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真理の徒は石もて追われ _ 日本人が自分達の間違いを明らかにする人間を絶対に許さない理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/481.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 6 月 18 日 06:57:22: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 日本人は被支配者に関する情報を支配者へ知らせる密告には寛容だが内部告発には厳しい 投稿者 中川隆 日時 2019 年 4 月 14 日 07:58:50)


真理の徒は石もて追われ _ 日本人が自分達の間違いを明らかにする人間を絶対に許さない理由


チャンネル桜が youtube に流している南京大虐殺等の悪質なデマの間違いをコメント欄で指摘するとすぐに削除されます:

水島総 チャンネル桜社長が「(ハエみたいな人達からの)コメント削除を指示した」と番組内で発言 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=RnLCOmS9Ll0


2013/03/26 に公開


チャンネル桜の Youtube動画(特に水島出演枠)のコメントは日常的に社長の水島氏と配下のスタッフがチェックし削除、アカウントブロックしますが、最近さらに徹底してるようです。

ニコ動の方も削除されるようになりました。

先日水島社長が番組内で次のように発言

「ちょっとうちの方でも報告あって、私もちらほらみて指示しましたけど、

Youtubeにいろんな書き込みがあってね。TPP批判と安倍批判とね、繰り返し分けて貰わないといけないと思いましたけどそれが出来なかった、ということでね、

分けられなきゃいけないのを分けられなかったので、まああのチャンネル桜のという姿勢に対する批判というものは判断してどんどん削除していいと言う風にしました。

なんかこういうので両論併記でやった方がいいなんて、んなもの、私はそれはいいよと、両論併記と良く民主主義と言いながら、私たちの放送はね別に民主主義のあれじゃなくて、ちゃんとこういう論理でやってます。

て事をいいながらしかし幅広く、皆さん色んな人出て頂いてね、そこがね、あの偽善の装うものと違うって事を改めて言いたいと思います。」


チャンネル桜の水島社長はNHK批判できませんねw

自分のアンチや批判的な人をハエと表現した ch桜の水島社長は自分の事を汚物だと思っているようだ。ハエは汚物にしかたからない。


チャンネル桜の水島総は平気で嘘をつき謀略報道をするペテン師
http://www.youtube.com/watch?v=krNhaY...

チャンネル桜の水島社長はデマや脳内妄言を「その筋」、ソース元の明らかでない「独自情報」とやらで既成事実化し謀略嫌がらせ工作・歪曲・捏造・流言煽動偏向報道します。水島総氏が意図して執拗にやってきた悪質なデマゴギーによる名誉毀損と脅迫は明らかに刑事事件対象になり得るもので、脅迫罪と名誉毀損罪で刑事告訴出来るものです。水島総氏は犯罪行為を公然とやってきました。水島氏に募金しないでください。犯罪に使われます。

今必死に謀略報道をやっていたのを隠すためのカモフラージュ・アリバイ工作しています。水島社長の作るアンチ石原謀略番組のyoutube動画内容に対する異論を書くとコメント削除とブロックされます。

動画は、チャンネル桜の水島社長(と水島社長御用言論人)によって繰り返される一線を越えた、デマ煽動・妄言煽動・ダブルスタンダード煽動による確信犯の嫌がらせ報道対策の一環で作成し、アップロードしています。
https://www.youtube.com/watch?v=RnLCOmS9Ll0

▲△▽▼


経済評論ではまともな事を言う三橋貴明ですら、歴史問題では水島社長の嘘をそのままオウム返しに繰り返して水島社長のご機嫌取りをしていますね:


チャンネル桜の常連の三橋貴明はチャンネル桜関係者の受け売りしかできないアホだった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/374.html

チャンネル桜のアホ番組に出演する自称専門家の話は信じてはいけない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/399.html

▲△▽▼

東海アマブログ  人間は、どういう状態で楽しく生きてゆけるのか? 2019年06月17日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-778.html


 人間は、何をもって満足できるのか? 何を求めて生きているのか?
 といえば、まともな感覚の満ち主ならば、楽しい生活、楽しい人生」を求めているのである。

 「楽しい生活」という中身は、「一方的な圧力のある人間関係や、物質的不足による飢餓のような苦しみのない生活」と考えてもよく、また、笑顔にあふれた「孤独でない生活」というのも当たっていそうだ。

 私は、前回のブログでも書いたように、「共同すること」、ワイワイガヤガヤとみんなで一緒に仕事をし、生活するのは、とても楽しいのではないかと考えている。

 しかし、傍目から見て、どうみても「楽しくない生活」というのがある。
 それは、「他人を見下す」ことだけが人生の目標のように思い込んでいる人たちで、誰に対しても偉そうに命令ばかりしてみたり、他人を追求して苦しめることを生き甲斐にしていたり、自分だけトクすることが至上の快楽であるかのように勘違いしたりして、「他人の笑顔で癒やされる」ことを知らない利己主義の人生である。

 本人は、他人から蛇蝎のように嫌われても、財産を殖やしたり、利権を増やしたり、他人を見下して、自分が社会的強者であると思い込むことに無上の喜びを感じることが人生の目標であるかのように思い込んでいて、人の幸福や笑顔なんて、さらさら興味がない。

 「自分だけが果実を独り占めにする」ことが「人生の勝者」だと思い込んでいるのだ。
 こう書けば、ほとんどの読者は、周囲に実在する、そうした人物の顔を思い浮かべることができるはずだ。

 なんで、そうなるのかというと、保育園・幼稚園から始まる資本主義思想の下での競争主義教育に洗脳されてしまっていることが大きい。
 幼稚園で、「かけっこ競争」が始まり、他人を押しのけて一番になれば顕彰されて喜ぶのが第一歩であり、絵を描かせれば、大人が勝手に序列をつけて公開する。

 小学生になれば、テストの成績で振り分ける、徹底的な序列教育がはじまる。
 そこから、子供たちは、劣等感と優越感の狭間で「どっちが上か」との競争意識のなかで生きてゆくことを強要され、世界観・人間観・社会観の基礎を、鋳型に押し込められるように作られてしまうのである。

 こうなると、「他人に勝つ」という価値観こそ、人間として求めるべき最高の義務であるかのように洗脳されてしまって、自分だけが他人より秀でること、いい思いをする利己主義こそが正しい価値観であり、人のために生きるなんて尾畠春夫さんのような利他主義の人生は、実に馬鹿馬鹿しい愚かな人生観、価値観であると思い込むようになる。

 他人の笑顔でなく、嫌がる、苦しむ表情を見て癒やされている人物が確かに存在している。

 それは、例えば、私を小馬鹿にする目的で作られた誹謗中傷サイトを書いている者たちがそうであるといえよう。
 https://love2mac2002jp.blog.fc2.com/

 これを書いているのは、https://twitter.com/inkanotatari というアカウントらしい。以前は、「インカの呪い」というアカウントだったが、誹謗中傷の連続で凍結されて、「インカの祟り」に変えているようだが、中身の救いがたい下劣さは全然変わっていない。

 彼らに共通するのは、「他人を見下したい」という強烈な自尊心の要求であり、他人を小馬鹿にすることが、自分の価値を上げるとでも思い込んでいるのか、ろくな知識もないのに、上から目線で人を批判したり、嘲笑するのが大好きである。

 私から見れば、軽薄な無知をさらけ出して大恥をかいているのに、私を見下して喜んでいるつもりになっているのだから始末に負えない。

 ツイッターにもたくさんいる。@tokaihomo というアカウントは、リンク先のIPから大垣市民病院から書き込まれていることが明らかになり、結局、Iという名東区在住の医師が書いているのだと分かったが、未だに、誰も読んでくれないのに、毎日大量に、私への誹謗ツイートを暇つぶしに書き続けていて、病院に電話したら精神異常者で患者の直接診療はさせていないという説明だった。

 このアカウントも、医師のIが書いていたようだ。
 
https://blog-imgs-77.fc2.com/t/o/k/tokaiama/hibou1.jpg


 この男は、自分が旭丘高校から東大医学部に進学したことを、しきりに自慢しているのだが、精神異常を来してまで、他人の誹謗中傷を生き甲斐にしているゴミ人生のどこが自慢できるのだろう?

 本人は、本気で自分が他人より優れているつもりでいるのだろうか?

  以下は、静岡県在住の自民党員・郵便局員だが、東京大森の局印を偽造して、私への嫌がらせの葉書を、たくさん送りつけてくるので郵政本部へ告発しておいた。
 
https://blog-imgs-77.fc2.com/t/o/k/tokaiama/hibou2.jpg


 他人を見下すことが、そこまで楽しいのか? この倒錯した価値観は、どこから来るのだろう?

 この種の俗悪下劣な嫌がらせ、誹謗中傷を行うのは、ほとんど自民党員である。結局、自民党というのは、資本主義における競争で勝者になることを最大の価値として共有する連中の集まりであり、徹頭徹尾、人に序列をつけ、強者にコンプレックスを抱いて阿り、弱者に優越感を抱いて小馬鹿にするという価値観を党是にしているように思われる。

 それ以上に、このように他人をディスリスペクト=小馬鹿にする価値観は、誰に対しても同じように抱くクセがつくのであって、もし、彼らが結婚でもしたら、妻に対しても、「自分のために利用する」という発想しか持てず、トラブルが起きれば相手を小馬鹿にし、全否定し、追放するという発想しか残らなくなる。

 こんな優しさのない下劣な精神の連中と結婚でもしたら、利用価値がなくなれば、たちまち追放されることになり、これ以上悲惨な夫婦関係はないということになる。

 だから、この種の誹謗趣味者の離婚や人間関係の破綻は、きっと桁外れに多いのではないか?

 私のブログにも直接嫌がらせを毎日、大量に書き込んでくるので、IPアドレスを捕捉分析してみると、直接、自民党本部から書いているものが多い。幸福の科学からも来ている。
 さすがに、うっとおしいので、コメントは書けないように設定してしまった。対話してみても、何一つ得るものがないのだ。

 私の価値観をいえば、利他主義こそ最高の人生観であり、我々は尾畠春夫という絵に描いたような利他主義の人物を実際に目撃することができて、人間と人生の究極の幸福、価値というものを考える大きなきっかけを与えてくれた。

 尾畠春夫のおかげで、日本に利他主義思想が急速に普及しているといってもいい。
 https://president.jp/articles/-/27439?page=2

 さて、これから究極の二極化社会が訪れると予言した人がたくさんいる。
 良く知られているのが宇宙人チャネラーとして知られるバシャールである。
 https://www.youtube.com/watch?v=ccsiHXMu_NM

 バシャールによれば、人類社会の二極化は2016年にすでに始まっており、ネガティブ社会とポジティブ社会が完全に分離して、来年2020年には、完全に分化して、互いを見ることさえできなくなり、2050年頃には、ネガティブ社会は、この世から消え去ってしまうと予言している。

 このポジティブという概念を理解する上で、尾畠春夫さんの人生観は決定的な役割を果たしてくれていると私は思う。つまり、私に言わせれば、ポジティブを利他主義と言い換えてもいい。

 逆にネガティブという概念は、上に紹介した私への誹謗者たちを見れば、これも一目瞭然で、二つの価値観は、完全に二極化して、もう交わることはない。互いに遠く離れてゆくとバシャールが予言しているのである。

 だから、私を誹謗中傷するのが生き甲斐になっている連中に対し、説得を試し見ても無駄であり、彼らは、自分たちの利己主義の価値観を後生大事に抱えて、あの世に向かって急速に移動してゆくわけだ。来年には、眺めることさえできなくなる。

 数十年後には、ポジティブな尾畠流人生観、つまり利他主義だけの世界がやってくる。
 世界から原発や核兵器のような馬鹿げた発想も消えてゆく。
 つまり、冒頭に書いた「楽しい人生」の社会がやってくる。

 「楽しい社会、楽しい人生」というものは、なにもかもポジティブな社会である。世界・社会を悪化させる強欲と利己主義が失われ、誹謗中傷も消え、「人の笑顔」で癒やされる人々の世界になる。言い換えれば「人の笑顔」を食べて生きる社会がやってくる。

 みんなが、強欲と横暴を小さくなってやり過ごすような卑屈な社会ではない。みんなが、能力を最大に発揮して、誰の抑圧も受けずに、のびのびと生きてゆく社会である。

 私が、1970年代に夢見ていた社会は、まさにそうした社会であり、これを「人間解放」と呼んでいた。

 「自由」とは、まさに、そうした社会を意味していた。
 https://www.youtube.com/watch?v=HudN7rgXORQ

 私は社会が完全に二極化、二分化して、互いに交わらず、ポジティブ社会だけになるというバシャールの予言は、まことに正しいと思っている。

 二極化については、木村藤子や江原啓之も同じようなことを述べている。それが、すでに始まっているというのも正しいと思う。

 しかし、今の段階で、究極のネガティブというべき安倍晋三自民党政権を支持している人たちも、ネガティブ社会に呑み込まれて、この世から失われていってしまうのだろうと予想している。

 彼らは、強欲と利己主義の価値観を大切にして、自民党政権(公明党や維新も同じだが)とともに、宇宙の彼方に消え去ってゆく運命だ。

 変わって登場するのが、尾畠春夫さんの意思を受け継ぐ利他思想の集団だと思う。

 もうすぐ、戦争やら、巨大震災やら、出口王仁三郎が予言した「大建て替え」という現象が起きて、日本の人口が数割に減ってしまうのは、まず間違いないだろうと思っている。

 もし起きなければ、日本の気温が50度にも達して、大量の人々が熱死することで、強欲社会の本質的な誤りに気づかされることになるだろうと思う。また福島第一原発のような巨大原発事故も続発して、安全な土地が失われてしまうだろう。電気や燃料の供給も厳しくなるだろう。食料も消えてゆくだろう。

 そうなると、大都会では生きてゆけなくなって、私が何度も書いているように、一定の集団で、共同体を結成し、山奥で生き抜くしかないと考えている。

 時代は、いよいよ切羽詰まっていて、私に対して嫌がらせを続けている連中は、やがて、オレオレ詐欺グループのように互いに殺し合うようになると考えている。放射能汚染をデマと言い続ける連中は、その放射能によって続々と死滅してゆくだろう。

 本当に我々の人生観が根底から試される時代が来ようとしている。

 利他主義に生きるのか? それとも利己主義に生きるのか? どちらを選ぶのかを問われるのである。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-778.html



▲△▽▼

大家族生活の良さ 2019年06月16日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-777.html

 柳田国男が、明治42年(1909年)に、白川郷を訪れたとき、大家族生活の印象を書き残している。

 http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2279832.html

 土地の不足なる山中の村にては、分家を制限して戸口の増加を防ぐことはおりおりある例なり。ただこの村の慣習法はあまりに厳粛にて、戸主の他の男子はすべて子を持つことを許されず、生まれたる子はことごとく母に属し、母の家に養われ、母の家のために労働するゆえに、かくのごとく複雑な大家内となりしのみ。
 狭き谷の底にてめとらぬ男と嫁がぬ女と、あいよばい静かに遊ぶ態は、極めてクラシックなりというべきか。

 首を回らせば世相はことごとく世紐なり。寂しいとか退屈とか不自由という語は、平野人の定義皆誤れり。歯と腕と白きときは来たりてチュウビンテンメンし、頭が白くなればすなわち淡く別れ去るという風流千万なる境涯は、林の鳥と白川の男衆のみこれを独占し、我らはとうていその間の消息を解することあたわず。

 引用以上

 ちなみに「チュウビンテンメン」という用語は、ネット上で探しても出てこない。広辞苑や大言海でも無理かも知れない。「秋風帖」という柳田の著作には漢字で出てくるものの、今では誰も理解困難だ。

 柳田が言いたかったことは、「白川郷の大家族生活には孤独が存在しない」ということである。しかし、冒頭の私のブログに書いてあるように、昭和初期には、女性たちは、高山や岡谷、富山などの紡織産業に出稼ぎに出ていて、ひとたび外の世界の「自由」に触れた者たちは、再び白川郷に戻らなかった。

 白川郷の労働が激しかった理由は、たぶん戦国時代に、煙硝=硝酸カリの製造法が発見され、その最適地として知られたのが飛騨合掌家屋であったことだろう。
 雪深く湿度が高い環境と、一軒家に多数の人々が暮らしているので、原料となる屎尿・青草の入手が容易な白川郷や五箇山では効率的な煙硝の製造が可能だった。加賀藩や高山藩が煙硝製造に焦って、住民たちに年貢の代替として無理な負荷をかけ続けた事情は容易に窺える。

 白川郷には男女の集団生活があったが、彼らはプライバシーに飢えていた。
 我々が、大家族生活の利点に憧れるとき、最も警戒しなければならないことが、人が多すぎてプライバシーがもたらす休息が失われることの可能性である。

 大家族には生活上の利点が実に多い。

 何よりも、食事、洗濯、買い物などで、たくさんの消費を効率的に満足させられるのである。一度にたくさんの仕事をするから、孤立した小家族に比べて、一人あたりの消費は実に合理的に行える。

 間違いを犯しても、仲間がすぐに指摘してくれるし、分からないことは教えてもらえる。
 
 生活の必要経費と労働量は、小家族と大家族では極めて大きな差が生じる。

 何よりも、一人主婦が家事を行うのと、数名でワイワイガヤガヤと共同して行うのでは、同じ家事でも雲泥の差、共同には人生の楽しさのエッセンスが詰まっている。

 一人の仕事はつまらない。人は共同にこそ人生のすべての楽しみを得られるように設計されているのである。

 洗濯機や冷蔵庫、掃除機など家電製品で考えれば、数名でも数十名でも同じ道具と時間ですんでしまうので、たくさん買いそろえる必要がない。

 老人や病人の介護が、一人の主婦に負担が集中する小家族とは比較にならないほど楽であり、何か困ったことが起きても、よってたかって解決する人が、たくさん出てくるのである。

 人が死んだときも、全体に及ぶ影響は、家族の規模が大きいほど小さなものになる。悲しみも、みんなが和らげてくれる。「孤独」って、どこの話? ということになるのだ。

 ここでネット上で、大家族生活の合理性について書かれているサイトを参照してみよう。

 山上家の節約術が凄い!家族10人で月30万円!?
 https://xn--bck9etdz48puxcfxu.net/bigfamily/bigfamly/yamagamike

 大家族貧乏ゆうり家の究極のこだわり節約術
 https://yuurin4children.com/daikazokusetuyaku/

 大家族すぎて生活苦に陥っている家庭の悩み 
https://mikle.jp/theme/%E7%94%9F%E6%B4%BB%E8%8B%A6+%E5%A4%A7%E5%AE%B6%E6%97%8F/

 これらの記事は、私の子供時代の家族感覚からすれば、大家族でもなんでもなくて、「普通家族」のものにすぎないが、それでも生活の大変さと、家族が多いことでの不便と合理性について触れている。

 私は「大家族生活」を考える場合、単位としては10〜20名程度を想定していて、10名以下は「普通の家族」であると思う。

 それに血縁ばかりが家族になるわけでなく、家族というより「共同体志向」を念頭に考える必要があると思っている。

 逆に大家族制度の不合理性=不便性について、ネット上で実情と意見を探しているのだが、なかなか発見することができない。

 小家族の合理性について探しても、まず出てこない。つまり、「小家族で良かった」との記事は見たことがない。

 「大家族はいいですよ」という記事はたくさん見かけるのだが、大家族のせいで自殺に追い詰められたとか、人生が窮屈で死にそうだとかの苦情を探すのは困難なのであり、小家族で幸せだったとの賛美も見つからない。

 せめて、「トイレが足らなくて、我慢してるうちに漏れちゃった」というような具体的な不便記事を探しても見つからない。
 
 それでも、大家族を未経験の人が真っ先に深刻に不安視するのが、プライバシーの侵害であり、隠し事ができないことへの恐怖であり、たくさんの人と同居することの閉塞感、圧迫感であろう。

 実際問題として白川郷の若い娘たちが、苛烈な冬の野麦峠を越えて、女工哀史に描かれた凄惨なほどの岡谷の生糸紡織産業に就業し、一日16時間の辛い肉体労働を強要されても、故郷に帰らなかった事情は、8畳間に同性の10人以上もが寝起きする合掌家屋の生活に、よほど嫌気がさしていたのではないかと思う。

 そこで、我々が窮乏する生活上の要請から、再び大家族生活に回帰するにあたって、個人のプライバシーと、大家族の合理性を、どのように両立させるか明確なビジョンを持って、計画的に準備することが必要というのが私の考えである。
 もうギュウギュウ詰の生活を我慢できる人も少ないだろうから、一定のプライバシーは、どうしても確保しておかないと、集団=共同体生活も成り立たないと考えている。

 そこで参考になるのが、ヤマギシ会のシステムである。
 http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/2348506.html

 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-23.html

 私は1973年頃、新島淳良がヤマギシ会の理事長だったころ、特別講習というのに参加したのだが、この頃のヤマギシ会は、本当に素晴らしかった。
 何より、参画者の女性たちが美しかった。化粧など誰もしていなかったが、人生や人間関係に対する喜びにあふれた表情は、一目見ただけで忘れられないほど美しいものだった。

 当時のヤマギシ会は、まだ貧しくて、みんな粗末なトタン張りの小屋に住んでいたが、それでも、ヤマギシズムと呼ばれた放し飼いに近い養鶏法が生活の主軸になっていたから、養鶏法をモデルとしたシステムに、人間も生活していたのである。

 ドーム型の長屋を区割りして個室が作られていたが、個室は四畳半くらいで、数名が生活していた。

 食事も洗濯も風呂も、すべて共同で行われ、強制は一切なく、本人の自主性だけに依拠した共同体がうまく機能していた。

 問題が出ると研鑽会が開かれ、みんなで意見を出して解決していた。

 大切なことは、ヤマギシ会においては、粗末ではあったが、それなりの個人のプライバシーが確保されていたということで、我々が共同体を志向するときも、必ず、共同性とプライバシーを両立させる生活システムを考える必要があると思う。

 その後、80年代末にも私は関わったのだが、その頃になると、いろいろな問題が噴出し、いわゆる「問題組織」とレッテルを貼られるようになったが、私は、詳細を知らない。ただ、結構豪華な個室が与えられていたことが印象に残っている。
 ちょうど70年前後の全共闘運動が80年代に近くなると、悪い意味での変質が起きていたことに似た、組織の統治に関する問題がたくさん出てきて、私は幻滅させられることが多く、ヤマギシとの関わりも失われた。

 リーダーが専用のベンツに乗って外出する姿を見たとき、「ヤマギシも終わったのか?」と強い不安に駆られた記憶がある。つまり、もの凄く儲かっていたことで、ヤマギシズムの本質を見失ってしまったのではないか? と私には思えた。

 今の段階では抽象的にしか語れないのが残念だ。当時は、私自身が地獄の釜のなかにいるような精神状態で、何をどうすべきかのビジョンが、まるで生み出せなかった。

 資本主義の爛熟過程では、みんな物質的欲望と見栄に取り込まれ、愛を見失い競争だけが生き甲斐になるような、人間性を見失った時代になってしまうのだが、それがバブル時代だったと思う。

 私もバブル時代の中で、価値観を見失い苦悩したが、今、再び、60年代のような民衆の貧しさが復活して、真実を見抜こうとする価値観が復権してきているような気がする。

 豊かさは人を愚かにするが、貧しさは人を賢明に育てるのである。みんなが貧しくなって、再び、我々の前に真実が姿を現しはじめた。それが共同体の復権であると、私は思う。

 共同体=すなわち大家族生活のことである。人が金ではなく、人に依拠して生き抜いてゆく。この世の本質は、金や差別ではなく、人間と、その愛であると気づいた人たちが、手を取り合って新しい社会を形成してゆくのである。

 まだ資本主義の競争社会に影響を受けて、人ではなく、技術や集団、組織の虚構に目を奪われて、「この世には人間と自然しかない」という真実を見抜けない人たちがたくさん生きている。

 彼らは、コンピュータ社会、IT・AIに過剰な幻想を抱き、それが人を支配するようになると勘違いしているが、決してそうではない。世界の本質は人間であり、金ではなく、技術でも権力でもない。
 人間だけを見つめて生きるために、我々には大家族=共同体生活が必要なのだ。

 また、共同体は、「そうしなければ生きてゆけない」という切羽詰まった現実の上に築かれるものであり、誰か頭の良い、えらーい人が登場してきて共同体社会を指導して回るわけではない。

 みんな、ときには「いやいや」団結し、共同してゆくのであって、団結のなかで、新しい価値、大きな合理性としての共同体生活を見いだしてゆくものだと私は思う。

 何度も書いているのだが、30年前に松原照子が予言したとおり、「日本人は草も食べられない」ようになりつつあり、もう大都会では餓死するしかない時代が目前に迫っていると思う。

 テレビでやってる山奥の「ポツンと一軒家」こそ、真の桃源郷になる時代が近づいているように私には思われるのだ。

 今は90歳近い老人が少人数で最期の日を待っているが、やがて、ここに若者たちが、未来を担う共同体を作り出す日がやってくると私は信じている。 
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-777.html

 

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