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高名なオーディオ評論家は信用してはいけない 1 _ 瀬川冬樹
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/312.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 3 月 29 日 16:13:47: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 


高名なオーディオ評論家は信用してはいけない 1 _ 瀬川冬樹

瀬川冬樹 講演 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=OPhULT16Xbg
https://www.youtube.com/watch?v=kiuFRvf-RSQ

瀬川冬樹の書いた記事の原文
http://www.audiosharing.com/people/segawa/segawa.htm

虚構世界の狩人(瀬川冬樹)
http://www.audiosharing.com/people/segawa/kyokou/kyokou.htm

オーディオABC(瀬川冬樹)
http://www.audiosharing.com/people/segawa/audio_abc/audio_abc_1.htm

瀬川冬樹のステレオテクニック(瀬川冬樹 監修・菅野沖彦)
http://www.audiosharing.com/people/segawa/technic/technic.htm

オーディオの系譜(瀬川冬樹)
http://www.audiosharing.com/people/segawa/keifu/keifu_1.htm


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瀬川 冬樹(せがわ ふゆき、1935年1月10日-1981年11月7日[1])は、工業デザイナー、オーディオ評論家。

本名・大村一郎。10歳頃から鉱石ラジオ作りに夢中になる。その後アンプづくりに発展し、16歳のときに自作の「2A3PP負帰還アンプ」が、『ラジオ技術』誌の「読者の研究」欄に掲載される。それが縁で同誌の編集部員となり、自筆のイラスト入りで原稿を執筆するなど大いに活躍。桑沢デザイン研究所出身。「瀬川冬樹」のペンネームは1953年頃に使い始めた[2]。46歳で死去。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E5%B7%9D%E5%86%AC%E6%A8%B9


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瀬川冬樹は創刊まもない頃のSS誌で、ゴッホ美術館で手持ちの複製画の本物を見た時その本物は所蔵の複製画の複製に見えた、という小林秀雄の有名な一文を引いてオーディオ論を展開していました。今日眺めても極めて優れたオーディオ論で、瀬川畢生の名論文だとおもいます。

瀬川冬樹氏の名論文は1960年頃のラジオ技術誌の「私のリスニングルーム」、しばらくあとの「M夫人のクレオさん」(クレデンザのこと、M夫人は福岡で御健在)、1960年代半ばのラ技連載の一連の「これからのステレオ装置」などであり、個人的には1970年代の瀬川さんは抜け殻としか思えないのです。

それは瀬川さんも分かっていたようです。お亡くなりになる直前のことですが倉敷在住のIさんに、

ぼくはもうだめなんだ、体もだめだしオーデイオも堕落してしまったんだ、今一度昔に帰りたい、45とアキシオム80に戻りたい、そのために80は8本用意しているんだが、、、

と述懐されたそうです。

瀬川さんのピークは JBL の蜂の巣ホーンをお使いになられたマルチアンプ時代の頃まででしょう。
Iさんからその話を伺った時、なぜか太宰治を想いました。氏が癌に侵されていることはそのころは既に衆知のことでした。
しばらくしてお亡くなりになったのですが大村一郎としてはS字状結腸にできた腫瘍で亡くなったとしても瀬川冬樹としてはそうではないと思ったものです。
http://www.audio-maestro.com/luochi_sui_shii.html


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瀬川冬樹先生の音が聴こえてくるかのような素晴らしい評論文とともに氏の愛用する 4341、4343、4344が売れに売れていました。
ミニスピーカーを除いて、歴史上日本で一番売れたスピーカーはJBL4343だそうで、なんと1万セットも売れたそうです。
輸入代理店のサンスイ(既に倒産)は自社製品よりもJBLで食べていたとか。
https://91683924.at.webry.info/201801/article_12.html

オーディオ界のバブル…4343
その頃の、オディーオ誌の試聴におけるリファレンススピーカーと言えばJBL4343が標準になっていました。
本来4343はプロユースのスタジオモニターなのですが、これが一般受けしてしまった。いわゆる4343ブームです。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~jacke842nov/html/jbl/koment.html


4343 は日本でこそ 1万セットも売れたらしいが、アメリカでは探すのも難しいと聞くから、いかに日本人だけが 4343 贔屓かわかろうというもの。
http://yosigaki.s214.xrea.com/nikki20090501.html


JBLは4341をやや大きくした、後継機種4343を発売した。
4343の用途は何であったのか?いまだによく分からない。
4343はプレイバック・モニター用途と言うが、スタジオで4343を見たこともないし、使った話も聴かなかった。

瀬川さんの記事のお蔭で 4343は高額であったにも関わらず、物凄い量で全国的に売れ始めた。
4畳半に住む若者が4343を買って、寝るスペースを狭くして4343にかじりついて聴いている話は、営業からよく聞いた。
https://www.ishinolab.com/modules/doc_serial/audio_history_japan/serial001_040.html

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JBL 4343/4343WX モニタースピーカー考察

JBL 4343、4343WXは日本のJBL史上最も有名で一時期はオーディオマニアのステイタス的な存在でした。
JBL 4343は日本国内で累計1万セット(2万台)も販売され、最大ピーク時の販売数量は年間3,000セットを超えたと言われています。

当時の異常な販売台数に、JBL本社では「日本にはそんなにスタジオがあるのか?」との、逸話が残っています。
実際にJBL 4343は4ウェイということもありレコーディングスタジオで使われることはほとんどありませんでしたが、JVCマスタリングセンターでは使われています。

当時のオーディオ評論家 故・瀬川冬樹氏がJBL4343を非常に高く評価しマークレビンソンとの組み合わせで自宅で常用していました。

●JBL 4343/4343WX:1976年発売
●JBL 4343/4343WX 当時の販売価格
JBL 4343A:\560,000
JBL 4343AWX:\580,000
*いずれも、1台の販売価格
http://jblfan.mitsu-hide.com/JBL_4343_4343WX.html

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1982年 当時大流行していた JBL 4343 (38cm・4way 60万円した) を使用していたが これがまったく音が飛ばない
プロ用であると宣伝していたが 官僚の国会答弁と同じ「ウソ」であることが後に分かったのである

当時日本中の中〜上級者が瀬川冬樹という一人の評論家とステレオサウンドという雑誌社の「ウソ」に引っかかったのである
JBL4343 を購入した多くのマニアが騙されたのである
日本オーディオ史上初のマニア、販売店、多くの業界関係者、多くの大小メーカーを巻き込んだ大事件に発展していった

瀬川冬樹氏の急死と共に JBL4343 への熱病は急速にしぼんだ

プロ用と称していたこのスピーカーは評論家の瀬川冬樹氏がステレオ・サウンド誌で べた褒めしたため一世を風靡したものである

この JBL4343 はほとんどの大小メーカー及びほぼ100%の全国の販売店に採用され、考えられないほど多くのマニアが購入した
オーディオ界始まって以来の極めて異常な現象が全国で起きたのである
エッジがボロボロに朽ち果てるものでこの評論家と雑誌社は大儲けしたという話は有名だ。
ところが、瀬川冬樹氏はある問題で資産のすべてを失い、ガンでアッという間に旅立ってしまった
46歳という若さであった
https://aucfree.com/items/u190943639

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215 名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2010/05/13 22:24:15

JBL のスピーカーって日本専用だったんですか、知らなかった。
日本で最も購買力のある団塊世代向けの音だったんですな。


216 名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2010/05/13 22:57:30

でかいバッフルスピーカーを壁ペタで使う団塊www


389 名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2010/05/25 19:20:05

むかしは6畳和室に馬鹿でかいSP入れて格闘するマニアの姿を評論家は

美しい、これぞオーディオ道だ、

と持ち上げ


金とやる気さえあれば設置環境など関係ない、調整次第で何とかなる


と推奨してた

売れまくったJBLの43シリーズは評論家の煽りのおかげ
導入するにふさわしい環境あった人は一握りでしょ
評論家が腐ってたのはむかしからなのね


138 名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2010/05/04 18:48:54

今の完全日本向けの家庭用スピーカーに「xxモニター」とかまだやってるのが
オモロイ。

そんなに日本人はモニタースピーカーが好きなのか不思議。
高級機種にはあえて日本人受けするホーンが「これでもか!」とばかりに
付いている。モニターとホーンがこんなに売れる国って日本以外にあるの?


953 名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2010/07/18 18:35:41

スタジオでプロが使ってなくても製品筐体に「モニター」とか「プロ」とか書いてると購入しまくる奴がいるのも事実。

スタジオでプロが使っているから「良い」と思って購入しまくる奴がいるのも事実。

そういう人を知っているが、リスニング環境は大体6畳和室。


155 名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2010/05/08 17:03:45
>138
プロの現場では使われてないのに筐体に「PROFESSIONAL」とか書いてる機器を見ると買いあさる人物も結構いるからね。


156 名無しさん@お腹いっぱい。[sega] 投稿日:2010/05/08 18:58:58
>138
日本人は馬鹿、ブランドとか呼び名にめちゃ弱い。


188 名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2010/05/10 23:23:54

バカ団塊を騙すにはでかい箱がいい。
耳ツンボだし、しかもバカ


318 名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2010/05/19 05:46:08

小さい箱に大型ウーファー入れたら量は出るが質が劇的に悪くなるというのを証明したのが43系モニター。だからプロは他に流れた。

ドスンドスンという懐かしい重低音なんてのも流行ったな。
今のSPは軽い低音ばかりなので希少価値はあるかも?
http://desktop2ch.info/pav/1271554664/


40Hz 以下の低音は聞こえない方がいい


954 名無しの笛の踊り[sage] 投稿日:2013/02/27 23:59:08  ID:WEYSA22W(2)

狭い部屋なのにデカイウーファー導入してしまった際、あのボワボワを聴いて

「こりゃ違う参った(>_>885
記事になるときは遠慮してるけど講演会だと 2、3%もないになりますよ。
SSだと全部合格です。


887: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/08/24(月) 19:48:29 ID:13xIkpFt

演奏家訪問で部屋の広さとスピーカーでマトモに鳴ってるか想像つくよね。
まあ、お金持ちが多いんだろうけどステサンはインテリの宗教だね。
http://2bangai.net/read/05ba12b399b8ea350fcbbec294a7977277fe6b10e0014ef46534d16d3dc2af87/all


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イシノラボ/マスターズ店長の連載
JBLを愛した男たち 2010年1月2日掲載
https://www.ishinolab.com/modules/doc_serial/audio_history_japan/serial001_040.html

故、瀬川冬樹さんのお宅では、当時、日本に1台しかなかった4341をメインに使っていた。このサウンドを聴かせていただいて、それほど大きくないキャビネットに38cmウーファを入れて、よくまあこれだけの低音がでるなあ、さすがに使い方がうまいと感心したが、振動系を重くしたウーファを採用し、重くなった中低域を避ける意味で、ミッドバス・ユニット追加して、4WAY構成にしたことに秘密があったように思う。

しばらくして、JBLは4341をやや大きくした、後継機種4343を発売した。4343の用途は何であったのか?いまだによく分からない。4343はプレイバック・モニター用途と言うが、スタジオで4343を見たこともないし、使った話も聴かなかった。

瀬川さんはすぐ、4343に買い換えた。ちょうど自宅を新築されて、広い試聴室に置いてあった。パワーアンプはA級25Wのマークレビンソンをブリッジ接続で2台使っていた。さすがの瀬川さんも4343には苦労したと思う。まず、低音がゴロンとしたサウンドでまとまらない。これは水平使用出来るように、ウーファ位置がキャビネットの下端、ギリギリについていたので、低音が床に反射しておかしくなってしまうのであった。スピーカスタンドを使うと、響きが薄くなってしまう。瀬川さんがさんざんトライして、試聴室の長辺側に4343を設置して、壁との距離を微妙に調整して、ついに最適なサウンドバランスを獲得した。その苦闘記をオーディオ誌に切々と書いた。

その効果が大きかったせいもあろう。4343は高額であったにも関わらず、物凄い量で全国的に売れ始めた。4畳半に住む若者が4343を買って、寝るスペースを狭くして4343にかじりついて聴いている話は、営業からよく聞いた。とてもバランスの取れたサウンドではなかったであろうが、所有する喜びが大きかったのであろう。

そうそう、あまりにも4343が有名になったので、あやかって、HPのオーディオアナライザーのモデル名は4343にしたとの話を聞いたことがある。

4343を平行輸入した会社は大儲けをしたと言う話は本当であったらしい。サンスイの国内販売部門はJBLがないと赤字であったが、JBLのおかげで元気であった。

オーディオ誌各社の試聴室でのスピーカは4343で占められた。また、オーディオメーカーの試聴用スピーカは4343が多かった。さらに、部品会社にも4343が置いてあることが多かった。サンスイでは社内では1台使われていたが、アンプの音質決定には4343ではなく、ずっと4320であった。(私がサンスイを退いて、そして上司もサンスイを退いてから、B&W 803に代わったらしい)

私が聴いた中では、1990代、LUX社試聴室設置の4343は極めて反応の良いサウンドを発揮していて、後続のJBLエレベスト9500をはるかに凌駕していた。これは主に使っていた優秀エンジニアのO氏(後にブリッジオーディオを主宰)の使いこなし上手だと思う。

アルニコ・マグネットの枯渇、そして、フェライトマグネットの採用

1970年代、アフリカ、ザイール内戦が勃発して、コバルトの供給が極端に逼迫した。それ以前からアルニコマグネットの価格はじりじりと上がって、価格の安いフェライトへの移行がスピーカ各社進行していた。そんなわけで、TANNOY、ALTECなどのメーカーもフェライトマグネットに切り替えざるを得なくなってきた。

それでは、アルニコマグネットとフェライト系マグネットはどう違うのだろう。簡単に言うと、磁気抵抗が小さいのがアルニコ、大きいのがフェライトである。(ちなみに、最近、強力マグネット材料と言われているネオジウムもフェライト系の性質を示す。)

現在の学術レベルでも、スピーカにおいて、フェライトとアルニコとのサウンドの差異はうまく説明できていない。でも、オーディオに少し興味があれば、聴いてみれば、好みは別として、差異は指摘できるはずである。切れ味良く、ひずみ少なく聴こえるのがアルニコと言われているし、私もそう思う。

JBL技術陣は、アルニコマグネットの入手難、音質とのはざまで、ついにフェライトマグネットへの切換を決断する。切換えるからには、フェライトマグネットに最適な磁気回路があるべきと、研究・検討を重ねた結果、ついにSFGと称する新開発磁気回路を開発した。その主な特徴はポールピース、ヨーク形状を微妙に変更し、磁気回路によるひずみの改善を実現した。(近年、一部に電流ドライブアンプなるものが評価されているが、電流ドライブアンプを用いると、磁気回路によるボイスコイル電流ひずみが非常に改善(一桁以上)されるメリットがあると言われている。)

JBLは次々と磁気回路をフェライトに切り替えていった。4343は4343Bとなった。JBL技術陣も相当、気になっていたと思われ、わざわざ都内のホテルで発表会を兼ねた技術講演会を開いたほどであった。

ちなみに、当時のサンスイスピーカはすべてフェライトに切り替わっていたし、他社も、YL、ゴトー、エール音響とかのホーンドライバーを作っている会社以外は切り替わったと言って良かった。

JBL技術陣の最大目的は、JBL4343の最大評価者である瀬川冬樹さんに納得してもらうことであった。ゲイリー・マルゴリスをチーフとする説得チームは、瀬川さん宅に夜間訪問して、瀬川さんお使いの4343のウーファユニットを外し、新型フェライトマグネット採用のユニットを取りつけて、瀬川さんに聴いて貰った。そのトライアルは深夜にも及び、瀬川さんはOKを出した。彼等はほっとしたことであろう。でも、サウンドが変わったことは否定できなかった。フェライトマグネットを採用した4343Bは売れには売れたが、以前よりも売れなくなってきたのは仕方がないように思えた。 そうなると、JBLにとって4343は売上に大きな部分を占めるから、このままで良いはずはなかった。彼等はそれならば、フェライトマグネットを採用することによってユニットコストが下がるから、コストダウンした4343を作ろうということになった。

それは仮称4343CLASSICと呼んでいた機種であった。これなら定価は¥10万以上安くできそうであった。それが、4344であった。

一方、ホーン・ドライバのフェライト化も進めざるを得なかった。これはユーザであった評論家Oさんにテストして貰い、OKをいただいたが、後になって元のアルニコに戻されて、今なお健在に動作している。

このころになって、JBLは買収されたシドニー・ハーマン(元、商務長官)の影響が大きくなってきていた。また、サンスイのほうも、アルニコからフェライトに移行して思うように売れなくなってきて、友好関係が少しほころんできたような状況でもあった。

そして、ついにハーマンはすでに設立済みの日本法人、ハーマン・インターナショナルに販売権を移行することを決定、サンスイに通告した。

サンスイは、くるべきものが来たということであったが、非常な痛手であった。具体的には、社内のJBL販売課のスタッフの落胆ぶりは深刻であった。

過半数のスタッフはハーマンインターナショナルに転職したかたちでサンスイを去ることになってしまった。それ以降のJBLの動きは私が説明することもなく、JBLに関する書籍を読めば詳細に述べられている。ハーマン・インターナショナルに移った男たちも定年を迎える年齢になった。世は無常なりの言葉をかみ締めたい。

以上の文章のなかで私は渦中の当事者ではなかったので、憶測、間違いもあるかも知れないが、オーディオファンとして、JBLファンとして、書いたつもりである。

JBLは、今なお有力なスピーカブランドであることには間違いないが、ともすれば、ヨーロッパ勢の攻勢を受けている感がある。攻勢とは、技術的には、音場研究とかユニット開発において、他社はJBLとは異なった道を歩んで、異なったすばらしさを発揮しているような気がする。
https://www.ishinolab.com/modules/doc_serial/audio_history_japan/serial001_040.html


オーディオのイシノラボどっとこむ - 第41回 オーディオ評論の今昔
オーディオ評論家さん達の思い出 瀬川冬樹さん
https://www.ishinolab.com/modules/doc_serial/audio_history_japan/serial001_041.html

瀬川さんはペンネームであり、本名は大村さん。そのペンネームの響きは素敵である。瀬川さんのキャリアは詳しくないが、はじめは、オーディオクラフト誌のライターでもあったし、工業デザイナーでもあった。

私がお会いしたのはAU−607が販売された頃であった。団地に住まわれ、リビングルームをリスニング・ルームにしていた。そう広くないスペースにでかいEMT927があり、マーク・レビンソンのプリアンプ、SAEのパワーアンプ、KEFのスピーカ、それに、驚いたのは、サンスイではまだ販売していなかったJBL4341(4343ではない)をメインスピーカにしていたことだった。JBLとKFFとは随分、音質傾向は異なるが、どちらも気に気に入られているようだった。

ガラス棚にはカメラがずらりと並んでいた。レコードにトーンアームを下ろす手つきはすばらしくスムーズで、ご本人も“俺ほど格好良くレコードをかけられる奴はいない”といわれていた。

聴かされたレコードはジャズ・クラシック・シャンソン等とジャンルに限らないという感じであった。瀬川さんは“早く広い家に移りたい!”、“でも、自営業者扱いになるオーディオ評論家には、銀行はなかなか金を貸してくれない”と嘆いていた。

瀬川さんのオーディオにかける情熱は人並みはずれて凄かった。従って、その文章には、人の気持ちを動かす迫力が常にあった。また、リスリング・ルームを建てるために、もの凄いペースで働いていた。しばらくして、素晴らしいリスニングルーム(瀬川さんの設計)を備えた豪邸を建てた。その返済額は毎月、少なくない額と瀬川さんはいわれていた。“だから、懸命に働くしかない”と。当時は、幸いなことに、オーディオ販売店やオーディオメーカー、代理店主催の催事がたくさんあった。

また、オーディオメーカーや代理店も第3者的な見地からの評価を求め、アドバイザー的な仕事もあった。従って、原稿書きや講師、アドバイザーとして、物凄く“売れっ子”であったので、超多忙であった。

JBL4343についての使いこなしでは第一人者であり、JBL関係者にとっては大変なサポーターであった。瀬川さんは、本当にJBL4343を愛していたと思う。

また、その反対傾向にあるイギリスのKFF、Rogersなどのスピーカにもサポーターといえた。アンプはマーク・レビンソンのプリアンプとパワーアンプにも惚れていて、ずっと愛用されたと思う。SAEのパワーアンプは手放されて、マークレビンソン 25Wのパワーアンプを4台でブリッジ接続で100W+100WでJBL4343をドライブされていた。

私は新築された豪邸に、新製品を度々持参して、聴いて貰っていた。そうしての折り、瀬川さんは、帰り際に、“尻の状態が良くないので、これから、漢方治療に行く”といわれていたので、わたしは親類に医者が多いこともあり、”病院に行って、検査したほうが良いですよ!”と、ついそういってしまった。このような状態は1年近く続いていたと思う。そうして、瀬川さんが入院されたとの報があった。S字結腸ガンで手術されたということであった。退院されて、お会いしたがげっそり痩せてやつれていた。

サンスイでは、瀬川さんの工業デザイナーとしての手腕を買って、レコードプレーヤSR−929のデザインを依頼した。ピアノフィニッシュの価値感のある格好になっていた。

また、しばらくして、豪邸を手放してお一人になられ、オーディオ機材も整理されたようであった。そして、再入院になり、帰らぬ人となった。喪主は、サンスイ・デザイン部の義弟S氏が勤めた。確か、享年47歳の若さだったと思う。

もし、瀬川さんが存命であったなら、オーディオ界は、もう少し活気を呈していたと言う方は少なくなかったと思う。最近、聞いたことであるが、友人には、瀬川さんは、“俺の人生は破滅的!”と言っていたそうである。亡くなって、かなりの年月が流れた。けれども、あの熱い文章は忘れられないオーディオファイルは多いと思う。

瀬川さんはどのようなサウンドを好まれていたのであろうか?少なくとも、ツヤがあり、実在感があり、ダイナミック感があり、また、しっとりしたサウンドではなかったかと思う。瀬川さんがコンサートに行かれた話は聞かないので、オーディオ的サウンドを極めた方ではなかろうか。その情熱溢れた文章は、今、残された文章(ステレオサウンド誌がメイン)を再度、読み直しても、感動を覚える。
https://www.ishinolab.com/modules/doc_serial/audio_history_japan/serial001_041.html


▲△▽▼

瀬川冬樹氏は私がオーディオに興味を持ちだした頃はまだ健在で、盛んに評論活動にいそしんでおられた。彼が亡くなったのは82年、私が初めて迎えた「高名なオーディオ評論家の死」だけに特に強く印象に残っている。

 瀬川氏の評論の特徴は「文学青年的繊細さ」あるいは「女性的感性」で綴られたきめ細やかな文章にあるだろう。音楽を聴いているその間、刻一刻と様々に表情を変えていく音そのものについて、瀬川氏はきめ細やかな、そしてやさしい言葉で描写を試みておられた。意識の表層に次々に捕らえられた数々の音の美しさを綴った文章は、その対象と同じように美しいものとなって読み手の意識に自然に流れ込んできたものだ。
 音楽評論の立場で音楽を文章化するのに誰よりも成功したのが吉田秀和氏だとすれば、オーディオ評論の立場でそれをなしとげ、詩情までも織り込むことができた唯一の例が、瀬川冬樹氏だと言えるのではないだろうか。

 文章の繊細さと同じように、実際に瀬川氏が鳴らしていた音についても、かのタンノイオートグラフを愛好し「アンチJBL」の筆頭だった五味康祐氏が、瀬川氏の鳴らすJBLのシステムを聴いて、「自分と同質の鳴らし方をしているこの青年の努力は、抱きしめてやりたくなるほどいじらしい」と評したのは有名な話だから、おそらくは繊細極まりない音が響いていたに違いない。

 瀬川氏と言えば JBL4343 が印象に残っているが、本来はアキシオム80やロジャース系 BBCモニターの音、つまりはブリティッシュサウンドを好まれたようなので、いわゆる「ジムラン」時代の家庭用システムの豪放さにはそれほどひかれず、ユニットとして使うことはあっても完成したスピーカーシステムは43シリーズのプロフェッショナルモニターになってから、その繊細さと迫力が両立した音に惚れ込まれて導入されたのではないだろうか。事実「4341以降はぼくの求める音の範疇に引っかかってきた」という表現を最晩年の文章の中でされている。

 タンノイとJBLと言えば、日本ではいまだに2大スピーカーメーカーとして評価されているが、日本にタンノイを根付かせたのが五味康祐氏だとすれば、JBLに関しては「岩崎千明氏が種をまき、瀬川冬樹氏が実らせた」と言えるのではないかと思う。

 この三氏が活躍された頃は、オーディオにまだ実現可能な夢や希望が残っていた本当にいい時代であった。これから先の時代には、はたして新しい夢と希望は生まれてくるのだろうか?
http://orion.mt.tama.hosei.ac.jp/faraday/nl/0060.htm



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我が、蹉跌のオーディオファイル#01.現装置にたどり着くまで
http://audio-file.jugem.jp/?eid=27

終戦直後、まだ音楽など聴く余裕は我々国民には無かったが、当時レコードといえばSP、若い諸君にはピンと来ないかもしれないが、78回転でぶんぶん回るレコード盤に竹や鉄の針で音を拾い、ザーザーいう雑音の中から音楽を聴き分ける。超アナログの世界しかなかった。

片面の演奏時間はせいぜい5分だから、頻繁に裏返したりレコードを換えたり、とてもじゃないが落ち着いて音楽を聴いては居られないのだが、この時代にはこれしかないのだから、それを特に不便とも煩わしいとも思わず、音楽鑑賞の妨げになるものは何も感じなかった。適応とはそういうもので、より便利なものを知りさえしなければかなりラフな 環境にも人間はちゃんと順応するように出来ている。

アマゾンやボルネオの密林深く住み着いた人々を不幸と思うのは文明(と云っても多寡が知れているが)の中に居る我々 の思い上がりと勘違いでしかない。

我家にも数枚のSPと電蓄があった。

ワインガルトナー指揮する第9もその中にあり、8枚組だから第9一曲聴き終わるまでに16回立ったり座ったりしなければならなかった。
だから滅多に聴くことはなく、その分聴いたときの感動は何時も新鮮だった事を覚えている。

その後 SP から LP時代に移行した
レコードは一気にステレオの世界に突入した。

巷ではコンソール型ステレオが発売され、やがてコンポーネントステレオで自由に機器を組み合わせることが出来るよう になった頃から今迄は極限られた少数の音キチという奇妙な人種が次第に一般化し始め、互いの持ち物に羨望の眼差しを向け合い、電機メーカーと提灯持ちのオー ディオ評論家達の巧みな話術に乗せられ、悲惨な出費をする者が多発した。僕がこの人たちに担がれてこの世界に巻き込まれたのは昭和48年だった。

オーディオ評論家を信用しなくなったのは彼らが異口同音に誉めちぎる JBL のがさつな音に起因するが、それはさておき、その1年後にはVITAVOX(ヴァイタヴォック ス)CN191、Machintosh(マッキントッシュ)C-22、MC-275、MARANTZ(マランツ)10B,TEACのオープンデッキに換わった。

昼はレストランで御飯だけ頼み、塩をかけて食べた。

やがてマッキンのブワブワした音が気になり始め、色々物色したけれども、これといったものに当たらず、ものは試に本郷の小さな新藤ラボラトリーに飛び込んで実情を話すと、答えは明快で、C-22 と MC-275はそういう音なのだと云う。

VITAVOX CN191もオリジナルその儘では低音がぶわつく傾向がある。

「だからお前は悩むべくして悩んでおるのだ。お気のどくなことだ」だと。

そう云うかい。ならば買おうじゃないか。ということになってこの新藤ラボラトリーの アンプを買った。

それにプレイヤー装置は Garrard(ガラード) 301とOrtofon(オルトフォン)RMG309と SPU-A。

ご飯が小盛りになった。それから35年このシステムを持ち続けた。

このシステムで鳴らすレコードの音は一つの完成をみている事は確かで、大概何処の音を聴いても羨ましいと思ったことは無かった。

この35年の間に、オーディオ界はデジタル時代に突入していて今やレコードなどはすっかりCDに駆逐された。しかし断言してもよいが、その現在にあってまだ、CDの音はレコードの音に遠く及ばない。

我家にあったSPの第九をCD化したものがあったので過日買い求めたが、雑音だらけのSPの方が 遥かに音楽的なのに吃驚したことがある。それ以来CDはずっと敬遠してきた。
http://audio-file.jugem.jp/?month=201007


40年前、オーディオの世界ではJBLが半ば神話の世界に入っていた。

そしてマランツとマッキントッシュ。

オーディオファンの間ではこれらでなければ世も日も明けない一時代があった。アルテックも、JBLと並ぶ大ブランドだった。

一度ブランド品として名が売れて仕舞うと後は楽チンで、一定期間は黙っていても売れてゆく。音楽などは二の次で「何を聴くか」よりも「何で聴いているか」が一義的な問題であったようだ。

VANジャケットが自分に似合うか否かは二の次であったように

「何で聴いてるんですか」

と聴かれて

「JBLです」

と小鼻を膨らませて答えなければ格好にならなった。加えて

「アンプはマッキンです」、

「私はマランツです」

と答える事が出来れば大得意の満点であったのである。そう、マークレビンソンという腐れアンプもあったが、今日では「LINNです」と答えねばならんのだろうか。
今、「JBLです」と答えるマニアは随分減ったのかもしれない。でも換わりに「LINNです」と答えなければならないのなら心理的レベルは進歩していない事になる。どうあれ、カリスマ的な目玉商品を人々に印象付ける事が出来れば流行を造る事が出来る。

2007年以来、LINNはネットオーディオを引っ張ってきたというから、ならば日本の業者や提灯持ちの評論家がカリスマに祭り上げたということかもしれない。そのこと自体ちっとも悪い事ではないし、ネットオーディオも面白いから寧ろ歓迎すべきだが、アンプ一個が数百万円、プレイヤーも数百万円。何から何までLINNで揃えたら軽く1000万円を超えるという事になると、ウェスタン並みのバカバカしさである。

35年前、僕はぷっつりオーディオ雑誌を読まなくなった。

参考にならないからであったが、余りに過激な人達が登場して、全員揃ってパイプを咥えている姿が気持ち悪くて見るのが嫌になったのである。
表現が違っていても云う事が全員同じであるところも気に食わなかった。一人が誉めると全員が誉め、貶すと全員が貶す。そいう事なら評論家など一人で充分だったと思うが、当時はこの仕事が金になったのかゴロゴロいた。

一人の評論家がJBLを誉めると数人の評論家が異口同音に誉めちぎり、其れを読んだ読者が揃って JBLを求める。僕も私もJBLという構図が簡単に出来上がる。斯く云う僕だって僅か半年の間だったとはいえ、一度はJBLを手にした事がある。

今年の7月になって、僕は35年ぶりにオーディオ雑誌を読んだ。評論家のメンバーはすっかり代って往年のパイプオジサン達は一人も登場して来ない。代って彼らの子供か孫くらいの年齢と思しき若者達が評論家として登場している。

それにしても、昔も今も評論と云うのは何故あんなに表現が難しいのだろう。まどろっこしいと云うか、解読には随分な苦労を強いられる。うっかりすると結局何を言っているのか解らない事もある。権威付けでもしたいのなら阿呆な話だ。
http://audio-file.jugem.jp/?eid=27
 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 中川隆[-14909] koaQ7Jey 2019年11月14日 22:30:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-2001] 報告

JBL15インチウーハー さようなら! ダイナミックオーディオ マラソン試聴会
2019-11-08
https://ameblo.jp/tiromie/entry-12543334568.html


ダイナのマラソン試聴会のワーストシステムです。

https://ameblo.jp/tiromie/image-12543334568-14634387804.html
https://ameblo.jp/tiromie/image-12543334568-14634387850.html

このJBL15インチウーハー、いずれもボーボー言っているだけで最悪に聞こえました。

遅い!尾は引くは、ボンつくは、膨らむは、エッジはないは!

いいところが一つもありません。

川又店長が出されたヒロアコースティックの低音などとは真逆の反面教師のような低域楽器の表現です。

もう会場で店員さんが言われた「JBL15インチウーハーに憧れってありますね!」なんて、相当の高齢者か、明治以降に西洋音楽が入るまで、低音の音階を現す楽器がなく、だから低音音痴と言われる日本人特有では?

元ドラマーからも、ベースはピッチの変化でリズムを表現するのに、このピッチの変化が聴こえてこないのですから、リズム聴こえずどうしようもないな!という感じです。

3万の入門用ベースでも300万のフェンダーベースでもベースの音色は同じとしか聴こえない

シングルヘッドかオイル含浸のダブルヘッドか、バスドラムのヘッドの張り調整、口径選択などのドラマーのチューニングも全く不明になる解像度(ボケ)です。

この手のを設置しているジャズ喫茶が寂れる一方も仕方ないですね。

現代スピーカーでも、アレイスピーカーでのPA領域でも15インチ(38p)、18インチ(46p)ウーハーなんてサブウーハー帯域の100Hz以下でしか使っていませんね。

比喩がわかりやすいと言われたたとえでは、今の20cm未満の軽量で分割振動しない新素材などのウーハーからは見るべきところのない、聞き所のないウーハーユニットですね。トロくて、スピードがないのですよ。車でいえばダンプカーですね。

まだ瀬川冬樹氏や菅野沖彦氏の悪影響が続いているのでしょうか・・・・
https://ameblo.jp/tiromie/entry-12543334568.html



2019年11月14日
マラソン試聴会で印象が変わった小型で安いスピーカー


JBL15インチウーハーが入ったシステムはマラソン試聴会での個人的ワーストとしました。
https://ameblo.jp/tiromie/entry-12543334568.html

逆に意外なほどよくて、この上のこちらより印象よく聞こえたのがこの真ん中のメーカーの最小の小型2ウェイでした。

アンプはたしかLINNのネットワークプレーヤー内臓のデジタルアンプで鳴らしておられた記憶です。

川又ルームで聴いたこちらのウィルソンしかり。
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1961870482&owner_id=8290003

どうも、ローエンドまで伸ばしたとしても、もたつく、膨らむ低音が出るくらいなら、あっさりとローエンドを諦めた小型2ウェイの方が低音楽器の音色、表現がわかりやすいのですね。

レコーディング、マスタリングモニターのメインが小型2ウェイというのもよくわかります。

友人に譲って、長野県県庁内の喫茶室で鳴らされている小型2ウェイのソナス・ファベール/ガルネリ・オマージュなんか、今聴いても、なかなかの低音楽器の姿を示しています。



コメント

mixiユーザー2019年11月14日 02:42

JBLは4343の頃から低音がドロンとして、他のユニットとのバランスが悪いと感じていたけれど、ステサンは「パワーアンプのドライブ能力が云々」というだけで、ホンマかいな?と思っていましたが、今でもドロンとしたまま進化してないのですね。もう、設計者の個性ととらえた方がいいのかな?


mixiユーザー2019年11月14日 02:51

> mixiユーザー 

日本でしか売れないそうです。低音音痴の日本人を見越して、低音の量だけあれば質はいいや!なんでしょうか冷や汗

mixiユーザー2019年11月14日 02:53
> mixiユーザー 

他に興味深かったことが、世界の頂点のハイスピードな低音のトップエンドスピーカーを聴いてしまうと、B&W800D3のそれはすでに遅いと感じてしまうことです。これもウーハーが大きすぎるような気がします。
https://open.mixi.jp/user/8290003/diary/1973651735

2. 中川隆[-5945] koaQ7Jey 2021年4月07日 07:02:13 : o2ntGCbK6k : MlcvUlhYVUlPOUU=[23] 報告
audio identity (designing)宮ア勝己
Date: 5月 20th, 2009
930stとLNP2(その1)
http://audiosharing.com/blog/?p=629

中野区白鷺のマンションに住まわれていたとき、
瀬川先生は、EMTの930StとマークレビンソンのLNP2を使われていた。
説明は不要だろうが、どちらにもフォノイコライザーアンプがある。
瀬川先生は、どちらのフォノイコライザーアンプを使われていたのか。

ステレオサウンド 43号では、
「ずいぶん誤解されているらしいので愛用者のひとりとしてぜひとも弁護したいが、
だいたいTSD15というのは、EMYのスタジオプレーヤー930または928stのパーツの一部、みたいな存在で、
本当は、プレーヤー内蔵のヘッドアンプを通したライン送りの音になったものを評価すべきものなのだ。」、
「TSDでさえ、勝手なアダプターを作って適当なアームやトランスと組み合わせて
かえって誤解をまき散らしているというのに、SMEと互換性を持たせたXSDなど作るものだから、
心ない人の非難をいっそう浴びる結果になってしまった。EMTに惚れ込んだ一人として、
こうした見当外れの誤解はとても残念だ。」と、
TSD15、XSD15のコメントに、それぞれ書かれている。

55号でのプレーヤーの試聴記でも、内蔵イコライザーアンプの155stを通さない使い方を、
「異例の使い方」「特殊な試聴」とも書かれている。

これらの記事を読むと、おそらく930stの内蔵イコライザーアンプを使われているんだろうと思える。
その一方で、LNP2のイコライザーアンプを使わないというのも、なんとももったいない、と思う。

それに155stの設計は古い。1970年代においてすら、最新のアンプとはいえない。
LNP2のほうが新しい。そう考えると、どっちだったのかと迷う。


1 Comment

pippin
5月 22nd, 2009
REPLY))
930stとLNP-2Lのフォノイコライザー、どちらを使うかは悩むところですね。
私はどちらも929側のフォノケーブルの差し替えで、その時の気分によって使い分けるようにしています。
1本は930stの155stからXLRケーブル(3番ホット)を経てLNP-2Lのライン入力へ。
もう1本は929アームからTH-7559を経てLNP-2Lのフォノ入力へ・・という感じです。
TSD15のみでモノラル盤もステレオ盤も聴きたい場合などは、930stの内蔵フォノイコライザー155stが便利ですね

http://audiosharing.com/blog/?p=629


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Date: 5月 21st, 2009
930stとLNP2(その2)
http://audiosharing.com/blog/?p=630

やはり930stを愛用されていた五味先生は、どちらだったのか。
930stの内蔵アンプなのか、それともマッキントッシュのC22のフォノイコライザーアンプなのか。

「オーディオ愛好家の五条件」で真空管を愛すること、とあげられている。
「倍音の美しさや余韻というものががSG520──というよりトランジスター・アンプそのものに、ない。」とある。
しかし、別項で引用したように、930stの、すべて込みの音を高く評価されている。
ステレオサウンドにいたときに確認したところ、やはり内蔵の155stを通した音を日ごろ聴かれていたそうだ。

五味先生の930stは、オルトフォン製のトーンアーム、RMA229が搭載されている。
ちなみにモノーラル時代の930のそれはRF229である。
930が登場したのが、1956年。モノーラル時代であり、内蔵イコライザーアンプは、管球式の139である。
シリアルナンバーでいえば3589番からステレオ仕様の930stになる。
これにはステレオ仕様の管球式の139stが搭載されている。

そしてシリアルナンバー10750番から、トランジスター式の155stとなり、
14725番電源回路が変更になり、17822番からトーンアームがEMT製929に変更となる。
ただ155stが登場したのが、いつなのかは正確には、まだ知らない。

ただ929が登場したのが1969年で、
155stの兄弟機153stとほぼ同じ回路構成のフォノイコライザーアンプを搭載した928(ベルトドライブ)は、
1968年に登場していることから、おそらく60年代なかばには930stに搭載されていただろう。

155stは、片チャンネルあたりトランジスター8石を使ったディスクリート構成で、入出力にトランスを備えている。
153stは、LM1303M、μA741C、μA748Cと3種のオペアンプを使い、
出力のみトランジスター4石からなるバッファーをもつ。
もちろん入出力にトランスをもつが、155stと同じかというとそうでもない。

出力トランスは1次側に巻き線を2つもち、そのうちの1つがNFB用に使われている。
電源も155stは+側のみだが、153stは正負2電源という違いもある。

回路図を見る限り、155stと153stの開発年代の隔たりは、2、3年とは思えない。
となると155stは、60年代前半のアンプなのかもしれない。
LNP2よりも、10年か、それ以上前のアンプということになる。

http://audiosharing.com/blog/?p=630



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Date: 5月 21st, 2009
930stとLNP2(その3)
http://audiosharing.com/blog/?p=631

「幻のEMT管球式イコライザーアンプを現代につくる」、
この長いタイトルを考えたのも記事の担当者も私で、
初回のカラーページで紹介したEMT純正の139、139stはどちらも完動品で、
155stとの比較試聴もやっている。

使ったプレーヤーは私が直前に購入したトーレンスの101 Limitedで、155stは内蔵した状態で、
139と139stは外付けで外部電源と接続し、いわゆる単体イコライザーアンプとして使った。
モノーラルの139は2台用意していたので、試聴はもちろんステレオで行なっている。

電源の違いも考慮にいれなくてはならないし、もう25年ほど前のことだから、かなり曖昧だが、
意外と管球式の2機種は古さを感じさせなかった。
むしろトランジスター式の155stに、どちらもいえば古さを感じた。
とはいえまとまりのよさは見事で、いわばアクの強いTSD15をうまく補正し活かしている感じは、
155stに分があったように記憶している。

瀬川先生は、ステレオサウンド別冊の「コンポーネントステレオの世界」の80年度版か81年版だったかで、
928を組合せで使われたときに、内蔵イコライザーアンプについて、
928内蔵のモノの方が設計が新しいので、155stよりも現代的な音になっている、といったことを発言されている。

ということは、アンプ単体として見てたときは、瀬川先生も、155stには、やや古さを感じられていたのだろう。
それでも自宅では、155stを通して使われていたはずだ。
http://audiosharing.com/blog/?p=631



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930stとLNP2(その4)
http://audiosharing.com/blog/?p=632

昨日、偶然にも入手出来た「コンポーネントステレオの世界 ’78」で、瀬川先生は、
4343に惚れ込まれた読者のために、最高に鳴らすための組合せとして、
EMT 930stとマークレビンソンLNP2Lを使われている。

組合せのラインナップの次のとおり。

スピーカーシステム:JBL 4343(¥680,000×2)
コントロールアンプ:マークレビンソン LNP2L(¥1,180,000)
パワーアンプ:SAE Mark 2600(¥755,000)
プレーヤーシステム:EMT 930st(¥1,150,000)
インシュレーター:EMT 930-900(¥280,000)
組合せ合計:¥4,725,000

4341と4343の違い、Mark 2500とMark 2600の違いはあるが、
瀬川先生が、当時常用されていたシステムそのままといえる組合せである。

4343について「JBLというメーカーは、時代感覚をひじょうに敏感に受け取って、
その時代時代の半歩前ぐらいの音を見事に製品化した」もので、
「ベストに鳴らすためには、プレーヤーからアンプまで、
やはり現代の最先端にある製品をもってくる必要がある」と言いながら、930st、である。
http://audiosharing.com/blog/?p=632



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930stとLNP2(その5)
http://audiosharing.com/blog/?p=633

前年までと違い、「コンポーネントステレオの世界 ’78」では、それぞれ2組の組合せをつくられている。
瀬川先生の4343の、もうひとつの組合せは次のとおり。

スピーカーシステム:JBL 4343(¥680,000×2)
コントロールアンプ:DBシステムズ DB1 + DB2(電源部)(¥212,500)
パワーアンプ:ラックス 5M21(¥240,000)
トーンコントロールユニット:ラックス 5F70(¥86,000)
プリメインアンプ:トリオ KA7300D(¥78,000)
フォノモーター:ガラード 401(¥49,000)
トーンアーム:オルトフォン RMG309(¥43,000)
       フィデリティ・リサーチ FR64(¥50,000)
プレーヤーキャビネット:レッドコンソール LAB-II(¥67,000)
カートリッジ:オルトフォン SPU-G/E(¥34,000)
       エレクトロ・アクースティック STS455E(¥29,900)
昇圧トランス:オルトフォン STA384(¥27,000)
組合せ合計:¥2,226,400(DBシステムズ + ラックスの場合)
      ¥1,765,900(トリオの場合)

ここでもプレーヤーには、930stと同じアイドラードライブの401を使われている。
アンプには新しいモノを使われているにも関わらず、である。

ちなみにエレクトロ・アクースティックとはエラック(ELAC)のこと。
これは瀬川先生からきいた話によると、エラックの輸入元(もしくは輸入しようとしていた会社)が、
なぜかエラックを自分の商標として登録してしまったばかりか、
エラックの輸入元が他の会社になってもそのままで、
さらに商標登録の期間がきれたら更新して、という嫌がらせとしか思えないことを続けていたため、
やむなくエレクトロ・アクースティックを使っていたとのこと。

「こんなことは許されないことだ」と、怒りのこもった口調だった。

http://audiosharing.com/blog/?p=633



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930stとLNP2(その6)
http://audiosharing.com/blog/?p=634

DBシステムズのアンプは、マッキントッシュの製品と比較すると、およそ製品とは呼べない面をもつ、
ある種、尖鋭的なところが、音にもつくりにも感じられる。

コントロールアンプのDB1は、ガラスエポキシのプリント基板に入出力のRCA端子、
電源端子を取りつけたものを、そのままリアパネルとしている。
いちおう絶縁のためラッカーで覆ってあるものの、いわば剥き出しに近い状態である。

マッキントッシュでは絶対にやらないことを、デビュー作で堂々とやっている。
フロントパネルもそっけない仕上げで、ツマミもおそらく市販されているものをそのまま流用している感じ。
とにかく、設計者が余計と判断したところには、まったくお金や手間をかけない。
設計者の信じるところの、実質本位なつくりを徹底している。

回路構成も、1970年代のアンプとは思えないもので、
差動回路も上下対称のコンプリメンタリー回路も使っていない。
他がやっているから、といったことはまったく気にしていない。

そんなアンプなのだが、とにかく切れ込みの鋭い、繊細で尖った音を聴かせてくれた。
とっつきにくい音と受けとめられる人も少ないないかもしれないが、
それでも存在価値(いい意味でも悪い意味でも)充分なところを気にいる人も、また少なからずいたであろう。

朝沼予史宏さんが、一時期、使われていた。
まだステレオサウンドに書き始められる前、朝沼という名前を使われる前、
フリーのライターとして編集に携わられていたころだから、
私には、朝沼さんではなく、本名の「沼田さん」だった。

沼田さんがまだ独身で、西新宿のマンション住まいだったころ、
スピーカーはQUADのESLにそっくりのダルキストのDQ1とB&Oのスピーカーを使われていた時期、
アンプはDBシステムズだった。

沼田さんがいちばん尖っていたころの話だ。

DB1の尖りぐあいは、ある種のエネルギッシュな印象にもなっていた。
そんなアンプを、瀬川先生は選びながら、プレーヤーはガラードの401を選ばれたのは、
930stと同じ理由から、である。
http://audiosharing.com/blog/?p=634


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瀬川冬樹氏のこと(番外)
http://audiosharing.com/blog/?p=635

「コンポーネントステレオの世界 ’78」に、芳津翻人(よしづ はると)氏という方が、
「やぶにらみ組み合わせ論(IV)」を書かれている。
IVとあるくらいだから、ステレオサウンド 4号(67年秋号)からはじまり、
13号(70年冬号)、17号(71年冬号)に亘って書いている、と前書きにある。

私が読んだ4回目の記事は、小型スピーカーの組合せの記事。
スピーカー選びから始まって、ロジャースのLS3/5A、スペンドールSA1、
JR(ジム・ロジャース)JR149の組合せを、他の筆者とは違う視点からあれこれ悩みながらつくられていて、
「素人の勝手なたわごと」とことわっておられるが、どうして、なかなかおもしろい。
文章も書き慣れているという印象を受ける。

だから5回目を期待していたのだが、結局、(IV)でおしまい。
ステレオサウンドにはいってから、先輩のIさんにたずねた。
「どうして、芳津翻人さんを使わないんですか」と。

まったく想像してなかった答えだった。
「芳津翻人さんは、瀬川先生のペンネームだから」。
さらに「芳津翻人を違う読み方をしてごらん。ハーツフィールドと読めるでしょ」。

JBLのハーツフィールドは、瀬川先生にとって憧れのスピーカーだったことは、どこかに書いておられる。
ただ山中先生のところで聴かれたとき、憧れのスピーカーではあっても、
自分の求める世界を出してくれるスピーカーではないことを悟った、ということも。

それでも憧れのスピーカーは、いつまでも憧れであり、芳津翻人という名前をつくられたのだろうか。

瀬川先生だということをわかった上で読みなおすと、たしかに「瀬川氏」とよく出てくるし、
音の評価も、瀬川先生とよく似ている。

オーラトーンのスピーカーは好みと違うとあるし、ドイツのヴィソニックの評価はなかなか高い。
このへんは、まさに瀬川先生とそっくりだ。

瀬川先生がいなくなり、芳津翻人さんもいなくなった。

http://audiosharing.com/blog/?p=635


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930stとLNP2(その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=636

1977年には、国産のプレーヤーシステムは、ほぼすべてダイレクトドライブになっていた。
ワウ・フラッターは、930st、401よりも一桁以上少ない優秀さで、
401のように、ある程度の重量のあるそしてがっしりしたキャビネットに、取付け方法も工夫しないと、
ゴロが出るようなモノは皆無だった。

使いやすく性能も優れているにも関わらず、大事な音を再現してくれる良さから、瀬川先生は、
あえて旧式の930stや401を選択されるとともに、
「このところ少しDD(ダイレクトドライブ)不信」みたいなところに陥っているとも発言されている。

401を中心としたプレーヤーは、EMTではなくオルトフォンとエラックのカートリッジの組合せで構成されている。
これは、EMTのTSD15を単体で使ってほしくないという、気持の現われからだろう。

さらに「コンポーネントステレオの世界 ’78」では次のように語られている。
「このプレーヤー(930st)にはイコライザーアンプが内蔵されていますから、LNP2Lというコントロールアンプをなぜ使うのかと、疑問をもたれるかもしれません。事実その点について、他の場所でもいろいろな方から訊ねられます。念のためにいえば、930stのいわゆるライン出力をアッテネーターを通してパワーアンプに入れれば、スピーカーから音が出てくるわけですね。それなのになぜ、コントロールアンプを使うのか。
 これは自分の装置で長時間かけて確かめたことですが、プレーヤーのライン出力をアッテネーターだけを通して直接パワーアンプにいれるよりも、このマークレビンソンのコントロールアンプで、しかもイコライザーを使わないで、AUXからプリアウトまでの回路を通した音のほうが、いいんです。つまりLNP2Lの半分しか使わないことになるんだけれど、そうやってスピーカーを鳴らしたほうが、音楽の表権力や空間的なひろがりや音楽のニュアンスなどが、ひときわ鮮やかに出てくるんですね。このことは、技術的にいえばおかしいのかもしれません。しかし現実問題としては、私の耳にはそういう形にした場合のほうが音がよく聴こえるわけです。」

http://audiosharing.com/blog/?p=636


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930stとLNP2(その8)
http://audiosharing.com/blog/?p=637

LNP2Lは、フォノ入力から出力まで計3つのモジュールを、信号は通っていく。
だから、フォノアンプを使わないでも、3分の2は使っていることになるし、
瀬川先生のLNP2Lはバッファー搭載だったはずだから、4分の3の使用となる。

とはいえ瀬川先生はまったくLNP2Lのフォノアンプを使われなかったかというと、そうでもないだろう。
ステレオサウンド 38号の瀬川先生のリスニングルームには、
930stの他にラックスのPD121にオーディオクラフトのAC300MCの組合せがあり、
写真をよく見ると、EMTのXSD15が取りつけてある。930stにはTSD15の旧型がついている。

「コンポーネントステレオの世界 ’78」でも、
「自分自身では、そういいながら、トランスと組合せて単体でよく使いますけど、
これはEMTの癖を十分に知っているんでやっていることで、ふつうの方にはあまりおすすめできません」と。

これはLNP2Lのフォノアンプに接がっていたのだろう。

ところでLNP2にはなかった入力端子が、JC2にはついていた。
REMOTE PHONOという端子で、これはAUXと同じライン入力。
つまり、イコライザーアンプ内蔵のプレーヤーを接続するための端子なのだろう。

JC2が登場した1974年、イコライザーアンプ内蔵のプレーヤーシステムは、EMT以外に何があったのだろうか。
私が知る限り、少なくとも日本に輸入されていたモノには、ない。

マーク・レヴィンソンは、自宅ではLNP2よりもJC2を常用している、とインタビューで答えている。
ということは、レヴィンソンはEMTのプレーヤーを、この時期、使っていたのだろうか。
http://audiosharing.com/blog/?p=637


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930stとLNP2(その9)
http://audiosharing.com/blog/?p=638

「インドに行き古典音楽についての勉強をアリ・アクバール・カーンの示した道に沿ってすすめたい」と考え、
1972年に旅券と飛行機の切符まで手にしていたマーク・レヴィンソンは、
録音器材を入手するために、わざわざスイスに立ち寄っている。
なにもスイスまで行かなくてもアメリカでも手に入るものだろうと思うのだが、
レヴィンソンはステラヴォックスを訪ねている。

ここでステラヴォックスの社主のジョルジュ・クエレに相談にのってもらい、演奏家の道を断念し、
オーディオ・エレクトロニクスへ向かう道を選択している。

クエレとの対話の中で、エレクトロニクスの道に進みながらでも、
「音楽に対するひとつの精神的な基盤を維持することは可能なのだという確信」を得たからである。

その基盤とは「沢山の人々がレコードをきくことに対して抱いている欲求、それを満たすために、
テクノロジーを音楽および音楽家に奉仕するものとして使うことの必然性をはっきりと認識すること」と、
ステレオサウンド 45号に掲載されている特別インタビューで語っている。

70年代当時、アメリカでEMTがどういう位置づけにあったのか、輸入されていたのかは、はっきりしない。
ステラヴォックスを買いに、わざわざスイスまで行くということは、意外にも輸入されていなかったのかもしれない。
そうだとしたらEMTも輸入されていたどうかは微妙なところだろう。
それとも輸入されてはいたけれど、旅費を使ってでもスイスで買ったほうが安かったのかもしれない。
まだ会社を興す前の話である。

スイスには、トーレンスがある。
http://audiosharing.com/blog/?p=638


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930stとLNP2(その10)
http://audiosharing.com/blog/?p=639

レヴィンソンがスイスに渡ったときに、
トーレンスのベルトドライブ機をベースにしたEMTの928の存在を知ったのか、
それ以前に知っていたのか、どうかは判断しようがないが、
ほとんどなんの根拠もない推測(妄想にちかい)だが、928を使っていたのではないかと思えてくる。

927Dst、930stのイメージと若き日のレヴィンソン自身のイメージがうまく結びつかないのと、
928ならば、なんとなくレヴィンソンが使っていても不思議ではないという気がするというだけなのだが……。

もしそうだとしたら、JC2のREMOTE PHONOの説明がつく。
電源がPLS150への変更による強化、入出力端子がRCA端子からCAMAC規格のLEMO端子になったときに、
シリアルナンバー2148番からのJC2(日本での型番はJC2L)にはREMOTE PHONO端子はない。
かわりにPHONO入力が2系統に増えている。

さらに内部も変更が加えられ、フォノカードに、A3、D5、D6の3種類が用意されるようになった。
A3が、いわゆる通常のフォノ入力で、MM型カートリッジもしくは昇圧トランス、ヘッドアンプ用。
D5、D6はMC型カートリッジ用で、D5カードの説明には、
System D5 offers 54 and 60dB gain positions. 54dB is recommended as the optimum for the EMT cartridge. The gain setting will yield an incredible signal to noise ratio without overloading for EMT.
と記されている。

D5カードがゲインを54、60dBに切り換えられるように、A3カードも、30、40dBと切換え可能だ。
こちらの説明は次のとおり。
Certain high output moving coil cartridges such as the EMT, the Supex 901, the Satin, and the Ultimo, may be used in more efficient systems with the 40dB gain implemented.

少なくともEMTのカートリッジは使っていたのだろう。

http://audiosharing.com/blog/?p=639


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930stとLNP2(その11)
http://audiosharing.com/blog/?p=640

LNP2のモジュールの数は通常で、VU駆動用のものを含めて8つ、オプションのパッファーを加えると10。
JC2とはいうと、フォノアンプ、ラインアンプのモジュールがそれぞれ2つずつ、
それにフォノアンプ・モジュール用の専用の電源モジュールの計5つ。
オプションとして、ヘッドアンプのJC1のモジュールタイプ(JC1SM)を、
フォノアンプ・モジュールの間に組み込めるようになっている。

フォノアンプ・モジュールはフロントパネル寄りにあり、モジュールとリアパネルのあいだに、
RIAAイコライザー用のカードが挿さっている。
コンデンサー、抵抗から構成されている。このカードが、フォノアンプのNFB素子となる。
このカードを交換することで、JC2のフォノアンプは、A3、D5、D6システムへとなる。
シリアルナンバー2148以前のJC2はどうなっていたかというと、ABCDEFの6つのシステムが用意されていた。
JC2のINSTRUCTION MANUAL には、こうある。

A System
Two UP-1A cards are normally supplied with the JC-2 unless otherwise specified. This system accepts Input impedance: 47kOhms.
B System
The UP-1B system offers lower sensitivity but increased headroom for the highest output magnetic phono cartridges.
C System
This set provides exact equalization for the Brüel & Kjaer series of cartridge measurement records. Information on request.
D System
This system includes two UP-1D cards and a JC-1SM module. It offers DIRECT moving coil cartridge input.
E System
Provides equalization and DC current source for certain gauge cartridges. Information on request.
F System
Flat response amplification. Specify application and requirements.

http://audiosharing.com/blog/?p=640


▲△▽▼

930stとLNP2(その12)
http://audiosharing.com/blog/?p=641

LNP2のフォノアンプには、このようなキメ細かい対応は用意されていない。
両機種のブロックダイアグラムやこれらのこと、
さらにLNP2は信号系のモジュールはすべて共通だが、
JC2はフォノアンプとラインアンプのモジュールは回路構成からして異ることなどを比較してはっきりしてくるのは、
JC2はアナログディスク再生に、LNP2はライン入力に主眼がおかれていることだ。

JC2の、この構成は、のちにディネッセンのJC80を生むことにつながっていく。
そしてJC2のもつ可能性が本領発揮となるには、ML6までの時間を必要とした。
JC2は未完の大器的色あいが濃い。

このことは別項「Mark Levinsonというブランドの特異性」で書く予定だが、
もう少し先、というかかなり先になりそう。

実は、この項は2回で終るつもりだったのが書いているうちに(その12)になってしまった。
ML6のことも書き始めると、かなり長くなりそうな気がする……。
http://audiosharing.com/blog/?p=641


▲△▽▼

930stとLNP2(余談)
http://audiosharing.com/blog/?p=642

瀬川先生は、ステレオサウンド 55号でも、専用インシュレーター930-900なくしては、
「930stの音の良さは全く生かされない」と断言されている。
「コンポーネントステレオの世界 ’78」の組合せで、当然使われている。

930-900をお使いの方ならば、後ろ側に短いリード線が出ているのに気づかれているだろう。
意外と、このリード線をどこにも接がず、そのままにされている方も少なくないようだ。

930-900についてくる、たった1枚の説明書(ともいえいない内容)には、
どこに接続しろ、とは書いてなかったと記憶している。
不親切だともいえるのだが、930stはプロ用機器であり、
これを使うのは本来プロの現場に携わっている人たちだから、
そんなことは書かなくてもわかっているだろう、とEMTの人たちは考えていたのだろうか。

たしかにそうなのだが、それでもインシュレーターだけで約30万円もするのだから、
輸入元が独自に説明書をつけてもよかっただろうに、とは思う。

ではどこに接続するのか。

930-900から出ているリード線をよく見てほしい。
黄色と緑のまだら線だ。基本的にこれはアース用の配線を示している。
次に930stの出力端子の周辺をじっくり見てほしい。
このコネクターを固定しているネジのところに、同じ模様のリード線が接続されているはず。

私は101 Limitedを使っていたとき、ここに接続していた。
これ以外に接続はできない。ちょうどよい長さになっていることにも気がつく。

もっとも接がなかったからといってハムが出たり不具合が生じるわけではない。
ただ、いまのように高周波ノイズが飛び交っている状況では、
原則としてデッドメタル(どこにも接続されていない金属)は極力なくしたい。

デッドメタルをなくすことで、ほんのわずかSN比が向上するかもしれないし、
場合によっては、音が悪くなることもないわけではない。

ここは先入観をもたずに音を聴いて、どうするかは判断してほしい。

http://audiosharing.com/blog/?p=642


▲△▽▼

930stとLNP2(補足)
http://audiosharing.com/blog/?p=643

EMTとプロ用機器のメーカー、トーレンスはコンシューマー用機器のメーカー、
トーレンスのプレーヤー(TD125)をプロ用機器として仕上げたのがEMTの928であり、
トーレンス同様、コイルスプリングによるサスペンション機構を備えているし、
三相シンクロナスモーターを使用していところは、930stも928も同じだが、
928は発振器とアンプによる駆動方式を採用することで、電源周波数の50Hz、60Hzに関係なく使用できる。

ただストロボスコープに関しては、切替スイッチがついている。

930stと928は、アイドラーかベルトかという違い以上に、
細部を見ればみるほどコンセプトそのものの違いがわかってきておもしろい。

930stとトーレンスの101 Limitedにも、ちいさな違いがある。
すべてのロットがそうなっていたのかまでは不明だが、少なくとも私が使っていた、ごく初期のモノは、
出力端子の裏側に抵抗がハンダ付けしてある。
930stの回路図には、この抵抗は存在しない。

101 Limited (930st) の出力端子は、1a、1bが右チャンネルの+と−、4a、4bが左チャンネルの+と−で、
この抵抗は1aと1b、4aと4bを結ぶように取りつけられている。
出力に対し並列に入っているわけで、インピーダンス整合のためのものであることは、はっきりしている。

930stはプロ用機器でプロが使うモノとして、この抵抗は取りつけられていない。
930stが使われる現場では、必要のないものだし、使う人もインピーダンス整合のことは理解しているからだ。

その930stをコンシューマー機器として出すにあたっての、これは、トーレンスの配慮であろう。

101 Limitedが使われるであろう、一般家庭にあるコントロールアンプで
600Ω(もしくは200Ω)の入力をもつモノは、まず存在しないからだ。

トーレンス101 Limitedは、930stの色を塗り替えただけのモノではない。
たった抵抗2本のことにすぎないが、ここにメーカーの良心を感じる。

http://audiosharing.com/blog/?p=643


▲△▽▼

瀬川冬樹氏のこと(その58)
http://audiosharing.com/blog/?p=645

知りたかったことが、もうひとつ「コンポーネントステレオの世界 ’78」にあった。
瀬川先生がヨーロッパのコンサートホールでの低音について、どう感じておられたか、があった。
     ※
パワーアンプにSAEのMARK2600をもってきたことの理由の一つは、LNP2Lを通すと音がやや細い、シャープな感じになるんですが、このパワーアンプは音を少しふくらまして出すという性格をもっているからです。
それを嫌う方がいらっしゃることは知っています。しかし私の貧しい経験でいえば、欧米のコンサートホールでクラシック音楽を聴いて、日本でいわれてきた、また信じてきたクラシック音楽の音のバランスよりも、低域がもっと豊かで、柔らかくて、厚みがある音がするということに気がつきました。そこでこのMARK2600というパワーアンプの音は、一般にいわれるような、低域がゆるんでいるとかふくらみすぎているのではなく、少なくともこれくらい豊かに低域が鳴るべきなんだと思うんですね。
     ※
やっぱりと思い、うれしかった。
この発言から30年が経っているいまも、日本では、低音を出すことに、臆病のままではないだろうか。

http://audiosharing.com/blog/?p=645



▲△▽▼

930stとLNP2(その5・補足)
http://audiosharing.com/blog/?p=646

(その5)に書いた4343の組合せのトーンアームに、フィデリティ・リサーチのFR64がある。
これはFR64Sのほうではなく、アルミニウム製のFR64を選ばれている。
こちらを瀬川先生は高く評価されていた。

一般に評価の高いステンレス製のFR64Sについては、「私の試聴したものは多少カン高い傾向の音だった。
その後改良されて音のニュアンスが変っているという話を聞いたが、現時点(1977年)では64のほうを推す次第。」
とステレオサウンド 43号に書かれている。

もう1本のほう、オルトフォンのRMG309については、こう書かれている。
「SPU(GおよびA)タイプのカートリッジを、最もオルトフォンらしく鳴らしたければ、
やはりRMG309を第一に奨めたい。個人的には不必要に長いアームは嫌いなのだが、
プレーヤーボードをできるだけ堅固に、共振をおさえて組み上げれば、しっかりと根を張ったようなに安定な、
重量感と厚みのある渋い音質が満喫できる。こういう充実感のある音を、
国産のアームで聴くことができないのは何ともすしぎなことだ。」

この時期、オルトフォンのRMG212が再発売されている。
かなり以前に製造中止になっていたのだが、
瀬川先生が、1975年に来日したオルトフォンの担当者に要請したのが、再生産のきっかけである。

こうやって読んでいくと、瀬川先生がアナログプレーヤーに求められていたものが、
すこしずつはっきりしてくるような気がする。

http://audiosharing.com/blog/?p=646

3. 中川隆[-5605] koaQ7Jey 2021年4月17日 14:57:01 : RSLdzPRb1s : Y0wwMFV6MDlreDI=[34] 報告
瀬川冬樹 その3




故瀬川冬樹氏の晩年の講演会の模様、BBCモニターについて語っています。
4. 中川隆[-16054] koaQ7Jey 2021年7月26日 08:04:59 : L74jVt1sps : d1BvM3NxcG10VGM=[14] 報告
audio sharing _ 瀬川冬樹の評論集
http://audiosharing.com/people/segawa/segawa.htm
5. 2021年12月13日 14:04:44 : RSGtosblgs : NHNsbDNWNENiRm8=[10] 報告
Date: 8月 2nd, 2016
岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その15)
http://audiosharing.com/blog/?p=20166

グッドマンAXIOM 80からJBLへ。
岩崎先生も瀬川先生も、この途をたどられている。

岩崎先生はAXIOM 80からD130へ、
瀬川先生は175DLHへ。

そう思っていた。
瀬川先生がD130を鳴らされていたことを想像できなかったことが、
そう思わせた、ともいえる。

けれど瀬川先生もD130を鳴らされていた時期があった。
その話を、元サンスイのNさんから聞いたのは何年前になるだろうか。

とても意外な気がした。あまりにも意外だったので「ほんとうですか?」といってしまった。
冷静になって瀬川先生が書かれたものをふりかえってみれば、
D130を鳴らされていても不思議ではないことにも気づく。

たとえばステレオサウンド 9号ではこう書かれている。
     *
 LE15Aに変えたとき、それまで間に合わせに使っていた国産15インチにくらべて、大口径とは思えないそのあまりにも軽やかな中音域にすっかり感心したものだったが、そこがマニアの業の悲しさ、すでに製造中止になった150−4型ウーファーの方が、375ともっとよく音色が合うのではないかと、つい思いはじめる。しかも150−4を最もよく生かすエンクロージュアは、これも製造中止になったハーツフィールド≠フはずだ……。
     *
瀬川先生のハーツフィールドへの憧れは、
ハーツフィールドの当て字のペンネーム、芳津翻人(よしづはると)を使われていたことでもわかる。
ステレオサウンド 9号には、こんなことも続けて書かれている。
     *
何年かかるか知らないが、なんとか手段を労して、いつかわがものにしてみたいと企んでいるが、はたせるかどうか。現用の箱をいま無理してオリムパスあたりに代えてしまうと、ハーツフィールド%手の努力も鈍るだろうから、その意味では、今の箱でもうしはらく我慢している方がいい。ものは考えようというわけだ。
     *
結局、ハーツフィールドは瀬川先生にとって求める音でないことを悟られる。
とはいえ、ここまでハーツフィールドに憧れていた人で、
150-4についても上記のように書かれているのだから、D130に関心を持たないわけがない。
そのことに気づく。
http://audiosharing.com/blog/?p=20166


Date: 12月 12th, 2021
岩崎千明氏と瀬川冬樹氏のこと(その16)
http://audiosharing.com/blog/?p=36207

(その15)は、もう五年前。

その冒頭に、
グッドマンAXIOM 80からJBLへ。
岩崎先生も瀬川先生も、この途をたどられている、と書いた。

岩崎先生とAXIOM 80が結びつかない──、という人はいてもおかしくない。
でも、岩崎先生はJBLのパラゴンを鳴らされていた同時期に、
QUADのESLも鳴らされていた。

そのことを知っていれば、それほど意外なことではないはずだ。
とにかく瀬川先生もAXIOM 80だった。
そしてJBLへの途である。

岩崎先生も瀬川先生も、
最初のころは、JBLのユニットを使っての自作スピーカーである。

瀬川先生は、JBLの完成品スピーカーシステムとして4341を選択されている。
岩崎先生はパラゴンである。
その前にハークネスがあるが、これはエンクロージュアの購入である。
そしてパラゴンのあとにハーツフィールドも手に入れられている。

ハーツフィールドは、瀬川先生にとって、憧れのスピーカーである。
そしてパラゴンに対しては、ステレオサウンド 59号で、
《まして、鳴らし込んだ音の良さ、欲しいなあ。》とまで書かれている。

岩崎先生は、(その1)で引用したスイングジャーナルでの4341の試聴記である。
正しくは4341の試聴記ではなく、スタックスのパワーアンプの試聴記なのだが、
その冒頭を読んでいると、4341の試聴記なのかと思ってしまう。

4341の音を、
《いかにもJBLサウンドという音が、さらにもっと昇華しつくされた時に達するに違いない、とでもいえるようなサウンドなのだ》
とまで高く評価されている。

それだけではない、岩崎先生の4341の音の表現は、
瀬川先生の音の表現に通ずるものが、はっきりと感じられる。

http://audiosharing.com/blog/?p=36207

6. 中川隆[-12267] koaQ7Jey 2023年10月18日 07:24:05 : INKE3lGsVE : MnlRU1puRUIvL0E=[3] 報告
<■73行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
「音楽&オーディオ」の小部屋
署名入りの書評は当てにならない
2023年10月18日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/1b4192e29aee66f18815804d7ae39f71

「外山 滋比古」(とやま しげひこ:お茶の水大学名誉教授)氏のエッセイ「新聞大学」を読んでいたら、次のような箇所があった。(84頁)

    

「新聞はそろって日曜に読書のページ、書評のページをこしらえている。読書好きの人への手引きとして新聞はユニークである。3ページから4ページがそれに当てられるが、取り上げられるのは専門書が多い。

そうでなくても堅い本ばかりが取り上げられているから読者には今一つ物足りないのである。面白い、というような書評にはあまりお目にかからない。書評に署名があるからである。かっては、無署名が普通であったが今は肩書付きの名前が出る。

署名が有る無しなど、呑気な人は問題にしないようだが大違いである。匿名の方がいい書評ができる。身分を明かした原稿にはいろいろのシガラミがまつわりやすい。著者への気兼ねもある。出版社への配慮もある。縁のある出版社の本を悪く書けば面白くないことになる。

というのが、普通の人の思惑だろう。著者との関係もデリケート。本当のことを書けば社交上おもしろくないことになるという心配をしないほどの人物は書評などしない。」

以上のような内容だった。

つまり「署名がある書評はいろんなシガラミがあるので本当のことを書いていない。あまり当てにはできない。」というわけ。

ネット情報に象徴されるように「署名がない無責任な記事」の悪口はこれまで散々耳にタコができるほど聞かされてきたが、これが「書評」ともなるとすっかり攻守ところを変えるらしい(笑)。

実はなんでこんなことを話題にしたかといえば、やっぱりオーディオがらみなのである。

これを読んで真っ先に脳裡に浮かんだのがオーディオ評論家の存在だった。オーディオ機器に対する評価のケースとまったく似ている!

以下、我が経験に照らし合わせて遠慮なく言わせてもらおう。署名無しだからほんとうのことが言える(笑)。

今でもオーディオ愛好家の間で語り継がれているように1970年代はオーディオの全盛期だった。我がオーディオの黎明期と丁度重なっていた時代である。

国内では「トリオ、サンスイ、パイオニア」がオーディオ御三家として君臨していた夢のような時代だった。今となってはこの御三家は影も形もない。

いずれにしろ当時は夢中になって、それこそ鵜の目鷹の目でいろんなオーディオ雑誌を読み漁ったものだったが前述のようにたいへんな活況を呈していたオーディオ業界において評論家といえばメーカーや販売店にとってまさに神様のような存在だった。

何といってもその発言次第でオーディオ機器の売れ行きが左右されるのだからどうしようもない。

一読者としても当時のお気に入りだったタンノイさんに関する記事などは活字に穴が開くほど何回も読み耽ったものである(笑)。

当然のごとくオーディオ評論家の発言も一喜一憂しながらまともに受け止めていたので、つい甘言に釣られてしまい、いろんなオーディオ機器を買い漁ってはガッカリして二束三文で下取りしてもらい、また新たな機器を購入するというアリ地獄に陥ってしまった。

素直に記事を信用してしまった自分が愚かだったのだろう。評論家だっていろんなシガラミの中で記事を書いていたであろうことは今となっては容易に想像できる。

さすがにオーディオ専門誌側も反省したのだろうか、「ブラインドテスト」(機器のメーカー名を伏しての試聴テスト)なるものを実施したケースもときどき見受けたが、名もしれぬ三流メーカーが評価が良かったりして”ちぐはぐ”さが目立ちこの種のテストは自然に立ち消えとなった。

むしろ評論家がブランドの先入観に左右されることが証明され、かえっておかしな結果になったことは想像に難くない(笑)。

しかし、いたずらに評論家を謗るわけにはいかない。私たちだってある程度ブランド名に気分的に左右されていることは、きっと身に覚えがあるはずだ。

いずれにせよ、こういう失敗は前向きに考えて現在に至るまでの授業料だと割り切ればいいのだろうが、あまりにも高くつきすぎた感がして悔しさだけが未だに残っている(笑)。

大いに懲りたのでここ20年ほどはオーディオ雑誌はあまり読まないし、読む機会があったとしても「ホンマかいな?」と半信半疑のまま活字を追っている。

当時の評論家諸氏は大半が鬼籍に入られており、現代のオーディオ評論家の実状がどうかは知らないが、いろんなシガラミのもとでホンネが吐けない状況が昔と現在とそれほど変わりがないことは十分推察できる。

したがって、オーディオ雑誌の内容をむやみに信用しない方がいい、と思いますよ〜。

むしろ無記名のネット情報の方が信用できると思いませんかね。

おっと、これは手前味噌かな(笑)〜。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/1b4192e29aee66f18815804d7ae39f71

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