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聖なる大地に壁はいらない アメリカ国境のリアル セルズ、国境が分断するインディアン居留地  
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投稿者 うまき 日時 2019 年 1 月 11 日 01:15:04: ufjzQf6660gRM gqSC3IKr
 

(回答先: トランプ氏「壁」巡る非常事態宣言はパンドラの箱 米株投資家が警戒する「プロフィット・リセッション」 投稿者 うまき 日時 2019 年 1 月 11 日 01:02:37)

聖なる大地に壁はいらないアメリカ国境のリアル
セルズ、国境が分断するインディアン居留地
2019年1月11日(金)
篠原 匡
 それは不思議な光景だった。
 アリゾナ州ツーソンから南西に100キロほど下った荒野の砂漠。周囲には地面に突き刺さった無数の柱と鉄条網が続いている。でっぷりと太った黒髪の男はタイヤのついた鉄柵の前に立つと、力一杯ゲートを押した。そのままゲートの向こう側に歩いて行く。
 「ここはもうメキシコだ。あなた方が来ても戻れないよ」
 男はそう言うと、再びこちら側に戻ってきた。遠巻きに国境警備隊が眺めているが、問題視している様子はない。
 この場所はトホノ・オーダム・ネーション・レザベーションにあるサンミゲル・ゲート。ネーションの“首都”セルズから30分ほど南に下ったところにある、グーグルマップにも載っていない小さな国境ゲートだ。普通のアメリカ人や旅行者がこのゲートを通った場合、20マイル(32キロ)ほど離れたササベの出入国ゲートまで行かなければ再入国できない。
 周囲の風景は米国もメキシコも変わらない。吸っている空気も同じ。ゲートに寄りかかって手を伸ばせば、向こう側の草木にだって触ることができる。だが、戻ってこられないと聞くと、ここには見えない壁があるということに改めて気づく。
 午前9時だが、気温は優に30度を超えている。試しにゲートを越えてみようと思ったが、ササベまで歩くのは正直キツい。

トホノ・オーダム・ネーションにあるサンミゲル・ゲート
 トホノ・オーダム・ネーションはアリゾナ州に21あるインディアン居留地の一つだ。トホノ・オーダムとはトホノ語で「砂漠の民」という意。数千年の昔から米国とメキシコにまたがるソノラ砂漠で遊牧生活を送ってきた。
 彼らの居留地は灌木ばかりの荒野だが、コネチカット州がすっぽりと入るほどの広さを誇る。その“領土”は、同じインディアン居留地の中でもアリゾナ州やニューメキシコ州、ユタ州にまたがるナバホ族、ユタ州のユト族(ユーインタ・アンド・オウレイ)に次ぐ3番目の広さだ。トホノ・オーダム族は全世界に2万4000人ほどいるが、この広大な地域に住む人はわずか1万人に過ぎない。
 ゲートを行き来した黒髪の男、バーロン・ホセはトホノ・オーダム評議会の副議長を務める。トホノ・オーダムを含むインディアン居留地は連邦政府や州政府と同様に行政府や立法府、司法府を持つ。議長と副議長を選ぶのは立法府である評議会議員なので厳密には異なるが、バーロンはネーションの副大統領のような存在だ。

トホノ・オーダム評議会の副議長を務めるバーロン・ホセ
 ネーションは11の行政区に分かれており、一つの行政区から2人が評議会議員に選ばれる。インディアン居留地をレザベーションと呼ぶのは、連邦政府が取っておいた(リザーブした)土地に彼らを移住させた経緯による。
 なぜバーロンだけがゲートを行き来できるのか。それは、トホノ・オーダム族に発効された特殊な部族ID(パスポート)を持っているためだ。それでは、なぜそのようなIDが存在するのか。そこには国家に翻弄された彼らの数奇な物語がある。
分断された砂漠の民
 トホノ・オーダムの歴史は古い。ツーソンやネーション内に残された遺跡を見ると、彼らの祖先は少なくとも4000年前からこのエリアで活動していた。トホノ・オーダムの伝承によれば、東はニューメキシコ州、西はコロラド川河口、北はフラグスタッフ、南はメキシコ・ソノラ州のエルモシージョまで、水場や狩猟、農耕の場所を求め広大なエリアを移動していたという。
 「(14〜16世紀にメキシコ中央部で栄えた)アステカ帝国の伝説上の故郷、アストランは北方にあったと伝えられている。われわれが暮らしているのはその“北”だ」
 湿潤な日本から来た人間には想像もつかないが、ソノラ砂漠には水や穀物、果物などが存在している。オジロジカやペッカリー(イノシシに似た偶蹄類)、ワタオウサギなど野生動物も豊富だ。こういった動植物を、彼らは部族が生き抜くために神が与えたものだと考えている。
 「神は光と闇、人間を創造し、神はトホノ・オーダムをここに定めた。神は所有させるためではなく、この大地を守るためにわれわれをここに遣わせた」
 そうバーロンが語るように、彼らが大地に属しているのであり、大地が彼らに属しているのではない。ゆえに、土地の所有という概念は彼らの辞書には存在しない。
 だが、数千年に渡って続いた遊牧生活は米国の膨張とともに変化を余儀なくされた。とりわけ1853年のガズデン購入はトホノ・オーダムを二つに分断した。
 1846〜48年の米墨戦争に勝利したことで、米国はメキシコからカリフォルニア州、ネバダ州、ユタ州、コロラド州など広大なエリアを手に入れた。それでも飽き足らない米国は、返す刀でアリゾナ州やニューメキシコ州の一部をメキシコ政府から1000万ドルで購入した。これがガズデン購入である。
 ネーションのある一帯はもともとメキシコの領土だったが、ガズデン購入で国境線が動いた結果、もともとの生活圏のど真ん中に国境線が引かれることになった。およそ60マイル(96キロ)に及ぶ国境線で生活圏が米国とメキシコに分かれたのだ。
 「カリフォルニアで金鉱が見つかって多くの白人が西を目指したが、彼らには冬のロッキー山脈を越えるのが厳しかった。もっと楽な南のルートがほしいと思ってメキシコとディールしたんだよ。われわれには何の相談もなく」
バーロンは語る。

国同士のディールでコミュニティが二つの国に分かれた
想像上の境界線
 想像上の境界線−−。そうバーロンが語るように、トホノ・オーダム族にとって国境線は後から人為的に引かれたものに過ぎない。いわば、国家間の力関係によって勝手にできたものだ。だが、架空の国境線は確実に彼らの生活や文化を分断している。
 メキシコ・ソノラ州に2000人の部族民が住んでいるように、トホノ・オーダム部族の大半は両方のエリアに親族がいる。先祖の墓は両サイドにあり、教育や医療サービスを受けるためにメキシコ在住の部族民がトホノ・オーダムに来ることも少なくない。
 彼らが大切にしているいくつかの儀式も両国にまたがっている。
 トホノ・オーダムの新年は7月初め。その時期は45度を超える日もある酷暑だが、毛布のような衣装を身にまとい、ビーズや貝殻、羽などで装飾されたマスクを身につけて昼夜問わず踊り続ける。その舞台はメキシコ側だ。
 10月の第一週には聖フランシスの巡礼がある。この時には4日かけてメキシコの教会を一軒ずつ歩いて回る。毎年数百人の部族民が国境を越えるという。また、思春期になった若者が150マイル離れたカリフォルニア湾のピナカーテまで塩を取りに行くという風習もある。彼らが取ってきた塩は儀式で用いられる。
 正直に言えば、1980年代までは国境の往来に大して支障がなかった。国境は存在したものの、実際の管理はルーズで自由に行き来しても問題はなかったからだ。だが、ドラッグの流入増や2001年9月11日の米同時多発テロの影響で米国の国境管理は次第に厳しくなった。そして、ドラッグや不法移民の輸送を防ぐため、2006年に国境線に車止めの鉄柵が敷設される。
 もっとも、ササベやルークビルなど正規の国境ゲートはネーションから離れており、国境管理を厳格に運用するとコミュニティを完全に分断することになってしまう。そこで、米政府はネーション内の国境ゲートを3カ所に縮小する一方、例外としてトホノ・オーダム族専用のIDを作ったのだ。
 そして今、「トランプの壁」がネーションを揺さぶっている。
 国境管理の厳格化を訴えるドナルド・トランプはその手段として国境の壁建設を強く訴えている。だが、実際に壁が建設されれば、想像上の境界が本物のバリアになってしまう。住民の往来はもちろんのこと、動植物を含め、彼らが神から負託されている大地も大きな影響を受ける。それゆえに、壁については明確に反対している。
 実際のところ、車止めについてもネーション内には異論があった。だが、車止めは鉄条網こそ巻かれているが、丈は低く、野生動物の行き来に支障はない。車止めの設置には同意したのは自然環境や野生動物には影響を与えないと判断したからだ。だが、壁となれば話は変わる。
 「あなたの家の真ん中に壁を作ったら家の中を歩けないだろう? それと同じことだ。かつてトホノ・オーダムの長老たちはこう言っていた。『連邦政府がこの大地を汚すようなことはもう許さない』と。私は長老たちの精神を引き継いでいる。私が壁を作らせない。たったひとりになったとしても作らせません」
 国境について話し合うため、バーロンは「(ネーション内の)100キロの国境線を一緒に歩こう」と大統領に招待状を出した。だが、トランプはまだ来ていない。

この先の山では車止めもなくなる
内側から崩壊する“国家”
 サンミゲル・ゲートをあとにした取材班はバーロンのクルマに乗って国境線を西に向かった。左には車止めの鉄柵が延々と続いている。だが、涸れ川のくぼみをいくつも乗り越えると、20分ほどで鉄柵もなくなった。目の前には小高い岩山。クルマでは乗り越えられない天然の要害である。
 米墨国境は3000キロを越える。その中にはティフアナやサンディエゴのような大都市もあるが、大半は人口密度の低い辺境である。仮に壁を築いたとしても、乗り越えるか穴を掘るかすればそれで済む。目に見える象徴として後世に刻む以外に壁を作る意味はない。
 周囲を見渡せば、テパリービーンが自生している。暑さや乾燥に強いテパリービーンは砂漠の民に欠かせないタンパク源だった。
 ネーションがあるエリアは7月から8月にかけて雷雨を伴ったスコールが降る。実際に雨が降ると道路が冠水して身動きが取れなくなるほどだ。彼らの祖先はこの時期の雨を用いてテパリービーンを栽培した。発芽の際には水分を豊富に含んだ土壌が必要だが、テパリービーンの生育は早く、芽さえ出てしまえば乾燥環境でも育つ。数千年にわたってソノラ砂漠で生き抜いたトホノ・オーダムの命の糧だ。
 彼らはまた、煮た草花に足を浸して体を癒やしたり、お茶にして飲んだり、砂漠に自生する植物を薬草として活用した。自然環境は異なるが、足下の環境を生かして効率的な農業を構築したという意味では日本の中山間地に似ている。豊かな自然環境をベースに、独自の言語や踊り、音楽なども花開いた。
 だが、部族の伝統的な生活は既に過去のものになりつつある。ネーションは内側から瓦解していると言っても過言ではない。
 端的に言えば、貧困と依存症だ。
 バーロンが誇るように、美しいソノラ砂漠は変わらず大地の恵みをトホノ・オーダムに提供している。だが、大都市から遠く離れた辺境に雇用はなく、米国の発展から完全に取り残されている。働く意欲を失った人々はフードスタンプ(貧困層向けの食料補助)とアルコールに依存しており、米国流の食生活に染まったことで糖尿病に罹患しているる住民も数多い。
 経済指標を見れば、その惨状は一目瞭然だ。
 2012〜16年のAmerican Community Surveyによれば、失業率は28.2%と同期間の全米の失業率(7.39%)の4倍近い。他のインディアン居留地の平均と比べても倍以上だ。そもそも仕事を探していない住民も多く、労働参加率は52.5%と全米のデータよりも10ポイント以上低い。世帯所得の中央値は2万5430ドルと全米平均の3分の2。貧困率も45%に達する。
 「それは、取り組まなければならない課題だ」 
 ハンドルを握るバーロンの顔が曇る。
アルコール依存症の祖母
 セルズから西に小一時間ほど行ったピシーニモ。この集落で暮らすノーマ・ドミンゴは長年、アルコール依存症に苦しんでいる。
 初めてビールを飲んだのは13歳の時。その後、14歳で一人目の子供を産み、18歳の時に二人目を妊娠した。そして24歳の時に事件が起きる。当時、付き合っていた恋人が自分の娘に性的いたずらをしているところを目撃したのだ。精神のバランスを崩したノーマは酒に溺れるようになった。
 一時は育児不能状態で、子供は他のきょうだいが面倒を見ていた。その後、しばらくアルコールを断ったが、35歳からは飲んだりやめたりの繰り返しだという。

アルコール依存症に苦しむノーマ・ドミンゴ(写真:Retsu Motoyoshi)
 「なぜ依存症に?」
 「当時のボーイフレンドが9歳の娘にいたずらしていたのを見てしまって。まだ9歳ですよ。その現実が耐えられなくて、飲むのをやめられなくなりました」
 「そもそも酒を飲み始めるのが早い」
 「この辺に何もないことが原因だと思います。退屈だったんです。だからみんな飲み始める」
 「ちなみに、何を飲む?」
 「最初はバドワイザー。それからモルト・リカー(度数の高いビール)に行き、今はスティール・リザーブ(度数の高い安ビール)」
 「家族は?」
 「母は私が1歳の時に亡くなりました。父は小さなガソリンスタンドを営んでいました。食料品を売ったり、ガソリンを入れたり、タイヤを直したり。父や兄もアルコール依存症でした」
 「今はどこに?」
 「父は施設に行き、兄はいなくなりました」
 「今は働いている?」
 「何もしていません。この子(孫)の面倒を見ないと行けないので。でも、職があればバスの運転手として働きたい。昔もやっていたので」
 ノーマを取材したのは、セルズのコミュニティカレッジに通う彼女のもうひとりの孫、ティエラと知り合いになったことがきっかけだ。アルコールやドラッグの依存症になった住民を探していると相談したところ、自分の祖母がそうだという。電話番号を聞き、あとで連絡を取ると、ノーマ自身も取材を快諾した。
 アルコール依存症と聞くと、日本では後ろ暗いイメージがあり、家族は隠す傾向にあるように思う。だが、あっけらかんとしたティエラの様子を見ると、それだけアルコール依存症がネーションの一部になっているということを実感する。実際、何人もの住民に話を聞いたが、誰もがひとりはアルコール依存症の親族を持っていた。
1回の密輸で1万ドル
 ネーションで蔓延している依存症はアルコールだけでなくドラッグもそうだ。2006年までは車止めの鉄柵がなかったため、ドラッグや不法移民を積んだクルマがネーションに流入した。
 税関・国境警備局(CBP)のデータを見ると、国境地帯(ツーソン付近)における不法入国者の逮捕件数は2000年の61万人を筆頭に、2000年代前半は軒並み毎年30万人を超えている。2017年が3万8000人だということを考えれば、当時の状況が分かるというものだ。
 こういったドラッグの多くはカリフォルニアやニューヨークなど他の地域の需要を満たすために持ち込まれたが、鬱屈とした気分を晴らすために手を出す住民は当然いる。結果的に、ネーション内にはドラッグ汚染も蔓延した。ノーマによれば、今もドラッグは普通に流通しているという。
 「アルコールだけでなくドラッグ依存症も多いと聞く」
 「最近はそこまでひどくないですが、今もたくさんの人がドラッグをやっているのを知っています」
 「みんなはどこで手に入れるの?」
 「頼むと家に持ってくる。お互いにみんな知っているから」
 「警察は?」
 「報告しても、警察内に仲間がいる連中もいて。(警察署のある)セルズからここまで遠いので、警察が来る前に逃げてしまう」
 ドラッグ汚染は大人だけでなく、子供にも広がっている。
 「大人だけでなく、僕と同じくらいの学生、あるいはもっと小さな子供がドラッグの依存症になっているのを見てきた」
 セルズのバボキバリ高校に通うダニエル・マルケスは言う。彼の両親は覚醒剤とアルコールの依存症だったため、ダニエルは2歳の時から祖父母の元で育てられた。
 定職のない住民はインディアンジュエリーの製作やタコスのケータリングなど様々な手段で日銭を稼いでいる。
 セルズで話を聞いた中年女性はインディアンジュエリーを作っている恋人の収入と、タコス屋台の手伝いで週300ドルを得ている。セルズにあるナザレン教会の牧師、リーランド・コンウェイは副業でピザ屋を始めた。
 彼の場合、ネーションでクリスチャンスクールを運営していたが、妻の死去に伴って学校を閉鎖、収入が半分になった。教会からの支給は何もなく収入は年金だけ。それで日銭を稼ぐために教会の横でピザ屋を始めたのだ。
 雇用と現金が不足しているため、ドラッグの運び屋になる住民も少なくない。
 「数キロのドラッグを運んで捕まった友人がいる。彼女にいくらになるのかと聞いたら1万ドルだと。それで運び屋になるのさ。1回や2回はうまくいくかもしれない。だが、いずれ捕まる」
 リーランドは言う。

牧師のリーランド・コンウェイは日銭を稼ぐためピザ屋を始めた
トラウマを抱える子供たち
 雇用不足はアリゾナ州の最南端という立地の問題がまず大きい。最寄りの大都市、ツーソンからはクルマで1時間以上かかる上に、岩山とサボテンばかりの道路は状態がいいとは言えず、途中でスマートフォンも圏外になる。インフラがプアなため企業の誘致は難しく、雇用はもっぱら警察や消防、医療福祉サービスなどの公的部門か4カ所あるカジノである。
 企業が進出してこないのは保守的な土地柄も災いしている。 
 「われわれは企業に対してオープンだよ」
 そうバーロンは言うが、実際に工場を建てるとなると、地元や評議会との協議、電気や水道、道路への投資など気の遠くなるようなプロセスがかかる。広大な土地や安価な人件費に目をつけて関心を示す企業もしばしば出るが、時間がかかりすぎるので背を向けてしまう。
 率直に言ってネーションの経済状況は厳しいが、かといって予算が枯渇しているわけではない。特に、カジノはネーションの主要な財源で、コミュニティカレッジの設立や医療機器の調達、糖尿病予防のためのスポーツジムもカジノ収入でまかなった。数百マイルあるネーション内の道路整備にもカジノ収入が充てられている。
 もっと言えば、雇用がないわけではない。
 評議会には雇用の機会があり、実際に欠員がある。だが、そういった仕事に就くのに必要な資格を持っている人間が現実にいない。仮に条件を満たしていたとしても、働く意欲があるかどうかは別の話だ。
 ネーションの西の端にあるカジノを覗くと、部族民の警備員の横で部族民がスロットに興じていた。日本にいた時にしばしば多摩川競艇や平和島競艇に足を運んだが、平日にいるのは小銭を賭けて遊ぶ年金受給者が大半だった。トホノ・オーダムの場合は若い人間が多い。
 ヒッチハイクで移動している住民は今も多いが、車を持っているのであれば、ツーソンに行ってウーバーの運転手になるという選択肢がある。部族の伝統的な文化があるのであれば、ソノラ砂漠の薬草を使ったセラピーを旅行者に提供するのも悪くないだろう。だが、外の世界の状況を知らなければ発想は出てこない。「知らない」ということは最大の障壁だ。

ネーションの外れにあるカジノ
 現在の惨状を招いた一つが人々の教育に対する意識なのは間違いない。教育は高校で十分という親が多く、子供を大学に行かせることにずっと無関心だった。現在も43.9%が高卒資格以下の卒業資格しか持っていない。
 長年、都市から隔離されたコミュニティで生活していれば、自分もその中で暮らし続けるのが当たり前だと思うようになる。アルコールやドラッグの依存症が蔓延するなど荒れた家庭環境で暮らしていれば、学業を続けることも難しい。実際、祖父母や親戚、シェルターで育てられる子供は数多い。
 バボキバリ学区では、ホームレスの子供向けに食料や衣類、シャワーなどを提供している。学校内の倉庫を覗くと、パスタやマカロニチーズなどの食料品に加えて、サイズの異なる靴や下着などが並んでいる。すべて寄付によるものだ。学校に来れば、夏休みの間も朝食や昼食を食べることができる。
 バボキバリ学区のスーパーインテンデント(教育長)を務めるエドナ・モリスはこう言ってため息をつく。
 「家庭に問題を抱える子供たちはみんなトラウマをもっています。数多くのトラウマを背負っていれば、学ぶことはできません」
 仮に大学に進学したとしても、ネーションの生活に慣れた子供たちは外の世界で別の試練に直面する。
 80年代に大学進学率が伸びた時期もあったが、都市での生活に適応できず、大学に進学した学生の大半が一学期を終える前に中退した。ネーションの大自然の中で暮らしてきた子供たちにとって、ツーソンやフェニックスは全く異なる別世界。同質的なコミュニティで暮らしてきた子供たちには刺激が強すぎたのだ。
 教育に対する意識の低さと荒れた家庭環境など様々なものが絡み合って、ネーションの貧困は再生産されていく。

バボキバリ学区の教育長を務めるエドナ・モリス
強制移住と同化政策
 ここまで彼らの問題にフォーカスしてきたが、米政府の罪ももちろん大きい。彼らにある種の負け犬根性が染みついた理由の大半は、この国の歴史にある。
 18世紀の米国戦争(1775〜1783年)以降、白人入植者は豊かな土地を求めて西に向かった。その過程で抵抗する部族は徹底的に排除、オクラホマ州など西部の居留地に押し込め、白人社会に同化させる政策を取った。第7代米国大統領、アンドリュー・ジャクソンが署名したインディアン移住法は一つの結末である。
 その後、ミシシッピ川以東のインディアン部族の西部移住は加速したが、白人による西部開拓の圧力が高まるにつれて、政府による土地の没収や農場主による借り上げなど居留地を蹂躙する動きも相次いだ。「不可侵の領土」として政府が保証したにもかかわらず、金鉱が見つかったために居留地の多くを没収されたスー族は典型だ。
 連邦政府の強制移住と同化政策によって、インディアン部族の多くは牙を抜かれ、自分たちのアイデンティティを失った。
 数千年にわたってソノラ砂漠で暮らしていたトホノ・オーダムは、強制移住とは無縁だったものの米国の居留地政策によって“領土”は大幅に縮小した。19世紀後半から20世紀初頭の3度の大統領令によって居留地を拡大したが、当初の居留地は現在の10分の1に過ぎなかった。
 わずかな年金と引き換えに、自分たちが生きてきた土地や尊厳、アイデンティティを奪われた敗者としての過去−−。それが貧困や教育、依存症などの根源にある。国家に翻弄される状況は今も昔も変わらない。

トホノ・オーダム族の墓地(写真:Retsu Motoyoshi)
回り始めた「弾み車」
 出口のない暗闇の中でもがく国境の居留地。だが、変化しつつある住民の意識のはかすかな希望だ。
 セルズの道路沿いに立つ「Mondos」。タコスやブリトー、ネーションの伝統料理などを提供している食堂だ。あり合わせの材料で組み立てたような掘っ立て小屋だが、8年前の開店以来、地元の人々に愛されている。
 店主のアルマンド・ゴンザレスは生活に問題を抱える人々を支援するケースマネジャーとして、長年、ネーションの外で活動してきた。そんな彼が戻ってきた理由は地元に対する強い思いだ。フードビジネスを始めたのは、彼の母や祖母、曾祖母が料理人だった影響が大きい。
 「ネーションに戻って何かしたいとずっと思っていた。自分のルーツを考えると、フードビジネスというのもふさわしいと思えた」
 当初は地元に戻ることが第一で、ビジネスがうまく回るかどうか半信半疑だった。拾ってきたような材料で建物を作ったのも過大な投資をしたくなかったからだ。だが、実際にビジネスを初めて見たところ、大繁盛というほどではないが、ビジネスは順調に推移している。
 「ここでも十分に成り立つ」
 そうアルマンドは語る。
 実際に店を開いたことで改めて気づいたこともある。それは、従業員を雇い、コミュニティの内部でお金を循環させる重要性だ。
 店が忙しくなるにつれて、アルマンドは部族の友人をヘルプで雇い始めた。手伝ってもらう時間は日に1〜2時間程度のため稼ぎとしてはそれほど大きくないが、キャッシュを得た彼らはコミュニティの他の店で消費し始めた。最初は1〜2人だったが、雇う人間が増えるとともに地元に落ちるカネも増えた。
 アルマンドに触発されて、自分も何かしようと思う住民も出始めている。
 セルズの町中は相変わらず閑散としているが、カフェやジャンピング・キャッスル(空気で膨らませた遊具)を用いた簡易遊園地などのスモールビジネスが現れつつある。まだ小さな循環で動きは遅い。アマゾン・ドット・コムが物流センターを作った方が経済効果は大きいのは間違いないが、コミュニティに資金を循環させる弾み車はゆっくりと回り始めた。

アルマンド・ゴンザレスが開いた食堂「Mondos」
暗闇に浮かび上がる希望
 教育の方も改善している。
 バボキバリ学区のエドナは前任のスーパーインテンデントの改革を引き継ぎ、ネーションの教育改善に取り組んでいる。その柱は教師の待遇改善だ。
 10年前、小学校の出席率は70%と低く、授業に参加しない子供たちも数多くいた。教師もその状況を放置しており、必要な水準の学習が全くといっていいほどできていなかった。教室は落書きだらけで、窓もところどころ割れていた。
 「教師は子供たちを気にかけておらず、子供たちも学校が自分たちのものだという意識がなかった」
 教育崩壊の原因を教師の質に見た前任者やエドナは教師募集の際の給与を段階的に引き上げた。トホノ・オーダムまでは最寄りのツーソンから1時間半ほどかかる。教師の拘束時間は行き帰りの通勤と学校での教育で12時間は優に超える。ただでさえ厳しい環境なのに、給与が低ければ優秀な人間は誰も来ないと考えたからだ。
 アリゾナ州の教師の平均給与は年3万4000ドルで、エドナが来た当初は平均を大きく下回っていた。だが、連邦政府の補助金を活用して、大学を卒業したばかりの教師の初任給を5万1600ドルまで引き上げた。初任給としてはアリゾナ州で最高だ。通勤に対処するため、Wi-Fi完備の通勤バスも走らせている。
 その効果は確実に出ている。
 10年前に70%だった小学校の出席率は92%に上昇した。高校卒業後、大学や職業訓練学校への進学を選択する生徒も卒業生の8割に達している。かつては都市の生活に適応できず多くの若者がネーションに戻ってきたが、都市の大学に進学した若者をケアするカウンセラーを雇ったことで、進学した若者の大半が学業を続けるようになった。
 「出席率が上がったのは、学校が楽しいと思うようになったから。子供たちは教師が自分たちのことを大切に考えてくれると感じ始めています」
 そうエドナは語る。
 子供の意識も変化している。
 バボキバリ高校に通う17歳のスージー・ガルシア。彼女は高校卒業後、ワシントンDCのカレッジで刑事司法を勉強するつもりだ。トホノ・オーダムで殺人担当の刑事になることが目標だ。行方不明になったインディアン女性は多くが未解決のまま。そうした事件を解決することで、コミュニティの発展に関わっていきたいという。
 「両親や祖父母の世代は過去の歴史のせいで学校に通うのをあきらめていました。私たちにはとても悲しい過去があり、ネイティブ・アメリカンは他の人種のような能力がないと感じたのではないかと思います。でも、今は違います。ほとんどの学生が高校を卒業して大学に行くという強い決意を持っています。中退せずに高校に通い、大学を卒業すれば、いい人生を送れるということを若い人たちに示したい」
 彼女と一緒にいた他の3人の高校生も全員が進学を希望していた。
 彼らが外の世界に押しつぶされず、外の世界で得たものをネーションに還元できるかは分からない。だが、国や社会が一夜にして変化することはない。砂漠の民がかつての輝きを取り戻すのは、子供たちが学び、コミュニティに戻り、その子供たちが進歩と伝統を調和させた新しいカルチャーを築くことができた時ではないか。時間はかかるが、それ以外に希望はない。
注:記事中、アメリカ先住民の総称として「インディアン」という言葉を使っています。基本的に先住民は自分たちのことを「ネイティブ・アメリカン」とは言わないというのがその理由です。「ネイティブ・アメリカン」という呼び名自体が民族浄化に加担しているという見方があるためです。


このコラムについて
アメリカ国境のリアル

取材・文
篠原 匡 長野 光
太平洋岸のサンディエゴからメキシコ湾岸のブラウンズビルまで、米国とメキシコを分かつ3000キロ超の国境線。1日に100万人以上が往来する北米の経済と社会の大動脈である。その「国境」が米国の政治や経済、社会の最重要課題に浮上したのは、あの男がホワイトハウスを奪取してからといっていい。第45代米国合衆国大統領、ドナルド・トランプである。
トランプ大統領が主張する壁の建設はまだ実現していないが、ビザ取得の厳格化や関税の導入によって既に仮想の壁を構築しつつある。現在、米国と世界を揺るがしているイシューの震源地は紛れもなく国境だ。
それでは、国境では何が起きているのか。それを知るべく取材班は国境沿いのコミュニティを訪ね歩いた。国境に生きる人々の悲喜劇と、国境を舞台に繰り広げられる人間模様。そこから透けて見えるのは、アイデンティティを求めるさまよう人々と今のアメリカそのものだった。

※記事の内容は変更する可能性があります。

https://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/100500246/100500007
 

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