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「もう打たない、もう止める」と思いながら、それでも止められないパチンコ依存
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1336.html
投稿者 中川隆 日時 2021 年 11 月 27 日 07:12:08: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 100人に1人はサイコパス。私たちは人生のどこかで必ずサイコパスと出会う 投稿者 中川隆 日時 2020 年 12 月 20 日 19:00:05)

「もう打たない、もう止める」と思いながら、それでも止められないパチンコ依存
2021.11.27
https://blackasia.net/?p=20530

パチンコには日常生活では味わえない強烈な興奮と快楽が仕掛けられている。この「興奮・快楽」のサイクルを覚えると、脳がそればかりを追い求めるようになり、抜け出せないパチンコ依存を生み出すことになる。しかし、日本社会は今もなお危険なパチンコが野放しである。(鈴木傾城)


「もう打たない、もう止める」と思いながら止まらない
「借金はどうしたんですか?」
「時効やろ、時効。知らんけど。まぁ時効じゃなくても、住所もないのに払うわけがない。借り逃げや。ギャンブルの借金なんかアホらしくて返す気にもならへんしな。返したかって何の得にもならへん。真面目は損するだけや。放っといたらええねん、あんなもん」

『どん底に落ちた養分たち』より。
パチンコで地獄に落ちる人は多い。あなたのまわりにも、パチンコ依存で人生を吹き飛ばした人を知っているはずだ。

生活費をすべてパチンコに注ぎ込んだり、親や兄弟や妻や友人に金を借りて回ったり、消費者金融で金を借りて数百万円以上もの借金を作ったり、会社の金を横領したり、盗んだり、ひったくりしたり、自己破産したり、自殺未遂を起こしたり、パチンコ依存者の事件は枚挙に暇がない。

拙著『どん底に落ちた養分たち〜パチンコ依存者はいかに破滅していくか?』は、まさにそうした人たちの群れで埋め尽くされている。

パチンコ依存に落ちてしまった人の、ほぼ100%は「もう打たない、もう止める」と思いながら、それでも止められなくていつの間にかパチンコを打っている。金がないのでいつも誰かから金を借りようとする。

金を借りるために嘘をいう。働いた金をすべてパチンコに費やして、負けて再び金を借りる。

まわりが「もうパチンコは止めろ」と強く激しく迫り「もうパチンコはしません」と宣誓書を書かせても、それでも翌日からパチンコに行く。まわりの人間から完全に信用をなくし、見捨てられる。

家族は去っていく。親からも勘当される。さらに会社からもクビを宣告される。孤立して社会のどん底に追い込まれたパチンコ依存者は、自分の人生が詰んでしまっていることに気づいている。それで、どうするのか。

迫り来る借金の返済、返さなければいけない莫大な借金に追われて、「ここから脱するためには、金を作るしかない。今の自分にできることはパチンコで負けを取り返すことしかない」と思う。

追い詰められれば追い詰められるほど、窮地に落ちれば落ちるほど、絶体絶命になればなるほど、よりパチンコにのめり込んでいく。これぞ負のスパイラルである。

「パチンコを撲滅せよ」という根源的な部分に踏み込まない
「肩がぶつかってケンカになったというのもしょっちゅう見ます。それで、表に出ろ、みたいな。ストレスの塊ですよ、あそこにいる人間は……。あと、店員が遠隔操作したから俺は負けたみたいな話をして、どうしてこの台は勝てないんだ、店長呼んで来い、みたいな話とか……」

『どん底に落ちた養分たち』より。
日本は世界一ギャンブル依存者が多く、約320万人がそうした人たちであると厚生労働省は統計を出している。このギャンブル依存者の8割以上はパチンコ・スロット依存症であることも分かっている。

パチンコは極度の依存を生む紛れもないギャンブルである。しかし、パチンコ業界は「3店方式」と呼ばれる子供騙しで「ギャンブルではない」と言い張っており、驚いたことに政府も警察もそれに同意している。

誰もが「パチンコはギャンブルである」と知っており、このギャンブルが日本中を覆い尽くして数百万人もの人々の人生を破壊しているというのに、日本社会は今もなおこんなものを許容し続けている。

パチンコ業界は莫大な収益を政治家にも官僚にも警察にもばらまいて存続を黙認してもらっており、マスコミも広告料をもらうことによってパチンコの問題には触れようとしない。

そして、民間企業による営利目的のギャンブルが、国中のいたるところに、それこそ一駅に二つも三つも何の制限もなく林立するような異様極まりない国になってしまったのだ。

当たり前だが、パチンコホールはボランティアでやっているわけではない。儲かるためにやっている。事実、パチンコホールは儲かっている。パチンコホールが儲かっているというのは、逆に言えば客は負けているということに他ならない。

パチンコホールは客が依存すればするほど儲かる。客が困窮しようが、家庭が壊れようが、借金まみれになろうが、犯罪に走ろうが、ホールはそんなことはまったく関係ない。

むしろ、客が莫大な借金をしてパチンコに注ぎ込んでくれれば、それだけ儲かるのだから、客がパチンコで気が狂ったかのようになるのは大歓迎である。そのために、パチンコホールは新台入替をしたり、芸能人を呼んだり、無料の漫画喫茶を併設したり、託児所を用意したりする。

気が狂いそうな大音響、過剰な光の演出、単純な反復作業……。こうしたものは、すべて客を依存に落とすための計算された演出なのである。パチンコホールは民間企業が運営しており、民間企業は儲けるためにあらゆる企業努力をする。

その企業努力というのは、客を依存者に仕立て上げるための努力である。客をパチンコの奴隷にして、有り金のすべてをパチンコに吐き出させる。

弱肉強食の社会であちこちにワナが仕掛けられている
「いったい、いつ返すんだ、この野郎!」
「借りたもんを返すのは当たり前だろう!」
「返済日は過ぎてるんだぞ、どうするんだよ!」
このような強圧的な電話を何時間もする。謝ろうが何だろうが容赦ない。延々と電話で罵倒し、脅し、威嚇する。しかも、一日に何度も何度も電話をかけ、顧客を精神的に追い込む。

『どん底に落ちた養分たち』より。
日本で莫大なギャンブル依存者が生まれるのは、パチンコというギャンブルが放置されている以上、避けられないことでもある。

政治家も、官僚も、警察も、マスコミも、社会の為政者はパチンコ業界から何かしらの利益を得ているので、状況を変えるインセンティブがまったく働かない。放置していれば金が入ってくるのであれば、放置しておいた方が得策だと思う。

パチンコ依存者が金が欲しいと思うのと同様に、社会の為政者もまた金が欲しいと思っている。はっきり言うと、ほとんど自分の懐(ふところ)に入る金のことしか考えていない。

その結果、パチンコ依存者が借金で追い込まれて様々な事件を起こしても、その個人の問題に矮小化して、決して「パチンコを撲滅せよ」という根源的な部分に踏み込まない。

このような構図があって、パチンコは社会の害悪であることが分かっているにも関わらず、日本社会は70年以上にも渡って、この危険なギャンブルを放置し続けてきているのだ。

弱肉強食の資本主義社会では、あちこちにワナが仕掛けられている。仕掛けられたワナに落ちたら、徹底的にやられる。社会全体が寄ってたかって犠牲者から金をむしり取る。そういうシステムになっている。

パチンコ依存者は、まさに弱肉強食の資本主義が仕掛けたワナに落ちた「獲物」なのである。パチンコが野放しになっているのを見ても分かる通り、獲物である以上は救済はない。獲物は社会の支配者に「食われる」だけだ。

パチンコ依存者は、そこから抜けだそうと思ったら自分で「邪悪な世界」が仕掛けたワナに自分が落ちたことに気づいて、そこから抜け出す必要がある。しかし、いったんパチンコ依存に落とされると、なかなかそこから這い出せない。

自分の人生がパチンコによって破滅していこうとするのが分かっていても、どうしてもそこから抜け出すことができない。

「パチンコを止められないのは意志が弱いからだ」と、依存症になったことのない人は思う。しかし、それは意志の問題なのか?

日常生活では味わえない強烈な「興奮」と「快楽・安堵」
「給料入ったら、すぐに借金返したんですか?」
「いや、返さなかったです。いっぺんに返したらまた生活費が苦しくなるなと思って、分割で返すことにしたんです。十二回払いで月一万円くらいの返済だったかな、それくらいだったと思います。いっぺんに返したら損するので気長に返せばいいや、と……」
「いっぺんに返したら損する?」
「はい。手元の金がなくなるわけじゃないですか。損ですよね?」

『どん底に落ちた養分たち』より。
パチンコに依存していない人間は、なぜあんなものに大金を注ぎ込む人間がいるのか分からない。また、なぜ止められないのか分からない。あんなものは子供騙しのゲームに見える。

そのため、どうしても「パチンコを止められないのは意志が弱いからだ」と考えてしまう。しかし、依存症というのは、そういう問題ではない。

「依存症」というのは、いったんかかると、もはや自分の意志ではどうにもならないほど強烈な本能によって突き動かされるものとなるので、「意志が弱いから抜け出せない」というのは違うのだ。

パチンコに限らず、すべてのギャンブルの依存者は、「脳が変容してしまった」ということが知られている。あまりにもギャンブルを長くし続けていると、脳が激しい興奮状態に置かれ、ノルアドレナリンが分泌され続ける。ノルアドレナリンは怒りの脳内物質である。

この興奮状態の中で突如として大当たりの期待が高まるとどうなるのか。脳内でドーパミンが大量に分泌される。

このドーパミンは快楽物質であり、まさに脳内麻薬と言われるものである。興奮が一気に強烈な快感に変わる。そして、快楽を消化するとベータエンドルフィンが分泌されて心地良い安堵した状態に入る。

日常生活では味わえない強烈な「興奮」と「快楽・安堵」がパチンコにある。そのため、この「興奮・快楽・安堵」のサイクルを覚えてしまうと、脳がそればかりを追い求めるようになり、それが依存症を生み出すことになる。

それはあまりにも興奮が強いので、もはや制御できない。勝ったときに味わうドーパミンは麻薬なのである。しかも、強烈な快楽が味わえたときには「金が手に入る」という報酬系も同時に刺激される。

繰り返す動機付けが発生し、依存が本能レベルで定着する。

パチンコで地獄に落ちる人は多い。あなたも、パチンコ依存で人生を吹き飛ばした人を知っているはずだ。彼らは「ドラッグ依存者」であると言っても過言ではない。そこに落ちたら、極限の地獄が待っている。

日本のどん底(ボトム)には、パチンコ依存によって這い上がれなくなってしまった人たちもいる。


どん底に落ちた養分たち
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4867350176/ref=as_li_qf_asin_il_tl?ie=UTF8&tag=blackbook2tok-22&creative=1211&linkCode=as2&creativeASIN=4867350176&linkId=1f7f18b62beeb6ad062597c7382bcc2c

『どん底に落ちた養分たち――パチンコ依存者はいかに破滅していくか(鈴木 傾城)』「こういう本を書くのだから鈴木傾城はパチンコに興味あるのか?」と思われるが、そうではなく依存者に関心がある。依存者の多くは、パチンコで作った莫大な借金を抱えて身動きできない。借金をどうしたらいいのか? この本にはその解決方法も書いている。

https://blackasia.net/?p=20530  

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コメント
1. 中川隆[-15095] koaQ7Jey 2021年11月27日 07:15:05 : hdSO61JJFU : amRXTUs4ZG00RnM=[13] 報告
「ギャンブルで負けた金はギャンブルで取り戻せ」は人生の最期になる可能性が高い
2021.11.05
https://blackasia.net/?p=8616


幸運は確率が低い。確率が低いものを追うのは合理的ではない。だから、勝つ確率の低いギャンブルに人生を賭けるのは合理的ではない。幸運の反対語は不運である。幸運の確率が低いところに賭けているのだから、「不運の確率が高い」ということに気付かなければならない。(鈴木傾城)


「幸運」を得て他人より恵まれたいという祈りにも似た気持ち
11月3日に刊行した新著『どん底に落ちた養分たち』には、パチンコ依存で生活が崩壊していった人たちを大量に紹介している。(Amazon:どん底に落ちた養分たち〜パチンコ依存者はいかに破滅していくか?)

多くの人が指摘するように、パチンコの全盛期は終わっていて、パチンコユーザーはどんどん減って中小のホールも倒産しているというのが現状だ。

ところが、未だに約890万人近くもパチンコユーザーがいて、約300万人近くが依存症か依存症に近い人たちである。

日本はカジノがないにも関わらず、世界でも有数のギャンブル依存症の患者を抱えており、その8割はパチンコやパチスロがメインなのである。

パチンコについては数十年前からたびたび問題が指摘されているにも関わらず、多額の政治献金によって厚く保護されており、今も深刻な依存者を生み出し続けている。

いったん、パチンコにハマると、そこから抜け出せなくなる。借金をしても、子供を放置しても、また会社の金を横領してもパチンコに邁進していく。

パチンコをはじめとするギャンブルは、泥沼に引きずり込まれると人間を廃人化させる。

ギャンブルをしない人間には、それの何がそんなに面白いのかまったく分からない。基本的にギャンブルとは、「幸運」を得て他人より恵まれたいという祈りにも似た気持ちで成り立っている。

自分が学歴的にもキャリア的にも技能的にも何も持たない人間であったとしても運が良ければ勝てる。だから、自分の人生を一気に逆転するために、それにのめり込む人がいる。

ギャンブルという「労働」で一攫千金が成し遂げられる?
ギャンブルは、ツキと幸運で一攫千金が成し遂げられる可能性がある。一攫千金でなくても何かしらの金が入るかもしれない。それは自分自身の能力はまったく関係ない。道ばたで金を拾ったのと同じ類いの幸運だ。

道ばたで大金を拾って誰にも返さなくてもよい、という話であれば誰もが狂喜乱舞するだろう。ギャンブルで勝つというのは、それと似たような快楽である。

だから、いったんその快楽が形成されると、もうそこから逃れられない。

パチンコを含め、すべてのギャンブルはなかなか勝てない。だからこそ、たまに勝てると強い快楽に浸れる。それがあるので、多くの人が一攫千金の期待感にのめり込み、ハマって抜けられない。

そんな人が約300万人もいるというのだから凄まじい。彼らがゾンビのようになって一攫千金を求めてうろついている。

しかし世の中をよく観察してみれば、本当に儲かっているのは、ギャンブラーではないことが分かる。儲かっているのは、場を提供している胴元の方だ。

パチンコでも、競輪・競馬・オートレース、あるいは宝くじでも同じだ。胴元が儲けている。賭ける側の人間(ギャンブラー)がたまに勝つことがあっても、総合的に見れば金を搾り取られている。

ほとんどの場合、ギャンブラーは「カモ」なのである。

ギャンブルは胴元が仕切っている。だとすれば、そのシステムの上で勝負をするのであれば、胴元の立場が強いであろうことは直感的に理解できるはずだ。

パチンコのビジネスが成り立つのは、パチンコホールが負けないシステムになっているからだ。プレイヤーの腕は長い目で見ると関係ない。

そうでないとギャンブル・ビジネスは成立しない。もし、確率的に50対50なのであれば、胴元は頻繁に破綻に追い込まれているはずだが、そうなっていない。

それはすなわち、あらゆるタイプのギャンブルでは胴元が勝つ確率が、常に50対50よりも高いことを意味している。

幸運がなかなか自分に回ってこない理由とは?
パチンコホールが駅前や郊外の広大な土地に巨大なビルを建ててホールを運営しているということは、すなわちそこに賭ける人間には不利な確率が科されているということだ。

胴元であるホールも勝つか負けるか分からないような設定をしていたら、ホールも何度破産するか分からない。普通、胴元が破産することは絶対にないのだが、それは胴元が常に勝つようにできているということを意味してる。

こんなことは秘密でも何でもない。子供であっても理屈は理解できるはずだ。

しかし、ギャンブラーは胴元が勝つのが分かっていても騙されに賭場に向かう。道ばたに金が落ちている類いの幸運を賭場に探しにいく。

幸運はそれほど世の中には転がっていない。それは、たとえば道ばたに金が落ちていて自分が拾ったという「幸運」の例で考えれば分かりやすい。

道ばたに金が落ちているのに気付く日はほとんどない。金は誰にとっても大切なものなので、人はゴミを落としても金はなかなか落とさないようになっている。

だから、金が道ばたに転がり落ちている確率はもともと少ない。さらに、道ばたに金が落ちていれば誰でも拾う。道を歩いているのは自分ひとりではない。

自分の前にも後にも何十人、何百人、何千人、何万人が歩いているのだ。これは仮に金が落ちていたとしても、自分以外の誰かが先に気付いて拾っているということだ。

金が道ばたに落ちている確率が低いのに、自分がそれを拾う確率も低い。だから、幸運はなかなか自分に回ってこない。誰でも欲しいものは、簡単に手に入らないようになっているのである。

「金が道ばたに落ちていて、それを自分が拾う」という偶然でさえも確率が低いのに、ギャンブルのように仕組まれたものであれば、もっと確率が低いのは言うまでもない。

ギャンブルは「不運の確率が高い」ゲームである
幸運は確率が低い。確率が低いものを追うのは合理的ではない。だから、勝つ確率の低いギャンブルに人生を賭けるのは合理的ではない。

幸運の反対語は不運である。幸運の確率が低いところに賭けているのだから「不運の確率が高い」ということに気付かなければならない。

ギャンブルは幸運よりも不運の確率が高いゲームなのだから、やればなるほど「不運が積み重なる」ということになる。

不運に見舞われる確率の方が高いのだから、関わるほど不運の時間が長くなる。ギャンブルにハマっていない普通の人であればすぐにその点に気付く。

しかし、もはやそんな単純な話ですらも感覚的に分からなくなってしまったのがギャンブラーである。日本だけでも、300万人近くが感覚が狂って正常でなくなっている。

ギャンブルは結局、何にしろ胴元が勝つ。それでも、多くの人が心の奥底ではそれが分かっていて、ギャンブルから逃れられない。

「ひょっとして勝てるかもしれない」
「一攫千金が自分の身に起きるかもしれない」

そのように思うと、負ければ負けるほど抜け出せなくなるのだ。抜け出せなくなって借金まみれになり、本当のどん底にまで転がり落ちたらどうするのか。

ギャンブラーは、そこで大借金をするか、金を盗むかして「最後の大一番」に望む。

「ギャンブルで負けた金はギャンブルで取り戻せ」

しかし、幸運は確率が低い。そのため映画のような見事な逆転劇もほとんどない。最後の大一番は、人生の最期になる可能性が高い。

ギャンブルに関わっている人間と付き合うべきではない理由がここにある。「不運を積み重ねる人」と付き合って、何か得することでもあるのだろうか。

https://blackasia.net/?p=8616

2. 中川隆[-15093] koaQ7Jey 2021年11月27日 07:18:15 : hdSO61JJFU : amRXTUs4ZG00RnM=[15] 報告
知らぬが仏 _ FX は『ネットパチンコ』 _ 金はすべて胴元に取られる
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/892.html

今人気沸騰の 「レバレッジ型・インバース型ETF」 は 『ネットパチンコ』
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/893.html

FX ・ 先物取引 ・ 空売り は『ネットパチンコ』、 絶対に手を出してはいけない
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/894.html

優良株の長期投資以外はすべてギャンブル
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/907.html

3. 中川隆[-14552] koaQ7Jey 2021年12月16日 07:24:58 : vuKiFnS01g : a0N4TWVORllpcXc=[10] 報告
【第38回】負けたら誰かの養分・・・パチンコ依存症の実態(鈴木傾城 × 森永康平)
2021/12/15


4. 2021年12月22日 08:29:38 : dFWaWpqW2w : MDFPdlB3Uno4eFE=[15] 報告
【第39回】ゆとり教育が格差社会の原因?どん底に落ちないために(鈴木傾城 × 森永康平)
2021/12/20

5. 中川隆[-14476] koaQ7Jey 2021年12月24日 03:37:07 : zPeXbWXQFc : RlBrUHl2NnpoOEU=[1] 報告
パチンコは「欲望」「攻撃本能」「多幸感」の3つを刺激しながら客を落としていく
2021.12.24
https://blackasia.net/?p=21418


最初は何か勝利に結びつくような黄金のパターンがあるのではないかと考えを巡らし、トライし、検証するわけで、頭も勝つことに集中している。しかし、すぐに疲れ果て、惰性と化して生きた屍のような目をして、ほとんど何も考えずに台に向かうようになる。(鈴木傾城)


ありとあらゆるギャンブルは一攫千金のワナを張る
今日、横浜に行ったのだが、用事が終わって急いで東京に戻ろうと思った時、ふと道の真ん前にパチンコホールがあるのが目に付いた。街はクリスマスのデコレーションで派手に飾っているが、パチンコホールも灯りがネオンがギラついて負けていない。

『どん底に落ちた養分たち』でのパチンコ依存者の取材も終わって彼らとは縁が切れたはずなのに、私は気になって引き寄せられるようにパチンコホールに入っていく。ガラス戸が開くと、相変わらずの大音響が洪水となって押し寄せる。

その中で、やはり性別問わず多くの人がギラつく台の前にびっしりと張りついてギャンブルに昂じている姿があった。彼らは街の浮かれたようなクリスマス気分も何も関係ない。ただ、目の前で不規則に跳びはねる銀の玉だけが彼らの世界である。

「相変わらずだな……」と私は思いつつ、しばらく彼らを見て回ってからそこを去った。ギャンブルにのめり込む人はギャンブルから離れられない。これからもずっと、のめり込み続けていくのだろう。

そして月末はジャンボ宝くじの季節だ。やはり、街のそちこちで宝くじ売り場があって、多くの人が一攫千金を狙って並んでいる。

ギャンブルはたまに勝つようにシステム化されている。確率は低いが、一攫千金が得られることもある。一気に大金を手に入れた時、人は思いもしなかった幸運に雄叫びを上げて喜ぶ。

勝った時の凄まじいカタルシス、勝った時のドーパミンの大量分泌、勝った時の得も知れぬ多幸感……。一攫千金を成し遂げた時の「極度の興奮」は一度味わうと病みつきになって、人によってはその一瞬でギャンブル依存の道を歩み出す。

一攫千金は人生の大逆転であり、幸運の巡り合わせだ。

だから、多くの人が一攫千金の夢を見る。たまたま、一攫千金を当てた人はよりギャンブルに堕ちていき、一攫千金をが欲しい人もギャンブルを何度も繰り返す。だから、ありとあらゆるギャンブルは一攫千金を徹底的にアピールし、宣伝する。

「ギャンブルで一発当てた人」を宣伝し、そういう幸運が誰にも訪れる瞬間があることを徹底的に知らしめる。つまり「一攫千金」というワナを張る。

パチンコは間違いなく客に不利なゲームなのだ
もっとも、宝くじのような「一攫千金」は億単位の賞金が当たる反面、買って保管しておくだけなので熱意を保ち続けるようにはなっていない。問題はパチンコやパチスロだ。

これらのギャンブルは億単位を一晩で稼ぐことはできないのだが、10万円だとか30万円だとかを当てることはある。

その金額は一攫千金ではないが、リアルで即物的だ。しかも、宝くじのように忘れた頃に当たったかどうかが分かるのではなく、目の前で結果が出る。射幸心が煽られる。

当たった時の高揚心は一攫千金も同様なのである。しかも、長時間「戦った」末の勝負で勝った時は、満足感もひとしおだ。その満足感がまさに「射幸心」だ。この射幸心がギャンブル依存症を悪化させる。

パチンコホールが、客に大当たりを連発させて破産したという話は聞いたことがない。しかし、客がパチンコにのめり込んで破産したという話は履いて捨てるほど聞く。ということは、パチンコは間違いなく客に不利なゲームなのだ。

パチンコだけではない。すべてのギャンブルは徹頭徹尾「胴元が有利」になっていて、客は胴元に転がされているだけの存在だ。しかし、100%胴元が勝ってばかりいると、それはギャンブルにならない。

客にも、たまに勝たせて夢を見させる。たまに勝たせてドーパミンを放出させる。たまに勝たせて有頂天にさせる。そして、たまに勝たせてギャンブル依存に落とし込み、徹底的に搾取する。

ギャンブルはトータルで見るとほとんどが「負け戦」なのだが、たまに勝つことがある。その「たまに勝つ」という現象が、ギャンブル依存をより深めるワナとなっている。

ほとんどの依存者は、それがワナであるかどうかというよりも、「とにかく勝ちたい」「勝率を上げたい」という意識が強いので、ますます深みにハマる。つまり、みすみす仕掛けられたワナに堕ちていく。

パチンコの場合、厄介なのはひたすらイスに座って台を見つめて「作業」をしているのだが、それがあたかも仕事をしているかのような錯覚になってしまうことだ。それは紛れもなくギャンブルであって労働ではないのだが、まるで真っ当な労働をしているかのような錯覚にとらわれるのだ。

最初は何か勝利に結びつくような黄金のパターンがあるのではないかと考えを巡らし、トライし、検証するわけで、頭も勝つことに集中している。

しかし、すぐに疲れ果て、惰性と化して生きた屍のような目をして、ほとんど何も考えずに台に向かうようになる。惰性が永遠に続く。そして、たまに勝つと一気にドーパミンが脳内で放出されて多幸感を得る。労働の対価が得られたような感覚はますます強まる。

しかし、それは労働でも何でもない。もし、勝てなかった場合、時間と共に金も失っている。「長い作業の果てに金を失う」というのは労働ではない。しかし、パチンコにのめり込んでいる依存者は、そこに思い至ることはない。


射幸心を極限まで煽り立てるパチンコ
パチンコは「金を手に入れることができるかもしれない」という根深い欲望を強烈に刺激する。パチンコは人間が本来持っていた攻撃本能をも刺激する。そしてパチンコは、勝った時に多幸感を得ることができる。

つまり、パチンコは「欲望」「攻撃本能」「多幸感」の3つを刺激しながら、客を引き返せないところにまで追い込んでいく仕組みになっている。この「欲望」「攻撃本能」「多幸感」もまた、客をギャンブル依存症に落とし込むための用意されたワナなのである。

これはもちろんパチンコホールが考えたというよりも、すべてのギャンブルが持っている基本的な仕掛けである。

パチンコはそこに「多種多様な演出」を組み込んで、ギャンブルが持つ射幸心を極限まで煽り立てる。パチンコ店に入った時のあの大音響、パチンコ台が放つ光の洪水、そして様々な効果音、大当たりを当てた時の大爆音、バイブするボタン……。

それこそ、視覚・聴覚・触覚のすべてを極度の過剰な演出で埋め尽くしていき、客を離れられなくしていく。この過度な演出空間もまたパチンコ産業が意図的に仕掛けたワナである。

客が長時間そこに居座り、勝てるようで勝てない、勝てないようで次は勝てそうな演出を何度も何度も繰り返して、過剰に煽り立てていくと、客はもはや通常の感覚をどんどん喪失して、パチンコの強い刺激しか反応しなくなっていく。

パチンコから離れた日常は、あまりにも刺激がなくて生きているような気がしなくなっていく。

普通に生きていることが物足りなくなる。

過剰な演出に包まれている刺激的な空間に長くなればなるほど、パチンコホールの非日常的な空間だけしか自分を満たしてくれるものがなくなっていく。そして、仕掛けられたワナにどっぷりとハマって、ギャンブル依存症ができあがる。

店内ATM、銀行、消費者金融、コンビニもワナに
パチンコはやり始めると途中でやめられなくなる。あらゆる演出が為されて「あと少しで勝てるかもしれない」「次は勝てるかもしれない」「勝つまで終わらせることができない」という気持ちになっていくからだ。

大穴を当てて勝てば、攻撃本能も極度に刺激されているので「ツイてる。もっと勝てるかもしれない」という気持ちに傾く。そして、せっかく勝った金も終わる頃になるとすべて持っていかれる。

「もっと勝てるかもしれない」と思ってしまうのも、ギャンブル依存者が持つ特有の感情なのだが、パチンコ産業はこうしたギャンブル依存者が持つ心理を非常に良く研究している。

パチンコホールは、とにかく客に長く座らせて、「ツイてる。もっと勝てるかも」と思わせ、費やす時間に比例してどんどん賭け金を増やすように仕向ける。

勝負に熱くなった客や、勝てなくてイライラして「このままでは終われない」と思っている客や、「とにかく少しでも勝って金を持って帰りたい」と思っている客は、金を儲けたいと思っていながら、どんどんATMで金を引き出して玉に費やす。

ちなみに、パチンコホール内にATMがある店も存在する。賭け金がなくなっても、そこで金を降ろすなり、借りるなりして金を手に入れてまたパチンコ台に向かう。

このパチンコホール内のATMは違法ではないのだが、カジノを含む統合型リゾート施設(IR)整備の一環として、政府が『ギャンブル依存症対策推進基本計画』を閣議決定したことによって、業界は空気を読んで「撤去する」と言っている。

しなしながら、パチンコホール内のATMが撤去されたとしても何の影響もないだろう。パチンコホールのまわりにはなぜかポツリとATMがあったり、パチンコ屋の隣が消費者金融の店だったり、目の前がコンビニだったり銀行だったりする。

最近はコンビニでもATMが設置されているので、パチンコに狂っている客にとってはコンビニも銀行みたいなものだ。そこで金を降ろして、缶ジュースでも買って、またパチンコホールに戻ってパチンコに没頭する。

店内ATM、銀行、消費者金融、コンビニのような店も、ギャンブル依存症の人間にとってはすべてが依存を深め、どん底に転がり落ちるワナと化す。かくして、日本には数十万人ものギャンブル依存症者が、街をさまよい歩く国と化した。

今日も、彼らがパチンコにのめり込んでいる姿を私は見た……。


『どん底に落ちた養分たち――パチンコ依存者はいかに破滅していくか(鈴木 傾城)』
https://www.amazon.co.jp/gp/product/4867350176/ref=as_li_qf_asin_il_tl?ie=UTF8&tag=asyuracom-22&creative=1211&linkCode=as2&creativeASIN=4867350176&linkId=1f7f18b62beeb6ad062597c7382bcc2c


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