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リヒャルト・シュトラウス 『薔薇の騎士』
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投稿者 中川隆 日時 2020 年 2 月 02 日 00:59:54: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: ヨハン・シュトラウス 2世 『皇帝円舞曲』 投稿者 中川隆 日時 2020 年 2 月 01 日 01:38:54)

リヒャルト・シュトラウス 『薔薇の騎士』


R. Strauss - Der Rosenkavalier - Excerpts - Richard Mayr, Viorica Ursuleac - Clemens Krauss (1933)


Richard Strauss
Der Rosenkavalier
Excerpts:
a) Act I - Vorspiel ... Wie du warst, wie du bist
b) Act I - Pardon, mein hübsches Kind
c) Act I - Bin ich da nicht wie ein guter Hund
d) Act I - I komm' glei ... Di rigori armato il seno ... Als Morgengabe ... Mein lieber Hyppolyte [with interruption]
e) Act I - Kann mich auch an ein Mädel erinnern
f) Act II - Mit ihren Augen voll Tränen
g) Act III - Ist ein Traum


Die Feldmarschallin - Viorica Ursuleac
Octavian - Eva Hadrabova
Sophie - Maria Gerhard
Baron Ochs auf Lerchenau - Richard Mayr
Annina - Bella Paalen
Valzacchi - Hermann Gallos
Italian Singer - Koloman von Pataky
Modistin - Fr. Braun
Tierhändler - Richard Tomek
Drei adelige Waisen - Fr. Jonas, Fr. Mathias, Fr. Brunnbauer
Vier lakaien - Hr. Schinke, Hr. Rouland, Hr. Scholtys, Hermann Reich


Orchester der Wiener Staatsoper
Clemens Krauss, conductor


Wiener Staatsoper, January 22, 1933


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Lotte Lehmann; M. Olszewska; E. Schumann; R. Mayr; "DER ROSENKAVALIER"; (Abridged); R. Strauss

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Lotte Lehmann: Soprano
Elisabeth Schumann: Soprano
Richard Mayr: Tenor/baritone
Maria Olszewska: Mezzo soprano
Robert Heger: conductor
Vienna Philharmonic Orchestra


Recorded in June 20-24,1933 at Mittlerer Konzerthaussaal, Vienna


ローベルト・ヘーガー指揮ウィーン・フィル
ロッテ・レーマン、マリア・オルツェヴスカ、エリーザベト・シューマン、リヒャルト・マイール


EMI。1933年9月録音。Referenceシリーズ輸入盤。
抜粋だが、実に味わい深い。古き良き時代が聞こえる。


最後の侯爵夫人の「Ja,Ja」の一言だけ、レーマンが忘れて録音セッションから帰宅してしまったため、(ゾフィ役の)シューマンが歌っている。


山崎浩太郎氏によれば、本来はこのメンバーを指揮するべきはブルーノ・ワルターのはずだった、という。
http://classic.music.coocan.jp/opera/r-strauss/rosen.htm


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Strauss - Der Rosenkavalier - Excerpts - Lehmann, Hadrabova, Schumann - Knappertsbusch (Wien, 1936)


Richard Strauss Der Rosenkavalier Excerpts:


a) Act I - Vorspiel ... Wie du warst, wie du bist
b) Act I - Ich will ihn nicht seh'n, solch schreclichen Tag ... Ich werd jetzt in die Kirchen geh'n
c) Act II - Vorspiel ... Ein erster Tag
d) Act II - Mir ist die Ehre widerfahren
e) Act III - Leopold mir genga ... Mein Gott, es war halt nichts als eine Farce
f) Act III - Hab mir's gelobt, ihn lieb zu haben


Die Feldmarschallin - Lotte Lehmann
Octavian - Eva Hadrabova
Sophie - Elisabeth Schumann
Baron Ochs auf Lerchenau - Berthold Sterneck
Faninal - Victor Madin
Marianne Leitmetzerin - Aenne Michalsky
Annina - Bella Paalen
Valzacchi - William Wernigk
Haushofmeister bei Faninal - Richard Tomek


Chor der Wiener Staatsoper
Orchester der Wiener Staatsoper
Hans Knappertsbusch, conductor
Wiener Staatsoper, April 22, 1936


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Richard Strauss: Der Rosenkavalier / Knappertsbusch ( Wien 1955 )




Die Feldmarschallin, Fürstin Werdenberg: Maria Reining
Der Baron Ochs auf Lerchenau: Kurt Böhme
Octavian, genannt Quinquin: Sena Jurinac
Herr von Faninal: Alfred Poell
Sophie, seine Tochter: Hilde Güden
Jungfer Marianne Leitmetzerin: Judith Hellwig
Valzacchi, ein Intrigant: László Szemere
Annina, seine Begleiterin: Hilde Rössel-Majdan
Der Haushofmeister bei der Feldmarschallin: Harald Pröglhöf
Der Haushofmeister bei Faninal: William Wernigk
Ein Notar: Ljubomir Pantscheff
Ein Sänger: Karl Terkal
Polizeikommissär: Adolf Vogel
Drei adelige Waisen: Alberta Kolm, Elfriede Hochstätter, Maria Trupp
Ein Tierhändler: Erich Majkut
Ein Wirt: Fritz Sperlbauer
Eine Modistin: Berta Seidl


Chor und Orchester der Wiener Staatsoper
Hans Knappertsbusch


ハンス・クナッパーツブッシュ指揮ウィーン・フィル
マリア・ライニング、セーナ・ユリナッチ、ヒルデ・ギューデン、クルト・ベーメ
GOLDEN Melodram。1955年11月16日、ウィーン国立歌劇場再建記念公演シリーズのライヴ。


 第2次大戦で破壊されたウィーン国立歌劇場は元通りに再建され、1955年11月5日、カール・ベーム指揮の「フィデリオ」で再開した。この再建記念公演では、他にベームが「ドン・ジョヴァンニ」「ヴォツェック」「影のない女」、フリッツ・ライナーが「マイスタージンガー」を振っている。


 このクナの「ばらの騎士」は、上のクライバー盤と主役女性が全く同一である。やはり、このキャストはこの3人に「とどめをさす」ということになっていたのだろう。


 第2幕から聞き始めたら、なんともおっとりしたテンポで、なかなかウキウキしてこない。いざ、ばらの騎士が現れたら、ますますテンポが落ちて、若い2人はそこで目一杯歌っている。が、指揮するクナは決して陶酔していないのである。


 2004年末、以前に入手しそこなっていたRCA盤を入手(写真)。しかし音質は似たり寄ったりである。
http://classic.music.coocan.jp/opera/r-strauss/rosen.htm


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Richard Strauss: Der Rosenkavalier / Knappertsbusch ( München 1957 )
(Erika Köth & Hans Knappertsbusch • Bayerische Staatsoper, 1957)

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Feldmarschallin: Marianne Schech
Octavian: Hertha Töpper
Sophie: Erika Köth
Faninal: Albrecht Peter
Baron Ochs: Otto Edelmann
Leitmetzerin: Liesl Kadera
Annina: Ina Gerhein
Valzacchi: Paul Kuën
Wirt: Karl Ostertag
Sänger: Lorenz Fehenberger
Haushofmeister: Walter Carnuth
Polizeikommissär: Carl Hoppe


Chor und Orchester der Bayerischen Staatsoper
Hans Knappertsbusch


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Der Rosenkavalier : E.Kleiber / Vienna Philharmonic, Reining, Jurinac, etc (1954 Monaural)



エーリヒ・クライバー/『ばらの騎士』
昔から極めつけと言われる名盤中の名盤


1954年モノラル録音。エーリヒ&カルロスのクライバー親子は、どちらも『ばらの騎士』を大得意としていましたが、当盤は、父エーリヒが残した極めつけと言われる名盤中の名盤。


濃厚で個性的な往年のウィーン・フィル・サウンドと、名歌手たちの味わい豊かな歌唱が聴きものです。


 元帥夫人:マリア・ライニング
 オックス男爵:ルートヴィヒ・ヴェーバー
 オクタヴィアン:セーナ・ユリナッチ
 ファーニナル:アルフレート・ペル
 ゾフィー:ヒルデ・ギューデン
 マリアンネ:ユーディト・ヘルヴィヒ
 アンニーナ:ヒルデ・レッスル=マイダン
 ヴァルツァッキ:ペーター・クライン
 歌手:アントン・デルモータ
 警部:ヴァルター・ベリー
 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 エーリヒ・クライバー(指揮)


 録音:1954年5月29日-6月28日、ウィーン(モノラル)


この演奏が貴重なのは、第二次大戦を生き延びたウィーンの古きよき伝統が肌で感じられるからです。クライバー・パパが振った「ばらの騎士」が現存するだけでもたいしたものです。この演奏の特徴は、ドイツ語で綴られた歌詞が聞き取りやすく、歌詞が極めて聴き取りにくく絢爛豪華だけのカラヤンの新盤の対極をいくものであることです。恐らく、クライバー・パパは、カラヤンとは全く異なるオペラ観をしていたのでしょう。


あと1年でSTEREOだったのに残念。でもいまもこれが代表盤。ユリナッチのオクタヴィアンが美しく、ペルとギューデン親子の喧嘩もおかしい。しかしなによりエーリヒが聞かせるのは、これは「歌芝居」だということ。早い言葉のスピード、応酬をそのまま音楽に載せ、芝居をやらせる。こうした「ばらの騎士」はほぼ同じキャストのクナッパーツブッシュ盤、それにカルロスしか他にないのです。カラヤンなどは豪勢な音楽に歌が載っているだけ。


初めての人にはお薦めできないが・・・


この曲を得意にし、素晴らしい演奏を重ねながら、もうスタジオ録音は期待できないカルロス・クライバーの父親の録音(カルロスが2種の映像を発売許可した意義はきわめて大きいと思うが)。


古い録音だけにデメリットはある。まず、モノラルで音が良くない。R.シュトラウスの流麗きわまる音楽を堪能するには、これは非常に残念。あと、ちょうど女性オペラ歌手の歌唱法が変化する時代のものだけに、その歌い方は現代の我々にはやはり古風に感じられる。


しかし、演奏そのものは実にすばらしいものである。加えて、通常の上演ではカットされる部分も含めた「完全録音」である意味も大きい。だが、何よりの魅力は音楽に込められた実に若々しい生命力。息子のカルロスもこの「いのちのいぶき」を継承したことで、大成功を収めたと思う。


その意味では、世評に高いカラヤンの旧盤(新盤は問題外)さえ、凌ぐできと僕は思う。僕のコレクションでも特に大切な1組。ただし、前記欠点があるので、この曲を初めて聞く方にはお薦めできない。録音のいい新しい盤(その意味ではカラヤンの新盤がいいか?)か、カルロスの映像でこの作品の魅力をある程度わかった上でお聞きになると、エーリッヒが単なる「カルロスの父親」ではなく、自身極めて優れた指揮者であったこと、この作品の最高級の理解者であったことがご理解いただけると思う。
https://www.amazon.co.jp/R-シュトラウス-ばらの騎士-クライバー-エーリヒ/dp/B00005HMCB/ref=cm_cr_arp_d_product_top?ie=UTF8



エーリヒ・クライバー指揮ウィーン・フィル
マリア・ライニング、セーナ・ユリナッチ、ヒルデ・ギューデン、ルートヴィヒ・ヴェーバー


DECCA。1954年6月、ムジークフェラインでの録音。


 モノラルだが、本場の人に言わせれば「これしかない!」という名演。
(この国内盤CDが出たとき、吉田秀和氏が「レコ芸」今月の1枚でそう書いていた。)


 E.クライバーの持つ「トスカニーニ的」な面 − 歌うところと、リズミックな推進力が必要なところのコントラスト − がこのオペラには向いている。この特質は息子カルロスにもよりはっきりした形で受け継がれている。クライバー親子と比べると、カラヤンの演奏は「ただ何となく流れていってしまうだけ」のように聞こえてしまうのである。


 2000年10月、DECCA LEGENDSシリーズで、96kHZ, 24bit リマスタリングされた輸入盤を入手した。
http://classic.music.coocan.jp/opera/r-strauss/rosen.htm



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『薔薇の騎士』( Der Rosenkavalier)作品59 は、リヒャルト・シュトラウスの作曲したオペラ。


この作品はワーグナーの後期のオペラに比肩する長大な作品規模と大掛かりな管弦楽ゆえにしばしば楽劇と呼ばれるが、これはシュトラウス自身の命名ではない。
出版時のタイトルは


Komödie für Musik in drei Aufzügen:Der Rosenkavalier
(3幕の音楽のための劇『薔薇の騎士の騎士』)


とあるに過ぎない。
台本はフーゴ・フォン・ホーフマンスタールによる(日本語訳は下記を参照)。


シュトラウスは、ホーフマンスタールと既に『エレクトラ』で共作していたが、それは既に上演された舞台戯曲にシュトラウスが曲をつけただけであった。それゆえこの『ばらの騎士』こそがシュトラウスとホーフマンスタールの2人の大家による長年の実り豊かな作品の実質的に最初の共同作業となった。


作曲は1909年初めから1910年にかけて行われた。当初ホーフマンスタールの発案で男装の女性歌手を起用した軽い喜劇的な作品として計画されたが、2人の夥しい数の往復書簡(下記の日本語訳文献に詳しい)を中心とした議論の末、最終的に現在の形としてまとめられた。


タイトルの「ばらの騎士」とは、ウィーンの貴族が婚約の申込みの儀式に際して立てる使者のことで、婚約の印として銀のばらの花を届けることから、このように呼ばれる。物語当時の貴族の間で行われている慣習という設定であるが、実際にはホーフマンスタールの創作である(「このオペラでは一見本物に見えるものが実は虚構なのです」とホーフマンスタールは言っている)。


音楽内容的には、「モーツァルト・オペラ」を目指したものである。


物語の舞台はマリア・テレジア治世下のウィーンに置かれ、ロココの香りを漂わせつつ、遊戯と真実を対比させた作品として仕上げられた。
プロットが『フィガロの結婚』と似ているのはこのためである。


物語に即して『サロメ』、や『エレクトラ』(部分的には無調ですらあった)の激しいオーケストレーションや前衛的な和声はすっかり影を潜め、概して親しみやすい平明な作風で書かれている。声楽パートも「吼える二匹のケモノのような」(とホーフマンスタールが揶揄した)ワーグナーのドラマティックなものから、モーツァルト的な、リリックな歌唱スタイルになっている。


このオペラは筋立ては貴族達の恋愛がテーマのコメディ作品でありながら、全3幕からなる非常に大規模で演奏困難なオペラである。


第1幕・第2幕はウィーンの貴族の屋敷内に、第3幕は居酒屋・宿屋に設定されている。
作品の主要な人物4名のうち3名が第1幕で登場し、残る1名が第2幕で登場、第3幕では最後に全員が揃い、物語の完結を迎える。


バレエは当初挿入される予定であったが外され、合唱も大きな役割は持たない。
主要な4人に次ぐ役が 3、4人おり(ただし比重は4人に比べて格段に低い)、ソロ又は重唱で歌う役は名の無い役も含め28人を数える。
そのほかに黙役のオックス男爵の庶子等も必要である。
1幕に登場するテノール歌手はイタリアオペラのパロディを狙った端役ではあるが、曲自体はかなり美しいこともあって特別にスター歌手を呼び舞台に華を添える事もある。


このオペラは長大で難しいため、上演のみならず録音でもしばしば慣習的にカットが行われている。これはシュトラウス自身が認めていたものである。


なお、ほとんどが重唱曲でアリアは一切なく、テノールは第1幕でかなり揶揄的な扱いで登場するのみであるなど、シュトラウスのイタリアオペラ嫌いがかなり反映されている。


また、2人の小悪党がイタリア人として設定され、オクタヴィアンもロフラーノという姓からイタリア系貴族であることが暗示されており、オックスが怒りのあまりイタリア人差別的な言葉をわめき散らした後、2人がオクタヴィアン側に寝返る伏線となっている(基本的には金で転んだのだが)。


これらは、ハプスブルク帝国が中東欧や北イタリアへ支配を広げた結果、イタリアをふくむ非ドイツ系貴族の一部がドイツ風の名乗りでオーストリア宮廷に仕えていた当時の状況を反映している。


なお、シュトラウスのイタリアオペラ批判は、後年、自ら台本にも加わった最後のオペラ『カプリッチョ』で、より徹底的な形で(擁護的な立場も取り入れる一方、揶揄の描写としては遥かに痛烈に)繰り返されることになる。


初演と評価


初演は入念なリハーサルの後 1911年1月26日、ドレスデン宮廷歌劇場で、エルンスト・フォン・シューフの指揮、ゲオルク・トラーとマックス・ラインハルトの演出により上演され、未曾有ともいえる大成功を収めた。すでに作曲家としての地位を確立していたシュトラウスの新作に対する世間の期待は高く、ウィーンからドレスデンまでの観劇客用特別列車が運行されたほどである。引き続き50回におよぶ再演が続けられたほか、ベルリン宮廷歌劇場、プラハ歌劇場、バイエルン宮廷歌劇場、ミラノのスカラ座など主要な歌劇場でも立て続けに上演され、いずれも好評をもって迎えられた[1]。


それまでのシュトラウスの前衛的な作風に好意を示していた批評家や作曲家たちからは、本作は「時代遅れ」で「大衆迎合的」だと批判されたが、聴衆の支持は絶大で、今日ではシュトラウスの代表作と見なされているばかりか、ドイツ圏の主要歌劇場や音楽祭において最も重要なレパートリーの一つに数えられる。


大作であり歌手への要求項目も多いため、水準の高い上演は容易ではないが、各歌劇場がこぞって意欲的に取り組むこともあり、録音や録画でもロングセラーに耐えるような演奏が数多く残されている。ドイツ圏の外でも人気は高く、比較的小規模上演の可能なモーツァルト作品や『こうもり』などに伍して最もよく上演されるドイツオペラのひとつである。


有名な上演としては、第二次世界大戦中の爆撃で破壊されたため、再建されたウィーン国立歌劇場の再開記念公演(1955年、ハンス・クナッパーツブッシュ指揮)や、ウィーン国立歌劇場の来日公演(1994年、カルロス・クライバー指揮)などが挙げられる。


作品の構成


主な登場人物


元帥夫人マリー・テレーズ
声質はリリックソプラノ。
オーストリア陸軍元帥であるヴェルデンベルク侯爵の夫人で、一般には「元帥夫人」またはドイツ語で「マルシャリン」と呼ばれる。シュトラウスの説明では年齢は32歳未満とされる。公務や趣味の狩などでしばしば家を空ける夫とは年齢が離れている。


いとこで青年貴族のオクタヴィアンと愛人関係にある。内省的で、いずれは若い愛人も自分を捨てて去っていくのだという諦念をもっている。台詞からはオクタヴィアン以前にも愛人がいたとの解釈も可能である。


侯爵夫人としての気品をそなえる歌唱および舞台での演技力と、長大なモノローグや愛人との重唱では微妙な心の揺れを表現することが求められる難しい役である。かなり名をなしたベテランが演じることが多く(ゾフィーやオクタヴィアンから転じた例も少なくない)、この役を得ることはドイツオペラ系ソプラノ歌手の夢でもある[6]。


このオペラの実質的な主人公であるにもかかわらず、2幕には登場しない。
出ずっぱりとなる1幕の長丁場を終えると後は 3幕の後半までは全く出番が無い。


オクタヴィアン
元帥夫人の若い愛人で17歳の青年貴族。親しい女性からはカンカンの愛称で呼ばれる。
元帥夫人と愛し合っていたが、ばらの騎士として会ったゾフィーとたちまち恋に落ち、最後には彼女と結ばれる。


物語中では女装して元帥夫人の小間使いマリアンデルを演じる。
ほぼ全編出ずっぱりの大役である。ホーフマンスタールの当初の構想にあった人物と思われ、ソプラノまたはメゾソプラノ歌手が男装して颯爽と演ずる、いわゆるズボン役の代表格。


同じ男装役である『フィガロの結婚』のケルビーノと共通のレパートリーとする歌手も多い。劇中で女装して女中に化けるという設定もケルビーノと共通する。


ちなみにゾフィーが寝床でいつも読み耽っている“Ehrenspiegel Österreich”というタイトルの貴族譜におけるオクタヴィアンのフルネームは“Octavian Maria Ehrenreich Bonaventura Fernand Hyazinth”で、これをゾフィーは暗誦してみせ、オクタヴィアンを驚かせる。


レルヒェナウ男爵オックス
声質はバス。
元帥夫人の従兄。性格は野卑で傲慢で自己中心的で好色漢、おまけにケチである。しかも剣はからきし苦手な臆病者という、一見極めつけの俗物である。
しかしその強烈なキャラクターから、元帥夫人とともに、このオペラの主役と言ってもよい(事実、当初の題は『オックス』であった)。
喜劇的な性格俳優としての演技力とともに卓越した歌唱力(歌の多い2幕の最後で低いホ音を長く伸ばして歌う)をも要求される。
以上のような大役ゆえに、この役は経験豊かなベテランのバス歌手によって歌われる事が多い。そのせいで、オックスを熟年か初老の男と誤解されがちであるが、実はR.シュトラウスによると「オックスは35歳位の田舎者で、女たらしではあるがいつも貴族然としていなければならない(たとえ田舎貴族であろうと)」とある。


ゾフィー
声質は高いリリックソプラノ。
ファニナルの一人娘。修道院を出たばかりで、父親が決めた政略結婚に従い、オックス男爵の婚約者に予定される。
社交界や青年貴族の系譜などを見て彼らの生活を夢見る、夢多き若い娘である。オックス男爵に失望して、ばらの騎士として登場したオクタヴィアンに助けを求める。
初々しい歌唱が要求される。


フォン・ファニナル
声質は高いバリトン。
新たに貴族に叙せられたばかりの富裕な俄成金。妻は以前に亡くしており、子はゾフィー一人である。血縁によって貴族としての立場を強化するために、娘とレルヒェナウ家のオックス男爵との婚約を計画する。


オーケストラ編成
注意書きとして、弦編成は指揮者の判断により(台詞の明瞭性に配慮し)演奏するプルト数を制限させること、とある。
第3幕では舞台裏でワルツなどを奏するバンダとして、フルート2、オーボエ、クラリネット3、ファゴット2、ホルン2、トランペット、小太鼓、ハルモニウム、ピアノ、ヴァイオリン2、ヴィオラ、チェロ、コントラバスを配置する。
弦編成についての注意書きによると、非常に良いソロ奏者5名の良く響く楽器による演奏、または各パート複数奏者で演奏させ、その場合に各2名を避けること、とある。[7]


あらすじ


第1幕
ウィーンにあるヴェルデンベルク侯爵夫人の寝室。


元帥夫人とオクタヴィアンがベッドで昨夜からの愛の余韻に浸っている。若いオクタヴィアンは情熱的に愛を語るが、夫人はふと物思いにとらわれている。黒人少年の召使が朝食を持ってくるので二人で食べ始める。部屋の外が騒がしくなるので、ふたりは元帥が突然帰ってきたのかと狼狽し、オクタヴィアンは物陰に隠れる。しかし、夫人は続きの間から漏れ聞こえる声でそれが侯爵ではなく従兄のオックス男爵であることを知る。オクタヴィアンは小間使いの服を着て現れ、来客のどさくさに紛れて引き上げようとするが、ドアのところでオックスと鉢合わせする。好色なオックスは「彼女」が男性だとは気づかずに興味を示し、来客の用件もそこそこに口説き始める。オクタヴィアンが逃れようとしてもできないため、あきらめた元帥夫人が「彼女」をマリアンデルという娘だとオックスに紹介し同席するよう命ずると、オックスはやっと用件を切り出す。


彼は最近貴族に列せられた富裕な商人ファニナルの一人娘と婚約したので、婚約申し込みの使者として「ばらの騎士」を務めてくれる貴族を紹介して欲しいという。元帥夫人は悪戯心を起こし、オクタヴィアンの絵姿を見せて“従弟”のロフラーノ伯爵ではどうかと尋ねる。オックスは同意するが、オクタヴィアンと目の前のマリアンデルが瓜二つであるのに驚き、曖昧にごまかす夫人の言葉から、ロフラーノ家の庶子だと思いこむ。そこへ侯爵家の執事や面会客がぞくぞく入ってくるので、オクタヴィアンはようやく抜け出すことに成功する。


夫人の調髪師が彼女の髪を整える間、孤児の母親や帽子売りなど、来客が次々に用件を述べる。情報屋のヴァルツァッキとアンニーナがゴシップを売りこみに来るが夫人は取り合わない。しかたなく彼らはオックスに取り入り、男爵はあとで宿屋に来るよう言う。テノール歌手が夫人の前でオペラセリア風の空虚なアリアを歌っている間、オックスは侯爵家の公証人とともに結婚契約書を作り始めるが、欲深い彼は膨大な持参金を受け取る条項を無理やりに入れようとして弁護士を怒鳴りつける。ちょうどそのとき、夫人が「髪型がおばあさんのようだ」というので調髪師が慌てて手直しをしている。心が沈んだ夫人は教会に行く時間だからと皆を下がらせる。オックスはどうにか結婚契約書を作り上げ、元帥夫人に礼を述べると立ち去る。


元帥夫人は物思いにふけり、自分がいずれは年を取らねばならぬ思いを一人語る。彼女はそれが悲しいけれども受け入れなければならない現実であるという諦念を持つが、実感としてはまだあきらめきれない複雑な気持ちである。そこへ自分の服に着替えたオクタヴィアンが颯爽とやってくる。彼は元帥夫人が悲しそうな様子なので元気付けようとするが、心乱れた夫人からいずれ自分が夫人の元を去ることになるだろうといわれて憤慨し、いつまでも自分はあなたとともにあるのだと情熱的に語る。しかし、夫人が考えを改めないので不安になり、彼女を問い詰めるが、彼女は動じない。夫人は午後の再会を約束して彼をさらせる。彼を傷つけたことを悔いた夫人は、部屋を去るオクタヴィアンと別れのキスもしなかったと気づいて召使に呼びにやらせる。しかし、オクタヴィアンはすでに馬で駆け去っていたという報告を聞き、ふたたび一人物思いに沈む。


第2幕
第1幕から数日後、ウィーン市内のファニナル家の客間。


「ばらの騎士」と婚約者オックスが初めて訪ねてくる当日の朝。婚約者となるゾフィー当人ばかりか、父親のファニナルも落ち着かずそわそわとしている。ゾフィーは落ち着くために神に祈っている。ばらの騎士到着より先に婚約者を迎えに行かねばならないファニナルが出発すると、ほどなく外が騒がしくなり、ロフラーノ伯爵の到着を告げる。使者の行列に導かれて純白の衣装に身を包んだオクタヴィアンが登場する。


緊張した彼は銀のばらをゾフィーに手渡し、口上を述べると、ゾフィーもぎこちなく返礼を述べる(銀のばらの献呈の場面)。儀式が終わるとようやく打ち解けたゾフィーはいろいろと語り始める。それを見ていたオクタヴィアンは自分の心に沸き起こった不思議な感情を押さえられない。彼は一目見ただけでゾフィーを恋してしまったことを知る。緊張の解けた二人が語らいを続けていると、そこにオックス男爵が従者とともに登場する。しかしオックスの無作法な振る舞いにゾフィーは驚き、オクタヴィアンも脇で憤慨する。ファニナルがオックスを別室に案内すると他の人も一緒に付き従って去るが、ゾフィーとオクタヴィアンは残る。レルヒェナウ家の従者が酒に酔ってファニナル家の女中たちを追い回す騒ぎが起こり、ファニナル家の家来が皆その場を去る。二人きりになったため、ゾフィーはオクタヴィアンに助けを求め、彼は応じて二人のために守ると宣言するのでゾフィーは感激し、二人は抱き合う。


そこへ第1幕でオックス男爵の手下となったヴァルツァッキとアンニーナが現れ、二人を引き離し大声を出してオックス男爵を呼ぶ。オックスが登場すると、彼と口をきくのも嫌なゾフィーに代わってオクタヴィアンがゾフィーの気持ちを伝えようとするが、オックスは彼を小馬鹿にして取り合わない。ついにゾフィーがオックスとは結婚しないと宣言するが、オックスは無視して彼女を連れだそうとするので、オクタヴィアンは剣に手を掛ける。オックスは家来を呼ぶが、オクタヴィアンが剣を抜くので彼らはだらしなく引き下がる。ついにオックスも剣を抜いて応戦するが、あっさり肘を突かれて悲鳴を上げる。オクタヴィアンを遠巻きにして言葉だけは威勢の良いレルヒェナウ家の召使が騒いでいるところにファニナルが登場し、起こったことに仰天する。医者がオックスの治療にとりかかる。オクタヴィアンが騒ぎを詫びて退場し、ゾフィーは父親に男爵との結婚を取りやめるよう懇願するがファニナルは聞き入れず彼女を叱責する。彼はゾフィーを去らせると、手当ての終わったオックスに詫びて酒を振舞う。


落ち着きを取り戻した男爵は酔った勢いで鼻歌交じりである。そこにアンニーナが登場し、オックス宛ての手紙を持ってくる。男爵がそれを読ませると、それはマリアンデルから会いたいという手紙である。当然オクタヴィアンの計略だが、そうとは知らない男爵はすっかり有頂天になりワルツに乗せて歌う。謝礼を求めるアンニーナを無視するので失望した彼女は怒ってその場を去る。そんなことは全く気にせず一人「私がいなけりゃ毎日さびしい。私がいれば夜も短い」と歌いつつオックス男爵が退場するところで幕が降りる。


第3幕
第2幕と同日夕刻のウィーンの居酒屋の部屋。


幕が上がると怪しげな居酒屋の一室で食事の準備が行われている。オックスを計略にかけるべく店員に準備をさせているのはケチなオックスに見切りをつけてオクタヴィアン側に寝返ったヴァルツァッキとアンニーナである。食事の支度だけではなく、オックスを驚かせる仕掛けが準備されている。やがて、マリアンデルに扮したオクタヴィアンが登場する。手はずが整ったことに満足して二人に財布を渡し、その場を去る(この間、オーケストラ演奏だけによるパントマイムで進行する)。


ほどなくオックス男爵とマリアンデルが登場する。オックスは店主たちを去らせ、マリアンデルを口説き始めるが、彼女は純朴な田舎娘の芝居をしつつはぐらかす。やがて、先ほどの仕掛けが働き始め、オックスは驚き混乱、マリアンデルも驚いて見せる。そこへアンニーナが登場してオックスを自分の夫だと告げ大勢の子供が「パパ、パパ」と叫んでオックスにまとわり付くので、オックスは怒って大声で通りの警察官を呼ぶ。警察官の質問に対しオックスは自分の身分を告げ、マリアンデルをファニナルの娘で自分の婚約者だと紹介する。そこへオクタヴィアンがオックスの名で呼んだファニナルが登場する。彼は警察官にマリアンデルのことを問われ、驚愕して自分の娘であることを否認する。騒ぎを聞きつけて集まった野次馬が「これはスキャンダルだ!」と大騒ぎしているところに、突如元帥夫人が到着する。


彼女がやってくることはオクタヴィアンの計画にはなかったので当惑するオクタヴィアン。さらにゾフィーまでもそこに現れ、状況をみて驚きあきれる。彼女は気分が悪くなった父親を連れて別室に去る。元帥夫人がオックスの身分を保証するので警官は去る。ゾフィーが戻って来て、現れた父の言葉として二度と自分の前に現れないようオックスに告げるのでオックスは憤慨する。元帥夫人はオクタヴィアンに扮装を解いて出てくるようにいう。オックスは驚き、ここでようやくオクタヴィアンとマリアンデルが同一人物であることを悟る。同時に、先日の朝マリアンデル、すなわちオクタヴィアンが元帥夫人の寝室にいた事情も察する。ゾフィーも三人のやりとりでオクタヴィアンと元帥夫人の関係に気付いて呆然とする。元帥夫人はオックスに「すべては終わった」と告げ、退場を命ずる。初めは納得せず渋ったオックスも負けを認め、その場を去ろうとする。そこへ宿屋の主人が勘定書きをつきつけ、アンニーナにつれられた子供たちが再び登場してオックスを追いかけるので、彼は従者をつれてそこを逃げ出す。宿屋の主人やアンニーナたちが彼を追いかけて全員去り、舞台には元帥夫人とオクタヴィアン、それにゾフィーの三人だけが残る。


元帥夫人は先日予期したときが思いのほか早くやってきたことを悲しみつつ、若い二人を祝福する気持ちでオクタヴィアンをゾフィーの元に行かせる。自分の気持ちにまだ戸惑いながらも、元帥夫人に感謝してオクタヴィアンがゾフィーに近づき、当惑する彼女に思いを告げる。ゾフィーがまだ事態を受け入れかねているので、元帥夫人は彼女にやさしくオクタヴィアンとともに家に帰るよう諭す。最初はぎこちなく拒否していたゾフィーも、オクタヴィアンの求愛を受け入れる。複雑な心境を三人それぞれが歌う(終幕の三重唱)。元帥夫人はそっと去る。それには気付かず二人が抱き合って夢ではないかと語り合う。元帥夫人がファニナルを伴って再登場し、ファニナルは納得して夫人とともに去る。幸福感に満たされた若い二人は今ひとたび短い二重唱を歌って退場する。二人が去ったあと軽妙な音楽に乗って、元帥夫人の黒人小姓が現れ、ゾフィーの落としたハンカチを見つけて駆け去ると幕が下りる。


楽曲解説
「モーツァルト風のオペラ」を目指したこともあり、概ね3管編成のオーケストラは随所でシュトラウスならではの官能的・色彩的な部分もあるものの、比較的軽妙で透明な音色を主体としている。その意味ではモーツァルトのオペラ・ブッファを意識したかのようなつくりである。


物語の舞台となったウィーン名物のウィンナ・ワルツがあちこちに登場しているのは、作品の時代とは合わないとして一部の批評家からの指摘を受けたが、聴衆からは好評であった。オックス男爵のワルツはしばしば独立して演奏されることがある。


序奏
第1幕の幕が開く前に演奏される。元帥夫人とオクタヴィアンが過ごした一夜を描くとされる短い導入曲で、オクタヴィアンを表す若々しく情熱的な動機や、それに応えて元帥夫人を表す柔和な音楽が奏されるうちに幕が開く。


元帥夫人のモノローグ
第1幕で独りになった元帥夫人の独白である。夫人は、修道院を出てきたばかりの若い自分はどこへいったのかと問い、また避けられない老いの予感に心を痛めるが、時の移ろいは誰にも避けられないものであることを悟り、いつかはオクタヴィアンが去ることを予言する。元帥夫人を演ずる歌手の重要な聴かせどころのひとつで、リサイタルで独立して演奏されることもある。


銀のばらの贈呈の場面と二重唱
第2幕でオクタヴィアンがゾフィーに婚約のしるしであるペルシャ産の香油をたらした銀の薔薇の造花を渡す場面の音楽である。ハープやチェレスタに彩られて弱音器つきの弦楽器が木管が奏でる優美で、繊細な色彩感をもった音楽に乗って婚約申込みの口上が述べられる。そのあとには打ち解けた二人の二重唱が続くが、結婚の喜びを歌い上げるゾフィーと、彼女に惹かれて恋心を抱き始めたオクタヴィアンがそれぞれ歌う音楽には微妙なずれがある。


オックス男爵のワルツ
第2幕後半で、オクタヴィアンに腕を傷つけられたオックス男爵が、ファニナルの薦める酒を飲んで機嫌を直して歌う場面の音楽。通称『ばらの騎士のワルツ』で知られるが、ヨーゼフ・シュトラウスのワルツ『ディナミーデン』をもとにした作品である。なお、シュトラウスはこの『ばらの騎士のワルツ』について「あのウィーンの陽気な天才(ヨハン・シュトラウス2世)を思い浮かべずして作曲するなど、ありえただろうか?」と語っている。


パントマイム
第3幕冒頭で、マリアンデル名義でオックス男爵をおびき出し、一杯食わせようというオクタヴィアンの作戦を実行するため、宿屋で準備を行う場面で奏される。歌唱・台詞無しのパントマイムで進行する。軽快・快活な曲想である。


三重唱
『ばらの騎士の三重唱』として知られる名場面。
それぞれが自分の想いを独白で歌う三重唱である。オクタヴィアンは一目惚れしたゾフィーに夢中だが、先日まで愛し合っていた元帥夫人にも未練があり、ひどく混乱している。ゾフィーはオックスに裏切られ、自分を救ってくれると信じたオクタヴィアンが各上の元帥夫人と愛人関係にあることを知って傷ついている。


オクタヴィアンをつなぎとめることも出来たはずの元帥夫人であるが、潔く若い二人を祝福し、身を引く決意をする。ホーフマンスタールはシュトラウスに手紙を送り、この場面で元帥夫人がゾフィーに見劣りするような音楽を書いてはならないと注意を呼びかけている。若いオクタヴィアンの気持ちとしてはゾフィーに夢中であることを表しつつ、彼女よりも魅力的な元帥夫人が敢えて身を引くことを音楽でも示すように、との趣旨である。


今日、この場面はゾフィー役ではなく、元帥夫人役の歌手にとっての聴かせどころの一つと見なされていることから、シュトラウスは台本作者の要求に見事に応えたのだと考えてよい。シュトラウスにとっても愛着のある曲であり、遺言により彼の葬儀で演奏された(指揮はゲオルク・ショルティ)。


ワルツ第1番、ワルツ第2番、組曲ほか
便宜上「ワルツ第1番」と称されているもの(TrV227c)は、1944年にシュトラウスが第1幕と第2幕の素材から編纂したワルツである。


同じく「ワルツ第2番」と称されている第3幕の素材を編纂したもの(TrV227a)は、それより10年前の1934年に成立したと言われている(編曲者の名は伝わっていない)。


「組曲」は、全曲から選んだ場面を再構成して1945年に出版されたもの(TrV227d)、初演直後にナンブアト("Nambuat"。この名はペンネームであり、実際はタウブマン(Otto Taubmann)編と伝えられている)が編纂したものなどがある。指揮者のアルトゥール・ロジンスキ編と伝えられ(シュトラウスの関与の程度など、成立事情は定かでない)、現在広く演奏される1945年の「組曲」[8]は実際には音楽の切れ目がなく、いわば全曲を交響詩に編み直したような構成となっている。


その他、1926年にサイレント映画の伴奏音楽用にシュトラウス自身が編曲した映画音楽「ばらの騎士」(TrV227b)もある(自作自演の音盤あり)。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%AE%E9%A8%8E%E5%A3%AB
 

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コメント
1. 中川隆[-14098] koaQ7Jey 2020年2月02日 13:21:37 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-780] 報告
カラヤン フィルハーモニア管弦楽団


Der Rosenkavalier : Karajan / Philharmonia, Schwarzkopf, Ludwig, etc (1956 Stereo)



R.シュトラウス:楽劇『ばらの騎士』全曲
 元帥夫人:エリーザベト・シュヴァルツコップ
 オクタヴィアン:クリスタ・ルートヴィヒ
 オックス男爵:オットー・エーデルマン
 ゾフィー:テレサ・シュティヒ=ランダル
 ファニナル:エバーハルト・ヴェヒター、他
 フィルハーモニア管弦楽団&合唱団
 ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)

 録音:1956年[ステレオ]


ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮フィルハーモニア管弦楽団
エリーザベト・シュヴァルツコップ、クリスタ・ルートヴィヒ、テレサ・シュティヒ・ランダル、オットー・エーデルマン
EMI。1956年12月録音。不滅の名盤である。
ただ、クライバーのLDなどを先に聴いていた私にとっては、この録音はやや生硬な感じもする。(その点はむしろ下のDG盤のほうが雰囲気が良い。)
http://classic.music.coocan.jp/opera/r-strauss/rosen.htm


1956年ステレオ録音。レコード史上有名なアルバム。
なんと言っても、カラヤンのさっそうとした指揮ぶりが注目されるところで、おびただしいカラヤンのディスコグラフィのなかでもベストに挙げられることもあるほど。録音から半世紀を経た今日でも魅力を失っていません。

カラヤンは後年、ウィーン・フィルとも素晴らしい録音を残していますが、壮年期におこなわれたこの演奏はやはりひと味違います。
 豪華なキャストも強みで、至高の元帥夫人とうたわれたシュヴァルツコップを筆頭に、ルートヴィヒ、エーデルマン、シュティヒ=ランダル、ヴェヒターなど主要な配役はもちろん、バイロイトで鳴らした“ミーメ歌い”パウル・クーエンによるヴァルツァッキ役、名テノール、ニコライ・ゲッダの歌手役など、適材適所の配役は強力です。ARTリマスタリング。

_____

私が初めて聴いた「ばらの騎士」は当然これなのだが、良さがわからず、カラヤン新盤を聴いてますますわからなくなった。
その後エーリヒ・クライバー、ベーム、クナッパーツブッシュ、それにカルロスの演奏を知り、こんなに面白いオペラだったんだと驚いた。

正直高く評価されすぎの演奏だと思う。特に女声トリオがよくない。

シュワルツコップは厚化粧の大年増に聴こえるが、マルシャリンは若い女性である。表情に凝りすぎる歌唱が古い。デラ=カーザだったらどんなによかったか。

シュティッヒ=ランダルのゾフィーも大人しすぎるが、アコールのセットを聴くと素晴らしいソプラノだったことがわかる。ゾフィーには合わなかったということ。

カラヤンの指揮は巧みだが、クライバー親子のような目もくらむ勢いがあるわけでもなく、クナのユーモアがあるわけでもない。フィルハーモニアも魅力が薄い。
https://www.hmv.co.jp/en/artist_Strauss-Richard-1864-1949_000000000019384/item_Der-Rosenkavalier-Karajan-Philharmonia-Schwarzkopf-Ludwig-etc-1956-Stereo-3CD_618140


2019年07月10日
ハイレゾで聴く R・シュトラウス「ばらの騎士」 カラヤン/フィルハーモニアo 1956年録音
http://classic-cdreview.seesaa.net/article/455149640.html


R・シュトラウスのオペラ「ばらの騎士」名盤と言えば、今やカルロス・クライバーの演奏となっていますが、一時代前のクラシック通ならば「エーリッヒ・クライバーかカラヤンのフィルハーモニア録音」と相場が決まっていたものでした。ただ父クライバー録音、カラヤンの旧盤とも1950年代の録音でカルロスの新旧DVDに比べてしまうと音がやはり物足りない。

e-onkyoサイトでカラヤンの音源をいくらかなと検索していたら、この「ばらの騎士」旧盤の音源に出会いました。昔ブリリアントレーベルで廉価で所持していたものの、やはり音質が微妙。歌手についてはシュヴァルツコップを中心に流石だなと思いました。意外とこの名盤今は入手難で国内廃盤が続いている状況。

英語で検索するとワーナー盤が出てきます。

flac 96kHz/24bitで3,471円。CDだと3枚組になるので、1枚当たり1,400円程度。これなら買いかと購入。何より「2017年オリジナル・マスターテープより、アビイ・ロード・スタジオでの24bit/96kHzリマスター」の言葉に負ける。

R・シュトラウス 歌劇「ばらの騎士」全曲
エリザベート・シュワルツコップ(元帥夫人)
オットー・エーデルマン、クリスタ・ルートヴィヒ
シュッティッヒ=ランデル他
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
フィルハーモニア管弦楽団・合唱団
1956年セッション録音 ステレオ
録音 4.35点  演奏  4.60点
※ハイレゾ音源ならの録音点



冒頭のホルンからいい音です。EMI録音特有の少し臨場感過多で距離感がある録音ながら、ハイレゾだと丁度良くも思える。夭折した名ホルン奏者 デニス・ブレインのホルンです。「ばらの騎士」はホルンが活躍する歌劇なので、これほどブレインのホルンの美しい響きを堪能できる録音は無いでしょう。歌手の名唱とともに称えられるべきです。

映像版はウィーンpoの演奏。1960年録音です。歌手がシュヴァルツコップ以外変わっています。演奏も少し落ちる。


ハイレゾになり音質は一新。1980年代のデジタル臭いデジタル録音よりは好ましい録音。声や木管楽器の艶とあでに酔わされます。当時は「ウィーンpoではないのが残念」と言われたものですが、いやいやこのイギリス楽団の木質的な響きで逆に良かったと思うようなオーケストラの音色です。

まだカラヤンがオーケストラを支配し過ぎない時期の演奏なので、金管が耳障りでなく弦楽器もお化粧し過ぎでないところ(威力的に分厚くない」が丁度よろしい。オーケストラをコントロールしきれていないというか、録音当時はプロデューサーのウォルター・レッグやシュヴァルツコップの方が力があったのでしょう。

映像版の第3幕3重唱。ここは素晴らしい。

[Der Rosenkavalier Final Trio - Schwarzkopf, Jurinac, Rothenberger


Elisabeth Schwarzkopf, Sena Jurinac, Anneliese Rothenberger,
Wiener Philharmoniker conducted by Karajan,
from the 1962 film directed by Paul Czinner


歌手に関しては多少歌い口に古臭さはあるものの、今これだけの歌手陣で揃えれないのが現状。カルロスの演奏のような風を切る颯爽さは無いですが、何度も何度も腰を落ち着けて聴きたくなるのはこういった少し落ちついた演奏の方が相応しい。カルロス盤は映像が無いとどこか物足りないですよね。レコードが文化だった匂いがプンプンします。シュヴァルツコップの名盤は多いですが、3本の指に入る名唱と言っても過言では無い。まだ若きクリスタ・ルートヴィヒの歌声も若い。ランデルの高音の美しさもハイレゾでさらに微細に感じ取れるようになった気がします。

この「ばらの騎士」の名盤はまだSACD化されていないはずです。2017年にリマスターされていたことにも驚き。カラヤンは特に好きな指揮者ではありませんが、意外な掘り出し物でした。歌を中心に聴くにはカルロスよりもこちらかな・・・しかしいい時代があったものだ、もうそれも半世紀以上前のことなのかと時代の流れに驚く名盤(名データ?)との出会いでした。
http://classic-cdreview.seesaa.net/article/455149640.html
2. 中川隆[-14097] koaQ7Jey 2020年2月02日 13:49:51 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-779] 報告

カラヤン指揮 ウィーン・フィル 1960


Richard Strauss: Der Rosenkavalier - Salzburg, 1960




The Vienna State Opera Chorus
Vienna Philharmonic Orchestra
Conducted by Herbert Von Karajan


Cast

Elisabeth Schwarzkopf The Marschallin
Otto Edelmann Baron Ochs auf Lerchenau
Sena Jurinac Octavian
Erich Kunz Herr von Faninal
Anneliese Rothenberger Sophie
Judith Hellwig The Duenna
Renato Ercolani Valzacchi
Hilde Rossel Majdan Annina
Alois Pernerstorfer A Commissary of Police
Erisch Majkut Major Domo of the Princess
Siegfried Frese Major Domo of Faninal
Josef Knapp A Notary
Fritz Sperlbauer Landlord
Giuseppe Zampieri A Singer
Hans Kres A Hairdresser
Liselotte Maikl Three Orphans of Noble Family
Ute Frey Three Orphans of Noble Family
Evelyn Labruce Three Orphans of Noble Family
Mary Richards A Milliner
Kurt Equiluz A Vendor of Animals
Fritz Mayer Four Footmen of the Princess
Rudolf Stumper Four Footmen of the Princess
Otto Vajda Four Footmen of the Princess
Alois Buchbauer Four Footmen of the Princess
Karl Kolowratnik Four Waiters
Ludwig Fleck Four Waiters
Kurt Bernhard Four Waiters
Norbert Balatsch Four Waiters
Hermann Tichavsky Leopord
Georg Pichler A Doctor
Wolfgang Kres A Little Black Boy


▲△▽▼


Der Rosenkavalier - Jurinac, Rothenberger, Schwarzkopf, Karajan




Marchallin - Elisabeth Schwarzkopf
Octavian - Sena Jurinac
Sophie - Anneliese Rothenberger
Baron Ochs - Otto Edelmann
Conductor - Herbert von Karajan
Salzburg Mozarteum Orchestra





ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィル

エリーザベト・シュヴァルツコップ、セーナ・ユリナッチ、アンネリーゼ・ローテンベルガー、オットー・エーデルマン

1960年、ザルツブルク祝祭大劇場のこけら落としとなった音楽祭で収録。

パウル・ツィンナー監督の映画。
演出:ルドルフ・ハルトマン、装置:テオ・オットー、衣装:エルニ・クニーペルト。

この年の音楽祭では、7月26日、8月4,6,13,18,28日の計6回「ばらの騎士」が上演された。そのうちシュヴァルツコップはたった1回しか侯爵夫人を歌っていない(日にちは不明)。その1回をライヴ録音して、映像は(フルトヴェングラーの「ドン・ジョヴァンニ」同様)後から音に合わせて演技して収録した。


____



ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィル

リザ・デラ・カーザ、セーナ・ユリナッチ、ヒルデ・ギューデン、オットー・エーデルマン

DG。1960年7月26日、新しいザルツブルク祝祭大劇場のこけら落としとなった音楽祭初日ライヴ。


この年の音楽祭では、上記のように計6回「ばらの騎士」が上演されたが、そのうち初日を含む5回はリザ・デラ・カーザが侯爵夫人を演じた。本当はその初日がテレビ中継される予定だった。しかし、上の映画製作の話がもちあがり権利問題もからんで中継は中止となったという。かえすがえすも残念なことだ。もし中継がなされ、そのフィルムが残っていれば絶世の美女デラ・カーザの侯爵夫人が見られたのに。

フルトヴェングラーの「ドン・ジョヴァンニ」では、音楽祭期間中はドンナ・エルヴィーラを全部シュヴァルツコップが歌ったのに、映画ではデラ・カーザが出演していたのと、ちょうど反対の形である。
http://classic.music.coocan.jp/opera/r-strauss/rosen.htm
3. 中川隆[-14096] koaQ7Jey 2020年2月02日 14:03:54 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-778] 報告

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ウィーン・フィル 1984

Der Rosenkavalier - Salzburg 1984 - Agnes Baltsa, Anna Tomowa Sintow, Kurt Moll







Der Rosenkavalier
Salzburg 1984
Conductor Herbert von Karajan

Agnes Baltsa
Anna Tomowa Sintow
Kurt Moll


ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィル

アンナ・トモワ・シントウ、アグネス・バルツァ、ジャネット・ペリー、クルト・モル

1984年のザルツブルク祝祭大劇場ライヴである。
舞台装置・衣裳は1960年と同じものを使用している!のがうれしい。
(メンバーはDG録音と同じである。)


____


ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィル

アンナ・トモワ・シントウ、アグネス・バルツァ、ジャネット・ペリー、クルト・モル
DG。1982〜84年録音。

ウィーン・フィルの音色が良い。

この録音でしっかりと「オーストリア弁」の発音をカラヤン自ら歌手に特訓した、という。
その上で、83,84年に音楽祭で上演した。84年の音楽祭の模様が上記テレモンディアルの映像である。
http://classic.music.coocan.jp/opera/r-strauss/rosen.htm
4. 中川隆[-14095] koaQ7Jey 2020年2月02日 14:18:48 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-777] 報告

カルロス・クライバー指揮 バイエルン国立歌劇場


Richards Strauss Der Rosenkavalier Carlos Kleiber part 1 1979



Der Rosenkavalier Richard Strauss Carlos Kleiber part 2 " The work of a master"(Los Angeles Times)


Bavarian State Orchestra & Chorus



カルロス・クライバー指揮バイエルン国立歌劇場

ギネス・ジョーンズ、ブリギッテ・ファスベンダー、ルチア・ポップ、マンフレート・ユングヴィルト、ベンノ・クッシェ

1979年、同歌劇場でのライヴ。クライバーが若々しい!

クライバーの指揮で1972年プレミエのオットー・シェンク演出だが、20年目の1991年に私がミュンヘンに行ったときもこれと同じ舞台演出で見ることができた。ヴァルヴィーゾ指揮、フェリシティ・ロットの公爵夫人、アン・マレイのオクタヴィアン、バルバラ・キルドゥフのゾフィー、そしてクルト・モルのオックス男爵であった。

____


カルロス・クライバー指揮バイエルン国立歌劇場

クレア・ワトソン、ブリギッテ・ファスベンダー、ルチア・ポップ、カール・リッダーブッシュ、ベンノ・クッシェ

1973年7月13日、バイエルン国立歌劇場ライヴ録音。

オットー・シェンク演出のプレミエは 1972年4月20日だったので、その翌年ということになる。

しかし主役キャストはプレミエとこのCDとは全く同じである。
上記UNITEL映像では、侯爵夫人はジョーンズに、オックス男爵がユングヴィルトにかわっている。どちらにせよ、ほぼ同じメンバーで少なくとも8年は続けていたわけだ。決まった人たちとしか仕事をしないクライバーらしい。
(なおUNITELの国内盤DVDの解説ではプレミエの時の侯爵夫人がジョーンズだったように書かれているが、上記のように音源が残っているので誤りであろう。)

なお、ORFEOからルチア・ポップがバイエルン国立歌劇場で歌ったオペラのライヴ抜粋盤CD1枚が2003年にリリースされた(C580 031B、写真右)。

それには、なんとシェンク演出のプレミエである1972年4月20日の公演から、第2幕冒頭の銀のばらを送る場面と、第3幕の最後の3重唱・2重唱が収録されている。モノラルなのは残念だが、クレア・ワトソンの侯爵夫人、ファスベンダーのオクタヴィアン、ポップのゾフィーが聴ける。
http://classic.music.coocan.jp/opera/r-strauss/rosen.htm
5. 中川隆[-14094] koaQ7Jey 2020年2月02日 14:25:01 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-776] 報告

カルロス・クライバー指揮 ウィーン国立歌劇場


Strauss - Der Rosenkavalier - Lott, Von Otter, Bonney, Moll, Kleiber Viena 1994 sub. español




Felicity Lott: Marschallin
Kurt Moll: Der Baron Ochs auf Lerchenau
Anne Sofie von Otter: Octavian
Gottfried Hornik: Herr von Faninal
Barbara Bonney: Sophie
Olivera Miljakovic: Jungfer Marianne Leitmetzerin
Heinz Zednik: Valzacchi
Anna Gonda: Annina
Keith Ikaia-Purdy: Ein Sänger
Lotte Leitner: Eine Modistin

Vienna State Opera Chorus and Orchestra
Carlos Kleiber, conductor




カルロス・クライバー指揮ウィーン国立歌劇場

フェリシティ・ロット、アンネ・ゾフィー・フォン・オッター、バーバラ・ボニー、クルト・モル

1994年3月、同歌劇場でのライヴ。

「オットー・シェンクの演出を基本にして」と書いてある。

クライバーは年とったが舞台上は美人揃い!

BSで放送されたあとLDになった。放送されたものと違ってLD版は編集がされている。(第2幕の前奏部分におけるクライバーの指揮の動作が違う。)
2004年、クライバー死去をキッカケにして彼のLDを全てDVDに買い換えた。

http://classic.music.coocan.jp/opera/r-strauss/rosen.htm
6. 中川隆[-14018] koaQ7Jey 2020年2月06日 12:00:10 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[-687] 報告

クラシック音楽 一口感想メモ
リヒャルト・シュトラウス(Richard Georg Strauss, 1864 - 1949)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B9

交響詩は、まだ存命だったブラームスとは時代の違うドイツの代表的な近代的な管弦楽法と、マーラーやブルックナーのように長大でなく気軽に楽しめる点で演奏頻度が高い人気曲が多い。

他のジャンルも優秀な作品を残しており、自分はほとんど聞いたことがないがオペラ作曲家として特に評価が高い。後期ロマン派の中ではバランスと総合性があり優秀な作曲家。


交響詩


•『ドン・ファン』1888年◦3.3点


交響詩というより交響的な舞台物語を見せてくれる感じである。正直なところ音楽が心に響く場面は無い。その意味では凡庸な曲だが、実に達者な管弦楽の扱い方を見せるので、しきりと感心してしまう。

•『マクベス』1890年◦2.5点


リヒャルト・シュトラウスの良さは部分的には現れているが、主題の魅力や音楽的な展開の自由で達者な筆致が足りず、まだ高みに登ることが出来ていない作品であり、努力を感じるが物足りないまま終わる。

•『死と変容』1889年◦3.3点


儚く美しい生の思い出と死を描いた曲。情緒的で浄化された美しさがあり、活発な部分もリヒャルト・シュトラウスにしてはロマン派的な分かりやすい曲になっている。しかし、展開はあるものの緩やかであり生への執着を描写するにしても25分はさすがに冗長である。死をテーマにしているため、マーラー晩年の曲に似ている。

•『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』op.281895年◦3.3点


管弦楽によるユーモラスな冒険活劇。描写的な音楽であり、ナレーションが欲しいほどである。巧みな管弦楽法とユーモラスなフレーズを楽しむ曲。

•『ツァラトゥストラはこう語った』1896年◦3.5点


有名な冒頭場面は心踊る。それ以降は大規模管弦楽を活用した場面表現力の卓抜さが際立つ。自然世界と人間の精神世界を行き来するような不思議な感覚の音楽が続く。心には響かないが興味深く音楽を追う事が出来る。一番長い後半の舞踏の部分とその後の終結部分は楽しい。

•『ドン・キホーテ』(Don Quixote)1897年◦3.5点


明るい曲だが、それほどユーモラスな印象はなく、むしろかなり叙情的である。独奏チェロと独奏ヴィオラの活躍もあるためかなり聴きやすい曲である。様々な場面展開が楽しめるし、変奏曲と銘うっていることもあり、リヒャルト・シュトラウスには珍しい落ち着いて聴ける居心地のよさがある。しなやかな叙情性と旋律の豊さは素晴らしい。

•『英雄の生涯』(Ein Heldenleben)1898年◦3.3点


歌のないオペラと呼びたいほど物語的な内容である。大規模な管弦楽の機能をフル活用して壮大かつ劇的に音楽が展開していく様は聞き物である。前半はあまり心に響かず、曲に思い入れを持ちにくい。後半は情緒的で聴きやすい。

交響曲


•家庭交響曲(Sinfonia domestica) 1903年◦3.0点


交響曲と命名されているが、表題性があり、内容は交響詩とにたようなものと思う。交響曲らしい総合性は少ししか感じられない。逆にいうと、楽章構成の中に少しは感じる。マーラーのようなゴージャスな管楽器の活躍する管弦楽の使い方が楽しい。演奏はいかにも難しそうだ。メロディーにはそれほど魅力がないが、派手だが艶めかしく幻想的で柔らかさもある雰囲気は悪くない。ただ正直にいって、こんな派手で大仕掛けの音楽は『家庭』を連想しないけれど。

•アルプス交響曲(Eine Alpensinfonie) 1915年◦4.0点


リヒャルト・シュトラウスはメロディーが分かりにくくて、とっつきにくい曲が多いが、この曲は表題的で非常にわかりやすい。まさに、彼の管弦楽曲の大作としての総決算と思う。交響詩の世界の広さを拡大して、精神的に成熟させて力みをなくしている。さらに、具体性を持たせて、親しみやすくさせたものに感じる。マーラーに近いが、マーラーと比較して哲学的なものが無い表題音楽であり、そこが良い。エンターテインメント音楽であり、余計な事を考えずに楽しめる。管弦楽法はやはりゴージャスで楽しめる。これほどのワクワク感やドキドキ感は彼の他の管弦楽曲では感じない。ロマン的心情を素直に表現しているからかもしれない。

管弦楽曲

交響的幻想曲『イタリアから』 1886年
◦3.3点


交響詩を書き始める前に書かれた4楽章の大規模作品。後期ロマン派らしいロマンティックで濃厚である。オーケストラを存分に壮大に歌わせており、ワーグナーに似ている。耳を楽しませるという点では、交響詩群に勝るとも劣らないと思う。何と言っても分かりやすいため、交響詩が苦手な人にもお勧めできる。しかし、精神的な成熟感や作曲者のオリジナリティやオーケストラの機能のフル活用という点では、少し落ちると思う。まだ技術が発展途上という印象であり、それにしては交響曲の長さであるため聴くのが大変。最終楽章よフニクリ・フニクラを使った楽章はウキウキ感とイタリアらしい陽気さがあってとても愉しい。


協奏曲

•ヴァイオリン協奏曲ニ短調 作品8 1882年

•ブルレスケ ニ短調(ピアノと管弦楽) 1885年◦2.8点


まだ最初の交響詩を書いていない初期の単一楽章ピアノ協奏曲。明確な和声と若干腰が重く重厚な中で醸し出すロマンチックな雰囲気、ピアノと管弦楽の交響的な協奏など、ブラームスの影響を強く感じる。

ピアノがかなり前面に出て華々しく活躍し、オーケストラも派手である点で聴きやすい曲なのだが、長くて捕らえ所が分からず聴いた後に残るものがない。

•ホルン協奏曲第1番変ホ長調 作品11 1883年◦2.8点


作曲者18才の時の作品であり、シューマンやメンデルスゾーンのような音楽で、後期ロマン派らしさは殆どない。ホルン協奏曲として貴重なレパートリーなのだろうし、聴きやすい曲ではあるが、あまり面白いという印象はない。リヒャルト・シュトラウスのルーツが分かる点では面白いが。

•ホルン協奏曲第2番変ホ長調 1942年◦2.5点


前作から60年を経た作品。長生きぶりが分かる。作品としては、1942年にしてはかなり古典的であり調性が明確だが、彼らしいヌルヌルとした滑らかさと転調の妙は生きている。独奏は出ずっぱりで大活躍であるが、楽想はかなり掴みにくい。切れ目なくなんとなく微妙に雰囲気が変遷していく。独奏も何かを言いたいのか、よく分からない。3楽章は音楽が一度切れてから盛り上がるから、分かりやすくなる。全体に、創造性に関して意志の明確さを欠いているように感じられる。いい曲とは言えないと思う。

•オーボエ協奏曲 1945年◦2.5点


1楽章は明快で流麗なオーボエが全面にでている。しかし、それ以上のものが何もない。2楽章は憂いのある少し美しい音楽。かなり古典的な内容。3楽章は、ユーモアもある美しく流れるような活発さで、一番優れた楽章である。ただし冗長なので後半は飽きてくる。

•二重小協奏曲(クラリネット、ファゴット、ハープ、弦楽合奏)1947年◦3.0点


2種類の管楽器による協奏曲は珍しいと思うが、ここでは成功している。オペラの伴奏の上で2人が歌っているような曲の雰囲気である。管楽器の協奏曲は、和音が出せないこともあり、どうしても一本調子になりがちである。この曲は違う2本の独奏のため、ずっと変化が多くなっている。それを楽しむ曲。このような構成の曲がもっと多ければよかったのにと思う。曲想としてはシンプルなもので特筆するべきものはないと思う。


室内楽

•チェロ・ソナタ 1883年◦3.0点


まだ18歳の作品であり、古風なロマン派の定跡の範囲内で書かれている。強い個性は感じられない。耳当たりの良さと、ある意味で上品で踏み外していないところが、とても聴きやすい曲という印象を与える。知らずに聞けばメンデルスゾーンと同世代の作曲家の曲に聞こえるだろう。精神的にはまだ大人になっていなくて定跡通りで面白くない部分は気になるが、華がありゴージャスで聞き映えのするソナタとして案外楽しめる。

•ヴァイオリン・ソナタ 1888年◦3.3点


1楽章はゴージャス感のある、交響的なスケール感のある曲。まだロマン派の真っ只中のような雰囲気。感情の変遷が楽しいとともに、曲の巨大さが心地よい。3楽章も似たところが多分にある。2楽章はロマン派らしい魅力。全体にヴァイオリンソナタとして存在感のある曲。ただし、スケール感の代償ではあるが音楽の密度の濃さが足りないと思う。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B9

7. 中川隆[-13340] koaQ7Jey 2020年3月25日 09:27:19 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[1564] 報告
踏みにじられた「ウィーンの名花」-----デラ・カーザ降板劇
http://www.fugue.us/Intermezzo_combined.html


Tomoyuki Sawado (Sonetto Classics)
リーザ・デラ・カーザ

不可解な主役の変更

1960年7月26日、ザルツブルグ祝祭大劇場のこけら落とし公演において、スイス生まれの名ソプラノ、リーザ・デラ・カーザ(1919-)は「バラの騎 士」の元帥夫人マルシャリン役を歌い、満場の聴衆を魅了していた。ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮のウィーン・フィル、セーナ・ユリナッチのオクタヴィ アン、ヒルデ・ギューデンのゾフィーという、伝説的な共演者達であった。公演は歴史的と言える成功をおさめた。そして、この後、本来ならば、デラ・カーザ を主役としたオペラ映画「バラの騎士」が撮影される運びだった。彼女にとっては、キャリアのピークとなる、輝かしい夏となる筈だったのだ。ところが、実際 の映画の撮影現場にいたのはデラ・カーザではなく、ライヴァル、エリーザベト・シュヴァルツコップだった。完成した映画は公開当初から最高の評価を受け、 デラ・カーザの公演での大成功にも関わらず、マルシャリン=シュヴァルツコップのイメージだけが後世に残ることとなった。


映画において、シュヴァルツコップの良くコントロールされた歌唱、毅然とした佇まいが、元帥夫人の一つの優れたモデルを提供していたのは確かである。しか し、当初の予定通り、デラ・カーザが映画に出演していたら、映像の魅力は、より大きなものとなっていたかもしれない。というのも、デラ・カーザはハリウッ ド黄金期の女優達を彷彿とさせる、優艶なる美貌の持ち主だったからだ。人はデラ・カーザを「アラベリッシマ=最美のアラベラ」「ウィーンの名花」と賞賛し ていた。彼女の舞台姿を評して、「ルードヴィヒ一世のギャラリーにある素晴らしく美しい肖像画から抜け出て来たような」と讃嘆したのは、名バリトンのハン ス・ホッターである("Memoirs", Hans Hotter, p126)。

「デラ・カーザは新しいアラベラになるぞ」(リヒャルト・シュトラウス, 1947年)




バイエルン国立歌劇場での「サロメ」より「7つのヴェールの踊り」を舞うデラ・カーザ。1961年のカール・ベーム指揮の公演はセンセーショナルな成功を収めた。


しかし、デラ・カーザは、単に美貌で売っていた歌手だったわけではな い。彼女はオペラ史上でも稀に見る万能ソプラノだったのだ。なにしろ、彼女は「バラの騎士」において、メゾのアンニーナとオクタヴィアン、ソプラノのゾ フィーとマルシャリンという、音域も性格も異なる4つの女声役全てで成功している。しかも、彼女は、本来ドラマティックソプラノの領分であるクリソテミス やサロメを歌ってセンセーショナルな成功を収め、パミーナ、フィオルディリージ、伯爵夫人などのモーツアルトのリリックな役柄では当代随一の評価を得てい たし、ミミ、トスカなどのイタリア系の役柄でも高く評価された。そしてデビュー当時はコロラトゥーラの夜の女王まで手がけていたのである。ここまで来ると 一種の異才というべきだろう。

フリッツ・ライナーは、ある時、デラ・カーザに向かって、「リーザ、私が歌手の連中を好んでいないのは知っているな。でも君は歌手じゃない。音楽家だ。」 と言ったという。この発言は、二つの観点から解釈することができる。まず、純粋な歌唱技術という観点から見ると、デラ・カーザは100%完璧なものを持っ ていたわけではなかった。もちろん、第一級と言っていい歌唱能力の持ち主ではあったが、弱音になると、中低声部の音程が若干フラットになることがあった。 銀色の美声の持ち主ではあったものの、決して声楽技術を売りにする「歌手」ではなかったと言える。第二に、彼女の最大の特質は、音楽性、特にその歌の「真 正さ」にあった。表情が硬い、と指摘されることがあったが、一方で何を歌っても、控えめな美しさ、清純さ、若々しい息吹を感じさせた。この点で、彼女はマ リア・チェボターリ、マリア・ライニング、グンドゥラ・ヤノヴィッツの系列に属する、正統的シュトラウス・プリマだったと言える。



デラ・カーザのアラベラと、フィッシャー・ディスカウのマンドリカは、黄金の組み合わせだった。


高貴な美貌はもとより、その若々しく上品な歌声は、シュトラウスのオペラ「アラベラ」の世界に完璧にマッチしていた。結婚を夢見る令嬢の心の揺れ動きを、 デラ・カーザほどさりげなく、そして見事に歌い、演じた歌手はいない。彼女のアラベラは伝説的で、いまだに世界中のどこかで誰かがこの役を歌うたびに、 「デラ・カーザ」の名が比較にあげられるほどである。現在、4種類の公式録音が手に入る上、全曲のライヴ映像もドイツのテレビ局に残っている。特に、最近 オルフェオから発売された「アラベラ」のライヴ録音は瞠目すべき演奏で、そこでは彼女の最高のアラベラを聴くことができる。もちろん、名盤として知られる ショルティとの1957年のデッカ録音では、ジョン・カルショーによる見事な録音と、瑞々しいデラ・カーザの美声が満喫できるのだが、一方で彼女の表現は ややクールに過ぎ、ショルティの指揮も力づくで味わいに欠けているのは否めない。1963年のカイルベルトとのDG録音では、デラ・カーザの表現ははるか に深みを増している反面、声は重くなり、そのコントロールは完璧ではなくなっている。その点、1958年のオルフェオ録音は、声、表現、カイルベルトの指 揮VPOの豊麗な伴奏ともに、ほぼ理想的な状態にある。


完璧なマルシャリン


1960年の「バラの騎士」ザルツブルグ公演の美しい舞台写真。マルシャリンのデラ・カーザ(左)とオクタヴィアンのユリナッチ(右)。



冒頭にあげた公演、1960年に行われた「バラの騎士」プレミエの録音が、最近になってDGから発売になった。モノラルの放送録音由来というハンディをい れても、演奏内容でシュヴァルツコップとカラヤンが製作した著名なEMI盤を凌駕する、という意見が多い(英グラモフォン誌のAlan Blythもこのライヴ盤をEMI盤よりも上位に置いている)。実際、カラヤンの流麗な指揮は見事なもので、EMIのスタジオ録音よりも音楽が自然に流れ ている。ゾフィーを歌ったギューデンだけはやや不調だが、他の歌手は素晴らしい出来だ。特に、デラ・カーザに関しては、レコードで聴くことのできるマル シャリンの中でも最上のものに属する。入念に準備されたらしく、低音から高音までムラなく美しい声で、非の打ち所の無い歌唱を聴くことができる。最後の三 重唱では、遅めのカラヤンの指揮によりそい、クリスタルガラスのように輝くトーンと、見事なヴォイス・コントロールを聴かせている。そして、少しもわざと らしさ、押し付けがましさを感じさせない表現が新鮮だ。他の歌手が歌うとやりすぎて暑苦しくなる「時計のモノローグ」も、さりげなく歌われ、心の微妙なゆ らめきが伝わってくる。何より、30代前半の女性を想定されて書かれたマルシャリンに相応しく、声に若々しい息吹を感じさせるのが良い。全ての点でゾ フィーを上回る魅力を持つマルシャリン、というのはプロット上問題かもしれないが......

この素晴しい結果から見ても、指揮者カラヤンと監督ツインナーが、当初、デラ・カーザを公演と映画でのマルシャリンに起用しようとしたのは正しい判断だっ た。カラヤンは、この公演に先立つ1959年の夏、デラ・カーザに翌年の「バラの騎士」の出演を依頼している(ただ、この時点から、なぜかカラヤンは、 シュヴァルツコップをセカンドとしたダブルキャストにこだわっていた)。そして、公演の4カ月前の1960年の3月に、音楽祭のプレジデントであった Baron Puthonが、デラ・カーザ夫妻に「バラの騎士」映画製作の話をした。デラ・カーザが喜んだのは当然である。特に、監督のツインナーは、ことのほかデ ラ・カーザ起用に熱心であったようだ。彼らは1960年の4月の段階でデラ・カーザに映画主演のオファーを出し、デラ・カーザも受諾した。6月には、ツイ ンナーは、デラ・カーザ夫妻に「マルシャリンとザルツブルグでの映画を大変楽しみにしている」というカードを送っている((Lisa Della Casa, oder "In dem Schatten ihrer Locken", p249-251)。デラ・カーザが心配することは何も無かった。あとは公演をこなし、カメラの前に立つだけである。

寝耳に水の降板劇と6年前の伏線


流れが突然変わったのは、7月、ザルツブルグ音楽祭が始まった後である。突然、彼女は映画の主役から外されたのだ。しかも、その決定は、デラ・カーザ本人にさえ知らされなかったらしい。メゾ・ソプラノのクリスタ・ルードヴィヒの自伝に以下の記述がある。

「リー ザ・デラ・カーザは、ザルツブルグで不愉快な驚きを経験させられた。彼女は、新しい祝祭大劇場で、1960年の7月、カラヤンの指揮で素晴らしいマルシャ リンを歌った。私がきいたところでは、その公演が映画化されるとのことだったが、(実際の)映画では、シュヴァルツコップがマルシャリンだった。音楽祭の 最中、私はリーザに道でばったり会ったのだが、彼女はその映画の話をし始め、わたしにその映画に出演することをどんなに楽しみにしているか、ということを 語ったのだ。私はひどく無邪気に、「あなた、シュヴァルツコップが映画でマルシャリンを歌うことになっているのを知らないの?」と言ってしまった。リーザ は、誰かが彼女を排除した、ということを全く知らなかったのだ。契約というのは破るためにあるのだ。ヴォータンが「指輪」で幾度もやったよう に............」(「In My Own Voice:Memoirs」p185-6)



ドンナ・エルヴィーラに扮した、イングリッド・バーグマン風のデラ・カーザとサイン。(筆者蔵)


いったい、何が起こったのだろうか?

Richard Fawks のOpera on Filmsによれば、ツインナーの1954年の映像作品、「ドン・ジョヴァンニ」に、「バラの騎士」降板事件の伏線があるという (p161)。ヴィルヘルム・フルトヴェングラー指揮のこの映像作品のプロトタイプとなった本公演では、シュヴァルツコップがドンナ・エルヴィーラ役とし て、ザルツブルグの6公演に参加した。しかし、シュヴァルツコップ夫君のEMIプロデューサー、ウォルター・レッグの意向で、シュヴァルツコップは映像版 への参加を取り止めてしまう。

その理由は、「ドン・ジョヴァンニ」の製作中に、ツインナー監督で「バラの騎士」映画制作の計画があることをレッグが知ったためである。レッグは、その映 画に妻のシュヴァルツコップをマルシャリンとして登場させることを優先させたのだ。「ドン・ジョヴァンニ」をあきらめることで、最初の映画出演から派生す る契約上の束縛から自由になることも狙っていたことだろう。シュヴァルツコップが役を降りてしまったため、急遽、デラ・カーザが映画「ドン・ジョヴァン ニ」のドンナ・エルヴィーラ役に起用された。既に製作は進んでいたこともあって、デラ・カーザの登場箇所のみは、後になって改めて撮り直され、シュヴァル ツコップが登場する箇所と差し替えられた。つまり、シュヴァルツコップとレッグの間では、「バラの騎士」は数年越しの夢だったのだ。そして、この夢は何が 何でも達成されなければならなかった。

シュヴァルツコップ、レッグ夫妻の水面下での動き


自伝ではぼかしているのだが、クリスタ・ルードヴィヒはデラ・カーザ降板の舞台裏を知っていた筈である。デラ・カーザの夫君、デベルジェヴィッチ (Dragan Debeljevic)の「Lisa Della Casa, oder "In dem Schatten ihrer Locken"」によれば、ルードヴィヒとデベルジェヴィッチは、ザルツブルグ祝祭劇場の前でばったり出会い、以下の会話を交わしているという (p251)。

ルードヴィヒ「私、エリーザベトには頭に来てるの」

デベルジェヴィッチ「どのエリーザベトのことで怒っているんだい?」

ルードヴィヒ「(驚いて)シュヴァルツコップのことよ」

デベルジェヴィッチ「なぜ?」

ルードヴィヒ「なぜ?映画のことに決まっているじゃないの。シュヴァルツコップが映画に出演するなんて、ひどい話だと思うわ。」

デベルジェヴィッチ「そんなはずはないさ。リーザはずっと前から出ることが決まっている。ツインナーとは、出演料の話がのこっているだけなんだよ」

ルードヴィヒ「シュヴァルツコップの契約のことで誰もあなた達に連絡していないの?」

驚いたデベルジェヴィッチは、リハーサル中の妻のデラ・カーザに電話をかけた。デラ・カーザは、当初、夫の話を信じなかったのだが、ついに監督のツイン ナーから一件をきかされるはめになる。デベルジェヴィッチによれば、ツインナーは「うなだれた姿」で、「ひどい話だ。私は運が悪い」と口走っていたとい う。ツインナー曰く、「シュヴァルツコップとその夫君(レッグ)がロンドンの映画会社と直接交渉し、最終契約を結んでしまった」というのである。そして、 ツインナーは、「自分は知らなかったんだ」としつつも、「口約束しかしなかったのは君たちのミスだった」とデラ・カーザ側を責める言葉を吐く。デベルジェ ヴィッチは激昂し、激しくツインナーを罵る。デラ・カーザはカラヤンに直訴しようとするが、ツインナーは「もう変更はきかない」と言うのみだった。 (Dragan Debeljevic, p251-2)



映画は、ライヴァル、シュヴァルツコップのマルシャリン歌いとしての名声を不朽のものとした


確かに、デラ・カーザがカラヤンのもとへ行ったとしても、時間の無駄だったろう。シュヴァルツコップは既にカラヤンとも手を打ってしまっていたからだ。ロ ンドンの映画会社といい、カラヤンといい、彼女の動きは見事なまでに素早く、効果的で、そして容赦の無いものだった。

「  最初に問題が起きたのは、カラヤンがマルシャリン役にシュヴァルツコップではなく、リーザ・デラ・カーザを起用する、と決めたときであった。デラ・カーザ はマルシャリンの役をそれほど好んでいなかったから、シュヴァルツコップには二重のショックだった-----彼女は、前年の12月にコヴェント・ガーデン でショルティの元でこの役を歌った時、イギリスのメディアから、「好意的に見ても賛否半ば」、という評価を受けていたのである。-------シュヴァル ツコップはカラヤン指揮で『ドン・ジョヴァンニ』のドンナ・エルヴィラを、ベーム指揮で『コジ・ファン・トゥッテ』のフィオルディリージを歌う予定になっ ていたのにも関わらず、1960年のザルツブルグ音楽祭から完全に降りると脅した。そして、シュヴァルツコップは、カラヤン指揮、パウル・ツィンナー監督 の映画、「バラの騎士」のマルシャリンとして出演する、という合意を確実に取り付けた。」
(Herbert Von Karajan: A Life in Music, p454 Richard Osbone)


普 通であれば、帝王カラヤンを脅した段階でシュヴァルツコップのキャリアは暗転していたかもしれない。仮にシュヴァルツコップがザルツブルグ音楽祭から完全 撤退したとしても、芸術面、人気面で音楽祭が損害を受けることはなかったろう。なにしろ、当時のデラ・カーザの高いレパートリー能力と人気は、シュヴァル ツコップの穴を埋めるに十分すぎるものだったからだ。そして、もしそうなっていたら、1960年のザルツブルグ音楽祭の主役はデラ・カーザになっていた。 そして、後世は、オペラ演奏史上、もっとも美しいマルシャリンのカラー映像を目にしていたに違いない。


音楽ビジネスの論理を優先したカラヤン



一世を風靡した当たり役、美女アラベラに扮したデラ・カーザ。作曲者リヒャルト・シュトラウスは、脇役を演じる20代の彼女の舞台を見て、「彼女は将来、新たなアラベラになるだろう」と予言した。


だが、実際にはそのような事は起きなかった。カラヤンがシュヴァルツ コップの要求をそのまま受け入れ、シュヴァルツコップを映画の主役にしてしまったからである。カラヤンの翻意の理由は、シュヴァルツコップの実力というよ り、シュヴァルツコップの夫君、ウォルター・レッグの存在があったからに他ならない。レッグは敏腕プロデューサーとして、大会社EMIを実質的に統括して おり、ある意味、カラヤン以上に大きな力を持っていた。また、カラヤンは、ナチ党員として演奏活動が禁じられていた戦後間もない時期、レッグが創設した フィルハーモニア管弦楽団との録音の場を提供してもらっていた。カラヤンにとって、シュヴァルツコップを切って、恩も力もあるレッグとの関係にヒビを入れ ることなど想像もできなかっただろう。そして、シュヴァルツコップは、当時、賛否半ばだったとは言え、独自のマルシャリンを歌い、演じることが出来たか ら、カラヤンの行為は、道義的にはともかく、芸術的には理不尽な判断ではなかった。そのことは、シュヴァルツコップ主演の映画が成功したことからも明らか である。

無惨だったのは、さんざん持ち上げられたあげくに梯子を外され、しかも、部外者であったルードヴィヒから道端で一件を知らされたデラ・カーザ夫妻である。 カラヤンを始めとする関係者は、誰も彼女に説明しようとしなかったのだ。大物達の政治的思惑が交錯する中、後ろ盾のない彼女は、ただ苦い涙を飲む他なかっ た。デベルジェヴィッチによれば、彼女は、降板が決定した後、数日間というもの、ひどくふさぎ込み、プレミエの大成功についても、「何の意味があるの?明 日になれば皆忘れてしまうわ。でも映画は記録として残るのよ。」と言っていたという。そして、「自分は裏切られた。自分は失敗者」とさえ考え、「Ich will nie mehr nach Salzburg-----もうザルツブルグ音楽祭では歌わない」と語るまでになっていた(Dragan Debeljevic, p252)。実際、翌年以降の同プロダクションはシュヴァルツコップが歌ったし、シュトラウス・イヤーであった1964年にも、カラヤンからの音楽祭への 出演オファーを断っている(Dragan Debeljevic, p253)。もちろん、彼女も栄光あるザルツブルグ音楽祭への出演を断りつづけることで、自身のキャリアを傷つけていることは分かっていたが、彼女は自分 をもてあそんだ場所を許すことができなかった。間もなく、彼女のメジャーレーベルへの録音も途絶えてしまう。


苦い涙とともに

こ の不条理な降板事件は、デラ・カーザの心に、音楽業界に対する大きな不信をもたらした。彼女は、これ以降もシュヴァルツコップと共演しており、少なくとも 表面上、二人のライヴァルの関係がささくれ立つようなことはなかったようだ。ただ、音楽ビジネスの象徴であるザルツブルグ音楽祭への思いは別である。「陳 腐」「誇りも人間味もない」「不公正。嘘。詐欺」「私はザルツブルグ音楽祭なしでも生きていけるし、ザルツブルグは私なしでも生きていける」と、プライ ヴェートな場でではあるが、激しい言葉を使っていた(Dragan Debeljevic、p253)。そして、後年のデラ・カーザは、音楽ビジネス全体、オペラの世界に充満する陰謀、嫉妬、政治的な動き、スター歌手達の 自己中心的な振る舞いに対する違和感を表明するようになっていく。彼女は1974年、突然、引退を表明した。娘の病気が理由である。とあるインタビュー で、「とてつもなく深い悲しみの表情とともに」、かつて負った心の傷を伺わせるような言葉を残している。

歌手の運命の一番奇妙なところは、目的のために全てをなげうち、そして儚く全てが終わってしまうこと.............

私達の残した足跡なんて、今日の午後降った雪のようなものなのです。明日には消え、何も残らないの。

そうね、何人かは覚えていてくれるでしょう。でも、それも本当に短い間だけね。

(The Prima Donnas, Lanfranco Rasponi)


彼女は敗北したのか?


1960年のザルツブルグでの「バラの騎士」の舞台から。デラ・カーザ(左)とセーナ・ユリナッチ(右)



幸運なことに、これらの言葉は、彼女に限ってはせいぜい半分程度しか当てはまらなかった。確かに、現在、デラ・カーザの名は、レッグと彼の息のかかったメ ディアによって過剰なまでに神格化されたシュヴァルツコップに比べ、ひどく過小な扱いを受けている。しかし、その反面、彼女が1960年代前半までに残し たいくつかの録音は、オペラを少しでも聴き込んだ人々にとっての大切な宝物であり続けている。「アラベラ」4種(DG、デッカ、オルフェオ、テスタメン ト)、ミトロプーロスとの「エレクトラ」(オルフェオ)、ベームとの「四つの最後の歌」「コシ・ファン・トゥッテ」(デッカ)「ナクソス島のアリアドネ」 (DG)、エーリヒ・クライバーとの「フィガロの結婚」(デッカ)、セルとの「魔笛」(オルフェオ)、フルトヴェングラーとの「ドン・ジョヴァンニ」 「フィデリオ」、そして、何と言ってもカラヤンとの1960年の「バラの騎士」のライヴ録音(DG)..........。これだけ多くの名盤、綺羅星の ような名演に関わって来た歌手の名が、「雪のように、明日には何も残らない」ことがありうるだろうか。

興味深いことがある。近年、シュヴァルツコップの歌唱アプローチが、若い世代の歌手や批評家達から、作為的、表情過多、マンネリズムと批判されることが増 えてきているのである。巷で「完璧」とされてきた技巧についても、よく聴いてみれば、音程も正しいわけではないし、特に後年は、もっぱら声の美感の不足を 隠すために使われていたようにも聴こえる。ウォルター・レッグによる宣伝とは無縁の若い世代の聴衆には、かつて「お行儀が良すぎる」と言われた、デラ・ カーザのナチュラルで上品な歌い方の方がフレッシュに響くのではないだろうか。実際、ここ10年の間に彼女が参加した公演のライヴ録音が、オルフェオ、 DG、テスタメント等を通じて日の目を見て来たが、どの盤も最高の評価を受けている。1960年にバイエルン国立歌劇場で収録された、「アラベラ」の全曲 映像が正規ルートで発売される日もそう遠くはないだろう。

来年初頭、「ウィーンの名花」リーザ・デラ・カーザは89歳になる。彼女は、ささやかだが、着実に進行しているリバイバルの流れをどのように見ているのだろうか。できることなら、話をきいてみたい気がする。

10/23/2007
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References

Memoirs, by Hans Hotter

Lisa Della Casa, oder "In dem Schatten ihrer Locken", Dragan Debeljevic

In My Own Voice: Memoirs, by Christa Ludwig

Herbert Von Karajan: A Life in Music, by Richard Osbone

The Prima Donnas, by Lanfranco Rasponi

Opera on Films, by Richard Fawks

"Lisa Della Casa" (International Opera Collector, p26-31), by Roger Nichols


追記)デラ・カーザの90歳記念特集のテレビ番組が制作された。その中で、白黒ではあるが、60年ザルツブルグ音楽祭の「薔薇の騎士」の舞台を記録した映像が流されている。

http://www.fugue.us/Intermezzo_combined.html

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