Dosuko Wiki 小和田恒 https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%B0%8F%E5%92%8C%E7%94%B0%E6%81%92 雅子夫人の実父、小和田恆(昭和7年・1932年9月18日-)のこと。御一行様スレでは大抵「ジジン」のあだ名で称されている。類義語に「カンキリヒサシ」「閣下(外務省時代小和田氏を「閣下」と呼ばないとたいへんお腹立ちになられたという逸話があるとか)」がある。 ←→【小和田優美子】 https://dosuko.fandom.com/ja/wiki/%E5%B0%8F%E5%92%8C%E7%94%B0%E5%84%AA%E7%BE%8E%E5%AD%90
2008年春〜夏にかけては軽い脳梗塞を起こし、都内複数病院で入院治療→軽井沢別荘静養していたと、『週刊現代』2008/12/13号<雅子さま、公務復帰決意の陰に悲壮「父が脳梗塞闘病」>にて伝えられる。しかしこれは自らの影響力が弱まることにつながると危惧したのか、かつての部下であった野村一成東宮大夫に国際電話をかけてきて、定例会見にてそれを否定させる発表をさせたと『週刊文春』2008/12/18号<平成皇室の「試練」 天皇と黒田清子さん「お二人の時間」−美智子皇后が外された後も会話は続く ▼雅子妃父「脳梗塞」に「申し入れ」>が報じる。 週刊現代について「事実無根のデタラメ記事」と国際電話でえらく強く怒りの弁で述べていたとのこと。
それから約1年後、『女性自身』2010/1/19号<雅子さま、「輝きの笑顔」にあった実父「緊急手術」からの生還!>が、2008年入院・軽井沢静養について改めてしたためると共に、2009年12月中旬に小和田恒が脳梗塞発症予防のために血流の流れをよくする「バイパス手術」を「血栓に関する治療が世界的に有名で世界最高レベル」の都内某大学病院にて受けたと記事にしている。2008年に恒が国際電話で週刊現代記事を「事実無根のデタラメ」と言い切ったのは真っ赤な嘘だったわけであり、今後の東宮周辺の動きと併せ注目度が高まっている。 参考:【小和田金吉】、【小和田毅夫】、【学歴ロンダリング】、【準皇族】、【ワシントン奥】、【ジョーズのテーマ】 目次[表示]
小和田恒の色紙やら立て札やら石碑やら椅子やらいろいろ参考画像
「高校時代の恆氏」ぼけた写真ながら顎の左右噛み合せの悪さが窺える小和田恒画像、この噛み合せの悪さは娘雅子や孫娘愛子にも引き継がれることに(週刊文春 2015年12月31日・2016年1月7日新年特大号) 1993年10月10日 2007年12月5日TBS「水トク!」で“アノ小和田家御用達”として紹介された岐阜県飛騨高山にあるうどん&蕎麦屋『太田庵つるつる亭』に飾られている、小和田恒直筆色紙「優雅礼節 平成五年十月十日 小和田恒 優美子」 1993年11月13日 「雅子妃殿下御父上誕生の地 樹種ハマナス 寄贈北蒲原郡聖籠町 平成五年十一月十三日 新発田市皇太子殿下後成婚記念実行委員会」との立札が設けられる 『週刊新潮』1994年9月22日号<二百五十人集った 小和田国連大使の出版記念パーティー>カラーグラビア 七日、帝国ホテルで行われた小和田国連大使の出版記念パーティー。政・官・財界などから、福田赳夫、宮沢喜一、瀬島龍三氏をはじめとする約二百五十名が出席する華麗な会となった。が、当の本人は派手なことがとにかくお嫌いらしい。 「看板を外してくれとおっしゃる。花束を壇上で受け取ろうとしない。すぐ隅の方へ行ってしまう。奥様に至ってはさらにその後ろで、壁の花と化していました」(パーティー参加者) 肝心の本のタイトルは「参画から創造へ」。これまで発表した論文を中心にまとめた学術書ゆえに、初版は二千部とのこと。 『週刊新潮』1998年5月14日号<ワイド特集 問題人間の問題発言 (4)「辞める」と言わない小和田国連大使の長期留任>表紙・目次 2000年7月25日 雅子が欠席した香淳皇后斂葬の儀に出席している小和田恒・優美子。添えられた説明は「ご親族も、もちろん御参列」(週刊新潮2000年8月10日号<雅子さまは欠席された皇太后さまの葬儀>モノクログラビア)【夏バテのようなもの】 2009年8月7日 山形県山辺町出身で国際連盟理事会議長・国際司法裁判所所長を務めた安達峰一郎氏生家を訪ねた小和田恒、なんとその生家敷地に自らの直筆名前と手形を掘り込んだ豪華な黒御影石製来町記念碑「山之辺町来町記念 国際司法裁判所所長 小和田恒 平成二十一年八月七日」を建立 オランダ・ハーグの国際司法裁判所の椅子に十六八重表菊まがいの菊紋を使用 ←「雅子妃殿下御父上誕生の地」立札、「山之辺町来町記念」御影石記念碑とのまとめ画像 ……「当の本人は派手なことがとにかくお嫌いらしい」だなんて嘘も大嘘、謙虚とはあまりに程遠い、強烈な自己主張をしたがる小和田恒の性格がよく分かる画像集である。 小和田恒像の変化(2001/12/1愛子誕生会見→2008/4/29ダラス空港→2009ハーグ国際司法裁判所にて→2010/2/18ハワイEast-West Center) 雅子さまご尊父小和田恒氏修士論文盗難事件 & 最後の晩餐は「ベリーエキスペンシヴレストラン」事件
LL.B.(法学学士)止まりである小和田恒、彼がLL.M.(法学修士)を取れなかったその理由について海外インタビューPDFファイルが発掘され祭状態に 参照:【学歴ロンダリング】 Part1131-131 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 15:45:22 ID:mpoZ4GNf0 なんかちょっとさっきからジジンの事が気になって☆ネットで色々見てたけど
ジジンは一応ケンブリッジで今のLLMに当たるポスグラのコースにはいたみたいね でも卒論は上げてない、と しかし卒論提出できなかった言い訳が....ヒーヒーハライテ イギリスに船で来てトランク無くされたんだと その中に卒論が入ってたんだとwww あの頃ってまだ皆船使ってヨーロッパに行ってたの? 1950年代でも外務省の研修員は飛行機使わせてもらえなかったのかな? 205 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 17:17:49 ID:5Tjl+lm50 そういえばこんな記事が大昔あったなあ。 トランクがどうのこうのという話はないようだが。 -- 外務事務次官に就任した小和田恒氏 学者顔負け、国際法の論客 日本経済新聞 1991/08/03
省内ではよく「プロフェッサー・オワダ」と呼ばれる。外務省きっての国際法や国際政治の論客であり、学者顔負けの博識ぶりは海外でも知られている。 昭和30年に東大教養学部を卒業して研修のため留学した英国ケンブリッジ大学大学院では、才能を見込んだ主任教授が在学期間の延長を求め、通常2年の留学期間が3年になった。 (中略) 論理的な話しぶりは「日本人離れしている」という定評がある。(中略) その半面、「あまりにも論理的で、まあまあという日本的というかアジア的なところがない」というように人間味に欠けるとの声も多い。議論してもかなわないと、 小和田氏との議論を敬遠する向きが多いのも事実だ。小和田氏は「自由闊達に議論して、のびのびと仕事をすれば、創造的な発想が出てくる」と省内論議の活発化を説くが、さてどうするか。 長女の雅子さんは北米二課で日米経済摩擦に取り組み、親子二代の外交官。 ゴルフ、マージャンはやらず、趣味はスキー。「スタイルは良くないが、転ばず滑ることでは人に負けない自信がある」。(後略) 286 名前:131 :2008/02/18(月) 18:10:20 ID:mpoZ4GNf0 すいません、レス入れた後急に来客プチ公務が入っちゃって
ソースですが 28ページに及ぶニューヨーク大学での対談形式でのレクチャーのマニュスクリプトの8ページ目 www.nyulawglobal.org/events/dfls/documents/owadatranscript.pdf 今もまだ半分しか読み切れてない 長い ツッコミは色々あるけど 要はジジンは自分の人生を語ってる ジジンの父親って教頭だったんだっけ? なんだか隠したいのか?って思う程話に出さないっていうかなんツーか ジジンにとてケンブリッジは楽しかったようだけど微妙に対談相手の教授の質問をかわしている様な? 注:当該PDFファイルはnyulawglobal.orgからlaw.nyu.edへ移転、後にlaw.nyu.edでも削除されてしまいましたが、Webarchive記録から現在でも閲読可能です。
http://web.archive.org/web/20090509214310/http://www.law.nyu.edu/idcplg?IdcService=GET_FILE&dDocName=ECM_DLV_015899&RevisionSelectionMethod=LatestReleased (Webarchive記録) 314 131 sage 2008/02/18(月) 18:45:36 ID:mpoZ4GNf0 ひいいいい〜、ジジンのこの一冊って「アンナカレーニナ」だってええええ〜 いややあ、このジジン「嵐が丘」といい ダメだ、このジジンの趣味はついてけんorz 好きな音楽はクラッシックジャズ... もしかしてキースジャレットはジジンの好みだったのかね? バロック音楽ーバッハーが好きねぇ... 猫足趣味ワルロココ調インテリア類などのルーツなのか? ジジンって典型的なガリ勉見栄張りタイプだね なんか丼がジジンの言いなりって判る気がする 最後の晩餐は「日本のものごっつう美味くて高いレストランで。でもジャッジだから店の名前は、ヒミツ」だって 最後の晩餐と言いながら東宮御所やら高級フレンチレストランでゴチになってるのは誰だwwww あー、疲れた 本当にジジンは白人には饒舌だな 「アンナカレーニナ」「嵐が丘」 もうジジンは生理的にダメ... 342 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 19:08:31 ID:PBwy5yZ30 >>205 >英国ケンブリッジ大学大学院では、才能を見込んだ主任教授が在学期間の >延長を求め、通常2年の留学期間が3年になった。
これって、、、、、wwwww 2年でMPhillのDissertationが書き上がらずに1年Extensionもらったから 履歴書で年数が合わない(二年のはず)のをごまかすだけじゃんw しかも結局論文は「カバンの中に入れて紛失したため」提出しなかったんでしょ? 人生のはじめからねつ造と虚飾、出世のためには必死で創価でも何でも利用してきた 成り上がりがよく分かるねえ。 360 131 sage 2008/02/18(月) 19:27:57 ID:mpoZ4GNf0 もう一度ジジンの対談読み直して論文無くした時の早合点の部分があったのに気が付いた
論文が紛失したのは ×仕上げて日本からロンドンに戻って来た時ではなく ○論文はほとんど完成に近かったけど日本に帰らなくてはいけないしもう少し手を加えて日本で仕上げようとロンドンから船で発つ時 でしたスマソ >>342 対談ではケンブリッジの3年目に Humanitarian Trust Friendship という賞を大学がジジンに上げたので I continued to do my doctorate だったそうなwww 364 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 19:37:08 ID:n5+qA8Ij0 >>360 論文書く時は何度も下書きするだろうし 途中で担当の教授に見せて直されたりと いくつも参考にする物位あるのにな〜。
嘘くさい言い訳だw 365 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 19:37:54 ID:PBwy5yZ30 >>360 つまり人より1年長くかけても書き上がらず、 日本へかえって仕上げて送ると英側には嘘をつき、 結局マンドクセになって日本側には「紛失して提出できなかった」と別の嘘をつく。
370 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 19:44:44 ID:vpJs+zX40 >>286 この資料発見GJですわ〜
該当部分タイプしました(コピペできなくて死にそうでした)。 適当に訳した要旨含め、間違いがあったらご指摘ください。 In my third year, Cambridge University decided to award me a special prize called Humanitarian Trust Studentship. On that basis I continued to do my doctorate and by the time I was leaving Cambridge I almost completed my dissertion, but I wanted to brush it up and siubmit it later. I decided to go back to Japan to finish it; after all I had been sent by the government and I had to go back at that moment. Those were the days when you had to send everything by boat in cabin trunks, so I put all my belongings in cabin trunks. One of the trunks disappeared in London dockyard. And that contained─among other things─the precious manuscript for my dissertion, together with other small things, like my clothes, books, and so forth. And it never came out. So I lost my opportunity to get my doctorate. (要旨) ケンブリッジ大学が賞をくれて、その上で博士号コースを続けていた3年目。 ケンブリツジを離れる頃には論文をほとんど書き上げていたけど、もう少しいいものにして、それから提出したいと思った。 そこで、日本に戻ってから仕上げようと決めた。いずれにしろ私は(日本)政府から派遣された身で、 その時はもう日本に戻らなければならなかったから。 当時は全て船便で送らなければならない時代だったから、私も自分の物を船便で送ったら港でトランクが1つ紛失。 それには服や本などと一緒に大事な学位論文の原稿が入っていた。 トランクは二度と見つからず、ゆえに私は博士号を取る機会を失ってしまったのです。 371 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 19:47:28 ID:5Tjl+lm50 >>370 (ノ∀`) アチャー ところで田氏は修士号はお持ちなのでしょうか? 1993年の記事をみると小和田氏はケンブリッジ「留学」ってなっているんだけど、 1995年の記事では、英ケンブリッジ大大学院修了ってなっているんだわ。
376 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 19:51:38 ID:ix1ZXJ120 おいこら。 博士号取るための論文なんて、下書き何百枚もあるだろうが。 それら全部一緒に持ち運んでいて、全部なくしたというのか? 普通は最終脱稿だけ持ち歩いて、初稿は机の引き出しに保管じゃないかえ? へええ〜〜〜〜〜〜〜。 別に取れなきゃ取れないって言えば「あっそう」なのに、 いちいち尤もらしい言い訳するのは、みっともない。
377 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 19:52:31 ID:mpoZ4GNf0 >>370 タイピング乙でした!
あ、また自分の間違い見つけちゃったorz ジジンがもらった賞は ×Humanitarian Trust Friendship ○Humanitarian Trust Studentship でした 申し訳ない 379 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 19:54:14 ID:rEx98kW80 >>376 こういう言い訳を聞かされる方は、イライラするよね。 嘘って分かってるのにもっともらしく、しかも下らないすぐばれる程度の。
評判が悪いのも頷けるわ。 誉めるところが一つもないんだから。 381 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 19:56:24 ID:8DDHRKciO 教授にほめられて是非にと言われて博士号とれないとな?
382 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 19:57:13 ID:PBwy5yZ30 >>286よんだわ。 教授が「博士論文を書かれたんですよね?」と水を向ける。 すると>>370さんのいいわけを言う。 これ明らかに釈明のためにこの場を使っているね。教授もイッチョ乗せられてるクサい。 教授は小和田がLLBコースに在籍はしたがLLBの学位を持っていないことには触れず 急にDoctrateに話を切り替える。書いたんですよね?と すると突然小和田が実はかくかくしかじか、といいわけを始めるんだよね。 この発言は2005年11月で愛子の女帝論議が活発化している頃だ。 知られたくない過去をあれこれ保持繰り返され、なぜ学士卒なのに大きな顔で判事が出来るのかなど、 そこでジジンはこの日本人の目に触れにくい媒体をわざと使って昔語りをしたと言うわけだな。
385 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 20:01:49 ID:n5+qA8Ij0 始め修士課程にいて、是非にと言われて博士課程(というか 大学院の後半?)と計3年いて、一応取った事になっている学位は
「LL.B., Cambridge University」、LL.B.=Bachelor of Laws(法学士) なの?なんだかよくわからん。そんなに大切な論文なら 手荷物にしっかり入れないのかな? 386 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 20:04:55 ID:TAtzptuq0 >>382 なぜ学士卒なのに大きな顔で判事が出来るのか
うひゃひゃひゃ!一番触れて欲しくない部分だろーにpgr 387 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 20:09:50 ID:n5+qA8Ij0 >>385 ちょっとわかった自己レス
At various universities in the UK such as Oxford, and Cambridge the principal law degree is a B.A., in either Jurisprudence or Law respectively; the B.C.L. and LL.B. are second-entry postgraduate degrees. The University of Cambridge has recently replaced their LL.B. degree with an LL.M. 一応、修士と同程度にはなっているのね。LLB。で、最近更にLLBが LLMに変わったと。一応欲しかったのはJ.Dと。 391 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 20:22:41 ID:PBwy5yZ30 >>385 LLBは学卒と大学院資格の中間。ちょっと分類難しい。 高卒から普通に大学受験で入学できるが、高卒からでは修了にとても長い時間がかかる。 大卒Bacheloprの場合は短期間で済む(砲火大学院ぽい) pdfにもあるがアメリカではBachelorだと大学院格に見えないので (生徒集めのため)LLM に学位名を変更しているとあるが イギリスではいまだにLLBのままとおもう。
ところでジジンはLLB持っているの? 持っていれば鼻高々にLLBと唱えて歩きそうだが。 日本語で「修士課程修了」は学位があるかとは関係ない、別のゴマカシかも知れない。 392 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 20:25:35 ID:PBwy5yZ30 >>391 >大卒Bacheloprの場合は短期間で済む(砲火大学院ぽい)
タイポ訂正と付け加え すでに大卒Bachelorを持つ人の場合はLLB取得が短期間で済む(法科大学院ぽい) 394 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 20:29:13 ID:vpJs+zX40 「Humanitarian Trust Studentship」でググったら、これの説明らしきものが出てきた。 賞というよりも奨学金?
ttp://www.admin.cam.ac.uk/reporter/2001-02/weekly/5860/38.html >Humanitarian Trust >STUDENTSHIP IN INTERNATIONAL LAW >The Humanitarian Trust has sponsored a fund from which studentships may be awarded from time to time > for research students at Cambridge studying for a Ph.D., M.Litt., or Diploma, in any field of international law. > Candidates must produce evidence that they have obtained, or are likely to obtain, >before the end of the academical year of their candidature, a degree or diploma at a university or college >in the Commonwealth of Nations, the United States of America, the Continent of Europe, >the former Union of Soviet Socialist Republics, the Hebrew University of Jerusalem, >or at any other university or college approved by the Electors for the purpose of this regulation. >They must also produce evidence of their fitness to engage in advanced study. >Students must be of sufficient merit. >The value of the studentship is ordinarily £1,000 a year, payable termly in advance. >It may be held concurrently with another award or scholarship, >except for a Commonwealth Fund Fellowship, a College Fellowship, or endowment of similar magnitude. >The studentship is tenable for a year, but may be extended for a further year. >Certain travel expenses associated with the student's work may also be paid. 411 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 20:42:27 ID:dkWK3eHS0 >>403 飛行機の今のご時世でもロストバゲージはある話なわけで、 自分の手元のカバンに入れておけばいいのに。
でも、>>370な経緯なら、日本に戻ってから書き直せば良かったじゃんとは思う。 414 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 20:44:08 ID:5IdfUXsq0 宿題忘れた小学生の方がまだマシな言い訳をいいそう。
416 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 20:45:08 ID:PBwy5yZ30 >>403 コピー機の無い時代でもジジンは英語で論文を書いており(書いていたなら、だがw) カーボン紙をひいて複製を作りながらタイプできていたはず。 紛失で提出できませんでした、はまったくお寒い言い訳でしかないよ。
417 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 20:47:02 ID:03XaPleB0 大事な論文の控えを取ってなかった時点でもうダメ男じゃん こんな言い訳、どこの世界でも通らんわ
418 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 20:47:53 ID:K9Ii3V250 奨学金もらっておきながら論文出さなかったのか…呆 オワッタ父、娘とは違ってお勉強 だ け は できる、ガッツのある人物、 というイメージがあったけれど 結構中途半端で言い訳がチキンなんだね やはり親子だ
ところで上の方のレスにあったけれど 禿長官の諫言って、「皇太子自体が参内しない」のを諫めた発言だったのか 愛子ちゃんがどうのこうのじゃない、もっと本質的で重大な問題の提起だったのね 世が世なら謀反の恐れ有り、じゃないか?てゆーか実態はそれに近い? 421 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 20:48:49 ID:XKbcWTFH0 >>394 普通の奨学金ですね。
外国の大学図書館の入館証を、まるで何かの顕彰のように読み替えては信者相手に自慢する、何処ぞの教祖サマを連想しました。 422 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 20:48:52 ID:03XaPleB0 連投スマソ カンキリを試さなかったから部下を叱責する閣下が 自分が論文紛失で博士号とれませんでしたテヘって
ありえん 425 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 20:50:48 ID:XlG5HOuM0 >>411 >でも、>>370な経緯なら、日本に戻ってから書き直せば良かったじゃんとは思う。 んだな、同意。 紛失しちゃったから諦めました、って、 あのネチコイしかいし体質の小和田さんにしたら、 あっさりしすぎだw。 ほんとに、この親にしてこの子有りだよね〜、 留学延長までしたのに修士が取れなかったのも、 要らぬ言い訳して自爆するところなんかもwww
429 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 20:58:28 ID:dkWK3eHS0 >>425 だよねえ。
データを取らなきゃいけない理系の研究ではないんだし、 再度、参考文献を当たるしかないんじゃないかな。 時代が時代で「そんなに洋書が簡単に手に入らないんです!」でも、 奨学金をもらったくらいの学生ならば、担当教授に経緯を説明すれば、 参考文献の本は送ってくれそうなもんだと思うけどな。 実費負担が嫌だったのかしらんw でも、博士号を目の前にして、あっさり諦めるってのも、何か変な話。 あのお勉強しかとりえが無くて、プライドが高く、名誉欲の塊のジジンがねえ…。 432 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:00:46 ID:vpJs+zX40 >>398 >>421 やっぱり奨学金ですよね。 >The value of the studentship is ordinarily £1,000 a year だから一年あたり約20万円?(当時のポンドはもっと高かったはず)と、 >Certain travel expenses associated with the student's work may also be paid. だから研究のためにかかった交通費も支給される。
奨学金もらうだけもらっておきながら論文出さなかったと。 434 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:02:22 ID:9jBSW/z20 昭和50年ごろのレートで1£=1000円ほどだったかと。
440 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:07:43 ID:vpJs+zX40 >>434 d。 じゃあ1000£は100万円か! まあ当時から1000£だったのかはわからないけど、金額の多い少ないの問題じゃないよね。
441 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:08:02 ID:TbFvmwL20 >>364 だね。あの時代って手書きで書いて、最終的にタイプで打って製本屋に製本してもらって 論文完成だったはず。論文関係の下書きからなにから、全部一つのトランクに入れるなんて。 で、頭に概要が残ってれば、ひと月あれば書けるはず。だってどの資料をつかってどう考えたか、 記憶があるんだから。ジジン、まともに論文書いてない可能性高し
442 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:08:17 ID:2tKQv4Vu0 しかしあれですね13票もすごーと思ったけど、今日はもっとすごいネタが上がったね。@論文
443 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:08:28 ID:8q6lFP4D0 あの小和田父が、本当に完成間近の博士論文を紛失されて 黙って博士号取得を諦めるとは思えないんですが・・・。
恫喝・ゆすり・たかりで、慰謝料くらいはせしめてる筈でしょうが。 嘘ついてるの丸分かり。本当にカッコ悪い人だ。 447 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:12:53 ID:5jTlFQfd0 >>441 大事なものなら、普通は手荷物にいれて自分で管理するかとw 手荷物とトランクにそれぞれ入れるとか。
448 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:14:11 ID:6msByhzL0 基本、海外で移動するときには、ほんとうに大切なものは手荷物です。 海外に精通している小和田さんらしくもないw
449 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:16:29 ID:tWW+tEDX0 正直、自費で海外で勉強していないから、こういう考えられないことでも 平気で出来るんだと思う。
450 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:17:04 ID:w0EkkmGK0 >>440 昭和30年代なら、東大の1年の学費が9000円ぐらいだったらしい。 それに昔は1ドル360円の時代だったし。 外貨の持ち出しも制限受けていて、外国にいくのもたいへんな時代だったとl聞いている。 いろいろ聞いたけど、忘れた。
多分、ベトナムやミャンマーの人がアメリカにいくようなもの。 1000ポンドは大金だったはず。 452 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:18:07 ID:rEx98kW80 >>448 どうせなら置き引きにあったとかひったくられたとか、若しくは強盗に襲われて 勇敢に立ち向かったが体格差はどうにもならず、トランクを取られてしまった。 内ポケットに入っていたチケットは無事で、帰国する事が出来たが、その後 論文の再作成に手をつける事が、どうしても出来なかった。 ショックが大きかったのだろうが、その時はそんなことすら分からないほど、 精神的に衰弱しきっていた、とか言えばいいのに。
同じ嘘なら大きくつけよw 454 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:18:32 ID:5jTlFQfd0 >>451 ロストバゲッジなんか、有名スポーツ選手でも普通にありますからね…
457 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:21:55 ID:XlG5HOuM0 しかし、恆パパの時代は、 省費(国費)留学したのに修士号取れずに帰って来ても、 恥ずかしい事じゃなかったのかな? その後、出世コースからもはずれず、 性格の悪さ剥き出しでカンキリ風吹かしながら生きてこられたんだから。
458 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:23:07 ID:mpoZ4GNf0 どうしてジジンはロンドンから日本への長ーい航海の途で 紛失された論文をちょっとでも思い出しながら書こうと思わなかったのかなあ
それと日本に帰って外務省に論文があげられなかった経緯をちゃんと説明したのかねー 460 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:23:33 ID:RwCUNZD/0 昭和52年の渡英で、一ポンド500円くらいだったと、 旅行したおじいさんが言っています。
まだ一ドル360円だったことは確かだよな。 昭和60年あたりに、一ドル250円くらいになった。 461 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:23:46 ID:tWW+tEDX0 省費留学して修士号取らずに帰ってくるっていうのは 外務省では日常茶飯事なんだろうか。
なんせ事務次官とその娘がこれだし。 464 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:27:14 ID:0Mauv8Ir0 >>458 やる気があるなら預けてないよww いつでも取り出せるように手元に置いてるでしょう。
最初から論文なんか入ってなかったんだろうよ。 475 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:42:03 ID:TbFvmwL20 >>454 うん、自分フィギュアスケート好きなんだけど、すごい高率でロスバゲ。 テロ関連でスケート靴が機内持ち込みできなくなったから、これで試合 欠場する選手までいる。 船旅なら、手荷物もたくさん持てそうだし、書けてなかったに100OWD
480 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:50:09 ID:yTEjekhB0 昭和30年代なら、日本では学位にそれほどこだわってなかったから 学位とれなくても小和田ジジ的には別に問題はなかったと思われ。 大学の教授でも年取ってる人にはドクター持ってない人結構いる。(特に文系の人) 日本も欧米並みに学位にこだわるようになったのは最近だよね。
そもそも当時の外務省って、東大中退がエリート扱いされるヘンな場所だったんだから。 東大中退といえば聞こえはいいけど、学歴的には高卒よね。 なので、留学で学士になった。 欧米では学位を持っているか持っていないかは非常に重要視されており 外交官は大抵修士を持っていることが前提になってたり、他の国際関係機関でも 修士がないとそもそも働く資格がなかったりするので、日本の外務省員は学歴的に劣る ということで、キャリアは全員留学させて、修士を取るようにしたのが もうちょっと後のことだと思う。 482 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:55:20 ID:5zvCVIEE0 ●●雅子さまご尊父小和田恒氏修士論文盗難事件●● ソース(28ページに及ぶ)ニューヨーク大学での対談形式でのレクチャーのマニュスクリプトの8ページ目
www.nyulawglobal.org/events/dfls/documents/owadatranscript.pdf(注:NYUのHP構成が変わり当時のURLでは閲覧できないので、同pdfファイルが取得できるWebarchievURLにリンクします) In my third year, Cambridge University decided to award me a special prize called Humanitarian Trust Studentship. On that basis I continued to do my doctorate and by the time I was leaving Cambridge I almost completed my dissertion, but I wanted to brush it up and siubmit it later. I decided to go back to Japan to finish it; after all I had been sent by the government and I had to go back at that moment. Those were the days when you had to send everything by boat in cabin trunks, so I put all my belongings in cabin trunks. One of the trunks disappeared in London dockyard. And that contained─among other things─the precious manuscript for my dissertion, together with other small things, like my clothes, books, and so forth. And it never came out. So I lost my opportunity to get my doctorate. (要旨) ケンブリッジ大学が賞をくれて、その上で博士号コースを続けていた3年目。 ケンブリツジを離れる頃には論文をほとんど書き上げていたけど、もう少しいいものにして、それから提出したいと思った。 そこで、日本に戻ってから仕上げようと決めた。いずれにしろ私は(日本)政府から派遣された身で、 その時はもう日本に戻らなければならなかったから。 当時は全て船便で送らなければならない時代だったから、私も自分の物を船便で送ったら港でトランクが1つ紛失。 それには服や本などと一緒に大事な学位論文の原稿が入っていた。 トランクは二度と見つからず、ゆえに私は博士号を取る機会を失ってしまったのです。 485 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 21:59:14 ID:AZVsfwMl0 >>482 心の底から、 嘘 く さ い !
486 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 22:01:08 ID:GW0PLtJe0 恒よ… そもそも最初から書き上げた論文なんてあったのか…?
488 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 22:02:23 ID:GW0PLtJe0 トランクを盗まれたから私は博士になれなかった。全部泥棒のせいだ。
こう言いたいのか。 この男に恥の概念はないのか? 491 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 22:04:26 ID:0Mauv8Ir0 私だったら、どうしても帰らねならないのなら、取りあえず提出して帰る。
・・・つーか、帰国の日はあらかじめ決まっていたはずだよね? なんで論文完成してないんだよ。 雅子と同じでいい加減なんだね。さっすが親子。 497 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 22:07:02 ID:8q6lFP4D0 >>491 内容に自信がなかったんでしょ。 帰国前の一ヶ月くらい、「いかにして自分は恥をかかずにこの論文を出さないで済むか?」 の策を練るのに頭ひねってたんでしょ。ヴァカですね。
499 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 22:08:38 ID:AZVsfwMl0 こんな言い訳したら(しないけど)、教授に半殺し、大学から永久追放されるよ。 協力してくれた、卒研生や先輩方にも、顔向けできない。 無理、絶対、こんな言い訳できない。
501 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 22:09:58 ID:f284QcWK0 ジジンは嘘も100回言えば真実になる、の口。
次官級会議のとき、だれも水を向けないのに ひとりで勝手に 「困ってるんですよ。皇太子様がしつこくて。何度お断りしても言って来られる」 と言いまわってた。 霞ヶ関の語り草。 503 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 22:13:17 ID:WnF32PXi0 >>460 余分かもしれませんが、昭和34年のトヨタ(当時全国最高クラス)の初任給は2万円台 その当時1ポンドは当時の1000円、ドルは360円でドルポンが1対3ぐらいだったそうです 日英の物価の差はあったのですが、それでも1000ポンドはイギリスでも現在日本の400―500万ぐらいの価値がありました 当時のスカラシップはとくに留学生向けのものはそのぐらい手厚かったのです イギリスのミドルクラスの生活ができるぐらいの金額というのが基準だったそうで この話は同時期アメリカにスカラシップで留学していた父が今横で語り続けているものです ちょっときいたら、止まらなくなってる・・・父さんたらぁ・・
506 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 22:14:29 ID:vpJs+zX40 >>482 これを訳した者ですが、>>394の説明によると奨学金のようなので
>ケンブリッジ大学が賞をくれて、その上で博士号コースを続けていた3年目。 これ↑訂正ですね。 「ケンブリッジ大学の裁定でHumanitarian Trust Studentship奨学金を受け、博士号コースを続けていた3年目。」 で大丈夫でしょうか? 510 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 22:18:35 ID:6DfDL9CD0 >>506 乙です。
●●雅子さまご尊父小和田恒氏修士論文盗難事件●● ソース(28ページに及ぶ)ニューヨーク大学での対談形式でのレクチャーのマニュスクリプトの8ページ目 www.nyulawglobal.org/events/dfls/documents/owadatranscript.pdf 注:NYUのHP構成が変わり当時のURLでは閲覧できないので、同pdfファイルが取得できるWebarchievURLにリンクします。 In my third year, Cambridge University decided to award me a special prize called Humanitarian Trust Studentship. On that basis I continued to do my doctorate and by the time I was leaving Cambridge I almost completed my dissertion, but I wanted to brush it up and siubmit it later. I decided to go back to Japan to finish it; after all I had been sent by the government and I had to go back at that moment.
Those were the days when you had to send everything by boat in cabin trunks, so I put all my belongings in cabin trunks. One of the trunks disappeared in London dockyard. And that contained─among other things─the precious manuscript for my dissertion, together with other small things, like my clothes, books, and so forth. And it never came out. So I lost my opportunity to get my doctorate. (要旨) ケンブリッジ大学の裁定でHumanitarian Trust Studentship奨学金を受け、博士号コースを続けていた3年目 ケンブリツジを離れる頃には論文をほとんど書き上げていたけど、もう少しいいものにして、それから提出したいと思った。 そこで、日本に戻ってから仕上げようと決めた。いずれにしろ私は(日本)政府から派遣された身で、 その時はもう日本に戻らなければならなかったから。 当時は全て船便で送らなければならない時代だったから、私も自分の物を船便で送ったら港でトランクが1つ紛失。 それには服や本などと一緒に大事な学位論文の原稿が入っていた。 トランクは二度と見つからず、ゆえに私は博士号を取る機会を失ってしまったのです。 515 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 22:31:27 ID:mpoZ4GNf0 >>510 乙です
この愉快なジジンの対談レクチャーを発見した者ですが もし現物を読みたいといる方がいらっしゃる場合 リンク先はここです(pdf形式) http://www.nyulawglobal.org/events/dfls/documents/owadatranscript.pdf 注:NYUのHP構成が変わり当時のURLでは閲覧できないので、同pdfファイルが取得できるWebarchievURLにリンクします。 それから ×マニュスクリプト ○トランスクリプト でした もしよろしければ訂正願います マニュスクリプトだと手書きってことになってしまうので 520 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 22:35:31 ID:03MRZP9J0 ●●雅子さまご尊父小和田恒氏修士論文盗難事件●● ソース(28ページに及ぶ)ニューヨーク大学での対談形式でのレクチャーのトランスクリプトの8ページ目
http://www.nyulawglobal.org/events/dfls/documents/owadatranscript.pdf(注:NYUのHP構成が変わり当時のURLでは閲覧できないので、同pdfファイルが取得できるWebarchievURLにリンクします) In my third year, Cambridge University decided to award me a special prize called Humanitarian Trust Studentship. On that basis I continued to do my doctorate and by the time I was leaving Cambridge I almost completed my dissertion, but I wanted to brush it up and siubmit it later. I decided to go back to Japan to finish it; after all I had been sent by the government and I had to go back at that moment. Those were the days when you had to send everything by boat in cabin trunks, so I put all my belongings in cabin trunks. One of the trunks disappeared in London dockyard. And that contained─among other things─the precious manuscript for my dissertion, together with other small things, like my clothes, books, and so forth. And it never came out. So I lost my opportunity to get my doctorate. (要旨) ケンブリッジ大学の裁定でHumanitarian Trust Studentship奨学金を受け、博士号コースを続けていた3年目。 ケンブリツジを離れる頃には論文をほとんど書き上げていたけど、もう少しいいものにして、それから提出したいと思った。 そこで、日本に戻ってから仕上げようと決めた。いずれにしろ私は(日本)政府から派遣された身で、 その時はもう日本に戻らなければならなかったから。 当時は全て船便で送らなければならない時代だったから、私も自分の物を船便で送ったら港でトランクが1つ紛失。 それには服や本などと一緒に大事な学位論文の原稿が入っていた。 トランクは二度と見つからず、ゆえに私は博士号を取る機会を失ってしまったのです。 522 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 22:39:50 ID:vpJs+zX40 >>520 あちゃーたびたびすみません、自分のタイプミス見つけてしまいました。 要旨2行目、「ケンブリッジ」の「ッ」が「ツ」になっちゃってます。恥ずかしス 524 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 22:42:16 ID:mpoZ4GNf0 >>518 これ、前に見つけてここに貼ったけど ジジンが丼入内に舞い上がってた証拠 1993年2月26日NYタイムズの記事(英語ですが) http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9F0CEED81538F935A15751C0A965958260 下から15行目以降 764 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:25:21 ID:edqr7Sxv0 日本の教養学部の学士しか持ってなくて、これはイギリスの法学部の学士(現在のLLB)と 同等とは見なされないから、この時点でイギリスの法学部で3年で博士号取得は無理なんだけど、 外務省の場合アメリカの大学に派遣留学する人も多いし、あちらでは関連のある学部の学士が あれば修士論文なしで直で4年で博士も可能だから、そのあたりの混乱をうまく 利用していかにも博士号取得済みのように思わせてたのかも。
769 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:26:42 ID:m2ThZ6q/0 小和田恒氏の博論紛失談、限りなく嘘くさいなあ。
船に預けた荷物が紛失したのであれば紛失証明書を汽船会社に出してもらってその旨大学当局に申し出ればいくらでも提出期限は延期してくれる。 イギリスの大学はそういう融通はきくところ。 それ以前に1960年頃のケンブリッジで3年で博士号取得間近というのがおかしい。 イギリスの場合も文系の博士の学位は80年代までは滅多にださないものだった。 今でも通常大学院進学後5年かけてとるのが当たり前。 822 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:49:08 ID:edqr7Sxv0 ていうか普通に考えたら、イギリスの法学部の学部卒なら一年で取れる 修士だけど、ジジンは他学部卒だし、言葉の壁もあるから、外務省は2年与えた。 しかし2年経っても修士が取れなかったので、日本にはドクターコースに進んだと言って 期間延長。とりあえず3年かけて修士は取れたので一安心。その後「博士号は?」と 聞かれた時にはトランクネタ使用、でFAでは。
大体、本当に少しでも博論書いてたら、紛失の話をする際にはかならずそのタイトルとか 内容とか少しは話すでしょ?法学関係者相手の講演だったんだから。彼らが「ああ、 あの当時ならなかなか面白いテーマだったね」と思うような博論じゃないと意味ないし。 上にも書かれてるけど、この対談は本当に的外れ。相手は一生懸命おもしろくしようと 頑張ってるのに、結局のところは外国官僚の自慢話で終わってるから。 829 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 02:08:35 ID:WgivHNY20 >>822 >とりあえず3年かけて修士は取れたので一安心。
修士取れてないんじゃなかった? 国際司法裁判所のプロフによると ttp://www.icj-cij.org/court/?p1=1&p2=2&p3=1&judge=13 >B.A., University of Tokyo (1955). LL.B., Cambridge University (1956). になってるよ。「LL.B」って「法学士」だよね? 835 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 02:20:51 ID:edqr7Sxv0 >>829 厳密には「修士号」は未取得ですね。 当時のLLBは現在のLLMに相当するという情報もあるようですが、 これは近年ではLLBなしでも入学できるLLMプログラムが増えたせいでしょうか。 とりあえず最初のpostgraduate degreeということで安易に「修士」と書いてしまいましたが、 現実にはセカンドバチェラーでしたね。訂正します。
841 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 02:38:53 ID:edqr7Sxv0 ジジンがケンブリッジに行ったのは入省後の研修だけ。 その後ケンブリッジでの客員教授職とか、そういうものは一切ない。 対談内での博論紛失の話も、ケンブリッジ留学の帰国時となっている。 あちこちから名誉博士号はもらってるけどね、ジジンの場合。
ちなみに、イギリスはアメリカと比べて大学(ユニバーシティ)入学までがかなり厳しく、 アメリカの大学の一般教養レベルの基礎知識は入学前にこなしてるから、 イギリスの学士〜アメリカの修士レベル、という人もいる。 そういう話をうまくからめて、アメリカ方式になぞらえて自分の学位を かさ上げして省内の人々に吹聴してたのかも。 私の憶測だけど、あっちに言ってから、教養学部の学士はLLBに相当しないので LLMプログラムには入れないとか言われたんじゃないの?歴代の派遣は 東大法卒が多かっただろうし、彼らの学士が認められてたから自分のそれも当然 通用すると思ったら大間違い、みたいな。日本では天下の東大卒なら学部や 学科はどこでもいいような風潮があっただろうけど、海外ではそうはいきませんからね。 857 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 05:28:51 ID:YR7pTpzk0 >>515さん、よく見つけましたね。 ざっと読みましたが、なんというか、外交官ってこれでだいじょうぶなの。
>>587 同意です。 対談者のプロフェッサーがケンブリッヂで共通の師に学んだ奇遇にふれて、 その師たちは好かったかと聞いているのに、その質問には「はい」とだけ答えて あの頃はまさに自分の「人生最良の日々」だったと、まるで話をはぐらかすように続ける。 だから相手に「なぜですか?」「そこで奥様と出会ったのでしょうか?」 なんていわれてる。 そして博士号に関して対談者が言ったことは完全に皮肉だと思う。 ”Then you wrote your doctorate, and you had an interesting story in the docks of London, did you not?” 「それからあなたは博士論文をお書きになったんですが、ロンドンの港で面白い話があったんですよね?」 トランクごと無くしたというのはたしかに「面白いストーリー」ですね orz 小和田氏が無人島に持っていきたい本として「アンナ・カレーニナ」をあげると、 相手には”At least it is big.”の一言で片付けられてるし。 なんか、悲しくなってきました。 小和田恆閣下論文盗難言い訳事件続報、博論のようになんとなく見せかけているのは、やっぱ修論じゃね?疑惑
Part1152-797 可愛い奥様 sage 2008/03/06(木) 17:03:06 ID:UehMntup0 すんまそん、話豚切りで 今ジジンが2003年にケンブリッジのアドヴァイザリーコミッティーのメンバーになったというケンブリッジのニュスレター見つけたんだけど(pdf) http://www.eai.cam.ac.uk/Newsletter_march2003.pdf 注:eai.cam.ac.ukのHP構成が変わり当時のURLでは閲覧できないので、同pdfファイルが取得できるWebarchievURLにリンクします。 2ページ目
そこに50年代に修士コースにいたってなってる やっぱドクター論文無くした云々って嘘っぱちっぽいね 2002年にケンブリッジに客員研究員として来て久々の親交を持ったとあるね 815 可愛い奥様 sage 2008/03/06(木) 17:16:11 ID:CNy9kxPW0 >>797 この部分ですね。 Professor Owada has a longstanding association with Cambridge, having carried out postgraduate work here in the 1950s, 827 可愛い奥様 sage 2008/03/06(木) 17:23:00 ID:UehMntup0 >>815 そうです、それ ジジンってLLB(現在のLLM)持ってるのに簡潔に Professor Owada has a longstanding association with Cambridge LLB(またはLLM)って書かないのかな? とちょっと不思議に思ったのよ まさかLLBすら持ってないなんてことないよね、いくらなんでも Part1188-661 可愛い奥様 sage 2008/04/06(日) 10:07:05 ID:Covm101j0 Judge Hisashi Owada (Member of the Court since 6 February 2003)
B.A., University of Tokyo (1955). LL.B., Cambridge University (1956). ケンブリッジ法学部卒が「1958年」なら様々なことのつじつまが合うかも。 国際司法判事が経歴詐称したらどうなるんだろうね。 665 可愛い奥様 sage 2008/04/06(日) 10:17:21 ID:1eGAMgkO0 >>661 LLMのコースは今は一年のコースだけど半世紀前はどうだったのかわかんないんだよね ジジンは博士課程にいなかったのは確かだから博士論文を書いてたのは絶対にありえないんだし 修士課程にいてケンブリッジ留学を終えたのは間違いないのだから って書いてて今ウィキ見つけたよ ジジンやっぱ当時LLBの学士しか持ってなかった気がするwwwww それで修士課程にいたけど、論文提出できなかったので当時のLLMはもらえなかった、とwwww The History of the LL.M. http://www.law.cam.ac.uk/courses/llm/the_history_of_the_llm.php The LL.M., in its present form, came into existence in 1982. Its origins lie in two degrees offered previously by the University – the degree of Bachelor of Law, or LL.B., and a prior version of the LL.M. 小和田恒が望む最後の晩餐は「a really good, very expensive restaurant」お高いレストランご所望というセンスのなさと浅ましさ、お気に入り小説『アンナ・カレーニナ』等について 注:話を追いやすくするため、最初の箇所を重複掲載します。 Part1131-131 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 15:45:22 ID:mpoZ4GNf0 なんかちょっとさっきからジジンの事が気になって☆ネットで色々見てたけど
ジジンは一応ケンブリッジで今のLLMに当たるポスグラのコースにはいたみたいね でも卒論は上げてない、と しかし卒論提出できなかった言い訳が....ヒーヒーハライテ イギリスに船で来てトランク無くされたんだと その中に卒論が入ってたんだとwww あの頃ってまだ皆船使ってヨーロッパに行ってたの? 1950年代でも外務省の研修員は飛行機使わせてもらえなかったのかな? 205 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 17:17:49 ID:5Tjl+lm50 そういえばこんな記事が大昔あったなあ。 トランクがどうのこうのという話はないようだが。 -- 外務事務次官に就任した小和田恒氏 学者顔負け、国際法の論客 日本経済新聞 1991/08/03
省内ではよく「プロフェッサー・オワダ」と呼ばれる。外務省きっての国際法や国際政治の論客であり、学者顔負けの博識ぶりは海外でも知られている。 昭和30年に東大教養学部を卒業して研修のため留学した英国ケンブリッジ大学大学院では、才能を見込んだ主任教授が在学期間の延長を求め、通常2年の留学期間が3年になった。 (中略) 論理的な話しぶりは「日本人離れしている」という定評がある。(中略) その半面、「あまりにも論理的で、まあまあという日本的というかアジア的なところがない」というように人間味に欠けるとの声も多い。議論してもかなわないと、 小和田氏との議論を敬遠する向きが多いのも事実だ。小和田氏は「自由闊達に議論して、のびのびと仕事をすれば、創造的な発想が出てくる」と省内論議の活発化を説くが、さてどうするか。 長女の雅子さんは北米二課で日米経済摩擦に取り組み、親子二代の外交官。 ゴルフ、マージャンはやらず、趣味はスキー。「スタイルは良くないが、転ばず滑ることでは人に負けない自信がある」。(後略) 286 名前:131 :2008/02/18(月) 18:10:20 ID:mpoZ4GNf0 すいません、レス入れた後急に来客プチ公務が入っちゃって
ソースですが 28ページに及ぶニューヨーク大学での対談形式でのレクチャーのマニュスクリプトの8ページ目 www.nyulawglobal.org/events/dfls/documents/owadatranscript.pdf 今もまだ半分しか読み切れてない 長い ツッコミは色々あるけど 要はジジンは自分の人生を語ってる ジジンの父親って教頭だったんだっけ? なんだか隠したいのか?って思う程話に出さないっていうかなんツーか ジジンにとてケンブリッジは楽しかったようだけど微妙に対談相手の教授の質問をかわしている様な? 注:当該PDFファイルはnyulawglobal.orgからlaw.nyu.edへ移転、後にlaw.nyu.edでも削除されてしまいましたが、Webarchive記録から現在でも閲読可能です。
http://web.archive.org/web/20090509214310/http://www.law.nyu.edu/idcplg?IdcService=GET_FILE&dDocName=ECM_DLV_015899&RevisionSelectionMethod=LatestReleased (Webarchive記録) 314 131 sage 2008/02/18(月) 18:45:36 ID:mpoZ4GNf0 ひいいいい〜、ジジンのこの一冊って「アンナカレーニナ」だってええええ〜 いややあ、このジジン「嵐が丘」といい ダメだ、このジジンの趣味はついてけんorz 好きな音楽はクラッシックジャズ... もしかしてキースジャレットはジジンの好みだったのかね? バロック音楽ーバッハーが好きねぇ... 猫足趣味ワルロココ調インテリア類などのルーツなのか? ジジンって典型的なガリ勉見栄張りタイプだね なんか丼がジジンの言いなりって判る気がする 最後の晩餐は「日本のものごっつう美味くて高いレストランで。でもジャッジだから店の名前は、ヒミツ」だって 最後の晩餐と言いながら東宮御所やら高級フレンチレストランでゴチになってるのは誰だwwww あー、疲れた 本当にジジンは白人には饒舌だな 「アンナカレーニナ」「嵐が丘」 もうジジンは生理的にダメ... 643 可愛い奥様 sage 2008/02/18(月) 23:58:56 ID:tFaGaQBq0 それとこれには大笑い。対談形式の講演の最後に個人的な質問がいくつかあったんだけど (無人島に行くならどの本を持っていくか、とか) >Professor Weiler(ワイラー教授): >And are you willing to share with us what you will have as your last supper? それでは人生最後の食事(「最後の晩餐」)には何を食べたいか、教えていただけますか? >Judge Owada(小和田判事): >Well, being someone who comes from Japan, I would like to have my last supper in Japan at the >best restaurant in Japan. えー、私は日本出身ですから、やなり最後の食事は日本の最高レベルのレストランで取りたいですね。 >Professor Weiler: >Which is what? それはどのようなもので? >Judge Owada: >It is got to be a really good, very expensive restaurant, 本当に上質で、とても高級な(高価な)レストランでなければなりません。 >but you know, as a judge, I have to be very careful in particular in being specific on this question. しかし皆さんご存知のように、私は判事ですから、このような質問に関しては あまり特定情報を出さないよう注意をしなければならないのですよ。
ジジンは一応「ユーモア」で笑いを取ったつもりらしいけど、 日本出身ですから、と言いつつ和食が食べたいとは一言も言ってないのにワラタ。 日本のレストランがいいのは、自分の顔が知れててVIP待遇されるからでしょ。 648 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 00:01:19 ID:Zk60XSuk0 「えー、私は日本出身ですから、あぐらをかきながらトロを手づかみでガツンと行きたいですね」 ぐらい言ってくれればいいのに
650 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 00:02:46 ID:RwCUNZD/0 得意そうだけど、間が抜けた答弁だね。 これで頭がいい、って言えるのかな。 ユーモアのひとつもないし。 あさましい感じしか出てない。
654 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 00:05:14 ID:Mj9QBjg40 >>648 質問者は「スキヤキ」とか「スシ」とか「ステーキ」とか 食べ物の名前を期待してるよね。
656 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 00:07:17 ID:hS5T5wRu0 最高級のレストランってpgr ほんとに貧乏くさい人だね。恥ずかしくないのかな。
661 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 00:08:26 ID:Js/PiCsd0 「日本とフランスの三つ星制覇を生涯の目標にします、 って正直に言えばいいのに・・・」
667 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 00:11:03 ID:DIothnzm0 お袋の味、とかねぇ。これなら貧乏くさくないし。 とうとうお里が知れた、ってことですね。
あ、もうひとつ。海外に住んでいたんなら、 あの店のあの料理をもう一度たべてみたいなぁ、 とかいうのがいくつかあるよなぁ。 変な答え方で頭のよさなんて全然感じないわ。 668 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 00:11:32 ID:k1eBWN3f0 >>654 私がこの質問者だったら想定するのは 「母親のミソスープ」とか「妻のちらし寿司」とかそういう心温まる… いや、なんでもない……orz
685 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 00:27:02 ID:3TSignwb0 >>668 わかるわかる。 少なくとも、「最高レベルのレストラン」とか「上質で高価なレストランでなければ」 なんて下品な発想はねぇ…
関係ないけど、「もし身分を隠して市井に紛れることができたらどうしたいか」 と問われて 「今の身分のまま、受け入れられることを自分は望む」とおっしゃった陛下と 「少し違う話になるけれども、隠れ蓑を使うことができれば、古書店街で立ち読みがしたい」 とおっしゃった皇后さまが浮かんだよ。雲泥の差のはこういうことを言うんだな。 689 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 00:31:51 ID:BGaDP8Y30 >>643 d! 笑止、笑止、pgrですわ〜 雅子のルーツここにあり! very expensive な restaurant ってwww 自分では上品なつもりなんでしょうが下品の極みだわ 成り上がり根性むきだし
700 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 00:39:15 ID:gi5JPPpu0 >>668>>685 まず「高級なレストラン」というのが下品。 お母さんの手作りの家庭料理より美味しいものはないでしょう、ジジン世代なら尚更。 懐かしく思う静さんの手料理、ただの1つもないのかしら? ほんと変わったジジーだな。
703 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 00:40:58 ID:DIothnzm0 郷土料理とかねぇ。 質問している人も「ハァ?」って感じだね。
お父様ってお偉いのw 708 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 00:43:09 ID:edqr7Sxv0 普通なら人生最後の夕食(翌日には死ぬ)なんだから、 家族と家庭料理を楽しみたいとか、あるいは妻と二人で 思い出のあるレストランにもう一度行きたいとか言うものじゃない? 実際に告知ありでそんなシチュエーションになったら、 殆どの人は食事なんてろくにのどを通らないと思うのですが・・・
それを、明日には死ぬからできるだけ高価な高級レストランでたらふく食べて おこうなんて、卑しいにもほどがあるわ。日本の恥。 758 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:20:25 ID:NwpwXfIo0 ←擁護書き込み乱入 日本の出なので、日本のexpensiveなrestaurantに行きたいというのは、 公人としての答えとしても適したものでしょう。 「日本人」であること、「日本文化」へのリスペクト、これらを考えれば、 小和田の答えは的外れではない。 むしろ「日本に拘わる」「国粋的」とも言い掛かりをつけられかねない。 にもかかわらず、彼はあくまで「日本」を懐かしんでいる。 公人として質問を受けているという自覚と、日本人としての矜持だと思いますけどね。
expensiveについていえば、日本料理の最高峰に君する一連の料理人や料亭など、 それだけの価値が充分にあるということは誰も否定しないでしょう? 内実ともに日本文化の先鋭である彼らのもてなしを期待するのなら、 高額の覚悟はやはり要るもの。 そういう料理を、「最後の晩餐」として願うといったところで、別に成金とか 嫌らしいとかは無い。 日本料理はそれだけの価値があるものといっているわけだもの。 仮に「母の手作りの云々」とか「妻の・・・」と答えたところで、逆に 「公的な場での、公人に対する質問に対して、卑近な内輪の話を持ち出して」とか、 「また自分の家族の話」と揚げ足を取られるのがオチでしょう。 760 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:21:53 ID:DIothnzm0 詭弁
767 可愛い奥様 2008/02/19(火) 01:25:59 ID:BMTu28Yk0 >>758 工作必死ですね。そもそもの質問が「公的な場での公人に対する質問」なのか 考えてみればいいのに。アメリカ文化が全くわかってないなぁ。スクリプト読 んでみたけど、こんなの誰が興味あるのか。。。って内容。ここまで人をひき つけないのもスゴイ。こんな外交官、本当にお寒いね。
あと、アンナカレーニナ。。。まじで凍りますよ。トルストイって。。。 趣味悪い、というか、なんだかなぁ。知性が全く感じられない。 770 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:26:55 ID:82h5qivc0 >>758 小和田さん的には完璧なお答えなんだろうが、聞いてるほうはかれの 人柄を、嵐が丘やアンナカレーニナを愛読する温かい人とは到底思えなくて、 え?って当惑するような答えだって、わからないんだろう。
まさに、そこが、小和田さんが100年かかっても理解できない人間の 心の問題なんだよ。 772 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:28:15 ID:3TSignwb0 >>758 そうかな。 「人生最後の食事を選べるとしたら、母の手作りの○○が食べたいですね」 と答えたとして、 「公人のくせに内輪の話を持ち出してw」 なんて誹る人っているだろうか?そもそも「最後の晩餐は?」なんて物凄く私的な問いかけだよ。
776 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:29:46 ID:BEKGK0AJ0 最後の晩餐をどこで食べたいって聞いたんじゃないよね?
たぶん相手は、自宅のダイニングで、いつも食べてる好物の物を 答えてるだろうって聞いたのに、えっ???って驚いただろうな。 777 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:29:48 ID:viX0AegS0 >>772 お前の妻、料理しねぇじゃん。とはちょっと思っちゃうかも。
780 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:30:55 ID:m2ThZ6q/0 レストランの形容詞にexpensiveという時点で変。
goodとかfineとかでないと英語としておかしい。 785 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:33:08 ID:QlLyE7Q60 >>643 人生最後の食事が最高レベルの高級レストランって・・・成り上がりの田舎者丸出しだね。 よほど貧しい食生活の人生を送ってきたんだな。 なんとなく雅子が食べ物に固執する?わけも透けて見える。
787 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:34:08 ID:BGaDP8Y30 >>785 最高級って言ってるのにすごく貧しく感じるんだよね。
788 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:34:20 ID:DIothnzm0 >>780 そうそう、安くても美味しい料理を出す店だってあるし、 母親の作ってくれた料理なんて、そんなに高級=値段が高い 材料、ってわけでもないしね。
親を否定しているような人生だったのかな。 789 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:35:00 ID:Mj9QBjg40 >>772 こういう場合の問いかけって、インタビューの最期に回答者の個性や人間味を引き出したいんだよね。
793 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:36:16 ID:PqSovlrL0 最後の晩餐は 高価なレストラン、か… 親子揃って薄っぺらい趣味ですねー 高価であれば何でもいいのか?自分の好みとかはないの? さんざん公費で食い散らかしておいて、その程度の舌なのか、ナサケナス 大体、判事だから具体名をあげちゃいけないという理屈もよくわからないなあ 天皇にでもなったつもりでしょうか、判事ってそんなにお偉いの? いちいち上げ足取るようなことはしたくないのですが でてくるエピソードがことごとく心が冷えるようなものばかり。
>>767 アンナカレーニナってなんかマズイの? ちゃんと読んでいないので(最初のほうでやめちゃった) どの程度趣味が悪いのかわかんないんですけど… 796 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:37:10 ID:PPt4FIDh0 トルストイ好きでもかまわないんですよ。 ロシア文学の金字塔ではあるわけですから。
でも、「アンナ・カレーニナ」と「嵐が丘」と並べて持ってこられると、 最近はハーレクインでも愛読してそうな、 おっさんとしてはキモイ部類になっちゃうんですよね。 798 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:37:29 ID:NwpwXfIo0 ←擁護書き込み再び乱入 >>772
ここの人達が、ね。 800 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:37:45 ID:m2ThZ6q/0 expensiveという言葉自体にそもそもネガティブなニュアンスがあるからレストランへの褒め言葉にならないですよ。 たとえ身分の高い人やお金持ちの口から発せられてもexpensiveという表現には日本語で言うと「割高な」に近いニュアンスがある。 expense自体が「費用」というよりは「負担」に近い言葉だし。
811 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:42:36 ID:cwKl9VDbO >>796 同じトルストイでも、「復活」とか「戦争と平和」 とかあるだろうに。 渋いところで「クロイツェルソナタ」とか。
812 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:42:44 ID:BEKGK0AJ0 「アンナ・カレーニナ」と「嵐が丘」
ジジン、メロドラマとか韓流ドラマとかの路線も好きなんじゃない? 813 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:43:00 ID:3TSignwb0 >>798 ああ、そういう意味だったんですね。 「なんて答えてもpgrするつもりなんでしょ?」ってことですね?
もし小和田氏が最後の質問に対して、772のように答えたとしたら、 一般的な想定を外れる答えではないのでその箇所がここにコピペされることは なかったでしょうし、仮に貼られたとしても 「なんで娘はあんなに外食大好きになっちゃったんだろうねぇ」 「やっぱり母親の食育って大切かもね」 という論調になったんじゃないですかね。 819 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:46:25 ID:PPt4FIDh0 >>811 そうです。 ロシア語が堪能なら、詩的美しさで プーシキンを愛読するという選択もあったのに、
数々のロシア文学の中から選んだのが「アンナ・カレーニナ」 韓流ドラマも絶対お好きなはずですw 821 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:49:03 ID:PqSovlrL0 >>803 そういったおうちだからこそ 「ごはんとみそしる」といった答えは出てこない訳ですね いや、別に高級レストランでもいいんだけどさ、 そこまで言及するなら何処のどんなメニューって言えばいいじゃないですか 言わないのなら『何でもいいから祖国で食事をしたい』とでも言えば綺麗に纏まるのに 不思議な人だなあ
>>811 同感です。戦争と平和は人物を追ったストーリーの他に 当時の国際情勢や戦術の解説などもあり 最初は「たるいな」って思っていたそういう部分が 個々の登場人物の運命と複雑に絡んできたりして面白かった アンナカレーニナは終始一貫メロドラマで嫌になってしまった この際ちゃんと読んでみようと思います よい機会をくださってありがとうジジン。 823 可愛い奥様 sage 2008/02/19(火) 01:49:10 ID:GDNR+qAC0 >>819 世界的にはトルストイの評価が高く、日本人はドストエフスキーが好きで、 ロシア人のインテリはプーシキンが好きでメッセージカードにプーシキンの 言葉を添えたりするそう。
844 可愛い奥様 2008/02/19(火) 03:09:44 ID:/bbljAxSO >>823 プーシキンというと…オネーギンとか、スペードの女王とかですね。 オペラやバレエになってる。 盆は、くにさんを選んでおけばよかったと思ってるかしら。…ないなorz
日本ハンディキャップ論
雅子妃の父・小和田恒氏が外務省時代に日本国の在り方について唱えていた主張。「ハンディキャップ国家論」ともいう。その定義については、論者によって微妙に評価が分かれるが、日本が平和維持活動等において、軍事力を用いた、いわゆる「一人前の活動」をしてはいけない、という面では共通している。特定アジアへの「土下座外交」の基礎をなすものだとして、保守派の論者からは厳しく批判されている。 いずれにしろ、様々な問題行動を起こす東宮夫妻に加え、暴論を吐く外戚、その手下の東宮大夫、媚中派の宮内庁参与と四拍子揃っているのが、今の東宮と宮内庁の状態である。一刻も早く、この現状を抜本的に改革し、災いの種を一掃することが望まれる。 2002年(平成14年)06月06日 第154回通常国会 衆議院 憲法調査会国際社会における日本のあり方に関する調査小委員会 4号、「(斉藤邦彦が)小和田先輩が言われたハンディキャップ国家論を私は正しいと思いますということおっしゃっているわけでございます」
○田久保参考人 田久保(編者注;田久保忠衛氏)でございます。 本日は、かかる権威ある会議にお招きいただきまして、大変ありがとう存じます。 私の専門は国際情勢と外交防衛でございまして、その見地からいろいろ申し上げてみたいと思うのでございます。四十年近く在野の評論家生活をやってまいりましたので、勝手なことを申し上げて、あるいは皆様の御不興を買うかもわかりませんが、何とぞ御容赦いただきたいと思います。 (中略) 湾岸戦争で衝撃を受けたか受けないかでございますが、私は、政府は受けていなかったんじゃないか、特に、中心たるべき官庁の外務省は受けていなかったんではないかというふうに考えているわけでございます。 当時、九三年でございますから、湾岸戦争の二年後でございます。小和田外務次官が現役でございまして、東京芸大の平山郁夫先生と「プレジデント」で対談をしたわけでございます。平山先生が、小和田さん、あなた、外務次官だから、日本の今後行くべき方向はどうなの、どういうふうに考えるの、こういう質問に対して小和田さんは、三つあります。一つは、戦争に敗れた直後の日本で、清く、貧しく、美しく生きていくので、国際貢献なんか考えなくていい、こういうことです。このアジアの小国の地位に甘んじていいんだ、余り他の国とかかずらいたくない、こういうお考えであります。 その直前に、小沢さんの普通の国論というのがジャーナリズムでわっともてはやされて、これに対して小和田さん、ちょっと曲解しておられるんじゃないかなと思ったんですが、政治、経済、軍事、軍事だけがバランスがとれてない、これを経済に見合った軍事力にする。経済に見合った軍事力にするというと、これは世界第二位のGNPを持った日本は、とんでもないことにならざるを得ない。小沢さんが言っているのはそんなことじゃなくて、非常に単純な、一般大衆がわかるように、普通の国がやっていることをやれっつうの、こういう言い方ですね、あの日本改造論の中に出てくる表現は。大して意味を持たない。ただし、小和田さんは、これはバランスをとった国になれ、こういう意味だと。 三つ目の選択は、軍事の貢献はやはりだめなんだ、そのかわり、その他の面で日本はほかの国よりももっとやるんだ、こういうことでございます。例えば、軍事が出せない。ほかの国が軍事力を出して百億ドル出していれば、こっちの方は軍事を出さない、軍事面での貢献をしないかわりに三百億ドル、四百億ドル、こういうふうに出すんだというお考えのようでございます。 第一、自分の国がハンディキャップ国家などと言うことは、私はいいのかねという疑問を持つわけでございます。それから、そういう第三の生き方というのは、湾岸戦争で余り通用しなくなったんじゃないかなというのが私の考えでございましたので、これは愕然としたというふうに私は申し上げなければいけないと思います。 この直後に斉藤邦彦さんが外務次官になられて、駐米大使におなりになるときだったですか、日本プレスセンターで会見というか講演をやられて、一問一答をやられた。そこで、小和田先輩が言われたハンディキャップ国家論を私は正しいと思いますということおっしゃっているわけでございます。ここまでくると、これはこういうことで突っ込んでいくとどういうことになるのかなという私は心配を持っているわけでございます。 (後略) http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=23065&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=8&DOC_ID=10191&DPAGE=1&DTOTAL=2&DPOS=1&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=23320 『靖国問題と中国』屋山太郎、岡崎久彦(海竜社、2006年)pp.167-169より抜粋引用、「小和田恒元外務次官、元国連大使(現国際司法裁判事)が『日本ハンディキャップ論』を唱えたのは有名だ。日本はハンディを背負っているのだから一人前の行動や発言をしてはいけない、との暴論である」 ◾『靖国問題と中国』屋山太郎、岡崎久彦(海竜社、2006年) 「(前略)福田康夫氏と谷垣禎一氏は外交の最大テーマとして『日中の異常な関係の正常化』をあげている。『異常な関係』とは何か。日本の首相が靖国神社を参拝するかぎり、『首脳会談を行わない』と中国側が頑張っている状態こそ異常というほかない。これは『たった一つのことが気に入らないといって首脳会談に応じないのは異常だ』と小泉首相が言っている通りだ。国際的常識では『他国の神社参拝を自国の外交関係の中心部分にする国は全世界でも例がない』(米中経済安保調査委員会ラリー・ウォーツェル委員長=産経新聞2006年5月13日付)と見るほうが自然だろう。 中国の側に理があるという非常識を日本国民に植えつけてきたのは、田中内閣以後の親中派議員と外務官僚だ。中国に対する贖罪意識に加えて、日中条約締結後にはじめたODA援助がらみの利権が親中派議員を激増させた。 一方で外務省主流も親中派に傾き、チャイナスクールが跳梁跋扈した。小和田恒元外務次官、元国連大使(現国際司法裁判事)が『日本ハンディキャップ論』を唱えたのは有名だ。日本はハンディを背負っているのだから一人前の行動や発言をしてはいけない、との暴論である。 次官、駐米大使、外務省顧問を歴任した栗山尚一宮内庁参与は『日本は永遠に謝罪し続けなければならない』という主旨の大論文を月刊誌『外交フォーラム』に連載(2006年1・2月)した。 栗山氏によれば、首相が靖国参拝をやめても、ガス田、尖閣諸島、国連安保理常任理事国などすべての懸案問題で中国の譲歩は期待できないが、それでも謝れという。そもそも何も得ることが期待できない方針を『政策』と呼べるのだろうか。 こと中国のことになると、急に風向きを気にする政・官・学・財界の諸氏の姿勢は不可解といわざるをえない。」
『渡部亮次郎のエッセイ集』、「小和田が外務事務次官時代(1991年8月93年8月)時代に展開して、未だに外務省員を支配しているのが、「ハンディキャップ国家論」である」
外務官僚の背骨 一連の外務省不祥事件は、そろそろ判決が出はじめる一方で鈴木宗男事件はまだまだ尾をひいている。その中で北朝鮮からの集団脱国者対応や不審船引き揚げなど当面の外交問題についての我が外務官僚閣下らのお粗末は、批判する方が疲れてしまうくらい続く。どうしてこんな体たらくになってしまったのか。どうもその底には、皇太子妃殿下の父たる元外務事務次官・小和田恒の「ハンディキャップ国家論」の甘えと驕りが横たわっている。 (中略) 小和田恒という人は、超エリートといわれるが、政界に知られるようになったのは若くして福田赳夫首相の秘書官になってからだが、なぜか省内に人望は無い。仕事に厳しすぎるという以外に何かありそうだが、官僚の口はいまだに固い。その小和田が外務事務次官時代(1991年8月93年8月)時代に展開して、未だに外務省員を支配しているのが、「ハンディキャップ国家論」である。日本は他の大国と違って、憲法9条の平和規定が厳然としてある。仮にPKOなどの国際貢献でそれがハンディキャップとなっても、最大限尊重すべきで、あくまでも憲法の許される範囲内で、世界に貢献すべきだ、という論である。 この論は次の事務次官斎藤邦彦(のちに駐アメリカ大使、国際協力事業団総裁)にも追認され、今日も外務省無気力の允許状になっている。そこには敗戦の結果として押し付けられた憲法であるとか、軍隊は外交の手段として用いるべきではない、という敗戦・無能力国家を厳として是認するばかりで、国民を奮い立たせるとかの精神はひとかけらもない。あるものはゼニだから、これさえ出しておけば、他から文句をいわれることはないから いいじゃないか、と言っているに過ぎない。国家の誇りなんかとっくの昔に棄ててしまった逆乞食の驕りである。 中国大使・阿南は陸軍大臣の倅であることを、何かと隠そうとするらしい。一種のハンディキャップ大使に自ら陥っていると言えるかもしれない。しかし、大使は事務官ではない。国家を代表して駐在しているのだから、社交もさることながら、外交に徹するべきだ。言う事も言わないでいる方が友好だと考えているとしたら、本当にハンディキャップ外交のハンディキャップ大使になってしまうだろう。 中国は、綿の中に針を潜ませた外交をする国である。昨今の核戦力の増強ぶりと靖国問題を中心とする対日攻勢を見るまでも無く、日本との間に単なる友好のみを考えているとは絶対考えられない。靖国と国民を乖離させ、国民をして「国のために死ぬことは馬鹿らしいことだ」と思わせて防衛意識を低下させ、やがて日本を属国にする際、好都合にすることを狙っているとしか思えない。それをただただ「友好」の二文字だけで事なかれを決め込むとは、なんとも情けない。 アメリカもクリントン時代の対中国政策をがらりと変えて国益を守ろうしている。その時に我が外務省のみが、チャイナ・スクールにまかせた中日友好万歳だけで国を操縦していけるとは、どうしても考えられない。 http://p-www.iwate-pu.ac.jp/~tokuhisa/watanabe/watanabe7.html 2014年9月6日チャンネル桜より、「小和田さんは色々言われてる通りで、まさに東京裁判のね、その、初判決と裁判そのものの解釈を中曽根内閣時代に土井孝子さんの質問に答える形である意味、ぐちゃぐちゃにした張本人ですよ。で、そのあとも日本はハンディキャップ国家で行くしかないて事を展開した人ですよね。」
Part2850-692 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/09/10(水) 13:41:58.10 ID:9MjgU9Va0 チャンネル桜でジジンの批判が出てるわ。いいいわ〜産経編集長GJ 712 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/09/10(水) 15:05:03.82 ID:dEiey3vE0 >>692 つべで見れます? 727 可愛い奥様@転載は禁止 sage 2014/09/10(水) 16:21:15.35 ID:9MjgU9Va0 >>712 owd部分だけ書きお越し 2時間目 10分39秒から 上島喜郎 所謂河野談話から、一連の謝罪が続いた時の内閣とは離れて、この官僚を見た時に当時の外務事務次官 誰だったのかと見てみるとね。栗山尚一さん次が、小和田恒さん次が斉藤邦彦さんなんですよ。 で、ちょっとエピソードで言うと、栗山さんが産経新聞のインタビューに答えてる話の中で戦勝国の作った 歴史の中で遺憾であっても、その中で生きるしかないんだと個人的な考えとは仰ってたけど、でも、外務省の トップに立つ役人がね。その歴史観だったのは私はショックだった。 次に、小和田さんは色々言われてる通りで、まさに東京裁判のね、その、初判決と裁判そのものの解釈を 中曽根内閣時代に土井孝子さんの質問に答える形である意味、ぐちゃぐちゃにした張本人ですよ。 で、そのあとも日本はハンディキャップ国家で行くしかないて事を展開した人ですよね。 その後、斉藤さんはちょっと付け足しなんだけど、駐米大使に出た後、アイリスチャンのレイプオブナンキン むこうでなってるときに(討論番組に出演した時と思われる)言ってた事は、日本政府は謝罪と補償をしてる と言ってるだけでファクト対しての議論はまったくしてない。 この三人が一番表立って売国してるんだよね。 是非、この場面だけでも見ていただきたい。私、初めて上島さんが発言してる事に同意した回です ニコニコのURL貼っておきますね ttp://www.nicovideo.jp/watch/1409909057 頭が沸騰しそうになると思いますけど、冷静にジジンのやってきた所業を拡散していきたいですわ 小和田恒と創価学会 1988年1月6日 創価学会が小和田恒外務省官房長宛に、池田大作会長の香港ならびにアセアン三ヶ国訪問のために便宜を図ってくれと要請する文書を送る。 ◾雅子の実父小和田恒が、池田大作の海外訪問に便宜を図っているズブズブっぷりが国会議事録に記録されている: 【[001/001]134 - 参 - 宗教法人等に関する特別委員会 - 3号 平成07年11月27日]】 それから、ちょっと外務大臣にお尋ねいたしますけれども、実は一九八八年の一月六日付で、八八年ですから昭和六十二年ですか、創価学会の事務総長原田稔さん、この方から当時の外務省官房長の小和田恒さんあてに、「本年一月末より二月中旬にかけて、創価学会インタナショナル一SGI)会長・池田大作(創価学会名誉会長)一行が教育・文化交流のため、香港並びにアセアン三ケ国(タイ・マレーシア・シンガポール)を約二週間にわたり、下記の日程で訪問する予定です。何卒宜しくお願い申しあげます。」ということで、メンバーは、池田大作創価学会インタナショナル会長・創価学会名誉会長、池田かね同夫人、池田博正同子息、創価学会副青年部長。これは、何か奥さんと家族ぐるみで訪問をするから、外務省の官房長によろしく頼むと言っているんですね。
『週刊新潮』1996/5/16号<創価学会が小和田恒氏に送った「外遊特別待遇」要請書>記事 http://www.yuko2ch.net/mako/makok/src/1228313680069.jpg
◾週刊新潮 2016年3月24日号<変見自在684 狭量の共感(高山正之)>コラム記事【せんべい】
p.144より引用 東宮は創価学会シンパの娘を迎えられている。
はっきり言って大不評の2002年サッカーワールドカップ日韓共同開催、言い出しっぺの黒幕は小和田恒であると民主党岡田克也氏証言
Part1995-158 可愛い奥様 sage 2011/01/28(金) 06:32:23 ID:QbGfl8tk0 民主おからの2006年8月29日週刊ビデオメッセージの中にこんなん見つけた。 小和田氏が日韓フォーラムの日本側議長を何年もつとめてたらしいけど、 2002ワールドカップを共催gdgdにした黒幕…?キシュツでしたらごめん。 ちなみに96年第4回の出席者には広中和歌子の名前もあった。 (抜粋) >日韓フォーラム >実はこれから、淡路島に出掛けます。淡路島で今日から「日韓フォーラム」というものが開催されます。 >この日韓フォーラムというのは、日本と韓国の有識者、政治家であったり経済人であったり、あるいは学者であったり、日韓のそういう有識者が集まって、日韓の課題について議論するということで、大変権威のある、そして中身のある会議です。 >私は数年前までこの会議に毎年参加していました。日本と韓国で交互に開催されてきたわけです。 >当時、日本側の議長は外務省OBの小和田さん、皇太子妃雅子さまのお父さん、が非常にリーダーシップを発揮されて、中身のある会議が開催されていました。少し前になりますけれども、ワールドカップサッカーの日韓共催を最初に提案したのも、この会議の場です。 三顧の礼 目上の人間が自ら才能ある人物のもとに出向き協力を求めるべく説得すること。地位の高い人間が、地位は低いが才能ある人間に礼を尽くすことで迎え入れること。 「三国志」において、諸葛孔明の才覚を知った劉備が自分の部下として働いてくれるよう何度も無駄足を踏みつつも諦めず説得を続けたことで、それに感じ入った孔明が劉備の要請に応じたという逸話に基づく諺である。 『週刊現代』2004年6月19日号 新聞テレビが報じない「浩宮の乱」 宮内庁はスパイなのか p.31より引用 宮内庁歴代幹部の中にはいまもって、 「小和田家も川嶋家も皇室にはふさわしくなかった」 とハッキリ口にする人間もいる。飲食店など公衆がいる前で、雅子妃を厳しく批判する職員もいる。 小和田家では、こうした批判に苛立ちを強めている。 「そもそも、雅子妃が何度も『私には自信がありません』とお断りしたのに、皇太子が『全力でお守りする』と言って三顧の礼を尽くして迎えられたのではなかったか。それなのにどうしてこういう扱い、批判を受けなければいけないのか」(小和田家の知人) 要するに小和田サイドからは「皇太子が三顧の礼を尽くして小和田雅子を迎えたのにいったい何なんだ?!」との主張がされているということである。 果たして雅子夫人が諸葛孔明に匹敵する才覚を持ち合わせているかどうかはさておき、この三国志・三顧の礼には裏エピソードとも言えるものが存在する。それは劉備が孔明をスカウトしていた一方で、曹操もまた孔明を部下にしようと使者を送っていたというものである。劉備は自身が説得に出向き、曹操は使者を遣したという差がある。聡明な孔明には曹操の方が上手でありいずれ天下人となることは分かっていたのだが、劉備の真摯な態度に感銘を受けて、後々不利になることを予測しつつも彼の為に力を尽くすことを決めたというものである。 つまり「三顧の礼」とは「目上の人間が自ら礼を尽くし説得をして、真摯な要請を受けた目下の側はたとえ後に不利益が生じることになってもその思いに応えるべく全力で働く」ということなのである。 小和田側の主張は自らに都合の良い諺の前半部分だけであり、雅子夫人が東宮妃としての仕事をさぼりまくっていることは無視しているわけである。自分(の娘雅子)を孔明と擬えるのは実に度胸があるというか、よほどその才能に自信を抱いている証左であると思われる。 カンキリヒサシ 『さらば外務省!』にて紹介された缶切りを巡る外務省時代の小和田恒氏エピソードから、氏のあだ名の一つとして御一行スレに定着している。 『さらば外務省!――私は小泉首相と売国官僚を許さない』天木直人(著) 講談社(2003/10) pp.57-59 小和田恒――「その缶切り試したかい」より引用〜 外務省に入省して二年目の一九七〇年七月から、憧れの米国研修が始まった。その研修生活の一年目が過ぎようとしていた一九七一年の夏、大使館の仕事を手伝えと命令が下った。日米合同閣僚会議がワシントンで開かれ、外務大臣他多くの閣僚が訪米してくるという。 ・・中略・・ その夜私は、ホテルの一室に設けられた事務局に当番として詰めていた。皆が寝静まった午前零時過ぎ、福田赳夫外務大臣の秘書官である小和田恒から電話がかかってきた。雅子皇太子妃の実父である。用件は「缶切りを至急もってこい」だった。そんなものはホテルのルームサービスに頼めばいいのだが、部下に仕事を言いつけるのが官僚の習性である。 ホテルのボーイに缶切りをもらい、外務大臣の部屋に飛んでいった。ドアをノックしても返事がない。再びノックしてみた。しばらくしてドアがわずかばかり開き、その隙間から眼鏡越しに小和田の目が覗いた。 「遅くなりました。缶切りを持参しました」 小和田はドアをわずかに開けたまま、その隙間から顔を半分だけ覗かせるようにし私をしばし眺め、やがて蚊の鳴くような声でこう言うのだった。 「その缶切り試したかい」 その意味するところが分からなかった私は、素直に答えた。 「試してはいませんが、切れると思います」 小和田は一言も発せずに私の顔を見つめた後、そのままドアを閉めてしまった。呆気にとられた私は、しばし呆然と廊下にたたずみ、「何がいけなかったんだろう。このまま帰る訳にもいかないしなあ……」と思案した。 どれくらい時間がたっただろうか。やがてドアが再び開き、缶切りを持って立っている私に無言で手が伸びてきた。私は慌てて缶切りを渡した。無言のままドアは閉められた。私はホッとした気持ちで、事務局のある部屋へ戻っていった。 この話を控え室の先輩たちに話した。そして彼らから「詰めが甘い」者は外務省では出世しないという事を教えられた。何事も考え抜いて用意周到に事を運ばない者は、無能の烙印を押されるという。 「ありがとう」の一言さえ若い職員にかけることのできない、成績至上主義の人間のみが事務次官という最高のポストに上り詰める。外務省とは、そういう組織であることを、私はその後の外務省人生で嫌というほど見せつけられるのであった。
同p.83 「中途退職した二人の外務省OBの生きざま」 より引用〜 ・・前略・・ 私の六年先輩にあたる浅井基文は、日米安保条約を聖域視する対米従属外交に失望し、中国課長を最後に退職した。その後まもなく『日本外交』(岩波出版)を出版し、安保条約に全面的に依存する日本外交の危うさを訴えた。 その浅井を外務省は組織をあげて潰しにかかった。直接、浅井から聞いた話だが、退職した当時の次官であった小和田恒は、「今後もし外務省に弓を引くような真似をすれば、省をあげて潰しにかかる」と、面と向かって引導を渡したという。 (後略) 〜以上両引用終わり Part556-600 可愛い奥様 sage 2006/07/29(土) 16:58:33 ID:l1tjn4GW ドーピングチェックと重量チェックで引っかかって 出走実績ほぼ皆無のくせに どうしたわけかダービーには出たがる駄馬プリンセスマサコ ドンキホーテに身請けされ風車と戦うためにオランダへ 607 可愛い奥様 sage 2006/07/29(土) 17:19:40 ID:tksH0dl3 >>600 プリンセスマサコ (牝) 父:カンキリヒサシ、母:ユミコシングル(未出走) 父の父:タケオ(未出走)母の父:チッソエガシラ 生産者:小和田牧場 馬主:小和田一族 厩舎:ナルニヤ厩舎(赤坂) 調教師:野村イッセイ 獣医:O野 ネ谷 ※これはフィクションです。実在の人物・場所とは一切関係ありません。 新潟県立高田高等学校生徒会長選挙得票13票事件 ジジンこと雅子夫人の実父・小和田恒の、高校時代の人望の薄さを象徴している数字と事件。小和田恒が新潟県立高田高等学校の生徒会長選挙に出た折の最下位得票数である。またその選挙同日には同じ顔ぶれで副会長選挙も合わせて行われたが、そちらもぶっちぎりの最下位という結果に終わっている。 生徒会長選挙では投票総数690票のうちの13票で1.9%、副会長選挙では投票総数670票(生徒会長選より20票少ない理由は不明)のうちの57票で8.5%である(小数点第2位以下四捨五入)。 『高田高等学校百年史』高田高等学校百年史刊行委員会(昭和48年=1973年発行)、p.590より引用 昭和後編年表(昭和24年度) 8月24日 生徒会長、副会長選挙。新保修(二年生)当選 ◇会長 新保 修 二九二票 桐原 雅夫 一八〇票 清水 功 一三九票 細野 勇 六六票 小和田 恒 一三票 ◇副会長 新保 修 二八六票 清水 功 一二五票 桐原 雅夫 一二二票 細野 勇 八〇票 小和田 恒 五七票
小和田恒wiki情報にも書かれていることであるが、恒氏の父・小和田毅夫氏は旧制中学の教師であり、息子が通っていた新潟県立高田高等学校の校長もつとめていた人物である。そして高田高校の校長であった期間は「昭和21年3月〜昭和33年3月」であり、実は恒の在学期間を完全に含んでいるのである。
◾『小和田家の歴史 雅子妃殿下のご実家』川口素生著、新人物往来社2001年12月10日発行、巻末小和田家関係略年表(pp.202-203)を参考、高田高校校長時期の小和田毅夫と、小和田恒在学期間、そして毅夫校長辞職まで 昭和21年 一九四六 3月 小和田毅夫、県立高田中学校に校長として赴任。恒は柏崎中学校から高田中学校へ転校する。学制改革により高田中学校は高田高等学校に改編されるが、毅夫は引き続き校長をつとめる。 23年 一九四八 この年 高田高等学校、妙高山への前項登山を開始。以後、同校の年中行事の一つとして定着する。 26年 一九五一 3月 小和田恒、高田高等学校を卒業。東京大学に進学する。 5月17日 貞明皇后(大正天皇皇后)薨去。 30年 一九五五 この年 小和田恒、東京大学教養部を卒業後、外務省に入省。 32年 一九五七 この年 失火により高田高等学校校舎が消失。 33年 一九五八 3月 小和田毅夫、高田高等学校校長を退職(離任式は年度を超えて4月に実施という異例ぶり)。 参考:『高田高等学校百年史』高田高等学校百年史刊行委員会(昭和48年=1973年発行)、p.729・p.1233職員録より引用 昭和三十三年(一九五八) 4月7日 小和田毅夫校長離任 4月8日 久保田隆円校長就任 ○新校長に久保田先生 十二年もの長い間、本校の校長として在任されていた小和田先生が突然おやめになられた。そして、先生の離任式が新学期が始まる前日の四月七日に行われ、あけて八日、新校長久保田先生の就任式が行われた。 氏名:小和田毅夫/就職年月日:昭和21.3.15/転退職年月日:昭和33.3.31 職名(教科):校長/最終学歴:広島高師文科第一部/備考(転出先など):依願免 ……前年5月の火事による引責辞任なら同年度終業式に離任諸行事を行えば円滑であり、こんなに慌しくなくてもよいはずである。依願退職届を出すに当たっていろいろ揉めたであろうと推察される。
人には向き不向きがあるのだから、生徒会長選挙で票を獲得するだけが人間の価値ではないことは言うまでもない。しかし自分が通っていた高校の学校長が実の父親で、そして立候補までしていながら最下位惨敗結果に終わるというのは、かなり珍しいことと言わざるを得ないだろう。 この13票事件には特筆すべき追加エピソードがある。 『文藝春秋』2005年6月号<紀宮会見文書を読んで 結婚の条件 美智子皇后と雅子妃(福田和也)> p.153より引用 小和田家は、刻苦勉励の家である。 勤勉と実務的有能さで立身を目ざす、官僚的価値観。 旧村上藩士の家系である(注:但しこれは小和田金吉の存在の曖昧さからして祖先ロンダリングの可能性がかなり色濃い)小和田家は明治維新前後に衰微し、雅子妃の曽祖父である金吉が早世したのち、妻の竹野は産婆の資格をとり、針仕事をしながら一子毅夫を育てたという。毅夫は勉学に励み、高田中学を主席で卒業、広島高等師範学校に進んだ。高等師範はすべて国費でまかなわれる。 教育者としても、生徒たちに「自らの力によって険難を切り開いては進み、進みては切り開く」ことを求めた(岩瀬達哉「小和田家の娘」『現代』平成五年三月号)。 竹野が、女学校時代の成績がよいからと選んだ嫁、静と毅夫の間に生まれたのが、雅子妃の父、小和田恒氏ほか八人の兄弟である。恒氏は、父が初代校長を務めた高田高校の一期生となり、父親から総代として褒賞を受けた。だが生徒会長選挙では、十三票しか獲得できなかった。 生徒会選挙でドンケツだった我が息子に卒業生の総代をやらせるところが、後年恒が自分の影響力をバックに娘雅子に学歴ロンダリングさせることに重なり、小和田毅夫・恒というこの父子は全く同じ論理思考で動いていると言えるだろう。 ◾「恒と中高同級だったおじさまの話」なる書き込み
Part2425-189 可愛い奥様 2012/09/11(火) 20:32:58.17 ID:97KmI+TZ0 忘れないうちにこっそり投下 恒と中高同級だったおじさまの話 勉強はよくできた、が、運動神経が全くなかった、縄跳びも跳べない位だった 父親の校長は真面目な人だった
生徒会長に立候補して3票しか入らなかったと週刊誌で読みましたが、人望はありましたか? と質問したら、 言いにくそうに、人気はなかったなぁ、と言ってました。 普段は悪口は言わない立派なおじさまから初めて聞いた不評だったのでびっくりでした まぁ、昔話でなつかしそうではあったよ 219 189 sage 2012/09/11(火) 21:23:27.34 ID:97KmI+TZ0 sage忘れてすみません 3票じゃなくて13票でしたね ここに書くのは初めてですよ リアルに恒の評判聞いたので書き込みしました 小和田恒、国連大学総長選に落選、高校時代の生徒会長選挙で得票数わずか13票の悪夢再び事件と、馬鹿高いくせに使えないNY大使公邸について
Part866-540 可愛い奥様 sage 2007/05/11(金) 07:27:11 ID:rlcUmsl80 しばらくアク禁で書き込めなかったんで超亀なのだけど、 小和田ジジンは国連大学総長なんて狙うはずない、というご意見が ありましたが、全く違います。 実は小和田氏は、国連大学総長選挙に「落ちた」のです。 日本外務省としては、兆の金を投入して国連大学ビルを 建てたのだから、「プリンセス」の父親である小和田氏が まさか落ちるとは思わず、選挙活動をまともにしていなかったという 裏事情もあります。 外務省の甘ちゃんなんちゃって外交により 票を持っている方々から小和田氏が「総長にふさわしくない奴」と 思われていることが浮き彫りになった結果、落選しました。 まさかの落選で小和田氏激怒。 本来別の方が就任するはずだったニューヨークに国連大使として赴任した。 ニューヨークの大使公邸、買い直しも、外務省のせいで 落選 |