているわけですから、もっと踏み込んで「故郷と自分の連続性」と、定義した方がよりイメージに近いのではないでしょうか。

都会の生活に疲れ、しかし自分を温かく迎えてくれるはずの故郷で拒絶され、精神的に傷ついた人間が、橋=故郷との連続性を壊した、あたし=都会を非難する、というメタファーだと解釈すると、かなりスッキリしませんか? 

ところが「あたし」の方から見ると、それは「言いわけに 坂を落ちてくるのが ここからは見える」訳です。

都会の否定。

それは、しばしば都会に住む田舎者の口から語られます。

人情がない、冷たい人間関係。しかし、都会とは本来そんなものです。
イヤ、人間関係が希薄だからこそ、都会は都会たり得るわけです。

濃密な田舎の人間関係というのは、そこにどっぷりつかっていると楽な部分が多々あります。少なくとも、老人が死んで白骨化するまでほっておかれるような悲しい事態は少ないでしょう(0ではない)。ただ、それは同様にプライベートが無くなるという部分と引き替えにあるわけです。


 「隣の家に勝手に上がり込んで冷蔵庫の中野ジュースを飲むような関係」だからこそ、借金で困っていれば相談にも乗るし、晩飯のお裾分けやら、独居老人の家にこまめに訪問するという良い部分も成立するわけです。

田舎の無神経さは濃厚な人間関係の裏返しであり、そういうプライベートを侵害される部分を我慢する、あるいは同化すれば、これほど住みやすい場所もないわけです。

もっと進めた考えると、故郷に錦を飾る、つまり一時帰国的な場合、故郷は温かく迎える(もちろん嫉妬や羨望も混じりながら)訳です。でも、故郷を捨てて都会に出て行った人間が、落ちぶれて帰ってきたら? 

「遠いふるさとは おちぶれた男の名を 呼んでなどいないのが ここからは見える」わけです。ここ、そう都会の側からは、田舎のそういった排他性が見えるわけです。そして、都会でプチな成功もささやかな幸せを見つけられなかった人間は、帰るべき故郷に帰れない理由を、傷ついた言い訳同様に「都会の優しさ」になすりつけるわけですな。

人は、都会のきらびやかさ=赤い花に惹かれて、故郷を捨てて旅立ちます。

まぁ、意外と都会はプチな成功やささやかな幸せを与えてもくれるのですが、そうでもなかったりします。田舎の窮屈さは田舎の良さと表裏一体であるように、都会の良さも悪さも、表裏一体であるわけです。

それは鮮やかな赤い服に見えながらも、プチな成功もささやかな幸せも見つけられなかった敗北者を弔う喪服でもあるわけです。


 自分の個人的な経験をひとつ。

昔、東京に住む従兄弟の奥さんが、田舎に住む旦那の義兄に、トレーナーを買ってプレゼントしてくれたことがありました。ところがそれは、当時はやっていたピンクのトレーナーだったのですが、ウチの田舎ではそれは着られない色な訳です。東京だとピンクだろうがラメだろうが、まぁ普通に着ていても言い訳ですが、田舎では漠然と、しかしハッキリと男が着るべき色というのが存在知るわけです。

これは色に限らず、東京ではモヒカンにしてようが鼻ピアスしていようが、駅の構内でディープキスしていようが、ほとんどの人は気にもとめない。でも、田舎ってのはこれらが全部不可な訳です。文化的に(笑)。田舎出身の人は、素直に首肯できるでしょうが。
http://bunzaemon.jugem.jp/?eid=1114


故郷の考察 -中島みゆき『あぶな坂』より-3

以前テレビで、東京のオカマバーの人が、故郷の名古屋に帰るという企画がありました。20年ぶりに帰る故郷。テレビカメラという存在の前で、ピンクのラメフクに色とりどりのマダラ模様に染めた長髪で、派手な化粧をした息子に対して、今にも泣きそうな引きつった顔で迎えていたお母さんが、印象的でした。お父さんは出演拒否してましたね、確か。

名古屋は巨大な田舎と良く揶揄されますが、同じように人口数万程度のウチの田舎でも、オカマとして生きること自体が許されないわけです。もっと言えば、田舎には浮浪者が存在し得ない。それは、環境的な貧富の差という部分もありますが、もしも自分の親類縁者友人知人が浮浪者になろうものなら、寄ってたかって助けてくれる、田舎の人情に寄るところが大きいでしょう。

 ただ、それは地縁血縁がもたらす温かさであって、よそ者に対しては「犬と芸人入るべからず」の立て看板を村境に置く、非常さとも表裏一体です。これは、田舎のルールに従わない人間に対しても、同様です。宗教家や思想家や芸術家のように(ついでにオカマも)、突出した自我を持ってしまった人間にとっては、田舎のそういった個人阻害ってのは大変息苦しい。

「東京は故郷なき人間の故郷」と言われます。前出のオカマさんも、東京に戻ってきて、やっと自分の居場所に戻ってきたようでホッとしたという意味のことを言っていました。都会の無関心、非人情というのは、実はだからこそ素晴らしいものであるという逆説でもあるわけです。そういう冷たさが、温かさでもあるという逆説。そこを突いているからこそ、中島みゆきの詞は詩たり得るのでしょう。

故郷とそこにいられない自分との相克という意味では、『異国』というこの曲が、代表的な作品でしょうか。『あぶな坂』に比較しても、わりとストレートな故郷の喪失感を描いているようです。凡百の解説なんかよりも、実際に読んで味わってもらうのが一番分かり易いのではないでしょうか。

中島みゆき 異国 動画
https://pv755.com/nakajima-miyuki-ikoku

『異国』 -アルバム【生きていてもいいですか】より-


 とめられながらも去る町ならば
 ふるさとと呼ばせてもくれるだろう
 ふりきることを尊びながら
 旅を誘うまつりが聞こえる

 二度と来るなと唾を吐く町
 私がそこで生きてたことさえ
 覚えもないねと町が云うなら
 臨終の際にもそこは異国だ

 百年してもあたしは死ねない
 あたしを埋める場所などないから
 百億粒の灰になってもあたし
 帰り仕度をしつづける

 悪口ひとつも自慢のように
 ふるさとの話はあたたかい
 忘れたふりを装いながらも
 靴をぬぐ場所があけてある ふるさと

 しがみつくにも足さえみせない
 うらみつくにも袖さえみせない
 泣かれるいわれもないと云うなら
 あの世も地獄もあたしには 異国だ

 町はあたしを死んでも呼ばない
 あたしはふるさとの話に入れない
 くにはどこかときかれるたびに
 まだありませんと うつむく

 いやぁ、重いっす。「まだありません」。人至る所青山ありとは言いますが、故郷は故郷に「なる」ものなのかもしれないなぁと、漠然と思ったりもします。ちょっと話しは外れますが、戦後の混乱期、多くの日本人女性が米兵について海を渡っていきました。英語がまったくの苦手で米がないと生きていけない自分などは、気持ちひとつでほとんど予備知識もなく環境も文化も違う世界に飛び込んでいった女性のたくましさに圧倒されます。

が、言語学の教授に「男は生まれた場所の方言とかボキャブラリーを生涯手放さないんだけど、女性の場合は適応力が高くって、婚礼先の方言やボキャブラリーに染まりやすいので、言語採集の時は気を付けないといけない」と言われて、そこら辺の男の弱さと女性の強さってのは、世界共通なのかな?とも思ったりします。

例えば、グレイシー柔術の祖である前田光世は、晩年は寝たきりになると日本語だけをしゃべって、日本語がわからないブラジル人の奥さんを困らせたそうですが、明治の時代に生き、若くして海外雄飛し、2000試合とも言われる格闘義戦を戦い、ブラジル移民事業に心血を注いだ前田光世にしてからが、最期は望郷の念にさいなまれていたというのは、同じ男としてその気持ちには非常に共感を覚えたりもします。

あぶな坂を転げ落ちてくるのは、男なのですから。
http://bunzaemon.jugem.jp/?eid=1118


故郷の考察 -中島みゆき『あぶな坂』より-4


続きまして、『エレーン』。中島みゆき自身の小説(なのか実話体験なのかは上手にぼかしてありますが)の中でも登場するエレーンは、異国の地で生きる娼婦という設定です。中島みゆきには『白鳥の歌が聞こえる』という名曲もありますが、こちらも娼婦をモチーフにしています。ですが年齢的な円熟もあるのでしょうが、こちらの方では「男を癒す存在」としての娼婦という側面が、より強くなっています。

そう言う意味では、初期の作品である『エレーン』の方が、より故郷の喪失感に比重が置かれています。歌い手としての自分(=中島みゆき)の存在と、居場所のなさをモチーフにした作品というのは、『流浪の歌』や『流星』などのように、繰り返し描かれています。

ただ、中島みゆきの「居場所のなさ」というのは、基本的に“自分で選択したい場所のなさ”という感じがします。

中島みゆき エレーン 動画
https://pv755.com/nakajima-miyuki-eren


『エレーン』 -アルバム【生きていてもいいですか】より-

 風にとけていったおまえが残していったものといえば
 おそらく誰も着そうにもない
 安い生地のドレスが鞄にひとつと

 みんなたぶん一晩で忘れたいと思うような悪い噂
 どこにもおまえを知っていたと
 口に出せない奴らが流す悪口

 みんなおまえを忘れて忘れようとして幾月流れて
 突然なにも知らぬ子供が
 ひき出しの裏からなにかをみつける

 それはおまえの生まれた国の金に替えたわずかなあぶく銭
 その時 口をきかぬおまえの淋しさが
 突然私にも聞こえる

 エレーン 生きていてもいいですかと誰も問いたい
 エレーン その答えを誰もが知ってるから 誰も問えない

 流れて来る噂はどれもみんな本当のことかもしれない
 おまえは たちの悪い女で
 死んでいって良かった奴かもしれない

 けれどどんな噂より
 けれどおまえのどんなつくり笑いより、私は
 笑わずにいられない淋しさだけは真実だったと思う

 今夜雨は冷たい
 行く先もなしにおまえがいつまでも
 灯りの暖かに点ったにぎやかな窓を
 ひとつずつ のぞいてる

 今夜雨は冷たい

 エレーン 生きていてもいいですかと誰も問いたい
 エレーン その答えを誰もが知ってるから誰も問えない
 エレーン 生きていてもいいですかと誰も問いたい
 エレーン その答えを誰もが知ってるから誰も問えない


『エレーン』の作品中では、観察者としてのポジションにあるせいか、そんなエレーンを見ていた『私』という存在に対する描写が希薄です。「笑わずにいられない淋しさだけは真実だったと思う」私って誰?って事ですね。まぁ、無難に中島みゆき自身というのが普通の解釈でしょうし、妥当だとは思います。ただ、自分からの問題提起として私を、[エレーンと同じように居場所なく、それでも村落共同体に同化せざるを得ない自我に苦悩を抱えている存在]とするのか、[おまえを忘れて忘れようとしていた人々の内の一人]とするかで、だいぶ解釈が違ってくるような気もします。


 例えば、小林信彦はエッセイの中で、夜中に寝ようとしてふと昔の屈辱(それも何十年も前の)を思い出し、眠れなくなって夜明けを迎えてしまうこともしばしばだと語っています。これは筒井康隆もそうで、疎開中に田舎の体力のあるガキどもにいぢめられたことを思い出すと、庭に飛び出して絶叫したくなる(そこまではやらないけど)と書いています。中島らもなど、口喧嘩で負けた何日も後に「あのときこう反論していれば、負けなかったのに!」と思うこともしばしば(その結果『口先の魔術師』という、古今東西の減らず口を集めた本を執筆してしまった)だそうです。

だいたいが、文筆を生業としてる人間ってのは、漫画家もそうですが、そういった内向性と昔のことをいつまでもグチグチグズグズと引きずる性癖を持っています。カラッとしていない。「ああすれば良かった、こうすれば良かった」という後ろ向きな態度が、逆に経験値として蓄積されるからこそ、それが作品の中に生かされるわけです。じゃあ、そういう後ろ向きで陰湿なタイプならば、作家に向いているかと言えば、そうだともいえます。

ただし、そこからもう一歩踏み込んで奥行きのある作品(売れる・売れないは別にして)を書くには、そういう自分が傷つけられた記憶だけに拘泥している人間ってのは、ダメだと自分の師匠に言われました。自分が傷つけられたのと同様に、例え自分にその意図はなくても、他人を傷つけてしまう自分というのに対する自覚と畏れがないヤツは、自己中心的でご都合主義的な作品しか書けないよ、と。
http://bunzaemon.jugem.jp/?eid=1115


故郷の考察 -中島みゆき『あぶな坂』より-5


まぁ、これが行きすぎると「生まれてきてすいません」って発想になってしまうのですが、自分が傷つけられた経験から、傷つけてしまう可能性にたいして思いを致すだけの客観性がないと、作品というのは主観の押しつけにしかならないような気がします。そういう意味で、エレーンを哀れむ「私」は、ではどこのポジションにいるのかに、思いを致すのもまた作品を多層的にしてくれるような気がします。

さて、最期に再び「自分の居場所」に対する中島みゆきの思いについて。突出する自我というのは、村落共同体のルールから飛び出してしまわずにはおかないエネルギーを内包しています。まぁ、これは男女の恋愛に関してもそうなんでしょうが。

 研ナオコに提供した初期の代表作『かもめはかもめ』では、そういった自分の生き方の肯定と、それに伴う痛みを引き受ける覚悟を、雄々しく歌い上げています。

中島みゆき かもめはかもめ 動画
https://pv755.com/kamome-wa-kamome


『かもめはかもめ』 -アルバム【お色直し】より-(2番を抜粋)

 あきらめました あなたのことは
 もう ゆくえも 知らない
 あなたがどこで 何をしても
 何ひとつ 私では 合わない

 かもめはかもめ 孔雀や鳩や
 ましてや 女には なれない
 あなたの望む 素直な女には
 最後まで なれない

 この海を 失くしてでも
 ほしい愛は あるけれど

 かもめはかもめ
 ひとりで海を ゆくのがお似合い

中島みゆきの作品の底に流れる、故郷の喪失感と憧憬と、それでも突出せざるを得ない自分の自我を引き受ける雄々しさ。ところで、かもめに仮託される自分って、いったいなんでしょうか? 昔はピンと来なかったのですが、かもめのメタファーを一番的確に表現されたのが、漫画家の大和和紀先生の『ヨコハマ物語』でした。

この中で、

 白鳥=帰るべき場所から離れられない女
 カモメ=港港を自由に渡っていく存在

と表現されてらっしゃいました。にゃるほど、そういう意味でカモメを居場所なき自分のメタファーとしていたのかと。自由に生きていくには痛さや悲しみが表裏一体であるという重さ、覚悟。二十代の初期の頃から、中島みゆきの姿勢は一貫していますね。

愛する男の望む色には染まれない自分。恋愛を唄っているようで実は、恋愛至上ではない不思議な世界。故に、中島みゆきの世界は奥が深いのかなと、ファンの勝手な解釈をしつつ、ようやく脱稿。
http://bunzaemon.jugem.jp/?eid=1116


もう一丁、中島みゆきの世界の補足

ついでに、故郷の生きづらさ、自我を抑圧して平均化してしまう共同体の悪意というかプレッシャーについて、名曲『ファイト!』では、このように表現されています。

出て行く以上、故郷を捨てていくというイメージ。そこには、共同体からの離脱を意味します。ウチの田舎のように、外に出て行かざるを得ない土地柄だったりしても、わりと地元のおばちゃん達は「すっかり東京の人になったねぇ」なんて嫌みを、平気で言ったりしますからね。

 一旗揚げて帰ってくる故郷と、室生犀星のように断ち切ってしまわなければならない故郷は、やはり別物であって、そこに根っこがあるかないかの差は大きいのではないでしょうかね。


『ファイト!』 -アルバム【予感】より-

 薄情もんが田舎の町にあと足で砂ばかけるって言われてさ
 出てくならおまえの身内も住めんようにしちゃるって言われてさ
 うっかり燃やしたことにしてやっぱり燃やせんかったこの切符
 あんたに送るけん持っとってよ 滲んだ文字 東京ゆき

 ファイト! 闘う君の唄を
 闘わない奴等が笑うだろう
 ファイト! 冷たい水の中を
 ふるえながらのぼってゆけ


自分の思想方面の師匠でもある呉智英夫子も嘆いていますが、「中島みゆき=演歌」という、安易で凡庸で薄っぺらなことを言う音楽評論家がままいます。ですが、その内容をつぶさに見れば、演歌や浪花節で唄われているような、そういう共同幻想(=故郷肯定)とは相容れないところに、中島みゆきは存在するのになぁ……と思います。彼女が唄っているのは、女の情念などという個人的な主観のみに依拠したモノではなく、存在に対する突出性であり、それを客観的に認識してしまった者だけが持つ痛みと、自我の相克なのに。

さらに、もう一つ。自分が大好きな『彼女の生き方』という作品も、紹介しておきます。唄われてる世界は、最低最悪な生き方。ただ、それを自分で選び取った力強さと、不自由を引き受ける強さを、この中に見ます。普通は、こうは生きられない。東京にあって「人情がある」と評価される下町は、実はプチ田舎。人間が生きていく以上、そうならざるを得ないのも事実ですが、そこには精神の不自由がつきまとう訳です。そこを見事に活写していますね。


 普通で、善良で、常識的なはずの下町のオカミさんが、やってしまう阿漕なマネ。それは、自己保身であったり既得権益の確保であったりするのでしょうが、主観的にはどこまでも普通で、善良で、常識的な人達は、己の醜さには気づかない。そういう事なんでしょうね


中島みゆき 彼女の生き方 動画
https://pv755.com/kanojo-no-ikikata

『彼女の生き方』 -アルバム【みんな去ってしまった】より-

 酒とくすりで 体はズタズタ
 忘れたいことが 多すぎる
 別れを告げて来た中にゃ
 いい奴だって 居たからね

 死んでいった男たち
 呼んでるような 気がする
 生きている奴らの
 言うことなんか 聞かないが

 彼女の人生 いつでも晴れ

 そうさあたしは タンポポの花
 風に吹かれて 飛んでゆく
 行きたい町へ 行きたい空へ
 落ちると思えば 飛び上がる
 
 浮気女と 呼ばれても
 嫌いな奴には 笑えない
 おかみさんたちよ あんたらの方が
 あこぎな真似を してるじゃないか

 彼女の人生 いつでも晴れ

 思い通りには 動かない
 世の中なんて 何もかも
 だけど あたしだって 世の中の
 思い通りなんか 動かない

 彼女の人生 いつでも晴れ

 ああ今日もまた 裏街は
 うわさ話の 花盛り
 浮気な風を追い払え
 裏切り者を 叩き出せ

 そうさあたしは タンポポの花
 風に吹かれて 飛んでゆく
 行きたい町へ 行きたい空へ
 落ちると思えば 飛びあがる
 
 彼女の人生 いつでも晴れ

やっぱり、深いわ。横並びを強要する共同体から自由であることの痛みは、喜びでもあるというこの雄々しさ。見習いたいモノですね。
http://bunzaemon.jugem.jp/?eid=1119

19. 中川隆[-11662] koaQ7Jey 2019年3月06日 20:06:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[329] 報告

474 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/08 20:18

あと中島みゆきがカクマルだったとか
松任谷由実の音音は琉球大学医学部のカクマルだったといはなしが
あるが本当でしょうか。

475 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/08 20:19

あと中島みゆきがカクマルだったとか
松任谷由実の弟は琉球大学医学部のカクマルだったといはなしが
あるが本当でしょうか。


476 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/08 20:24
>>475
中島みゆきは、いろんな説がある。
当時の彼が北大マルだったとか。

松任谷由実自身もマルだったという話もあるが、それはさすがにガセでしょう。
当時、彼女が通っていた多摩美はマルの拠点校ではあったが。数なんて、しれてる。

477 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/08 20:24

松任谷のほうは本当のようです。


478 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/08 20:26

    まつりばやし                   

肩にまつわる 夏の終わりの 風の中
まつりばやしが 今年も近づいてくる
丁度 去年の いま頃 二人で 二階の
窓にもたれて まつりばやしを見ていたね

けれど行列は 通り過ぎていったところで
後ろ姿しか 見えなくて 残念だった
あとで思えば あの時の 赤い山車は
私の すべてのまつりの後ろ姿だった

 もう 紅い花が 揺れても

今年よく似た 声をかき消す まつりの中
信じられない おまえの最後を知る
眠りはじめた おまえの窓の外
まうりばやしは 静かにあでやかに通り過ぎる

 もう 紅い花が 揺れても

人は誰でも まつりの終わりを知る
まつりばやしに 入れなくなる時を知る
眠りつづけるおまえよ 私のところへは
まつりばやしは 二度とは来ないような気がするよ

 もう 紅い花が 揺れても
 もう 紅い花が 揺れても
 もう 紅い花が 揺れても

479 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/08 20:29

坂本龍一や根津じんぱちが中核派だったということは本当だし
猪瀬もそうだし、中村敦夫参議院議員もそうだったときく。

カクマルも、舛添とか松任谷の弟もいたわけだから
松任谷由実が弟のオルグをうけて支持したことはあるでしょう。

だって、学生運動に挫折したような世代にもぞくしてるでしょ
あの人たち。

彼女のうたにもそれをかもしだす歌がありますからね。

480 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/08 20:31

      いちご白書をもう一度

 いつかきみと行った映画がまたくる
     授業を抜け出して二人で出かけた
     悲しい場面では涙ぐんでた
     素直な横顔が今も恋しい
     雨に破れかけた街角のポスターに
     過ぎ去った昔が鮮やかによみがえる
     君も見るだろうか、『いちご白書』を
     二人だけのメモリー どこかでもう一度

    僕は無精ひげと髪を伸ばして
     学生集会へも時々出かけた
     就職が決まって髪を切ってきた時
     もう若くないさと君に言い訳したね
     君も見るだろうか、『いちご白書』を
     二人だけのメモリー どこかでもう一度

481 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/08 20:32

中核にはそのほか、糸井重里や梨本茂もいたらしい。
新谷のり子は、中核の選挙を支持していましたね。

また、いちご白書をもう一度をつくった杉田らは
立命民青だしね。

482 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/08 20:39

いちご白書をもう一度をつくった杉田<???


483 : 名無しさん@3周年[sage] 投稿日:04/02/08 20:41

なしもとだけは嘘であってほすぃ


484 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/08 20:44

いちご白書をもう一度というアメリカの反戦運動
をモチーフにした映画が当時流行していました。

立命民青の杉田らが、それをふまえていちご白書をもう一度
をつくったわけです。
あと戦争をしらない子どもたちという歌も、彼等がつくりましたね。

485 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/08 20:44

梨本は、法政社会学部だけどチュンではないよ


486 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/08 20:45

杉田とばんばひろふみのバンドですよ。


487 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/08 20:45

荒井由美だよ<いちご白書

488 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/08 20:46

>戦争をしらない子どもたち

それのある意味アンチとして
パンダが「戦争しか知らない子供達」を作り、熱狂的な支持を受けていきます

489 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/08 20:50

梨本民青説をふいている人がいますが、それはうそです。

梨本は学生部を追求したことがあるらしく
学生部とはそりがあわなかったといっています。
当時法政大学は当局そのものが共産党色がつよく
学生部は共産党といえます。

法大生協が共産党だったために、学生会館には設置
できなかったらしいですね。

梨本が共産党であれば、共産党の学生部を追求するよりも、追求する
学生を排除する活動をいうはずです。

共産党民青は当時は今よりも相当セクト主義だったのですからね、

490 : 名無しさん@3周年[sage] 投稿日:04/02/08 20:50

ということは杉田と有田と穀田はつながっているのか
立命の3田か

491 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/08 20:53

荒井由実時代はおそらく、カクマルにカンパしていたとおもわれますね。

ところで琉球カクマルの松任谷由実の弟は足をあらったのでしょうか。

492 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/08 20:54

立命館民青全盛の時代ですね。

493 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/08 20:54

中島みゆきは、内ゲバの周辺にいたことは明らかだね。
「まつりばやし」は学生運動へのレクイエムだろうか


495 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/08 20:58
>>493
学生運動へのレクイエムでいえば「世情」でしょう

494 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/08 20:57

荒井由実には、カクマル臭は全く感じないが。


496 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/08 20:59

松任谷由実の初期を聴いても、
どう考えても
マルとは対極のセンス。w

497 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/08 21:00

パンタですか、懐かしい。

498 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/08 21:01

「まつりばやし」の方が表現が間接的な分、意味深長に読める。
「世情」は、一度はなれてから、客観視してる印象。

499 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/08 21:01

おそらく中島みゆきは北海道全学連共闘シンパだつたのでしょう。

また松任谷由実の弟は沖縄マル学同でしたね。

500 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/08 21:04

まだ現役なのだろうか、松任谷由実の弟は。

501 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/08 21:38

ちゃうちゃう。中島みゆきはノンポリ。全く関係ない。

502 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/08 22:04

北大の音楽サークルらしいから、当事者だったかどうかは知らないが、いろいろ見てるよ。


503 : 名無しさん@3周年[sage] 投稿日:04/02/08 22:05

地上の星ってまさか…

504 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/08 22:10

昔、「中島みゆきの弟が、革マルの(元)活動家で、その弟への『仕送り』的な意味で革マルのシンパである」という噂を耳にしたことがあります。

あ、あと松任谷由美は、学生時代革マルの活動家だった、とか。

『卒業写真』は、活動をやめたころの彼女の心境を歌っている、なんて言われてました。
真偽のほどは定かではありません。

505 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/08 22:22

ちゃうよ。

松任谷由実の弟は琉球大学医学部のカクマル派。
仕送りしていたのは松任谷由実。

中島みゆきのほうが、カクマル活動家だったらしい。

いちご白書が弟のことをおもったもので、
世情などがカクマル時代の中島みゆきをうたったものだと
いわれています。

504さんは意図的にすりかえていますね。

中島みゆきは北大ではありません。
ただ北大のサークル連合はカクマルが掌握し
シンパもいたといえます。

みゆきは全学連北海道共闘系だったということでしょうか。


507 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/08 22:33

実は、内ゲバのテーマソング?

 キツネ狩りの歌

キツネ狩りにゆくなら気をつけておゆきよ
キツネ狩りは素敵さただ生きて戻れたら
ねぇ空は晴れた風はおあつらえ
あとは君のその腕次第

もしも見事射とめたら
君は今夜の英雄
さあ走れ夢を走れ

キツネ狩りにゆくなら気をつけておゆきよ
キツネ狩りは素敵さただ生きて戻れたら、ね

キツネ狩りにゆくなら酒の仕度も忘れず
見事手柄たてたら乾杯もしたくなる
ねぇ空は晴れた風はおあつらえ
仲間たちとグラスあけたら

そいつの顔を見てみろ
妙に耳が長くないか
妙にひげは長くないか

キツネ狩りにゆくなら気をつけておゆきよ
グラスあげているのがキツネだったりするから
君と駆けた君の仲間は
君の弓で倒れてたりするから

キツネ狩りにゆくなら 気をつけておゆきよ
キツネ狩りは素敵さ ただ生きて戻れたら、ね

508 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/08 22:34

話題が松任谷の弟になったからですか、カクマルよ。

現役かどうかはしらんが転向していたとしたら、
いい資金源をうしなったわけですがね。

509 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/08 22:50

また、趣味者相手にカクマルですか。マル厨が涌きますので止めてください。


510 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/08 22:58

元カクマルの趣味者かな


511 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/09 01:04

マルがマルネタで面白がってもな。

つ・ま・ら・ん


512 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/09 01:09

コケマル趣味者か・・・
ほんと、つまらん。


515 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/09 09:49

あのね、中島みゆきは違うんですよ。(キッパリ)

516 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/09 09:56

もともと北海道には「中島みゆき=革マル(シンパ)説」なんてなかったんです。
今は、本州からその「説」が流れ込んできていますが。

北海道の、その年代のいろいろな潮流の活動家に聞いても「そんな説は知らん」
といいますよ。

北大は革マルがおさえていましたが、「北大祭」と言えばそんなことは関係なく
地元では大きなイベントなんです。そのイベントに、隣の大学(藤女子大)にいた
彼女が参加しても何の不思議もないのです。

517 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/09 11:08

黒白フィルムは 燃えるスクラムの街
足並揃えた幻たちの場面
それを宝にするには あまり遅く生まれて
夢のなれの果てが転ぶのばかりが見えた
Rollin' Age 淋しさを
Rollin' Age 他人に言うな
軽く軽く傷ついてゆけ
Rollin' Age 笑いながら
Rollin' Age 荒野にいる
僕は僕は荒野にいる

518 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/09 12:23

北大祭は革マルがやってんだろ。
動労とか総動員してさ。

早稲田祭のように動労を動員させて、記念集会みたいのやっていたわけだろ

519 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/09 12:35

北大農学部自治会て?
http://www.milkcafe.net/test/read.cgi/hokudai/1073889974/

北海道大学農学部自治会
http://www1.odn.ne.jp/~adu56780/index.html


520 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/09 12:49
>>518
農学祭だろ


521 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/09 13:04

いいえ北大祭じたいでしょう

522 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/09 19:01
  
転び上手の子守歌

誰のせいでもない雨が降っている しかたのない雨が降っている
黒い枝の先 ぽつりぽつり血のように りんごが自分の重さで落ちてゆく
誰のせいでもない夜が濡れている 眠らぬ子供が 責められる
そっと通る黒い飛行機があることも すでに赤子が馴れている
もう誰一人気にしてないよね
早く 月日すべての悲しみを癒せ 月日すべての悲しみを癒せ

怒りもて石を握った指先は 眠れる赤子をあやし抱き
怒りもて罪を穿った唇は 時の褥に愛を呼ぶ
されど 寒さに痛み呼ぶ片耳は されど 私の裏切りは
誰のせいでもない雨が降っている 日々の暮らしが降っている
もう誰一人気にしてないよね
早く 月日すべての悲しみを癒せ 月日すべての悲しみを癒せ

船は港を出る前に沈んだと 早すぎる伝令が火を止めにくる
私たちの船は 永く火の海を 沈みきれずに燃えている
きのう滝川と後藤が帰らなかったってね 今ごろ遠かろうね寒かろうね
誰かあたしのあの人を救けてよと 跣の女が雨に泣く
もう誰一人気にしてないよね
早く 月日すべての悲しみを癒せ 月日すべての悲しみを癒せ
早く 月日すべての悲しみを癒せ 月日すべての悲しみを癒せ

523 : 名無しさん@3周年[] 投稿日:04/02/11 02:49

くすはっ。
「北へ・・・」観たが、マルのマの字も出やしねぇ。
ちなみに舞台は北大な。

北大にマルはい・ら・ね・え。
失せろ、北大の恥。
http://fc2masaki.blog.fc2.com/blog-entry-42.html

20. 中川隆[-11661] koaQ7Jey 2019年3月06日 20:23:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[330] 報告

革労協スレッド31


186革命的名無しさん2017/10/28(土) 07:37:19.79
>>182
お前のようなモノには、革命も解放も永遠に理解できないだろうな。
関係無いけど、中島みゆきの歌を思い出したよ。

「闘う君のことを、闘わない奴がわらうだろ。冷たい雨の中を、、、」だったかな。


187革命的名無しさん2017/10/28(土) 12:33:46.54
>>186
解放派が、中島みゆきを賛美しちゃダメでしょ。
革マルなんじゃなかったの。


189革命的名無しさん2017/10/28(土) 17:17:26.00
>>187
おい、中島みゆきは本当に革マルなのか?
証拠は?

190革命的名無しさん2017/10/28(土) 17:21:11.93

ないが、趣味者界隈じゃ常識だろ。


192革命的名無しさん2017/10/28(土) 18:30:17.08

中島みゆきは革マルじゃないよ。
あんないい歌を創る人が革マルであるはずが、ないじゃないか。

194革命的名無しさん2017/10/28(土) 18:41:13.56

内田樹が元革マル  解る
中島みゆきが元革マル  嫌

195革命的名無しさん2017/10/28(土) 18:51:35.50>>204

いや、中島みゆきは元革マルだ!
なぜなら北海道出身だからだ!
北海道は革マルの牙城なので、
ゆえに中島みゆきも革マル派以外の何者でもない!ww

それにしても「世情」は、
いつ聞いてもいい曲だな!
党派や時代を超えて、
人々の胸を打ち続ける!


200 195 2017/10/28(土) 19:51:19.78>>202

今、YouTubeで「世情」を改めて聞いてみた!

「シュプレヒコールの波、通り過ぎて行く、
変わらない夢だけを、流れに求めて」

この部分は、
新左翼各派の人間が共通に抱く感情!


だが、しか〜〜〜〜し!
その後の…

「時の流れを止めて、変わらない夢を、
見たがる者たちと、戦うため〜〜♪」

なんじゃ、こりゃ!
新左翼各派と対峙してきた、
公安or革マルのことかいな?!(?_?;


202革命的名無しさん2017/10/28(土) 20:12:17.28
>>200
世情のその歌詞は、私も以前から疑問でした。みゆき本人にきかないと分かりませんね。
ところで、私が歌詞を間違って紹介したのはファイトのほうです。
別に屈折したエリート主義の歌じゃないですよ。
力弱き人たちが世の不条理と闘う、そのことへの応援歌ですよ。
革マルと正反対じゃないですか。

203革命的名無しさん2017/10/28(土) 20:22:39.99

ンダ、ンダ。解放派への応援歌だ。

204革命的名無しさん2017/10/29(日) 01:49:21.93
>>195
すげえな。それなら北海道出身者は全員革マルだな。
解放派にも拠点大学がいつくかあったが、
ではそこの学生はみんな解放派の活動家かシンパなのかといえば違うだろ。

と、ネタにマジレスしてみる。

205革命的名無しさん2017/10/29(日) 02:20:45.59
>>204
そうだよ!
あの松山千春も鈴木宗男←(ってこの字だったかな?!(-_-;))先生も、
隠れ革マル派シンパだよ!
ってなわけねうだろうが…(ノ`△´)ノ

ところで確か小樽水産大学←(でしたっけ?!)も、
かつては解放派の拠点大学とか書いてあったけど、
まあ、昔々大昔のことなんでしょうねえ!

2061952017/10/29(日) 04:47:03.55>>207

深夜に目が覚めてしまい暇だったので、
中島みゆきの「世情」の歌詞の解釈について、
いろいろとググってみた!


皆さん一様に、
「この歌は難解だ」「その歌詞に二重性がある」と感じているようだ!


中島みゆき 「世情」の歌詞の解釈
http://nvc.halsnet.com/jhattori/Spirits/NakajimaMiyukiSejyou.htm


中島みゆき「世情」の二重性
http://blog.goo.ne.jp/daslebenistschoen/e/d6ac2321fe3736b755a245c9c6d51d0c


「世情」という曲と、もののあはれ 山桜
http://blog.goo.ne.jp/tousui-00/e/4a7c2f53bdc9a4eb9a88fa23ee0fec36


【歌謡曲批評】中島みゆき「世情」
http://mantenbook.seesaa.net/article/229392150.html


でもやっぱり自分としては、
昔から趣味者界隈で流布されている←(自分の思いこみや記憶違いかもしれないが)、
「中島みゆきの世情は革マル派の応援歌」といった説が、
今のところは一番しっくりくるのだが…(-_-;)


207革命的名無しさん2017/10/29(日) 06:39:59.78
>>206
革マルを応援するモノなどいない。みゆきは、もちろん、誰も革マルなど応援しない。
革マルを応援するのは、革マル自身と国家権力、ヤツラノ反革命性を知っているファシストくらいのものだ。

208革命的名無しさん2017/10/29(日) 07:28:44.27

現実に戻ると(笑)。

「世情」は、「3年B組金八先生」の第2シリーズ(1980年10月〜1981年3月放映)の第23話の

「加藤優(直江喜一)」が不当に刑事に連行されるシーンのバックに流れた曲として有名らしい。

つまり、1981年に10代であった1960年代後半以降生まれの人たちにも、とても良く知られた曲らしい。彼ら彼女らは、「世情」に涙ぐむ。

209革命的名無しさん2017/10/29(日) 08:29:36.92>>210>>212

中島みゆき=革マル説の根拠は、せいぜい歌詞にある「ライフ」という店が革マルのたまり場だった
ということ以外は、聞いたことがない。

しかし、革マルって特定の店をたまり場にする習性があったっけ?

彼女が北海道にいたころは、革マル一色ではなく、旧三派いずれも北海道でそれなりに勢力を持っていた。

中核などは「北大戦争」と称して数十人の竹竿部隊をだだっ広い北大に投入して、丸一日構内を彷徨っても、遭遇せずに帰ったなどというのを数次にわたり実施した。
(このあたり、早稲田に登場して革マルを蹴散らした解放派とは違うな)

70年夏の例の一件以降、中核の学生部隊は北大などから一掃。されど、アゲハが71年の沖縄闘争に40〜50上京して、他の府県の高校生より多かったという話もあるから、それなりに残存していたらしい。

ブントも中央の日向対12.18の分裂に際し、独自の立場に立っち、「北海道戦旗」を名乗って活動。

解放派については、ここの住人の方が詳しいでしょ。
ようするに、いろんな人たちがいたんだから、革マルであると限らない。
 

ちなみに、清歌手で革マルなのは、松任谷由美。
100万もの金をカンパしたとか、三里塚闘争に賛同した長谷川きよしや山崎ハコを恫喝した話は有名。

松任谷と中島の作風を考えれば、中島が革マルであるという説は信用しがたい。


210革命的名無しさん2017/10/29(日) 09:08:32.92
>>209
中島みゆきが革マルでないことは、最早、明確になった。

しかし、ユーミンが革マルと云うのも、眉つばではないか?
プロレタリア統一戦線戦闘団の服務規律をまとめた書物の名称は「ルージュの伝言」だぜ。
ユーミンが革マルだと、非常にまずい。


212革命的名無しさん2017/10/29(日) 12:43:04.83
>>209

丁寧なコメントをいただきありがとうございます。
その頃までには北海道には さまざまな党派が現れていたのですね!

自分は

「たまたまみゆきさんが、革マル派の主催した集会か何かに、それとは知らずに呼ばれて歌ったところ、それ以来、革マルシンパの話が生まれた」

みたいなことを、かつてどこかで聞いたような覚えがあります!

ユーミンが革マル派だったのですか?!
いや、ほんと、このスレは、いろいろと勉強になります!
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/kyousan/1507656442/

21. 中川隆[-11660] koaQ7Jey 2019年3月06日 20:57:11 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[331] 報告

159 :Track No.774:2013/01/02(水) 08:45:06.11

「誰のせいでもない雨が」について思う所を聞かせてくれないか?

以下は私の意見。

黒い飛行機=在日米軍戦闘機
怒りもて石を握った指先、罪をうがった唇という歌詞から

歌の主人公はかつて日米安保条約に反対していたが
今は平穏な生活を送っている元活動家で
3番の歌詞は回想であり

私たちの船は計画を意味するのかも知れない
それを警察が知って実行前に乗り込まれた
早すぎるというのは誰かがその情報を教えたから

滝川と後藤は計画前に
仲間の元に帰らなくなり
燃える船の中にはいない
だから寒いだろうと

自分と泣いている女は
船の外の同じ場所に立っている

裏切りとは船に乗らずに普通の生活を選んだこと
もしくは仲間を警察に売ったことではないだろうか

674 :Track No.774:2014/02/10(月) 19:06:12.90

ひさしぶりにきたら
なんでも答えてくれる方がいらっしゃるようなので

「誰のせいでもない雨が」は何をあらわした曲なのか解釈をお聞かせください!


676 :Track No.774:2014/02/10(月) 20:54:25.98
>>674
 世情という曲があります。みゆきさんは自分がやっている曲は元々ロック
だと答えたそうです。体制や不条理に対する抵抗者である、そんな曲を作って
来たという意思表示かも知れません。

 雨が誰かのせいで降るわけじゃないのはあたりまえですが、雨が降ったり
夜が濡れたりするのは、自身の今が誰のせいだとも言えない、生きて行く上で
止むを得ない結果なのと同じだと感じているのです。

 しかし、その成り行きに忸怩たるものが有り、時が早く過ぎれば全ての憤り
を忘れる事が出来るかも知れない、そんな感情を「癒せ」という言葉で表して
いるのだと思います。


677 :Track No.774:2014/02/10(月) 20:55:01.74
>>674
「誰のせいでもない雨が」の歌詞はすべて比喩で表せていますね。

非常に難解な比喩で表されている一つ一つの比喩を説明していたら、ここでは解釈や説明が、出来ません。かなりのインテリでも無理です。

簡潔に解釈したいと思います。歌の主人公の心理状態、状況の説明から入っても解説が非常に難しい。
個人的で勝手な解釈ですが、学生運動などの活動家の心情が歌われているように感じます。

七五調の文学的表現を使っているが何のことか、一見分かりにくい。難しい、とりあえず勝手な解釈で
元活動家の過去を想い志半ばで挫折した己の現在の心情風景が垣間見れる。過去の回想。

哀れな己の姿を思い浮かべ早く忘れたい。すべて比喩語で描かれているので、最後に言えることは
「ファイト!」とは違う密かなエールを送っている。早く忘れろ、すべては終わったんだ 
終わったことは一刻も早く忘れろ 一刻も早く忘れろ 

早く月日のすべての悲しみを癒せ 月日のすべての悲しみを癒せ

早く月日のすべての悲しみを癒せ 月日のすべての悲しみを癒せ

726 :Track No.774:2014/02/13(木) 01:25:34.77
>>676 >>677
「誰のせいでもない雨が」について答えてくれた方、ありがとうございます。
でももうちょっと具体的に聞きたいです。

たとえば1、2番の歌詞は日常から過去を語っていますが、

3番「船は港を出る前に〜」からの歌詞がかなり緊迫した状態になりますが
これは日常自体が緊迫した状況へ変化したのでしょうか?

それとも過去の映像がフラッシュバックしてるような感じでしょうか?

738 :536:2014/02/13(木) 21:05:59.41
>>726
 私たちの船は永く火の海を沈みきれずに燃えている
が、前の文章を解く根拠となるでしょう。倒置法です。
怒りや憤りや後悔を引きずっているという感じです。

 つまり、伝令とは体制に抵抗する者たちに警告を与える存在です。
学生運動なんかやると碌な事はないぞ、人生の航海を始められず、
後悔する事になるという警告です。

 かつての同士である滝川と後藤の噂を悲しみながらも、彼らを裏切り
家庭を持ち安住している主人公は、やり切れない気持ちを癒せるのは
月日が過ぎる事以外にはないと考えている、そういう詩だと思います。
 

741 :人力飛行機:2014/02/14(金) 10:58:51.74  

「誰のせいでもない雨が」。

60-70年代ならば新左翼運動、90年代ならオウム真理教事件。のように、人間疎外を訴え、闘おうとし、でもそのなかで家族からも離れ、警察から追われ、就職もできず、社会の片隅で隠れるように生きていく人がいる。

彼らにも恋人がいたり、恋人は彼らを助けたいけどどうしようもないことがあったり。恋人との別れがあったり。かつて平和を訴え政治家を弾劾した唇はいつしか離れた恋人の名前を呼んでいる。

 ちょうど二年前だったか、オウムの菊池という女性逃亡犯が同棲していた
男性に説得されたか、出頭したような記憶が・・・。彼らも思想だけじゃなく
恋も生活もある、そこでいろんな想いはあるでしょうし、自分の人生を
思い返したりね。でももう引き返せない。殺人の容疑者や協力者になって。
いろんな想いがある。始まりは正義であり不正や差別や貧困の存在や、
真理の希求や、当然なものがある。そこから始まり、気がついたら遠い場所
で家族や友人からも離れ、逃げるように生きている自分がいる・・・。

 それが誰のせいでって自問しても答えはない。

 そういう心の風景が浮かぶんですけどね。僕とかあの歌の心の風景が
浮かんでくる。周りに左翼もいたし、新宗教の人もいたし、オウム教団の本
も読んでます。そういう人たちの姿が浮かんできます。

 中島みゆきは大学時代にやはり内ゲバで恋人が死んだ女性と関わりが
あり、その女性は歌も歌ってて、中島がプロになったあとに家にまねかれ
たことを『女歌』(ふたつのうちのどっちか)に書いてます。

彼女は家庭をもち、幸せそうだった、とか。

751 :Track No.774:2014/02/14(金) 22:01:18.13
>>738>>741
よくわからないんですが
つまり「誰のせいでもない雨が」の3番は1、2番以前の回想という意見ですか?

752 :Track No.774:2014/02/15(土) 12:08:14.01
>>751
 >>738です。>>741さんの解釈はかなり過激で僕の意見とは少し違います。(笑)
決してオウムを容認するような詩ではなく、学生運動、政治活動の主な対象は
日米安保だと特定していいと思います。黒い飛行機がそれを示しています。

 一番から三番まで同じ時間の思いです。伝令があったのは過去です。デモを
止めるように拡声器で警告した警察とか、大学教授などの大人たちからの将来
に関する注意です。

 その過去と今日までの自分の生活を、船の航海(想念)によって喩えているんです。
滝川と後藤は昨日捕まった、或いは死傷したので、回想ではありません。


779 :Track No.774:2014/02/17(月) 23:09:28.44
>>752
「私たちの船」というのは日米安保に対する思いみたいなもの?で
それは過去から現在まで「燃えている」ということですか?

滝川と後藤は現在における昨日まで活動家をしていた
つまり主人公は子供が生まれて活動家を止めたけど
そんなに時間はたっていなくて、仲間との連絡も取り続けていたってことですか?


781 :Track No.774:2014/02/18(火) 18:37:04.29
>>779
 >>752です。そうです。炎は赤いので、或いは赤軍派だとか共産党を
示す象徴かも知れません。

 そうです。滝川と後藤は同志でしょう。連絡はどうかわかりません。
別の同志から噂を聞いたんです。


928 :Track No.774:2014/03/02(日) 15:04:08.05

>>676 >>738 >>781が僕のレスです。

 伝令は命令を伝えるだから、「沈んだと」が指すのは私たちとは別のグループでしょう。
当局、警察、大学などからの私たち(の活動)への警告や命令です。
 しかし、火は消えず、沈みきれずに燃えているのだから、仲間からの連絡や
グループ自体は存続していて、潜伏しているというところでしょうか。
 滝川と後藤は過去ではなく、現在のきのう帰らなかったんだと思います。
それで、女は(誰のせいでもない)雨の中で泣いているんです。

 船に乗り続けているんだと思います。


935 :Track No.774:2014/03/02(日) 18:54:54.78
>>928
沈んだ船と沈みきれずに燃えている船は別の船という解釈ですか。
たしかにその可能性もあるかもしれませんね。

私は「さむかろうね」という言葉と「燃えている船」は対照的だと感じました。
だから滝川と後藤は船から降りた者だと考えました。
一般的にはやはり滝川と後藤は船に乗っていて
女はどちらかの恋人という解釈なんですかね。

https://awabi.5ch.net/test/read.cgi/mjsaloon/1355029610/

22. 中川隆[-11659] koaQ7Jey 2019年3月06日 21:02:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[332] 報告


中島みゆき 誰のせいでもない雨が 動画
https://pv755.com/dare-no-seide-mo-nai-ame-ga

中島みゆき「世情」(1978年4月10日)
https://pv755.com/sejo
https://www.nicovideo.jp/watch/sm27227751


▲△▽▼


2010年11月17日
民主党、隠れ革マル派の見分け方・・・中島みゆきだった!


 中島みゆきが、警視庁の「革マル派シンパ」リストに名前があがっていることを知っているのは、限られた人だけだった。

 ほぼ同年代で、中島みゆきと同じ北海道出身のボスによると、

「ま、北海道は革マル派の牙城というか、学生運動=革マル派という時代があったから、その手の集会に顔をだしたら、革マル派シンパと認定される可能性があった。高校の後輩が、道警に就職したが、こいつも革マル派シンパか?と査問されたことがある。つまり、北海道では日教組、ロシアのスパイの次ぐらいに前職、元職をいれて革マル派が多い」

 と、のんきなことをいっている。
 こんなことだから、北海道はロシアの植民地にされかねないのだ。

 さて、民主党に革マル派が浸透しているという話だ。
 平沢勝栄先生が国会で追及したJR総連出身の参院議員のことだけをいっているのでない。秘書なのだ。民主党国会議員の秘書に革マル派が増殖中。
 どれくらい増殖中かというと、゜「自民党に浸透した統一教会・勝共連合出身の秘書にせまる勢い」(公安調査庁の担当者)
 という。

参考:JR総連・「松崎明」の運転手兼ボディガードでしられる「田城郁」 民主党から参院比例は難航・・・

 ところで問題は、
 以下の中島みゆきの「世情」である。

「シュプレヒコールの波・・」で有名になって、「革マル派のテーマソング」といわれていた時期がある。

 市民団体主催の反戦運動や集会で、この曲がでたら、「革マル派主催」といわれたものらしい。
http://officematsunaga.livedoor.biz/archives/51115354.html

23. 中川隆[-11658] koaQ7Jey 2019年3月06日 21:18:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[333] 報告

中島みゆきの噂

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/07(土) 20:30

ある?


2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/07(土) 20:47

視力が0.1にも満たないらしい。

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/07(土) 20:51

下北に住んでるらしい。

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/07(土) 20:57

昔、高校時代の写真が某音楽雑誌に載ってたけど、
お下げ髪にセーラー服姿だった。

>>2にも書いてあったけど、とても近眼で、牛乳瓶の底みたいな
レンズの眼鏡を掛ける事があるけど、本人はけっこう気にしてるみたい。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/07(土) 21:07

男関係は?大昔、松山千春と噂あったよね。

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/08(日) 00:30

どだ?

7 :奈々氏:2001/07/08(日) 08:11

結局結婚しないのかな?あの人。

ちーさまとの噂はなんかの本で見たな。

ちー様 ヲレ達結婚するらしいな(藁
みー  あっはっは!らしいね(大藁

こんな感じの。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/08(日) 08:36

夜曲の「街になーがれーるー歌をーきいーたーらーきづいてー」
って誰に向けて歌ってるのかな?当時好きだったひと?

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/08(日) 11:19

ずっと不倫してたよね。どうなったんだろ。

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/08(日) 11:27


誰とですか?

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/08(日) 20:48

いい年こいてニンジンが嫌いだそうな。

いっぺん椅子に縛り付けて無理矢理喰わせてみたい。
歌姫のプライドを引き裂く恥辱プレイだね。(w

12 :名無しさん:2001/07/08(日) 22:23

人参じゃなくて
セロリなんじゃなかった?

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/08(日) 22:40

カップラーメンが好きなんだよね。

14 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/08(日) 22:40

>>12
両方嫌い。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/08(日) 23:20

ユーミンよりは美人だね

16 :大人の名無しさん:2001/07/09(月) 01:15

みゆきさんが一方的に
千春のこと好きだったみたい
千春は勘弁してよ〜って感じでした。
この間テレビで千春本人が暴露してました。

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 01:28

>>16
そうだったの?じゃああいつに向けて書いた曲もあるんだろうね。
昔は髪ふさふさで結構かっこ良かったもんね。>松山

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/09(月) 01:41

>>16
結婚すればビックカップルだったのに、惜しいね。

19 :ななし:2001/07/09(月) 02:30

》10  「36.5゜」あたりから、いっときプロデューサーをやった、椎名和夫さんでしょ。         当時、『エンマ』っていう写真誌にすっぱぬかれて、結局おわったみたいよ。 プロデューサーが今の瀬尾さんに変わったのも、そのせいと思われ。

20 :名無しさん:2001/07/10(火) 22:29

瀬尾師匠から新しいプロデューサーに
替わるにはマスコミに
すっぱぬかれなきゃ無理かな?(藁

21 :名無しです:2001/07/10(火) 22:50

でもその瀬尾師匠と組んでもう10年以上…
今更すっぱ抜くも何も業界では「暗黙の。。。」
ってやつでしょう。
現時点では瀬尾師匠も独身なわけだし。

22 :禁断の名無しさん:2001/07/11(水) 05:12

>>21
やっぱそうなんだろうね…。
瀬尾師匠って独身だったんだ〜。意外。
中島さんが原因でわかれたの??

23 :名無しさん:2001/07/11(水) 12:25

そいじゃぁプロデューサーが
替わるのって・・・
大分先になるのかな?

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 14:19

あれ?千春だったっけ?
「うらみます」は当時いい仲だった山下達郎にあてて書いた歌だと
いとこに聞いたことがある。

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 14:24

心の病で通院してるところを見たという書き込みを2chで見たことがある。
この人は「躁鬱病」を演じてるだけの人だと思ってたんだけど、その書き込みがホントなら
本物の躁鬱病ってことになるな。作風の背景にもそれがあると思われ。

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 14:26

松山の言うことを鵜呑みにしてはいけません。
その証拠に、みゆき嬢はあれ以来、松山のまの字も言いません。
その反対に、松山は、ことあるごとにみゆきの話題を出します。
TVやコンサートetc
松山のコンサート言ってみ、絶対1回はみゆき嬢の話をします。
松山未練たらたら。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 14:30

そうだね。「俺は気がなかった」っていうのは照れ隠しだろうね。

28 :名無しです:2001/07/11(水) 15:04

>>22
みゆきさんが原因で離婚したと言う噂も
聞いたことはあるけど、私自身もよく知らないです。
でも瀬尾師匠が独身なのは、5〜6年前に
親友である拓郎のラジオにゲストで出た時、
拓郎が言ってたから確かなはず。
(確かハワイの話題の時、「僕も瀬尾ちゃんもよく
行くんだよ。僕の場合は家族と、まぁ瀬尾ちゃんの場合
は一人だけど…」と言ってた)

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 15:21

元革マル

30 :名無しさん@お腹いっぱい:2001/07/11(水) 22:01

瀬尾師匠と…とか思うと、『妹じゃあるまいし』のはもりが、なんだかラブラブって感じに聞こえてきたわ。
そういう曲じゃないのに…。
ファンの間では有名なお話だったのね。

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 22:39

>元革マル?ほんとですか?
みゆきが10数回堕胎したという話は聞いたことある。
子供が産めない体らしいね。小説にも書いていたけど

32 :名無しさん:2001/07/11(水) 22:43

>>31
その小説って「寒雀」のこと?
みゆきさん、産婦人科医の娘なのに
本当に堕胎したことあんのかなぁ・・・?

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 22:57

>そうです。寒雀ですね。
それからエッセイでも、書いてますよ。
子供を持ってる友達と対比して
自分ことをWITHOUT BABYと言って、子供が作れない
女としての人生感を語っていました。
まだ30代の頃の話で結婚願望の強い人なのに
かわいそうですよね

34 :名無しさん@お腹いっぱい:2001/07/11(水) 23:06

旦那が英国人の女友達だったっけ?

子供が作れないじゃなくて
子供が居たら仕事や恋愛に差し障るから
作ろうとはしなかったと思ってたよ。

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 23:25

そうです。旦那が英国人の友達のこと。
しかしあなたも相当のみゆきファンですね。
私も自他共に認めるみゆきファンですけどね。
彼女のCDも本のできる限り集めてますよ。
理想の女性ですからね。
今好きな女もみゆきにそっくりですがね。顔が。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 23:46

すごいねここ。
あることないこと・・・
あぁ、噂板だからいいのね。
でも、小説と現実を一緒くたにする人っていったい・・・(それもうろ覚えの)
(歌と現実を一緒にする人と同類?)

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/11(水) 23:53

ごちゃごちゃうるせいな。
私は、みゆきのことは、だいたいわかってるんだよ。
行間を読めということだな

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 00:03

あぁ、ごめんね。
ネタだったのね。それは、失礼しました。
でも、小説をネタ元にするのは、噂じゃなくって、妄想でしょ?

39 :ななし:2001/07/12(木) 01:00

》37  おいおい(藁 それだけ強気の発言をする程のみゆきオタなら、かって某対談で「わたしの中に『私小説』なんて言葉は無い」と言ってた事を、まさか!?知らない訳じゃ、ないだろに。(藁藁

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 01:18

いずれにせよ、貞操観念は堅そうだね。
よって、ロストヴァージンも遅そう。

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 01:26

新曽根崎心中とか聴いてると、年下の男を調教するのが上手そう。
あの歌もなんか筆下ろしを連想させる。(w

42 :名無しさん@お腹いっぱい:2001/07/12(木) 06:23

噂じゃなくて妄想じゃん・・・。

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 06:29

>>42 文句いうならネタだせやゴルァ

44 :禁断の名無しさん:2001/07/12(木) 11:24

憶測でも妄想でも何でも良い
面白ければ許す。

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/12(木) 20:09

>
37  おいおい(藁 それだけ強気の発言をする程のみゆきオタなら、かって某対談で「わたしの中に『私小説』なんて言葉は無
い」と言ってた事を、まさか!?知らない訳じゃ、ないだろに。(藁藁

もちろん知ってるよ。その対談。私の歌は、すべて自分の体験ですと言ったのを
私小説と書かれたという話だったよ。つまり私小説ととらえてもらって
結構だという事だ

46 :名無しさん@お腹いっぱい:2001/07/12(木) 20:14

某サイトで話題になった
さ○○○雨 って
囁く雨だったんだね。

47 :ななし:2001/07/13(金) 01:35

》45     だめだコリャ(藁  いいから、もういっぺん過去のインタビュー記事を読み返しに逝っといで。      あの対談の後からも、もう何べんも「いちいち歌の数ぶんの経験なんて実際にしてたら、とても身がもたないわよね(笑)」という趣旨の事を言ってるだろが!

勝手な思い込みはヤメマショネ(藁

48 :36=38:2001/07/13(金) 03:02

>>44 面白ければな。
つまり、ネタ作るんならもっと上手くすれってこっちゃ。
ちなみに、42とは、別人だからな。

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 06:47

お前こそ、もう一回あのインタビューを読めよ。
俺は、ちゃんと確かめて書いてるよ。

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 08:01

この人のオナニー観って聞いてみたいね。
かなり身近なテーマと思われるのに、
そういうようなことしゃべった記憶なし。

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 12:51

オナニー観って・・・(w
誰か、ほかにそんな観しゃべっている人いるのか?

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 18:03

>>51 江角マキコ

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/13(金) 18:23

ひとり上手はオナニーの歌なの?

54 :ななし:2001/07/14(土) 00:28

》49  なにを確かめたんだか。(藁

本人が聞いたら、のたうち回りそーだ。(大藁

ついでになんだが、アナタに『おまえ』呼ばわりされるすじあいは、無いと思うが?

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/14(土) 01:11

>>51
江角マキコか・・・。何て言ってんだ?
でも、個人的には、みゆきと江角マキコを一緒にして欲しくなかったりして・・・。

56 :革マルみゆき:2001/07/14(土) 08:32

みゆきが卒業した大学を含め
北海道の大学は北大中心に革マル派が牛耳ってたらしいね。

革マル:日本革命的共産主義者同盟全国委員会革命的マルクス主義派
中核派:日本革命的共産主義者同盟全国委員会マルクス主義学生同盟中核派

もともと同じ母体らしい。

57 :名無しさん@お腹いっぱい:2001/07/14(土) 19:49

>>56

お前さん、ひょっとして
懐柔吐かせなんかじゃないよね!?

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/14(土) 19:53

柳美里は中島みゆきの大ファソ。小説はみゆきの歌そのまま逝ってるな。

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/14(土) 21:54

本名は中島美雪。医者の娘で藤女子大・・・。典型的お嬢ですな。

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/14(土) 22:47

お嬢だったのね。

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/15(日) 02:52

お嬢だよ。
おじいさんは、北海道でも名士。
中島公園は、そのおじいさんの名前を取って名付けられた。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/15(日) 02:57

この人って結婚してるのですか?

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/15(日) 03:04

天理教

64 : :2001/07/15(日) 03:52

age

65 :名無しさん@お腹いっぱい:2001/07/15(日) 08:53

みゆきさんは結婚はしてないよ。

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/16(月) 22:56

革マルってのは、本当か?
北大軽音に出入りしていたのは、本当だが

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/16(月) 22:58

振られる歌ばかり歌うのでブス扱いされるが、
よく見ると美人ですよね。そそる顔と体をしている。
もてる歌を歌いたがるユーミンの100倍は美人だ。
育ちの良さも感じるし。

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/16(月) 23:06

学生の頃、バイト先の同僚のオバチャンに聞いた話。
オバチャンが学生の頃、北大近くのアパートに住んでたらしいんだが、
隣が中島みゆきの彼氏の家だったらしい。
相当の修羅場があったらしく、ドアをガンガン叩いて暴れたりとか、
廊下で寝てたりとか、すごいことになってたらしい。
さすがあんな歌詞書く人よね〜と
しみじみ語っておりました、オバチャン。

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/16(月) 23:13

>>68 それすごい。デビュー前のことか。

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/16(月) 23:19

>68
ほんとすごい。
情が深そうな顔しているものね。

71 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2001/07/16(月) 23:39

中島みゆきに惚れられたら、地獄の果てまで追いかけてくると思われ。
ある意味スッポン。(w

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/16(月) 23:56

今の気分的にはそれもいいかもとか思っちゃうぜー。
なんか誰かにめちゃくちゃ愛されたい。愛したいって感じなのさ。最近(w

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/17(火) 00:04

『 愛していると云ってくれ 』ってやつ?

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/17(火) 00:08

しかし、情念は諸刃の剣だからね・・・
「愛したい」って叫ぶ人は、結局は自分が好きなだけかも。

75 :68:2001/07/17(火) 00:20

私は中島みゆきさんをそんなに存じてないのでわからないのですが、
当時彼女は藤女子大の学生だったと思われます。
なので、もしかするとデビュー前でしょうか?

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/17(火) 18:26

デビューは、卒後だが、大学時代からアマで活動してたよ

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2001/07/18(水) 19:49

68さん。中島の彼氏は、北大生のはずだが、そのおばさんも
北大生なの?

78 :68:2001/07/19(木) 22:55

>>77
いや、そこまでは知りません。
68で書いてるように、北大近くのアパートで、中島みゆきの彼氏の
隣の部屋に住んでたって話だけですから。
でも、年齢的なことを考えると、大学生とか短大生だったとおもいますよ、
おばさんも。

79 :名無し愛もーど:2001/07/24(火) 16:13

椎名和夫氏以前のブロデューサーで仲良かった人っていたの?

80 :名無しさん:2001/07/25(水) 10:05

プロデュ−サー でっすよん。
http://mimizun.com/log/2ch/uwasa/994505456/#22

24. 中川隆[-11657] koaQ7Jey 2019年3月06日 21:48:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[334] 報告

永遠の嘘をついてくれ - 吉田 拓郎 & 中島みゆき - 動画 Dailymotion
https://www.dailymotion.com/video/x5anmkm

中島みゆき 永遠の嘘をついてくれ 動画
https://pv755.com/eiennousowotsuitekure



▲△▽▼


中島みゆきが吉田拓郎に提供した楽曲「永遠の嘘をついてくれ」は一説によると、夢破れた全共闘世代の胸の内を表現した歌とされています。

彼らの夢は日本の「赤化」、つまり「共産革命」であり、それこそが人民にとっての理想だったのでしょう。

しかし、共産主義の実態はそんな甘っちろいものではなく、
コミュニストの本家ソ連はもろくも崩壊してしまった。

彼らが青春を費やした革命ごっこは「永遠の嘘」だったというわけです。

吉田拓郎は反体制シンガーとして彼らの象徴的存在にまつり上げられましたが、のちに彼自身が「そんなつもりはなかった」と吐露しています。流行歌の歌手などに成り下がってほしくない、そして「嘘」に踊らされた自分たちを認めたくない全共闘世代は「拓郎よ、種明かしなんかするな。永遠に嘘をつき続けてくれ」とエールを送っているのです。

彼らは「嘘」と知りつつ、信じ続けることしかできないのでしょう。自己否定なんかしたくないから。

歌詞の一節にこうあります。

「たとえ繰り返し何故と尋ねても 振り払え風のように鮮やかに
人は皆望む答えだけを 聞けるまで尋ね続けてしまうものだから」


「望む答え」とは何でしょう?

自分たちがヘルメットをかぶり、ゲバ棒を振るったのは
決して間違いではなかった―という「答え」なのでしょうか。
それに対するポスト全共闘世代の当方の「答え」はこうです。

「いつまでも甘ったれてんじゃねぇ!!」

エコノミックアニマルと蔑まれても日本国家再建と豊かな生活実現のため歯を食いしばって頑張った戦前、戦中世代の皆さんへの敬意を捨て、
現実離れした妄想を膨らませてごっこ遊びに興じた自分を恥じ、國神社で深々と頭を下げて来いと申し上げたい。

ちなみに「永遠の嘘をついてくれ」は当方の愛唱曲でもあります。いつまでも悪あがきする人間の業に対し、戒めを込めた歌として口ずさんでおります。

投稿: やす | 2018/04/26 11:25
http://banmakoto.air-nifty.com/blues/2018/04/post-66b3.html



▲△▽▼

【永遠の嘘をついてくれ/吉田拓郎】
中島みゆきの深い想いが込められた歌詞を徹底解釈!アルバムも紹介♪
https://otokake.com/matome/AQIHr0


古くから関係があった中島みゆきさんからの提供楽曲「永遠の嘘をついてくれ」を紹介します。自身で作詞作曲していた吉田拓郎さんが何故、楽曲の提供を頼むようになったのでしょうか。


中島みゆきさんからの提供楽曲

吉田拓郎さんは昭和を代表するシンガーソングライターの一人です。

多くのミュージシャンが自身のルーツに吉田拓郎さんを上げるほど、多くの人に影響を与えてきました。

今回紹介させていただく、「永遠の嘘をついてくれ」を楽曲提供した中島みゆきさんも、吉田拓郎さんをルーツに挙げています。

中島みゆきさんとの関係

中島みゆきさんは元々、吉田拓郎さんのファンだったそうで、追っかけをしていました。

吉田拓郎さんの楽屋に出入りするほどで、多くの人に認知されていたようです。

中島みゆきさんがデビューしてからも、吉田拓郎さんをルーツにしていることを感じさせる歌詞の曲があります。

吉田拓郎さんは字余り、字足らずな歌詞の曲が特徴的ですが、それに似た曲がちらほらあります。それほど吉田拓郎さんから影響を受けていたのでしょう。

作詞作曲を頼んだのは初めて


吉田拓郎さんがこれまでに出してきた楽曲の作詞作曲はほとんど自身で手がけていました。

ですが、中島みゆきさんの「ファイト」を聴いて「もう自分はこんな詞を書くことは出来ない」と言ったそうです。

そこで中島みゆきさんに「遺書のような曲を作って欲しい」と頼んだそうです。

吉田拓郎さんは引退を考えていて、最後の曲として中島みゆきさんに書いてもらった歌を歌おうとしていたのかもしれません。

吉田拓郎さんの曲で、一人のアーティストに作詞作曲をしてもらったというのは初めての試みでした。

歌詞解説

ニューヨークは粉雪の中らしい
成田からの便は まだまにあうだろうか
片っぱしから友達に借りまくれば
けっして行けない場所でもないだろう ニューヨークぐらい
なのに 永遠の嘘を聞きたくて 今日もまだこの街で酔っている
永遠の嘘を聞きたくて 今はまだ 二人とも旅の途中だと
君よ永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ 何もかも愛ゆえのことだったと言ってくれ

出典: 永遠の嘘をついてくれ/作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき


成田からニューヨークまでは12時間かかります。お金だってかなりかかりますが友達から借り集めれば行けないわけではないです。

ですが、そこまでして会いに行きたいと思う人はいますか?

永遠の嘘を聞きたくて、永遠の嘘をついてくれと言っているのは、本当のことを知りたくないからでしょう。

本当のことを知ってしまうと、それは悲しみに変わることが分かっていたのでしょう。

騙す為の嘘ではありません。ここで出てくる嘘は人を思いやる嘘です。

この国を見限ってやるのは俺の方だと
追われながらほざいた友からの手紙には
上海の裏街で病んでいると
見知らぬ誰かの 下手な代筆文字
なのに 永遠の嘘をつきたくて 探しには来るなと結んでいる
永遠の嘘をついてくれ 今はまだ二人とも旅の途中だと
君よ 永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ 一度は夢を見せてくれた君じゃないか

出典: 永遠の嘘をついてくれ/作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき


ここで注目してもらいたいのは2行目までの歌詞です。「この国を見限った友達は追われている」と書かれています。

追われながら、ということは何かの罪を犯したのでしょう。この国を見限ったということは海外にいることが分かるので、海外で逃亡生活をしていたのでしょう。

友人が遠い街で病気になったことを知らせる手紙が届いてきます。

2番の歌詞には上海の路地裏と出てきますが、1番の歌詞で歌われているのはニューヨークです。

時系列的には上海のから手紙が届いた後、ニューヨークに行くか悩んでいるという順です。

つまり、友人がいるのは上海ではなく、ニューヨークに行くことが分かったというのは、自分で上海に行って教えてもらったか、人伝で突き止めたのか、といったところでしょう。

海外に住む友達が手紙をくれるというのは、よっぽど仲が良かったか、よっぽどひどい病気でこの先長くないことを伝えたいかのどちらかでしょう。

傷ついた獣たちは最後の力で牙をむく
放っておいてくれと最後の力で嘘をつく
嘘をつけ永遠のさよならのかわりに
やりきれない事実のかわりに
たとえ くり返し何故と尋ねても 振り払え風のようにあざやかに
人はみな望む答えだけを 聞けるまで尋ね続けてしまうものだから
君よ 永遠の嘘をついてくれ いつまでもたねあかしをしないでくれ
永遠の嘘をついてくれ 出会わなければよかった人などいないと笑ってくれ

出典: 永遠の嘘をついてくれ/作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき


友人はもう自分のことを探さないでくれ、という思いを込めて手紙を送ったのでしょう。

実際に病気だったのか、もうすぐ死んでしまうのかは分かりません。

ですが友人に迷惑をかけたくないとか、困らせたくないからという理由で嘘をついてしまうのでしょうね。

人を騙しているわけではないのです。愛を持って嘘をついているのです。

中島みゆきさんのラブレター?


歌詞の意味を解釈するのが非常に難しい楽曲だと思います。この楽曲には当時の背景があったと思うからです。

吉田拓郎さんは「遺書のような曲を作って欲しい」と頼んでいますが、かけ離れています。

この曲は中島みゆきさんが吉田拓郎さんに送るラブレターのようなものではないか、という説もあります。

曲が作れなくなった、と言う吉田拓郎さんに対して中島みゆきさんが「永遠の嘘をついてくれ」と言っているのかもしれません。

最後に「一度は夢を見せてくれた君じゃないか」という歌詞がありますが、それは中島みゆきさんからの叱咤激励にも聞こえます。

何にせよ、リスナーに沢山想像させたり、含みを持たせる文章を書くのがとても上手いですね!

吉田拓郎さんはどんな気持ちでこの歌を歌っていたのでしょうか。気になりますね(笑)

本人が作詞したのかと思わせる歌詞


中島みゆきさんが作詞した曲であることを調べるまで気が付きませんでした。

この曲は吉田拓郎さんの色がとても出ている楽曲になっています。

作詞の技術があるのももちろんだと思いますが、中島みゆきさん自身、ずっと吉田拓郎さんの曲を聴いて育ってきた人だから書けた歌詞なのでしょう。

歌うというより、語りに近い歌詞は吉田拓郎さんにとても似ています!
https://otokake.com/matome/AQIHr0

25. 中川隆[-11656] koaQ7Jey 2019年3月06日 22:20:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[335] 報告

■学生運動をした芸能人〜吉永小百合、坂本龍一


11革命的名無しさん2006/02/24(金) 10:25:08

所属も分かる範囲で。

芸能人じゃないんだけんどナベツネ、戦前日共東大細胞。
坂本は新宿高校→中核派と聞いた。
糸井も法大チュン。佐世保闘争で中核メットかぶりHNKからインタビューされてた。
宮崎美子は熊大の労働青年団、

中島みゆきは北海道時代、革マルシンパ。

吉永小百合は早大馬術部だろーが!
加橋かつみはマリファナだろーが! 

後は知らんなあ。

209革命的名無しさん2006/09/03(日) 11:15:54

浜田省吾

高校時代、広島でデモに参加してた

中島みゆき
藤女子大時代の彼氏が札医大の革マル派学生(現在も現役)

316革命的名無しさん2008/02/05(火) 10:40:11

中島みゆきって学生運動でバリケード作って大学に泊り込んでるときに
自分の好きだった男と友達の女がセクロスしてるのを目撃してショック受けて
そのまま運動やめて家に帰ったんだよね。

https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/kyousan/1140679815/

26. 中川隆[-11655] koaQ7Jey 2019年3月07日 00:10:49 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[336] 報告

44 :可愛い奥様:2013/06/02(日) 11:41:29.77 ID:lNIVgYI10

みゆきは学生運動に関わってたから学園祭とか呼ばれないのよ<藤

学生が呼びたかったのを先生方が反対して、二度と行かねぇみたいな
話になってるんだって。
代わりに清水ミチコが来てみゆきの真似して行った事があったとかw


45 :可愛い奥様:2013/06/02(日) 11:54:54.99 ID:QJkTuccZ0

みゆきが入学した時は派手な学生運動は終わってたでしょ


46 :可愛い奥様:2013/06/02(日) 12:04:19.46 ID:lNIVgYI10

北海道は時差があるからw
まあ「世情」とか出してるし
弟も関わってたんだってさー<学生運動

52 :可愛い奥様:2013/06/02(日) 15:56:19.19 ID:yiHifc2A0
>>46
弟は4歳も年下の医大生よね
証拠も無しにネット上に書かれてたのを鵜呑みにしてるんじゃないの?

みゆきが本当に学生運動に関わっていたか気になった人がいて
その人が道内の活発に学生運動してた何人かに連絡を取って聞いたところ
誰からもみゆきが学生運動に関わっていたという証言は得られなかったそうよ。
これもネットに書かれてたことだけどねw

54 :可愛い奥様:2013/06/02(日) 16:55:18.82 ID:6Y9pF+n30

学生運動に参加してないことはアルバム「中島みゆき」が出た当時の
雑誌のインタビュー記事と、「女歌」にしっかり書いてある。

55 :可愛い奥様:2013/06/02(日) 18:16:12.49 ID:cP1yy4Kq0

天理教信者ってほんとかな。
みゆきさんでも信仰無しで生きられないものなんだろうか。

56 :可愛い奥様:2013/06/02(日) 18:52:06.94 ID:R42aUsp80

生まれた時からの家の宗教じゃ仕方ない部分もあるんでは?
特に母親が熱心らしい。
本人は今はそんなに熱心でもないみたいだけど輪廻転生はずっと信じてるよね。



59 :可愛い奥様:2013/06/03(月) 00:59:17.27 ID:LOVQvsx/0

天理時報(号外)のことを知らない人がいるなんてビックリ。
そうなると、当然、コンサートのMCで「この近く(天理)にオヤジが眠っていまして・・・」って言ったのも知らないんでしょうね。


302 :可愛い奥様:2013/06/20(木) 11:18:56.47 ID:dsVudmUC0 

中島みゆきが、天理教の熱烈なる信者であることは、周知のことである。
中島家は祖父母の代からの天理教信者である。

 1994年9月30日付の「天理時報」(号外)に、中島みゆきは「幸せというものに」という詩を載せている。

 「幸せというものになってみたいと だれしも望むところではあるが さてだれのよいなと問われたら迷う」という書き出しだ。

人から幸せですかと訊かれて、いつから否定する癖がついたのだろう。
妬みが怖いのか。
ちっぽけな幸せなのに、幸せですと大きくうなずくのが惜しいのか。
そういった後、「そんなことで怯えなくていいんだよ そんなことで真実は傷つきはしないから」

と書いている。

305 :可愛い奥様:2013/06/20(木) 20:22:49.23 ID:xTXfywUsO

「糸」が今や結婚式の定番曲になってる事を考えれば
創価のように嫌われていない証拠だね。
みゆきさんも今は父親の供養ぐらいしか関わってないみたいだけど。

6 :可愛い奥様:2013/06/01(土) 11:31:53.58 ID:tqAy7G8V0

毒女とか言いつつ、瀬尾十三や松山千春、甲斐よしひろ、筒美京平なんかと浮名を流していたよね。
この人ずっと処女なのかな、と思っていたんだけど、妄想だけであんなに情念の曲を量産できないしね。

♪た•わ•わ
お前を殺したい♪
もなんか嫌な曲だ。


490 :可愛い奥様:2013/07/19(金) NY:AN:NY.AN ID:BhdWWjBS019
彼氏いない歴774年[sage] 投稿日:2012/02/02 02:17:59  ID:B4QSRErT(1)

みゆきが咥えた皆さん

松山千春
甲斐よしひろ
瀬尾一三
松任市正隆
椎名和夫
長渕剛
吉田拓郎
工藤静香
柏原芳恵

492 :可愛い奥様:2013/07/19(金) NY:AN:NY.AN ID:zgzfRm+t0
>>490
後藤次利
鈴木茂
斎藤ノブ
布袋寅泰
坂本龍一
前川清
上柳昌彦
亀渕明信
太田亮
世良公則
福山雅治
グーフィー森

書くなら全部書きなさいよw


565 :可愛い奥様:2013/07/30(火) NY:AN:NY.AN ID:bS4LfVpJ0

後藤次利にも
長渕剛にも
松山千春にも
さだまさしにも
瀬尾一三にも
籍を入れていただくことを許されず
性のお慰みにしか扱われず
所詮、二号さんにしかなれない超絶根暗喪女

71 :可愛い奥様:2013/06/04(火) 10:56:17.32 ID:yv0Y5hwT0

瀬尾一三に辿り着くまでに、アルバムプロデューサーを数人変えてきたよね。
中には松任谷正隆もいたけど、やっぱり寝ただろうね。

グッバイガールという意味深なアルバムから、瀬尾一三に乗り換え20年以上寄り添ってきたのだから、よっぽどSEXの相性がいいのだろう。
みゆきは精神上の少女に別れを告げ、オンナに生まれ変われたのだ。

75 :可愛い奥様:2013/06/04(火) 11:48:23.23 ID:UNA5nIuaO

別にいいんじゃない?二人にとってその方がいい関係なら。
みゆきには元々世間の目をあまり気にしない強さがあるのよ。
だからああいう作風や活動を長年やってるのよ。

77 :可愛い奥様:2013/06/04(火) 11:57:17.21 ID:yv0Y5hwT0

そんな強さがみゆきにあるのなら、
初期の頃のあの女々しい振られ歌オンパレードは何?
自ら赤裸々な失恋ソングを書いて自浄するしかなかったからメンタル弱かったはず。
メンタル強けりゃそんなもん書かんわいw

瀬尾と男女の関係を始めてから女々しい歌はガクンと減ったし、
吹っ切れたように軍歌や菩薩歌が増えた。

女って所詮そんなもの。
男で女は変わるよ。


79 :可愛い奥様:2013/06/04(火) 12:11:21.84 ID:UNA5nIuaO

メンタル強いから心のストリッパーみたいな歌を公表できるんじゃない?
普通はもっと自分をよく見せようと飾るよ。

80 :可愛い奥様:2013/06/04(火) 12:20:30.16 ID:yv0Y5hwT0

北海道大学くらい出てたら知性が邪魔して、今の作風には決してならないと思うがやはり藤女子大学の知能だからw
北大を受験したけど滑ったと聞いたから、納得がいく。


82 :可愛い奥様:2013/06/04(火) 12:32:44.17 ID:yv0Y5hwT0

みゆきは不合格の烙印を押されたのにいけしゃあしゃあと合同サークルに入って北大をうろついてたらしい。
私は早稲田だったけど、我が物顔でキャンパスに上がり込んでる大妻や本女、学女、山脇なんかのチャラ牝がうっとおしかった。

118 :可愛い奥様:2013/06/04(火) 17:34:03.09 ID:kNyneyNc0

今はどうだか知らないが、藤女子は当時はお嬢様学校。
クリスチャンで寮があって、校内に聖母像とかが立ってるようなそんな所。

藤女子の国文出てる有名人は知る限り中島みゆきと故氷室冴子。
2人とも独特の感性を持った作品を送り出している。

氷室冴子は前編だけや、連載中に絶筆した作品もあるが、
国文科らしい平安時代やもっと前のヤマトの頃の本もある。
個人的には、大半がのほほんお嬢だが、変わり種がたまに出るいい大学だと思ってる。


119 :可愛い奥様:2013/06/04(火) 18:15:23.40 ID:nFMOcUJl0

北海道って大学無いからねw
女の子が道外に出るのは反対されるし、北大行ける人でも
ヨメにいけなくなるって藤にされたりね
面白い人が藤に集中する時代は確かにあったと思うよ
今はアレだけど。

123 :可愛い奥様:2013/06/05(水) 06:43:31.78 ID:6zju4Btd0
>>119
でもみゆきは、嫁に行けなくなるからあえて藤女子大学にしたのではなく明らかに能力不足だったために北海道大学受験に失敗しているし、それもコンプレックスのひとつになっているんじゃないかな。


522 :可愛い奥様:2013/07/21(日) NY:AN:NY.AN ID:lvDDsdN30

北大受かってたらどんなふうになってただろうね。
いい所の奥さまになったんじゃないかな。


527 :可愛い奥様:2013/07/22(月) NY:AN:NY.AN ID:4UbmG82t0
>>522
いやもっと暴走していたかもしれん

ほとんど北大に入り浸ってたらしいけど多少なりとも
シスターやお嬢様に囲まれた学生生活も送っていたわけで
その辺は二重生活みたいなのを楽しんでたんじゃないかな
いやならみゆきの性格上きっぱり退学しそうだし

当時の藤女子大は道内の有名お嬢様大学の一つだよ
レベルも低くはない


996 :可愛い奥様:2013/10/14(月) 09:32:28.44 ID:fKW/tGOR0

北大受験した話はあなた以外聞いたことないけど
親父は北大医学部卒だけど


133 :可愛い奥様:2013/06/05(水) 11:10:37.16 ID:6zju4Btd0

これだけ振られ歌を歌ってきて、いろんな男を乗り回してモノにできず、幸せな結婚もとうとうできずに
還暦を超えた今も働き続けねばならないなんて、よっぽど不幸に見舞われた一生だったよね。

135 :可愛い奥様:2013/06/05(水) 11:40:22.82 ID:OMz5TXyrO

へ〜?しゃべりが綺麗とは意外。
歌好きだけど、ものすごく喪女体質なのは確かでしょ。
スラッとしてるのと、整形大成功なのは羨ましい。

136 :可愛い奥様:2013/06/05(水) 15:02:36.57 ID:mYz7xzYvP
>>135
喪女の神って感じだよねw
整形してるの?
紅白に出た時、えらい綺麗なオバサンになったなと思ったけど

138 :可愛い奥様:2013/06/05(水) 16:15:40.48 ID:Zv/XJBqX0
>>136
歯をいじっただけよ
手入れは怠りないと思うけど元々色白で肌はきれいだし
ほんと僻みが非道いねw

142 :可愛い奥様:2013/06/05(水) 21:42:54.04 ID:RKrBtO7t0

整形はそんなにしてないかもしれないけどしわ取り注射は打ちまくってるだろうね
紅白歌合戦では小皺だらけのおばあちゃんだったのに
5年後のライブDVDではつやつやの張りのある肌になってたw

143 :可愛い奥様:2013/06/05(水) 21:59:17.31 ID:CMK2kXwU0

観察力が足りないわよ
いつでも目の周りは小皺があるけど、それ以外はつやつやきれいよ


155 :可愛い奥様:2013/06/07(金) 01:03:46.79 ID:G5Xp67940

世界歌謡祭の中島みゆきは曽我ひとみさんみたいだった。
顔は不細工だし歌も金切り声で下手糞だし
とても40年近く活躍する人には見えなかった。

157 :可愛い奥様:2013/06/07(金) 02:41:47.71 ID:qv4ZC/fo0
>>155
努力をすれば歌は上手くなるってことの証明だね。
みゆきさんは30代後半に本格的なボイトレをやったから
還暦過ぎた今でも歌声だけでじゅうぶん堪能できるライブをやれる。

158 :可愛い奥様:2013/06/07(金) 19:21:19.07 ID:licYZo3c0

若いみゆきの方が歌はよかった
予感あたりまでは本当に天才だったと思う
夜会も文化村まではなんとか見られた

けど瀬尾と付き合ってからはまったくダメ
コンサートも恥ずかしいような演出
真横斜め上の歌い方は見てるこっちが恥ずかしい

瀬尾はみゆきの才能をなくしてしまったな


268 :可愛い奥様:2013/06/17(月) 18:03:05.17 ID:wg0ueUm10
>>158
なんか物足りなくなった感じはするね

瀬尾時代よりも椎名時代〜が好きですね
まあ瀬尾時代でもいいものはいいんだけど、なんか違う


449 :可愛い奥様:2013/07/16(火) NY:AN:NY.AN ID:l72Bz2u+0

みゆきが不倫体質なのは、もはや否定し難い事実でしょ?
それより瀬尾と事実婚になってから、音楽活動の幅が狭くなったわ。

そもそもみゆきに人類愛だの命の尊さなど期待してないのに。
むしろ、生きてもいいですか?的なアイロニーを期待してるわ。


333 :可愛い奥様:2013/07/01(月) NY:AN:NY.AN ID:bKsFhbP+P

デビュー当時からずっとヤマハの幹部の愛人なんだよね。
なんだか哀れな人生。

336 :可愛い奥様:2013/07/01(月) NY:AN:NY.AN ID:ZLDltHNR0
>>333
幹部っていうか天皇と言われた会長の愛人か何かでしょ

でも今やヤマハの役員だし
文科省の国語審議会委員務めたり紫綬褒章も授与されてて
結婚してなくてもお金はおろか本人の地位や名誉もあるでしょ
もともとの血筋も悪くないし勝ち組じゃない
歌の主人公とは全く違って哀れとは思えない

337 :可愛い奥様:2013/07/02(火) NY:AN:NY.AN ID:zJrn0SR7O

愛人て根拠の無いただの噂でしょ
本当に愛人だったら親族が献歌をみゆきさんに歌わせないと思う

338 :可愛い奥様:2013/07/02(火) NY:AN:NY.AN ID:/1IPtrgY0
>>337
愛人かどうかは知らないけどすごいワンマンな会長に
ヤマハのリゾート地をあちこち連れ歩かれてたのは確か
可愛がられていたみたいだね

島を貸切状態で料理人を連れてクルーザーやヘリでリゾートめぐり
バブル時代とは言えそういう体験を自分もしてみたいわ

339 :可愛い奥様:2013/07/02(火) NY:AN:NY.AN ID:zJrn0SR7O

ヤマハのリゾート地を連れ歩かれてたのは谷山浩子さんも一緒よ

342 :可愛い奥様:2013/07/03(水) NY:AN:NY.AN ID:P4eFYCqf0

みゆきは、愛人で終わる女でない。ヤマハの役員にまでなった。昔オールナイトでヤマハの爆破事故のお詫びを言っていたけど、まさか役員になるとはね〜
あの頃から狙うものがそこらの河原乞食と違っていた。

431 :可愛い奥様:2013/07/16(火) NY:AN:NY.AN ID:l72Bz2u+0

しかし川上の葬式の時代って結構意味深だわ。だって愛人が葬式で歌うのでしょ?
まーみゆきにとっては、愛人をも超えた関係なのかもしれないが。
あの時代の笑いこそみゆきの暗黒時代を彷彿させるわ〜


439 :可愛い奥様:2013/07/16(火) NY:AN:NY.AN ID:l72Bz2u+0

確かに川上の家族公認というか、あーいう破天荒な人の家族って黙認なんでしょ。
でもみゆきの献歌で涙している家族の映像とか意味深だわー。愛人の歌で何を泣いてたのかしら。
みゆきって写真集にも何度も撮られているほど、不倫体質なのは間違いないわ。芸のこやしとぐらいに本人は、割り切っているのかしらね〜


440 :可愛い奥様:2013/07/16(火) NY:AN:NY.AN ID:7vt3qFidO

何度も撮られたとか凄い捏造w
撮られたのは一度だけでしょ
だからネットは全く信用できないのよ

441 :可愛い奥様:2013/07/16(火) NY:AN:NY.AN ID:KhTGMgyZ0
>>439
何度もって椎名和夫との不倫騒動と
夜会の演出家の2人だけじゃなかった?
現場写真はエンマにスッパ抜かれた
椎名和夫との密会だけだし。

442 :可愛い奥様:2013/07/16(火) NY:AN:NY.AN ID:KhTGMgyZ0

あとみゆきの「写真集」ってヤマハ出版から出てる歌暦一冊だけよw

200 :可愛い奥様:2013/06/12(水) 11:09:54.44 ID:ejU2z7I90

ちじょうの犯人(ホシ)でロングヒットを収めて惜しまれつつ引退してればよかったのに、
もう還暦過ぎて、皺くちゃの老婆だし、ヒット曲も書けない、
歌詞も覚えられない、上りの傾斜は険しくなるばかりの晩年•中島みゆきサンw
引っ込みどきを間違え、引っ込みつかなくなっていい気味w

248 :可愛い奥様:2013/06/16(日) 10:56:19.05 ID:d5B/nXtU0

売れてた頃の中島みゆきの曲は平易な表現でリスナーの共感を呼ぶ歌詞が多かったよ。
最近の詞はべつに歌いたいことがなくなったのか
堅い単語や言葉遣いを羅列してお茶を濁してるきらいはあるけれども

253 :可愛い奥様:2013/06/16(日) 16:04:03.99 ID:9D3Z93iUO

なんでいつもがなって歌うの?
昔の若い頃は普通の歌いかただったのに
懐かしい歌謡曲のVTRを見る番組でワイプゲストに最近のは失笑されてる

399 :可愛い奥様:2013/07/13(土) NY:AN:NY.AN ID:fow6KJa00

中島みゆきってご乱心の時代を経て、軍歌とメロディックパワーメタルに開眼し、
しかし実力不足で消化しきれずに
今みたいな訳わからん糞曲をヒリ出すようになったよね。
https://ikura.5ch.net/test/read.cgi/ms/1370020637/

27. 中川隆[-11650] koaQ7Jey 2019年3月07日 09:35:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[341] 報告

中島みゆき「世情」(1978年4月10日)
https://pv755.com/sejo
https://www.nicovideo.jp/watch/sm27227751


シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
  変わらない夢を 流れに求めて
  時の流れを止めて 変わらない夢を
  見たがる者たちと 戦うため


▲△▽▼


変わり続け、変節し続ける、臆病でズルイ左翼を描いた映画


山下敦弘 『マイ・バック・ページ』(2011年)

監督 山下敦弘
脚本 向井康介
原作 川本三郎
撮影 近藤龍人
公開 2011年5月28日


映画『マイ・バック・ページ』 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8+2011&sp=mAEB


▲△▽▼


キャスト

沢田雅巳(週刊東都、東都ジャーナル記者):妻夫木聡 ※モデルは川本三郎
梅山(本名・片桐優 赤邦軍リーダー):松山ケンイチ
倉田眞子(週刊東都表紙モデル):忽那汐里 ※モデルは保倉幸恵
安宅重子(赤邦軍隊員):石橋杏奈
赤井七恵(赤邦軍隊員):韓英恵
柴山洋(赤邦軍隊員):中村蒼
飯島(東都ジャーナルデスク):あがた森魚
徳山健三(週刊東都デスク):山崎一
清原(反戦自衛官):山本剛史
佐伯仁(運動家):山本浩司
中平武弘(週刊東都 記者):古舘寛治
津川(週刊東都記者):中野英樹
前園勇(京大全共闘議長):山内圭哉 ※モデルは滝田修
唐谷義朗(東大全共闘議長):長塚圭史 ※モデルは山本義隆
タモツ(うさぎ売りの青年):松浦祐也
キリスト(キリストのような風貌の青年):青木崇高
山口(東都新聞 社長):並樹史朗
小林(東都ジャーナル編集長)菅原大吉
島木武夫(週刊東都編集長):中村育二
白石(東都新聞 社会部部長):三浦友和
康すおん、近藤公園、熊切和嘉、早織 ほか

『マイ・バック・ページ』は、日本の評論家・川本三郎の著作、およびそれを原作とする2011年公開の日本映画。タイトルはボブ・ディランの楽曲「マイ・バック・ページズ」から取られている。


川本三郎が、1968年から1972年の『週刊朝日』および『朝日ジャーナル』の記者として活動していた時代を綴った回想録。前半は東大安田講堂事件や三里塚闘争、ベトナム反戦運動などの当時を象徴する出来事の取材談、出会った人々の思い出、当時の文化状況などが新左翼運動へのシンパシーを軸に綴られ、後半は活動家を名乗る青年Kと出会ったことから、朝霞自衛官殺害事件に関わって逮捕され、有罪となって懲戒免職に至る顛末が語られる。雑誌『SWITCH』に1986年から1987年にかけて連載され、1988年に河出書房新社から『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』という題で単行本が出版された。一時は絶版となっていたが、映画化を機に2010年に平凡社より再刊された。

物語

1969年、沢田は東大法学部大学院生時代に安田講堂事件を目撃する。「週刊東都」の新米記者として、新左翼運動への取材を通じて活動家たちに共感を抱きながらも、ジャーナリストとして客観性を保たなければならない立場との間に葛藤する日々を送っていた。編集部はアポロ11号の月着陸記事で忙しくしている。

1970年、教室では片桐という青年と他の学生たちとが激しい議論を戦わす。沢田は名画座で 川島雄三監督の『洲崎パラダイス赤信号』を見る。映画では新珠三千代が頼りない恋人の三橋達也に、「あんた、どっか一つくらい当てないの?」「あんた、男でしょ」となじる。オールナイトが終わってから日曜日の編集部で『ガロ』を読んでいると「週刊東都」の表紙モデル・倉田眞子が遊びにくる。

1971年、活動家を名乗る梅山という青年が接触してくる。自分は「京西安保」の幹部であり、「銃を奪取し武器を揃えて、われわれは4月に行動を起こす」などと語る。紹介した先輩記者・中平武弘は「偽物だ」と決めつけるが、離れに匿う。宮沢賢治を愛読し、CCRの『雨を見たかい』をギターでつま弾きながら「雨ってナパーム弾のことなんですね」という姿に、沢田は親近感を覚えていく。編集部では『週刊東都』が出版6日後に回収という事件が起きる。中平も「左遷」される。同僚から「あんたら、うちの余った紙で雑誌作らせてもらってるんでしょ」といわれ、殴りかかる。一緒に『ファイブ・イージー・ピーセス』を観て、倉田に「私はきちんと泣ける男の人が好き」と言われる。

やがて梅山は学生仲間を引き込んで「赤邦軍」なる組織を作ると、自衛隊基地を襲撃して武器を奪うという計画を立てる。計画を明かされた沢田は自分に独占取材させてくれと頼む。

「駐屯地で自衛官殺害」のニュースが沢田のもとに届く。接触すると他誌の記者も来る。証拠として腕章を預かる。社会部では「思想犯」ではなく「殺人犯」として通報するといい、反論すると「うちは大学新聞作っているわけではない」といわれる。捕まった梅山は軍を動かしているのは前園だという。警察は腕章を出せば証拠隠滅罪には問わないというが、燃やしてしまっていた。会社を辞める時にモデルは終わったという倉田が訪ねてくる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8


▲△▽▼


「マイバックページ」を観た 2011年6月 9日


なぜか弁護士会のボックスに、マイバックページのパンフレットが入れられていて、さして興味もなかったのに、もののはずみで観てきた。

わたくし的には、これほど途中で席を立とうかと何度も思った映画は初めてだった。

何しろ登場人物の誰にも感情移入できない。
時代は1969年から1972年。
学生運動崩壊過程で起きた自衛官殺害事件を題材にしている。

潮が引くように去っていく学生たちから孤立した活動家梅山は、存在自体が怪しい組織を騙って、暴力革命路線を追及する。

そこには何の理念もありはしない。
あるのは、ただ、世間を騒がすようなことをしでかして見返してやりたいという情念だけだ。

一方、彼の取材を続ける記者沢田は、彼の理念なき大言壮語を易々と信じて肩入れしていく。

僕にとっては、どこにも共感できる要素がないのだ。


僕が大学に入ったのは74年。
初めてセクトというものと出会ったのも同じ時期である。

当時は、中核派と革マル派の内ゲバ事件が最盛期だった。

東大駒場寮から引っ越し作業中の活動家が敵対セクトから襲撃されて殺された事件があった。僕も駒場寮に住んでいたが、それを聞いても、特段の感慨すら抱かなかった、そんな時代だった。

結局、崩壊した学生運動は、どれだけ派手な成果を挙げるかだけを競い、三菱重工爆破事件や、北海道庁爆破事件を次々と起こし、自壊していった。

映画は、そうした学生運動の崩壊過程の初期を描いていることになろう。


実は収穫が一つだけあった。

常々、学生運動の経験者が実権を握った現代日本がなぜ、これほどまでに保守化していくのか、疑問に思っていた。
朝日新聞などのメディアには、相当数の学生運動経験者が、今やデスクを握っているに違いないのに、とめどなく保守化していくのはなぜなのか。

映画は、そんな疑問に明快な回答を与えてくれた。

熱病が醒めれば、潮が引くように一部の活動家を孤立化させて、抵抗なく社会に適応をする学生が大半だった。
熱病には、確固たる信念もなかった。
共通する心情は、何かしら、目立つことがしたい、いい言葉で言えば「自己実現したい」ということだけだった。

政界にしろ、メディアにしろ、組織を左右する地位を手に入れる人たちは、人並み以上の権力欲を持っている人たちだろう。
そして梅山がそうであったように、権力欲とバランスするような理念を持っている訳ではない。

政治やメディアで権力を掌握した学生運動経験者たちは、過激派と違う方向で、「自己実現」を図っているに過ぎないのだろう。


誤解なきようにいえば、学生運動経験者の全てを批判している訳ではない。

若き時代の初志を貫いている人たちがいることも僕は知っている。
但し、そうした人たちは、基本的に、名前も権力も求めず、ひたすら地道に現代という時代が抱える問題に真摯に向き合う活動を続けている人たちだ。


それにしても、と僕は思う。
少し時間を遡り、学生運動の最盛期に戻れば、大人が手を付けられないほどの若者のエネルギーがあった。

若者のエネルギーは、今こそ発揮されて欲しい。

既得権にしがみつく、私も含む大人たちが、若者の行く手を阻む構造になっていることは見やすい道理だ。

日本の社会保障費は国際的に見て、年金が占める割合が大きいといわれている中、厚生年金で、現役世代以上の収入を得て、頻繁に海外旅行を楽しむ高齢者。

40代で1000万円の年収を約束されている大企業の会社員たち。
彼らが、日本の将来を考え、若者に道を譲ることを考えない限り、若者には未来が開けないと僕は思う。
しかし、彼らは、決して既得権を手放そうとはしない。

その結果、若者の30%以上が非正規雇用に甘んじている。

かつて学生運動が華やかだった頃、若者に対して不公正な社会構造があった訳ではない。

今の社会構造は明らかに若者に対して不公正なのだ。

若者はもっと怒っていい。
僕はつくづくそう思うのだが、「希望は戦争」といわざるを得ないほど、この国は閉塞してしまっているのだろう。

この閉塞感を生み出す、至る所に張り巡らされたコングロマリットを解きほぐす手がかりはないのか、ただ無為に煩悶しながら僕の日々は過ぎていく。
http://moriyama-law.cocolog-nifty.com/machiben/2011/06/post-7948.html


▲△▽▼


変わり続け、変節し続ける、臆病でズルイ左翼 _ 2

現在の日本共産党は親米保守、極右反動勢力に変わっていますね。

昔から民青の学生は事大主義で

大学では左翼教官に おべっかを使って興味も無いのにマルクスとか読むふりするけど

会社に入ると

マルクス主義はもう古い

と言って否定するので有名でした。


民青や共産党員にまともな人間は一人もいませんでした。

つまり、20年前まで大学関係者や学生が左翼とマルクス主義者ばかりだったのは
GHQ の教育方針が反映していただけで、自律的で自然な現象ではなかったのですね。


戦前に極右で米英鬼畜とか言ってた極右は終戦後に殆ど日本共産党員に転向しています。
反対に、全学連の闘士は年取ってから大半が極右になっています。

つまり、

極右=極左

で、環境によって極右になったり、極左になったりするだけなのですね。

28. 中川隆[-11649] koaQ7Jey 2019年3月07日 11:35:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[342] 報告

永遠の嘘をついてくれ - 吉田 拓郎 & 中島みゆき - 動画 Dailymotion
https://www.dailymotion.com/video/x5anmkm

中島みゆき 永遠の嘘をついてくれ 動画
https://pv755.com/eiennousowotsuitekure

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中島みゆき「永遠の嘘をついてくれ」の正しい解釈 15年7月執筆


 吉田拓郎の、というより中島みゆきの「永遠の嘘をついてくれ」は、佳曲と名曲と名曲中の名曲しかない中島みゆきの、90年代の大傑作で、吉田拓郎に提供することを前提に作られた

“いかにも拓郎っぽい”歌詞とメロディでありながら、それでいて中島みゆきの曲以外の何物でもないという、“神”に不可能はないことを改めて思い知らされる作品だが、拓郎・みゆき、どちらもアルバム収録曲でシングル・カットはされていないにも関わらず、かなり広く知られているようで、ストリート・ミュージシャン稼業でたまにやってると立ち止まる人も多い。


 が、とくに私と同世代ぐらいとか、それ以下の世代だと、この曲をすごく好きな人であっても、歌詞の意味をちゃんと理解していない場合がほとんどなんだろうなと以前から思っている。

「永遠の嘘をついてくれ」は、簡単に云えば「まつりばやし」とか「誰のせいでもない雨が」などの系列の、要するに明白に“学生運動ソング”で、聴く人が聴けばもう反射的にそのことに気づくのだが……

そんなこと分かってるよ、という人もあるかもしれないが、試しに「永遠の嘘をついてくれ」で検索すると上位にアホみたいな誤読解説も出てきたことだし

「自分の許を去った男に向かっての未練」の歌なんだってさ!

無粋を承知で解説したい。

 たぶんもう何十年も会っていない古い友人、語り手の人生にとってかなり重要な存在であるらしい友人が、どうやら遠い異国で病で死にかけている、という状況が歌われる。

友人は「俺」と云ってるし男だろうが、語り手もおそらく男である
(そもそも吉田拓郎に歌わせるのが前提でもあるし)。

前記の誤読解説者が云うような恋愛方面の歌ではなく、ある種の“男の友情”的な歌である。


 相手が死にかけている場所は「ニューヨーク」なのか「上海」なのか分からない。たぶんニューヨークだろう。「上海の裏町で病んでいる」という「見知らぬ誰かの下手な代筆文字」の手紙が突然舞い込んだわけだが、手紙は「探しには来るなと結」ばれていたわけだし、相手は自分の本当の居場所を伝えてきたわけではない可能性が高い。語り手の側が、独自に手をつくして探した結果、実はニューヨークにいることが判明したので、冒頭で語り手は急遽ニューヨークへ飛ぶかどうかと迷っているわけだろう。


 これが“学生運動がらみ”の歌だと分かるのは、2番の冒頭のフレーズからである。

「この国を見限ってやるのは俺のほうだと追われながらほざいた友」

と云っている。これだけでもうピンとこなければならない。


 この友人は要するに学生運動上がりの“国際テロリスト”か何かである。
たぶん70年代初頭に国内での何らかのテロ事件の容疑者として指名手配されるかして(したがってこの時点ではまだ“国際”テロリストではない)、国外逃亡したのである。

そして間違いなく友人は国外へ渡った後も革命運動に少なくともしばらくは挺身している。そのことを語り手はずっとニュースで知ることができていただろう。

ところがどこかの時点で友人は一切消息不明となる。生きてるいるのか死んでいるのかも分からない、という長い期間があり、最近になって突然、死にかけているという手紙が本人から届いた、というわけである。

「見知らぬ誰かの下手な代筆文字」なのは、日本の公安当局の監視を警戒してのことであるに決まっている。


 語り手の側は、若い頃、おそらく学生時代に新左翼運動に関わった時期があり、しかし短期間で運動を離れて、フツーに就職して、そうした運動体験は過去のものとして、“平凡な一市民”としての人生を送ってきた人間である。

もちろん死にかけている友人との関係は、“同志”的なものか、それに近いものだったろう。印象としては、党派の同志というよりも、“何々大学全共闘”とかの同志で、闘争が後退する過程で友人はテロ路線に走って地下に潜り、語り手は運動を離れた、という雰囲気である。

史実にムリヤリ当てはめると、例えば友人は赤軍派に加盟し、弾圧され追いつめられてアラブへ渡ったとか、東アジア反日武装戦線の爆弾闘争に身を投じて逮捕されたが、日本赤軍のハイジャック闘争によって“超法規的措置”で獄中から奪還され国外へ出た、みたいなことだろう。

もちろん歌詞の内容はあくまでフィクションなわけで、“おおよそそんな感じのこと”という意味で私は解説しているまでである。


 要するに語り手は“日和って”運動から脱落したわけだが、今も世界のどこかで闘っているはずの友人の存在が、いつでも語り手の人生において影のようなものとして意識され、負い目の対象であったり、挫折した自分の代わりに“志”を貫いてくれている救いであったりしたのだろう。

もちろん、いつしか消息が途絶えて以降は、友人が引き続き革命を目指して闘い続けているのかどうか、そもそもその生死すらも分からない状況となっていた。

語り手は、今も闘い続けていてほしいと願ってきたが、一方で、彼が今もどこかで生きてはいるとしても、すでに革命への希望を失って、自分の闘いはすべてムダだったと、敗残者として抜け殻のような“余生”を送っているのかもしれないという不安も常に抱いていた。


 そこへ突然の手紙である。現時点では、まだ生きていたということだけが分かり、消息が途絶えて以降の友人がどのような人生を歩んだのかは不明である。闘い続けていたのか、すでに負け犬と化していたのか、まだ分からない。語り手は、答えを知るのが怖いという気持ちを持っている。たぶん友人もどこかの時点でとうに挫折していたのではないかと薄々思っている。


 「永遠の嘘をついてくれ」というのは、「ずっと闘っていたし、今でも闘っている」と云ってくれ、の意である。

「まだ旅の途中だ」と云ってくれというのは、「我々の革命はまだ途上である」つまり「まだ革命をあきらめてはいない」と云ってくれ、の意である。

「嘘をついてくれ」と云っているのだから、そのように「強がってみせてくれ」ということである。

「永遠のさよならの代わりに」、つまり友人はもう死ぬわけだが、最後までその「嘘」をつきとおしてくれ、と。


 「やりきれない事実」というのは、友人もとうの昔に挫折して異国でただ無意味な“余生”をいつしか送るようになっていたという事実である。友人もそのような姿を語り手にさらすことを恥じ、ずっと闘っていたし今も闘っているという「永遠の嘘をつきたくて」、「探しには来るな」と書き添えたのである。


 世間の連中はこういう、大それた夢を描いてどこぞへ飛び出していったような連中の“悲惨な末路”を見たいのである。

「オレが間違っていた。革命なんて幻想だった」と云わせて安心したいのである。

「みな」が「望む答え」とはそういう答えであり、語り手は、そのような答えを引き出そうとつきまとってくる連中を「風のようにあざやかに振り払え」と云っている。


 「一度は夢を見せてくれた君」が見せてくれた「夢」とは、テルアビブ空港事件とか、三菱重工爆破とか、そのテの何かであるはずだ。

「出会わなければよかった人」というのは、塩見孝也とか太田竜とか、とにかく友人をそのような道へと誘い込んだ誰かだろうが、「出会わなければよかった人などないと笑ってくれ」というのはもちろん、「自分の人生は結果としてこのような形になったが、決して後悔などしていない」と云ってくれ、ということである。


 私はべつに自分が読みたいように勝手な読み方をしているわけではない。この曲の歌詞はおおよそこのようにしか解釈のしようがないものである。

 嘘だと思うならこの歌詞を書いた本人に訊いてみなさい、と云いたいところだが「神は何も語らない」のがセオリーなので、私のように神の言葉をちゃんと聞くことのできる「預言者」の声に、迷える子羊の諸君は耳を傾けるしかないのである。


 付記

なお90年代の中島みゆきの名曲中の名曲中の名曲である「二艘の舟」もおおよそ似たようなテーマの、もっと抽象化された歌である。

男女の恋愛の歌にも聞こえるようにわざと作ってあるが、絶対に違うと預言者として請け合う。
http://www.warewaredan.com/miyuki.html

▲△▽▼

中島みゆき 二隻の舟 動画
https://pv755.com/ni-seki-no-fune

29. 中川隆[-11645] koaQ7Jey 2019年3月07日 15:51:53 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[346] 報告

中島みゆき 店の名はライフ 動画
https://pv755.com/mise-no-na-wa-raifu


喫茶「ライフ」(北海道札幌市)
http://miyuki-lab.jp/gallery/spot/life.shtml

かつて北海道大学正門前にあった、アルバム『あ・り・が・と・う』収録の『店の名はライフ』のモデルとなった喫茶店。

写真撮影当時は漫画喫茶「ニューライフ」と改名。歌詞に登場する自転車屋は文具店に変わっていた。1992年に取り壊され、現在は、ホテル「北栄館」になっている

___


北大前にあった喫茶店「ライフ」は、のちにうどん屋に商売替えをし、さらには札幌駅に近い札幌国際ビル地下に移転してしまいました。

現在は「味処あずま」という店名で営業しています。
喫茶店時代からあり、中島みゆきもよく注文した「豚丼」は、今でも健在です。
https://wiki.chakuriki.net/index.php/%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E3%81%BF%E3%82%86%E3%81%8D%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3

30. 中川隆[-11643] koaQ7Jey 2019年3月07日 16:35:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[348] 報告

店の名はライフ 1977.06.25

中島みゆきの通算3枚目のオリジナル・アルバム『あ・り・が・と・う』収録曲。

1970年代、北海道札幌市北区、北大正門の近くにあった喫茶店「ライフ」がモデル。
歌詞のとおり、隣には自転車屋があった。

当時、藤女子大の学生として店を訪れていた中島みゆきについて、「ライフ」の“ママ”は、

「化粧っけも無く、地味な感じのお嬢さんだったけど、店が込むと、そっと手伝ってくれたんですよ。よく覚えています」

と語っている(1999年5月3日付「北海道新聞」より)。



□ REVIEW

この作品の3番の歌詞の「抜け道は左 安梯子」と言う部分は、小説「女歌」の「もう一人のmiss M.」のなかで昔の思い出として描写されている一部分

(公安関係者の捜索を受けた時に店を抜け出して走って逃げたという主旨の描写)

とつながるのではないでしょうか。

歌ではさらっと流していますが、現実はいろいろあったという感じで。

4番の歌詞は時代は変わったという表現だと思いますが、「ぬり込めてしまった」というフレーズには意味深長なものを感じます。(猫左衛門/50代・男性)
http://miyuki-lab.jp/disco/song/ba043.shtml

31. 中川隆[-11642] koaQ7Jey 2019年3月07日 16:59:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[349] 報告

中島みゆき ミルク32 1978.04.10
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E3%81%BF%E3%82%86%E3%81%8D+++%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%82%AF32&sp=mAEB


北海道大学の学生のたまり場となっていた喫茶店「ミルク」がモデル。

喫茶ミルクの中島みゆきと猫 2014年01月24日
https://ameblo.jp/takemasa723/entry-11756610237.html


先日、若い女性と飲んでいるときに「みゆき」と「ちはる」の話をしたら、「みゆきとちはるって誰ですか?」と聞かれてしまったタケマサです。


私の中では「みゆき」と「ちはる」と言われれば、「中島みゆき」さんと「松山千春」さんです。


さて、先日、あの「学生街の喫茶店」を絵に描いたようなお店に行ってきました。


地下鉄北18条駅から516m(食べログから)


札幌市東区北20条東1にある ミルク


ミルク - 北13条東-喫茶店 [食べログ]
https://tabelog.com/hokkaido/A0101/A010202/1007836/

40年前に出来たお店


マスターは元シンガー・ソングライター


(藤女子大学在学中に)北海道大学フォークソング研究会の初代メンバーだった中島みゆきさんもお店にも来ていたとのこと。



訪問時のお客さんは私ひとり。


なので、マスターの奥さまからいろいろなお話を聞くことが出来ました。


マスターは若手バンドの育成をしていて、デビュー前の中島みゆきさんと人気を二分していたシンガーでこの店でもバイトしていたのは宮越屋珈琲の社長さんという話や藤女子高校出身の大黒摩季さんもこのお店に来ていたとか。


と、ここで、お店の中で猫ちゃんを発見


捨て猫が住み着いて5年半


名前は「さぶ」ちゃん


最初はブサイクなので「ぶさ」ちゃんと名前をつけたそうですが、それではかわいそうなので、逆さにして「さぶ」ちゃんにしたとのこと。


まるで「怪傑ゾロ」のような「さぶ」ちゃんでした。



奥さんとの話に夢中になり、珈琲の写真を撮るのも忘れてしまいましたが、とても美味しい珈琲でした。(380円)


この店に訪問する前に食事したお店の有線で、偶然にも中島みゆきさんの「糸」


縦の糸はあなた 横の糸は私
逢うべき糸に出逢えることを
人は仕合わせと呼びます


学生時代にタイムスリップした「しあわせ」なひとときでした。
https://ameblo.jp/takemasa723/entry-11756610237.html

32. 中川隆[-11641] koaQ7Jey 2019年3月07日 17:05:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[350] 報告
中島みゆきとミルク


投稿者 : エリック 登録日 : 2008年9月22日16時52分

中島みゆきと言えば「ミルク」をおもいだします。喫茶店の名前です。札幌の藤女子
大学に通いながら練習してた場所が大学近くのミルクでした。当時の喫茶店のマスタ
ーに取材したことがありますが、とにかく喫茶店の2階でいつも練習してたようです
ね。そして、ヤマハのポップコーンで才能が一気に爆発したのです。当時のヤマハプ
ロデューサーの橋田が生みの親とか橋田本人が言ってましたが。ミルクは歌の歌詞に
もまっているほど中島さんにとって愛着があるのです。時代を超えても「時代」は歌
われ続けてます。

Re:中島みゆきとミルク
投稿者 : 阿部@管理人 登録日 : 2008年9月23日16時53分
リンク : http://miyuki-lab.jp/


コーヒーハウス「ミルク」のマスター、前田重和さんは、
今年2月にNHK札幌で放送された「北海道ひと物語」でも
若手ミュージシャンたちを支援する様子が紹介されてました。
ちなみに、現在は「ミルク60」です。

その中で、みゆきさんの『ミルク32』の紹介があり、
みゆきさんがアマチュア時代に出演した前田さん後援の
フォークイベントのチケットが、ちらっと映ってました。

「??まなフォークコンサート」
 第30回不況克服ソロ特集
 1974年5月10日(金)道新8Fホール
 午後5時半開場、6時開演予定、おふたり様¥500
 出演:宮越陽一、中島美雪、こみやさんと室内バンド 他
 後援:コーヒーハウス ミルク(北20通り)

タイトルの一部が画面からはみ出して見えませんでした。
これがわかれば【公演記録】に追加できるんだけど。

喫茶店の開店は昭和49年なんですが、
当時は2階が練習スタジオだったんですね。
現在あるスタジオ「ミルク」は、喫茶店から徒歩2分ほどの所にあり、
昭和52年に父親の持っていたアパートを改装して開業したそうです。

p.s.
ヤマハの橋田さんって「橋田ペッカー正人」さんのことですか?
『親愛なる者へ』あたりからアルバム制作に参加してます。
http://miyuki-lab.jp/bbs/pslog/bbs_f/plgafree204.html

33. 中川隆[-11640] koaQ7Jey 2019年3月07日 17:12:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[351] 報告


コーヒーハウス「ミルク」訪問記  ―中島みゆきからの「問い」の再発見―
投稿日: 2016年9月23日 投稿者: jun
https://soiree.belle-neige.net/essays/295

昨年末の『一会』年内最終公演のレポート以来、またしても長らく開店休業状態が続いていたこのブログ――だが、その怠惰から私を覚醒させる不意の一撃ででもあるかのように、つい先日、私の30数年間にわたる中島みゆきファン歴の中でも真にエポックメイキングな出来事に遭遇した。そのことを書きたい。

9月上旬、札幌への出張の最終日の日曜、幸い少しだけ時間ができたので、当地にお住まいのFacebookの友達Uさんのお誘いで、コーヒーハウス「ミルク」を訪れた。

今から24年前、みゆきファンの友人二人と北海道へ、いわゆる「聖地巡礼」をしたときにも、この店の前までは行ったのだが、そのときはまだ開店前で、シャッターの前に立った私の間抜けな写真が残っている。

中島みゆきの熱心なファンのあいだでは、このコーヒーハウスは、「ミルク32」 (1978年のアルバム『愛していると云ってくれ』収録曲) の舞台のモデルとしてよく知られているだろう。マスターの前田重和さんは、学生時代、宮越陽一さん (札幌の喫茶店、宮越屋珈琲の現社長) 、そして中島美雪と3人でフォーク・グループを組み、音楽活動をしていたかたである。

この日は、営業時間 (14時開店) を前もって調査し、Uさんと15時に現地で待ち合わせることにした。定刻少し前に到着すると、お店はまだすいていて、マスターに「長年の中島みゆきさんのファンなので……」と正直に打ち明けると、学生時代当時のことをはじめとして、色々な興味深いお話をゆっくり伺うことができた。

それらの貴重なお話の中でも、とりわけ強く印象に残ったのは、中島みゆきは、40数年前のアマチュア時代からずっと変わることなく、心の奥底に直接に響くように、「あなたは、人は、社会はこのままでいいのか」という問いを鋭く突きつけてきた――ということ。

当時、「彼女の歌には社会性が足りない」などという批評もあったが、今から思えばそれはとんでもない的外れで、彼女ほど社会の本質を深く、鋭く捉えていた者はいなかった――というお話もあった。

前田さんご自身は、最近はあまり頻繁に彼女のライブに出かけるわけではないけれど、2,30年ほど前のコンサートで、学生時代と同様、中島みゆきと1対1で向き合っているかのように、その問いかけの迫力に圧倒され、客席にいながら、まるで飛行機が離陸するとき加速で座席に強く押し付けられるかのような圧迫感を感じた、と率直に語られた。

この店は、隣接する「スタジオ・ミルク」と連携しながら、北海道・札幌の若いミュージシャンたちの活動拠点ともなっていて、私たちがいるあいだも、重そうな機材や楽器をかかえた人たちが時折、訪れていた。

前田さんは、そうした若いミュージシャンたちを育てることで、学生時代に中島美雪から突きつけられた問いに今も答えようとしているのかもしれない。

私自身、今から36年前に彼女の存在を最初に意識した時以来、まだ記憶に新しい夜会VOL.18『橋の下のアルカディア』、そしてスペシャルコンサート『一会』に至るまで、中島みゆきからは幾度も、そうした――直ちに応えることの困難な――自己や人間や社会についての根底的な問いかけを突きつけられてきた。それらの記憶が、今も私にとって、中島みゆきという存在がもつ意味の原点になっている。

――が、若き日の彼女を直接に知る前田さんの言葉で、改めてそれが彼女の変わらぬ姿勢であると証言されたことは、私にとってきわめて重く、その原点を鮮明に、新たな光の中に再発見させられる思いだった。1対1の関係の中で、中島みゆきから渡された問いというバトンを、未来へと引き継いでゆこうとする意志を――まるで中島みゆき自身の肉声で呼びかけられたかのように――これまでになく強く鼓舞される思いでもあった (Uさんも同じ思いだったと、後から聞いた)。


なお、少し補足しておくと、前田さんと私たちは、何も上記のようなシリアスで重い話ばかりをしていたわけではない。前田さん――そして、コーヒーハウスとスタジオを共同で切り盛りされている奥さんの彰子さんも、途中で話に加わっていただいたが――ご夫妻お二人とも、とても気さくで明るく、かつ穏やかな方々だった。

そういえば、中島みゆきの、あのシリアスな歌とコミカルなトークでバランスを取ろうとする独特のスタイルも、学生時代からまったく変わっていない――というのも、前田さんの貴重な証言のひとつであった。

私もUさんも、中島美雪がいつも坐っていたというカウンター席に坐らせてもらい、その頃から降り積もった時間が堆積しているこの空間の心地よさと懐かしさの中に、ひとときのあいだ身を委ねることができた。

――このような貴重な、まさに一期一会の機会をつくっていただいた前田さんご夫妻とUさんに心より感謝するとともに、いつか再びこの場所を訪れる時がめぐってくることを、強く願っている。



コメント


めんとれ より: 2016年9月24日 10:17 PM

拝読させて頂き、みゆきさんが3人のグループで歌っていたのは、何年間なのだろうか、又いつ頃なんだろうか、どんな曲を歌っていたのか、などなど興味が湧きます。

大学進学で札幌に出たのが、1970年4月。1972年1月にはソロで地区予選に出場。3人の活動期間は、大学1年2年の頃としたら、意外と短かかったんだなと。
人との繋がりを大切にされているようにお見受けするみゆきさんですが、こと音楽で接した人々に関しては客観的に対処されているように思えて仕方ありません。

学生時代に一緒に歌ったグループのメンバーからは、その後の交流の話題が漏れ伝わって来ません。そして、帯広時代のことと同様に、みゆきさん自身の口からも(曲を除いて)あまり話題が出てきません。
ミルクの話題から、ふと そんなことを感じました。

JUN より: 2016年9月25日 12:02 AM

そう言われてみれば、グループの活動期間やレパートリーなど、当時の具体的なことはほとんどお聞きせず (というか、そうした質問自体を思いつかず)、もっぱら前田さんから見たみゆきさんの人物像についてのお話を伺うことに集中していました。

みゆきさんの藤女子大での学生時代は1970年4月から1974年3月までの4年間ですが、ちょうどその半ば、3年生の1972年にフォーク音楽祭全国大会に出場し、課題詞として提示された谷川俊太郎さんの「私が歌う理由」に大きな衝撃を受けた、という有名なエピソードがありますね。その前後の時系列については具体的にはお聞きしなかったのですが、お話のニュアンスでは、それ以降も札幌での3人の活動は続いていたような印象を受けました (次に訪問する機会があれば、確認してみます)。

一般論として、みゆきさんのアマチュア時代については (卒業後の帯広時代のことも含め)、ご指摘のとおり彼女自身があまり語っていませんし、ごく断片的な情報 (当時の少数の新聞記事など) しか手に入らないので、なかなかはっきりしたことを知るのは難しいですね。

ただ、「ミルク」が開店したのは、みゆきさんの卒業後の1974年9月のことで、「ミルク32」の歌詞から伺われるように、それ以降もずっと――おそらく現在に至るまで――前田さんとみゆきさんとのあいだには、若き日の仲間同士としての気の置けない信頼関係が続いていることが感じられました。そのことを確認できただけでも、この訪問は私にとって価値ある経験だったと思います。


追伸
このブログ記事によると、NHK北海道ローカルで2008年に放送された「北海道ひと物語」というドキュメンタリー番組に前田さんが出演し、1974年5月にみゆきさんや宮越さんが出演したライブのチケットを見せてくれた、ということです。
http://58447802.at.webry.info/200802/article_5.html

そうするとやはり、(必ずしもグループというかたちではなくても) 3人の音楽的つながりは、みゆきさんの卒業後も続いていたと言えそうですね。



めんとれ より: 2016年9月25日 2:57 PM

あるブログに、ミルクのマスターから聞いたことが書かれていました。

思い切ってマスターとみゆきさんが組んでいたバンド「壊れた蓄音機」の時代のこともうかがってみた。最初ボーカルは女性2名で始まったのだという。やがてみゆきさんだけになり、その活動期間は2年間ほどだった、ということがわかる。様々な有名バンドのコピーを演奏するバンドとして活動していた、とのこと。みゆきさんがオリジナルを披露するようになるのは、そのあとに研究会をするようになったときからだった。
http://blogs.yahoo.co.jp/m19520223/54588939.html

ところで、このブログの方をご存知でしょうか。


JUN より:2016年9月25日 5:58 PM

このブログの著者は、内容から推察すると、放送当時のNHK札幌のスタッフ(ディレクター?)のかたのようですね。私は初見です。

この記述からすると、「壊れた蓄音機」として活動していたのはみゆきさんの学生時代前半の2年間ほどで、後半 (フォーク音楽祭出場以降) は、北大フォークソング研究会に参加する一方、ソロとしてオリジナル曲を歌うようになった、というような時系列が推測されますね。

前田さんのお話は、どちらかといえばその後半期の印象を中心に語っておられたのかもしれません。

なお、北大フォークソング研究会は現在も存続、活動しているようです。
http://hokudaifken.webcrow.jp/


https://soiree.belle-neige.net/essays/295

34. 中川隆[-11639] koaQ7Jey 2019年3月07日 17:15:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[352] 報告

北海道 札幌巡りA【中島みゆき ミルク32】2019年02月18日
https://ameblo.jp/mejirotabi/entry-12439895308.html

2019年2月の北海道ツアーの参加旅行記です。

クラブツーリズムのツアー2泊3日に参加してみました。

1日目は札幌雪まつりを散策してますが、少し時間が余ったので、ロック巡礼をしていきます。タクシー拾って、あるお店に向かいました。

中島みゆきの1978年のアルバム「愛していると云ってくれ」というアルバムに、「ミルク32 」という曲があります。


札幌市内に実在する「ミルク」という喫茶店が舞台なんですね。そこにやってきました。中島みゆきは北海道の名士のお嬢さんだったんでした。札幌の大学に通っていて、このお店にもよく来ていたんですね。

「ミルク32 」はこのお店のマスターのことを歌ってるそうですね。振られて愚痴る客(=みゆき)と優しいマスターみたいな設定だったと思います。中島みゆきの歌詞にありがちな設定でした。


中島みゆき「ミルク32 」


ねえ ミルク またふられたわ
忙しそうね そのまま聞いて
ゆらゆら 重ね上げた
お皿と カップの かげから

ねえ ミルク またふられたわ
ちょっと 飛ばさないでよ この服高いんだから
うまくは いかないわね
今度はと 思ったんだけどな

あんたときたら ミルクなんて飲んでてさ
あたし 随分 笑ったわね
いつのまに バーボンなんて
飲むように なったのよ

https://ameblo.jp/mejirotabi/entry-12439895308.html

35. 中川隆[-11638] koaQ7Jey 2019年3月07日 17:22:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[353] 報告

2015年5月31日のゲスト
http://www.hbc.co.jp/radio/genkibito/backnumber/2015/interview150531.html


前田 重和さん/音楽プロデューサー
「コーヒーハウス ミルク」マスター
「STUDIO MILK」経営

札幌市出身。68歳。
子どもの頃から音楽好きで、中学・高校では合唱部に在籍。高校2年の頃は、当時流行っていたアメリカンフォークにのめり込みバンド活動に夢中になる。札幌大学在学中には「北大フォーク研究会」とも交流をもち、デビュー前の中島みゆきさんと知り合う。そして1974年、大学を卒業して2年目で中島みゆきさんの歌にも登場する「コーヒーハウスミルク」を開店。1979年には、練習スタジオ「STUDIO MILK」をオープンした。


■コーヒーハウスミルク40周年記念 ザ感謝ライブ■
6月26日(金) OPEN 18:00〜/START 18:30〜
6月27日(土) OPEN 16:00〜/START 16:30〜
ペニーレーン24で両日開催
チケットの取り扱いは、ローソンチケットかコーヒーハウスミルク

◎コーヒーハウスミルク&STUDIO MILKのHP
 http://www.milk32.com/

村井裕子のインタビュー後記

 朝の連続テレビ小説。この3月までの「マッサン」の主題歌は、中島みゆきさんの「麦の唄」。ごく易しい言葉なのに物語の真髄が浮かび上がってくるような素晴らしい歌だった。

 確か年明けの回だったと思う。歌い出しを聴いて「あれ?変わった?」と思った。心をグイッと鷲掴みにされたような衝撃があり、あれよあれよという間に涙が止まらなくなった。

 なぜ?と思って録画を聴き直してみると、聴き慣れていた一番が二番に変わっており、その歌い方が一番の時とは格段に違っていたのだ。思いを込めているとか、深みがあるとか、簡単には表現できない中島みゆきさん特有の「凄み」といったらいいか。「朗読」表現で言えば、ここぞという言葉を発する時の「息づかい」の妙味に溢れていて、それからの毎朝、「大好きな」とか「愛する」という言葉に差し掛かると決まって涙を誘われ、メイクしたての時などはほんとうに困ったものだった。

 中島みゆきさんの真骨頂を再確認した主題歌だったが、歌であれ何であれ「テクニック」で人は泣かない。たぶんすごく簡単に言ってしまうと、「魂」の歌い手だからなのだろう。

前田重和さん 魂の込められた歌、嘘偽りのない歌、ほんものの歌・・・それは、人の人生をも揺さぶり、力強く前に踏み出す勇気を与えてくれる。今回の「ほっかいどう元気びと」は、そんな「ほんものの歌」を歌う人を世に送り出したくてミュージシャンの卵達を応援し続けてきた人。

 札幌の東区で40年間「コーヒーハウス ミルク」のマスターとしてコーヒーを淹れながら、音楽プロデューサーとしても活動してきた前田重和さん 68歳。喫茶店の開店から5年後の1979年には、バンドの練習が出来るようにと「STUDIO MIKL」も手掛け、格安でミュージシャン達の技を磨く場を提供してきたという音楽一筋の人だ。

 前田さん自身も若い頃から音楽に情熱を傾け、バンド活動やシンガーソングライターとしてメジャーを目指した時期もあったというが、応援する側に回ったのは、中島みゆきさんに会ってしまったからだという。70年代、音楽の世界も新しいものを生み出そうとするエネルギーが渦巻いていた時代、前田さんと中島みゆきさんは「北大フォーク研究会」で知り合い、初めて中島さんの歌を聴いて衝撃を受けた前田さんは、「自分はこういう人を世に送り出す手助けをしなくては」との思いで、卒業後にライブハウスも兼ねた喫茶店「ミルク」を手作りで完成させたのだという。

 中島さんの「ミルク32」という歌に出てくるマスターはやっぱり前田さん?と訊くと、満更でもなさそう。ただ、「中島(みゆきさん)に会ってしまったおかげで、中島を超えるようなミュージシャンを世に出したいと、とてつもなく高い目標になってしまった」と、その達成に向けてまだまだやりたいことは山ほどあるとの志を力を込めて語ってくれた。

 共感したのは、スタジオに練習に通うミュージシャンの卵達との距離の取り方。決して近くなりすぎないように、でも、なんとか伸びてほしいので、喫茶店から少し離れたスタジオに掃除に行ったついでに、漏れてくる音を聴く。その音がそれまでよりもより良く変化していたら、タイミングを逃さずに伝える。誉める。なぜならば、本人達は「変わった」ことに案外気づかないから。どこが、とんなふうに、どうより良く変化しているかを誰かが捉えて指摘してあげることでそこからまたグンと伸びる。それは経験でわかると、前田さんは言う。

 そして、音楽で成功する人の秘訣は、なんと言っても練習にあり。人並み外れた練習の出来る者だけが自分で自分の力を引き出すことが出来る。だからこそ、場を提供し、そっと寄り添い、ここぞという時に誉めて、気づかせ、誰かに繋ぐ仲立ちをする。音楽という、底知れぬ魅力の吸引力があり、同時に生半可な覚悟では弾かれてしまうような厳しい世界を目指す人への愛情がずっと継続しているのだということが伝わってきた。

 そして、「“ほんもの”だからヒットに恵まれるとも限らない。それは売れる売れないのビジネスと相容れないところもあって、そこが大きな悩みどころ」とジレンマも語る前田さん。とはいえ、そういう答えが出ない難問や課題も、80歳、90歳に到達した段階で解ける知恵が授かるかもしれない。自分は人間の遺伝子が可能とされる120歳まで生きると目標を置いて、答えを見つけるのを楽しみに歳を重ねていきたいと、意識付けこそが命を伸ばすという超前向き独自理論を語ってくれた。

前田重和さん そんな前田さんの「宝もの」は?

 「モノにはこだわらないから・・・無いなあ。でも、大事なものなら・・・やっぱりカミさん」

 苦労を共にしてきた大切な存在。前田さんは、「人間として尊敬している」と、きっぱりと言う。伴侶のことを、特に男が妻のことを「尊敬している」と言えるというのはなんと素晴らしいことだろう。前田さんは、若い頃にフォークを始めた時点でもう見栄も評価して貰いたいという気持ちもないし、夫婦の間でも嘘がない・・・と話されていたが、人と人との間で「尊敬」ほど輝く宝はないと私は思う。

 「尊敬」=「respect」は、「re(もう一度、遠く)+spect (見る)」という意味。「距離をとって見つめる」ということだと何かで読んだことがある。近くに見えすぎて感情的になる間柄を少し離して再び見てみるというのは、夫婦の間柄でこそ欠かせない視点だ。

 音楽を目指して集まる若者達にも前田さんはそんな眼差しで接しているのだろう。一般的な「誉める」という上からの評価ではなく「尊敬」の視点で良さを見つけ、言われた人に勇気が湧くような水平の言葉掛け。40年にも渡って多くの人達が前田さんの元に集ってきた理由は、そのあたりにもあるのではと感じた。

 これから高齢者人口の圧倒的割合を占めるのは、前田さんのような団塊の世代の人達。その年代の人達の生きる姿勢と発する言葉が世の中の空気を左右する時代が必ずやってくる。

 話を聴き終えて思った。女性も男性もなく、年が上だの下だのも関係なく、人のいいところを「いい」と言える尊敬のまなざしを持てる人があちらこちらに溢れてほしいな、と。そして、やはり、「ほんものを求める心」「何が大事か」を貫き続ける気概を見せ続けて欲しい。

 そんな「フォーク」な、或いは「ロック」な魂で生きるニュー高齢者が益々増えたら、この世の中、この北海道、何かがきっと変わるに違いない。

(インタビュー後記 村井裕子)
http://www.hbc.co.jp/radio/genkibito/backnumber/2015/interview150531.html

36. 中川隆[-11637] koaQ7Jey 2019年3月07日 19:08:25 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[354] 報告

中島みゆきの長い評論がネットに有りますが、中学生の感想と同レベルですね:

中島みゆきの世界 高本茂
http://www013.upp.so-net.ne.jp/sigeru/books/nakajima/index.html


中島みゆきの軌跡 | Rock&POPS.OLD
https://ameblo.jp/kuriyakin/entry-10535892625.html
https://www.google.co.jp/search?hl=ja&biw=1097&bih=585&ei=Be2AXIqDKqCTr7wP14K-0Ag&q=%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E3%81%BF%E3%82%86%E3%81%8D%E3%81%AE%E8%BB%8C%E8%B7%A1++%7C+Rock%26POPS.OLD&oq=%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E3%81%BF%E3%82%86%E3%81%8D%E3%81%AE%E8%BB%8C%E8%B7%A1++%7C+Rock%26POPS.OLD&gs_l=psy-ab.3...2806.2806..3831...0.0..0.103.103.0j1......0....1..gws-wiz.ex9JasVi7E0

37. 中川隆[-11634] koaQ7Jey 2019年3月07日 22:11:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[358] 報告

71 :名無しさん@毎日が日曜日:03/09/26 19:58 ID:MsxWbGRDこ

こにも、みゆきファンが多いね。
私も彼女を見つづけている一人ですが、
彼女の隠されたキーは、彼女が共産主義者だったということです。
学生時代は、バリバリの活動家でアジっていたらしい。革マル派。

きのう、滝川と後藤が帰らなかったてねえ
今ごろ寒かろうね つらかろうねえ


74 :名無しさん@毎日が日曜日:03/09/26 20:03 ID:MsxWbGRD

握りこぶしのなかにあるようにみせた
夢を遠ざかる誰のために振りかざせばいい?
歌姫 スカートのすそを
歌姫 潮風に投げて
夢も悲しみも欲望も歌い流してくーれー

それとなく共産主義運動の挫折を歌っている個所が
ずいぶん出てきます。
私は歌姫が好きです。


77 :名無しさん@毎日が日曜日:03/09/26 20:23 ID:MsxWbGRD

彼女は、共産主義は捨てたんだよ
80年代に東欧諸国を旅をして
その現実に幻滅したことをある本に
書いている。


85 :名無しさん@毎日が日曜日:03/09/27 05:34 ID:reMFs4D2
>>77
それ、人違いじゃなくって?何て本?


86 :名無しさん@毎日が日曜日:03/09/27 07:13 ID:UoaOFwBi

ほんとほんと。
彼女は、80年代東欧諸国を旅行しているよ。
その旅の目的は、共産主義思想を捨てるためだ。
昔から東欧諸国を旅行することで共産主義思想の現実を把握し共産主義嫌いになるということが ひとつのパターンになっている。
安部公房もそうだ。
みゆきも、自分へのけじめとして旅行したかったんだろうね。

87 :  :03/09/27 08:19 ID:VAhdzvbS

歌で稼いで、共産主義なんてダメだわ!と気づき、
私は資本主義の世の中で、がっぽり稼ぐのよ〜って感じ?

立場が変われば思想も変わるクズ?


89 :名無しさん@毎日が日曜日:03/09/27 08:32 ID:Qitq5+Ff

中島みゆきの書く詩が共産主義思想についての詩だったのかと思うとなんだかな。
もっと人間の弱さと強さとか普遍的な人間というものを歌ってたのかと思ったよ。


92 :名無しさん@毎日が日曜日:03/09/27 11:20 ID:NzBGVwNR

私も共産主義思想の詩だとは思わなかった。。。
でも、もうその考えは捨てたんだよね。
そのことが書いてある本、読んでみたい。


93 :名無しさん@毎日が日曜日:03/09/27 12:02 ID:UoaOFwBi

彼女の歌に通奏低音のように響いているのは、 共産主義だ。
まあ、日本の映画作家や作家とかには、かなりいるけどね。
トラさん映画もそうだし、宮崎駿のそう。


94 :名無しさん@毎日が日曜日:03/09/27 12:47 ID:vABnYv7w

>共産主義どうこう

根拠をあげてくれればいいのに


98 :名無しさん@毎日が日曜日:03/09/27 19:22 ID:JSJjYWgC

根拠は、上げた。いくつも。
彼女が学生運動を激しくやっていたのは藤女子大の先生その他複数の証言がある。

歌詞もいくつもあげた。
彼女自身が書いた本もある。
極めて熱心なファンは知っている。
俺がそう。俺は彼女の容姿が好きなんだ。
彼女の顔も体も特に体の線がいいね。
あの腰からケツにかけたラインがすばらしい。
50になってもきれいだ。
昔はブスで有名だったが、俺にはブスにはみえなかった。俺は正しかったよ。

334 :^^:03/12/18 00:10 ID:a7z7WtIt

みゆきが、革マルだったのは有名な事実だが
新事実が出てきました。
なんとヤマハ会長の愛人だったって

109 :名無しさん@毎日が日曜日:03/09/28 13:14 ID:IV4TWm0U

>50になってもきれいだ。 昔はブスで有名だったが、俺にはブスにはみえなかった。俺は正しかったよ。

50くらいで整形したんでしょうか。
北海道にいるころは垢抜けないお姉さんだった。


110 :名無しさん@毎日が日曜日:03/09/28 18:48 ID:m0tO8Hh/

歯を矯正して、化粧を変えただけ。
元々、目鼻立ちの整った顔をしていた。


111 :名無しさん@毎日が日曜日:03/09/28 21:04 ID:+stqq9hU

もともと、スタイルは、抜群だしね。
身長は、165センチ前後らしい。


114 :名無しさん@毎日が日曜日:03/09/28 21:11 ID:+stqq9hU

医者の娘でしょう。母親はミス札幌
ブスなわけないじゃん。

121 :名無しさん@毎日が日曜日:03/09/28 23:43 ID:hHB+4UEQ
>>114
なるほど、医者の娘でないと母親がミス札幌でないと成功なんかできないんだな。
共産主義には走れないんだな。


122 : :03/09/29 00:45 ID:e4gAmVwF

俺の好きな宮沢賢治に通じるものがあるな。

129 : :03/09/29 01:04 ID:e4gAmVwF

賢治もみゆきも金持ちの生まれで弱者の味方。
欲はなく 決していからず いつも静かに笑っている・・・


137 :名無しさん@毎日が日曜日:03/09/29 13:57 ID:GrAKVIOA

ローリングエイジ寂しさを
ローリングエイジ人に言うなあ
軽く軽く傷ついてゆけえ


90年代に入って彼女の歌は、あんまりよくなくなったね、
70年代が一番だし続いて80年代、そして今はあんまりよくない。
しかしポップスとしては他とくらば傑出しているのは、確かだ。
柳美理も彼女の大ファンだし、大岡正平も大ファン。
こんなポップス歌手ほかにいない。


140 :名無しさん@毎日が日曜日:03/09/29 15:48 ID:lu3ub98Y

中学高校と施設にいたんだけど「ホームにて」聞くと盆暮れ正月に帰省
したとき思い出して涙がでますわ。


中島みゆき ホームにて 動画
https://pv755.com/homu-nite


144 :名無しさん@毎日が日曜日:03/09/29 18:45 ID:GrAKVIOA

ホームにて
 
あれは、帰ろうとするふりをするけども
なぜか、帰ることができない歌なんだよね。
実家に帰ることができない歌です。

145 :名無しさん@毎日が日曜日:03/09/29 18:57 ID:eVdb70tj

ふるさとへ 向かう最終に
乗れる人は 急ぎなさいと
やさしい やさしい声の 駅長が
街なかに 叫ぶ
振り向けば 空色の汽車は
いま ドアが閉まりかけて
灯りともる 窓の中では 帰り人が笑う

走り出せば 間に合うだろう
かざり荷物を ふり捨てて
街に 街に挨拶を
振り向けば ドアは閉まる


振り向けば 空色の汽車は
いま ドアが閉まりかけて
灯りともる 窓の中では 帰りびとが笑う
ふるさとは 走り続けた ホームの果て
叩き続けた 窓ガラスの果て
そして 手のひらに残るのは
白い煙と乗車券

涙の数 ため息の数
溜まってゆく 空色のキップ
ネオンライトでは 燃やせない
ふるさと行きの乗車券

たそがれには 彷徨う街に
心は今夜も ホームにたたずんでいる
ネオンライトでは 燃やせない
ふるさと行きの乗車券


151 :三年寝たろう ◆lr.SvCnhCc :03/09/30 01:46 ID:qqpb7Zlw

中島みゆきさんのコンサートってどんな雰囲気なんですかね?
もしかしたら、あのラジオ番組のノリでやってるんですかね?
ちょっと気になります。

152 :名無しさん@毎日が日曜日:03/09/30 05:59 ID:ZMd9+vBs

昔はよく泣きながら歌ってたみたいよ。
客を冗談で笑わしたかと思うと、次はしみじみ思い出を語りつつ泣きながら歌ったり(「まつりばやし」とかね)。

これは 70 年代の話だから、今はちょっと分からない。
「歌暦」はあるけど、あれが日常のライブの姿だったのかどうかもよく分からないしね。

233 :名無しさん@毎日が日曜日:03/11/19 05:25 ID:YaM57bRa

生きていてもいいですか?


235 :^^:03/11/19 06:11 ID:IP+ZDD1F

まさに、みゆきは、このアルバムを発表した1980年
生きていてもいいですか?と日本中に問いかけたのである。
もっといえば生きていてもいいことありますか?と問いかけたのである。
実際、その後の日本の状況はひどいもので、ますます人間が住んでいくことには、不可能なほどの生き辛い社会
いきぐるしい社会に変わっていく1980年という其のときに生きていてもいいですか?と問いかけた。

その後のみゆきの出すアルバムは、気の抜けたコーラのように味気ないものに変わり、みゆき自身も生きていないような歌に変わっていきます。

それに日本人も生きているのか死んでいるのかわからない状況で生きているのである。


260 :名無しさん@毎日が日曜日:03/11/26 05:56 ID:Hgd3QL82

根雪を始めて聞いた時に好きになった。25年位前だったと思う。
何か変わったような気がしてファンクラブもやめたのは日WING、月WING あたりからかな。
昔のアルバムは今でも聞く。


261 :名無しさん@毎日が日曜日:03/11/26 17:50 ID:NAm82bzX

アルバム買わなくなったの10年位前からかな・・・
みゆきも変わったんだろうけど、自分が変わったんだろう。
・・・同じく口ずさむのは昔の歌だなー


262 :名無しさん@毎日が日曜日:03/11/26 23:10 ID:Q+n4RJk5
>>261
漏れも EastAsia 以降買ってないなあ。

> みゆきも変わったんだろうけど、自分が変わったんだろう。

うんうん。


677 :名無しさん@毎日が日曜日:04/02/19 09:23 ID:MOIbSfZK

昔は心にしみる歌が多いね。
今はひどいね。
声が高くて早口で歌ってるだけだもんな。
歌詞も薄いし。

https://qb3.5ch.net/test/read.cgi/dame/1063795169/

38. 中川隆[-11626] koaQ7Jey 2019年3月08日 10:25:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[366] 報告

中島みゆき『時代』動画
https://pv755.com/jidai-pv

八神純子『時代』動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%85%AB%E7%A5%9E%E7%B4%94%E5%AD%90++%E6%99%82%E4%BB%A3


▲△▽▼

中島みゆき『時代』が今日も歌い継がれる理由〜縁の深い3人が、その答えを出した
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/48297

今年1月にセブンイレブン限定で発売された『週刊現代スペシャル』が、kindleでも読めるようになりました(詳しくはこちらをクリック)。今回は同誌のなかでも最も反響の大きかった「中島みゆき『時代』を語ろう」を特別に公開いたします。

「つま恋」での出会い

八神純子
’58年愛知県生まれ。歌手。’78年『思い出は美しすぎて』でデビュー。'16年1月ニューアルバム『There you are』発売


上柳昌彦
’57年大阪府生まれ。ニッポン放送アナウンサー。『オールナイトニッポン』を通して中島みゆきと親交を深める。現在は『金曜ブラボー。』のパーソナリティ


田家秀樹
’46年東京都生まれ。音楽評論家・ノンフィクションライター。中島みゆきが定期的に開く舞台『夜会』公式サイトに文章を寄せるなど、親しい付き合いがある


八神 中島みゆきさんの『時代』が発表されてから、もう40年近くが経ったんですね。

田家 僕がみゆきさんと出会ったのは、じつは『週刊現代』がきっかけだったんです。'75年か'76年に東京の豊島公会堂で『週刊現代』の記者が主催した作家や歌手との交流イベントがあって、僕もそれに誘われて出かけていった。そしたら、まだデビューしてまもないみゆきさんがゲストで来ていて、楽屋で紹介されたんです。彼女はジーパンはいて、白いシャツを着ていました。

上柳 へぇ、そうだったんですか。みゆきさんの姿が目に浮かびます。

田家 ええ。髪は後ろで結んでいました。

八神 ファーストアルバムのジャケット写真と同じ。

田家 そのイベントには作家の中上健次さんもゲストで来ていて、「愛唱歌だ」と言って、みゆきさんとふたりでデビューシングルの『アザミ嬢のララバイ』を歌っていました。

上柳 そんなことがあったんですね。僕は'81年にニッポン放送に入社して、'83年に『オールナイトニッポン』の月曜第2部のパーソナリティを担当することになったんですが、月曜の第1部の担当がみゆきさんだったんです。それが出会いのきっかけでした。

第1部と第2部は同じスタジオで放送していたので、僕がスタジオに入って椅子に座ると、まだみゆきさんのお尻の温もりが残っていて……。なんて軽々しく言うと、みゆきさんのファンから「無礼者!」と叱られちゃいますが(笑)。

田家 みゆきさんとの出会いは、僕よりも純子さんのほうが古いんじゃないでしょうか。

八神 私が初めて彼女にお会いしたのは、'75年5月の「ポピュラーソングコンテストつま恋本選会」です。みゆきさんはまだデビュー前でしたね。荷物と一緒にみんな地べたに座っているような楽屋で、私から声をおかけしました。そのコンテストで彼女が『傷ついた翼』を歌っていて、すごくいい曲だなと思ったので、それを伝えに行ったんです。そしたら、あまり反応がなくて。

田家 きょとんとしたような?

八神 「え?」みたいな。当時私はシャイで、初対面の人に声をかけるのはとても勇気がいることだったんですね。いま思えば、私の声が小さかったので、たぶんはっきりと声が聞き取れなかったんだろうなと思います(笑)。

田家 みゆきさんもとても人見知りをする性格だから、彼女も緊張してしまって、うまく話せなかったのかもしれませんね。

上柳 誰にでも愛想をふりまける器用な人ではないですから。


75年。それは最も重要な年だった

田家 彼女が『時代』を発表した'75年というのは、音楽シーンの上ではとても重要な年なんです。この年には「キャロル」が解散して、吉田拓郎、井上陽水、小室等、泉谷しげるの4人が「フォーライフレコード」を設立した。「フォーライフレコード」は、それまで契約される立場だったミュージシャンが、みずから経営者になって契約する側に回ったという意味で、ひとつの革命でした。また、女性のシンガーソングライターが多数出てくるのも、ちょうどこのころからです。

八神 そうそう。私よりも少し前に尾崎亜美さんや渡辺真知子さんがデビューして。

田家 '60年代の終わりに藤圭子さんが登場して、'70年代になると五輪真弓さんと荒井(現・松任谷)由実さんが出てくる。その数年後にみゆきさんがデビューしたという流れですね。'70年代に入っていろいろなスタイルで歌う女性シンガーが出はじめて、'75年に一気に花開いた。そのなかに中島みゆきさんの『時代』があったわけです。

上柳 八神さんは最初に『時代』を聴いたとき、どんな印象を受けましたか?

八神 じつは私、『時代』をはじめて聴いたとき、すぐには好きになれなかったんです。

上柳 え! そうだったんですか?

八神 ええ。まず『時代』という仰々しいタイトルがなんだかとっつきにくいなと思った。それに、当時プロミュージシャンになるための登竜門だった「ポプコン」や、「世界歌謡祭」でグランプリを獲るために狙って書いた曲のように見えてしまって、どうにも好きになれませんでした。

上柳 それは意外なお話ですね。

八神 でも、あとになって、みゆきさんが『時代』を書いたのは、彼女の才能を見出した、川上源一さん(ヤマハ社長=当時)と、お父さまの存在が大きかったのではないかな、と気づきました。

みゆきさんのお父さまは彼女がデビューする直前に脳溢血で倒れられて、デビュー翌年に亡くなられています。そんな大変な状況のみゆきさんを見て、川上さんは自分がお父さまの代わりになって彼女を応援しよう、絶対に世に出してやろうと思ったのではないでしょうか。

そして、みゆきさんも川上さんの期待に応えたい気持ちがあった。そのためにも『時代』という大曲を作って、川上さんに感動してもらいたい、恩返しがしたいと願っていたのだと思います。


田家 なるほど。八神さんは東日本大震災以降、被災地を回りコンサートを開かれていますよね。そこでよく『時代』を歌われている。どのような経緯であの曲をカバーするようになったのですか。

八神 被災地を訪ねるなかで、ある町長の「中島みゆきの『時代』が聴きたいな、来てくれないかな」という言葉を人づてに聞いたのがきっかけです。それならば私が歌わせてもらおうかなと(笑)。私、カラオケを持って被災地を回っていましたから。

上柳 ご自身で『時代』を歌われるようになって、あの曲の存在をどう感じるようになりましたか。

八神 被災地でコンサートをするうちに、『時代』という曲の持つ力を痛感するようになりました。コンサートというのは毎回雰囲気が違うもので、みんなとうまくつながることができないなと感じる瞬間もある。でも、そういうときに『時代』を歌うと、すぐに聴く人たちと一緒になれるんです。

田家 それこそが『時代』の懐の深さですよね。誰にだって生きていれば辛いこと、悲しいことがあります。『時代』は、誰もが経験したことのある人生の苦境を歌にしている。とても普遍的な歌詞であり、メロディです。

八神 そう思います。東日本大震災の前と後では日本はずいぶん変わってしまいました。その状況で〈今日は別れた恋人たちも生まれ変わってめぐりあうよ〉というフレーズを歌うと、震災前には考えもしなかった意味を持ちますよね。『時代』というのは、時、場所によってその姿を変えながら、聴いた人を励まし続ける歌なんです。

田家 悲しいことがあるけども立ち上がって歩きだすという歌詞も、当てはまらない人はいない。

八神 岩手県一関市の千厩でコンサートをしたときに、あるお医者さんご夫婦が来られたんですね。そのご夫婦は被災して病院も自宅もすべて失い、絶望して「もう死のうか」と思いながらコンサートに来られた。そのときも私は『時代』を歌ったんですが、コンサートが終わると、「また病院を建てよう」と思い直したそうです。

上柳 そういえば、『オールナイトニッポン』の担当になってしばらくして、ふとみゆきさんが番組で『時代』をかけないことに気づいたんです。なんでだろうと思ってディレクターに聞いたら、「『時代』をかけると『私のためにかけてくれてありがとう』っていう人が多すぎて困るんだよ」と言っていました。「この曲は自分のためだけに中島みゆきが届けてくれたんだ」と感激するリスナーが多く、意味を持ちすぎて軽々しくかけられないというわけです。

実際、私はいまだに番組で『時代』がかかると、つい身構えてしまいますよ。若いディレクターなんか気軽にポンと『時代』を選曲しますけど、そのたびに僕は「そんなに簡単に流して!」と思ってしまう。言いませんけど(笑)。

田家 曲をかける時期やタイミングを読み違えると、影響力が大きいだけに意図したものと違った受け止め方をされてしまう可能性もあるのでしょうね。


瞬間のひらめきで曲をつくる

上柳 こんなこともありました。'10年にみゆきさんの東京国際フォーラムコンサートを観にいったときのことなんですが、僕の前に座っていたのが中年の男性だったんです。その人がコンサート中ずっとわさわさと動いていて、「なんだか落ち着かない人だな」と思っていました。ところがみゆきさんが『時代』を歌うと途端に曲に聴き入り、嗚咽を漏らし始めたんですよ。

田家 みゆきさんといえば、アーティストとしては静かな求道者のイメージがありますよね。けれども、ラジオではとてもハイテンションで話す。上柳さんは素顔の中島さんをよくご存知だと思いますが、どちらが本当の彼女の姿なのでしょう。

上柳 難しい質問です。多分どちらも本当のみゆきさんなんでしょうね。彼女にインタビューをしていると、最初ハイテンションでバーッとおしゃべりするんですが、音楽の話になった途端に、ふっとシリアスな、アーティストのみゆきさんになる。僕はその瞬間が好きなんです。「あ、いま音楽家のモードに入ったぞ」と。

どんなときでも本当に真剣に物事に取り組む人なんだと思います。ラジオの放送前も、いつも番組で取り上げるハガキを熟読されていました。そして番組が終わる深夜3時からすぐにスタッフとミーティング。私の番組が早朝の5時に終わっても、まだ会議をしていることもありました。

田家 さまざまな面があるのも、彼女の魅力なんですね。歌うときも、シャウトする彼女と、ささやく彼女、いろいろな顔を持っていますよね。

上柳 それについても、本人に聞いたことがあるんですよ。曲を作る段階でここはシャウトして、ここはささやくように歌って、とあらかじめ決めるんですかと聞いたら、みゆきさんは「そんなこと、曲を書いているときはまったく考えていないのよ」と言っていました。

曲ができて最初のリハーサルのときに、バンドのみんなで「せーの」でポンと歌いだしたときに、たまたま自分がシャウトで歌ったら、それ以降もその部分はシャウトにするとおっしゃっていました。

八神 その瞬間のひらめきで曲を作り上げていくんですね。

上柳 だからラジオ番組のあのテンションも、初めてラジオ局のマイクの前に座ったとき、追い詰められてポンと出たのがあのテンションだったと思うんです。それまでは、コンサート会場でお茶を出すアルバイトをしていて、ラジオから受ける印象とは真逆の、まったく目立たない女性だったそうですから。

田家 僕なんかも、中島みゆきというと、ジーパンに白シャツという地味なイメージが離れない。



永遠の名曲

上柳 そうでしょう。でもじつは、本人は赤が好きなんです。真っ赤なトレーナーに真っ赤なパンツとか。そういう格好で深夜にいらっしゃる。

田家 それは意外ですね。たしかに赤といえば、彼女のファーストアルバムの1曲目に『あぶな坂』という歌があります。これは、様々な事情で怪我をした男たちがその坂を越えようとして転げ落ちていくという歌です。

その曲のなかに、紅い花に魅せられてみんなが坂を登ってくるというくだりがある。赤が象徴的な色として歌われているんです。自分の思うように生きられなかった人たちに向けられた『あぶな坂』と、もっと俯瞰的に人生を包みこむ『時代』。僕はこの2曲が彼女の原点だと思いますね。

八神 『時代』は進化する歌です。時代が変わるごとに、進化し続けていく。

田家 すぐれた歌というのは、結局そういうことなんでしょうね。誰が歌っても、その歌っている人の歌になるし、みんなの歌になる。『時代』はこれからもずっと、歌い継がれていく永遠の名曲なんだと思います。

(週刊現代スペシャルより)

39. 中川隆[-11625] koaQ7Jey 2019年3月08日 10:43:14 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[367] 報告

中島みゆき あぶな坂 動画
https://pv755.com/abuna-saka
40. 中川隆[-11624] koaQ7Jey 2019年3月08日 11:12:33 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[368] 報告

中島みゆきの代表曲「時代」は天理教の歌

天理教の生死感を見事に歌詞に載せ代弁している。
 生まれ変わりと、人生は魂の旅だと表現している。素晴らしい。

 一般の人が全く気付かない点も素晴らしい。
 宗教臭い厭味(いやみ)ったらしい所が無い。

______

天理教 と 中島みゆき 130年祭の最中に不謹慎ですが。 2016/01/31
https://hikino-effect.at.webry.info/201601/article_18.html


 シンガーソングライター 中島みゆきは天理教の信者(だった?)

 知っている人は知っていると思う。
 今は脱会したと噂が流れている。

 天理教の教理(天理教の教え)を知っている人は、中島みゆきの歌詞=天理教の教理 と認識できる曲が多くあると知っている。


 天理教幹部のための曲も作っている。 

 「糸」 

糸 中島みゆき (1992年) 歌・坂本冬美 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?list=RDz3pkmjqnbHY&v=srBRgYF6LVo


 彼女の代表曲「時代」も天理教の歌だ。

 「時代」

時代 -ライヴ2010〜11- (東京国際フォーラムAより) - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Ry_bpaKDcAo


 天理教の生死感を見事に歌詞に載せ代弁している。
 生まれ変わりと、人生は魂の旅だと表現している。素晴らしい。

 一般の人が全く気付かない点も素晴らしい。
 宗教臭い厭味(いやみ)ったらしい所が無い。

 また、彼女の名前も素敵だ。
 中島 みゆき ・・・ 中山みき (天理教教祖)

 姓の島を 山 だけにして名の ゆ を抜くと 何となく教祖の名前が連想されてしまう。親が考えて付けたのだろうか。

 それは良いとして、なぜ脱会したか。
 それを考えると、TOKIOの 「宙船」 作詞曲:中島みゆき が頭に浮かぶ。 


TOKIO Sorafune Live YouTube - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=L-XTB8RvxIM


 何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ
 何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ
 その船を漕いでゆけ おまえの手で漕いでゆけ
 おまえが消えて喜ぶ者に おまえのオールをまかせるな

 私と同じで、組織が嫌になったのではなかろうか。

 今、教団は金が無い。金で裁かれ金で秤(はか)られ、金を狙って付き合っている。
 なぜなら、船(教団)を動かす金が絶対的に不足しているからだ。
 そして、信者たちに、中島みゆき は
 自分の船をおまえの手で漕いでゆけと言う。
 自分の考えで漕いでゆけ(おまえのオールをまかせるな)と言う。

 中島みゆき はそこまで考えて書いたのだろうか。

 いま日本の状況も同じだ、天理教では天理教本部を鏡屋敷と言う。
 日本を映す鏡だと言う意味だ。まさに見事に映っている。
・・・金で裁かれ金で秤(はか)られ、金を狙って付き合っている。

 中島みゆきは日本人一人一人に政治を当てにせずに、自分で考えて生きろと言っているようだ。

https://hikino-effect.at.webry.info/201601/article_18.html

41. 中川隆[-11623] koaQ7Jey 2019年3月08日 11:15:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[369] 報告

2018.02.13
中島みゆきは天理教をなぜ脱退したのか?信者の芸能人は?
https://芸能ニュース速報.com/%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E3%81%BF%E3%82%86%E3%81%8D%E3%81%AF%E5%A4%A9%E7%90%86%E6%95%99%EF%BC%9F/

Contents

1 天理教とはどんな宗教?
2 天理教信者の芸能人一覧
3 中島みゆきは天理教をなぜ脱退したのか?

芸能ブログライターのkomichiです。

今回は、現在話題となっている「中島みゆきは天理教をなぜ脱退したのか?信者の芸能人は?」です。

まさに日本の元祖歌姫とも言える中島みゆき、個人的に知らなかったのですが彼女は以前天理教に入っていて脱退したということですが何故信仰していた宗教から離れたのでしょうか?

天理教には他にも数多くの芸能人が入信していると言われています、誰が信者なのかまずはご紹介していきましょう!


天理教とはどんな宗教?

中島みゆきも以前は信仰していたという天理教とは、いったいどんな宗教なのでしょうか?

江戸時代末に成立した天理教は、新宗教の一つで中山みきを教祖としている宗教団体になります!

中山みきは、寛政10年に現在の天理市見昧田町にあった前川家の長女として誕生します。

この家は大庄屋だったと言われていて信心深い心優しい人間へと成長し、13歳で中山家に嫁ぎます!

天保9年41歳のときに神の啓示を受け、彼女の体に親神様が入りました。

嘉永7年に妊婦が安心して出産できるように「をびや許し」を始め、これが日本全国へと広まりました!

彼女の言動を快く思わない他の宗教から迫害を受けながらも、天理教は人々から親しまれ広まっていったそうです。

をびや許しは、妊娠6ヶ月以上の女性やその夫、夫婦の両親であれば代理で受けることが出来ます。

奈良県天理市に本拠所を置いていて、信者と教祖で作る法人格を持った包括宗教団体で、天理教の傘下にある一般教会は各地に存在します!

天理教の神名は天理王命(てんりおうのみこと)で、別名親神、親神様とも呼ばれています!

そして、芸能人の中島みゆきも所属していた天理教は「陽気ぐらし」というのを世界に実現しようとしている団体です!

教祖の中山みきは明治20年に死去していますが、天理教では目に見える現身(げんしん)を隠しただけで、その魂は教会本部に留まっていて人々の暮らしを見守り守護していると考えています!

この「教祖存命の理」という考え方が、天理教の信者にとって精神的な支柱になっているということです!

2018年2月11日現在の統理者は「真柱(しんばしら)・中山善司」になります!

天理教の信者は基本的にハッピを平服の上に着るのですが、黒字で背中には天理教と書かれています。

そして、天理教は神道の影響が強く根本教義には次のようなことが書かれています!

「この世の元初まりは、どろ海であった。月日親神は、この混沌たる様を味気なく思召し、人間を造り、その陽気ぐらしをするのを見て、ともに楽しもうと思いつかれた」

人間の役割は、親神が見たいと説く陽気ぐらしを実現することで、親神の守護と恵みによって生かされているという謙虚な気持ちを持って欲を捨てて、嘘をつかず、平和で豊かな世界を目指すことが重要。

さらに、天理教では人間社会の根本理念として親子関係や夫婦関係が重要視されています!

結婚に関して天理教では男女の両性が愛し合うことが前提ですが、離婚は否定していません。

全国各地の天理教の教会は、ぢばの方角に建てられていて信仰している人たちは、ぢばに向かって人の幸せや救いを親神様に向かって祈ります!

本部神殿は、365日24時間開かれていていつでも参拝出来ます!

天理教信仰の中心になるぢば一帯はもともとは、大和の国の庄屋敷村と名づけられた小さな村だったのですが多くの人がやってくるようになり、親里村と呼ばれるようになりました。

親里は人間の帰りを待っていてくれる親神様がいて、人類の故郷であると考えています。

そして、芸能人にも信者が多いと言われる天理教は明治時代から海外へも広がっています!

集団移民した日本人がいる場所やアメリカのハワイ、ブラジル、ペルー、コロンビア、アルゼンチン、パラグアイ、インド、オーストラリア、英国、フランス、メキシコ、チリ、香港、ニュージーランド、ウガンダ、ゴンゴ、ケニア、フィリピン、ネパール、シンガポール、タイなどの世界各国にあります!

教義の基礎は「お筆先(おふでさき)」「神楽歌(みかぐらうた)」「御指図(おさしづ)」の3種類の掲示書に示されています!

毎年1月5〜7日に教会本部で「お節会」という行事が行われていて、この期間中は人類の故郷と考えられているぢばに帰り、参拝した人には鏡餅を雑煮にしたものが振る舞われています!

現在の宗教法人天理教の教えは、元祖の教祖であった中山みきの教えと明らかな違いがあるという指摘がされています!

天理教信者の芸能人一覧

ここからは、天理教の信者だと言われる芸能人をご紹介していきましょう!

● 李香蘭(山口淑子)
天理教信者であったのは事実のようで、神殿で見たという目撃情報が多いのです!

● 元チェッカーズ 高杢禎彦
がんになったことで、天理教の信者になったと言われています

● 加護亜依
子供の頃に、天理教が毎年夏休みに行っている子供向けのお泊まり会「こどもおぢばがえり」に参加していたと語ったことがありますが、これは信者でなくても参加出来るのでそうであるのかは不明です!

● 渡辺徹
ご両親は天理教だったことから、渡辺徹もそうではといった説や一時期週刊誌にもそう書かれていたと言われています

● 伊東美咲
学生時代素行が悪かったことから、大阪の天理教の分教会に下宿に出されたそうです。

● 畑恵
目撃情報が多いようで、信者だったのではという説が浮上しています!

中島みゆきは天理教をなぜ脱退したのか?

芸能人の中島みゆきは天理教の信者だったといいますが、脱退した理由はいったいなんでしょうか?

それを紐解いて行く前に、中島みゆきとはどんな人物なのかご紹介していきましょう!

1952年2月23日北海道札幌市生まれの65歳(2018年で66歳)、日本のシンガー・ソングライターでラジオパーソナリティでもあります。

1975年「アザミ嬢のララバイ」でデビュー、父親は産婦人科医だったといいます。

ご存知のとおり、芸能人として日本で知らない人はいないと思われる中島みゆきは数々のヒット作を自身が歌う以外にも、他の歌手に楽曲提供して世の中に送り出しています!

1979年にニッポン放送の「中島みゆきのオールナイトニッポン」が放送開始され、リスナーから大きな支持を受けます。

1983年になると、柏原芳恵に提供した「春なのに」が大ヒットし、第25回日本レコード大賞で作曲賞を受賞するなど数多くの賞をもらい、日本の音楽業界を牽引していきました!

さまざまな活躍をしてきた中島みゆきは、2009年11月3日に紫綬褒章を受賞しています!

芸能人としての中島みゆきの活躍の裏には、天理教が色濃く影響されていると言われていて、言葉遣いや衣装などに強い影響を与えていたといいます。

両親が信者で、父は産婦人科医だったのに赤ひげ先生のような生き方を実践しお金のない人からは出産費用を取らなかったと言われているほど、熱心に天理教の教えを守っていたといいます。

その意志を引き継いで、中島みゆきは芸能人として活躍をしながら天理教の教えを歌の歌詞に込めて、多くの人に広めていったと言われています。

1992年に発表された「糸」という曲は、天理教の代表者「中山善司氏」の結婚式のために作られた曲だと、天理教機関新聞1992年4月12日号に書かれているそうです!

この歌の歌詞に次のようなものがあり、脱退の噂がある中島みゆきの歌詞が好きすぎて天理教に入りたくなるファンもいると言われています。

「縦の糸はあなた、横の糸は私、会うべき糸に出会えることを人は幸せと呼びます」

この曲は、人を糸にたとえて人と人が出会うことで布が出来上がる、という意味がある素敵な作品となっているそうです!

そんな中島みゆきが天理教を脱退したという噂が出ていますが、実はこれに関しては本当か噂なのか憶測の域を出ていないと言われています。

ただ、先程も書いたように中山みきが生きていた頃から考えると現在の天理教はただお布施集めに熱心で、教えが捻じ曲げられている面があると言われていて、それにうんざりしている信者の方もいるようですから、芸能人の中島みゆきがそれにうんざりして脱退した可能性は否定できないと考えることも出来るようです!

どんなものを信仰するかは個人の自由です!

こんな映画もありますので、参考にされてください!

宗教大国欧米の大手メデイアが唸ったと言われる、個人的にも好きな作品です。

ちなみに、PKとは酔っ払いという意味です!

https://芸能ニュース速報.com/%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E3%81%BF%E3%82%86%E3%81%8D%E3%81%AF%E5%A4%A9%E7%90%86%E6%95%99%EF%BC%9F/

42. 中川隆[-11619] koaQ7Jey 2019年3月08日 13:46:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[373] 報告

天理教 と 中島みゆき 130年祭の最中に不謹慎ですが。2 2016/02/01
https://hikino-effect.at.webry.info/201602/article_1.html



 『糸』 作詞:中島みゆき 作曲:中島みゆき


中島みゆき 糸 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E3%81%BF%E3%82%86%E3%81%8D+%E7%B3%B8+&sp=mAEB


 ひきのeffect が 天理教で解説してみましょう。


     なぜ めぐり逢うのかを
     私たちは なにも知らない
     いつ めぐり逢うのかを
     私たちは いつも知らない
     どこにいたの 生きてきたの
     遠い空の下 ふたつの物語

 天理教では「神にもたれる」といいます。

 私たち自身には分からないが、神を信頼して任せれば(不安を除いて生きていけば)安心して暮らしていける。との意味。

 けれども、ここは曲の導入部なので、「知らない」・・・まだ分からなくて不安な雰囲気を醸(かも)し出しています。


     縦の糸はあなた 横の糸は私


 天理教 元初まりの話 より

 縦の糸 ⇒  あなた (貴方)男、しやち(鯱)が象徴 縦方向の働き
 (男一の道具および骨つっぱりの道具)

 横の糸 ⇒  わたし 女、かめ(亀)が象徴 横方向の働き 
 (ふんばりも強くて容易には転(ころ)ばないものであるから、女一の道具および皮つなぎ)

 ですから、縦糸が男で横糸が女です。

     織りなす布は いつか誰かを
     暖めうるかもしれない


 布=神 天理教は中山ミキを今も生きている(存命の理)として、着物を神前に供え、それを赤衣(あかき)と称してい ます。その赤衣を細かく切った『布』をお守りとしています。


 私のお守り
https://hikino-effect.at.webry.info/201602/img1_1.145433509173604550179.html

 織りなす布・・・神の技ですね。それが包み込むとの意味でしょう。

 最後に曲を完成させるためにこの段階では『かもしれない』です。

 天理教において赤衣は重大な意味を持つが本題でないので割愛する。


     なぜ 生きてゆくのかを
     迷った日の跡の ささくれ
     夢追いかけ走って
     ころんだ日の跡の ささくれ
     こんな糸が なんになるの
     心許なくて ふるえてた風の中


 天理教用語 ⇒ 節から芽が出る

 人生で大きな問題に出会うことを天理教では『節』と言います。
 竹などの真っ直ぐな植物にある途中の枝の出た固い部分。

 順調にやってきたのに、この節というのは、人には妨げになることです。しかしその節(問題)が、大きければ大きい程、それを乗り越えた時、『大きな 幸福』 を感じることができます。
 それを「節から芽が出る」と言います。

 この歌詞では、それを「ささくれ」で表現しています。そして、感じる『大きな 幸福』が次からの歌詞の題になります。


     縦の糸はあなた 横の糸は私
     織りなす布は いつか誰かの
     傷をかばうかもしれない

     縦の糸はあなた 横の糸は私
     逢うべき糸に 出逢えることを
     人は 仕合わせと呼びます

 《まとめ》

 神の道理(天理)を信頼して生きれば、男と女が出会い、神の計(はか)らいで幸せに生きて行ける。

 となります。
 どうでしょうか。

 天理教が中山ミキの教えを、中島みゆきの楽曲の様に教えてくれれば、もっと現代の人にも理解してもらえるし、信者が増えたと思います。

 しかし、残念ながら今の天理教にはそれができません。

 中島みゆき 作詞作曲の 楽曲はカラオケでも人気があります。中山ミキ の思想に依っていることを一般の人は気付かずに歌っています。

 気付かずに歌っていると言うよりも、中島みゆきの 楽曲は私達・自分達の中に自然にある、備わっている、神性に気付かせてくれる楽曲と位置付けることができるかもしれません。だからみんな歌うのかもしれません。

 宗教色は排して、素直に感じればいいと思います。

 中山ミキ婆さんも中島みゆきも素晴らしいですね。

 また 『宙船』でも歌っちゃいますかね。

https://hikino-effect.at.webry.info/201602/article_1.html

43. 中川隆[-11618] koaQ7Jey 2019年3月08日 13:50:59 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[374] 報告

天理教 と 中島みゆき 130年祭の最中に不謹慎ですが。3 : 2016/02/07
https://hikino-effect.at.webry.info/201602/article_5.html



 中島みゆき の楽曲 これに 天理教 とくれば、それしか知らない人は、彼女がさも暗く陰気な人間のように感じるかもしれない。

 しかし、ラジオ放送のパーソナリティーとしての彼女を知っている人は、その声があまりにも明るくて素敵なことを知っている。

 宗教と言うと厳(おごそ)かとか、幽玄(ゆうげん)・・・などの静かな厳粛(げんしゅく)な印象があるが、天理教は本来もの凄く明るい宗教だ。

 従って、私は彼女の歌の重みと、ラジオの声に違和感を感じない。むしろ天理教信者本来の、明るさ、無邪気さ、生きることの楽しさを感じる。


 では、今の天理教は?

 天理教関係者ならご存知と思うのであまり言わないが、一言でいえば「陰気」である。

 中山ミキによると、神が人間を作ったのは、「人間の陽気遊山が見たいから」である。わたしも、色々なことをしているが、楽しいからである。もちろん周りには死んでいく人もいるし、数々の苦楽のドラマが展開している。私自身、歳もとり、3歳の甥っ子に「ジジィ」呼ばわりされるが。

 それをどう感じるかは自分次第であり、それを見ているのが神である。で、神は楽しいものを見たいのだ。

 中山ミキの教えを素直に実践しているのが、中島みゆき だと思う。

https://hikino-effect.at.webry.info/201602/article_5.html

44. 中川隆[-11617] koaQ7Jey 2019年3月08日 14:13:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[375] 報告

中島みゆき「世情」(1978年4月10日)動画
https://pv755.com/sejo
https://www.nicovideo.jp/watch/sm27227751

▲△▽▼

天理教信者の中島みゆきが書いた世情 私見 ひきのエフェクトのブログ : 2016/09/28
https://hikino-effect.at.webry.info/201609/article_21.html

 中島みゆき 世情  1978年4月10日 リリース

 1960年ごろから始まった学生運動のことを知らないとこの歌の本来の意味は理解できません。

 60年安保の時代は大衆運動は労働組合や政治結社が主体でした。
 時代が進むにつれて、大学生が主体となります。

 ベトナム戦争反対運動
 東大安田講堂攻防戦
 70年安保闘争
 三里塚闘争 成田空港建設反対運動
 全共闘世代(ぜんきょうとうせだい)

というのがあって、1965年から1972年までの、全共闘運動・安保闘争とベトナム戦争の時期に大学時代を送った世代のことです。


 1970年

 私は10歳でした。
 ですから、学生運動のことは遠い世界のことでした。都会は火炎瓶が飛び交い大変なことになってるらしい。ぐらい。

 中島みゆきさんは、18歳。
 直接かかわらないにしても、大きな影響を受けたであろうと想像できます。
 現在を生きる、若者世代は理解できないとおもいます。
 革命を本気で夢見た若者たち。・・・私もよくわからない。


 個人的には、全共闘世代・・・ほぼ団塊の世代・・・無責任な大量の人たちだと思っています。 あれだけ大騒ぎをして、知らない顔で社会人をしていました。・・・まだ元気ですがこれから老人になり反省のないまま消えてゆくでしょう。自業自得ある意味悲惨です。
 
 中島みゆきさんは、歌の意味について説明されません。
 そしてその意味の受け取り方は、聞く人それぞれの経験や考え方で変わってくる、別にそれでいいと思います。

 長い前書きになりました。私見ということで書いてみます。

 まず 原詞

 中島みゆき 世情


・世の中はいつも 変わっているから 頑固者だけが 悲しい思いをする

・変わらないものを 何かにたとえて その度崩れちゃ そいつのせいにする

 ※シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく 変わらない夢を 流れに求めて
 時の流れを止めて 変わらない夢を 見たがる者たちと 戦うため※

・世の中は とても 臆病な猫だから 他愛のない嘘を いつもついている

・包帯のような嘘を 見破ることで 学者は世間を 見たような気になる

 (※くり返し×4)


 長くはありませんが意味は深そうですね。
 
 頑固者をどう見るか・・・これで今後の展開が大きく変わります。

 彼女は天理教で育っています。私もです。どうしても、頑固者を・・・神様・・・にしてしまいます。

 (頑固者を時代についていけない者・・・との意見があります・・・単純すぎます)

 すると最初の一行で、後にくる言葉をまとめてしまっています。総括が一番最初にある。


・世の中はいつも 変わっているから 頑固者だけが 悲しい思いをする


 世の中はいつも神の想いと違う方向へ変わっていくので、神の視点からみると、流されていく者たちが不憫で、神は悲しい思いをしている。

変わらないもの・・・安寧、平和、愛・・・

これを何かにたとえて・・・形あるものにして・・・偶像、バリケード、壁新聞、ビラ、モニュメント、契約書

その度崩れちゃ そいつのせいにする・・・形にしたものが、形があるゆえに崩壊してしまう。

そいつ・・・代名詞にして特定しない。

・変わらないものを 何かにたとえて 作るたびに崩れちゃ そいつのせいにする


 変わらないもの、愛や安寧をバリけードや壁新聞にして、作るたびに崩れちゃ人のせいにして自分のせいじゃないと無責任なことばかり言う。


・シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく 変わらない夢を 流れに求めて


  デモ行進が波のように過ぎていく 波・・・おしてはかえしながら・・・小さくなってゆく・・・いずれは消え去る。
 変わらない夢・・・平和などの恒久なもの・・・だけど夢(消えてしまう)
 恒久なものを デモ行進などの流れ・・・変わってゆくものに求める・・・この矛盾
 流れは・・エネルギー・・・力・・・暴力・・・となって戦うに続く


・時の流れを止めて 変わらない夢を 見たがる者たちと 戦うため※

 時の流れを止めて・・・書面や契約書、条約などを作ってこれで、恒久に 平和などが約束されると夢を見たがる・・・実現しないと知っていながら、実行に移そうとする者

 夢を見ている者と、実現しないと知っていながら、実行に移そうとする者の闘い。

 学生運動の虚しさを表現しています。


・世の中は とても 臆病な猫だから他愛のない嘘を いつもついている


 猫の目 物事がその時どきの事情によって目まぐるしく変わる様子。
 猫なで声 優しげで媚を含んだ声
 猫ばば 悪いことを隠して素知らぬ顔をする
 真実を隠し、すぐばれるような嘘ばかりつく

 
・包帯のような嘘を 見破ることで


 大きな傷(社会の矛盾)が隠されている、傷を治さずに覆っているだけの包帯
 包帯を嘘と見破るだけで、本質・・・傷には触れず何もしない。

 
・学者は世間を 見たような気になる


 頭でっかちな学者は、それで世界を解明したかのようなことを言う。
 嘘を見破っただけで傷の本質(社会の矛盾)は何もわかってはいない。治そうとしない。
 また、新しい包帯に換えられる。

 文章が長くなってしまいました。

 TBSの金八先生でこの曲が使われ感動を呼んだと聞きます。私は金八先生が嫌いで見ていませんでした。中学生の不良と学校の対立だったかな。番組では不良中学生の権利の主張みたいな・・・
 いかにもTBS的です。…学生運動の残滓

 
 この歌の基調になる

 世の中はいつも神の想いと違う方向へ変わっていくので、神の視点からみると、流されていく者たちが不憫で、神は悲しい思いをしている。

 いまでも、変わりません。

 戦争法案反対デモ 貧困たたき反対デモ
 原発・・・実現しないと知っていながら、実行に移そうとする。
 
 頑固者だけが 悲しい思いをする。

 この歌を聞いて、私たちはどう行動するべきでしょうか。

45. 中川隆[-11616] koaQ7Jey 2019年3月08日 14:28:44 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[376] 報告

中島みゆき の楽曲と 脳科学者:ひきのエフェクトのブログ 
https://hikino-effect.at.webry.info/201603/article_12.html


中島みゆき の楽曲を脳科学者の茂木健一郎氏と小堺一機氏が語らっている動画を見た。

 ⇒ かたらふ〜ぼくたちのスタア〜 2016年09月03日

 茂木健一郎氏の専門の『脳科学』・・・によると


 『時代』 は メタ認知

 メタ認知とは 認知を認知すること。 人間が自分自身を認識する場合において、自分の思考や行動そのものを対象として客観的に把握し認識すること。 それをおこなう能力をメタ認知能力という。


 『地上の星』『ヘッドライト・テールライト』 は グリットソング

 グリット 目的を達成するためにとてつもなく長い時間粘り強く努力することによって最後までやり遂げる力
 グリットソング・・・応援歌


 『ファイト』 は 究極のグリットソング


 コメディアンの小堺一機氏と一般人のチャラチャラした会話ならばこの内容でいいだろう。

 大人気の脳科学者茂木健一郎氏が中島みゆきの楽曲をこの程度の薄っぺらな理解しかしていないことに驚く。口をついて出てくる単語はなるほど難しい、しかし読みはあきれるほど浅い。

 中島みゆきの楽曲を深く理解するためには、宗教的な見方(霊的な感性)が不可欠だ。

 このことについては、過去のblogで書いてきた。
 宗教的な見方(霊的な感性)を教育や政治で避けてきた時代の弊害だろう。

 各楽曲の気になる部分を抜き出してみよう。

 『時代』の・・・ 人は生まれ変って歩き出すよ
 生まれ変わりは『メタ認知』から逸脱する。


 『地上の星』の・・・ 氷ばかり掴む
 ・・・やり遂げるというより虚しさを感じる。


 『ヘッドライト・テールライト』の・・・足跡は 降る雨と 降る時の中へ消えて
 最後までやり遂げる力・・・こんな単純な話ではない。

 『ファイト』の・・・闘わない奴等・・・誰のことか?

 脳科学者の茂木健一郎氏、世間の事件にblogでコメントをしている。

https://hikino-effect.at.webry.info/201603/article_12.html


 過去blog ⇒ 今度は「広島の中3自殺」だそうです。

 彼には次の詞が良いかもしれない。


 『世情』
 包帯のような嘘を 見破ることで
 学者は世間を 見たような気になる

https://s.webry.info/sp/hikino-effect.at.webry.info/201609/article_22.html

46. 中川隆[-11615] koaQ7Jey 2019年3月08日 14:44:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[377] 報告

中島みゆきが追っかけをしていた吉田拓郎の場合

アジアの片隅で-吉田拓郎 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%90%89%E7%94%B0%E6%8B%93%E9%83%8E+%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%81%AE%E7%89%87%E9%9A%85%E3%81%A7

団塊の世代 吉田拓郎 今も狂い酒のまま ひきのエフェクトのブログ : 2016/03/03
https://hikino-effect.at.webry.info/201603/article_4.html



 私が中学校の時、フォークソングの一大ブームがありました。

 70年安保闘争があり、ベトナム戦争が終わったのが75年、その当時も、今の様な混乱があったと思います。

 反戦平和を訴えて、当時の若者、いわゆる団塊の世代が、世相をリードしていました。

 わたしは、中学生だったのでそんな世相のことなど分からなかったのですが、フォークソングブームの波にはさらされていました。その中でギターのうまい友達が、吉田拓郎を弾いて聞かしてくれました。中学生の当時はカッコいいなー、程度で友達と一緒によく歌っていました。思春期の憧れですね。

 しばらくして、吉田拓郎のLP「アジアの片隅で」を買ったのですが、しっくりこなくて数回聞いて聞かなくなりました。


 吉田拓郎氏は 1946年生まれ、団塊の世代です。

 「アジアの片隅で」を詞で読んで見ましょう。

 ひと晩たてば 政治家の首がすげかわり
 子分共は慌てふためくだろう
 闇で動いた金を 新聞は書きたてるだろう
 ひと晩たてば 国境を戦火が燃えつくし
 子供達を飢えが襲うだろう
 むき出しのあばら骨は 戦争を憎みつづけるだろう

 ※アジアの片隅で 狂い酒飲みほせば
 アジアの片隅で このままずっと
 生きていくのかと思うのだか※

 ひと晩たてば 街並は汚れ続けるだろう
 車は人を轢き続けるだろう
 退屈な仕事は 野性の魂を老けさせるだろう
 ひと晩たてば チャンピオンはリングに転がり
 セールスマンは道路に坐りこむだろう
 年寄りと放浪者は 乾杯の朝を迎えないだろう

 ※−※ 繰り返し

 以下つづく ⇒ 歌詞リンク
http://j-lyric.net/artist/a001cc0/l0187af.html

 皆さんどう思われるでしょう?

 三番には
 ひと晩たてば 秘密の恋があばかれて 女たちは噂の鳥を放つだろう

 ベッキーのことでしょうか?


 凄い内容です。今にも通じる歌詞です。予言の様ですね。

 でも、ちょっと待ってください。これはこの当時(1980年)の歌です。今の世相にも通じるなんて甘い見方を私はしません。

 私は、ここで団塊の世代の特徴を見ます。

 ・・・・・問題を何も解決しない。
 ・・・・・で解決していない事実が分からない。
 ・・・・・その状態に酔いしれている。(こんなもんだと思っている)

 
 ― アジアの片隅で 狂い酒飲みほして このままずっと 生きていく ―

 ・・・だから、何も変わらないままなのです。

 吉田拓郎氏の思いは現実になっているんですね。今も、これからもずっーと。


 戦争反対だ、政治腐敗だ、と言っておきながら、一番人数が多いのに何も改善せずに、そのまま年老いていく。

 本田宗一郎の世代は一人一人が日本を変えたのに、です。

 この現象は、教育の世界でも

 神戸大学名誉教授の 広木克行 氏 1945生まれ

 このかたも ” 子どもは「育ちなおし」の名人―見えますか、子どものシグナル ”などの著書があり、講演会に行ったことがありますが、講演会は盛況になるのに、子供に関わる事件は一向になくならない。

 尾木ママもですね。

 政治の世界でも・・・・・・


 常に団塊の世代は、人数で日本を動かしてきました。人数が多すぎますが戦後民主主義の主役です。今後も日本は民主主義のままでしょう。とすれば、これから日本がどうなるかも彼らにかかっているのですが、私は老人たちを冷たい視線で見ています。


https://hikino-effect.at.webry.info/201603/article_4.html

47. 中川隆[-11613] koaQ7Jey 2019年3月08日 14:54:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[379] 報告

天理教の信者をやめた中島みゆきの運命は?


天理教の信者をやめた 時 どうなるか:ひきのエフェクトのブログ 2016/01/27

 130年祭の最中に不謹慎だが・・・天理教をやめたはなし。

 天理教の信者をやめた時、親やら、系列の教会長に、信心を続けるように説得された。

 わたしは、中山ミキに対する信心はするが、天理教組織には関わらないとはっきり告げた。

 いまでも、実母や小母さんや婆さんたちに戻って来いと言われる。
 天理教では「親」から離れることが御法度である。

 「親」とは教祖と同じ意味で、私は親の言うことを聞かない、すなわち ”教祖の言うことを聞かない” と同義語になってしまう。

 天理教の「親」とは、「親神」や教祖と書いて”おやさま”と呼んだり大変重要な言葉である。

その「親」に対するのが「子」で、「子」にあたるものは何でも「親」の言うことを聞かないといけない。絶対服従と言っても良い。

組織上もどんなにさびれても、どんなに遠くにあっても「親」に当たる教会を「子」教会が助けないといけない。私の属していた教会は北海道に「子」教会があり、所属の会長たちは大変な旅費を使って通っている。

 金もこの「子」から「親」に向かって集められ、「子」は大変な思いをする。見かけ上は「喜んで」することになってはいるが。

 そんな、組織を私は、言わば裏切った。


 すると、こんなことを言われる。
 「親」を裏切ったから、命が無い。・・・罰が当たって病気や事故で死ぬと言う。

 天理教用語で「出直し」と言う。人生を失敗したから、もう一回という意味だ。


 わたしは、中山ミキを裏切ったつもりはない、天理教と言う組織に嫌気がさしただけだ。

 自分は「罰が当たって病気や事故で死ぬ」とは思っていない。今まで健康で暮らしている。

 しかし、実母は本気で心配していて、天理教の教会に御供えをして息子を助けてくださいと祈っている。

 信心深いと言うか、なんと言うか。
 実母は80歳を超えるので、今更どうしようもない、好きにさせておこうと思う。
https://s.webry.info/sp/hikino-effect.at.webry.info/201601/article_16.html


ひふみ~示と天理教 : 2015/11/20 22:57 >>


 わたしは天理教に育てられました。
 わたしは婿養子で、実家が天理教だったからです。

子育てが終わったら、私一人家族から別れ(信仰上の話で離婚とか別居の意味では無い)天理教に奉仕しようと思っていました。そのために準備をしたのですが、結局ある分教会との意見の食い違いがきっかけになって、天理教を辞めてしまいました。いまでも、天理教教祖 中山ミキ の教えは素晴らしいと思っていますので、このブログにも ミキ婆さんの話や、資料を載せています。現在は、一般的な日本人、阿太加夜神社の氏子で、檀那寺が浄土真宗の浄円寺です。そして、氏子活動に奉仕しています。

 なぜ、天理教に奉仕しようと思ったか。
 なんと! それは、ひふみ~示にあるからです。

 ひふみ神示 第05巻  地つ巻 / (九二つまき) 全卅六帖 第十二帖 (一四九)
 この道は道なき道ざぞ。天理も金光も黒住も今はたましひぬけて居れど、この道入れて生きかへるのぞ

 天理教は生き返る!!

 天理教が生き返るなら、天理教を応援してやろう! と考えたのです。

 また、ひふみ神示 第23巻 海の巻  第十一帖 に 面白い記述があります。
 タンバはタニハ、田庭とは日の本の国ぞ、世界の事ぞ、タンバとはタンバイチとは世界の中心と云ふ事ぞ、日の本と云ふ事ぞ、キ・ミの国ざぞ、扶桑の国ざぞ、地場ざぞ、判りたか。地場を固めなならんぞ、五十鈴の川はムツの川、和合の川ぞ。

 「タンバイチ」とは「丹波市」 天理市の古地名でいまでも町名に残っています。そして天理教では本部の中心を「ぢば(地場)」と呼び「甘露台」という石柱を立てることになっています。もともとは中山ミキが住んでいた屋敷があったところで、ここで親神が人間を宿し込みになられた場所、イザナギとイザナミが人類を産んだ人類発祥の場所とされています。

 タンバイチ 興味深い~示ですね。

 しかし、天理教のいろいろ深い所に関わってみると次の~示のとおり。

 ひふみ神示 第08巻 磐戸の巻 / (イ八トノまキ) 全廿一帖 第7帖 (243)
 今迄の様な宗教や教の集団(ツドヒ)はつぶれて了ふぞ、神がつぶすのではないぞ、自分でつぶれるのざぞ、早うこの神示、魂にしてマコトの道に生きてくれよ、俳句は俳句と申してあるが、天理は天理、金光は金光だけの教であるぞ。

 今の天理教は、完全親族経営で超閉鎖的なことが分かりました。新しい取り組みなんてできません。教祖の教えは素晴らしいのに、金ばっかりかかって教勢は下がるばかり、残念で残念でなりません。これでは、「地場」が人手に渡るのを守る役でしかありません。

 しかし、この残念があるからこそ、ひふみ~示が天明さんにおろされ、今の時代があると思います。

 頑張ろうとはおもいますが、まあ、中山ミキ婆さんの教えと、ひふみ~示がしっかり対応していることが分かってもらえればうれしいです。
 
 次、中山ミキ婆さんの教えと、天照皇大神宮
https://hikino-effect.at.webry.info/201511/article_9.html


天理教と天照大神 : 2015/11/21


 天理教には、三原典「おふでさき」「みかぐらうた」「おさしづ」が存在します。
 (私は天理教の信者ではありません)

 「おふでさき」:教祖中山ミキが自動書記で残した和歌形式の文書
 「みかぐらうた」:つとめ(祭典で踊る)の地歌(楽曲)として教えられた詩
 「おさしづ」:中山ミキならびに本席(飯降伊蔵)による口述の教えを筆録したもの。

 その「おふでさき」の中に面白い記述があります。
 明治7年12月 第6号52
 いざなぎといざなみいとが一の神 これてしよこの大じんくゝなり

 訳
 A イザナギとイザナミとが一番の神 これは天照皇の大神宮である。
 B イザナギとイザナミとが一番の神 これで証拠の大神宮なり。
 A・B 二通りの解釈があります。いずれにしても、大神宮とは伊勢神宮のこと。

 伊勢神宮=古事記=神社神道

 これは、いろんな意味にとることができて、矛盾するような、しないような、天理教サイドも、神道サイドも困った話です。

 一番大きな違いは、天理教は一神教の体裁をしている。神社神道は多神教・・・・・・なのに、一番の神これは伊勢神宮である。・・・?

 一番困るのは、中山ミキが神の意志を自動書記した動かしようのない事実です。

 天理教は神社神道との違いを強調したいが、この一文のために大きな顔ができません。

 この一文は様々な憶測が成り立ちますが、ただ言えることは、金光教、黒住教、大本教、天理教、ひふみ神示・・・日本の神は天照(伊勢神宮)を通じてむすばれているということではなかろうかとおもいます。
 (この辺は、面白いけど、またの機会に取り上げましょう。)

 私も、この一文のおかげで、天理教に奉仕しながら、神社の氏子活動を平気な顔をしてやっていました。

 中山ミキ婆さん と 天照大神(あまてらすおおみかみ) が無関係ではないことが分かってもらえればうれしいです。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/286.html#cbtm


48. 中川隆[-11612] koaQ7Jey 2019年3月08日 15:11:35 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[380] 報告

中島みゆきが知らなかった天理教の正体


天理教について質問です。


ID非公開さん 2016/3/12 18:26:48

天理教について質問です。


1) 教祖は精神を病んでいたのか。
親様=教祖=中山みき は精神を病んでいたんでしょうか。
精神を病んでいたなら、それはいつ頃からですか。

狐憑き=親神様が憑依した時からでしょうか。


2) 中山家は貧乏人に施しをして凋落したのか。
中山家が貧乏人に施しをして、自分たちが貧乏になったのか。
投機相場に手を出して大損したんでしょうか。
元から貧乏だったんでしょうか。

3) 座りづとめ、12下りなどは誰が、天理教神話はだれが考えたのですか。
中山みきが考え出したとは思えない。憑依中(精神錯乱中)に何か口走ったかもしれないが誰かがそれをまとめて整理しないと御手振りや座りつとめの形式にならない。楽譜や振付、歌詞は誰が考えたのか。

天理教神話は誰が考えたのか。
全て中山みきが考えたのか。そんなはずはない。だれか参謀的な人がいたのですか。

ベストアンサーに選ばれた回答

blu********さん 2016/3/12 23:53:30
.

1: 中山みきは、1798年 (寛政10年)4月に、大和国山辺郡三昧田村で生れた。現在の奈良県天理市に属する。父は、当時34歳の前川半七(正信)で、母はきぬ(当時26歳)であった。

前川家は、豊かな家柄で、20戸(2百石)の庄屋であった。藩から一代限りの無足人という、武士に準ずる身分をあたえられ、近所の村を含めての目付役をつとめていた。名字帯刀を許され、具足、鎗、鉄砲各一と下人数人を持っていたといわれる。また、大和神社の総代でもあった。要するに、農家というより武家に近く、郷士層に属する地方の有力者であった。

彼女は7歳頃には、父から文字を習った。9歳から11歳までは、近所の寺子屋に通っていたといわれる。また、10歳の時には、母が唱える和讃を聞き、暗唱したこともあった。後の彼女の話によれば、幼い時に、彼女は人の前にはあまり出ようとしない、陰気な少女であった。また生来身体もあまり丈夫ではなかったという。


中山家は、耕作地主で、藤堂藩領三十余戸(300石)の庄屋をつとめ、十数町歩の田畑山林を所有していた。綿屋とよばれて綿の仲買もしていて、使用人も多いときには20人ほどであって、かなりの収入のある豪農であった。

夫の善兵衛は、怠惰て不身持ちな生活をしていた。彼女は、夫とのあいだに何の心の触れあいも感じない毎日を送るようになった。みきが、嫁いでしばらくしたころ、夫は妾をかこい、下女にまで手を出していた。

江戸時代、大和地方の農村は浄土宗の地盤で、村ごとに念仏講があり、念仏踊りや和讃の集まりが盛んであった。みきの実家である前川も浄土宗の熱心な壇家で、その菩薩寺は丹波市の迎承寺であった。両親は朝夕、仏前に回向頂礼を欠かさず、この寺への参詣もおこたらなかった。幼いみきも両親と一緒に念仏を唱え、「浄土和讃」を聞き覚えていた。たとえば、その内容は、「沙婆世界は厭ふべし、厭はば苦海を渡りなん、安養界をば願うべし、願はば浄土に生るべし、草の奄は静かにて、八功徳池に心すみ、夕べの嵐音なくて、七重宝樹にわたるなり」というようなものであった。

彼女は、19歳の時には、中山家の菩提寺であり壇家であった善福寺で「五重相伝」を受けた。五重相伝とは浄土宗の奥義をきわめた篤信者に授ける儀式で、7日間5回にわたって勧請聴聞をし、その上で剃度式(おかみそり)を受け、秘密の伝法を口伝で頂くものである。彼女は、1816年春、勾田村の浄土宗・善福寺に入り、そこの住職、報誉上人からその秘密の伝法を貰った。当時みきの戒名は「連誉勝岸智宝禅定尼」であったという。仏教とりわけ浄土宗からの深い影響が窺われる。


しかし、浄土宗の彼岸主義に中山みきは次第に失望していき、現世での幸福を求めて、仏道から離脱する。

夫の善兵衛との冷え切った生活、仏道に絶望し仏道から離脱してから精神的支柱を失い、徐々に精神が蝕まれていった。

そして、長男・秀司が米と綿の相場で失敗し、家ごと借金してしまい、ホームレスとなり、全てを失った中山みきは、絶望に陥った。その後は1と2の説を自分的にはあげる。


1:現在で言う統合失調症になり、幻聴により、加持祈祷の際、加持役となった中山みきの頭の中に神の声を聞き、祈祷者の問答に答えた。

2:中山みきは浄土宗の教義の全て(全てのお経を記憶し暗唱できる能力も含めて)を記憶し問答で正確に回答できなければ授与されない五重奏伝を授与できたほどの高度な知力を有していた。その知力は子孫に遺伝された。その知力を持って民衆をだまし、金儲けをした江戸時代の金儲けの天才であった。


2代真柱の中山正善(1905年-1967年)は東京帝国大学卒業。

3代真柱の中山善衞(1932年 - 2014年)は慶應義塾大学卒業。

のいずれも超知的エリートである。

特に中山正善の時代に東京帝国大学を卒業するのは努力だけでは無理。知力が相当に高かった事になる。中山善衛もしかり。

さらに言えば、天理教では”阿呆になりなさい”と信者に教えてるが、
それは、信者に考える時間を与えないためである。

その高度な知力を持って、中山みきは現状のホームレスの状況を有利にする策をとった。まず、産婆としての職人的能力のあった中山みきは「おびや許し」と安産請負をうたい文句に高々と宣伝していった。しかし、現代でも産婆での自然な分娩をする妊婦はいて、医療事故は聞いた事がない。天理教の主張する江戸時代の出産は致死率が非常に高かったは嘘である。現代の学者の推定では、江戸時代中期・後期を通じて、日本の人口は約3000万人前後であった。江戸時代前期の外様大藩の領民人口変遷をみてもどの藩も人口は増えてる。

安永3年(1774年)の段階で杉田 玄白はオランダ語医学書『ターヘル・アナトミア』を和訳し「解体新書」を刊行してる。

また、天理教で朝夕に「あしきを払い助けたまえ〜」と唱えて手を振る儀式を「おつとめ」と呼んでるが、元々「おつとめ」とは仏教の勤行(仏前で読経する)の事をさしてる。中山みきが信仰していた浄土宗のHPにも「おつとめ」と書いてある。
http://jodo.or.jp/jodoshu/okyou/index.html

中山みきは本来は浄土宗善福寺の熱心な信者だったが、自身が神道の教組になってからは、仏教から用語や思想を盗んで教理に取り入れた。

「撒いた種は刈らねばいけない」は天理教のオリジナルではない。

英語圏のことわざに

As you sow, so shall you reap.《蒔いたように刈り取るべし》[聖書:ガラテヤ人への手紙6−7]= Whatsoever a man soweth, that shall he also reap.《蒔いたものは刈らねばならない》というのがある。また、「因果応報」「自業自得」は仏教用語である。

2:天理教中山家は実際は、長男・秀司が米と綿の相場に手を出して大損をして滅んだ。この事実を隠蔽して歪曲し、貧しき者に土地屋敷家財を全て売り払い貧に落ちきったと天理教は嘘をついてる。

「日本の10大新宗教」(幻冬舎)という本の中に、書かれている。

特に現在の教団の重要な教えであるとされる「月日のやしろとなられた教祖は、親神の思召のまに/\『貧に落ち切れ。』と、急き込まれると共に、嫁入りの時の荷物を初め、食物、着物、金銭に至るまで、次々と、困って居る人々に施された。」という『稿本天理教教祖伝』の記述は、八島のみならず、島田も『日本の10大新宗教』の中で、早川も『天理教・その堕落と悲劇』の中で、実際はみきの長男・秀司が米と綿の相場で失敗し、家ごと借金してしまったが、教団は後にその事実を湾曲化して、信者から金を取ろうしたため「貧に落ちきれ」という思想が生まれたと指摘している。

宗教学者の島田裕巳
元天理教本嬬原分教会会長の八島秀雄
早川 和廣(新興宗教問題も手がけるライター)

3:2の質問で2の説をとると泥海古記などは中山みきが書いた。

最初に産みおろされたものは、一様に五分であつたが、五分五分と成人して、九十九年経つて三寸になつた時、皆出直してしまい、父親なるいざなぎのみことも、身を隠された。

その後、人間は、虫、鳥、畜類などと、八千八度の生れ更りを経て、又もや皆出直し、最後に、めざるが一匹だけ残つた。

奈良県天理市が人類発生の地である。

神秘性で呪縛する目的で意図的に書いたのだろう。

また、週刊文春は過去に「天理教本部賽銭箱は地下室のベルトコンベアーに直結してる」という記事を書いたが、天理教側は訴訟を起こさなかった。事実だから起こせなかった。豊文分教会が分離独立したときには、”天理教”という”商号”を使ったとして天理教本部は訴訟を起こしたが敗訴した。

4補足

天理教は悪名高い真光とつながっている。

まず、大本教の出口王仁三朗が、大本教が本来祭り上げてる神の隣に中山みきを神として祭り上げた。

大本教信者の岡田茂吉が分離独立し世界救世教を創設。
同時に大本教信者の谷口雅春が生長の家を創設。(数年前に約8千億円の資産をブラジルの銀行にレアル建てで移管)

世界救世教秀明教会が分離独立して神慈秀明会を創設。

世界救世教幹部だった岡田光玉が世界真光文明教団を創設。

岡田光玉死後、後継者争いで、岡田恵珠が崇教真光を創設。

生長の家は書籍販売で儲けてるが、後は悪名高い、浄霊や手かざしの金巻上げ集団。

●明主様御講話(岡田茂吉が天理王の命を地獄に落ちたものと言っている)

ここに伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の子供で五人としてあるがもう一人ある。

もう一人というのは伊弉諾尊と言う神様は国常立尊になるんですね。

息子に国武彦尊(くにたけひこのみこと)と言うのがありそれが一番長男になる。

当時大将軍と言い勇猛でかなり勝手なことをやっていたその罪によって、言わば地獄に行かれたようなことになる。

一番末が初稚姫尊(はつわかひめのみこと)と言い、これが天理教祖の中山みきとなる。

そういうようにいくども生まれ変わっている。大将軍の妹になる。

そこで霊界で地獄と言ってもふつうの人間と違います。

修行するんです。修行した結果、大いに世の中のためになろうと言うので天理教祖の中山みきに憑った。

それで中山みきに最初憑ったのは夫の大将軍が憑ったんです。

そういう因縁なんです。

そこで最初のうちは力がありますから病気治しもさせたが、その力によって良く病気が治った。

それで最初は病気治しで世の中に出たんです。

天理教の本体を書くことは天理教に悪いですからそこで書かなかった。

http://www.geocities.jp/shumeic3/oomoto2.html

天理王の命という弱い者いじめ専門の神も、「神の社にならなけれ

ば、屋敷もろとも(お前らを)木っ端微塵にする」と恫喝し暴力と力でねじ

伏せ中山家を支配したが、本当に清き正しき神ならば、自分よりはるか

に弱い者を暴力で力でねじふせ支配するような事をするだろうか?

世界一列助けたいなら、徳川将軍を暴力で力でねじふせれば一番の

近道のはずであるが、徳川将軍には勝てないからできなかった。


質問者 ID非公開さん 2016/3/13 01:20:58.

中山(前川)みき は幼少のころから秀才で頭脳明晰であった。親神様の憑依現象も芝居であって、詐欺師であった可能性も否定できない。
もっとも、家庭の不幸で統合失調症になった可能性は否定できない。

中山家は投機で破産したが、それを美談に仕上げた。

天理教の教えは中山みきなど中山家住人の頭脳から発した。もっとも、浄土宗からの引用ではあるが。


bluekeyakiさん 纏めるとこんなとこでしょうか。
けど、よくご存じですね。貴方は天理教の教会長やその関係者ですか。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14156926349

49. 中川隆[-11611] koaQ7Jey 2019年3月08日 15:22:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[381] 報告


uta********さん 2018/7/10 20:29:21

中島みゆきさんは天理教を脱会されてますか?

今でも天理時報に載っているらしいので、本当に脱会されているのか分かりません。
知っている方、よろしくお願いいたします。
天理教の方だと

なお嬉しいです。



ベストアンサーに選ばれた回答

msk********さん 2018/7/11 18:02:50

脱会していません。

洲本大教会という教会の系統の信者さんです。
自宅には神様も祀られています。

定期的か不定期的かは分かりませんが、今も所属の会長さんがおつとめに行かれています。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11192966206

50. 中川隆[-11610] koaQ7Jey 2019年3月08日 15:52:38 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[382] 報告

かれこれ2ヶ月ばかりかけて、中島みゆきのデビュー以来の曲を殆ど聴いてみて、彼女の訴えたい事の芯にあるものは、首尾一貫していることがよく判る。

<全ての生命とその連鎖(血の繋がりではなくて想いの継承とか、極端には輪廻)への徹底した畏敬>である。

これは殆ど宗教的なものだと思う。そういう意味で幼い頃から家庭で馴染んだと思われる天理教の思想が影響しているのかもしれない。

調べてみると天理教は江戸時代に中山みきという女性が始めたものらしい。神道に分類されているが、一応教義を持っているらしい。神の摂理を信じて楽しく生きる、というのがその心髄らしいがよく判らない。

また基本的に金銭に捉われる事を嫌い、信者はしばしば財産を教会に差し出すようである。

中島みゆきの家は天理教の教会長だったし、父の墓も天理にある。本人も天理教の勉強会に参加していたらしい。

歌の中で宗教的なものに何となくその気配があるということらしいが、むしろ個人の主体性を鼓舞するような歌が多いように思う。

これらの事については、本人の意思を憚って誰も語らない。

バッハがキリスト教の神に仕える職業音楽家として徹底していたのと同じように中島みゆきは天理教の神に仕えているのだろうか?

多分そうではなくて、天理教の神も含めて、もっと大きなものに仕えているように思われる。だとすればそれは何か?

*)「命の別名」については、文句のつけようのない解説があった。
http://www013.upp.so-net.ne.jp/sigeru/books/nakajima/nakajima_06.html


中島みゆきの夜会「2/2」は 1995年、1997年、2011年と作り直されてきた。そんなに拘るにはそれなりの深い理由があるはずである。

そこで、1996年に小説となった「2/2」(幻冬舎)を借りてきて読んだ。
なるほどこういう話だったのか。。。

双子として産まれて来る時に、姉の方が死んでしまった。姉が茉莉、主人公が梨花。2つあわせると茉莉花(ジャスミン)。

子供の頃ふと聞いてしまった親戚の人の言葉、<この子は姉を殺して生れてきたのよ>というのがトラウマとなって、<それ>がもうひとつの人格として梨花の幸せを邪魔する。

そして、恋人の圭に危害を加えることを恐れて、梨花はベトナム旅行に旅立つ。直ぐに帰って圭とは二度と会わないつもりだったが、手違いで帰れなくなる。結局圭がトラウマの真相を調べて助けに来る。

最後に梨花が本当の茉莉を幻覚して真相を知る。
真相とは、<茉莉が臍の緒を首に絡ませていたので、梨花が助けようとした>ということであった。

トラウマとなった梨花の中の<それ>、つまり偽者の茉莉、と本当の茉莉との闘いが最後にあって、梨花はついに胎内での出来事を思い出して<それ>が消える。

茉莉が

<梨花は几帳面で正義感に溢れているのは良いけれとも、人の証言なんていうものはその人の勝手な解釈に過ぎない。そんなことを信じて自分を責めてはいけない。そんなところに人が従っていい「正しさ」は無い。>

という。

茉莉はこれまで<それ>を消すために、圭を利用しようとして、梨花の2重人格障害を圭に見せようとしたのだが、圭がなかなか気づかず、梨花があまりにも真面目だったために、こういう大きな騒動になってしまった。けれども、結局は圭が出産の秘密を探り出して助けたのである。

確かにドラマチックで面白い物語なのだが、それだけではないだろう。何からの意味でこの物語は中島みゆき本人の<歌でしか言えない>人生、つまり<自分の中の他者との永遠の緊張関係>を語っているように思える。
http://www.asahi-net.or.jp/~aw7k-mk/books/miyuki5.htm

51. 中川隆[-11600] koaQ7Jey 2019年3月08日 19:40:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[392] 報告

中島みゆき 砂の船 動画
https://pv755.com/sand-boat


 「寂しい、一人だ」と思ってしまったとき、この温泉があります。思い出してください。


温泉津温泉 泉薬湯 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B8%A9%E6%B3%89%E6%B4%A5%E6%B8%A9%E6%B3%89+++%E6%B3%89%E8%96%AC%E6%B9%AF

温泉津温泉 元湯 (泉薬湯)
http://www.yunotsu.jp/oyu/index.htm

望むものは何一つない 
探す人は誰一人ない 
望むほどに消える夢です 
探すほどに逃げる愛です 
月は波に揺れて幾百幾千 
古い熱い夢の数だけ 
いま誰もいない夜の海を砂の船がゆく


中島みゆき 砂の船 動画
https://pv755.com/sand-boat


 これは、中島みゆきの「砂の船」の一節である。

 若い頃、この歌を聴いて、恐ろしくも何かに引かれるような魅力を感じた。当時はこのような”古い熱い夢が波に砕け散って浮ている海”のがどこにあるのか分からなかった。

 ここ温泉津温泉の共同湯は、温泉街の中に2つ(住宅地にはもう一つ小浜温泉がある)あり、そのうちひときわ古い概容を示しているのが元湯泉薬湯である。はっきり言って、きれいではない(早く言うと朽ちかけている)脱衣所を抜けると、カルシウムと鉄分の湯の花が析出してこびりつき、元のコンクリートが見えなくなった2つの浴槽と洗い場が見える。

 2つの浴槽のうち、熱い方はとびきり熱い。46℃もあり、常人には耐えられない。また、”ぬるい”と書いてある方も42℃あり、これまたけっこう熱い。湯は、源泉口から”熱い湯”の方に注ぎ込まれ、浴槽の下を通って”ぬるい湯”の方に流れ、排水溝から消えていく仕組みだ。

 湯は、緑と茶と白が混ざった濁り湯で、塩分を多く含んでいる。”ぬるい湯”に浸かり、目を閉じてゆっくり鼻から息を吸い込むと、ここが探していた”夜の海”であることに気がついた。やっとそれがわかる年齢になったし、そういう人生経験を経たのだなと、過去を振り返ることが出来た。


 個人的願望だが、年齢に関係なく、アビルマンはもとより、今だ気を滾らせた温泉マニアや温泉通、もちろんただの冷やかしにはここ温泉津への入湯は自重してほしいと思う。ここは、古い熱い夢を捨てた枯れた心が似合う。

目を閉じると、幾百幾千の月が熱い湯気の向こうに輝いているのが見えるではないか。

 もし、貴女が、「一人だ」と思ったら、決して綺麗ではないこの湯に来て欲しい。眉間にしわを寄せ、一人で試練に耐えているつもりなら、ここの湯が効きます。

 古き熱き夢を湯の波間に砕いて流し、全てを捨て去って欲しい。あなたは、、捨てきれずに貯めていた欲望という澱を、いままで分厚いロングスカートにため込んでいたはずです。ゆがんだ顔をして。

 でも、この熱き湯で、隠していた欲望を全て洗い流したら、きっと、ミニスカートをはいた貴女にかわっているはずです。明るい薄手のシャツに、淡い色のミニスカート、笑顔のあなた。あなたの課せられた重い荷物は、もう、放り投げましょう。さあ、そんな荷物は誰に持ってもらいますか? ここはそういう湯です。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~umayu/page086.html

52. 中川隆[-11561] koaQ7Jey 2019年3月09日 13:53:03 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[432] 報告

kaz********さん 2012/11/4 10:43:21

よく中島みゆきさんの【御乱心時代】という言葉をききますが…

この【御乱心時代】とはどういう時代(曲?)何でしょうか?


アンサー


mot********さん 2012/11/5 10:37:54

【御乱心時代】というのは、後にみゆきさん自身がこの頃を振り返って、そう表現した言葉のようです。

みゆきさんがデビューした頃から1980年代に入り、世のミュージックシーンは変革の潮流が顕著でした。

具体的に何かというと、それはサウンド面でした。

それまでのギターやドラム、パーカッションというものに加え、シンセサイザーやコンピューターでプログラミングされたリズム編成などが台頭してきたんです。
この流れは世界的なもので、ローリングストーンズやポールマッカートニーですら当時唖然とするような作品を残しています。

みゆきさんも、この潮流に抗うことはできなかったのかもしれないし、それまでの自らの暗く重厚な作風を変えようという試行錯誤もこの頃からしています。

そしてこの時代を超えて、瀬尾一三という名プロデューサーとタッグ組み現在に至ります。

該当するアルバムでいうと、

.はじめまして
.中島みゆき
.miss M
.36℃

などが、それにあたるようです。

曲でいうと、シングルカットされた

.御機嫌如何
.あたいの夏休み


を聞くと分かると思います。
どれもかなり大胆なサウンドですが、今聞いても良い曲ですよ。

sou********さん 2012/11/4 23:21:15

みゆきさんが新しい音楽の模索を始めた時期のことです。

一般的には1984年の11thアルバム「はじめまして」から1988年の15thアルバム「中島みゆき」までと言われています。

定義についてはもうこれ以上書くことを思いつきませんので、あとは徒然に僕が思ったことを…

8thアルバム「臨月」9thアルバム「寒水魚」が初期のサウンドの完成形だったのだと思います。まあこのアルバムの悪女のアレンジは既にちょっと似つかわしくないものがあったのですが…

10th「予感」で曲の雰囲気が相当変わります。僕がよく使う言葉なのですが「無機質」な感じなんです。個人的には1st「私の声が聞こえますか」,2nd「みんな去ってしまった」の歌い方も無機質に思えるのですが、

予感の歌い方はより温かみがあって無機質の中にどこか可愛らしさを内包しており、逆に最初の二枚のアルバムはツンとすましたような感じで微妙に違うわけです。全部僕の主観ですが。

更に予感は全体を通じてドラムスの音を強調しているのも無機質に感じる理由だと思います。
まあとにかくこのアルバムから何か新境地を開拓しようとしている感はします。

で次に「はじめまして」がリリースされるわけですが、これは、従来の良い意味での「古っぽさ」を意図的に取っ払ったような編曲なんですね。

例えば「ひとり」という曲はシングルカットされていますが、これはいわば今までのみゆきさん風アレンジなんです。でもアルバムになると歌い方も編曲もちょっとカッコ良くなった?と思える…何というか歌の主人公が少女から女性に成長したようなイメージです。

ほか「幸福論」「不良」などは今までにないロック調で、「はじめまして」も明るくPOPであり暗いイメージを完全に払拭せんとする意気込みを感じます。

16th「グッバイガール」が御乱心の時代の終焉を告げるアルバムと呼ばれるのは、このアルバムから現在のプロデューサーである瀬尾一三さんになったからです。
まあご乱心の時代が終わっても初期のみゆきさんの雰囲気に戻ることはもうありませんでしたが、それはサウンドもそうですが歌い方が変わったのが大きいでしょうね。

ファンなので勿論全時代好きなのですが、御乱心の世代の時期の曲は相当お気に入りですよ。

逆に36thアルバム「DRAMA!」から今に至るまでが二度目の御乱心の時代の気がしますが…ファンの中でも賛否両論あるこのアルバム、僕は結構好きなんですけど。

アルバムに関しては一枚一枚それぞれ語りたいことが沢山ありすぎまして。

ナイス 5


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qui********さん 2012/11/4 18:49:51

実はこれ、本人が御命名されたのですが、具体的な時期は人によって見解が変わったりします ただ、入った、と言う時期はほぼ一致しており、アルバム『はじめまして』のリリース以降、抜けた時期が『36.5℃』あたりまで、の説と、『グッバイガール』くらいまで(Wikipediaはこちら)、の説があります

それまでのフォーク・アコースティック基調の作風がガラリと変わり、ロック色が強かったり、わざと癖のある歌い方をしたり、海外スタッフを多用したり…アルバムによって出来や作風がガラリと変わるような時期でした

そのため、昔からのファンや、『悪女』あたりからのファンがかなり離れてしまいました

本人もこの時期が、迷走に近い状況であった事を自覚しており、何をしでかすかわからない、と言う感じを自虐的な意味で『御乱心』と呼んだのです

ただ、夜会を始めたのはこの頃ですし、文部省の国語審議官に選ばれたり、歌詞集やエッセイ、小説等を本格的に始めたのもこの頃でした また、ロックっぽい歌い方や夜会への対応から、ボイストレーニングをやり直したのもこの時期で、音楽と向き合うために長年務めたオールナイト・ニッポンを降板したのも、この頃


とにかく、御乱心の時代とは、みゆきさんが変わろうと色々チャレンジしていた時代で、その頃のユーミンは、一番時代の先端で、時代がユーミンに追い付いたような、そんな時期でした

ちなみに私個人は、この頃のアルバム、結構好きです 特に『36.5℃』は傑作だと思ってます!
また、この頃があったから、みゆきさんは未だ現役第一線でやっていけてるんだと思ってますけどね

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1496682869

中島みゆきさんもこの時期に音楽の専門的な勉強をキチンとしておけば、今みたいな有様にはならなかったんですけどね。

せっかくあれだけの才能が有ったのに勿体なかったですね。

53. 中川隆[-11394] koaQ7Jey 2019年3月18日 17:48:41 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[606] 報告
なぜ連合赤軍とオウム真理教は敗北したのか
https://elkind.hatenablog.com/entry/2017/09/04/150926

戦後日本における大きな反体制組織と言えばあさま山荘事件を起こした連合赤軍と、その後に登場するオウム真理教だろう。

20世紀の喧騒を象徴する2つの組織、そしてあさま山荘事件と地下鉄サリン事件という2つの事件に関与している。

21世紀になってからは同時多発テロがアメリカで起き、その後現在のISIS系のテロが欧州で頻発しているが日本からはどこかそういった反体制運動は消滅しつつある。

むしろ日本の右傾化が進み、比較的政治的にも治安的にも安定するようにはなったというのが大きな流れだ。

連合赤軍とオウム真理教の敗北というのは、左翼の敗北、そして宗教の敗北だったと見ることもできる。「反体制」で勝つことはできないということが彼らが残した歴史的な意味合いだろう。

日本で反体制勢力は大きな戦力を持つ事ができず権力を打倒できないことに気付いたため、その後大きな動きは起きなくなっている。

結局のところ自動小銃を密造しようとしたが試作品を作ることが精いっぱいだったオウム真理教、猟銃で少数の人間が訓練することしかできず内ゲバで瓦解した連合赤軍、彼らは必然的に敗北した。

またオウム真理教は選挙に出馬するが惨敗し結局地下鉄サリン事件のようなテロリズムに走っていき、日本で左派政党が政治的に勝利することは限られた回数しかない上にやはり「政権交代」はそれぞれ敗北した。

宗教アレルギーだと言われる日本でオウム真理教が勝利することは難しく、同時に「日本の左翼はレベルが低い」と言われるように高度な政権運営を行う事は出来なかった。

自民党や官僚という体制は非常に強固であり、今後何かの革命を起こそうとするならば権力者側や体制側に活路を見出さなければならないだろう。

オウム真理教にしても連合赤軍にしてもそれほど大きなことは成し遂げることができず、簡単に体制に滅ぼされてしまった。

せいぜいちょっとした反抗期だった少年が教師や親に大人しくさせられたように、その後日本から何らかの抵抗運動は消滅する。

オウムのハルマゲドンは東京上空からヘリコプターでサリンを散布する寸前まで行ったか結局その試みは阻止され、今では「ひかりの輪」が細々と存続している程度でしかない。

連合赤軍を始めとしたあの頃の極左や学生運動というのも80年代に入れば消滅していくことになる。

東アジア反日武装戦線は三菱重工爆破事件を起こしたが、こちらの知名度は非常に低く社会的なインパクトはなかった。

その後何らかの抵抗運動といえば、ネオ麦茶事件や宮崎勤、酒鬼薔薇聖斗、秋葉原加藤とやまゆり園植松が登場するが彼らの個人的な衝動は社会を変革させることができなかった。

結局そういった抵抗は個人や地下組織では限界があり、やはり政権を掌握しなければナチス・ドイツやソビエト連邦のような事はできない。

少し爆破したり、路上で誰かを刺殺したすること程度の規模で終わってしまう。

現在ISISが自動車を使ったテロを実行しており、そちらは規模が巨大化しているがそれでも数十人が限度だ。ノルウェーでも銃を乱射したテロがあり、この時は「FPSならこのキルレシオは驚異的」と言われていたが、革命に匹敵する変革を起こすことには失敗した。

秋葉原加藤は騒がれたが、やまゆり園植松は既に風化しているように、現代からそういうった反抗や反逆を賞賛するムードは消滅しつつある。

「大人しい事」や「怒られない事」が最適解になり、連合赤軍とオウム真理教が敗北したことで誰も似たような事をやらなくなった。

更に個人的な反抗ですら今では社会に大きなインパクトを与えられなくなっており、抽象的な見方かもしれないが「熱量」自体が世の中から消えている。

かと言ってそのような行動を美化するわけではない。

大東亜戦争末期の特攻作戦を美化したところで、それは軍事的に敗北だったとしか言いようがない。特攻作戦に従事した青年や、オウム真理教の信念に共感した純粋な信者や、革命による変革に社会の理想を求めた連合赤軍構成員の個人の心意気自体はもしかしたら美しかったかもしれないが軍事作戦や革命行動としては敗北している。

またISISの散発的な自動車テロでも彼らが掲げるイスラム領土の再獲得を実現できるとは思えない。

ただ単に路上で車を暴れさせて終わりではなく、「戦車戦」や「戦略爆撃」、「本土決戦」をやる領域に入っていかなければならないと自分は考えている。個人が銃を乱射して一般市民を巻き込むという事も非常にレベルが低い話であり、そもそもテロという手段が間違っているだろう。

「もっとデカいことをやりたいけど、仕方ないからテロをする」という事例が今までの出来事であり、彼らはナチスやソ連にはなることができなかった。

モンゴル帝国、オスマン・トルコ、大英帝国、オランダ海上帝国、スペイン太陽帝国、大東亜共栄圏、ソビエト社会主義共和国連邦、ナチス・ドイツ、そして超大国アメリカ合衆国、そのレベルのことをやろうとしている人間がたかが少し一般市民を攻撃するだけのテロで終わってはいけないと自分は考えている。

しょぼいテロで終わりたいわけではなく、オウムや連合赤軍程度の小さい反抗で終わりたくもない。

ソ連やナチスドイツという虐殺国家、そしてイギリスとアメリカというアングロサクソンによる二大巨悪、スペインとモンゴルという二大畜生、日本をそのレベルに到達させようとした場合大東亜共栄圏や満州国が限度だったというのはどうしても規模が小さい。

実は日本がもっとも世界的に存在感を示したのは太平洋戦争ではなく、ジャパンアズナンバーワンに始まる1980年代の好景気の時代であり軍事よりも経済で世界を制圧した。

その理論を応用するならば次なる革命は「ペンは剣より強し」という考え方に基づき「言論」による変革、そして体制側の人間を取り入れなければならない。

そういった日本の黄金期時代を経験したことが無いバブル崩壊以降のゆとり世代としてはどうしてもそのことを寂しく感じてしまう。

明治維新を実現した幕末の世代や、戦後復興を支えた世代に比べて、「最近のゆとり」というのはどうしてもやることが小さいと言われても仕方がない。

おそらく「大日本帝国越える国作ろうぜ」と考えている自分のような人間は希少であり、そうんなことすら誰も考えていないんだろうなということに疑問を感じる。

それはおそらく中二病であるが、「デカい国」を作ろうとするような若者が台頭し始めてきたのが過去の歴史でもある。

「明治維新や昭和維新をやろうとしていた時代の若者すげぇ」と思うし、戦後昭和の世代もエネルギーも半端無い。

そういう世代を見ているとゆとり世代の一人として虚無感があり、この世代って歴史において何も残らないんだろうなという諦めにも似た感情がある。

ただ単に衰退していく日本に巻き込まれ、反抗もできず、いや抵抗すらせず大人しく消えていくのがゆとり世代なのだろうか。

情熱的になることも反抗することもダサいというひたすら大人しい世代になりつつあることに寂寥感を抱かずにはいられない。

世間的には大人しいと言われていたオタクがアニメや漫画の世界だけでは派手にやっていた時代すら終わり、最近では日常アニメに代表されるように創作の中ですら大人しくなり癒しばかり求めている。

エヴァンゲリオンやコードギアスすらなくなり、日常アニメに癒ししか求めなくなった姿を見ると日本人の情熱はどこにも存在しなくなっているだろう。

アイドルも「自分でも手が届きそう感」を重視するようになり、もはや親近感のあるユーチューバーの時代になってきている。

「その辺の普通の人たち」やありふれた日常の幸せに癒しを求める時代が到来している。

日本人の夢や希望、野心や反抗意識、そういったあらゆるものが小さく大人しくなってきている。

不良も人を殴らず窓ガラスを割らず、非行に走らず、ネットユーザーも民度が高くなりオタクは創作の中ですら大人しくなり、富や発展を求めなくなっていく。

「諦めムード」があらゆるものを支配していくのが今の日本文化なのだろう。

現実では駄目だけどアニメやアイドルには華やかなものを求めようとしていた人達すら少なくなり、自由にできる世界ですら現実や日常を求めるようになった。極左も大人しくなりシールズのようにカジュアルに騒ぎたいだけであり、過激な宗教家や新興宗教も減っている。

天理教や創価ですら深刻な信者離れや二世、三世の離脱が進んでいる。

むしろ元気なのは近隣諸国や新興国であり、日本に憧れる海外のオタクや先進文化に憧れる人々も減りつつある。仕方ないからクールジャパンと宣伝し、日本スゴイデスネーの発言を求める番組が増えているが、現実には街の綺麗さや水道水の美味しさ、治安の良さぐらいしか誇る物が無くなってきている。

その一方で中国に敵うわけがないという考えが当たり前になっており、韓流も捏造だとは言えなくなっているほど浸透している。

そしてそこに悔しさを感じる人すら減り、日本がオワコンだということを誰も疑問視しなくなる段階に入り始めている。

そんなムードの時代に「革命と戦争しようぜ、大日本帝国越えようぜ」と言ってる人間がいたとしても、電波で誰も本気に思わないのは仕方がないのだろう。

反逆に憧れず、日常で満足して、もはや想像や妄想をするエネルギーすら残されていない程に日本人は疲弊し老化しているというのが日本の現実なのだ。

みんな忙しいし革命どころじゃないし、癒しを求めるのが精いっぱいでそれすら手が届きにくくなっている。

高級車や豪邸に憧れるエネルギーも無くなっている世代が「大国の建国」という壮大なものを求めなくなるのは必然なのだろう。

バイクで暴走したり車を改造したりする気力も無くなり、実際にそれを出来る経済的な余裕も無くなっている。

しかしながら大人しい若者に罪は無く、彼ら、いや僕らが悪いと言うよりも若者から元気を奪う社会のほうが圧倒的に悪い。

その一方で社会を批判する人すらもはやいなくて、目先の癒しにしか興味がない同じゆとり世代にも違和感がある自分がいる。

社会が悪いとすら思わず、それが当たり前のことだとして受け入れている世代がとうとう現れ始めてしまった。

連合赤軍やオウム真理教は社会が悪いからそれを壊してでも変えようと考えていたが、80年代に入ってそんなこと無理だしって時代になって、21世紀はとうとう社会が悪いとすら思わなくなった。社会が悪いという事にもしかしたら薄々気づいているが、それを行ったところで仕方がないしイイネ!を押しあっていれば嬉しくなって、その不満も紛らわすことができる。

そういう時代にそりゃ革命なんて起こせないわけであり、そんな情熱持ってる暑苦しい奴なんて自分以外もはやいなくなっている。

「ワルしようぜ」と思ってる不良が一人治安のいい学校にいるとそりゃつまらないわけで、自分が世の中や最近のネットがつまらないといってるのはもしかしたらその感覚に似ているのかもしれない。

皆中三になってしまって「おまえいい加減に中三になれよ、そろそろ高校生だぜ」と中二病の少年が言われているような感覚でもある。

皆誰かのタイムライン汚したくないしドン引きされたくない、そんな奴らばっかりになったら世の中は面白くない。

しかしゆとり世代はそういった空気に特化した協調性の高い世代になりつつある。

「空気読むことや怒られないことが最も上手い世代」というのがゆとり世代論の総評なのではないか。

しらけ世代以上にしらけてる、それが僕らゆとりだ。

そういう世代論を語る人がいなくなり、それを面白いと思う人すらもいない。

「俺って変なのかな」とか「世の中間違ってるよな」と言ってる奴がもう自意識過剰で中二病扱いされる空気になっているのならば、そんな時代から歴史を変えるような強力な個人が現れるわけもない。

大人しい世代や癒しにしか興味がない世代が主流になれば日本が復活する見込みがないのは必然だと言える。

明治維新を起こした世代は「日本は列強に対抗しなければならない」と思い、戦後の高度経済成長を成し遂げた世代はひたすらに「裕福になりたい」という思いが強かった。

欲がない世代とよく言われるが、何も強い衝動が無いのがゆとり世代でもある。

いや「癒されたい」という思いが強いのかもしれない。

「公務員が一番の夢になった時代って面白くないよね」とも言えるし、じゃあユーチューバーに憧れる世代はどうなのかという問いかけも必要だろう。

逆にこれだけゆとり世代が大人しいと、今度はユーチューバーに憧れる世代が主流になれば文化的には面白くなっていく可能性を秘めている。

「安定した人生を送りたい」と考えているのがゆとり世代だとすれば、「好きなことをしていきたい」というのがこれからのユーチューバー世代なのだろうか。

そう考えるとまさにゆとり世代というのは「谷間世代」であり、日本という国が変わっていくサナギの地味な時期でもあるのかもしれない。

そしてそのサナギ状態であることや大人しいと言われることに特に不満も無いのがゆとり世代でもある。

あまりにも「これだから最近のゆとり世代は」と言われすぎて、「はいはい俺らゆとり」という状態になっており逆らう意欲すらない。それ以前に大人しいことがかっこ悪い事だとも思わなくなり、やはりそういう世代が何かをする気になれないのは必然だろう。

この世代に希望があるとすれば「ゆとりつまらないと思ってるゆとり」みたいな層をどれだけ増やしていけるかにかかっているのではないか。

大事なことは空気を読むことではなく、空気を変える事だろう。

社会に対して不満があるのならばもっとガンガン発言し、「なんかおかしいよね」という雰囲気を作っていくことが最初の第一歩なのではないか。

この空気に従っていれば気付いたときには飲みこまれてしまっているだろう。

「停滞感」を感じているならまだマシで、停滞が普通になり過ぎればもはや疑問にすら思わなくなる。

自分がいじめられていることを自覚している生徒は何らかの解決策を導き出すか反抗しようとするが、もはや「おまえいじめられてるんだぜ」と言われないと気付かない人はある意味悲しくも無く幸せなのかもしれない。

徐々にゆとり世代が、上の世代にいじめられていることに慣れ過ぎて、これがいじめだと気付かない状態になっているのではないか。

「やっぱ俺らいじめられてるわ」ってことに気付きなさないといけない時期に来た。

じゃあ「いじめの主犯格誰だよ」って言ったら、それは高齢者なわけで主犯格を一回殴り倒さないといじめは終わらない。

オウム真理教や連合赤軍はある意味若者として社会と戦おうとした。

しかし今の若者世代からそういう組織が現れてくる見込みはない。SEALDsは反逆組織のようで実はただ単に身内でイイネ!を押しあうだけの集団でしかなかった。

「一緒に酒飲めば敵の上陸防げます」と言ってるような連中の勢いがなくなっていくことはある意味当然だったと言える。

「若者なら何かできる」とか「俺らエネルギッシュな若者だし」というエネルギーすらなくなり、若いってだけで自慢するの良くないよねという風潮になってきて、高齢者や中高年層が主流になってきている。

若者が多数派だった時代にあった"調子乗り感"が今のゆとり世代からは消えつつある。

ゆとり世代といういじめられっ子がこれからどう反逆するのか、それとも「俺はイジられてるだけ」とかいじめられる日常に慣れ過ぎて何も気づかなくなるのか、今の時期はまさに世の中がどうなっていくのかとい分水嶺の時期なのではないだろうか。

連合赤軍やオウム真理教でもなければ、SEALDsでもない、そんな組織を作り上げなければ革命は実現できない。

ロシア革命の時代からちょうど1世紀が過ぎようとしている、そして後にナチスの政権掌握も訪れる。

世界史の潮流が1世紀おきに変わるのであればもうすぐ何かが起こる可能性は否定できない。

https://elkind.hatenablog.com/entry/2017/09/04/150926

▲△▽▼

今の時代やはり暴力革命は成立しえない
https://elkind.hatenablog.com/entry/2017/09/24/145737

理想的共産主義社会の実現のために若者が革命を志していた「政治と闘争の季節」は1960年代までであり、70年代に入りカジュアルな文化や新しい庶民の生活スタイルが普及するようになると見限られるようになっていく。

サブカル文化を取り扱った番組を見て、70年代から現代の若者文化に近い潮流が始まったと知った。ものすごく簡単に言えば政治がそこまでかっこいいものじゃなくなったり、他にもっと楽しいことができたり、あまりにも暴力的で過激になり過ぎたことで若者から見放されていったというのが大きな流れだ。

他に楽しいことができたし、物凄く戦わなければならない理由も無くなった。

70年代ですら見限られて衰退していった暴力革命を今しようとしたら誰もついてこないだろう。

実際極左が多いイメージのある京都大学でもかつての中核派的な活動をしようとしていた学生が、一般学生に排斥されているようである。

結局日本の左翼というのはそういう活動の昂揚感にしか興味が無く何かに反対している興奮が好きな人が多いが、どう頑張っても少人数で細々とやり何も実現できない「左翼ごっこ」の領域を出ない結果にしかならない。

京大のような高学歴大学に進学すれば革命を志している凄い過激派がいるんだろうなという漠然とした幻想はは一般学生から白い目で見られて崩壊するのである。


日本の過激派「中核派」をフジテレビ・みんなのニュースが特集!その実態とは? - NAVER まとめ
https://matome.naver.jp/odai/2147079950621838601?&page=1


このまとめでも「反対することが多くて忙しそう」と皮肉られていたが、反安倍だの、反改憲だの反原発、反米だのやることが多すぎてしかも少数しか集まらないため結局過激な暴走に少人数だけが走るようになる。

しかしそんなものは連合赤軍が山荘において少人数が猟銃で訓練する程度にしかならず、フルオートのアサルトライフルで武装した組織には勝てないのである。

若者だけでなく多くの人が「そんなことをしてもしょうもない、第一自分の生活で忙しい」と思っており、興味もなければ情熱を抱く体力すらない程に疲弊しているのが現代日本社会だ。

更に60年代と70年代前半の極左過激派があれだけ元気だったのは、それだけ世の中が激動の時代だったという事でもある。

東西冷戦真っただ中で、いつソ連と戦争が始まってもおかしくない状況だった上にまだ沖縄も返還されていない時代だった。

沖縄に核兵器が配備されていたことに関するドキュメント番組を見たのだが、当時の冷戦の状況は今とは比較にならない程緊迫していた。

最近の若者がなぜ政治熱が無いのかといえば、状況が違うというのもあるのかもしれない。あれだけ面白い材料やニュースがあれば、それは政治熱が高まるに決まっている。

ベトナム戦争やキューバ危機が歴史の教科書に出てくる単語ではなかった時代の話なのだ。

逆に言えば今何か特別昂揚感を刺激するようなニュースがあるかと言えば、せいぜい北朝鮮がミサイルを発射するぐらいでそれすらもう日本人は感覚が麻痺して慣れ切っている。それを言えば更に日本人が血気盛んだった戦前はもっと大きな出来事のオンパレードだったため若者が情熱を持ちやすかった。

ソ連すら知らない今の世代がせいぜい北朝鮮が虚勢を張っているだけの小粒化した共産陣営に抵抗しようとも思わないし、そこに憧れを抱かないのも必然だろう。

言葉に語弊はあるかもしれないが、当時の極左は今思えば楽しかったのではないだろうか。未だに学生運動の情熱を持っている当時の世代が、今も中核派や核マル派を一応続けているらしいが当時の熱狂を忘れられない時代遅れの人々かそこに憧れる世代しかもはや存在していない。

かつて従来の既成左翼を批判した新左翼が今は旧左翼になっている、そんな皮肉もこの記事では綴られている。


高齢化し数も減少 若者から見限られる中核派・革マル派の現状|NEWSポストセブン
https://www.news-postseven.com/archives/20151226_369124.html?PAGE=1#container

そしてこの記事で旧世代の左翼を見限った新世代の左翼の代表格だったSEALDsですら結局は平和と叫んで心酔したいだけのお笑い集団でしかなかった。

全ては時代背景に行き着く問題で、今真剣に厚く語れる政治問題そのものが存在しないというのが大きい。

ソビエト連邦という総本山がありまだ社会主義への幻想があった時代とは全てが違う。ベトナム戦争でかわいそうなベトナムの人々が犠牲になっているという共感できるニュースも無い。

渋谷で暴動を起こしたり、大学を占拠したり企業のビルを爆破したり山荘に強奪した武器を持って立てこもるには相当なモチベーションと情熱、そして信念が必要だろう。

日本で革命が起きない理由はそういったモチベーションを掻き立てる物や反対するものが無いということが大きい。

大多数の日本人はなんだかんだで米軍が日本の防衛に役立っているという事をわかっているため、特に反対しようという気にもならないし、かと言って中国や北朝鮮もそれほど脅威には感じられないため憲法を改正しようという危機感も無い。

左右両方の方面で特別エネルギーを沸かせるような要因そのものが無い。

福島の原発の事があったとしても電力が必要だという現実路線が日本人の中で優先されるし、北朝鮮がミサイル実験を断行しても憲法まで変えようという気にはならない。自衛隊と安保、日米同盟で十分対処できるしそもそも攻撃してこないということを現実的に理解している。

イギリスがその場の雰囲気でなんとなく後先考えずEUを離脱したり、アメリカでトランプが就任したりする姿を見ると日本人って飛び抜けた方向にはいかないというか平均的に賢いのかもしれない。

つまり日本人自体が非常に現実的な思考をしている上に、日常に忙しくそして疲れている、そして特に強い衝動を引き起こすような出来事もないため何も起こらないというのが実情だ。

中核派の学生が演説しても今時一般学生からは白い目で見られるのと同じで、あらゆる政治活動、いやいろんな流行や現象が今は「盛り上がっているのは一部だけ」という目で見られるようになった。

昔はオリンピックに興味がないと言う人は現実ではなかなか共感してくれる人がいなかったが、今ではネットでオリンピックに興味が無い人でも集まれる。

ハロウィンが新しく文化現象になろうとしても、一部の馬鹿が騒いでいるだけということをネットで言いやすくなった。

「そんなことする体力よくあるなぁ、興味ないや」という意見が言いやすくなったし、実はそういう人たちがサイレントマジョリティだった。

一回立ち寄った喫茶店のマスターと少し政治の話をしたことがあるのだが学生運動全盛期ですら「左翼は頭がおかしい」と思っている人が大多数だったようである。

今の日本はそういった静かな少数派が力を持つ時代であり、多くの人が実は静かな少数派の一人であることを自覚している。

そしてそういうサイレントマジョリティの意見がむしろ今はむしろメジャーな意見になっている。

例えば「流行に興味がない」という人が増えたが、昔もおそらく何らかの流行に興味が無い人の方が多数派だったがそれを言いにくい空気があった。

今では逆転しており、流行に盛り上がる人の方が恥ずかしいという冷めた空気感が漂っているし、特にネットはそういう現象を叩く傾向にある。流行に興味が無い事や冷めていることが恥ずかしい事ではなくなった結果、特に大きなことも起きなくなったというのが今の時代だ。

既に日本は大きなムーブメントが発生しにくい土壌になっており、大多数がそれなりに満足できる妥協案が最も強いという民主主義の原則が支配的になっている。

日本というのは自ら変わる国ではなく外圧で変わる国でもある。

ペリー来航や欧米列強の脅威が迫らなければ今も江戸時代や徳川幕府が続いていた可能性も否定できないだろう。

実際徳川幕府は世界でも例を見ない程続いたある種の軍事政権の一つであり、天皇制の歴史も非常に長い。

余程変わらないといけない大きな理由、多くの場合は外圧がない限り日本で大きな変革は実現しえない。

変える理由がない時は変えないという当たり前の事であり、無難な日々や昨日と同じ日常を安全に迎えられることに幸せを見出してきた農耕民族でもある。

無計画でもなんでもとにかく行動して変えてやろうという強い衝動を持ちにくく、忍耐力のある民族であることは間違いない。

おそらく次の衆院選は政権交代には至らないが、かと言って改憲が可能な程与党が大勝するわけでもないというどちらとも言えない結果になるだろう。

現政権を打倒しなければならない強い理由もなければ、現政権を強化して憲法を変えるほどの脅威もやはりない。

当然ながら私設組織や地下組織が独自に武力革命を起こすこともないだろう。

また少し平和を叫んでいれば楽しくなったような気になる市民団体がちょっと出てきて話題にもならず選挙後消えていくだけでしかないはずだ。

革命

激動の時代を味わいたいとか、凄い変革を見たいという人はあまり期待しない方がいいだろう。

そういう雰囲気に熱狂する体力もないほど今の日本人は疲弊しており、まずそういう興味や衝動を持っている人が限られる。

貧しいなりに娯楽が充実していてそれなりに不満も紛らわせたり、ささやかな楽しみと最低限の安全は存在する。

「昔に比べてしょぼくなったがそれでも絶望的に悪いわけではないから仕方ない」と受け入れる、それが日本人の基本的な考え方になっている。

皆それぞれ不満はあるがそこまでして変えようと思わないぐらいには我慢できる忍耐力があるのが日本人でもある。ただしその堪忍袋の緒が切れたときには思ってもみなかったぐらいの行動を起こすが、それでも実は江戸城の無血開城を実現したり本土決戦を回避したりどこかで優しく大人しい部分はある。

今の日本は特に何かを起こさなければならない時期でもない平和な期間だともいえる。

江戸幕府がものすごく長く続いたのと一緒で、戦後日本という体制はせいぜい70年程度の物で体制という物は続く時は大きな変化も無く続く物なのである。

大きな変革や革命が起こるとするならばやはり何らかの外圧がなければならないだろう。基本的に和を尊び妥協案を探すか、大人しく忍耐する日本人が我慢できない程の何かが起きればそれは起きるかもしれない。

そういうエキサイティングな何かが見たければ海外に行くという手段もある。

チェ・ゲバラがキューバ革命を実現した後にボリビアにまた革命をしに行ったのはもしかしたらその昂揚感が目的だったのではないかと自分は思っている。

フィデル・カストロが現実的な政治を行い、ゲバラが理想とする更なる革命を実現しなかった姿を見て彼はボリビアに次なる戦場を求めた。その結果彼はこの世を去ることになるのだが、ゲバラ的なロマンチストは理想と闘争を求めずにはいられないのかもしれない。

実際日本人でも日本赤軍はパレスチナに軍事訓練に行ったり、よど号で北朝鮮に向かおうとした。彼らは海外で軍事訓練を受けて日本での革命のための準備をしようとしていたようだが、革命や理想のために頑張っているという充実感を欲するならばそれは海外にあるだろう。

ある意味今の日本で革命が起きなくてつまらないと思っていたりそれが不可能だと諦めている人たちの先駆けが彼らだったのかもしれない。

国内で余程大きな歪が生じるか、何らかの大きな外圧が起こる以外、今特に大きな変革を望む必要性は左右両方の面で存在しない。

「70年間戦争をしなくて済んだ」というのは平和主義者の常套句だが、日本の戦後の八方美人外交というのはある意味日本が国際社会で生き残るための最適解だったと数百年後歴史評論家に語られる時が来るのではないだろうか。

天下太平の世では革命など起こす必要が無い、江戸幕府発足後70年の頃に生きていた人たちはまさかアメリカの歴史並に長く続くとは思ってもいなかっただろう。

案外戦後日本の体制はこれから大きな変革も無く江戸幕府のように200年以上続く体制なのかもしれない。

https://elkind.hatenablog.com/entry/2017/09/24/145737

▲△▽▼

日本で極右ファシズム独裁の実現は可能か考察
https://elkind.hatenablog.com/entry/2017/09/11/122805

独裁者と言えば浮かべるイメージとしてナチスドイツとアドルフ・ヒトラー総統の典型的なイメージがある。

そして対極的な社会主義政党による一党独裁、つまりヨシフ・スターリンのような実例があり独裁と言えば極右か極左のどちらかになることが近現代史においては多い。

20世紀という時代を総括するのであれば共産主義と全体主義による独裁、そして民主主義というおおまかな3つの政治制度により歴史が形成されてきた。

帝国主義とそれを打倒する闘争、そしてかつて植民地だった国ではポスト・コロニアリズム、先進国ではポスト・モダンへの希求が論争されてきて現代に至る。

更に日本に置いては新興宗教が台頭し、現在では欧米において回教過激派もその勢力を伸ばしつつある。

その日本に置いては連合赤軍や学生運動、共産主義過激派による運動が敗北し勢力を失っていくことになり現在では過激派という言葉すら歴史上の出来事だ。

そして一時、過激派の運動は80年代の好景気とバブル景気により徐々に衰退していくが、90年代にオウム真理教が台頭し始め例の化学テロを実行することになる。

自分はこの60年代から70年代にかけての出来事と、80年代後半から90年代前半の出来事について考察する場合「左派と宗教の敗北」だと考察している。

より端的に言うのであればこの国でもはや左翼と宗教に勝ち目はない。

彼らがやったことと言えば政権の獲得を民主主義的手法によって諦め、テロに走り公安から逃げ回っただけだった。政権掌握以前にその転覆すら不可能で、公安組織から逃げ回り自衛隊といった実質的な軍事組織が出る幕もなかった。

それは必然だ、所詮連合赤軍が強奪した猟銃ではフルオートのサブマシンガンMP5やPSG1のようなドイツ製最新自動狙撃銃を配備した国家組織に敗北して当たり前なのだ。彼らの中にそういった最低限の軍事理論を身に着けている人材すら存在しなかったのだ。当時はまだMP5やPSG1は配備されていなかったが64式小銃と61式戦車は自衛隊に配備されていたため暴力革命での勝利は不可能だったことは間違いない。

それから一歩進みロシアから旧式の戦闘ヘリを密輸し自動狙撃銃を密造し、毒ガスであるサリンの製造をもくろんだオウム真理教は宗教テロ組織としては画期的だった。

しかし彼らも公安からの捜査を回避するためにサリンを手放し、わずかに残った未完成の毒ガスを地下鉄で散布することが限度だった。戦闘ヘリや戦闘車両を保有し、連日戦闘訓練を積む大規模組織、すなわち自衛隊にはたどり着くことすらなく所詮公安組織に鎮圧されるレベルでしかなかった。

こういった反体制地下組織はどうあがいても巨大な権力に打ち勝つことはできない。

まるで旧日本軍が国民総動員で武器を疲弊しながら製造していた時期に週刊空母を大量に実戦配備して来たことと同じだ。皮肉にも彼らはかつて批判していた戦前右派と同じ過ちを犯したのだ。

基本的に強い物には勝てない、テロですら弾圧される。

日本では逆らっていけない物が二つある。

それは天皇陛下とアメリカだ。

論理的に考えてこの二つには絶対に勝ち目がない。天皇制を敵視するという事は日本民族そのものを敵視することであり、本当の革命や政変を長期的に実現することはできない。

藤原道長、足利義満、織田信長ですら不可能だったのが帝、つまり天皇の打倒だ。第二次世界大戦における敗戦にも負けず存続した天皇制の日本人に対する希求性は論理を超えており、自分自身むしろ天皇統帥権を実現しようとしているほどだ。

また戦後のアメリカによる実質的な半植民地支配による戦後の体制についても打倒はできない。

どれけ反乱を起こしたとしても在日米軍に要請されれば確実にその反体制勢力は崩壊する。

結局のところインテリ層や知的階級が打倒できると思っていた天皇制やアメリカ合衆国には勝てなかったというのが戦国日本史だ。平成においてもシールズによる擬似的な反安保闘争が起きたが、その直後与党は圧勝した。

基本的に日本で左派と宗教が政治的勝利を得ることはもうありえないだろう。最盛期の学生運動やオウム真理教ですら事実上ただ公安に追われることが精いっぱいだった。その先にある自衛隊やアメリカなど遠い夢でしかなかった。

革命や政変と言えば「左派」というイメージが存在するが実はそうではない。

近現代史を遡れば右派が革命により政権を掌握したり維持したケースは多い。

1:ナチス・ドイツの政権掌握

2:イラン・イスラム革命

3:朴正煕による軍事クーデーター

4:フランシスコ・フランコによる独裁政権の維持

アドルフ・ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党はいわゆる左翼による革命ではなく、むしろドイツ帝国以来の保守層を支持母体にしていた。ロシア革命やキューバ革命と違う部分で言えば、きわめて民主的な手法により政権を獲得し、かつての軍部や官僚の支持を得られたことで政権獲得後も政権運営が可能だった。

実はドイツは近代国家として一定の水準で確立されており、暴力革命によってナチスは政権を獲得したわけではない。そのため革命というよりも政変という言葉が相応しい。

一定の文明水準に達した国は民主的手段に打って出る必要があるという事の証左であり、戦前に日本も実は北朝鮮のような一党独裁の国ではなく長い民主主義運動の歴史があった。

次にイラン・イスラム革命だが、これは近年まれに見る保守革命の具体例の一つだ。

日本でよく「ホメイニ師」として知られる宗教指導者により大胆な保守回帰路線が実行されたのがイラン革命だ。

元々イランはアメリカや西側の路線に近い資本主義的な国家だったが、今では世界屈指の反米国家でありイスラム国家として存在地位を築いている。

日本で例えるならば大日本帝国の復活や、平安朝時代の文化の再現に成功した事例と言えるだろう。

次に朴正煕による軍事クーデーターだが、「パク・チョンヒ」と読むのか「ぼくせいき」とよむのかで世代が分かれる。いずれにせよ時代としては北朝鮮初代国家主席金日成と対峙した冷戦直下の時期であり開発独裁と反共産主義を掲げ「西側の独裁者」としては代表格的な存在だ。

アメリカ合衆国という国は民主主義を押し通すように見えて実は自分たちの利益になる国や対立構造の中で利用できる国に対してはある程度、独裁を容認する傾向がある。

かつて最貧国だった大韓民国を「漢江の奇跡」によって新興国にまで押し上げたことは軍事独裁による強硬政策による功績だ。現在でも朴正煕政権に関して韓国では評価が分かれている。いわゆるファシスト的な要素があったことも事実であり長期的な軍事独裁を敷いた。

「アメリカに支援された東アジアの独裁者」という意味では最も朴正煕が近い例だろう。

最後にスペインのフランシスコ・フランコだが、この国は米ソ東西冷戦の真っただ中で翻弄された国の一つだろう。つまり元々フランコはアドルフ・ヒトラーやベニート・ムッソリーニと近しい存在であり、ファシスト陣営の一人だったが第二次世界大戦に参戦しなかったことにより"特例"ともいえる形で許された。

米ソ冷戦終結までアメリカに支援されたスペインは一定の繁栄を謳歌したのは事実だ。

更にフランシスコ・フランコはスペインの王室制度とも対立せず、フアン・カルロス1世を自身の後継者に指名したほどだ。

つまり「西側でありながら王朝と対立せず政権を維持した独裁者」という意味でフランシスコ・フランコは歴史において類稀なるケースだと言える。

仮に日本で何らかの革命や政変を実現しようとするのであれば連合赤軍やSEALDsの敗北のように左派による革命は狙えない。

宗教も実質的に不可能であり現在において公安は監視を厳しくしており、テロリズムに走れば数回何らかの行動をすることが限度だろう。左派と宗教では戦後日本の打倒は不可能だと二つの組織が証明している。

もし何らかの革命や政変を日本で起こすのであればこれはもはや右派によってでしか実行できない上に、実際右派による政権運営は可能だと現代の政治が証明している。

現在でもわずかに過激派新興宗教の支持者や極左が残存しているが彼らを右派の路線に転向させることができれば政変の実現には近づく。つまり極左や過激派宗教組織の中に存在するインテリ層や科学技術者等に右派への転向を迫ることがまず第一歩となる。

つまり「未来永劫左翼や宗教組織をやっていても永遠に勝てない」ということをどう彼らに気付かせられるかだ。なんとなく既存の勢力に反抗していれば楽しい人生で終わるのか、本気で政権を掌握するかだ。

そもそも日本の左派のレベルが低いということにうんざりしている極左も多く、彼らのようなインテリ層が真の革命や政変の右派に転向することが合理的だという事に気付くかどうかだろう。

公安から隠れながらサリンを製造するのではなく、むしろ保護された国家組織の一員としてより強大なものを作るか。つまり歴史上の勢力が開発した毒ガスや自動小銃をただ秘密裏に製造しそれですら不完全で終わるだけで終わるのか、サリンやAK74を開発したナチスやソビエト側になるのか。

更に現在において既存の右派勢力のレベルが向上することが求められる。

現在の右派はかつての三島由紀夫のような知的文化人を欠いており、いたずらに近隣諸国を稚拙な言葉で批判するレベルに終始している。

日本衰退の現実から目を背け「日本の街は綺麗ですね、水道水が美味しいですね」という外国人観光客の言葉に一喜一憂することしか今は日本人が誇りにするものが無くなっている。

左派のレベル低下も深刻だが、そこに安心し右派のレベルの低下から目を背けてもいけない。

仮に右派による革命や政変をより高度な段階で実現するならば、まずは日本左派勢力や宗教勢力からの転向、および既存保守勢力のレベル向上が求められるだろう。
https://elkind.hatenablog.com/entry/2017/09/11/122805

54. 中川隆[-11329] koaQ7Jey 2019年3月20日 21:09:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[676] 報告

世代間闘争論、あるいは団塊の世代の精神的病理について 2008年03月30日
https://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/3acf222a439537072916d8c0c85a3fe5


 このブログの今年の1月9日の記事で赤木智弘さんの「希望は戦争」について触れ、私も「もうこうなったら世代間戦争だとでも言いたくなってくる」と書いたことがありました。

 月刊『創(つくる)』の今月号を読んでいたら作家の雨宮処凛さんが、「『世代間闘争』問題」という記事を載せていました。その記事に触発されて、「世代間闘争問題」を再度論じてみたいと思います。

 いま全国でロスジェネ世代のフリーターや派遣・非正規労働者の労働組合が次々に設立されていくという感動的な現象が進行しています。各地で立ち上がった人々に対して心からの声援を送ります。皆さまがんばって下さい。心から応援します。

 さて、雨宮さんの記事は、京都の若者向け労働組合「ユニオンぼちぼち」のパネルディスカションの際に起こった「事件」を書いたものでした。パネルディスカッションは、反貧困そして生存のため、若者がどのように連帯していけばよいのか真剣に話し合うものだったそうです。その際、フロアーにいた団塊の世代の学生運動経験者らしいオジサンが、「甘えるな」「一人一人がしっかりしていない」「戦略意的に生きてこなかった結果」などと、すごいケンマクで「フリーター=自己責任論」をまくしたて、あげくの果てには会場にいた生活保護受給者に対し、「生活保護を受けられるだけでも有り難いと思え」などと暴言を吐いたというのです。

 雨宮さんは、「そんな言葉を聞くたびに、猛烈に胃が痛くなる。人に責められる前に、当事者は死ぬほど自分を責めている。責めに責めて、私の周りでも多くの人が命を絶った。そのたびに、思うのだ。言葉は簡単に人を殺せるのだ」と書いていました。

 団塊の世代には確かにこの種の人間が多い。残念なことですが。私自身、長い間「フリーター研究者」として過ごしてきて、団塊の世代の人々からその種の言葉をもらって傷ついた経験があります。このブログにも、団塊世代とおぼしき人からその類のことを書きこまれてすごく傷ついたことがありました。もちろん団塊の世代すべてがそういう人なわけではありませんが、残念ながら、かなりの割合でこういう人々が存在することも事実です。

 なぜ団塊の世代の人にはこういう人が多いのだろう? 基本的に社会科学のイロハも分かっていないとしか思えない。社会科学の「イ」の字でも分っていれば、以下のことはすぐに分かるでしょう。

 ロストジェネレーションの悲劇は、日本企業が土地ころがしのバブル生成に狂奔し、日本政府がそのバブルを放置し、ついにそれを崩壊に追い込んだことによって生み出されたこと。その背後にはプラザ合意から日米構造協議と続いた米国による市場原理主義イデオロギーに基づいた一連の内政干渉があること。バブルに踊らされたのは団塊の世代の人々であり、ロスジェネ世代の人々には何の責任もないこと。それなのにバブル崩壊の被害をロスジェネ世代が一身に背負っていること。

 いわば犯罪者たちがそのまま食い逃げし、無罪の人々が冤罪で牢獄につながれているようなものです。こうしたことが分かれば、まずは団塊の世代として、ロスジェネ世代に謝罪の一言もあってもよいと私は思うのです。なぜハレンチにも自己責任論をまくしたてて、若者を傷つけ、死に追いやっているのか。あまりにもひどい。
 
 彼ら・彼女らが社会科学の「イ」の字も分っていないのは、彼らが学生時代ゲバルトばかりして暴れ回っていたため、全く基礎的な教養がないことと関係があるのでしょうか?
 彼・彼女らはマルクスぐらいちゃんと読んでいたと思っていたのですが、暴れるのに忙しくてマルクスもちゃんと理解していなかったのではないですか? 

 私は、いわゆる「全共闘運動」というものに対して決定的に嫌悪感を抱いています。全共闘が掲げた「大学解体」「自己否定」などという全く訳の分らないスローガンには怒りを覚えます。運動の目的も何も分らない。甘ったれもいいところだ。そんならアンタたちがトットと大学を退学すればよいだけじゃないですか。何で勉強したい人々の邪魔しながら大学をバリケード封鎖などしなければならないのですか?

 連帯などはじめから求めていないから、各個人がバラバラに孤立していくしかなかったのです。彼らは破壊しか知らず、創ることなど何もできなかった。信州大学全共闘で破壊活動ばかりしていた猪瀬直樹が、小泉政権による日本破壊政策の片棒を担いだのは、象徴的なことだったと思います。

 いや、全共闘の中でも評価できる運動もあります。日大全共闘です。私から見て日大の運動は評価できますが、東大含めそれ以外の大学の運動は全く評価できません。日大全共闘は、「学園の民主化」というきわめて正当で具体的な課題を掲げて闘い、運動の目的がハッキリしていたと思います。そして皆が共通目標に向かって連帯し、協力することによって確かな成果を勝ち取っていったと思います。

 だから日大全共闘OBは、学生運動経験を人生における輝かしい出来事としてポジティブに評価でき、その後の人生においても運動経験を前向きに活かしている方が多いと思います。それは人間同士が連帯して何かを生みだすことの素晴らしさを、彼・彼女らが運動の中で学んだからだと思います。

 その他の大学の全共闘が掲げた「大学解体」「自己否定」などという運動の目的も何もサッパリ分らないメチャクチャなスローガンからは何も生まれません。目的が分からないから連帯などしようがない。「自己否定」から「自己責任」へ。連帯のすばらしさも経験することのできなかった彼らは、アトムへと分解し、徹底的に個人主義的な思考になってしまったのではないでしょうか。

 運動の中で何も得るもの、誇れるものも何も得られなかった彼・彼女らは、「運動なんかバカがするものだ」みたいなことを自分の子どもたちに平気で言って、人々が生きやすい社会をつくるために力をあわせて政治を変えていこうとする努力そのものも否定するようになりました。彼らは極度のニヒリズムに陥って個人主義的になり、自己責任論をまくしたてるようになってしまったのではないでしょうか。

 彼らは学生時代に暴れていただけで勉強していないにも関わらず、社会に出て自分が努力したから、個人の力で頑張ったから何とか成功してきたと勘違いしているのです。勘違いしてナルシズムに浸っている。それでロスジェネ世代に対して、「努力が足りない」「頑張らないのが悪い」「甘えるな」などと暴言を吐くのです。

 あなたたちが社会人になった70年代は、頑張ればどうにかなる時代だったのですよ。個人の力でも何でもない。90年代には個人の力で頑張ってもどうにもならなようない社会構造ができあがってしまったのです。派遣労働の自由化などによって。

 10%の経済成長を遂げている時代の失業者者も「自己責任」、マイナス成長の時代の失業者も同じく「自己責任」なのですか? バカも休み休み言いなさい。
 
 全共闘の人々が犯罪的だと思うのは、彼らがバカげた運動をしたせいで、その後の日本人の大多数が社会運動そのものに決定的にネガティブなイメージを持つようになってしまったこと。そして民衆が歴史を動かすという具体的イメージを日本社会が失ってしまったことです。学生運動が実際に社会を動かしてきたフランスや韓国などの活力比べて、日本がここまで硬直してどうしようもなくなっているのも一重に全共闘運動の責任だと思うのです。すでにして彼らは、こうして後の世代に多大な負債を残しているというのに、あろうことかこの期に及んで、貧困に苦しむ若い世代の新しい運動に対して、「自己責任」と罵倒しながら冷水を浴びせかけるなんて、私には断じて許せない。彼・彼女らに対しては断固として闘わねばならないと思います。
 
 いま全国で起ちあがっているロスジェネ世代は、団塊ジュニア世代でもあります。ぜひ両親の世代をギャフンと言わせるだけの成果を勝ち取りましょう。そして「団塊の世代の呪い」による日本の社会運動の沈滞を、創造的に乗り越えていきましょう。
https://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/3acf222a439537072916d8c0c85a3fe5

分断統治への反撃 ―こんどはこっちが分断する番だ 2008年04月25日
https://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/e41b39579770bca33cadde5f17c8faa6


 まず、一つ前の記事がだいぶ物議をかもしだしたようですので、続きを書きます。なぜあんなことをを書こうと思ったのかを説明します。

 あの記事は、少なからぬ団塊の世代の方々を傷つけてしまったようです。私は、あの記事で「ニヒリストかつナルシスト」という精神的傾向を持つ全共闘崩れの一群の方々を批判しました。もちろん私は、前向きにポジティブに生きておられる元全共闘の団塊の世代の方も少なからず知っています。ですので、心の中では「ああ、ステレオタイプなこと書いちゃってすいません」と謝りながらも、なおかつ敢えて書きました。

 というのも、「俗流若者論」で若者が攻撃され、若者が打ちひしがれているという現状があり、それに対するささやかな抵抗として「俗流団塊論」で少しくらい言い返してやったって、バチは当たらないだろうと思ったのです。レッテル貼りにはレッテル貼りで対抗し、レッテル貼り攻撃してきた上の世代の方々に自省を促したかったという点があります。

 赤木智弘さんの『若者を見殺しにする国 −私を戦争に向かわせるものは何か』(双風社、2007年)の第1章は「強大な敵としての俗流若者論」でした。それは、上の世代から放たれる「最近の若者は・・・・」という不当なレッテル貼りに対する抗議の文章です。それを読んで、共鳴したというのも、あれを書いた動機の一つです。

 私は、このブログを始めてからというもの、若者たちとの論争をだいぶしてきました。中国・韓国に対する差別的バッシングにあけくれる若者たちとの論争です。私もカーッとなって「差別はやめろ」などと口泡飛ばすような論争をしてきました。

 しかしながら、最近になって、「自分は分断の罠にはまっていただけなのではなないだろうか?」と自省するようになったのです。中国・韓国を叩いてウサを晴らそうとする、絶望的な状況に追い込められた若者の気持ちも分かります。絶望的な状況に置かれて未来が見えない中、しかも自己責任論で上の世代からバッシングされる中、「自分よりダメな人々」を求めて、韓国・中国に攻撃の矛先を向けてしまっているのでしょう。人間は弱いものです。これだけ格差が増大したら、そうなってしまうのも仕方ないです。

 市場原理主義のグローバル化によって絶望的な状況に追い込まれた若者のやるせない不満のはけ口として、中国・韓国を利用しようとしているのは、『諸君!』や『正論』などに寄稿するご老人方です。そしてその背後には、アジア諸国を分断して混乱させながら、日本の従米状態を恒久化させようとする米国の戦略があります。日本人に「中国は怖い」というイメージを徹底的に刷り込むことによって、日本が米国の半植民地状態にあることを恒久化させ、日本を米国とって便利なATMマシーンとして機能させ続けようというわけです。ちなみに、『諸君!』という雑誌は、そもそもCIAの工作資金で創刊されたものです。

 西洋帝国主義のお得意は分断統治戦略。大英帝国はインドを植民地統治するにあたって、イスラム教徒とヒンドゥー教徒が互いに争うように仕向けさせ、彼らの怒りの矛先が英国に向かわないようにしました。そのせいでインドとパキスタンの分裂とその後の抗争の悲劇が生まれたわけです。

 日本国内で、米国のエージェントのようになって反中・反韓論を威勢良く展開しているご老人方、豪邸に住んで何不自由なく暮らしている方々は、いまの若者の絶望的な状況に共感できる一片の感性も持ち合わせていない。彼らは、自分たちの世代の責任でここまで日本をダメにしてしまったという、その犯罪を覆い隠そうとするかのように、若者の目を国内矛盾からそむけさせようと、意図的に中国・韓国に対する敵意を煽りたてようとしているのです。だから右派雑誌ときたら、中韓批判やら民主党批判やら朝日新聞批判の特集ばかりで、格差社会批判の特集など組もうとしないのです。それで「日本の格差など中国に比べればはるかにマシだ」などという、およそ反論にもなっていないハレンチな開き直り論を展開するのです。

 あれらの雑誌に寄稿する人々は、中国・韓国批判の一方では、自己責任論をあおりたて、市場原理主義を礼賛する人々でもありました。宮台真司氏の言うところの「ネオリベ右翼」です。「ネオリベ右翼」は、方法論的個人主義を大前提とする市場原理主義を礼賛しながら、なおかつ国家主義を煽りたてるという、とてつもなく矛盾した人々です。

 それで、市場原理主義を正当化するところの新古典派経済学がどんな学説なのか分かっているのかといえば、彼らは不勉強で全然知らない。知らないままに、ただただ米国に迎合して資本主義万歳、構造改革万歳を唱和してきただけ。だから、自分の思想がとてつもなく矛盾しているという事実そのものにも気付かない。救いようのない愚かな人々です。

 しかも、ああした反中・反韓雑誌に寄稿している方々の少なからぬ人々が、元左翼活動家だったりするで唖然とします。そのような無節操な人々が信用できるわけないでしょう。「左翼はバカだ」という若者の皆さん。少なくとも日本の左翼は本当にバカだと私も思います(ただ、外国の左翼はあまりバカでない人たちも多いですが・・・)。そのバカな左翼思想にかぶれていたような浅薄な人々なんて、右翼になった今も変わらずバカなのだと思いませんか?

 絶対にあの無節操な元左翼右翼たちを信頼してはいけません。若者たちを、彼らバカな元左翼右翼の影響下から引き離すにはどうしたらよいのだろう、私たちが分断されるのではなく、彼らを分断するにはどうすればよいのだろう、それがあの文章を書いた主要な問題意識です。手始めに全共闘崩れの構造改革礼賛論者の精神的病理の分析をしようと思ったのです。
  
 「分断統治戦略」とはよく言ったものです。私なんか、まんまと支配層の策謀に引っかかって、分断の罠にはまりこんでいたのかも。私は、格差社会を批判する、中国だけでなく米国もちゃんと批判するような右派の方々は好きです。いままで、私たちが分断されてしまっていた。これからは彼らを分断してやりましょう。まずは政治的ヌエのような存在である「ネオリベ右派」を社会的に孤立させ、その思想的影響力を消滅させることだと思います。

https://blog.goo.ne.jp/reforestation/e/e41b39579770bca33cadde5f17c8faa6

55. 中川隆[-11312] koaQ7Jey 2019年3月21日 08:36:31 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[694] 報告

マルクス主義で言う平等というのは 99.99% の被支配者の間では階級差別が全く無いというだけの話です。


竹中平蔵さんが、

派遣社員と正社員と待遇が違うのは平等の精神に反するから、正規社員も非正規社員と同待遇にしろ

と言っているのも 99.99% の被支配者の間では階級差別が有ってはいけないというだけの主張ですね。


ユダヤ人は最初は共産化、今は移民の大量受け入れで 0.01% 対 99.99% の世界を作ろうとしたのです:


世界の超富裕層26人、世界人口の半分の総資産と同額の富を独占
2019年1月21日 14:19 発信地:ダボス/スイス
  

【1月21日 AFP】世界で最も裕福な26人が、世界人口のうち所得の低い半数に当たる38億人の総資産と同額の富を握っているとの報告書を、国際NGO「オックスファム(Oxfam)」が21日に発表した。拡大する一方の貧富の差を是正するため、裕福層への増税が必要だと各国政府に強く求めている。

 スイス・ダボス(Davos)で開かれる世界経済フォーラム(WEF)の年次総会(ダボス会議)を前に発表された最新報告によると、資産額10億ドル(約1100億円)以上の裕福層の人々が世界各地に保有する資産の総額は2018年、毎日25億ドル(約2700億円)ずつ増加した。

 世界一の富豪である米アマゾン・ドットコム(Amazon.com)の創業者ジェフ・ベゾス(Jeff Bezos)氏の資産は昨年、1120億ドル(約12兆2800億円)に増えた。オックスファムによればベゾス氏の総資産のわずか1%が、人口1億500万人のエチオピアの保健医療予算全額に匹敵するという。

 一方、世界人口のうち経済的に恵まれない半数に相当する38億人の資産総額は昨年、11%減少した。

 オックスファムは、拡大する格差によって貧困対策の効果が損なわれ、経済は打撃を受け、人々の怒りをあおる結果になっていると強調。各国政府が保健医療や教育といった公共サービスに割く予算を削減する一方で、富裕層に対する税制優遇を続け、経済格差をさらに深刻化させていると警告した。

 報告書は、富裕層や大企業に課税して「底辺への競争」をやめるよう各国に強く要求。最富裕層がたった0.5%多く税金を払えば、「現在教育を受けられずにいる子どもたち2億6200万人に教育を授け、330万人の命を救えるだけの保健医療を提供しても、余りある資金を確保できる」と指摘している。(c)AFP

56. 中川隆[-11287] koaQ7Jey 2019年3月22日 13:41:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[719] 報告

七〇年代のはじめまで、ベトナム戦争中の日本社会における反米感情は今では想像できないほど激しいものでした。

ところが、一九七五年にベトナム戦争が終わると同時に、潮が引くように、この反米・嫌米感情が鎮まった。つい先ほどまで「米帝打倒」と叫んでいた日本の青年たちが一気に親米的になる。

この時期に堰を切ったようにアメリカのサブカルチャーが流れ込んできました。若者たちはレイバンのグラスをかけて、ジッポーで煙草の火を点け、リーバイスのジーンズを穿き、サーフィンをした。

なぜ日本の若者たちが「政治的な反米」から「文化的な親米」に切り替わることができたのか。それは七〇年代の日本の若者が享受しようとしたのが、アメリカのカウンターカルチャーだったからです。

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比較敗戦論のために - 内田樹の研究室 2019-03-20
http://blog.tatsuru.com/2019/03/20_1437.html


2019年度の寺子屋ゼミは「比較敗戦論」を通年テーマにすることにした。

どうしてこのようなテーマを選ぶことになったのか。それについて姜尚中さんとのトークセッションで語ったことがある。
そのときの講演録を再録しておく。講演があったのは2016年


敗戦国は日独だけではない

 今回の「比較敗戦論」というタイトルは、問題提起という意味でつけました。特に僕の方で用意した結論があるわけではありません。ただ、歴史を見るときに、こういう切り取り方もあるのだというアイディアをお示ししたいと思います。

「比較敗戦論」という言葉は『永続敗戦論』(太田出版 二〇一三年)の白井聡さんと対談をしまたときにふと思いついたのです(この対談はその後、『日本戦後史論』(徳間書店、二〇一五年)という本にまとまりました)。

『永続敗戦論』での白井さんの重要な主張は「日本人は敗戦を否認しており、それが戦後日本のシステムの不調の原因である」というものでした。「敗戦の否認」というキーワードを使って、戦後七〇年の日本政治をきわめて明晰に分析した労作です。

ただ、僕が思ったのは、白井さんと話をしていて、日本人が戦後七〇年間にわたって敗戦経験を否認してきたということは全くご指摘の通りなんだけれども、日本以外の敗戦国ではどうなのか、ということが気になりました。日本以外の他の敗戦国はそれぞれ適切なやり方で敗戦の「総括」を行ったのか。その中で日本だけが例外的に敗戦を否認したのだとすれば、それはなぜなのか。そういった一連の問いがありうるのではないかと思いました。

白井さんの言う通り「敗戦の否認」ゆえに戦後日本はさまざまな制度上のゆがみを抱え込み、日本人のものの考え方にも無意識的なバイアスがかかっていて、ある種の思考不能状態に陥っていること、これは紛れもない事実です。でも、それは日本人だけに起きていることなのか。他の敗戦国はどうなっているのか。多の敗戦国では、敗戦を適切に受け容れて、それによって制度上のゆがみや無意識的な思考停止を病むというようなことは起きていないのか。よく「ドイツは敗戦経験に適切に向き合ったけれど、日本はそれに失敗した」という言い方がされます。けれども、それはほんとうに歴史的事実を踏まえての発言なのか。

まず僕たちが誤解しやすいことですけれど、第二次世界大戦の敗戦国は日独伊だけではありません。フィンランド、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、タイ、これらは連合国が敵国として認定した国です。それ以外にも、連合国がそもそも国として認定していない交戦団体として、フィリピン第二共和国、ビルマ国、スロバキア共和国、クロアチア自由国、満州国、中華民国南京政府があります。これだけの「国」が敗戦を経験した。でも、僕たちはこれらの敗戦国で、人々が敗戦経験をどう受け容れたのか、どうやって敗戦後の七〇年間を過ごしてきたのかについて、ほとんど何も知りません。例えば、「フィンランド国民は敗戦をどう総括したか」というような研究は、フィンランド国内にはしている人がいるのでしょうけれど、僕はそれについての日本語文献のあることを知らない。でも、「敗戦の否認」という心理的な痼疾を手がかりにして現代日本社会を分析するためには、やはり他の敗戦国民は自国の敗戦をどう受け止めたのか、否認したのか、受容したのかが知りたい。敗戦の総括をうまく実行できた国はあるのか。あるとしたら、なぜ成功したのか。敗戦を否認した国は日本の他にもあるのか。あるとしたら、その国における敗戦の否認は、今その国でどのような現実を帰結したのか、それを知りたい。「敗戦の否認」が一種の病であるとするなら、治療のためには、まず症例研究をする必要がある。僕はそんなふうに考えました。

フランスは果たして戦勝国なのか

 このアイデアには実はいささか前段があります。枢軸国の敗戦国というと、ふつうは日独伊と言われます。けれども、フランスだって実は敗戦国ではないのか。僕は以前からその疑いを払拭することができずにいました。

ご承知の方もいると思いますが、僕の専門はフランス現代思想です。特にエマニュエル・レヴィナスというユダヤ人哲学者を研究してきました。その関連で、近代フランスにおけるユダヤ人社会と彼らが苦しんだ反ユダヤ主義のことをかなり長期にわたって集中的に研究してきました。そして、そのつながりで、19世紀から20世紀はじめにかけてのフランスの極右思想の文献もずいぶん読み漁りました。

 僕がフランスにおける反ユダヤ主義の研究を始めたのは1980年代のはじめ頃ですが、その頃フランスの対独協力政権、ペタン元帥の率いたヴィシー政府についての研究が続々と刊行され始めました。ですから、その頃出たヴィシーについての研究書も手に入る限り買い入れて読みました。そして、その中でも出色のものであったベルナール=アンリ・レヴィの『フランス・イデオロギー』(国文社、一九八九年)という本を翻訳することになりました。これはフランスが実はファシズムと反ユダヤ主義というふたつの思想の「母国」であったという非常に挑発的な内容で、発売当時はフランスでは大変な物議を醸したものでした。

 歴史的事実をおさらいすると、一九三九年九月にドイツのポーランド侵攻に対して、英仏両国はドイツに宣戦布告します。フランスはマジノ線を破られて半年後の六月にフランスは独仏休戦協定が結ばれます。フランスの北半分はドイツの直接統治領に、南半分がペタンを首班とするヴィシー政府の統治下に入ります。第三共和政の最後の国民議会が、ペタン元帥に憲法制定権を委任することを圧倒的多数で可決し、フランスは独裁制の国になりました。そして、フランス革命以来の「自由、平等、友愛」というスローガンが廃されて、「労働、家族、祖国」という新しいファシズム的スローガンが掲げた対独協力政府ができます。

フランスは連合国に対して宣戦布告こそしていませんけれども、大量の労働者をドイツ国内に送ってドイツの生産活動を支援し、兵站を担い、国内ではユダヤ人やレジスタンスを行いました。フランス国内で捕らえられたユダヤ人たちはフランス国内から鉄道でアウシュヴィッツへ送られました。

 対独レジスタンスが始まるのは1942年くらいからです。地下活動という性質上、レジスタンスの内実について詳細は知られていませんが、初期の活動家は全土で数千人規模だったと言われています。連合国軍がノルマンディーに上陸して、戦局がドイツ軍劣勢となってから、堰を切ったように、多くのフランス人がドイツ軍追撃に参加して、レジスタンスは数十万規模にまで膨れあがった。この時、ヴィシー政府の周辺にいた旧王党派の準軍事団体などもレジスタンスに流れ込んでいます。昨日まで対独協力政権の中枢近くに人たちが、一夜明けるとレジスタンスになっているというようなこともあった。そして、このドイツ潰走の時に、対独協力者の大量粛清が行われています。ヴィシー政権に協力したという名目で、裁判なしで殺された犠牲者は数千人と言われていますが、これについても信頼できる史料はありません。調書もないし、裁判記録もない。どういう容疑で、何をした人なのか判然としないまま、「対独協力者だ」と名指されて殺された。真実はわからない。

アルベール・カミュは最初期からのほんもののレジスタンス闘士でしたけれど、戦後その時代を回想して、「ほんとうに戦ったレジスタンスの活動家はみな死んだ」と書いて、今生き残って「レジスタンス顔」をしている人間に対する不信を隠そうとしませんでした。このあたりの消息は外国人にはなかなかわかりません。

シャルル・ド・ゴールもその回想録の中で、ヴィシー政府壊滅後のフランス各地の混乱に言及して、「無数の場所で民衆の怒りは暴力的な反動として溢れ出した。もちろん、政治的な目論見や、職業上の競争や、個人的な復讐がこの機会を見逃すはずもなかった」と証言しています。(Charles De Gaulle, Mémoire de guerre, Plon, 1959, p.18)

 国防次官だったシャルル・ド・ゴールはペタン元帥が休戦協定を結んだときにロンドンに亡命して亡命政府を名乗りますけれど、もちろん彼の「自由フランス」には国としての実体などありません。国際法上はあくまでヴィシー政府がフランスの正統な政府であって、自由フランスは任意団体に過ぎません。そもそもド・ゴール自身、フランスの法廷で欠席裁判のまま死刑宣告されているのです。

ド・ゴール以外にも、フランソワ・ダルラン将軍、アンリ・ジロー将軍といった軍の実力者がいて、フランスの正統な代表者の地位を争っていました。最終的にド・ゴールが競争相手を排除して、自由フランス軍のトップに立ちますけれど、それでも一交戦団体に過ぎません。44年にド・ゴールが「フランス共和国臨時政府」を名乗ったときも、アメリカもイギリスもこれを承認するのを渋りました。ド・ゴールが一交戦団体に過ぎなかった自由フランスを「戦勝国」にカテゴリー変更させたのは、彼の発揮した軍事的・外交的実力によってです。44年、ノルマンディー上陸後西部戦線でのドイツ軍との戦闘が膠着状態にあったとき、ド・ゴールはこの機会にフランスを連合国に「高く売る」ことに腐心しています。回想録にはそのことが率直に書いてあります。

「戦争がまだ長引くということは、われわれフランス人が耐え忍ばなければならない損失、被害、出費を考えれば、たしかに痛ましいことである。しかし、フランスの最優先の利害を勘案するならば、フランス人の当面の利益を犠牲にしても、戦争の継続は悪い話ではなかった。なぜなら、戦争がさらに長びくならば、アフリカやイタリアでそうだったように、われわれの協力がライン河・ドナウ河での戦闘にも不可欠のものとなるからである。われわれの世界内における地位、さらにはフランス人がこれから何世代にもわたって自分自身に対して抱く評価がそこにかかっている。」(Ibid., p.44、強調は内田)

 ド・ゴールは、パリ解放からドイツ降伏までのわずかの時間内に、フランス軍の軍事的有用を米英に誇示できるかどうかに戦後フランスの、国際社会における立場がかかっているということを理解していました。ほんとうにこのときのフランスは綱渡りだったのです。ノルマンディー上陸作戦の時点ではド・ゴールの自由フランスの支持基盤は国内のレジスタンスだけでした。それが戦局の推移に伴ってそれ以外のフランス人たちも自由フランスを自分たちの代表として承認する気分になり、最後に米英はじめ世界の政府がド・ゴールの権威を承認せざるを得なくなった。ですから、ド・ゴールが「国を救った」というのはほんとうなのです。対独協力国、事実上の枢軸国がいつのまにか連合国の一員になり、さらに国際社会の重鎮になりおおせていたわけですから、これはド・ゴールの力業という他ありません。

でも、このド・ゴールが力業でフランスの体面を救ったことによって、フランス人は戦争経験の適切な総括を行う機会を奪われてしまった。ほんとうを言えば、ドイツの犯したさまざまな戦争犯罪に加担してきたフランス人たちはもっと「疚しさ」を感じてよかったのです。でも、フランス人は戦勝国民として終戦を迎えてしまった。フランス人は「敗戦を総括する義務」を免除された代わりにもっと始末におえないトラウマを抱え込むことになりました。


イタリアは戦勝国ではないのか

 僕たち日本人はイタリアがどんなふうに終戦を迎えたかについてはほとんど知るところがありません。世界史の授業でもイタリアの敗戦については詳しく教えてもらった記憶がない。教科書で教えてもらえないことは、映画や小説を通じて学ぶわけですけれども、イタリアの終戦時の混乱については、それを主題にした映画や文学も日本ではあまり知られておりません。『無防備都市』(ロベルト・ロッセリーニ監督、一九四五年)にはイタリアのレジスタンスの様子がリアルに描かれていますが、僕が知っているのはそれくらいです。ですから、ナチスと命がけで戦ったイタリア人がいたことや、イタリア人同士で激しい内戦が行われていたという歴史的事実も日本人はあまり知らない。

一九四三年七月に、反ファシスト勢力が結集して、国王のヴィットーリオ・エマヌエーレ三世が主導して、ムッソリーニを20年にわたる独裁者の地位から引きずり下ろしました。そして、首相に指名されたピエトロ・バドリオ将軍は水面下で連合国と休戦交渉を進めます。その後、監禁されていたムッソリーニをドイツの武装親衛隊が救い出して、北イタリアに傀儡政権「イタリア社会共和国」を建て、内戦状態になります。最終的にドイツ軍はイタリア領土内から追い出され、ムッソリーニはパルチザンに捕らえられて、裁判抜きで処刑され、その死体はミラノの広場に逆さ吊りにされました。イタリア王国軍とパルチザンがムッソリーニのファシスト政権に引導を渡し、ドイツ軍を敗走させた。ですから、イタリアは法理的には戦勝国なんです。でも、たぶん「イタリアは戦勝国だ」と思っている日本人はほとんどいない。自分たちと同じ敗戦国だと思っている。

たしかに、戦後イタリアを描いた『自転車泥棒』(ヴィットリオ・デ・シーカ監督、1948年)のような映画を観ると、街は爆撃でひどいことになっているし、人々は食べるものも仕事もなくて、痩せこけている。「ああ、イタリアも日本と同じだ」と思っても不思議はない。でも、違います。イタリアは戦勝国なんです。だいたい、イタリアは一九四五年七月には日本に宣戦布告しているんです。

 フランスとイタリアを比べれば、フランスよりイタリアの方がずっと戦勝国条件が整っている。フランスは先ほど述べたように紙一重で戦勝国陣営に潜り込み、国連の常任理事国になり、核保有国になり、今も世界の大国としてふるまっています。それは一にシャルル・ド・ゴールという卓越した政治的能力を持つ人物が国家存亡のときに登場したからです。ド・ゴールがいて、ルーズベルトやチャーチルと一歩も引かずに交渉したから、フランスは戦勝国「のようなもの」として戦後世界に滑り込むことができた。でも、イタリアにはそんなカリスマ的な人物がいませんでした。戦争指導者であったヴィットリオ・エマヌエーレ三世とバドリオ将軍は、ドイツ軍がローマに侵攻してきたとき、市民を「無防備都市」に残したまま自分たちだけ逃亡してしまった。そのせいでイタリア軍の指揮系統は壊滅しました。戦後の国民投票で国民たちの判断で王政が廃止されたのは、このときの戦争指導部の国民に対する裏切りを国民が許さなかったからです。

フランスとイタリアのどちらも「勝ったんだか負けたんだかよくわからない仕方で戦争が終わった」わけですけれど、フランスにはド・ゴールがいて、イタリアにはいなかった。それが戦後の両国の立ち位置を決めてしまった。

でも、僕はこれを必ずしもフランスにとって幸運なことだったとも、イタリアにとって不幸なことだったとも思わないのです。イタリアは「敗戦国みたいにぼろぼろになった戦勝国」として終戦を迎えました。戦争の現実をありのままに、剥き出しに経験した。戦勝を誇ることもできなかったし、敗戦を否認する必要もなかった。だから、彼らの戦争経験の総括には変なバイアスがかかっていない。

先日、イタリアの合気道家が僕の道場に出稽古に来たことがありました。稽古のあとの歓談のとき、「そういえば君たち、昔、日本に宣戦布告したことがあるでしょう」と訊いてみました。たぶん、そんなこと知らないと思ったんです。意外なことに、彼はすぐに苦笑して、「どうもすみませんでした」と謝るんです。「イタリアって、どさくさまぎれにああいうことをやるんです。フランスが降伏したときにも仏伊国境の土地を併合したし。そういう国なんです。申し訳ない」と。僕は彼のこの対応にびっくりしました。自国の近代史のどちらかというと「汚点」を若いイタリア人が常識として知っているということにまず驚き、それについて下手な言い訳をしないで、さらっと「ごめんね」と謝るところにさらに驚きました。事実は事実としてまっすぐみつめる。非は非として受け容れ、歴史修正主義的な無駄な自己弁護をしない。そのとき僕は「敗戦の否認をしなかった国民」というものがあるとしたら、「こういうふう」になるのかなと思いました。

イタリアは「ほとんど敗戦」という他ないほどの被害を蒙った。内戦と爆撃で都市は傷ついた。行政も軍もがたがたになった。戦死者は30万人に及んだ。でも、その経験を美化もしなかったし、否認もしなかった。「まったくひどい目に遭った。でも、自業自得だ」と受け止めた。だから、戦争経験について否認も抑圧もない。

フランスの場合は、ヴィシーについてはひさしく歴史的研究そのものが抑圧されていました。先ほど名前が出ましたベルナール=アンリ・レヴィの『フランス・イデオロギー』はヴィシーに流れ込む十九世紀二○世紀の極右思想史研究ですが、この本が出るまで戦後四四年の歳月が必要でした。刊行されたときも、保守系メディアはこれに集中攻撃を加えました。「なぜせっかくふさがった『かさぶた』を剥がして、塩を塗り込むようなことをするのか」というのです。それからさらに30年近くが経ちますが、ヴィシー政府の時代にフランスが何をしたのかについての歴史的な研究は進んでいません。

ナチスが占領していた時代のフランス人は何を考え、何を求めて、どうふるまったのか。いろいろな人がおり、いろいろな生き方があったと思います。それについての平明な事実を知ることが現代のフランス人には必要だと僕は思います。ド・ゴールが言うように「自分自身に対して抱く評価」を基礎づけるために。でも、それが十分に出来ているように僕には思えません。フランスの場合は「敗戦の否認」ではなく、対独協力国だったという歴史的事実そのものが否認されている。その意味では、あるいは日本より病が深いかもしれない。

 現在の政治状況と敗戦の総括との関係

 本来なら、ヴィシー政府の政治家や官僚やイデオローグたちの事績を吟味して、「一体、ヴィシーとは何だったのか、なぜフランス人は民主的な手続きを経てこのような独裁制を選択したのか」という問いを徹底的に究明すべきだったと思います。でも、フランス人はこの仕事をネグレクトしました。ヴィシー政府の要人たちに対する裁判もごく短期間のうちに終えてしまった。東京裁判やニュルンベルク裁判のように、戦争犯罪の全貌を明らかにするということを抑制した。ペタン元帥や首相だったピエール・ラヴァルの裁判はわずか一ヶ月で結審して、死刑が宣告されました。裁判は陪審員席からも被告に罵声が飛ぶというヒステリックなもので、真相の解明というにはほど遠かった。この二人に全責任を押しつけることで、それ以外の政治家や官僚たちは事実上免責されました。そして、この「エリートたち」はほぼそのまま第四共和政の官僚層に移行する。

 レヴィによれば、フランスにおいて、ヴィシーについての歴史学的な検証が進まなかった最大の理由は、ヴィシー政府の官僚層が戦後の第四共和政の官僚層を形成しており、彼らの非を細かく咎めてゆくと、第四共和政の行政組織そのものが空洞化するリスクがあったからだということでした。事情を勘案すれば、フランス政府が、国家的選択として対独協力していたわけですから、それをサボタージュした官僚はうっかりするとゲシュタポに捕まって、収容所に送られるリスクがあったわけです。組織ぐるみの対独協力をせざるを得なかった。だから、一罰百戒的に、トップだけに象徴的に死刑宣告を下して、あとは免罪して、戦後の政府機構に取り込むことにした。それは当座の統治システムの維持のためには、しかたなかったのかも知れません。

ですから、ヴィシーについての歴史学的な実証研究が始まるのは、この官僚たちが現役を引退した後になります。一九八〇年代に入って、戦後四〇年が経って、ヴィシー政府の高級官僚たちが退職したり、死んだりして、社会的な影響がなくなった時点ではじめて、最初は海外の研究者たちが海外に流出していたヴィシー政府の行政文書を持ち出して、ヴィシー研究に手を着け始めた。フランス人自身によるヴィシー研究は『フランス・イデオロギー』が最初のものです。戦争が終わって四五年後です。「ヴィシーの否認」は政治的に、意識的に、主体的に遂行された。でも、そのトラウマは別の病態をとって繰り返し回帰してきます。僕はフランスにおける「イスラモフォビア」(イスラーム嫌悪症)はそのような病態の一つではないかと考えています。

 フランスは全人口の一〇%がムスリムです。先日のテロで露呈したように、フランス社会には排外主義的な傾向が歴然と存在します。大戦後も、フランスは一九五〇年代にアルジェリアとベトナムで旧植民地の民族解放運動に直面した時、暴力的な弾圧を以って応じました。結果的には植民地の独立を容認せざるを得なかったのですが、独立運動への弾圧の激しさは、「自由・平等・友愛」という人権と民主主義の「祖国」のふるまいとは思えぬものでした。そんなことを指摘する人はいませんが、これは「ヴィシーの否認」が引き起こしたものではないかと僕は考えています。「対独協力政治を選んだフランス」、「ゲシュタポと協働したフランス」についての十分な総括をしなかったことの帰結ではないか。

もしフランスで終戦時点で自国の近過去の「逸脱」についての痛切な反省がなされていたら、五〇年代におけるフランスのアルジェリアとベトナムでの暴力的な対応はある程度抑止されたのではないかと僕は想像します。フランスはナチス・ドイツの暴力に積極的に加担した国なのだ、少なくともそれに加担しながら反省もせず、処罰も免れた多数の国民を今も抱え込んでいる国なのだということを公式に認めていたら、アルジェリアやベトナムでの事態はもう少し違うかたちのものになっていたのではないか。あれほど多くの人が殺されたり、傷ついたりしないで済んだのではないか。僕はそう考えてしまいます。

 自分の手は「汚れている」という自覚があれば、暴力的な政策を選択するときに、幾分かの「ためらい」があるでしょう。けれども、自分の手は「白い」、自分たちがこれまでふるってきた暴力は全て「正義の暴力」であり、それについて反省や悔悟を全く感じる必要はない、ということが公式の歴史になった国の国民には、そのような「ためらい」が生まれない。フランスにおけるムスリム市民への迫害も、そのような「おのれの暴力性についての無自覚」のせいで抑制が効きにくくなっているのではないでしょうか。

 他の敗戦国はどうでしょう。ハンガリーは最近、急激に右傾化して、排外主義的な傾向が出てきています。タイも久しく穏やかな君主制でいましたけれども、近年はタクシン派と反タクシン派が戦い続けて、国内はしばしば内戦に近い状態を呈しています。スロバキアとかクロアチアとかにもやはり政治的にある種の不安定さを常に感じます。

戦争後は、どの国も「この話はなかったことに」という国民的合意に基づいて「臭いものに蓋」をした。当座はそれでよかったかも知れません。でも、蓋の下では、抑圧された国民的な「恥辱」や「怨嗟」がいつまでも血を流し、腐臭を発している。だから、ハンガリーの現在の政治状況や、タイの現在の政治状況が、それぞれの国の敗戦経験の総括と全く無関係かどうかということは、かなり精密な検証をしてみないとわからない。そこには何らかの「関連がある」という仮説を立てて検証をしてみてよいのではないか。してみるだけの甲斐はあると僕は思います。

 ドイツ統合は敗戦の否認か

 戦争の記憶を改竄することによって、敗戦国民は当座の心の安らぎは手に入れることができるかも知れません。でも、そこで手に入れた「不当利得」はどこかで返済しなければならない。いずれ必ず後でしっぺ返しが来る。世界の敗戦国を一瞥すると、どこも七〇年かけて、ゆっくりと、でも確実に「記憶の改竄」のツケを支払わされている。『永続敗戦論』が明らかにしたように、日本も敗戦の否認のツケを払わされている。そして、この返済はエンドレスなんです。「負債がある」という事実を認めない限り、その負債を割賦でいいから返して行かない限り、この「負債」は全く別の様態をとって、日本人を責め続ける。

 「ドイツは敗戦経験の総括に成功した」と多くの人が言います。でも、本当にそうなんでしょうか。僕は簡単には諾うことができません。東ドイツのことを勘定に入れ忘れているような気がするからです。

東ドイツは「戦勝国」なんです。東ドイツはナチスと戦い続けたコミュニストが戦争に勝利して建国した国だという話になっている。だから、東ドイツ国民はナチスの戦争犯罪に何の責任も感じていない。感じることを国策的に禁止されていた。責任なんか感じてるはずがない。自分たちこそナチスの被害者であり、敵対者だということになっているんですから。悪虐非道なるナチスと戦って、それを破り、ドイツ国民をナチスの軛から解放した人々が、何が悲しくて、ナチスの戦争犯罪について他国民に謝罪しなければならないのか。

 一九九〇年に合併した当時、西ドイツと東ドイツとは人口比でいうと四対一でした。ということは、その時点では、全ドイツ人口の二〇%、一六○○万人は「自分たちはナチスドイツの戦争犯罪に何の責任もない」と子供のころからずっと教えられてきた人たちだったということです。それが合併後のドイツの国民的自意識にどういう影響を与えたのか。僕は寡聞にして知りません。

 日本国内に「日本軍国主義者の戦争犯罪について、われわれには何の責任もない。われわれは彼らと戦って、日本を解放したのである」と教えられて来た人が二四○○万人いる状況を想定してください。そう信じている「同胞」を受け容れ、戦争経験について国民的規模での総括を行い、合意を形成するという作業がどれほど困難であるか、想像がつくと思います。さて、果たして、ドイツでは東西ドイツが合併した時に、戦争経験の総括について、国民的合意を形成し得たのか。僕は「ドイツはこんな風に合意形成を成し遂げました」と納得のゆく説明をしたものをこれまで読んだことがありません。いや、それは僕がただ知らないでだけで、そういう「全く相容れない戦争経験総括を一つにまとめあげたドイツの素晴らしい政治的達成」については既に色々な報告や研究が出ているのかも知れません。でも、そうだとしたら、それこそ「国民的和解」の最良のモデルケースであるわけですから、国内的な対立を抱える様々な国について、何かあるごとに、「ここでも『和解のためのドイツ・モデル』を適用すべきではないか」ということが言及されてよいはずです。でも、僕はそのような「和解モデル」について聞いたことがない。

 ドイツの戦争総括の適切さを語るときに、よくヴァイツゼッカー元大統領の演説が引かれます。この人はヨーロッパの諸国を訪れては、そのつどきちんとナチス・ドイツ時代の戦争犯罪について謝罪しています。その倫理性的な潔さは疑うべくもありません。けれども、やはり日本とは話の運びが微妙に違う。ヴァイツゼッカーは五月四日、ドイツが連合国に無条件降伏した日を「ドイツ国民解放の日」と言っているからです。われわれはナチスの暴虐からその日に解放されたのである、それをことほぐという立場を取る。悪いのはあくまでナチスとその軍事組織や官僚組織や秘密警察組織であって、ドイツ国民はその犠牲者であったという立場は譲らない。ドイツ国民の罪はナチスのような政党を支持し、全権を委ねてしまったことにある。そのような過ちを犯したことは認めるけれども、基本的にはドイツ国民もまたナチスの被害者であり、敗戦によってナチスの軛から解放されたという物語になっている。

 日本人にも敗戦が一種の解放感をもたらしたということは事実だったでしょう。けれども、八月一五日を「解放の日」だと言う人はほとんどいません。表だってそう発言するのは、かなり勇気が要る。けれども、実感としては、それに近いことを思っていた日本人は少なくなかったと思います。

 小津安二郎の遺作『秋刀魚の味』(松竹、一九六二年)の中で、笠智衆の演じる今はサラリーマンをしている駆逐艦の元艦長平山と、加東大介の演じるかつての駆逐艦の乗組員坂本が、町なかでばったり出会うという場面があります。坂本が平山を誘って、トリスバーのカウンターに座ってウィスキーを飲む。この時に坂本が「ねえ、艦長、もしあの戦争に勝っていたらどうなったんでしょうね」と問う。平山は静かに笑いながら、「負けてよかったじゃないか」と答える。そうすると、坂本は「え?」と一瞬怪訝な顔をするのですが、ふと得心したらしく、「そうかもしれねえな。ばかなやつが威張らなくなっただけでもね」と呟く。これは敗戦がもたらした解放感についての、あの世代の偽らざる実感だったんじゃないかなと思います。

 僕は一九五〇年生まれで、父はもちろん戦中派なのですが、僕が小さい頃に、父が会社の同僚を家に連れてきて飲んでいるときに誰かが「負けてよかったじゃないか」と呟くのを僕は二三度聞いたことがあります。特に力んで主張するというのではなく、何かの弾みにぽろりと口にされる。そして、その言葉が口にされると、男たちは皆黙り込む。それで怒り出す人もいないし、泣き出す人もいない。それは思想とは言えないものでした。敗戦の総括としてはあまりに言葉が足りない。けれども、おそらくこれが戦中派の実感だったと思います。それが世代的な実感として、言挙げしないでも共有されている限り、そのような敗戦の総括もそれなりのリアリティーを持ち得た。けれども、そういう片言隻句だけでは、彼らの思いが輪郭のしっかりした思想として次の世代に継承されることはありません。

 恥ずべき過去も含んだタフな物語

 白井さんの本を読んでいると、日本は異常な仕方で敗戦を否認してきたことがわかる。これは全くその通りなんですけれども、それだけでなく、多くの敗戦国はそれぞれ固有の仕方で自国の敗戦を否認している。僕にはそう思われます。

それぞれの国は自国について、長い時間をかけてそれまで積み上げてきた「国民の物語」を持っています。これは戦争に勝っても負けても手離すことができない。だから、自分たちの戦争経験を、世代を超えて語り継がれる「物語」になんとかして統合しようとした。

 日本人は歴史について都合の悪いことは書かないと指摘されます。それは全くその通りなんです。でも、それは程度の差はあれ、どこの国も同じなんです。戦争をどう総括するかということは、まっすぐに自分たち自身に対する、世代を超えて受け継がれる「評価」に繋がる。だから、大幅に自己評価を切り下げるような「評価」はやはり忌避される。もし敗北や、戦争犯罪についての経験を「国民の物語」に繰り込むことができた国があるとすれば、それは非常に「タフな物語」を作り上げたということです。

 自分たちの国には恥ずべき過去もある。口にできない蛮行も行った。でも、そういったことを含めて、今のこの国があるという、自国についての奥行きのある、厚みのある物語を共有できれば、揺るがない、土台のしっかりとした国ができる。逆に、口当たりの良い、都合のよい話だけを積み重ねて、薄っぺらな物語をつくってしまうと、多くの歴史的事実がその物語に回収できずに、脱落してしまう。でも、物語に回収されなかったからといって、忘却されてしまうわけではありません。抑圧されたものは必ず症状として回帰してくる。これはフロイトの卓見です。押し入れの奥にしまい込んだ死体は、どれほど厳重に梱包しても、そこにしまったことを忘れても、やがて耐えがたい腐臭を発するようになる。

 僕は歴史修正主義という姿勢に対しては非常に批判的なのですけれども、それは、学問的良心云々というより、僕が愛国者だからです。日本がこれからもしっかり存続してほしい。盤石の土台の上に、国の制度を基礎づけたい。僕はそう思っている。そのためには国民にとって都合の悪い話も、体面の悪い話も、どんどん織り込んで、清濁併せ呑める「タフな物語」を立ち上げることが必要だと思う。だから、「南京虐殺はなかった」とか「慰安婦制度に国は関与していない」とかぐずぐず言い訳がましいことを言っているようではだめなんです。過去において、国としてコミットした戦争犯罪がある。戦略上の判断ミスがある。人間として許しがたい非道な行為がある。略奪し、放火し、殺し、強姦した。その事実は事実として認めた上で、なぜそんなことが起きたのか、なぜ市民生活においては穏やかな人物だった人たちが「そんなこと」をするようになったのか、その文脈をきちんと捉えて、どういう信憑が、どういう制度が、どういうイデオロギーが、そのような行為をもたらしたのか、それを解明する必要がある。同じようなことを二度と繰り返さないためには、その作業が不可欠です。そうすることで初めて過去の歴史的事実が「国民の物語」のうちに回収される。「汚点」でも「恥ずべき過去」でも、日の当たるところ、風通しの良いところにさらされていればやがて腐臭を発することを止めて「毒」を失う。

 その逆に、本当にあった出来事を「不都合だから」「体面に関わるから」というような目先の損得で隠蔽し、否認すれば、その毒性はしだいに強まり、やがてその毒が全身に回って、共同体の「壊死」が始まる。

カウンターカルチャーがアメリカの強さ

 なぜアメリカという国は強いのか。それは「国民の物語」の強さに関係していると僕は思っています。戦勝国だって、もちろん戦争経験の総括を誤れば、毒が回る。勝とうが負けようが、戦争をした者たちは、口に出せないような邪悪なこと、非道なことを、さまざま犯してきている。もし戦勝国が「敵は『汚い戦争』を戦ったが、われわれは『きれいな戦争』だけを戦ってきた。だから、われわれの手は白い」というような、薄っぺらな物語を作って、それに安住していたら、戦勝国にも敗戦国と同じような毒が回ります。そして、それがいずれ亡国の一因になる。

 アメリカが「戦勝国としての戦争の総括」にみごとに成功したとは僕は思いません。でも、戦後70年にわたって、軍事力でも経済力でも文化的発信力でも、世界の頂点に君臨しているという事実を見れば、アメリカは戦争の総括において他国よりは手際がよかったとは言えるだろうと思います。

アメリカが超覇権国家たりえたのは、これは僕の全く独断と偏見ですけれども、彼らは「文化的復元力」に恵まれていたからだと思います。カウンターカルチャーの手柄です。

 七〇年代のはじめまで、ベトナム戦争中の日本社会における反米感情は今では想像できないほど激しいものでした。ところが、一九七五年にベトナム戦争が終わると同時に、潮が引くように、この反米・嫌米感情が鎮まった。つい先ほどまで「米帝打倒」と叫んでいた日本の青年たちが一気に親米的になる。この時期に堰を切ったようにアメリカのサブカルチャーが流れ込んできました。若者たちはレイバンのグラスをかけて、ジッポーで煙草の火を点け、リーバイスのジーンズを穿き、サーフィンをした。なぜ日本の若者たちが「政治的な反米」から「文化的な親米」に切り替わることができたのか。それは七〇年代の日本の若者が享受しようとしたのが、アメリカのカウンターカルチャーだったからです。

カウンターカルチャーはアメリカの文化でありながら、反体制・反権力的なものでした。日本の若者たちがベトナム反戦闘争を戦って、機動隊に殴られている時に、アメリカ国内でもベトナム反戦闘争を戦って、警官隊に殴られている若者たちがいた。アメリカ国内にもアメリカ政府の非道をなじり、激しい抵抗を試みた人たちがいた。海外にあってアメリカの世界戦略に反対している人間にとっては、彼らこそがアメリカにおける「取りつく島」であった訳です。つまり、アメリカという国は、国内にそのつどの政権に抗う「反米勢力」を抱えている。ホワイトハウスの権力的な政治に対する異議申し立て、ウォール街の強欲資本主義に対する怒りを、最も果敢にかつカラフルに表明しているのは、アメリカ人自身です。のこの人たちがアメリカにおけるカウンターカルチャーの担い手であり、僕たちは彼らになら共感することができた。僕たちがアメリカ政府に怒っている以上に激しくアメリカ政府に怒っているアメリカ人がいる。まさにそれゆえに僕たちはアメリカの知性と倫理性に最終的には信頼感を抱くことができた。反権力・反体制の分厚い文化を持っていること、これがアメリカの最大の強みだと僕は思います。

 ベトナム戦争が終わると、ベトナムからの帰還兵が精神を病み、暴力衝動を抑制できなくなり、無差別に人を殺すという映画がいくつも作られました。ロバート・デ・ニーロの『タクシードライバー』(一九七六年)がそうですし、『ローリング・サンダー』(一九七七年)もスタローンの『ランボー』(一九八二年)もそうです。アメリカ人はそういう物語を商業映画・娯楽映画として製作し、観客もこれを受け入れた。僕たちはそのことにあまり驚きを感じません。けれども、もし日本でイラク駐留から帰ってきた自衛隊員が精神を病んで、市民を殺しまくるなんていう映画を作ることが可能でしょうか。まず、企画段階で潰されるだろうし、官邸からも防衛省からも激しい抗議があるでしょうし、上映しようとしたら映画館に右翼の街宣車が来て、とても上映できないということになるでしょう。それを考えたら、アメリカのカウンターカルチャーの強さが理解できると思います。彼らはベトナム戦争の直後に、自分たちの政府が強行した政策がアメリカ人自身の精神をどう破壊したかを、娯楽映画として商品化して見せたのです。同じことができる国が世界にいくつあるか、数えてみて欲しいと思います。

 アメリカではこれができる。ハリウッド映画には、大統領が犯人の映画、CIA長官が犯人の映画というような映画も珍しくありません。クリント・イーストウッドの『目撃』(一九九七年)もケヴィン・コスナーの『追い詰められて』(一九八七年)もそうです。警察署長が麻薬のディーラーだった、保安官がゾンビだったというような映画なら掃いて捨てるほどあります。アメリカ映画は、「アメリカの権力者たちがいかに邪悪な存在でありうるか」を、物語を通じて、繰り返し、繰り返し国民に向けてアナウンスし続けている。世界広しといえども、こんなことができる国はアメリカだけです。

 歴史上の汚点を供養する

 米ソは冷戦時代には軍事力でも科学技術でも拮抗状態にありましたが、最終的には一気にソ連が崩れて、アメリカが生き残った。最後に国力の差を作り出したのは、カウンターカルチャーの有無だったと僕は思います。自国の統治システムの邪悪さや不条理を批判したり嘲弄したりする表現の自由は、アメリカにはあるけれどもソ連にはなかった。この違いが「復元力」の違いになって出てくる。

どんな国のどんな政府も必ず失策を犯します。「無謬の統治者」というようなものはこの世には存在しません。あらゆる統治者は必ずどこかで失策を犯す。その時に、自分の間違いや失敗を認めず、他罰的な言い訳をして、責任を回避する人間たちが指導する国と、統治者はしばしば失敗するということを織り込み済みで、そこから復元するシステムを持っている国では、どちらが長期的にはリスクを回避できるか。考えるまでもありません。

 もちろん、ソ連や中国にも優れた政治指導者がいました。個人的に見れば、アメリカの大統領よりはるかに知性的にも倫理的にも卓越していた指導者がいた。でも、まさにそうであるがゆえに、体制そのものが「指導者が無謬であることを前提にして」制度設計されてしまった。それがじわじわとこれらの国の国力を損ない、指導者たちを腐敗させていった。中国だって、今は勢いがありますけれど、指導部が「無謬」であるという物語を手離さない限り、早晩ソ連の轍を踏むことになるだろうと僕は思います。

 ヨーロッパでは、イギリスにはいくらか自国の統治者たちを冷笑する、皮肉な文化が残っています。カナダにも。だから、これはアングロサクソンの一つの特性かもしれません。アメリカの国力を支えているのは、自国について「タフな物語」を持っているという事実です。「タフな胃袋」と同じで、何でも取り込める。

アメリカ人は、自国の「恥ずべき過去」を掘り返すことができる。自分たちの祖先がネイティブ・アメリカンの土地を強奪したこと、奴隷たちを収奪することによって産業の基礎を築いたこと。それを口にすることができる。そのような恥ずべき過去を受け入れることができるという「器量の大きさ」において世界を圧倒している。

 カウンターカルチャーとメイン・カルチャーの関係は、警察の取り調べの時に出てくる「グッド・コップ」と「バッド・コップ」の二人組みたいなものです。一方が容疑者を怒鳴り散らす、他方がそれをとりなす。一方が襟首をつかんでこづき回すと、他方がまあまあとコーヒーなんか持ってくる。そうすると、気の弱った容疑者は「グッド・コップ」に取りすがって、この人の善意に応えようとして、自分の知っていることをぺらぺらとしゃべりだす。映画ではよく見る光景ですけれど、メインカルチャーとカウンターカルチャー権力と反権力の「分業」というのはそれに似ています。複数の語り口、複数の価値観を操作して、そのつどの現実にフレキシブルに対応してゆく。

 だから、アメリカには「国民の物語」にうまく統合できない、呑み込みにくい歴史的事実が他国と比べると比較的少ない。「押し入れの中の死体」の数がそれほど多くないということです。もちろん、うまく取り込めないものもあります。南北戦争の敗者南部十一州の死者たちへの供養は、僕の見るところ、まだ終わっていない。アメリカ=メキシコ戦争による領土の強奪の歴史もうまく呑み込めていない。アメリカにとって都合の良い話に作り替えられた『アラモ』(1960年)で当座の蓋をしてしまった。この蓋をはずして、もう一度デイビー・クロケットやジム・ボウイーの死体を掘り起こさないといずれ腐臭が耐えがたいものになっている。いや、現代アメリカにおける「メキシコ問題」というのは、遠因をたどれば「アラモ」の物語があまりに薄っぺらだったことに起因していると言ってもよいのではないかと僕は思います。アメリカ=スペイン戦争もそうです。ハワイの併合に関わる陰謀も、フィリピン独立運動の暴力的弾圧も、キューバの支配がもたらした腐敗もそうです。アメリカがうまく呑み込めずにいるせいで、娯楽作品として消費できない歴史的過去はまだいくらもあります。でも、これらもいずれ少しずつ「国民の物語」に回収されてゆくだろうと僕は予測しています。アメリカ人は、統治者が犯した失政や悪政の犠牲者たちを「供養する」ことが結果的には国力を高めることに資するということを経験的に知っているからです。そして、どの陣営であれ、供養されない死者たちは「祟る」ということを、無意識的にでしょうが、信じている。彼らの国のカウンターカルチャーは、「この世の価値」とは別の価値があるという信憑に支えられている。

 淡々と記述し物語ることこそが最大の供養

 僕の父は山形県鶴岡の生まれです。ご存じでしょうか、庄内人たちは西郷隆盛が大好きです。庄内藩は戊辰戦争で最後まで官軍に抵抗して、力戦しました。そして、西郷の率いる薩摩兵の前に降伏した。けれども、西郷は敗軍の人たちを非常に丁重に扱った。死者を弔い、経済的な支援をした。一方、長州藩に屈服した会津藩では全く事情が違います。長州の兵はところが、会津の敗軍の人々を供養しなかった。事実、死者の埋葬さえ許さず、長い間、さらしものにしていた。

 薩摩長州と庄内会津、どちらも同じ官軍・賊軍の関係だったのですが、庄内においては勝者が敗者に一掬の涙を注いだ。すると、恨みが消え、信頼と敬意が生まれた。庄内藩の若者たちの中には、のちに西南戦争の時に、西郷のために鹿児島で戦った者さえいますし、西郷隆盛の談話を録した『南洲遺訓』は庄内藩士が編纂したものです。一方、会津と長州の間には戊辰戦争から150年経った今もまだ深い溝が残ったままです。

 靖国参拝問題が、あれだけもめる一因は靖国神社が官軍の兵士しか弔っていないからです。時の政府に従った死者しか祀られない。東北諸藩の侍たちも国のために戦った。近代日本国家を作り出す苦しみの中で死んでいった。そうい人々については、敵味方の区別なく、等しく供養するというのが日本人としては当然のことだろうと僕は思います。

僕の曽祖父は会津から庄内の内田家に養子に行った人です。曽祖父の親兄弟たちは会津に残って死にました。なぜ、彼らは「近代日本の礎を作るために血を流した人たち」に算入されないのか。供養というのは党派的なものではありません。生きている人間の都合を基準にした論功行賞でなされるべきものではありません。だから、僕は靖国神社というコンセプトそのものに異議があるのです。明治政府の最大の失敗は、戊辰戦争での敗軍の死者たちの供養を怠ったことにあると僕は思っています。反体制・反権力的な人々を含めて、死者たちに対してはその冥福を祈り、呪鎮の儀礼を行う。そのような心性が「タフな物語」を生み出し、統治システムの復元力を担保する。その考えからすれば、「お上」に逆らった者は「非国民」であり、死んでも供養に値しないとした明治政府の狭量から近代日本の蹉跌は始まったと僕は思っています。

「祟る」というのは別に幽霊が出てきて何かするという意味ではありません。国民について物語が薄っぺらで、容量に乏しければ、「本当は何があったのか」という自国の歴史についての吟味ができなくなるということです。端的には、自分たちがかつてどれほど邪悪であり、愚鈍であり、軽率であったかについては「知らないふりをする」ということです。失敗事例をなかったことにすれば、失敗から学ぶことはできません。失敗から学ばない人間は同じ失敗を繰り返す。失敗を生み出した制度や心性は何の吟味もされずに、手つかずのまま残る。ならば、同じ失敗がまた繰り返されるに決まっている。その失敗によって国力が弱まり、国益が失われる、そのことを僕は「祟る」と言っているのです。

 「祟り」を回避するためには適切な供養を行うしかない。そして、最も本質的な供養の行為とは、死者たちがどのように死んだのか、それを仔細に物語ることです。細部にわたって、丁寧に物語ることです。それに尽くされる。

司馬遼太郎は「国民作家」と呼ばれますけれど、このような呼称を賦与された作家は多くありません。それは必ずしも名声ともセールスとも関係がない。司馬が「国民作家」と見なされるのは、近代日本が供養し損なった幕末以来の死者たちを、彼が独力で供養しようとしたからです。その壮図を僕たちは多とする。

司馬遼太郎は幕末動乱の中で死んだ若者たちの肖像をいくつも書きました。坂本龍馬や土方歳三については長編小説を書きました。もっとわずか短い数頁ほどの短編で横顔を描かれただけの死者たちもいます。それは別に何らかの司馬自身の政治的メッセージを伝えたり、歴史の解釈を説いたというより、端的に「肖像を描く」ことをめざしていたと思います。

司馬遼太郎の最終的な野心は、ノモンハン事件を書くことでした。でも、ついに書き上げることができなかった。一九三九年のノモンハン事件とは何だったのか、そこで人々はどのように死んだのか、それを仔細に書くことができれば、死者たちに対してはある程度の供養が果たせると思ったのでしょう。でも、この計画を司馬遼太郎は実現できませんでした。それはノモンハン事件にかかわった軍人たちの中に、一人として司馬が共感できるが人物がいなかったからです。日露戦争を描いた『坂の上の雲』には秋山好古や児玉源太郎や大山巌など魅力的な登場人物が出て来ます。けれども、昭和初年の大日本帝国戦争指導部には司馬をしてその肖像を仔細に書きたく思わせるような人士がもう残っていなかった。これはほんとうに残念なことだったと思います。

ノモンハンを書こうとした作家がもう一人います。村上春樹です。『ねじまき鳥クロニクル』(新潮社 一九九四〜九五年)で村上春樹はノモンハンについて書いています。でも、なぜノモンハンなのか。その問いに村上は答えていない。何だか分からないけれども、急に書きたくなったという感じです。でも、ノモンハンのことを書かないと日本人の作家の仕事は終わらないと直感したというところに、この人が世界作家になる理由があると僕は思います。日本人にとっての「タフな物語」の必要性を村上春樹も感じている。それが今の日本に緊急に必要なものであるということをよくわかっている。

「美しい日本」というような空疎な言葉を吐き散らして、自国の歴史を改竄して、厚化粧を施していると、「国民の物語」はどんどん薄っぺらで、ひ弱なものになる。それは個人の場合と同じです。「自分らしさ」についての薄っぺらなイメージを作り上げて、その自画像にうまく当てはまらないような過去の出来事はすべて「なかったこと」にしてしまった人は、現実対応能力を致命的に損なう。だって、会いたくない人が来たら目を合わせない、聴きたくない話には耳を塞ぐんですから。そんな視野狭窄的な人間が現実の変化に適切に対応できるはずがありません。集団の場合も同じです。

国力とは国民たちが「自国は無謬であり、その文明的卓越性ゆえに世界中から畏敬されている」というセルフイメージを持つことで増大するというようなものではありません。逆です。国力とは、よけいな装飾をすべて削り落として言えば、復元力のことです。失敗したときに、どこで自分が間違ったのかをすぐに理解し、正しい解との分岐点にまで立ち戻れる力のことです。国力というのは、軍事力とか経済力とかいう数値で表示されるものではありません。失敗したときに補正できる力のことです。それは数値的には示すことができません。でも、アメリカの「成功」例から僕たちが学ぶことができるのは、しっかりしたカウンターカルチャーを持つ集団は復元力が強いという歴史的教訓です。僕はこの点については「アメリカに学べ」と言いたいのです。日本の左翼知識人には、あまりアメリカに学ぶ人はいません。親米派の学者たちも、よく見ると、まったくアメリカに学ぶ気はない。アメリカに存在する実定的な制度を模倣することには熱心ですけれど、なぜアメリカは強国たりえたのかについて根源的に考えるということには全く興味を示さない。アメリカの諸制度の導入にあれほど熱心な政治家も官僚も、アメリカにあって日本に欠けているものとしてまずカウンターカルチャーを挙げる人はいません。連邦制を挙げる人もいない。でも、アメリカの歴史的成功の理由はまさに「一枚岩になれないように制度を作り込んだ」という点にあるのです。でも、日本のアメリカ模倣者たちは、それだけは決して真似しようとしない。

 ほかにもいろいろ言いたいことはありますけれど、すでに時間を大分超えてしまったので、この辺で終わります。ご静聴ありがとうございました。


【Q&A】


ナラティブの力

姜 今日のお話を聞いていて、どういう「物語」をつくるかということが最大のポリティクスになっている気がします。内田さんの比較敗戦論は、我々のパースペクティブを広げてくれました。韓国や中国では日本例外論、単純にドイツと日本を比較して日本はだめなんだ、だから我々は日本を半永久に批判していい、そういう理屈立てになりがちです。そのときに内田さんの比較敗戦論をもちいてみると、我々のブラインドスポットになっている部分がよく見えてくる。解放の物語の自己欺瞞みたいなところも見えてくる。ところが、安倍さんのような人が出てくると、逆に、かつて自分たちが植民地であった、侵略をされた国は、ますます解放の物語を検証することをやらなくて済んでしまいますね。

内田 イージーな物語に対してイージーな物語で対抗すれば、どちらもどんどんシンプルでイージーな話に落ち込んでしまう。実際の歴史的な事件は「善玉と悪玉が戦っている」というようなシンプルな話ではないんです。さまざまな人たちが複雑な利害関係の中でわかりにく行動を取っている。うっかりすると、本人たち自身、自分たちがどういう動機で行動しているのか、いかなる歴史的な役割を果しているのか、わかっていないということだってある。それが歴史の実相だろうと思います。ですから、それをありのままに淡々と記述していく。軽々には評価を下さない。わかりやすいストーリーラインに落とし込むという誘惑にできる限り抵抗する。そういう歴史に対する自制心が非常に大事になると思います。

 こういう仕事においては、歴史を叙述するときの語り口、ナラティブの力というのが大きいと思うんです。最近、読んだ本の中でフィリップ・ロスの小説『プロット・アゲンスト・アメリカ──もしもアメリカが...』(柴田元幸・訳、集英社、二〇一四年)がとても面白かった。これは一九四〇年の米大統領選挙でルーズベルトではなく、共和党から出馬した大西洋単独飛行の英雄チャールズ・リンドバーグ大佐がヨーロッパでの戦争への不干渉を掲げて勝利してしまうという近過去SFなんです。現実でも、リンドバーグは親独的立場で知られていて、ゲーリングから勲章を授与されてもいます。ロスの小説では、アメリカに親独派政権が誕生して、ドイツと米独不可侵条約を、日本とは日米不可侵条約を結ぶ。そして、アメリカ国内では激しいユダヤ人弾圧が起きる・・・という話です。

 僕はナラティブというのは、こういうSF的想像力の使い方も含むと思います。もし、あのときにこうなっていたらというのは、ほんとうに大事な想像力の使い方だと思う。

フィリップ・K・ディックの『高い城の男』(浅倉久志・新訳 早川書房、原著一九六二年)というSFがあります。これは枢軸国が連合国に勝った世界の話です。日独がアメリカを占領している。東海岸がドイツ占領地で、ロッキー山脈から西側が日本の占領地。そういう場合に、日本人はアメリカをどういうふうに植民地的に統治するのか、それを考えるのは実は非常に大事な思考訓練なんです。実際に日本がアメリカ西部を安定的に統治しようとしたら、日本の価値観とか美意識とか規範意識を「よいものだ」と思って、自発的に「対日協力」をしようと思うアメリカ人を集団的に創り出すしかない。ドイツがフランスでやったのはそういうことでした。でも、日本の戦争指導部にそのようなアイディアがあったと僕は思いません。

アメリカの方は、日本に勝った後にどうやって占領するかの計画を早々と立案していた。日本人のものの考え方とか組織の作り方とかを戦時中に民族学者に委託して研究しています。卓越した日本人論として今も読み継がれている『菊と刀』はルーズベルトが設置した戦争情報局の日本班のチーフだったルース・ベネディクトが出した調査報告書です。日本社会を科学的に研究して、どういう占領政策が適切かを戦争が終わる前にもう策定していた。

果たして日本の大本営にアメリカに勝った後、どうやってアメリカを統治するか、何らかのプランがあったでしょうか。どうやって対日協力者のネットワークを政治家や学者やジャーナリストやビジネスマンの中に組織するかというようなことをまじめに研究していた部門なんか日本の軍部のどこにも存在しなかったと思います。戦争に勝ったらどうするのかについて何の計画もないままに戦争を始めたんです。そんな戦争に勝てるはずがない。

 僕のSF的妄想は、一九四二年のミッドウェー海戦の敗北で、これはもう勝てないなと思い切って、停戦交渉を始めたらどうなったかというものです。史実でも、実際に、当時の木戸幸一内大臣と吉田茂たちは、すでに講和のための活動を始めています。近衛文麿をヨーロッパの中立国に送って、連合国との講和条件を話し合わせようという計画があった。もし、この工作が奏功して、四二年か四三年の段階で日本が連合国との休戦交渉に入っていれば、それからあとの日本の国のかたちはずいぶん違ったものになっただろうと思います。

ミッドウェー海戦で、帝国海軍は主力を失って、あとはもう組織的抵抗ができない状態でした。戦い続ければ、ただ死傷者を増やすだけしか選択肢がなかったのに、「攻むれば必ず取り、戦へば必ず勝ち」というような、まったく非科学的な軍事思想に駆動されていたせいで、停戦交渉という発想そのものが抑圧された。

この時点で戦争を止めていれば、本土空襲もなかったし、沖縄戦もなかったし、原爆投下もなかった。300万人の死者のうち、95%は死なずに済んだ。民間人の死傷者はほぼゼロで済んだはずです。ミッドウェーは日本軍の歴史的敗北でしたけれど、死者は3000人に過ぎません。ほとんどの戦死者(実際には戦病死者と餓死者でしたが)はその後の絶望的、自滅的な戦闘の中で死んだのです。

空襲が始まる前に停戦していれば、日本の古い街並みは、江戸時代からのものも、そのまま手つかずで今も残っていたでしょう。満州と朝鮮半島と台湾と南方諸島の植民地は失ったでしょうけれど、沖縄も北方四島も日本領土に残され、外国軍に占領されることもなかった。四二年時点で、日本国内に停戦を主導できる勢力が育っていれば、戦争には負けたでしょうけれど、日本人は自分の手で敗戦経験の総括を行うことができた。なぜこのような勝ち目のない戦争に突っ込んで行ったのか、どこに組織的瑕疵があったのか、どのような情報を入力し忘れていたのか、どのような状況判断ミスがあったのか、それを自力で検証することができた。戦争責任の徹底追及を占領軍によってではなく、日本人自身の手で行えた可能性はあった。日本人が自分たちの手で戦争責任を追及し、戦争責任の追及を行い、憲法を改定して、戦後の日本の統治システムを日本人が知恵を絞って作り上げることは可能だった。

「もしミッドウェーのあとに戦争が終わっていたら、その後の戦後日本はどんな国になったのか」というようなSF的想像はとてもたいせつなものだと僕は思います。これはフィクションの仕事です。小説や映画やマンガが担う仕事です。政治学者や歴史学者はそういう想像はしません。でも、「そうなったかもしれない日本」を想像することは、自分たちがどんな失敗を犯したのかを知るためには実はきわめて有用な手立てではないかと僕は思っています。「アメリカの属国になっていなかった日本」、それが僕たちがこれからあるべき日本の社会システムを構想するときに参照すべき最も有用なモデルだと思います。
http://blog.tatsuru.com/2019/03/20_1437.html

57. 中川隆[-11216] koaQ7Jey 2019年3月25日 03:07:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[794] 報告

日本の左翼、全学連(西暦1993年)平成5年 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Z0q8JvwZbmo


左翼(さよく、英:left-wing, leftist, the Left)または左派(さは)とは、政治においては通常、「より平等な社会を目指すための社会変革を支持する層」を指すとされる。

「左翼」は急進的、革新的、また、革命的な政治勢力や人を指し、社会主義的、共産主義的、または、無政府主義的傾向の人や団体をさす。

対義語は「右翼」や「保守」である。

「左翼」「右翼」の語源はフランス革命である。「左翼」という表現は、革命後の国民議会で議長席から見て左側の席を、共和派や世俗主義などの急進派が占めた事に由来する。

「左翼」という用語は、通常、「より平等な社会を目指すための社会変革を支持する層」を指し、革命運動、社会主義、共産主義、社会民主主義、アナキズムなどを支持する層を指すことが多い。
同時に、「左翼」は相対的な用語であり、何を「左翼」や「右翼」と呼ぶかは時代・国・視点などによって変化する。また「左翼」という言葉はレッテル貼りに使われる場合も多い。

左翼と呼ばれる勢力には、多かれ少なかれ根底には専制政治や弱肉強食的な資本主義に対する懐疑がある。左翼は平等、労働条件の改善、社会保障、福祉、平和などを追求する場合が多い。

左翼は総称であり、非常に幅広い潮流を含んでいる。たとえば目標とする国家については、市民や労働者の自治を重視するサンディカリスム、政府を否定する無政府主義、逆に国家の積極的な介入を重視する福祉国家、執権党が一党独裁を行うソ連型社会主義などがある。

また変革の方法についても、資本主義の枠内での社会改良主義、議会制民主主義のもとで将来的には社会主義社会を目指す平和革命主義、武力革命を行うべきとする暴力革命主義などがある。

身分制度や封建主義などに反対して近代化と富の増大を求める面では、資本主義と同様に近代主義・啓蒙主義・自由主義の側面がある場合がある。
逆に、資本主義による伝統的な地域共同体の破壊や労働者の搾取に反対する面では、保守主義の側面がある場合もある。

ヨーロッパ、特に大陸では「左派」と政党や政治家が自ら公称することは珍しくない。
一方でアメリカ合衆国では「左派」「右派」とも批判的な文脈では使われるが、自称する例は少ない。
一般に左派は「リベラル」と称されるが、1980年代以降の政治家はこの呼称で定義されることも避け、中道的立場を強調することが多い。
これは「保守」を強調する政治家が一定存在し、また「保守」と定義されることを避ける政治家があまりいない点と異なる。

政党の内部において、党内の「左派」「右派」と呼ばれる例も多い。たとえば、旧日本社会党では、社会民主主義的な勢力は「社会党右派」、労農派マルクス主義の流れをくむ勢力は「社会党左派」と呼ばれた。

58. 中川隆[-11213] koaQ7Jey 2019年3月25日 03:17:36 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[797] 報告

東大全共闘 安田講堂 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Q5qq0jW1yTE
https://www.youtube.com/watch?v=X7xcOi4fpro

59. 中川隆[-10970] koaQ7Jey 2019年4月04日 06:44:32 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1056] 報告

因みに、赤軍派もカンボジアのポル・ポト政権も毛沢東をそっくりそのまま真似しただけのものなのですね:

紅い皇帝毛沢東と狂爛の文化大革命【东方红】 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=AtJy-yu2rHw

2019/01/24 に公開


東の空より紅い太陽が昇る如く
中華に毛沢東が現れた
彼は人民に勇気と幸福と希望を与える
彼こそが偉大なる救世主、大いなる明星也

東方紅,太陽昇,
中国出了個毛沢東。
他為人民謀幸福,
呼児咳呀
他是人民的大救星。

即ち、中島みゆき「世情」の

「変わらない夢を 流れに求めて時の流れを止めて 変わらない夢を見たがる者」


というのは毛沢東とその世界中の同志を指しています:


▲△▽▼

中島みゆき「世情」(1978年4月10日)
https://pv755.com/sejo
https://www.nicovideo.jp/watch/sm27227751


1 世の中はいつも 変わっているから
  頑固者だけが 悲しい思いをする

  変わらないものを 何かにたとえて
  その度 崩れちゃ そいつのせいにする

  シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
  変わらない夢を 流れに求めて
  時の流れを止めて 変わらない夢を
  見たがる者たちと 戦うため


2 世の中はとても 臆病な猫だから
  他愛のない嘘を いつも ついている

  包帯のような 嘘を 見破ることで
  学者は 世間を 見たような気になる

  シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
  変わらない夢を 流れに求めて
  時の流れを止めて 変わらない夢を
  見たがる者たちと 戦うため

  シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
  変わらない夢を 流れに求めて
  時の流れを止めて 変わらない夢を
  見たがる者たちと 戦うため

  シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
  変わらない夢を 流れに求めて
  時の流れを止めて 変わらない夢を
  見たがる者たちと 戦うため

60. 中川隆[-10962] koaQ7Jey 2019年4月04日 18:10:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1064] 報告
2006年08月10日 革マルの支柱逝く


革マル派の最高指導者死亡 黒田寛一・元議長

 過激派「革マル派」の最高指導者だった黒田寛一元議長(78)が
6月下旬、埼玉県内の病院で死亡していたことが10日、関係者の話で分かった。

 関係者によると、黒田元議長は1963年、日本革命的共産主義者同盟(革共同)
が分裂して、革マル派が結成されて以来、議長を務めていた。

 「クロカン」の通称でも知られ、同派の理論的指導者として執筆活動を続け、
96年に開かれた同派の政治集会で議長を退くことを表明したが、詳しい消息は
長年不明だった。

 議長辞任後も最高幹部として組織を指揮し、絶対的な存在だったとされる。

(2006年08月10日 11時44分)


あれ、まだご存命だったのね。

死に損なった吉本隆明が、長生きしているから不思議。
黒田寛一の葬儀には、中島みゆきは駆けつけたのだろうか。
革マル派の歌姫が、紅白歌合戦に出てきた時には仰天した。


黒田 寛一(くろだ かんいち(「ひろかず」とも)、1927年10月20日 -2006年6月下旬 )
は、日本の反スターリン主義者、日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派(革マル派)
最高指導者。通称クロカン。筆名は山本勝彦、牧野勝彦など。

旧制東京高等学校を中退後、出版社を自営。その傍らマルクス主義の研究・著作を重ね、
その研究サークルが発展する形で日本トロツキスト連盟を結成。1957年12月、革命的共産
主義者同盟全国委員会の結成と共に議長に就任。

1962年の参議院選挙全国区に党公認で出馬するが、落選。得票数2万余り。大日本愛国
党総裁の赤尾敏が12万票余りを獲得したのと比べれば、惨敗であった。
https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:ahocN2NIq5wJ:https://plaza.rakuten.co.jp/hint2003/diary/200608100005/+&cd=4&hl=ja&ct=clnk&gl=jp&lr=lang_ja

61. 中川隆[-10958] koaQ7Jey 2019年4月04日 18:48:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1068] 報告

中島みゆき 僕たちの将来 動画
https://pv755.com/bokutachinoshorai



▲△▽▼

中島みゆき「僕たちの将来」 〜どこまでもつづく荒野と日常
https://microstory.hatenablog.com/entry/20180731/1533039049

中島みゆきの曲は常備薬みたいなものだと思ってるぼくですが、このところの仕事の不条理さから最近ひさしぶりにひっぱりだして聞いてリピートしてしているのが、アルバム「はじめまして」です。このアルバムはそれ自体結構挑戦的なアルバムで、収録曲をひとつひとつ取り出しても長文が書けてしまいそうな名曲揃いなんですが、今日はそのなかにある「僕たちの将来」を起点に、「日常」についての旅に出てみたいと思います。

いまやうちの娘が幼稚園の音楽会で歌うほど有名になったみゆきさんの「糸」ですが、この曲が人口に膾炙するきっかけとなったのは、ミスチルの桜井和寿氏が中心となって結成されたBank Band、その1stアルバム「沿志奏逢」です。このアルバムで、「糸」と一緒にカバーされたのが「僕たちの将来」でした。「糸」が万人受けのする曲であったのに比べ、「僕たちの将来」はみゆきさんのファンでもあえてこれを取り出してカバーするとは誰も思わなかったんじゃないかと思います。このアルバムがきっかけになっていろんなアーティストが「糸」をカバーするようになりましたが、「僕たちの将来」についてはそのあと他のアーティストがカバーしたというのは聞きません(ちなみに、ぼくはいちどだけBankBandバージョンの「僕たちの将来」を路上で若者が歌っているのを聞いたことがありますが)

この曲は、ものすごく近いものを描くことで、ものすごく遠いものを描きだしている傑作です(断定)。

舞台は二十四時間レストラン、一組のカップルが会話をしています。おたがいにままならない日常にもやもやしたものを抱えながら、それを口にすることを恐れ、ごく私的な二人のエピソードを蒸し返すことでその恐れから目をそらします。ここに描かれているのはどこまでも日常であって、その不安は二人の関係性からしか生まれてこない。しかし、その日常の延長には、確かに「将来」があるし、いまなお、世界の何処かでは二人の私的な関係以上に深刻な争いごとが起きています。それでも二人は、もっと身近な過去「さっき抱き合った宿」とか、二人の関係性が始まったもう少し前のこと「君が飛び込んできてくれた夜」のことを蒸し返すことで精一杯です。将来だって互いのアルバイトの予定程度の先のことしかここには見えてきません。それ以外のことは、ただ漠然とした不安となって世界に揺曳している。

でも、それってまさに今も昔も、ぼくたちのこととと変わりないんじゃないでしょうか。少なくともぼくはそうです。ネットニュースで凄惨な事件を見つけて憤慨はするものの、日々の生活の中でそれらは霧散してしまい、この半径数歩の世界の中でじたばたしている。それでもぼくたちは世界とゆるやかに地続きでつながっていて、この生活は決して自分だけで完結していないんです。

中島みゆきという歌手はこの「日常」の近さと、そこからゆるやかに、そして遥かか彼方までひろがっている世界の「遠さ」を、いろんな方法で描いています。まずはじめに思いつくのが「誰のせいでもない雨が」という楽曲です。この曲は、学生運動をテーマにしていると言われています。学生運動の中で打倒されてしまっていた思いとか主義主張なんてものは日常から乖離した「社会的な言説」ですが、その一方で、われわれは日々を生きていく必要がある。雨というのはその日常の象徴です。


誰のせいでもない雨が降っている 日々の暮らしが降っている

近年のみゆきさんの歌のなかには社会派と(場合によっては批判的な言説としても)言われる楽曲が増えているようにいわれることがあります。しかし、根底を流れているものは昔から変わっておらず、その表出が社会派ともいえるように変容してきただけ、とも思います。

ペルー日本国大使公邸占拠事件をあからさまに下敷きにして、主義主張をもっともストレートに出したと思われる歌「4.2.3」。その出だしはこうです。


食べてゆくための仕事にひとやすみして 私はTVをつけた

「僕たちの将来」で戦争を映し出すのは、さらにそれを遠ざけるかのような「青の濃すぎるテレビ」(青が濃いのは、ただ安物であることを言っていてつまりその機械自体が日常の中の背景にあるただの受信機であることを強く意識させる)です。そう、ぼくたちは「食べていく」必要があるのです。

「月はそこにいる」で遥か上空から月に見透かされているのもまた、日常です。


日々の始末に汲々として また一日を閉じかけて

「空がある限り」では私の暮らす街が空を伝ってゆるやかに「あなたの街」と接続されます。あなたの街とは「銃で砕かれた建物や、鉄条網が視界」を覆っている街です。そこでは銃や鉄条網が日常で、われわれのいる街とは明らかに異なっている。

しかしながら、ぼくたちは日常を恥じる必要もないでしょう。ただ、その日常が、どこかぼくたちとはちがう日常と地続きであることを忘れない限りは。

「僕たちの将来」は「はじめまして」に収録されています。では、また。
https://microstory.hatenablog.com/entry/20180731/1533039049

62. 中川隆[-9692] koaQ7Jey 2019年6月10日 16:31:18 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[2767] 報告

中島みゆき
ピアノソロ:1894年ベーゼンドルファー社製ピアノ(ウィーン式アクション/85鍵)使用
https://www.youtube.com/results?search_query=%E4%B8%AD%E5%B3%B6%E3%81%BF%E3%82%86%E3%81%8D+%E4%BD%9C%E8%A9%9E%E3%83%BB%E4%BD%9C%E6%9B%B2++%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%82%BD%E3%83%AD%EF%BC%9A1894%E5%B9%B4%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E7%A4%BE%E8%A3%BD%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%EF%BC%88%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3%E5%BC%8F%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%EF%BC%8F85%E9%8D%B5%EF%BC%89%E4%BD%BF%E7%94%A8+&sp=mAEB

中島みゆきをアンティークピアノで弾きました。

使っているピアノは100年以上昔、1894年製のアンティークピアノ。このような楽器を使ってこのような曲を弾くのはまことに愉しいです。

現代では世間で聞こえる音のほとんどは電気を通していますが、このころに世間で聞こえていた音は生音が主流でした。1877年にエジソンが蓄音機を実用化し、このピアノが作られた1894年にはSPレコードの大量生産ができるようになって、次第に「録音」というシロモノが世間に知られるようになった時代。こんな時代の楽器がどれほど豊かな音世界を伝えていたのか、この動画で使っている楽器は奇跡的にオリジナルほぼそのまま、まさに時代の生き証人です。

63. 中川隆[-14352] koaQ7Jey 2019年11月10日 12:19:46 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-1454] 報告

上に貼った中島みゆきの歌曲リンクは歌詞だけに変わってしまいました。

ネットで見つけた中島みゆきの歌曲リンクは

中島みゆき (Miyuki Nakajima) Music Best 200 (MP3-PC-SP) HTML5
http://lemonlemon.dip.jp/mp3/index-08.html

64. 中川隆[-15194] koaQ7Jey 2019年12月07日 22:50:17 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2259] 報告
時代 -ライヴ2010〜11- (東京国際フォーラムAより)

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