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曽野綾子 は何故あんなに性格が悪いのか?
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/584.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 3 月 16 日 10:22:32: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 片山さつき は何故あんなに性格が悪いのか? 投稿者 中川隆 日時 2020 年 3 月 16 日 09:58:46)


曽野綾子 は何故あんなに性格が悪いのか?


938 :M7.74 :04/10/29 18:28:26 ID:pK+HmBv0

曽野綾子の紹介

作家。敬虔なクリスチャン。人間愛に満ち溢れている人。
困っている人がいたら手を差し伸べずにはいられない。

というのは数十年も昔の話。


948 :M7.74 :04/10/29 19:30:37 ID:IRLqPAV1
>>938
> 作家。敬虔なクリスチャン。人間愛に満ち溢れている人。困っている人がいたら手を差し伸べずにはいられない。
> というのは数十年も昔の話。


いや、それは彼女の「脳内設定」だからw
そんなもんであった事は無いよ。多分これから先も無いし。

_____________


町の図書館で開架棚にある書物を眺めていた。
曽野綾子の著した本は40冊ある。
これは夏目漱石や三島由紀夫の著作本より多かった。

借りる人が多いそうだ。 人気がある。


三浦朱門

1926年(大正15年)、東京生まれ。東京大学卒業。
1985年(昭和60年)から文化庁長官を務める。
1999年(平成11年)文化功労者となる。

現在、日本藝術院院長


>三浦朱門さん(84)

明治大正生まれ辺りは強姦=豪快という図式のやつが多いからなー

そのノリで息子の嫁手込めにしたとか結構あるし


________


「女性を強姦するのは、紳士として恥ずべきことだが、女性を強姦する体力がないのは、男として恥ずべきことである」

との雑誌での発言が、物議を醸した。


2000年7月、ジャーナリストの斎藤貴男に、新自由主義的な発想から「ゆとり教育」の本旨は

“100人に2〜3人でもいい、必ずいる筈”のエリートを見つけ伸ばすための「選民教育」であることを明言。

「出来ん者は出来んままで結構、エリート以外は実直な精神だけ持っていてくれればいい」

「限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです」

「魚屋の息子が官僚になるようなことがあれば本人にも国民にとっても不幸になる」など]。

教育課程審議会において、ゆとり教育について


「私は今まで数学が私の人生に役立ったことは無く、大多数の国民もそうだろう」

とゆとり教育を推進する当時の文部事務次官の意向に沿った 発言を行ない、以後のゆとり教育を加速させた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B5%A6%E6%9C%B1%E9%96%80

105 : :2010/06/05(土) 17:10:36.39 ID:9DPYsFCJ (1 回発言)

他に「強姦出来るくらいでなければ日本男児たる資格無し」と述べたことがある。
ってまじ?

801 :M7.74 :04/10/28 23:19:01 ID:a1G3PSLn

ちがうよ。

「強姦は無くならないのだから、貞操観念のない女性を強姦すればよい」
「女性を強姦する体力がないのは男として恥ずべきことだ」


806 :M7.74 :04/10/29 00:34:58 ID:WI1U8jot
>>801
これはヤバイだろ。こんなこと公の場で言う文化庁長官ってどうよ。
本当に作家?言葉に対するセンスが無さ過ぎる。


809 :M7.74 :04/10/29 00:41:03 ID:F0a/ruVr
>>806
なんか文学的なこと言った、って自分で誤解したんだよ、朱門は。
曽野との結婚の時もなんか気取った事言ったんじゃなかったかな、忘れたけど。

816 :M7.74 :04/10/29 01:32:51 ID:SkrJQE8A
>>806 本当に作家?

作家かどうかは知らないけれど、今では目出度く日本芸術院の院長に納まっておりますよ。

9 : :2010/06/05(土) 16:12:24.01 ID:tnU9yqdh (1 回発言)

強姦とか後味悪すぎるし
他人との強制的な接触がどんだけ気持ち悪い事なのか想像できないんだろうな
それこそ発狂するレベルだぞ


46 : :2010/06/05(土) 16:20:00.12 ID:tlOm/N0J (1 回発言)

「良いじゃないか、減るものじゃないんだし」
この言い回し考えた人は天才だな

110 : :2010/06/05(土) 17:15:08.46 ID:d7mgoqaj (1 回発言)

嫁の曽野綾子は強姦は女の自己責任と断言してたな
お似合いのゆとり老害

121 : :2010/06/05(土) 17:34:00.40 ID:ZpqUcFO3 (1 回発言)

おまいら、なんで強姦魔が辞められないか知ってる?

経験者から聞いた話なんだが、レイプしようとすると大抵の女は始めは嫌がるんだが、暴れて疲れるとほとんど身動きも出来なくなる。もう好きにして状態になる。そして驚く事に、女はレイプされるともの凄く感じる。普通にセックスした時よりも、比べ物にならないほど激しくイクらしい。痙攣してイキまくる。だから通報できない女が多い。

大抵の女性はレイプされるとありえないほどの快感を覚える。それは大量のアドレナリンとドーパミンが順番に分泌されるからである。吊り橋効果と似ていて、レイプ魔に襲われて恐怖を感じた時に、アドレナリンが大量に分泌され生理的に極度の興奮状態に陥る事により、自分が恋愛をしていると脳が錯覚して、脳が快感を与えるドーパミンを分泌してしまう為、体が快感を覚えて反応し、挿入からしばらくすると、膣が充血する事で、クリトリスや膣内の性感帯が過敏になり、膣が刺激される度にピストン運動にあわせて脊髄反射で腰を振ってしまったり、痛みに対して悲鳴を上げるように、快感に対してよがり声をあげてしまうわけなのです。

女性というのは、そういう風に出来ているのだそうだ。だから強姦はクセになってしまうのだそうです。ついでに言うと、強姦被害者がよく自殺なんて話があるが、あれは強姦されたことが嫌で死ぬわけではなく、強姦されて激しく快感を覚えた自分の体に嫌悪して死ぬのだそうですよ。

ちなみにこれは知り合いの弁護士が連続強姦魔から聞いた話です。強姦魔の話では、強姦をするときに女性が自分が感じてしまっている事への戸惑いと、快楽に身を任せる表情とが入り混じってたまらないと言います。

どんな美人でも最後には泣きながら自分から腰を振るそうです。嫌だとは思いながらも体は感じすぎてしまい拒絶できない。むしろ自分から求めてしまうそうです。強姦魔によると、美人が泣きながらも苦悶の表情で、「イク」と言うのがたまらないと言います。

一度知ったら誰であろうと絶対に辞められるわけないとも言っておりました。 おそろしや

140 : :2010/06/05(土) 21:19:48.26 ID:4ZHRr5f3 (1 回発言)
>>121
んな訳ないだろ
こんなコピペとかAV見すぎなやつが、実際やってみたら女の力が凄くてびっくりして殺しちゃうんだよ


86 : :2010/06/05(土) 16:54:38.18 ID:0wrUraOD (1 回発言)

文系脳って極めつけると凄いんだね
犯罪肯定したりゆとり教育推し進めたり


969 :M7.74 :04/10/29 23:25:07 ID:dXozA34c

曽野と三浦の夫婦そろって文化功労者。毎年350万ずつの年金だよ。

タリバンと同レベルの文化破壊者のくせして。

しかしまあボランティアで財団の仕事してるとか言ってるけど財団の金を政治家や財界人やファミリーの組織にまわしてそこからバックさせるなんてうまい手考えたもんだね。まあ考えたのは笹川だろうけど。


174 :吾輩は名無しである :2011/02/22(火) 21:18:47.29

いやあ、凄い人気の婆さんだが、夫妻とも権力に寄り添うのがうまいなあ。
ところで夫妻ともどんなもん書いているの?

688 :M7.74 :04/10/27 20:37:59 ID:YQiow04v

コイツの旦那の三浦朱門が円周率を3にしたりしてゆとり教育を進めて国際的に高い水準だった日本の教育を崩壊させた首謀者なんだよ。
コイツらちょっとおかしいよ。


797 :M7.74 :04/10/28 19:26:35 ID:uDkDGXQW

日本財団って、こう云うババアが、元締めでボート賭博の上がりのゴク一部を福祉事業に恵んでカモフラージュしているわけだ。
旦那のレイプ発言と云い、この夫婦昔からヘン。

130 : :2010/06/05(土) 18:33:50.22 ID:URXDI6AU (1 回発言)

女房の曽野綾子はウヨの寵姫だよなw
沖縄集団自決の件で気に入られて。
ゆとり教育の戦犯の一人でもあるはずだがw

721 :M7.74 :04/10/28 02:40:04 ID:n03lJOts

自分は数学なぞ役に立たなかったからこんなもの教える必要はないとか言って、ゆとり教育推進した亭主の援護射撃してた女だからね。


22 : :2010/06/05(土) 16:14:58.77 ID:ETZcwfsb (2 回発言)

ゆとり教育って出来るやつを伸ばそうとかしてたっけ?
ただ教科書薄くしただけじゃね?

40 : :2010/06/05(土) 16:18:06.52 ID:okV2iePI (1 回発言)
>>22
周りが努力しないなら、自分はちょっと努力すれば結果が出るからな
それで努力の味を知り、周りを出し抜く人間が出てくるって話じゃねぇの
ゆとり教育自体はどうかと思うが

41 : :2010/06/05(土) 16:18:12.57 ID:SoEavKt6 (1 回発言)
見事な選民思想だな

106 : :2010/06/05(土) 17:11:45.04 ID:w4QJP7BY (2 回発言)
>>99

ゆとり教育で増えたのは脳みそのゆとりだけだもんな。
酷い話だ。


__________

だから教育課程審議会で「ゆとり教育」を導入したのは三浦朱門ら正論メンバーやそのシンパの連中じゃねえか。しかもその成果を保守系の各種出版物で自慢げにインタビューで三浦朱門自身が答えているし妻の曽野綾子やらもアホなこと逝ってる。

以下の「ゆとり教育」導入を決めたときの三浦朱門のコメントが全て。(現代思想)より


「学力を低下させるためにやっているんだ」

「いままで落ちこぼれのために限りある予算とか教員を手間隙かけすぎてエリートが育たなかった。」

「これからは落ちこぼれのままで結構で、そのための金をエリートのために割り振る。」

「エリートは100人に1人でいい、そのエリートがやがて国を引っ張っていってくれるだろう。」

「非才、無才はただ実直な精神だけを養ってくれればいいんだ」

「ゆとり教育というのは、ただできない奴を放ったらかしにして、できる奴だけを育てるエリート教育なんだけど、そういうふうにいうと今の世の中抵抗が多いから、ただ回りくどくいっただけだ」

『機会不平等』(文芸春秋社)より


学力低下は予測し得る不安と言うか、覚悟しながら教課審をやっとりました。

いや、逆に平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。つまり、できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることばかりに注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。

限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。<中略

平均学力が高いのは、遅れてる国が追いつけ追い越せと国民の尻を叩いた結果ですよ。国際比較をすれば、アメリカやヨーロッパの点数は低いけれど、すごいリーダーも出てくる。日本もそういう先進国になっていかなければいけません。それが“ゆとり教育”の本当の目的。

http://kyoto.cool.ne.jp/sono001/archives/hisaisha.htm

126 :M7.74 :04/10/25 15:07:13 ID:Zp5+1DIV

周囲が地盤沈下したら、以前のレベルの学力を保つだけで比較の問題では「凄いリーダー」になる。


流石、三浦朱門(ゲラゲラゲラ

http://logsoku.com/thread/tsushima.2ch.net/news/1275721777/

【正論】曽野綾子 どこまで恵まれれば気が済む-イザ!


 文句のつけようがない見事な沖縄取材でおなじみのあややこと曾野綾子氏です。

 「現代の日本はとてつもなく恵まれているのだから、足ることを知れ、感謝を知れ」

という意見は、(本来の意味での)保守派として正当な論説ですし、際限のない欲望を戒めるという意味なら、傾聴すべきところです。 「親のしつけが大事だ」というのも、まったくそのとおりです。しかし、

「みんな平等だという戦後教育が悪い」

となってくると、おや、と思います。教育といえばゆとり教育ですが(やや強引)、

「一部のエリート以外は勉強させなくてもいい」

としてゆとり教育を提唱した三浦朱門氏は、たしかあややの連れ合いだったなあ、と。あややが感謝している現代日本の豊かさを作ったのは、「みんな平等」な戦後教育による教育水準の高さに大きく由来するもので、三浦・曾野夫妻はそうではない国を作ろうとしていると思っていたので、たいへんびっくりしました。

 そうした大枠の矛盾を別にしても、

「ストレスは、自我が未完成で、すぐに単純に他人の生活と自分の生活を比べたり、深く影響されるところに起きるものと言われる」

というあたり、目を疑いました。《ストレス》の生理学的な定義は別にして(「寒い」「痛い」「腹減った」なども《ストレス》です)一般的な用法に限っても、自我があるから(他人や社会との軋轢による)ストレスが生じるので、自我のない人間ならそうしたストレスは感じません。他人をうらやみ嫉妬するのもたしかにストレスでしょうが、普通の人間にとっては嫉妬されるのもストレスだし、あややの言うような意味でストレスを感じない人間がいるとしたら、悟りを得た高僧ぐらいでしょう。もちろんその境地に到るのは理想ではありますが、「ストレス」という表現でそこまで要求できるものなのでしょうか。

 まあなんにせよ、結論そのもの(「足ることを知る」)は正しいとしても、その論拠を重ねる過程がここまで滅茶苦茶な論説というものもあるのだなあと、これはひとつ勉強になりました。と、無理矢理よかった探ししてみる。

http://d.hatena.ne.jp/pr3/20080109/1199878513

137 : :2010/06/05(土) 18:58:30.25 ID:Vtd9z9lF (1 回発言)

ゆとり教育を推進し日本人の学力を低下させたのは、中曽根臨教審と臨教審に関わった保守系人脈。

バカウヨの皆さん何か反論は?

http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2002/01254/contents/738.htm


>「戦後教育の総決算」を掲げた中曽根首相(当時)は84年、首相直属の臨時教育審議会を
>発足させた。「ゆとり教育」に代表される今の教育施策・改革の源流をたどると必ず臨教審に行き着く。
>そのことを意識した中曽根氏も、インタビューで「ゆとり教育」の正しさを強調した。
>学力低下など問題の原因は教師の「質」や運営方法などに求めている。
>だが、中曽根氏は臨教審を「失敗だった」と総括する。


http://www.asyura2.com/0411/senkyo7/msg/301.html

↑中曽根臨教審に曾野綾子、
臨教審に影響を与えた「世界を考える京都座会」に山本七平、渡部昇一といった
保守系文化人が関わっている。


http://math-sci.hp.infoseek.co.jp/QuadEq.html

曾野綾子「私は2次方程式もろくにできないけれども、65歳になる今日まで全然不自由しなかった」

この発言から1年2ヶ月ほどたった98年の6月に教課審の審議のまとめが出され、
2次方程式の解の公式は中学数学から姿を消すことになった。

http://ww1.tiki.ne.jp/~sakuwa/kaiakusitaihito2.htm

三浦朱門

「そんなことは最初から分かっている。むしろ学力を低下させるためにやっているんだ」

「今まで落ちこぼれのために限りある予算とか教員を手間暇かけすぎて、エリートが育たなかった」

「ゆとり教育というのはただできない奴をほったらかしにして、できる奴だけ育てるエリート教育なんだけど、そういうふうにいうと今の世の中抵抗が多いから、ただ回りくどく言っただけだ」

「エリートは100人に1人でいい。非才、無才はただ実直な精神だけを養ってくれればいいんだ。」

145 : :2010/06/05(土) 21:33:07.54 ID:NEyURSbH (2 回発言)

しみじみ馬鹿な人間だとしか思えん。

限りなくできない非才、無才とやらを、誰がどうやって判定するのか。

そして己は、判定される側ではなく、判定する側の人間だと始めから思いこんでいる。

エリートを拾い出す教育というが、その手法が確立されていると言い切ったら、これまた人間の能力の独断による「見切り」告白でしかない。

もしもエリートとやらを拾い出すことを望むのなら、俺は「出来ない(と思われる)」子どもの切り捨てとは逆に、全体の底上げを計って、その中から拾い出す方向が正しいと思う。

砂山の頂上を高くする事と同じなのだ。底辺を広げなければ頂上は高くならない。

さらに言えば、現在の科学研究は、もはや一人の天才によって左右されるものではなくチーム力によって左右されるものだ。たった一人の天才を拾い出せればという夢想は、宝くじに当たるといいなーという夢想と同列のものでしかない。

173 : :2010/06/06(日) 13:04:24.38 ID:pdm+Ewlr (1 回発言)

数学不要論は多いけど、数学教育が社会からなくなると一体どうなるんだろうね。
※算数は小学で習うから、否定派はこれは否定してないということだよね。

実際問題、表向き高校数学とかあるけど、高校は低レベルなとこだと、まともに数学やると卒業できないから中学数学に毛の生えた程度の事しかさせないけどね。

逆に全員に数学教えた方がその中で逸材生まれる可能性が高いのかな。
例えば理学部数学科とかは何百人に一人天才を生み出すのが目的で後はどうでもいいらしい。一人生まれれば。

http://logsoku.com/thread/tsushima.2ch.net/news/1275721777/


9 :吾輩は名無しである :2011/02/07(月) 02:12:35

日本について。

「どこへ行ってもガスと電気は一日中使えます。 トイレもきれいで水を使いほうだい。しかも、どこへ行っても安全。こんないい国は世界中を探してもありませんよ。 日本が嫌なら、さっさと出て行きなさい」
(読売より)

★徴兵制,奉仕労働で若者を叩き直せ!
  他者への奉仕が育む本当の自由! (曽野綾子)

(『週刊ポスト 2月25日号』より)


86 :吾輩は名無しである :2011/02/13(日) 23:02:35

何、この稲田朋美のパクリ

やっぱり「お仲間」の慎太郎と同じで、戸塚ヨットスクール方式丸投げでどうにかなると思ってるのが、教育を脳内だけで考えて実践もしたこともない素人丸出し

でもこんなでも、政府の教育政策に口出ししてきて結果、日本を駄目にした張本人

87 :吾輩は名無しである :2011/02/14(月) 00:34:12

曽野綾子はある種の寄生虫を彷彿とさせる。

宿主を殺す程に肥大し、寄生虫自身は目も鼻も脳も持たない。

何故、赤の他人が若者だからという理由で己の為だけに血や汗を流してくれると無邪気に信じているのだろうか?

曽野の徴兵制論は毎度同じ事しか書かないが、自分は銃後で叱咤する。
お前等は前線で死んでこい。では民族主義の人間ですらこんな奴のためには死ねないのではないかと思うが。

5 :吾輩は名無しである :2011/02/06(日) 16:14:03

東に病気の若者あれば 気合が足りんと言って引きずりまわし病状を悪化させ

西に疲れた者いれば 行ってみんな疲れてるのだぞと説教をかまし

南に死にそうな人いれば 行って 甘えるなと罵倒し

北に喧嘩や訴訟があれば 行って強き者ばかりに加勢をする

ソウイウソノニ ワタシハナリタイ

6 :吾輩は名無しである :2011/02/06(日) 17:16:43

曽野の特徴まとめ。

・金持ちボンボンの曽野が、豊かさで弛んだ日本人を批判

・エリート生まれの勝ち組曽野が、被差別民族・人種を批判

・裕福な曽野が、社会的救貧政策・差別格差是正運動その他を偽善と批判

・富豪の曽野が貧民は甘えと批判

・生まれながらに富裕な曽野が日本の下層はアホだから下層だと批判

・豊かで呑気に生きている曽野が物騒で貧しいアフリカを賞賛

・曽野が好きそうなもの
封建制、身分、軍事政権、独裁政権、特権階級、格差、戦争、植民地、弾圧、反人権


12 :吾輩は名無しである :2011/02/07(月) 15:17:53

曽野綾子氏の批判する人々と動物たち。


●災害の被害者たち・・・・・おかみに頼る根性、知恵も対策もないアホぶり。

●犯罪の被害者(特に性犯罪の女性被害者)・・・不用心が犯罪を誘発する。

●ホームレス、・・・・・公有地の無断使用など

●要介護老人・・・・・自助努力の欠如、

●住居地に侵入する鳥やけもの類・・・退治できない厄介ものを保護するな!邪魔ものは殺せ。

215 :吾輩は名無しである :2011/02/26(土) 21:16:47.03

>>12
こんなこと平気で書く人を崇めてる日本も日本だ
政府までへいこらしてるし
人間エラソーに振る舞う人に弱いんだよね
旦那も学者だから(やっぱり右翼だけど) いい旦那射止めてるし


218 :吾輩は名無しである :2011/02/27(日) 03:37:55.18

右よりの愚人の代弁者。
自分のこと、「貴族」か何かと思っている。
上から目線の説教にはイヤミがこもる。
本当に嫌いだよ、この人。


150 :吾輩は名無しである :2011/02/21(月) 02:42:29.11

こいつといい珍太郎といい、作家が政治や教育に口出しするとろくなことにならん

ゆとり教育叩きに狂奔してるくせに、テメエの旦那がそれを推進した元凶一味ってのをスルーって

反吐が出るようなダブスタだ

680 :吾輩は名無しである :2011/04/14(木) 00:03:30.68

いや、こいつは、なんと言っても低偏差値の星であることは確かだ。
化け物でもあるがね。

682 :吾輩は名無しである :2011/04/14(木) 09:14:02.15

>>680
だからおまえはアヤヤを仰ぎ見ていると言う訳か。


683 :吾輩は名無しである :2011/04/14(木) 11:39:54.08

そうなりたいなあ。
あやや(松浦亜弥の方ね、勿論^^)を騎乗位で・・・


684 :吾輩は名無しである :2011/04/14(木) 14:39:52.01

鼻の穴がよーく見えるだろね


685 :吾輩は名無しである :2011/04/14(木) 16:26:30.26

鼻の穴とスルメのオッパイが、、、
なんか恐ろしい悪夢を今夜見るような、、、
寝るのが、、、(怖)。。。。

686 :吾輩は名無しである :2011/04/14(木) 16:40:45.52

夢のなか、君に跨った女は髪を振り乱し、松浦になったり曽野婆になったり・・・

ギャャー!!

748 :吾輩は名無しである :2011/04/21(木) 15:57:30.75

君子が文を学べば人を愛す。小人が文を学べば人に謙譲す。

ババア、テメエ何様のつもりだ?、が「文を学んだ者」であるなら、
はて?そのババアは、一体なんなんだろうか???


749 :吾輩は名無しである :2011/04/22(金) 00:02:28.73

くそばばあ。アーメン。


750 : v(・x・)v鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ 忍法帖【Lv=11,xxxPT】 :2011/04/22(金) 00:06:35.81
アーメンは勿体無いからザーメンでいいよ


751 :吾輩は名無しである :2011/04/22(金) 03:04:50.80

ア〜ヤに顔射する勇気はないな
そもそも勃たないと思う

752 :吾輩は名無しである :2011/04/22(金) 05:30:00.50

そりゃそうだ。この人は、可愛げのない大女だぜ。しかも低偏差値。

615 :吾輩は名無しである :2011/04/06(水) 12:42:03.70

曽野綾子の顔は内面の醜さがそのまんま出ている汚らしい顔だね。
卑しさ、傲慢、物欲、名誉欲、我欲まみれのあさましい顔付きだ。
これも一種のヴィジュアル系だね。

645 :吾輩は名無しである :2011/04/09(土) 17:41:40.87

読売新聞で金持ち自慢に被災者への極端な例を上げての説教
妄想の中の若者に説教、いつもいつも同じパターン
こいつは本当に世間知らずだな


646 :吾輩は名無しである :2011/04/09(土) 19:03:51.20

読売読んだけど…
勇ましいこと言ってる割には芯が無い人だね。
「国に頼るな」ってなんのための税金だよw

648 :吾輩は名無しである :2011/04/09(土) 23:01:23.74

>私たち日本人は、戦後の復興と高度経済成長を経て有頂天になっていた。
>今回の東日本大震災によって、甘やかされた生活がこれからも続くという
>夢が打ち砕かれた。

庶民感覚ゼロ。世間知らずルーピーババァ丸出し。


649 :吾輩は名無しである :2011/04/09(土) 23:31:58.87

甘やかされてるのは曽野。お前一人だよ。
何故死なないんだよ。役立たずなのに。甘えだよ。甘え。

651 :吾輩は名無しである :2011/04/09(土) 23:32:53.87

庶民感覚もゼロだけどそれ以上にヤバイのは
学歴はどうでもいいけど、知性がゼロということだよね。
国を信用するのが甘いとか、自分は自分で防衛するのがあたりまえだとか、
これ、国家とか社会の仕組みの基本を完全にぶっ飛ばした思想だけど、
自分の主張してることが何を意味することになるか自分で理解していないのが決定的にヤバイ。

653 :吾輩は名無しである :2011/04/10(日) 00:20:05.48

基本偉そうだけど権力側の空気を読むから使いやすいんじゃないの


659 :吾輩は名無しである :2011/04/10(日) 08:56:55.51

自分は権力の側なのに権力側を頼るなとか甘えるなとか言うのも変な話
他人に厳しく自分に甘いのは自称保守(笑)の金持ちに共通している

974 :M7.74 :04/10/30 00:00:39 ID:w2ILyCt3

年寄りは年寄りなりに生きることに努力しろだと
途方に暮れて弱っている年寄りに努力しろだと
曽野は傲岸(ごうがん)な猿である。

965 :M7.74 :04/10/29 22:46:19 ID:Maeldrax

オバハンのこういう発言、本人はもう、あっちにいってるような感じだから、意図がどうのとか言っても始まらない。それよりも、こういうコラムを見て喜ぶ連中がいることのことを考えよう。

福祉切り捨て経団連なんか、最たるもんじゃないか。震災特需でもうけると同時に、普段から個人に責任を負わせるようにすれば、あの連中にとっては非常に好ましい社会になる。

オバハンは知ってか知らずか、ここでもまた、資本家の走狗となっておる。

736 :吾輩は名無しである :2011/04/20(水) 19:54:58.50

この、クソばばあ。

737 :吾輩は名無しである :2011/04/20(水) 20:43:05.89

クソならまだまマシ。 死に神ババアだよ・・・

┌───────────────────
│ネエ、みんな、 アタシってビッグ? グレート?
└───v───────────────
     /⌒\ っ   /\
    /'⌒'ヽ \ っ/\  |
    (●.●) )/   |: | 
     >冊/  ./     |: /
   /⌒   ミミ \   〆
   /   / |::|λ|   .  |
   |√7ミ   |::|  ト、   |
   |:/    V_ハ    |
  /| i        |   ∧|∧
   и .i      N /⌒ ヽ) ←日本の良識、かもねw
    λヘ、| i .NV  |   | |
      V\W  ( 、 ∪
             || |
             ∪∪


738 : v(・x・)v鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ 忍法帖【Lv=10,xxxPT】 :2011/04/20(水) 20:44:33.86

貧乏人の生き血を吸って生きてんだよ!!

739 :吾輩は名無しである :2011/04/21(木) 00:31:36.02

どうして曽野を含む自己責任連呼厨は他人にばかり甘えるなと言い放つのだろう。
甘えている人間が社会を支えている甘えていない人間を罵倒する不思議。
曽野は社会を見る目も自分自身を見る目もない。

743 :吾輩は名無しである :2011/04/21(木) 05:47:23.73

曽野というのは、何も生産せず、それどころか官僚にたかり、夫婦ともども国家を食い物にし、そして偉そうに庶民を下に見ながら説教を垂れる、本当は庶民の出身だが聖心を卒業したから自身、上流と錯覚している低偏差値、迷信ばばあだ。
恥を知れ、恥を。運輸官僚ともども。自民党ともども。


89 :M7.74 :04/10/25 13:54:54 ID:h3QzkBRO

曾野綾子は小学校から聖心女子大学付属で育ったカトリック信者。
日本船舶振興会の現会長。競艇(不善)で儲けたお金も良い事に使えば贖罪されるというのがカトリックの思想です。

91 :M7.74 :04/10/25 14:02:44 ID:h3QzkBRO

生まれ育ちの良さの恩恵にあずかっておいて貧乏人は甘えているというのが昔からのこの人の考え方。そういう訳でこの人好きじゃない。


92 :M7.74 :04/10/25 14:03:52 ID:N30NztGR

事故や災害で弱者が先に死ぬのは自然の摂理だから、それに逆らわない方がいいよね

94 :M7.74 :04/10/25 14:08:29 ID:h3QzkBRO
>>92
それはまさに、曾野綾子の思想だよ。選民思想の人。

99 :M7.74 :04/10/25 14:21:15 ID:h3QzkBRO

自分が貧乏もしくは中流家庭で育って努力でのしあがったんならそう言っても良いんだけどね。上流階級の産まれ育ちでそういう事言うのは嫌みだと思うが。嫌みなババァというのが、昔からのこの人の印象。


107 :M7.74 :04/10/25 14:35:54 ID:PW4XC6xM

博打で荒稼ぎしてる金を元手にのほほんとしてるおばさんが何を言ってもなw


290 :M7.74 :04/10/26 02:21:14 ID:d5GDQlmp

クリスチャンってこのババァみたいなのしか知らない。
なんか選民意識。明らかに人を見下している。
自分は絶対に安全なところから。

よく考えたらキリスト教の教義って選民思想だな。しかも祈ってたらカミサマが助けてくれるんだろ?
世界の終わりの日に、キリスト凶徒だけ。

個人的にキリスト狂はキ印だと思う。

293 :M7.74 :04/10/26 02:45:51 ID:HL0cnWzw

うちの親戚のおばさんは、この前あった台風のせいで避難所生活を初体験したが、曾野ばあさんの理屈に叶った行動は何一つできなかったな。

子供達は結婚して家を出ているので一人暮らしをしているが、子供達はもしも災害時に備えて、母親用の飲料水や食料をマメに用意してるような、心配性の家族なんだわ。
で、今回洪水が起こったわけだが、年寄りで膝が悪いおばさんは、それらの避難グッズを担ぐ余裕なんぞ持てなかった。

近所に頼ろうにも、年寄りだらけなもんだから、皆、貴重品を持って、身一つで移動が手一杯な状態だったそうな。
あめ玉などの菓子は持って出たらしいがな。

なにを高見から、えらそうに講釈垂れてるのだか。
競艇ギャンブルの親分のくせに、クリスチャンだって?


167 :M7.74 :04/10/25 17:07:47 ID:SosKrFFp

個々人は自己責任がある程度あるわけだがこの国はもともと弱者を馬鹿にした法整備(田中知事がいってた崖の上の老人ホームetc)を作ってきたわけで この人のいうことに一理あっても行政にはどんどん弱者救済を目指してもらわないととりあえずEU基準レベル程度に先進国らしく当面は行政をあてにできないから個人備蓄は怠れない

親戚や友人にクリスチャンがいるが結構ついていけない人間が多い
信仰のない人を切りすてていけないと自分自身の信仰も成り立たないから

169 :M7.74 :04/10/25 17:18:44 ID:L66F+Kph

金持ちの特権階級の女史がド田舎の庶民の暮らしに喝を入れてくれる。
ありがたいことじゃないか。
新潟県知事にも直接進言したらどうかね。

171 :M7.74 :04/10/25 17:28:58 ID:PW4XC6xM
>>167
まぁ、当たり前だなw<クリスチャン

自分達は人殺しをしながらも、それを正統化してきた歴史がある。
口先だけでは、先人達のやってきたことにも問題はあった、というが、口だけw
自己欺瞞がうまい人じゃないと「信仰」は続かんよ。


446 :M7.74 :04/10/26 21:30:08 ID:xulGHsLY

俺カトリックだが曾野は大嫌いだ。
あいつとキリスト教徒全般をいっしょくたにしないでホスィ

それにしても台風だって、水が出て水位がみるみる上がってるような状態とか
大波で一瞬にして破壊された家屋とかもあったのに自己責任とはね・・
彼女のエッセイはそれなりに冊数読んだけど、(読んだから嫌いになったんだが)
他人が大事にされたり愛されたりするのが気に喰わない
重度のアダルトチルドレンでしか無いと思うんだが。
父親とんでもない奴だったらしいし、それを耐えて来たのは御苦労様だが
他人がそれ以上の苦労をしていないと認めないワヨ!てなヒス傾向が
著作のあちこちに見隠れしていてみっともない。

旦那もいつ爆発するか分らない妻に苦労してるらしい。

キリストのゆるしや癒しからは最も遠い人だよ。

451 :訂正 :04/10/26 21:51:11 ID:cYIOqzhq
>>446
悪いが、俺が見る範囲ではまともなキリスト教徒って見たこと無い。
独善と選民思想の塊という印象が非常に強い。

人に潔癖 自分はドロドロ

612 :M7.74 :04/10/27 13:22:43 ID:VovMxiub

どの道「支援しっぱなし」という状態は収束してしていきますからね
被災者だっていつまでも他力本願で生活しようなんて思ってないしウチんとこも皆、借金したりして自力で再建中だよ

ソノやんとかは日本の現実知らなすぎ
毛布被ってたアンちゃんだって、翌日からは復興に立ち向かっていたかもしれないのにな・・
人情のわからん冷酷なオバンって感じがするね

613 :M7.74 :04/10/27 13:45:03 ID:yStin6iz

やっぱり、カトリックって冷たいんだなと思ってしまった。

きびしい宗教だからね。日本みたいな、甘ちゃんの国はお嫌いなんだろうね。
じゃあ日本財団のトップなんてやめて、カトリックの国に行けば、と思うけどなあ。

昔、深夜のラジオに、カトリックの番組があって、遠藤周作さんとか このオバハントカ、そのダンナとかが出てました。遠藤さんの言うことは、味があって、よかったですが、このオバハンとそのダンナは、なんでもかんでもエラソーに日本のふつうの市民を罵倒するばっかりで、聞いててとても不愉快だった。

反カトリック勢力によるネガティブ・キャンペーンかと思ったぐらいで、他人に対してそんなに容赦ない宗教が、この日本で支持されるわけないなぁと思ってました。
歳月を重ねるうちに、ますます権力的になって、こんどの発言ですか。

このオバハン、「嫌日」なんだなあと思います。
日本は、弱ってる人に対して、やっぱりやさしいです。ひどい状況でも、ほとんどの人は立派です。暴動・略奪もないじゃないですか。こんな、「甘え」もありぃの、のやさしい文化が、もともとの日本の伝統だと僕は思います。江戸時代でも大火や火山噴火・津波・洪水といった天災のとき、各藩や幕府は、炊き出しや仮家の普請などをやっていますよ。

西洋カブレのバカ、としか言いようがありませんね。
それでも、神は我とともに在りと信じているんでしょうからね。

お〜い、バチカン、日本でほんとに布教したかったら、こんなオバハン、破門にしたほうがいいぞ!

614 :M7.74 :04/10/27 13:48:08 ID:J4ZbK6hj

人情のわからん冷酷なオバンって感じがするね

曽野の父親は、自分の妻に暴力をふるう人間だったそうだ。
そして、曽野の母は曽野を道連れに自殺未遂をはかったこともあるそうだ。
安心して暮らせる家庭で育つことができなかった曽野は、自分が受け入れられているという感覚を持たずに大きくなった。そして、カトリック系列の学校で律法主義的な教育を受けることによって、常に自分を他人と比較しないといられない性格になってしまったのだろう。自分を他人と比べて、「自分は他人よりも優れている」と確認し続けないと、自我を保つことができないのだ。

今回の「被災者は甘えるな」発言も、その発言の中身をどうこういう以前に、他人を馬鹿にしないといられない曽野の性格が表れたに過ぎない。七十過ぎだというのに、あそこまで幼稚な大人も珍しい。
きっと死ぬまで直らないよね。

616 :M7.74 :04/10/27 14:13:45 ID:vMA2pzWK

あややんとか言うなよ。

護衛付きのお大尽視察旅行で、ソマリアの難民キャンプで高見の見物してたババァに
何がわかるの?

特権意識丸出しで、上から見下ろして、偉そうに文句だけつけるアホ。

692 :M7.74 :04/10/27 20:57:30 ID:oiqm8RTc

曽野綾子自身は盗作作家で有名だったが、現在は不振、この女も自分に甘く他人には手厳しい。平和平和できたボケ国民へ一言なんだろが。

694 :M7.74 :04/10/27 21:36:02 ID:Bstq7ftF

世襲大使は殆ど全員 曽野綾子ファンだそうだ

698 :M7.74 :04/10/27 23:17:41 ID:K0/hghPi

曽野綾子は、被災者が受けた被害を、無意識かm意識的にかは知らないが、聖書のヨブ記に書かれているような神の与えた試練と考えているのではないか。

被災者はどんなに理不尽な災厄であっても耐え、ヨブのように、被災者が最後に

「それゆえ私は自分を否定し、塵芥の中で悔い改めます。」

と言えば、彼女は納得するのだろう。

まぁ、吉外女の書いているタワゴトだから、まともにとりあげる必要もないが、気になることが二つある。


(1)このような他人への厳しい態度と自分の身内への甘さの格差の大きさはどうしてか?

(2)曽野綾子の他人への厳しい態度の中で、無意識だろうが自分のことを神と等値しているような思い上がりがあるように感じられる。

743 :M7.74 :04/10/28 09:00:18 ID:8sjL6dHg

日本のカトリック信者のほとんどがブルジョワ趣味の腐った連中。

上流階級のステイタスシンボルとして、信仰を持っているだけ。 単なるポーズにすぎない。本音は、

「貧乏人と一緒にされちゃ困るわ」

曾野綾子がむかついたのは、貧乏人に、「ラベルのついた」新品の毛布を無償で配ってたから。被災したくらいで、勿体ないと思ったんだろう。

ケチな糞ばばあがもっともらしく理屈つけてるだけなので騙されるな。

749 :M7.74 :04/10/28 12:23:07 ID:/p3Gx/vM

>>743 上流階級のステイタスシンボルとして、信仰を持っているだけ。

そういえば、曽野は、電車の中や歩きながら物を食べている若者をあげつらって、
「私は学校(聖心)で、きちんとテーブルマナーをおそわった」とか書いていたもんな。

まあ、皇后様の誕生日に皇居にお呼ばれすることが曽野先生の何よりの自慢ですからね、

「私は一般大衆とは違うのよ」

と思い込んでしまうのも無理からぬことよ。

802 :吾輩は名無しである :2011/04/27(水) 15:15:20.53

エッセーに皇后陛下を同窓で云々だとか、親しい仲だとか書いているね。
皇后は大迷惑だろう。 何も言えないお立場の人を苦しめる利己主義には開いた口が塞がらない。

806 :吾輩は名無しである :2011/04/27(水) 21:57:48.03

聖心でございます、上流階級の。ごきげんよう、おほほほ。
頭脳の良し悪しを言うのは下々の人ですよ。


http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/book/1296970756
http://kyoto.cool.ne.jp/sono001/archives/hisaisha.htm


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【曽野綾子の 透明な歳月の光】(132)

地震に思う 災害時の知恵 訓練必要 2004.10.29 


 災害の話をすると、多くの人が「皆頭が真っ白になってて、何も考えられないのよ」と被災者に代わって弁護する。

 人間はその場にいなければ、どんなにでも利口そうなことを言えるものだが、一般の人たちにもう少し災害時の知恵を訓練する必要はあるだろう。揺れている最中は立っていることも考えることもできないのを、私は体験しているが、収まれば僅(わず)かな時間に、次の余震に対してどうしようかと考えて当然である。

 戦争中なら、どこにも食料はなかった。しかし今、殊にこの時期の米所には、どこの家にもお米の一キロや二キロはあるだろう。私なら余震の間にどこかからお鍋を手に入れて来て、ガス洩(も)れの恐れのない遠くで、すぐに自分でご飯を炊く。その時、電気釜でなくてご飯を炊ける知識が必要だ。水はお米の量の一・五倍を入れれば間違いなく炊けることを多くの人が知らないのである。

 そのために即席の竈(かまど)を作る。ブロックでも煉瓦(れんが)でもこういう場合にはどこからでも壊れた材料を失敬してくればいい。この程度のものなら、人間は時には無断借用する才覚も必要だ。自然石ならできるだけ同じサイズのものが三個あれば鍋をおいて安定する。

 薪はその辺のどこにでもある。壊れた家から出たゴミは焼却場に運ぶよりは、当分の間、被災地の燃料として使うことだ。出し味噌(みそ)一つあれば味噌汁もできる。知り合いの店なら、食料品はツケで買える。普段の信用が大切だ。

 お握りやパンの配給があるまで、どうして手を拱(こまね)いているのだろうか。年寄りは年寄りなりに、自分が今まで生きてきた体験上の知恵を働かせて、なぜ自分たちで生きることに努力しないのだろうか。それでいて国家に不平を言う人もいる。

 しかしそれにしても新潟県中越地震発生直後から午後七時までのNHKのニュースの担当者の態度はひどかった。

 私たちに聞こえるほどに、役所の電話が鳴り続けているのに、担当者は平然とインタビューを止めない。こういう時の電話は多かれ少なかれ、救いを求めている電話だ。その電話に役人を出させず、自分の質問に答えることを優先させて平気なのである。必死で電話を掛けている人は、どうしてこんなに役所の電話が通じないか不思議だったろう。私ならNHKのインタビューなどさっさと無視して、被災者に答える。

 七時過ぎにニュースに出た担当者はさすがに違った。「こういう時ですからあまり長く時間を頂けないとも思いますが」という言葉が自然に口に出ていた。これが人間だ。前の人は傲岸(ごうがん)な猿である。NHKというところは人間離れのした感覚の人を平気で人気アナウンサーとして使っている。それがこういう場合に暴露されるのである。

 (毎週金曜日掲載) 01/15 15:28 By:pipi URL

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All Rights are held by 産経新聞 & 曾野綾子


10月20日に、アフリカのマダガスカルからパリ経由、24時間ほどをかけて帰ってきた時、乗務員が「今、九州に台風が来ているけれど、これが日本では3つ目の台風だそうですね」と言う。私は「3つなんてものじゃないでしょう」と言ったものの、17日間家を空けていたので、これが>幾つ目の台風かよくわからない。そして帰宅した日の午後から夜にかけては台風のニュースばかりである。  台風の被害が大きい時ほど、黙っている人たちがいる。それは「ダムは要らない。川は自然の姿を保て」と言い続けた人たちである。

 ダム、堤防、山の植林、などというものは、治水の基本であり、治水はいつの時代でも国家経営の条件だ。それを否定した人は、どういう責任を取るつもりなのか。そうした計画は政府がすべて大手ゼネコンとつながりを持つための1つの手段としか解釈せず、山も川も、自然に任せるのがいいのだ、などという「暴論」を載せた新聞や雑誌も多かった。そうしたことを書いた人たちと、載せたマスコミは、こういう際にこそ、発言に責任を負うべきだろう。

 もちろんダムも堤防もむだは厳しく省かねばならない。しかし必要な個所には新設も補修もやらねばならない。当然のことだ。ダムは認めるか認めないかのどちらかだ、などという思考ほど幼稚で困るものはない。作ったダムは長く使えるように後の手入れも続けねばならない。放置しておいて「ほら、ダムってこんなにも保たないものなんだ」という言い方くらい、納税者をコケにしているものはない。原発にも火力発電にも、それぞれに問題がある時に、水力発電所は、貴重なクリーン・エネルギーあるはずだ。

 17日間のアフリカ旅行の間に、ブルキナファソでもマダガスカルでも、何度も停電があった。(ある)いはついている電灯がすっと暗くなる。電圧が安定していないのである。  家に帰ると嵐だった。それでも東京の電気の明るさは微動だにしない。この事実に少しも感動もせず感謝もしない日本人が、私は不気味である。

 学校その他に避難した人たちは、ラベルのついた新しい毛布を支給されていた。一晩のことに何でそんなに甘やかせねばならないか私はわからない。避難したら新聞紙を床に敷いて、何枚も重ね着をして眠って当たり前だ。

それがいやなら、早めに毛布や蒲団(ふとん)を背負って避難するだけの個人の才覚の訓練が要る。  お弁当なども行政は配る必要はない。天気予報を聞くことができるシステムがあるのだから、分で歩けない老人や障害者は別として、避難する時、食料は自分で持って来るのが世界の当然だ。台風は教育のチャンスでもあるのに、それを少しも利用していない。

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曽野綾子「被災者は甘えるな」

台風 教育のチャンス 利用を  曽野綾子(2004/10/22 産経新聞)


学校その他に避難した人たちは、ラベルのついた新しい毛布を支給されていた。
一晩のことに何でそんなに甘やかさねばならないか私はわからない。
避難したら新聞紙を床に敷いて、何枚も重ね着をして眠って当たり前だ。
それがいやなら、早めに毛布や蒲団を背負って避難するだけの個人の才覚の訓練が要る。

お弁当なども行政は配る必要はない。
天気予報を聞くことができるシステムがあるのだから、自分で歩けない老人や障害者は別として、避難する時、食料は自分で持って来るのが世界の当然だ。

http://dj19.blog86.fc2.com/blog-entry-174.html

709 :M7.74 :04/10/28 01:09:26 ID:EDL11owu

台風で学校に避難した人への毛布の支給は甘やかしだ
弁当も配る必要はない
天気予報をみて自分で持って来るのが当然だ
台風は教育のチャンスだから不自由を体験しろ

不幸にあって困っている人にこれかよ
曽野って狂ってんな

710 :M7.74 :04/10/28 01:25:32 ID:J0VNbtqK

しかも他の家の18歳には強制労働をさせようとしていたのにね。

804 :M7.74 :04/10/29 00:21:00 ID:plSGeWkT

台風で学校に避難した人への毛布の支給は甘やかしだ
弁当も配る必要はない
天気予報をみて自分で持って来るのが当然だ
台風は教育のチャンスだから不自由を体験しろ

困っている人にムチうつ
曽野ってマジ冷酷だな

713 :M7.74 :04/10/28 02:02:53 ID:nMICSvZ0

・他人には厳しく、でも自分には優しく

・強きを助け、弱きをくじく

これが曽野の2大ポリシーね。

747 :M7.74 :04/10/28 11:41:51 ID:4KJcltbg

台風の通り道に住んでるけど、瓦が飛ばないように瓦止めしたりの可能な対策はとってるよ。でも巨大台風の前に人力がどこまで敵うというんだ。避難する時だって、できれば食料家財道具一式持って逃げたいよ。でも避難所だってスペース限られるんだから、荷物が他人の迷惑になることを考えないわけにいかないし、駐車場の関係で車で避難できないことだってある。

車で避難できる人ばかりじゃないしね。年寄りに蒲団を担いで歩けというのか?
この人は実態を全然知らないね。

984 :M7.74 :04/10/30 02:17:47 ID:JeE2BsjS
地震の被災地で、勝手に火をおこすことの危険性について、このオバハンは考えたこともないのであろう。自分さえ飯が食えたらいいのだ。

大火になった、阪神のときの教訓は、このオバハンのどこにも見あたらない。
いいか、一帯は「禁煙」なんだよ、「禁煙」
河原でキャンプしてんじゃないんだよ! ボケババ!

986 :M7.74 :04/10/30 02:32:08 ID:ELkrp0dr
>「水はお米の量の1・5倍を入れれば間違いなく炊けることを多くの人が知らないのである。」

自分以外は全員馬鹿だと思ってんだな。おめでたい人だ。


988 :M7.74 :04/10/30 03:00:30 ID:yDO/dJ/K

こんなのが居るから世の中の女はマンコさえ開いてれば良いと思われるんだよな


http://kyoto.cool.ne.jp/sono001/archives/hisaisha.htm

[こんにちは]

この自称作家様の老婆はいつも自分だけがぬくぬくと別荘なんか持って寝言を書き散らしての甘えた生活をしているくせに、やれアフリカではだの、被災者や今の日本人は甘えているだのとぬけぬけと言ってくれています。自分の姿を省みるということがない、いわゆる自己愛性人格障害の持ち主のようです。こういう人物が保守かと思われると実に情けない気がします。
06/10 13:45 By:方向 URL


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[蛇足ですが、、]

曽野綾子『最高に笑える人生』

あげたい人と受けたい人の間だけで行われれば何の問題もないのに、臓器を取られたくない人たちは長い間その邪魔をし続けた(臓器移植問題)。

民主的に選ばれた議会の決定を拒否し、お金も時間もかかる投票をやり直す住民投票は、選挙制度を拒否するものだと思う(吉野川河口堰問題)。

人間の幸福や死とは何か、私たちの時代の「現実」とは何かを、旅と思索を続ける作家が、率直に語るエッセイ集。

いやはや迷言自慢・暴言自慢の吾人ですね。

02/01 13:54 By:労働者 URL


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[これだから笹川財団会長は・・・]

曽野先生トバしてますねー(笑)

しかし、冷静に考えれば寝袋ならともかく、蒲団と毛布を背負って避難所に行くということは、どう考えてもヘンですよ。(最悪暴風雨のなか背負っていけとでもいうんでしょうか?)むしろ自分の蒲団や毛布を使用したらKY扱いされそうです。

それから、「食料くらい用意せよ」といいますが、まあ一理あるとしても、だいたい至急避難するように言われるわけですから、着の身着のままで普通は避難するものだと思いますが、どうなんでしょう?

曽野綾子、上坂冬子、金美齢、(クライン孝子、マークス寿子なども?)あたりのオバさん連中は、上に媚びて下を見下す意識だけは強いようですね。
01/31 21:39 By:凡人69号 URL

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[]
労働者さんへ

>このおばさんは党員労働者が勝利したのはおかしい・資本主義社会
>なんだから差別されて当然と書いた。

今までこのおばさんの家永裁判や集団自決訴訟での権力べったりな証言ぐらいしか知りませんでしたが、これもひどいですね。 まあ、このおばさんには自らが被災した時に配給を受けないで新聞紙にくるまりながら過ごすそうですから、ぜひ、有言実行して欲しいものです。


01/26 08:36 By:やっしゃん URL
________________________________________


[いやー酷いね]

このおばさん、ハッキリいって嫌い。感覚が非道すぎて。反動派(保守派だとまともな保守派がかわいそう)のお仲間を弁護し、少数派意見・反動派へ反論する言動についてはバッシングする。

大企業で働く共産党員労働者が経営者から差別を受けたことに対して党員労働者が起こした裁判で、党員労働者側が勝訴したとき、このおばさんは党員労働者が勝利したのはおかしい・資本主義社会なんだから差別されて当然と書いた。

キリスト教を信仰する自衛官が殉職した時、遺族の意思に反し当局が勝手に護国神社に合祀したことに対する裁判では、当局の肩をもち 裁判を起こすのはおかしい・私なら訴えないといったそうだ。

暴言を数々言ってきた吾人である。 で、今回の妄言

 「早めに毛布や蒲団(ふとん)を背負って避難するだけの個人の才覚の訓練が要る。
 お弁当なども行政は配る必要はない。天気予報を聞くことができるシステムがあるのだから、自分で歩けない老人や障害者は別として、避難する時、食料は自分で持って来るのが世界の当然だ。」

アメリカで貧民層がすむ地域をハリケーンが襲い当局の不手際もあり被害が拡大したことに対する批判の声が上がった時、ブッシュJrとお仲間たちも似たようなこと言っていましたね。何で早く避難しなかったのか!とね。

おばさん・おばさんの仲間たちは、よっぽど堅固なところに済み・非常食やアウトドア調理器具をたくさん持ち・各種道具をたくさんつめる立派な交通手段をもっているかもしれないが、一般庶民はできっこない。布団だの、食料だの、調理器具だの抱えて出ることのできる人間なぞ極々一部。

ああ非常識な連中とつきあっているだけあって貧困な思想。非常識な連中? 3K文化人とかの手合いだよ。
01/25 14:04 By:労働者 URL

http://dj19.blog86.fc2.com/?mode=m&no=174&m2=res&page=0


[]
この人が何者かは知りませんが、

この人はこのことを被災者の前でいうことができるのでしょうか?

言えるとしたら、とんでもないひとです。

01/18 02:06 By:軽く流してください URL

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[]
曽野綾子さんはいったいいつの時代の人なんだか。歳喰ってボケちゃってんのか?と思ったんですが、そうじゃないようですねw

なんで戦中の日本や発展途上国よりマシだ的なところで思考停止しちゃうんでしょう。

この人はワーキングプアの問題なんかでも「甘えるな」「鍛え方が足りない」と権力者側からの一喝で済ませ、結局、今起きてる問題をどうすればいいのかがさっぱり見えてきませんね。

01/15 22:41 By:やっしゃん URL

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[せこい]

何かと古い左翼批判にもっていくせこいメンタリティ

本人無意識なんだろうけど、避難者への見下し目線が沖縄の人たちに対するものと似ているような気がしますね。

余生をアフリカで過ごしてくれるなら尊敬しまくりますが。
たかだか17日間の大名旅行で何がわかるんだか...
01/14 19:51 By:ホドロフスキ URL


[こんにちは]

きっとご本人は、どんな台風や地震に襲われても大丈夫な要塞のようなお家にお住みなのでしょうね。
しかし、この人はいつもアフリカだとかの話を引き合いに出しますが、それって単に自分の言いたいことを正当化するために、他人の不幸をだしにしているにすぎないように見えますね。
01/14 17:13 By:かつ URL

http://dj19.blog86.fc2.com/?mode=m&no=174&m2=res&page=1

305 :吾輩は名無しである :2011/03/07(月) 23:44:11.49

桜井よしこと曽野綾子、どっちが偉いか?いや馬鹿か?いや厚かましいか?
おばはんは凄いよ。恥ずかしげもなくってのは、おばはんの特権だ。


308 :吾輩は名無しである :2011/03/08(火) 04:12:41.62

男は、自分の程度が認識できる。受験戦争や、会社での競争によって。
しかし女は違う。だから勘違いする。もし安倍が世襲議員でなくて例えば三菱か住友で会社員になったとすると、まず成蹊というコンプレックスから脱却するのに苦労する。その苦労でもまれて脱落するかも知れない
(ご承知のように超大企業では馬鹿にされる)、あるいは、実績で勝ち抜くかも知れない(まれだがね)。

ところが女は、競争社会にいない。聖心やハワイ大学(たしか桜井)でコンプレックスも持たずオバマとか小泉とか偉そうに評論する。おいおい、男がそんなこと井戸端会議で言うのは良いが、意見を公表してみろよ。お前ごときがよく言うよと袋叩きに会うだろう。

馬鹿女はいいよなあ。ノーテンキで。
アーメン、ラーメン、ああ、ハワイ。

309 :吾輩は名無しである :2011/03/08(火) 04:18:16.42

まあ、コネでないと成蹊では三菱、住友には入れないがね。聖心は、受験さえすれば、特に曽野の当時は誰でも入れた。何故、曽野がお茶ノ水や、津田や、東京女子大に行かなかったか?合格しないからだよ。その程度で書ける評論だ。オバマが、とか小泉がだとか。偉そうに。

175 :吾輩は名無しである :2011/02/22(火) 22:04:05.61

世間知らずの駄文を書いています。

273 :吾輩は名無しである :2011/03/05(土) 09:58:34.88

今朝のNHKのTVで曽野綾子氏が出ていた。またベストセラーを出したらしい。
老人の生き方に関するものらしい。

今の老人は甘やかされ過ぎている。そのことは老人のためにならない。
老人は自立せよ、老人も死ぬまで働け等々、なかなか辛口の提言を書いた著作のようだ。

 曽野氏の提言を受け入れることで老人は何を得るか?
何よりも自由が得られるでしょう、と曽野氏は言う。 自由こそ至高のものだと曽野氏は考えて居られる。


83 :吾輩は名無しである :2011/02/13(日) 19:03:52

こういう年をとっただけで大人になったと勘違いした我侭な子供を甘やかしてきたから今の世の中がある


84 :吾輩は名無しである :2011/02/13(日) 21:59:14

息子さんも軍隊に行く年でないし、曽野さんにとって徴兵は自分達と何の関係もない。
そういう身軽な気分で発言されているんだね。

85 :吾輩は名無しである :2011/02/13(日) 22:17:31

要するにこの人絶望的に頭が悪いんでしょ。


13 :吾輩は名無しである :2011/02/07(月) 15:38:34

ボケ老人は、絶対本人がボケたって言わないからな
酔っ払いが酔っていないと言い張るのと同じで

高度な知性や教養があるのなら、自らの老いを多少とも自覚しながら、偶に僭称、自嘲でもしながら言う方がまだ説得力もあるだろう

だがしかし、この婆は常に上から目線の説教のみ
それは「永遠のサンケイライター」でのみ許されることw

29 :吾輩は名無しである :2011/02/08(火) 19:14:30

ともかく偉そうな婆だなあ。何様なんだこいつ。たかが聖心女子大程度の低偏差値で、加えて迷信婆だぜい。

ああ、マリア様、私をいじめる悪人に罰を加えてください。
ローマ法王様、お救いください。ガリレオが天動説を唱えたように、私を誹謗中傷する馬鹿たちは愚かです。アーメン。

39 :(*´ェ`*)鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ :2011/02/09(水) 04:30:31

曾野綾子って、実際はアンチクリストだよな。発現内容に逆の意味があると見透かされる程度に底浅い。それは、傲慢の罪でさえある。
 ある行為を禁止したり、社会や人格の在り方を見下したりする行為は、その逆に拠って世界の秩序が保たれる現実を見据えなくては無意味。

  俺は、キリスト教はおもしろく思わないが、キリスト・イエスの価値は認めるに吝かでないよ。

42 :吾輩は名無しである :2011/02/09(水) 07:54:39

聖心女子大卒の、衆に優れた秀才だと思っているのだよ。
自分以外には気づかない素晴らしい言葉を述べていると自分自身で陶酔しているのだよ。

173 :吾輩は名無しである :2011/02/22(火) 16:56:11.33

きみたちってどうして曽野先生の話題にそんなに夢中になっちゃうの?
そんなに好きになるもんかねえ、あんな汚ねえばあさんを・・・


43 :吾輩は名無しである :2011/02/09(水) 09:34:35

「 農業を圧迫する野獣に対して政府は無能である。私が神奈川県で畑をしている土地でも、まず鳥害、ついでウサギやタヌキにやられている。うちの天ブクロの中で、ハクビシンだかタヌキだかが4匹も子を産んだ。皆ほんとうだ。

イノシシ、シカ、カモシカは、農業林業の敵である。

しかし一番恐ろしいのはサルである。網をかけても有刺鉄線でも防げない。網をかけても目の間から手を伸ばし、明日が食べごろという豆を採ってしまう。

だからほんとうの山間部の人は野菜など作れない。サルが食べるために野菜を作ってやることはないから、スーパーまで買い出しに行く。

 これはやはり政治が政策を放置しているからだ。」
(「カラスが撃てない」 より)

44 :吾輩は名無しである :2011/02/09(水) 09:44:07

『これはやはり政治が政策を放置しているからだ。
山の一定区域は動物の聖域。しかし町や耕作地帯は人間のものだから、断じて排除するという姿勢が要る。
・・・・・・・・・・・・・・・・・

何が何でも殺すのはかわいそうという人は、思考が途中で切れている。

そういう人たちがすべて完全な菜食主義者なら私は納得するが、トンカツやヤキトリやハンバーガーは平気だとしたらいい加減なものだ。』
(「カラスを撃てない」より)

45 :吾輩は名無しである :2011/02/09(水) 11:30:32

『こうした現象は、日本人全体の国防思想と関係がある。「平和を願えば平和になる」という甘い言葉の信憑性が最近やっと崩れた。多くの人が、二度と再び戦争の悲惨を繰り返したくないから、死んだ肉親や友の魂がいる靖国に参るのに、それをわからない外国の政府があることを私たちは学んだ。

それらの国は今でも地雷を商売として売っており、私はアフリカの多くの国で、●●製××国製(中国など)の地雷でやられた、という多くの足を失った無辜の人達に会っている。
(曽野綾子「カラスを撃てない」より)


50 :吾輩は名無しである :2011/02/09(水) 13:57:22

>>45
『 日本は武器を輸出していない。しかも人道上、そうした国々(中国ほか)が金もうけのために輸出した地雷の除去という後始末をしている。
可能かどうかは別として、ゴミと同じで、地雷も生産国が除去費用を負担するのが当然だ。

襲ってくるカラスさえ銃で撃てない。皆が平和を望んでいるはずだから、という未熟な
思い込みが、筋の通らない無責任な生き方の人間を(日本では)作っているのである。』
(曽野綾子「カラスを撃てない」より)


53 :死神 :2011/02/09(水) 14:12:21

★ 対人地雷生産国  (参考) 16ヶ国、

中国、ベトナム、北朝鮮、韓国、
インド、パキスタン、ミャンマー、シンガポール、
トルコ、イラン、イラク、エジプト、
ロシア、ユーゴスラビア、USA,キューバ、


68 :吾輩は名無しである :2011/02/10(木) 09:12:39

>>51
>地雷も生産国が除去費用を負担するのが当然だ。

これは当然ですよ。曽野さんがこの問題にもっと踏み込んで中国や米国など
なにかと皆が遠慮してしまいそうな大国を批判して頂ければよかったんですが、そこまでは行かなかったようですね。


55 :吾輩は名無しである :2011/02/09(水) 14:28:25

カラスへの私怨から地雷にもっていく手法は「漢字」もろくに読めない粗野先生ならではです。 凡人には真似ができません。
また、こんな本買って読むのは、地雷を踏まされるともいいます。


56 :吾輩は名無しである :2011/02/09(水) 14:53:53

カラスにムキになっている平和な頭の曽野綾子

21 :吾輩は名無しである :2011/02/08(火) 11:16:16

曽野氏はカラスは害鳥だから殺せとか書いていたが、カラスは頭がいい。

映像で知ったのだが、公園の水道の栓を廻して水を出して飲む、お墓や祠のローソクを火がついていても怖がることなく盗む。ローソクを食うようだ。
火がついているから、カラスの運んだローソクが不審火の原因になることもある。

驚いたのは町の公園のすべり台ですべって遊ぶ。2,3羽が面白そうに遊んでいる風景にはびっくりした。 何回も繰り返してすべるから、これは遊び感覚だろう。それ以外の目的は考えられない。
ま、そういう可愛いカラスも人によっては大嫌いということか。


25 :(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2011/02/08(火) 12:34:11

無用の用を死らぬパンチラばあさんは 藁貸し増すねぇ〜(笑)カラスは害虫害生物を食べてくれるのでその貢献度はパンチラばあさんの非では無い〜(笑)
一度パンチラばあさんは脳溢血で倒れ要介護人でもなられては道です〜(笑)


48 :吾輩は名無しである :2011/02/09(水) 13:13:42

あ、いや粗野先生がブンガクシャであることを忘れていました

人はいかにして、カラスに襲われた恐怖から電波人間に変容するのかを書き現した本なのですね


54 :イラ子さんの日記 :2011/02/09(水) 14:21:46

カラス『かぁ〜、 かぁ〜、・・・・・』

イラ子『あ〜、うるさいカラスだ! おどかしてやる!』
 
ズド〜ン! ズド〜ン!・・・

カラス『きゃぁ〜、きゃぁ〜・・・・』


67 :吾輩は名無しである :2011/02/09(水) 22:49:16

★ ヒス子の日記

カラス『 かぁ〜 かぁ〜・・・・』

ヒス子『うるさい! カラスだ、銃でおどかしてやる!』

ズドン! ズドン! ・・・

ね こ『 にゃ〜ん、にゃ〜ん・・・・』

ヒス子『しまった! 弾がそれて、お隣りのミケにあたった!』

57 :吾輩は名無しである :2011/02/09(水) 15:08:02

アフリカに行く

貧しい人を見る

日本でカラスにムキになる

撃ち殺さないのは日本が平和ボケしているからだ!


頭が平和なのは曽野さんあなたですw

60 :吾輩は名無しである :2011/02/09(水) 18:41:10

デイビッドロックフェラーと曽野綾子って似ていると思わない?
悪人の顔って似るのかな。

61 :吾輩は名無しである :2011/02/09(水) 18:43:17

カラスと喧嘩する曽野綾子

62 :吾輩は名無しである :2011/02/09(水) 18:44:01

カラスがライバルの曽野綾子

65 :吾輩は名無しである :2011/02/09(水) 21:58:08

カラスとガチバトル綾子

69 :吾輩は名無しである :2011/02/10(木) 11:52:49

カラスに八つ当たりするだけで止まる曽野綾子

71 :(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2011/02/10(木) 18:13:46

68
刺すればカラスがライバルのパンチラばあさんは原爆被爆者の補償は米国が負担するのが当然だと逝っておるので消化ねぇ〜(笑)
権力主義者パンチラばあさんは藁貸し増すねぇ〜(笑)

73 :吾輩は名無しである :2011/02/10(木) 22:23:09

聖心のお口だけ才女に、それがどれくらいの意味があるのか、
おしえていただきたいものです

カラスに銃を向け、2次方程式も解けない女に何ができる、
と言い返されるのがオチ

なんてことにならなければいいのですが

74 :吾輩は名無しである :2011/02/10(木) 22:24:12

日本でカラスに銃を向ける平和ボケ女。


75 :吾輩は名無しである :2011/02/10(木) 22:28:01

アメリカでカラスに銃を向けたら警官に射殺されるなw

104 :吾輩は名無しである :2011/02/17(木) 12:53:45

がんばってバカでなくなったら銀シャリ?

今は雑穀混ぜた方が高かったりするのだが、
貧乏人は麦を食え時代から進んでいないのね
さすが先生

113 :吾輩は名無しである :2011/02/18(金) 10:08:39

低学歴なのに(だからかも知れないが)知識批判(特に数学とか)や信仰を楯に差別的言辞を展開するからその反動で叩かれるんだよ。


116 :吾輩は名無しである :2011/02/18(金) 13:38:44

でも、微積は出来ないけどどうにかなる、というか必要ないと言って威張っているからね。あの年代で学卒なんて国立以外は大したことないよ。
旧帝大だって地帝の文学部(井上靖が最初に入った九大とか)なら無試験でパスという時代だよ。 団塊よりも上の奴らなんて話して見れば分かるけど実はゆとり以下の大馬鹿ぞろいなのさ。


119 :吾輩は名無しである :2011/02/18(金) 20:56:55

ああ、そうか本人の資質や文章にまったく関係ない大学がすばらしいだの美貌だのといってるのってそこいらの熟女モドキのミーハー需要程度の解釈でいいってわけか

126 :吾輩は名無しである :2011/02/19(土) 04:12:24

アーメン、ローマ法王さま、神の忠実な子羊たる私を貶める馬鹿たちを地獄に落としてください。そして神とキリストと聖霊は一体であること(三位一体)、ガリレオの天動説は間違っていること、ダーヴィンの進化論
はでたらめであること、ファティマにマリア様が降臨されて予言をなさったこと、を、この馬鹿たちに説明してやってください。

私は黄色い東洋人で東洋人の多くは仏教徒ですが、私は聖心女子大という偏差値は低いがお嬢さん学校を卒業しているカトリックのしもべです。お救いください、法皇さま。あなたは神の代理人なのですよね。

130 :吾輩は名無しである :2011/02/19(土) 07:44:08

夫婦揃って、まともに働いて来なかった人間だな。こいつらは。
そのくせ他人の労働問題に知ったかぶりで説教するのだから、こんな醜い老人でも天罰が当たらぬ程度の宗教なのだろうよ。 カトリックとやらはよ。

で、てめえが敬虔な信者ですなんてのはその宗教の信者以外には絶対に通用しないものなんだが、この馬鹿女はババアになるまでそんな事にすら気付いちゃいない。
ていうかカトリックに対する冒涜じゃねえのか?
あと、郵政関連の不祥事と非正規の切り捨てに対してちゃんと責任を取れっての。
世間に甘えるなよ糞女が。


131 :吾輩は名無しである :2011/02/19(土) 08:09:18

偉そうに振舞う女であることは確かだ。

135 :吾輩は名無しである :2011/02/20(日) 00:43:18.22

綾子センセイは、「負」の働きです。
ヒキコモリの方が、何もしない分まだましですなw


136 :吾輩は名無しである :2011/02/20(日) 00:52:22.54

曽野のヤバイところは当たり前の事を大威張りで書くのもそうだけど、
自称作家のくせに下調べしないで被災者とか失業者ディスるトコじゃね?


137 :吾輩は名無しである :2011/02/20(日) 01:35:29.34

まあ昔の話だが、中越地震の時の被災者は甘えるなってのには腹が立ったね。
俺、たまたま現場にいたから余計にな。


138 :吾輩は名無しである :2011/02/20(日) 02:29:05.01

甘えている人間ほど簡単に人に甘えるなって言うよ。

139 :吾輩は名無しである :2011/02/20(日) 03:04:54.56

身に沁みてわかるんだろうなぁw

140 :吾輩は名無しである :2011/02/20(日) 03:59:17.23

あっはっは、クリスチャンときたね。アーメン。

145 :吾輩は名無しである :2011/02/20(日) 20:30:49.07

馬鹿が偉そうにしているのが気に食わんということだよ。
クソ野のことだよ。お前はここで貶されてるのは不本意だろうが、でもな、お前は、いつも新聞などで人を傷つけてるのだよ。低偏差値のくせに。微分積分もできないくせに。クリスチャンが聞いてあきれる。馬鹿か。

170 :吾輩は名無しである :2011/02/22(火) 11:16:03.55

『インドのヒンドゥ社会の最下層と言われる不可触民(ダーリッド)の子供たちのために、学校を建てる仕事をしていた時、私は南インドで不可蝕民の婦人たちと何度もつき合う機会があった。・・・・・・・

階級意識は複雑で人間的なものであった。差別は外部から見ると許し難いものと思われたが、一歩中に入ると、それは箱庭細工が無事に箱の形に納まった時のように、一種の確固たる安定をもたらすように見える場合もあった。

それに解決法というものは、いつも差し当たり身近にあるやり方で行われる。
差別を受ける意識を解消するには、自分より低い階級を意識の上で作ればいいのである。』

(曽野綾子「弱者が強者を駆逐する時代」より)


171 :吾輩は名無しである :2011/02/22(火) 11:23:53.66

>>170
『「不可触民にも大きく分けて二種類あります。」 と一人のインド人がいった。
「どういうことです?」と私は尋ねた。

「不可蝕民には、上層と下層とがあるんです。・・・・・・

・・・・体を曲げて働くものが下層です。畑仕事とか、床の掃除とか・・・・

上層は、リキシャマンのように体をまっすぐ伸ばして働ける仕事です。」』

(曽野綾子「弱者が強者を駆逐する時代」より)

172 :吾輩は名無しである :2011/02/22(火) 12:26:10.55

『キリスト教徒は敬虔な信者でなくとても、最低の信仰さえ持っていれば、職業上の差別を持つのはおかしいと感じている。なぜなら、イエス自身は、当時、決して中流ではなく、むしろ社会の最下層に属していた大工の家に生まれて、その屈辱を体験しているはずだからである。それ故に神の目から見ると、あらゆる仕事はどれも全く大切なものとして、評価されているという意識があった。

 「しかし不可触民たちは、自分たちより明らかに下の階層があると感じられれば、それで安心するんです。』
(曽野綾子著「弱者が強者を駆逐する時代」より)

181 :吾輩は名無しである :2011/02/23(水) 15:35:46.93

『インドを訪問した時、不可蝕民の婦人たちが四百人近くも集まって、私たちを歓迎する「演芸大会」と開いてくれた時である。 そこでカトリック神父の招きで、ジプシーの婦人たちにも踊りの出番があった。・・
・・・・・・・・・・
ジプシーの踊り子たちが姿を現すと、大多数を占める不可蝕民の婦人たちはあきらかに侮蔑を含めた「あー」という声を一斉に洩らしたのである。』
(曽野綾子著「弱者が強者を駆逐する時代」)

182 :吾輩は名無しである :2011/02/23(水) 16:06:18.88

>>181
『階級制度に組み込まれ、そこに安住すると、一種の繭の中のサナギのように守られているという安定を覚えて、心理的に楽になる面があるらしいということを、日本人は理解しにくい。
もちろん同時に、そのような階級世界に閉ざされることの苦痛も残るはずである。
 次の段階として、人は誰でも苦痛からは逃れようとする。 不可蝕民の場合最下層と卑しめられる苦痛から逃れるには、より低い階層を作って最下層から 逃れればいいのである。
 
こうした一連の心理の操作は、一番自然な解決方法で、少なくとも、私はそれを非難する理由を見つけられなかった。』
(曽野綾子著「弱者が強者を駆逐する時代」)


185 :吾輩は名無しである :2011/02/24(木) 09:09:50.10

キリスト・・・・・人の下に人を作るのはいけません。

曽野綾子氏・・・・人は人の下に人を作ってしまうものです。


186 :吾輩は名無しである :2011/02/24(木) 09:16:28.68

>>182
人は自分より弱いものを作りたがる。それが”人間性”だから非難できない、
と曽野先生は言われる。

キリストは、その人間の弱さを意志の力で克服しなさい。そのための支えとして神の力を信じなさい。こう説くのですね?
曽野先生は神の力を否定されています。

192 :吾輩は名無しである :2011/02/25(金) 00:19:50.02

『長い年月、人種問題はアメリカにとっても、アフリカ大陸にとっても、大きな摩擦の種であった。
その問題を正視するどころか、日本のマスゴミは、黒人と書くことさえ相手に対する侮辱だと感じていたところもあった。 だから「ちびくろサンポ」が一斉に絶版になっていたのである。』
(曽野綾子「弱者が強者を駆逐する時代」)


194 :吾輩は名無しである :2011/02/25(金) 01:02:28.70

70過ぎてネトウヨと同レベルの曽野綾子。

195 :吾輩は名無しである :2011/02/25(金) 02:58:25.77

偉そうに、よく言うよ。カトリックだからなあ。

神様、進化論は間違いですよね、天動説もね、十字軍はよく頑張りましたよね、マリア様はファティマだけでなく、東京にも降臨しないでしょうか。

この迷信ばばあ。


198 :吾輩は名無しである :2011/02/25(金) 09:42:12.26

『人種的には人間はすべて平等なのだから、問題にすべきでないというが、それだけで済まない要素はある。
・・・・・・・・・・・・
私は何度か南アという国に行ったが、・・・・・その時、私が感じたのは、黒人系の南アの人とは、仕事も勉学も金儲けも信仰の行事も、何もかもいっしょにできるけれど、生活だけはむずかしい、ということだった。
・・・・・・同じ町や地区に共生すsることには大きな問題が伴うということである。』
(曽野綾子、「弱者が強者を駆逐する時代」)

199 :吾輩は名無しである :2011/02/25(金) 09:59:13.98

『黒人の町は、アジア人や白人の町とは明らかに違いがあった、町の共用部分の掃除が悪いのである。それは一般にアフリカ大陸全体の特徴でもあった。
途上国の町の道路の汚さはしばしば絶望的な光景を見せた。』
(曽野綾子「弱者が強者を駆逐する時代」)


202 :吾輩は名無しである :2011/02/25(金) 11:43:14.81

『アメリカの民主主義は、理念としてはいかなる個人も平等に独立していると考える。法を犯さない限り、考えることは自由である。
都会住まいの日本人も、選挙の時、誰に投票しようが家族や一族の支配を受けない。
しかしアフリカは違う。アラブも違う。
・・・・・・・・
完全な民主主義も個人の選択の自由もなのにが普通で、その場合は族長支配が政治を動かす。 一族の長が命令した人に、そのぶぞくの人たちすべてが投票するのが当然なのである。』
(曽野綾子「弱者が強者を駆逐する時代」)


209 :吾輩は名無しである :2011/02/26(土) 12:26:59.55

人生経験が豊かになるとカラスと本気でケンカするようになるのかな。
それにしても普段他人様には自己責任だ政府に頼るななどとおっしゃっていた方なのだからカラスくらいは自分でブチ殺して欲しいものだ。


210 :吾輩は名無しである :2011/02/26(土) 13:53:18.89

黒人とカラスが気に入らないだけでは?

214 :吾輩は名無しである :2011/02/26(土) 21:02:14.47

>>210
どっちも「悪魔」とでもおもってんだろ、カソリックババアはw

211 :吾輩は名無しである :2011/02/26(土) 15:42:48.01

狙いとしては過度なアファーマティブ・アクションに対する異議申し立てにあるわけなんだけど、言い方に芸がないから単なる差別的言辞や自慢話としか受け取られないの。
で、アメリカ社会に関しては家父長権を基盤とした部族的制約はなくても自立した諸個人によって形成された信徒団体が投票行動を左右している という“制約”をなぜか無視していますね。

単純に自由と民主主義という政治体制に適合しやすい文化基盤を白人が有しているというだけの話なんですね。

そりゃそうでしょう近代民主主義はキリスト教の世俗化の過程から生まれたんだから。

213 :吾輩は名無しである :2011/02/26(土) 18:47:32.74

露悪主義による批判は論者の倫理的立場を際立たせるだけで 現実的な効力はないよ。
例えばこの間のCOP10のアフリカ諸国代表によるタカリ同然の利益要求に対して曽野のような主張をすれば話がまとまらない。

実際、欧米諸国の代表は呆れかえって帰国準備をし始めたわけだし。

自由と民主主義や公共性の概念は万国共通ではない、という限界性を明らかにしているだけですね、曽野さんのエッセイは。

でも、ユニバーサル・チャーチの御旗を掲げるカソリック(“普遍”という意味ね) の保守派論客がここで留まったら駄目ですね。

217 :吾輩は名無しである :2011/02/26(土) 22:50:21.11

曽野程度の単純な見解など、もはや文学として取り上げる必要のないものなのでイラン婆

文学とか芥川賞とか後から箔付けて有り難がらなければならないというのなら個人の自由の領域だがw

221 :吾輩は名無しである :2011/02/27(日) 09:45:50.84

『アラブ人やアフリカ人から見れば、アメリカ人、日本人、中国人などは、真の隣人には成りえないのであって、ましてや、自分たちの部族内のもめごとの解決になど、決して乗り出してほしくないのである。』
(「弱者が強者を駆逐する時代」より)

222 :吾輩は名無しである :2011/02/27(日) 09:59:15.42

『オバマの血の中に半分流れている黒人の血が、どのような効果をもたらすのか、 私は非常に興味がある。
日本の多くの人たちが、アメリカは多民族国家だから白い人、黒い人、黄色い人もいて、それらの肌の色はアメリカ人としてすべて組み込まれ、平等の意識の元に理性的な統一がなされるだろう、と思い込むかもしれない。しかしオバマの黒人としての自覚は、決してそんなに簡単なものではないだろう。』
(「弱者が強者を駆逐する時代、 オバマの血」 より)


281 :吾輩は名無しである :2011/03/05(土) 13:12:53.15

オバマの中にはせめぎ合う二つの感情があるはずだ。民主主義的平等の論理で割り切ろうとする合衆国の意識と、部族的文化を夜の闇のようになみなみと温かく湛えたブラックアフリカの血脈の生理とが、オバマの中に共存しているとすれば、この二つをうまく処理することは、実はかなり難しい問題なのだ。
(「弱者が強者を駆逐する、オバマの血」)

282 :吾輩は名無しである :2011/03/05(土) 13:20:54.80

『理詰めの個人主義と、すべてを部族の運命共同体で包み込もうとする
社会の論理とは、ほとんど相容れない方向性を持っている。どちらを取るかは、善悪の問題ではない。そうした対立が、オバマの中でどう動くかが問題なのである。
オバマ大統領に対する世界の期待は、かつてのアメリカの大統領が一人として持ちえなかった部族社会に対する理解、親近感、納得などをオバマがどう扱うか、固唾を飲んで見守っているという感じだ。』
(曽野綾子著「弱者が強者を駆逐する時代、オバマの血」)


223 :吾輩は名無しである :2011/02/28(月) 19:30:09.19

やたらにオバマ大統領の黒人性を強調したがるが、大統領になったら白も黒も黄色もなかろう。そんなレベルにとどまることなど許されないだろう。
「黒人としての自覚」などに踏み留まっていられたら、大統領として何もできない。
今のオバマは全ての人類全てに責任を感じないとならない立場だから。


226 :吾輩は名無しである :2011/03/01(火) 01:41:32.94

>>222
さんざんアフリカ諸国を回ってきて世界を知ってるなんて豪語しているお方が
"黒人"ねぇ。アフリカ諸国の文化風習の差異並びにネイティブ言語のそれはヨーロッパ諸国のそれを凌駕するぞ?
一括りに黒人て100年前の知識しかねえんだな。現地行ってたくせに何を見てきたんだこいつは。


227 :吾輩は名無しである :2011/03/01(火) 05:14:47.11

曽野ファンなんて馬鹿が本当にいるのだな。こんな思い込みの激しい
二次方程式も解けない低偏差値(聖心だぜ、聖心)の馬鹿ばばあを。


29 :吾輩は名無しである :2011/03/01(火) 13:15:00.99

大統領って知恵遅れの疑いがある曽野が推し量れる立場じゃないよな。


230 :吾輩は名無しである :2011/03/01(火) 18:26:45.22

ブッシュ大統領は知能遅れだったとか・・・


231 :吾輩は名無しである :2011/03/01(火) 19:14:26.11

こいつオバマとか何とか偉そうに評論するが、いったい何様なんだ。低偏差値の迷信ばばああに過ぎないのに。

293 :吾輩は名無しである :2011/03/06(日) 20:25:41.04

エッセイだろうが、なんだろうが、 すぐに馬脚をあらわすアヤコセンセイ

塊という漢字読めなかったもんねぇw


294 :吾輩は名無しである :2011/03/06(日) 20:40:32.17

漢字の読みのお勉強「まず塊よりはじめよ」。うん?

369 :吾輩は名無しである :2011/03/13(日) 02:07:54.59

今度の災害については人々の行動について何と書くだろうか?

371 :吾輩は名無しである :2011/03/13(日) 02:30:40.27

被災したバカ老人たちが自衛隊を使って、とんでもない国費のムダ使いを
したというのが、彼女の意見だろうか。
多分、曽野さんならこう書くだろう。
『わたくしなら、津波の来るような地域には年をとったら住まない。云々』

仕方ないんだよね。曽野さんみたいな作家たちは、実際の現場に行って取材なんかろくにしていないから。人の苦しみが分かるわけない。

372 :吾輩は名無しである :2011/03/13(日) 03:03:38.65

371の通りだな。曽野は確実に思っているよ。なぜ被災するような海岸に、しかも逃げることも出来ないほど足腰の弱った老人が住むのかかと。甘えだ、国費の無駄遣いだと。そもそも小説家などという存在が無駄遣いということを認識しない低偏差値の馬鹿めが。こいつはいったい何様だ。

382 :吾輩は名無しである :2011/03/14(月) 15:12:15.33

災害地では、毛布が足りない、おむつが足りない、食料品が足りないと行政に訴える声があります。でもこれは甘えです。

 災害地は農村地帯に近いのです。農家へ買出しに行くことぐらいは誰でもできることです。 トラックが食料品を運ばなければ、足りない、足りないなどと被災者は言いますが、もっと自分達で動くべきでしょう。
アフリカでは、そんな甘えは通じません。


440 :吾輩は名無しである :2011/03/22(火) 10:13:43.68

今でてる週刊ポスト掲載のエッセイはすばらしいですね。
要は、地震が起きても「私は全く慌てなかった」(神奈川県にいた)。
なぜなら、として自分が用意していた備蓄の内容を長々と数え上げる。

で、「地震が近年眠りこけていた日本人の怠惰で甘やかされた精神を揺り動かしてくれれば・・・うんぬん」


441 :吾輩は名無しである :2011/03/22(火) 12:45:25.26

>>440
>眠りこけていた日本人の怠惰で甘やかされた精神・・・・・

曽野綾子がエッセーで繰り返し言い放つのが、この言葉だ。
まさか、今回の被害地に住んでいる寒村貧町の住民に向けて言っているのではあるまいね?
でも、石原都知事の「天罰」発言と同質のように聞ける。 

今回の2万有余の犠牲者を伴った天変地異は神の思し召しだったと言いたいのだろう。


444 :吾輩は名無しである :2011/03/22(火) 13:23:49.27

こんな事態になっても、日本に対してそれだけの嫌味を言える人の神経は異常。
大したものだ。 すごいものだ。 あきれたものだ。


445 :吾輩は名無しである :2011/03/22(火) 13:42:36.00

まじめな話、性格異常ですね。
こういう時に自分の備え並べ立てて得々と自慢する。
あげく見開き2ペ−ジのスペースで被災された方々への思いは何一つ述べられることが無い。
ただ、日本人は備えが甘かったという。じゃあ、この方はコンロだの水だの備蓄してるからいきなり津波が襲っても平気だというんだろうか。

読み取れるのはこの人の現代日本人への憎悪のようなものと、自己愛(自慢)のみ。

446 :吾輩は名無しである :2011/03/22(火) 16:31:53.97

そりゃ神奈川にいたら慌てないでしょうね。
子供に笑われるよホント。
震度7の地域にいた人が慌ててるように見えるのですか?
慌てる暇も無いですよw


463 :吾輩は名無しである :2011/03/23(水) 10:52:47.07

この人が書いたエッセー。今度の地震ぐらいで考え方が揺らぐことないだろう。

@ 大型台風被害について、「一晩くらいの事で何でそんなに避難者を甘やかすのか、避難するなら健常者は食糧寝具くらい自分で避難所に持って来るのが普通」 (某コラム)

A新潟県中越地震について、「避難所で救援物資を当てにして待っている避難者は甘え過ぎだ。避難する時に寝具を担いで逃げるのは当たり前。
自分ならガス漏れの心配のない所ですぐに火を熾して米を炊く。
必要なものが手元にないのなら、その辺で調達してくる才覚も必要だ」
 (某コラム)

B戦地に折鶴を贈る市民運動に対し「戦地に送るなら金を送った方が遥かに有用なのに、全く馬鹿げている」と批判。しかし戦地に募金や物資を送ることについても「甘やかすな」と批判している。

↑ ま、ざっとこんな調子だ。

470 :吾輩は名無しである :2011/03/24(木) 09:48:48.65

曽野綾子の学歴など何の関係もないと思うが、彼女は思い込みの激しい性格だな。
まず自己主張ありきだ。それから適当な根拠話を書く。その際に彼女の貴重な体験を多く語るから、何かとってもユニークは主張、エッセーになるんだ。
何冊かの彼女の書いたものを読むと、書いていることが論理的に破綻しているのは多いな。


471 :吾輩は名無しである :2011/03/24(木) 10:08:37.79

そうだね。女性的と言うと問題かもしれないけど、
なにか狭い世界で物事を判断してる、わるい意味で主婦の世界のような。
自分の体験の範囲、それと自分が接しえた範囲の人間の意見だけがベースになっていて、ぜんぜん勉強してない。

災害に際しても、自分のサハラの経験を振り回して豪寸も疑うことが無い。
新しい現実を認めない、今ある現実を見て物事を考えようとしないわけだ。

472 :吾輩は名無しである :2011/03/24(木) 10:32:02.75

齢を取ると小説的な文章を書くのが億劫になる。
というかもう書けなくなる。

しかし世間一般の話をどうのこうのは死ぬまで言える。
ただそれは自分の世界観・人間観で語るわけで、その世界観が薄っぺらで人間観には頷けないと思う人たちには聞くに耐えないものだ、となる。

それでも語る。聞くに耐えないという人たちはバカな人たちだから、と。

482 :吾輩は名無しである :2011/03/25(金) 20:17:43.58

2万9千人の死者と行方不明者が出た天災の被災者に対しても曽野綾子はあ〜だ、こ〜不愉快なコメントばかりだ。 被災者が聞いたら怒り以外の何物も感じないだろう。


483 :吾輩は名無しである :2011/03/25(金) 21:39:02.00

「地震が眠りこけていた日本人の怠惰で甘やかされていた精神を揺り動かしてくれれば、多くの死者の霊も少しも慰められるかと思うのである」

だそうだぜこの馬鹿ババァ。


484 :吾輩は名無しである :2011/03/25(金) 21:55:25.69

東北沿岸部をソドムとゴモラに比してんだよな、
このバーさんというかあの名誉白人の黄色いキリスト教徒ってのは。


497 :吾輩は名無しである :2011/03/26(土) 09:16:28.80

曽野さんの書く内容は非常識に思える。そのために卒業校の名前を傷つけているかもしれない。 ただ、それはそれだけのことだ。  注目すべきは、彼女のバックボーンになっているらしいカソリックの精神だ。
日本で最も純朴で老人が多く、なおかつ豊かでもない地方の大災害に対して、怠惰で甘やかされた精神を揺すったなどと、普通の常識的な日本人が言うだろうか?

おそらく、彼女はカソリック教徒だから言えるのではないか。彼女は神罰と感じているのだろう。
神の罰が首都圏や関西、九州をはずして、東北の田舎の最も貧しい地域に降ろされたのが、何とも不可解に思う。


501 :吾輩は名無しである :2011/03/26(土) 12:47:42.10

ポストのこの人の話を読んだけど震災直後なのに上から目線でワロタ予想通り過ぎる
自分がいかに非常事態に備えてたかの自慢だ

513 :吾輩は名無しである :2011/03/27(日) 07:38:20.46

私は曽野の人格を問題にしているのではない。曽野程度の頭脳の持ち主が偉そうに説教を垂れるのをちゃんちゃらおかしいと笑っているのだ。こいつは馬鹿な迷信家だ。ミネラルウオーターを200本備蓄しているとか別荘は井戸水やら何やら小屋に備え十分などと無知蒙昧なことをほざいているのだ。聖心女子大卒の馬鹿が
だ。

552 :吾輩は名無しである :2011/03/31(木) 04:18:26.26

曽野は言うよ。なぜ足腰立たぬ老人や、逃げる方向も分別できない知的障害者が、三陸海岸のような危険地帯に居住しているのだろう。自分ならそういうこととはしない。彼らには自己責任という概念がないのである。なるほど「虚名高い」 低偏差値、花嫁学校の出身で、迷信家だけある。アーメン。


555 :吾輩は名無しである :2011/03/31(木) 08:49:53.73

ごく素朴に、キリスト教を文明とヒューマニズムをもたらす宗教だとする人たちには、
神なき国日本を叱咤する正義の女宣教師としてこのバーさんは映るのかも。

しかしどーもこのバーさんのキリスト教は偶像崇拝的、即ち土俗的民間宗教的キリスト教っぽいんで、
それでの日本土人啓蒙が、だからすんなりしているよーで、しかしめちゃ馬鹿げているよーで。(笑)


558 :吾輩は名無しである :2011/03/31(木) 22:22:02.36

曽野はもういい加減脳内日本や脳内若者を罵倒するのは止めて欲しい。
今回の震災に関して金を出せとは言わない。それはどうせ他人の金だからだ。
しかし口は出すなと言いたい。

被災地で今週号のWILLを読んでそう思う。被災者ならびに現場の救助者の感情を逆撫ですることばかり言いやがって。

お前の自慢話で死んだ子が生き返るのか?お前の脳内世代論で流された故郷が戻ると言うのか?
無芸無能人格卑劣ならばせめて黙れと言いたい。そうお前の旦那が言ってた実直の精神だよ。


568 :吾輩は名無しである :2011/04/02(土) 01:28:02.03

今週のポスト読んだんだけどなんでこの人はこんな時に偉そうに説教するんだろう。
戦争を体験した世代は一日ですべてが変わるような経験してるから強い
戦後の世代はひ弱

そういう内容だった

この人の目には被災しながらがんばってる消防団員や現地の人、家族を亡くしても未来に向けて頑張ろうとしてる若い人なんて見えてないんだろうか。
同じように空襲を体験した田辺聖子さんはただ心を痛めてるだろうと思う。
この人は戦争や昔の苦労を語るけど、お嬢さんだしたかが知れてる。
この人は鈍感すぎる。


583 :吾輩は名無しである :2011/04/03(日) 00:13:02.43

自分自身を棚においたような言動はどんなに正しそうに見えても正当性は持ち得ない。
曾野自身がおおいに現代先進国文明に甘え、他人に甘え、けして反撃することの無いその手段を持たない者達に甘えている以上、 甘え云々の議論に彼女が参加する資格はないと思われるがね。
今あるものが明日もあると思っているのは曾野自身ではないかね。

20年前の論調と日本社会産業理解のまま、あらたに学習、取材することなく埋め草文章を書き垂れ流している。しかも自分は現実社会の取材や体験をしていると言いながらね。

北九州で生活保護を断られ餓死者が出た時にも曽野は日本には貧困など無い。
貧困とは今日食べるものがないことだ(これも曽野が勝手に決めた定義だ)と新聞に書いていた。

餓死者がたった一人だったとしてもその彼は日本人じゃなかったのかと問いたい。
震災以前にも年間3万人の自殺者が居たことについて曽野はどう考えるのか。非常時ではない平時の先進国でだ。 おそらく曽野はそんな基本的な常識すら知らない。知るつもりもないのだろう。

584 :吾輩は名無しである :2011/04/03(日) 00:35:50.97

責任逃れの言い訳用言集としては中々良い出来だね。曽野のエッセイって。
ブラック会社やネズミ講的組織の長が末端から苦情が来たときにそのまんま使えそうな用例が沢山ある。
あと、他人に説教したくてしたくて堪らないある種の人格異常者も好きそうだ。
循環論法大好き俺は偉い系の人とかさ。
まあ日本には一億二千万人も住んでいることだし、上記の傾向のある読者だけを集めても100万人くらいはいるんじゃねえの。

587 :吾輩は名無しである :2011/04/03(日) 14:16:53.25

曽野ファンには周知の事実ですが、彼女は裕福な家庭に生まれ、戦時中疎開していて空襲を受けた事実はありません。 また、日本財団、各種の天下り団体の審議会役員、郵政の社外取締役等々、金は貰うが責任は取らない地位を渡り歩き続けてきた 真性の穀潰しです。

彼女の小説でベストセラーになったり、文学的に価値あるものと認められた者が一作でもあったでしょうか?

エッセイだけですよ。エッセイ以外売れてません。 でも自称小説家です。

だから各種団体や政府関係者に寄生するしか彼女には生きる術がなかったと言えます。
才能が無いなら自分は小説家などと言わないでそれこそ介護でもレジ打ちでもして生きていくべきだったでしょう。 まるで文化人であるかのように振る舞い何らの仕事もせずに各種団体に寄生する日々。
曽野流にいうなら甘えです。

本人自身は日本社会に甘えまくって生き続けてきたのですよ。そして同胞の日本人に対して、それもとりわけ社会的弱者に対してのみ甘えるなと言い続けています。

また彼女の人生の中で一体何時どこで死んでもおかしくない状況があったのでしょうか?
こんな甘ったれに平和ボケだなどと言われる人間は石原慎太郎や一部の司法関係者を除いて日本人には一人も居ないと思っています。


588 :吾輩は名無しである :2011/04/03(日) 15:09:47.84

>>587
エッセイ売れてるんだから各種団体に寄生する必要はないんじゃない
曽野はなんとなく偉そうだから各種団体のほうが『顔』として欲しがるわけで曽野の偉そうな感じがどうやって形成されたかには興味あるな

桜井よし子あたりでも曽野の前にでると大人しくなっちゃいそうだな
今の日本女性で一番偉いんじゃないかw


590 :吾輩は名無しである :2011/04/03(日) 16:10:10.04

このババア、避難所で何十人も死んでいるって聞いても
「甘えていたから死んだんだ」
と言うだけだな。
ブタババアが。

600 :吾輩は名無しである :2011/04/04(月) 18:27:21.83

だいたい道徳のようなことで偉そうなことを臆面もなくしゃべるのは女だ。男は日常、競争社会にいるから、偉そうなことを言うと、

「えっ、 お前が?お前のようなぼんくらが?」って言われるが、女は、言われない。

高坂、桜井、曽野なんてのが、そうだ。男で言えば帝京卒で「うん、今の 世の中は、なってない」と言うようなものだ。


661 :(o`.´o)materialist ◆m0yPyqc5MQ :2011/04/10(日) 09:46:58.24

パンチラ綾子ばあさんがここまで高待遇の理由は、パンチラ綾子ばあさんが皇族お気に入りの作家だからと家るで症ね〜(笑)バチカンからの受賞もそれに起因しておると逝った漢字ですけれども〜(笑)


665 :吾輩は名無しである :2011/04/10(日) 18:09:58.67

このバカ子先生、産経でも読売でも文春でも全く同じ内容の駄文繰り返し書いてるだけなんだけど。
これで原稿料貰うことの後ろめたさはないのだろうか?
日本人は甘えている。
電気の無い所に民主主義はない。
若者はバカだ。
電気のないところでは族長主義しか残らない。
廃材を燃やせ(バカもここまで極まると笑えない。)

全部この内容の繰り返し、しかも上から目線。
まあこいつ発展途上国全部まとめて族長主義とか抜かしてるんだけど各国政治体制も文化も全部違うぜ?なんだよその族長主義ってさ。
言わせんなよ。恥ずかしい。

あと、甘ったれてるのは曽野自身ですからさっさとおくたばりくださるか一族まとめてお前の大好きなアフリカにでも引っ越して下さい。この非常時に一番要らん人種ですよ。バカ子先生は。

674 :吾輩は名無しである :2011/04/11(月) 01:48:48.72

そのまんま東が一定の票を取ったように、曽野のファンも一定量いるよ。世の中
さまざまだ。不思議なのは、エリートは曽野を馬鹿にしている。貧乏人は当然、曽野を嫌う。すると、曽野のファンというのは小金もちの中小、零細企業経営者ってところだな。知性のない、低学歴の。

でもつくづく思うが、こいつは本当にパーだな。
仕方がない、低学歴だもんな、しかも迷信ばばあだ。


677 :吾輩は名無しである :2011/04/11(月) 23:30:21.67

一瞬ですべてを失った人は、泥土に咲いた名も無い花にも微笑む。
しかし通りすがりの人の無関係な世間話にも激怒することがある。
それは何も大災害に遭った人だけの心には限らない。

このバーさん、本当に作家なの?
人の心への想像力が全く無いじゃないか。

「こんな時こそ平常心」なんてその人が言われたら、ババアだって容赦はしない、
こんなの死んだってかまわない、で言ったやつを思い切りぶんなぐる。

687 :吾輩は名無しである :2011/04/14(木) 21:13:10.12

アーメンと天皇、両立するから不思議。無茶苦茶だあな。こいつの頭脳。
そして台湾帰化人の金何とかという日本国粋気取りの婆と仲良し。

705 :吾輩は名無しである :2011/04/17(日) 04:59:54.54

つきあうと嫌味なばばあだろうな、身の程知らずというか、馬鹿のくせに勘違いして威張っているという意味で。聖心卒ということで美智子皇后となんだか親近感を持ち、それで自分が上流になったつもりで、しかしながら競艇屋の一族(出身は最低)と交際があり、いやはやアイデンティティがはっきりしない。実は、しがないサラリーマンの娘の勘違い出世物語に過ぎないのだ。


710 :吾輩は名無しである :2011/04/17(日) 19:10:59.77

本人が上流と思えば上流だ。いまの若い人は美智子皇后が「粉屋の娘」と言っていじめられたことを知らないだろうな。当時は女官クラスにも旧華族の連中がいたのだ。その連中から見ると、聖心出ているだけの旧華族
ではない出身の美智子さんは粉屋の娘に過ぎなかったのだ。
しかしながら、いまや皇后は名門、同じ学校を出た曽野綾子も大得意。
あっはっは、アーメン。


713 :吾輩は名無しである :2011/04/18(月) 07:53:33.66

さっきラジオ聞いててワロタ
森本キャスターと曽野綾子が死にたいと思ってる被災者の年寄りは勝手に死ねばいいって言ってた
マジひでえwwww

糞野郎だな


722 :吾輩は名無しである :2011/04/18(月) 17:59:31.43

老いの才覚 (ベスト新書) (新書)

作中、それも冒頭に、災害が起きた時心構えの足りない人間が云々、と書いてあるが、その時点で読む気をなくした。
余震の間に家財道具を取りに戻る?
壊れた家、それも他所様の家の端材で炊き出しをする?
この方が「そうしたい」「そう心がけるべきである」 と思っていることは大変危険であり、
後者では正直に言って犯罪ではないか。
緊急時だから無断もちょっとしたことも許されるだとか、 この人こそエゴの塊だろう。
才覚などという言葉を使う資格はない。

740 : v(・x・)v鈴木雄介 ◆m0yPyqc5MQ 忍法帖【Lv=10,xxxPT】 :2011/04/21(木) 00:35:31.94

日本財団ってのはなんなんだよ!?


741 :吾輩は名無しである :2011/04/21(木) 01:04:10.56

競艇博打屋だ。笹川良一という右翼もどきが作り、運輸官僚がたかり、 親父の死後は明治大学卒の息子が世襲し、いまだ存続している謎の準国家機関。現代の七不思議のひとつ。曽野は、からんでいる。


756 :吾輩は名無しである :2011/04/22(金) 15:46:19.71

http://www.asahi.com/national/update/0422/TKY201104220321.html

「沖縄ノート」訴訟 集団自決に軍関与を認めた判決確定

さあ曽野よ。さんざん沖縄の人々を乞食呼ばわりしてきた責任を取れよ。
まずは土下座行脚して来い。この国賊が。

776 :吾輩は名無しである :2011/04/24(日) 10:11:57.68

さっき曽野綾子がTBSサンデーモーニングで 「電気空気水が当たり前なのは奇跡であって、不自由にもっと馴れろ」 なんてほざいてやがったぞ。
原発支持してきたてめーが言うな。
一族全員、嫁入りした奴も生まれた直後の赤ん坊も実験動物として扱われたいのかあいつは

http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/book/1296970756/

【被災者は】曽野綾子は凄いぜ!【甘えるな】


1 :M7.74 :04/10/25 03:01:24 ID:ffSo6Qos

 学校その他に避難した人たちは、ラベルのついた新しい毛布を支給されていた。一晩のことに何でそんなに甘やかさねばならないか私はわからない。避難したら新聞紙を床に敷いて、何枚も重ね着をして眠って当たり前だ。それがいやなら、早めに毛布や蒲団(ふとん)を背負って避難するだけの個人の才覚の訓練が要る。
 お弁当なども行政は配る必要はない。天気予報を聞くことができるシステムがあるのだから、自分で歩けな
い老人や障害者は別として、避難する時、食料は自分で持って来るのが世界の当然だ。

これは地震じゃなくて、先日の超大型台風についてのコラムだけど……
中越地震に関しても、あまり違ったことを考えてるとは思えない。
流石曽野綾子、一味違うぜッ……!

7 :M7.74 :04/10/25 03:10:16 ID:Zp5+1DIV

血は争えんな(笑
流石は日本財団(旧船舶振興会)の会長。
実に御立派な発言だ。
あはは。


43 :M7.74 :04/10/25 07:01:33 ID:GeDMEeic

豪邸に住んでれば山奥の安普請の家なんか実感できないだろうよ。
過疎の崖っぷちのボロ家とか。
豪華リビングで快適にNHK見てれば世の中の苦しみも良く分かる。

45 :M7.74 :04/10/25 07:20:55 ID:yB17TX3f

この人、と学会の本でエッセイにツッコミ入れられてたんだよな。
自宅の屋根裏で狸が子供産んじゃって困って、親狸が留守の間に生まれたばかりの子狸を取り出して箱に入れて冬の寒空に一晩放置したらしい。 朝になったら子狸はみんな死んでたと。

親狸が連れていくと思っていたのに、場所がわからなかったようだ、最近の狸は野生の本能が薄れてなっとらん!!と怒ってたw

「可哀想なことをした。」とは思わないらしい。
おいおい、それ動物虐待ちゃうか? せめて移動できるようになるまで待ってやれよ、と。
なんかその時のアレな感じを思い出した。

57 :M7.74 :04/10/25 08:57:11 ID:xV3iWkAK

次の日は新聞紙にくるまって寝そうな低所得者から金を巻き上げてるのが何処のどいつだ。
神を信じ、権力を持つ者はかくも恐ろしい。
曽根綾子の場合、顔を見れば一目瞭然だろ?
いつも豪華な服着てるけどな悪人面が染みついてるのは隠せない。


66 :曽野「罔」子め! :04/10/25 09:55:23 ID:kHFHqt4O

曽野綾子には心底がっかりした。
かつてエッセイにて自分の眼病を真摯に語り、キリスト者としてそこに意義を発見した誠実な姿に非常な感銘を受けた者としては、激しい幻滅を感じざるを得ない。

そもそも国家は何のためにあるのか。
個人では出来ない生活防衛と安定を、集団の力と協力によって達成するためにある。
我々が、直接・間接に税金を払っているのもその為だし、日本国民として教育を受け、勤労しているのも、間接的には国を支える力となっているのだ。

確かに甘えは良くない。自力救済に努力すべきである。
わたしも食料・水・燃料・その他、備えはしている。

だが、今だ予測し得ない災害である地震において、自力救済が可能な若年者・壮年者でさえ、身内に障害者や老人がいれば、それがどれだけ負担になるか想像も出来ないのだろうか。

彼女が各国で、様々な活動を通して援助活動を行ってきたのはわかった。
だが、そこから何も学んでいないことも、これでわかった。
彼女は、なまじそうした経験があるために「驕り」の病にかかっているのだ。

「驕り」は、かくも人を「罔(くら)く」する。

714 :M7.74 :04/10/28 02:04:48 ID:G3xzgMac
>>712
何度も繰り返すが、こやつのおかしなところは、自分と身内だけは批判の対象からなぜかハズれていること。

946 :M7.74 :04/10/29 19:09:54 ID:V0Dqi+Wh

教育っていうのはね、災害などが起きない内にしておくものなの。

おきてから新聞にごちゃごちゃ書いても何にもならないだろうが。
曽野は、政府の「なんとか審議会」や、「かんとか委員会」の委員をいっぱいやっているんだから、そういう場で主張しておけばよかったの。

それをせずに、災害が起きてから新聞で偉そうに説教しても無駄なんだよ。
曽野は、いつも他人を馬鹿にしないと自我を保つことができない人間だ。

もう70過ぎで、あと何年も生きられないんだから、死ぬ前に自分の醜い姿を見つめなおしたらどうだ。

947 :M7.74 :04/10/29 19:14:34 ID:SNkinKhA

キリスト教やアラブ社会の安っぽい知識を振りかざしてイラク問題に首を突っ込むのが好きな曽野綾子。

しかし、もともと頭が悪いからつっこみどころ満載。
もともと頭が悪いからつっこみどころ満載。

ww

http://kyoto.cool.ne.jp/sono001/archives/hisaisha.htm
 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 中川隆[-13919] koaQ7Jey 2020年3月16日 10:25:13 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[914] 報告

【日本経済】戦後日本の情報の歪み(情報提供:三橋貴明)





「思想」の恐怖 From 三橋貴明@ブログ  2015/02/13

短い文章で「衝撃」を与えるということは、なかなか難しいものですが、2月11日の産経新聞の曽野綾子氏のコラムには、衝撃どころか、率直に言って「恐怖」を覚えましたのでご紹介。


『2015年2月11日 産経新聞「曽野綾子の透明な歳月の光「適度な距離」保ち受け入れを」

最近の「イスラム国」の問題など見ていると、つくづく多民族の心情や文化を理解するのはむずかしい、と思う。一方で若い世代の人口比率が減るばかりの日本では、労働力の補充のためにも、労働移民を認めなければならないという立場に追い込まれている。

特に高齢者の介護のための人手を補充する労働移民には、今よりもっと資格だの語学力だのといった分野のバリアは、取り除かねばならない。つまり高齢者の面倒を見るのに、ある程度の日本語ができなければならないとか、衛生上の知識がなければならないとかいうことは全くないのだ。(中略)

しかし同時に、移民としての法的身分は厳重に守るように制度を作らねばならない。条件を納得の上で日本に出稼ぎに来た人たちに、その契約を守らせることは、何ら非人道的なことではないのである。不法滞在という状態を避けなければ、移民の受け入れも、結局のところは長続きしない。

ここまで書いてきたことと矛盾するようだが、外国人を理解するために、居住を共にするということは至難の業だ。

もう20〜30年も前に南アフリカ共和国の実状を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった。

南アのヨハネスブルクに一軒のマンションがあった。以前それは白人だけが住んでいた集合住宅だったが、人種差別の廃止以来、黒人も済むようになった。ところがこの共同生活はまもなく破綻した。

黒人は基本的に大家族主義だ。だから彼らは買ったマンションにどんどん一族を呼び寄せた。白人やアジア人なら常識として夫婦と子供2人くらいが住むはずの1区画に、20〜30人が住みだしたのである

住人がベッドではなく、床に寝てもそれは自由である。しかしマンションの水は、一戸あたり常識的な人数の使う数量しか確保されていない。

間もなくsのマンションはいつでも水栓から水のでない建物になった。それと同時に白人は逃げ出し、住み続けているのは黒人だけになった。

爾来、私は言っている。

「人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい。』

もはや、突っ込みどころが多すぎ、論評を投げ出したくなるのですが、一つ一つ。
まずは「イスラム国」という呼称は止めましょう。ついでに、イスラム国は別にイスラム文化圏の心情や文化を代表しているわけでもありません。単なるテロリストです。

曽野氏の書き方では、普通に読むとISILがイスラム圏の「ある種の心情・文化」を象徴しているように読めてしまいます。ISILはテロリストであり、イスラムとは関係ありません。

次に、日本の生産年齢人口が減少し、今後の我が国で「超人手不足」が進行していくことは明らかですが、別に人手不足の解決策は「外国移民による労働力補充」ではありません。といいますか、人手不足を「外国移民による労働力補充」以外の策で解消しようとしたとき、我が国は経済成長します。

なぜ、断言するかといえば、まさに我が国の高度成長期が、

「人手不足(当時の失業率は1%未満)を外国移民による労働力補充以外で解決しようとした」

結果、実現したためです。外国移民ではなく、いかなる手段で人手不足を解消しようとしたのか。もちろん、生産性の向上です。今後の我が国が人手不足になるのは明らかですが(すでに一部の産業でなっていますが)、解決策は生産性の向上(デフレ脱却後の話)であり、外国移民ではありません。

この辺りの話は、「国民経済」を理解していなければ分からないでしょうが、より問題なのは「その後」の曽野氏の文章です。

「外国移民を受け入れるのは仕方がないが、居住区を分けるべきだ」

という主張を曽野氏はされているわけです。いまどき「ゲットー方式」を支持する日本人(あえて日本国民とは書きません)がいるとは驚きですが、それ以前に曽野氏が「外国移民の問題」について全く理解していないことが明らかになりました。

外国移民の最大の問題は、むしろ、

「外国移民が特定の居住区に集中して住んでしまい、ネイティブな国民と分かたれる集住化」

なのです。まさに、曽野氏のいう、

「移民の居住区が分けられ、集住化が進み、国の中に別の国ができていく」

ことこそが、現在の欧州(スウェーデンなど)の移民問題の本質なのでございます。「善意」をもって移民を受け入れても、彼らは集住化し、ネイティブな国民と融合することはなく、スウェーデンでいえばヒュースビーやローゼンガードといった地区に集中して住み、その地区が「スウェーデンの中の別の国」と化している光景を、わたくしはこの目で見ました。

恐るべきほどの無知というべきでしょうか。あるいは、恐るべきほど「無邪気」というべきでしょうか。分かりません。

いずれにせよ、曽野氏のコラムを読み、わたくしは「思想」の恐ろしさを骨の髄まで味わったわけでございます。正しい「思想」あるいは「考え方」に基づき、国民や政治家が動かない限り、我が国は中長期的には「今とは違う日本的な国」に変貌を遂げることになるでしょう。

止めなければなりません。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/

2. 中川隆[-13918] koaQ7Jey 2020年3月16日 10:26:02 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[915] 報告

【施光恒】曽野綾子氏と日本の「リベラル」

曽野綾子氏が産経新聞に寄稿したコラムが物議をかもしていますね。

曽野氏のコラムは、介護分野などの経済的移民を受け入れたうえで、居住区は別にしたほうがいいという趣旨のものでした。

多くの批判が寄せられていますが、私も、曽野氏の議論には、賛成できません。

とりわけ曽野氏の議論で問題なのは、経済的移民を肯定しつつ、居住区は分けようという点でしょう。経済的利益だけ受け取って、外国人労働者や移民の居住の自由などを制限してしまう。いいとこどりで、自己中心的な印象をやはり受けます。

ただ、今回の私の主目的は、曽野綾子氏の批判ではありません。それよりも、曽野氏のコラムに対する「リベラル派」からの批判のあり方のほうを取り上げたいと思います。

「リベラル派」の批判の多くは、「外国人労働者や経済的移民の受け入れは仕方がない。不可避的な時代の流れだ」とします。そのうえで、「日本を多文化共生社会とするために日本人は努力すべきである。曽野氏の議論は閉鎖的で排外的でよろしくない」とする趣旨のものが主だったといえます。

つまり経済的移民の受け入れ自体は、批判しないのです。

(・ω・)ナゼ?

典型的には、下記の記事です。

高橋浩祐氏(ハフィントンポスト日本版編集長)「時代に逆行する曽野綾子氏のコラム 多様な民族を受け入れる姿勢こそが日本に必要」(『ハフィントン・ポスト日本版』2015年2月17日配信)
http://www.huffingtonpost.jp/kosuke-takahashi/sono-ayako_b_6690296.html

この記事の執筆者は、次のように述べ、外国人労働者や移民の受け入れを認めています。

「今、多くの先進国では、少子高齢化に伴い、好むと好まざるにかかわらず、外国人労働者や移民を受け入れざるを得ない状況になっている」。

そのうえで、日本人の閉鎖性を指摘し、日本人こそが変わるべきだと続けます。

「…曽野氏のような知識人が本来、世に問うべきことは、多種多様な文化や習慣を受け入れ、共存共栄を目指す「ダイバーシティ」ではなかったか。日本に定住するひとり一人が暮らしやすい社会を実現するため、日本人こそがその閉鎖性を打ち破り、自ら変わる必要がある」。

私は、以前もこのメルマガで何度か書いていますが、外国人労働者や経済的移民の受け入れには、基本的に反対です。ヨーロッパの経験をみれば、社会的安定性の喪失などその失敗は明らかです。また、外国人労働者や経済的移民の推進は、別に「リベラル」でも「人道的」でもないと考えるからです。

(以前の記事は下記です。)
【施光恒】移民受け入れは人道的か?(『三橋貴明の「新」日本経済新聞』2013年8月9日付配信)
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2013/08/09/se-19/

【施光恒】ヘイトスピーチ規制の本末転倒(『三橋貴明の「新」日本経済新聞』2015年1月23日付配信)
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/01/23/se-51/

上記の記事でも論じましたが、豊かな先進国が、発展途上国の貧しさにつけこみ、自国民がやりたがらない低賃金労働につかせるため、海外から人を呼んでくるというのは上等な発想ではありません。

貧しい国の人々が、先進国で、先進国の人が望まないメイドや介護、肉体労働といった仕事に従事せざるをえない状況とは、人道的でもリベラルでもありません。こういう出稼ぎや、移住は、貧しい国の人が本当に望んでいることではありません。

例えば、将来、日本が経済的に貧しくなって、我々の子孫である日本人が出稼ぎ労働者、あるいは移民となって、低賃金で、豊かな国(アメリカかもしれませんし、中国かもしれません)のメイドや肉体労働の仕事に就かざるをえない。私は、そういう日本の姿を想像しただけで、胸が張り裂ける思いがします。

外国人労働者や経済的移民を現在、送り出さざるを得ない国の人々も、おそらくそういう気持ちでしょう。

彼らが真に望むのは、自分の国で、自分たちの言語や文化のなかで、自分たちの家族や仲間と一緒に働き、多様な人生の機会と豊かな生活を享受することです。

人道的見地、あるいは真に「リベラル」な見地からすれば、先進国がなすべきは、移民や外国人労働者を無批判に受け入れ、途上国の貧しさに乗じて彼らの労働力を利用することではなく、経済的移民など生じなくても済む、もっと平等な国際秩序作りを提唱し、その実現のために尽力することです。

上記の過去記事でも触れましたが、現在の世界には、国際的な不平等を固定化してしまう仕組みがたくさんあります。

例えば、自由貿易は絶対に正しいという前提で、発展途上国に対しても市場開放を迫り、保護主義的な政策を認めない新自由主義的な経済構造です。これでは、なかなか自国資本の産業は発展せず、途上国が、先進国に追いつくことはほぼ不可能です。

英語による文化支配も一例です。貧しい国では、少数のエリートは英語を用い、大多数の一般庶民は現地語を使って生活しているという光景が非常によく見られます。英語でなければ高等教育が受けられず、稼ぎのいい専門的職業にも就けないという社会です。こういう社会では、多くの一般的人々は、十分に自分の能力を磨いたり、発揮したりすることができず、貧しいままにとどまります。

言語が違うと国民の一体感も生まれないので、国民はバラバラで、適切な経済政策や福祉政策をとることもできません。結局、貧困から脱することが出来ず、先進国になかなか追いつけません。

ですので、本当に「人道的」あるいは「リベラル」な立場からすれば、無批判に外国人労働者や経済的移民を受け入れ、低賃金で彼らを利用することを認めるべきではなく、自由貿易を絶対視する新自由主義的経済構造や、英語による文化支配をはじめとする現在の不平等な国際秩序の不当性を暴き、これらを除去するよう努めるべきです。

その上で、途上国の国作りを積極的に支援する必要があります。途上国自身の文化や言語に基づき、近代化を図るための手伝いです。途上国の人々が、自分たちの国で、自分たちの家族や仲間とともに豊かな生活が送れるように、「国づくりの援助」を行っていくことです。

この点で、日本にできることはたくさんあります。

日本は、保護主義的政策を適宜導入しつつ、自国の資本や産業を発展させ、国民を富ませ、内需中心で豊かになることに成功した国です。(実際は、イギリスやアメリカも含め、現在の先進国は、皆、保護主義を適宜、用いつつ、自国経済を発展させてきたのですが、イギリスやアメリカなどは現在では、あまりこのことに自覚的ではないようです)

また、日本は、外国から積極的に学びつつも、母語である日本語や日本文化を守り、その基盤の上に近代化を成し遂げてきた国です。我々は普段あまり意識しませんが、外来の知を取り入れつつ、母語で近代化するためのノウハウをおそらく世界で一番持っています。

日本は、現行のアメリカ主導の新自由主義的な国際秩序や、英語による文化支配を批判するべきです。そのうえで、例えば、輸入代替化戦略をとり、自国の資本や産業を発展させてきた日本の経験を語るべきです。

あるいは、外国から学びつつも、外国の先進の知を翻訳し、自分たちの言語で高等教育まで学べる環境を作るためのノウハウを途上国に積極的に提供すべきです。

結局、何が言いたいかといえば、曽野氏のコラムもおかしいが、今回の曽野氏のコラムに対する日本の「リベラル派」の批判の多くもマトが外れてはいないか、また、あまりにも現状肯定的で体制順応的ではないかということです。

「リベラル」を自称するのであれば、自国の経済政策の失敗を糊塗するため、あるいは自国企業の経済的利益のため、途上国の貧しさに付け込んで、彼らの労働力を安く買いたたき、自国人がやりたがらない仕事に就かせることを、「時代の流れだからしょうがない」などと軽々しく認めるべきではありません。

外国人労働者や経済的移民にならざるを得ない多数の人々を生み出す現行の不平等な国際秩序を批判すべきです。なおかつ、その不平等な国際秩序に乗じて短期的な経済的利益の追求に汲々としている現在の日本の政府や一部財界のみっともなさも指摘すべきでしょう。

そして日本の来し方を振り返り、先人の努力に感謝するとともに、日本の真の国際貢献とは何かを国民皆で考えることでしょう。

日本の「リベラル派」を自称する人々は、曽野綾子氏の今回の議論を批判するだけでなく、もう一歩先まで進んでもらいたいものです。
m9(`・ω・´)キリッ
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2015/02/20/se-53/

3. 中川隆[-13917] koaQ7Jey 2020年3月16日 10:28:50 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[916] 報告

曽野綾子
「年収120万円は貧困層ではありません。貧困層とは水や電気を使えない人」2015/5/12(火)

「ここから日本の話を聞いていきたいと思います。

まずこちらのデータですが、日本の相対的貧困率。

相対的貧困率というのは、仮に国民の所得を順番に並べた時に、所得の半分に満たない人の割合。

2012年の場合は、日本では年間の所得が122万円に満たない人の割合ということになります。

日本ではこの貧困率が右肩上がりです。2012年にはデータがある1985年以降、過去最悪の16.1%と。

およそ6人に1人が貧困層ということになりますけれども、これはOECD加盟国34か国中29位。つまり、5番目に悪い数字ということになりますね。


曽野さん、日本では近年、貧困層が増えているとか、格差が広がっていると言われていますが、日本は貧しい国になってきているのですか?」

曽野氏
「違いますね。貧困と言う言葉がぐちゃぐちゃになって使われていると思いますね。
つまり、こちらの貧困というのは、水が出ない、水道の恩恵を受けていない。電気は毎日停電ですからね。

それもありますけれども、電気も引かれていない。盗電しているんですよ。
東京電力ではないですよ。電気を盗むんです。

盗電する。それでも、盗電した分を払う、家主から払わなければいけませんから。そういうのも一切ない。

今晩食べるものがない。それから、濡れて寝ています、アフリカでは。しばしば。屋根が、雨がザーッと漏れる。

私が知っているシスターのところに保育器、赤ちゃんを入れる、あれを送った時に、立派なカーテンボックスに入ってきます。

それをほしがった未亡人がいたんですよ。シスターが何のために何に使うのと言ったら、何のためだと思いますか。子供のうえに、雨の日、ザーッと雨がかかるんですって。

だから、あれを切り開いて、子供の上にかけて、カーテンですよ。雨に直接当たらないようにしてやりたいと言ったと。

それほどの貧しさだから、犬と違って人間は、屋根の下に寝ていると思っていますけれども、特殊な人以外は。そんなことはないです。

今晩食べるものもない。学校も行けない。いろんなことで。だから、そういうものを貧困と。

それは、つまり、高いレベルの人の中間かどうかというので、比較貧困ですね」
http://blogs.yahoo.co.jp/kotyannomama/17550519.html

▲△▽▼


J-CASTニュース 2016年2月2日(火)18時59分配信

作家の曽野綾子さん(84)が「週刊ポスト」のインタビュー記事で語った

「高齢者は『適当な時に死ぬ義務』がある」

との主張がネット上で大反発を受けている。

高齢者は権利や機会を若者に譲り、死と向き合うべきだ――そんな「生き方」の主張だったが、「あなたからどうぞ」など厳しい意見が相次いでいるのだ。


■「ドクターヘリは利用者の年齢制限を」

インタビュー記事は、2016年2月1日発売の「週刊ポスト」(2月8日号)に掲載された。

「高齢者は『適当な時に死ぬ義務』を忘れてしまっていませんか?」

との問いかけで始まり、曽野さんは


「『いくらでも生きたい』は傲慢」

「権利を『求め倒し』、医療を『使い倒し』、他人を『頼り倒す』ことは肯定されない」

との持論を展開する。


この記事の前提には、1月24日付け産経新聞朝刊1面に掲載された曽野さんのコラム「小さな親切、大きなお世話」があった。

90代の病人がドクターヘリによる救助を要請した話を持ち出し、「利己的とも思える行為」と批判。負傷の程度でけが人の治療に優先順位をつける行為「トリアージ」を例にしながら、


「生きる機会や権利は若者に譲って当然だ」

「ある年になったら人間は死ぬのだ、という教育を、日本では改めてすべき」

と主張した。

また、ドクターヘリなど高度な医療サービスについても

「法的に利用者の年齢制限を設けたらいい」

と踏み込んでいる。

「ポスト」掲載のインタビュー記事もコラムの内容が基本的に踏襲され、「死についての教育拡充論」により多くの紙幅が割かれている。

確実に来る死を覚悟し、さまざまな機会や権利を若者へ譲る。

医療サービスを誰しもが平等に受けるのは難しい時代、高齢者は死と真正面から向き合わなければならない。


曽野さんが訴えたかったのは、そんな独自の「生き方」だったと言えるが、曽野さん自身が高齢だったことからか、ネット上で即座に反発の声が巻き起こった。


※過去にもたびたび「奔放発言」

「長生きは『利己的』らしい」

「あなたからどうぞ、としか」

「『適当な時』は誰がどういう基準で決めるんでしょう」


ツイッターには、こうした厳しい指摘が相次いでいる。中には

「『高齢者は命令されたら死ね』と発言したに等しい

」との意見もあり、批判の声は収まる気配がない。

曽野さんの発言はその大胆さ、奔放さから、今まで数多くの批判を浴びてきた。15年2月、産経新聞上のコラムに記した


「もう20〜30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった」

との一文が、 「アパルトヘイト」(人種隔離政策)容認と捉えられ、海外メディアに報じられたり、駐日南アフリカ共和国大使が産経新聞に抗議したりする事態に発展。


また、15年7月、岩手県矢巾(やはば)町の中学2年の男子生徒(当時13)がいじめを苦に自殺した問題では、

「自殺した被害者は、同級生に暗い記憶を残したという点で、彼自身がいじめる側にも立ってしまった」

と同年9月11日発売の「ポスト」(9月18日号)に語り、問題視された。

今回のインタビュー記事をきっかけに、こうした発言も改めてネットで掘り返されているようだ。

▲△▽▼

曽野綾子氏のコラムの問題は何か 2016/2/6

典型的な新自由主義者の発想

 作家の曽野綾子氏のコラムが再び物議を醸しているようです。曽野氏は1月24日付産経新聞に「利己的な年寄りが増えた」というコラムを投稿し、90代の高齢者がドクターヘリを要請したというエピソードを切り口として、次のように述べています。

“しかし最近は、何が何でも生き延びようとする利己的な年寄りが増えた。

人間は平等だから、年寄りでも若者と同じような医療を要求する権利があると考える。できればそうだが、できなければ生きる機会や権利は若者に譲って当然だ。”


 曽野氏は『週刊ポスト』(2月12日号)でもこのコラムの続編のような形でインタビューに応じていますが、ここには典型的な新自由主義者の発想が見られます。

この考えを進めていけば、労働によって社会に貢献することができない人間は、社会から排除してもよいということになりかねません。これは高齢者だけでなく、中年や若者にも適用されるでしょう。

 新自由主義者は人間を労働力商品に還元するため、人の心の澱や襞といったものを理解できません。他者の気持ちになって考えることができないので、「社会的弱者」に目を配ることもできません。

 この点について、作家の佐高信氏が哲学者の山崎行太郎氏との対談本『曽野綾子大批判』(K&Kプレス)で次のように述べています。


“佐高 ……
曽野は以前『サンデー毎日』に連載を持っていたのですが、部落問題に関する記述をめぐって連載中止になったそうです。

問題のコラムは曽野の『運命は均される』という本に収録されていますが、それは

「自分は東京生まれ東京育ちだが、日常生活で部落問題が話題になった記憶がない。
そんな自分に部落差別について教え込もうとする人たちがいる。
差別を知らない人間に同和教育を吹き込むな」

といった内容です。

 これは要するに、自分が差別はないと言っているのだから差別は存在しないんだ、ということでしょう。あまりにも酷いからってことで掲載できなかったんでしょうけど。


日本社会に蔓延する「無思想の思想」

 また、佐高氏は曽野氏の作家としての資質にも疑問を投げかけています。

佐高氏が曽野氏を批判したところ、曽野氏から反論がありました。
しかし、その反論がとても反論と呼べるものではなかったからです。


“佐高 ……
曽野は次々と違ったカードを切ってきて、こちらの批判を無視し、問題を逸らそうとする。彼女は自分と相手のどこが同じでどこが違うのか、自分がどういう位置づけであるのかといったことはどうでもいいんでしょうね。

 その意味で、曽野綾子には思想がない。彼女の議論の底が浅いのもそのためでしょう。


山崎 
曽野が論争から逃げるのは、彼女にサブスタンスがないからでしょう。

もし本当にサブスタンスを持っているなら、論争から逃げるわけにはいかないですよ。

自らの存在と直結する問題、自らの生命線に突っかかってこられているわけですから、全存在を賭けて一線を守ろうとするはずです。”


 これは弊誌2月号で批判した櫻井よしこ氏にも言えることです。

その中で、山崎氏は櫻井氏の思想を「無思想の思想」だと述べています。
思想がないから、櫻井氏の言論には一貫性がないのです。

 さらに言えば、これは安倍総理や、安倍総理を支持している人たちの多くにも言えることです。

なぜ日本社会で「無思想の思想」が力を持つようになってしまったのか、我々は真剣に考える必要があります。(YN)
http://gekkan-nippon.com/?p=8564

▲△▽▼

>曽野氏は『週刊ポスト』(2月12日号)でもこのコラムの続編のような形でインタビューに応じていますが、ここには典型的な新自由主義者の発想が見られます。

移民問題・難民問題は、今やユーロ圏を揺るがす火薬庫と化してしまった。

排斥デモ、異民族敵視、憎悪、相互対立は、多民族国家を目指した国のほとんどが経験している。多民族共生というのは、口で言うほど簡単なものではない。

共生どころか、むしろ衝突となり暴力の応酬となってしまう。当然だ。ひとつの地域に、文化がまったく違って、考え方も根本からして異なる人たちが押し込まれる。

民族によっては、マナーも違えば、常識も違えば、言葉も違えば、人種も違う。

何もかも違った人間がどんどん増えていくと、受け入れる側からすると、自分たちの文化が侵略されていると捉えるのは、避けられない。こういった対立は、これから世界中で吹き荒れることになる


しかし、だからと言って、移民・難民の流入や、多民族国家の動きが頓挫するとは、絶対に考えない方がいい。

どんな問題が起きても、どんな激しい国民の抵抗が起きても、グローバル社会に参加した国家では、それが強引に行われていくことになる。

なぜなら、グローバル化していく社会の中で、国家という枠組みが邪魔になっており、今は「国家」という枠組みを取り壊そうとする動きが加速しているからである。

「自国文化を守ろう、自国の歴史を大切にしよう」という動きは、「保守」とは呼ばれず、「極右」とグローバル・メディアによってレッテル貼りをされている。

世界中のメディアは、保守を必ず「極右」として扱い、レイシストと断定する。それはグローバル化を後退させる動きなので、「絶対に許されない思想」と認定して、封印されていく。

グローバル化を阻止する動きは、絶対に許されない。

多国籍企業、金融市場、巨大メディアは、グローバル化する社会の中で支配権を拡大していく過程にある。

世界を動かしているのは国民ではなく、多国籍企業、金融市場、巨大メディアである。そして、これらの企業の各ステークホルダー(関係者)たちである。

全員が揃って陰謀に荷担しているという見方もあるが、実際のところは、陰謀論によって動いているというよりも、グローバル化した方が「より儲かる」というシンプルな原則によって突き動かされていると言った方がいい。

儲かるのなら、儲かる方向に向かって資本が殺到していく。それがあたかも何らかの指示があるように一方方向に動いているように見える。

事業家や金融資本は何者かに命令されて動いているわけではない。儲かる方向に向かって動いていたら、それはグローバル化の方向だったのである。

ロンドンの光景。もうすでにロンドンでは44%近くが非白人となっていると言われている。移民・難民の流入や、多民族国家の動きは止まらない。


儲かるから、グローバル化が推し進められるのだ

グローバル化したら、世界のすべてが多国籍企業にとって市場になる。そうなれば、単純に儲かる。だから、多国籍企業はぶれることなくグローバル化を推し進める。

グローバル化したら、賃金の安い国で物を製造することができるようになる。そうなれば、コスト削減できる。そして、競争力が付いて儲かる。

グローバル化したら、移民が大量に入ってきて、やはり低賃金で人が雇えるようになる。そうなれば、またもやコスト削減ができる。だから、移民政策や、多文化主義は推進されるのだ。シンプルだ。

貿易を行うに当たって、国をまたぐたびに関税を取られたら損をする。だから、国がなくなればいいと考えるのが多国籍企業でもある。儲けのためには、関税を取る国家という存在が邪魔なのだ。

販売を行うに当たって、各国の違いに合わせて商品をローカライズするのは無駄なコストである。言語が英語か何かで統一できれば、ローカライズする手間がなくなる。だから、国がなくなればいいと考えるのが多国籍企業である。コストのためには国家という存在が邪魔なのだ。

販売を行うに当たって、文化が違っているとやはりその国に合わせなければならないが、それも無駄なコストである。だから、移民を入れて、混ぜて、独自文化を薄めさせれば、文化に合わせる手間もなくなる。

だから、文化がなくなればいいと考えるのが多国籍企業でもある。移民・難民を大量に入れて「多文化共生」にするのは、その国の独自の文化を消すのに最良の方法だ。

パリの光景。41%が非白人の人口となっている。グローバル化したら、移民が大量に入ってきて、低賃金で人が雇えるようになる。そうなればコスト削減ができる。だから、移民政策や、多文化主義は推進される。


世の中は多極化しているのではない。逆だ

ありとあらゆるものが、国家の消滅、国家の役割縮小、国家の無力化を目指している。上記以外にも、そんな動きは次々と動いている。

通貨が違っていれば、為替の変動というものに注意を払わなければならず、それは多国籍企業にとっては手間である。国家をブロック化するか、もしくは国家を消滅させれば為替も統一するので便利だ。だから多国籍企業は、通貨の統一を邪魔する国家という概念を消し去りたい。

巨大メディアも、言語・文化がどんどん統一されていけば、情報収集も、情報提供も、世論誘導もやりやすい。だから、グローバル化に乗るのは「得する」動きだ。そのために、言語・文化の守り手である国家を消滅させたい。

インターネットもまた、「情報」という分野で世界を統一しようとする動きである。インターネット企業は、世界がグローバル化すればするほど儲かる仕組みになっている。だから、国家間の情報遮断は許しがたいことであり、やはり国家という概念を消し去りたいと思っている。

グローバル化は、それを突き詰めると、世界が「ひとつ」になるということだ。世界が「ひとつ」というのは、要するに国家も、文化も、言語も、通貨も、すべてが「ひとつ」になるという意味である。

現在、そのような社会に向かっている。世界は多極化しているのではない。完全にその逆だ。

グローバル化の動きは、「ひとつ」になる動きだ。国家のブロック化は、「ひとつ」になる動きだ。多文化主義の動きは、「ひとつ」になる動きだ。金融市場の国際化は、「ひとつ」になる動きだ。移民促進の動きは、「ひとつ」になる動きだ。

グローバル化によって、世界は統一化されようと動いている。多極化しているというのは、単に政治の力学の話であって、世の中全体の動きではない。

多極化していると見せかけて、世の中はグローバル化によって「ひとつ」になろうとしているのである。

絶対に移民政策が止まらないのは、世界が「ひとつ」になるためだ。本当に、単純な話だ。そうすれば多国籍企業、金融市場、巨大メディアは儲かるのである。そして今や、すべての国がグローバル化に向かって暴走している。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20160206T0136500900.html

>曽野氏は『週刊ポスト』(2月12日号)でもこのコラムの続編のような形でインタビューに応じていますが、ここには典型的な新自由主義者の発想が見られます。


「真面目に働くことによって明るい未来が拓く」という今までの資本主義の基幹を為していた牧歌的な時代は、グローバル化が進めば進むほど過去のものになりつつある。

現代の資本主義は、全世界を巻き込んだ凄まじい競争を強いる弱肉強食の資本主義である。企業は競争に打ち勝つために、素早く巨大化し、素早く時代に対応し、利益を極大化させることが望まれている。

利益を極大化させるためには、余計なコストがかかる雇用を必要最小限にするのが手っ取り早い。人間を雇うというのは、企業から見ると凄まじいコストなのである。

年500万円の人間を20年雇用したら、その1人だけで1億円のコストがかかる。実際にはこれに福利厚生から事務所代から雑費等含めて、かなりの出費がある。

単純に言えば、人は雇わなければ雇わないほどコストは削減される。そのために企業は、ありとあらゆる方法で雇用を削減する方法を考え出す。

それが派遣雇用の拡充であったり、アウトソーシングであったり、途上国の工場移転であったり、IT化であったり、ロボット化であったり、人工知能であったりする。

現在はそうした「雇用を排除する動き」が同時並行で行われ、加速している時代である。

これがさらに進んでいくのが2016年以降の動きだ。「働いても働いても豊かになれない」というワーキングプア層が社会の大半を占めるほどの苛烈な社会になっていくのだ。

今起きているこの大きな動きに私たちはひとり残らず飲み込まれていることに注意しなければならない。2016年以降、この流れが変わるというのはあり得ない。

「会社に雇われて働く」というのは、ワーキングプアになるというのと同義語になる。

まだ多くの人は半信半疑かもしれないが、よほどのエリートでない限り、「会社に勤める」というのは貧困に落ちる危険な行為になりつつあるのだ。
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20160101T1601100900

富裕層が仕掛けているのは、自分たちが100戦無敗になる方法


100戦無敗になるにはどうしたらいいのか。簡単だ。徹底的に弱い相手と戦うことだ。たとえば、大人は3歳児と戦ったら必ず勝つ。

大人が常に3歳児と戦い続ければ、常に勝ち続けることができる。それは勝負ではなく、リンチになるはずだ。大人はその気になれば、殴り殺すことさえ可能だろう。

だから、スポーツはこういった「大人vs子供」のような、最初から勝負が分かりきっているような組み合わせを禁止する。惨劇を避けるためだ。

それを不服として、大人が「自由に勝負させろ」と叫んでいたら、どうかしていると思われるはずだ。

しかし、それはスポーツの世界だからどうかしていると思われるだけで、実社会ではそのあり得ない競争が行われる世界なのである。

100万円の資産しかない人間が、100億円の資産を持つ企業と無理やり競争させられるのが資本主義の掟である。巨大な者が「もっと自由を」という時は、「弱者を叩きつぶす自由をくれ」という意味なのである。


落ちこぼれた人間には金すらも出したくない政府

「どんどん競争させろ。競争のルールは必要最小限にしろ。弱い者がどうなったところで知ったことではない」

これが資本主義を拡大解釈した「市場原理主義」の正体である。日本は2000年に入ってから、この弱肉強食の市場原理主義が小泉政権下で組み入れられた。

事実上の実行者は、当時、経済財政政策担当大臣と金融担当大臣を兼任していた竹中平蔵だった。

この男によって社会経験の浅い若年層は非正規労働者に追い込まれ、どんどん生活が不安定化しくことになる。

こういった格差が生まれるのは当然だと竹中平蔵は言っている。さらに、「日本はまだまだ格差が少ない社会だ」との認識も示している。

つまり、もっと激しい競争社会して、それによって弱者がもっと増えても別に構わないというスタンスである。さらにこの男は2016年に入ってからトリクルダウンも否定している。

トリクルダウンというのは「資産家や大企業を先に豊かにすると、富が国民全体にトリクルダウン(滴り落ちて)、経済が成長する」というものだ。

ケ小平の唱えた「先富論」に似ているものだが、竹中平蔵はそのトリクルダウンもないと言った。強い者はどんどん富むが、その富は弱者に回らない弱肉強食の社会を日本に取り入れたのがこの男である。

竹中平蔵は派遣会社の会長なのだが、派遣会社というのは労働者の稼ぎをピンハネする事業をしている。ピンハネして、要らなくなったら捨てる。

その結果、労働者が弱者になったとしても「それは、その人の自己責任だ」と言うのが竹中平蔵の理論なのである。

弱者など、どうでもいい。落ちこぼれた人間には金すらも出したくない。だから、この男が小泉政権下でしたのは、社会保障支出の大幅な削減だった。

その結果、高齢者も、障害者も、シングルマザーもみんな追い込まれて、生活保護受給者は大幅に増えることになった。


努力しても這い上がれない社会が来ている

弱肉強食の市場原理主義を取り入れればそうなることは、はじめから分かっていた。なぜなら、強欲な資本主義の総本山だったアメリカがそうなったからだ。

アメリカではレーガン政権がこの市場原理主義を推し進めた結果、1%の富裕層と99%の低賃金層という超格差社会を生み出して、今でもその格差の分離は広がっている。

アメリカでは、強者と弱者が明確に分離しており、その格差は極限にまで近づこうとしている。富める者はさらに富み、貧しき者はさらに貧しくなっている。

中流階級は激減し、2010年には貧困者が4620万人に達した。7人に1人は貧困層だ。さらに、予備軍まで入れると、3人に1人は生活に追われている状況になっている。

問題なのは、この格差が固定化しつつあるということだ。アメリカン・ドリームはすでに消失している。努力しても這い上がれない社会がやってきているのである。

当然だ。競争を開始する時点での条件に大きな格差がついている。スタートラインが富裕層と貧困層とではまったく違う。正当な競争になっていないのである。

貧困層は満足な給料がもらえない職業を転々とするしかなく、結局、働いても働いても豊かになれないワーキングプアが常態化してしまう。

貧困が固定化するのは、次の5つの要因がある。

(1)生活に追われ、疲れて何も考えられなくなる。
(2)低賃金で自分も子供も教育が受けられなくなる。
(3)金を含め、あらゆるものが不足してしまう。
(4)這い上がれない環境から自暴自棄になっていく。
(5)社会的影響力がなく、権利は保障されない。

いったん貧困に堕ちると、この5つの要因が同時並行で始まっていき、その中で押しつぶされてしまう。

これは、アメリカだけの問題ではなく、今や日本の底辺の問題でもある。すでに、日本の底辺もこの5つの要因にがんじがらめにされて、這い上がるのが絶望的に難しい社会になっているのである。


アメリカでは、強者と弱者が明確に分離しており、その格差は極限にまで近づこうとしている。富める者はさらに富み、貧しき者はさらに貧しくなっている。


貧困層は、相変わらず見捨てられていた

格差が固定化されるというのは、富裕層と貧困層の超えられない一線ができるということである。人々は分離し、この両者は次第に違う文化を生きることになる。

暮らす場所も、食べる物も、通う学校も、遊ぶ場所も、付き合う人も、すべて違っていく。そして、この両者は互いに相手に無関心になり、話す言葉すらも違っていくようになる。

日本もそうなる危険性が高い。格差は固定化して、堕ちてしまった人は、社会から見捨てられて生きるようになっていく。

2014年3月。私は10年ぶりにインドのコルカタに向かって、インドの貧困地区がどうなっているのかを確認しに行った。

その結果、どうだったのか。書籍『絶対貧困の光景』で書いたのだが、かつての貧困層はインドの経済発展からものの見事に取り残されていた。

コルカタは、確かに一部は経済発展していた。

ところが、貧困層はまったく経済発展の恩恵に浴していなかったのだ。彼らは社会から無視され、相変わらず社会から見捨てられていた。

10年前、貧困の中で生きていた女性たちは今もまだまったく同じ状態で放置されていた。彼女たちは路上で暮らし、路上で物乞いをし、スラムは相変わらずスラムのままだった。

先進国と変わらないマンション、ショッピングモールができていて、富裕層がベンツを乗り回しているその横で、10年前に貧困層だった人たちは、まだ路上を這い回って生きていた。

(堕ちたら、這い上がれないのだ……)

竹中平蔵が言った通り、「トリクルダウン」など、影も形もなかった。貧困層に富はこぼれ落ちていなかった。完全に置いてけぼりだ。

そういった状況は私もよく知っていたはずだった。しかし、実際にそんな現状を目の前に突きつけられた時に感じたショックは、決して小さなものではなかった。

格差が固定化され、弱者が見捨てられ、貧困層が大量に増え続ける社会がどんなに悲惨な社会なのか、日本人はもっと真剣に考えるべきだ。

日本はそんな道を辿ろうとしているのである。


スラムの子供たち。富める者は富み、貧しい者は奪われるのであれば、この少年と幼い妹には未来はない。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20160118T0438270900.html


>曽野氏は『週刊ポスト』(2月12日号)でもこのコラムの続編のような形でインタビューに応じていますが、ここには典型的な新自由主義者の発想が見られます。


経済関連の「詭弁」の一つに、仮説を「原則」であるかのごとく扱い、結論を断定するという手法があります。

例を挙げますと、

「トリクルダウン理論により、富裕層・法人減税は正しい」

「クラウディングアウトが起きるから、国債発行はダメ」

「マンデル・フレミング・モデルにより、変動相場制の国では財政政策が無効」


などになります。

クラウディングアウトとは、政府の国債発行が「金利上昇」を招き、企業の投資が減少するため、経済成長が阻害される。というロジックなのですが、現実の日本(欧州でも)ではデフレで民間の資金需要が不足し、政府の国債金利はむしろ「下がって」います。

マンデル・フレミング・モデルはクラウディングアウトの延長で、政府の国債発行・財政政策の拡大が「金利上昇」と「通貨高」をもたらし、輸出減により財政政策によるGDP拡大分が相殺される。よって、変動相場制の国において財政政策は無効。というロジックなのですが、長期金利0.23(!)%の国で、何言っているの? という感じでございます。

しかも、第二次安倍政権発足以降、「通貨安」が大幅に進んだにも関わらず、日本の実質輸出は増えていません。純輸出で見ても、原発を稼働しないため、外国からの原油・LNGの輸入が増え、マイナス(純輸入)が拡大していきました。

さらに言えば、日本銀行が国債を買い入れている以上、「国債発行=金利上昇」などという単純なモデルが成立するはずがないのです。MFモデルにしても、財政出動が金利上昇、円高をもたらすのがそんなに怖いなら、金融政策を併用すれば済む話です。

要するに、クラウディングアウトにせよ、MFモデルにせよ、

「絶対に財政出動の拡大はダメ。国債発行もダメ」

という「結論」がまずあり、その結論に導くための詭弁として持ち出されているに過ぎないのです。


とはいえ、この種の詭弁が政界を支配し、財政政策による需要創出が実現しないため、我が国はいつまでたってもデフレ状況から抜けられないでいます。

トリクルダウンも同じです。

トリクルダウンとは「富裕層減税や法人税減税により、国内の投資が拡大し、国民が豊かになる」というロジックになっています。

減税分を「国内の投資に必ず使う」ように政府が強制できるならばともかく(できません)、資本の国境を越えた移動が実現したグローバリズムの時代に、トリクルダウンなど成立するはずがないのです。

しかも、法人税を減税し、企業の現預金を増やしたところで、デフレで投資利益が見込めない以上、国内の設備投資が拡大するはずがありません。

上記の理屈は、「常識」に基づき考えてみれば、誰でも理解できるはずです。特に、損益計算書やバランスシートに触れる機会が多い経営者であれば、一発で分かるでしょう。

ところが、現実にはトリクルダウンが成立するという「前提」に基づき、法人税減税をはじめとする構造改革が推進されています。

それどころか、もはや政府はトリクルダウンという「言い訳」をする必要すら感じていないのかも知れません。


竹中氏が今回、トリクルダウンを否定しましたが、これは別に、

「トリクルダウンがあると嘘ついていました。ごめんなさいね」

とう話ではなく、

「トリクルダウンなど、あるわけがない。政府に甘えず、各人が努力せよ。負けたら、自己責任」


と、責任を「国民」に丸投げしたに過ぎません。

それにしても、中国が改革開放を推進した際、ケ小平は「人民」に対する言い訳として、トリクルダウン仮説の一種である先富論を持ち出しました。中国のような共産党独裁国であっても、勝ち組に優しい政策をする場合は、トリクルダウン仮説で「言い訳」をする必要があるのです。

ところが、日本ではもはやトリクルダウンという「言い訳」すらなされず、格差を拡大することが明らかな構造改革が推進されていっています。

この状況を「怖い」と思うのは、三橋だけでしょうか。
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2016/01/11/mitsuhashi-345/

「トリクルダウンあり得ない」竹中氏が手のひら返しのア然 2016-01-06    

 さて、今さらですが、トリクルダウンとは何でしょうか?


 トリクルダウンとは、

「富裕層や大企業を豊かにすると、富が国民全体にしたたり落ち(=トリクルダウン)、経済が成長する」

 という「仮説」です。トリクルダウン「理論」と主張する人がいますが、単なる仮説です。


 上記は今一つ抽象的なので、より具体的に書くと、

「富裕層減税や法人税減税をすると、国内に投資が回り、国民の雇用が創出され、皆が豊かになる(=所得が増える)」

 となります。


 要するに、グローバリズム的な、あるいは新古典派(以前は古典派)経済学的な「考え方」に基づき、所得が多い層を優遇しようとした際に、政策を「正当化」するために持ち出される屁理屈なのでございます。


 ちなみに、大恐慌期のアメリカでは、財閥出身の財務長官アンドリュー・メロンが「法人税減税」を推進した際に、まんまトリクルダウン仮説が用いられました。 


 さて、現代日本において、トリクルダウンで安倍政権の法人税減税に代表される「グローバル投資家」「グローバル企業」を富ませる政策を正当化していたのが、みんな大好き!竹中平蔵氏です。


『「トリクルダウンあり得ない」竹中氏が手のひら返しのア然
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/172701/1


 テレビ朝日系の「朝まで生テレビ!」。

「激論!安倍政治〜国民の選択と覚悟〜」と題した1日放送の番組では、大田区の自民党区議が「建築板金業」と身分を隠し、安倍政権をヨイショするサクラ疑惑が発覚。「今年初のBPO入り番組」とネットで炎上中だが、同じように炎上しているのが、元総務相の竹中平蔵・慶応大教授の仰天発言だ。


 番組では、アベノミクスの「元祖3本の矢」や「新3本の矢」について是非を評価。

冒頭、「アベノミクスは理論的には百%正しい」と太鼓判を押した竹中平蔵氏。

アベノミクスの“キモ”であるトリクルダウンの効果が出ていない状況に対して、

「滴り落ちてくるなんてないですよ。あり得ないですよ」

と平然と言い放ったのである。


 トリクルダウンは、富裕層が富めば経済活動が活発になり、その富が貧しい者にも浸透するという経済論だ。2006年9月14日の朝日新聞は〈竹中平蔵・経済財政担当相(当時)が意識したのは(略)80年代の米国の税制改革だった。

その背景には、企業や富裕層が豊かになれば、それが雨の滴が落ちるように社会全体に行きわたるとする『トリクルダウン政策』の考え方があった〉と報じているし、13年に出版された「ちょっと待って!竹中先生、アベノミクスは本当に間違ってませんね?」(ワニブックス)でも、竹中氏は

〈企業が収益を上げ、日本の経済が上向きになったら、必ず、庶民にも恩恵が来ますよ〉

と言い切っている。


 竹中平蔵氏がトリクルダウンの旗振り役を担ってきたのは、誰の目から見ても明らかだ。

その張本人が今さら、手のひら返しで「あり得ない」とは二枚舌にもホドがある。

埼玉大名誉教授で経済学博士の鎌倉孝夫氏はこう言う。


「国民の多くは『えっ?』と首をかしげたでしょう。ただ、以前から指摘している通り、トリクルダウンは幻想であり、資本は儲かる方向にしか進まない。竹中氏はそれを今になって、ズバリ突いただけ。つまり、安倍政権のブレーンが、これまで国民をゴマカし続けてきたことを認めたのも同然です」(後略)』


 そもそも、トリクルダウンが成立するためには、絶対的に必要な条件が一つあります。それは、富裕層なり大企業で「増加した所得」が、国内に再投資されることです。前述の通り、トリクルダウンとは、富裕層や大企業の所得が「国内の投資」に回り、国民が豊かになるというプロセスを「仮定」したものなのです。


 現代の説明も、かなり抽象的ですね。

「トリクルダウンは、富裕層が富めば経済活動が活発になり、その富が貧しい者にも浸透するという経済論」

 まあ、それはそうなのですが、正しくは

「富裕層が富み、国内に投資がされる」ことで経済活動が活発になる

という話なのです。


 すなわち、資本の移動が自由化されたグローバリズムの下では、トリクルダウンなど成立するはずがないのです。特に、デフレーションという需要不足に悩む我が国において。


 富裕層減税や法人税減税で、「富める者」の可処分所得を増やしたところで、「グローバリゼーションで〜す」などとやっている状況で、国内への再投資におカネが回ると誰が保証できるのでしょう。誰もできません。


 結局、企業は対外直接投資、富裕層が対外証券投資におカネを回すだけではないのでしょうか。特に、日本のように国内にめぼしい投資先がなく、国債金利が長期金利で0.26%と、異様な水準に落ち込んでしまっているデフレ国では。というか、国内における投資先がなく、民間がおカネを借りないからこそ、長期金利が0.26%に超低迷してしまっているわけですが。


 無論、国境を越えた資本移動が制限されていたとしても、トリクルダウンが成立するかどうかは分かりません。減税で利益を受けた富裕層や企業が、国内に投資せず、増加した所得を「預金」として抱え込んでしまうかも知れません。


「いやいや、貯蓄が増えれば金利が下がり、国内に投資されるので、トリクルダウンは成立する」

 などと学者は反駁するのかも知れませんが、長期金利0.26%であるにも関わらず、国内の投資が十分に増えないデフレ国で、何を言っているの? 頭、悪すぎるんじゃないの? という話でございます。現在の日本は、企業の内部留保までもが史上最大に膨れ上がっています。


 お分かりでしょう。トリクルダウンが仮に成立するとしても、その場合は、

「国境を越えた資本の移動が制限されている」

「デフレではない」

 と、最低二つの条件が必要になるのです。ところが、現実の日本はグローバル化を推し進めつつ、同時にデフレです。トリクルダウンが成立する可能性など、限りなくゼロに近いわけでございます。


 そんなことは端から分かっていたし、何度も著作等で訴えてきたわけですが、残念ながらマスコミの主流は

「トリクルダウン理論により、法人税減税は正しい」

という、「頭、悪すぎるんじゃないの?」理論が主流を占めていました。


 少なくとも、現在の日本において、トリクルダウン前提の経済政策は「間違っている」と、全ての国民が認識する必要があるのです。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/

続 トリクルダウンはあり得ない 2016-01-07


 昨日は、単にトリクルダウン仮説について解説しただけで、竹中氏の「真意」には踏み込みませんでした。

そもそも、竹中平蔵氏はなぜ「トリクルダウンはあり得ない」と語ったのか。


 安倍総理は、年頭の記者会見において、フジテレビの西垣記者の「選挙に向けてこの半年、国会が今日から開く中、どういった目標を掲げていかれるお考えでしょうか」という質問に対し、

「将来の老後に備えて、あるいは子育てのためにも使っていくことになるわけでありまして、これは正に成長と分配の好循環をつくっていくという新しい経済モデルを私たちは創っていく。その「挑戦」を行っていかなければいけないと思います」

 と、答えました。


 「分配」という言葉を総理が使ったのは、初めてのような気がいたします。


 わたくしは昨年末に刊行した徳間書店「2016 年 中国・ユーロ同時破綻で瓦解する世界経済 勝ち抜ける日本 」において、


『安倍総理は2015年1月28日の参院本会議で、民主党の質問に答えるかたちで、

「安倍政権としてめざすのはトリクルダウンではなく、経済の好循環の実現だ」

 と、トリクルダウンを否定した。

 だが、実際に安倍政権が推進している政策は、消費税増税をはじめとする緊縮財政にせよ、法人税の実効税率引き下げにせよ、あるいは様々な構造改革にせよ、明らかに特定のグローバル投資家を利する政策ばかりだ。

 グローバル投資家に傾注した政策を推進しつつ、トリクルダウンを否定したため、筆者はむしろ総理が国内の所得格差の拡大を歓迎しているかような印象を受けたものである。

 すなわち、富裕層やグローバル投資家、大企業を優先する政策を打つ政権は、言い訳としてトリクルダウン理論を持ち出すのだ。

法人税減税や消費増税、構造改革など、国内の所得格差を拡大する政策を繰り出しつつ、トリクルダウンすら否定するのでは、余計に問題ではないだろうか。』


 と、書きました。


 朝生のを見た限り、竹中氏は別に、 「トリクルダウンはあり得ないんです。ごめんなさい」というニュアンスで「トリクルダウンはあり得ない」と語ったわけではないわけです。


 トリクルダウンなど起きえない。
政府の政策で富が「滴り落ちる」のを待っている方が悪い、

というニュアンスでトリクルダウンを否定したのでございます。

すなわち、格差肯定論としてのトリクルダウンの否定なのです。


 そもそも、トリクルダウン仮説は民主主義国家において、一部の富裕層や法人企業に傾注した政策をする際、有権者である国民に「言い訳」をするために編み出されたレトリックなのです。


「富裕層や大手企業を富ます政策をやるけど、いずれ富は国民の皆さんに滴り落ちるので、安心してね」

 というわけでございます。


 つまりは、政治家がグローバリズム、新自由主義的な構造改革、緊縮財政を推進し、国民の多数を痛めつける際に「言い訳」として持ち出されるのがトリクルダウン仮説なのです。


 竹中氏がトリクルダウンを否定したのは、構造改革を推進するに際し、国民に言い訳をする必要性を感じなくなったのか、あるいは言い訳するのが面倒くさくなったのかのいずれかでしょう。


「面倒くせえな。トリクルダウンなんてあるわけないだろ。

政府の政策で、富める者はますます富み、貧しい者はますます貧困化し、それでいいんだよ。

どうせ、負けた奴は自己責任なんだから」


 と、一種の開き直りで「トリクルダウンはあり得ない」と竹中氏が発言したと確信しています。


 とはいえ、総理が「分配」と言い出したということは、竹中氏はともかく「政治家」にとっては、「トリクルダウンすらない構造改革、富裕層・大企業優遇政策」は、有権者に説明がつかないということなのだと思います。


「竹中氏がトリクルダウンを否定した。へ〜え。

つまり、あんた(国会議員)たちは富める者がさらに富み、貧困層はますます貧困化する政策を肯定するんだな?」

 という突っ込みを受けるのは、安倍総理とはいえどもきついでしょう。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12114721167.html


4. 中川隆[-13916] koaQ7Jey 2020年3月16日 10:34:52 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[917] 報告
<曽野綾子老人は死ね>

 曽野綾子は戦後のあの皇居を望む生命保険会社を本部とするGHQに事務員として勤務していた そして怪しい日本人(GHQにとって)の尾行までやっていたらしい 芥川賞には候補として上がった(お礼)らしいが受賞はしなかったのだろう? なにしろ才能(文才)が当時の最高に厳しい!審査員の心を打たなかったのだろう?才能のない者は金でなんとかすることだ

 曽野綾子が「GHQ検閲官=約10,000名」と同等の仕事をしたことが今日の曽野綾子の有名さ加減である=もちろんあれ(なんとか財団)であることであるが・・・われわれ日本人は当時にその職にあった者達(日本人)は普通にGHQ検閲官と呼んでいた=これをマスコミとか学者はかくしているのでGHQ検閲官という名称さえ知らない=甲斐弦(かい ゆずる)著「GHQ検閲官」単行本1900円ぐらい←あなたがロスチャイルド血流の若者が原爆関係書類を一読して原爆を理解したIQ180あろうとハーバード出てようと豚のようになにされることを知ることはできません=かれらの考えを知るにはこの本をおすすめします 

なお、江藤淳「閉ざされた言語空間」はマーケット理論を使ったスピン(そらし情報)ですのでここらへんのサイオプス(心理操作)をくぐり抜けてください

 GHQ検閲官を経験した者は知事、市長、議員、経済人、教育界、とか日本の支配階層になったのだ しかしかれらは日本の支配階層を三流の人物で固めたことをわれわれは承知しなければなりません 反日ユダヤ人グリーンバーグ(ジャパンハンドラー)が首相はバカにしかやらせない!と言っていることがこの三流という意味です 国会を見ても経済界を見ても(稲盛和夫がその三流の代表であること)三流の人物だけが大手を振っているからだ

曽野綾子は笹川の私生児である!文才はまったくない!

こういう幼稚な文章を書くものを持ち上げる=これが彼らの人類の文化芸術を猿程度まで能力を落とすことである 

ノーベル文学賞候補であるあのお方もなにがなんだか?わかんない文章を書く!=これがかれらのお気に入りであることだ NY美術館に展示されているトイレの芸術作品である(トイレそのものが飾ってある=一目で人をバカにしてんな?とわかる)

優生学である 完全に優生学の考えである 優生学とは人種差別に基づいた劣等民族の遺伝子を体系的に根絶やしにしようとする考え方である

 バートランド・ラッセルのローマクラブに通じるもの 無駄飯食い穀潰し(ごくつぶし)はいらない 人口削減である かれらはアダム・スミスの時代から盛んに民を操ることがお祭りになった アダム・スミスの任務は無駄な経済学を学徒に学ばせて通貨発行権を隠す任務であった 現在の最新のマルクス同様(フリードマンの新自由主義はマルクス共産主義の通名なのだ)の任務らしい?フランスのなんとかいう若い学者(ピケティ)も通貨発行権については述べていない そして環境保護というキーワードで民の資産を奪うことは最新のタヴィストックユングである ボート屋の娘と言われている? 

このように何の才能もない者をノーベル賞とかを与えていることが芸術文化をおとしめることである つまりサル程度の者にノーベル賞を与える 

音楽でも441だか?440ヘルツ?とかのことを決めたのは彼らである(ロックフェラーらしい?実は彼らである)本当はこれではなく500台が人間の本来のものらしい? 

文学とか音楽もかつての輝きを失った ズバリ言えば低級になったのだ 雑音でしかないロックとは性交そのものを意味する言葉らしい? 

その後のビートルズはブードゥのリズムを入れて麻薬空中浮遊状態を演出する麻薬セールスマンの役をビートルズに与えこれを成功させた サル程度に文学、音楽、をもっていくユングなのだ! 

最近でもノーベル賞と騒がれていたぼやけた小説を書くぼんやりしたカモメが飛んだみたいなやつがアンデルセン賞らしい? 

ニセ代筆のヒトラー・マインカンプと同じアンネの日記はギンギンに作り話のシオニズムを全世界に広めることである このぼんやりさんもグローバリズム(国境なんてないのよ!というジプシー音楽)を広めるためのサル道具でしかない! 輝く才能がないのだ! 輝く才能のない者(全世界でやられていること)に地位と名誉を与え、麻薬を語らせ、麻薬と同性愛を広めることをやらせているのが彼らである

 彼らは民にルネッサンスをやって欲しくないのである 民は昔ながらの洗脳された民でいてほしいだけなのだ

このおばちゃんも才能のかけらもないのにベストセラーになるのは同じようにキリスト教(=異教徒を敵とする個人主義=民族の団結力を、集団の団結力を、削いで彼らの思い通り投資、大儲け、をするため)を広めるための彼らにとってヒトラーのサル日本人に過ぎないのかもしれない?ことを知るべきである
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201908270000/

5. 中川隆[-13915] koaQ7Jey 2020年3月16日 10:36:05 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[918] 報告
[櫻井ジャーナル]経済問題を民族問題にすり替え、
貧困の深刻化で支配/被支配階級を作り上げたいらしい曽野綾子 2015/02/19
https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=85324

竹下雅敏氏からの情報です。


 道徳が義務付けられるようになるようで、この曽野綾子なる人物は、なんでも道徳の教科書で取り上げられ、どうも模範的人物として扱われるという冗談のような話があります。あべぴょんの関係者なのだから、同じタイプの人間だということは明らかで、この記事の内容は実に納得出来ます。
 驚いたのは、文末の彼女の夫である三浦朱門氏の言葉です。これを読むと、ゆとり教育は失敗ではなくて、完全に成功したのだとわかります。ゆとり教育の目的は学力の低下だったわけです。要するに、庶民に対しては“余計なことを考える力をつけさせたくない”ということだったようです。


(竹下雅敏)


注)以下、文中の赤字・太字はシャンティ・フーラによるものです。

————————————————————————

経済問題を民族問題にすり替え、貧困の深刻化で支配/被支配階級を作り上げたいらしい曽野綾子

転載元より抜粋) 櫻井ジャーナル 15/2/18

 曽野綾子なる人物が産経新聞に書いたコラムの内容が問題になっているようだ。

「若い世代の人口比率が減るばかりの日本では、労働力の補充のためにも、労働移民を認めなければならない」ということだ。違法にしろ合法にしろ、移民が増えている欧米では賃金水準の引き下げや労働環境の悪化が問題になっている。支配層にとって労働移民は労働者の力を削ぐ手段のひとつで、だからこそEUでは移民を規制すべきだという政党への支持が増えているのだ。

 介護の現場で問題になっているのは労働力の不足ではなく、低賃金で劣悪な環境で働く若者を集められないことにあり、適切な対価を事業者や労働者へ支払えば解決される。この問題の根は非正規雇用の増大や残業代ゼロ法案と一緒だ。

 非正規雇用の問題でも支配層は働き方の多様化というようなことを宣伝していたが、ならば、賃金だけでなく保険や年金についても同一条件にしなければならない。勿論、実際は違うわけで、本音は賃金の引き下げと労働環境の劣悪化を推進したいということにほかならない。

 曽野のコラムを読むと、「高齢者の面倒を見るのに、ある程度の日本語ができなければならないとか、衛生上の知識がなければならないとかいうことは全くないのだ」と主張している。「優しければそれでいいのだ」という。

 介護のためには専門的な知識が必要なのであり、「孫」が面倒を見るにしても、知識を得るために専門家からアドバイスを受ける必要がある。運動能力を維持させるだけでも専門家と施設が必要だ。こうした知識がなく、経済的な余裕もないことから悲劇が起こってきた。

 コミュニケーション能力を無視しているということは、介護者だけでなく、介護を受ける必要のある高齢者の人格を考慮していないということでもある。「姥捨て」の発想だ。

 曽野が想定している労働移民は、賃金の引き下げと労働環境の劣悪化を意味している。当然、貧困問題が深刻化し、犯罪も増えるだろう。これは「他民族の心情や文化」の問題ではなく、経済の問題だ。

 貧富の差が拡大していけば、アメリカのように居住地域は所得/経済力によって色分けされてくる。経済力による棲み分けが起こるのが先だ。「高級住宅地」に低所得者は住めない。曽野綾子は原因と結果を取り違えている。アメリカでは歴史的な背景から人種と経済力に相関関係があり、人種の問題のように見えるが、実際は経済問題。

 南アフリカでも同じことが言える。ヨーロッパ系の人びとが先住の人びとを支配するアパルトヘイトと戦ったネルソン・マンデラは1993年にノーベル平和賞を受賞したが、批判の声はある。彼は政治的な平等を実現するために努力したものの、経済の仕組みが温存されたため、貧富の格差は解消されず、そうした格差に基づく社会不安は解決されなかったからだ。南アフリカの問題も「他民族の心情や文化」ではなく、経済に根ざしている。

 アメリカでは貧困を犯罪にしようという動きもあるが、アパルトヘイトは特定の地域を収容所にするという制度であり、問題を力で封じ込めるという政策だ。現在、イスラエルで導入されている。「他民族の心情や文化」を強調するのは、被支配者を分断したいからにほかならない。

 本来、居住をともにするために理解し合う努力をしなければならないのであり、交流すれば、自然と理解は進む。そうした理解が進むことを恐れるのは支配層だ。フランス国王ルイ11世は「分割して支配せよ」と言ったそうだが、互いに反目させ、争わせ、統一的な反対勢力を形成させないようにするのは支配者たちの常套手段である。

 ところで、曽野の結婚相手で教育課程審議会の会長を務めたことのある三浦朱門は「ゆとり教育」について次のように語っている:

 「平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならんということです。できん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです。」(斎藤貴男著『機会不平等』文藝春秋、2004年)

 被支配階級である庶民には「実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです」ということだ。余計なことを考える力をつけさせたくないということだろう。介護者は「優しければそれでいいのだ」という曽野の主張と共鳴し合っている。
https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=85324

6. 中川隆[-13914] koaQ7Jey 2020年3月16日 10:45:58 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[919] 報告
詐欺師 曽野綾子と池田信夫に騙されるな

  『ある神話の背景』の背景  〈神話〉を作る身振りと〈事実〉へ向かう姿勢

            石川為丸


曽野綾子の『ある神話の背景』は、いささか挑発的な、右よりの論調を特徴とする雑誌『諸君』に1971年10月から1972年8月まで11ヶ月にわたって連載された後、1973年に、単行本として文芸春秋社から刊行された。この『ある神話の背景』を書き上げた曽野の意図はあまりにも明白であると言ってよい。

「神話」とは、言うまでもなく、古くから人々の間に語り継がれている神を中心にした物語のことである。が、普通は、「客観的根拠なしに人々によって広く信じられていることがら」といった意味で使われている。曽野はかつての沖縄戦における日本軍のなした悪業の事実を、客観的根拠のない「神話」という水準のものにしたかったのだ。沖縄戦にまつわる島々の重たい歴史を、軽い「神話」にしてしまおうとする意図。慶良間列島の島々の名前を覚えにくいという人のために、曽野はこんなザレ歌をわざわざつくったりしているのだ。

「慶良間(けらま)ケラケラ、阿嘉(あか)んべ、座間味(ざまみ)やがれ、ま渡嘉敷(かしとき)」。最後の「渡

嘉敷」に無理があるへたくそなザレ歌ではあるにせよ、曾野のこういう軽いノリが、暗黙のうちにそのことを物語ってもいるのだろう。

 だが、この書『ある神話の背景』はそれなりの説得力を持ってはいたようである。琉大の仲程昌徳先生でさえ、こんなことを書いて、曽野の「神話」説に寄り添ったほどなのだから。

仲程先生は、「公平な視点というストイックなありようが、曽野の沖縄戦をあつかった三作目『ある神話の背景 沖縄・渡嘉敷島の集団自決』にもつらぬかれるのはごく当然であったといえる。」(「本土の作家の沖縄戦記」)などと曽野を持ち上げていたのだ。だが、もし、曽野の語り口に惑わされずに、冷静に『ある神話の背景』を読んでいさえすれば、それが、戦後になってまとめられた赤松隊の「私製陣中日誌」や、赤松や赤松隊の兵士らの証言等をもとに構成された加害者の側に立ったものでしかなかったということがわかるだろう。いったいそんなもののどこに、「公平な視点というストイックなありよう」などが貫かれていようか。だが、仲程先生はさらに、〈ルポルタージュ構成をとっている本書で曽野が書きたかったことは、いうまでもなく、赤松隊長によって、命令されたという集団自決神話をつきくずしていくことであった。そしてそれは、たしかに曽野の調査が進んでいくにしたがって疑わしくなっていくばかりでなく、ほとんど完膚なきまでにつき崩されて、「命令説」はよりどころを失ってしまう。すなわち、『鉄の暴風』の集団自決を記載した箇所は、重大な改定をせまられたのである。〉とまで述べて、曽野の「神話」説を全面肯定したのだ。

 こうした論調の存在を踏まえて、1985年になって、『鉄の暴風』で渡嘉敷島の集団自決の項を執筆した太田良博氏から「沖縄戦に“神話”はない」と題された曽野綾子の「神話」説への丁寧な反論が「沖縄タイムス」紙上(1985年4月8日〜4月18日)でなされた。これに対する曽野綾子からの「お答え」があり、更にそれに対して太田氏からの反論があった。この太田―曽野論争を受けて、タイムス紙上で、石原昌家氏、大城将保氏、いれいたかし氏、仲程昌徳氏、宮城晴美氏らが発言した。その後、『ある神話の背景』をめぐる論争等に関連して、シンポジウム「沖縄戦はいかに語り継がるべきか」が、沖大で催された。その際の、新崎盛暉氏、岡本恵徳氏、大城将保氏、牧港篤三氏らの発言が「琉球新報」紙に掲載された。さらに、タイムス紙上に伊敷清太郎氏の「『ある神話の背景』への疑念」が掲載された。さらに、新聞の投書欄やコラムを通して活発な発言がなされた。

 「太田氏は、伝聞証拠で信用できないと(曽野らに)決めつけられた『鉄の暴風』の記述を戦後四十年にしてさらに補完したことでジャーナリストとしての責任を果たしたことになり、そのことに敬意を表したい。」といれい氏が述べている通り、この論争では太田良博氏は一貫して事実に向かおうとする真摯な姿勢を貫いた。それに比べて、曽野綾子の不真面目さが際立っていた。曽野は、「つい一週間ほど前に、エチオピアから帰ってきたばかりである」ことをまず述べて、太田氏の主張も、それに反駁することも、自分の著作も、

「現在の地球的な状況の中では共にとるに足りない小さなことになりかけていると感じる」

などと言って、まともに対応しなかったのだ。また、

「第二次世界大戦が終わってから四十年が経った」ので「いつまでも戦争を語り継ぐだけでもあるまい、と言えば沖縄の方々は怒られると思うが、終戦の年に生まれた子供たちがもう四十歳にもなったのである。もし大量の尊い人間の死を何かの役に立たせようとするならば、それは決して回顧だけに終わっていいものだとは私は思わない」

などと説教までたれていたのだ。


こういう無責任なずらしに対しては、石原氏がピシリといいことを言っている。


「歴史始まって以来の大きなできごとである沖縄戦の全事実の一部たりとも、闇に葬り去らずに記録し、そこから再び惨劇を繰り返さない歴史の教訓を学ぶことが、体験者と同時代に生きるものの責務であり、体験を語ることが戦没者の死を無駄にしない生存者の使命となっている」と。


『ある神話の背景』を書き上げた曽野の意図は、住民虐殺を始めとする、沖縄における日本軍のなした悪業の数々を免罪しようということであった。もともとそんなことは無理なことなので、曽野はまともに論争することができなかったのだと言えよう。客観的な事実に正面からぶつかったら、当然にもボロが出てしまうような質のものだった。だから曽野は、『鉄の暴風』の中の太田氏の記述を、


「こういう書き方は歴史ではない。神話でないというなら、講談である。」

とけなしてみたり、

「太田氏という人は分裂症なのだろうか。」

などと病む者への配慮を欠いた、けなし文句で対応することしかできなかったのだ。挙句の果ては、

沖縄は「閉鎖社会」だとか、学校教育の場では「日の丸」を掲揚し、「君が代」をきちんと歌わせろ、


などと述べる始末であった。


太田氏の反論に対して、曽野は、結局何一つまともに対応できなかったのだ。

 曽野の発言に見られるような支配的な潮流は、沖縄戦における日本軍の犯罪を免罪し、


「もうあの戦争のことは忘れよう」


ということであった。そういう文脈の中で、仲程昌徳氏が、「軍部にのみ責任をなすりつけて、国民自身における外的自己と内的自己の分裂の状態への反省を欠くならば、ふたたび同じ失敗を犯す危険があろう」という岸田秀の一節を引用して、民衆レベルでの戦争責任を持ち出そうとしたのは、それ自体は大切な問題であったにもかかわらず、住民の側が凄まじい被害を受けた場であるということを考慮にいれていないために、大きく論点を逸らす役割しか果たさなかったと言えよう。それは、

「生き残ったものすべての罪である」などといった、沖縄戦における真の加害責任を免罪しようとする曽野の論調に荷担するものでしかなかったのだ。


だが、そのような仲程氏の発言を除けば、県史料編集所専門員(当時)の大城将保氏の、「住民虐殺」も「集団自決」も根本的な要因は軍の住民に対する防諜対策、スパイ取締であったという、客観的な資料に基づく説をはじめとして、総じて沖縄戦を再認識させる真摯なものであった。ただ、残念であったことは、論争が、沖縄という地域限定のものから全国的なものに展開する前に、曽野が逃亡を決め込んでしまったことである。

 こうした十四年前に行なわれた論争に、私たちは、今何を付け加えようか。それがあまりにも常識的なことであるためなのか、天皇制への言及がなかったことが、ただ一つ私などの気になっている点ではある。渡嘉敷や座間味にまで慰安婦を連れて蠕動していた日本軍は、そこでいったい何を目的にしていたのかということを、ひとまず再確認しておこう。


渡嘉敷では住民を虐殺し、「集団自決」を強制させていたわけであるが、それは、皇軍の使命が沖縄を守るためなどではなく、「国体(天皇制)護持」のためであったからということだ。


ポツダム宣言の受諾が遅れたのは、時の権力が国体護持すなわち天皇制の存続に執着したためであることは、今や常識となっている。天皇の命を救い、天皇制を延命させるための策謀のために、沖縄の住民九万四千人が犠牲にされたのだということは、何度でも確認しておく必要があるだろう。


天皇(制)による戦争の凄まじい犠牲にあいながらも、それから半世紀以上経てもなお、天皇制は温存され、沖縄が日米両軍の戦争遂行のための中心基地にされているという事態に、私たちはもっと驚くべきなのだ。これは、戦争責任の問題が、「戦後責任」として現在にも持ち越されているということにほかならない。十四年前の「集団自決」論争は、今に温存されてしまった「戦前・戦中」と絡めて、繰り返し想起していくべきはずのものである。

http://www.h3.dion.ne.jp/~kuikui/hihyou.htm

雑誌『正論』に1971〜72年にかけて連載されたテキストをまとめた『ある神話の背景』が1973年に出版され、それに対する反論が1985年に「沖縄タイムス」で、太田良博さんという、沖縄タイムスが刊行して、曽野綾子さんの批判対象テキストになっている『鉄の暴風』を書いた人によって掲載されたわけです。

なんで本が出てから10年以上もたってこんなことになったかは不明なんですが(あまりくわしく調べてないんだけど、家永三郎教科書裁判と関係ある様子)、太田良博さんの批判テキストは1985年4月8日から10回にわたって掲載され、それに対する曽野綾子さんの反論が、1985年5月1日から5回、さらに太田良博さんの再反論が1985年5月15日から6回にわたって掲載されました。


________
 

「沖縄戦に“神話”はない」----「ある神話の背景」反論(1)(太田良博・沖縄タイムス1985年4月8日掲載)

はじめに

 

沖縄戦でいつも話題になる事件の一つに渡嘉敷島の集団自決と住民虐殺がある。

この事件について作家の曽野綾子氏は『ある神話の背景』のなかで、

当時渡嘉敷島の指揮官であった赤松嘉次大尉が「完璧な悪玉にされている。赤松元大尉は、沖縄戦史における数少ない、神話的悪人の一人であった」

と述べる。その神話の源になっているのが『鉄の暴風』のなかの赤松に関する記述だとしてその赤松神話を突き崩すために書かれたのが『ある神話の背景』である。

ちょっと待った! 弁護士・成歩堂龍一の出番です。

『ある神話の背景』が復刊された『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実』(曽野綾子・ワッツ)では、当該箇所は以下のように書かれています。p39、赤松大尉が1970年に渡嘉敷島の慰霊祭にやってきたときの話。

赤松元大尉は、沖縄戦史における数少ない、神話的悪人の一人であった。私の目に触れる限り、彼は完璧に悪玉であった。その人物を、今人々は見たのだ。それは面長で痩せた、どこにでもいそうな市井の一人の中年の男の姿をしていた。

こういう微妙な言い回しの違い(パラフレーズ)はけっこうあるので、気をつけたいところです。赤松元大尉を悪玉と見る見方に関して、曽野綾子さんは「そう見る側」を客観的に見ているように、ぼくには思えました。

さらに曽野綾子さんは、「神話」というものについて以下のように語ります。p39-40

神話は神話として、深く暗く遠いところに置かれている限り、そして実態が決して人々の目にふれない限り、安定した重い意味を持つのだった。しかしそれが明るみに取り出された場合、神話の本体を目撃して人々はたじろぐのが普通である。なぜなら、悪に於いても、善においても、それほどに完璧だというものは、このようにめったにあり得ないからだ。

赤松神話も、まさにその日、ふとしたことから深い暗い沖縄の記憶から取り出されたのである。

これを、石川為丸さんの以下のテキストと比べてみます。

→『ある神話の背景』の背景 曽野綾子の一書にふれて(石川為丸)

「神話」とは、言うまでもなく、古くから人々の間に語り継がれている神を中心にした物語のことである。が、普通は、「客観的根拠なしに人々によって広く信じられていることがら」といった意味で使われている。

曽野はかつての沖縄戦における日本軍のなした悪業の事実を、客観的根拠のない「神話」という水準のものにしたかったのだ。

沖縄戦にまつわる島々の重たい歴史を、軽い「神話」にしてしまおうとする意図。


曽野氏は、沖縄タイムス社刊『鉄の暴風』を、戦後、沖縄住民によって書かれた沖縄戦記録の原典と見ているが、その中の第二章「悲劇の離島」の第一項「集団自決」が、『ある神話の背景」で問題とされている箇所である。

実は、その部分は、当時、沖縄タイムス社の記者だった私が執筆したもので、いわば〈赤松神話〉の作り主は私だった、ということになる。そして、赤松神話は『ある神話の背景』によって突き崩されたとする見方が、沖縄の戦記作家たちの間に出てきている。

『鉄の暴風』のなかの=集団自決=の項は、伝聞証拠によって書かれている、赤松の自決命令は事実に反するとする『ある神話の背景』の主張に同調する意見である。もちろんが『ある神話の背景』をそのままみとめているわけではない。手きびしい批判をくわえながらも、曽野氏が指摘した集団自決に関する事実関係については、曽野説を支持し、『鉄の暴風』の記述は訂正を迫られているとしている。


http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060908/oota01

仲程氏の指摘


「太田氏が辛うじて那覇で《捕えた》証言者は二人であった。一人は、当時の座間味の助役であり現在の沖縄テレビ社長である山城安次郎氏と、南方から復員して島に帰って来ていた宮平栄治氏であった。宮平氏は事件当時、南方にあり、山城氏は同じような集団自決の目撃者ではあったが、それは渡嘉敷島で起こった事件ではなく、隣の座間味という島での体験であった。もちろん、二人とも、渡嘉敷の話は人から詳しく聞いてはいたが、直接の経験者ではなかった」との曽野氏の文章を引用した上で、仲程氏はつぎのように述べる。

〈ルポルタージュ構成をとっている本書で曽野が書きたかったことは、いうまでもなく、赤松隊長によって、命令されたという集団自決神話をつき崩していくことであった。

そしてそれは、たしかに曽野の調査が進んでいくにしたがって疑わしくなっていくばかりでなく、ほとんど完膚なきまでにつき崩されて、「命令」説はよりどころを失ってしまう。すなわち、『鉄の暴風』の集団自決を記載した箇所は、重大な改訂をせまられたのである〉としている。さらにまた、仲程氏はつぎのように書いている。

 

定説化をおそれる

 

〈曽野は、そのことに関して「いずれにせよ、渡嘉敷島に関する最初の資料と思われるものは、このように、新聞社によって、やっと捕えられた直接体験者ではない二人から、むしろ伝聞証拠という形で固定されたのであった」と記載に対する重要な指摘をする〉

右のように、『鉄の暴風』の渡嘉敷島に関する記録が、直接の体験者でない者からの伝聞証拠によって書かれたというのが『ある神話の背景』の論理展開の上でのもっとも重要な土台になっており、それが、そのまま信じこまれているのである。

この「伝聞証拠説」に関する事実関係を明らかにしなければ、曽野氏の見解が、そのまま定説化するおそれがあるので、伝聞証拠で「赤松神話」をつくったとされている私としては、このさい、裏史の証言台に立たざるをえない。すなわち、『鉄の暴風』の問題の箇所が決して伝聞証拠にもとづく記述でないことを立証するために----。

http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060909/oota012

赤松大尉の暴状

 

まず、曽野綾子氏の「伝聞情報説」が事実に反することを立証するために、事のいきさつをのべておく。『鉄の暴走』の渡嘉敷島に関する話は、だれから聞いて取材したかと曽野氏に聞かれたとき、私は、はっきり覚えてないと答えたのである。事実、そのときは、確かな記憶がなかったのである。ただ、はっきり覚えていることは、宮平栄治氏と山城安次郎氏が沖縄タイムス社に訪ねてきて、私と会い、渡嘉敷島の赤松大尉の暴状について語り、ぜひ、そのことを戦記に載せてくれとたのんだことである。そのとき、はじめて私は「赤松事件」を知ったのである。

宮平、山城の両氏は、曽野氏が言うように「新聞社がやっと那覇で捕えることのできた証言者」ではなく、向こうからやってきた情報提供者であって、「それでは調べよう」と私は答えたにすぎない。そのとき、私は二人を単なる情報提供者と見ていたのだから、二人から証言を取ろうなどとは考えなかったし、二人も、そのとき、赤松事件について詳しいことは知っていなかった。

〈二人とも、渡嘉敷の話は人から詳しく聞いてはいたが…〉と、『ある神話の背景』のなかに書いてあるのは、曽野氏の勝手な解釈である。

それで私は、あのとき、なんのメモもしなかったし、二人はそのことを告げただけで帰ったのである。その後、『鉄の暴風』が出版されるまで、いや、出版後も長く彼らとは会っていない。

 

宮平氏の復員

 

宮平氏が沖縄タイムス社に私を訪ねてきたことを、私が特にはっきり覚えているのは、次の事情からである。宮平氏は私の中学の同級だった。そして、宮平氏が、沖縄タイムス社に姿を見せたときは、中学以来はじめての邂逅(かいこう)だったので、とくに印象が強かったのである。

宮平氏(終戦当時、准尉)が復員して、郷里の渡嘉敷島に帰ってみると、集団自決や住民虐殺事件が待っていた。その怒りをもって、宮平氏は、新聞社に私を訪ねてきたのだが私は、その宮平氏から渡嘉敷島の事件について取材したとは、曽野氏に語っていない。だれから取材したかについては、はっきりおぼえていないが、宮平氏から聞いて、はじめて、その事実を知ったことはたしかだ、とあやふやな返事をしたにすぎない。ところが『ある神話の背景』では、宮平・山城の両氏から私が取材したことにされている。


 

取材に関する事実

 

曽野氏は、宮平氏当人とも会って、そのことについてたしかめているようだ。『ある神話の背景』では、つぎのようなカッコ付きの説明をしている。(もっとも、宮平氏はそのような取材を受けた記憶はないという)と書いてあるのである。そう書きながら曽野氏は、宮平氏から私が取材しているものと断定している。これは自己どう着である。

宮平氏本人が私(太田)から取材をうけたことを否定しているのだから、では、太田は、だれから取材したのかということについて、曽野氏は、疑問をもつべきであり、さらに、取材に関する事実をたしかめるべきである。その疑問を残したまま、私自身もはっきりした記憶がないと答えてあったにもかかわらず、曽野氏は、私が宮平氏から取材したことにしてしまっている。そして、『鉄の暴風』の記述は、直接の体験者でない者からの伝聞証拠による記述だと断定しているのである。この断定のあやまちはどこからきているか。

『ある神話の背景』は、集めた資料や情報から帰納的に結論が導かれたものではなく、あらかじめ予断があって、それを立証するための作業であったようにおもわれる。


はじめに赤松元大尉に会って、「悪人とは思えない」との印象をうけた。執筆者の私は、だれから取材したかについてあやふやな返事をした。だが、早とちりにとびついたのが〈伝聞証拠説〉である。そこで、宮平氏の被取材否定の高い障壁もカッコ付き説明で簡単にとびこえてしまったのである。でなければ書けなかった『ある神話の背景』の論理をささえる土台は、その点で、不安定なものとなる。


(太字は原文では傍点表記)

このテキストについては、曽野綾子さんからの反論で緻密に語られるわけですが、『「集団自決」の真実』(『ある神話の背景』改題・復刊)では、その部分はどう書いてあるかを引用してみます。p62-65


「鉄の暴風」は、まだ戦傷いえぬ、昭和二十五年に沖縄タイムス社によって企画出版されたものであった。沖縄タイムス社自身が創立されたのは、昭和二十三年であった。

当時政府に勤めていた太田良博氏は、或る日、沖縄タイムス理事・豊平良顕(とよひらりょうけん)氏から、その手伝いをしないかと乞われたのであった。戦史を書こうなどということを思いつくのは、当時まだ新聞社くらいのものであった。そこには新聞人の使命感があった。

取材に歩くと言っても、太田氏が当時使えたのは、トラックを改造したものだけであった。バスさえもまだなかった時代である。

「そんな時に渡嘉敷島へは、どうしていらっしゃいました」

私は驚いて尋ねた。

「漁船でもお使いになりましたんですか? でも、漁船もろくにありませんでしたでしょう」

「いや、とても考えられませんでしたね。定期便もないし」

「どうしていらっしゃいました?」

「いや、向うから来てもらったんですよ」

「何に乗って来ておもらいになったんですか」

「何に乗ってきましたかねえ」

困難な時代であった。直接生きるために必要なもの以外のことに、既にこうして働き始めていた人があるということは、私には信じられないくらいであった。

太田氏が辛うじて那覇で《捕えた》証言者は二人であった。二人は、当時の座間味村の助役であり現在の沖縄テレビ社長である山城安次郎氏と、南方から復員して島に帰って来ていた宮平栄治氏であった。宮平氏は事件当時、南方にあり、山城氏は同じような集団自決の目撃者ではあったが、それは渡嘉敷島で起った事件ではなく、隣の座間味という島での体験であった。勿論、二人共、渡嘉敷の話は人から詳しく聞いてはいたが、直接の経験者ではなかった。しかし当時の状況では、その程度でも、事件に近い人を探し出すのがやっとだった。太田氏は僅か三人のスタッフと共に全沖縄戦の状態を三か月で調べ、三か月で執筆したのである。(もっとも、宮平氏はそのような取材を受けた記憶はないと言う)

太田氏は、この戦記について、まことに、玄人らしい分析を試みている。太田氏によれば、この戦記は、当時の空気を繁栄しているという。当時の社会事情は、アメリカ側をヒューマニスティックに扱い、日本軍側の旧悪をあばくという空気が濃厚であった。太田氏は、それを私情をまじえずに書き留める側にあった。「述べて作らず」である。とすれば、当時のそのような空気を、そっくりその儘、記録することもまた、筆者としての当然の義務の一つであったと思われる。

「時代が違うと見方が違う」

と太田氏はいう。最近沖縄県史の編集をしている史料研究所あたりでは、又見方が違うと思うという。違うのはまちがいなのか自然なのか。

いずれにせよ、恐らく、渡嘉敷島に関する最初の資料と思われるものは、このように、新聞社によって、やっと捕えられた直接体験者ではない二人から、むしろ伝聞証拠という形で、固定されたのであった。


で、実はこのあと、「沖縄戦に“神話”はない」連載第三回目では、太田良博さんは「伝聞証拠ではなく、ちゃんと関係者から話を聞いた」ということで、猛烈な勢いで反論しています。


しかしなんでこう、太田良博さんと曽野綾子さんの間で、言った・言ってないとか、記憶違いだとか、あとで思い出したとか、みたいなことになっちゃったんでしょうか。この「証言者」「伝聞証拠」という件に関しては、太田さんの言い分のほうが正しいような気が、ぼくにはしています。


曽野綾子さんも、本にする前に「あなたの言ったことはこのように書きましたが、この記述で問題はありませんか」みたいな確認をすればよかったのに(していてもなおかつ、そのような「記憶違い」は出て来るとは思いますが)。雑誌レベルのインタビューだったら、相手の確認を得ないまま本(雑誌)にしちゃうこともないわけではありませんが、セミ・ドキュメンタリーというか、ノンフィクション形式の著作物にするんだったら、「そんなことを、俺は言った覚えはない」と相手に言われない程度の確認はもう、嫌というぐらい必要な気がします。


で、もうひとつ気になることですが、この『「集団自決」の真実』には曽野綾子さんのテキストとしては「悪人とは思えない」というフレーズ、もしくはそれに類似したものは出てきませんでした。


赤松元大尉は、沖縄戦史における数少ない、神話的悪人の一人であった。私の目に触れる限り、彼は完璧に悪玉であった。その人物を、今人々は見たのだ。それは面長で痩せた、どこにでもいそうな市井の一人の中年の男の姿をしていた。

というのがあるので、「はじめに赤松元大尉に会って、「完璧に悪玉であった」との印象をうけた。」なら分からなくもないのですが。あるいは「どこにでもいそうな市井の一人の中年の男の姿」ということを受けるのなら「はじめに赤松元大尉に会って「どこにでもいそうな市井の一人の中年の男」との印象をうけた」とか。せいぜいパラフレーズするにしても「「普通の男に思える」との印象を受けた」、でしょうか。

http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060909/oota02

 実は『鉄の暴風』は伝聞証拠によって書かれたものではないのである。それを明らかにする前に一言ことわっておきたいことがある。私は、曽野綾子氏に、取材した相手をはっきりおぼえていないと答えた。事実、そのときは、そうであった。取材相手をおぼえていないというのは、取材者としては、うかつのように聞こえるかもしれないが、それにはそれなりの理由があった。

 

記録は取材の一部

 

一つの理由は、『鉄の暴風』を書くに当たっては、あまりにたくさんの人と会ったので、話を聞いた、それらの人たちがいちいちだれであったか、おぼえていないということである。一つの座談会に、多いときは二十人近くも集まる。座談会だけでもいくらやったかわからない。それも沖縄戦全般にわたっての取材で、渡嘉敷島の記録は、そのごく一部である。取材期間三ヵ月、まったく突貫工事である。それに『鉄の暴風』に記録として採用したのは、これまた取材の一部であり、記録されなかった証言者のものもふくめると、いちいちおぼえられないほどの人たちと会っている。

『鉄の暴風』は、証言集ではなくk、沖縄戦の全容の概略を伝えようとしたため、証言者の名前を克明に記録するという方法をとらなかった。

 

立体的証言を信用

 

もう一つの理由は、取材のやり方である。『鉄の暴風』の執筆者は、牧港篤三記者と私の二人であったが、普通、ルポ・ライターがやるように、あるいは新聞記者が新聞記事を取材するように、私たち執筆者が任意に、あるいは主意的に取材相手を選択して取材したのではなく、話を聞くために人を集めるにあたっては、大体において、新聞社(沖縄タイムス)がお膳立てをしたのである。私たちは、社が集めてくれた人たちの話を記録して、それを文章化する作業につぎつぎと追われていた。

証言者の名をいちいちおぼえていないのは、そういう事情にもよるが、曽野氏から渡嘉敷島に関する取材相手を聞かれたときは、『鉄の暴風』の執筆からすでに二十数年もたっていたのである。

『鉄の暴風』で証言者の名前をいちいち記録しなかったのも、理由はほかにもあるが、そのときの証言者たちの一つの事件に対する複数の立体的証言を私たちが信用していたからである。生死の境をくぐってきたばかりの人たちの証言として重くみたからであり、沖縄戦の体験は、沖縄住民の歴史的な共有財産(注:原文は傍点)であると考えたからである。

渡嘉敷島に関する記録も、社が直接体験者を集めて記録したものである。記録の場所は那覇市内のある旅館の一室であった。その旅館は、現在の国映館の筋向いの奥まった所にあったようにおぼえている。このことを、『ある神話の背景』が出たあと、『鉄の暴風』を読み返していくうちに思い出したのである。

 

古波蔵氏も出席

 

新聞社が責任をもって証言者を集める以上、直接体験者でない者の伝聞証拠などを採用するはずがない。あのとき旅館に証言者を集めたのは、沖縄タイムス社の専務だった座安盛徳氏(故人)だった。

当時、座安氏は、糸満に居住していて、その対岸の渡嘉敷島の関係者を集めるのに有利な立場にあった。そのとき、例の旅館に集まった人たちが誰々であったか、確かな記憶はないが、その中に、戦争中の渡嘉敷村長だった古波蔵惟好氏がいたことをようやく思い出した。古波蔵氏は、集団自決の現場にいた人である。

古波蔵氏とは、その後も二回ほど会っている。同氏は、姓を「米田」に改め、那覇の泊港の船舶関係の事務所にいた。その事務所に、私はいくつかの事実を確かめるために訪ねて行ったのである。この再度の訪問で、私が知りえた事実のなかには『鉄の暴風』に記録されなかったものもある。『ある神話の背景』のなかの他の箇所について反ばくできる材料であるが、伝聞証拠説に関する本筋から外れるので、ここでは割愛することにする。

戦後二十数年もたって曽野氏が赤松大尉やその隊員から聞いた話よりも、戦後まもなく、戦争体験者から聞いた話によって書かれた『鉄の暴風』の記録がより確かであると信ずる。

今回はかなり具体的に、太田さんが『鉄の暴風』を書くにあたって、どういう風に関係者(直接体験者)から証言を得たか(取材したか)が語られています。

曽野綾子さんが『ある神話の背景』で「太田氏は僅か三人のスタッフと共に全沖縄戦の状態を三か月で調べ、三か月で執筆したのである」という風に語っている、『鉄の暴風』執筆時のハードなスケジュール状況は確かに感じますが(それによる事実誤認や聞き間違いは、直接体験者が経験を語るにあたっても、なかったとは言い切れないでしょう)、「いずれにせよ、恐らく、渡嘉敷島に関する最初の資料と思われるものは、このように、新聞社によって、やっと捕えられた直接体験者ではない二人から、むしろ伝聞証拠という形で、固定されたのであった」と語っている部分とは、確かに矛盾しています。

まぁ、勝手な憶測としては、ぼくは曽野綾子さんは太田良博さんに、

「あなたは、渡嘉敷島の集団自決について、誰からお聞きになりましたか?」

という質問をしたんじゃないか、と思っています。

その質問の「誰」という部分を、太田さんは「その情報(集団自決の情報)を最初に提供した人物」と解釈し、曽野さんは「集団自決に関する直接体験をした証言者」と解釈した、というのは何となくありそうなことです。

お二人の、相手に対する厳しい批判になっている部分が少しは感じられるにしろ、基本的には誠実なように見えるテキストからは、どちらかが(あるいは両方とも)嘘を言っている、という判断は、なかなか難しいんですよね。

 

なんか、ミステリーの証言トリックとして使えそうな気がします。

Aという人物が殺され、Bが犯人として逮捕される。Aの友人であるCは、警察(あるいは探偵)から、次のような質問を受ける。

「容疑者のBの女性関係が、かなり乱れていた、という話もあるんですが、Cさんはそれについて何か聞いたことがありますか?」

「ああ、それについては、DさんとかEさん(二人とも女性)とかから聞きました」

で、その「聞いた」というDさんやEさんは、「伝聞情報」をCさんに伝えただけ。「だいぶプレイボーイって噂みたい」と、何かの機会にCさんに言った、という感じ。

ところが警察(あるいは探偵)のほうは、DさんやEさんがその直接の体験者(容疑者Bと「関係」を持った人物)である、と勘違いしてしまう。

…ものすごくベタな、通俗ミステリーみたいな筋立てになっちゃいそうですが。

 

みなさんはどう思いますか。

http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060910/oota03

体験者の証言記録

 

『鉄の暴風」の渡嘉敷島に関する記録が、伝聞証拠によるものでないことは、その文章をよく読めばわかることである。

直接体験者でないものが、あんなにくわしく事実を知っていたはずもなければ、直接体験者でもないものが、直接体験者をさしおいて、そのような重要な事件の証言を、新聞社に対して買って出るはずがないし、記録者である私も、直接体験者でないものの言葉を「証言」として採用するほどでたらめではなかった。永久に残る戦記として新聞社が真剣にとり組んでいた事業に、私(『鉄の暴風』には「伊佐」としてある)は、そんな不まじめな態度でのぞんだのではなかった。

『鉄の暴風』の渡嘉敷島に関する記録のなかで、具体的に名前が出てくるのは、住民の生存者では、当時の「古波蔵村長」と「渡嘉敷国民学校の宇久眞成校長」の二人だけである。『鉄の暴風』の問題の箇所の文脈からみても、その記録のなかに、すくなくとも、この二人の証言がはいっていることは察知できるはずだが、どういうわけか、ほかの面では、いろんな資料を鋭く読みとっている曽野氏が、この渡嘉敷島の記録が、伝聞証拠によるものか、直接体験者の証言によるものかという判断では、その目は曇ってしまっている。『鉄の暴風』のなかの記録が伝聞証拠によるものだとの前提が欲しかったからである。

 

宇久校長宅で取材

 

宇久眞成氏は、渡嘉敷島が戦場となった当時、国民学校の校長として、軍と住民の間にはさまれて苦しい立場に立たされた人である。『鉄の暴風』の渡嘉敷島に関する記録の末尾に出てくる、赤松大尉とその部下が米軍に降伏する場面は、宇久氏から直接聞いた話で、宇久氏は、その降伏式に立ち会っていたのである。その話は、私が単独で、宇久氏の家で取材した。

宇久家は、私が幼少のときからの隣家で、宇久氏の子供たちと私は幼なじみの間柄だったし、私が終戦の翌日、ジャワから復員したときも、一時、大分県に疎開していた宇久氏の留守家族の所に仮住まいし、その年十一月、沖縄に帰還するときも、宇久氏の家族の一員ということにしてもらって、いっしょに帰ったのであり、現在も、親族以上の交際を続けている。

宇久家は教育一家であり、長男と長女は定年で教職を退いているが、二男はいま高知女子大の先生である。宇久眞成氏(故人)は誠実な人柄であった。その宇久氏に、渡嘉敷島での体験を聞き、いろいろたしかめた上で、『鉄の暴風』のある記録を書いたのである。あのとき、口数の少ない宇久氏は、低い声でしみじみとした口調でつぶやいた。

「兵隊はこわい」----。

宇久氏が言う兵隊とは、赤松大尉と、その部下たちのことである。

 

記述改訂必要なし

 

これで、『鉄の暴風』のなかの渡嘉敷島に関する記述が、伝聞証拠によるものでなく、ほんとうの体験者からの取材であることをことわっておく。

伝聞証拠説で、『鉄の暴風』にある渡嘉敷島の記事はアテにならないものだという印象を与えた上で、『ある神話の背景』の論理は構築されているが、『鉄の暴風』の渡嘉敷島の記述が伝聞証拠によらない、実体験者の証言によって書かれたものとなると、あとに残るのは、赤松の言葉を信ずるか、渡嘉敷島の住民の言葉を信じるかと言う問題である。

私は赤松の言葉を信用しない。したがって、赤松証言に重きをおいて書かれた『ある神話の背景』を信ずるわけにはいかない。渡嘉敷島の住民の証言に重きをおいた『鉄の暴風』の記述は改訂する必要はないと考えている。

赤松はたしかな証拠もなく住民を処刑しているが、彼の言葉を信用して、彼のために全面弁護を試みている『ある神話の背景』よりも、戦争の被害者である渡嘉敷島の住民のなまなましい体験をもとに書いた『鉄の暴風』のなかの“渡嘉敷敗戦記”が信ずるに足るものである。同戦記は証言による記録として書かれたが、『ある神話の背景』は赤松弁護の意図で書かれている。

ううむ…。

どうも、なんか最後のほうは「痴漢に会って泣いている女子高生の言い分を信じる」みたいな感じになっているように、ぼくには思えるような飛躍を感じてしまいました。

信じる・信じないの問題ではなく、また、赤松大尉が「たしかな証拠もなく住民を処刑」したかしないかでもなく、ぼくとしては「赤松大尉の『集団自決せよ』みたいな命令」が実際にあったのか、それを誰かが聞いているのか、「聞いた」という証言はあるのかないのか、というのが、ぼく、および曽野綾子さんが考えたい問題なわけです。

「命令書(文書として残っている書類)」があるか否か、ではないですよ。口頭で伝えられる「命令」に対して複数の人間が「言った」と証言すれば、そしてその証言に対し「言わなかった」という証言がなければ、その「命令」があった、ということは、書類が残っているというケースの次に、「実際にあったこと」として判断すべき材料になるでしょう。

「痴漢」の例で言うのなら、実際の物的証拠(髪の毛とかDNA鑑定できるもの)が存在しなくても、「彼女が痴漢されているのを見た」という第三者が複数存在していたら、その女性が痴漢に会ったのは、信じる・信じないとは別の次元で「あったことには間違いない」という判断ができるし、それに対して別の第三者が「ずっと見ていたが、そのような行為はなかった」と証言したら、ちょっとややこしいことになるな、というわけです(物的証拠が必要になるかもしれません)。

で、赤松大尉が村の人間全員集めて「お前ら全員死ね!」と言った、なんて、直接体験者の証言はどうもないみたいなので。あるのは「赤松大尉の命令らしい」という伝聞情報ばかりになっているのが考えどころですね。つまり、赤松大尉が村の人たちに何かを伝える場合は、直接命令ではなく村の代表者を通して伝えた(村の代表者が「赤松大尉の命令だ」的なことを言った、という証言はある)のが話をややこしくしているわけです。

http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060911/oota04

『鉄の暴風』の渡嘉敷島に関する記録は、伝聞証拠によるもので、そのまま信ずることはできないという前提で、『ある神話の背景』は、集団自決の問題をもち出す。

渡嘉敷島住民の集団自決に関し、赤松大尉は命令を下したおぼえはないという。この“赤松証言”に曽野綾子は重点を置いている。しかし、その言葉の信憑(ぴょう)性をどう検証できるだろうか。もし、これが検証できないとすれば、『鉄の暴風』の記述を崩す根拠とはならないわけだが、『ある神話の背景』で、「赤松証言」の客観的真実性が証明されてはいない。たとえ赤松の命令があったとしても、赤松本人が「私が命令した」というはずはないのである。自分に不利な証言となるからである。命令は、あったとしても、おそらく口頭命令であったはずで、そうであれば、「命令された」「いや、命令しなかった」と、結局は水掛け論に終わるだけである。

 

共犯者の立場

 

この命令説の真相を知っていると思われる人物が二人いる。一人は、赤松の副官であった知念少尉であり、一人は赤松と住民の間に立って連絡係の役目をつとめた駐在巡査安里喜順氏である。この二人とも、『ある神話の背景』のなかで真相を語っているとは思えない。知念は赤松と共犯者の立場にあり、安里は自決命令を伝えたなどとは言い難いので、「自決命令」を否定するほうが有利なのである。

集団自決命令の有無をうんぬんする場合、物的な状況証拠となるのが、あのとき住民の手にわたった手りゅう弾で、それがなぜ住民の手に渡ったかということが問題である。『ある神話の背景』によると、手りゅう弾が住民の手に渡ったのは、防衛隊員が勝手に渡したのであって、「自分はあずかり知らぬ」といったような赤松の談話を載せてあるが、手りゅう弾は、戦力を構成する重要な兵器の一つであって、その取り扱いについては軍の指揮官が責任を負うべきものである。手りゅう弾が住民に渡されて、その手りゅう弾で、住民は集団自決を行っているのだ。その手りゅう弾は、住民の集団自決を結果するような状況をつくり出しているのだ。

 

武器管理の常識

 

昭和二十年三月二十五日、米艦船は慶良間列島に激しい砲撃を加え、翌二十六日、米軍の一部が渡嘉敷島に上陸、二十八日に集団自決が行われている。最初、陣地の近くに集まった住民たちが、陣地近くの恩納河原に追いやられたとき、米軍の迫撃砲の攻撃をうけて、住民たちは死と隣り合わせの状況にあったことは確かだが、それだけが集団自決を誘発したとは思えない。それを誘発したのは手りゅう弾である。切迫した状況のなかで、手りゅう弾五十二発が住民に渡されたのだが、そのこたおがいちばん重要な意味をもっている。

これだけの手りゅう弾は、装備劣悪な赤松隊にとって、かなりの比重をもつ火力であったはずである。赤松元大尉は、手りゅう弾は、防衛隊員が勝手に住民に渡したのであって、自分は知らぬと言っていたようだが、防衛隊員が、どういう理由で、自分の意思で、同じ島の住民である非戦闘員に手りゅう弾を渡すのか、その動機や理由が理解できないし、防衛隊員も、また、大切な武器である手りゅう弾を上官の許可なく他人に私たりすると、軍規上、厳しい処罰を受けるおそれがあることを知らなかったはずはないのである。

武器の取り扱いについては防衛隊員も厳格な注意を受けていたはずで、軍隊の指揮官が武器の取り扱いについての注意もなしに武器をあたえることは考えられないのである。

手りゅう弾が、防衛隊員を通じて住民に渡されたことについては、軍の同意、許可、あるいは命令があったとしかおもえない。平時、ピストルの不当所持をさえ警察は血眼になって摘発する。敵前での手りゅう弾のもつ意味は、その比ではない。手りゅう弾は防衛隊員が勝手に渡したのだ、おれは知らぬ、と赤松が言ったとすれば、これは軍隊の常識からみて、まったくのでたらめとしか言いようがない。そんなはずはないのである。

この「手りゅう弾」の問題、つまり「軍の関係者による関与なしで住民の手元にそんな武器が渡るはずがない」という問題はとても重要なのですが、具体的な討論の材料として展開していないのが残念です(このあとの、太田さんのテキストに対する曽野綾子さんの反論でも、その部分は具体的に語られていません)。

「自分はあずかり知らぬ」といった部分の赤松大尉の記述は、以下の通りです。『ある神話の背景』改題の『「集団自決」の真実』から、p153

「自決命令は出さないとおっしゃっても、手榴弾を一般の民間人にお配りになったとしたら、皆が死ねと言われたのだと思っても仕方ありませんね」

私は質問をはじめた。

「手榴弾は配ってはおりません。只、防衛召集兵には、これは正規軍ですから一人一、二発渡しておりました。艦砲でやられて混乱に陥った時、彼らが勝手にそれを家族に渡したのです。今にして思えば、きちんとした訓練のゆきとどいていない防衛召集兵たちに、手榴弾を渡したのがまちがいだったと思います。

赤松氏は答えた。

(太字は引用者=ぼく)

赤松氏の説明と、状況から判断すると、太田良博さんが提起している「防衛隊員が、どういう理由で、自分の意思で、同じ島の住民である非戦闘員に手りゅう弾を渡すのか」という「その動機や理由」は多分、アメリカ軍の捕虜になって欲しくない、という防衛隊員の考えなんじゃないかと思います。それについて「自分はあずかり知らぬ」(正確には「彼らが勝手にそれを家族に渡した」)という赤松元大尉の答弁は、太田良博さんの言う通り「軍の指揮官が責任を負うべきもの」であることは否定できないでしょう。ただし、その「責任」については、赤松さんの話が本当だとするなら、武器を民間人に配った防衛隊員に対する処罰もからんでこなければならない責任問題ではありますが…。

また、「安里は自決命令を伝えたなどとは言い難い」と、太田さんが思っている根拠をもう少し知りたいと思いました。

http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060912/oota05

 赤松大尉の言葉

 

赤松大尉の命令または暗黙の許可がなければ、手りゅう弾は住民の手に渡らなかったと考えるのが妥当である。それ以外のことは考えられない。

曽野綾子氏は軍隊の組織を知らないから単純に赤松の言葉を信ずるのである。軍の指揮官は、武器の所在と実数を確実に掌握していなければならない。武器の取り扱いについては、指揮官の命令(注:原文傍点)が絶対に必要である。防衛隊員が、指揮官の命令がないのに勝手に武器を処分することは絶対に許されない行為である。それがわかったら、それこそ大変なことになる。敵前歩哨が居眠りをするだけで、死刑、ときめられている陸軍刑法のなかで、軍の生命である武器を指揮官の命令なくして処分することが何を意味するか、容易に理解できることである。防衛隊員を通じて手りゅう弾が住民に渡された事実を、赤松が知らなかったはずはない。「知らなかった」とは白々しい言葉である。

あの状況の中で、住民の手に手りゅう弾が渡ったことは、なにを意味するか。「死」を目前にしての手りゅう弾は、心理的に「死」を誘発する「物」だったのである。それに、手りゅう弾は、住民が求めたものでなく、あたえられた(注:原文傍点)「物」だった。

 

追加された手榴弾

 

そして、そのあたえられた数にも問題がある。渡嘉敷島の集団自決者の数は、『鉄の暴風』では三百三十六人、沖縄タイムス社刊の沖縄大百科事典では三百二十九人となっている。だが、曽野氏は、その数を非常に少なく見積もろうとしている。そのため地形を説明したり、わずかの自決者しか目撃しなかったという兵隊の証言を引き合いに出す。二十人や三十人の自決なら手りゅう弾は四発か五発あればよい。何百人も自決したはずがないと曽野氏は疑っているが、住民に渡された手りゅう弾は五十二発である。一発の手りゅう弾が十人の自決用としても、この数は数百人分に当たる。

しかも、手りゅう弾の渡され方にも問題がある。自決用として住民に渡された手りゅう弾は、最初、三十二発だったが、さらに、二十発増加されたという。この「追加」は何を意味するか。最初の三十二発では足らないということで追加されたという。「足りない」と判断したのはだれかということになる。個々の防衛隊員が任意に判断したのか。個々の防衛隊員が勝手に渡すなら、まず、自分用の一個か、多くて二個である。防衛隊員が勝手に渡したのであれば、住民に渡された手りゅう弾全部の実数を個々の防衛隊員が知るはずがない。したがって、三十二発では足りないと判断したのは防衛隊員ではないはずだ。

 

ある統一した意志

 

防衛隊員が軍の掌握下から完全に離れておれば、個々任意に渡したとも考えられるが、あのとき防衛隊員は軍の完全な掌握下にあったのである。集団自決の時期は、米軍上陸の直後であり、小さい島では軍の統制から全く離れることはできなかった。防衛隊員は軍に強くひきつけられていたのだ。防衛隊員が勝手に手りゅう弾を住民に渡したなどとは考えられない。また、集団自決直前、住民は、赤松の陣地付近に集合させられている。住民が勝手に集まってきたのだと赤松は説明しているが、当時の状況から考えてありえないことである。十数人の住民が偶然、その陣地付近にやってきたというなら、そういうこともありうるかもしれないが、この場合は、何百人という住民が、それぞれのかくれていた場所から出てきて集合しているのである。任意に集まるはずがない。かり出されたのである。

集団自決の直前に、住民の集結という事実があった。ある統一した意志が働かなければ、あの状況の中で、軍陣地に多くの住民が集結することはおこりえない。集団自決は、この「住民集結」という状況によって準備されたのである。

米軍上陸、赤松隊の陣地への住民の集結、そして手りゅう弾が住民の手に渡り、その直後、集団自決がおこった。これら一連の事実関係は見逃すことができない。

陣地付近への住民集結には、ある強い意志が働いていたと私は判断する。

どうもここらへん、入力しながら太田良博さんの文章の乱れが気になりますが(同じような語句の繰り返しなど)。神話というか、語り継がれる民話を入力しているような気分になります。まぁそれはともかく。

「防衛隊員が、指揮官の命令がないのに勝手に武器を処分することは絶対に許されない行為である」ということなら、防衛隊員もそのあたりについて調査され、何らかの事情がはっきりして、処分の対象になったとかならなかったとかいう事実はあったのでしょうか。まぁ、日本軍(旧帝国の)がなくなってしまった以上、「防衛隊員」の罪も、赤松隊長の責任も問われる具合は異なってくるとは思いますが、「知らなかった」、正確には、曽野綾子さんのテキストに基づくと「彼ら(防衛隊員)が勝手にそれを家族に渡した」赤松さんの責任と比べると、防衛隊員のかたがたの責任の問われ具合が少し甘すぎるように、ぼくには思えました。

「手りゅう弾の渡され方」が一度ではなく二度に分けられた件に関しては、ちょっと『ある神話の背景』に引用されている『鉄の暴風』あたりのテキストでは確認できなかったので、それが記録されている文書・テキストをもう少し探してみたいと思います(ご存知のかたは教えてください)。

さらに、「一発の手りゅう弾が十人の自決用としても」という数字の根拠がよくわからないところです。手りゅう弾の殺傷能力について、もう少し調べたいところですが、『ある神話の背景』では、住民の言葉として、「手榴弾を抜いたが発火しなかった」(p140:古波蔵元村長の言葉を曽野綾子氏が引用)、「手榴弾がきかないもんですからね。不発とかで」(p159:住民・金城つる子さんの言葉)、「不発のほうが多かった」(p175:住民A(匿名)氏の言葉として。ただし曽野綾子氏は補足として「住民の多くはやはり手榴弾の起爆法を知らなかったのだという」という記述も加えている)など、五十二発の手りゅう弾で、「一発の手りゅう弾が十人の自決用としても、この数は数百人分に当たる」という判断には無理があります。「自決用」として渡す手榴弾に数百発のものを、赤松隊が用意できるとは、当時の武器弾薬の状況から考えるととてもできないわけですが、村の住民全員に「これで死ね」と武器(手榴弾)を渡すことはちょっと無理だったのでは(もちろん、武器を渡すことなく、「いろいろな道具で死んでくれ」と命令することも可能なので、そのことが即、「集団自決の命令はなかった、ということではありませんが)。

「それぞれのかくれていた場所から出てきて集合している」という話は、もう少しあとで状況について調べて語ってみたいと思います。

http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060913/oota06

初め壕や洞穴に

 

米軍上陸と同時に住民は追われるように陣地付近に逃げてきたと『ある神話の背景』では説明する。砲撃と米軍上陸、この事実に直面した住民たちはとっさに、それぞれ安全とおもわれる場所、つまり壕や洞穴にかくれたようだ。それが当然である。いきなり猛攻をうけたときの反射的な初動である。『鉄の暴風』には「住民はいち早く各部落の待避壕に避難し…」と書いたが、実際はあわてふためいた本能的な行動だったと思う。そして、住民たちは各個に孤立し、そこには統一された意思はなかった。軍の意思により駐在巡査がかり集めたというのが真相であろう。その理由は「住民は捕虜になるおそれがある。軍が保護してやる」というのである。

米軍上陸が三月二十三日で、その翌日、赤松隊は西山A高地に陣地を移動している。その陣地の位置がまた問題である。赤松隊長自身、その移動先の陣地の場所を最初は知っていなかったと『ある神話の背景』に書かれている。壕や洞穴に身をひそめていた住民たちが、赤松隊がどこに移動したか知るはずがない。ところが、住民が新陣地である西山A高地の赤松隊の陣地付近に集まってきたのは、赤松隊が陣地をそこに移動したその当日である。住民集結には誘導者がいたのだ。軍の意思が働いていたのだ。

 

安里巡査が伝達

 

住民は西山A高地のことは知っていても、そこに赤松隊が移動した事実を知るには、移動の事実の伝達者がいなければならぬ。その伝達者は安里巡査以外には考えられない。彼は軍と住民の連絡の立場にあったからである。赤松隊の説明のように、多くの住民が砲弾に追われて逃げこんだというのは、移動した陣地の所在が住民にとって不明の状態ではありえず、偶然がいくつもかさならなければ起こりえないことである。また、集団自決は、軍の玉砕を信じて決行されたものにちがいない。軍が戦後も生きのびて部隊降伏するとわかっておれば、集団自決は行われなかったはずだ。

住民の自決をうながした自決前日の将校会議についての『鉄の暴風』の記述を曽野氏は、まったくの虚構としてしりぞけている。『ある神話の背景』のなかにつぎの言葉がある。

 

曽野氏こそ虚構

 

〈ただ神話として『鉄の暴風』に描かれた将校会議の場面は実に文学的によく書けた情景と言わねばならない。しかし、これは多かれ少なかれどの作家にも共通の問題だと思うが、文章を書く者にとっての苦しみは、現実は常に語り伝えられたり、書き残されたものほど、明確でもなく、劇的でもないということである。言葉を換えていえば、現実が常に歯ぎれわるく、混とんとしているからこそ、創作というものは、そこに架空世界を鮮やかに作る余地があるのである。しかし、そのようなことが許され得るのは、虚構の世界においてだけであろう。歴史にそのように簡単に形をつけてしまうことは、だれにも許されないことである〉。

よくかけた文章とはむしろ曽野氏のこの文章のことで、これでとどめをさしたつもりかも知れないが、あの場面は、決して私が想像で書いたものではなく、渡嘉敷島の生き残りの証言をそのまま記録したにすぎない。将校会議はなかったということを証明するために、それをおこなう場所さえなかったと曽野氏は説明する。将校会議などやろうとおもえばどこでもできる。陣地の設備など問題ではない。

陣地になんの設備もなかったというのもおかしい。通常、陣地の移動は設備のある場所を選ぶ。「西山A高地」は軍隊用語であり、陣地名とおもわれる。渡嘉敷島には赤松隊がくる前に設営隊もおった。西山A高地は要塞の場所らしいが、その場所に、その翌年*1からきていた設営隊や赤松隊は、そこに陣地もつくらずに何をしていたのだろう。しかも、西山A高地を“複廓陣地”とよんでいる。複廓陣地とは高度の防御陣地のことである。

ちょっとこのあたりから、太田良博さんのテキストは「思う」「あろう」「はずがない」「考えられない」という、反論・反証が難しい割に、説得しようという著者の意図が気になる表現が多くなります。

「『鉄の暴風』に描かれた将校会議の場面」というのは、『ある神話の背景』改題の『「集団自決」の真実』によるとこんな感じです。p132-135

惨憺たる泥まみれの一夜であった。指揮官自らが穴掘りをしたのである。

しかし沖縄戦に関する資料の一つとしてどこにも引用される、沖縄タイムス社刊の『沖縄戦記・鉄の暴風』はその夜のことを決してそのようには伝えていない。それどころか、全く別の光景が描かれている。

「日本軍が降伏してから解ったことだが、彼らが西山A高地(複廓陣地のこと。----曽野注)に陣地を移した翌二十七日、地下壕内において将校会議を開いたが、そのとき赤松大尉は『持久戦は必至である。軍としては最後の一兵まで戦いたい、まず非戦闘員をいさぎよく自決させ、われわれ軍人は島に残った凡ゆる食料を確保して、持久体勢をととのえ、上陸軍と一戦交えねばならぬ。事態はこの島に住むすべての人間の死を要求している』ということを主張した。これを聞いた副官の知念少尉(沖縄出身)は悲憤のあまり、慟哭し、軍籍にある身を痛嘆した」

昭和四十六年七月十一日、那覇で知念元少尉に会った時、私が最初に尋ねたのはこのことであった。

「地下壕はございましたか?」

私は質問した。

「ないですよ、ありません」

知念氏はきっぱりと否定した。

「この本の中に出てくるような将校会議というものはありましたか」

「いやあ、ぜんぜんしていません。只、配備のための将校会議というのはありました。一中隊どこへ行け、二中隊どこへ行けという式のね。全部稜線に配置しておりましたんでね。

知念朝睦氏は、あまりにもまちがった記事が多いのと、最近、老眼鏡をかけなければ字が読みにくくなったので、この頃は渡嘉敷島に関することは一切、読まないことにした、と私に笑いながら語った。

つけ加えれば、知念氏は少なくとも昭和四十五年までには沖縄の報道関係者から一切のインタービューを受けたことがないという。それが、赤松氏来島の時に「知念は逃げかくれしている」という一部の噂になって流れたが、

「逃げかくれはしておりません。しかし何も聞いていないところへ、こちらから話を売り込みに行く気もありませんから、黙っておりました。

昨年春(昭和四十五年三月)赤松隊長が見えた時に、市役所の所員の山田義時という人から会いたい、という申し出を受けました。何も知らないので、初めは会おうと思いましたが、その後、その山田氏が、赤松帰れという声明文などを空港で読み上げて、それで名前もわかりましたので、そんな人に会うのは不愉快だと思って断りました。しかしその時が面会を申し込まれた最初でした」

知念朝睦氏は語るのである。

そこにいた兵隊たちの言葉を総て、共同謀議による嘘だというのであれば別だが、その日、地下壕で将校会議が行われたということを、その儘信じることは少々危険なようである。当の知念元少尉自身がその話を承認しない。又当時、第二中隊長であった富野稔元少尉も、山川泰邦著『秘録沖縄戦史』(沖縄グラフ社)の「三月二十七日、(中略)安全地帯は、もはや軍の壕陣地しかない」という部分に、根本的な二つのまちがいがあると指摘する。第一は軍はまだ壕を掘っていなかったこと、第二は壕予定地といえども決して安全ではなかったこと。富野氏によればあの島にはその日、安全を保障される土地は一平方メートルもなかった。

と、この後に、太田良博さんが引用している「ただ神話として『鉄の暴風』に描かれた将校会議の場面は実に文学的によく書けた情景と言わねばならない。」云々が来るわけです。

「地下壕内において将校会議を開いた」という『鉄の暴風』の記述と、「ないですよ、ありません」という知念元少尉の発言(『ある神話の背景』改題の『「集団自決」の真実』中の記述)とは、まっこうから対立するわけで、本当だったら実際に地下壕があったかなかったか、その「物的証拠」を検証するしかないわけなんですが、太田さんのテキストでは「将校会議などやろうとおもえばどこでもできる。陣地の設備など問題ではない。」と言っているので、これはもう、なかった、という判断で特に問題はないんじゃないかと思います。

で、実際には「なかった」という可能性の高い「地下壕での将校会議」で、「まず非戦闘員をいさぎよく自決させ」ということが話されたのか話されなかったのか、なんですが、「地下壕ではないどこか別の場所でそのような話がなされた」ということを信じるには、ぼくの想像力の何かをねじまげないと難しいものがあります。つまり、『鉄の暴風』で語られている「将校会議」の、ある部分は嘘で、ある部分は真実である、というような想像力を作り上げないと難しい、ということですね。

太田良博さんの「伝聞情報」「直接体験の証言」との混乱部分をはっきりさせるには、「日本軍が降伏してから解ったことだが」という「解ったこと」については、「誰」によってわかったのか、ということが重要な問題でしょうか。つまり、その「将校会議」で語られたことを太田良博さんに伝えた人物は、その情報を「伝聞情報」で知ったのか、「直接体験」として実際に、赤松大尉その他が語ったことを聞いたのか、ということです。

 http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060914/oota07

信頼どこにおくか

 

将校会議があったかなったか、赤松隊の陣地がどうだったかということは、付帯的な問題にすぎない。『鉄の暴風』が伝聞証拠によって書かれたものであり、また、なかには創作的な記述があることを証明するためにそれらは持ち出されたものだが、『鉄の暴風』の記述がすべて実体験者の証言によるものであり、記述者の創作は介入していないことを言明することで答えとしたい。あとは、赤松側の言葉を信用するか、住民側の証言に信頼を置くかの選択が残されるだけである。

ありもしない「赤松神話」を崩すべく、曽野綾子氏は、新しい神話を創造しているにすぎない。そのやり方は手がこんでいる。『鉄の暴風』だけでなく渡嘉敷島に関するほかの戦記もすべて信用できないとする。なぜなら、それらの戦記にも『鉄の暴風』とおなじようなことが書かれているからで、それらすべてを否定しないと、赤松弁護の立論ができないのである。

沖縄側の渡嘉敷戦記の全面否定は、あとで曽野氏がいちばん信用できるとする赤松隊の陣中日誌なるものを持ち出すための伏線となっている。『鉄の暴風』の渡嘉敷戦記が、伝聞証拠によって書かれたとする判断をふまえて、曽野氏はつぎのように推理する。

曽野氏は、渡嘉敷島に関する三つの記録をあげている。沖縄タイムス社刊『鉄の暴風』、渡嘉敷村遺族会編『慶良間列島・渡嘉敷島の戦闘概要』、渡嘉敷村が出した『渡嘉敷島における戦争の様相』の三つである。そして、この三つの戦記は、そのうちのどれかを模写したような文章の酷似が随所にある、と曽野氏は指摘する。結論を言えば他の二つの戦記は『鉄の暴風』のひき写しであるというのである。

 

「事実内容」の問題

 

『鉄の暴風』の文章を、他の二つの戦記がまねたおうだという判断から、事実内容までもほとんど『鉄の暴風』の受け売りだとし、『鉄の暴風』の渡嘉敷戦記が信用できないので、その文章をまねて書かれた他の二つの戦記の事実内容まで疑わしいとする推理だが、この推理はおかしい。渡嘉敷村遺族会編の戦記も渡嘉敷村編の戦記も、直接の体験者たちの証言または編集によってまとめられたものであることは間違いない。直接の体験者たちによってまとめられたものが、いくぶん文章をまねることはともかく、事実内容まで、伝聞証拠によって書かれたとされる『鉄の暴風』の渡嘉敷戦記をまねるということがありうるだろうか。

この三つの資料は、文章の類似点があるとはいえ、事実内容については、大筋において矛盾するところはないのである。それは当然のことで、『鉄の暴風』が伝聞証拠によって書かれたものでないことはもちろん、むしろ、上述の他の戦記資料によって『鉄の暴風』の事実内容の信ぴょう性が立証されたといえるのである。三つの資料は、いずれも直接体験者の証言に基づくものであって、直接体験者でない者からの伝聞証拠によって三つの記録の事実内容が共通性をもたされているのではないことはあきらかである。

 

私製の「陣中日誌」

 

曽野氏が最も信用できる資料として赤松弁護の道具に使っている赤松隊の「陣中日誌」なるものは、ほんとの「陣中日誌」ではない。軍隊では、作戦要務令で規定された陣中日誌を「陣中日誌」というのだが、赤松隊の陣中日誌なるものは、戦後まとめられた(記述の年月日がある)もので、「私製陣中日誌」であることがわかった。しかも自画自賛と自己弁護の色合の強いもので、客観的資料として信用しがたいものである。

現地側の戦記資料はすべて否定し、赤松隊のこの「私製陣中日誌」に最大の信を置いて書かれたのが『ある神話の背景』である。赤松隊の「私製陣中日誌」と曽野氏の『ある神話の背景』とは、書かれた意図に似通うものがあり、赤松隊弁護の意図で重なり合っているが、『ある神話の背景』があるていど公平を装っている点だけがちがっている。

http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060915/oota08


任務放棄に失望

 

赤松嘉次大尉の証言は信用しがたい。その一例をあげておく。赤松隊の任務は舟艇による特攻であった。だが、赤松隊は、渡嘉敷島に米軍が来攻したとき、みずから舟艇を破壊して、米艦船に対する特攻という本来の任務を放棄してしまった。

この任務放棄に関し、赤松は、慶良間巡視中の船舶隊長大町大佐の命令があったからだとしている。大町大佐は慶良間近海で戦死しているので死人に口なしである。大町大佐がわざわざ特攻中止を命ずるために慶良間巡視に出かけたとは思えないが、この出撃中止が軍司令部の意向ではなかったことだけはっきりしている。

沖縄守備第三十二軍の高級参謀であった八原博通大佐の手記『沖縄決戦』によると、慶良間の海上特攻に一縷の望みをかけていたことがわかる。「好機断固として海上に出撃すべきである。願わくば出撃してくれと祈る」云々の言葉がある(同書144ページ)。現地からの無線連絡で攻撃失敗がわかると、八原参謀は「意志が弱く、不屈不撓あくまで自己の任務目的を遂行せんとする頑張りが足りない」と慶良間の海上特攻隊に失望の色をみせている。

 

無電内容も疑問

 

たとえ大町大佐が出撃中止を命じたとしても、その場合、無電で、首里の軍司令部にその真相をたしかめる方法が赤松大尉には残されていた。慶良間群島に海上特攻を配置させたのは、高級参謀八原大佐だった。また、八原大佐は海上特攻の主任参謀でもあった。特攻の出撃中止が軍司令部の意志を無視しておこなわれたことは同大佐の著書で明らかである。

「出撃不可能」との軍司令部に対する慶良間現地からの無電内容にも疑問がはさまれる。出撃中止の時点で、赤松隊も舟艇も米軍の陸上攻撃をうけていないのである。出撃は、夜間に企画されたもので、米軍による夜間の陸上攻撃は考えられない。渡嘉敷島に対する米軍の攻撃が始まったのは三月二十五日未明、米軍の一部が渡嘉敷島に上陸したのは翌二十六日の未明、すると二十五日夜から翌日未明にかけての夜間は何をしていたのかということになる。赤松隊長が中止させたと『鉄の暴風』には記録されている。また、事実、わざわざ舟艇を自爆させるだけの余裕があったことがすべてを物語っている。ちなみに、沖縄本島周辺の他の海域では、随所で舟艇による果敢な海上特攻が実行されて戦果をあげている事実がある。慶良間の特攻隊の任務放棄はまったくの例外であった。

 

住民処刑の例

 

とにかく、赤松戦隊は、海上特攻という最重要の任務を放棄したからには、軍司令部から見れば、戦略的にも戦術的にも無意味な存在となったのである。その後、この戦隊には、陸上戦闘による戦果がほとんどなく、米軍はなんの損害もうけなかった。赤松隊は無力な島の住民との間にいろいろなトラブルをひき起こしているだけである。

じつは、赤松が、集団自決を命令した、命令しなかったという事件よりも、住民処刑のほうがもっと問題である。集団自決下命問題は、赤松が下命しなかったといえば、それで不確定性をもつ性格のものだが、住民処刑は否定できない事実である。曽野氏は、不確定性をもつ集団自決を前面に出して、一種の煙幕を張り、そのあとで、否定できない事実である住民処刑については、軍の綱領や軍法などを持ち出して各種の弁護を試みているが、その弁護は別の事実によって支離滅裂となるのである。その事実とは、住民処刑と矛盾する兵隊に対する赤松の処置である。

住民処刑について、二、三の例をあげる。

伊江島出身の若い女性たちが米軍にたのまれて赤松の陣地に行き、降伏勧告文を取りついだために斬首の刑をうけている。また、終戦の日の八月十五日、米軍の投稿勧告分を陣地近くの木の枝に結んで帰ろうとした与那嶺徳と大城牛の二人が捕えられて殺された。しかし、おなじ降伏勧告でも相手が日本の軍人であった場合は、赤松大尉はちがった態度をとっている。『ある神話の背景』の121ページ、122ページをみればわかる。

「集団自決を命令した、命令しなかったという事件よりも、住民処刑のほうがもっと問題である」と言ってしまうと、「集団自決の命令があったかどうかという問題はどうでもいい」ということにも聞こえてしまうのが難儀です。ぼく自身はそれについて、あった・なかったの話を聞いてみたいので、「ことの本質はそれではない」と言われると、話が広がりすぎて手に負えなくなってしまうのですね。「政治家とマスコミとの距離」を、「NHKの人間が、ある番組の放送前に自民党の議員と会ったか合わなかったか」と切り離して考えるのと同じことで、「ことの本質」という志の高さは評価したいとは思いますが。

『ある神話の背景』の121ページ、122ページにあたる、『「集団自決」の真実』の部分は確認できなかったんですが(あとで図書館とかで調べてみます)、『「集団自決」の真実』では、「処刑」の理由についてはp228以降に書かれていました。あとでちゃんと入力してみたいんですが、要約すると「国際法上の軍使のスタイルではなかった」とか、またもいろいろ意見が食い違ったりしています。

http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060916/oota09


終戦直後、二本の中尉と下士官が赤松のところに降伏勧告にきている。しかも、下士官は米軍の服装をしていた。降伏勧告にきた住民がことごとく殺された事実からすれば、相手が軍人であれば、なおさら厳格に対処すべきである。だが、赤松は降伏勧告にきた二人の軍人をおとなしく帰している。

 

大城訓導は民間人

 

また、家族に会いに行ったというだけの理由による大城訓導の処刑がある。渡嘉敷国民学校の大城徳安訓導が、島内の別の場所にいた妻にこっそり会いに行ったという理由だけで、縄でしばられて陣地に連行され、斬首(ざんしゅ)されたのである。この事件について、曽野綾子氏は、大城訓導が「招集された正規兵」(曽野氏は、防衛隊員を正規兵と解釈している)だったことをあげて、赤松の処置が「民間人」に対するものでなく、軍律により軍人に対してとられた処置(処刑)で、不当ではなかったと弁護する。

防衛隊員が「正規の軍人」であったとする解釈には同意できないが、大城訓導は、正式な防衛隊員でもなかった。防衛召集は満十七歳以上、四十五歳までの男子が対象で、武器をあたえられず、飛行場建設や陣地構築に使役され、戦場では弾丸運び、まったくの補助兵力であった。召集の時期は、昭和十九年十月から十二月までと、昭和二十年一月から三月までの二回だが、この二回の防衛召集で大城訓導は召集を受けていない。

渡嘉敷国民学校の校長だった宇久眞成氏から私が直接きいた話によると、大城訓導は、当時、教頭であり、年齢も四十九歳、防衛召集年齢の上限(四十五歳)をこえていた。(小学校教員は、普通、防衛召集の対象からはずされていた)。その大城訓導を、赤松大尉が勝手に防衛隊員にしたらしい。これは、甚だしい越権行為であった。召集は国家行為であるからである。大城訓導は、殺されるまで「民間人」であったのだ。

 

赤松批判で私兵に

 

なぜ、赤松は勝手に大城訓導を防衛隊員にしたのか、そのことについて、宇久氏は、大城訓導があからさまに赤松隊のやりかたを批判したことに原因があったのだと説明した。赤松批判が知れて強制的に赤松大尉個人の「私兵」とされたようである。大城訓導は、親子ほど年齢差のある若い兵隊たちから相当いじめられたらしく、苦役と精神的苦痛にたえられなかったが、妊娠中の妻(おなじく教員)のことが心配で、無断で妻に会いに行き、陣地を勝手に離れたとして殺されたのである。

 

戦争体験への暴挙

 

ところが、赤松隊から隊員である二人の兵隊が逃亡するという事件があった。このとき、部下の兵隊二人の逃亡を赤松は見逃している(『ある神話の背景』230ページ)。この兵隊逃亡に対して、赤松大尉は「去る者を追うのはよそう」と言った、というのである。部下の兵(身内)に対しては、なんという「寛大な処置」であろう。指揮官が部下兵の逃亡を見逃すのは「逃亡幇助」であって、軍律上、許せない行為である。兵隊の「敵前逃亡」は陸軍刑法では死刑である。

住民処刑は、たいてい「通敵のおそれがある」という理由によってなされている。住民をスパイ視していたわけだ。たとえ住民をスパイとして利用することにしても、敵である米軍よりも味方である赤松隊のほうが、言葉も通じるし、同国民でもあるという立場からみて、はるかに有利な条件をを備えていたはずで、住民は、敵情をさぐらせるのに好都合で、その意味では、補助戦力に転化できたはずだが、それはあくまで赤松隊に敵攻撃の意志があった場合にかぎられる。その意志がなければ、住民は、逆に、陣地の所在を敵に通報するのではないかという危惧の対象にしかならない。赤松隊は、まさに、その危惧の目で住民を見ていたのである。

この事実は、赤松が攻撃の意志を全く失い、自己陣地の暴露と敵の攻撃だけを極度に恐れていたことを雄弁に物語っている。古波蔵樽(たる)という男が家族全員を失い、悲嘆にくれて山中をさまよっているところを、スパイの恐れがあると言って、高橋伍長が軍刀で斬殺したという事件もある。

沖縄戦に「神話」などというものはない。沖縄戦は今日的な出来事であるし、沖縄にいたすべての住民が自分の目で見て体験したことである。『鉄の暴風』は、まさにこの体験の記録である。

曽野氏の『ある神話の背景』は、沖縄住民の戦争体験の重さを甘くみた暴挙であり、とくに住民処刑についての全面的な赤松弁護はまったく軽率である。

(おわり)

元テキスト(記事)は、沖縄タイムス1985年4月8日〜18日に掲載されました(1985年4月14日は休載)。

http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060917/oota10



神話「タバコは癌の元凶」

ネヴァダ砂漠で激しく原爆実験が行われたころ、近いところの部落では多くのガン患者が発生した。実は、人体実験だった。

放射能によるガン発生を隠蔽する手段として、当地の住民が強い喫煙習慣があることを利用して、タバコがガンの主な原因だと世界に喧伝された。

福島原発事故での「放射能は安全だ」との神話にも利用されました。

タバコで本当にガンになった事例、  ありますか?



コメント


01. 暴言有理 2011年6月04日 15:10:22: Jiv1ZCdtdJYkc : vkezv3Jlpc

曽野は真性ファシスト。キリスト教的排他性がないと、あそこまで虚言を狂言できない。
この女に比べれば桜井は、余程かわいく見えるから不思議だ。
女文化人で一番嫌いだ。こいつは絶対、特攻や玉砕あるいは野垂れ死にした戦死者や民間の犠牲者の気持ちがわかっていない。

断言できるが彼女は悪魔で地獄に落ちる。

04. 2011年10月19日 15:28:10: T7FnBkRsWE
私は、2007年12月に曽野綾子の〔ある神話の背景〕にかかる一つの嘘を発見し、その後も多数の意図的に隠蔽と嘘をしていること発見し、さまざまなホームページにコメントしてきました。

主な論点は下記のとおりです。

嘘と隠蔽のための条件整備 ・地図を掲載せず、恩納河原・A高地・西山陣地・自決地であるフィジガー=東川を混同するようにしむけた。 ・ 曽野綾子は少なくとも東京・名古屋・大阪で 複数の赤松隊員と一度に会合しているのに一人一人個別に会ったと主張し続けた。証拠写真あり・クライン孝子と共謀し、出口確なる中学生が日本の前途を憂い、「ある神話の背景」の復刊要請をしたという自作自演。(「ある神話の背景」では安里巡査は中城に住んでいるとされているのに出口確は首里と書く。クライン日記−プログに拠れば、その自作自演偽中学生投稿の数日前曽野綾子とクライン孝子は海竜社の連載の件で会合)−付記 クライン孝子はその後、該当記事を削除した。・ABCDなる事情をあまり知らない婦人を利用して、海に集団で入る自殺鼠のように、村民が赤松の移動命令無しに自然に西山高地に移動したようにみせかける。嘘と隠蔽・マルレを陸揚げするには、泛水路が完成していない時期10数人の人力でも苦労したが、コロを使用する泛水路完成後は概ね10分で1グループ1隻泛水可能だったことを隠した。・1945/3/22元基地隊長鈴木が泛水路の完成を祝いに来た、大町大佐はスケジュールで視察に来たなど戦況の逼迫を隠した。事実は数日続いた3/19台湾陽動爆撃が終了したことにより、大本営は従来の米軍台湾上陸予測を改め、沖縄上陸を4月上旬と推測。つれて21日沖縄軍再編。21日慶留間島では自決命令が出された。大町大佐に随行した石田四郎の手記で、15名中7名が通信兵ということから大町大佐の那覇出航は出撃準備のためで、乱数表を伝える通信兵が3島に先行移動したことに疑いはない。通信兵各3名が座間味・阿嘉・渡嘉敷に先着し、大町大佐の乗船通信兵3名が固有の周波数と暗号で対応。残り1名の通信兵が沖縄本島との連絡を担当したはずである。・3/22安里巡査が渡嘉敷に始めて赴任との記載は嘘。赴任後長期の沖縄出向があったことを本人が沖縄県警史に記載。・3/26安里巡査と赤松が会合したという嘘。 安里巡査本人を含め、赤松・曽野以外否定。27日以外にありえない。・3/26赤松・安里会談後、安里巡査のみが村民と赤松の伝令役となったという嘘。 事実は、自決命令を伝えたと思われる当時40過ぎの「松川の兄さん」が伝令役で、新城(富山)兵事主任がそれに次ぐ伝令役。 曽野綾子は自決事件以後、安里巡査が主要な伝令役になったことを隠し安里巡査を憎む古波蔵村長を挑発し、片言から「はい、ずっとです」と言わせた。 なお、松川の兄さんは、3/28手榴弾操作を誤り、自爆死。・曽野綾子は、安里巡査に会った後古波蔵村長と会ったのに古波蔵村長に先に会ったようにみせかけた。これは恩納河原の位置や避難状況をめぐる曽野綾子の古波蔵村長と安里巡査との問答を比較すれば、明白。・私が例をあげ、nio615氏が詳細に証明したとおり、日本軍の資料を含め、日本側資料はすべて1960年代後半まで米軍の渡嘉敷上陸を3/26と誤って記載していた。曽野綾子は、その間違いを利用し、「戦争の様相」、「戦闘概要」の記載は「鉄の暴風」の誤りを踏襲したものであり、、「戦争の様相」、「戦闘概要」は「鉄の暴風」を種本としていると主張した。・当初、出撃予定基地だった留利加波の変更を沖縄本島の参謀が許さなかったと記載するが、留利加波基地は阿波連基地に合併された。・基地隊に留利加波基地変更を強要したため、主たる泛水の労働力、朝鮮人軍夫を基地の変更の負い目から西山陣地の壕堀に協力させることを許したため、泛水が遅れたことを隠し、あまつさえ、赤松が本島や大町大佐の命令に先立ち、1/3泛水を命じたなどと嘘。また勤務隊がゼネストをしたなど大嘘。皆本手記・勤務隊記録などから明白。・石田四郎手記から大町大佐は阿嘉島から沖縄本島に直接帰還しようとしたが、米軍の砲撃に阻まれ、渡嘉敷へ難を避けたのに初めから渡嘉敷を目指したと嘘。これは、あくまでも大町大佐の出馬を視察スケジュール消化であり、出撃準備ではなかったとみせかけるため。・複数の潮位ソフトから3/26午前6時頃、満潮となったことが明白だが前日の23時頃から始められた泛水途中に潮位が干潮に向かったと天に唾する大嘘。・出撃予定時に富野中隊長が先頭でエンジンが故障したとするが、知念が先頭であったことが本人の沖縄県史記述から明白。・大町大佐が渡嘉敷から沖縄本島の帰還にクリ船を考えたという嘘。戦史叢書などは漁船で鰹船をずっと前に徴用。前年10/10爆撃で全滅している。まだ徴用して無事な鰹船(漁船)があるかどうか尋ねたことをクリ船にすり替えた。大城証言から名古屋会合の謀議で考案された嘘であることがわかる。狼魔人はこの嘘を利用し、村民は軍に船舶の徴用を断ることが出来たと強弁。 曽野綾子もそう言いたかったが示唆だけで露骨な主張は無理と踏みとどまったにすぎない。・阿波連では、青年団の協力で泛水出来たのに出来なかったと謀議に赤松に取り込まれた遠藤しか参加していない第一中隊を賤しめる。・「鉄の暴風」に記載する3/31の赤松が持久戦を主張した将校会議は壕が完成せずないのですべて架空とする「ある神話の背景」の記載は4/7持久戦会議が開かれている谷本版陣中日誌から一部の間違いをすべて間違いとする嘘。・「戦争の様相」は、「戦闘概要」より3年早く書かれたのに、「戦闘概要」が早いという嘘。嘘の理由は、自決命令が後の記載で訂正されたと主張するためだが、そのため裁判では年金をもらうために自決命令が捏造されたという原告の主張と齟齬することになった。・皆本中隊長は、豊廣震洋隊長の演習での煙幕発言を剽窃し、大町大佐は全艇を沈める命令を出したが命令に背いて煙幕を張り陸揚げしたと自慢。・安里巡査の自決前に伝令を出したが、伝令が帰る前に自決を始めたとの主張を記載。しかし、匿名女子青年団kのいう松川の兄さん、金城武徳のいう農林学校を出た伝令、吉川勇助証言の古波蔵村長に耳打ちした40過ぎの伝令は同一人物と考えられ、彼が赤松の自決命令を伝えたと考えられる。・本島の通信兵証言によると、28日正午頃には大町大佐の戦死が伝えられている。三池少佐の沈没・救援要請は無線がなくては出来ない。無線の存在を隠すことが転進命令の時刻、戦況隠しに枢要な意味を持つ。・谷本版陣中日誌は元の記述に変更を加えていないと主張。 比べてみると、異同があり、異同が嘘を証明するきっかけにもなる。・3/28午前、複数の偵察を先導していた防衛隊が抜けだし、家族と自決と記載。朝偵察の先導員が軍から抜けることなど出来るはずもない。集団自決に先立ち、個別的自決があったとのみせかけ。



06. 2012年10月15日 11:26:14 : HNPlrBDYLM

沖縄戦 離島残置工作員の実像

九つの島に11人が配置

目的:米軍に対して住民を巻き込んだゲリラ戦を実行すること

上原敏雄:国民学校の教員 陸軍中野学校の特殊工作員


「残置諜報員の問題は沖縄戦を日本軍がどう見ていたかの一つの表れ」
(島袋由美子さん)

「住民を集めて、そこで『皆、玉砕させる』と、びっくりした。

島民を皆玉砕させると」(譜久里藤江さん)


「沖縄はかつて琉球王国という独立国家であったために天皇の存在さえ知らない人が沢山いるから、日頃から監視しておかないと、いざという場合にどこへ向かうか分からない。

『全県民総スパイ視』という言葉まで言われるようにひどい状態が実際に起こっていた。捨石にされたということと日本本土の目的達成の手段に供されるというもの扱いされてきたのがはっきりする」(大田昌秀)

http://www.youtube.com/watch?v=6QCMSdX0PjY


2015-04-01 哲学者=山崎行太郎の政治ブログ『毒蛇山荘日記』


曽野綾子が「新潮45」最新号で、ネット炎上にまで発展した「アパルトヘイト発言」に対して、見苦しい「言い訳」を展開している。曽野は、ネットやSNSでの炎上事件を自分には無縁なものと無視しようとしているようだ。自分は作家だから、書籍や新聞、雑誌などの文章にこだわるということだろう。

しかし、曽野が、いくら無視しようとも、「曽野批判」や「曽野炎上事件」はネットやSNSの世界に限られるわけではない。書籍や雑誌などによる「曽野綾子批判」も、繰り返し行われてきた。曽野は活字による「曽野批判」も無視してきたのだ。曽野よ、「曽野綾子批判」をネットに矮小化するなかれ!


曽野綾子は、「週刊金曜日」の「曽野綾子とは何か」という特集も私と佐高信氏との対談集「曽野綾子大批判」も読んでいるはずである。何故なら、二つとも、某氏が曽野綾子宅に送りつけたからである。知らぬとはいわせない。その証拠に、曽野綾子は、最近、「沖縄集団自決問題」には触れようとしない。触れると、次々とぼろが出るからだ。

曽野綾子は、最近、何故、「沖縄集団自決問題」に言及しなくなったのか?あれほど、「綿密な現地取材」を自慢し、「沖縄集団自決問題」の権威者のごとき論陣を張り、それを根拠に、保守論壇の馬鹿どもをそそのかして「大江健三郎=岩波書店裁判」まで引き起しておきながら、裁判敗北とともに完全沈黙。何故?反論できないからだろう?


曽野は、問題の「アパルトヘイト発言」のエッセイで、南アの共同住宅における黒人居住者が、身内を多数呼び寄せ、共同住宅の生活環境や雰囲気を乱し、多くの白人はそれに嫌気がさし、引っ越していったという話を紹介して、アパルトヘイト(人種差別的分離生活)を擁護している。しかし、この曽野綾子の話は、嘘だったことが、ぺコ大使の説明や南ア事情に詳しい人たちの証言で暴露された。

曽野綾子のアパルトヘイト発言は次の通り。

20〜30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった。
南アフリカでアパルトヘイト(人種隔離政策)の撤廃後、白人専用だったマンションに黒人家族が一族を呼び寄せたため、水が足りなくなり共同生活が破綻し、白人が逃げ出したという例を出し、人間は事業も研究も運動も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい、と思うようになった。(産経新聞 2015/02/11付 7面より)


この曽野綾子発言が「誤解」「無知」に基づく妄言であることは明らか。南ア駐日大使のペコ女史の話では、南アには「パス法」というものがあり、黒人が、白人の住む共同住宅(マンション)に移り住むことはあり得ない。パス法は、1991年に廃止されたが、曽野が南アを訪問したのは翌年の1992年。わずか一年も経たないうちに、貧しい黒人の大家族が、白人の高級マンションに引っ越してくるはずがない。全くあり得ない話。

曽野の話は現地在住者から聞いた話らしいが、曽野の話は、根拠のない一種の都市伝説。ペコ大使の抗議に、その無知と誤報を謝罪。

曽野の、白人が住んでいた高級マンションに黒人一家が大家族で引っ越してきて、白人たちが逃げ出したという話は、全部、作り話である。他人から「間接的」に聞いたという噂話である。証拠も実態もない話。

これは、曽野綾子の代表作『ある神話の背景(「沖縄集団自決の真実」)』、つまり、「沖縄集団自決の話」と同じだ。曽野は、いい加減な噂話を、すぐ信用して、それを日本人に向けて、偉そうに話す。批判されると、いっさい無視黙殺。嵐が過ぎ去るのを待つだけ。

ところで、曽野は、「アパルトヘイト発言騒動(炎上事件)」を、SNSやネット的言論への批判にすり替えようとしている。ネット言論は、無責任な匿名発言だとか?そうだろうか?これまた、少し古すぎる偏見ではないか?ちゃんと本名やペンネームを名乗りつつ、曽野綾子批判を展開している人たちがいることは無視らしい。困ったオバさんである。
http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20150401



▲△▽▼

《大江健三郎と曽野綾子。曽野綾子大批判》

「沖縄集団自決に軍命令はあったか、なかったか」を論じた曽野綾子の『ある神話の背景沖縄・渡嘉敷島の集団自決』(文藝春秋)は、私にとっては、なかなか面白い刺激的な本である。私は何回も読み返し、熟読した。私が再読、熟読を繰り返す本はそんなに多くない。

何故、再読、熟読を繰り返すのか。それは、この本の内容が、私の「哲学的思考」言い換えれば「存在論的思考」を刺激するからだ。実は、この本に、政治的謀略の匂いといかがわしさを感じるのである。

『ある神話の背景』は、現在『沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実日本軍の住民自決命令はなかった!』と改題の上、WACから刊行されているが、私は、数冊買い求め、それぞれ、付箋や書き込みをしながら読んでいる。読み返すたびに、不信と疑惑が膨らんでくる。


結論から言うと、曽野の『ある神話の背景』は最近の資料分析の結果、疑惑だらけの欠陥本、怪文書、政治的謀略文書でしかないことが判明している。『ある神話の背景』が依拠する『陣中日誌』とはすでによく知られているように、この本には、明らかな「誤字」「誤植」「誤読」がある

たとえば、曽野綾子が論敵として批判・攻撃する大江健三郎が、『沖縄ノート』で「罪の巨塊」と書いた文字を「罪の巨魁」や「罪の巨魂」と誤記し、さらに「罪の巨塊(物)」を「罪の巨魁(大悪人)」と誤読している。

しかも、これらを放置したまま、いまだに刊行され続けている。「自称作家」である曽野の文学感性、つまり、言語への鈍感さに驚きを禁じ得ない。「曽野綾子よ、それでも『作家』なのか」と問いたい。


曽野の『ある神話の背景』は、沖縄集団自決の当事者である、赤松嘉次部隊による『陣中日誌』に全面的に依拠している。さて、この赤松部隊版『陣中日誌』は信用できるか。私の答えは、はっきりしている。信用できない。これは、赤松部隊が「自己弁護」のために、捏造・隠蔽した


「怪文書」の一種だからだ。いくつか例を挙げよう。まず制作時期である。『陣中日誌』は、1970年制作で、赤松部隊の隊員によって執筆された。当事は赤松部隊の沖縄集団自決に対して非難が起きていた頃だ。筆者で赤松部隊員だった谷本小次郎は、戦時中に書かれた『陣中日誌』を

「資料」=「原典」として、それに「加筆修正」を加えたという。しかし、その「加筆修正」が限度を超えて、大幅な加筆修正がなされていることが、資料分析の結果、判明している。つまり、この谷本版『陣中日誌』なるものは、改竄、捏造、隠蔽に満ち溢れた「資料価値ゼロ」の


信用できない謀略文書、怪文書である。谷本版『陣中日誌』には、「編集のことば」として次のような文章が添えられている。〈基地勤務隊辻正広中尉が克明に書き綴られた本部陣中日誌と第三中隊陣中日誌(中隊指揮班記録による四月十五日より七月二十四迄の記録、第三中隊長所有)を

資に取り纏め聊かの追記誇張、削除をも行わず、正確な史実を世代に残し(以下略)〉ということは、辻正弘らによって制作された原本の『陣中日誌』があるということだ。実は私が不信と疑惑を持ったのはこの文章からである。

「聊かの追記誇張、削除をも行わず正確な史実を世代に残し」と書くことがすでに怪しいのだ。もし、それが許されるならどうにでも書き換えや削除、加筆が可能であるということではないか。要するに「谷本版『陣中日誌』」は改竄された第二次資料の価値しか持ちえない代物なのである

特に、問題の「集団自決」の場面は、完全な加筆、捏造である。元の資料(辻正広作の『本部陣中日誌』と『第三中隊陣中日誌』)には「集団自決」の場面は言及されていない。谷本は、1970年当事、手に入る「集団自決」関連の資料を元に、資料を取捨選択して加筆し、


「赤松嘉志隊長は自決命令は出していない」「赤松部隊は最後の最後まで勇敢に闘った」という物語を巧妙にデッチアゲているのだ。曽野の『ある神話の背景』は、そのデッチアゲ文書に全面的に依拠しているのだから、歴史的文献としては失格である。


曽野は、このデッチアゲが見抜けなかったのか。それとも曽野自身も、デッチアゲ文章作成に加担した仲間の一人だったのか。赤松部隊にとって都合が悪いことは触れない『ある神話の背景』には当然、書かれるべきことがいくつか書かれていない。たとえば、曽野は朝鮮人軍夫のことを、


ある程度知っていたにもかかわらずかかなかった。何故か。虐待と処刑の事実を書かなければならなくなるからだ。つまり、そのことを書くと、赤松部隊の擁護どころではなくなる。曽野は、取材の途中で『鉄の暴風』の著者の一人である、太田良博に、朝鮮人軍夫のことを話し、


これを書くと「大変なこと」になると語っている(『太田義博著作集3』より)。つまり、『ある神話の背景』は、赤松部隊にとっての「不都合な真実」を排除しているのだ。

もう一つ。曽野は、渡嘉敷島の女子青年団長で、赤松嘉次と行動をともにすることの多かった古波蔵蓉子という女性のことも書いていない。この女性は、伊江島の女性たちの「処刑事件」にも、目撃か関係者として関わっているはずだ。そして、赤松隊長が、山を下りて米軍に投降するとき


「愛人を連れていた」という告発があったことを『ある神話の背景』では書いているが、この事実もうやむやにしている。実は、「愛人」と誤解(?)された女性は、古波蔵蓉子だった、と赤松嘉次自身が、白状している。


さて、古波蔵蓉子のことでもう一つ。古波蔵蓉子の姪が、『季刊女子教育もんだい』1992年7月号で書いていることだが、「叔母(古波蔵蓉子)は、自分の母親には集団自決場所へは行くな」と言ったそうだ。だから、古波蔵蓉子の母親は「集団自決」することなく、助かったという。

つまり、古波蔵蓉子は、赤松喜次隊長の近くにいて、「自決命令」に関する何らかの情報を得ていたのではないか、と思われる。曽野はこの赤松部隊側の謀略的な資料を無条件に信用していたらしく、論敵となる大江健三郎にまで紹介しようとしている。


と怒鳴ったのです。その一言で、私は大江氏は自分に不都合な資料は読まない人だと分かり、以後、大江氏との一切の関係を断ちました。〉大江健三郎が「不都合な資料」は読まない人だろうか。『陣中日誌』は資料価値ゼロの「改竄文書」だったのである。

むろん、それは曽野の憶断にすぎない。私の判断では、曽野こそ、逆に「不都合な資料」は読まない人であり、書かない人だ。曽野がこの問題に関して沈黙するはずだ。(終)
http://yamazakikoutarou.hateblo.jp/entry/2017/06/11/_%E3%80%8A%E6%9B%BD%E9%87%8E%E7%B6%BE%E5%AD%90%E5%A4%A7%E6%89%B9%E5%88%A4%E3%80%8B_%E3%80%8C%E6%B2%96%E7%B8%84%E9%9B%86%E5%9B%A3%E8%87%AA%E6%B1%BA%E3%81%AB%E8%BB%8D%E5%91%BD%E4%BB%A4%E3%81%AF

7. 中川隆[-13913] koaQ7Jey 2020年3月16日 10:57:12 : b5JdkWvGxs : dGhQLjRSQk5RSlE=[920] 報告

曽野 綾子(その あやこ、1931年(昭和6年)9月17日 - )は、日本の作家。
「曾野」表記もある。本名は三浦知壽子。旧姓、町田。

カトリック教徒で洗礼名はマリア・エリザベト。聖心女子大学文学部英文科卒業。日本郵政取締役を務めた。保守論者の一人。

東京府南葛飾郡本田町(現・葛飾区立石)に父町田英治郎(大和護謨製作所[注 1]専務取締役)、母キワの二女として生まれる。幽里香という姉がいたが、出生8年前に亡くなっており、一人娘として成長。1934年、大森区田園調布に移る(以後三浦朱門と結婚後も同所に居住)。

母親の希望により幼稚園から大学まで聖心女子学院。敗戦前後10か月ほど[要出典]金沢に疎開し学校も金沢第二高等女学校[3]に変わるが勤労動員令が下り平野化学工場に配属。1946年3月、東京に戻り聖心に復学[4]一人娘ゆえ小学校より親の知人の次男が婿養子に決まっており、一流大学出の秀才であったが、中学の頃破談となっている[注 2]。曾野本人の意に沿わぬ相手だったのが理由だが、父親が病気治療で退社し家勢が衰えたことも大きな要因だった。

戦後父親は姻戚(義弟・山口堅吉)を頼って米軍に接収された箱根宮ノ下の富士屋ホテルの支配人となる(妻子を田園調布に置いての単身赴任だった。山口は最後のオーナー経営者)。芥川賞候補作「遠来の客たち」の舞台となる米軍接収の箱根山ホテルはここをモデルとしており、曾野は1948年夏に実際ここに滞在しアルバイトまがいの手伝いをしていた[5]。同年9月26日、洗礼をうける。[要出典]

中河与一主宰の同人誌『ラマンチャ』(1951年5月)に載った「裾野」が臼井吉見の目にとまり、臼井の紹介で現在の夫・三浦朱門や阪田寛夫らの第十五次『新思潮』に加わる。朝日放送に入社した阪田の伝手もあり、同人誌発行資金獲得のため同社にコントを投稿し数編採用される。「鰊漁場の図」(新思潮5号)、「田崎と鶴代」(新思潮6号)、「片隅の戦士」(世界8・9月合併号)と発表し、22歳で文学的アドバイザーでもあった三浦と結婚。山川方夫の紹介で『三田文学』に書いた「遠来の客たち」が芥川賞候補となり23歳で文壇デビュー。以後、次々に作品を発表。30代で不眠症に苦しむが、『弥勒』『無名碑』など新しい方向性にチャレンジするうち克服した[6]。

臼井は、曽野や有吉佐和子の活躍を「才女時代」と評した。[要出典]文学史的には、遠藤周作、安岡章太郎、吉行淳之介、小島信夫、庄野潤三、近藤啓太郎、阿川弘之、三浦、小沼丹、島尾敏雄らと共に「第三の新人」に属す。

文化人類学者の三浦太郎は長男で、彼をモデルにして『太郎物語』を執筆した。太郎の妻はエッセイストの三浦暁子[7]。

1995年から2005年まで日本財団会長職を務め[8]、2009年10月からは日本郵政社外取締役に就任[1]。2000年、元ペルー大統領のアルベルト・フジモリ(8年前のアウトゴルペで失脚)が日本に長期滞在した折、自宅に私人として受け入れた[9]。

活動・主張


沖縄戦の歴史問題について

沖縄戦における集団自決強要の真偽を調査したノンフィクション『ある神話の背景』や小中高校生への奉仕活動を打ち出した「日本人へ」(教育改革国民会議第一分科会報告書)などでは論争を巻き起こした。特に『ある神話の―』では、集団自決の軍命があったとする『鉄の暴風』や大江健三郎の『沖縄ノート』等が現地取材もせず間違った記述が多いと主張(軍命をしたとされてきた本人から否定の証言を得る)した。この著書を一つの証拠資料として、2005年8月に軍命をしたとされてきた梅澤裕と赤松大尉の遺族が、大江健三郎と岩波書店に名誉毀損と賠償・出版差し止めを求める裁判(「集団自決」訴訟)を起こした[10]。2007年の教科書検定で文部科学省は、高校歴史教科書の検定において、これまで事実とされてきたことが裁判係争中であることを理由の一つとして、日本軍の強制記述を削除する検定意見を付けて削除させた。 『ある神話の背景』については1985年に『鉄の暴風』の著者太田良博より反論があり、曽野は、それに対して「こういう(『鉄の暴風』のような)書き方は歴史ではない。神話でないというなら、講談である」「太田氏という人は分裂症なのだろうか」と返した。

その後、山崎行太郎は、(1) 『SAPIO』2007年11月28日号の曽野の対談や『ある神話の背景』を見て、曽野が大江健三郎の『沖縄ノート』に記された「罪の巨塊」(物)[注 3] を「罪の巨魁」と誤読しているとし、(2) 曽野が沖縄での取材で富山真順への取材が自分に不利なこととわかると、家永教科書裁判の法廷で「そういう人物は知らない」と嘘の証言までして、富山真順との接触を否定したとし、(3) 曽野の依拠する『陣中日誌』が一種の政治的な意図をもって1970年に発表された二次資料に過ぎないとし、(4) 『鉄の暴風』が新聞社の企画した「集団自決」の生き残りや目撃者達との座談会に出席した上で、彼等の体験談や目撃談を元に書き上げたもので、伝聞情報だけを元に記者たちが勝手に想像して書き上げものではない、などと自身のブログで主張した。

しかし上記 (1) について、『SAPIO』2007年11月28日号にて曽野の対談相手であった上武大学大学院教授の池田信夫は、彼女は「キョカイ」と発音しており、それを「巨魁」と誤記したのは編集部なだけである、と曽野が誤読などしていないと主張し、「山崎行太郎という著書といえば自費出版しかないような自称評論家は対談もしたことがないのだろうか」と批判している[11]。これに対し山崎は1984年以降に出された曽野の『ある神話の背景』において全て「罪の巨魁」と表記されていることを示して、「池田信夫君、逃げないでね(笑)。君の日本語は大丈夫か?」と反論している。また、『ある神話の背景』の初版では「罪の巨塊」と正しく記されてある[12]にもかかわらず山崎の指摘通り1984年の読売新聞社版以降の版[13]では「罪の巨魁」と記されていることから、「曽野綾子は、初版本の段階から、というより、沖縄集団自決問題に関心を持ち、現地取材を開始する時点から、大江健三郎も指摘しているように、明らかに『巨塊』を『巨魁』と誤読し、誤解していたと思われる」と述べている[注 4]。

「沖縄は閉鎖社会」と発言。「学校教育の場では「日の丸」を掲揚し、「君が代」をきちんと歌わせる」べしと主張した(沖縄タイムス1985年4月8日 - 4月18日)。
慶良間列島の島々の名前を覚えにくいという人のためと「慶良間ケラケラ、阿嘉んべ、座間味やがれ、ま渡嘉敷」という歌を作った(諸君!1971年10月)。
家永教科書裁判三次訴訟では被告(国側)側の証人として証言し、沖縄戦の渡嘉敷島での「集団自決」についての見方を示した。証言は以下「彼ら(赤松隊)は好むと好まざるとに関わらず島を死守することになったが、それとても決して島民のためではなかった。村民はおそらく『小の虫』であって、日本の命運を守るために犠牲となる場合もある、と考えられていたに違いない」(出典:沖縄戦と教科書、安仁屋政昭他、2000年)

2016年11月 - 沖縄県の米軍北部訓練場のヘリコプター離着陸帯(ヘリパッド)移設工事反対派に対し、大阪府警の機動隊員が「土人」と発言したことについて、産経新聞において、[14]「私は父のことを『東京土人』とか、『東京原住民』とかよく書いている。私を含めてすべての人は、どこかの土人、原住民なのだが、それでどこが悪いのだろう。『沖縄の土人』というのは、蔑称だと思う蓮舫氏の方こそ、差別感の持ち主だと思われる」と書き、物議を醸す。


学校教育に関して

中学教科書において必修とされていた二次方程式の解の公式を、作家である自分が「二次方程式を解かなくても生きてこられた」「二次方程式などは社会へ出て何の役にも立たないので、このようなものは追放すべきだ」と発言したことを夫・三浦朱門が紹介している(この後、三浦朱門が教育課程審議会で削除を主張し、現行中学課程で「二次方程式の解の公式」は必修の事項ではなくなった)。 数学者の岡部恒治は、西村和雄編『学力低下が国を滅ぼす』中でこれに異議を唱えている。

また自身もゆとり教育の導入を決定した、中曽根政権における臨時教育審議会(臨教審)のメンバーを務めた。[15]

2013年第二次安倍内閣における教育再生実行会議の第一次有識者メンバーに選任された。[16]産経新聞の連載コラムに、「(体罰教師と橋下徹市長には)人を変えられるという思い込み」があると持論を展開したことで橋下徹市長の怒りを買い、twitterで「教育再生会議のメンバーを辞めるべきだ」「とっとと教育の場から去って欲しいね」「教育の現場では、その思い込みがないとやってられない。僕は教育者でないので人を変える役割ではない。しかし教育者にはその思い込みを持ってもらわなきゃ困る」などと反論された。[17][18]

災害・事故に関して

大型台風被害について、「一晩くらいの事で何でそんなに避難者を甘やかすのか。避難したら新聞紙を床に敷いて、何枚も重ね着をして眠るのが当然。弁当なども配る必要はない。天気予報があるのだから、健常者は食糧寝具くらい持って早めに避難所に来るのが普通」とコラムで述べる[19]。
新潟県中越地震について、「避難所で救援物資を当てにして待っている避難者は甘え過ぎだ。避難する時に寝具を担いで逃げるのは当たり前。自分ならガス漏れの心配のない所ですぐに火を熾して米を炊く。必要なものが手元にないのなら、その辺で調達してくる才覚も必要だ」とコラムで述べた[20]。

2011年、渡部昇一との対談で福島第一原子力発電所事故に言及し、東京電力に責任はなかったとしつつ、「放射線の強いところだって、じいさんばあさんを行かせればいいんですよ。何も若者を危険にさらすことはない。私も行きますよ。もう運転免許は失効していますが、あそこは私有地だから無免許でも構わないでしょう(笑)」、「かえって元気になるかもしれません(笑)」と発言した[21]。ただしその後、曽野が福島第一原子力発電所を訪問した事実はない。曽野はまた2014年に「被災者や高齢者といった"弱者"と呼ばれる人々の甘え、そしてその甘えを当然の権利と認めてしまう社会に不安を覚えます」とも発言した[22]。

アパルトヘイトと人種問題について

2015年2月11日 - 産経新聞掲載のコラム「透明な歳月の光」で、移民の人種を基準として居住区を分離した方が好ましいと発言して問題となった。曽野はこのコラムで、「労働力不足と移民「適度な距離」保ち受け入れを」と題し、「南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった。」「人間は事業も建築も研究も何もかも一緒にやれる。しかし居住だけは別にした方がいい」と主張した[23]。さらに、「高齢者の面倒を見るのに、ある程度の日本語ができなければならないとか、衛生上の知識がなければならないとかいうことは全くない」「『おばあちゃん、これ食べるか?』という程度の日本語なら、語学の訓練など全く受けていない外国人の娘さんでも、2、3日で覚えられる。日本に出稼ぎに来たい、という近隣国の若い女性たちに来てもらって、介護の分野の困難を緩和することだ」などと発言した[24]。

曽野のコラムに対し、モハウ・ペコ南アフリカ駐日大使およびNPO法人アフリカ日本協議会は、アパルトヘイト政策を容認する内容だとして、曽野および産経新聞社常務取締役へ抗議文を送った[25][26]。さらに、日本国内のアフリカ研究者の学会である日本アフリカ学会の歴代会長ら約80人も、コラムの撤回や関係者への謝罪などを求め、連名の要望書を同紙に送った[27]。「ロイター」や「ウォール・ストリート・ジャーナル」も批判的に報じた[28][29][30][31]。

しかし、こうした抗議に対し曽野は「差別ではなく区別」「撤回するつもりない」という姿勢を見せた[32][注 5]。また、介護の現場が3Kで低賃金な労働環境であるのに、人手不足を経済連携協定や技能実習制度といった外国人労働者で埋めようとする考え方、日本がこれから先も出稼ぎ先として魅力的な国であるという認識、介護職は2、3日で覚えられる語学力で問題ないとする認識(実際には技能実習制度見直しに関する法務省・厚生労働省合同有識者懇談会、外国人介護人材受入れの在り方に関する検討会の報告書で、日本語能力試験で入国時点でN4、実習2年目に移る際に課す試験でN3程度を目指すとされた)、専門知識の無い低熟練状態でも問題ないとする認識の低さについての指摘もされた[33][34]。その後の言説としては、曽野がブログで「もし記事に誤りがあるなら、私はそれを正します。私も人間ですから、過ちを犯します。しかしこの記事について、誤りがあるとは私は思いません」と書いたことがウォール・ストリート・ジャーナルで報じられた[29][31][35]。
曽野は『新潮45』2015年4月号の連載コラムで「第四十七回 『たかが』の精神」の題で、たかが一作家の自分の考えに対して「肩書一つ正確には書けなかった新聞や通信社が、こうやってヘイト・スピーチを繰り返し、そこに覆面のツイッターが群衆として加わって圧力をかけ、どれだけの人数か知らないが、無記名という卑怯さを利用して、自分たちは人道主義者、曽野綾子は人種差別主義者、というレッテルを貼ることに無駄な時間を費やしている、その仕組みを今度初めて見せてもらって大変ためになった。私は覆面でものを言う人とは無関係でいるくらいの自由はあるだろう。」と述べている[36]。

日本財団会長として

日本財団の会長時代に、ペルーでの小学校建設や不妊手術を伴う家族計画の保健所整備等の援助[37]を通してアルベルト・フジモリ元大統領と交流を持つようになり、2000年の日本亡命時には宿を提供した[38]。
1972年から2012年まで海外邦人宣教者活動援助後援会 (JOMAS) の代表として海外の聖職者たちのボランティア活動にも協力(『神さま、それをお望みですか―或る民間援助組織の25年』[要ページ番号]に詳しい)。

批判された発言

2013年8月 - 週刊現代への寄稿文『「私の違和感」 何でも会社のせいにする甘ったれた女子』が物議を醸す[39]。
2015年7月 - 岩手県矢巾町の13歳の男子中学生中がいじめを苦に自殺した問題で、「自殺した被害者は、同級生に暗い記憶を残したという点で、彼自身がいじめる側にも立ってしまった」(『週間ポスト』9月18日号)と持論を展開して問題となった。
2016年2月 - 90代の病人がドクターヘリによる救助を要請した話を発端として、「高齢者は『適当な時に死ぬ義務』を忘れてしまっていませんか?」(『週刊ポスト』など一連の記事で「生きる機会や権利は若者に譲って当然だ」「ある年になったら人間は死ぬのだ、という教育を、日本では改めてすべき」などと主張した。

その他

チリ・クーデターの際に、サルバドール・アジェンデは左翼にしか奉仕しない政治家だとしてアウグスト・ピノチェト将軍を首班とする独裁軍事政権を擁護した[40]。
学生運動の評価をめぐって上野千鶴子と論争(1989年)。
クリスチャンの立場からか、靖国神社に代わる国立追悼施設建設に賛成している。個人としては靖国神社に参拝しており、2007年6月に李登輝が靖国神社に参拝した際、夫・三浦朱門と共に同行した[41]。

政府の教育改革国民会議委員として、「バーチャル・リアリティはある面では悪であるとはっきり(言う)」「満18歳で、国民を奉仕役に動員すること」を主張[42]。特に前者は、政府の公式サイトで「バーチャル・リアリティは悪であるということをハッキリと言う」と要約されたため、話題になった[43]。
キリスト教徒(カトリック)の立場から人工妊娠中絶には反対の立場をとっている。「言い残された言葉」で[要ページ番号]赤ちゃんポストを「どうしても赤ちゃんを育てられない母親が、子供を安全に捨てるための制度であり、装置である」として支持している。


著書

長編小説

『黎明』大日本雄弁会講談社 1957 のちPHP文庫、徳間文庫
『春の飛行』筑摩書房 1958 のち文春文庫
『死者の海』筑摩書房 1958
『わが恋の墓標』新潮社 1959 のち文庫
『夜と風の結婚』文藝春秋新社 1959 のち文庫
『キャンパス110番』文藝春秋新社 1959
『たまゆら』講談社 1959 のち新潮文庫(男女の無為な日常を綴った)
『塗りこめた声』集英社 1961
『途上』東都書房 1961
『女神出奔』中央公論社 1961 のち文庫
『諦めない女』中央公論社 1961 のち文庫
『リオ・グランデ』文藝春秋新社 1962 のち集英社文庫
『午後の微笑』毎日新聞社 1962 のち文春文庫
『火山列島』朝日新聞社 1962 のち角川文庫、朝日文庫
『海抜0米』集英社 1963 のち文庫
『二十一歳の父』新潮社 1963 のち文庫(NHKでドラマ化)
『青春の構図』桃源社 1964 のち文春文庫
『ぜったい多数』講談社 1965 のち角川文庫、文春文庫
『砂糖菓子が壊れるとき』講談社 1966 のち新潮文庫(マリリン・モンローをモデルに書かれ、若尾文子主演で映画化もされた)
『弥勒』河出書房新社 1966
『娘たちはいま 満天の星』講談社 1967
『続・娘たちはいま 樹々の語らい』講談社 1968
『無名碑』講談社 1969 のち文庫(田子倉ダムやアジア・ハイウェーの建設現場で働く技術者たちの人生を描く)
『傷ついた葦』中央公論社 1970 のち文庫 (鬱屈した神父の生活を描いた)
『生命ある限り』正続、読売新聞社 1970-72 のち新潮文庫、角川文庫
『冬の螢』集英社(コンパクト・ブックス) 1970
『曽野綾子選集』全7巻 読売新聞社 1971
『切りとられた時間』中央公論社 1971 のち文庫
『遠ざかる足音』光文社 1972 のち文春文庫
『幸福という名の不幸』講談社 1972 のち文庫
『人間の罠』サンケイ新聞社 1972 のち文春文庫
『奇蹟』毎日新聞社 1973 のち文春文庫
『太郎物語 高校編』新潮社 1973 のち文庫(息子、太郎をモデルにした青春小説)
『曽野綾子作品選集』全12巻 桃源社 1974-75 のち光風社より復刊
『仮の宿』毎日新聞社 1974 のち角川文庫、PHP文庫
『片隅の二人』集英社 1974 のち文庫
『円型水槽』中央公論社 1974 のち文庫
『虚構の家』読売新聞社 1974 のち文春文庫(家庭内暴力を描いてベストセラーになった)
『いま日は海に』講談社 1975 のち文庫
『至福 現代小人伝』毎日新聞社 1975 のち中公文庫、徳間文庫
『地を潤すもの』毎日新聞社 1976 のち講談社文庫
『希望』中央公論社 1976 のち文庫
『木枯しの庭』新潮社 1976 のち文庫 (自分を呪縛する母親から自立できない学者の苦悩と精神的荒廃)
『太郎物語 青春編』講談社 1976 「大学編」新潮文庫
『紅梅白梅』光文社 1977 のち講談社文庫
『残照に立つ』主婦と生活社 1977 のち文春文庫
『遥かなる歳月』毎日新聞社 1977 「慈悲海岸」角川文庫、集英社文庫
『勝者もなく敗者もなく』文藝春秋 1978 のち文庫
『不在の部屋』文藝春秋 1979 のち文庫
『夫婦の情景』新潮社 1979 のち文庫
『神の汚れた手』朝日新聞社 1979-80 のち文庫、文春文庫(産婦人科医を主人公に堕胎と生命の尊厳をテーマにした代表作)
『テニス・コート』角川書店 1980 のち文庫、文春文庫
『ボクは猫よ』文藝春秋 1982 のち文庫
『曽野綾子選集 II』全8巻 読売新聞社 1984-85
『時の止まった赤ん坊』毎日新聞社 1984 のち新潮文庫
『湖水誕生』中央公論社 1985 のち文庫(高瀬ダム)
『この悲しみの世に』主婦と生活社 1986 のち講談社文庫
『天上の青』毎日新聞社 1990 のち新潮文庫(大久保清の連続婦女暴行殺人事件を下敷きにして極限の愛を描いた犯罪小説)
『一枚の写真』光文社 1990 のち文庫
『讃美する旅人』新潮社 1991 のち文庫
『夢に殉ず』朝日新聞社 1994 のち文庫、新潮文庫
『飼猫ボタ子の生活と意見』河出書房新社 1994 のち文庫
『極北の光』新潮社 1995 のち文庫
『ブリューゲルの家族 幸せをさがす二十五の手紙』光文社 1995 のち文庫
『燃えさかる薪 ある復讐の物語』中央公論社 1995 のち文庫
『寂しさの極みの地』中央公論社 1999 のち文庫
『陸影を見ず』文藝春秋 2000 のち文庫(核燃料輸送船の航海60日に及ぶ人間の苦悩を描く)
『狂王ヘロデ』集英社 2001 のち文庫(ベツレヘムの幼子虐殺で知られるユダヤの王ヘロデの半生を「穴」と呼ばれる唖者の視点で描き出した)
『哀歌』毎日新聞社 2005 のち新潮文庫(ルワンダのツチ族虐殺に遭遇した修道女の体験を描く)
『観月観世 或る世紀末の物語』集英社 2008 のち文庫

短編集

『遠来の客たち』筑摩書房、1955 のち角川文庫
『望郷の歌』筑摩書房 1955
『バビロンの処女市』河出新書 1955
『旅愁』筑摩書房 1956
『男狩り』角川小説新書 1957
『婚約式』東京創元社 1957 のち新潮文庫
『雲の白い日に』大日本雄弁会講談社(ロマン・ブックス)1957
『プリムラの森』東都書房 1958
『能面の家』中央公論社 1960
『新鋭文学叢書 曽野綾子集』筑摩書房 1960
『海の見える芝生で』新潮社 1961
『華やかな手』文藝春秋新社 1961 のち新潮文庫
『佳人薄命』東都書房 1962
『遊動円木 曽野綾子自選集』冬樹社 1965
『永遠の牧歌』三笠書房 1970
『一条の光』新潮社 1970 のち文庫
『蒼ざめた日曜日 恐怖小説集』桃源社 1971
『星と魚の恋物語』新潮社 1972 のち文庫
『落葉の声 自選短編集』読売新聞社 1976
『愛』文春文庫 1976
『話し相手』読売新聞社(昭和世代女流短編集) 1981
『雪に埋もれていた物語』講談社文庫 1983
『無名詩人』講談社文庫 1983
『詩心』新潮文庫 1983
『七色の海』講談社文庫 1984
『夢を売る商人』講談社文庫 1984
『花束と抱擁』新潮文庫 1984
『消えない航跡』新潮文庫 1985
『アレキサンドリア』文藝春秋 1997 のち文庫
『二十三階の夜』河出書房新社 1999 のち文庫
『父よ、岡の上の星よ』河出書房新社 1999 のち文庫
『雪あかり 初期作品集』講談社文芸文庫 2005
『椅子の中』扶桑社文庫 2009
恐怖小説の名作としてしばしばアンソロジーに収録される『長い暗い冬』
コルベ神父の最期を記した『落葉の声』
戦争に引き裂かれた夫婦の愛の謳う『只見川』などがある。


児童向け

『ちいさなケイとのっぽのケン』(絵本)集英社 1962
『イエスにおべんとうをあげたこども』聖文舎 1975
『かみのははマリヤ』聖文舎 1975

随筆

『かまとと追放』集英社 1961
『貘とハイエナ 社会論・人生論』未央書房 1967
『誰のために愛するか すべてを賭けて生きる才覚』青春出版社 1970 200万部以上のベストセラーとなった のち角川文庫、文春文庫
『ひたむきに生きる 心のともしび』(対談集)日本テレビ放送網 1971
『続 誰のために愛するか(いつも心の底に必要な決心)』青春出版社 1971 のち角川文庫
『戒老録 自らの救いのために』祥伝社 1972 (老後の心構えを説く)
『私の中の聖書』青春出版社 1975 のち集英社文庫
『絶望からの出発 私の実感的教育論』講談社 1975 のち文庫、PHP研究所
『人びとの中の私 流されぬ生き方をするために』いんなあとりっぷ社 1977 のち集英社文庫
『曽野綾子の好奇心対談』サンケイ出版 1978
『私を変えた聖書の言葉』講談社 1978 のち文庫
『贈られた眼の記録』朝日新聞社 1982 のち文庫
『辛うじて「私」である日々』サンケイ出版 1983 のち集英社文庫
『あとは野となれ』(現代のエッセイ) 朝日新聞社 1984 のち文庫
『夫婦、この不思議な関係』PHP研究所 1985 のち文庫
『愛と許しを知る人びと』海竜社 1985 のち新潮文庫
『永遠の前の一瞬』南想社 1986 のち新潮文庫
『ほんとうの話』新潮社 1986 のち文庫
『心に迫るパウロの言葉』聖母の騎士社 1986 のち新潮文庫
『失敗という人生はない 真実についての528の断章』海竜社 1988 のち新潮文庫
『バァバちゃんの土地』毎日新聞社 1988 のち新潮文庫
『都会の幸福』PHP研究所 1989 のち文庫
『聖書の中の友情論』読売新聞社 1990 のち新潮文庫
『夜明けの新聞の匂い』新潮社 1990 のち文庫 『狸の幸福 夜明けの新聞の匂い』新潮社 1993 のち文庫
『近ごろ好きな言葉』新潮社 1996 のち文庫
『部族虐殺 夜明けの新聞の匂い』新潮社 1999 のち文庫
『最高に笑える人生 夜明けの新聞の匂い』新潮社 2001 のち文庫
『沈船検死 夜明けの新聞の匂い』新潮社 2003 のち文庫
『戦争を知っていてよかった 夜明けの新聞の匂い』新潮社 2006 のち文庫
『貧困の光景』新潮社 2007 のち文庫
『二月三十日』新潮社 2008 のち文庫

『大説でなくて小説』PHP研究所 1992
『悲しくて明るい場所』光文社 1992 のち文庫
『二十一世紀への手紙 私の実感的教育論』集英社 1992 のち文庫
『悪と不純の楽しさ』PHP研究所 1994 のち文庫
『昼寝するお化け』小学館 1994 のち文庫 第2集『流行としての世紀末』小学館 1996
第3集『ほくそ笑む人々』1998
第4集『正義は胡乱』2000
第5集『生きるための闘い』2002
第6集『人はなぜ戦いに行くのか』2004
第7集『すぐばれるようなやり方で変節してしまう人々』2006

『完本戒老録』祥伝社 1996 のち文庫
『運命をたのしむ 幸福の鍵478』海竜社 1997 のち祥伝社黄金文庫
『地球の片隅の物語』PHP研究所 1997
『七歳のパイロット 地球の片隅の物語 2』PHP研究所 1998『自分の顔、相手の顔 自分流を貫く生き方のすすめ』講談社 1998
『「いい人」をやめると楽になる 敬友録』祥伝社 1999 のち文庫
『私日記』海竜社
1 運命は均される 19992 現し世の深い音 20023 人生の雑事すべて取り揃え 20044 海は広く、船は小さい 20065 私の愛する妻 20076 食べても食べても減らない菜っ葉 20097 飛んで行く時間は幸福の印 20128 人生はすべてを使いきる 悪い運もいい運も 2014『中年以後』光文社 1999 のち知恵の森文庫、光文社文庫
『今日をありがとう 人生にひるまない365日の言葉』徳間書店 2000 のち文庫
『それぞれの山頂物語 今こそ主体性のある生き方をしたい』講談社 2000 のち文庫
『「ほどほど」の効用 安心録』祥伝社 2000 のち文庫
『自分をまげない勇気と信念のことば』PHP研究所 2000 のち文庫、ワック文庫
『哀しさ優しさ香しさ』海竜社 2001
『安逸と危険の魅力』講談社 2001 のち文庫
『人は星、人生は夜空』PHP研究所 2001
『現代に生きる聖書』日本放送出版協会 2001 のち祥伝社黄金文庫
『至福の境地 自分の顔、相手の顔』講談社 2002 のち文庫
『緑の指 ガーデニングの愉しみ』PHPエル新書 2002 のち文庫
『原点を見つめて それでも人は生きる』祥伝社 2002 のち文庫
『必ず柔らかな明日は来る』徳間書店 2003 のち文庫
『アラブの格言』新潮新書 2003
『ないものを数えず、あるものを数えて生きていく 幸福録』祥伝社 2003 のち文庫
『魂の自由人』光文社 2003 のち文庫
『なぜ人は恐ろしいことをするのか』講談社 2003 のち文庫
『生活のただ中の神』海竜社 2004
『ただ一人の個性を創るために』PHP研究所 2004 のち文庫
『人生は最期の日でさえやり直せる』PHP文庫 2004
『幸福不感症』小学館文庫 2004
『アメリカの論理イラクの論理』ワック 2004
『透明な歳月の光』講談社 2005 のち文庫
『日本財団9年半の日々』徳間書店 2005。ISBN 4-19-862032-6。
『社長の顔が見たい』河出書房新社 2005
『「受ける」より「与える」ほうが幸いである』大和書房 2005 「なぜ子供のままの大人が増えたのか」文庫
『日本人が知らない世界の歩き方』PHP新書 2006
『魂を養う教育悪から学ぶ教育 私の体験的教育論215の提言』海竜社 2006
『善人は、なぜまわりの人を不幸にするのか 救心録』祥伝社 2006 のち黄金文庫
『孤独でも生きられる。』イースト・プレス 2006
『晩年の美学を求めて』朝日新聞社 2006 のち文庫
『鍋釜と愛国心』河出書房新社 2007
『アバノの再会』朝日新聞社 2007 のち文庫
『人生の後半をひとりで生きる言葉』イースト・プレス 2007
『平和とは非凡な幸運』講談社 2007
『うつを見つめる言葉』イースト・プレス 2007
『言い残された言葉』光文社 2008 のち文庫
『引退しない人生』海竜社 2008 のちPHP文庫
『老いの身辺をさわやかに生きるための言葉』イースト・プレス 2008
『本物の「大人」になるヒント 知っておきたい「良識ある人間」の考え方』海竜社 2008
『人にしばられず自分を縛らない生き方』扶桑社 2008
『非常識家族』徳間書店 2008 のち文庫
『言い残された言葉』光文社 2008
『生きて、生きて、生きて 愛の極みまで 16人の宣教師』木村博美記録 海竜社 2008
『弱者が強者を駆逐する時代』WAC Bunko 2009
『貧困の僻地』新潮社 2009 のち文庫
『三秒の感謝』海竜社 2010
『安心したがる人々』小学館 2010
『老いの才覚』ベスト新書 2010
『自分の始末』扶桑社 2010
『聖書とは愚かな人々の記録である 神から与えられた37の知恵の言葉』青萠堂 2010 改題『聖書を読むという快楽 「私」に与えられた思索のことば』青萠堂 2014

『人間の記録 曽野綾子 天駈けるほどの軽やかな魂の自由』外尾登志美編 日本図書センター 2010
『疲れない人間関係のヒント』イースト・プレス 2010
『幸せの才能』海竜社 2011 のち朝日文庫
『自分の始末』扶桑社新書 2011 のち文庫
『人生の収穫』河出書房新社 2011 のち文庫
『人生の旅路』河出書房新社 2011
『人生の第四楽章としての死』徳間書店 2011 「誰にも死ぬという任務がある」文庫
『図解いま聖書を学ぶ』ワック 2011
『生活の中の愛国心』河出書房新社 2011
『魂を養う教育悪から学ぶ教育』PHP研究所 2011
『地球の片隅の物語』PHP研究所 2011
『年をとる楽しさ』イースト・プレス 2011
『人にしばられず自分を縛らない生き方』扶桑社新書 2011
『揺れる大地に立って 東日本大震災の個人的記録』扶桑社 2011
『朝はアフリカの歓び』文藝春秋 2012 のち文庫
『ある成功者の老後』河出書房新社 2012
『国家の徳』産経新聞出版 2012
『この世に恋して 曽野綾子自伝』ワック 2012
『幸せは弱さにある いまを生きる「聖書の話」』イースト・プレス 2012
『自分の財産』産経新聞出版 2012
『堕落と文学 作家の日常、私の仕事場』新潮社 2012 「立ち止まる才能 創造と想像の世界」文庫
『人間の基本』新潮新書 2012
『働きたくない者は、食べてはならない』ワック 2012
『老年になる技術 曽野綾子の快老録』海竜社 2012
『叔母さん応援団』河出書房新社 2012
『生きる姿勢』河出書房新社 2013
『うつを見つめる言葉 心がらくになる処方箋』イースト・プレス 2013
『思い通りにいかないから人生は面白い』三笠書房 2013
『親の計らい』扶桑社新書 2013
『幸せは弱さにある』イースト新書 2013
『人生の原則』河出書房新社 2013
『想定外の老年 納得できる人生とは』ワック 2013
『曽野綾子の人生相談』いきいき出版局 2013
『人間関係』新潮新書 2013
『人間にとって成熟とは何か』幻冬舎新書 2013
『不幸は人生の財産』小学館 2013
『安心と平和の常識 「安心して暮らせる生活」など、もともとこの世にない』ワック文庫 2014
『風通しのいい生き方』新潮新書 2014
『辛口・幸福論 生きるすべてを「真剣な遊び」に』新講社 ワイド新書、2014
『自分の財産』扶桑社新書 2014
『酔狂に生きる』河出書房新社 2014
『人間になるための時間』小学館新書 2014
『老いの冒険 人生でもっとも自由な時間の過ごし方』興陽館 2015
『苦しみあってこそ人生 曽野綾子の箴言集』海竜社 2015
『旅は私の人生 時に臆病に時に独りよがりに』青萠堂 2015
『端正な生き方』扶桑社 2015
『人間の愚かさについて』新潮新書 2015
『私の漂流記』河出書房新書 2017.12


ノンフィクション ・レポート

『生贄の島 沖縄女生徒の記録』講談社 1970 のち角川文庫、文春文庫
『ひめゆり隊の記録』偕成社(ノンフィクション物語) 1973
『ある神話の背景 沖縄・渡嘉敷島の集団自決』文藝春秋 1973 のち角川文庫、PHP文庫 「沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実 日本軍の住民自決命令はなかった!」ワック文庫
『アラブのこころ』サンケイ新聞社出版局 1976 のち集英社文庫
『コルベ神父物語』聖母の騎士社 1982
『砂漠・この神の土地 サハラ縦断記』朝日新聞社 1985 のち文庫
『失われた世界、そして追憶 マヤ・アステカ私的紀行』PHP研究所 1990 のち文庫
『神さま、それをお望みですか 或る民間援助組織の二十五年間』文藝春秋 1996 のち文庫


共編著

『新編人生の本』全12巻 江藤淳共編 文藝春秋 1971-72
『愛のあけぼの』三浦朱門,遠藤周作 読売新聞社 1976
『何のための教育か』村井資長 講談社 1978
『聖パウロの世界をゆく』(編著)講談社 1982
『別れの日まで 東京バチカン往復書簡』尻枝正行 講談社 1983 のち新潮文庫
『生と死を考える』アルフォンス・デーケン共編 春秋社 1984
『旅立ちの朝に 愛と死を語る往復書簡』デーケン 角川書店 1985 のち新潮文庫
『ギリシアの神々』田名部昭 講談社 1986 のち文庫
『ギリシアの英雄たち』田名部昭 講談社 1990 のち文庫
『雪原に朝陽さして 函館トラピスト修道院神父との往復書簡』高橋重幸 小学館 1991 - のちライブラリー
『大声小声』上坂冬子 講談社 1992
『親子、別あり』三浦太郎 PHP研究所 1993 のち文庫
『大声小声もう一声』上坂冬子 講談社 1993
『ギリシア人の愛と死』田名部昭 講談社 1995 のち文庫
『湯布院の月』坂谷豊光 毎日新聞社 1998
『人はみな「愛」を語る 結婚のかたち、人生のかたち、幸せのかたち』三浦朱門 青春出版社 1999
『聖書の土地と人びと』三浦朱門,河谷龍彦 新潮文庫 2001
『なぜ日本人は成熟できないのか』クライン孝子 海竜社 2003
『愛のために死ねますか』結城了悟 中経出版 2008
『老い楽対談』上坂冬子 海竜社 2009 「冬子と綾子の老い楽人生」朝日文庫
『いまを生きる覚悟』クライン孝子共著 致知出版社 2012
『愛に気づく生き方』三浦朱門共著 青春新書PLAY BOOKS 2013
『この世の偽善 人生の基本を忘れた日本人』金美齢共著 PHP研究所 2013
『人間の目利き アラブから学ぶ「人生の読み手」になる方法』吉村作治共著 講談社 2014
『野垂れ死にの覚悟』近藤誠共著 ベストセラーズ 2014
『響き合う対話 文学と宗教、そして生きること』岡井隆共著 佼成出版社 2014
『夫婦のルール』三浦朱門共著 講談社 2014


翻訳

天国は配当を払わない リヒアルト・カウフマン 三浦朱門共訳 大日本雄弁会講談社 1956 (ミリオン・ブックス)
オズのまほうつかい ライマン・フランク・バーム 講談社 1963 (世界名作童話全集
小公女 バーネット 講談社 1964 (少年少女新世界文学全集 のち青い鳥文庫 1985
アンデルセン名作選 1-6 フレーベル館 1965-69 (トッパンのステレオえほん)
赤毛のアン モンゴメリー 少年少女世界の文学 河出書房 1966
グリム名作選 1-6 フレーベル館 1967-68 (トッパンのステレオえほん)
しろいやぎビケット フランソワーズ 講談社 1971 (世界の絵本 アメリカ)
あしながおじさん ウェブスター 講談社 1972 のち青い鳥文庫
おうじょとあかちゃん ジャニス・クラマー 聖文舎 1974
にわでのやくそく ロナルド・シュレーゲル 聖文舎 1974
さかなにたべられたヨナ M.M.ブレム 聖文舎 1975
たねなしパンのおはなし メアリーウォーレン 聖文舎 1975
ひとびとのいのちをすくったおうひ キャロル・グリーン 聖文舎 1975
未亡人 リン・ケイン 鶴羽伸子共訳 文藝春秋 1975 のち文庫
かみのつくったせかい 創世記1-2章 Alyce Bergey 聖文舎 1975
ノアのはこぶね ルカ2章1-20 Jane Latourette 聖文舎 1975
ダビデと三ぼんのや サムエル記上18-20章 Alyce Bergey 聖文舎 1976
サムソンのちからのひみつ 士師記13章-16章 Loyal Kolbrek,Chris Larson 聖文舎 1976
しずみかけたボート マタイによる福音書14章22-33マルコによる福音書6章45-51 Mary Warren 聖文舎 1976
てんごくのたしざん ルカによる福音書21章1-4 Walter Wangerin Jr. 聖文舎 1976
てんしがうたうよる ルカによる福音書2章8-20 Allan Ross 聖文舎 1976
スポック博士の家庭教育 ベンジャミン・スポック 鶴羽伸子共訳 紀伊国屋書店 1977
いえをとびだしたむすこ ルカによる福音書15章11-32 Irene Elmer 聖文舎 1977
しんせつなサマリヤのひと ルカによる福音書10章25-37 Janice Kramer 聖文舎 1977
聖書物語 フィリップ・ターナー 三浦朱門共訳 小学館 1981
クリスマスものがたり ブライアン・ワイルドスミス 太平社 1990
ジャックせんせいのおどろ木 ブライアン&レベッカ・ワイルドスミス 太平社 1994
希望の扉を開く ヨハネ・パウロII世 三浦朱門共訳 同朋舎出版 1996 のち新潮文庫
幸福の王子 オスカー・ワイルド バジリコ 2006


外国語訳

Watcher from the Shore. 「神の汚れた手」 Edward Putzar 1990
No Reason for Murder. 「天上の青」Edward Putzar 2003
Sineva nebes ロシア語

2015年現在の連載状況

「透明な歳月の光」(産経新聞他、北国新聞など地方紙にも掲載)
「私日記」(Voice)
「人間関係愚痴話」(新潮45)
「昼寝するお化け」(週刊ポストで隔週)
「小説家の身勝手」(WiLL)
「イエスの実像に迫る」(隔月刊『みるとす』)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%BD%E9%87%8E%E7%B6%BE%E5%AD%90

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