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自ら 映画『主戦場』 を宣伝してくれる右派出演者たち
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/486.html
投稿者 中川隆 日時 2019 年 6 月 22 日 20:36:16: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 従軍慰安婦問題で詐欺師 西岡力と櫻井よしこが流した悪質な嘘とデマ 投稿者 中川隆 日時 2019 年 1 月 03 日 08:04:05)


自ら『主戦場』を宣伝してくれる右派出演者たち
http://vergil.hateblo.jp/entry/2019/06/22/191326


■ 映画『主戦場』の衝撃

日本軍性奴隷(いわゆる「従軍慰安婦」)問題を扱ったミキ・デザキ監督の『主戦場』が、ドキュメンタリー映画としては異例の大ヒットとなっている。

何も知らない日系米国人の若造など丸め込むのは簡単だと見くびった右派の「論客」たちが嬉々として言いたい放題しゃべりまくり、ついで彼らの主張が何の根拠もないデタラメであることが一つひとつ暴かれていくのだから何とも衝撃的だ。

いま、日本の中学教科書には、右派から集中攻撃を受けた学び舎のものを除いて、日本軍性奴隷問題は一切書かれていない。このため若い人たちの大半はこの問題自体を知らないか、知っていてもマスコミやネットからの影響で間違った認識を持っている。

しかしこの映画は、監督自身が対立する両派の主張を聞きながら真相に近づいていくという構成をとることで、そうした人々の心にも届く力を持っている。それがこの映画の凄いところだ。

■ 提訴で始まる第二幕

映画が公開されて初めて自分たちが何をやらかしたか気付いた右派は、上映差し止めと損害賠償を求める訴訟を起こした。

旧日本軍の慰安婦問題を取り上げたドキュメンタリー映画「主戦場」について、修士論文に使うためと言われ取材を受けた内容が、商業映画に使われたのは不当などとして、ケント・ギルバート氏(米国弁護士・タレント)ら5人が映画の上映差し止めと計1300万円の損害賠償を求める訴えを6月19日、東京地裁に起こした。

原告はほかにトニー・マラーノ氏(注:テキサス親父)、藤岡信勝氏、藤木俊一氏、山本優美子氏。これ以前に、抗議する共同声明に名を連ねていた加瀬英明氏と櫻井よしこ氏は原告にならなかった。

一方の被告は、同作の監督をつとめた日系アメリカ人のミキ・デザキ氏と配給会社。

●「極右」などレッテル貼られた

訴状によると、原告は、原告へのインタビューを学術研究と卒業制作のために使う旨の合意があったのに、デザキ氏はそれに違反し、商業映画として映画を一般公開したと指摘。承諾なしで配給されており、原告が有する著作権や肖像権を侵害しているなどと主張している。

そのうえで、映画の冒頭で、原告らは「歴史修正主義者」「極右」「性差別主義者」などのレッテルを貼られ、いわれなき誹謗中傷を受けたとし、「修復不可能なほどに名誉を毀損された。原告らは執筆・言論・教育活動などをしており、今後の活動への悪影響は計り知れない」とした。

しかし、この映画は彼らが言ってもいないことを捏造したり、発言内容を歪曲したりはしていない。十分な長さのインタビュー映像をそのまま使っているのだから、文脈を無視した発言の切り取りにも当たらない。これが誹謗中傷だと言うのなら、まともな倫理感を持った人に聞かれたら軽蔑されるような愚かな発言を彼らがしているというだけのことだろう。

また、映画の公開に関しても、デザキ氏は記者会見で出演者と交わした承諾書と合意書を示し、彼らが一般公開される可能性を知っていたと反論している。それどころか、ケント・ギルバートなど劇場公開前にツイッターで宣伝までしている。(このツイートについた数多くのリプライが笑える。)

どう考えても、この訴訟で原告に勝ち目はない。しかも、こうして訴訟になったことで『主戦場』はさらに話題を集め、ますます多くの人が観に行くことになるだろう。

では、どうして原告らはこんな訴訟を起こしたのか。多分、これだけのヘマをやらかした上、訴訟も起こさず「やられっぱなし」に甘んじていたら、「業界」に居場所がなくなってしまうからではないだろうか。あくまで自分たちの「顧客層」向けに、強がって見せるためだけの訴訟なのだ。

http://vergil.hateblo.jp/entry/2019/06/22/191326  

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 中川隆[-9341] koaQ7Jey 2019年6月23日 03:13:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3146] 報告

映画『主戦場』は慰安婦問題をどう捉えたか ミキ・デザキさん 
市民メディア放送局 動画
https://shiminmedia.com/video/52077


こじれにこじれた日韓関係、なかでも戦争中の従軍慰安婦をめぐっては、双方の政府や市民社会の主張や行動がぶつかり合うたびに、解決からはますます遠ざかる様相を呈しています。慰安婦問題はどのような経緯で「問題」となったのか、どのような人がどんな論を展開しているのか。

日系二世の若きユーチューバーが、公正さと共感力でこのタフな戦場(バトルグラウンド)に挑みます。映画「主戦場」は4月20日より東京を皮切りに全国18館(4月16日現在)で公開予定。

映画『主戦場』公式サイト
http://shusenjo.jp/

ミキ・デザキ監督のYouTubeチャンネル『Medama Sensei』
https://www.youtube.com/user/medamasensei

2. 中川隆[-9340] koaQ7Jey 2019年6月23日 03:24:00 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3147] 報告

Racism in Japan 日本では人種差別がありますか?[字幕付き] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=MxnmMrWOj3c

Medama Sensei = ミキ・デザキ
2013/02/14 に公開


Is there racism and discrimination in Japan?
I was surprised to find out that almost all of my high school students (about 1000 students) were not aware of the racism and discrimination that goes on in Japan.
Racism and discrimination in Japan does exist, however, it is not a topic that is reported on enough in the news and is rarely talked about in the schools. As long as there is no discussion on racism and discrimination in Japan, people like the Burakumin, Zainichi-Koreans, and Okinawans will suffer in silence.

日本では人種差別ありますか?
びっくりしたのはこの質問を高校生に聞いたら、ほとんどの生徒がないと言ってました。日本では人種差別と差別ありますけど、あまりニュースに出ないし、学校で差別のレッスンをあまりやりません。いつまでも日本での人種差別や差別が話題にならなかったら、部落民や在日朝鮮人や沖縄人が静かに苦労します。


FAIR USE NOTICE: This video may contain copyrighted material. Such material is made available for educational purposes only. This constitutes a 'fair use' of any such copyrighted material as provided for in Title 17 U.S.C. section 107 of the US Copyright Law.

3. 中川隆[-9337] koaQ7Jey 2019年6月23日 03:42:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3150] 報告

Racism in Japan Part 2
日本では人種差別がありますか?パート2[字幕付き] - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=Ima17mX8_fU


2013/02/26 に公開


This is the second part of "Racism in Japan"

これは「日本では人種差別がありますか?」のパート2です。

Part 1 パート1
http://www.youtube.com/watch?v=MxnmMr...

Images from the video
ビデオの画像
http://imgur.com/a/GWzwY


Washington Post article
http://www.washingtonpost.com/blogs/w...


https://twitter.com/medamasensei
https://www.facebook.com/miki.dezaki.5


FAIR USE NOTICE: This video may contain copyrighted material. Such material is made available for educational purposes only. This constitutes a 'fair use' of any such copyrighted material as provided for in Title 17 U.S.C. section 107 of the US Copyright Law.

4. 中川隆[-9336] koaQ7Jey 2019年6月23日 05:13:39 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3151] 報告

映画『主戦場』は日本の「慰安婦タブー」に新しい風穴を開けるかもしれない
篠田博之 5/4
https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20190504-00124778/


4月30日『主戦場』上映後のミキ・デザキ監督(撮影筆者)


 ドキュメンタリー映画『主戦場』が4月20日に公開され、既に二度、観に行ってきた。配給会社のスタッフに「篠田さんは真っ先に来てくれると思ったのに試写会にも来てないのでどうしたのかと思ってました」と言われた。確かにその通りで、忙しさにかまけて出遅れたことを反省している。

 私の編集する月刊『創』(つくる)は、映画『靖国』や『ザ・コーヴ』が「反日映画」だとしてネトウヨの攻撃も含めて大きな騒動になった時、その一部始終を追いかけたし、『ザ・コーヴ』については、映画の上映中止が相次ぐ中で最初の大規模な自主上映も行った(警察が20人も出動する緊迫した中での上映だったが)。 

 慰安婦問題についても、2001年のNHK番組改変事件や、ネトウヨによる慰安婦問題の集会への攻撃、さらに2014年の朝日新聞バッシングまでフォローしてきた。

 そうした経緯を経て、いまや慰安婦問題そのものがタブーになってしまった状況があるのだが、今回の映画『主戦場』には、そうした閉塞状況に風穴を開ける可能性がある新しさを感じた。一番大きな要因は、これが日本人でも韓国人でもない、ミキ・デザキという日系アメリカ人の監督によって作られた映画だったことだろう。

『主戦場』(C)NO MAN PRODUCTIONS LLC


 この映画の特徴はあちこちで指摘されているように、慰安婦問題をめぐって激しく対立している左右両派の論客が登場していることだ。かつて慰安婦論争が『朝まで生テレビ』などで激しく展開されていた時期には、双方が顔を合わせて激論する局面もあったが、いまや「南京虐殺」や「慰安婦問題」は、マスメディアも「めんどうなことになる」という理由でほとんど扱わず、論争自体が封印されてしまっている。

 その封印された論争が、なぜこの映画で復活したかというと、上智大学大学院で学んできたアメリカ人が慰安婦問題に取り組んだという新しいシチュエーションだったからだろう。特に映画の中で「歴史修正主義者」とされているケント・ギルバート、藤岡信勝、杉田水脈、櫻井よしこ、それに加瀬英明といった「濃いキャラクター」の面々が次々と登場するのは、この映画にかなりのインパクトを付与している。

『主戦場』出演者たち


 それに対抗するリベラル派の吉見義明、渡辺美奈、中野晃一といった面々は、いいことを言っているのだが、キャラの立ち方がいまひとつ。彼らの発言だけだったら、この映画が地味なものになってしまったのは間違いないだろう。

 例えば杉田水脈議員など、昨年のLGBTに関する発言で『新潮45』を休刊させた事件で一気に知名度を上げたとはいえ、彼女の主張を映像ととともにじっくり聞く機会を得たのは、この映画が初めてという人も(私を含めて)多いのではないだろうか。

公開後の右派論客たちの反応と映画の手法

 いま映画が公開されて、そうした右派の論客たちは、多くが「騙された」と言っているらしい。実際、『正論』6月号でケント・ギルバートさんは「試写会に行ってきましたが、実にひどい映画でした」と書いているし、『月刊Hanada』6月号には「ドキュメント『主戦場』従軍慰安婦映画の悪辣な手口」というすごいタイトルの記事が掲載され、筆者の山岡鉄秀さんが末尾でこう書いている。

 「最後に、大変僭越なのを承知のうえで、保守系言論人の方々に助言したい。将来、取材依頼があったら、たとえ大学院生でも、必ず素性をチェックすることだ」

 アメリカ人の大学院生の研究のためと思って取材に応じた人たちが騙されたというわけだ。

 デザキ監督は、スタッフの協力を得て3カ月で編集を行ったと言っているが、この映画を2回観てみると、編集がなかなかよくできているのに感心する。20万人とも言われる慰安婦の人数に根拠はあるのか、強制連行と言える実態はあったのか、慰安婦を性奴隷と呼ぶのは現実にそぐうのか、といった論点について、対立する双方の意見を丹念に対比させていくのだ。

 アメリカ在住の映画監督・想田和弘さんが『キネマ旬報』5月号で書いているが、こういう手法は、アメリカのドキュメンタリー映画では一般的なのだという。さらにデザキ監督自身が4月30日の上映後のトークで語っていたが、「この映画はテンポが速いと評されていますが、アメリカのドキュメンタリー映画はもっとテンポが速いのが特徴です」という。

 日本で言えばまさに『朝まで生テレビ』のディベートの手法なのだが、この手法がこの映画の大きな特徴だ。

 右派論客が騙されたと言っているのは、彼らに「歴史修正主義」という批判を含んだ呼び方がなされていることもさることながら、映画の後半で、慰安婦問題をめぐる歴史的経緯を追いながら、再軍備を進める日本はこのままではアメリカの戦争に巻き込まれることになるが、それでよいのかという疑問を呈して終わるという、その映画の流れゆえだろう。

 私が最初にこの映画を観たのは4月26日夜だが、金曜のその最終回は特別に日本語と英語の字幕がついているせいで、観客の3〜4割が外国人(たぶんアメリカ人)だった。上映後に質疑応答が行われたのだが、慰安婦問題をそんなふうに外国人をまじえて議論するというのはすごく新鮮に感じられた。

 慰安婦問題をめぐっては、韓国においては「反日」と評されるナショナリズムが、そして日本においては「嫌韓」と言われるナショナリズムが吹き荒れており、双方が膠着状態だ。ところが、いまこの論争はアメリカに飛び火し、慰安婦問題のシンボルである少女像の建立をめぐって幾つかの州で議論が起きているという。

 この映画に新しさを感じたのは、今まで日韓の問題とされてきたこの論争に、アメリカ人の視点が入っているためだろう。

 『主戦場』というタイトルは、映画の中で右派活動家が「今やアメリカが主戦場になっている」と語った言葉からとったものだ。ただ、監督はもう少し大きな意味をこのタイトルに付与しているようで、それについては後述する。

日本と韓国の若者たちの反応とメディアの責任

  映画を観ていて胸が痛んだのは、日本人の若者たちに、韓国と日本両方の街頭で「慰安婦について知っていますか」という質問をしたシーンだ。どちらの日本の若者も「えー、よくわかりません」と答えている。物事がタブーになってしまうとはこういうことだ。慰安婦問題とはいまや日本においては、その存在自体がなかったことにされつつあり、若い人たちがそういう問題を考える機会もなくなってしまっている。

 ついでながら映画のパンフに書かれている興味深い話を紹介すると、スタッフはこの映画の撮影中、韓国の梨花女子大の前の少女像で、慰安婦問題のドキュメンタリーを撮っている現地の大学生グループに出会い、インタビューも兼ねて話してみたという。そしたら韓国人の彼らは、日本の河野談話を知らない様子だったという。韓国の若者たちも、慰安婦問題をめぐる日本の状況について知らないというわけだ。パンフには、そうだとすると「問題はずっと平行線を辿ることになる」と書かれている。それが恐らくこの問題の本質なのだろう。

『主戦場」靖国神社のシーン


 4月30日に観に行った時、終了後の質疑応答で監督は、日本のマスメディアの問題にも言及していた。慰安婦問題がタブーになっていったことにメディアの責任が大きいのは言うまでもない。特に大きな影を落としているのは、2014年の朝日新聞社への激しいバッシングや、それに伴って起きた元朝日記者・植村隆さんへの異常というべき攻撃だ。

 朝日新聞社は、対応のまずさもあって、ほぼ完敗。リベラル派の牙城だった同紙が2014年9月11日に「落城」したのだった。このバッシングは、産経新聞などの右派メディアはもちろんだが、週刊誌なども朝日叩きに狂奔し、記事の見出しに「国賊」「売国奴」といった文字が躍る異様な状況だった(一連の経緯については月刊『創』2015年緊急増刊『朝日新聞バッシングとジャーナリズムの危機』に詳しくまとめられている。下記を参照)。

https://www.tsukuru.co.jp/gekkan/2015/

 そうした攻撃はその後も断続的に行われている。例えば2018年10月、朴寿南監督の『沈黙―立ち上がる慰安婦』という慰安婦をテーマにした映画が茅ケ崎市民文化会館で上映されたが、茅ケ崎市と教育委員会が後援に名を連ねたことに、ネトウヨや自民党市議団までが激しい抗議・攻撃を行った。

 その自民党市議団の抗議文にはこう書かれていた。

 「最新の政府見解では強制連行は特定の新聞社による誤報であることから慰安婦を強制連行した事実はないこと、また慰安婦は性奴隷ではないことも明らかである」

 朝日新聞社の慰安婦問題についての訂正謝罪は、いわゆる吉田清二証言を掲載・報道したことについてなのだが、あたかも強制連行を含め慰安婦問題全体について、誤りを認めて謝罪したかのような言い方にされてしまっている。それを論拠に、慰安婦問題そのものがなかったかのような主張になっているのだ。これが、慰安婦問題がタブーになってしまった日本の現実だ。

 ちなみに『沈黙―立ち上がる慰安婦』への攻撃は、当初は自治体が後援したことが問題とされたが、右翼側の攻撃は次第に上映そのものをやめろというものに変わり、上映のたびに街宣車が押し掛ける事態となったようだ。下記の映画の公式サイトにあるPressの項を開くと経緯を報じた記事を見ることができる。

https://tinmoku.wixsite.com/docu

映画『沈黙―立ち上がる慰安婦』左は朴監督

『主戦場』というタイトルについての監督の思い

 さて『主戦場』に話を戻そう。4月30日の上映には、官房長官会見で有名になった旧知の東京新聞・望月衣塑子記者も観に来ていて、上映後、サイン会を終えたデザキ監督と少しの時間、彼女と一緒に話を交わした。そこで『主戦場』という映画のタイトルについて訊いた私の質問に、監督はこう答えた。

 「この言葉がメタファー(隠喩)として良いなと思ったからです。映画の中に出てくる言葉ではあるのですが、同時にそれは、慰安婦の問題について対立する双方から話を聞いてきた私の頭の中が“主戦場”になったということだし、映画を観る観客の皆さんにも私が体験したプロセスをたどってほしいという思いからです。

 慰安婦の問題をめぐっては日本と韓国で論争が行われていますが、韓国と日本の一般の人々が持っている情報が共有されていないように思えます。それはメディアが情報の共有という役割を果たしてこなかったからかもしれません。

 東アジアの状況をよくするためには、もっと情報を共有して対話をすることが必要だと思うのです」

 この映画は昨年10月、釜山国際映画祭で上映され、大きな反響を得て、日本で公開されたのだが、この8月からは韓国でも公開されるという。韓国でどんな反応を呼び起こすのか楽しみだ。今後、アメリカでもぜひ公開してほしいと思う。

 アメリカでの公開と言えば前述した映画『沈黙―立ち上がる慰安婦』も、2017年12月から日本で公開された後、アメリカで公開され、それを受けてこの2019年5月19日(日)、渋谷のアップリンクで凱旋上映が行われる。詳細は下記サイトにあるが、私も行ってみるつもりだ。

https://shibuya.uplink.co.jp/movie/2019/49392

 映画『主戦場』の方は、4月20日から渋谷のイメージフォーラムで緊急公開されているが、連日満席という盛況で、この後全国各地で公開が拡大していく予定だ(詳細は下記公式サイト参照)。

http://shusenjo.jp/

 私も2回目に観に行って感じたが、上映後のサイン会に並ぶ列が長くなっていたし、上映中も客席から笑いが漏れたりするツボが押さえられており、明らかに口コミで評判が広がり、映画についてある程度知った客が観に来るようになっている。

 渋谷のイメージフォーラムは、冒頭に書いた『ザ・コーヴ』の騒動の時には、公開初日に映画館前に上映中止を叫ぶネトウヨや、それに反対する市民、それに取材するマスコミや、警察がひしめきあい、一時は混乱状態になったことを思い出す。『創』の連載執筆者である元一水会の鈴木邦男さんが「映画を観もしないで上映妨害するのはおかしいじゃないか」とネトウヨの隊列に割って入り、拡声器で殴られて出血する事態にもなった。

 イメージフォーラムは、これまでも数々の問題作を上映してきた、腹の座った映画館だが、当面『主戦場』には各地のそういう映画館が上映に手をあげている。配給会社は、三上智恵監督の『標的の村』や、森達也監督の『FAKE』など、これまた問題作と言われたドキュメンタリー映画をこれまでも配給してきた東風だ。そういう人たちに支えられてこの映画の公開は始まったが、評判が広がれば公開は拡大していくと思う。

 デザキ監督が言うように、ぜひ多くの人々がこの映画を観て、慰安婦問題と、それがタブーになってしまっている現状について考えてほしいと思う。
https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20190504-00124778/

5. 中川隆[-9335] koaQ7Jey 2019年6月23日 05:20:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3152] 報告

従軍慰安婦をテーマにした話題作『主戦場』で“あんなインタビュー”が撮れた理由
プロパガンダ映画か、野心的なドキュメンタリー作品か
大島 新 2019/06/11
https://bunshun.jp/articles/-/12302

「いまイメージフォーラムでやってる『主戦場』っていう映画、観た?」
「観たよ。面白かったけど、もやっとした」
「まだ観てないけど、知り合いのディレクターがめちゃくちゃ面白いって言ってた」

 最近、ドキュメンタリーの作り手たちの間で話題となっているのが、旧日本軍の従軍慰安婦問題に真っ向から切り込んだドキュメンタリー映画『主戦場』だ。

保守派の論客は上映中止を求める抗議声明

「慰安婦は性奴隷だったのか、売春婦だったのか」「強制連行はあったのか、なかったのか」などの論点について、対立する主張を交互に紹介しながら問題の本質に迫ろうとする野心的なドキュメンタリーは、4月の公開直後から評判を呼び、都内では1館のみの上映館である渋谷の劇場に多くの観客が詰めかけた(※現在は「アップリンク吉祥寺」でも上映)。


 さらにこの5月30日に、取材を受けた藤岡信勝氏ら一部の出演者が会見を開き、「監督が自分たちを欺いて出演させた。大学院生の学術研究と言われてインタビューを受けたが、映画として公開されるとは聞いていなかった」と主張。さらに「編集が中立でなく、自分たちの発言が切り取られている。グロテスクなプロパガンダ映画だ」と、7人の連名で上映中止を求める抗議声明を発表した。その中には、藤岡氏に加え、保守派の論客として知られる櫻井よしこ氏やケント・ギルバート氏の名前もある。

 一方6月3日には、監督のミキ・デザキ氏が会見を開き反論した。「取材前に合意書を交わし、映画化の可能性があることを伝えている」と主張し、「(抗議は)彼らが映画の内容を気に入らなかったからではないか」と語った。

 この騒動が報じられたことによって、抗議声明を出した保守派論客の意図とは裏腹に、映画の存在が多くの人に知られることになり、『主戦場』の動員はさらに増えることだろう。


あまりにもあけすけで、無防備な発言の数々だ

 語るべきことが満載のこの映画について、ドキュメンタリー制作者の視点で評したい。

 まず、映画を観た多くの人が抱く素直な感想が、「よくあんなインタビューが撮れてるよね」だ。

「あんなインタビュー」とは、保守派の論客たちによるあまりにもあけすけで、無防備な発言の数々だ。


『主戦場』に出演する論客たち ©NO MAN PRODUCTIONS LLC

「どんなに頑張っても中国や韓国は日本より優れた技術が持てないからプロパガンダで日本を貶めている」
「日本人は子どもの頃から嘘をついちゃいけませんよと(教えられてきた)」
「(中国や韓国の)嘘は当たり前っていう社会と、嘘はダメなのでほとんど嘘がない社会(日本)のギャップだというふうに、私は思っています」(杉田水脈氏)

「フェミニズムを始めたのはブサイクな人たちなんですよ。ようするに誰にも相手にされないような女性。心も汚い、見た目も汚い。こういう人たちなんです」(藤木俊一氏)

「国家は謝罪しちゃいけないんですよ。国家は謝罪しないって、基本命題ですから。是非覚えておいてください。国家はね、仮にそれが事実であったとしても、謝罪したら、その時点で終わりなんです」(藤岡信勝氏)


それぞれの立場にいる人たちの口を軽くした取材力

 こうした発言は、慰安婦論争とは関係なく、ただただあ然とさせられる“主張”である。それが、衆議院議員や元大学教授の口から堂々と発せられているのだ。なぜこんなことを、彼らはカメラの前で語ったのか。

 まず、ミキ・デザキ監督の取材力に注目したい。現在36歳の日系アメリカ人のデザキ監督は、YouTubeでの彼の動画を見る限り、容姿こそ東洋系だが語り口は陽気なアメリカ人という雰囲気だ。慰安婦問題が日本と韓国で物議を醸していることを知った監督が、双方の主張を知りたいと、虚心坦懐に話を聞きに行ったことが、それぞれの立場にいる人たちの口を軽くしたのだろう。

 そしておそらく、監督には作戦があったはずだ。とにかく存分に彼らが考えていることを喋らせたい、という狙いだ。通訳を務めた人とともに、フラットな取材者であることを相手に伝え、彼らから本音を引き出すような場の雰囲気を作ったのだろう。私もインタビューの際に、たとえ自分とは考え方の違う人であっても、相手の主張に合わせるような相槌を打ちながら話を聞くスタイルをとることもある。デザキ監督はこの問題を調べ尽くした上で、相手が話しやすい空気を作り、存分に話をさせるという、優れたインタビューアーぶりを発揮したのだ。

論争はアメリカにも舞台を移して行われている

 加えて、日系アメリカ人であり、上智大学の大学院生(取材当時)という監督の立ち位置も、取材に有利に働いたと思われる。いま、慰安婦論争は、日韓の間のみならず、アメリカにも舞台を移して行われている。左右両陣営ともが、「自分たちの主張がアメリカで認められたい」という思いを持っていたのだろう。だからこそ、監督に対して極めて饒舌に語ったのだ。


 デザキ監督自身、映画の公式プログラムのインタビューでこう答えている。「ある意味、論争の場は私の頭の中にあったと言えるでしょう。否定論者と慰安婦を擁護する側の双方が、自分たちの主張が正しいと私を説得しようとしていましたから」。

 そう、彼らは監督を説得しようとするあまり、しゃべり過ぎたのだ。だが、「論争は私の頭の中にあった」のだから、彼らの発言は、監督の解釈によって「構成・編集」されていく。そしてこの映画の最大の特徴は、「構成・編集」の巧みさだ。

 日韓米30人以上の論客による、対立する主張を交互にぶつけさせるスピーディーな展開に、時折差し込まれるアーカイブ映像、そして監督自身による切れ味の良い簡潔なナレーション。言葉の情報量が多く、ある程度以上の知識がないとついていけないかも知れない、と思わせる箇所もあるが、ギリギリのところで観る側の興味を失わせないような巧みな構成に唸らされる。その構成の巧みさによって、映画を観ている我々が論争の場に立ち会っているような感覚に襲われるのだ。


一点だけ、「そうはしない方が良かったのに」と感じたこと

 現実には、彼らが一堂に会することはない。なぜなら、彼らはお互いを嫌い合っているので、同じテーブルに着くことはないからだ。同じテーブルに着くことがない人たちを、映画という一つのテーブルに乗せたことが、この映画の成功の最大の要因だ。

 そして、前半は慰安婦論争が中心の構成だが、中盤からは、教科書問題やNHKの番組改変問題、戦後の日米関係、さらに日本会議と安倍内閣の関係にまで論点が広がり、慰安婦問題と根っこを同じくすると思われる、いまの日本社会に横たわる重要なテーマを投げかけるのだ。そしてラストには、監督自身のナレーションによって「アメリカ人として日本人に警告したい」とメッセージが語られる。その内容についてここでは書かないが、長い時間(調査から公開まで3年)をかけていきついたこの問題への、そして日本社会への、監督の思いが込められている。


 私は、公開後に取材相手から否定的なリアクションも予想された(そして実際にあった)中で、この映画を完成させ公開までこぎつけたデザキ監督の手腕と勇気に敬意を表したい。だが一点だけ、「そうはしない方が良かったのに」と感じたことがあった。それは、保守派の論客たちを「歴史修正主義者」と呼んだことだ。

デザキ監督の原動力はなんだったのか

「歴史修正主義」という言葉は、本来は新史料の発見などによって、歴史の新しい解釈を試みる姿勢を表すものだが、現在は「ナチ・ガス室はなかった」などの、でっち上げの主張をして歴史を改変しようとすることを指す場合が多く、言葉自体に否定的な意味がつきまとう。

 監督が取材の過程を経てその言葉に行きついた、ということなら理解できるのだが、映画のかなり早い段階で彼らを「歴史修正主義者」と呼んだことで、監督の立ち位置が完全な中道ではなく左側にいることが見えてしまうのが、対立する主張を縦横無尽に語らせるというこの斬新な映画にとっては、もったいないと思ってしまった。


 一人称で社会や政治の問題を描くという意味では、突撃取材で知られるマイケル・ムーア監督の作品も同様だ。だが彼の映画は、監督の政治的な主張をはっきり打ち出したもので、内容的には結論ありきのものが多い。一方『主戦場』は、「対立する意見を公平に切り取って、観た人に委ねる」という、ムーア監督とは異なる手法で政治問題を扱っているだけに、この「歴史修正主義者」という言葉の使い方だけが、残念に思った。そう言いたくなるほど、保守派の主張が、あまりにも杜撰な論理によって構築されていることは理解できるのだが……。

 それにしても、デザキ監督を、このような野心的な試みに走らせた原動力は、なんだったのか。私は監督の内なる強い正義感だと思う。日系アメリカ人二世として、子どもの頃からアメリカで、アジア人蔑視にさらされてきたというデザキ監督。マイノリティーの人々が沈黙を強いられ、苦しんでいる様を見過ごせない、という正義感が、このすさまじい映画を作らせたのだ。
https://bunshun.jp/articles/-/12302

6. 中川隆[-9333] koaQ7Jey 2019年6月23日 11:08:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3154] 報告

騙し討ちに遭った?慰安婦映画「主戦場」出演者らの当惑と憤り
2019年6月9日 デイリー新潮
https://news.livedoor.com/article/detail/16590219/


ざっくり言うと

慰安婦論争を扱うドキュメンタリー映画「主戦場」について週刊新潮が報じた
出演した保守派の論客は、監督に「騙し討ちに遭った」と怒り心頭だという
映画の冒頭から、保守派を「歴史修正主義者」と呼んで糾弾しているようだ


櫻井よしこさんら保守論客が「被害」 日系米国人のトンデモ慰安婦映画

慰安婦論争を多角的に検証した、というふれこみの映画「主戦場」


 慰安婦論争を多角的に検証した、というふれこみの映画「主戦場」。櫻井よしこさんをはじめ保守派の論客が大挙出演してびっくり、と思えば、みな日系アメリカ人監督に「騙し討ちに遭った」と怒り心頭で。

 映画の公式サイトには、

〈ひっくり返るのは歴史かそれともあなたの常識か〉

 という見出しの脇に、

〈イデオロギー的にも対立する主張の数々を小気味よく反証させ合いながら、精緻かつスタイリッシュに一本のドキュメンタリーに凝縮していく。そうして完成したのが、映画監督ミキ・デザキのこの驚くべきデビュー作、「主戦場」だ〉

 等々書かれている。性奴隷としての慰安婦が存在したのかどうか、肯定派と否定派双方の主張を並べ、観る人に考えさせるなら問題はあるまい。ところが、

「“ひどい”の一言で、取材の客観性も中立性も保てていません」


慰安婦論争を多角的に検証した、というふれこみの映画「主戦場」

 と出演者の一人、ケント・ギルバート氏は憤る。

「デザキからアプローチがあったのは2年ほど前、上智大大学院の修了プロジェクトとして慰安婦問題を取り上げたく、バランスのとれた取材をしたいというので、快く応じました。撮影場所の上智大に行くと、かなり大がかりな機材が用意され、私が“慰安婦の証言に整合性がない”と言うと、“ないですよね”と同調するので、保守的な人かと思いました。その後、去年秋に突然“釜山国際映画祭で公開します”との連絡がありました。一般公開も寝耳に水でしたが、試写会に行って唖然としました」

 その理由は、

「映画の冒頭から私たちを歴史修正主義者と呼んで糾弾。しかも、私たちが言い淀んだりした部分だけをピックアップし、相手側陣営に一方的に論破させるという、極めて卑怯なやり方でした。私は親切心で取材を受け、だから出演料ももらわなかったのに、私たちをあざ笑って金儲けをしようだなんて、どんな神経か」

 そして悔いがもう一つ。

「櫻井よしこさんにデザキを紹介してしまったのは私で、映画に使われた彼女の談話はわずかなのに、チラシや予告編で大々的に取り上げられてしまった」

「言葉によるリンチ」

 テキサス親父日本事務局の藤木俊一氏も、

「大学院修了プロジェクトで、私とテキサス親父ことトニー・マラーノにインタビューしたいと言われました。デザキさんが以前、ネットで炎上騒ぎを起こしたことも知っていたので、疑ってかかりましたが、“大学で勉強し、慰安婦証言があやふやで信用できないことも知った”と言うので、大学院の研究だし、と思って受けたのです」

 しかも、藤木氏らは事前に合意書も交わしていた。

「公開前に見せ、意図と違う使い方をされたらフィルムの最後に、私が映画に不服である旨を記すことになっていた。ところが、公開するが事前に見せられない、という旨を、メールで一方的に知らされたのです。法的措置も検討したい」

 なでしこアクションの山本優美子代表も、ほぼ同様の被害に遭い、

「大学院生からお金はとれません。学究に資するものと信じて取材に応じたのに、まさかこんな形で裏切られるとは、同じ上智の卒業生として悲しい」

 と当惑。元拓殖大学教授の藤岡信勝氏も、藤木氏と同じ内容の合意書を反故にされ、おかんむりだ。

「この映画は私たちの議論のあと、向こう側の議論が延々と続き、私たちに再反論の機会が与えられていません。ディベートではなく、言葉によるリンチです」

 映画はこれから6月、7月と、全国で公開されていく。記者が観たときは終了後も観客が残り、日本の右派の“不勉強”や“差別的姿勢”について、声高に非難を浴びせていた。

 配給会社の東風に監督への取材を申し込むと、スケジュールが合わないうえ、

「英語話者なので、日本語での取材は受けかねる」

 と答えたが、藤岡氏は、

「私へのインタビューでは、デザキさんは完全なイントネーションの日本語を話し、私は日系アメリカ人だと知らなかったほどです」

 再度、東風に確認すると、

「日本語で複雑な議論は難しく、丁寧に回答したいという本人の希望もあり、取材は通訳を介しています」

 ともあれこの映画の周りでは、常識がとことんひっくり返っているらしい。

「週刊新潮」2019年6月6日号 掲載
https://news.livedoor.com/article/detail/16590219/

7. 中川隆[-9332] koaQ7Jey 2019年6月23日 11:29:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3155] 報告
藤岡信勝氏らが言う「商業公開を知らなかった」は事実ではない!
制作過程で慰安婦問題への「ゆらぎ」を経た監督自身の結論とは?
〜『主戦場』ミキ・デザキ監督と配給会社「東風」が記者会見 2019.6.3 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=NMtamzasdHI
8. 中川隆[-9331] koaQ7Jey 2019年6月23日 11:50:40 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3156] 報告
映画「主戦場」の異例のヒットを喜ぶ
2019年 6月 22日 澤藤統一郎
http://chikyuza.net/archives/94712

<澤藤統一郎(さわふじとういちろう):弁護士>

私は未見なのだが、映画「主戦場」が大きな話題となっている。2019年4月20日公開で、その2か月後の興行成績を朝日新聞は、「東京の映画館では満席や立ち見状態になり、上映後には拍手が起きる『異例のヒット』」と報じている。全国各地に上映館が拡大している。この種の映画としては、紛れもない「最大級の異例のヒット」。世論への影響も小さくない。

テーマは慰安婦問題。劇映画ではなく、多数者へのインタビューを重ねた地味なドキュメンタリー。これがなぜ異例のヒットとなったか。何よりも、異例の宣伝が功を奏したからだ。出演者自らが勤勉な宣伝マンとなって話題作りに励み、この映画の題名や内容や評判を世に知らしめ、多くの人の鑑賞意欲を掻き立てたのだ。制作者の立場からは、こんなにありがたいことはなかろう。

5月30日、この映画の出演者の内の7人が、共同で上映中止を求める抗議声明を発表した。そのうち、3人が共同記者会見をしている。これが、この映画の存在と性格を世に知らしめる発端になった。言わば、これが話題作りパフォーマンスの発端。多くの人は、この記者会見で、こんな映画があり、こんな問題が生じていることを初めて知ることとなった。

「主戦場」を異例のヒットに導いた7人の宣伝マンの名を明記しておかなくてはならない。多くは、おなじみの名だ。ほかならぬこの7名が、映画の出演者として自らが出演した映画の上映中止を求めている。それだけで、映画の宣伝としての話題性は十分。この声明と記者会見で、この映画を観るに値すると考え、映画館に足を運ぼうと思いたった数多くの人がいたはずである。

櫻井よしこ(ジャーナリスト)
ケント・ギルバート(タレント)
トニー・マラーノ(テキサス親父)
加瀬英明(日本会議)
山本優美子(なでしこアクション)
藤岡信勝(新しい教科書をつくる会)
藤木俊一(テキサス親父のマネージャー)

「共同声明」は、彼らが映画の上映中止を求める理由を7項目にわたって書いている。その7項目のタイトルが下記のとおり。
1、商業映画への「出演」は承諾していない
2、「大学に提出する学術研究」だから協力した
3、合意書の義務を履行せず
4、本質はグロテスクなプロパガンダ映画
5、ディベートの原則を完全に逸脱
6、目的は保守系論者の人格攻撃
7、出崎(監督のデザキ)と関係者の責任を問う

上映や出版の中止を求める場合、普通は「事実が歪曲されている」「事実無根の内容によって名誉と信用を毀損された」とする。表現の自由も、「事実を歪曲する自由」を含まないからだ。しかし、この7項目に、そのような主張は含まれていない。具体的に、真実と異なる表現を指摘できないと理解せざるを得ない。

毎日「夕刊ワイド」が詳細に報じているとおり、「『主戦場』は、出演者の発言と表情を克明に追う。抗議声明に名前を連ねているケント・ギルバート氏は3月の試写会鑑賞後、毎日新聞の取材に対し『取り上げる意味のない人物の発言を紹介している』と批判を加えた一方で、自身の発言部分については『まともに取り上げてくれています。それは大丈夫です』と話している。」というのだ。

藤岡信勝は「学術研究とは縁もゆかりもない、グロテスクなまでに一方的なプロパガンダ映画だった」と強調したというが、本来プロパガンダ映画作りも、表現の自由に属する。

その上、「商業映画への出演は承諾していない」「大学に提出する学術研究だから協力した」「合意書の義務を履行せず」の主張は、彼らにとって旗色が悪い。

一方、デザキ氏と『主戦場』配給会社の東風は6月3日、東京都内で記者会見した。デザキ氏は、出演者が「撮影、収録した映像、写真、音声などを私が自由に編集して利用することに合意する合意書、承諾書に署名した」と指摘した。藤岡氏ら2人については、公開前の確認を求めたため、昨年5月と9月に本人の発言部分の映像を送ったという。その後、連絡がなかったため大丈夫だと考えたという。デザキ氏は、出演者には「試写会」という形で一般公開される前に全編を見てもらう機会を与えたとも強調した。(週刊金曜日)

にもかかわらず、6月19日、この7人のうちの5人(ギルバート、マラーノ、山本、藤岡、藤木)が原告となって映画の上映差し止めと計1300万円の損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こした。どういうわけか、櫻井よしこ、加瀬英明の二人は、提訴をしていない。

いずれにせよ、勝ち目を度外視したにぎやかな提訴がまたまた話題を呼び、この映画の社会的関心を盛り上げることに成功している。有能な宣伝マンたちの、献身的な行為と賞讃せざるを得ない。

なお、朝日の報道に、原告らは「映画で『歴史修正主義者』『性差別主義者』などのレッテルを貼られ、名誉を毀損(きそん)された」とある。

フーン。彼らにも、『歴史修正主義者』『性差別主義者』などは、名誉を毀損する悪口だという認識があるのだ。

「歴史修正主義」とは、歴史的事実をありのままに見ようとせず、自らのイデオロギーに適うように歴史を歪めて見る立場をいう。イデオロギーに、事実を当てはめようという倒錯である。典型的には、「天皇の率いる日本軍が非人道的な行為をするはずがない」という信念から、「従軍慰安婦などはなかった」とする立場。あるいは、日本という国を美しいものでなくてはならないとする考え方から、日本の過去の行為はすべて美しいものであったという歴史観。原告ら5人は、この映画制作進行の過程で、こう指摘される結論に至ったのだ。その過程が示されていれば、名誉毀損にも侮辱にも当たらない。

また、「性差別主義者」についてである。 「例えば、上映中止を求めている一人の藤木俊一氏。『フェミニズムを始めたのは不細工な人たち。誰にも相手にされないような女性。心も汚い、見た目も汚い』との内容を語る様子がスクリーンに映し出される。だが、記者会見でこの発言について確認を求められた藤木氏は『訂正の必要はない』と述べている。」(毎日・夕刊ワイド)

『主戦場』という映画のタイトルは、いまや日本でも韓国でもなく、当事国ではないアメリカこそが、この論争の主戦場になっているという、映画の中での右派の言葉からとったものだという。

あるいは、これまでの論争を総括し集約して、このスクリーンこそが従軍慰安婦問題の主戦場である、という主張なのかも知れない。いや、スクリーンにではなく現実の社会の論争喚起にこそ主戦場がある、との含意かも知れない。何しろ、安倍晋三を首相にしているこの日本の歴史認識状況なのだから。

この映画と映画をめぐる諸事件が、従軍慰安婦問題論争に火をつけ、活発なメディアの発言が続いていることを、歴史修正主義派を糾弾する立場から歓迎したい。
(2019年6月21日)

初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2019.6.21より許可を得て転載
http://article9.jp/wordpress/?p=12826


http://chikyuza.net/archives/94712

9. 中川隆[-9303] koaQ7Jey 2019年6月24日 09:07:24 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3186] 報告

従軍慰安婦映画『主戦場』の悪辣な手口 2019.05.23 (初出・月刊『Hanada』2019年6月号)
https://hanada-plus.jp/posts/1974


(※5月24日発売の月刊『Hanada』2019年7月号に本記事の続報が掲載されています。併せてご購読ください)

■ミキ・デザキと名乗る青年

 いまから二年ほど前、ミキ・デザキという上智大学の院生を名乗る青年が、保守論壇でお馴染みの言論人にアプローチしてきた。「慰安婦問題に焦点を当てたビデオドキュメンタリーを作りたいから取材させてほしい。修士修了プロジェクトです」というのだ。

 デザキ氏のメールのひとつにはこうある。

「慰安婦問題をリサーチするにつれ、欧米のリベラルなメディアで読む情報よりも、問題は複雑であるということが分かりました。慰安婦の強制に関する証拠が欠落していることや、慰安婦の状況が一部の活動家や専門家が主張するほど悪くはなかったことを知りました。私は欧米メディアの情報を信じていたと認めざるを得ませんが、現在は、疑問を抱いています。(中略)

 大学院生として、私には、インタビューさせて頂く方々を、尊敬と公平さをもって紹介する倫理的義務があります。また、これは学術的研究でもあるため、一定の学術的基準と許容点を満たさなければならず、偏ったジャーナリズム的なものになることはありません」

 アプローチされたのはケント・ギルバート、櫻井よしこ、藤岡信勝、杉田水脈、山本優美子、テキサス親父ことトニー・マラーノ、テキサス親父事務局の藤木俊一などの諸氏。全員、デザキ氏の言葉を信じて協力した。中立公正なドキュメンタリーが作られると期待して。

 そして時は流れ、2019年3月27日、私は渋谷にある小さな映画館に向かっていた。デザキ氏の映画の試写会があると聞いたからだ。なんでも、デザキ氏の取材依頼を受諾した前出の人々は全員が後悔しているという。デザキ氏の映画が期待に反して、「新たな慰安婦プロパガンダ映画」であることが判明したというのだ。

 何があったというのだろうか? 前評判では、慰安婦性奴隷説推進派と反対派の双方から公平に意見を聞くということだった。推進派からは、吉見義明氏、戸塚悦朗氏、林博史氏、中野晃一氏、植村隆氏などの名前が見える。さらに韓国の挺対協代表のユン・ミヒャン氏、『帝国の慰安婦』を上梓して起訴されたパク・ユハ氏の名前まで挙がっている。これだけの人々が出演しているのだから、何があったのか、どんな映画になったのか、確認する必要がある。その映画のタイトルは『主戦場 The Main Battleground of The Comfort Women Issue』。

■チラシへの違和感

 映画のチラシを見て、私には引っかかるものがあった。そこにはこう書いてある。

《驚くほどスリリング!!!!

いま最も挑戦的なドキュメンタリー

 あなたが「ネトウヨ」でもない限り、彼らをひどく憤らせた日系アメリカ人 YouTuber のミキ・デザキを、おそらくご存じないだろう。ネトウヨからの度重なる脅迫にも臆せず、彼らの主張にむしろ好奇心をき立てられたデザキは、日本人の多くが「もう蒸し返して欲しくない」と感じている慰安婦問題の渦中に自ら飛び込んでいった》

 これが、公正中立なドキュメンタリーを作ろうとする人間が書く文章だろうか? この文章から、彼がユーチューバーであること、彼の動画が多くの人々を憤慨させたことは分かるが、なぜ、どうして憤慨させたのかはわからない。

 こういう場合、まずは彼がどのような動画を制作して、なぜ炎上したのか、確認しておいたほうが良さそうだ。

 デザキ氏の動画はすぐに見つかった。ここでは、彼の動画をふたつだけ紹介しておこう。

■「ちんちん欲しいなあ!」

 まず、「Racism in Japan(日本では人種差別がありますか?)」という動画だ。デザキ氏は以前、沖縄の糸満高校に赴任して英語を教えたことがあるようだ。この動画は、その時の体験をもとに作成されている。デザキ氏が日本語で生徒たちに語りかける。

「日本にも人種差別があると思う人は手を上げて!」

 どのクラスでも数人しか手を挙げない。デザキ氏はこれを不満に感じて、カメラに英語で語りかける。

「私は、アメリカにもひどい差別があることを知っています。アメリカのほうがましだと言いたいわけではありません」

「でも、日本にも人種差別が存在します。日本には江戸時代、部落民という最下層の民が存在していましが、いまでも部落出身者は差別されています。日本語にはバカチョンカメラという言葉があって、これは朝鮮人を侮蔑する意味です。さらに、同じ日本人同士でも、沖縄県人は差別されて、戦争のときは日本軍によって弾除けにされました。そしていまでも、本土で部屋を借りることもできないのです」

 もう一本の動画のタイトルは「Shit Japanese Girls Say」。日本語タイトルは「日本の女の子がよく言うこと」となっているが、直訳すれば「日本人女性が言う糞(たわごと)」(https://youtu.be/CGdWhnTYukM)である。

 なんとこの動画には、髭を生やしたまま女装をしたデザキ氏が登場する。カツラをかぶり、可愛い子ぶったいまどきの日本人女性が口にしそうなお決まりのフレーズを、くねくねとポーズを取りながらしゃべり続ける。

「バナナダイエットで5キロせたって!」

「ねえねえ、誰にメールしてるの?」

「これ、バーゲンで買った」

「うざ!」

「超がつかない?」

「えーっ、B型あ?」

「最近、いい出会いないなあ」

「やめて、恥ずかしい!」

「こうやって揉んだら大きくなるって!」

「韓国行こう! 最近、韓国語勉強してるよ! カムサムニダー!」

 これが延々と続き、どういうオチになるのかなと思っていたら、突然終わって The End の文字。と、次の瞬間、髪を金髪に染めて三つ編みにしたような男がアップで登場し、海に向かって叫ぶ。

「あー、ちんちん欲しいなあ!」

 彼は、この動画でいったい何が言いたかったのだろうか? タイトルに Shit とあるように、基本的には日本人女性を嘲笑している。外国人向けに発信していて、なんと68万回も再生されている。

 そんな彼が製作した『主戦場』とはどんな映画であっただろうか?

「ハロー、フォークス!(やあ、みんな!)」

 映画は、テキサス親父ことトニー・マラーノ氏と事務局の藤木俊一氏、「論破プロジェクト」主催の藤井実彦氏の三人が、慰安婦像が鎮座するカリフォルニア州グレンデール市の公園を訪れるシーンで始まる。「テキサス親父」の動画をそのまま流している。デザキ氏のナレーションが入るのだが、彼が冒頭に「テキサス親父」を取り上げた理由は、どうやらマラーノ氏が自身の動画でデザキ氏を取り上げたことがあるかららしい。 

■なぜ西岡力氏に聞かないか

 ここから、様々な人が入れ代わり立ち代わり登場し、異なる意見をぶつけ合っていく展開となる。デザキ氏がいうところの「驚くほどスリリングな」展開になるはずなのだが、私は早々に強い違和感を覚えざるを得なかった。それは次の2点だ。

 まず、中立な立場から問題の本質を探ると言いながら、慰安婦性奴隷説反対派を頭から「歴史修正主義者」(revisionist)」 「否定論者(denialist)」と決めつけてレッテル貼りをしている。これでは、自ら性奴隷説推進派の視点に立って映画を作っていることを宣言しているようなものだ。反対派の立場から取材に協力した人々に失礼だ。これではデザキ氏のメールは完全に嘘で、利用するために騙したことになる。

 次に、出演者に偏りがあることだ。反対派における慰安婦問題の第一人者である秦郁彦氏と西岡力氏が登場しない。秦氏の名前は出てくるから、デザキ氏が秦氏を認識していたことは明らかだか、西岡氏にいたっては名前すら出てこない。これは根本的な問題である。

 映画は、専門家ではない反対派の人々の意見に、推進派の学者(専門家)が反駁する形で進行する。吉見義明氏や林博史氏を出すなら、対で秦郁彦氏、西岡力氏を出演させ、専門家同士の議論でなくてはフェアな議論とはいえない。

 この点については、4月4日に外国人特派員協会で開かれた試写会と記者会見の席で直接デザキ氏に質問、デザキ氏の答えは次のようなものであった。

「秦先生にはインタビューしたかったが、連絡すると奥さんに夜電話してくれと言われた。アメリカ人の習慣としては夜電話するのは気が引けたので、翌朝電話したら怒られて取材を断られた。西岡先生に関しては、ネット上の言説を見た限り、他の人々の主張と大差ないのでコンタクトしなかった」

 この時点で、60点ぐらい減点しなくてはならない。研究者同士の議論がなくては、攻守の交代がない野球を見ているようなものだ。ほとんどの反対派の人は西岡氏の著作から学んでいるのだから、言説が似ているのは当たり前なのである。しかし、25年以上も研究してきた専門家の知識は深みが全く違うのだ。

■構成上の大きなミス

 ケント・ギルバート氏についてはほぼノーカットで採用したようで、反対派論陣の要になっているが、櫻井よしこ氏もわずかしか出てこないし、唯一の学者である藤岡信勝氏も慰安婦問題そのものについては多くを語っていない。

 推進派のほうは、吉見義明(歴史学者)、林博史(歴史学者)の他にも中野晃一(政治学者)、阿部浩己(国際法学者)、小林節(憲法学者)などの諸氏の他、韓国からもイ・ナヨン(社会学者)キム・チャンロク両氏(法学者)など、多数の学者が登場する。ソウル大学のイ・ヨンフン教授のように、慰安婦性奴隷説に異を唱える実証主義的な韓国人学者もいるが、まったく無視されている。映画構成上の最も基本的なところで大きなミスがある。

【慰安婦20万人説】

 この数字に関して、ギルバート氏と藤木氏が、「そんなに大勢の慰安婦がいて、一日に何十回も性行為を強要されたとしたら、日本兵は一日に6回もセックスをしなきゃならない計算になる」と主張する。するとデザキ氏は、「以上の計算はひとまずおくとして、20万人という数字はどのように算出されたのか?」と吉見氏に水を向ける。

 吉見氏はこう説明する。

「日本の陸海軍の軍人数は、最大で350万人くらいですが、最前線には慰安所がなかったと仮定すると、ある時点で300万人くらいの兵隊に対して慰安所がつくられたと仮定します。日本軍の場合には100人に一人の割合で慰安所を設置するという基準を持っていますので、そうすると3万人という数字が出ますよね。で、仮に半分入れ代わったとすると45000で、全体で一度入れ替わったとすると六万という数字が出ますので、まぁ最低で5万くらいかなと」

 質問は20万人の計算根拠だったはずだが、全く答えになっていない。挺対協のユン・ミヒャン氏にいたっては、「私たちは研究者による数字を用いているに過ぎません」と言う。

 また、女たちの戦争と平和資料館の渡辺美奈氏は「大きな人権団体などが、慰安婦問題についてレポートを書く、と。そのとき相談をされれば、20万人という数字は使わずにもう少しアバウトな数を使うことを勧めます。40万人と聞けば、40万人という数字を使おうと思うんです。わざわざどれが一番いいかと考えずに、多いほうを使うということも多分あると思うんですね」と正直に答えている。

 この議論で、20万人という数字はまったく根拠がないことがわかる。吉見氏がするような説明を聞いていつも思うのだが、「仮定」が多すぎる。また、「最低でも5万くらい」というのは需要の話である。仮に5万人の需要があったとしても、戦争の最中に5万人供給できた保証はどこにもないのだ。

■学習不足のデザキ氏

 この人数をめぐる議論の結論は「20万人説には根拠がない」となるはずだが、デザキ氏は次のように結論する。

 この議論からわかることは、これらの数字は、

・明らかに両陣営から政治的意図をもって利用されてきた。

・修正主義者たちはこの数字の算出方法を理解していないようだ。

・慰安婦について実際のデータは存在しない。

 よって、概算の言及には注意が必要だ。

 数字を政治利用しているのは、明らかに性奴隷説推進派のほうである。また、「修正主義者たちはこの数字の算出方法を理解していないようだ」は全く意味不明だ。吉見氏の主張も含めて、もちろん検証されているに決まっているではないか。デザキ氏が、これらのインタビューの外では全く学習していないことがわかる。

 この20万人という数字が独り歩きし始めたきっかけは、朝日新聞の1992年1月11日付の朝刊である。朝日は用語解説として、次のように書いた。

「従軍慰安婦 1930年代、中国で日本軍兵士による強姦事件が多発したため、反日感情を抑えるのと性病を防ぐために慰安所を設けた。元軍人や軍医などの証言によると、開設当初から約八割が朝鮮人女性だったといわれる。太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その数は8万とも20万ともいわれる」

 要するに、慰安婦と勤労奉仕の女子挺身隊という全くの別物を混同したことに起因する数字なのである。

 これを遡ると、70年代に「従軍慰安婦」という言葉を創作した千田夏光という作家に突き当たる(慰安婦は存在したが、従軍慰安婦という職業は存在しなかった)。千田は著書のなかで、知人から入手したソウル新聞の切り抜きのなかに、「1943年から45年まで、挺身隊の名のもと若い朝鮮婦人約20万人が動員され、うち5万人ないし7万人が慰安婦にされた」と書いてあったと主張した。

 しかし、研究者が該当記事を探したところ、実際には「挺身隊に動員された女性は日韓合わせて20万人で、そのうちの5万〜7万人が朝鮮人女性だった」という記述だったのである。つまり、慰安婦とは何の関係もなかった。

 朝日新聞は2014年8月になって、慰安婦と挺身隊を混同したことを認めて該当記事を撤回した。

 このように、何の根拠もない数字が、慰安婦問題を政治外交問題化したい勢力に政治的に利用され続けているのが実態なのだ。これも西岡氏のような研究者が入っていれば容易に指摘できたことだ(参考:『朝日新聞「日本人への大罪」』西岡力、悟空出版)。

【強制連行】

 2007年の安倍首相による国会答弁が流れる。

「まぁいわば、官憲が家に押し入っていって、人さらいのごとく連れていくという、そういう強制性はなかったということではないかと、こういうことでございます」

 これに対して、「性奴隷」という言葉をわざわざ創作して国連に持ち込んだ戸塚悦朗氏が、こう反論する。

「その強制っていうのを安倍さんは、縄で縛って連れて行ったって言ってるわけ。だけどね、強制っていうのは法律上で言うと『自由意志でない』っていうことなんですよ。自由意志でないっていうのは、騙された場合も自分の本当の意志ではない。そうするとね、大部分の韓国からの女性は騙されたんですよ」

 ここでいきなり、強制連行が「騙された」に変換してしまう。

 ギルバート氏、藤木氏が「女性のリクルートは主に朝鮮人業者が行い、騙したケースもあったと思われる」と答え、杉田水脈氏が「当時の新聞記事を見ると、日本政府や軍(総督府や警察)が悪徳業者を逆に取り締まっている、そういう新聞記事がいくつも残っている」と付け加える。すると、林博史氏がこう反論する。

「朝鮮半島の新聞記事は慰安婦とは全然関係ない。警察は従来から悪徳業者が騙して売春目的で連れて行こうとするのは取り締まっていたが、軍の依頼であれば黙認して処罰しなかった」

 警察が悪徳業者の犯罪行為に関して、軍の依頼に基づくかどうかで取り締まったり黙認したりできたのか。以前、そのような主張を聞いたことがあるが、結局根拠がなかった。そんなことをしたら治安が維持できないはずだが、林氏にはぜひ詳細な証拠を映画内で示していただきたかった。

 結局、話はいつものパターンでインドネシアで発生したスマラン慰安所事件に飛ぶ。オランダ人女性が強制的に慰安婦にされた事件だ。この事件に関しては、報告を受けて調査した日本軍将校によって慰安所は閉鎖され、女性たちは救出された。

 この点をギルバート氏が指摘すると、吉見氏がこう反論する。

「それは被害者が白人女性で、連合国側から責任を追及されることを恐れたからであって、アジア人女性を解放したというケースは聞いたことがない。明らかに、白人女性に対する対応とアジア人に対する対応が違っていると言えるのではないか」

 この主張も推論の域を出ていないのだが、デザキ氏はこう結論する。

「インドネシアの件は動かぬ証拠だ。朝鮮人女性が強制連行されたという証拠はないかもしれないが、国際批判のリスクを犯してまで白人女性を連行したことを鑑みると、アジア人女性にそうしたであろうことは想像に難くない」

 ここでもまた想像だ。推論や想像ばかりして、いったい何のために議論を設定したのか? スマラン慰安所事件は、当時においても刑事犯罪である。このような刑事犯罪が朝鮮半島や他の地域でも発生した可能性があるという推論はできるが、朝鮮半島で大勢の一般朝鮮人女性が軍隊によって強制連行されたという推論には結びつかない。だから戸塚氏も、「騙したのも強制のうちだ」という議論をしているのだ。完全に循環論法に陥っているのがわからないのか?

【性奴隷】

 ここでの議論は、「慰安婦はお金が払われ、貯金や送金もでき、契約が終了すれば帰国でき、買いものに行け、日本人と一緒にスポーツ観戦や夜会にも出かけていたのだから、性奴隷と呼ぶことはできない」という性奴隷説反対派の主張に対し、推進派は「いまの国際法に照らせば奴隷の範疇に入る」と反論するいつものパターンだ。

 しかし、私は吉見氏の反論に興味をひかれた。慰安婦にレクリエーションの機会があったという指摘に対して、吉見氏はこう反論する。

「そういう機会がないと、たぶん生きていけないという状況にあったからではないかと僕は思うんです。たとえば、アメリカの黒人奴隷も土曜や日曜にはみんなで集まって音楽会を開いたり、ダンスをしたりしているわけですよね。それから狩猟に出かけたり。そういうふうにしないと生きていけないような絶望的な状況にあったら、奴隷主もそれを認めていたということがあるんですね」

 はたして、奴隷主は自ら奴隷を引率してイベントに出かけたり、奴隷女性と恋に落ちて結婚したりしていたのか? 元恋人だった日本兵を懐かしむ元慰安婦もいる。そのような強引な類推をしてまで、何が何でも日本人を悪魔化したい動機が理解できない。

 ここで国際法学者の阿部浩己氏が登場して、国際法の観点からの慰安婦性奴隷説を次のように解説する。

「奴隷制というのは、人が別の人によって全的支配を受けることをいう。元慰安婦が高額の支払いを受けていても、外出をしていても、それは全体的な支配のもとで許可を得てそれができていたのだから、奴隷制ということになるんです」

 そこまで奴隷の定義を広げると、一般のサラリーマンも十分奴隷になってしまいそうである。もっとも、社畜という言葉があるぐらいだから冗談にもならない。性奴隷説推進派がそのような国際法の定義を持ち出すのなら、潔く次のように認めるべきだ。

・慰安婦は、性奴隷という言葉から想像される一般通念としての奴隷ではない

・国際法上の奴隷の定義を当てはめるのであれば、日本軍の慰安婦に限らず、世界中で過去から現在まで売春に従事している女性の多くが奴隷であると定義できる

 このように、デザキ氏の「主戦場」はこれまでの議論を深めることに成功していない。それは、彼自身の知識が浅いこと、最初から偏見を持っていること、前述したように、専門家同士の議論にしなかったことが原因だ。

■後半で一気に脱線

 それにしても、今回登場した性奴隷説推進派の面々で最も異色なのは、ケネディ日砂恵氏ではないだろうか。直接会ったことはないが、ナレーションにあるとおり、数年前には一部の保守系論者からもて囃されていたのに、忽然と姿を消してしまったのは知っていた。今回、その彼女が突然登場して、かつての彼女の仲間や支援者を批判しだしたのには驚いた。秦郁彦氏の「南京虐殺は小規模ながら発生した」という説に接して目が覚めたのだという。

 そして、自分自身が米国人ジャーナリストらと日本で広めたIWG報告書(ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班による報告書。クリントン政権下で開始され、8年の歳月と30億円の費用をかけて機密文書を検証したが、日本軍の慰安婦制度については特段目新しい発見はなかったとされるもの)について、日本の保守派が考えるような価値はないと断定して、次のように述べた。

「IWGの目的はナチスの戦争犯罪を調査することでしたから、日本軍の慰安婦制度に関する情報が見つからなかったのは、キッチンの引き出しで靴下を探すような行為だったからです」

 宗旨替えするのは個人の自由だが、事実まで曲げてはいけない。IWGはもともとナチスの犯罪調査を目的としていたが、在米の中華系反日団体である「世界抗日連合会」の強い要望を受けて、日本軍の戦争犯罪を含めることになったのだ。

 だから、日本軍に関してもナチス同様に調査された。その結果、再確認されたのは、当時の米軍は慰安婦を一般的な売春婦だと見做したので、犯罪行為として追及しなかったということだったのだ。

 デザキ氏は映画のなかで、頻繁にグレンデールやサンフランシスコで開かれた公聴会の映像を取り上げ、いかに日本側の反対が不成功に終わったかを強調する。そのなかで、慰安婦像が建てられてから日系子女へのいじめが発生するようになったという現地日系人の訴えを否定する反日団体の主張を一方的に受け入れ、そのような言説は杉田水脈氏が国会で流布したもので、杉田氏自身は被害者の母親らに直接会って話をしていないと指摘する。

 日系人の訴えを事実無根と決めつけてかかるのは、反日団体のメンタリティと何ら変わりはない。私自身が北米を回って調査して得た結論は、いじめや嫌がらせは存在したということだ。

 私は複数の母親に会って詳しく話を聞いた。たしかに、在米暮らしが長いとはいえ、日本人である母親たちは、被害を警察に届けたり、病院で診断書をもらうことで証拠を残すという発想はなかったし、それを指導するリーダーもいなかった。しかし、母親たちは共同で安倍首相に嘆願書を書いて送っている。普通の母親たちが、よほどの懸念がなくてそのようなことをするだろうか?

 デザキ氏も認めるとおり、この映画は2時間と長い。私がデザキ氏にアドバイスできる立場にいたら、後半はカットするように強く勧める。

 デザキ氏は後半、一気に脱線してしまう。それは、チラシに書かれている「いまだに燻り続ける論争の裏に隠された“あるカラクリ”を明らかにしていく」という部分だ。そのカラクリの暴露こそ、デザキ氏の本領発揮となるはずだったが、残念ながら映画を台無しにしてしまった。

■加瀬英明氏が黒幕!?

【日本会議】

 長い映画の後半、そろそろ疲れてきた頃、突然「日本会議」という文字が画面に躍ってびっくりする。慰安婦問題とは何の関係もないからだ。すると、慶應大学名誉教授の憲法学者である小林節氏が登場し、解説を始める。小林氏によると、日本会議は安倍総理と政界に強い影響力を持ち、「明治憲法を復活させ、人権がなかった時代の日本に回帰することを目指している。そして、その日本会議のキャンペーンを広告塔としてリードしているのが櫻井よしこ氏である」という。

 さらに、「日本会議は靖國神社を含む神道組織に支えられており、それゆえに櫻井氏はたぶん、無料で神社の境内に事務所を構えている」と続ける。そして、極め付きは次のひとことだ。

「日本会議の戦前回帰の思想は恐ろしい。しかし、自分は反対することで殺されてもいいと思っている」

 心底驚き、そして呆れた。まず、日本会議にせよ、櫻井よしこ氏にせよ、明治憲法の復活を目指しているという事実は全くない。そして、これは小林氏にとって朗報だが、保守派界隈で小林氏の名前を聞くことは滅多にない。小林氏の命を狙う意味は皆無で、そんな動機を持った人は絶対にいないから安心していただいていいと断言できる。

 日本会議に確認したが、デザキ氏から取材依頼を受けたことはないという。ここでもまた、基本的な検証作業を怠っている。

 代わりに、外交評論家で日本会議東京都本部会長の加瀬英明氏が登場し、多くの保守系団体をぐ黒幕的存在として紹介される。たしかに、加瀬氏はかつての活発な執筆評論活動や政財界との繋がりから、保守系団体に世話人的に名義貸しをしているケースが散見される。

 しかし、慰安婦問題に積極的に関与しているわけでもリードしているわけでもなく、日本会議本体を代表する立場でもない。だから、デザキ氏の質問に対してほとんど答えを持っていないのだ。加瀬黒幕説はまったくの虚構である。

 デザキ氏が見出したとするカラクリとは、こういうことだ。「日本会議と安倍政権は日本の再軍備を実現し、日本は無謬であるという國史観に沿って栄光ある戦前に回帰しようと目論んでいる。その際、歴史上の恥部である慰安婦問題は不都合なのでなかったことにしてしまいたい。だから慰安婦たちを黙らせ、慰安婦問題の存在を否定しようとしているのだ」と。

 公正中立な立場から慰安婦問題を検証するはずだったのに、どんどんずれていった挙句に、最後は何の検証もせずに「トンデモ陰謀論」に飛んでしまった。

 そして、デザキ氏は日本国民に警告する。「平和憲法を改正して再軍備すれば、私の国であるアメリカの戦争に巻き込まれることになるぞ!」と。

 デザキ氏は知らないのかもしれないが、日本には自衛隊があり、再軍備はとっくの昔に実現している。しかし、現行憲法との不整合から、防衛に支障をきたすから安倍政権は憲法の一部改正を行おうとしている。同時に、日本と直接関係がない戦争に巻き込まれたくないから、集団的自衛権の行使に制約を設けているのだ。

 デザキ氏は記者会見で、「なぜ、日本の歴史修正主義者たちが慰安婦問題を隠蔽しようとしているのか興味を持った」と正直に動機を述べた。だから最初から偏っているのだ。

 それでも私は、デザキ氏の作品を肯定的に捉えたい。『主戦場』を見て、慰安婦性奴隷説推進派の人々が、如何に論点をすり替え続けることで慰安婦問題の解決を妨げ、永遠に慰安婦問題を継続させようとしているかがよくわかるからだ。

■製作動機そのものが偏向

 何が慰安婦問題を大きな国際問題にまで発展させてしまったか。それを考えるには、何が日本政府に対する当初の糾弾(Original Accusation)だったのかを思い出す必要がある。

 朝日新聞と吉田清治という詐話師が広めた話はこうだ。

「朝鮮半島で日本の軍隊が民家から若い女性を引きずり出して拉致し、日本兵のための性奴隷にしたり、女子挺身隊として徴用されたあとに慰安婦にしたりした。その被害者は20万人にも上る」

 まさか大新聞社が完全な虚偽報道をするとは思わなかったので、当時の日本人は(米国人のケント・ギルバート氏を含めて)しばらくの間信じてしまった。

 しかし、やがてそれが荒唐無稽な作り話であることがわかり、日本国民は憤激した。朝日新聞は、デザキ氏が映画内で言うように政府に圧力を掛けられたのではなく、世論に抗しがたくなって虚偽を認めて記事を撤回し、社長も辞任した。

 しかし、世界では依然として上記の「糾弾」が独り歩きし、次々と慰安婦像が建てられ、歴史的事実として碑文に書き込まれていった。証拠が薄弱であるとわかると、被害者のほとんどは証拠隠滅のために日本軍によって殺されたというさらなる虚偽が加えられた。明らかに、この問題を政治的に利用しようとする勢力が存在する。

 だから、もともと慰安婦に同情していた日本人も反論せざるを得なくなってしまったのだ。そして、その状況は悪化するばかりである。

「主戦場」を見てもわかるように、吉見氏を筆頭とする性奴隷説推進派は、明らかに極端に誇張された糾弾が事実ではないことを知っているのだが、それを繰り返す反日活動家たちを窘めるよりも、技術的(technically)には強制連行で性奴隷だったと解釈できるという、もともとの糾弾内容から離れた議論を継続しながら日本だけを悪魔化し、結果として反日団体の活動を是認している。まるで、この問題が永遠に継続されることを望んでいるかのようだ。

 慰安婦問題は、韓国政府や反日活動家たち、そしてデザキ氏のような性奴隷説推進派たちが「日本が加害者で韓国が被害者」という単純で一方的な構造に固執する限り、解決することはないだろう。

 最近、Thomas J. Ward と William D. Layという米国コネチカット州にあるブリッジポート大学の二人の学者が、米国の公園に建てられる慰安婦像に関する論文を発表した(Park Statue Politics : World War II Comfort Women Memorials in the United States)。

 この論文の結論は、「慰安婦像は韓国側のストーリーだけを伝えているので不十分である。現実には、韓国人が女性集めを商売として慰安婦制度のなかで大きな役割を演じていたし、戦後も独自の慰安婦制度を運営した。また、米軍兵士も戦後慰安婦制度を利用した。米国に建てられる慰安婦像は政治的問題を引き起こすもので、責任の所在を明確にするものでも、和解を促すものでもない」というものだ。

 デザキ氏の『主戦場』も、慰安婦像と同じ役割しか果たさないことは明白だ。問題解決を遠ざける偏ったジャーナリズム、いや、プロパガンダに過ぎない。

 最後に、大変僭越なのを承知のうえで、保守系言論人の方々に助言したい。将来、取材依頼があったら、たとえ大学院生でも、必ず素性をチェックすることだ。もしその依頼者がユーチューバーで、自身の動画のなかで女装して登場し、「ちんちん欲しい!」と叫んでいたら、おそらくその依頼は断ったほうがいいだろう。

(初出・月刊『Hanada』2019年6月号)
https://hanada-plus.jp/posts/1974

10. 中川隆[-9302] koaQ7Jey 2019年6月24日 09:27:42 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3187] 報告

映画『主戦場』が炙り出す「保守派」の虚妄と理論破綻
古谷経衡 5/20
https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20190520-00125557/




映画『主戦場』ポスターと月刊誌『Hanada 6月号』


1】次第にしどろもどろになっていく「保守派」

映画『主戦場』パンフレット等


 現在公開中のミキ・デザキ監督によるドキュメンタリー映画『主戦場』は、いわゆる「保守派」「右派」とされる歴史修正主義者の虚妄がこれでもかと炙り出される意味で痛快である。

 日韓両国や市民団体の中で係争の対象になっている「従軍慰安婦問題」について、韓国人の元慰安婦らに寄り添うべきだという人々と、それに真っ向から反対し「彼らは単なる売春婦にすぎない」と主張する人々(劇中では日本の右派。または歴史修正主義者)を、押しなべて交互に尺をとって、並列的に並べている。

 ドキュメントの中では、元慰安婦らの主張が正しいと言っているわけでも、日本の右派が正しいと言っているわけでもない構成から始まっていくが、ドキュメントが進んでいくにつれて、明らかに日本の右派や歴史修正主義者がその理論に破綻をきたし、しどろもどろになっていくさまがこれでもか、と描かれている。

2】おなじみの”従軍慰安婦は売春婦”論

 特に劇中登場する杉田水脈代議士、新しい歴史教科書を作る会の藤岡信勝氏、日本のテレビタレント、ケント・ギルバート氏などは、「従軍慰安婦は売春婦である」と言ったり、「しかし高い給料が払われていたので性奴隷ではない」と言ったり、その理屈が二転三転して安定していない。

 従軍慰安婦が単なる売春婦であるのなら、その娼婦に支払われた給与が高額であるか否かは関係のないことだが、彼らは給料が高いから「単なる売春婦ではない」という。支離滅裂である。またジャーナリストの櫻井よしこ氏は「朝日新聞がこの問題を世界に拡散し、日本軍が強制連行をしたという間違った事実が広がった」という。

 これは国連のクマラスワミ報告の中の「故・吉田清治による作話(朝日新聞が誤報と訂正した)」ことを指していると思われるが、クマラスワミ報告で吉田清治証言が使用されているのは傍証としてわずか2か所で、クマラスワミ報告は吉田清治の虚言がなくとも成立する。こんな簡単な基礎も踏まえていないで「ジャーナリスト」とは片腹痛い。

 更に、”異様”と映るのは自称歴史研究家の加瀬英明氏が登場する後半の下り。「歴史学者の秦郁彦氏の本は読んでいますか?」と問われると「秦?秦さんは私の友人ですが…。ワタシ他人の本は読まないんです。だから読んでいません」と答えるという無知ぶりをさらけ出すことだ。

 秦郁彦氏は実証史学の権威で、従軍慰安婦問題については同氏の『慰安婦と戦場の性』(1999年、新潮社)が史学科に在籍する学部生でなくとも読める分かりやすい必携本となっており、日本軍の強制連行について早期に否定的な見解を示しているにもかかわらず、加瀬氏はこの従軍慰安婦問題の「基礎の基礎」と言える本を「読んでいない」と公言して、あまつさえ自らを「歴史研究者です」と満面の笑みで言ってのけるのである。

 ちなみに加瀬氏は『中国人 韓国人にはなぜ「心」がないのか』(2014年、ベスト新書)という異様なタイトルの本を刊行しており、歴史研究者を通り越して単なる差別主義者の顔をのぞかせる。

 以上、ざっと笑えるところだけを取り出しても、このような痛快なドキュメントは初めてで、本稿執筆時点で首都圏では公開館数1(シアターイメージフォーラム。5月24日よりアップリンク吉祥寺、あつぎのえいがかんKikiでも)だが、6月にかけて全国で上映館数が増えるから、値千金なので見たほうが良い。

3】監督への個人攻撃に終始

月刊Hanada 6月号


 さてこの映画『主戦場』。先月4月20日公開からちょうど丸ひと月が立つが、いわゆる日本の保守派や右派や歴史修正主義者は、この映画を「反日映画」「偏向映画」「パヨク映画」などと脊椎反射的に罵る以上、体系的反論や批評がひとつもでていない。

 そこで探すと、今月号(2019年6月号)の月刊誌『Hanada』に

『総力特集 韓国の恥部 ドキュメント『主戦場』 従軍慰安婦映画の悪辣な手口』(P.316〜329、山岡鉄秀氏)
https://hanada-plus.jp/posts/1974


という一片を見つけた。これのみが、本稿執筆時点でほぼ唯一『主戦場』に対する保守側、右派側からの紙面上での反論・反証になっているが、中身は徹底的にこの映画の監督、ミキ・デザキ氏への個人攻撃に終始していて陳腐なものである。

 山岡氏は映画『主戦場』とはまったく関係のない、ミキ・デザキ監督が過去にアップロードした動画をあげつらって執拗にこう述べている。

(前略)なんとこの動画には、髭を生やしたまま女装をしたデザキ氏が登場する。カツラをかぶり、可愛い子ぶったいまどきの日本女性が口にしそうなお決まりのフレーズを、くねくねとポーズしながらしゃべり続ける。

「バナナダイエットで五キロ痩せたって!」
「ねえねえ、誰にメールしてるの?」
「これ、バーゲンで買った」「うざ!」

(中略)

「韓国行こうよ!最近、韓国語勉強しているよ!カムサハムニダ!!」

これが延々と続き、どういうオチになるのかと思っていたら、THE ENDの文字。と、次の瞬間、髪を金髪に染めて三つ編みにしたような男がアップで登場し、海に向かって叫ぶ。

「あー、ちんちん欲しいなあ!」

彼は、この動画で一体何が言いたかったのだろうか?

出典:月刊Hanada ドキュメント『主戦場』従軍慰安婦の悪辣な手口(P.318-319、強調筆者)
https://hanada-plus.jp/posts/1974


 私も、この動画だけで、ミキ・デザキ監督が何を言いたかったのかは正直言ってよくわからない。しかしながらこの山岡氏の論法は、「この主戦場という映画を撮っている監督は、”ちんちん”などという卑猥な言葉を口にする動画を撮影している愚劣な人間だ」という周辺の評価にすぎず、肝心の『主戦場』の映画評にはなっていない。

 繰り返すが上記の動画は、映画『主戦場』とは全く関係のない、たんなる別の動画である。

 しかし映画『主戦場』では、在米ユーチューバーの「テキサス親父」ことトニー・マラーノ氏が、「アメリカでは絶対にヤりたくない女には、こうするのさ!」といって、慰安婦像(少女像)に紙袋を被せて大爆笑している模様が映し出されているが、こちらのトニーの「醜態」については、その行為が劇中であるにも関わらずなんら言及がない。

 要するに、この山岡氏の作文は、映画『主戦場』以外の、監督の過去の行状をあげつらうだけで、肝心の映画への言及はいくらたっても始まらないのである。

4】秦郁彦を出せ!でも秦郁彦を読んでいない保守派

慰安婦問題では必携書と言える

「慰安婦と戦場の性」(秦郁彦著、新潮社)
https://www.amazon.co.jp/%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E3%81%A8%E6%88%A6%E5%A0%B4%E3%81%AE%E6%80%A7-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E7%A7%A6-%E9%83%81%E5%BD%A6/dp/4106005654

 山岡氏は以下ようやく映画『主戦場』の内容に触れ、こう続ける。

映画は、専門家ではない反対派(右派)の人々の意見に、推進派の学者(専門家)が反駁する形で進行する。吉見義明氏や林博史氏を出すなら、対で秦郁彦氏、西岡力氏を出演させなくては、専門家同士の議論でなくてはフェアな議論とはいけない。この点については、(2019年)4月4日に外国人特派員協会で開かれた試写会と記者会見の席で、直接デザキ氏に質問、デザキ氏の答えは次のようなものであった。

「秦先生にはインタビューしたかったが、連絡すると奥さんに夜電話してくれと言われた。アメリカ人の慣習としては夜電話するのが気が引けるので、翌朝電話したら怒られて取材を断られた。西岡先生に関しては、ネット上の言説を見た限り、他の人々の主張と大差ないのでコンタクトしなかった」

この時点で、六十点ぐらい減点しなくてはならない。

出典:月刊Hanada ドキュメント『主戦場』従軍慰安婦の悪辣な手口(P.320、カッコ内筆者)

 おわかりいただけただろうか。山岡氏は櫻井よしこ氏やケントギルバート氏や藤井信勝氏や杉田水脈氏は、(こんなに頑張って劇中でしゃべっているのに)議論に値する専門家ではない、と切り捨てている。そして秦郁彦氏を出さない時点で「マイナス60点」としているが、その秦郁彦氏の著作を「読んだことがない」と劇中で言い切る加瀬英明氏については特段何のマイナス評価も下していないのである。

 つまりこの山岡氏の月刊Hanadaでの理屈は、映画『主戦場』は、元従軍慰安婦に寄り添う人々の側にだけ専門家を出して、それに反対する右派、保守派、歴史修正主義者には素人しかいないのは不公平である、と言っているに等しい。

 しかし私の知る限り、トニー・マラーノ氏も、藤岡信勝氏も、杉田水脈氏も、「なでしこアクション」代表の山本優美子氏も、ケントギルバート氏も「(彼らなりに)がんばって活動をやっている」人々だし、すくなくともネット右翼界隈の中では論客とされているのだから、議論の相手として認めてもいいのではないか。特に加瀬氏は、自らが「秦郁彦の本を読んでいないけど専門家」と名乗っているのだから、そこは認めてもよいのではないか。

 山岡氏の論は、いわゆる元従軍慰安婦に寄り添う人々に鋭敏な反発を示しながらも、それに抗する「保守派」「右派」「歴史修正主義者」は、「素人」として一蹴し、映画の中に秦郁彦氏と西岡力氏の登場を切望している。はからずもこれに関しては、筆者も全く同じ意見であるが、ここまで「素人」と劇中に登場する「保守派」の人々をこき下ろすのも、逆説的に痛快だ。

 山岡氏は『Hanada』に寄稿するぐらいだから「保守派」「右派」と見做されているのだろうが、身内をかばっているように見えて、実は身内を容赦なく打擲している。それが意図してのことだとしたのなら、なかなか見どころがある。

5】また「ちんちん」か。

 そして山岡氏は、こう結んで終わる。

(前略)将来、取材依頼があったら、たとえ大学院生でも。必ず素性をチェックすることだ。もしその依頼者がユーチューバーで、自分の動画の中で女装して登場し、「ちんちん欲しい!」と叫んでいたら、おそらくその依頼は断ったほうがいいだろう。

出典:月刊Hanada ドキュメント『主戦場』従軍慰安婦の悪辣な手口(P.329)

 また「ちんちん」が出た。それも結句で。どうもお下品に過ぎる監督への個人攻撃を中心にしたお粗末な作文が、今のところ唯一の『主戦場』に対する反論であることからも、いわゆる「保守派」の言語感覚というものの程度が推して知れよう。(了)
https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20190520-00125557/

11. 中川隆[-9301] koaQ7Jey 2019年6月24日 10:03:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3188] 報告

2019-05-19
『主戦場』への遠吠えリンクまとめ
https://apeman.hatenablog.com/entry/2019/05/19/225316


戦時性暴力 文献紹介


先日ご紹介した山岡鉄秀に加えて、ケント・ギルバートが『正論』の6月号で負け惜しみを書いています。

とるに足らない内容ですが、「性奴隷の定義がどんどん勝手に広げられていく」と「かつてのGHQの「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」のようで洗脳そのものです」というクレーム(いずれも96ページ)には笑いました。

映画は「性奴隷」の定義について国際法を参照しつつ出崎監督の見解を示していくのですが、カリフォルニア州弁護士にとってこれは「勝手に」なのだそうです。後者については、右派論壇が盛んに言い立てる「WGIP」論の空虚さを示すものです。その他、現時点で気づいたものをメモ。

-テキサス親父日本事務局 2019年4月16日 「フェイキュメンタリー・フィルム 切り取り・デマ・捏造のカタマリ」

-日本会議 2019年4月19日「ドキュメンタリー映画「主戦場」について」

小林節なんかに取材したせいで、たしかにあの映画の日本会議に関する記述には事実に反するところがあったので、この抗議については「負け犬の遠吠え」とは言い切れないですね。

-なでしこアクション 2019年4月23日 「映画「主戦場」について」

その他動画をいくつか。

-字幕【テキサス親父】 慰安婦欺瞞ドキュメンタリー「主戦場」-Part1 - YouTube

-字幕【テキサス親父】 慰安婦欺瞞ドキュメンタリー「主戦場」・その2 - YouTube

-【上念司の深掘りPart5】@ ヤッちまった師匠SP!まさかのケント師匠が騙されて反日映画に出演!? - YouTube

-従軍慰安婦映画『主戦場』の悪辣な手口|山岡鉄秀|『月刊Hanada』2019年(令和) 6月号|花田紀凱[月刊Hanada]編集長の『週刊誌欠席裁判』 - YouTube


https://apeman.hatenablog.com/entry/2019/05/19/225316

12. 中川隆[-9300] koaQ7Jey 2019年6月24日 10:11:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3189] 報告
>>9
>映画は、専門家ではない反対派の人々の意見に、推進派の学者(専門家)が反駁する形で進行する。吉見義明氏や林博史氏を出すなら、対で秦郁彦氏、西岡力氏を出演させ、専門家同士の議論でなくてはフェアな議論とはいえない。

まあ、専門家(?)の秦郁彦氏、西岡力氏を出演させてもダメージが大きくなるだけなんですけどね:

吉田清治が詐欺師だというデマを広めた秦郁彦は歴史学会では誰にも相手にされない、資料改竄・捏造の常習犯だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/136.html

従軍慰安婦問題で詐欺師 西岡力と櫻井よしこが流した悪質な嘘とデマ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/133.html

今田真人「従軍慰安婦・吉田証言否定論を検証するページ」_ 吉田清治の話はやっぱり事実だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/132.html


河野談話を守る会のブログ 秦郁彦論説の嘘・デタラメ・捏造・歪曲・誤解
https://www.google.co.jp/search?hl=ja&ei=YnH2XP2CEYuymAWKkb2oDg&q=%E7%A7%A6%E9%83%81%E5%BD%A6%E8%AB%96%E8%AA%AC%E3%81%AE%E5%98%98%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%BF%E3%83%A9%E3%83%A1%E3%83%BB%E6%8D%8F%E9%80%A0%E3%83%BB%E6%AD%AA%E6%9B%B2%E3%83%BB%E8%AA%A4%E8%A7%A3%E3%80%80&oq=%E7%A7%A6%E9%83%81%E5%BD%A6%E8%AB%96%E8%AA%AC%E3%81%AE%E5%98%98%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%BF%E3%83%A9%E3%83%A1%E3%83%BB%E6%8D%8F%E9%80%A0%E3%83%BB%E6%AD%AA%E6%9B%B2%E3%83%BB%E8%AA%A4%E8%A7%A3%E3%80%80&gs_l=psy-ab.3...2930.2930..4643...0.0..0.173.173.0j1......0....1..gws-wiz.5PvrtoTbrew


河野談話を守る会のブログ 『慰安婦問題の決算』=秦郁彦は歴史学者の肩書を返上せよ!
https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html

13. 中川隆[-9301] koaQ7Jey 2019年6月24日 11:36:09 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3188] 報告
映画「主戦場」を中立的立場から見てきた件
名もなき投資家 2019/05/18
https://note.mu/value_investors/n/nb520a13fe900


こんにちは名もなき投資家です。

先日、話題の映画「主戦場」を見てまいりました。

「主戦場」は慰安婦問題を取り上げたドキュメンタリー映画です。監督は、日系アメリカ人ミキ・デザキ氏。アメリカ・フロリダ州生まれの日系アメリカ人2世。2013年ころからYouTubeに動画をUPしていたそうで、この作品は2015年ころからリサーチを始め映画作成をしていったそうです。

当初、インタビューに応じた慰安婦否定派(存在しない派)の方々が「騙された!これは見てはいけない!」と騒いでいたことから「それならば見てみよう」という人が続出し、話題になり注目を集めています。


出演者は慰安婦問題否定派・肯定派どちら側からも出ています。メディアによく出て有名なのは否定派の方々かもしれません。

出演者

トニー・マラーノ(テキサス親父)、藤木俊一(テキサス親父のマネージャー)、山本優美子(なでしこアクション)、杉田水脈(国会議員)、藤岡信勝(新しい教科書をつくる会)、ケント・ギルバート(タレント)、櫻井よしこ(ジャーナリスト)、吉見義明(歴史学者)、戸塚悦朗(弁護士)、ユン・ミヒャン(韓国挺身隊問題対策協議会)、イン・ミョンオク(元慰安婦の娘)、パク・ユハ(日本文学者)、フランク・クィンテロ(元グレンデール市長)、林博史(歴史学者)、渡辺美奈(女たちの戦争と平和資料館)、エリック・マー(元サンフランシスコ市議)、中野晃一(政治学者)、イ・ナヨン(社会学者)、フィリス・キム(カリフォルニア州コリアン米国人会議)、キム・チャンロク(法学者)、阿部浩己(国際法学者)、俵義文(子どもと教科書全国ネット21)、植村隆(元朝日新聞記者)、中原道子(戦争と女性への暴力リサーチアクションセンター)、小林節(憲法学者)、松本栄好(元日本軍兵士)、加瀬英明(日本会議)

私は右でも左でもなく、常に「事実(ファクト)」だけを見ていくタイプなので、今回の「主戦場」を中立的立場から見てまいりました。

そもそも私は、慰安婦問題があったのかなかったのか、性奴隷だったのかそうではないのか、軍の関与があったのかなかったのか、20万人なのかそれ以下なのか、正直わかりません。こうだったと断言することはできません。戦争を体験している世代ではないので、自分の目で確かめてきたわけではないからです。あくまで様々な立場を見聞きし、「体験者の発言」や「資料」や「データ」を元にしか判断できないからです。直接体験をした人以外が、特定の資料を元に「歴史を断言」していたとしたらそれはかなり危険なことではないかと常々思っています。


登場人物は、慰安婦問題否定派・肯定派ともにバランスよく出ている(代表的な人たちという意味で)と思います。監督がどちらかに肩入れすることなく、それぞれの主張を取り上げられていました。

ここで言う否定派・肯定派は、慰安婦問題そのものを否定する立場(否定派)か、慰安婦問題そのものはあったという立場(肯定派)ということです。


慰安婦問題否定派は、慰安婦は性奴隷ではなく自発的な売春婦で、お金をもらっていて、軍の関与はなく、強制連行はなかったという立場です。慰安婦像に否定的です


慰安婦問題肯定派は、慰安婦は性奴隷にされ、お金がある無しは関係がなく、軍の関与はあり、強制連行だったという立場です。慰安婦像に肯定的です

  慰安婦問題否定派 ↔ 慰安婦問題肯定派

慰安婦:   売春婦 ↔ 性奴隷
軍の関与: なかった ↔ あった
国の関与: なかった ↔ あった
強制性:   自主的 ↔ 強制連行
慰安婦像:  否定的 ↔ 肯定的


このドキュメンタリーは主に4つの論点+αから話が進められます。そして最後に、日本会議や神社本庁という組織や、靖国神社と国家神道も触れられています

4つの論点

1:「20万人」という数字について
2:「強制連行」だったのか否か
3:「性奴隷」だったのか否か
4:「歴史教育」について変遷
+α:日本会議、神社本庁、靖国神社、国家神道

■1:「20万人」という数字について


20万人という数字については慰安婦問題否定派・肯定派が激しく対立しています。

否定派は、当時の日本兵は150万人しかいないので、(左派の言うように)1日20人も30人も相手にして、日本兵が1日6回も性行為を行わなければ20万人などありえないという主張をしていました。

肯定派は、当時の日本の陸海軍の軍人数が最大で350万人なので、300万人日本軍に対し慰安所を設置する基準が、日本兵100人に1人の割合のように基準が決まっていて、そうすると3万人はいただろう。それを長い戦争の中で交代率を1にするのか2にするのかで最低でも5万人はいただろう、また資料には日本兵3人に対して1人というものもあるので、20万人はいただろうというような主張をしていました。


いずれの立場にしても、はっきりとしたデータや資料は存在しておらず、否定派も肯定派も憶測と、政治的意図から自分たちに都合のいいような数字を使っているようでした。

ただ、アメリカ国内での報道では「20万人」という言葉が独り歩きしていて、その点は根拠となるデータや資料がないのに一方的であり、かなり危険だなという印象を抱きました。

■2:強制連行だったのか否か

否定派は、強制とは縄で縛って連れて行くようなものを言い、そのような連行は官憲は行っていない、あくまで被害者は騙されてついていったのであり、朝鮮半島にいる商社なりリクルーターなりがいて、その人達が騙したことはあった。逆に、日本軍や日本政府はそのようなものを取り締まっていた、ちゃんとそういう資料も中央大学の先生が持ってきた、という主張でした。

ちなみに、根拠とされた資料を提示したという中央大学教授は「その解釈は完全に誤っている」と全否定していました。杉田水脈氏は新聞記事にも政府は悪徳業者を取り締まっている物があると主張していましたが、その新聞記事は慰安婦問題とは全然関係のないものでした。


肯定派は、当時の朝鮮半島の家父長制度や女性差別は実際にあり、そういうものをうまく利用した日本軍や日本政府が、リクルーターなどを使い慰安婦制度を作った。女性は、自由意志ではなく(騙された場合も本当の自分の意思で行動したのではないので)強制連行に当たるという主張でした。


オランダ政府の報告書では、1943年から約1年間の間にインドネシアや東南アジアで、日本軍による強制力を使った白人女性に対する事件があり、それは慰安婦問題否定派・肯定派ともに存在を認めていました。否定派であっても白人女性に対する問題は認めているのだということを初めて知りました。白人女性にはそういう事もあったが、アジア人の女性にはそういうことは一切なかったと言えるのだろうか、という疑問が残りました。

■3:「性奴隷」だったのか否か


否定派は、性奴隷ではなく、多額のお金をもらって仕事としてやっていた売春婦であるという立場だった。奴隷が家を5件くらい買えるくらい貯蓄があったそんな奴隷もいた、それって奴隷ですか?。奴隷とは鎖につないで地下に閉じ込めておくような場合を言う。という主張でした。

ちなみに、この当時占領下にある国では激しいインフレ(ビルマでは日本の1800倍)が起こっており、とても家を5件も買えるような状況ではなく、チップという意味合いであったことがわかっているようです。

肯定派は、奴隷というのは何も鎖に繋がれた事を言うのではなく、自由意志を抑圧されて、騙されて連れて行かれた場合も奴隷に当たり、奴隷制とは人をモノ扱いすることである、当時の慰安婦はそのような扱いを受けた。お金をもらったかどうかは奴隷制とは関係がない、という主張でした。


否定派も肯定派も、「奴隷」という定義の違いでかなり認識が違うのだなという印象でした。鎖に繋がれていなくても、相手の自由を抑圧し、意に反する苦役をさせていたということからすれば、強制性は否定出来ないのではないかという思いがします。

■4:「歴史教育」について変遷

大まかなあらすじを書きますと

1993年河野談話(慰安婦問題を認め、謝罪した)から、徐々に学校の教科書の中に「慰安婦」という言葉が多く使われるようになり、それに危機感を持った右派の団体によって歴史修正主義の反動が始まりました。

1996年終わり頃から「新しい教科書を作る会」ができ、自民党を中心とした議員(安倍氏が事務局長)によって「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」が結成されます。

そして、第一次安倍内閣で2006年に「教育基本法改正」が行われ、そこから教科書内容を審査しないでも不合格にできる規則ができ、出版社は(経営という観点から)文科省が不合格にしない内容へと自主規制で変えていき「慰安婦」という言葉が使われなくなり、2012年にはその文言は完全に削除されました。

その後2014年に朝日新聞が吉田証言を撤回し、慰安婦問題を1991年に最初に報じた植村氏は激しい誹謗中傷を受けて家族にまで犯罪予告をされる事態になったそうです。

そして映画の中には出てきませんが、2012年末以降、日本国内では道徳教科書の変化、歴史教育のみならず、メディア報道では「日本礼賛番組」が流行っています。これもある種の教育ではないかと思わざるをえません(刷り込みの意味)。

こうやってじわりじわりと人々の意識の中を改革していった様子が描かれていました。

■+α:日本会議、神社本庁、靖国神社、国家神道

そして最後に、日本会議や神社本庁との関係性がでてきます。ただ慰安婦問題だけで終わらせず、慰安婦問題(を否定する人々)の根底にあるのはどういった思想なのか、その思想の源泉はどこにあるのかを示していたという意味では、コンパクトにまとまっていたと思います。日本会議や神社本庁を全く知らない人にとっても新しい視点を与えるのではないかと思いました。

つまり、明治憲法(大日本帝国憲法)時代、主権は天皇にあり、日本は「天皇を中心とした神の国」でした。それが敗戦によって日本国憲法に変わり、宗教が国家権力に関与することができなくなった。それが徐々に勢力を盛り返し、歴史を修正し始め、現在は宗教が直接国家権力を動かし、憲法を変え、再び大日本帝国憲法の時代に戻そうという動きが起きている。

映画では、日本会議にとっては「憲法改正」「教育」「軍事」は三位一体ですべて同じ課題であるということが示されていました。すなわち、慰安婦問題は教育に関わることで彼らにとってはなんとしても否定しなければいけない問題なのです。


一番驚いたのは、様々な右派とのつながりがある中心人物(オノ・ヨーコさんともつながりがあるらしい)として描かれていた日本会議代表委員の加瀬英明氏の発言でした

加瀬英明氏「私は人の書いたものを読まないもんで。ナマケモノなもんで」

彼は慰安婦問題について肯定派の書物も、否定派の書物も一切読まないらしく、他人の考えを学習しないのだそうです。にもかかわらず、慰安婦などなかったと断言していたのが驚きでした。他人の意見を一切学ばないのになぜそれが「なかった」と言えるのか・・・論理的には説明できません。

あくまで彼自身の思い込みで行動しているのだなという印象でした。もう少し日本会議の中にも適切な人物がいたのではないかと思わざるをえません。

しかも「アメリカは人種平等の国ではなかった。1945年までは黒人に対する差別があって、キング牧師が公民権運動を始めてから一応開放された。これは日本が戦争に勝ったからなったこと。その恨みで日本の慰安婦問題を追求している人が多い」などという発言もしており、歴史認識さえ怪しいのではないかと絶句してしまいました・・・靖国史観的には戦争には負けたことにはなってないのかもしれませんが

また、「中華人民共和国がいずれ行き詰まって崩壊する時が来る。かつてソ連が崩壊したように。そうなると韓国は日本を頼らなければならなくなるから世界で一番紳士的な国になる。育ちの悪い子供が騒いでいるようでカワイイ。可愛らしい国と思って僕は好き」などとも言っていました

ちなみに、加瀬英明氏といえば、「低線量の放射線はかえって体にいい。広島の原爆の放射線で農産物を食べ、魚介類を食べ、皆さん健康。原爆の熱線は怖いが、その後の放射線はかえって体にいい」とか言っていた方です・・・

「低線量放射線が日本と世界を救う」加瀬英明氏
令和元年5月10日 憲政記念館 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=2ddRGsA9JZQ

うーん・・・


■慰安婦問題否定派の発言


◉杉田水脈議員


杉田水脈議員の発言。「中国や韓国は、技術で日本に勝てない。だから慰安婦問題などあらゆる手を使って日本を貶め、日本の製品不買運動を高めて自分たちの製品を売ろうとしている」と言うようなことと言っていました。

驚きました。中国が今は世界第二位の経済大国になり、技術的にはアメリカに追いつけ追い越せでどんどん最先端技術を開発し「5G」に至ってはアメリカより先行している状況です。

杉田議員の思考は20年ほど前の、大量の人民が大通りを自転車で移動している光景が焼き付いているのでしょう。現実問題、中国の技術力は今すごいことになっています。はっきり申し上げて特許数でも研究費ランキングでも中国は日本を超えてきています。

杉田議員の発言は現状認識(ファクト)とはかなりズレてると言った印象でした。


※画像は、アベマTVと日経より


◉藤木俊一氏「フェミニズムを始めたのはブサイクな人たちなんです。要するに誰にも相手にされないような人たち。心も見た目も汚い。こういう人たちなのです。」


え・・・(ー ー;)


◉藤岡信勝(新しい教科書をつくる会)「国家は謝罪してはいけない。国家が謝罪しないのは基本命題。是非覚えておいてください。国家は仮にそれが事実であったとしても、謝罪したらその時点で終わり。」

この発言の後に、レーガン大統領が戦前の日系人強制収用を謝罪するシーンが流れてました・・・

ただ、これは簡単に比較できるものなのかは疑問です。アメリカは日系人強制収用は謝罪しましたが、日本における無差別爆撃や原爆投下などは謝罪をしていません。あくまでアメリカ国内政治問題として無視できない日系人(日系のアメリカ人)に対する謝罪だったということです。

■慰安婦像


慰安婦問題肯定派(あったという派)はアメリカ国内にいくつもの慰安婦像を設置しています。私はこれが疑問でした。慰安婦問題はアジアの大陸の中で起こった出来事なのに、なぜアメリカの中に慰安婦像を多数設置するのかと。それについてミキ・デザキ氏はこのように答えていました。

「なぜ慰安婦と関係がないアメリカに少女像を建てるのか、私も最初は不思議だった。でも左翼系の活動家は日本でこの問題が忘れられているだけに、全世界に少女像を置きたいのだと分かった。一方の右翼系は、アメリカ人の歴史認識を変えられれば世界中に影響が及ぶと考えたのではないか」

※Newsweek「言論バトル『主戦場』を生んだミキ・デザキ監督の問題意識」より

左派系も右派系もそれぞれが慰安婦問題を政治利用しているなと感じざるをえないような点も有りました。主戦場はアメリカということなのかもしれません。


■その他気になった点がいくつか


◉日本会議の重鎮としてもうちょっといい人がいたのではないか
◉慰安婦のおばあさんたちのインタビュー映像が殆ど出てこないのはなぜか
◉新しい教科書をつくる会にも参加していた、自分がネトウヨを作ってしまったと言っている小林よしのり氏にもインタビューしても良かったのではないか
◉日本会議系の国会議員にもインタビューしても良かったのではないか
◉慰安婦問題肯定派(あった派)の国会議員にインタビューしても良かったのではないか
◉慰安婦問題否定派がときに薄ら笑いを浮かべてるのはなぜなのかが気になった

■終わりに


一般的に、左派も右派もそれぞれが自分たちは正しいと思いこんでいるので、そもそもお互いに議論をしようとか、お互いの意見を聞いてみようという態度になりません。

戦争を直接体験した世代でないにもかかわらず、歴史的事実と「断定」をし、自分たちの考えは間違っていないという思考に陥り、お互いがお互いを否定し、歩み寄ってお互いを理解しようとはしません。

しかもそれが国同士に波及すると、「相手の国民はこういう考えに違いない」と思い込み、反日、反韓、反中などといって、民族的な対立問題に発展し、そこに「紛争」が発生するのだと思います。

まず断定的な自己主張をする前に、違う意見の相手の主張を聞いてみるという態度は極めて大事ではないかと思う今日このごろです。


世の中には様々な問題が混在していて、近年は「慰安婦問題」は世の中から忘れさられていたと思います。この作品を通して、否定派・肯定派の意見をあぶり出し、その問題を改めて世に問うてくれた日系アメリカ人のミキ・デザキ氏に感謝します。


■追記(2019年5月30日)


新しいニュースが出ました。保守派の方々が、騙されたと抗議の声を上げたそうです。

「だまされた」と保守派が抗議 慰安婦映画「主戦場」
https://this.kiji.is/506755779450520673

記者会見 - 映画「主戦場」の上映を差し止める - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=vDeR0CLG3dU


それに対してデザキ監督がコメントを発表しました。

当時大学院生で映画が卒業プロジェクトだと説明したのは事実だが、もし完成した映画のできが良ければ映画祭への出品や一般公開も考えていると言っていたそうです。契約書もとっており、しかもそのことを伝えるメールも残っており、しかも映画公開に先立ち送ったメールに対して肯定的な内容の返信が返ってきたそうです。


『主戦場』2019年5月30日 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=6WdVrzp40bg


映画『主戦場』2019.5.30映画『#主戦場』をご覧になった皆さん 楽しみにしている皆さん 「絶対に観るもんか!」な皆さん   ぜひこの動画をご覧くださwww.facebook.com

■関連記事


・2019/06/03 慰安婦問題の映画「主戦場」の監督、出演者らの抗議に「手続きに問題はない」
https://hochi.news/articles/20190603-OHT1T50106.html


・2019/06/03 話題の映画「主戦場」 出演した保守論客が騒ぐほどヒットする“自業自得”
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/255278

・2019/06/03 慰安婦テーマの映画「主戦場」が場外乱闘に…櫻井よしこ氏らの抗議に監督が猛反論
https://www.bengo4.com/c_23/n_9715/


・2019/05/31 慰安婦問題に迫るドキュメンタリー 映画「主戦場」めぐりバトル
https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201905/CK2019053102000136.html


https://note.mu/value_investors/n/nb520a13fe900

14. 中川隆[-9300] koaQ7Jey 2019年6月24日 11:40:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3189] 報告

社会科学者の随想 2019年06月23日

従軍慰安婦問題に関する映画『主戦場』2019年4月封切りから2ヵ月が経ったころ,実際にこの作品を観賞した人たちの感想をめぐって(その1)
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1075054438.html

【『主戦場』 “SHUSENJO:The Main Battleground of The Comfort Women Issue”


       2018年製作映画】


【監 督  ミキ・デザキ,上映日 2019年04月20日 上映時間:122分】

【製作国  アメリカ・日本・韓国】

【ジャンル  ドキュメンタリー】
【脚 本  ミキ・デザキ】

 ◆「主戦場」に投稿されたネタバレ・内容・結末(の紹介) ◆


♣ 以下においては,寄稿のさい添えられていた「評点(5点満点)」は,

  わざと触れないで引用する ♣


 註記)引用されるホームページは,https://filmarks.com/movies/83222/spoiler? 以下であるが,感想の投稿が増えている場合は「冒頭」段落において,その分を「★−1,★−2,★−3,……」と具合に,連番を振りながら,そのさいは逆順に(新しい日付の感想をさきに並べていくかたちで)追加していくつもりである。


 なお,上記の https://filmarks.com/movies/83222/spoilerhttps://filmarks.com/movies/83222/spoiler?page=4 まであるが,投稿の追加分があると,この page ごとに収載されている各感想のうち,一番後方に位置するものから順送りに,次頁に移動していくので,この住所(アドレスの page など)も,あえて註記しないことにした。

 本日〔6月23日正午まで〕の時点で,早速,新しい投稿がひとつ登場していた。

 以下に長々と数回に分けて紹介していくが,これらの感想は,投稿された期日のあとになれば順次,読むことができた一覧である。それはともかく,この作品『主戦場』を劇場に実際にいって鑑賞してから,これらの感想を読みなおしてみた。

 そこで,冒頭から本ブログ筆者なりに “先入観的な感想” となる。「左側(革新ないしはリベラル側)」の関係者たちは,なるべく事実の追究にもとづいて発言しようとする努力が観てとれるのに対して,「右側(保守ないしは国粋側)」の人士たちのいいぶんは,一様に,ただこの『美しく国』にあっては従軍慰安婦に関する「歴史の問題」など,けっして存在してはいけない〔するはずもない〕ものだと決めつけたい心情:思いこみを,正直に表出させていた。

 第2次大戦後になってからは,アメリカであっても韓国であっても,あちらこちらの戦争・戦場において,旧日本軍の慰安所に似た施設をもっていたではないかという「右側からの反論」は,特殊・具体的に強調できる歴史問題の実例であったが,それをあえて普遍・抽象の次元にまで引きずりこんでから,この問題の意味を可能なかぎり希薄化させようと必死の議論を試みている。

 片やできるだけ歴史研究の成果・業績を武器に論じようとするが,片やもっぱら自分たちの理念・信条をもってのみ対するのであるから,その議論がはじめから噛みあうわけもなく,後者は前者に位負けしていた。双方の立ち位置からして顕著に「質的な重み」に差があった。


 右側陣営において隠しようのない議論の粗雑さは,結局「歴史の判断」に耐えうる素性・組成をもちえない。それゆえ,問題の全体について発言する彼らは,闇雲的かつ問答無用的にも一般論で否定しつそうとする。その議論の方途は論理的であるよりも感情的に先走っている。


 いわく「日本人は間違ったことはちゃんと謝る」(映像どおりの文句ではなく,文意をとって表現)が,某国の連中はそうではないといった具合に,相対的な違いでしかありえない「差」を絶対話法で語るゆえ,信頼度の面でもどうしても勝てない。


 相手との議論が真正面からまともに成立できて出発しているのではない。初めから否定するために話しているとなれば,この否定の立場が相手側の発言をのっけから完全に無視するといった,無限の螺旋階段を駆け上っていくほかない。


 しかもそれは『バベルの塔』内に設けられていたごとき「彼らの専用階段」であった。歴史観・世界観の差異をたがいに話しあうのではなく,まず相手をみくだすことを主眼とする右側の基本的な姿勢は,初めから,不毛を約束されたかのような「非生産的な雰囲気」を濃厚に漂わせていた。

 以下に『主戦場』に感想として投稿された文章・意見をすべて紹介していき,必要な個所には本ブログ筆者の寸評も添えておく。引用の順番は直近から振りはじめることになる。前段にも断わったが,★の付いた番号の感想は,その後に新しく投稿された感想である。必要に応じて随時収録していきたい。


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 ★−3 pariparichiken 2019/06/24 00:33

 否定派と肯定派がバチバチにやりあってるなかでの,「日本を否定されたように感じるから慰安婦問題を否定した」と発した日砂恵・ケネディ氏が出てくるタイミングが絶妙。


 多くの日本人がこの発言に自分を重ねたように思う。これによって,ボコボコに殴りあうリングを場外で鑑賞する側から,急にリングに審判として引っ張り出されたように感じた。

 審判として場内に入ってからの教科書,報道などの身近な場所で政治的統制がかかっているよ問題,からの締めの怒涛の差別発言自動記述マシーンおじさんこと加瀬英明氏をもってくるのは,鑑賞者に現在の政治に懐疑心をもたせるのに完璧なプロセス。

 あらためて文字だけではなく,映像にすることによって表情・声・視線・話す速度がくわわり,生々しく本音と建前が分かりやすく出ていてドキュメンタリー作品の楽しみ方を学べた。


 他の否定者がどんどんボロを出しながら喋るなかで櫻井よしこ氏のガードの高さが笑い所。(でも笑えない) 2時間ずっと思考が止まらなくて,でもこの作業はあらためて政治をみるなかで大切なことだと気づきました。

植村隆画像 補注)櫻井よしこは時期的に判断するに,従軍慰安婦問題に関連する裁判の被告になっていたせいで,そう簡単には軽々に「自分のいいたいこと」を発言できない立場にあった。関係の日付は,つぎのように註記しておく。


 『植村裁判資料室』(https://sites.google.com/site/uemuraarchives/bouchou1)は,櫻井よしこを被告の1人にした裁判であるが,裁判が開始された時期に関しては【東京地裁 2015年4月27日】,そのホームページ(ブログ)における直近の報告については,「最終更新日 2019年5月14日」などと記している。

 出所)右側の人物は植村 隆,画像資料も同上から。


 ★−2 納豆まみれ 2019/06/23 21:26

 ドスンと衝撃を喰らうドキュメンタリーだった。従軍慰安婦という,センシティブなテーマを否定派,肯定派両者のインタビューをしっかりとり,組み立てられた映画だ。中立として撮られてはないが,否定派のインタビューにもしっかり時間を割いる。

 映画は肯定派の意見を交えながら,否定派の意見に真摯に反証をおこなっていくんだけど,否定派の意見が結論ありきの証拠探しで出てきた脆いものが多い印象を受けた。

 なによりも否定派の発言には,過剰な日本美化や人種差別,女性差別は入りまじり,隠そうとすらしない人物もいて,こっちの人間の側にはいきたくないなと素直に思う。

 しかし,この映画の終盤に語られる安倍政権下で否定派の意見が尊重され,教育の現場から慰安婦等の戦時下の醜悪なおこないが消されていく過程はぞっとするものだった。もう慰安婦問題をほとんどしらない世代が親になってきている時代になっている。

 このままでは日本は“美しい国”どころか周辺国からの評判を下げる一方だろう。

 ただ,この映画で1番インパクトを残すのは否定派,日本会議などをつなぐ元締めのような立場の爺さん。「私は人の書いた本は読まないんですよね」といい放ち,考証をいっさいおこなってないだろう自説を主張する。

 あまりの反知性っぷりに度肝を抜かれた。いまの日本の現状がいかにヤバイことになっているか思いしらされた。
補注)いささか大げさないい方になるが,安倍晋三の為政(内政・外交)の基本は「従軍慰安婦問題」の否定に観取できるかもしれない。北朝鮮との国交回復ができないのは,拉致問題あるからではなく,この問題を前面に出して喧伝しまくり,国民たちの政治意識(感情)をたぶらかす政治手法しか採れない “安倍の限界” にその基本原因があった。

 対米従属国家体制(いうところの『美しい国』)に向かいみずから進んでいるだけでなく,自国兵士(自衛隊3軍)の生命すらアメリカのトランプに捧げる気持を,「米国のために生きている忠犬」ではないかと思わせるほど馬鹿正直に表現しているのが,現在進行形中である安倍晋三の為政全般である。

 ミキ・デザキの今回における映画作品『主戦場』は,従軍慰安婦問題をとりあげたこの作品によって,日本国民の潜在意識に隠されていた安倍晋三的なモノをあぶりだし,徹底的に批判することによって,こちら側における危険な因子を引っぱり出したといえる。


 ★−1 tonzura 2019/06/22 19:37
 映画備忘録(不定期)】 映画「主戦場」を観た。日本が戦時中に韓国や中国,フィリピンやインドネシアなどの女性を強制的に日本軍兵士達の “慰安婦” として性奴隷にしていた事実に対するさまざまな人たちの主張や認識を映し出した作品。

 とにかく,情報量がすごい。自分に都合の良いものだけを真実と呼び,都合の悪い事実をなかったことにする。「日本会議」に連なる “論客” たちの浅はかさがきわ立つ。恐ろしくもある。なにせ,その主張や思想をもつのがいまの安倍政権であるのだから。

 あったことをなかったことにする。いまの政権の得意技。そして,それは他者にも強制される。とくに教育とメディアへの介入があからさま。ここ数年で,その圧力はますます高まっている。順調にその介入がシステムとして構築されている事実が映画には映し出されている。

 人権意識は皆無の歴史修正主義者は,その思想的醜さにまったく気づいていない。映像の力を感じさせてくれるドキュメンタリーでした。これがゆくゆく地上波で流れたらいいのになぁ。あるわけないか…。

 1 ムラサキ 2019/06/21 00:06
 慰安婦問題は肯定派と否定派の人権感覚の差が出てるなと思う。否定派側の有識者として招かれてた著名人が,平気な顔をして 「人の本は読まない」「国家は過ちを認めてはならない」「第2次世界大戦でアメリカに勝利した」などいってたのには,乾いた笑いが出た。もっとましな人はいなかったのか疑問だったが,中枢にいる人たちがこれだから,いなさそうにも感じる

 2 しらす丸 2019/06/20 22:35
 編集の面白さよ。中立? そんなものは初めから期待すべきではない。さまざまなインタビューをどのようにみせるかで,ストーリーがミステリーがメッセージが浮かび上がる。ゾクゾクする絶望。どう考えたって狂っている。

 元ナショナリストにインタビューできたのが大きいんじゃないか。右派だの左派だのは関係なく「被害者を侮辱するな」ってことじゃないか,1番いわなきゃいけないことは。狂っているこの国は主戦場。どう戦えばいい?

 3 白 2019/06/19 00:08
 A「後日感想」 自分で少し調べて,映画のことを再考してみた。

 1点目に,本作において論争は必らずしも公平に扱われてはいない。いわゆる慰安婦問題に強制性や性奴隷性があると主張する側は,歴史学者や政治法学の専門家らであるのに対して,極端で醜悪な否定的主張をする右派論壇側に学問の専門家はいない。こうした点で対等な論争構造にはなっていないことが分かる。

 2点目に,用語の意味や強制性などについての定義が共有されていない一方的な進行である。結局,両者はすれ違ったまま対立を終わらせ,結論は明確に完了せず,観る者には印象ばかりが残るだろう。
 補注)この指摘は適切だと思われる。ただし,『主戦場』という映画が制作された企図や経緯に対して無理強いをしている。このような感想で出る程度に “制約:特徴のある映画” として仕上がっていれば,それはそれでよしであり,この特性に即して鑑賞・評価すればさらによし,ではないのか。

〔記事(感想)に戻る→〕 全体的に右派論壇の極端な主張の否定に留まっているものの,学術的な反論や正義を自称する両者の傲慢な部分についてしれるのは楽しい。ただやはり原因解明的ではない。「彼ら / 彼女ら」がなぜかくも明白に語りうるのかについてしりたかった。

 そしてふと思ったのだが「歴史修正」という言葉じたいを悪者扱いする必要はないと感じる。新しい史料や証拠が出たら歴史的記述を修正するのは当然では? 私たちが忌避するべきなのは「歴史捏造主義」だろう。自分が信じたい歴史だけを信じることが愚かなように,(上記の意味で学術的な)歴史の修正を忌避することも愚かだと思う。
 補注)この人に関しては,「歴史の否定」があっての「修正と捏造」である点を,あらためてもっと意識してほしいところではないか。しかも,比較・考量しにくい同士の議論・対決である。その否定が修正や捏造と同居していなければならない事情さえも,当該問題の中心部に介入してこざるをえない背景となっているゆえ,つまり当然に関連してくる要因として配慮しておく余地はある。

 櫻井よしこは「私は Revisionist(修正主義者)ではありません」,「私が歴史を都合のいいように書きかえているとは全然思っていません」と強調していた。だが,元日本軍「慰安婦」証言記事を「捏造」と断じて,植村 隆・元『朝日新聞』記者から名誉毀損で訴えられた訴訟に関連させていうと,彼女はもともとジャーナリストの立場から従軍慰安婦問題を認める立場から報道した「過去」をもっていたのだから,いささか話の筋がねじれてこざるをえなかった。

 というのは,櫻井よしこが自分の立場のことを毅然と「Revisionist(修正主義者)ではありません」,「私が歴史を都合のいいように書きかえているとは全然思っていません」というのは,それなりに基本から間違えてはいながらも,表面的には筋が全然通っていないわけではなく,彼女なりに「歴史の解釈を修正(訂正?)しただけだ」といえなくもないからである。


 要は,櫻井よしこの「歴史の理解」に関する観察力・洞察力には不可避の絶対的な不足あるいは意図的な歪曲などがあって,以前は従軍慰安婦問題を「認めたことになるほかない言論活動をしていた」にもかかわらず,その後においてはそれを全面的に否定する方向に「思想・立場・方針など」を変更していた。


 そうなったのであれば,それはそれで彼女がかかえていた「従軍慰安婦問題に関する歴史理解」の不十分さ・不徹底さが,あらためて反省されるべき材料として提示されていたはずである。しかし,この自身における『転向問題』はどこかへ収納されたまま,これまでずっと隠蔽状態になっていた。

 いずれにせよ,櫻井よしこは「自分の立場に関して変更があったその事実」について,ともかく「都合のいいように」すっかりほっかむりだけは決めこんでいた。それでいて櫻井は,自分を「Revisionist(修正主義者)ではない」といいはっていたとなれば,この人はもとより信頼に値しない,換言すると「修正すら断わってできない,融通の効かないズルイ言論人」だったことになる。

“ 以上の櫻井よしこに関する議論の根拠については,本ブログ内の記述のうち,2019年05月08日「櫻井よしこ,従軍慰安婦問題に関して2世紀に跨がった二枚舌遣い,かつてのリベラル的なニュースキャスターも,いまではネトウヨ風に国粋・保守・反動陣営のただのアイドル・オバさん」を参照されたい。

 ともかく,肝心な個所だけをもう一度,ここに引用しておく。

 櫻井よしこは,1992年7月18日号の『週刊時事』(時事通信社)で,つぎのように書いていた。
櫻井よしこ
 東京地方裁判所には,元従軍慰安婦だったという韓国人女性らが,補償を求めて訴えを起こした。強制的に旧日本軍に徴用されたという彼女らの生々しい訴えは,人間としても同性としても,心からの同情なしには聞けないものだ。

 売春という行為を戦時下の国策のひとつにして,戦地にまで組織的に女性達を連れていった日本政府の姿勢は,言語道断,恥ずべきであるが,背景にはそのような政策を支持する世論があった。とすれば,責任を痛感すべきは,むしろ,私たち1人ひとりである。
 それにしても映画もやっぱり「メディア」なんだね。この恐ろしいまでの求心力に視る人はどれだけ自覚的でいられるだろうか。アルチュセールのイデオロギー装置としてのメディア。
 補注)アルチュセール(Louis Althusser,1918〜1990)とはフランスの哲学者で,マルクス主義理論を構造主義的にとらえなおし、斬新な理論構築を企てた人物と説明されている。

 @「当日感想」 〔政治〕色に囚われて二項対立的な議論に陥りがちな話題。

 物事は「右は間違っている,ならば左のいっていることはすべて正しい」といったふうに,けっして単色では表わせない。数字やみずからの正義理念に足元を掬われて,グラデーションの存在を皆忘れている。

 自称評論家やワイドショーがあまりにも馬鹿馬鹿しくみえるのは,彼ら・彼女らが弁証法を心がけていないからだ。そして映画やテレビというメディアに心を奪われ,思考停止寸前に立たされているのは,この映画を観る私たちである。

 しょせん,大衆なのだという自認の欠如は,言論に行動が先立つ反知性主義を生む。メディアを消費することによってしか語ることができない人びとは,この映画を観てもなお居丈高でいるだろう。それではダメだったんだと,この映画は叫んでいる。
 補注)この映画『主戦場』のなかで,このように「それではダメだったんだと」いわれているのは,もっぱら右側(保守・反動)の側だったと解釈してよい。

 4 D 2019/06/15 19:18

 この映画でさえ情報の偏りはある。問題の本質は誰が間違ってるとか正しいとかではなく,本当の史実はどうだったかでもなく,なにもしらないことだ。これは政治の問題でもあるし,教育の問題でもあるという意見に反対しないが,それよりも個人の問題であると考えるのが大事なんだと思う。1人1人の考える力が大事なんだと思う。なにも考えない人には否定派の人たちを笑うことさえも許されない。

 5 よこやま 2019/06/14 23:40
 インタビューの背景が,右派は黒や会議室,強い照明が使われているのに対し,左派は本棚や賞状(?)なのが,意見の論理性を操作している感あった。話の作りも右派の主張に対して左派が論破する構造で,監督の主張がそこに現れていると思った。

 右派の人達に流れる差別意識に困惑する。「LGBTは生産性がない」発言の杉田水脈は昔からずっとそういう人なんだなと思ったし,国会での麻生太郎はほぼ寝てる。(編集の仕業かもだけど)

 映画も教科書みたいに国家で規制かかっちゃったらどうしようとか心配になった。

 6 いけだ 2019/06/13 17:10
 どちらが正しいとかはいっさい書くつもりにならないけど,主張と論拠が整理されていて観やすい映画だった。自分の考え方をひとつもつために観ておきたい作品。ただ右派は皆極端な考え方の人ばかり出していて,違和感ある。

 これ(というかドキュメンタリー)をみて分かった気になったり,自分は誘導されてないと思ったりするのは危なすぎる。取材や検証,撮影,編集を経たらどうしても作者の主観的な要素が入ってしまうから,ドキュメンタリーに完全に客観的な部分もノンフィクションな部分もない,てことは留めておきたい。

 7 Kanta 2019/06/12 21:14
 原 一男の『ゆきゆきて,神軍』を明らかに意識した,バチバチにキマッたオープニングから始まり,日本人こそがアジアの神といわんばかりに傲慢で無知な発言を繰り返す右寄りのおっさんの語りで幕が降りる。


 なにが良くてなにが悪いか,正しいか悪いかは置いといて,というか,自分自身それを語るだけの器量も知識もないから語れないんだけど,あんな馬鹿げた発言を世界に向けて発信してしまった人たちがこの国を動かしていることに恥ずかしくなった。

 補注)本ブログ内で関連する記述は,つぎのものがあった。主題のみ挙げておく。リンクも張ってある。2015年01月25日「昭和天皇−奥崎謙三−靖国神社」。


 8 みさと 2019/06/09 18:28

 やっっばい〔やばい〕)。意外にも若い人がたくさん観にきてた。某生産性の議員や,黒幕さんインタビューのとこで劇場内クスクス笑い起きてて,でも彼らは大真面目なんだわな。

 その辺のホラーより怖い!! プロパガンダ映画かどうかは全編みたうえで判断すると良いかもです,,,!!

 最後の方で「なんでみんな慰安婦に関心もつんですか? 一種の〇〇的関心だと思うんですよね」の言葉が,鑑賞以降たまにフラッシュバックして泣いてしまう。

 最後に,「数字のデカさや悲惨にところにばかり気をとられて足元救われるなよ」って肯定派への助言が良かった。

 もはや右とか左とかじゃない。日本 vs 韓国じゃない。人権があるかないかなんだな。という感想。

 95歳もと少年兵の人の「天皇と聞いただけで背筋が伸びる,上官の命令は絶対」「あのころの日本は女の人格なんて認められてなかった」という言葉が重い。

 すごいものを観た。胸糞発言を大スクリーンで浴びまくる胃もたれ,必須ムービー!

 9 マリちゃん 2019/06/07 10:43
 慰安婦問題を題材に,歴史修正主義の説明を介して,政権の向かう方向を明快に描いた痛快作!

 10 ミ ハ 2019/06/05 23:40
 吉祥寺アップリンクの青いトンネルを抜けながら,心がすっと落ち着いて,じわじわと頭のチャンネルが切り替わる。たいていはいつも,映画本編がはじまって導入の映像からアナログ式にゆっくりと映画世界へ入りこんでいくのだ,が,今回は違う。はじまるとすぐスイッチオン・Youtube の再生スイッチをすでに押したかのようにミキ・デザキのナレーションが流れ出す。

 韓国における慰安婦問題について,さまざまな論客や関係者にインタビューするこの映画。あたかも彼ら同士がディベートするふうな緊張感ある映像づくりと編集により映し出されるのは,右派,リベラルを超えた 顔 顔 顔 とその声。情報量と速いテンポ感によりつぎつぎと展開されるこの映像を,単なる映像ではなく映画たらしめているのは彼らの表情だ。

 慰安婦にまつわる議論の食い違いに注目し,真相に迫るインタビューの流れは,デザキ〔監督〕のスタンスを示すとともに,観客が最初から感情的にならないようにうまくしかけられている。しかし会場でも終盤になると,いくつかの発言には思わず苦笑いが漏れ聞こえてくる。

 実際,こんなふうに映画として編集されていなければ,こんなに落ちついた気持で彼らの言葉にゆっくりと耳を傾け,その表情をみつめることなんでできないだろう。貴重な経験だった。だって単純にその人たちの言葉の端に怒ることだけでは,もうつぎにはつながらないことは明白じゃないか。映画でもそういっている。

 国際的報道では,第2次世界大戦にて日本が韓国でおこなったことは「20万人の女性を強制的に性奴隷とした」ことがスタンダードである。それぞれの論客が,「奴隷」や「強制連行」という単語の解釈,「20万」という数字の根拠についておのおの意見を述べるシーンは核心をつく。

 「奴隷」状態とは,女を縄で縛って牢屋にぶちこむことではなく,女に休暇を与えたとしてもその自由意志を奪い精神的あるいは肉体的に従属させることである(こう思うと奴隷状態とはすぐに起こりうることである)。

 「強制」連行というのは,無理やり力づくによるものだけでなく,国際法上,詐欺や甘言も含む。さらに,「20万」という数字の根拠は不確かであるのにかかわらず,人権団体などはその単純な数の多さから好んで用いるようだ。言葉も数字も,1人歩きさせればいくら主張してもそれだけで,なんの議論にもならない。

 たとえ意見の立場が違っても,こういった態度を同じようにとることが往々にしてある。言葉という事実そのものをこえた「態度」に,その人のいいたいことがある。それは自分がいいたいことを通すための主張なのか? なにをみすえてその人は,主張しているのか? これは逆もいえる。なにをしりたくて私は,その人の言葉に耳を傾けるのだろうか?

 『主戦場』の最後では,被害者の言葉で締められる。これまでニュースの点と点が,人物の表情をみせていくことで線になっていく映画だった。これからのニュースの点を結んでいくのに,確実に土台となるだろう。逆にいえば,これからのニュースの点を負わなければ〔←追わなければ?〕ほとんど意味がない。


 個人的に気になったのは,慰安婦像の問題だ。本編では,最後さらっと肯定されていたが,わたしには,慰安婦像には,なにか英雄的記念碑像としての強さのような雰囲気を感じて違和感が少し残る。


 もちろん,慰安婦像によってその事実を周知し,考えることは大切だ。だけど,この違和感はなんだろう。卒論で書いたマリノ・マリーニからも続く彫刻というテーマにおいて,このことについて考えながら読書を進めたい。

 最後に印象的だった当時日本兵であった松本さんの言葉を。「終戦までの日本は,女性の人権はなかった。おかしいといわれても事実そうだった。」(※原文ママではないと思います)。

 対立的な議論が多く検証されてきたなかで,この言葉が飛びぬけて目立っていた。それまでの論客による議論があったから重みがあったともいえる。この発言は,日本を韓国と置きかえることもできる。東アジアにおける儒教的家父長制が今回の問題と深く関係することが本編でも示唆されているように。そしてきっと世界をみれば,アジアだけのお話じゃないだろう。

 当時,日本兵もそういう社会に生きていたし,女性もそういう社会に生きていた。問題は複雑だ。そして,わたしがこの社会に生きていることはやっぱり必然的ではないし,わたしの状態も必然ではない。だからこそ,ようやくいろんなことが認められはじめた社会で生きるからには,やることはたくさんある。

 11 Reo 2019/06/04 00:10
 最終的な主張があるとはいえ,限られた時間のなかである程度は両論に真摯に向きあっていた気はするし,もちろん切りとられてはいるだろうけど,2時間ですべてをしった気になろうという方が傲慢なので,これは慰安婦論争の現在地をしるうえで貴重な資料なんだと思います。

 それにしても “保守” をかかげて現われるのが,こういう人たちっていうのが保守側の致命的に良くないところなんじゃないか。

 12 Xxxzzy 2019/06/03 21:24
 おもしろかたー! オノ・ヨーコのいとこやばすぎいい〔ヤバすぎる〕。95歳のおじいちゃんしっかりしすぎいい〔しっかりしすぎている〕。安定の日本会議と岸〔信介〕の孫安倍すぎいい〔すごい〕。日本の問題,ここに帰結しすぎいい。ほんと日本出ようかなという気持が高まりますね。1億円もらっても性奴隷は性奴隷という言葉響いた。

 13 つるぎたけし 2019/06/01 08:11
 2019年6月1日〈ほとり座にて鑑賞〉 たびたび報道される慰安婦問題を題材にしたドキュメンタリーだが,日韓それぞれの視点にくわえ,さまざまな立場からの歴史検証にもとづく証言をみれるのはおもしろい。

 しかし,映画作品である以上は,監督による演出で個性がみてとれるのは当然だとしても,監督みずからがナレーションをおこない,編集も自分でおこなった「監督の自分が思う主張はこうです!」という押しつけな部分を感じてしまうのは,いただけないと思った

 主義一貫としていない発言を聞いていたり,まったく的外れに感じる主張をみている分には十分面白いし,あまりしらなかった一面を伝えている点は素晴らしいと思う。今後,いままでの印象とは異なった見方になりうる某ジャーナリストとか,政治家とか,不利益と思える人びとからの糾弾も辞さない作り手の心意気には敬意を表したい

 14 shurin 2019/05/29 23:32
 サンフランシスコと大阪市が慰安婦像の設置をめぐり,姉妹都市連携を解消した問題…,徴用工が日本に補償金を迫っている問題…,日本人的には蒸し返したくない問題が噴出し,右じゃなくても日本を擁護したくなっていたこの時期に,この映画を観れたことは幸運だった。

 日本や韓国の若者たちへの街頭インタビューは多少編集されてはいるだろうが,日本の慰安婦に対する歴史認識は甘い。私も平和記念資料館などではみたが,中高の教科書でしっかり学んだ記憶はない気がする。それは本編の新しい教科書をつくる会の話にもつながってくるのだが…。


 1965年に精算したじゃん,って私も思ってたんだけど,日本が慰安婦問題を認めたのは1992年で明らかに矛盾が生じているっていうのはしらなかった。でもやっぱり,ここからどうするかっていうのは,また別問題…。

 補注)「〈私の履歴書〉石原信雄 22,PKO協力法 自衛隊の海外派遣に道 天皇の訪中,初めて実現」(『日本経済新聞』2019年6月23日〔つまり本日の〕朝刊)でたまたま,石原は1992年当時における従軍慰安婦問題関連の事情を,つぎのように語っている。ここで石原が語った中身は,今回の作品『主戦場』なかにも「録音された音声」をもって紹介されている。

“ 外交を重視する宮沢内閣は中国,韓国と関係改善を進めた。天安門事件で孤立していた中国とは天皇陛下の訪中が浮上していた。1992年4月,江 沢民総書記が来日し正式に招請。自民党では藤尾正行元文部大臣ら保守派が朝貢外交だと反発していた。総理は「中国の要請を握りつぶしたら悔いが残る」と考えていた。

 宮内庁からは「政府が決めるなら将来のためによいことだ」という陛下のご意向が伝わってきた。総理の指示で私は福田赳夫先生を訪ね,派閥の子分だった藤尾さんを抑えてもらった。10月,初の天皇訪中が実現する。最初は表情に硬さのあった中国の人たちが両陛下の人柄に触れるにつれ,心から歓迎するようになったのが伝わってきた。

 韓国には従軍慰安婦問題で悩まされた。総理は2992年1月の訪韓で謝罪したが,韓国は「強制性を認めていない」と納得しない。慰安所設置などに軍が関与した通達は残るが,慰安婦の募集については民間業者に任せ「強制」を裏づける資料はない。そこで元慰安婦に聞き取り調査をし,その心証をもとに出したのが「河野談話」である。

 談話の原案は外政審議室が作成し,河野官房長官が強制のあった印象を強めるよう筆を入れた。たとえば「本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり,さらに,官憲等が直接これに加担したこともあった」とのくだりの「数多く」などだ。河野官房長官は総理に代わり,この問題を収束させようと最後まで心を配っていた。

 左派が「2000万人の被害者」とか誇張して民衆を煽るのも違うし,日本に都合のいい箇所しか採用せずにナショナリズムを掲揚して人びとを洗脳するのも違うのは明らかなのに,なんで気がつけないんだろう…。
 補注)この「2000万人の被害者」(左派のいいぶん?)という数字は,第2次大戦(大東亜戦争,広くはアジア・太平洋戦争)の期間における戦争犠牲者(死者)のことか? この数字を誇張だとか形容して非難するほうが,実は「煽り運転」にも似た,つまり扇動的な発言でしかありえない。

 徴用工の問題にしても私が読んでいる新聞は,日本は韓国に対して確固とした態度をとるべきだ派だけど,そういう問題じゃないんだなぁと思ったよ…。


 安部さんなぁ…。岸 信介なぁ…。友達と政治の話とかしないから周りの人がどう思ってるのか分かんないんだけど(それじたいかなり問題だと思ってるんだけど),正直,この映画を観て初めて反アベの気持が分かった…。


 いままで本気で考えてもわからなくて,でも周りの大人はみんな反アベで,わからない自分が嫌で泣いてたんだけど,岸 信介までしっかり遡ればその体質が浮き彫りになるんだね…。

 ま〜,ちょっとトランプを手厚くもてなしすぎだよね。私もそう思ったらデモでもすればいいのにね。しないのよ。そして気づいたら手遅れかもしれないね。本編に出てきた女性で,昔は右派だったけど思想が転回した方の言葉,「日本の過ちに気がついたら敵がいなくなって,自由になった」が印象的だった。

 私が小さいころから慰安婦問題のニュースは絶えなくて,それこそラスボスの「なんでそんなに興味をもつの」なんて思ってたけど,映像のパワーはすごいね。すんごいバカそうだったもんね。無知だったことは否めなくて,でももうしれたので,明日から世の中の見方を変えられそうです。多くの若者に観てほしい。

 15 もこぴよ 2019/05/29 14:38
 ドキュメンタリー映画としては,すごくテンポ感が良くて,編集も秀逸だと思った。おもしろい! 無知ながら興味はあって,それをいろんな立場・見解の論客の話に聞いて,個人的には修正派のそれぞれの意見が非論理的にしか思えなかった,,。

 イライラしたし,呆れて思わず笑ってしまったし,一般的にざっと聞いて筋が通っていそうな話し方をするけど,内容がペラペラだと感じた。そして,なによりそれに対しての恐ろしさを感じた。

 レビューで「ブラック・クランズマン」との共通点に触れている方がいらっしゃり,私も同じようなことを感じた瞬間があった。正直なところどうすべきなのか,いまこの作品を観ただけの私には分からない。
 補注)「ブラック・クランズマン」とは,別の映画の題名である(劇場公開日 2019年3月22日)。黒人刑事が白人至上主義団体「KKK(クー・クラックス・クラン)」に潜入捜査した実話をつづったノンフィクション小説を,「マルコムX」のスパイク・リー監督が映画化した作品。


 でも,確実に興味をもつきっかけとして心を動かされたのは事実。同世代の人たちにも観て欲しいな。
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1075054438.html

15. 中川隆[-9299] koaQ7Jey 2019年6月24日 11:42:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3190] 報告

社会科学者の随想 2019年06月24日
従軍慰安婦問題に関する映画『主戦場』2019年4月封切りから2ヵ月が経ったところで,実際にこの作品を観賞した人たちの感想をめぐって(その2)
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1075061254.html


【『主戦場,SHUSENJO:The Main Battleground of The Comfort Women Issue』2018年製作映画】

【監 督  ミキ・デザキ,上映日 2019年04月20日 上映時間:122分】
【製作国  アメリカ・日本・韓国】
【ジャンル  ドキュメンタリー】
【脚 本  ミキ・デザキ】


◆「主戦場」に投稿されたネタバレ・内容・結末 ◆

 = 以下においては,寄稿のさい添えられていた「評点(5点満点)」は,わざと触れないで引用する =

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

【断わり】 「本稿(1)」をさきに読みたい人は,こちらへ移動して閲覧されるようお願いしたい。
 16 ろくべえ 2019/05/29 01:05
 想田和弘監督が絶賛していたので,ずっと楽しみにしていた作品。慰安婦問題は,個人的には2014年に朝日新聞が記事を撤回,謝罪したころから興味をもち,真実をしりたいと思っていた。映画での歴史修正主義者たちの発言には生理的な嫌悪を感じたが,それを上まわる鮮やかな構成,論理的で胸のすくような展開だった。

 どこかのレビューで,「(否定派と肯定派)両論が公平に描かれており,判断は観る人に委ねられている」というのをみていたので,そういう映画なのかと思いきや,明らかに修正主義者たちの論理は破綻しており,発言のボロが浮き彫りとなる見事な対比だった。

 肯定派は皆,信憑性のある事実にもとづき,冷静淡々と言葉を選びながら論理的に発言していたのに対し,修正主義者たちに皆共通だったのは,差別的で人を見下したような表情と自己の正義を主張し,戦いを挑むような感情的口調。とりわけインタビュアーの質問に口籠もったS氏の目が泳ぐ場面は彼らの脆さの象徴のようにもみえた。


ケネディ日砂恵画像 そして,この映画のなかでもっとも印象に残った人物は,櫻井〔よしこ〕氏の後継といわれていた元修正主義者のH氏。公式の出演者情報には出ていないことが逆に映画のなかでの切札的な存在感となっていた。

 補注)このH氏(女性)の姓名はのちに出てくるが,日砂恵・ケネディである。登場してする会話は英語を使用していた人物である。

 出所)右側画像が「ケネディ・日砂恵」,https://www.genron.tv/ch/hanada/archives/live?id=130

 「私にはもう敵はいないので,やっと解放され自由になりました」という彼女の言葉に,「真理は人を自由にする」という聖書の一節を思い出した。とにかくこの監督は今後末恐ろしいと思えるような見事なドキュメンタリー〔を制作した人物〕だった。

 補注)〔 〕内は文意を汲みとって補足した。以後も同じ。


 17 nobue 2019/05/26 18:00
 情報もまとまっていて,普段みる機会のない人物の顔や話し方もみられて,とても勉強になった。この〔映画の〕問題は当時〔戦前・戦中〕,その場所をとりしきる権限をもっていた人間の人格や状況によって,あまりにも千差万別の被害状況だっただろうと想像されるからこそ,敗戦後の早い時期に帰還兵にヒアリングすべきだったのにできなかった無能,もどかしい。

 そもそも,最初にこの問題に触れたのは小学校の図書館で,「女子挺身隊」として誘われて結果,慰安所に連れていかれた日本人女子の記述だったような気がするし,これほど概算に概算を重ねたような曖昧な数字だったとはこの映画で初めてしったが,この周りには膨大な類似ケースがあったことも簡単に想像できる,と私は思うが,あったと認めもしないって,いったいどういう思考回路なんだか。

 18 右側に気をつけろ 2019/05/26 17:55
 日本ではなかなか表に出てこないテーマを掘り下げた稀有なドキュメンタリー。両論を並べて公平を期しつつ,そのおかげで明確になっていく歴史修正主義者の矛盾。ていねいに積み重ねながら,時にはわかりやすく場面を切り替えながら,つまびらかにしていく。マイケル・ムーアとの近似を感じたものです。

 19 86junk 2019/05/26 02:52
 観る前は『主戦場』というタイトルに大袈裟だなと思っていたけど,鑑賞後はなるほどそのとおりだと。どうしてこんなに偏って人を傷つける意見を堂々といえるのか。日本は本当に危険な国になっている。

 20 熊車 2019/05/25 03:21
 腹が立ちながら笑ってしまう不思議な体験のできる作品。

 杉田水脈議員の発言のあとに検証が入って嘘だとバレるのが繰り返されると,議員が話しはじめると劇場に笑いが起きてた🤣

 天丼ギャグ〔「同じギャグの重複使い」のこと〕かよ w

 ケント・ギルバート氏が,こんなことはありえないと断言するかと思いきや,ありえないこともないかな(?)と即,予防線を張る関白宣言オマージュ寝たいもウケてた😭

 そして,ラスボス日本会議の会長がインタビューで答えた「私は本を読みません」発言で大爆笑をかっさらう ww あなたの後ろに並んで本は飾りでしかないのか www でもこんなアホな連中がデカい面してのさばる現状は本当に恐ろしい。
 補注)この指摘のとおりにしかみえなかった「日本会議の会長」の発言であったが,これは受けとり方にもよるが,明らかにわざと古狸的な演技を表現していたと,本ブログ筆者は解釈する。のちにも,この寸評に関して若干の議論をしてみることになるが……。

 21 htm 2019/05/16 21:33
 citizen's right isn't human right.

 22 あの 2019/05/16 16:46
 観たのは偶然で,私はなにもしらないし,しらなくて良しとしてきた。それで良いの? 「お前はその態度を貫きつづけるのか」という視線。しらないまま進んでいくには,私はナイーブだな。自分が無知で,それゆえに強く,でも幸せでいるにはしりすぎた。うまくいえませんが

 論理的に主張することは労力がいるが,バカにする(論理的でない主張で対象の尊厳を損なおうとする)ことは寝ながらでもできる。バカにすることでその対象より自分を上位に置こうとする行為をしっかり観て,そんなことで尊厳を奪うことはできないとしつつも,その行為じたいが「人」の尊厳を侵害するものだからやめなさいということ,〔この点〕はこの作品の主題だけにあてはまるものではないと感じた。
 補注)最近まで日本の国家における安倍晋三や麻生太郎の他者(野党に対してだけのことではなく国民全体に向けてきた)に対する態度は,この段落で指摘されているとおりである。要するに「自分が▲鹿である」事実をよく自覚しえない「世襲3代目の政治家」が,国民たちも自分と同じかあるいはそれ以下だと確信できているような感性丸出しの為政が,とくに安倍晋三第2次政権以降,いよいよ悪化する(「病膏肓に入る」!)ばかりの方向で「進展させられてきた」。


 当然のこと,このような知性(痴性)の点では「問題だらけの政治屋たちの存在」を,いつまでも許しつづけている有権者側の「民度」も,21世紀の現在においてとなるけれども,いまさらのように試されている。


 ところが,この「舐められつづけている」国民たちの「安倍晋三や麻生太郎に対する認識度」そのものにおいて,まさに問題ありという事実は,日本の民主主義のあり方じたいにそもそもの課題があった事情を意味している。

 23 connie 2019/05/14 09:01
 意気揚々と喋る従軍慰安婦否定派の人たちから出る,女性蔑視・中韓蔑視の言葉がイタイ。歴史学者の地道な研究を無視して,都合の良いところだけとりあげるとこういう発言になる。しかし,日本会議は恐ろしい。そのマスコットになっている櫻井〔よしこ〕氏に後悔はないのかと。
 補注)「後悔先に立たず」というけれども,櫻井よしこは,あの表情・顔つきをみるかぎりでは,後悔という用語・単語は完全に無用となった女性のように感じられる。櫻井の基本的な矛盾,従軍慰安婦問題に関する立場(解釈)が「肯定から否定へと」豹変した事実については,昨日の記述「本稿(1)」が説明していた。

 24 ウニ 2019/05/12 17:27
 本件に関して,どのような議論があるのか,密度の濃いドキュメンタリーでみごたえあり。

 戦争そのものがなにも生み出さない,人間の尊厳をたやすく損なう不毛なものであり,どうやれば戦争に巻きこまれなくて済むのか,たゆまなく変化する国際情勢を正しくつかむ努力(外交・諜報),真剣に考えねばです。

 また,先の大戦にどうして巻きこまれたのかも客観的・複眼的にファクトで理解すべき〔である(私自身が)〕。戦争は,双方に3代200年に渡る深い遺恨が残ることを覚悟せねばならないと思いました。

 25 reris 2019/05/10 21:03(なお,この25はかなり長めの言及となる)

 監督が自分の主観を語る部分が多く,ドキュメンタリーとはいえないと感じた。

 まず,右派左派でいえば,8対2で左派寄りの内容が多い。監督は中立で差別反対の立場としているようだが,冒頭から右派を歴史修正主義者と呼ぶことは差別的ではないのだろうか?

 補注)この「8対2」というのは特定の定量(判断)の測り方に関した定性的な印象論であり,いいすぎというか不当な評定である。それでは,実際にどれだけの「両者に対する時間按分」になっているかといわれても,まだその正確な認識はできていない。


 それほど気になるのであれば,ストップウォッチを使い,「左派と右派の人士たちがとりあげられ発言している場面」を腑分けしたうえでそれらの合計時間を計ってから,それぞれの時間の長さを比較した結果,そのように「8対2」だというのであれば分かるが,そうではなく,単に印象論でのみそのように決めつけた割合「8対2」を出している。

 もっども,そういうふうに受けとられてしまう事情があったのだとしたら,この「8対2」という比率は実は,左派と右派の「いいぶん:それぞれ」が効果を挙げえていた「説得力の比率(その差異)」だと読みかえてもいい。実際にこの映画『主戦場』を鑑賞したうえで感得したつもりの「その量的な割合に関する印象」は,本ブログ筆者の感じ方でいうと,「左派のほうが若干多めになっている構成か」という程度であった。

 問題は,この感想を寄せた「25 reris」氏の立場がこの映画をどのように受けとめているのかという,それも「事前に抱懐していた自身の価値感」に応じて,その「比率の解釈」が異なって決められることになったのではないかと思う。この「25 reris」氏は,右側に寄った立場から盛んに発言している。

 話が進むにつれ,左寄りの意見ばかりが展開され,右派の扱い方が酷く,私は左派に相当偏った作品と感じた。以下にその詳細を書いてみる。
 補注)「右派の扱い方が酷く,私は左派に相当偏った作品と感じた」という感想は,この感想を書いた人自身が「右派への同調が強く,相当偏った作品と感じる」ほかない立場にあったからではないかなどと,逆に位置づけることができる。以下では,その点にこだわった本ブログ筆者からの寸評が,この「25 reris」氏に対してはだいぶ突きつけられることになる。

 前半は慰安婦問題だが,後半は安倍政権批判,憲法改正の否定,靖国参拝批判など,ほぼ野党派閥の主張をそのまま展開する内容である。もはや既知であり,正直つまらない。日本人よ,アメリカのために戦争に加担してくれるのか(!)というのは,まさにその象徴的なフレーズ。論理の飛躍が過ぎるし,日本人からすれば,大きなお世話ではないだろうか?

 補注)この段落の意見は神経過敏であると同時に,かなり大きな見当違いをしている。安倍晋三は「アメリカのために戦争に加担させられる日本国の自衛隊3軍」に変えてきた関連問題を,この「25 reris」氏は,まともに理解できていない。というよりは,現時点まで至っている関連の時代状況がまともに感知できていない。


 いまの自衛隊ができるようになった戦争関与(集団的自衛権の問題)は,日本の軍隊として「アメリカのために戦争に加担してくれるのか」という次元は,すでに通りすぎている。そこからさらに「アメリカの代わりに戦争に加担してくれ」という地平にまで出てしまった。だから,前段のような「米日両軍の役割分担」に関する最新事情の認識が欠落していると批判してみた。

 現在の自衛隊が「アメリカのために戦争に加担してくれる」「以上の日本の軍隊」になっている事実は,『読売新聞』や『産経ニュース』を購読している読者でも分かるような「時代認識」である。だが,以上のように頓珍漢=状況オンチの発言をするようでは,この映画『主戦場』に対する批評をする資格はない。感想文とはいえ,そう断定しておく。

 左派は歴史学者を2人出演させ,主張とその根拠を長々と話すわりに,右派は歴史学者を1人も出演させないのはなぜだろうか? 右派の主張にも事実や根拠があるはずだが,右派論者の発言はあくまで個人的な感想を述べるところばかりを切りとった,もしくは感想を聞くだけのインタビューだったと思われる。フェアに同じレベルの質問を両者にすべきだろう。
 補注)この評言も不公平な発言になっている。右派にはまともな理論家はいない,扇動家なら大勢いる。学者である人間もいないわけではない。しかし,その彼らの発言は「個人的な感想」から出られない限界,つまり学問以前に留まるといった制約:弱点をもっている。

 なぜ,この映画『主戦場』のなかでは,秦 郁彦のような研究者の見解はとりあげられていなかったかまで,この「25 reris」氏は考えが至らなかった。秦は,従軍慰安婦問題を否定することはしていないし,この歴史問題に関する著書も公刊している。

 端的にいえば,従軍慰安婦問題を全面的になきものとするようなトンデモな見解はとれない立場に立つのが,秦 郁彦の基本的な思考であった。ただし,秦は秦なりに特殊な研究志向の立場も有していて,なるべく問題を小さく描くことに非常に熱心な論者であった。

 秦 郁彦は,吉見義明などと従軍慰安婦問題をめぐって公開論争をしてこともあったが,ここでは別途,永井 和・京都大学文学研究科教授「日本軍の慰安所政策について」(京都大学大学院文学研究科現代史学専修『永井 和のホームページ』更新 2012年1月12日,http://nagaikazu.la.coocan.jp/works/guniansyo.html)の参照を勧めておきたい。

 永井 和のこの一文には,最後に補足されていた段落があるので,とくにそこからつぎの段落を引用しておく。日本軍事史を回顧すると,こういった「歴史の事実」も存在していたのである。


◆ 補論:陸軍慰安所は酒保の附属施設 ◆


 軍慰安所とは将兵の性欲を処理させるために軍が設置した兵站付属施設であったことはすでに述べた。このことを裏づけてくれる,陸軍の規程を偶然に発見したので,紹介しておきたい。それは1937年9月29日制定の陸達第48号「野戦酒保規程改正」という陸軍大臣が制定した軍の内部規則である

 その名の示すとおり,戦時の野戦軍に設けられる酒保(物品販売所)についての規程である。添付の改定理由書によると,日露戦争中の1904年に制定された「野戦酒保規程」が日中戦争の開始とともに,古くなったので改正したとある。改正案の第1条は次のとおりであった。

 第1条 野戦酒保ハ戦地又ハ事変地ニ於テ軍人軍属其ノ他特ニ従軍ヲ許サレタ
     ル者ニ必要ナル日用品飲食物等ヲ正確且廉価ニ販売スルヲ目的トス

     野戦酒保ニ於テ前項ノ外必要ナル慰安施設ヲナスコトヲ得

 ここに「慰安施設」とあるのに注目してほしい。改正規程では,酒保において物品を販売することができるだけでなく,軍人軍属のための「慰安施設」を付属させることが可能になったのである。改正以前の野戦酒保規程の第一条は,以下のとおり。

 第1条 野戦酒保ハ戦地ニ於テ軍人軍属ニ必要ノ需用ヲ正確且廉価ニ販売スル
     ヲ目的トス

 ここには「慰安施設」についての但し書きはない。第一条改正の目的が,酒保に「慰安施設」を設けることを可能にする点にあったことは,改正規程に添付されている「野戦酒保規程改正説明書」(経理局衣糧課作成で昭和12年9月15日の日付をもつ)で,つぎのように説明されていることから明らかである。

 「改正理由 野戦酒保利用者ノ範囲ヲ明瞭ナラシメ且対陣間ニ於テ慰安施設ヲ
       為シ得ルコトモ認ムルヲ要スルニ依ル」

 このことから,1937年12月の時点での,陸軍組織編制上の軍慰安所の法的位置づけは,この「野戦酒保規程」第1条に定めるところの「野戦酒保に付設された慰安施設」であったと,ほぼ断定できる。酒保そのものは,明治時代から軍隊内務書に規定されているれっきとした軍の組織である。野戦酒保も同様で,陸軍大臣の定めた軍制令規によって規定されている軍の後方施設である。

 してみれば,当然それに付設される「慰安施設」も軍の後方施設の一種にほかならない。もちろん,改定野戦酒保規程では「慰安施設」とあるだけで,軍慰安所のような性欲処理施設を直接には指していない。しかし,中国の占領地で軍慰安所が軍の手によって設置された時,当事者はそれを「慰安施設」とみなしていたことが,別の史料で確認できる。

〔本文に戻る→〕 映像についてだが,右派論者を怪しい輩のようなテイストで紹介したり,右派の組織図をまるで某スパイ映画の悪の組織を紹介するがのごとくの編集をする。さらには,大日本帝国復活の陰謀論のようなマユツバ話まで展開させるため,もはやドキュメンタリーではなく,バラエティである。本気でいっているのかも,正直疑問。デザキ氏はこれをみせて信じた日本人を心の底では笑っているのではないか(?)とも思ってしまうほど,根拠のない話。
 補注)この段落の評言は被害妄想である。右派の慰安婦問題を「否定する者」の語り口は,表面的には具体的に語っているように聞こえるものの,歴史的な根拠のない “でっち上げ的な主張” にしかなっていないものが,圧倒的に大部分である。

 また,日本は女性に人権がない国,侵略国家であるなど,使い古された戦後自虐史観を植えつける内容が多く含まれている。印象操作をするくらいならば,事実に重きをおくほうがよっぽど面白い内容になったと残念でならない。
 補注)敗戦前における女性の地位に「基本的権利」がなかったのは,事実そのものである。この人は「戦後自虐史」とか「印象操作」とかいった表現をもちだしているが,ネトウヨ的な俗悪論に脳細胞を冒された “感情的な発言” を放っている。具体論に現実的に反論するのではなく,噛みあわない抽象論をぶち当てているが,空論(空砲的な威嚇?)。

 肝心の慰安婦問題は,比較的事実ベースに語られているものの,日本軍が強制的かつ直接的に収監したか否かの問題と,広義の女性人権問題のふたつの論点を混在させて,分かりにくくしている。
 補注)こうはいっているけれども,自分自身が十分に認識できず区分もできなかったはずだったその「ふたつの論点」に関する議論に向けて,非難が提示されていた。とすれば「混在しているではないか」と,その「ふたつの論点」に対して批判を繰り出したところで,この種の発言を放った立場そのものが,実は「問題に対する識別力」をもともと絶対的に不足させていた。こうなると,なにをいっても説得力を感じさせない。

 前段でも示唆してみたつもりであるが,この人の解釈は「問題の基本点を自分で仕分けできない」まま,あるいはそれ以前に「理解そのものが不十分の」まま,その「ふたつの論点を混在させて,分かりにくくしている」のである。いいかえれば,タメにする話法(?)にはまりこんだ結果,かえって話をややこしくした。混線させていた。

 私たちは,慰安婦=可哀想と無意識に思ってしまいがちだが,当時の慰安婦に,「私はこの仕事に誇りをもっていました。命を賭して戦う兵士のために,助けになりたく参加したのです。」と,いわれたらどう感じるだろうか? 可哀想という見方は現代人のそれであり,上から目線の価値観ということを肝に命じなければならない。

 補注)このとらえ方も異質の問題,平時と戦時の違いをまったく区別しないいいぶんである。さらに,日本人の従軍慰安婦であれば妥当する話題が,いきなり朝鮮人の慰安婦の問題にまで勝手に拡大解釈されている。


 たとえば「特攻隊の問題」が,敗戦後になってどのようにとりあげられ,論じられてきたか参考になる。いまもなお,この「特攻の問題」は議論が続けられている。次元は根本ではつながっているけれども,その次元において異質性がある問題をただちに,ここでの解釈のように関係づけて話すのは,論点をみずから混乱させるだけであった。


 事前の条件づけにおいてからしてすでに,自身の構えのなかに偏倚(「へんい」:かたより)を介在させていた点に無頓着だとしか解釈のしようがないが,従軍慰安婦問題の入門付近の知識を欠いていると,この程度にしか話が展開できない。

 また,慰安婦と日本兵が,恋愛の果てに,2人で生還して本土に戻り,結婚まで至る,そんな戦争の時代に激動の人生を歩んだ人たちの話だってある。調べればすぐにわかることだが,これもまたとりあげないのはなぜだろうか?

 補注)ここでは前述に指摘したように「日本兵・対・日本人の従軍慰安婦」という組みあわせが話題に挙げられていた。戦場に咲いたあだ花であっても,それなりに美話になりえないわけではない。けれども,こちらの話題はごくごく一部にありえたかもしれない例外的なことがらである。


 本ブログ筆者はそうした事例に関する話題を,実際に旧兵士たちが語った事実を記載した本を読んだことがある。しょせんは非常にまれな出来事であった。「同期の桜同士」というか「戦友の仲間内」だけで,それも密かにしか話題にできない記録であった。


 いずれにせよ,単に狭くかぎられた具体的な話題をもちだしてでも,これを不当にもちあげながら拡大解釈的に普遍化しようとする操作が好まれている。そういった様子が強くうかがえる。だが,それでは,異様なまでにもちあげてみた「特定の現象に関する説明」が,「論理・概念的には初歩の誤謬」を犯している点については,いつまでも気づかないで終わる。

 またとくに,ここでいわれる慰安婦との結婚話は,実際にあったとしてもあくまで “日本人同士であった事例” であったのだから,「日本人と朝鮮人」を区別しておかない議論は,当初より誤導的であった。

 韓国人慰安婦の賠償を訴える証言を紹介するが,一方で当時の慰安婦はそのような酷いものではなかった,という証言をとりあげないのはなぜだろうか?
 補注)これについてはこう説明しておく。日本人慰安婦で特定個人の将校付きになった慰安婦の事例ならば,そのようにとらえることはできなくはない。ということであって,これを問題の全体に突きつけて論点を散漫化(解消?)させるのは,この指摘じたいが暴論に近い〈近視眼的な着眼〉であることを反証する。

 慰安婦問題のきっかけとなった,朝日新聞の吉田〔清治〕証言記事を,とうの朝日新聞が誤報と認め,撤回,謝罪記事をあげたことに触れないのはなぜだろうか?
 補注)この「『朝日新聞』誤報事件」は,この映画全体のなかで一言も触れられていないのではなく,最初のほうで関説:言及があった。この点をまったく無視しての発言か? 不公平・不公正な言及である。

 右派ナショナリストから,左派に考えを変えたという女性が多く語っているが,左派リベラリストから右派に変わった人がいることを紹介しないのはなぜだろうか?

 補注)広義でいえば,櫻井よしこやケント・ギルバートがその「左派リベラリストから右派に変わった人」である。この映画のなかで語っているよしこは,ただし(もとは多分左派かリベラルの立場であったが,その後においていつの間にか)右派になった立場からインタビューに応じていた。


 それゆえ,ここでの「左派リベラリストから右派に変わった人がいることを紹介しないのはなぜ」(?)という疑問は,短慮ないし知識不足であって,ただの感想とはいえ,指摘の仕方が稚拙である。

 慰安婦問題や徴用工,日本の主張こそが正しいと像を撤去しようと活動している韓国人の団体がいることを説明しないのはなぜだろうか?
 補注)この意見は,韓国内における戦後政治史のこみいった言辞的な展開をしらずにいっていると推察するが,あまりにも上っ面だけの指摘である。「韓国の反対」=「日本の反対」ではないので留意が必要である。

 一辺倒の主張で,都合が悪いことを触れないようにしていることは明白である。このような偏向されたものがほんとうにドキュメンタリーなのか?と思ってしまう。
 補注)さきほど「(左)8対(右)2」の紹介になっているという指摘があったが,この人の感想ではこれが「10対0」だという割合も受けとっているかのような発言である。このいいぶんそのものが極端さを剥き出しにしていて,聞く者をして説得力の面ではかえって逆効果を生んでいる。

 監督個人の態度や姿勢にも少々疑問がある。日本会議の東京代表者を執拗にこけ下ろすシーン。どこの誰かもわかない無名監督のインタビューを快諾した者にこの態度や編集はないだろう。
 補注)「どこの誰かもわかない無名監督」という形容に問題あり。この映画を制作したミキ・デザキは,いまや有名監督になった。誰でも最初は無名……。そのなかから有名になる者も登場する。横綱になった関取でも最初は前相撲からとりはじめる。「どこの誰」といういい方は「どこの馬の骨」とでもいいたかった別の表現だったのかもしれない。

 悪の親玉みたいにもったいぶって登場させ,質疑は「従軍慰安婦の〇〇の著作を読んだことがありますか?」→「いえ,読んだことはありません。人の著作物はあまり読まないようにしているので」とのやりとり。そして,テロップで,右派のリーダーがこの低いレベルの認識である,と流れるのだ。ひとりの著作物を読んでないことぐらいで,勉強不足と指摘することじたい,小学生の口げんかのようである。
 補注)この指摘=理解も非常にひねくれたものいいである。専門家でなくとも,加藤英明の場合,そのように質問されて当然であった。あるいは当人は,その質問の意味は事前に十分にしっていながら,故意に「しらない振り」をしてそのように答えていたのかもしれない。要はとぼけていたか(韜晦していたか)もしれないということである。単なる古狸的な演技としての回答であったとも受けとれる余地も,十二分にあった。

 加藤英明は秦 郁彦が自分の友人だといっていながら,秦の書いた〔従軍慰安婦問題の?〕本も読んだことはない,とまで語っていた。友人ならば,秦の本の1冊や2冊は献本されてもっているとしたら,パラパラとめくるかたちでの拾い読みぐらいしていたのではないか? もっとも,それでなくとも加藤は秦の本をまったく読んでおらず,その内容をなにもしらないということはあるかもしれない。加藤の発言を馬鹿正直に聴いたかぎりでは,そのように解釈できなくもない。

 映画ではこの方の情報はまったく触れないまま,ただ悪者という印象操作の標的にされてるとしか思えない。ひどいものだ。ただの好々爺ではないか。冷静に映像をみれば,この人を本当に悪のボスだと本気で思う愚か者はいないでしょう。
 補注)加藤英明については,つぎのような言及を紹介しておく。「ただの好々爺ではないか」でなく,むしろ「ただの古狸・爺」でしかない人物が,この「自分の古ダヌキ性」さえ隠そうとする演技をしていた,とも解釈できそうである。

“ 加瀬英明が,どんな人物かというと,「菅野 完氏の悪夢に出てくる……ような日本会議の強力なパトロンですね。加藤英明の父の加瀬俊一は,安倍の叔父さんの佐藤栄作のノーベル平和賞受賞のロビー活動を行なった人物で,ドイツのワイマール末期に大使館員だっととか。民主主義の典型の憲法を掠め取ったナチスの手口を生で目にし,学習したことでしょう」などとも指摘されている。
 註記)「晋三 昭恵のカルト仲間=渡邉政男 加瀬英明 / サンマリノ神社=日本会議タックスヘイブン」『☆Dancing the Dream ☆』2017年09月27日,https://ameblo.jp/et-eo/entry-12314351820.html

 のちほど調べたところ,監督のデザキ氏は当時上智大の学生の立場を利用して,あくまで公平に扱うとしてインタビューを申しこんだようである。この内容は明らかにだまし討ちをしているようなもので,現に取材のとり方に批判と抗議が寄せられていることが判明している。インタビュー作品として,主演者からの抗議は致命的。デザキ氏は二度と同じような作品は作れないでしょう。

 補注)このあたりの問題に関する解釈はすでにいろいろ議論もされているが,この程度にまで素朴に発想できて済む問題ならば,世話は要らない。「インタビュー作品として,主演者からの抗議は致命的」という解釈は,ひどく一方的に肩入れした意見である。


 映画作品として完成にまで至る過程のなかで生まれてきた「問題意識」であったにもかかわらず,この点を最初からデザキが意図的かつ恣意的にに構成・編集したかのように非難するのは,軽率な批判である。映画作品で政治性を帯びるものが,完全に中立・不偏不党などといった立場に立つ必要などなく,むしろありえない事情(方向性・選択肢)である

 また,デザキ氏は後半に出てくる上智大の左派学者の中野晃一氏の教え子ということだ。つまり,初めから左派の人間が左寄りの論述をするための映画だったわけである。

 補注)これは「左派学者」の教え子だからイケナイみたいな指摘であるが,それならば「初めから右派の人間が右寄りの論述をするための映画」のような作品を,こちら寄りの監督が別途制作して対抗されればいいだけのことだと,いえなくもない。


 映画の制作は国策映画ではなければ,個々人である監督の立場・思想の反映が結論に表現されるのは,当然のなりゆきである。これに対して「好き嫌い」の問題=「価値感をただちに覆いかぶせる」のでは,映画としての作品をひとまず冷静に鑑賞しようとする立場はえられない。

 デザキは初めからここで非難されているごとき『主戦場』という映画の編集をしようと準備していたのではなく,制作していく全工程を集約するかたちでその結論部分を表現していたのだから,「左派の人間」が「左寄りの論述をするための映画だった」というのは,順逆をとりちがえた倒錯的で勝手な解釈である。

 全体として,とにかく監督の左寄りの作為が強すぎるし,品性にも疑問が残る,中立性はほぼ皆無,非常にアンフェアな作品だと思う。NHKのほうが,まだましな左寄りの映像作品を作っているのでは?

 補注)この映画はひとつの作品として公開されているが,NHKは非常にたくさんの特番を制作している。それゆえ,そうたやすくは双方を比較する話にまでは進みえないはずである。だが,ここでのいい方は,一重に感情的に過ぎた単発的な発言に終始している。


 さらにいえば,このデザキの “作品における品性” とは,いったいなにが問題なのかについても,あまりにも唐突の発言がなされているだけで,まともに問題の俎上に上げられるような話題の提示にはなっていない。

 結果的に知識がない人,純粋な人をその情報量と映像の印象操作で左派寄り思想にする監督個人の作為にまみれた左派プロパガンダ作品なのだろう。
 補注)「印象操作」の一点に関していう。右派の人びとのほうがさらにひどく「個人の作為にまみれ」ている点こそが,この映画によっても,的確に伝達されているはずである。すなわち,ある意味でいう「知識がない人」たちは,「情報量」のもちあわせにおいて問題(決定的な不足)があるにもかかわらず,逆にそういった「印象操作」に頼る気持がより強い。この点は,右派の人びとにあっては露骨に表出されてきた。

 左派の人たちを論破したいのであれば,屁理屈ではなく,左派の利用する歴史資料も十分に読みこんだうえでの論争が期待されている。だが,残念ながら右派の者たちが口にする理屈は,まさに屁理屈次元のものが多く,それでいて発言されることばは劣情がこもっている。


 杉田水脈の発言はその代表例であって,中途半端どころか生半可を地でゆくだけでなく,空中分解を約束されるほどにまで飛躍しつくしていた。口先だけはもっともらしく語るも調子になっていたが,この女性はまともに勉強したうえで発言しているのか,根本的に疑わせていた。すでに本ブログ内では彼女のそのデタラメな事実誤解の実例を指摘し,批判したことがある。

  
 視聴者にはぜひ,一方の意見だけしって満足するのではなく,両論をよくしってほしいものだ。
 補注)これは「天に唾する」意見。「両論をよくしってほしいものだ」という1点は,左右の立場を問わない。あとは各自のしり方(理解する意志のありかた)の問題である。

 反対に,この日本会議などが,反証の右派映画をつくったら,それはそれで面白いのかもしれないが。まぁ,この作品をわざわざ相手になんてしないでしょうが。
 補注)さきほど指摘していた点に関係する意見であるが,ここで,この人は自分が右派のシンパ(親派)であることを正直に告白している。デザキ監督の手法にしたがえば,この人は簡単に串刺しにされてしまい,適当に料理されていた程度の拙論しか語っていなかった。つぎの「26」の批評がとくに参考になることを,まえもって指摘しておく。

 26 HitomiOgawa 2019/05/09 21:36
 慰安婦問題に関して,どういった経緯があって,誰がなにを主張しているのか,観客自身がどう感じているのか,時に感情のモヤに隠れてしまうものが,とてもクリアになる。

 重いテーマであるが,重い(トーンの)映画ではない。もちろん監督の意見は明らかだけど,観た人に考えさせる余白がある。観にいってよかった。人それぞれ意見があっていいと思うが,もっと多くの映画館で上映することはできないものか。

 最後に,現政権に批判的な意見を述べている論者の1人が,「こういった意見を表明することで,自分の身に危険があるかもしれない」といっていた。自分の意見を表明するだけで殺されるかもしれない国ってなんだ。

 27 陰陽 2019/05/09 07:20
 このドキュメンタリー映画は, “右” と “左” に分かれて,おたがいの主張(説明)を議論形式で発展させていく構図になっているが,けっして退屈なものではなく,エキサイティングでスリリングでインフォーマティブで考えさせられる作りになっている素晴らしい映画だ。

 ここでむずかしいのが, “右” と “左” と分類したが, “右” の人たちは, “右派” , “ウヨク”, “国粋主義者” , “ナショナリスト” , “歴史修正主義者” ,どのようにカテゴライズしようが,「レッテル貼りだ!」と憤慨する傾向がある。


 彼ら自身が自分たちを定義する際に “保守” という呼び方をすることが多いと思うが,この映画では “歴史修正主義者(Revisionist)” という定義になっている。


 彼らは「いままでの歴史認識は間違っている!」というスタンスなのだから,歴史修正主義者で問題ないと思うのだが,この映画に出演した論客含め「歴史修正主義者とレッテル貼りされた!」,「騙された!」,「この映画はフェイクだから見に行くな!」と猛バッシングを始めている。この自称保守の人たちが暴走すると,人権軽視の人種差別主義者になり,ネトウヨと蔑称される。

 逆に “左” の定義もむずかしい。暴走保守(ネトウヨ)たちは, “左” の人たち(というかネトウヨ以外すべて)を “反日” , “売国サヨク” と蔑称する。それら蔑称を避けた場合に “左” の人たちをどう定義できるであろうか?

 リベラル派? 人権派? 科学的実証派? なんとも定義しがたいというのも, “左” の論客たちは “歴史学者” ,“ 政治学者” , “弁護士” , “憲法学者” と肩書きもまちまちで特定の団体を組んでいないというのも理由のひとつだ。

 という構成になると, “感情 vs. 論理” になる傾向があり,保守論客が嘲笑を受けることになる。しかしながら,実社会では人間の理性や論理が感情をコントロールできていないのが現状である。

 その原因のひとつとして,論理的に実証する側はそれぞれ専門をもっている学者の人たちであり “個別” であるが,歴史修正主義者たちは “団体” を組み,そしてそれら団体はすべて裏でつながっているということが,この映画のなかでも触れられている。

 具体的には,自民党 ⇔ 日本会議 ⇔ 新しい歴史教科書をつくる会などが繋がっていて,櫻井よしこ氏,ケント・ギルバート氏などをメッセンジャーとして使用し,産経新聞,読売新聞などの右派メディアを利用して国粋主義を流布させるという構図である。

 このドキュメンタリー映画のなかのクライマックスは,日本会議役員代表のトンデモ発言という部分もあるが,元歴史修正主義者のケネディ・日砂恵氏の登場である。この映画には名前は出てこないが,米国のフリーランスジャーナリスト・マイケル・ヨン氏に,櫻井よしこ氏とケネディ・日砂恵氏が,慰安婦の強制連行などなかったという調査を,法外な調査費を支払って依頼したという衝撃の暴露がある。


 ケネディ日砂恵氏は「(マイケル・ヨン氏が調査に使用した)IWG報告書は主にナチスの戦争犯罪に関しての資料なので,日本軍の慰安婦問題に関する記述などあるはずもない。『キッチンの棚のなかで必死に靴下を探したが存在しなかった』のような茶番である」と暴露している。

 補注)IWG報告書とは,ナチス戦争犯罪と日本帝国政府記録について,米国が各省庁に残る文書を調査・点検してまとめた報告書である。


 この映画のなかでは触れられていないが,このIWG調査の結果を2014年11月に産経新聞(フジサンケイグループ)が大々的に報道している。そして,このIWG調査結果から慰安婦問題はなかったとして,2016年第2次安倍政権下で慰安婦問題を一斉削除する方向に修正し,官邸の意にそぐわない教科書は理由も告げられず不合格にされた。出版社としては死活問題である。

 補注)「このIWG調査結果から慰安婦問題はなかった」から,旧日本軍における従軍慰安婦問題が「歴史の事実」においてなかったとする「問題」の理解はできない。それとこれとはまったく別問題であったところを,このように日本側の特定陣営側は意図的に短絡した。


 合格したのはなんと,新しい歴史教科書をつくる会が主導する自由社とフジサンケイグループが主導する育鵬社です。日本全国の教科書に採用されれば自由社(新しい歴史教科書をつくる会)と育鵬社(フジサンケイグループ)に多大なおカネが入るという仕組です。このカラクリは国家犯罪レベルの大問題ではないでしょうか?

 このように,このドキュメンタリー映画のなかでは歴史修正主義者のほうが劣勢に映るかもしれませんが,現実には歴史修正主義者たちが実社会を支配している現状なのです。

 歴史修正主義者が優勢な現状に関してもうひとつ問題があります。それは,人間が感情の動物であるという現実です。ケネディ・日砂恵氏が胸中を告白するシーンで,「日本が批判されると日本人である私が批判されているようで悲しくなった」というのが,歴史修正主義者になってしまったきっかけだと告白しました。

 「オリンピックで日本人が金メダルをとって嬉しい」,「日本人がノーベル賞を受賞して嬉しい」という気持は誰しもあるかもしれませんが,その当たりまえの感情が時として「日本人は優秀だ=日本人の私も優秀だ」というおごりになり,「韓国人,中国人は劣っている」という人種差別になり,「歴史的事実であろうが日本軍の失態を暴くことは日本人である私の恥部を晒すことになり,事実を述べる学者たちは反日の売国奴である」というところまで発展してしまう危険性をはらんでいるということです。

 歴史修正主義者たちが,「日本は素晴らしい」,「美しい国ニッポン」と,陳腐であってもプロパガンダをすれば,日本人であるがゆえに心地よくなってしまう人たちもいるかもしれません。また,学者たちの正論は専門家ゆえに言論が難解になる傾向があり,難解になるほど理解できる人たちは減っていってしまうのです。

 これらの障害を乗り越え,私たちもみずから調べ,むずかしくても考え,そして冷静な判断をできるよう努力しなければならないと問いかけるドキュメンタリー映画でした。

 一見,心地よい “日本賞賛主義” も,ゆき過ぎると過剰な自己正当化になってしまい,虚偽や隠蔽をしてでも自己を美化する捏造集団になってしまいます。最悪の状況では脅迫や暴力まで発展させてでも事実を封印させようとし,国家権力による一連のカラクリはむしろ国家犯罪レベルにまで達しているのではないでしょうか?

 「日本の名誉のために」というのが歴史修正主義者たちの主張なのかもしれませんが,むしろ歴史修正主義者たちの発言や行動が日本の品位を貶めていることに気づいていただきたいです。


 ぜひ皆様も映画館へ足を運んでください。

主戦場ポスター

 付記)このなかに「加藤英明」の顔は出ていない。

 28 ducksoup 2019/05/08 16:06
 映画『主戦場』を観た。GW後半の当日朝いきなりいったら,すでに夕方まで満席。立ち見となった。大盛況だ。

 『主戦場』は,慰安婦問題をめぐる議論のポイントを,登場人物たちのインタビューをもとに整理しつつ,その裏に隠された部分を伝えてくれる,有意義かつスリリングな映画だった。

 なんといっても,この映画を観て誰もが気になるのは,後半ラスボスの如く登場する,日本会議の中心人物のひとり,「加瀬英明氏」だ。インタビューでの彼の発言はいきなりぶっとんでいる。

 まず「日本が戦争に勝ったから黒人が公民権をえた」という前提も結果も間違いだらけの珍言が飛び出す。日本が戦争に勝った…,勝ったのか? 先の大戦じゃなくて日清日露の話だろうか。単なるいい間違いだろうか。あるいは彼の独自の解釈の果てに出たいいまわしなのかもしれない。それは分からない。
 補注)加藤英明の発言ぶりは,そのまま真に受ければ「世間しらず,常識無縁のもの」ばかりであった。だが,真意そうではなく感じられ,意図的にそのようにみずから “バカを装っての発言” だとしたら,二重三重に非常にたちの悪い対応の態度であったと形容するほかない。

 インタビューは続く。つぎにインタビュアーは吉見義明氏という別の慰安婦問題の専門家に対する,加藤氏の意見を尋ねる。どれだけの嫌悪や反駁が返ってくるのかと思いきや,加藤氏は「誰ですかそれ?」と来る。「私は他人の本は読まないから分かりません。不勉強なので」と悪びれずにおっしゃる。なるほど彼は議論などしない。自説あるのみ。人の意見を聞かないから自説の負けはない。バッターボックスに立たないのだから三振もない。

 補注)映画の場面をみたかぎりでは,加藤英明が「吉見義明」の姓名をしらないという反応の仕方は,やや演技がかっていたようにも感じられた。この吉見義明の名前が出たときは,そのように反応する準備を前もって決めていた,というふうな解釈をしたくなるくらいに,そうであった。


 いうなれば,そのくらい不自然にもしらないと応じていたが,そこまで相手を無視(無化)する態度となれば,議論もなにもヘッタクレもないのが「加藤たち側の立場」なのかという観方が出できてもおかしくはない。

 そんな反知性主義を豪語する彼の背後に,百科事典がズラッと並んでるのがなんとも皮肉だ。鑑賞後調べてみるとなにを隠そうこの方,ブリタニカ百科事典の初代編集長というから二度驚いた! 他人の本は読まない百科事典の編集長ってなんだろうか…。彼への興味は尽きない。


 と,ここまで散々揶揄するような書き方をしたが,実は,映画を観ている間は加藤氏をあまり笑えなかった。彼の妄言には正直驚いたが,この人を嘲笑したら,その対象を笑った瞬間に,一緒に笑ってる側の党派に立たされてしまう気がしたからだ。


 左右どちらの立場にも立ちたくない私は,笑うことで立場の選択を迫られ,まさに議論の主戦場に立たされてしまう気がして,うまく笑えなかった。

 また,この映画の白眉は,日砂恵・ケネディさんという方の証言だ。彼女は保守論壇にも寄稿し,かつて第2の櫻井よしことも目されたが,故あってナショナリストとしての活動を停止したという。
 
 彼女のいう「ナショナリストは日本が弾圧されることで,自分の名誉を傷つけられたと感じる。だから自尊心を守るために,日本を擁護する」こそが,この問題の本質をいい表わしている。

 大江健三郎の小説『セブンティーン』は普通の少年が右翼少年になっていく様を感情移入たっぷりに描いたが,彼〔女?〕の姿がまさにこれだった。国家と自分を一緒くたにし,国家の栄光は自分の名誉,国家への侮辱は自分への侮辱,という人としてのあり方である。国家をみずからの存在理由としているのである。

 だから,この議論には終わりがない。

 「現実に」強制があったとか報酬がどうとかのすべての細部は,結局それを肯定・否定するための道具でしかなくなる。そこにあるのは,その被害の訴えが自分の名誉を傷つけられたと感じる人びとと,その被害の訴えが自分らの正しさを担保すると感じる人びとだ。

 加害者,被害者は時のなかに消え,それを道具にする人らが残るのである。

 この映画を観るにつけ,つくづく思うのは,人格と政治思想を分離して欲しいということだ。戦前の国家犯罪と思しき慰安婦問題を暴くことは誰かの人格否定ではないし,逆に戦前が輝かしい素晴らしい時代でありそれを継ぐ未来を作ることは,誰の名誉ともならない。国家への侮辱は誰かへの侮辱ではなく,国家の栄光は誰かの勲章でもない。

 そのように考えないことには,この争いは終らない。加藤氏を笑っても対立は進むばかりだ。たがいに否定すべき相手を求めあっているような,いまの状況ではおたがいの妥協点などみいだせるはずもない。


 まとまらないが,最近の政治的ドキュメンタリーのなかで,もっとも有意義な作品のひとつであることは,間違いない。

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【未 完】 「本稿(2)」はここで終わるが,次稿「本稿(3)」は用意できしだい,ここへリンクを張る予定。「予定」としてはしその「本稿(3)」で終えるつもりである。
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1075061254.html

16. 中川隆[-9301] koaQ7Jey 2019年6月25日 09:50:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3192] 報告

『慰安婦問題の決算』=秦郁彦は歴史学者の肩書を返上せよ! 2018/3/2
https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html

     エロ・グロ・ナンセンス
第10巻でもっとも迫力があるのは、日本軍の残虐行為を描いた

@斬首
A銃剣術の刺突
B妊婦の腹裂き
C女性器に一升瓶を押し込む

4コマ続きだろう。


しかし@〜Bは洋の東西を問わず流通してきた残虐物語の定番と言える。Aの代わりに赤ん坊を空中になげ、銃剣で刺すシーンが入ることもある。われわれの世代だと、どこかで見聞きしたはずだ。

マニアの間では起源をめぐるろんそうも起き、赤ん坊を放り上げるのはトルコ軍かロシア軍の得意技らしいと書いた論文を読んだことがある。

そこで元兵士に聞いてみると、彼は銃剣を構える動作を試みた後、「技術的に無理だと思うよ」と答えた。マスコミで流通している斬首写真の多くは、日中戦争期の中国の特務工作部が、アマ俳優を使って撮影した「やらせ写真」であることが立証されているが、さりとてこの種の行為がなかったとは言えまい。

しかしCは見聞きした記憶がなく、ゲンの作者が思いついた空想シーンと断じてよいと思う。念のため友人の医師に聞いてみたが、「物理的に不可能」という返事だった。
  (『慰安婦問題の決算』(p116)

これは秦郁彦の「慰安婦」問題がらみの最新作『慰安婦問題の決算』のp116である。最初に書かれている「第10巻」というのは、『はだしのゲン』の第10巻の事だ。要するに『はだしのゲン』に書かれている内容を秦郁彦が否定的に扱っているのである。

             

問題視しているのはこのシーンである  

https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html


皇軍が戦争中にやったことをゲンが話しているシーンである。嫌なシーンだが、皇軍がしばしばこの手のことをやっていたのは、多くの記録が物語っている。


 @ 「銃剣術の的にした話」                


例えば、「銃剣術の的にした話」は、皇族である三笠宮崇仁も戦地で陸軍参謀時代に同僚から聞いたという。
( 『This is 読売』1994-8 )

<殿下にインタビュー>

「最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係ありません。私が戦地で強いショックを受けたのは、ある青年将校から『新兵教育には、生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。それで根性ができる』という話を聞いた時でした。それ以来、陸軍士官学校で受けた教育とは一体なんだったのかという疑義に駆られました」(p56)


A捕虜を試し切りしたり銃剣で刺すのは

        よくあることだった

十二月十三日 天気晴朗
一、本日正午高山剣士来着す
  捕虜七名あり 直に試斬を為さしむ
  時恰も小生の刀も亦此時彼をして試斬せしめ頚二つを見込(事)斬りたり
(第十六師団長、『中島今朝吾日記』より)


陸軍の兵士が、その五人を鉄の垣根のところへ連れ出し、江へ面して手すりに向こうむきに並ばせては、後ろから銃剣で突き刺すのである。その様子は、とてもまともに見ていられない。海軍中尉も、この様子を見て「とても後ろから斬りとばすことはできない」とやめてしまった。
               (『偕行』1985年1月号 P32「住谷盤根氏の回想」)


一将校が軍刀で日本刀の切味を試さんとしたら少しのすきをみて逃げ出したのを自分と××君と二人で追い・・・(略)・・・
             (『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』 P36「斉藤次郎陣中日記」


十一月二日、夜半、中国軍正規兵一名を捕えた。
朝、小隊長伊藤少尉が、軍刀の試し切りをすると斬首する。
               (山本武『一兵士の従軍記録』)

陸軍第五十九師団師団長陸軍中将藤田茂筆供述書「俘虜殺害の教育指示」

「兵を戦場に慣れしむる為には殺人が早い方法である。即ち度胸試しである。之には俘虜を使用すればよい。4月には初年兵が補充される予定であるからなるべく早く此の機会を作って初年兵を戦場に慣れしめ強くしなければならない」 「此には銃殺より刺殺が効果的である」
   (『侵略の証言−中国における日本人戦犯自筆供述書』新井利男・藤原彰編)

鬼になる洗礼

 昭和7年(1932年)1月のある日だった。入営して二ヶ月にもならない。兵舎から200メートルほど離れた射撃場からさらに100メートルの所に、ロシア人墓地があった。その墓地に三中隊の60人の初年兵が集められた。大隊長や中隊長ら幹部がずらりと来ていた。「何があるのか」と、初年兵がざわついているところに、6人の中国の農民姿の男たちが連れてこられた。全員後ろ手に縛られていた。上官は「度胸をつける教育をする。じっくり見学するように」と指示した。男たちは、匪賊で、警察に捕まったのを三中隊に引き渡されたという。はじめに、着任したばかりの大隊長(中佐)が、細身の刀を下げて6人のうちの一人の前に立った。だれかが「まず大隊長から」と、すすめたらしい。内地からきたばかりの大隊長は、人を斬ったことなどなかった様子だった。部下が「自分を試そうとしている」ことは承知していたろう。どんな表情だったか、土屋は覚えていない。彼は、刀を抜いたものの、立ちつくしたままだった。「度胸がねえ大隊長だナ」と、土屋ら初年兵たちは見た。すぐに中尉二人が代行した。 ヒゲをピアーッとたてた、いかにも千軍万馬の古つわもの、という風情だった。こういう人ならいくら弾が飛んできても立ったままでいられるだろうな、と思った。その中尉の一人が、後ろ手に縛られ、ひざを折った姿勢の中国人に近づくと、刀
を抜き、一瞬のうちに首をはねた。土屋には「スパーッ」と聞こえた。もう一人の中尉も、別の一人を斬った。その場に来ていた二中隊の将校も、刀を振るった。後で知ったが、首というのは、案外簡単に斬れる。斬れ過ぎて自分の足まで傷つけることがあるから、左足を引いて刀を振りおろすのだという。三人のつわものたちは、このコツを心得ていた。もう何人もこうして中国人を斬ってきたのだろう。

首を斬られた農民姿の中国人の首からは、血が、3,4メートルも噴き上げた。「軍隊とはこんなことをするのか」と、土屋は思った。顔から血の気が引き、小刻みに震えているのがわかった。そこへ、「土屋!」と、上官の大声が浴びせられた。 上官は「今度は、お前が突き殺せ!」と命じた。

・・・「ワアーッ」。頭の中が空っぽになるほどの大声を上げて、その中国人に突き進んだ。両わきをしっかりしめて、といった刺突の基本など忘れていた。多分へっぴり腰だったろう。農民服姿、汚れた帽子をかぶったその中国人は、目隠しもしていなかった。三十五、六歳。殺される恐怖心どころか、怒りに燃えた目だった。それが土屋をにらんでいた。

目前で仲間であろう三人の首が斬られるのを見ていたその中国人は、生への執着はなかった、と土屋は思う。ただ、後で憲兵となり、拷問を繰り返した時、必ず中国人は「日本鬼子」と叫んだ。「日本人の鬼め」という侵略者への憎悪の言葉だった。そう叫びながら、憎しみと怒りで燃え上がりそうな目でにらんだ。今、まさに土屋が突き殺そうという相手の目もそうだった。
恐怖心は、むしろ、土屋の側にあった。それを大声で消し、土屋は力まかせに胸のあたりを突いた。
         (『聞き書き ある憲兵の記録』朝日新聞山形支局「元憲兵 土屋芳雄の話」)

秦は「@〜Bは洋の東西を問わず流通してきた残虐物語の定番」と述べ、得意の「どこにでもあった論」で誤魔化そうとしているが、到底誤魔化せるようなものではないだろう。


B赤子を銃剣で刺し殺す話

赤子を銃剣で刺し殺す話も、創価学会青年部が熊本第6師団の元兵士の回想を集めた『揚子江は哭いている』はこう書いている。      


 日本軍の急進撃のため、路傍に取り残されて泣いている赤ん坊がいた。母親が殺されたのか置いて逃げたのかわからないが、一人ぽつんと残されていた。その子を歩兵の一人が、いきなり銃剣でブスリと、串刺しにしたのである。
 赤子は、声を出す間もなく、即死した。
 突き刺した兵は、さらに、刺したまま頭上に掲げた。それも誇らしげに・・・。「やめろ」という間もない、アッという間の出来事であった。
                    (『揚子江は哭いている』P93〜P94)

 C「一升瓶を女性の性器に叩き込む残虐行為」


「Cは見聞きした記憶がなく、ゲンの作者が思いついた空想シーンと断じてよい」と秦は書いているが、”バカを言うな”と言うしかない。

秦は色川大吉が戦時中の出来事を半自伝的に書いた『ある昭和史 自分史の試み』を読んだこともないのだろうか?

秦にとっては、歴史学者として先輩になるわけだが。

このブログではすでにここに書いている。

               (『ある昭和史 自分史の試み』p68)

まさに『はだしのゲン』が描いた通りのシーンであり、『はだしのゲン』の作者である中沢啓治はこうした話を読んだり、出征兵士から聞いていたのかも知れない。近現代専門の歴史学者秦郁彦よりも漫画家中沢啓治の方が歴史に詳しいという事実に我々は失笑せずにはおれない。

この色川大吉の話は吉田裕教授(近現代専門の著名な歴史学者)も『天皇の軍隊と南京事件』に引用している。秦の「見聞きした記憶がなく」や「ゲンの作者が思いついた空想シーンと断じてよい」は、秦の不勉強から生じた見解であると断じてよいだろう。

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https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html

(吉田裕『天皇の軍隊と南京事件』)

『はだしのゲン』への攻撃は在特会とその周辺がはじめたことである。まるで歴史資料を知らないレイシストたちが、日中戦争時に皇軍兵士が犯した罪悪について無知なのはまだしも教育の弊害として情状酌量の余地がないでもないが、専門研究者であり近現代史について数多くの著作をし、南京事件に関しても本を書いている秦がそれに同調し、「見聞きした記憶がなく、ゲンの作者が思いついた空想シーンと断じて」しまうのは甚だしい不見識である。

また、たとえ色川の『ある昭和史 自分史の試み』を読んだこともなく、あるいは読んだが失念している場合でも、日中戦争史の強姦で、異物を女性器に入れて殺害する行為は、様々な著作物に書かれていることなので、「性器に一升瓶を入れて殺す」もあったかも知れないと考えるのが正しい考察の仕方であろう。

例えば、秦が『現代史の争点』P10で、「シンドラーとは比較にならぬほどの義人」「インパクトと説得力を持っている」と高い評価を与え、*関西の新聞に「資料的な価値は高い」とコメントしたという「ラーベの日記」には、

1938年2月3日
局部に竹をつっこまれた女の人の死体をそこらじゅうで見かける。吐き気がして息苦しくなる。七十を超えた人さえなんども暴行されているのだ。
                             (ジョン・ラーベ『南京の真実』P222)


と書かれている。

  *http://www.history.gr.jp/nanking/rabe.html

南京大虐殺に関する資料は全てイチャモンをつけるという東中野センセイの姿勢をよく表している文章だが、秦のコメント自体には違和感はない。

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https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html

(『現代史の争点』)

自分がこれほど高い評価を与えた「ラーベの日記」を、まさか読んでないなんてことは無いだろう。

さらに秦は『南京事件』(p121)に「小原立一日記」を掲載しており、「殺して陰部に木片を突っこむ」と書いている。

十二月十四日

最前線の兵七名で凡そ三一〇名の正規軍を捕虜にしてきたので見に行った。色々な奴がいる。武器を取りあげ服装検査、その間に逃亡を計った奴三名は直ちに銃殺、間もなく一人ずつ一丁ばかり離れた所へ引き出し兵隊二百人ばかりで全部突き殺す・・・・中に女一名あり、殺して陰部に木片を突っこむ。


自分でも皇軍が女性の陰部にいたずらをする例を書いているのである。

南京事件では強姦が嵐のようになされており、家族を殺された夏さんの母親も性器にビンを押し込んで殺害されたという。https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64396076.html

しかし、秦郁彦は「見聞きした記憶がない」ようである。歴史学者という肩書に恥ずかしくないのだろうか?


【備考】その他「強姦殺人+性器へのいたずら」

川沿いに、女たちが首だけ出して隠れているのを引き揚げてはぶっ殺し、陰部に竹を突きさしたりした。杭州湾から昆山まで道端に延々とそういう死体がころがっていた。昆山では中国の敗残兵の大部隊がやられていて、機関砲でやったらしいが屍の山で、体は引き裂かれて、チンポコ丸出しで死んでいた。そのチンポコがみな立ってるんだ、ローソクみたいに。「チンポコ3万本」と俺たちはいっていたが、3000人以上はいたろうな」(p46)
『証言記録三光作戦―南京虐殺から満州国崩壊まで』 森山康平 1975「第10軍に従軍したカメラマン河野公輝の話」

もっと残虐な行為をする者もあった。妊娠している婦人を連行して全裸にし、大きく膨らんだ腹に刀で突き立てる者、木の間に女の両手両足をゆわえ、子宮に手榴弾を指し込み爆発させる者等・・・・・とにかく手当たり次第に、女という女には、ありとあらゆるいたずらをしたのである。女たちにどれほど酷い事をしたかという話しが、兵隊仲間で興味本位に、しかも得意げに語られていたものである。(元軍曹T氏)

(月刊誌『潮』1971年7月号、特集「大陸中国での日本人の犯罪=100人の証言と告白」より)


支那の時より軍紀は概して良好で、それにそんな悪いことをする間もないほどの急進撃だったからな。女の死体の陰部などに竹の棒をさし込むような凌辱を加えられてあったのを一度だけ見たけれど、あんなことはさすがに嫌な気がして面をそむけちまった。
                                        昭和17年、シンガポール
(鮎川信夫著『鮎川信夫著作集第七巻』思潮社、1974)


変態性欲的行為トシテハ勿論其例ハ多クハナイ。其ノ例トシテハ死人ノ陰部ニ悪戯セルモノ(男女)捕虜ノ陰部ニ特ニ悪戯スル者(即チ陰茎ニ油ヲ注ギ是ニ点火セルコト)或ハ他兵若クハ支那人(殊ニ夫ノ前)ニ見ラレツヽ性交セル者、或ハ性交ニテ足ラズ虐待シ或ハ是ヲ銃殺セル者等ヲ挙ゲル事ガ出来ル。亦支那婦人中ニハ金ヲ貰ヒテ陰部ヲ見セル悪風ガアル。兵モ是ニ興味ヲ感ジ脅迫ノ上見ルコトニ止マラズ遂ニ強姦ニ及ンダ例モアツタ。上海事変ノ時ニハ女ノ乳首ヲ切リ取リ紙ニ包ミテ持チ歩キタル兵ガアツタト聞イタ。今度ノ事変ニハ女ガ逃ゲテ居ラナカツタカラコンナ例ハナカツタト思フ。
  (『戦場心理ノ研究 』 p78 https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/64338135.html)


銃剣で突きさしたり、妊娠している女の腹に刺して子供を引きづり出しました。私も4,5人やりました。相当残酷な事をしたもんです
               連続強姦殺人で死刑になった小平義雄談
(『新評』1971年8月)


それにしても、敵側の惨虐は報道し得ても、「皇軍」の残虐は報道できない―。

 町はずれの路傍で姑娘が、地べたに腰をおろしていた。近づいてみると、上衣はつけていたが、下着も下穿きも脱がされていた。二十歳前後だろうか。その頃流行の断髪姿、顔立ちも整った美人だったが、兵隊に犯されて立つ気力を失ってしまったのだろう、手だけはわずかに動いて、眼は大きく開いていたが、どこをみているのか、うつろな瞳だった。通りがかって兵隊がやったものだろう。裸の股の間に棒キレがさしこまれていた。 女はそれを抜いて捨てる気力もないようにみえた。兵隊たちが立ちどまって覗きこんでいた。そのとき、小隊長らしい将校がやってきて、兵隊に向って「かたづけろ!」とどなった。

 いったいどこへ片付けろというのだろう。病院もなければ、住民もいない。手当するようなところもない。数人の兵が姑娘をかついで行った。

 夕暮どき、私は兵隊たちにきいた。
 「あの女、どこへかたづけた!」
 「焼いちゃいました。あんな恰好でころがっていたのでは、死んでも浮かばれないでしょうから、マキを積んで、その上にのせて、焼いちゃいました」。

 彼女は虫の息だったが、たしかに生きていた。すると、彼女は生きたまま焼かれたのである。

(『侵掠』小俣行男P53〜P54)
(追記2018-3-9)

https://blogs.yahoo.co.jp/kounodanwawomamoru/66169965.html

17. 中川隆[-9297] koaQ7Jey 2019年6月25日 18:33:27 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3202] 報告

社会科学者の随想 2019年06月25日

従軍慰安婦問題に関する映画『主戦場』2019年4月封切りから2ヵ月が経ったところで,実際にこの作品を観賞した人たちの感想をめぐって(その3・完)
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1075068834.html

【『主戦場,SHUSENJO:The Main Battleground of The Comfort Women Issue』2018年製作映画】

【監 督  ミキ・デザキ,上映日 2019年04月20日 上映時間:122分】
【製作国  アメリカ・日本・韓国】
【ジャンル  ドキュメンタリー】
【脚 本  ミキ・デザキ】

◆「主戦場」に投稿されたネタバレ・内容・結末 ◆

 = 以下においては,寄稿のさい添えられていた「評点(5点満点)」は,わざと触れないで引用する =
 註記)引用されるホームページは,https://filmarks.com/movies/83222/spoiler? 以下である


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 29 Hiros 2019/05/04 18:13
 立ち見でるほどの盛況。客の9割以上はジジイとババア。あまり寝てなかったのもあり前半やや落ちた。

 ケント・ギルバートが自分のしってるニコニコしているだけのケント・ギルバートではなかった。

 補注)この指摘に同感する。いまでは初老に爺さんになったケントの顔は,率直に感想をいえば, “視覚的な印象” にこだわるまでもなく,かなり醜悪に映っていた。彼の吐く意見そのものもさることながら,昔,日本にアメリカ某州弁護士資格の肩書きで乗りこんで来て,活躍し出してから,すでに十二分に稼いできたはずだと思っていた。


 ところがここに来て,なぜ,従軍慰安婦問題をとらえては悪乗り的に俗悪な著作を公表するのかなどと観ていたら,右翼(保守・反動)の「白人応援団」の1人として,すっかり衣替えを済ましていたわけである。


 最近公刊した本の中身のなかには,不正確(はっきりいえばデタラメ)に書かれた部分があったと批難されていた。そこには,ケント自身がじかに調査したり考えたりしたうえで,書いたのではない段落があったという裏事情もからんでいた。


 ともかくケント主戦場ケント・ギルバート画像・ギルバートは,それでもリバイバル的にであっても,最近,この日本国内にはなばなしく再登場してきた。


 しかも,ネトウヨ丸出しの駄本を書いて販売したけれども,これが大いに売れているというからには,右翼陣営にとってみれば,それなりにたいそう利用価値のある在日アメリカ人である。


 ただし,本の内容もそうであったが,この映画のなかでのケントの発言は,常識以前の駄弁に終始している。ケントなどが「売春婦でした」といっている意図的な誤説は,根拠のない決めつけであって,このケントなどもくわわって主張する「従軍慰安婦」問題についての特異な解釈は,観念論的イデオロギーを充満させている。

 出所)右上の画像は,https://anonymous-post.mobi/archives/9434


〔記事に戻る→〕 考えるべき映画のため再鑑賞予定。

 30 三樹夫 2019/05/03 23:30
 この映画のスタンスとしては,慰安婦20万人の20万という数字には疑問がある,20万人や40万,8歳,10歳の少女が慰安婦にとかいうセンセーショナリズムはやめろとし,また,慰安婦について両方にインタビューした両論併記というより,とくに後半からが,歴史修正主義者(極右とビジネスウヨ)に対して反証していく作りとなっている。

 たとえば,国家というのは謝らないんですよという藤岡信勝の発言のすぐあとに,アメリカの第2次大戦中の日系人に対しての扱いを謝罪しているレーガン政権期の映像が流れる。まあ,反証していくというか,歴史修正主義者が勝手に自爆していっただけともいえるが。

 杉田水脈の,アメリカに慰安婦像が建てられるのは,中国と韓国は日本より優れた技術をもてないから,日本を陥れるための中国の陰謀,というのには頭を抱える(こんなのが歴史修正主義者側からポンポン飛び出してくる)。

 映画の冒頭でも,日本にある差別というのを監督が Youtube に投稿したところ,日本に差別なんかないとネトウヨから差別的なメッセージが送られてきたという,この映画は歴史修正主義者とネトウヨのバカっぷり終始炸裂する。

 しかし,暗澹たる気持になるのは,歴史修正主義者の差別意識にまみれた発言に対しては当然のこととして,こういった歴史修正主義者が重要なポストに就いていたりと,すでにある程度の力をもってしまっているということだ。

 慰安婦に関する文書はないとかいってて,どうせ破棄したんだろと思ってたらそのとおりだった。この都合の悪い文書の破棄というリアリティを現政権が高めているという皮肉というかディストピア。

 最後に歴史修正主義者のラスボスで加瀬英明が出てくるんだけど酷い。慰安婦問題を教科書にのせる必要はない,教科書には明るい話だけのせればよくて,学校を卒業をしたあとに各自で調べればよい,とかいっときながら自分は人の本を読まない。日本がアメリカに戦争で勝ったからアメリカは奴隷制を手放すことになった(!?),など。

 歴史修正主義者側全員ひどいけど,加瀬英明と杉田水脈が飛びぬけてひどい。慰安婦問題がここまで注目を浴びるのは,下世話な好奇心を刺激するからではなく,人権問題だからだと怒りがこみあげてくる。


主戦場登場人物右翼人士ケント・ギルバートなど

出所) https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/04/post-12047.php


 この映画は慰安婦問題についての対歴史修正主義者問答集みたいになっていて,慰安婦は大金を貰っていた ← それビルマの話だろ。金額はすごくても当時ビルマはインフレで大した額じゃない。

 首に縄付けられて強制連行された慰安婦はいない ← 強制連行という言葉のなかには,仕事があるよなどの甘言も含まれる(首に縄付けられてって,体温40度以上じゃなければ風邪ではない,38度39度程度じゃ風邪とはいわん,みたいなハードルをものすごく高くして強制連行をなかったことにしようとしてるよね)。

 ほかにも想定問答集みたいなのがいくつかある。

 また,なんで歴史修正主義者が慰安婦はなかったということにしたいのか,元ナショナリストの日砂恵ケネデが答えていて,自分と国とを同一化しているため国の過ちをあたかも自分が批判されているように感じてしまうと。自分=国になちゃってるから,国への批判=自分の批判となる。

 白人が日本褒める日本凄い番組みて気持良くなってる奴もこのメンタリティでしょ。日本凄い → 日本=自分だから自分凄いってなるんだろう,バカバカしいが。たとえば,オリンピックで日本人選手が何個金メダルとろうがその選手が凄いんであって,お前は凄くともなんともないわ。

 この映画ではなぜ,自分=国になっちゃうかまでの考察はなかったけど,それは満たされない生活送ってるからじゃないの。国っていうでかいものに自分を同一化することによって,自分が大きくなったと錯覚してんじゃないのかな。そんなんでみじめな自分の人生を忘れられる(?)とズートピアの台詞を思い出す。

 補注)『ズートピア(ZOOTOPIA/ZOOTROPOLIS)』(2016年)は,監督「バイロン・ハワードとリッチ・ムーア」が制作した映画である。ごく簡単に粗筋を説明しておく。

“ あらゆる動物が住む高度な文明社会を舞台にした,ディズニーによるアニメーション。大きさの違いや,肉食・草食にかかわらず,動物たちがともに暮らすズートピアで,ウサギの新米警官とキツネの詐欺師が隠された衝撃的な事件に迫る。

 製作総指揮をジョン・ラセターが務め,監督を『塔の上のラプンツェル』などのバイロン・ハワードと『シュガー・ラッシュ』などのリッチ・ムーアが共同で担当。製作陣がイマジネーションと新たな解釈で誕生させたという,動物が生活する世界のビジュアルに期待が高まる。

〔記事に戻る→〕 この映画は日本会議までゆきつくけど,日本会議が家父長制を敷こうとしているのって,家父長の所に自分を当てはめて,家父長のいうことは絶対=自分のいうことは絶対として,他者を支配したいからでしょ。

 この映画を観ていると,なぜ国立の文系はいらんという圧が強まっているかよく分かる。そら,吉見義明みたいな歴史学者は自分たちに都合悪いもんね。ただ,政府が国立の文系はいらんというのはまだ分かるけど,政府以外の奴でも文系いらんとかいってる奴がいるのはどうしたものか。
 補注)吉見義明(1946年生まれ)は,東京大学文学部国史学科卒,同大学院人文科学研究科国史学専攻修士課程・博士課程修了,東大助手などを経て中央大学商学部教授(現在は名誉教授)。

“『朝日新聞』2017年1月24日朝刊吉見義明記事
 文系廃止という強い権力をもつ側に自分を重ねて自分が大きいと錯覚する,「自分=国」と同じの,権威主義的パーソナリティみたいなもんだとは思うが,俺がいままで聞いたなかで一番納得しているのは,MTで普通免許取った奴がAT限定に無意味な優越感もつみたいな,いわば理系マウンティングというか,理系の奴が文系はいらんということで,自分のなかで『理系>文系の優劣』が助長され,理系の自分は凄いと優越感に浸れるというもの。そんなんでみじめな自分の人生を忘れられる(?)とズートピアの台詞をもう一回思い出す。

 31 TaichiShiraishi 2019/05/02 15:34
 どちらの論に加担するとかそういう話は一度置いておいて,笑えて考えさせられるドキュメンタリーとして編集や取材の細かさ,資料の提示の仕方などが秀逸。監督の淡々としたナレーションも面白い。

 マイケルムーアほど過激じゃなく,公平にみえて,でも公平じゃなく否定論者たちを小馬鹿にしている感じが劇場でずっとクスクス笑いを生んでいた。日系アメリカ人っていうのがちょうどいい立ち位置なのかな。

 ちなみに,SNSでこの監督を朝鮮人に違いないとかいってる奴らはもう救えないと思う。

 補注)ということは,こういう映画を制作できる「在日特権」ならぬ「日系アメリカ人特権」でもあったのか(?)などと混ぜっ返したくもなるが,SNSの空間では “そこまでも徹底してバカがいいきれるのだ” となると,呆れてしまい,ただ絶句しかない。


 くわえていっておくと,本ブログへのコメントを送信してくる人のなかには,その馬鹿さ加減でいえば,なんの,けっして負けない人もいるゆえ,ネット社会における言論次元に関して発生している,発言「そのものゴミ箱化」は,はなはだしい。

 いろんなトピックに分けて,慰安婦否定論者とそれに対抗する人びとの論が交互に描かれる。もちろん,デザキ監督のバイアスがかかっているのは間違いない。否定論者側のインタビューされてる人たちが専門家というわけでもないメンツなのも,まあ卑怯といえば卑怯かも。

 櫻井よしこ,ケントギルバート,杉田水脈,テキサス親父,テキサス親父の日本人マネージャー(なんだその職業),etc ... 。彼らの論が薄っぺらというか願望こみで語られていて,しかも語っている姿もなんか頼りなさげ。

 逆に右派界隈でもガチ勢でちゃんとした人たちはこんな釣りには引っかからなかったんだろうけども。
 補注)この「右派界隈」の「ガチ勢」で「ちゃんとした人たち」とは,いったい誰のあたりを指すのか? 従軍慰安婦問題では秦 郁彦しかみあたらない。あとは居たととしてもゴミ箱入りを待つだけの者たちしかいない? それとも,ゴミ箱のなかから「なにかを叫んでいる」ような人たちならば,いるのか?

 そんでこの否定論者たちのいうことに対しての反論を,歴史学者やジャーナリスト,活動団体の人たちが被せ気味にいってくる編集がかなり笑えた。そりゃ慰安婦肯定側だって正しいかはこの映画だけじゃわからないけどね。1を10くらいにいっている可能性だって感じられる部分はあったし。それでも本作〔を〕観るかぎりでは肯定側の方が信用できる。

 もちろん,過去の出来事をなかったなんて証明するのは無理なんだから,最初から否定側が不利だけど。印象的だったのは事実かどうかの話ではなく,事実をどう受けとるかが争点になっていた部分。

 慰安婦がお金をもらってたまに娯楽を享受できていたんだから性奴隷ではないっていう右派の主張に対して,そもそも奴隷というものの認識が違うと思ったり。アメリカの黒人奴隷だって自由時間も休暇も娯楽もあったけども奴隷という事実は変わらない。むしろそんくらい許さないと維持できないし。

 あと強制連行というのが縄で縛って官憲が連れていったなんて,あからさまなものだけだと思っている人が多いのも,ちょっとどうかと思う。いい仕事があるという甘言による詐欺も強制連行に入る。

 それに現代日本だって,給料もらって休日も与えられているけど会社の奴隷みたいな人だっているし,自分の意思で会社入ったけど長時間労働やパワハラで正常な判断できず逃げられない人だっているしね。

 それから慰安婦が誕生し,戦後長らく被害者たちが語れなかった理由に韓国の儒教的な男尊女卑社会の弊害があるのも,しっかり批判していたのは好感もてる。要するにいろんな要因が重なっていたのか。貧困で慰安婦にしておいて,終わったらそんな女は恥だとかいうのは本当にひどい。

 右派のどっちもどっちの矮小化論で出がちな,各国に慰安婦がいたとか韓国だってベトナム戦争でいろいろやったみたいな話に〔対して〕も,しっかり言及したうえで反論してみせたのも,ちゃんとしていた。他国がどうだからという理由で,日本の悪事が小さくなるわけではない。

 一番痛快だったのは韓国・中国は嘘は当たりまえで,騙すより騙される側が悪いっていう文化なので食い違うんですって主張に対して,速攻で向こうの現地人にインタビューして「いや,嘘つく方が悪いでしょ」って映像を流していたところかな。ああやって他国の文化を dis るのは本当によくない。

 そうやって否定論者たちの意見をことごとく潰していくテンポが良くて,論点も整理されていて非常に観やすい。

 そんでラスボス的に出てきた日本会議の偉い人はどんなことをいうのかと思いきや,ミニラみたいなオッさんが現われて,「なんでみんなあんなくだらない問題に関心があるんだ」っていったあげく,左派はもちろん右派の慰安婦に関する本も読んでないくせに正しい歴史学者なんて名乗る始末だから,劇場の失笑感はハンパなかった。やる気ないなら出てくるな(笑)。


 ほかの右派の言論人に謝った方が良いくらい,アイツは酷かった。

 補注)ここで「アイツ」とは加瀬英明のこと。


“  加瀬英明と杉田水脈画像2018年2月4日
 出所)左から杉田水脈と加瀬英明,2018年2月4日,東京「ホテルニューオオタニ」で,https://twitter.com/miosugita/status/960288978225135616

 付記)このツイートで杉田は,こういっていた(杉田水脈‏ @miosugita)。


 土曜日は,ホテルニューオオタニで行われた「復讐裁判だった東京裁判DVD上映会&加瀬英明先生の特別講演会」に参加しました。午前9時から始まり,5時間弱のDVDの上映の後,加瀬英明先生の講演をお聞きしました。とても勉強になった1日でした。(続く)

 この加瀬英明が,従軍慰安婦問題が「問題として存在する」点をしらないわけがないと推認するしかない。また,吉見義明のことをしらないと反応してもいたが,これもいささかならず “わざとらしい応え方” だったとみられていい。

 ドキュメンタリー兼エッセイ的映画としてはちょっと終盤,慰安婦問題から飛躍してちょっと陰謀論に片足突っこんでたのが,面白いは面白いけどこれだと観る人がより狭まってしまうなと思ってしまう感じでちょっと残念。安保問題とか安倍晋三の話とかはまた別の映画でやってもいいんじゃないか。

 補注)安保と安倍晋三の問題をこのようにしか理解できないのは,この感想を書いた当人が前段で「この映画を観ていると,なぜ国立の文系はいらんという圧が強まっているかよく分かる。そら,吉見義明みたいな歴史学者は自分たちに都合悪いもんね」と断わっていた点とは,全然一貫性がない。


 安保も安倍晋三もこちらの問題は,基本的にはいうなれば,「文系の問題」意識が不足していると「従軍慰安婦問題に関する議論」が不全になりがちになるのと同然に,真正面からみすえた観察をむずかしくしてしまう点を忘れてはいけない。

 いろんな意見があるし,この映画観て議論が盛り上がったらいいと思う。一番問題なのは,劇中でちょくちょく出てきた慰安婦問題について聞かれても,なんのことかすら分からない若者たちだと思う。

 こんだけいろんなメディアで議論されてるのに名前すら聞いたことないって,アンテナ張らない人は,とことん張らないもんなのかと悲しくなったり。どっちの意見になってもいいが,日本の名誉にもかかわることだからせめてしっていて欲しい。

 補注)日本の教育では近現代史をちゃんと教えてこなかった点は,以前から指摘されつづけてきたが,ここでも関連する問題が浮上したかたちとなった。従軍慰安婦問題は,安倍晋三政権にとっては一番「教えて(触れて)はならぬ歴史問題」であった。その存在すら口に出すなとまで喚きたててきたのが,アベノポリティックスの基本思考であった。


 したがって,つぎのようにがんばっていってみたところで,この政権がつづくあいだは,この歴史問題に対する政府の認識に改善などまったく期待できない。

 しらぬ存ぜぬは許しません。ラストで右派から心変わりした女性が語ることが一番俺の意見に近い。無理やり日本がすべて正しいとか過去を否定しようとしても,名誉回復どころか逆に日本の国益を損なうから,そこはちゃんと考えなくてはいけない。

 もちろんこの映画のことも全部信じたりはしないけど,単純にめちゃくちゃ面白いし,もっとみんなに観てほしい。

 32 mmmovie 2019/04/27 18:59 
 京都シネマ 監督の舞台挨拶あり。満席で立ち見の方が10人ほど。

 同じ場に両者を置く討論スタイルではなく1人ずつ交互に切り替わる場面で両者の表情とあわせた生コメントを観て,どちらが理性的,納得できる理由をもっているかが観ている側が判断できる。合間に当時の人身売買禁止の条文情報などあり。杉田議員がしょっちゅう画面に登場するので印象に残りやすいのだが。

 杉田〔水脈〕さんが半笑いのとき発言に自信がないのかな(?)と感じた。『私たちは真実をいっているんです』のあとの,『二次被害に当たるかどうかはわかりません,しりません』というとき。

“ 杉田水脈映画主戦場予告編から1シーン
  出所)『主戦場』のなかで語る杉田水脈,
     http://cinefil.tokyo/_ct/17255187
 肯定派の人びと(歴史学者など)は真実という言葉を使っていなかった,というデザキ監督の YouTube での話を聞いていたので,ああ,否定派はもっともらしく『真実』を多用するなぁ,と感じた。(軽々しい『真実』の多用は,否定派の嘘っぽさが増す演出の一助になったと感じた)


 左と右というか,知性と非知性という印象をもった。(とくに加瀬氏の発言『歴史学者? 読んだことありませんよ,その人の本,しりませんよ ぼく そういうのは読まないんで』はトンデモでびっくり…)

 補注)繰り返すが,この加瀬英明の発言は信頼できない雰囲気を濃厚に醸していた。この加瀬はみずから「自分は無教養であることを,進んで認めるような話の筋」になるほかない「発言」を,明らかに平然と放っていた。


 まさか,当人が本気で自身のことをそうだとは思ってはいないと,推察しておくほかない。この推察の仕方を採れば加瀬に対する観方は,また根本から異なってくるはずである。


 前段に出ていたとおり加瀬英明は,従軍慰安婦問題をも含み深く関連する「東京裁判史観」批判論を講演する能力をもった人間である。それでいて,従軍慰安婦問題にかぎってとなるが,「自分はこの問題を研究する有名な歴史学者:吉見義明の姓名をしらない」と答えていた。この点をただちに鵜呑みにして了解できる人はいない。

 最終的にでてくる日本会議の存在と政権のつながり。こういう流れの作品だろうなとはうっすら想像していたけど非常に納得。

 元ナショナリストの方の話もあるなど非常に情報量が多いけど,もう一回,整理のためにも観たい。もっと上映施設増えてほしい! 面白かった!

 註記)以上,本日までの「本稿(1)(2)(3)」の記述は,「 #主戦場 」の,https://filmarks.com/movies/83222/spoiler〔〜 ?page=4 〕を引用しつつ議論をしてきた。


 この『フィルマークス 映画』「Filmarks 映画情報上映中の最新映画作品主戦場のネタバレ・内容・結末」以外にも,『主戦場』に対するネット上の感想を集めたサイトは,まだいくつもある。それでも,このフィルマークスに寄せられた感想を,これだけまとめて読んでもらえれば,『主戦場』をめぐる「話題性」に関した「賛否両論」に関する「おおよその全体像」は把握できるはずである。

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 ◆ 関連する記事の紹介 ◆

 

 −−以下ではリンク先は,住所:アドレスの文字列に張ってある。現在まですでに多くの議論が,この『主戦場』をめぐってなされいている。

 ※−1 犬飼 淳「映画『主戦場』で再び注目の慰安婦問題。12年前の安倍総理答弁を信号無視話法分析」『HARBOR BUSINESS Online』2019.05.04,https://hbol.jp/191587

 ※−2 篠田博之・月刊『創』編集長「映画『主戦場』は日本の「慰安婦タブー」に新しい風穴を開けるかもしれない」『YAHOO! JAPAN ニュース』2019/5/4(土) 18:32,https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20190504-00124778/

 ※−3 朴 順梨・ライター「慰安婦映画『主戦場』リアルバトル 「騙された」vs.「合意を果たした」」『NEWSWEEK 日本版』2019年6月7日 18時00分,https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/06/vs-23.php

 ※−4 文 聖姫・週刊金曜日編集部「櫻井よしこ氏らが映画『主戦場』上映差し止め要求 デザキ監督「承諾得た」」『BLOGOS』2019年06月20日 10:04,https://blogos.com/article/385740/


 ※−5 大島 新「従軍慰安婦をテーマにした話題作『主戦場』で “あんなインタビュー” が撮れた理由 プロパガンダ映画か,野心的なドキュメンタリー作品か」『文春オンライン』2019/06/11,https://bunshun.jp/articles/-/12302

http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1075068834.html

18. 中川隆[-9284] koaQ7Jey 2019年6月26日 05:41:45 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3215] 報告

社会科学者の随想 2019年05月08日
櫻井よしこ,従軍慰安婦問題に関して2世紀に跨がった二枚舌遣い,かつてのリベラル的なニュースキャスターも,いまではネトウヨ風に国粋・保守・反動陣営のただのアイドル・オバさん
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1074664307.html

【櫻井よしこ著『櫻井よしこが取材する』(ダイヤモンド社,1994年)に記録されていた「ジャーナリスト本来の〈よしこの面影〉」は,いまいずこ】

【言論界関係人士にみる「資質と才能」と「思想と精神」の劣化および溶融現象】

【従軍慰安婦問題に関する典型的二枚舌的な見解変節の「実例:櫻井よしこ」】

【この国を凋落させ,衰退させる一途に拍車をかけてきた安倍晋三政権の体たらく的なくだらなさ】


 @ 徃住(とこずみ)嘉文「 櫻井よしこ氏は『慰安婦』を『日本軍強制説』で報じていた」(『週刊金曜日 オンライン』2019年4月19日 6:20PM,『週刊金曜日』2019年4/19号,http://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/2019/04/19/news-38/)『週刊金曜日オンライン』2019年4月19日櫻井よしこ
 『朝日新聞』の日本軍「慰安婦」の記事を「強制連行を捏造した」と非難している櫻井よしこ氏が,自身も「日本軍によって強制的に従軍慰安婦にさせられた女性たち」とテレビ,雑誌で報道していたことが分かった。自身の報道を棚にあげ,他者を「捏造」呼ばわりするのはアンフェアではないだろうか。

“   望月衣塑子ツイート2019年5月2日櫻井よしこ
 櫻井よしこ氏がキャスターを務めていた日本テレビのニュース番組「NNNきょうの出来事」とみられる動画がある。1992年12月9日,東京で開かれた「日本の戦後補償に関する国際公聴会」を,櫻井氏に瓜二つの女性はこう放送した。

 「第2次世界大戦中に,日本軍によって強制的に従軍慰安婦にさせられた女性たちが,当時の様子を生々しく証言しました」。画面では「韓国人元慰安婦」の字幕とともにチマチョゴリ姿の元「慰安婦」が公聴会の壇上で叫ぶ。「私の一生を台無しにして! 日本政府は隠さないでしっかり謝罪したらどうなの!」

 男性アナウンサーの声。「これは元従軍慰安婦らから事情を聴き日本政府に謝罪と戦後補償を求める公聴会です。今回初めて名乗り出たオランダや北朝鮮の元従軍慰安婦8人が当時の様子を生々しく語りました」。

 壇上では元「慰安婦」たちが泣いている。字幕の説明。「感極まって,韓国と北朝鮮の元慰安婦が抱き合った」。中国の元「慰安婦」,万 愛花さん(64歳,当時)のインタビューもある。「私は15歳でした。日本軍に襲われて両手両足を押さえられ,乱暴されました」。約3分弱の動画だ。

 フェイクの時代だ。万が一にもと日本テレビに動画の確認をお願いした。「放送したものがすべて。答えられない」。櫻井氏からも「裁判中なので」と取材を断わられた。

  ※「責任痛感すべき私たち」※


 しかし,櫻井氏は1992年7月18日号の『週刊時事』(時事通信社)でもつぎのように書いている(前掲した画像資料のこと)。

“櫻井よしこ 東京地方裁判所には,元従軍慰安婦だったという韓国人女性らが,補償を求めて訴えを起こした。強制的に旧日本軍に徴用されたという彼女らの生々しい訴えは,人間としても同性としても,心からの同情なしには聞けないものだ。

 売春という行為を戦時下の国策のひとつにして,戦地にまで組織的に女性達を連れていった日本政府の姿勢は,言語道断,恥ずべきであるが,背景にはそのような政策を支持する世論があった。とすれば,責任を痛感すべきは,むしろ,私たち1人ひとりである。

 櫻井氏は,この記事などを再録し『櫻井よしこが取材する』(ダイヤモンド社)を1994年に出版した(右上画像はこの本の表紙カバーと帯)。少なくともこの年まで,櫻井氏は,日本が国策として強制的に「慰安婦」にしたと伝えていたことになる。ちなみに,手元にある本は櫻井氏のサイン入りだ。フェイク本ではおそらく,ない。
(徃住嘉文・報道人,2019年4月19日号)

“ ※同上記事の編注):元『朝日新聞』記者の植村 隆氏が,元日本軍「慰安婦」に関する記事を「捏造」とされ名誉を傷つけられたとして,櫻井氏を訴えた札幌訴訟について,〔2019年〕4月19日(金)発売の『週刊金曜日』4月19日号が詳しく報じている。同誌は書店などで販売する紙版のほか,アプリを使った電子版でも購読できる。


 さて『櫻井よしこが取材する』(ダイヤモンド社,1994年)は昔,櫻井自身が従軍慰安婦問題について公表していた文章,「従軍慰安婦問問題の責任」(前出の『週刊時事』1992年7月18日号に初出)を,27−29頁に収録していた。この「従軍慰安婦問題」に関する “その3頁分” を画像資料のかたちで,以下に紹介しておく。これは,櫻井自身が従軍慰安婦問題について「取材して書いた文章であった」はずである。


櫻井よしこ『櫻井よしこが取材する』27頁

櫻井よしこ『櫻井よしこが取材する』28頁

櫻井よしこ『櫻井よしこが取材する』29頁


 また本ブログ内には,関連する記述がいくつかあるが,2018年11月12日に公表されたつぎの1編のみ紹介しておく。


“ 主題「安倍晋三を忖度する裁判官が下した従軍慰安婦問題関係の判決,政権のための審理をしないと左遷される裁判官の『へっぴり腰:判断』」

  副題1「従軍慰安婦問題の『裁判』に関して,『櫻井よしこ側の非』は確実に認めるが,植村 隆からの『櫻井に対する損害賠償の請求』は認めないという腸捻転の判決は,安倍晋三という『個人の首相』を忖度しただけの『国策的でありかつ反市民的な,そしてネトウヨ的な』偏向裁判」

  副題2「従軍慰安婦が歴史的に存在した事実を認めたくない安倍晋三君の意に,そのまま即した判決を下した裁判所・裁判官の『気の毒な利害状況と精神状態』」

  副題3「権力・支配・体制側の単なる召使いになり下がっている日本の裁判所は,安倍晋三サマのための判決しか出せないというみじめな現状」

  リンク先 ⇒ http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1073122842.html

 A「慰安婦問題検証映画『主戦場』で極右論客たちが衝撃のトンデモ発言! 櫻井よしこ,杉田水脈,テキサス親父,加瀬英明…」(『リテラ』2019.04.27 11:30)

 a) 戦中の日本軍による慰安婦問題を題材にした映画『主戦場』が,反響を呼んでいる。

 出演者には杉田水脈衆院議員やケント・ギルバート氏,藤岡信勝氏,テキサス親父ことトニー・マラーノ氏,櫻井よしこ氏などといった従軍慰安婦を否定・矮小化する極右ネトウヨ論客が勢揃い。「慰安婦はフェイク」と喧伝する歴史修正主義者たちと,慰安婦問題に取り組むリベラル派の学者や運動家らがスクリーンのなかで “激突” するドキュメンタリー作品だ。

 同作の見所はなんといっても,慰安婦問題をめぐる国内外の “論客” を中心とする30名余りへのインタビューだろう。

 櫻井よしこ氏ら “極右オールスターズ” の面々は「慰安婦は売春婦だった」「合法であり犯罪ではない」「慰安婦像設置の背景には中国の思惑がある」などの主張を展開。これに対して,吉見義明・中央大学名誉教授や「女たちの戦争と平和資料館」の渡辺美奈事務局長,韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)の尹 美香常任代表らが反論を展開する。

『リテラ』2019年4月27日櫻井よしこ画像

 出演者らは顔を付きあわせて討論するわけではないが,論点を明確にして構成されていることで主張の対立点や強度を意識しやすく,ハイテンポなカット割りも相まって飽きさせない。映画は双方の主張を取材や資料を用いて細かく比較・検証し,その矛盾や恣意性を明らかにしていく。

 b) とくに,本サイトがオススメする同作の鑑賞法は,歴史修正主義者の口から発せられる主張のトンデモさをじっくりと吟味することだ。

 たとえば保守派の重鎮で,慰安婦否定論者の加瀬英明氏(日本会議代表委員)の場合,「慰安婦問題に関して正しい歴史認識をしている歴史家は?」と聞かれて「私がそのひとり」と自認する。

 しかし驚くことに,加瀬は慰安婦問題研究の第1人者のひとりである吉見名誉教授のことは「しりません」と嘯く。それどころか,保守派の歴史家である秦 郁彦・千葉大学名誉教授の著書すら「読んだことない」「人の書いたものあまり読まないんです。怠け者なもんで」などと宣うのだ。

 ちなみに,加瀬氏は「『慰安婦の真実』国民運動」という団体の代表も務めている。この極右団体は昨〔2018〕年,監事(当時)の藤井実彦氏が台湾で慰安婦像を蹴り,大きな国際問題になったことも記憶に新しい。ほかにも,同会は加瀬氏自身の名義で地方地じたいが慰安婦問題を扱う映画を後援することにクレームをつけている。そんな人物が,基本的な慰安婦研究すら「しらない」「読んだことない」などと恥ずかしげもなく開陳するのだから,呆れてものもいえない。

 c) もちろん,右派のトンデモはこれだけではない。右派陣営のインタビューからは明確な人種差別・性差別の意識が浮かび上がる。

 たとえば杉田水脈は “米国での慰安婦像設置のバックにいるのは中国” などといい出し,「どんなにがんばっても中国や韓国は日本より優れた技術がもてないからプロパガンダで日本を貶めている」と陰謀論を全開。さらには「日本が特殊なんだと思います。日本人は子どものころから嘘をついちゃいけませんよと(教えられてきた)」「嘘は当たりまえっていう社会と,嘘はダメなのでほとんど嘘がない社会とのギャップだというふうに私は思っています」とヘイトスピーチを連発する。
 補注)この水田水脈のとくにアジア諸国における企業経営の実態,それも技術水準に関する見解(?),「中国や韓国は日本より優れた技術がもてない」という思いこみは,まったく根拠のない四半世紀前であれば一部でいえたかもしれないそれであった。水田は,自分が産業経済・産業経営の実態に関して “本当に無知である” (まともな知識も情報ももちあわない点)をわざわざ告白するために,そのように発言したとしか受けとりようがない。

 また,テキサス親父は「慰安婦像をみにいったとき,私は(像の顔にかぶせるための)紙袋をもっていった。それがふさわしいと思ってね。ブサイクのガラクタには紙袋がお似合いだ」などと笑いながら語り,テキサス親父のマネージャーである藤木俊一氏は,「フェニミズムを始めたのはブサイクな人たちなんですよ。要するに誰にも相手されないような女性。心も汚い,みた目も汚い。こういう人たちなんですよ」といい放つ。


 映画のなかでもナレーションで「差別意識が元慰安婦は偽証しているとの考えにつがっているようだ」とはっきり指摘されていたが,まさにそのとおりとしかいいようがないだろう。

 註記)https://lite-ra.com/2019/04/post-4682.html


 d)「暴かれるIWG−報告書の虚構と櫻井よしこの調査費支払いの事実」 慰安婦問題をめぐる右派の性差別的・人種差別的な態度については,映画の後半でも「元修正主義者」と紹介される女性が証言する。

 補注)IWGとは「ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班」の略字イニシャル。後段にも出てくる。

 保守界隈に身を置いた立場から否定主義者たちの振るまいについて語るのだが,実はこの女性は,数年前まで「ネクスト櫻井よしこ」として保守論壇で注目を浴び,実際,右派の月刊誌にもなんどか寄稿したことのある人物。だが,あるときから「ナショナリスト」たちの主張を疑うようになり,いまは距離を置いているという。

 さらに,この女性が “否定主義者の嘘” を告白する場面は,映画『主戦場』のハイライトのひとつとなっている。詳しくは劇場で直接みていただきたいのだが,ここでは予備知識として,あるいは鑑賞後のための補足情報として記しておこう。


 はじまりは,産経新聞が2014年11月1日の紙面で「著名な米国のジャーナリストが日本の慰安婦問題の調査に本格的に取り組み始めた」として,マイケル・ヨン氏というフリージャーナリストを紹介したことだった。


 これに続けて産経は,同月27日付で「慰安婦『奴隷化』文書なし 米政府2007年報告に明記」と題した記事を掲載。ともに古森義久・ワシントン駐在客員特派員による署名記事である。書き出しはこうだ。

 「米政府がクリントン,ブッシュ両政権下で8年かけて実施したドイツと日本の戦争犯罪の大規模な再調査で,日本の慰安婦にかかわる戦争犯罪や「助成の組織的な奴隷化」の主張を裏づける米側の政府・軍の文書は一点も発見されなかったことが明らかとなった」。


 記事のいう「大規模な再調査」というのは,2007年に米政府がまとめた「ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班米国議会あて最終報告」(通称・IWG報告書)のことを指している。


 産経は,「慰安婦問題の分析を進める米国人ジャーナリスト,マイケル・ヨン氏とその調査班と産経新聞の取材により,慰安婦問題に関する調査結果部分の全容が確認された」として,IWG報告書のなかに「慰安婦関連は皆無」だったことを根拠に「日本側の慰安婦問題での主張の強力な補強になることも期待される」と書いた。


 マイケル・ヨン氏は「IWG報告書をスクープ」ともてはやされ,『正論』(産経新聞社)や『週刊文春』(文藝春秋)でも「報告書は『20万人の女性を強制連行して性奴隷にした』という事実がいっさいないことを証明している」などと触れまわった。


 これ以降,保守界隈では「結果的にIWGは『慰安婦を軍が強制連行などして性奴隷とした証拠はなかった』とするもの」(ケント・ギルバート)などとして広く流通。要するに,IWG報告書は右派陣営から “慰安婦問題の犯罪性を否定する切り札” として扱われてきた。

 e) ところが,である。映画『主戦場』では,このIWG報告書をめぐる右派の言説が見事にひっくり返される。実は,前述の「元修正主義者」の女性こそ,ヨン氏とは別の米国人とともにくだんの報告書を「発見」した人物で,いわば真のオリジネーター。その彼女が,映画のなかで後悔の言葉とともに語るのが ,“IWG報告書をめぐる右派の宣伝がいかに虚構であるか” という具体的な説明なのだ。

 しかも,映画のなかでは名指しこそされていないが,マイケル・ヨン氏は慰安婦問題をめぐって,普通ではとうてい考えられない額の「調査費」まで受けとっていたとされる。実際,ヨン氏は自身のブログに〈櫻井女史らは,私に調査をするようにお金を支払った〉と記しているのだ。あまりに生臭い話だが,映画ではこの「高額調査費」問題についても監督が櫻井氏に直撃しているので,ぜひ櫻井氏の “反応” をスクリーンで確認してほしい。
 註記)https://lite-ra.com/2019/04/post-4682_2.html

 ちなみに,映画の公開前には,出演者に極右歴史修正主義者やネトウヨ文化人が多数ラインナップされていることから「否定派の宣伝になるのではないか」との懸念の声もネット上で散見された。だが,この映画は単なる「両論併記」で終わらない。


 f) 本作が映画デビュー作となるミキ・デザキ監督は,1983年生まれの日系アメリカ人2世。日本での英語教師や YouTuber,タイでの僧侶経験もあるという異色の映像作家だ。


 2013年に YouTube で,日本社会のなかのレイシズムの存在を指摘したところ,ネトウヨに炎上させられた。そうしたなかで,朝日新聞の植村 隆・元記者に対するバッシングを目の当たりし,慰安婦問題への関心を高めたという。両陣営から介入されないため,クラウドファウンディングで資金を集めて『主戦場』を製作した。

 デザキ氏は本サイトの取材に対し,「両方の主張のどちらがより筋が通っているかを比較するべき」と語る。

 「論点を並べて “どっちもどっちだ” というやり方は,実のところ政治的なスタンスの表明にほかなりません。慰安婦問題に関しては,いま日本では右派の主張がメインストリームになっている。そこに挑戦を示さないことは,彼らのいいなりになるということであり,その現状を容認することにほかなりませんから。日本のメディアの多くは両論併記を落としどころにしていますが,それは,客観主義を装うことで,語るべきことにライトを当てていないということ。単に並べるだけでなく,比較することで生まれる結論があります」。

 g) 従軍慰安婦をめぐる否定派 / 肯定派の「論争」にスポットライトを当てながらも,決して “どっちもどっち” にならない映画『主戦場』。終盤では,日本の歴史修正主義の背景にある極右団体「日本会議」や安倍晋三首相に連なる戦後日本政治の流れもフォーカスされる。


 一般公開に先駆けておこなわれた日本外国特派員協会での上映会後の質疑応答では,デザキ監督に対し否定派の言論人から批判的な質問も飛んだ。


 4月19日には,日本会議が〈この映画には,日本会議に関して著しい事実誤認が含まれている〉などとする声明をHPで公表。


 4月25日発売の『正論』ではケント・ギルバート氏が「とてもみるに値しない映画」などとこき下ろしている。


 まさに大慌てといった感じだが,要するに,それだけ否定論者たちの核心に迫った映画だということだろう。いずれにせよ,判断するのは観客だ。(編集部)
 註記)https://lite-ra.com/2019/04/post-4682_3.html

 B「『私は歴史修正主義者ではないし日本会議とは何の関係もない』!? 植村 隆氏による名誉毀損裁判の判決を受け,櫻井よしこ氏が日本外国特派員協会での記者会見で弁明連発! 墓穴掘りまくり!! 」(『IWJ』2018.11.16,記事公開日:2018.11.19,https://iwj.co.jp/wj/open/archives/435811)(取材・文:IWJ編集部 文責:岩上安身)

 以下は,特集「IWJが追ったヘイトスピーチ問題〈特集 戦争の代償と歴史認識〉」(2018年11月22日全文書き起こしを追加,27日に加筆修正)である

 −−「私はリビジョニスト(歴史修正主義者)ではないし,日本会議とは,なんの関係もありません」。記者会見の冒頭,司会者から「リーディング・リビジョニスト(歴史修正主義の指導者)」と紹介され,日本会議との深い関係も指摘されたジャーナリストの櫻井よしこ氏は,「一方的な見方をしているのではないか」と述べ,「話の前提が間違っている」と強く否定した。

 しかし,どう抗弁しようとも,櫻井氏が「草の根改憲運動」を進める日本会議の会長である田久保忠衛(ただえ)氏や前会長の三好 達(とおる)氏とともに「美しい日本の憲法を作る国民の会」共同代表であることは公の事実である。改憲推進の旗振り役として,ことあるごとに広告塔の役割を果たしてきた櫻井氏のいう「なんの関係もない」とは,単に「日本会議のメンバーとして登録はしていない」というだけに過ぎない。

 2018年11月16日,櫻井よしこ氏は,元朝日新聞記者の植村 隆氏から従軍慰安婦の記事をめぐり名誉毀損で訴えられていた裁判の判決について,日本外国特派員協会(FCCJ)で記者会見をおこなった。

 1)櫻井よしこ氏
 元朝日新聞記者の植村 隆氏(現・『週刊金曜日』発行人)が1991年8月,朝日新聞記者時代に執筆した元従軍慰安婦に関する記事をめぐり,記事を「捏造」と繰り返し誹謗中傷した,ジャーナリストの櫻井よしこ氏と櫻井氏の記事を掲載した株式会社新潮社,株式会社ワック,株式会社ダイヤモンド社を植村氏が名誉毀損で札幌地裁に訴えていた裁判で,2018年11月9日,岡山忠広裁判長は植村氏の請求をすべて棄却する判決をいい渡した。

 判決は,「櫻井氏の記事には植村氏の社会的評価を低下させる表現があったが,櫻井氏が参照した資料には,櫻井氏が真実だと信じるに足る相当の理由があった(真実相当性)ため,櫻井氏の表現は名誉毀損に当たらない」というものだった。

 しかし,裁判の過程で櫻井氏は,植村氏を批判した記事の根拠とした,朝鮮人従軍慰安婦,金 学順(キム・ハクスン)さんの訴状の記述が実際には書かれていないことを指摘され,これを認め,訂正している。

 判決にある「真実相当性」とは,いいかえれば,真実であると信じられるまで十分取材を尽くしたか,ということを問われているわけであるから,櫻井氏の取材が「ずさんであった」と批判は当然であろう。植村氏と植村氏の弁護団は,判決のあった〔11月〕9日,控訴することを表明している。

 2)植村 隆氏(2018年11月10日,IWJ撮影)

“【関連して付記されていた「記事の題名」の紹介】

 ※−1 【速報】櫻井よしこ氏のずさんな取材を司法が追認!? 植村 隆氏の名誉を毀損したが「捏造」と信じたのは仕方なかった!? 「言論で勝って裁判で負けた,悪夢のような判決」!(2018.11.9)

 ※−2 櫻井よしこ氏は,なぜ司法に「特別扱い」されたか? 改憲運動を草の根で推進する「日本会議の広告塔」だからではないか!?(11.9) 植村 隆氏裁判札幌地裁判決後の報告集会でIWJ代表・岩上安身が緊急事態条項の加憲に警鐘を鳴らす!(2018.11.9)

 ※−3 「ジャーナリスト」櫻井よしこ氏への名誉毀損訴訟 まさかの不当判決!! 「悪夢のような判決。言論で勝って,法廷で負けてしまった」(〜11.10) 岩上安身による元朝日新聞記者で現・週刊金曜日発行人の植村 隆氏・小野寺信勝弁護士インタビュー(2018.11.10)

〔記事本文はここから→〕 〔11月〕16日のFCCJでの記者会見でイタリアの「Sky TG24」の記者から「ジャーナリストとして,なぜ,植村氏に話を聞いて記事を書かなかったのか?」と質問された櫻井氏は,


 「植村氏は朝鮮半島問題の研究者である西岡 力(つとむ)氏の対談の申しこみを2回断わっている。ワックが植村氏へ反論のための紙面提供を申し出たが,それも断わっている。私は朝日新聞に質問状を送ったが『木で鼻をくくったような』回答だった。だから植村氏には話を聞かなかった」と答えた。

 櫻井氏が名前を挙げた西岡氏は,当時『現代コリア』編集長で現在は麗澤大学客員教授で,公益財団法人モラロジー研究所歴史研究室長。植村氏の記事が出た翌年の1992年より書籍や雑誌で記事の批判を繰り返し,1998年以降は,記事を「悪質な捏造」といって執拗に攻撃し,櫻井氏同様植村氏から名誉毀損で東京地裁に訴えられている被告である。

 自分と政治的立場が同じ西岡氏やワックの要請に応じなかったから,また,朝日新聞社の対応が悪かったからという自分の執筆活動とは無関係な理由で,自分が批判している当の本人である植村氏に取材しないまま「捏造」と攻撃することが正当とされると考えるのはあまりに馬鹿げた論理であって,話にならない。

 さらに「Sky TG24」記者に,「何人くらいの慰安婦に話を聞いたのか」と質問された櫻井氏は,以下のように答えた。

 「私は何十年も慰安婦問題を取材してきた。河野(洋平)官房長官,加藤紘一氏,外務省審議室長をしていて当時インド大使になっていた谷野作太郎氏,官房副長官の石原信雄氏,駐日韓国大使など,幅広く多くの人に取材しました。それにくわえて朝鮮半島問題の専門家である西岡氏などの話も聞いていた。慰安婦の方が語ったことの記事も読んだ。私なりに取材を尽くしたと思っているので,慰安婦の方に話を聞いてはおりません」。

 自慢話のように,長々と著名人の名前をあげてみたものの,要するに櫻井氏は朝鮮人慰安婦問題においてもっとも重要な証言者である慰安婦本人にいっさい取材をしていないということも認めたのである。(引用終わり)


 つまり,櫻井よしこは自著『櫻井よしこが取材する』(1994年)から1歩も前進することもない状態でもって,いいかえれば,従軍慰安婦問題に関しては独自の取材をしないまま,この問題に対して「事実を認める立場」から「全面的に否定する立場」に跳躍的に退歩していった。


 しかも,櫻井よしこがそのさい披露してきた立場の変化は,どこまでも言論人として基本的必要な「事実に対する調査:徹底した取材」を欠いていながら,自分が認めたくない「歴史の事実」を闇雲に否定・排除する意向だけを強弁する態度を明示していた。

 3)櫻井よしこの足跡−歴史意識の混濁化と不覚−
 問題の核心には,櫻井よしこがなぜ,従軍慰安婦問題に関する「自身の立場」をそのように「自己において矛盾するほかない方向の立場」にまで変えていったかにあった。

 最近における櫻井の言論は,たとえば「櫻井よしこ氏『憲法改正なくしてわが国の再生はない』」(『産経ニュース』2019/5/3(金)18:33 配信,https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190503-00000543-san-pol)からも伝わってくる。彼女がその後において主張するに至った「妄想的な歴史の観念」像は,「敗戦という大失敗にはまった旧大日本帝国」まで以前を郷愁するがゆえに,それまでの時代において日本が重ねてきた「歴史の過ち」を,いっさい認知したくないからであった。


 櫻井よしこ〔だけでなく同類の人たちはみなそうであるが〕は,「憲法改正なくしてわが国の再生はない」というとき,彼ら・彼女らの念頭に置かれているのは「明治憲法(大日本帝国憲法)」的な国家体制の陳腐な復活であって,21世紀の「この先にふさわしい:新しいそれ」ではない。


 明治の時代(司馬遼太郎風に表現すれば「坂の上の雲」を追い求めて,しれも自分の足下をよくみないで走りまわったすえ,結局コケてしまった「櫻井よしこ」の「みっともない姿」が目に浮かぶ。

 ジャーナリストの櫻井よしこ氏は〔5月〕3日,都内で開かれた改憲派の集会で講演し,「令和の時代,立派な日本国としての歩みをさらに強めなければならない。憲法改正なくして,わが国の本当の意味の再生はない」と述べていた。

 憲法を改正しさえすれば,それで日本が「過去に栄光あったかのように映った時代」が(具体的にそれはいつだったか? そのような時代が本当に存在していたか?),必らず再来させうるし,間違いなく再興も確実にできるとでも考えているとしたら,これこそ「思いつき的な妄想どころか,完全なる白日夢である」。

 日本の政治・経済のうち経済を考えてみればいい。この後においてのこの国であるが,高齢社会がさらに高度化(深刻化)していく体制のなかで,かつての高度経済成長時代のような,あるいはこれに代わる躍動的な経済活性化が,どうやったら期待できるというのか。

 補注)ここまで落ちこんだ日本の政治・経済の実態・真相に関する分析は,最近作としてはまず,金子 勝『平成経済 衰退の本質』(岩波書店,2019年4月),つぎに,斎藤貴男『戦争経済大国』(河出書房新社,2018年4月)を挙げておく。

 前述中に登場していた安倍晋三の腹話術「人形」みたいな国会議員である杉田水脈は,これらの本のなかに書いている「敗戦後史としての日本経済盛衰の全行程」について,実は,なにもしらない・分からない〈第2次安倍政権内の・おバ▲〉国会議員の1人であった。

 より正確に批判して表現するとしたら,無知蒙昧状態のまま「国会議員」をやっている愚かな女性議員(しかも日本の全女性にとっては仇敵みたいな人物)であった。

 C 大日本帝国憲法(明治憲法)のおどろおどろしさ

 現行の日本国憲法を改正〔?〕(改悪!)し,旧大日本帝国憲法に似ている「新しい憲法」を制定してみたところで,お里は(高が)しれている。明治時代の「坂の上の雲」をもう一度夢みてみたいと思う(渇望する)のは,勝手である。だが,それでもって,21世紀における日本の政治・経済の起死回生が期待できるとか,あるいは,その程度でしかない「保守・右翼の立場」からでも,なにかよりよい変革を導きうるとでも思いこんでいるのか? 

 わけても「従軍慰安婦問題の歴史的な起源」を全面的に否定したがり,明治の時代を懐かしく思い,その時代に似たこの国の姿を追想像するしか「能のない」安倍晋三・一統は,あまりにも「自国の過去」「歴史に対する理解」が貧しすぎる。歴史を否定するにせよ,歴史を変えたいにせよそうである。

 E・H・カーは「歴史は,現在と過去との対話である」と説明していたが,もっぱら「現在に関する認識」は放置したうえで,おまけに「過去との対話」など大嫌いなまま,その「過去」が無条件でいいものだと盲信(誤信)できた安倍晋三政権的な特定の政治集団こそが,まさしく「現状のごとき〈国難〉的状況」にまで陥った「この国の惨状そのもの」をもたらしてきた。

 大日本帝国憲法(明治23:1890年)の冒頭におかれた「告文」のなかに「皇祖皇宗」「皇考」という用語が,いったい何回出ていたか。これほどまで神がかり的な文章にしておくべき憲法の前文の1種でないと,アジアで唯一後発した「大日本帝国」は,米欧帝国主義国にはとても対抗できないといった「劣等意識」(「西洋芸術と東洋〔日本?〕道徳」といった作風になる「強がり・負け惜しみの精神」)を強烈に抱いていた。

“告文
皇朕レ謹ミ畏ミ
皇祖
皇宗ノ~靈ニ誥ケ白サク皇朕レ天壤無窮ノ宏謨ニ循ヒ惟~ノ寶祚ヲ承繼シ舊圖ヲ保持シテ敢テ失墜スルコト無シ顧ミルニ世局ノ進運ニ膺リ人文ノ發達ニ隨ヒ宜ク
皇祖
皇宗ノ遺訓ヲ明徴ニシ典憲ヲ成立シ條章ヲ昭示シ內ハ以テ子孫ノ率由スル所ト爲シ外ハ以テ臣民翼贊ノ道ヲ廣メ永遠ニ遵行セシメu〻國家ノ丕基ヲ鞏固ニシ八洲民生ノ慶c諦攝iスヘシ茲ニ皇室典範及憲法ヲ制定ス惟フニ此レ皆
皇祖
皇宗ノ後裔ニ貽シタマヘル統治ノ洪範ヲ紹述スルニ外ナラス而シテ朕カ躬ニ逮テ時ト俱ニ擧行スルコトヲ得ルハ洵ニ
皇祖
皇宗及我カ
皇考ノ威靈ニ倚藉スルニ由ラサルハ無シ皇朕レ仰テ
皇祖
皇宗及
皇考ノ~祐ヲ祷リ併セテ朕カ現在及將來ニ臣民ニ率先シ此ノ憲章ヲ履行シテ愆ラサラムコトヲ誓フ庶幾クハ
~靈此レヲ鑒ミタマヘ
 補注) なお,皇考とは,在位中の天皇が亡くなった先代の天皇を指す語である。ここでは孝明天皇になる。
 まるで呪術のような文章であった。なかんずく,明治の結果:失敗は「古代史を近代史のなかにもちこみ,〈疑似神国:神聖国家〉を構想した点」が根本の原因になっていた。それでも,旧大日本帝国が体験させられた “歴史的な敗戦(敗北)の意味” は思いだしたくないらしく,いまとなっては「明治の時代」のなかになにもありうるはずもない〈宝物〉を,もう一度掘り出せるつもりでいる。しかし,21世紀のいまの時代にそのような実体はどこにも,なにもみつからない。

 明治「維新」は1868年を区切りになされたが,その後の1945年まで「77年間分の決算」は「昭和20年間分の敗北:戦時体制の終了」をもって締められた。この「歴史の失敗」を事実そのものとして,換言すれば「失敗とみなせない=〈倒錯の歴史感覚〉」そのものが,敗戦から70年以上も経った現在にもなって「またもやはっきりと」頭をもたげている。「東京裁判史観」を全面否定したところで,敗戦までの77年間における「負の歴史」じたいが「観念の世界」において一挙に払拭・消去できるわけなどない。


 大日本帝国憲法よりも,そして日本国憲法よりもいい憲法を作るための改正ならともかく,『歴史の歯車』をともかく逆に回したいだけの安倍晋三政権1派には,実のところ,まともな「歴史観」など不在であった。自分たちの頭で新しい歴史を創造できず,むろん未来への展望すら開けていない。


 明治憲法をマネしたい,だから旧日本軍(陸軍だけでなく海軍も同列であったが)のなかには「従軍慰安婦」など存在しなかった,そのような制度などありえなかったと,それも必死になって「歴史のウソ」をいいはってきた。したがって,この問題の解決に前向きであるかのような姿勢は示そうとしないまま,ただ一方的に否定しつくす考えしかもちあわせなかった。

 21世紀の現在にあってもまだ「歴史の捏造作業」,すなわち,「あった事実」を「なかった歴史:無」にしておき,なおかつ同時に,19世紀末に制定されていた明治憲法がすばらしかったかのように回想したい時代精神に,「明日はない」。それよりも,改憲するならするでなぜ,21世紀のこの先を “それこそさきどりできる憲法” を作ることに考えが及ばないのか?

 従軍慰安婦問題を “イチジクの葉っぱ” でただ隠したがるような政治姿勢は,大相撲の力士たちの星取り表にたとえていえば,「大東亜(太平洋戦争)の完敗」を,つまり成績「2勝13敗」のような事実を認められない十両西10枚目の力士のごとし……。それでも「2勝」はしていた(?)と,なおいいはるのだから,物笑いのタネにしかならない。

 安倍晋三の唱えた標語「戦後レジームからの脱却」は,在日米軍基地に首根っこを抑えられたまま,現在の日本国に関する地位を一方的かつ想念した主張であった。そのかぎりで「その脱却」はもともと無理難題であったし,できることといったらせいぜい「戦後レジームそのものの保守」化,いいかえればアメリカへの従属体制の強化である。現に安倍晋三はいつも,トランプが喜ぶ対米従属国家体制の深化・進展に全面的な協力を惜しまない。


 トランプの「お尻を舐める」ような米日主従国際関係のなかで,大日本帝国時代の従軍慰安婦問題くらいは “なかったことにしておきたい” という気持は分からなくはないものの,相手(その被害者・犠牲者)を完全に無視しなければ成立しない話題であった。


 裁判所までが安倍晋三「忖度判決」を下したところで,従軍慰安婦問題の抹消ができるわけはない。「そのもつ歴史の意味」を軽視する「国家司法の基本姿勢」は,世界中から軽蔑の視線を浴びる。このことに無頓着なこの国に特有である自己閉塞症状が露骨に現われていた。

 敗戦後史としての「対米従属国家〈日本〉」の意味を,つぎの D で考えてみたい。

 D「〈耕論〉)9条,受け取る世代は 江藤祥平さん,栗山リンダさん」(『朝日新聞』2019年5月8日朝刊13面「オピニオン」)から江藤祥平の意見を聞く

 日本国憲法が施行されて72年。原点にあるのは,第2次世界大戦での敗戦という経験だ。いま日本社会では,敗戦国としての日本像も,経済大国としての戦後日本像もしらない世代が多数になりつつある。新たな世代は9条という遺産(レガシー)をどう受けとるのか。

 江藤祥平(憲法学者,1981年生まれ)は「 “虚構” だからこそ引き受ける」という題のもとに,以下のように語っている。若干ははぶき任意に選択して段落を引用する。

 a) 2002年,米国留学した私の目に映ったのは大規模なデモの光景でした。報復的な戦争に突き進む自国政府への反対の声。他方,米国主導のイラク戦争に加担した日本は “私たちは戦争していない” という空気でした。独仏と比べても積極的に戦争を支持した国なのに,政府も国民も戦争の当事者性を引き受けていない,責任の不在を印象づけられる出来事でした。

 そんな時代に育ったせいでしょうか。「戦後日本は民主主義と平和主義の豊かな国になった」といわれても,私にはそれは虚構,フィクションとしか思えませんでした。防衛を米国に肩代わりしてもらうことで自身は経済成長に専念し,米軍基地の負担は沖縄に押しつけることでなり立っていた側面が,戦後日本にはあるからです。

 b) 憲法9条の存在じたいには意味があったと私は考えます。軍拡を抑え,軍事力で問題を解決しようとしない日本の基本姿勢は,国際社会の信頼をえてきました。ただし,どこまで「下からの平和主義」だったかは疑問です。市民運動もありましたが,とくに1970年代以降は市民も無関心を深め,政治や法律のプロに任せっきりだったように思います。

 昨今の集団的自衛権の行使容認にしても,それを食い止めうる「われわれ」が存在しなかったのが現実でしょう。そんないまだからこそ,9条の原点に立ち返るべきだと私は思います。憲法前文と9条の特徴は,自国だけではなく世界の平和をも実現しようとする崇高な理想が刻みこまれている点だと私はみます。

 自衛権の行使を否定しているとは考えませんが,「戦力」に当たる実力の保持は禁止しており,他国の武力に対して劣勢に立つことが織りこみずみです。他国の侵略には国連など国際社会による介入で対応することが前提とされてもおり,現実の世界をみれば,相当の覚悟を要することです。しかし,それでも正義の原理にもとづく国際社会を作りあげる取り組みを国民に求めたのが9条です。

 c) 他国の平和にまで配慮したものですから,真剣に受け止めるなら,戦争より覚悟が必要になります。9条がこうしてある意味で常軌を逸しつつ,歴史の一歩先をいく性格を帯びた背景には,多大な犠牲者を生んだ先の大戦の経験があります。倫理の側面からみれば,弱き者たちから叫ばれた「殺すなかれ」という要求を受けとめたものともいえるでしょう。

 しかし,平和な国際社会を実現する覚悟をもつ「われわれ」が立ち上がったかといえば疑問です。政治は米国に追従し,国連に本来の役割を果たさせる改革を使命とはしてきませんでした。もちろん政治は国民の映し鏡です。国民に覚悟がないから,覚悟しないことが政治家の得になったのでしょう。

 9条の理想を追求する日本国民という物語は,それが虚構であるからこそ,引き受ける覚悟がなければなり立ちません。あえて9条という宿命に賭ける覚悟です。現実政治をみれば,そうした「われわれ」が立ち上がるみこみは小さいでしょう。しかし,その細い道筋を絶やさず追求しつづけることが必要なのだと私は考えます。(聞き手 編集委員・塩倉 裕)(引用終わり)


 日本国憲法第9条はいうまでもなく,「在日米軍基地」の実在によって裏支えされてきた。その第1条から第8条の「天皇・天皇制」の問題も合わせ鏡の要領で存在させられてきた。だが,江藤祥平は新聞紙上に公表されたインタビュー記事のなかでは,天皇関連への言及はない。


 在日米軍基地の問題に関する発言も,憲法学者としてごく人並みであって,格別の含意は示唆されていない。日本国民「だけの立場の問題」が特別にあるかのようにも語っている。だが,そうした論理・議論だけでは,安倍晋三たちのような「改憲したい欲望」をまともにとりあげ,対抗するための理論・思想の準備はしにくい。

 憲法の「第1条から第8条まで」と「第9条」とのあいだには,日本が敗戦してからずっと置かれている「在日米軍基地の存在」の問題があった。この問題はもちろん,憲法学者が本格的に議論してきたものの,最近ではもとは素人であった矢部宏治の議論がその論点を分かりやすく解説してくれている。

 日本国の現状はいまだに半国家であり,つまり半独立国だといっても過言ではない。この現実を踏まえない9条擁護の主張も,安倍晋三たちにおける改憲の欲望も,日本に暮らし生きているわれわれの日常生活とはかけ離れている。安倍の改憲への意欲が,現状のごとき「対米従属国家:日本」の現状を,さらに固定化させる役目を発揮しないとはかぎらず,むしろその方途に向かう〈危険性〉のほうが確実に大である。


 「戦後レジームからの脱却」? 誇大妄想である。在日米軍基地をすべて撤去してから,そのような夢想をいいだしたらよいのであって,そのあとになってようやく,日本がアジアの東端に位置する国家としてどのような役割を果たすべきかについても,おのずと議論の方途が開け,そのための具体的な目標も設定できるかもしれない。


 現在のところ,どうみてもトランプの飼い犬みたいな「迷・忠犬:シンゾー」に,そうした国際政治次元の任務・課題にとりくめと指示したところで,「ネズミに向かい人間の乗る馬車を引け」というに等しい。


 このままだと日本は,今後に向けて凋落・衰退の一途しか展望できない。安倍晋三には,その展望「観」をくつがえすだけの政治理念も体系理論も,そして政治家としての覚悟も力量もない。いままでに彼が成就させてきた「日本を破壊していくための為政」であれば,これだけは確かに結果を出せている。まったくもって,にっちもさっちもいかないこの国にさせたのが,この安倍晋三という名の「亡国・国難の首相」である。
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1074664307.html

19. 中川隆[-9253] koaQ7Jey 2019年7月06日 06:25:34 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[3430] 報告

日本人が慰安婦強制連行を信じない理由


韓国人が嘘をつく理由
https://nihonsinwa.com/page/860.html

●韓国は儒教国。儒教は徳治主義。

●徳治主義は「徳のある」人には「良い結果」が訪れるという理屈。

●もしもお金を騙し取られた場合、騙されたのは「徳が無い」からとなる。

●もしもお金を騙し取り、うまく逃げおうせたら、それは「徳がある」から、お金を手に入れたとなる。

●よって騙されるより、嘘をついて騙す方が得。嘘がバレたらケンチャナヨ(まぁいいか)となる。

●嘘をつくというよりは、嘘のハードルが低い。

徳治主義について

韓国は儒教の国です。儒教は徳治主義です。徳治主義というのは「徳のある人が統治者になると国が栄える」というものです。これは統治者に関わらず、国民全体に浸透しています。よって韓国ではこの徳治主義が倫理の基礎となっています。

それで庶民にとっての徳治主義をというのは、何か良い結果があれば、それはその人に徳があったからということになります。逆に悪い結果があれば、その人に徳がない、つまり、悪い人であるか、もしくはバカということになります。
この理屈をよく覚えておいてください。

騙す人と騙される人はどちらが悪いか

さて。
ここで問題です。

Aさんがいます。

このAさんが、騙されてBさんにお金を取られたとします。
このとき、AさんとBさんはどちらが悪いでしょうか?


普通の国ならBさんが悪い

普通の国ならノータイムで悪いのはBさんになります。
Bさんが騙しているからです。

事実と異なることを言って、誤解させてお金をせしめているからです。Bさんが嘘をついているから、Aさんは悪くないということです。

まぁ、場合によっては、「よくそんな嘘に騙されたな」ということもありますが、ほとんどの法治国家ではAさんに非は無く、Bさんの犯罪ということになります。


儒教の徳治主義に照らすとAさんが悪い

でも儒教ではそう簡単にはいきません。

「悪い結果があったのは、その人に徳がないから」

という原則があるからです。

この原則に照らすと、Aさんが悪くなります。
お金を騙し取られるという「悪い結果」が起きたのはAさんに徳が無いからです。

騙す人の論理

ではBさんの側で考えてみましょう。

Bさんは普通の国では問答無用で「悪い」のですが、儒教では「嘘をついた時点で悪」というわけではありません。

儒教では警察に捕まるなどしないと、「悪い結果」と受け取られません。

もしも、うまく逃げおうせたら、単に「BさんがAさんのお金を手に入れた」というBさんにとって「良い結果」だけとなり、なぜBさんがお金を手に入れることが出来たのかというと、それはBさんに徳があるからということになります。つまりBさんはうまくやった立派な人であり、徳のある正しい人となります。


無論、中韓以外の国では警察に捕まろうと捕まらなくとも嘘をついた時点で「悪人」なのですが、儒教ではこういった結論と成ります。バレなければOK。バレたらケンチャナヨ精神です。

参考:儒教には神がいない。だから嘘に罪悪感を抱かない。
https://nihonsinwa.com/page/881.html


騙される方が悪い。そういう考えは多少なりとも、何処の国でもあることです。しかし、それは「余りに間抜け」という批判であって、「騙されないようにする努力も必要」という戒めの意味です。「騙した方の正当性」を保証するものではありません。この「騙した方の正当性」を「思想」が後押ししていることが、この儒教の珍妙さでもあります。

ただ、儒教は決して「騙した方が正しい」と言っているわけではありません。徳治主義という原則を厳密に採用すれば、こういった結論に成るというだけです。

騙した方が偉い…ならば嘘をつくべきという文化

結果的ではありますが…
騙した人の方が立派ということです。

日本のように騙すくらいなら騙される方がマシなどという価値観は存在しません。騙されるよりは騙した方がマシ、というレベルではなく、嘘をついても利益を得た方が「立派」「偉い」「徳がある」「正しい」となります。また嘘もバレなければ真実として横行します。だから嘘をつきます。真面目に正直にする意味がありません。正直にメリットが無いのです。

この思想を全員が完全に実践しているとは言いませんが、文化の土台としてこういった思想があるのは事実です。嘘のハードルが低いってことですね。

日本人には理屈では理解出来ても感覚としては理解できないことですが、この理屈を通して韓国のニュースを見ると非常に面白いです。
https://nihonsinwa.com/page/860.html  


▲△▽▼


儒教には神がいない。だから嘘に罪悪感を抱かない。
https://nihonsinwa.com/page/881.html

儒教と嘘


儒教は徳治主義です。

徳治主義とは徳のある正しい人間が上に立つとうまく行くという思想です。
この思想は統治者だけでなく、すべての社会にまで浸透しています。

では「徳」とか「正しい」とはどういうことか?というと、明確な答えはありません。時代によって状況によって正しいということは変化するものだからです。そこで、その人物の正しさは何によって証明されるのか?? それは「結果」です。

そのとき正しくても悪い結果が出れば、その行動とその行動を取った人物は「悪い」ことになります。その人物が徳の無い正しくない、悪い人間だから悪い結果となったわけだから、その人物は「悪」です。

となると、良い結果こそが正義です。

徳治主義とは実は、究極の成果主義と言えます。
しかし、それなら何の問題も無いような気がします。

日本のように「和」を重んじるあまり、誰も失敗の責任を取らないという社会によりはずっと現実的で、臨機応変に対応が出来るような気がします。優れている、ような気がします。

しかし、ここに落とし穴があります。

結果がその人物の「徳」を証明するのですが、ここに「因果関係」がありません。

例えば、AさんがBさんに騙されてお金を取られたとします。
儒教の徳治主義では、騙されたAさんが悪い、となります。

騙されたのはAさんに徳がないから、バカだからです。
徳がないから、お金を騙し取られるという結果になったのです。


でも、Aさんは「嘘」をつかれ、騙されたから判断ミスしたのです。
客観的な情報を得ることが出来れば判断ミスはしなかったでしょう。

それでも騙される人はいますが、客観的で正しい情報を得ることが出来ればAさんが騙された確率は格段に下がったのです。だから、嘘をつき、間違った情報で騙したBさんが、儒教の国以外では悪いのです。多少は「騙される方も悪い」という意見もあるでしょうが、Bさんに非が無い、もしくはほとんどの非がAさんにあるという考えにはなりません。そう判断するのは儒教国だけです。


その結果、嘘をつくことが正当化されます。
騙される方が悪いのだから、嘘は付いた方が得です。

騙し切って利益を得られれば、その利益が得られたのは「徳があるから」となるからです。

嘘はつき得なのです。
ばれたらケンチャナヨ(まぁいいや、気にすんな)です。


参考:韓国人が嘘をつく理由
https://nihonsinwa.com/page/860.html


儒教国以外の人が嘘を罪と考える理由


というわけで、
「徳治主義」であることから、嘘が正当性を得ていることになります。しかし、ここまで言ってもピンと来ない人も多いでしょう。

あなたは

「儒教国が嘘をつく『理屈』は理解できる。でも、だからといって、こんな理屈だけで嘘をつくだろうか? 人間には罪悪感があって、本能的に嘘をつきたくないものだ!」

と思っているのでしょう。

嘘は罪だ!!

儒教国以外の私たちの多くは「嘘は罪だ」と思っています。ではなぜ嘘は罪なのでしょうか?

嘘が蔓延すると混乱するから? 人間と人間が信頼するためには正直であるべきだから? 理屈はいくらでもつけられます。でも、嘘をついてはいけない理由はおそらくこれです。

「神」です。
神が嘘を裁いているから、嘘は罪なのです。

儒教には神が居ない、だから嘘をつく。

キリスト教やイスラム教といった一神教では絶対的存在の「神」が居ます。神には絶対的な力があり、人間では到底叶わない、底しれない能力があります。当然、嘘だって見抜くのです。そのくらいのことは簡単に出来ます。だって神ですもの。

だから、他人に嘘がばれなくっても、神に見張られていて、いつか因果応報でひどい目に逢うのです。そういうトンデモナイ能力を持っているのが神というやつなのです。だから嘘をついて一時的に利益を得たとしても、その「嘘」という罪に見合うだけの罰があると、多くの人は思っています。

日本人もそうです。日本人というと信仰心が無いと思われがちですが、日本ほど寺社仏閣・祠・地蔵といった宗教物がある国はありません。日本人が嘘をつかないのは「言霊信仰」もあるのでしょうが、やはり人では無い特別な存在(神・霊・仏・閻魔様など)が見張っているという感覚はあります。

儒教にはその神が居ない
儒教国にはその「神」がいません。
儒教はハッキリと神を否定しています。


神が居ないので罪悪感も抱かない

神がいないので、

「嘘をついたら、神様が見ていて罰を下す」

という感覚がありません。

誰も見張っていないわけです。
罰が下るという感覚が無い以上、「罪悪感」もありません。抑制するものが一般的な習俗の国よりも薄くなります。


参考

ローマ法王の発言の意味(韓国セウォル号沈没事故に対する)
https://nihonsinwa.com/page/752.html

韓国の偽造犯罪が多すぎるのは何故か
https://nihonsinwa.com/page/2778.html


これが嘘をつくもう一つの理由であり、
嘘をつくことに罪悪感を抱かない理由です。


中国と韓国の違い

ちなみに、韓国と中国では、中国の方がまだ信用できる、
という話がよくあります。

これは韓国が儒教ドップリなのに対して
中国が儒教を「表面的」にしか捉えていないところにあります。中国は儒教の国ですが、道教も浸透しています。

つまり中国には弱いですが「信仰心」があり「神」が存在するため、この違いが生まれたのです。
https://nihonsinwa.com/page/881.html

▲△▽▼


韓国の偽造犯罪が多すぎるのは何故か 2017-05-10
https://nihonsinwa.com/page/2778.html

●韓国の大学生が偽造の診断書を提出して授業を休むが、そこに罪悪感を抱いていない。

●韓国では偽造の犯罪が非常に多く。日本の8倍。人口は半分以下であることを考えると発生率は日本の16倍。

●嘘のハードルが低い。

●社会全体で嘘を大きな問題とは捉えていない。


日本に比べ多すぎる韓国の偽造犯罪


引用
大学の授業をサボるために「偽造診断書」、日本に比べ多すぎる韓国の偽造犯罪

最高検察庁によると、2014年に韓国国内で偽造犯罪事件は2万1662件も発生した。
これは、日本(2665件)の実に8倍に上る件数だ。

日本の人口が韓国の2倍以上であることを思うと、韓国の偽造件数は多過ぎる。これについて、東国大学警察行政学科のクァク・テギョン教授は「社会進出を控えた大学生たちが何らの罪の思いなしに文書を偽造するというのは深刻な問題」とした上で

「偽造文書で授業を休むことを『大学時代のロマン』と捉えるゆがんだ道徳不感症をしっかりと正すべきだ」

と話した。

此処まで引用
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/05/05/2017050500690.html 


なぜ日本と比べるのかは分かりませんが、ともかく韓国の大学生が非常に気安く「不正」を行なっているよ、という記事です。


旭日旗問題と嘘

さて、このサイトではよく「韓国には神がいないから嘘に罪悪感はない」とか「騙される方がバカという感覚がある」よ、という話をするんですが、その現象の証拠が上の記事になります。


しかし、どこの国でも嘘をつく人はいますし、騙される方がバカだって感覚は多少はあります。問題は韓国ではそのハードルが激烈に低いってところにあります。


嘘が一人歩きする社会

ところで日韓の間には旭日旗問題というのがあります。この旭日旗の最初の始まりは2011年1月のサッカー日韓戦で日本人をバカにした猿真似のパフォーマンスをした奇 誠庸(キ・ソンヨン)選手です。それまでは旭日旗が政治問題になったことはありませんでした。

彼は、猿の真似をして日本人をバカにしたことを問題にされると

「観客席の旭日旗を見て涙が出ました。私も選手の前に大韓民国国民です…」

と発言した。つまり観客席にあった旭日旗に対する復讐なんだと言ったのです。ところが、当日の観客席には旭日旗は掲げられていませんでした。

ってことは、単なる奇 誠庸(キ・ソンヨン)選手の日本人への侮辱なんですね。とっさに自分の人種差別行動を正当化するためについた嘘が「旭日旗」なんです。

ところが、この旭日旗問題はそれから度々問題にあげられるようになります。嘘が一人歩きしているんです。一人の人間の嘘が、まるで真実かのように飛び火して韓国人の道徳に火をつけた。

そもそも嘘なんですよ。嘘でも燃え広がる。真実かどうかじゃないのです。

韓国の選手が責められていたら助ける。それが嘘でも構わない。
真実か嘘かということそのものが問題にされない。
慰安婦問題でもそうなんですよね。それが韓国の道徳(正義)です。


事実の価値の低さ、嘘の気安さ

その根本にあるのは「事実」の価値の低さ。
同時に「嘘をつくこと」のハードルの低さです。

普通ならば嘘をつくことは許されないでしょう。でも、嘘を社会全体がさほど問題にしないのであればどうなるでしょうか。

これなら嘘をついてでも、その場をしのいだ方が得だなと韓国人が考えても不思議じゃないですよね。

そういう感覚が根本にあるわけです。

でも、勘違いしてはいけないのは、アチラではそれが文化だってことです。
私たちとはちょっと違う。
ただそれだけのことです。

私としては嫌韓ではなくて「違う」ってことを理解して、その上で対処するようにして行くべきだ、って考えています。
https://nihonsinwa.com/page/2778.html

20. 中川隆[-9554] koaQ7Jey 2020年11月28日 13:59:20 : fhXpTNTSFo : d2lndk56TWlqQjI=[15] 報告

2020年11月28日
パウェルが言う「クラーケン」とは何か? / ケント・ギルバートは素人
黒木 頼景
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/


ケント・ギルバートは単なる宣教師兼弁護士

Mark Malloch Brown & SorosSidney Powell 110
( 左 : ジョージ・ソロスとマーク・マロック・ブラウン / 右 : シドニー・パウェル)

  11月25日に放送された「虎ノ門ニュース」は、ちょっと騒ぎになったそうだ。この日のゲスト・コメンテーターは、上念司とケント・ギルバートで、米国の大統領選挙に関する発言がなされていた。上念司は見るからに“鬱陶しい”から、ここでは論評を述べない。問題は大統領選挙を解説したケント・ギルバート氏の方で、一部の保守系視聴者は、彼の選挙評論に反撥を覚えたそうだ。筆者も噂を聞いて水曜日の番組を視聴したけど、本当に酷い内容だった。しかし、これは個人的な「好き嫌い」の問題じゃなく、彼らの知識と判断力に限界というか稚拙さがあるからだ。まぁ、筆者も苦情を呈する視聴者の気持ちは分かるが、元々ギルバート氏は日本にやって来たモルモン教徒の宣教師で、弁護士を兼任する一般アメリカ人に過ぎない。ただ、他のアメリカ人と違い、日本語を流暢に喋るので、外人を求めるテレビ業者に重宝されているだけ。ギルバート氏は「世界まるごHow Much」くらいが似合っている。

  ギルバート氏はシドニー・パウェル弁護士の主張を軽んじ、「重大な証拠は持っていないだろう」と推測した。そして、投票機器を納入した「ドミニオン社」は「大した問題」じゃないと斬り捨てる。果たしてそうか? ギルバート氏は日本に留まり、米国の主流メディアが流した情報に基づいて自説を述べているんじゃないか? 彼はパウェル氏のチームに入って内部資料を見た訳じゃないから、どんなネタを握っているのか知らないはずだ。したがって、今のところ、部外者の我々は訴訟の模様を眺めるしかない。でも、何となく彼女が狙っている標的と目的は理解できる。ただし、軍事と謀略戦を心得ている者ならば、だ。

Kraken 002US Cyber Command 1(左 : 「クラーケンを解放せよ」のワッペン / 右 : 「サイバー軍」の標章 )
  今回、パウェル弁護士は「クラーケン(Kraken)」なる言葉を発し、選挙不正に関与した者を告発するそうだが、そもそも、この「クラーケン」とは一体「何」なのか? 評論家の藤井厳喜は、B級映画に登場する怪物の名前と説明していたが、本当はアメリカ国防省(DOD)が使っている名称だろう。この「クラーケン」というのは、アメリカ国防省が発足させたサイバー戦プログラムの名称で、様々なハッキングやサイバー攻撃に対抗するための手段である。アメリカ軍にはインターネット上の攻撃に備える「サイバー軍(U.S. Cyber Command)」が存在し、これはNSA(国家 / National Security Agency)が2009年に創設した下部組織である。このサイバー部局は、NSAの本拠地であるメリーランド州の「フォート・ジョージ・G・ミード(Fort George G. Mead)」にあるそうだ。

Paul Miki Nakasone 1(左 / ポール・ミキ・ナカソネ)
  ちなみに、サイバー軍を統括するのは、諜報組織に精通している陸軍のポール・ミキ・ナカソネ(Paul Miki Nakasone)大将だ。彼は「仲宗根」という氏名で分かる通り、沖縄人を祖先に持つ日系アメリカ人3世。陸軍の大学や参謀育成機関を経て情報将校となり、サイバー戦の専門家となった人物である。たぶん、統合参謀本部での勤務が評価されたから、サイバー軍の司令官になれたんじゃないか。(「知らんけど」。大阪風。 )

  ギルバート氏は否定していたが、「ドミニオン社」のサーバーは実際、ドイツのフランクフルトにあったらしい。上念氏は興奮して「米軍が他国にある民間企業のサーバーを勝手に押収できるのか?」と反論していたが、米軍が襲撃した場所は、おそらくCIAの管轄下にある建物か、民間企業に偽装したCIAの施設だろう。だから、ドイツ政府がさしたる抵抗も示さず、米軍の動きを承認したんじゃないか。だって、アメリカの特殊部隊がCIAの敷地に侵入し、そのサーバーを確保したからって、ドイツ政府がどうこう言う問題じゃないだろう。それに、NATO軍の最高司令官はいつもアメリカ人で、歐洲の軍人や政府高官は米軍の極秘行動を黙認している。たぶん、今回の選挙に絡む事件に関しても、ドイツ政府は薄々気づいていたはずだ。もしかすると、ドイツ軍と対米諜報組織には、以前から選挙不正に関する情報が入っていたのかも。

  とにかく、日本人は炎上コメントに敏感だ。だいたい、「虎ノ門ニュース」に招かれるゲスト・コメンターなんて所詮「テレビ藝人」に過ぎず、その視聴者の大半は、地上波テレビに飽きた一般人だろう。したがって、両者に知的な議論は無い。せいぜい、百田尚樹の漫談くらいだ。それはともかく、今回注目すべきは、トランプ大統領が使うかも知れない「国家防衛承認法(National Defense Authorization Act / NDAA)」の方である。これは大統領に非常事態の権能を与える法律で、国内の敵、すなわち反乱分子や潜伏している工作員、政府転覆を狙うテロリストおよびその共犯者などを逮捕・拘束できる。刮目すべきは、大統領に与えられた非常手段で、たとえアメリカ国民(citizen)であっても、テロ行為を計画したり実行した者、あるいはその協力者になった者は拘束されるというのだ。通常、大統領はアメリカ国内で米軍を使う事はないが、NDAAは政府転覆を計画・実行する者、および破壊活動を行うテロリストに対しては例外措置を講じることができ、大統領が米軍を出動させてもよいとしている。(NDAAの第1021項を参照。)

  このNDAAの制定には、補助線となる法律があって、9/11テロの後、2001年に議会が通した「米軍発動許可法(Authorization to Use Military Force / AUMF)」が前段階となっている。2002年5月、シカゴのオヘア空港(O'Hare Airport)で、ブルックリン生まれのアメリカ国民であるホセ・パディラ(José Padilla)が捕まったけど、その時、彼は中東アジアから戻ってきたところだった。ジョージ・ブッシュ大統領によれば、彼は「アルカイダ(Al Qaeda)」と繋がりのある敵対戦闘員(enemy combatant)で、戦闘行為に等しい敵対行動を犯したそうだ。それゆえ、パディラは自身が持つアメリカ国民の権利を主張できず、そのまま「テロリスト」扱いで軍の刑務所に輸送された。第四巡回裁判所も反論せず、大統領の権能とパディラの拘束を認めていたという。

疑惑のソロスと怪しい相棒

Mark Malloch Brown 02(左 / マーク・マロック・ブラウン卿 )
  「虎ノ門ニュース」でギルバート氏はドミニオン社の問題を却下していたが、この会社には色々と疑惑が多い。例えば、提携先の「スマートマティック(Smartmatic)社」は、本当に怪しい企業で、その重役を目にすれば誰でも「あっ !」と驚くはずだ。ここの会長はジョージ・ソロスと親しいマーク・マロック・ブラウン卿(Baron George Mark Malloch-Brown)で、英国貴族のマーク卿は様々な職歴を経てユダヤ人大富豪の盟友となっていた。彼は国連の高等難民弁務官や国連の事務総長補佐を経て世界銀行に勤めた外政官。しかし、その一方で商売にも励んでおり、広告代理店の「Bozell Sawyer Miller Group」の経営者でもあった。

  とりわけ、マーク卿が世間の注目を惹いたのは、フィリピンの政権交代となったコラソン革命だ。華僑のホセ・コファンコ(José Cojuangco)の娘として生まれたコリー・アキノ(Maria Corazon Cojuangco Aquino)は、ベニグノ・アキノ三世(Benigno Aquino III)の未亡人であった。しかし、この支那系フィリピン人は野心家で、独裁者のフェルディナンド・マルコス大統領を追放するや、“民主的”なフィリピンの大統領に納まった。ただし、彼女の背後には外国人の影がちらつく。彼女を裏で操っていたのは歐米のグローバリストで、その内の一人がマーク卿というわけ。彼はアキノ夫人の演説原稿を書いてやり、女性大統領の演出に携わっていた。支那人が大好きな黄色を使って、「カラー革命」を仕掛けていたんだから、ユダヤ人は中々「おつ」な事をする。それにしても、ホント、ユダヤ人は世界各地で色んな事をしているもんだ。

Corazon Aquino 2Benigno Aquino 1Ferdinand MArcos 1


(左 : コリー・アキノ / 中央 : ベニグノ・アキノ三世 / 右 : フェルディナンド・マルコス )

  「チャンネル桜」とか「文化人放送」に出演する保守派言論人は、主流メディアが流す情報の批判ばかりしているが、「ドミニオン社」が陣取っていたカナダの「ロバートソン・ビルディング」をもっと調査すべきだろう。ドミニオン社は同ビルの貸部屋である、200番と370番のテナントであったが、360番の借家人は「タイズ・カナダ財団(Tides Canada Foundation)」であった。この「タイズ財団」はドラモンド・パイク(Drummond MacGavin Pike)が創った慈善団体であるが、その資金はジョージ・ソロスから流れていた。このパイクは元々赤い反戦活動家で、ソロスが好きそうなインテリ左翼だ。(ソロスの財団については、以前当ブログで述べたので、ここでは省略する。)

George Soros 6(左 / ジョージ・ソロス )
  マーク・マロック・ブラウン卿は、ジョージ・ソロスの懐刀みたいな存在で、彼はソロスの投資会社である「クォンタム・ファンド(Quantum Fund)」で副社長を務め、ゴロツキ連中を養う「Soros Fund Management 」や「Open Society Institute」の重役にもなっていた。今回の大統領選挙における不正疑惑で、トランプ大統領が手を焼いたのも当然で、痴呆症を患うジョー・バイデンの背後には、民衆党の大物や財界の重鎮が多数絡んでいるからだ。それゆえ、トランプ大統領は特殊作戦に詳しい叩き上げのクリストファー・ミラーを国防長官に任命したのだろう。バイデン陣営が速やかな政権移行をせかしているのは、大統領執務室の中でどんな情報が遣り取りされているか分からず、戸惑っているからだ。頼みの綱であるマーク・エスパー長官は解任され、CIAのジーナ・ハスペル長官も蚊帳の外に置かれているんだから、バイデン陣営には最新の情報が入ってこない。これじゃあ、彼らが焦っても当然だ。

  急いで書いたから説明が不充分だけど、保守派国民がギルバート氏に反撥するのは少々酷である。彼は自分の意見を述べただけで、特別熱心なバイデン支持者ではない。単に、主流メディアの報道に感化され、トランプ敗北を受け容れただけ。だいたい、日本人は弁護士とか医者といった肩書きに弱すぎる。世の中には専門職の人間が大勢いて、その分野に精通していても、他の分野に関しては素人である場合がほとんど。それを無視して、「ケントはけしからん!」と騒ぐのは愚の骨頂だ。「虎ノ門ニュース」のスポンサーであるDHCは、自社製品を売りたいから、番組を無料で公開しているに過ぎない。こうした娯楽番組を観て、ギャアギャア騒いでもしょうがないだろう。批判するなら、ツイッターのコメント欄じゃなく、自身のブログとかYouTube番組ですればしいいじゃないか。匿名でギルバート氏を罵倒する日本人は本当に醜い。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/

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