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ビゼー 『アルルの女』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/910.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 2 月 18 日 13:42:30: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: モーリス・ラヴェル 『亡き王女のためのパヴァーヌ』 投稿者 中川隆 日時 2020 年 2 月 09 日 19:44:50)

ジョルジュ・ビゼー 『アルルの女』


ビゼー「アルルの女」(Bizet: L’Arlésienne)2013 OCT 20 by 東 賢太郎
https://sonarmc.com/wordpress/site01/2013/10/20/ビゼー%e3%80%80「アルルの女」-%ef%bc%88larlesienne%ef%bc%89/



音楽による地中海めぐり、フランス編の第2は有名なアルルの女です。


「アルルの女」(L’Arlésienne)はカルメンを書く前年にビゼー34歳で書いたドーデの「風車小屋便り」から取った戯曲への劇付随音楽です。


後にオーケストラのための2つの組曲が編まれ、第1番はビゼー自身、第2番は友人のエルネスト・ギローによるもの。現在演奏されるのはほとんどこの組曲版の方です。


アルルは下の地図の矢印の先、マルセイユの西、モンペリエの東に位置します。


1983年、米国留学の夏休みにこの地図の西から東へドライブしましたがそれが初の南仏(プロヴァンス、コート・ダ・ジュール)体験で、アヴィニョン、アルル、エクサン・プロヴァンス、マルセイユと南下して地中海沿いをカンヌ、アンティーヴ、ニース、サン・ポール、モンテカルロ・・・と行きました。


外国といえば米国しか知らなかった僕の眼にここの絶景、文化、気候、食事は衝撃であり、美意識の土台にどっしりと組込まれることとなり、地中海地方への変わらぬ愛着となってここに何度も足を運ぶこととなりました。



「アルルの女」のあらすじはwikiからお借りしましょう。


「南フランス豪農の息子フレデリは、アルルの闘牛場で見かけた女性に心を奪われてしまった。フレデリにはヴィヴェットという許嫁がいるが、彼女の献身的な愛もフレデリを正気に戻すことはできない。


日に日に衰えていく息子を見て、フレデリの母はアルルの女との結婚を許そうとする。
それを伝え聞いたヴィヴェットがフレデリの幸せのためならと、身を退くことをフレデリの母に伝える。


ヴィヴェットの真心を知ったフレデリは、アルルの女を忘れてヴィヴェットと結婚することを決意する。


2人の結婚式の夜、牧童頭のミティフィオが現れて、今夜アルルの女と駆け落ちすることを伝える。物陰からそれを聞いたフレデリは嫉妬に狂い、祝いの踊りファランドールがにぎやかに踊られる中、機織り小屋の階上から身をおどらせて自ら命を絶つ。」


イタリアの作曲家フランチェスコ・チレアにも同名のオペラがあり、そこではアルルの女は牧童頭の元恋人の尻軽女とされていますが、いずれのリブレットでも彼女は名前が不明なのです(まったく関係ないのですが、つい僕はこっちも名前は最後まで不明だったウイリアム・アイリッシュの名作「幻の女」を思い出してしまいます)。


ともあれ男が嫉妬に狂って自殺するというのは「若きウエルテルの悩み」のフランス版本歌取りかもしれませんね。そういうえばカルメンも男の嫉妬が主題でしたが、嫉妬の結末はやっぱり決闘が王道なんじゃないでしょうか。


どうも女を殺したり自殺したりというのは女々しいような気がするんですが、そういう迷える男に共感する美学が18−19世紀のヨーロッパにはあったんでしょうか。何といっても、あのナポレオン・ボナパルトがウエルテルを戦地で7回も読んだというのが驚きです。写真はアルルの円形闘技場です。


ところでアルルにはフィンセント・ファン・ゴッホが住んでいましたね。


Fields of St. Etienne - Mary Hopkin


ゴッホはプロヴァンス地方の景色と色彩に魅かれてここに移り1888年2月〜1889年5月の期間をゴーギャンと過ごしたのですが、徐々に精神を病んで例の「耳きり事件」を起こしたのです。


右はアルルの「アングロワのはね橋」(1888年)です。


ゴッホに色覚異常があったという説は真偽不明ですが、以前書きましたように、色弱である僕の眼に彼の絵はひときわ鮮烈な色彩の像を結ぶのはまぎれもない事実です。


その強烈なインパクトはうまく表現できませんが、普通にミレーが好き、ルノワールが好きというのとはたぶん違っていて、昆虫の眼が蜜のある花を選び出すように僕の眼はゴッホの色彩をあらゆる絵画で最も美しいものとして感知するのです。


僕にとってこんな画家は2人とおりません。


右の「夜のカフェテラス」(1888年)は「アルルのフォラン広場」でこのカフェは現存します。おそらく僕の眼は彼の濃いブルーに強く反応していて、それと黄色系(と僕には見える) の強い対比の心地よさなど何時間見ていても飽きません。


ゴッホの色彩だけは一瞥にして僕の脳髄の奥の奥に達し、心の中の暗い風景を根底から吹き飛ばしてしまうぐらいの破壊力をもっているのです。


右の「収穫」(1888年)のような青黄の対比は僕がラヴェルやファリャやレスピーギの管弦楽法、和声に聴き取っているものに非常に近いと思います。


ゴッホを知る前からたぶんこういう感覚が好きであり、ヨーロッパに11年半住んでますます好きになり、50年クラシック音楽を聴いてやはりますます好きになったというのが自分史だったのだと思います。


そして僕がビゼーのカルメン、アルルの女の特に和声に聴いているものも、それに極めて近いものです。それはいつ聴いても新鮮であり、音楽の秘宝に満ちている。


この「糸杉のある麦畑」(1889年)のように謎めいた均衡と流動があって、見る者の心もざわつくようなもの。静止している風景画ではない「時間価」を内包した4次元時空絵画なのです。


音楽は時間が加わっていますが、ビゼーの音楽は同じメロディーに付けられた和声や対旋律が時々刻々と微妙な色彩変化を遂げていくという形で他の音楽にない「時間価」を内包しています。変奏ではなく同じメロディーのリピートですが、この糸杉の後ろの雲のように色調だけはどんどん変わる。オーケストレーションもそうです。あのジョージ・セルがビゼーの楽器法を高く評価しています。僕にはこの4次元時空性に耳をそばだてずにビゼーを聴くことも演奏することも評価することも考えられません。


ひとつその代表例をお示ししましょう。下の楽譜(ピアノ譜)をご覧ください。第2組曲の第4曲「ファランドール」で、冒頭のメロディーに付随する和声が刻々と変容を遂げ、ついにオレンジ色の部分の驚くべき色彩に行き着くのです。


何に驚くかというと、ここはロ短調のドミナント(嬰へ長調)で来ていて13小節目でアルトのc#がc♮になる。つまりF#の曲にいきなり最も遠隔調であるC(ハ長調)を突き付けられるからです。ところが11−12小節目でバスがc#、h、a#、a♮と順次下降して13小節でdにドスンと落っこち、これがCを支えるので和音はそれを土台にDを経てあっという間に元へ戻る。ここは四分音符=130~140ぐらいの高速で通り過ぎるので、そんなすごい転調が行われていることに気づく人はまずいないでしょう。「驚くべき色彩」と書きましたが、せいぜい色彩の変化と思うぐらいです。ビゼーの天才はなめられません。


それでは、「アルルの女」を全曲お聴きください。両組曲は以下のように4つの曲から成り立っています。


< 第1組曲>  前奏曲、メヌエット、アダージェット、カリヨン


< 第2組曲>  パストラール、間奏曲、メヌエット、ファランドール


Bizet: L'Arlesienne Suites 1 & 2 - Von Karajan, 1958



第2の方の「メヌエット」だけはギローがビゼーの他の作品(美しきパースの娘)転用したものですが。僕は中学時代にいっときこの8曲が毎日頭の中で鳴るほど夢中になりましたが、今聴きかえしてみると「アダージェット」の美しさは壮絶なものであります。マーラー5番のアダージョにまで血脈を感じます。


CDです。

イーゴリ・マルケヴィッチ / コンセール・ラムルー管弦楽団




Igor Borisovitch Markevitch (1912-1983), Conductor
Orchestre Lamoureux (Concerts Lamoureux)
Rec. December 1959, in Paris



マルケヴィッチ(1912−83)はバレエ・リュスのディアギレフに見いだされたロシア生まれの作曲家でストラヴィンスキー、プロコフィエフの同輩ということになり、バルトークは彼を「現代音楽では最も驚異的な人物」と評しています。


ラムルーは決して一流のオケではありませんがマルケヴィッチが振ると黄金の輝きに変わる観があります。この演奏、録音は古いのですが昔のフランスオケの気品と色香が散りばめられて無類の説得力があり、例えばカルメン前奏曲は掃いて捨てるほどCDがありますがもうこれでなくてはというテンポ、間、音の張り、押し出しetcで文句なし。


アルルの女も全部が名演です。うまいというよりも下衆な例えですが、カラオケにその曲の本物の歌手が現れて歌った感じで、ほかの人は霞んでしまう。オーセンティシティを感じされるオーラがあるとしか表現ができません。



アンドレ・クリュイタンス / パリ音楽院管弦楽団


G.Bizet Orchestral-Suites [ A.Cluytens OSC-Conservatoire ] (1964)


1. Carmen-Suite (0:00)
2. L'Arlesienne-Suite#1 (8:43)
3. L'Arlesienne-Suite#2 (26:39)



最も定評あるものでしょう。カルメンの組曲もスタンダードの名演といってよく、まずはこれを聴いておくのが王道。


管楽器の独特の色香はラヴェルのコンチェルトでも絶対の魅力でしたが、ここでも前奏曲のクラリネット、バスーン、間奏曲のアルト・サクソフォーン、第2のメヌエットやのフルート、カリヨンの中間部の木管合奏、などふるいつきたくなるようなフランスの音色です。


ただ残念なのは(このオケの弱点なのですが)弦がいまひとつ美しくなく、木管もピッチが時々怪しい。クリュイタンスという人は精緻な指揮をする人ではないということです。そういう減点はあるが、トータルに見れば魅力あるアルルの女といえるでしょう。


https://sonarmc.com/wordpress/site01/2013/10/20/ビゼー%e3%80%80「アルルの女」-%ef%bc%88larlesienne%ef%bc%89/
 

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コメント
1. 2022年9月29日 06:44:52 : NKx8KSaYRM : YmQ0TS9lUkF1YUk=[1] 報告
Otterloo Bizet Hague Philharmonic - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=Otterloo++Bizet+++Hague+Philharmonic







オッテルロー指揮の「アルルの女」
2022年09月29日

ずっと昔の学生時代の話だが、長兄が持っていたレコードの中にオッテルロー指揮の「アルルの女」があった。

当時のことなのでチャチなステレオ装置だったし、音の良し悪しなんかにはいっさい興味もなく、ひたすら音楽だけで十分満足していた頃で、レコードのライナーノートを繰り返し読みながらこの曲を聴き耽ったものだった。

数年前にオークションで、やっとの思いでオッテルロー指揮のCD盤(外盤)を競り落としたので、長兄に連絡してそのライナーノートをコピーして送ってもらった。

           

余談だが、このオッテルローさんはジャケットにあるとおりの自動車狂で、スピードを出し過ぎて事故で亡くなってしまった。当時からすでにオランダ最高の指揮者として君臨し、さらに将来を嘱望されていたのに惜しいことをしたものだ。

さて、このライナーノートから、かいつまんで記してみよう。

≪アルルの女≫はドーデが書いた「風車小屋だより」(短編集)の第六番目に出てくる物語で、自ら脚色して三幕物の芝居として仕立てあげた。これに作曲したのがビゼーだったが、初演は大失敗。ドーデはこう嘆く。

「ああ!もうだめだ。半年の骨折りと、夢と、疲労と、希望、これらいっさいが、たった一夜のガス燈の焔に、焼けて、消えて、飛び去ってしまったのだ。」

しかし、本当に価値のある作品はいつまでも埋もれているはずがなく、初演から13年後に再演され、今度は大当たりをとって今日までフランス演劇の重要なレパートリーとなっている。

芝居の「あらすじ」は、ご存知の方も多いと思うが次のとおりである。

「アルル近郊の町の旧家の長男”フレデリ”は20歳の青年。父はすでに亡く、母と白痴の弟、それに老僕の4人暮らし。

あるとき闘牛場で知り合った妖艶な”アルルの女”に心を奪われてしまう。しかし、その女は牧場の番人の愛人だった。

フレデリは家族の猛反対にあって、仕方なく諦めて幼馴染の農家の娘との結婚話を進めるが、アルルの女が牧場の番人と駆け落ちすると知り、嫉妬と絶望のあまり塔の頂上から身を躍らせて自殺する。

その亡骸を見ながら老僕がつぶやく。”ごらんよ。恋で死ぬ男があるか、ないか・・・・”」

もちろん音楽も良かったが、当時まだ未成年のスレていない初心(うぶ)なハートにはストーリーの方がショックで、いまだ知らぬ大人の世界への興味も手伝って「人間は恋のために死ねるのか!」と、その狂おしい情熱に大いに心が揺さぶられたことだった。

こういう思い出があるから、「アルルの女」にはひときわ”こだわり”があり、小林利之氏(音楽評論家)が推薦する演奏をコツコツと収集した。

オッテルロー盤以外に、トスカニーニ盤、クリュイタンス盤、マルケヴィッチ盤、オーマンディ盤、デュトワ盤。

            


いずれ劣らぬ名演だが、「許 光俊」氏の評論を読んで大いに共感を覚えた勢いでオークションで購入したのが「ケーゲル盤」。

オッテルロー盤を購入したときと同様に、この盤は「廃盤」になっていて、それは、それは高値で取引されていて、もう諦めようかと随分迷ったほど。

           

昨日は昼寝をたっぷりしたのでなかなか眠気がさしてこず、夜遅くまで「オッテルロー盤」と「ケーゲル盤」を聴き耽った。

この曲はクラシックには珍しくサキソフォンが使われており、それが実に牧歌的な”いい味”を出しているが、賑やかさの中に悲しい結末に収束していく物淋しさが全編に漂っているのがポイント。

体制側の幹部だったケーゲル(東ドイツ)はソ連邦の崩壊とともに拳銃自殺を遂げた指揮者だが、まるでそれを予感させるかのように全体に哀愁を帯びて心の中に染み入ってくる味わい深い演奏。さすがに定評どおりの名盤だけのことはある。しかし、それ以上に心情的にしっくりきたのはやはり「オッテルロー」盤だった。

これ、これっ! 未知のものへの憧れとともに多感な青春時代を彷彿とさせてくれる演奏だよなあ・・。

感受性豊かな若い頃にひとたび脳裡に深く刷り込まれた演奏は、その後どんなに名演が出てこようと、覆るのは難しい。

どうやら個人的な「記憶」と「音楽」とは深い部分で分かち難く結びついているもののようでして・・。

https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/fdca5010ebf03471df0cbf959d3394c5

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