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主導権を握った“透視力”のない者がはしゃいだ真珠湾攻撃 保阪正康 日本史縦横無尽(日刊ゲンダイ)
http://www.asyura2.com/19/senkyo259/msg/700.html
投稿者 赤かぶ 日時 2019 年 4 月 16 日 21:20:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

 


主導権を握った“透視力”のない者がはしゃいだ真珠湾攻撃 保阪正康 日本史縦横無尽
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/251937
2019/04/16 日刊ゲンダイ


先制攻撃は成功したが…(日本海軍航空隊の真珠湾攻撃で炎上する米戦艦「アリゾナ」=1941〈昭和16〉年)/(C)ロイター

 太平洋戦争に至る道筋を丹念に見ていくと、軍事指導者の中で歴史的な透視力を持つ者と持たない者との差が歴然としてくる。昭和10年代の日本の不幸は、透視力のない者が主導権を握ってこの国を差配したことであった。私のいう透視力の意味は、現実を分析する能力があるか否か、ということだ。

 分析する能力を持つ軍人は、陸軍では皇道派将校に暗殺された永田鉄山、昭和初年代に陸相を務めた宇垣一成ら。昭和10年代にアメリカ、イギリスなどの駐在武官を務めた山内正文、辰巳栄一、磯田三郎らも挙げられるだろう。総力戦研究所に送られて戦力分析を行っていた軍人も透視力を持っていたと言っていい。海軍では山本五十六をはじめ、軍令部、海軍省などに国際通の軍人が多かった。しかし、そのような軍人は政策決定に関わることはなかった。

 真珠湾の先制攻撃は確かに成功した。この時の指導部の軍人たちの言動の中に透視力の有無の違いが表れていた。この先制攻撃の成功は緒戦の朗報だったのだが、半面、国家存亡の機の始まりであった。従って透視力のある者は、将来を考えて沈痛になるのが当たり前だった。そういうビジョンに欠ける者はひたすら喜色のみを浮かべて得意になっている。

 昭和16年12月8日の首相官邸では、作戦成功の喜びの祝宴が開かれた。東條英機の系列の部下たちと、海軍大臣の嶋田繁太郎とその忠実な部下たちは、この神祐は皇祖皇宗のおかげだと言わんばかりのはしゃぎようであった。この時の東條の言葉が秘書たちの記録に残されている。

 東條は「これでルーズベルトは失脚だ」と言い、さらに朗報が入ってくると「すぐにお上(天皇)にご報告しなさい」と部下に命じた。秘書官のひとりに「私たちも本日が攻撃日だとは知りませんでした」と言われると、「東條内閣は秘密が漏れることはない」と得意げに答えている。

 しかしこのような東條の言は、全て透視力のない指導者に共通する言といえた。ルーズベルトが失脚するどころか、アメリカ国民は国を挙げて対日戦に乗り出すことになる。昭和天皇はこの先を思い、政務室で沈痛な表情で考え込んでいた。山本五十六は旗艦長門でしきりに「事前にアメリカ側に通告をしただろうな」と部下に問いただしていた。

(つづく)



保阪正康 作家
1939年、北海道生まれ。同志社大卒。編集者を経て「死なう団事件」でデビュー。「昭和天皇」など著書多数。2004年、一連の昭和史研究で菊池寛賞












 

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コメント
1. 赤かぶ[9920] kNSCqYLU 2019年4月16日 21:28:22 : tmhbWkbvnI : aEhEY2IuWjZOSzI=[572] 報告


2. 2019年4月16日 21:29:39 : QyFrUsyFyE : OUUzdkxQSFR1cjY=[1] 報告
あれ?真珠湾攻撃を主導したのは山本五十六氏ですよね。山本氏は「透視力」を持っていたのですか?
3. 赤かぶ[9921] kNSCqYLU 2019年4月16日 21:32:17 : tmhbWkbvnI : aEhEY2IuWjZOSzI=[573] 報告


4. 2019年4月17日 00:00:42 : q4HLyru6DY : S3M4WHJ5WHg0LmM=[22] 報告
真珠湾攻撃はルーズベルト大統領の会心の勝利だった。戦争を嫌がっていたアメリカ国民はこぞって戦争遂行の走った。

ちょうどそのときドイツがモスクワ手前で進撃が止まり寒さの中でソ連の反撃が機能し始めたところだった。

5. しんのすけ99[355] grWC8YLMgreCrzk5 2019年4月17日 03:20:10 : A4AvZivHZs : WU95VlVYQVVmdmM=[117] 報告
>>2
真珠湾攻撃の(成功?)を、はしゃぎまわる幕僚や部下たちをしり目に 一番沈んでいたのは当の山本だとか

真珠湾攻撃に沸き立っている日本国内を 説明するつもりで
「(山本五十六の出身地長岡で)提灯行列が始まったそうですよ」 と、喜色満面で報告する幕僚にむかって

「ふん 今にそいつらが 俺の家に 石を投げ込みに来るだろうさ」  憮然と こう言い放ったそうです
透視力が あったかどうかは判らないが 山本五十六ただ一人だけ 沈んでいたというのは有名な逸話です。

6. 2019年4月17日 08:38:54 : jk03vlqOxu : emUwdUZNQ0lZQlU=[12] 報告
>>5さん、それは山本五十六は「真珠湾攻撃は失敗した」と思っていたという事ではないでしょうか。空母はいなかったわけですし。
7. 2019年4月17日 09:31:47 : 8U3xgblDtc : bnVKZnNjWGxFdms=[16] 報告
>>5. しんのすけ99[355] grWC8YLMgreCrzk5 2019年4月17日 03:20:10 : A4AvZivHZs : WU95VlVYQVVmdmM=[117] 報告> 透視力が あったかどうかは判らないが 山本五十六ただ一人だけ 沈んでいたというのは有名な逸話です。

真珠湾攻撃の翌日、ルーズベルト大統領は対日宣戦布告を議会に求める演説を行った。

「わが国と日本は平和状態にあり、同国政府および天皇と、太平洋方面における、和平維持に向けて交渉中であった。実際、日本の駐米大使らは、日本の航空隊がオアフ島攻撃を開始してから1時間後に、直近のわが国の提案に対する公式回答を国務長官に手交したのである。この回答には、これ以上の交渉の継続は無益であると述べられているが、戦争行為あるいは武力行使を示す言葉は含まれていなかった」[1]

ルーズベルト大統領は「日本の駐米大使らは、日本の航空隊がオアフ島攻撃を開始してから1時間後に、直近のわが国の提案に対する公式回答を国務長官に手交したのである。」と言い、この演説は山本五十六も聴いていた。それ故、山本五十六は文書の交付前に攻撃が始まったことを知ったので、「山本五十六ただ一人だけ 沈んでいた」。

このルーズベルト大統領の対日宣戦布告を議会に求める演説の原稿は現在も残っていると言われているが、真珠湾攻撃の1日前に書かれていた[2]。
つまり、ルーズベルト大統領は保阪正康の言う完璧な「透視力」を持っていた。

[1] ルーズベルト大統領「恥辱の日演説」の嘘―ハミルトン・フィッシュ
https://blog.goo.ne.jp/chorinkai/e/b7bf420d94eba61ded724a16269fe3f1
2017-05-25 | 200-歴史・文化・社会

[2] 西 鋭夫 マッカーサー応援団の日本上陸
http://www.prideandhistory.jp/topics/000902.html
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8. 2019年4月17日 09:36:41 : h4MOWYoLqw : OGdEb3NIc0V6Vms=[10] 報告
>真珠湾攻撃の(成功?)を、はしゃぎまわる幕僚や部下たちをしり目に 一番沈んでいたのは当の山本だとか
この類の回顧談は作られたものじゃないのかといつも疑ってるのだが…

アメリカ側が日本の動きを完全につかんでいたことは(少なくともアメリカの学界では)定説になりつつあるようですが、
アメリカの戦争屋にとっては都合がいいですね。
空母はすべて離港していて、被害が修理予定の老朽戦艦だけだったから安上がりだし。
しかも、日本の攻撃隊は重要な石油タンクに目もくれなかったからなおさらだった。

9. 空っぽの愛国君[274] i_OCwYLbgsyIpI2RjE4 2019年4月17日 10:15:31 : XC4kc1n7Fs : bDlMWTRHTEplTTY=[98] 報告

>>2
> あれ?真珠湾攻撃を主導したのは山本五十六氏ですよね。山本氏は「透視力」を持っていたのですか?

バカ丸出しだな。山本は現場の指揮官。
東條ら、もっと上からの命令に従っただけだ。

現代で言うなら、自衛隊の最高指揮官である安倍の命令のもとに作戦行動を主導する
海上自衛隊の現場責任者のようなものだ。

10. しんのすけ99[356] grWC8YLMgreCrzk5 2019年4月17日 12:14:00 : A4AvZivHZs : WU95VlVYQVVmdmM=[118] 報告
この 「アジア太平洋戦争」 の、根本的な原因と戦争責任は その大部分が日本側にあるのは間違いない

だがしかし 「宣戦布告の遅れ」 についてだけは アメリカの策謀というものを感じずにはいられない
なぜならば アメリカが 本当に真珠湾攻撃を、卑怯なるだまし討ちと怒り心頭に発していたならば
戦後 連合国が真っ先に戦犯として捕え 極刑を言い渡すであろう人物は、野村吉三郎であるはずだ

なのに 野村吉三郎は 戦犯として拘束もされず あろうことか戦後は アメリカから経済的な援助を受けており
どう考えても 「悪者にしてしまった野村への罪滅ぼし」 という風にしか捉える事ができないのです
それは ウィキでも確認できる事です
__________________________________________

戦後[編集]

終戦後の1946年(昭和21年)8月に、野村は公職追放となるが、アメリカ対日協議会[3]の面々[4]は積極的に野村に近づき、定期的に(違法ではあるが)食料や煙草を送り、経済的に苦しい野村の便宜を図った。メンバーの一人であるウィリアム・リチャーズ・キャッスルは、野村を「日本を正しい道筋で、再び重要な国家となるように再建するのに役立つ人物の一人だ」と評した。

1953年(昭和28年)3月24日、同郷の松下幸之助に請われ、松下電器産業の資本傘下となった日本ビクターの社長に就任。空襲による会社や工場施設の焼失、戦後の労働争議などでの危機的経営を創生期の親会社で疎遠となっていたアメリカRCAと技術支援契約を結び再建の道筋をつける。

追放解除に伴い、吉田茂の要請で再軍備問題の調査にあたり、海上自衛隊の前身、海上警備隊創設に深く関わる。これが縁で1954年(昭和29年)の第3回参議院議員補欠選挙(和歌山選挙区)に出馬・当選し、参議院議員となる。続く第5回参議院議員通常選挙(和歌山選挙区)にも当選した。

自由民主党に参加して、防衛政策を担当した他は、外交調査会会長を務め、松野鶴平の参議院議長就任に伴い党参議院議員会長に就任した。鳩山内閣・岸内閣で防衛庁長官への起用が取り沙汰されたが、日本国憲法における文民統制の観点から見送りになった。その後の人事では旧軍・自衛隊の士官経験者の防衛庁長官・防衛大臣も誕生しているが、当時としてはまだ時期尚早で、なによりも野村が旧海軍軍人として大物過ぎたこと、そして日米開戦時の駐米大使としてあまりにも有名でありすぎたことが逆にたたる結果となった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E6%9D%91%E5%90%89%E4%B8%89%E9%83%8E

11. 2019年4月17日 14:32:30 : kndpfSUxjE : VHFYWWhWZUxiOE0=[14] 報告
今度やるときは空母いずもにF35を搭載してワシントン攻撃
12. 2019年4月17日 21:29:48 : ETdbtmk0KA : cmkxbHh5YVM0a0U=[45] 報告
追い出した 能ある者を 意図的に

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