★阿修羅♪ > 近代史4 > 783.html
 ★阿修羅♪
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ
天皇一族は全員クリスチャン
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/783.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 4 月 15 日 16:45:46: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 中川隆 _ キリスト教関係投稿リンク 投稿者 中川隆 日時 2020 年 2 月 23 日 19:57:41)

天皇一族は全員クリスチャン

皇室一家の宗教に関して気になる噂がある。なんと、天皇陛下と皇后陛下はキリスト教信者であるらしい。

それなのに皇室の神事を執り行っているという。しかも、ローマ法王はこの件を許可してるという。また、皇太子と雅子様も自らの宗教を明らかにしていないが、噂ではキリスト教という話だ。

皇太子はかねてから国事である行事を変えたいと言っている。神事をやりたくないのだろう。日本の皇室なのに、すっかりキリスト教にのっとられてしまったようだ。
http://homepage3.nifty.com/nonu/g02koe.htm



▲△▽▼

皇室の人の大部分がクリスチャンです。

皇后陛下がクリスチャンであることは有名

ですが・・それだけでなく・・・。

天皇皇后両陛下をはじめ皇族の大部分。

皇室職員の大部分。

・・・がクリスチャンであることは公然の

秘密です。


皇后陛下および宮妃(宮家の奥様)は全員

クリスチャンです。


・皇后陛下・・(旧姓)正田美智子さま

 カトリックの名門正田家(日清製粉)

 から。


・常陸宮妃・・(同)津軽華子さま

 青森の津軽家(旧大名)から。

 津軽家の藩校は現在ミッションスクール (東奥義塾・・プロテスタント)。


・三笠宮妃・・(同)麻生信子さま

 九州のカトリックの名門麻生家から

 麻生セメント。


・高円宮妃・・(同)鳥取久子さま

 四国の鳥取家から。

 おそらく聖公会だとおもいます。


歴代侍従長の多くはクリスチャン。

現職女官長井上和子氏など皇室職員の大部

分がクリスチャン・・・・。


個人名は多すぎて書ききれません。


参考のサイトは上記以外多数あります。


 


http://www5e.biglobe.ne.jp/~BCM27946/


日本キリスト教女性史


津田梅子・・津田塾大学創始者

市川房枝・・国会議員、婦人運動家

・・・・・

・・などなど・・非常に多数。

http://www.yahoo.co.jp/

Yahoo! JAPAN


URLはダミー
http://q.hatena.ne.jp/1138821235



▲△▽▼


「入江相政」と「美智子皇后」には大きな共通点があります。

「美智子皇后」は「正田家」出身です。

「正田家」はクリスチャンの家系として知られています。

その「正田家」をクリスチャンに改宗させたのが「フロジャック牧師」という人物です。

「フロジャック牧師」は「入江相政」と深いかかわりがあり、さらには「皇室」から庇護を受けた重要人物です。

——————————————————-(以下こちらから転載)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF

ヨゼフ・マリウス・シャルル・フロジャック(Joseph Marius Charles Flaujac、1886年3月31日 – 1959年12月12日)はパリ外国宣教会所属のフランス人宣教師である。

1909年(明治42年)に来日し、結核患者及びその家族のための総合的な福祉施設を目指して活動し、東京における社会福祉活動に大きな足跡を残した。

<行幸啓の様子>

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF
——————————————————-(転載ここまで)

「正田家」を伝道した宣教師が「皇室」にも深くかかわるようになったのです。


<<正田家 家族写真>

——————————————————-(以下こちらから転載)


■弁慶のような荒法師ことフロジャック神父

木下道雄は侍従次長を辞めた後、敬虔なカトリック信徒になっていた。

洗礼を与えたのはヨゼフ・フロジャック神父である。

財団法人慈生会の設立者として知られるフランス人神父のフロジャック神父は、一九〇九(明治四二)年に来日、戦前から乳児院、結核療養施設、診療所などを建てて社会事業に貢献していた。日本語巧みで胸まで伸びた真っ白いヒゲが特徴だった。

木下は、幼友達の妹がフロジャック神父の下で働いていた関係で、噂だけは聞いていた。

村から村へと布教の旅を続ける神父が、足に大きな裂傷を負った際、近くの農家から針と糸を借りて、自分で縫い合わせたという話を聞いて、「フランス人にも、こんな弁慶のような荒法師がいるのかと、一種の親しみを感じた」と語っている。

この親しみとともに、フロジャック神父の名前が木下の記憶に刻まれた。

宮内省総務課長時代、陛下からの推奨金推薦先として財団法人慈生会の前身にあたる「ベタニアの家」の名前があがり、木下の記憶によれば、三二(昭和七)年の暮れに弁慶の元を訪ねる。

ここで二人は初めて出会い、事業も評価され、フロジャック神父には推奨金五千円が与えられることになる。

本格的に二人がかかわり出すのは、侍従次長時代の四五(昭和二十)年十一月二五日、この日の夜にフロジャック神父は木下宅を訪れ、戦災の傷跡残る上野駅周辺の浮浪者救済のための診療施設開設と関東に酪農を主体とするトラピスト施設の必要性を説いた。

木下の日記にも「共に予の共鳴する所なり。考慮を約す」とある。

木下は早速その翌日の宮内省事務調査会でフロジャック提案を披露して、宮内省の協力を取り付けた。

 しかも、那須の名前は早くも十一月二九日に登場し、木下退官直後の四六(昭和二一)年七月には木下の斡旋で那須御料地約三百町歩が貸し下げられることが決まる。

フロジャック神父は貸し下げられた川西御料地六〇町歩を「聖ヨゼフの山」、奥まった道上下の御料地を「聖マリアの山」と名づけて、早速開墾が開始され、引揚者、復員兵の受け入れを始める。

この地には那須診療所、林間学校宿舎、精神薄弱児のための光星学園(現マ・メゾン光星)などが次々とつくられていく。

この御料地貸し下げの背景を見ておこう。

木下によれば、フロジャック提案を昭和天皇に話したところ、昭和天皇より「助けてあげなさい」と言われ、それがきっかけで林野庁との話し合いもつき、貸し下げることになり、成績によってはこれを払い下げることまで決まったとしている。

興味深いのは一九三四(昭和九)年に侍従となり、侍従次長、侍従長として半世紀余にわたって側近を務め、宮中生活最後の休日に急死した入江相政もフロジャック神父と交流していた。

この入江もクリスチャンだったとする説もあるが、現時点では事実かどうか確認できていない。

『入江相政日記』(朝日文庫)にヨゼフ神父として登場するのは、四六(昭和二一)年三月十九日この時入江はフロジャック神父と会食している。

 木下と入江の口利きもあっただろうが、昭和天皇も積極的に支援したことは間違いない。これを順に追っていこう。

フロジャック神父は四六(昭和二一)年十二月十九日に天皇皇后両陛下に進講する。カトリック宣教師が単独で拝謁したのはこの時初めてと言われている。

この時、入江日記にはフロジャック神父が「大変色々申上げて面白かつた」とある。

四七(昭和二二)年九月二日に木下道雄が拝謁しているが、おそらくこの直後に行われる両陛下の那須巡行の件でお願いでもしたのだろう。

 五日後の九月七日、入江日記には「夕狩の慈生会に行く。フロージヤアク老が大変な元気で何かと案内してくれる。例によつて愉快といつたらない。」と書かれている。

 翌九月八日にも両陛下は慈生会を訪れている。

フロジャック神父は、進駐軍やフランス大使館員や大工を一人ずつ引き合わせた後、「私は日本人以上の愛国心を持つて居ります。

一生懸命に致しまして必ず立派な国に再建致します、云々」と語る。

入江はこの時の様子を「フランス人らしい上品なユーモアの連続で非常にお楽しませした」と書き記した。

四八(昭和二三)年もフロジャック神父は二度にわたって両陛下に拝謁し、この年には高松宮、三笠宮も慈生会施設の視察を行っている。つまり、皇室あげてフロジャックの事業を後押ししていたのである。

■弁慶神父「会心の傑作」とは

皇太子の結婚の儀が行われたのは五九(昭和三四)年四月十日、その年の十二月十二日、フロジャック神父は帰天。

「わたしは貧しいひとびとの友であった。

わたしの葬式は貧しい人にふさわしいものにして欲しい。花は一切ご遠慮したい。

思召しがあったら貧しいひとびとに与えていただきたい」との遺言を残した。フロジャック神父には勲四等瑞宝章が贈られ、昭和天皇より祭資料を賜る。

この年、衰弱激しいフロジャック神父の身を気遣う見舞客はあとを断たなかった。

その中には、軽井沢のテニスコートで天皇皇后両陛下の「初めての出会い」の瞬間を写真におさめたカトリック信徒の田中耕太郎最高裁長官もいた。

そして、三〇年来にわたってフロジャック神父の事業を援助し続けてきた正田きぬの姿も当然あった。

フロジャック神父は、この年皇太子妃になったばかりの正田きぬの孫への心やりと永年の援助に対する感謝の気持ちから、こう語りかけた。

美智子さんも大変だろうね、わたしも天国で祈っているよ、美智子さんによろしくね

 これが何を意味するのかは、木下が一番よく知っている。その翌年一九六〇(昭和三五)年七月二日、朝日新聞社講堂では「フロジャック神父を偲ぶ集い」が行われた。

この時壇上には、すでに敬虔なカトリック信徒になっていた木下道雄の姿があった。

この時の木下の「フロジャック神父を思う」と題する記念講話は、『フロジャック神父の生涯』(五十嵐茂雄、緑地社)におさめられている。その四二五ページから引いておきたい。

神父には、この時代のことが、余程なつかしいらしく、晩年になって、いろいろな思い出話をうかがいましたが、そのうちで上州館林に於ける活動は、神父の布教生活中の会心の傑作と自分でも思っておられたようです。

皇太子殿下御婚約のよきしらせを耳にされたときの神父の心中は、定めしけいけんな祈りと感謝と期待との熱きものがあったのではないかと思います。

 「神父」とは当然フロジャック神父、「この時代」とあるのはフロジャック神父が水戸を拠点に日本伝道を始めた頃を意味する。そして、「会心の傑作」が「皇太子殿下御婚約のよきしらせ」につながっていく。

フロジャック神父は関東の山野を歩きまわって布教していた。

文中にあるように上州館林へ行ったのもこの頃である。

上州館林と言えば、美智子皇后の実家があったところ。つまり、上州館林の正田家にカトリックの信仰の種をまいたのもフロジャック神父だった。

 一九二七(昭和二)年、東京関口教会で美智子皇后の祖母である正田きぬはフロジャック神父の手から洗礼を受けて敬虔なカトリック信徒になっていた。

このきぬと美智子皇后の祖父・正田貞一郎(日清製粉創業者)、それに叔母・正田郁子の告別式はいずれも 千代田区 麹町の聖イグナチオ教会で営まれた。

また、母・登美子も聖路加国際病院で臨終洗礼を受け、妹の安西恵美子も洗礼を受けている(『美智子皇后と雅子妃』福田和也、文藝春秋他参照)。

 弁慶が皇室とカトリックの縁結びを務めていた。

明治維新以後、神道界や仏教界にフロジャック神父のような弁慶が存在していたなら、やはり歴史は大きく変わっていただろう。

『フロジャック神父の生涯』のとびら裏にはこんな言葉が飾られている。

最後の握手皆様によろしくとみ声細く

    仰せありしも悲しき思ひ出

                正田きぬ


——————————————————-(転載ここまで)


じつは「皇室」は「カトリック教徒」で固められている、と語るひともいます。

——————————————————-(以下こちらから転載)


そもそも皇室はキリスト教なのですよ

まず、意外なところから説明しますと、皇室神事に携わっている式部職(雅楽奏者など)は渡来豪族の「秦氏(秦河勝)」の末裔(東儀家など)が代々務めていますが、彼らは皆クリスチャンです。

つまり皇室神事はクリスチャンたちが仕切っているのです。

彼らの先祖秦河勝はユダヤ系の血を引く景教徒(古代東方キリスト教徒)だったようです。

そのこと(ルーツが原始キリスト教であること)は一族で代々伝わってきたようです。

現在、皇室神事の式部職クリスチャンたちは都内の名門教会数か所に分散して属しています。

また、上記の式部職だけでなく、皇室職員・皇室メンバーの大部分がクリスチャンであることは公然の秘密なのです。

歴代の宮内大臣(宮内庁長官)、侍従長、書稜部長など各種部門の長などがクリスチャンであることは公開情報としても有名です。

次に、中世(戦国時代)にキリシタン大名として歴史に名を残した領主たちの末裔が現在はクリスチャンとして皇室の要職に就いています(例:前田利家の末裔で前田家当主の人など)。

さらに、近世では幕末の大名の「最後の藩主」たちには禁教令が解ける以前に熱心なキリスト教信仰を始めていた大名が多く、廃藩置県の後は皇室に入って要職に就いています(三田藩の九鬼氏など)。

昭和天皇の即位後初代の侍従長珍田伯爵は元外務次官でかつメソジスト派の牧師でもありました。

その他の歴代侍従長もクリスチャンが多いです。

女官長に至ってはこの40年以上クリスチャン・リレー状態です。田島宮内庁長官、宇佐美宮内庁長官などもクリスチャンでした。

そして現在は、たとえば、現職の川島侍従長はカトリックで、国際機関で活躍のカトリック重鎮の緒方貞子氏といとこ同士、渡邊前侍従長は聖公会クリスチャンで明治元勲の大山巌元帥の末裔。

で、皇室へ嫁ぐお嫁さんはキリスト教系の名家からというのが不文律になっているようです。

(美智子皇后:カトリック名門の正田家、雅子妃殿下:妹たちはいづれもカトリックの洗礼を受けている、三笠宮信子妃殿下:カトリック名門の麻生家で麻生前総理の妹・・などなど)

で、再度古代に目を向けると、秦河勝は伊勢神宮をはじめ皇室ゆかりの神社の多くの創建にも関わっていますので、皇室神道は古代東方キリスト教がオリジナルであると推定できます、古代東方キリスト教とキリスト教発祥の地の連絡は中世に途絶えているので、皇室メンバーは西方キリスト教(カトリックなど)の人を次々に迎え入れているというのが明治以降の状況であると思います。

よって、結論は皇室は「日本で最も濃くて長い歴史を持つキリスト教信仰の家」であり、秋篠宮眞子さまが国際基督教大学にご入学なさることは「あまりにも自然なこと」だと推定できるということです。

——————————————————-(転載ここまで)


ちなみに上記に書かれている「キリスト教」というのは、本来のただしい「キリスト教」ではなく、悪魔崇拝者によって乗っとられてしまった、にせものの「キリスト教」です。

「RAPT BLOG」では「キリスト教」が悪魔崇拝者によって乗っとられた経緯について詳細に書かれています。

○キリスト教は悪魔崇拝者によって内部から破壊された。その歴史の詳細について。


○キリスト教プロテスタントも悪魔崇拝者に乗っ取られている可能性大です。「日本基督教団」は在日・反日勢力と同一体でした。


「天皇」は年間たくさんの「神道儀式」をおこないますが、じつはクリスチャン(カトリック教徒)で固められているというのです。

表向きは「クリスチャン」だとしても裏の顔は「悪魔崇拝者」です。

かれらは「権力」「名声」さえ自分の手元に入るなら、悪魔をも拝み、他人の子も利用する。

「フロジャック」という人物が「皇室」に入り込んだのも、権力獲得の手段の一環だったのではないでしょうか。

「正田美智子」が「皇后」としてのし上がることができたのも、このような宗教的な背景もかかわっているのです。

今回「皇太子」や「秋篠宮」が実子ではないといううわさの裏には「悪魔崇拝」と権力争いが渦巻いていることがわかりました。

「皇太子」に権力を保持させたい勢力と、「秋篠宮」に権力を握らせたい勢力が存在するのです。

いずれにせよ、このようなひとたちがいつまでも「国の象徴」であってはなりません。

今後さらに調べを進めて書いていきたいと思います。
http://kawata2018.com/2018-06-23/


▲△▽▼

“佳子さまICU志望”で考えた 皇室とキリスト教はどんな関係? 2014.10.30
https://dot.asahi.com/wa/2014102900074.html?page=1

米国へホームステイに出発する佳子さま(2013年8月) (写真:読売新聞社代表撮影) (c)朝日新聞社 


 秋篠宮家の次女、佳子さま(19)が学習院大学を辞め、AO入試に挑んだことで話題の国際基督教大学(ICU)。結果はまだ公表されていないが、迎えるためにはやはり大学側も、入念に準備するのだろう。

 ところでなぜ、佳子さまと眞子さまの姉妹は、キリスト教精神に基づく大学を選んだのか。天皇は天照大神の子孫とされ、一切の神儀祭事は神道にのっとって実施されている。だが、皇室とキリスト教の関係を調べると、公開されたばかりの「昭和天皇実録」に興味深い記述がいくつか見受けられる。

 まずクリスマスにプレゼントを贈る習慣は、1904年の日露戦争のころにすでに皇室にあった。戦後、A級戦犯が処刑された1948年ごろには、昭和天皇は多くのキリスト教徒と接し、定期的に聖書の講義も受けていたと記されている。

 また、実録ではこんなエピソードを伝えている。皇太子(いまの天皇陛下)が結婚する際、皇太子妃(美智子さま)がミッション系の聖心女子大出身だったことから、「ある皇族の一人がキリスト教に興味を持ったのは皇太子妃の影響」と聞いた昭和天皇が美智子さまに「皇室においてキリスト教の話はしないように」と叱責したというのだ。実はこれらは当時の雑誌が書き立てた噂話で、昭和天皇は「事実でないし、心に思ったことさえなかった」と伝えるよう側近に命じたと実録は記している。

 京都産業大学の所功名誉教授(日本法制文化史)が解説する。

「皇室とキリスト教の関係を、狭い宗教の観点から考えると事実を読み違えるでしょう。明治以降、欧米からさまざまなことを学びながら近代化してきた中で、キリスト教もひとつの西洋文化として、柔軟に受け入れてきたのです」

 その流れは現代まで脈々と続き、眞子さまと佳子さまがICUを目指すことになったのは、何の不思議もないことなのだ。そんな歴史と伝統を受け継ぎながら、学習院という皇室の「殻」を破った佳子さまの新たな青春のスタートが待たれる。

※週刊朝日  2014年11月7日号より抜粋
https://dot.asahi.com/wa/2014102900074.html?page=1


カトリック教徒になろうとした昭和天皇


「昭和天皇実録」を読む (岩波新書)

昨年公開された『昭和天皇実録』は、あまり新事実がないという評判だったので興味がなかったのだが、本書を読んで驚いたのは、戦後に昭和天皇がカトリックに改宗しようと考えていた事実だ。1948年には次期ローマ法王とされていたスペルマン枢機卿と面会し、改宗について相談している(当時は単なる儀礼的訪問と発表された)。

これは天皇が「現人神」だとするとありえない話で、靖国神社もカトリック教会に改造しなければいけない。しかし天皇はそういう矛盾を気にかける様子もなく、「こういう戦争になったのは宗教心が足りなかったからだ」と述懐している。つまり彼も、国家神道なんて宗教とは思っていなかったわけだ。

これは退位問題ともからんでいた。天皇自身は退位したいと考えていたようだが、皇太子が未成年なので摂政を立てざるをえない。しかしそれはむずかしいので、天皇は改宗して国家神道を捨て、戦争責任に決着をつけようと考えたらしい。今でも日本の「保守派」には天皇制=国家神道=靖国神社と信じている人が多いが、天皇は信じていなかったのだ。
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51969028.html


昭和天皇の発言記録(1946・4〜6)ホイットニー文書


昭和天皇 神道を奉じる分子とその同調者は反米的なので警戒を要する。


この文書は、昭和天皇ヒロヒトが占領軍司令部に対し表明した見解の要約が全編にわたり記された、「極秘」扱いの、英文三頁以上にわたるメモランダムである。

1946年4月から6月の間に、東京駐在の国務省員によって作成され、マッカーサーの腹心であったコートニー・ホイットニーの私物として保管された後、1970年代前半にヴァージニア州ノーフォークのマッカーサー記念館に寄贈され、1978年に機密解除されている。


ホイットニー文書【以下がヒロヒトの発言記録(1946・4〜6)】

二、三週間前に占領が長く続くべきであるとの希望を述べた根拠を説明したい。日本人の心には未だ封建制の残滓が多く残っており、それを眼こそぎにするには長い時間がかかるだろうと感じている。

日本人は全体として、自己の民主化に必要な教育に欠けており、さらに真の宗教心にも欠けており、そのため一方の極端から他方の極端へと揺れやすい。日本人の封建的特徴の一つは、進んで人に従おうとする性格にあり、日本人はアメリカ人のように自分で考える訓練を受けていない。

徳川政権は、民は指導者に従うべきであり、そのため忠誠心以外はいかなる道理も与えられてはならない、という論理のうえに築かれていた。かくして、平均的な日本人は、自分で考えることにおいて昔からの障害に直面している。かなり闇雲に従うという本能によって、現在、日本人はアメリカ的な考えを受け容れようと熱心に努力しているが、例えば労働者の状況を見れば、彼らは自分本位に権利ばかりに注意を集中し、本分と義務について考えていない。

この理由は、ある程度、長年の日本人の思考と態度における氏族性に求められる。日本人が藩に分割されていた時代は、完全には終っていない。平均的日本人は、自分の親戚はその利益を追求すべき友人とみなし、他の人間はその利益を考慮するに値しない敵と考えている。

日本人の間には宗教心が欠如している。私は神道を宗教とは考えていない。

それは儀式に過ぎず、合衆国では甚だ過大評価されてきたと考えている。

しかし、たいていの神道信者は超保守的で、彼らと、神道と超国家主義を同一視していた復員兵とその他の者は、しっかりと結びつく傾向を持っているので、依然として危険な面がある。

政府は、信教の自由に関する命令を厳守する立場にあり、現在彼らを取り締まる手段を持っていないために、こうした状況は危険だ。神道を奉じる分子とその同調者は反米的なので警戒を要すると考えている。

以上のようなことから、私は今は日本人のもつ美点を述べている場合ではなく、むしろその欠点を考える時だと感じている。

私は、マッカーサー元帥と元帥の行っていることにたいへん大きな感銘を受けている。また、対日理事会におけるアメリカの態度にとても感謝し、それが安定効果を持つと感じている。

しかし、私は今、この国の労働状況をかなり憂慮している。日本の労働者は、物事を真似する事において、義務を等閑にして自分の権利を利己的に追求しやすく 、米国のストライキから有害な影響を受けるので、米国の炭坑ストが速やかに解決するよう希望している。

自分の治世に与えられた名前 ―昭和、啓発された平和― も今となっては皮肉なように思えるが、自分はその名称を保持することを望み、真に「煌く平和」の治世となるのを確実にするまでは、生き長らえたいと切に願っている。

私は鈴木(貫太郎)提督の被った損失に心を痛めている。鈴木は、降伏準備のための内閣を率いるよう私が命じたのであり、海軍の恩給ばかりでなく、それは理解できるにしても、文官としての恩給までも失った。

彼は侍従長を長く勤め、そして降伏準備の任務をよくこなした。彼の提督という階級と戦時の首相という地位が追放に該当するのは当然としても、彼は、皇室に仕えていた地位の恩給の受け取りも現在停止されている。私は、鈴木提督個人のためだけでなく、このような価値剥奪が日本人に理解されず、占領軍の利益にも日本自身の利益にもならない反米感情をつくり出すという理由から、不安を募らせている。
http://zenkyoto68.tripod.com/CourtneyWhitney1.htm
http://nueq.exblog.jp/20875307/


▲△▽▼


美智子さまは皇族を全員クリスチャンにさせる使命を与えられていた

やっぱり!! 正田家とGHQの癒着。美智子さま入内を仕組んだGHQ 2016年3月11日
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/b176c669206cae06cadf0d41f5530ed5

今回の記事は、何かあった時のために先の稿と共に、それぞれできる形で永久保存扱いにしておいたほうがよいかもしれません。

皇后陛下とGHQとの癒着の根っこが明らかになりました。

現代の日本における、あらゆる国家弱体化・破壊要素は全て、在日さえ含めてGHQ発です。皇后陛下はGHQ施策の極めて具体的な体現者です。


◆元正田美智子さん、あなた一体何者? 成婚国会承知せず、アメリカで発表された不可解

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/3d31f7ba1c00eea5fe7e0163cfec3a76

↑ 国会で美智子さんの出自と、成婚の陰謀、そして皇太子(今上)の不出来ぶりが、厳しく追求された極めつけの史料です。

◆なんと、社会党が支援していた美智子さま

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/113f75c1f2919bd0cc381ceee34452c1

◆皇后陛下は「アカ」でした

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/c1d3f5e7a9593118391c92ad90752bac


かねてより、拙ブログでは正田美智子さんの入内がGHQによる、日本/皇室弱体化施策の一環であることを、推論として検証してきました。

また、余剰小麦粉を敗戦国日本に売りつけたい希望がGHQにあり、そのために日清製粉と結びついたことも。

GHQが日本弱体化のためにプロテスタントとカトリック問わず、キリスト教をそのツールに使ったことは事実です。

そういう意味で、カトリック背景でまた実家が粉を扱い、また一説には「ある出自」の美智子様は、満点以上のお后候補ではありました。これ以上望めぬ日本と皇室弱体化・破壊の尖兵候補ではありました。

彼らの狙いは実に正しく、美智子さまは皇室内の伝統を次から次に破壊、現在は天皇陛下を率いた女帝として、 愛子さまを皇太子の次の、皇位継承権者として女性天皇の擁立を強く主張、天皇陛下もそれに従っていらっしゃいます。

他に、朝鮮式挨拶コンスふうの宮中導入、お手振りを天皇より高い位置で、肩並べて歩かれ時には天皇より先に立って歩かれ、天皇陛下が語っていらっしゃる間の低頭廃止を、徐々に巧妙に。また控えめながら自らの思想の披瀝。

日の丸と君が代忌避。自衛隊の制服嫌悪、ということは自衛隊の否定。GHQ憲法ともいうべき現憲法の擁護者であり、GHQメンバーや、一条の会という憲法護持の左翼者との親交他。


20150203.館林の日清製粉ミュージアムと正田記念館内外部CX-535
https://www.youtube.com/watch?v=CA9Nht0Bo30


こちらに正田家と、GHQ派遣のアップルトン女史との密着ぶりが残っています。
女史は館林の正田家をわざわざ訪れています。


当時の敗戦国の国民である日本人が、GHQ関係者を「自宅招待」というのは凄いことでしょう。

正田家は、商売人なので関係はないとはいえ、当時愛国者は軒並みGHQから追放されていた時代です。

外務省内でも、愛国者は追われるか隅に押しやられ、GHQの意向通りに反日を貫く者が出世していた時です。雅子妃の実父小和田恒氏がその筆頭格ですね。

雅子妃の背景を知るにつけ、なぜこのような頭も性格も悪い皮膚病持ちの出自も清らかではないお方が入内を?(おまけに身内に精神病者がいるのに)と不可解だったのですが、結局GHQという大きな潮流の中の、美智子さまから雅子様への系譜と捉えると、クリアに視えて来るものがあります。因縁めくことには、お二方とも日本人の健康破壊に関与した第一第二水俣病に、つながっていらっしゃいます。現代では日清製粉の遺伝子組み換え小麦粉が、日本人の健康破壊。皇后は敗戦時から今まで、日本人の健康破壊者とご縁があります。


野田醤油の工場を訪れたアップルトン女史。右端は日本醤油協会会長・正田文右衛門氏(1948年8月)

正田文右衛門は、正田醤油の創業者です。文右衛門も日本人としては相当に高身長。正田一族、それと母の冨美さんも当時としては図抜けた背の高さ、兄妹共に。ただ一人美智子さんだけが小柄。(当時の日本人としては、 平均ですが正田の中では、一人だけ極端に小さい)


日本本来のものである醤油から、小麦粉への新たな進出。
敗戦国から戦勝国アメリカへの擦り寄りが日清製粉です。

美智子様の入内直前に、国会でその入内ぶりの不可解な動きを追求されています。その一つが新平民、つまり部落出身ということの ほのめかしです。拙ブログではその点は断定していず、保留状態です。

ただ、正田家が新平民ではなくても、母方はどうでしょうね。
正田家が、部落と密着した存在であったことは事実。

美術館には正田家の、家系図まで麗々しく掲げられています。

1873 明治6年12月
・正田文右衛門(三代)醤油醸造創業 ※1

1891 明治24年7月
・帳簿組織を改め複式簿記を採用

1900 明治33年1月
・合名会社正田文右衛門商店設立

1908 明治41年10月
・正田式麦煎機特許取得

1910 明治43年2月
・正田稲荷神社を目車町より譲り受け敷地内に遷社


この年譜で目を引くのは、「正田稲荷神社を目車町より譲り受け敷地内に遷社」

「正田稲荷神社」とは?

これは稲荷神社ではなく、白山神社ではなかったかと思うのですが?

なぜ稲荷と書くのでしょう? 白山神社は、部落の人々の信仰対象でした。
(信仰者即穢多非人というわけではありません。)

「目車町」は、皇后を部落の出として書いた被差別部落出身作家の上原善広氏によれば非差別地区だということです。


⇒ 調べました


http://www.shoda.co.jp/knowledg/bunkazai.htm

正田醤油は明治6年(1873年)今から140年前に創業いたしました。
また、正田家が群馬県館林市のこの地に移住してきたのはそれ以前のことで、300年程ここにいることになります。

そのためか、この敷地の中には醤油業をはじめる前のもの、例えば文政11年(1828年)に建てたという『正田稲荷神社』、現在は『正田記念館』として現在にいたるまでの資料が陳列されております嘉永6年(1853年)に建てられた店舗、そして江戸末期にたてられた文書蔵などがあります。これらは全て登録有形文化財に指定されていますが、古いものはなるたけ壊さずに残しておこうという気持ちは以前よりございました。


【正田稲荷神社】
もともと目車町(現・栄町)の鎮守であったが、明治43年(1910年)に正田家が目車町より譲り受けた。

以後、正田稲荷神社として栄町および当社の守護神として祀られている。例祭は2月の初午である。御社と本殿からなり、御社の創建は館林城築城天文元年(1532年)以前といわれるが定かでない。文政11年(1828年)、安政6年(1859年)の2度の再建を経て今日に至る。

・・・・・・・・・・・・ここまで

画像二枚目の神社さんがネットでは「白山神社」として、認識されている祠だと思われますが、いったいなぜ稲荷が白山神社に変貌?

仮説が一つあるとすれば、目車という被差別部落にあった神社さんの移転なので、穢多非人という人たちに多く信仰されていた白山神社さんと勘違いされた?

念のため、白山神社さんの ご神体を調べましたがお狐さんではありません。

更に白山神社は全国に散らばっていますが、そこが全部被差別部落だということではありません。穢多非人の人たちだけの信仰対象でもありません、念のため。

由緒正しいお家柄なら、なぜわざわざ穢多非人村に越していらしたのか?
醤油製造に穢多非人を使った?

しかし「正田神社」と呼ばれるほどの厚き稲荷信仰のお家が、一族根こそぎカトリックに改宗?

何か不穏な気がするのは考えすぎでしょうか。

・・・・・・と書いて、ふと思い出したのですが・・・・


先入観を与えるといけないので、この画像を見て見える人だけどうぞ。
更にオカルト的な話が嫌な人や認めない人は、スルーして下さい。


皇后陛下に現れた数少ない・・・・・皇太子夫妻に比べると少ない・・・・
霊画像に、霊眼が多少ある人が見えるのは、



九尾の狐です。

誰でも視える形ではなく、視える人だけに限定で、むしろよかったです。
わかりやすいと、合成とか気のせいとか言われてうざったらしいので。
なぜ皇后に狐? と霊写真に気づいた時には不思議だったのですが、
お狐信仰のお家でしたか・・・・。
皇后に憑いた霊体の、九尾の狐は瞋恚(怒り)の形相ですが・・・・・。

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/41d4caf989f1ec33423082307330b824

とはいえ、BBの霊眼もさしてあてになるレベルではないので、視える知人に再チェックしていただいたら・・・


こんな感じで、美智子さまの背後にいるそう。BBはこんなに判然と視えるわけではありません。
帽子のデザインも、狐っぽいのは偶然でもないのかもしれません。

霊眼のある知人が更に示してくれたのは、皇后陛下の内面がこういうふうである、と。


一説に半島出自だとも言われる小和田家のように下賤なことはしない・・・・のが正田家だと長いこと言われてきましたが・・・・


もっと下品でした。

美智子さまのご両親様の胸像でございます・・・・


日清製粉会社の歴史を展示している「製粉ミユージアム」内に展示。何の事はない、皇后陛下を間接的にCMガールとして、日清製粉の宣伝ですね。

普通、妻の銅像まで置きませんが。日清製粉にとっては夫妻の娘が皇后陛下だってことで、莫大なメリットです。

こういうところからも商売人の娘は本来、忌避されたのでしょう。
小和田は小和田で、娘の入内を最大限に活用、外務省機密費流用疑惑は不問にされるし、とうとうハーグの判事にまで上り詰めました。

◆元正田美智子さん、あなた一体何者? 成婚国会承知せず、アメリカで発表された不可解 《転載ご自由に》

http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/3d31f7ba1c00eea5fe7e0163cfec3a76

こちらの記事で、国会で正田美智子さんの素性に関して今では考えられないほどの肉薄ぶりで追求、またカトリック(キリスト教徒)たちがよってたかって美智子さんを入内させた「陰謀」について、また皇太子(今上陛下)の不出来ぶりを、仮借ないまでに述べた平井義一議員。

以前も調べたのですが、不可解なほどのその後の動きが解らないのです。

http://www.wikiwand.com/zh-yue/%E7%AC%AC25%E5%B1%86%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%9C%BE%E8%AD%B0%E9%99%A2%E8%AD%B0%E5%93%A1%E7%B8%BD%E9%81%B8%E8%88%89

若くして(34歳)福岡4区でトップ当選の実力と人望と人気。その後も当選すること、5期。第28回(1958年5月)でもトップ。これほどの政治家の、写真すら残っていない、気味の悪さ。美智子さん入内1959年の翌年に落選しています。
5期連続当選のベテラン議員が。


中央が平井義一氏。


1958年 皇室会議で満場一致で正田美智子皇太子妃に決定。これも実は奇妙な話。

国会にすら知られずまずアメリカで発表され、名だたる皇族は全て正田美智子入内に反対していたのが、いきなり賛成派に。昭和天皇の賛成の一言により、とされていますが その昭和天皇はいまだGHQの呪縛の中にあられました。


1959年2月 国会で平井義一議員が正田美智子入内の胡乱さと出自を問い詰める。

その2ヶ月後の1959年、正田美智子入内。

その翌年の総選挙で、今まで5期落選したことのなかった平井義一落選。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E4%BA%95%E7%BE%A9%E4%B8%80_(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6)


平井 義一(ひらい ぎいち、1913年3月 – 没年不明)は、日本の政治家。元衆議院議員(5期)Wikiより

国会議員を5期務め、第4次吉田内閣で郵政政務次官に就任、横綱審議委員、日本プロレス協会長などの、華やかなポジションにいた人物の没年が不明?・・・・。

没年不明は行方不明とほぼ同義ではないのですか?

気色の悪い・・・・。⇒ コメント欄に・・・・ご存命だそうです。Wikiの「没年不明」記述はなぜに?

⇒更にコメ欄に。衆議院の広報課に訊いたら、平成19年9月6日にご逝去。

平井議員とは違う意味で、履歴の一部がすっぽり消されているのは、美智子さん入内に直接動いたカトリック神父、ジョセフ・フロジャックです。

足跡はかなり詳しくWiki他にまとめがあるのに、部落布教のために群馬は館林に向かい、そこで布教していた事実だけ全部、過去から抜き取られ、なかったことになっています。

ご本人が著した書物まで焚書されたら、ジョセフ・フロジャック神父が美智子さんの父方祖母、正田きぬさんを一番目の布教者として、それから次々に正田一家をカトリックに改宗させたことも、 「なかったこと」にさせられるのかもしれません。

正田家とGHQの癒着、それにからんだ美智子さんの入内について発信し始めたのは、ひょっとして拙ブログが始発だったかもしれませんが(始発信は誰でもいいのですが)これまで推論の域を出なかったことが更に今回の記事で一歩進めたかもしれません。


朝鮮髪飾り ペッシテンギ


国連女子差別撤廃委が女性天皇を認めよ、そのために皇室典範改正をと、言ってきましたが、もともと現行の皇室典範も戦前のそれから様変わりしたのはGHQ関与だと思います。憲法をいじった彼らが皇室典範放置はないですね。

それまでは皇太子が不出来であったり人望が無かったり、ふさわしからぬ行為がった時は、長男であろうと排除、ふさわしい人物が天皇になっていました。

皇后も目論む女系天皇は論外ですが、どんなアホでも長男なら即位というのも、考えてみればGHQのやりそうなことです。当時の皇太子(今上)はさんざん、GHQによる恫喝と洗脳教育で自虐史観左翼に仕立てていたので、そのまま即位させないと、計画が成就しないわけです。


いまだ日本を敵国としてみなす「敵国条項」のある反日国連とその事務総長、潘基文と癒着している皇太子。そのさぼり妻は国連大学通学には熱心で、 個室が与えられたほど。またその父はGHQの意向に忠実で、要するに反日姿勢で出世階段を駆け上がっています。妹も国連関係。

池田 (小和田)礼子国際連合職員、国連ユニセフ駐日事務所(東京事務所)副代表などを歴任。

そして、売国の宮高円宮の長女と同じく、あの中抜き日本ユニセフに母親と妹が関与。小和田は真っ黒。反日一家です。出自はほぼ間違いなく半島。

そして国連といえば美智子皇后の盟友、ブサヨフェミの緒方貞子。

皇后の、女性宮家の創設で皇后の助っ人をし、一方ですでに在日という難民に苦しめられている日本に、更に難民受け入れを迫る左翼女がいます。

皇后陛下が主張なさり、天皇陛下がそれに追随なさっている「皇太子の系譜の女性天皇」を立てたら、皇統に朝鮮人の血が入り込みます。
http://blog.goo.ne.jp/inoribito_001/e/b176c669206cae06cadf0d41f5530ed5

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 中川隆[-13284] koaQ7Jey 2020年4月15日 16:50:45 : HgktOnod6s : ZkdSQWE4ZmxFWHc=[22] 報告

美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html

美智子さまの正体
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/586.html

雅子さまの正体
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/587.html

(小室圭問題/佳子さま盗撮) 皇室記事まとめ一気読み
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/589.html

高円宮承子様のタトゥーや茶髪画像とタバコがやばい! 性病との噂だが現在結婚はしてる?
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/588.html

昭和天皇はウォール街のエージェントだったので、共産主義者のルーズベルト大統領と対立して対米戦争を起こした
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/614.html

天皇一族は反日売国奴
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/782.html


▲上へ      ★阿修羅♪ > 近代史4掲示板 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法

▲上へ      ★阿修羅♪ > 近代史4掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
近代史4掲示板  
次へ