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「間接民主制」の起源
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投稿者 中川隆 日時 2021 年 10 月 03 日 10:17:33: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 民主主義の起源 投稿者 中川隆 日時 2020 年 4 月 24 日 10:43:26)

「間接民主制」の起源

自民党は総裁選挙の「党員・党友投票」を廃止せよ 2021-10-03

 今回の総裁選挙で「ゾッ」としたのは、自民党総裁選挙が、事実上の「首相公選制」になりかけている事実です。


 野党の支持率が伸びないため、自民党の総裁=日本国の内閣総理大臣、という可能性が現在は極めて高いわけです。


 無論、建前上は「総理大臣は、国会議員の投票で選ばれる」ことにはなっています。とはいえ、現実には「自民党の総裁=内閣総理大臣」なのです。


 そして、自民党総裁選挙では、党員・党友が投票できる。


 無論、党員・投票が影響を与えるのは、半分の投票数には過ぎない。今回の河野太郎・新広報本部長が獲得した党員・党友票は44%でした。が、これが90%だったら?


 自民党国会議員の多くが、「次の選挙に勝つための顔」ということで、河野氏に票を投じたのではないでしょうか?


 あるいは、それ以前の話として、圧倒的な党員・党友票が故に、河野氏が一回目投票で過半数を占める可能性もあった。


 となると、事実上、党員・党友という「普通の日本国民」が総理大臣を決定することになる。すなわち、首相公選制です。


 首相公選制(的な制度)の何が問題なのかと言えば、我々日本国民の多くは普段は政治に興味がなく、「誰が、どういう人柄で、どういう政策を訴え、どういう実績がある」といったことは知らない、という点です。


 となると、投票用紙が送られてきたとして、「とりあえず、知っている人に入れる」というのは合理的行動です。


 かつてのように、中間組織が健在で、一般の国民、あるいは党員・党友が直接、国会議員と話し、「どの政治家が、どんな人物」といったことを「議論」したならば話は別です。とはいえ、グローバリズムにより中間組織が破壊され、多くの日本国民は「マスコミ」を通じて「政治家を知る」ことしかできない。


 となれば、「テレビでよく見かける」政治家に票を入れるのは、自然な心情です。例えば、「それっぽい改革」を熱烈に訴え、マスコミに「視聴率になる」と判断され、やたらTVに登場する政治家の「支持率」が上がる。


 今にして思えば、コロナ禍が始まって以降、東京都の小池都知事や大阪の吉村府知事が、ひたすら「TVに出ようとした」理由が分かります。いわゆる「スタンドプレー」ですが、彼らは単に、「自分を知って欲しい」と考えたのです。理由は、ほとんどの国民は、そもそも政治に興味がなく、政治家を「知らない」ためです。


 TVに出るためには、「その政策が国民ため」といった経世済民はどうでもよく、とにかく派手で、話題になればいい。そうすることで、自分を知ってもらえる。すると、次の選挙で「知られている自分と、知られていない競合相手」との戦いになり、圧倒的に勝利できる。


 しかも、自民党総裁選挙は、公示日直後に投票用紙が送られる。公示後の「政策論争」は関係ないのです。


 自民党の党員・党友の方々にしても、日常的に政治的な議論をしているわけではない。そのための「場」は、次々に破壊されていっている。


 となると、マスコミを通じて「知っている政治家」に、その後の政治論争は気にせずに票を投じてしまう。事実上の、直接民主主義になりかねない。


 三橋が直接民主主義を否定する理由は、二つあります。


1.我々有権者は、それほど頭がよくなく、しかも政治について関心を持たず、知識もない
2.結果的に、マスコミに頻繁に登場する政治家を、「知っている」というだけの理由で、支持してしまう


 古代ギリシャから、この種の直接民主制の弊害は明らかでした。


 だからこそ、イギリスの名誉革命以降、人類は「間接民主制」という制度を発展させたのです。

 間接民主制の国は、議会で議員たちが、それぞれの「利益団体」の利益を追求し、喧々諤々の議論になるため、なかなか物事が決まりません。


 それで、良かったのです。何しろ、特定の誰か(例:レント・シーカー、竹中平蔵、デービッド・アトキンソンなど)の利益を最大化する政策もまた、なかなか決まらないためです。かつての日本は「決められない政治」と批判されていましたが、今にしては「誉め言葉」のように思えます。


 90年代後半の政治改革以降、小選挙区制導入、政党助成金制度、そして内閣人事局設置と、日本は次第に「決められる政治」になってきました。結果、レント・シーカー、政商が望む政策が決められるようになった。


 成長戦略会議を初めとする「首相の諮問会議」に入り込んだ民間人が、自分の利益を最高する政策を首相に吹き込み、そのまま閣議決定。「特定の誰かの利益」のための政策が「首相指示」として国会に降ろされ、小選挙区制(の公認権)や政党助成金により縛られた(自民党の)国会議員たちは、そのまま通してしまう。


 最後の砦たる官僚も、人事権を握られているため、どうにも反抗のしようがない。


 これが、現在の日本の政治です。特定の誰かの利益最大化を目的とする政策が次々に決まる。議会は役に立たない。これを、「発展途上国型政治」あるいは「収奪型政治制度」と呼ぶのです。


 総裁選において、河野氏は自民党の部会での議論について「ぎゃーぎゃーやっている」との表現で批判しました。つまりは、議会や部会での議論が「邪魔」という話です。


 新自由主義者であり、小さな政府主義者でもある河野氏が、自民党での「議論」を否定したくなる気持ちは、良く分かります。


 とはいえ、自民党の部会での「ぎゃーぎゃー」が無くなった場合、単に「自分の利益を最大化したい特定の誰か」が望む政策が、速やかに推進されるようになるだけの話です。


 グローバリズムとしては、総理大臣が「間接民主制」で決まるという「迂遠さ」もまた、我慢がならないのでしょう。だからこそ、首相公選制などと言い出す。


 今回の総裁選挙を通じ、直接民主制の危険性が露呈しました。自民党は総裁選挙における党員・党友投票を廃止するべきでしょう。何しろ、「政治家を知らない」有権者は、「マスコミに頻繁に登場するから知っている」候補者に票を投じるだけです。


 同時に、岸田内閣には、成長戦略会議に代表される首相の諮問機関も、全て廃止して欲しい。同じ機能を持たせた「国会議員の会議」を作れば済む話です。


 今回の自民党総裁選挙は、直接民主制の危険性や、「議論」「議会」の重要性を改めて知らしめてくれたという点においても、価値があったと思うのです。

https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/  

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コメント
1. 2021年10月04日 13:24:27 : HNQh6kvMDI : aE12RU5RYUJ5ZmM=[9] 報告
始まりは2001年 2021年は「転換の始まり」になるのか?
2021-10-04
https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12701742193.html

 本日、誕生する岸田文雄「総理」は、
「小泉内閣以降の新自由主義の転換」
 を訴えていましたが、この「小泉内閣以降の新自由主義」が「なぜ」始まったのかと言えば、実は自民党の総裁選挙における「選挙方式の変更」によるものなのです。


 昨日、自民党総裁選挙の「地方票(党員・党友票)問題」について解説しました。中間組織が機能しない今、首相公選制や直接民主制に極めて大きな懸念を覚えます。


 もっとも、我々日本国民はすでにして、自民党の「疑似的首相公選制」の「被害」を受けているのでございます。


 2001年の自民党総裁選挙において、党員票が「都道府県1票」から「都道府県3票」になりました。つまりは、自民党の党員・党友の選挙権が「拡大」したことになります。


 それまでよりも「首相公選制」に近い形で行われた自民党総裁選挙で、地方票(当時は県連票と呼びました)は、何と
● 小泉純一郎 123票
● 橋本龍太郎 15票
● 麻生太郎 0票
と、信じがたい数字となり、議員票もまた一気に小泉氏に流れました。結果的に成立した第一次小泉内閣において、竹中平蔵氏が「民間人」として経済財政担当大臣に就任。日本国を衰退させる様々な「改革」が始まったのです。


 ちなみに、総裁選で敗れた橋下氏は、選挙戦において、
「私が内閣総理大臣の職にありました時、財政再建のタイミングを早まったことが原因となって経済低迷をもたらしたことは、心からおわびをいたします」
 と、97年の緊縮財政、構造改革について懺悔していました。


 無論、現在の日本の衰退の始まりとなったのは、97年の緊縮財政、様々な「改革」でしたが、それが後戻りできない構造になってしまったのは、2001年なのです。

 20001年に第一次小泉内閣が成立し、「民間人」の竹中平蔵氏が経済財政政策担当大臣に就任。
1.PB黒字化目標の導入(「骨太の方針2002」から)
2.潜在GDPの定義について、最大概念から平均概念に変更(「平成13年版経済財政白書(2001年12月)」から)
3.マクロ経済モデルを「インフレに苦しむ発展途上国向けモデル」に変更
※14年3月4日。自由民主党の西田昌司参議院議員が、国会でマクロ経済モデルは誰が、いつ変更したのかを質問しましたた。内閣府の担当官は「01年11月に変更された。内閣は小泉内閣」であり、その時の担当大臣は「竹中大臣」と回答しました)


 PB目標で、財政赤字の拡大を防ぎ、平均概念の潜在GDPでデフレギャップを縮小させ、さらに潜在成長率(実際には過去平均成長率)を低く見せ、そしてマクロ経済モデルで、
「財政拡大しても経済は成長しない
 と、政治家や国民に示す。


 結果、当然ながらデフレが継続し、様々な(デフレ対策の)「構造改革」が推進され、デフレが深刻化、長期化し、さらなる構造改革が進められる。
 この悪夢の循環の始まりとなったのが、2001年の「自民党総裁選挙」なのでございます。

 岸田内閣が「小泉内閣以降の新自由主義の転換」を本当に進めるならば、当然ながら竹中平蔵、デービッド・アトキンソン、金丸恭文といったレントシーカーを排除しなければなりません。

『岸田流「新しい資本主義」の正体 分配強化、影潜める改革
(前略)ただ、小泉改革の司令塔だった竹中平蔵慶大名誉教授が民間議員を務める首相官邸の成長戦略会議は廃止する方向。新たにコロナ後の経済社会ビジョンを描く「『新しい日本型資本主義』構想会議(仮称)」を置く。内閣府の規制改革推進会議も「デジタル臨時行政調査会(仮称)」へと衣替えする。
 首相直轄の国家戦略特区諮問会議の今後も焦点だ。竹中氏らが参画し、大胆な規制改革による街づくり「スーパーシティ」構想などを進めてきたが、新自由主義の転換とは摩擦もはらむ。(後略)』

 日経新聞に、早速「改革を後戻りさせるな」系の記事が載りましたが、成長戦略会議は廃止の方向ということです。
 とはいえ、あの連中は政府の様々な形で寄生しています。レントシーカーどもを全て排除するなど、自民党政権のままでできるのでしょうか(もちろん、期待はしていますが)。


 ちなみに、民主党政権期には、確かに竹中氏らは排除されました。というわけで、竹中氏は大阪に行き、維新という「自民党以上にグローバリズムを推進」する政治勢力を強化したわけです。


 いずれにせよ、新自由主義の転換は、簡単にはいきません。
 それでも、始まらないことには進まないのです。岸田総理が、少なくとも「始めた」ことは確かです。「転換」の始まりになるのかどうかは、未だわかりません。

 特に、PB黒字化目標という「新自由主義の根幹」に手を付けないのでは、結局は失敗に終わるでしょう(良くて中途半端)。


 第百代内閣総理大臣、岸田文雄首相には、レントシーカーが寄生する会議の廃止と同時に、PB黒字化目標の廃止(せめて凍結)を是非とも実現して欲しいのです。

https://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12701742193.html

2. 中川隆[-16056] koaQ7Jey 2021年10月08日 19:25:40 : OQtwHPKyGw : cy9paXN5QjZ1RGM=[25] 報告
自民党総裁選挙の党員投票から見えてくる「直接民主制」の危険性 [三橋TV第453回]三橋貴明・高家望愛
2021/10/08


3. 2021年10月14日 01:02:33 : 7oVtfDmDeg : LzhCUTNKYk9qZVU=[2] 報告
2001年 小泉内閣に竹中平蔵を送り込んだのは「誰」なのか? [三橋TV第455回]三橋貴明・高家望愛
2021/10/13


4. 中川隆[-16026] koaQ7Jey 2021年10月14日 03:06:33 : 7oVtfDmDeg : LzhCUTNKYk9qZVU=[3] 報告
ある地方の小選挙区でコイズミが選挙カーに登って郵政改革を叫び始めるや、つめかけた聴衆(多くは中年女性)は涎を流さんばかりに口をあけて

「ジュンチャーン」。

そしてケータイの写真。きっとメールで「撮ったわよ」と自慢したでしょう。

そのアホぶりに私は絶望しました。しかし終わると潮が引くようにほとんどいなくなった、とある新聞にはそう書いてありました。
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C02179.HTML


「自民圧勝を支えたのは都市部の働く女性」−。

労働団体・連合の関連研究所、連合総研は10日、首都圏、関西圏の会社員の男女を対象にしたアンケートから、そんな分析結果を明らかにした。

 労組に加入している男女とも自民党に投票した人が多かった。従来民主党が都市部の会社員を中心にした無党派層の票を獲得してきただけに、民主党を中心に支援する連合にとってもショックな結果。

 アンケート結果によると、女性は20−50代の各年代で40%以上が自民に投票。民主は最大で50代の29・8%にとどまった。男性は30代だけが自民支持40・7%と民主を上回り、ほかの世代では民主支持が多かった。

 労組加入者の男女は42・1%が自民で、民主は32・5%だった。

女性セブン4/19号より、

 「首相にしたい政治家No1」の素顔に大接近!
 「『愛しの小泉純一郎さま(59)』ってこんな人」

そして小泉の写真の横に、小さい活字で
 「林真理子さんの『抱かれたい男リスト』にも入った」


小泉純一郎さんのこと

 『サラダ記念日』を読んで、短歌を作るようになったという小泉純一郎さん。
初めてお会いしたときにも、たくさんの自作の短歌を見せてくださいました。小泉さんの、簡潔でインパクトのある言葉は、短歌というトレーニングによるところが大きいのかもしれません。

 そのころは、もちろん総理大臣ではありませんでしたので、対談場所のホテルに、ふらっと一人で来られたのが印象的でした。ほんとうに気さくな方で、話もはずみ、私は調子にのって、小泉さんの短歌を添削しちゃったりもしました。

 『チョコレート革命』のほうも、すごく読み込んでこられ、「これは、いろっぽい歌だよなあ」なんて、的確に評されるのです。

 私のまわりにも小泉ファンは大変多く、作家の林真理子さんや柳美里さんなども、めろめろのようです。

文学だけでなく、オペラや歌舞伎などにも造詣が深い小泉さん。こういう政治家が、もう少し増えてくれるとうれしいですね。

 彼が総理になってから、私もにわかに政治に興味を持つようになり、国会中継や、新聞の政治面などを、熱心に見るようになりました。道路特定財源とか、特殊法人のこととか、今まで知らなかった問題を、小泉さんの指摘によって、考えることができるようになりました。こういう人、すごく多いんじゃないでしょうか。

 これまで、積極的に政治家の応援というのはしたことがありませんでしたが、今回の参院選の政見放送で、小泉さんの聞き役というのを、依頼されました。これまでのご縁もあることですし、今小泉さんに会って、お話を聞けるなんて、なかなかないチャンスだと思い、お引き受けしました。

 意外だったのは、質問はすべて私が考えていいということです。これまでは、事務方の人が、綿密な原稿を書いていたそうですが、「そういうのを読んでくれる人じゃないので」とのこと。

当日も簡単な打合せだけで、しかもリハーサルはナシ。

これも小泉さんの、「練習なんかすると、新鮮味がなくなるよ」という一言で、そうなりました。

収録には50人もの人が立ち会い、さすが総理大臣! という雰囲気でした。でも小泉さんが、あいかわらず気さくな態度で接してくださったので、私もそれほど緊張はしませんでした。本番直前に「自民党がいいねと君が言ったから29日は投票に行こう」という歌を思いついて、ゴキゲンの小泉さんでした。健康に気をつけて、がんばっていただきたいですね。
http://www.gtpweb.net/twr/mguest31.html

初対面の人と話をしたりした時に、フと、「あれっ?この人は文章を書いたりする人だな?」と判ることもあります。商売になるかならないかは別として、読者を意識した文章を書く人は、視点なり、表現なりがちょっと違っていたりするもの。

先の総選挙での小泉さんの演説をニュースで見ましたが、あの演説は読者を意識した文章を書ける人の言葉。読者を意識するとなると、流れの中の「緩急」というものが重要になるわけ。ダラーと一本調子だと読んでいてもツマンナイわけです。たとえその文章に内容があったとしてもね。

だから緊張と弛緩を組み合わせて、流れを「作って」いくわけ。
緊張といっても、大声を上げて緊張させるというものではなく、たとえば疑問を提示するとかするわけ。

疑問を提示されると、受け手は考えることになる。だからある種の緊張状態になるわけ。そのような疑問を続けざまに提示すると、受け手は非常に緊張することになる。その時に「これだ!」と回答を出すわけ。「疑問符」「疑問符」「疑問符」そして「感嘆符!!」と流れを作ると、受け手は緊張から劇的に開放され「カタルシス」を味わうことができるわけ。

いきなり感嘆符を連発すると、受けては強圧的に感じてしまう。疑問符の後に感嘆符だから効果があるわけです。いうまでもなく、このように緊張からカタルシスへの流れを作っていくのはオペラでは常套手段。

オペラの台本は、あまり内容を膨らませすぎず、表現のスタイルの変化で、流れを作っていきます。小泉さんの演説は、オペラの台本とすれば極めて優秀なものと言えるでしょう。

ちなみに、小泉さんの演説を「疑問形」や「感嘆符」なしに、つまり単純な句読点のみの教科書的な文章に書き換えると、何も面白くはない。まあ、オペラの台本を文学的に云々してもしょうがないようなもの。

小泉さんの演説の草稿は、小泉さん自身が書いているそうですが、あれだけの文章は、おいそれと書けるものではありませんよ。

また、「総選挙で大勝利したから小泉首相は続投だ!」と言っている人がいますが、そんな理屈はまさに凡人の論理。「総選挙で大勝利したからこそ、任期いっぱいで辞める。」と考えるのが変人の論理。言葉が読める人は、それくらいはわかるものなんですね。
http://renewalmmbacknumber.hp.infoseek.co.jp/05-09/05-09-14.htm

小泉さんは、呆れるほど、オペラの技法を有効に使っているんですね。

オペラというものは、何百年に渡って積み重ねられてきた、観客に「ウケル」技法の集大成みたいなもの。観客の心をつかむテクニックがテンコ盛りなんですね。
そのような古人の知恵は有効に活用すればいいでしょ?

自民党と民主党なんて、政策自体には大差はありませんが、結果的には大差がついたでしょ?それはまさに「ウケル」テクニックを駆使したhowの勝利と言えるわけです。

では、具体的に見てみましょう。

1. つかみ・・・ダチョウ倶楽部というコメディアンが「つかみはOK!」とかギャグで言っていたそうですが、ある時点で、観客の注意をつかまないと、ダラダラと流れてしまう。やがては観客の注意が切れてしまう。だから往々にして、最初の頃に「つかみ」のセリフで、注意を勝ち取るわけ。

しかし、この「つかみ」も、その状況によって使い分けをする必要があります。書き物のようなものと、ライブパフォーマンスのようなものでは違うわけ。書き物のようなものなら、本当に冒頭に「つかみ」を持っていくことが可能ですが、ライブパフォーマンスで冒頭に「つかみ」を持っていくわけにはいかない。だって、まだ会場に来ていない客もいるわけですし、座席に座ったばかりですと、観客もまだソワソワしていたりするもの。つかみそこなうと、まさに「すべる」ことになる。ということで、オペラにおいては、まず序曲のようなもので、観客の心を落ち着かせ、その後に、「ど派手」なシーンでつかみを行うものなんですね。

たとえば、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」というオペラでは序曲の後、幕が上がると、いきなりレイプと殺人のシーンになります。あるいは、多くのイタリアオペラでは、序曲があって、その後幕が上がるとすぐに「ど派手」な合唱曲やアリアが歌われたりするわけ。序曲なしにいきなり「つかみ」を行うためには、観客がかなり早くから座席に座っていることが前提になる。だからリスクが大きい。まずは、観客の気持ちを落ち着かせ、その後に「つかみ」・・・これが多くのオペラの流れ。序曲なしにいきなり派手な合唱曲をぶつけるオペラもあったりします。たとえばプッチーニの「トゥーランドット」などもそのパターン。しかし、そのような場合では、その派手な合唱曲はストーリーには関係ないものにするわけ。冒頭は聞き漏らしてもいい。それがライブパフォーマンスでのつかみの鉄則。

小泉さんの選挙演説では、まずはご当地ネタをやったそうですが、それはオペラでいうと序曲にあたるわけです。まずは聴衆の気持ちを落ち着かせる意味があるわけ。そうやって落ち着かせておいて、その後の「つかみ」を確実なものにするわけです。

2. 緩急・・・この緩急の技法については、先日の後記で触れました。観客を緊張状態にして、そこから開放させると、劇的なカタルシスがもたらされるもの。観客に疑問を投げかける形で緊張させ、その後で解答を出すことによって、緊張から弛緩への流れを作ることができるわけです。オペラの進め方では常套手段です。

3. じらし効果・・・主人公を早めに出して、その主人公を中心にオペラを進めるのは、一般的なオペラですが、凝ったオペラだと主人公が中々出て来ない作品もあります。たとえば上記のプッチーニの最後の作品である「トゥーランドット」では、主役のお姫様のトゥーランドットは前半はほとんど出てこないし、全然歌わない。チラっと顔を見せるだけ。むしろ周囲の人間が「トゥーランドット姫は絶世の美人だ!」とか「トゥーランドット姫は冷酷な人だ!」と、トゥーランドットについて散々と語るわけ。語られるのに、出てこないので、観客は「早く出て来て歌ってよ!」と思うことになります。

そうやって観客を散々じらした状態においてから、満を持して登場させると、観客は「やったー!」と思いますよね?周囲の人が語るほど、観客の期待は高まるものでしょ?今回の選挙では亀井さんが小泉さんの悪口を散々言いましたよね?「小泉さんは冷酷な人だ!」とか・・・しかし、その言葉により、観客は「じゃあ、実際の小泉さんを見てみたい!」と思うわけ。亀井さんの言葉は小泉さんの登場を引き立てる見事な役割を果たしたわけです。これってオペラにおいては端役の道化の重要な役回りなんですね。今回の選挙キャンペーンでは小泉首相の露出を公示前にはできる限り限定したそうですが、これにより、観客にじらし状態を生み出し、主役の登場にインパクトを与えたわけです。

4. 極端で単純な対比・・・この選挙では「郵政改革に是が非か?」とテーマを単純化しましたよね?このような単純な対比はオペラでは必ず行うことです。だって短時間な舞台上演に小難しい議論はできないでしょ?テーマをわかりやすく絞る必要があるわけ。オペラだったら往々にして「愛に生きるか?それとも死んでしまうか?」そんなもの。極端で単純な対比なので、観客の注意は持続するわけです。

前記の「トゥーランドット」という作品でも、「お姫様を勝ち取るか?それとも処刑されるか?」という、生きるか死ぬかの極端な対比です。「百万円勝ち取るか?罰金10万円支払うか?」という対比だったら、観客はノレないでしょ?極端で単純な対比だから、観客は手に汗を握るわけ。小泉首相はあえて「過半数取れなかったら辞職」という危機的状況を作り出すことによって、単純で極端な対比を自ら演出したわけです。

5. 周囲の反対・・・今回の解散は小泉首相の周囲は反対しましたよね?それこそ森前首相などが反対しました。しかし、この反対が今回の自民党の大勝利につながったわけ。だって考えてごらんなさいな。森前首相が「解散やっちゃえ!」などと小泉首相を応援したら、国民の支持はこんなに小泉首相に集まったでしょうか?

周囲の端役の反対があるからこそ、主役の決意の固さが強調される・・・オペラでは常套手段です。それこそオペラ「トゥーランドット」でも第1幕のラストでは、カラフという王子が周囲からの「オイオイ、自分の命を大切にしなよ!」という暖かい助言を振り切って、「姫を得るためには死をもいとわない!私に試練を与えよ!」と大見得を切って幕が降りる。

これが周囲の人がカラフを応援したら、そんなドラマティックなシーンにはならないわけ。周囲の反対を振り切って、「愛か、死か」の場面に突入して行くからこそ、観客が盛り上がるわけです。それに周囲の反対があれば、観客はこう思うもの。「周囲の人はアナタの決意の意味がわからない。しかし、ワタシはアナタの決意を応援しているぞ!」

ちなみに「姫を得るためには死をもいとわない!私に試練を与えよ!」なんて解散前後の小泉首相の立場そのものでしょ?当然のことのように怒涛の拍手が来ますよ。だって劇場で最も見栄のある瞬間なんですからね。トゥーランドットの第1幕の後に万雷の拍手とブラボーの声が上がるのと同じ。

6. 決めポーズ・・・選挙演説なんだから気合を入れてやっているでしょう。だから言葉だって「強い」言葉を使うことになる。しかし、そのような強い言葉をどのようなポーズでやっているか?ということも大変に重要なんですね。まあ、選挙演説だったら拳を握りしめたポーズというスタイルが一般的でしょう。重要なことはそれが言葉とちゃんとリンクしているのか?ということ。

強い言葉と、強いポーズがリンクすることによって、強い決意を示すことができ、観客に強いインパクトを与えることができるわけ。決めセリフと決めポーズはリンクしているものなんですね。オペラだと男性だったら剣を高々と上げ、「さあ!やるぞ!」と言った決めポーズはおなじみです。女性だったら、ひざまずいたポーズで「どうかお願い!」とか・・・

言葉だけが会話の手段ではないわけ。決めセリフと決めポーズが生み出す劇的効果なんて、オペラだけでなく、それこそ「セーラームーン」のようなアニメでもあるでしょ?というか、「セーラームーン」を見たことがありますが、あの作品もオペラとかミュージカルが好きな人間が作っているのは明白な作品。今回の自民党の大勝利と、「セーラームーン」の高視聴率って、オペラティックな手法の効果的利用の結果という点では同じなんですね。

小泉さんは決めポーズも決まっているけど、民主党の岡田さんの決めポーズって思い浮かばない。この差って大きいわけ。それだけ観客へのインパクトが少ないということなんですね。ちゃんと決めセリフや決めポーズをやることを前提にして、演説を組みたてる必要があるわけ。だから、これは緩急の問題もあるわけ。決めポーズが決まるということは、それだけ話に緩急があるということです。勿論、もともとの芝居っ気の問題もありますが。

7. 多彩な女性キャラ・・・オペラを見ていて、登場人物が男性ばかりだったら、やっぱりつまらない。やっぱりキャラが立った女性が出てこないとつまらないわけ。民主党は女性議員はいても女性キャラとは言えない。それに対し、今回の自民党ではキャラが立った女性が登場していました。

ちなみに、オペラ「トゥーランドット」では、「愛を拒むお姫様のトゥーランドット」と、「愛に殉じるはかなげな女奴隷リュー」という2人の女性キャラが対比され、オペラの中心テーマである『愛』を鮮やかに浮かび上がらせているわけです。

ちなみに、プッチーニは上記のように「愛を拒む権力者の女性と、愛に殉じるはかなげキャラの対比によって、テーマである愛を鮮やかに浮かび上がらせた」わけですが、この文章の「愛」という言葉を「改革」という言葉に変えてみましょう。まあ、岐阜の選挙での佐藤ゆかりさんは女奴隷ではありませんが、どっちかというと「はかなげ」キャラでしょ?

大体が落下傘候補なんだから、例えば静岡で出馬した財務省出身の女性候補を岐阜にぶつけてもよかったわけでしょ?しかし、大臣経験者に対し一介の民間のエコノミストが立ち向かうという構図により、「一途さ」が出てくるわけ。大臣経験者と財務省出身者の戦いでは「一途さ」は出てこないでしょ?一途なキャラというものは、観客の心をつかむ重要な要素。オペラでは常に人気キャラなんですね。

8. キャスティング・・・登場人物と役の割り振りも重要。それこそオペラでも太った女性歌手を結核病の役にキャスティングするわけには行かないでしょ?それぞれ、役にあった人物を当てる必要があるわけ。たとえば、広島で出馬したホリエモンを、岐阜の野田聖子さんにぶつけることだって可能でしょ?どうせ落下傘候補なんだから。しかし、そうなると、女性に対し男性の刺客を送ったことになり、印象が悪くなる。

相手が女性であれば、より「か弱い」女性を刺客に送る。重厚なオヤジに対しては、若造を刺客に送る。これによって、保守的な世界に、「下から」立ち向かうという構図が出来上がりますよね?そのような構図を各地で作り上げることによって、小泉さん自身が「下から」立ち向かう人間のように印象付けられるわけ。

本来なら総理大臣なんだから最高権力者でしょ?しかし、刺客の人選とキャスティングを的確に行うことによって、小泉さん自身が最高権力者であることを忘れ去られてしまうわけ。もし、女性や若い反対派に対しオヤジ系の刺客を送ったら、国民の共感は得られなかったでしょう。そのあたりもヘマをしない。見事なキャスティングですね。

9. 舞台の位置・・・オペラなどで舞台でドラマを進めるにあたって、「舞台上のどの場所でやるか?」ということも当然のことながら重要な問題です。重要なシーンを観客に見えない位置でコソコソとやっても、無意味でしょ?劇場だと座席によっては、舞台の端が見えなかったりします。やっぱり重要なシーンは観客のみんなが見える位置でやらないとダメですよね?

今回話題になった岐阜は、かつて戦国大名が「美濃(=岐阜県)を制するものが天下を制する。」と言ったそうです。まあ、織田信長が居城をおきました。それだけ交通の要所だったわけ。昔だけでなく、今だって交通は便利です。東京から行くにも、名古屋から行くにも、大阪から行くにも行きやすい。つまり報道陣が取材しやすい位置にある。報道を通じて、観客に見せることが容易であるわけ。

これが別の反対派の大物である綿貫氏が立候補した富山県だったら、ちょっと行きにくい。つまり報道されにくいわけ。おまけに女性候補同士の対決となった岐阜と、財務省出身の女性候補が立候補した浜松(こちらは徳川家康の居城があったところ)は距離も近い。取材クルーが一日目に岐阜で取材、次の日には浜松で取材というスケジュールを組むのが容易であるわけ。それだけ取材してもらえる可能性が高くなる。だから観客に注目されやすいわけ。話題になった・・・のではなく、話題に仕立て上げたわけです。オペラでいうと、舞台中央でスポットライトを当てたわけです。


今回の選挙については、多くの人が様々な分析をされるでしょう。
私は政策(=what)の問題は度外視して、純粋にhowの観点から、分析してみました。
小泉首相が無類のオペラ好きであることが、本当によくわかるでしょ?単にオペラが好きでCDやヴィデオでよく聞いているというだけでなく、舞台でのオペラ公演を相当聞いていないとできない芸当ですね。

まあ、これだけのことはやっぱり天性の芝居っ気がないと無理。芝居っ気がある人は、ピーンと来るものなんですね。

しかし、このようなことは一般的なプレゼンテーションなどにも使えるわけです。「つかみ」とか「緩急」などは必須の技法。それこそ、就職試験での採用面接の場面だって必要になります。面接官の質問に丁寧に答えるだけではダメ。面接官の質問から強引にでも、「つかみ」の言葉を切り出し、自分の主導権の元に緩急を考えながらプレゼンテーションを行うくらいでないと、面接官にインパクトを与えられないものなんですね。

実際に、小泉首相と民主党の岡田さんの間には、言葉の内容そのものには大差がありません。どう表現するか?によって、これだけ結果的に大差がつく・・・このことはどんな分野でも当てはまることです。勿論、家庭という場だってネ。


本文中で散々と引用したプッチーニの最後のオペラの「トゥーランドット」ですが、エンディングはこんな感じ。
『愛を拒んでいたトゥーランドット姫が、異国の王子カラフの熱い口付けによって、彼の心からの愛を理解し、その愛を涙を流しながら受け入れ、2人は手に手をとって幕となるわけ。』

反対派の野田聖子さんが小泉首相の口付け・・・は、ないでしょうが、ともかく小泉首相の言葉を涙を流しながら受け入れる。そして2人が手に手を取ってフィナーレ・・・なんてなったらとんでもなく劇的でしょ?

野田さんも泣くなら今のうち。その効果を誰よりもわかっている小泉さんなんだから、泣いて「彼の名は改革です!」なんて言えば、除名なんてなりませんよ。むしろ彼女の将来が開けるというもの。
http://renewalmmbacknumber.hp.infoseek.co.jp/05-09/05-09-19.htm

あたしは、ずっと前から思ってたんだけど、小沢一郎って、自分の言葉で話さない。どんな時でも、原稿を棒読みするだけだ。それも、小学生が作文を読んでるみたいな調子で、読み方に抑揚がないから感情が伝わって来ない。実際には熱意を持ってたとしても、それが聴衆には伝わって来ないのだ。

昨日の日曜日、民主党は、都内のホテルで臨時党大会をひらいて、小沢一郎が3期目の所信表明演説をした。演説の内容は、「この一戦に政治生命を懸ける。精神的にも肉体的にも最後の一戦だ」「今こそ日本を変える時だ。日本を変えるラストチャンスと言っても過言でない」って、なかなか気合いの入ったことを言ってたけど、それが、1〜2秒おきに手元の原稿に目を落として、ほとんど前を向かずに、抑揚のない棒読みを続けてるだけだったから、いつもとおんなじに熱意が伝わって来なかった。

たとえば、「この一戦に政治生命を懸ける。精神的にも肉体的にも最後の一戦だ」っていう、わずか10秒にも満たないこれっぽっちの言葉でも、この間に4〜5回も原稿に目を落とした挙句、言い終わってからもずっと下を向いてる始末。これくらいのセリフ、どうして暗記して正面を向いて言えないのか。これは、リーダーを目指す者として、激しくマイナスだ。

逆に言えば、どんなに最悪な人間でも、演説さえうまければ選挙に勝てるってことだ。コイズミが演説する時は、どんな時でも原稿なんか読まなかった。顔を上げたまま、単純明快なフレーズを繰り返すだけだった。コイズミは、どんなにトンチンカンなことでも、正面を向いて自分の言葉として叫び続けたから、バカな国民たちは、コイズミのしゃべってる内容じゃなくて、その勇猛果敢な姿にこそ、リーダーとしての資質を感じて、ウッカリと支持しちゃったのだ。だからこそ、国の宝であるお年寄りたちを切り捨てる「うば捨て山制度」を作った元凶だってのに、未だにコイズミなんかを支持してるオッペケペーもいるほどなのだ。

‥‥そんなワケで、今は、このニポンが、かつて経験したこともないほどの経済的危機に立たされてる。それはもちろん、あたしたち国民が、コイズミっていう間違ったリーダーを選択したことによる、虚構の「いざなみ景気」の返り血を浴び始めたからだ。経済だけじゃなくて、食の安全の崩壊による日常的な不安から、年金制度の崩壊による老後の不安まで、すべてコイズミ改革の負の遺産によって、あたしたちの生活は根本的な部分から崩れ始めてる。この国の将来を担うハズの若者たちは、ワーキングプアにあえいで夢も希望も失い、時代に逆行した原発の乱立で、ニポン列島自体が、常にチェルノブイリの二の舞になる危険と隣り合わせの状態だ。

こんな時、大衆が求めるのは、強いリーダーシップだ。どんなにトンチンカンなことでもいいから、原稿など読まずに、前を向いて自分の言葉を発信し続ける者にこそ、「この人なら何とかしてくれるかもしれない」って期待するのだ。逆に言えば、原稿を読まなくちゃ自分の考えすら伝えられない者など、自分の考えを持ってないのも同然だと見るのが、政治家に対する国民てもんだ。だから、小沢一郎が、本気で政権交代を目指してるんなら、金輪際、原稿を棒読みするのはやめるべきだ。今、この国の大衆が求めてるのは、原稿を棒読みして素晴らしい政策を語るリーダーじゃなくて、支離滅裂なことを連呼しても、前を向いて自分の言葉を発信するリーダーだからだ。

コイズミと竹中へーゾーの売国奴コンビが、ニポン人の財産をアメリカへ献上するために計画した「郵政民営化」にしたって、あの政策の内容を正確に把握してた国民がどれだけいるのかって言えば、ほとんどいないだろう。原稿など読まずに、前を向いて自分の言葉で「改革だ!」「改革だ!」って連呼し続けたコイズミの姿を見て、「この人の言うことなら間違いないだろう」「郵政民営化が何なのかよく分からないけど、コイズミさんがここまで言うんだから、きっといいことなんだろう」って思って支持した有権者がほとんどなのだ。

その証拠に、コイズミは、「民営化することによって既得権益の仕組みを変える」とか偉そうなことをノタマッてたけど、いざ、民営化されてみたら、数多くの郵政省の人間たちが新設された関連企業に天下りしちゃって、何ひとつ変わらなかったじゃん。それなのに、当時、コイズミを支持した人たちって、誰も文句を言ってない。これこそが、ぺテン師のペテン師たるユエンてヤツで、騙されたほうが騙されたことにも気づかないってワケだ。

http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2008/09/post-6fca.html

「小泉首相にワン・フレーズ・ポリティックスをアドバイスしたのは電通と聞いています」

 広告業界関係者はさらりと言って、こう続けた。

 「小泉政権が誕生した二〇〇一年に、小泉さんと電通卜ップとの一席が設けられ、そこで電通卜ップが広告業界の話をしたというのです。

 クライアント(顧客)は一五秒のコマーシャルの中でいろいろなことを言いたがるが、

『ワン・コマーシャルでワン・メッセージでないと伝わらない』

と言っている、という内容で、これを聞いて小泉さんは、多言を弄するのではなく、ワン・メッセージで端的に言う大切さを悟ったというわけです」

 「改革」を旗印にスタートした小泉政権は、

「自民党をぶっ壊す」「聖域なき構造改革」などのキャッチフレーズを連発、驚異的な支持率を記録した。

自民党内にプリクラが置かれ、携帯電話ストラップまで販売された。そんな小泉人気の原動力になったワン・フレーズ・ポリティックスは、電通トップの助言がきっかけというのだ。

 政治評論家の森田実は『月刊日本』(○三年一一月号)でこう指摘した。

 「小泉氏は、実は二年前の春の自民党総裁選で、某広告会社にプロジェクトチームを作り、総裁選戦略を研究させた。

彼らは米国型のメディア活用方法を取り入れた。

広告会社から提案されたのが、例の

『自民党を変えます』

『日本を変えます』

『構造改革なくして景気回復なし』

という、すべて十五秒以内のスローガンの羅列――つまり、ワン・フレーズ・ポリティックスの手法だ。

この『ワン・フレーズ・ポリティックス』の手法は、商品を売る広告テクニックを政治の世界に利用したということだ」

 森田の指摘と業界関係者の話は、ぴたりと重なる。
 また民主党の中堅国会議員に、この森田の指摘を伝えると、「某広告代理店は電通。

小泉首相に電通がアドバイスをしているのは広告業界では有名な話です」

との即答が返ってきた。
 だが、「電通があたかも国家的陰謀に関与してきたかのようなイメージは、電通を実体以上に見せる効果を与えてきた。電通もそれを知っていて、あえて否定も肯定もしないでいる」(電通OB)という側面も
http://www.asyura2.com/0505/senkyo11/msg/454.html

小泉首相は大衆操作の達人

小泉劇場の影の演出家で、「メディア戦略のプロ」を自認する飯島勲首相書記官は、テレビを重視して次のように語っている。  

 「小泉はどんなにしゃべってもワンフレーズとよく言われる。しかし、テレビは限られた時間の中で政治・経済・社会・海外までニュース報道しなければならない。結果として報道されるのはワンフレーズになる。カメラがあると、どの映像にもワンショット、ワンフレーズ、一言が必要になる」

「国民は忙しくて新聞など読まない。テレビとスポーツ新聞を押さえればよい」。

要するに、小泉首相は、こうした演出家の指南に基づき、意識的にワンフレーズで語っている。はじめから政策論争なんてするつもりはないのだ。  

 さらに、こうした小泉陣営の大衆操作・メディア操作の手法は、実はブッシュ大統領陣営から学んだものだ。

ブッシュ大統領も、

「米国につくのか、テロリストにつくのか」とか

「正義の米国、邪悪なテロリスト」

と善悪二元論に単純化して国民に訴える(操作する)手法を得意とする。

こうしたメディア戦略は、ブッシュ自らが大統領選勝利の「設計者(The Architect)」とよぶカール・ローブ大統領次席補佐官が発案・指揮している。カール・ローブは、それこそブッシュの一挙手一投足まで演出していると言われる。小泉首相はそれをマネているのだ
http://www.asyura2.com/0505/senkyo14/msg/809.html

2005年9月11日総選挙の直前、政府とマスコミは協働して宣撫作戦を行い、国民を詐欺にかけた。これを主導したのが竹中氏や世耕氏であった。彼らがメディア戦略でやったことは、メディア・リテラシーのまったくない層、すなわち彼らが言うB層国民を主に籠絡することだった。その手法は、ナチの宣伝担当相ゲッベルズがやったような単純でインパクトのある言葉を執拗に繰り返すことだった。竹中・世耕宣撫工作班は、その宣伝に、小泉元総理のワンフレーズ・ポリティクスを繰り返して報道させるという手法をとった。

 すなわち、「郵政民営化、是か非か?」、「民間にできることは、できるだけ民間に任せる」、「なぜ郵便局員が公務員でないといけないのか」と、まるで無意味なことを、お題目のように繰り返してテレビで流しまくった。こんな愚劣なものを公共の電波に乗せること自体、国民を愚弄しているが、彼らの宣撫工作と考えれば、見事な大衆操作だったと言うしかない。たしか、ヒトラーの書いた「我が闘争」だったと思うが、嘘も百回繰り返せば真実になるということが書かれてあった。洗脳報道だ。結果的に、国民はすっかりこの愚民化キャンペーンに乗せられてしまった感がある。

 当時はこういう状況だったから、国民は四分社化の真の意味に頭を使う状況ではなかったと思う。小泉政権のペテン性にかなり憤っていた当時の私も、「四分社化」については、まったく意識になかったのである。当時、私は、小泉・竹中構造改革と彼らの主導した民営化そのものがペテンだとは思っていたが、四分社化の怪しさには気付かなかった。この当時の政府は異常だった。国民に法案の正しい全貌を周知させるどころか、知らせなければならない部分にベールをかけて徹底的に国民の目を逸らすことをやっている。

 小泉政権は、郵政民営化に関し、ある重要な部分については、故意に説明責任を果たしていないのだ。それは郵政事業が民営化して株式会社となり、株式が上場された場合、莫大な郵貯資金と簡保資金が外国資本の支配権に委ねられることがあるのかないのか、あるとすれば、そういう敵対的乗っ取りに対して、どういう防御策が講じられるのかという側面である。国会審議も、メディアの報道も、この肝心な点については徹底的に神経質に議論を封じていた。

 これを象徴する出来事は、2005年8月31日、テレビ朝日系列「報道ステーション」で、古舘一郎司会者の奇怪な行動に表れていた。番組内でゲストの小林興起議員が、郵政民営化はアメリカ政府の要求だと話し始めた途端に、古館氏は急に態度が激変し、その話の展開を遮った事実がある。これをご覧になった人は多いと思う。以下、「kobaちゃんの徒然なるままに」というブログから該当箇所を引用させていただく。


事の発端は郵政民営化問題で、日本共産党の市田忠義書記局長が 「民営化で喜ぶのは日本とアメリカの銀行や保険会社だけ」と指摘。 その後、新党日本の小林興起氏が「アメリカ政府の要求だ」と話し始めた時だった。

「三百四十兆ものお金を外資に食われるような、 そんな愚の骨頂のようなことをだれがやるのか。ちょっと安倍さん」

突然強い言葉で発言をさえぎり、自民党の安倍晋三に意見を求めようとした。 古館、小林氏、安倍の声が重なり騒然となった。 市田氏が重ねて「アメリカの要求は事実」と指摘すると、再び古舘が割って入り、「アメリカに食われるために郵政を民営化するなんて… そんなに国民の目は、だまされるほどバカじゃないんで」、 「まず入り口として郵政民営化をやらなきゃいけないって考え方がある」。 最後はほとんど絶叫調だった。

 これを見た視聴者から抗議の電話が殺到し、後日番組で謝罪した。私も番組中何度もTV朝日に電話をしたが繋がらず、結局メールで抗議文を送った。

 私もこれは見ていた。当時はこの番組に限らず、民放各局は郵政民営化の「アメリカ策謀論」、「外資脅威論」を徹底的に封印しているのだ。つまり、郵政民営化論議中に、誰かが外資やアメリカに言及すると、司会者が考えられないような速効でその言動を排除していたのだ。私も何度か見ている。アメリカや外資というキーワードを誰かが出した途端に、司会者がすぐにその発言を制止したのだ。一つのセンテンスを言い終える間も与えなかったように思う。ゲストを招いていながら、こういう異様な司会はそれまで見たことはなかった、

 つまり、小泉政権は外資脅威論やアメリカ策謀論を徹底的に封じ込める作戦を最優先に取っていた節がある。だからこそ、郵政民営化というのは最大のペテンだと思うわけである。

 これ以降は、また別記事に書くが、私は、郵政の四分社化こそが、アメリカの最大の要望だったと見ている。このことと、2007年5月の三角合併解禁を思い合わせてみればいい。四分社化形態というのは、郵政民営化の中心的要件ではない。国民利益の観点から見た場合、四分社化の必然性はないと思う。この必然性があったのは、唯一アメリカ系ファンド、つまり国際金融資本側の論理から出ているのである。

http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2009/06/post-37f3.html

知的レベル・政治意識の高い階層は騙すことが出来ないので、「IQの低い、イメージだけで物事を判断する傾向のある、主婦・子供・シルバー層の支持を取り付けて郵政民営化を強行しよう」というのが、小泉一派の方針だそうです。

竹中大臣の知人の会社が作成した内部文書が暴露されています。

「小泉内閣支持基盤はIQの低い「主婦層や子供、シルバー層」といった具体的なことはわからないが、小泉総理のキャラクターだけを支持している層が多いから、その層を中心に学習を促進させれば、容易に騙すことができる」ともとれる内容の大衆扇動手段が提言されています。

質はどうであれ、数だけそろえて、小泉支持の声を上げさせているわけです。創価学会の低所得層の大量動員と同じ発想ですね。そして、民営化に反対した議員には、女性対立候補を刺客としてどんどん送り込んでいます。

これこそが、「イメージだけで判断する、あまり脳細胞を使う習慣のない主婦、子供、シルバー層」の票を狙った狡猾な手口です。

どうせ主婦なんかに、民営化の議論など解りはしないと馬鹿にされているわけです。

「改革改革」と繰り返せば、主婦や子供は、本当に改革派だと思い込んでくれる、「抵抗勢力だ」と繰り返せば、無知蒙昧な主婦層は、抵抗勢力と名指しされた人たちは、本当に悪い奴らだと思い込んでくれると計算しているのです。どんな無知無能な有権者でも、一票は一票ですから。ユダヤ人がアメリカで培ってきた選挙戦のノウハウが、そのまま投入されているように思います。
http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/yuuseiminneika.htm

「B層」の定義

今回の衆議院選挙の特徴は先週号で述べたように、与党である小泉自民党の主張が丸ごとデマだったと言うことと、このデマに多くの人々が引っ掛かって自民党に投票したことである。これまで日本の場合、デマは野党の手法である。しかし反対に民主党は、マニュフェストとか言う今風の政権公約を作成し、デマの要素を小さくした。例えば公的年金のため、消費税の3%増税の国民負担が必要と訴えた。

もっとも民主党の党是は「小さな政府」である。「小さな政府」を追求するのなら、この公的年金の充実や子育て支援などは、本来放っておいて良いテーマである。皮肉にも、マニュフェストでこのような政策をより明確にしたからこそ、民主党の方針の矛盾が目立つことになった言える。この点を与党に攻撃されたのである。つまり全てをデマで固めた小泉自民党が、デマの要素を小さくした民主党に、都市部で圧勝したのが今回の選挙結果である。


しかしここに重要なポイントがある。日本の国民が求める政策は、公的年金の整備、小子化対策、福祉政策の充実、派遣社員・ニート対策、景気対策、治安対策などであるが、全て小さな政府では実現不可能なものばかりである。小泉自民党と民主党は「小さな政府」が国民にとって良い政策なのだと競っているが、「小さな政府」と国民が欲している政策の間には大きな矛盾がある。実際、自民党の立候補者は幹部を除き、郵政民営化に言及せず、選挙民には他の政策を訴えていた。

政府の規模に関して、国民新党だけが「政府は効率的であることは必要だが、政府の規模はその時の情勢による」とまともな主張をしている。これは本誌の主張とピタリ一致する。また景気回復には、一時的な財政支出の増大による景気対策も必要と言っている。このように訴える政策と主張する政府の規模に矛盾がないのは国民新党くらいなものであった(共産・社民は政府の規模の話には言及していなかった)。さらに国民新党は、巷間大きいと言われている日本の政府の純債務が、国際的に見て決して大きくないことを説明して、政府支出増大の合理性を説いている(国民は、多分にデマ話に騙されている)。筆者は、何もしない「小さな政府」なら、ない方がましと考える。


しかしそれにしても多くの人々が小泉自民党のデマに騙され、自民党に投票した。自民党が有権者をセグメントし、それに対する広報・宣伝活動をして来たことは知られている。本誌の05/7/11(第397号)「郵政法案と小泉政権の行方」で、

「『小泉内閣支持基盤である主婦・老人層=具体的なことはわからないが、小泉総理のキャラクターを支持する』【IQの低い層】

に分類し、後者に絞って民営化チラシを配布せよ」

とチラシ受注会社が政府に提示した文章が、国会の質議を通じ公になったことを伝えた。しかしこれとは別に選挙中に「B層」という言葉が登場した。前者は政府と業者の間の文書に現れた表現であり、後者はどうも自民党の広報担当のセグメントらしい。

しかし両者に大きな差はないと見る。筆者は、自民党の広報活動はこれらの主婦・老人層を対象にしたが、これまで投票に行かないような若者までが思いがけなく大量に引っ掛かったと想像する。小泉自民党にとっては、この考えの浅い若者の投票行動は嬉しい誤算であった。

要するに「B層」を主婦・老人層や【IQの低い層】に限定することはないと考える。デマに影響されやすい層とすれば良い。

デマはマスコミを通じ流されるのだから、マスコミに影響されやすい人々を「B層」と定義すれば良いと筆者は考える。当然、多数の若者や軽いインテリもこの「B層」に含まれる。

実際、テレビの視聴時間が長い者ほど小泉政権の支持率が高いという調査結果がある。

また本誌で取上げて来た改革派無党派層とも重なる。もっとも小泉首相の4年間の国会におけるパフォーマンスも、この「B層」を対象にしたものと考える。これに対して小泉首相を忌み嫌う人々は極めて多い。この人々はほとんど保守的な人々であり、マスコミに影響されることが少ない人々である。


選挙後、この小泉自民党に投票したこの「B層」と思われる人々へのインタビューがテレビ放送されていた。凄まじいものであった。

語る言葉もたどたどしい29才フリータは、自民党に投票した理由を「郵政民営化に賛成だから」と答えていた。もちろん郵政民営化の中味は知らない。

静岡7区では、おばさんが「片山さつき氏の方が城内実氏より改革が進むから」と落下傘候補に投票していた。

まさに「B層」対象の広報活動の成果である。

ちなみに城内氏が郵政法案に反対した最大の理由は、自民党執行部による郵政法案成立のための強引な手法を危惧したことにある。これを認めたなら、次には人権擁護法案などにも同様の手法が採られると考えたからである。実際、今回、人権擁護法案についてはかなり強引な手法が用いられ、自民党内で法案提出の直前まで行っていた。

東京新聞に小泉自民党に投票したこのような20代の声が掲載されていた。

「小泉さんがいいと思ったのは、おれは死んでもいいと言ったこと。格好いいなと思った」、

「郵政民営化は賛成だが、中身はよく分からない、でも分からなきゃ投票しちゃいけないってわけじゃないでしょ。ほとんど分からないままじゃないの?」、

「ネットでみんなが自民党を支持してた。何となく行かなきゃと思って」


と言った調子である。本当に身震いがする。

悪い人切るの なんかクール

本誌がずっと主張しているように、日本のマスコミの小泉政権に対する肩入れが露骨である。大新聞の論説委員だけでなく、テレビ番組の司会者、コメンテータ、バラエティータレントまでが選挙が近付くにつれ、小泉自民党に有利に働くような言動が目立つようになった。特に郵政法案への反対票を投じた立候補者への攻撃も、投票日が近付くにつれ激しくなった印象が強い。また後ほど述べるが、一方では目立たなく巧妙に行われ、一般には分かりにくいマスコミの関与もあった。

デマがデマとして機能するには、これが人々の間に広まることが必要である。今日、これを効率的に行うことを担ったのが日本のマスコミである(どうも米国のマスコミも片棒を担いだ可能性がある。ニューズウィーク日本版が露骨な小泉支持の論調を展開していることは以前から周知の事実である。)。

マスコミを味方につけ、小泉自民党のデマはどんどん広まった。この結果、「B層」の大量投票を集めた自民党が大勝した。


前述した東京新聞の20代の声の中に

『「ぜんっぜん政治には興味ない。テレビ見てるけどバラエティーばっかりだし、ニュースになるとチャンネル変えるし。新聞は一度も読んだことない。悪いけど」

と言うのは制服姿でたばこを吸っていたコンビニ店員(21)だ。大田区の実家から通っていて、両親に誘われて「仕方なく」選挙に行ったという。

「亀井さんとか自民党の中の悪いのを敵にしてやったんでしょ、今回は。そういうのをズバッと切ったんでしょ。なんかクールっていうか格好いいじゃない」』

と言っているのである。この若者は典型的な「B層」の一員である。ところが不思議なことに新聞は読まない、ニュースを見ないというこのような人々にも、ちゃんとデマは届いているのである。

しかし筆者は、テレビ番組の中でジャーナリストの大谷昭宏氏が、自民党を追出された郵政法案に反対した議員をさかんに「汚れた鳩」と表現しているのを見て納得した。選挙中からこれに似た発言は他のテレビ出演者からも出ている。おそらくこのような発言を直接・間接に聞いた若者が、郵政法案反対派の政治家を「亀井さんとか自民党の中の悪いのを〜」と思い込んだとしても不思議はない。
http://adpweb.com/eco/eco406.html

亡国のリーダー?ゴルバチョフと小泉純一郎

 ところで、共産党の解体を視野に入れていた共産党書記長というと、「自民党をぶっ壊す!」といった自民党総裁を思い出す。実際に、この時期以降のゴルバチョフは、小泉首相と不思議に似ているのだ。

 まず、二人とも、国家と癒着した万年政権党――ソ連共産党も自民党もその点では同じだ――のリーダーとして、活力を失った社会の建て直しを過大にして登場した。それをゴルバチョフは「ペレストロイカ」、小泉は「声域なき構造改革」とスローガン化したわけだが、二人とも、スローガンは繰り返すものの、何のためのペレストロイカか、何のための構造改革化、国民にきちんと説明しようとしない点もよく似ている。

 そして、「ウスカレニエ(加速化)」、「ノーヴォエ・ムィシュレーニエ(新思考)」、「グラスノースチ(情報公開)」など次々にキャッチフレーズを打ち出しては耳目をそれにだけ集中させて局面を乗り切るワンフレーズ・ポリティクスの点でも、ゴルバチョフは小泉の大先輩である。

ゴルバチョフは、ワンフレーズで事態のすべてを説明しようとした。

ぺらぺらよくしゃべるのだけれど、キーはいつもワンフレーズ。

それによって短い局面での風をつかみ、その連続で状況対応的に動いていく。
この政治スタイルは小泉とも実によく似ている。


 それは裏返せば、もともとリーダーとしての政治理念、哲学、政策体系を持っていなかったということなのだ。

この点でも二人は共通している。ただ、後付として理念を打ち出したりしたが、それも抽象的であいまいなものだった。そして、その後付の理念として、「自由化して競争を導入すればみんな上手く行く」というような市場原理・民営化万能論を持ち出す点においても、ゴルバチョフと小泉は共通していたといえる。

 また、この時期以降のゴルバチョフは、党書記長でありながら、党の問題、党内での対立を党内に訴えることによって解決していくのではなく、うちの問題を外に出して国民に訴えることによって党内の力関係を変えていく手法をとっていった。これは、党内の意見の相違を党内で論議して解決するのではなくて、国民に訴えて反対勢力を「抵抗勢力」として排除していく小泉のやり方と酷似している。

 そもそも、他人の意見を聞くのが嫌なのだ。独裁者というよりは独善者なのだ。独裁者というのは、独裁の責任を一身に負うもののことだが、二人ともそんなことは使用とはしない。そして、二人とも党や政府のリーダーでありながら、「大統領的書記長」「大統領的首相」を目指し、それに近いふるまいをしてきた点でも共通している。

 特に、1989年3月に複数候補制による人民代議員選挙を実施して、守旧派の共産党役員を大量に落選させ、党内の力関係を買え、国会に当たる人民代議員大会に確固たる権力基盤を築いたゴルバチョフの手法は、2005年8月に郵政民営化法案が参議院で否決されたとき、衆議院を解散して「郵政民営化の是非を問う国民投票」だと称し、反対派を落選させて、党内の力関係、国会での権力基盤を劇的に変えた小泉の手法とよく似ているし、発想が殆ど同じだ。

 例えば外交手腕の違い、教養の差など、二人の間にはいろいろな違いはある。ゴルバチョフは、さすがに他国首脳との付き合い方、交渉の仕方を身につけていたけれど、小泉はまるでだめだ。ブッシュの肩をたたいて「サン・ライジング、ジャパン」と叫ぶだけだ。

ゴルバチョフは、旧約聖書を正確に引用でき、プーシキンを語ることができたが、小泉はせいぜい信長を書いた時代小説に読み耽るだけだ。

 だが、このように政治スタイル、手法においてココまで共通しているということは、なにやら不気味な結末を暗示しているように思われてくる。ともあれ、ソ連では、ゴルバチョフのこうしたスタイルと手法が、急速に破滅を招きよせて言ったのだ。日本でも、同じことになるのは十分に考えられるのではないか。憂慮を深めざるを得ない。
http://www.asyura2.com/0601/senkyo20/msg/1015.html  

5. 中川隆[-16025] koaQ7Jey 2021年10月14日 03:11:14 : 7oVtfDmDeg : LzhCUTNKYk9qZVU=[4] 報告
民主主義って本当に大丈夫なの?


ある地方の小選挙区でコイズミが選挙カーに登って郵政改革を叫び始めるや、つめかけた聴衆(多くは中年女性)は涎を流さんばかりに口をあけて

「ジュンチャーン」。

そしてケータイの写真。きっとメールで「撮ったわよ」と自慢したでしょう。

そのアホぶりに私は絶望しました。しかし終わると潮が引くようにほとんどいなくなった、とある新聞にはそう書いてありました。
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C02179.HTML


「自民圧勝を支えたのは都市部の働く女性」−。

労働団体・連合の関連研究所、連合総研は10日、首都圏、関西圏の会社員の男女を対象にしたアンケートから、そんな分析結果を明らかにした。

 労組に加入している男女とも自民党に投票した人が多かった。従来民主党が都市部の会社員を中心にした無党派層の票を獲得してきただけに、民主党を中心に支援する連合にとってもショックな結果。

 アンケート結果によると、女性は20−50代の各年代で40%以上が自民に投票。民主は最大で50代の29・8%にとどまった。男性は30代だけが自民支持40・7%と民主を上回り、ほかの世代では民主支持が多かった。

 労組加入者の男女は42・1%が自民で、民主は32・5%だった。


女性セブン4/19号より、

 「首相にしたい政治家No1」の素顔に大接近!
 「『愛しの小泉純一郎さま(59)』ってこんな人」

そして小泉の写真の横に、小さい活字で
 「林真理子さんの『抱かれたい男リスト』にも入った」


「絶対笑わないでください。笑顔を見せてはダメです」
 9月 11日夜。歴史的な大勝利をおさめた自民党の党本部。午後9時を過ぎたあたりから、NHK・民放テレビ各社の総選挙特番は、党本部の会見室と中継でつなぐ。各局の呼びかけに応じて安倍晋三幹事長代理、武部勤幹事長、青木幹雄参院議員会長、そして小泉純一郎首相らが会見のために次々と登壇する。ところが、その幹部らを直前に一人一人呼び止めて「笑わないで」と声をかけ続ける男がいた。

今回の選挙のために党内に設置された「コミュニケーション戦略チーム」の責任者である世耕せこう弘成・参議院議員である。

「このままいくと単独で過半数、いや300にまで届く勢いです」
 幹部に迫るその表情は厳しかった。

「怖いのは反動です。嬉しくて冗談のひとつも言いたい気分でしょうが、大勝したとたんに気が緩んだと、国民には映ります。謙虚に謙虚に、責任の重さを痛感していることをアピールしなければダメです。有頂天になっていたら、今日、われわれに投票してくれた無党派層は、明日から反自民・民主支持に変わってしまいますよ」

「わかった」
「はい。じゃあ、行きましょう。いいですか。絶対笑ってはダメです」

 たしかに、この夜、テレビに映る自民党幹部たちはほとんど笑わなかった。とりわけ小泉はそうだった。

その様子をテレビの解説者は「(硬い表情は)責任の重さを痛感しているのだろう」と伝え、翌日以降の新聞・雑誌も「予想以上の勝利に対し、結果を出さなければという重圧と責任感を感じていた」などと形容した。

勝利に浮かれることなく、真摯に政権運営に臨のぞむ――という真面目な自民党のイメージが国民に伝わり、まさに世耕らの狙い通りの展開になったのだった。


今回の取材を通じて選挙の舞台裏で起こっていた真実をつかむたびに背筋が寒くなる思いを幾度かした。

実は戦略的に練り上げられた刺客候補のセリフ。

同じく戦略的に仕掛けられたテレビ出演。

そしてそれに気づかず報道していたマスコミ。

その情報をそのまま受け取る有権者たち。
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/de6e88e4450036810c61d7a1a2b4c51b


自民党政権ではアメリカに冷遇されただけでも政治生命を失って退陣した首相が多い。
90年代では日本の首相は8人も変わった。小泉純一郎のようにブッシュのご機嫌取りが上手ければ長期政権も可能ですが、安倍、福田、鳩山と続く総理大臣も小泉首相のようなキャラがない。麻生首相は愛嬌はあるがオバマとは性格が合わなかったようだ。

政治家というのは対人関係が上手い人たちがなれる職業なのですが、日本の政治家は最近では世襲議員ばかりになって、お坊ちゃん育ちで対人関係が上手くない首相が多くなった。だからアメリカの大統領と会談する時でも相手のご機嫌を取る事ができない。

ブッシュの前でプレスリーの真似をして見せた小泉首相は明らかに演技なのですが、それくらいのことが出来なければ交渉事は上手く行かない。

日本の首相は生真面目すぎて気の効いた事が言えずに、会談も味も素っ気も無いものになりがちだ。外国の首脳から見ればこんな人間がどうして首相になれたのかと思われるだろう。

結局は政治も年功序列の世界であり、二世議員が父親の後を継いで議員になり当選を重ねれば首相になれるようになってしまった。

90年代に入って日本の首相がコロコロと変わるようになったのは、アメリカによるジャパンバッシングとは無関係ではないだろう。橋本龍太郎のように少しでもアメリカに反抗するような態度が見えれば日本国内からもマスコミの非難が集中する。

最近では1000日以上首相を務められたのは中曽根康弘と小泉純一郎くらいで、アメリカ大統領との関係を築ける者だけが安定政権になる。

鳩山首相もお坊ちゃん育ちでありオバマ大統領との信頼関係を作ることが出来なかった。母親から毎月1500万円も貰っていながら気が付かなかったと平気で言えるようなキャラだから浮世離れしている。これではいくら会談を重ねても相手の信頼を得られるような事にはならないだろう。

政治家というのは有権者の信頼を集められるだけの器量と度量と見識が必要ですが、日本の選挙制度では二世のボンボン育ちが親から引き継いだ後援会組織で当選ができるようになっている。鳩山首相も典型的なボンボン議員であり政治家としての器量はない。育ちがいいから人の言う事は素直に聞くが信念がないから直ぐに言う事が変わってしまう。
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu214.htm


小泉元首相に学ぶ、話のインパクトを強めるコツ(プレジデント) 


プレジデント 10月14日(月)8時15分配信


■小泉元首相の特徴的な“強弱”を学ぶ

 先日、小泉純一郎元首相のお話を聞く機会をいただいた。原発の是非について、最初は比較的淡々と話をなさったかと思うと、場の空気を読んだのか、ふいに歴史の混沌の中で日本人がいかに順応してきたかといった話に切り替えていく。すると、言葉の強弱がずいぶんとはっきりしてきた。

 小泉元首相の話し方は特徴的だ。言葉が短く、自己を投影したエピソードが多く、強弱の付け方がはっきりしており、誰にでもわかりやすい表現が多くみられるなど、スピーチの上手である。私たちが人に伝えるときにも有効な面から、今回は特に言葉の強弱を見ていきたいと思う。

 今回の小泉元首相のスピーチデータを起こしていくと、ところどころ言葉がかすれるように小さくなって書き取りにくかった。理由は、自分が強調したい言葉を強く発声し、そのあとの助詞や、その言葉の意味を補うフレーズがとても弱く、小さな声で話されることによる。

 語気が強くなり、アクセントを置く単語が続くほどに、<強・弱・弱・弱>とリズムを刻むかのような話し方になる。強調した言葉を太字にし、ほかを弱く読んでいく風を書き起こすと、たとえばこんな風である。

■キーワードを強く読むテンポと“間”

 「『ピンチ』は、『何か』を変える『チャンス』なんだ。『いかなる変化』にも『対応』していかなければならない。『変化』に『対応する能力』を日本国民は持っている。そういうことから私は、限られた時間でありますれども、なんとか日本を夢のある国にと。その『ひとつ』に、自然をきれいにする、『変化がある社会をつくろうと』、そういうチャンスがあるととらえて動きだせば、『必ず』国民もその他の国も協力してくれるのではないだろうか」(『』内は強調)

 普通に読むと不自然な強弱でも、“間”を上手にとることで、この強弱が生かされる。そしてここには、英語の発声に似た抑揚が見られる。

 日本語はそれぞれの音が同じ間隔でポツポツ平坦に話され音節型であり、一方の英語は強勢型と呼ばれて、強く読む部分と弱く読む部分がはっきりする。小泉首相の話はこの英語に似た強勢があることでリズムとテンポをつくり、ポイントを印象付けているようだ。

 ちょっと脇道にそれるけれども、強弱の典型的な例として、こんな英文を見てみよう。

 The 『actress』 will 『sing』 a 『song』 on the 『stage』 英語は、重要な意味を持つ言葉を強く読み、aやon theなどのあまり意味を持たない、「機能語」と呼ばれる言葉は弱く、急いで発音される。そのために音が消えたり、くっついたり、変わったりするのだ。しかも、弱い言葉は何語あろうとほぼ同じペースになるために、on the を小さな声で「オナ」と変え、sing a は「シンガ」と一続きに読んでしまう。(*)

 こうした強勢がそもそもの原因で、日本人が「英語が聞き取れない」問題が発生し、リスニングで苦労することになる。けれども、逆に強い部分だけを聞き取れれば「意味内容」の理解としては差支えがないし、むしろ強調されるべきところが引き立ってくるから、自分が得意な専門分野は強調された単語がわかりやすく理解しやすくなるわけだ。

 小泉元首相の強弱は、まさに“重要な意味の言葉”を強く読み、機能語や補足的なフレーズは流していた。

 一方、ある実業家の方のお話を聞いたとき、話の内容も活動もすばらしいのに、意味のない語尾にアクセントが置かれていたことがある。私自身も覚えがあるけれど、つい「〜『で』、」や「〜といったこと『から』、」などに力が入るので、語尾ばかりが強く目立ってしまう。これでは本当に伝えたいキーワードが弱くなり、せっかくの話なのにキーワードが強調されずに流されて終わってしまうかもしれない。

 さらに、小泉元首相のスピーチには言葉に強弱があることに加えて、強調したい内容のときには両手を広げて肩より少し上げ、その言葉をカッコでくくるかのように掲げていた。これで印象付けたい内容にさらに意識が向けられるから、どこが重要な言葉なのか、聞き手は一目瞭然となる。

 そして、文字を起こして感じたもうひとつの特徴は、その変化に富んだ語尾にあった。先ほどと同じ部分で、今度は視点を語尾に移してみる。

■変化に富んだ語尾で躍動感を演出

 まずは、スピーチの語尾を見てみよう。

 「ピンチは、何かを変えるチャンス『なんだ』。いかなる変化にも対応していかなければ『ならない』。変化に対応する能力を日本国民は持って『いる』。そういうことから私は、限られた時間でありますれども、なんとか日本を夢のある国に『と』。そのひとつに、自然をきれいにする、変化がある社会をつくろうと、そういうチャンスがあるととらえて動きだせば、必ず国民もその他の国も協力してくれるのではない『だろうか』」(『』内は語尾)

 聞いたままに書き起こしたのだけれど、その語尾は単なる“です・ます”に終始せず、変化に富んでいる。言いきったかと思うと、体言止めに近い言い方で止めたり、「〜ではないだろうか」と問いかけも含まれていたりする。言葉尻に変化を持たせると話に躍動感が出るものだ。

 今回、小泉元首相のスピーチから盗むべきポイントは、キーワードを大きく強く読んで印象付け、単調にならないように語尾などで変化と躍動感を持たせることである。そして、少しのボディランゲージが大きく言葉を強調してくれる。こうした言葉の強弱が、伝えたい内容を強めて印象付けてくれることだろう。

 [参考資料]
* 『名作映画いいとこだけの英会話』(上野陽子 2011 ダイヤモンド社)

上野陽子=文
http://www.asyura2.com/13/senkyo154/msg/869.html

政治評論家の有馬晴海氏が言う。

「中曽根さんの時代もそうですが、野党がだらしないから、何をやっても政権はひっくり返らない。自民党の中を抑えていれば、政権は続けられるのです。だから、国民向けの発言は、その場しのぎでオーケーとなってしまう。危機感や緊張感はゼロです。

かつて中曽根さんは、

『女性はネクタイをいちばん見る。 何を言ったか覚えていない』

と言い放った。そんなふうに見下しているから、欺いても平気なのでしょう。地元に帰ったときは『消費増税反対』と言いながら、東京に戻れば増税賛成派に転じる。そんな議員は大勢います」
http://www.asyura2.com/13/senkyo155/msg/420.html

6. 中川隆[-16024] koaQ7Jey 2021年10月14日 03:12:00 : 7oVtfDmDeg : LzhCUTNKYk9qZVU=[5] 報告
民主主義って本当に大丈夫なの?

ヒトラーを独裁者にしたのは、一つには彼の性的魅力であったらしい。

彼の姿を一目見ただけで卒倒する女性が続出したそうだ。

ある女性などは、ヒトラーが通り過ぎたあと、彼が踏んだ小石を持っていたガラスびんに入れ、それを大切に抱きしめた。

彼女はそのまま恍惚としてしまい、力が入りすぎてガラスびんが割れた。血がだらだら流れるが、それでもなお彼女は陶然と立ち尽くしていたという。

当時、世界でもっとも進歩的と言われたワイマール憲法下で、ヒトラーがあくまでも合法的に政権の座についたことを考え合わせると、民主主義って本当に大丈夫なの、とつい思ってしまう。
http://www.c20.jp/p/hitler_a.html


ヒトラーというとほとんどの日本人はドイツの独裁者でユダヤ人を虐殺した恐ろしい人とだけしか知らないのではないだろか。

ヒトラーに関して我々がしっかりと知っておかなければならないことは、

ヒトラーは当時、世界で最も民主主義的と言われたワイマール憲法の下で、合法的に独裁者になったということである。

ヒトラーの行くところはどこでもドイツ国民が、「ハイル、ハイル!」の大合唱。ドイツ国民のすべてがヒトラーに心酔していた。

そんな時、「私に全権を与えていただければ、もっと豊かなドイツを実現してみせます!」とヒトラーは言った。

ドイツ国民は将来悲惨なことが起こるなんてことは誰も疑わずに、あっさりとヒトラーに全権を与えてしまった。

1935年にドイツ国内で国民投票が行われた。

そしてなんと国民の90パーセント以上という圧倒的支持で、首相と大統領の兼任(行政権の完全な掌握)、立法権、軍隊の指揮権といった、司法権を除くすべての権力をヒトラーに渡してしまったのである。

こうして三権分立という鎖がはずされ、リバイアサンという怪物が解き放たれたのである。

その後は、皆さんもご承知のように、誰もヒトラーの暴走をくい止めることができなくなり、世界は人類がいまだ経験したことのない第二次世界大戦という大惨事に突入していったのである。
http://kaichan.cocolog-nifty.com/diclongman/2007/09/post_e4df.html


ドイツ国民がナチスを熱狂的に支持した理由
 マイナス金利政策を巡る顛末からも分かる通り、現在の日本が抱える問題は、

「特効薬が効かない!」

 という話ではなく、普通の薬を飲まず、特効薬を追い求めている、という点に本質があります。


 と言いますか、ここまで一貫して普通の薬(財政政策)から目をそらし、効果のコミットができない特効薬を探し回る光景は、もはや喜劇です。普通の薬は、効果について事前にコミットできるにも関わらず、頑なにそこから目をそらす。


 実は、現在の日本や欧州同様に、主要国の政策担当者が病的なまでに財政均衡にこだわり、国民経済を貧困化させるという光景が、80年前にも見られました。


『[FT]21世紀におぼろに見えるドイツ帝国銀行総裁の影
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO97052220Y6A200C1000000/

 ジョン・ワイツによるヒャルマー・シャハトの伝記『Hitler’s Banker(邦訳:ヒトラーを支えた銀行家)』を読み返したら、これまで筆者が考えていなかった1930年代と現在の興味深い共通点に気づいた。

ヒトラーが再軍備計画の資金を賄うために、配下の中央銀行総裁だったシャハトに頼ったことは、よく知られている。

だが、ワイツは――そしてここが今日のユーロ圏に潜在的に関係するところだが――、シャハトがライヒスバンク(ドイツ帝国銀行)で非伝統的な政策を追求できたのは、ひとえに独裁者の後ろ盾があったからだとも指摘している。(中略)

 欧州北部諸国に共有されているブリュッセルとフランクフルトの現在の正統的政策には、30年代に一般的だったデフレマインドとの類似点がいくつかある。

今日の政治家と中央銀行家は、財政目標と債務削減に固執している。30年代前半と同様に、正統的な政策には病的なところがある。今日の中央銀行家は、言うことが尽きると「構造改革」に言及するが、そうした改革が一体何を達成するのか決して口にしない。

 原則としては、ユーロ圏の経済問題を解決するのは難しくない。欧州中央銀行(ECB)が市民一人ひとりに1万ユーロの小切手を手渡せばいい。物価の問題はものの数日で解決されるだろう。あるいは、ECBは独自の「IOU(借用証書)」を発行することもできる。

シャハトが行ったのは、それだ。

または、欧州連合(EU)が債券を発行し、ECBがそれを買い上げてもいい。紙幣を印刷する方法はたくさんある。どれも皆、素晴らしい方法だ。そして違法でもある。(後略)』


 ナチスがドイツで政権を握ったのは、デフレーションで国民の間にルサンチマンが蔓延し、「攻撃的」な政党が喜ばれるという形で社会が歪んでしまったためです。


 とはいえ、ナチスが「支持された」のは、これはもう、ヒトラーとシャハトのコンビが、各国が財政均衡主義の魔物にとらわれ、緊縮財政政策を推進する中において、アウトバーン建設に代表される大規模景気対策を打ったおかげなのです。

ヒトラーが率いるナチスは、1932年には43%(!)だった失業率を、五年間で完全雇用に持ち込んでしまいました。


 それはもう、ドイツ国民がナチスを熱狂的に支持したのも、無理もない話なのです。


 ちなみに、わたくしは別にナチスを賛美したいわけではなく、「人類」は歴史的に財政均衡主義を「愛し」、デフレ期の財政出動という普通の薬を飲むことができず、デフレの原因を(なぜか)、

「構造改革が不足しているから」

 という、意味不明というか逆効果(構造改革はインフレ対策)の政策を採用。
 緊縮財政と構造改革、つまりは需要縮小策と供給能力拡大策によりデフレを深刻化させ、

「国の借金で大変だ〜っ!」

「構造改革が足りないからだ〜っ!」

 と、バカの一つ覚えのように自縄自縛となる愚かな政策を繰り返してきたという話です。


 特に、デフレ期には単なる「債務と債権の記録」に過ぎないおカネに国民総じて固執し、政府が普通の薬(財政出動)を飲もうとすると、

「政府は無駄なカネを使うな!」

 と、やるわけです。結果、デフレギャップは埋まらず、国民が貧困化し、ルサンチマンが蔓延し、最後には「他の国民を攻撃する」ことで人気を博すポピュリスト政治家が権力を持ち、民主主義が壊れます。


 あるいは、貧困化が行き着くところまで行き着き、国家は虎の子の供給能力を失い、発展途上国化します。


 民主主義の破壊や、発展途上国化を回避するために必要なのは、「特効薬」でも「万能薬」でもありません。しつこいですが、普通の薬、財政出動を中心とした景気対策という普通の政策なのです。


 それにも関わらず、政治家や国民が「普通の薬」について議論しようとさえしない現状に、わたくしは恐怖すら覚えるのです。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12128570302.html


▲△▽▼

現在の状況は、1930年代のヨーロッパとそっくりです。

 1929年のNY株式大暴落に端を発した大恐慌により、ドイツは失業率が43%(32年)に達してしまいました。国民のルサンチマンがピークに達した状況で、ナチス・ドイツが政権を握り、ヒットラーが首相の座に就きました。


 ナチスはヒャルマル・シャハト(ライヒスバンク総裁)の下で、大々的な財政出動を実施。アウトバーンや国道が建設され、WW2開戦までに、3860kmが建設されました。ナチス・ドイツという独裁的な政権の下で、ドイツ経済は瞬く間に回復。わずか五年間で、失業率が完全雇用の水準に至りました。


 当然ながら、ドイツ国民はナチスを熱狂的に支持します。


 妙な話ですが、現在や大恐慌期のような需要低迷期には、なぜか「民主主義国」の方が大々的な財政出動に踏み切れず、状況が悪化します。逆に、独裁国は政府が剛腕をふるい、財政を拡大し、国力を強化してしまうのです。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12137232005.html

7. 中川隆[-16023] koaQ7Jey 2021年10月14日 03:14:44 : 7oVtfDmDeg : LzhCUTNKYk9qZVU=[6] 報告
女は「白か黒か」「ゼロか100か」「護憲、平和か戦争」のようなオールオアナッシングにしか投票しない。
2016年08月04日

レンホー党首で社会党化する民進党 キャッチコピー連呼か

分かり易いキャッチコピー、綺麗事、レッテル張り、ゼロか100かの極端な思考が社会党化。
http://livedoor.blogimg.jp/aps5232/imgs/4/6/46d60fe3.jpg

蓮舫は土井たか子か

2016年9月に民進党の代表選立候補が行われ、蓮舫代表代行が立候補を表明しました。

他には細野元環境大臣と長島元防衛副大臣も立候補を予定しているが、知名度で大きく劣る。

その前に「民進党なんてあったっけ?」と多くの人が思ってるが、鳩山や菅首相を出した民主党の事でした。

民主党に「維新の会」の左派系議員約20人が加わり「民維」と呼ばれていたのが、2016年3月に民進党になった。

野党勢力を結集して共産党とも統一するらしいが、何だかよく分からない政党です。

左派政党に女性党首で思い出すのが社会党の土井党首でした。


1986年に日本の最大野党(共産党と公明党しかかなったが)だった社会党は選挙に大敗して、土井たか子を党首にした。

土井は日本初の女性党首になり、大ブームを巻き起こし次期総理確実と言われた事もあった。

理論立った話は苦手なので、分かり易いスローガンやキャッチコピーを重視し、それが受けた。


「だめなものはだめ」「女性の視点」などの言葉が現在の女性政治家の活動の雛形になった。

面倒な議論は避けて、キャッチコピーとレッテル貼りを連打すると、男性候補は応戦できずダメージを受ける。

こうしたイメージ戦略で社会党は議席を増やし、ついに自民党を倒して細川連立政権の与党第一党になった。


分かり易い女性党首の主張

だが快進撃はここまでで、野党の間はイメージだけで良かったが、現実に直面すると何もできなかった。

既に冷戦が終わり湾岸戦争が発生し、日本は新しいパワーバランスを作る必要があったが、そうした理屈が理解できなかった。

多くの女性政治家は「戦争は悪」「軍隊を無くせば平和になる」を繰り返すだけだった。


細川政権を離脱した社会党は自民党と連立を組んで村山総理を送り出したが、そこに襲ったのが未曾有の国家危機だった。

オウム真理教事件、阪神大震災、超円高と次々に大事件が発生し、社会党政権はどれにも対応できませんでした。

やがて自民党にも切られてしまった社会党は社会民主党と改名し、福島瑞穂を党首にして「日本女性党」と名乗っていた。


相変わらず「反戦、平和、護憲」のキャッチフレーズを繰り返し叫ぶだけの戦略で、面倒な議論は決してしない。

議論や理屈を女性は嫌うからで、レッテル貼りとキャッチフレーズのほうが女性に好まれる。

民進党の党首選に立候補する蓮舫も土井たか子に似たところがあり、議論を嫌い同じ言葉を連呼するのが得意だ。


蓮舫が鳩山政権で仕分けをしていた時に言っていた「無駄はあってはならない」は、土井たか子の「だめなものはだめ」と同じ発想です。

必要な無駄もあるとか、経済とはそもそも無駄なものだと説いても、女性に通じないのは過去の選挙を見れば分かる。

女性は「白か黒か」「ゼロか100か」「護憲、平和か戦争」のようなオールオアナッシングにしか投票しない。


原発は危険となったら全部廃止、自衛隊は野蛮だから廃止、イジメは禁止、全部賛成か全部拒否、現実を認めて解決しようという発想はない。

分かり易いキャッチコピーの女性党首が大人気になると、福島瑞穂のような「日本女性党」になってしまう可能性が高い。

民進党はこれから急速にそうなるかも知れません。
http://thutmose.blog.jp/archives/64685501.html


▲△▽▼


後藤百合子 2017年05月19日
民主主義という究極のポピュリズムを制す「かわいさ」

■冷血な人殺しでも人気絶大なプーチン大統領

2000年3月、ボリス・エリツィン大統領の後任としてウラジミール・プーチンがロシアの第2代大統領に正式に選出されたとき、ある方が新大統領を評して「何十人も人を殺してきた目をしてる」と言われたのが今でも忘れられません。

当時、プーチン氏は政治家としても大統領候補としても世界的にはほぼノーマークで、元KGBの優秀なスパイという以外ほとんど情報がありませんでした。プーチン大統領就任により、ゴルバチョフ、エリツィンと続いた民主主義ロシアがどうなってしまうのか、という危惧を多くの人々が抱いたと思います。

しかしプーチン大統領は、現在世界を震撼させているトランプ大統領の「ロシア・ゲート」も含め、自らのスパイとしての経験と手腕を最大限活かして政権を維持。白昼堂々とホテルに核物質を送り付けたり、夜のニューヨークのビルから突き落としたりと、独創的かつ強引な手法で反対勢力陣営の人々を排除していく様子も、これまでの民主主義国家の政治家像を大きく逸脱しています。

最近では、ウクライナ問題でプーチンを説得するためにわざわざクレムリンまで出向いた独メルケル首相に会う際、メルケル首相が大嫌いな大型犬連れで登場して威嚇するなど、ある意味、トランプ大統領にも通じるパフォーマンス政治家という側面ももっているようです。

ただし、ソ連時代ならいざしらず、現在のロシアはいちおう民主主義国家で、大統領も国民選挙で選ばれます。強引かつ強圧的な手段で治世するプーチン大統領が国民に恐れられ忌み嫌われ、人気も低いかというとそれがまったくの逆で、2012年の大統領選挙時には、63.6%と約2/3の得票。現在の支持率は90%近いとも言われます。

しかも毎年、「プーチンカレンダー」なるものが発売され大人気。

Vladimir Putin's inspirational 2017 calendar - CNN.com
http://edition.cnn.com/2016/10/19/europe/vladimir-putin-calendar-2017/

上半身裸で釣りをしている写真や、映画スターさながらにサングラスにラフなジャケットで歩いている様子に混じって、花をもってポーズを決めたり、猫や犬と戯れていたり、まるでアイドルスターのようです。

このカレンダーを誰が買っているかは写真を見れば一目瞭然でしょう。ロシアの女性たちに圧倒的な人気を誇るのもまた、プーチン大統領の一面なのです。

■「かわいい」政治家に投票してしまう私たち

私たちが選挙で投票行動をする時、意識するかしないかの程度の違いはあっても、最も重点が置かれるのは「政策」ではなく、実は「政治家の人間性」であると私は思います。

比例区では政策で政党を選ぶ人も多いかもしれませんが、小選挙区で所属政党の政策に共感はできても、外見や話し方に嫌な感じをもってしまう候補者より、支持政党ではなくても好感をもてる候補者に投票した経験のある方は決して少なくないのではないでしょうか。

しかし、実際にはその候補者がどんな人間かは顔に書いてありません。もちろん本人や推薦人はいかに候補者の人間性が素晴らしいかを強調するでしょうが、その言葉が必ずしも事実とは限らないのです。

そこで私たちが人間性を判断する基準は、性別を問わず、その候補者に「かわいさ」を感じられるかどうかになります。単にハンサムであるとか美人であるとか(もちろん容姿は良いに越したことはありませんが)にとらわれず、その人を「かわいい」=「人間として好ましい」と思えるかどうか、が問題となってくるのです。

声や話し方、言葉の使い方、しぐさ、表情など、その人の内面からにじみ出てくるようなかわいらしさは、いくら頑張って作ろうと思っても決してマネできるものではありません。逆に、プーチン大統領のように実際には冷血な殺人者であっても、ふとした拍子にこぼれる笑顔などに、女性をはじめ一部の男性もかわいらしさをつい感じてしまうのです。

■「かわいい」政治家はしぶとい。

そのような視点で世界の民主主義国家の政治家たちを見てみると、興味深い事実が浮かび上がります。

つい先週の選挙でフランス大統領に選ばれたマクロン氏ですが、すでに欧州メディアが盛んに報道している情報によると、誰にでもすぐに好かれ(悪い言葉で言えば「取り入って」)相手の信頼を得ますが、それを裏切る場面も多々あったとされます。24歳年上の略奪愛妻と連れだって歩くマクロン氏の計算し尽くされた笑顔と、政党の創立者である実父を追放し、政党内で重責を担う姪との不仲も伝えられるル・ペン氏のドヤ顔とを比べたら、どちらが「かわいい」かは一目瞭然でした。

同じことは、昨年の米大統領選のクリントン氏対トランプ氏との闘いにも言えます。どこにもつけいる隙のない完璧なクリントン氏と、暴言・放言には事欠かず、何度も自爆しながらも子どもっぽい野次を飛ばすトランプ氏。憎まれガキのようなその態度は、ある意味、「かわいい」と言えないこともありません。

そして日本。

小泉純一郎元首相が大変女性に人気があったのは周知の事実ですが、現在の安倍晋三首相と麻生太郎副首相兼財務大臣のコンビが、ここまで長く政権の中心に存在している理由がわからない、という男性にはぜひもう一度きちんと研究していただきたい。

昭恵夫人も言っている通り、自民党の中には彼らより立派な経歴や学歴をもっている方々がごまんといますし、間違っても安倍総理や麻生副総理のような漢字の読み間違いはしないでしょう。しかし、この2人は、現在の自民党議員の中では際立って「かわいい」のです。恐らく小泉元首相が自分の後任に安倍首相を指名したのも、この「かわいさ」が大きな理由だったのではないかと私は推測しています。

同じことは稲田防衛大臣にも言えます。

彼女はウルトラ・ライトともいえる思想の持主ですが、まだ、当選一回目の頃の講演会で、あの舌ったらずの声で1時間以上にわたり「南京大虐殺はでっちあげ」「慰安婦の強制連行はなかった」との持論を滔々とぶつのを聞いたとき、私はただただ目が点になっていたのにもかかわらず、同じ会場で一緒に聴いていたおじ様たちは、まるで魔法にかかったようにうっとりと彼女の話に引き込まれていました。渡部昇一氏が会長を務める「ともみ組」という後援会組織もあり、まるで芸能人のファンクラブのように熱心に彼女を応援しています。

国会で涙ぐんでさんざん叩かれた稲田大臣ですが、ともみ組の支援者たちにとっては、その涙さえ好ましいものに映っているでしょう。その意味で、かわいい政治家ほど叩かれても叩かれても強力な支援者たちの支えによって蘇る、打たれ強い、しぶとい政治生命をもつのだと思います。

■政治家は自分が有権者に与える印象についてもっと研究すべき

SNS時代、「聡明な」「仕事ができる」「強い」だけの政治家がもはや大衆の共感を得ることができないのは、昨年のアメリカ大統領選、今年のフランス大統領選の結果をみても明らかです。(余談ですが、メルケル首相は恐らく再選を果たすと思います。彼女も非常に優秀な政治家ですが、難民問題にみせた情の厚さや、市井のおばさん然とした風貌がかわいらしさを醸し出しているからです)

そんな中、多くの選挙民が求めるものは、現在のさまざまな問題を解決し、将来の日本を形成していくための政策のみならず、「この人なら信頼して政治を任せたい」と思える人柄、つまり「かわいさ」です。

残念ながら、野党のみならず自民党の中にさえ、なかなかそれを真剣に考え実行している人がいないように思えます。(この点、マクロン大統領は非常に長けていると欧州マスコミは報道しています)

民主主義とは、良くも悪くもポピュリズムの政治形態です。

政策の立案は企業経営でいう「戦略」にあたりますが、それを実現させるための「戦術」の一環として、選挙ポスターのときだけ考えるのではなく、日ごろから自らの「かわいさ」をどうアピールしていくのか、真剣に研究して実践してほしいのです。それが最終的には最大の目標である政策の実現につながるのですから。
http://blogos.com/article/224069/


▲△▽▼


2017年06月12日
イギリスと日本、失われた10年の共通点
イギリスの細川護煕ことキャメロンが首相に選ばれた理由は、イケメンで女性に人気があるからだった。

こんな理由で首相を選んだイギリス国民が悪い、


young-David-Cameron
引用:http://i2.mirror.co.uk/incoming/article6484368.ece/ALTERNATES/s615b/young-David-Cameron.jpg

イギリス版「失われた10年」の始まり

イギリスは2016年6月にEU離脱国民投票を実施し、離脱が多数になり離脱する事に決めた。

ところが1年後の2017年6月の総選挙で与党保守党が敗北し、それも嫌だと言い出した。

1年前にキャメロン首相が辞任したばかりなのに、メイ首相も辞任しろとマスコミや国民は責任を追及している。

        
通貨のポンドは乱高下しイギリス経済は停滞しているが、経済そっちのけで政治闘争に明け暮れている。

これは25年前の東洋の国、そう日本とうり二つの状況と言えるのではないでしょうか。

政治混乱が引き金になり、イギリス版「失われた10年」が始まる可能性が、かなり高まっている。


まず日本の失われた10年だが、1971年7月15日の米ニクソン大統領の訪中あたりから、既に日本はおかしくなっていた。

ニクソン大統領は(当たり前だが)戦前生まれで、日本人が「鬼畜米英」と教わったように「日本人を人間と思うな」と教わった世代でした。

心の底から日本人を憎悪していたらしく、日本より第二次大戦を共に戦った中国に親近感を抱いており、米中国交回復で中国を国際社会に招きいれた。


テロ組織扱いだった中国はトントン拍子に出世してあっという間に国際連合常任理事国になり、世界の5大国に加わった。

同時にニクソンは金の兌換停止によって変動相場制に切り替え、この日から円は天井知らずの円高になっていった。

1985年にはレーガン大統領の元で「プラザ合意」が行われて、1年ほどの間に円の価値は2倍になった。(1ドル240円から120円になった)

日本の「失われた10年」

中曽根総理は円高対策として民営化と市場原理導入、低金利政策によってバブル経済を起こして不況を乗り切った。

だがバブルは想像を超える高騰を引き起こし、財務省と日銀は土地取引の禁止や利上げによって、強制的にバブルを終わらせた。

通常経済の過熱を抑えるには少しずつ金利を上げたり、加熱を抑えるが、この時は「昨日100だったものを今日はゼロ」という急激な変更を行った。


バブルは静まったが日本経済そのものが崩壊してしまい、この時から財務省は自らの失敗を隠すために消費税導入にまい進する。

経済崩壊で政治も大混乱をきたし、1993年には自民党政権が崩壊し、細川連立政権が生まれ、改革路線の経済運営を始めた。

選挙のたびに改革を唱える政治家が当選し、国民は「改革」を聞くと必ず賛成したが、改革とは経済的に言えば物価を下げる事と言い換えられる。


もし何かを改革して、その物の値段が上がったら「改革は失敗した」となり、改革の結果値段が下がれば「改革は成功した」事になります。

つまり改革すればするほど物価が下がりデフレになり、日本人は自分の意思でデフレ不況を作り出した。

改革して値段を下げて良いのはバブル期のようい経済が過熱しているときで、不況で物価が下がっているのに改革したら、もっと不況になるだけです、

国民はチャンネルを変えるように投票先を変えた

これに輪を掛けたのが財務省の消費増税で、不況なのに増税を強行してますます不況を悪化させ、GDPが縮小して税収も減ってしまいました。

日本経済はますます破綻して国民は不満に思い、毎年総理を交代して自民がダメならXX新党、民主党にまた自民党とコロコロ投票先を変えて混乱に拍車を掛けた。

すると政治混乱がさらに経済を悪化させ、経済が悪化すると国民は政治のせいにして首相交代や政権交代を要求しました。


客観的に見れば日本人自身のせいで政治混乱を起こして不況にしたのだが、なぜ政治が混乱すると経済が悪化するのでしょうか。

選挙は民主主義で国民の意思を反映させる唯一の機会なので、政治が混乱すると政府は国民の意思を代表しなくなり、国民は常に「政権交代」を求めるようになります。

短期間で政権交代を繰り返して政治や経済が良くなる事は無く、事態はますます悪化するだけでしょう。


日本は80年代から「謝罪外交」を繰り返して学校の教科書でも子供に謝罪を要求したが、これは国内で深刻な政治対立を引き起こし、現在も右派と左派は対立している。

国民の意思が短期間に変わるので政治家は芸人のようにその時々で「受ける」事をやろうとし、有権者は芸人のネタ投票のように選挙で投票するようになる。

こうしたポピュリズムがさらに混乱を生み出し、さらに経済が悪化し、国民はもっと頻繁に政権交代を求めるようになる。

政治家がダメなのは国民がダメだから

これが日本の失われた10年ならぬ25年の姿で、元をただせばその時々で「受ける政治」を求めた国民が悪いのです。

テレビはチャンネルを変えれば面白い番組をやっているかも知れないが、まず有権者がしっかりしないと、政治家や政府だって国民の意思を反映しようがないです。

イギリスもこういう状況に入りこみつつあり、テロが起きれば「政治家のせい」、経済悪化も「政治家のせい」といってコロコロと政権交代し、経済は悪化していくでしょう。


まずイギリス人自身が正気に戻って判断しないと、首相が変わっても良くなるとは思えません。

イギリスの混乱の始まりは2010年にキャメロンが首相になってからだが、保守党がこの男を党首にしたのは「イケメンだった」というだけの理由だった。

保守党が政権を取るには女性票を必要としており、当時キャメロンは「イケメン」として女性に人気だったので党首にしたら圧勝した。


有権者がこんな事で政党や政治家を選んでいたら、混乱するのも自業自得かも知れない。

その後キャメロンは移民の大量移住や中国に依存する経済政策をはじめ、国民対立の原因をつくった。

キャメロンは「アメリカは没落するから、英米同盟を破棄して中国と同盟国になる」とまで宣言していました。
http://www.thutmosev.com/archives/71322153.html

8. 中川隆[-15879] koaQ7Jey 2021年10月24日 03:20:39 : KMcXWBByqs : ZDFML3hCSi4uczI=[15] 報告
【ダイジェスト】竹中平蔵が政界進出した理由と仕込まれたプロパカンダとは?(三橋貴明)
2021/10/23


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