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ウォール街・CIAが支援するネオナチ
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1510.html
投稿者 中川隆 日時 2022 年 2 月 26 日 12:02:00: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 今も続く東西冷戦の背景 投稿者 中川隆 日時 2021 年 7 月 06 日 12:48:45)

ウォール街・CIAが支援するネオナチ

2022.02.26XML
ウクライナ大統領がロシア大統領に交渉を要請
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202202250001/

 ウクライナのボロディミル・ゼレンスキー大統領はロシアのウラジミル・プーチン大統領に対して交渉の席に着くことを求めている。ロシアのセルゲイ・ラブロフ外相は交渉の用意があるとしたものの、武装勢力が武器を置くことを条件にした。

 今回の軍事作戦でロシア政府が最も重要視しているのはネオ・ナチの排除だろう。アメリカの支配層は1930年代からナチスをはじめとするファシスト、第2次世界大戦の終盤からはマフィア、1970年代からはイスラム系のカルトとも言うべきワッハーブ派やムスリム同胞団、あるいは麻薬業者や少数民族を手先として利用してきた。

 第2次世界大戦後、アメリカはナチスの幹部や協力者の逃亡を助け、保護し、場合によっては利用してきた。保護する傍らでさまざまな訓練を行い、ソ連が消滅した後には出身国、あるいは親の出身国へ送り返してアメリカの工作に使っている。

 ウクライナのネオ・ナチはステファン・バンデラの信奉者で、OUN・B(ウクライナ民族主義者機構バンデラ派)の系譜に連なる。この一派はOUNの中でも反ロシア色が濃いグループで、そのリーダーがバンデラだった。

 このOUN・Bをイギリスの情報機関MI6のフィンランド支局長だったハリー・カーが雇うが、その一方でドイツが資金を提供、バンデラの側近だったミコラ・レベジはクラクフにあったゲシュタポ(国家秘密警察)の訓練学校へ入る。OUN・Bは、いわばMI6とゲシュタポのハイブリッドだ。

 1943年の春にOUN・BはUPA(ウクライナ反乱軍)として活動を始め、その年の11月に「反ボルシェビキ戦線」を設立。大戦後の1946年4月に反ボルシェビキ戦線はABN(反ボルシェビキ国家連合)になる。

 ABNは中央ヨーロッパをカトリックで支配しようというインターマリウム構想の勢力と連合、バンデラの側近だったヤロスラフ・ステツコが指揮するようになり、1948年にアメリカでは極秘のテロ組織OPCが設立され、アルバニア対する工作を最初に行う。この極秘組織とステツコたちは連携するが、ソ連のスパイだったMI6のキム・フィルビーからソ連側へ情報は伝えられていた。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 東アジアでは1954年にAPACL(アジア人民反共連盟、後にアジア太平洋反共連盟に改名)が組織されるが、このAPACLとABNは1966年に合体してWACL(世界反共連盟。1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)になる。この組織がCIAと緊密な関係にあったことは広く知られている。(Scott Anderson & Jon Lee Anderson, “Inside the League”, Dodd, Mead & Company, 1986)

 ウクライナのネオ・ナチを率いているひとり、「右派セクター」のドミトロ・ヤロシュは昨年11月から参謀長の顧問を務めているが、この人物は2007年頃からNATOの秘密部隊ネットワークに参加していると言われ、西側の有力メディアが売り出している「アゾフ大隊(またはアゾフ連隊)」を率いている人物はヤロシュの部下だ。

 現在のウクライナ体制はアメリカを後ろ盾とする暴力的なクーデターにより、選挙で選ばれた政権を倒して築かれた。そのクーデターの主体がネオ・ナチなのだが、それを認める人間はナチズムを支持していることになる。

 クーデターの際、キエフで治安部隊だけでなく市民をネオ・ナチが虐殺していたことは本ブログでも繰り返し書いてきた。クーデターで排除されたビクトル・ヤヌコビッチ大統領の支持基盤である東部や南部でも住民が惨殺されている。ドンバス(ドネツクやルガンスク)は東部、クリミアやオデッサは南部にある。ネオ・ナチによるオデッサでの住民虐殺は凄惨なものだが、西側では大きな問題になってこなかった。そうした状況がロシアの軍事作戦で変わる可能性がある。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202202250001/  

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コメント
1. 2022年2月27日 12:20:19 : lu1kTkepFQ : LnlCZ0hteUowRTY=[4] 報告
2022.02.27XML
ウクライナ大統領がロシアに停戦交渉を要請したが、その後、交渉を拒否と発表
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202202270000/

 ウラジミル・プーチン露大統領はアメリカ/NATOに対し、ロシアの安全を文書で保証するように求めてきたが、アメリカのジョー・バイデン大統領、アントニー・ブリンケン国務長官、EUのジョセップ・ボレル外務安全保障政策上級代表、あるいはNATOのイェンス・ストルテンベルグ事務総長などはプーチンに対して唾を吐きかけてきた。そこで警告通り、ロシア政府は自らの手で自らの安全を確保することにしたわけである。

 2月21日にプーチン大統領はドンバス(ドネツクやルガンスク)の独立を承認、ドンバスで「特殊軍事作戦」を実施すると発表した。プーチンがウクライナのボロディミル・ゼレンスキー大統領に求めているのは4点。クリミアとセバストポリがロシア領だと認めること、ウクライナはNATOへの加盟を断念すること、ルガンスクと入植について話し合うこと、そしてウクライナは非武装化(攻撃的な軍事施設や兵器を持たない)して中立を宣言することだ。西側では「ゼレンスキー大統領の排除」をロシア軍は目指していると宣伝しているが、ネオ・ナチ(ステファン・バンデラの信奉者)の一掃が大きな目的だと見られている。

 ゼレンスキー大統領は2月24日にウクライナが孤立していると発言した。これまでウクライナを利用してロシアを挑発、恫喝してきたアメリカ/NATOは隠れてしまい、ウクライナが取り残されたということだ。

 2月25日にゼレンスキーはロシア政府に対し、中立化について話し合う用意があると発言、イスラエルに仲介を依頼したという。ロシア政府は代表団をベラルーシのミンスクへ派遣する用意があると答えている。

 これに対し、アメリカ政府はロシアとの外交関係を断絶した。通常、これは戦争へ向かうことを意味する。2月26日にゼレンスキー大統領のミハイル・ポドリャク顧問は交渉を拒否しすると発言したが、これはアメリカやネオ・ナチの意向だろう。

 アメリカ側の反応を見ると、ロシアの反応が想定を超えていたように思える。イスラエルやアメリカを後ろ盾とするジョージアが2008年8月に南オセチアを奇襲攻撃、ロシア軍の反撃で惨敗しているが、せいぜいその時の攻撃止まりと考えていたのかもしれない。おとなしくしていた「熊」を「鷲」が挑発、その「熊」が立ち上がったので「鷲」は驚いたといったところだろう。いや、「鷲」ではなくある種の「鷹」と言うべきかもしれない。

 こうした流れの中、アメリカ政府はゼレンスキーに対して「避難」させると提案、ゼレンスキーはキエフからルボフへ飛行機で向かったと伝えられている。ゼレンスキーを手元に置き、ウクライナを混乱へと導くつもりかもしれない。

 アメリカ政府は軍を使い、フィリピンの大統領だったフェルディナンド・マルコスを1986年2月に拉致し、国外へ連れ出した。亡命したわけではない。この作戦を指揮したのはネオコンの大物として知られているポール・ウォルフォウィッツだったと言われている。マルコスに限らず拉致して幽閉するということをアメリカは行うことがある。ロシア政府とウクライナ政府の交渉は当面、難しそうだ。

 いずれにしろ、ロシア側はネオ・ナチの排除を放棄するとは思えないが、このネオ・ナチに反発しているウクライナ国民は少なくない。この目的が達成でき、ウクライナがアメリカ/NATOの軍事的な支配地になることを阻止できるなら合意は可能だろう。

 プーチン大統領がドンバスの独立を承認する直前、2月17日頃からウクライナの軍、あるいは親衛隊からのミサイル攻撃が激しくなり、住民がロシアへ避難していると伝えられている。その後、攻撃はエスカレートするが、ウクライナ国家安全保障国防会議のオレクシー・ダニロフ議長は軍に「ドンバス解放」を命令していないと発言、​オレクシー・レズニコフ国防相​はロシアと大規模な軍事衝突に発展する可能性は小さいと語っていた。しかしドンバスに対する攻撃が激しくなっていたことは事実。ロシア側はこの攻撃の命令がNATOから出ていると考えていたようだ。

 NATOを後ろ盾とする親衛隊がドンバスへの何らかの軍事作戦を始めようとしていたなら、ロシアとの国境近くにネオ・ナチの戦闘員が集中し、アメリカやイギリスの特殊部隊や傭兵もいた可能性がある。つまりネオ・ナチを排除するためには好都合だと言えるだろう。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202202270000/


2022.02.27XML
ロシア軍とNATOの秘密部隊ネットワークの戦いという様相を呈してきた
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202202260001/

 アメリカにジョー・バイデン政権が誕生したのは2021年1月。それ以来、アメリカ/NATOはウクライナへ武器/兵器を含む軍事物資を運び込む一方、ウクライナ周辺で軍事的な挑発を繰り返してきたことは本ブログでも繰り返し書いてきたが、その一方でCIAが2015年からネオ・ナチに対する軍事訓練を行っていたとも伝えられている。

 それに対し、ロシアのウラジミル・プーチン大統領は2月21日にドンバス(ドネツクやルガンスク)の独立を承認、ドンバスにおける「特殊軍事作戦」を実施すると発表した。その後の展開を見ると、アメリカが作り上げた、より正確に言うならCIAが組織したネオ・ナチを主体とする親衛隊がロシア軍と戦っているようだ。

 ウクライナにおけるネオ・ナチのリーダー、ドミトロ・ヤロシュは昨年11月から参謀長の顧問を務めていると伝えられている。ヤロシュが率いる「右派セクター」は2014年2月のクーデターで住民に対し、特に残虐な行為をしていた。

 ヤロシュは2007年頃からNATOの秘密部隊ネットワークに参加しているとも言われ、西側の有力メディアが売り出している「アゾフ大隊(またはアゾフ連隊)」を率いている人物はヤロシュの部下。つまりウクライナにおける戦闘の背後にはNATOの秘密部隊ネットワークが存在している可能性が高い。

 外交問題評議会(CFR)が発行している定期刊行物「フォーリン・アフェアーズ」に掲載された​ダグラス・ロンドン​の記事によると、ロシアが東部や南部での軍事作戦で終わらせようと考えてもウクライナ側が戦闘をやめないとしている。

 ウクライナのボロディミル・ゼレンスキー大統領は2月24日にウクライナが孤立していると発言、25日にはロシア政府と中立化について話し合う用意があると発言、ロシア政府は代表団をベラルーシのミンスクへ派遣する用意があると応じた。

 こうした動きはアメリカ側の作戦を揺るがすことになる。26日にゼレンスキー大統領のミハイル・ポドリャク顧問が交渉を拒否しすると発言したが、これはアメリカやネオ・ナチの意向だろう。アメリカ政府はゼレンスキーに対して「避難」させると提案、ゼレンスキーはキエフからルボフへ飛行機で向かったと伝えられているが、拉致だったとしても驚かない。

 ​バラク・オバマ大統領の命令で2015年からCIAの「グラウンド・ブランチ(現在はグラウンド・デパートメント)」がウクライナ軍の特殊部隊員などをアメリカの南部などで秘密裏に訓練​しているとする情報も伝えられている。ウクライナでアメリカ政府がネオ・ナチを使ったクーデターを成功させたものの、クリミアとドンバス(ドネツクやルガンスク)の制圧に失敗したことから始められたという。つまり目的はクリミアやドンバスの制圧だ。

 ダグラス・ロンドンはCIAの秘密工作部門に所属していたというが、この部門の歴史は第2次世界大戦の終盤までさかのぼることができる。

 第2次世界大戦においてヨーロッパでドイツと戦った国は事実上、ソ連だけである。ドイツ軍は1941年6月にソ連へ向かって軍事侵攻を始める。バルバロッサ作戦だが、この作戦に投入した戦力は約310万人。西側には約90万人を残すだけだった。これだけ西側を手薄にする行為は非常識といえるが、軍の意見を無視して命令したのはアドルフ・ヒトラーだった。

 ドイツ軍は7月にレニングラードを包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点に到達、10月の段階でドイツだけでなくイギリスもモスクワの陥落は近いと考えていた。

 ところが年明け直後にドイツ軍はモスクワで敗北、8月にスターリングラード市内へ突入するが、ここでもソ連軍に敗北し、1943年1月に降伏。この段階でドイツの敗北は決定的になった。

 慌てたイギリスやアメリカはすぐに善後策を協議、1943年7月に両国軍は犯罪組織の協力を得てシチリア島へ上陸、ナチスの幹部はアレン・ダレスたちと接触し始める。サンライズ作戦だ。その後、アメリカの軍や情報機関はナチスの幹部や協力者を逃走させ、保護、そして雇用する。ラットライン、ブラッドストーン作戦、ペーパークリップ作戦などだ。

 ダレスはアメリカの戦時情報機関OSSの幹部だったが、ウォール街の大物弁護士でもあった。ナチスを資金面から支えていたのはウォール街やシティ、つまりアメリカやイギリスの巨大金融資本である。例えばディロン・リード、ブラウン・ブラザース・ハリマン、ユニオン・バンキングなどがそうしたパイプだった。

 ウォール街とファシストとの関係を明らかにする出来事が1933年から34年にかけてアメリカで引き起こされている。ウォール街の傀儡だったハーバート・フーバーが1932年の大統領選挙でニューディール派のフランクリン・ルーズベルトに敗北、ウォール街は在郷軍人会を利用してクーデターを行おうと計画したのだ。

 計画の中心的な存在だったJPモルガンは司令官としてダグラス・マッカーサーを考えていたが、人望があり、軍の内部への影響力が大きいスメドリー・バトラーを取り込まないとクーデターは無理だという意見が通り、バトラーに働きかける。このバトラーは憲法を遵守するタイプの人物だったため、計画内容を聞き出した上でカウンタークーデターを宣言し、議会で詳細を明らかにしている。その証言は議会の公式記録として残っているので、誰でも確認できる。

 大戦中、西ヨーロッパで誰もドイツ軍と戦わなかったわけではない。レジスタンスだが、その主力はコミュニストだった。そのレジスタンス対策として大戦の終盤にアメリカやイギリスの情報機関はゲリラ戦部隊を編成した。それが「ジェドバラ」だ。

 戦争が終わった後、その部隊を基盤にしてアメリカでは特殊部隊や極秘の破壊工作部隊OPCが組織され、OPCが核になってCIAの秘密工作部門は編成された。

 その一方、ヨーロッパでもアメリカやイギリスの情報機関人脈が秘密部隊を組織している。1949年に北大西洋条約が締結されてNATOが登場すると、秘密部隊はNATOへ入り込みむ。1957年からはCPC(秘密計画委員会)の下部組織ACC(連合軍秘密委員会)を通じてアメリカやイギリスの情報機関がNATOの秘密部隊ネットワークを操っているともいう。

 全てのNATO加盟国に秘密部隊は設置されているが、イタリアのグラディオは特に有名だ。1960年代から80年代にかけて「極左」を装って爆弾攻撃を繰り返していた。左翼勢力に対する信頼をなくさせ、社会不安を高めて治安体制を強化することが狙いだ。そのかん、クーデターも計画している。こうしたNATOの秘密部隊ネットワークにドミトロ・ヤロシュは組み込まれている可能性がある。

 2014年のクーデター当時、ポーランドで伝えられていた情報によると、クーデターの主体になったネオ・ナチは2004年からバルト3国にあるNATOの訓練施設で軍事訓練を受けていたという。2013年9月にはポーランド外務省がクーデター派の86人を大学の交換学生を装って招待、ワルシャワ郊外にある警察の訓練センターで4週間にわたり、暴動の訓練を受けたとも伝えられている。ネオ・ナチのグループにはシリアやチェチェンでの実戦経験のある人物も含まれていた。

 今後、アメリカ/NATOはウクライナの親衛隊へ武器や資金を供給、特殊部隊や傭兵も送り込み、ロシアを泥沼へと引きずりこもうと考えているだろうが、これはロシアも想定していたはずだ。それでも軍事作戦を決断しなければならない状況にあったと言うことだろう。少なくともプーチン政権はそう判断した。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202202260001/

2. 中川隆[-13623] koaQ7Jey 2022年2月28日 08:56:58 : mkl3sc5Em6 : c05NYWpNU0h2RTY=[6] 報告
2022.02.28XML
米国や英国の支配層とナチスの関係は今でも続いている
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202202270002/

 ロシアのウラジミル・プーチン政権がウクライナに対して軍事作戦に出た原因はアメリカがロシアを制圧する意志を変えず、経済的、あるいは軍事的に恫喝し続けてきたからである。それでもロシアは繰り返し交渉を試みているが、アメリカの元政府高官からも無理だと言われていた。

 アメリカの政策決定者が身勝手なことは日本も1980年代から90年代にかけて経験しているはずだが、そのアメリカに歯向かうことはなかった。1980年代にアメリカはソ連内部の腐敗勢力と手を組んで1991年12月にソ連を消滅させ、その富を奪った。その手先が「オリガルヒ」と呼ばれる富豪になる。

 ソ連が消滅した直後の1992年2月にアメリカの国防総省はDPG(国防計画指針)草案として世界制覇プランを作成した。その最高責任者は国防長官だったリチャード・チェイニー。その下にいたポール・ウォルフォウィッツ国防次官が中心になって書き上げられたことから「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。

 DPG草案のベースを考えたのは国防総省内部のシンクタンクONAで室長を務めていたアンドリュー・マーシャル。この人物はバーナード・ルイスなる学者から世界観を学んだのだが、そのルイスはイギリスで情報活動に従事したことがあり、イスラエルやサウジアラビアを支持。つまりイギリスの長期戦略に基づいてい動いていた。マーシャルもルイスもソ連や中国を脅威だと考えていた。(Robert Dreyfuss, “Devil’s Game”, Henry Holt, 2005)

 アメリカは「唯一の超大国」になったという前提で、まだ従属度の足りない国々を潰す一方、潜在的なライバルを潰すとしている。西ヨーロッパ、東アジア、旧ソ連圏、南西アジアがライバルに成長しないように全力を挙げるだけでなく、エネルギー資源を支配し、アメリカ主導の新秩序を築き上げるというビジョンを打ち出していた。ネオコン系のシンクタンクだったPNAC(新しいアメリカの世紀プロジェクト)は2000年に『アメリカ国防の再構築』という報告書を公表しているが、そのベースはウォルフォウィッツ・ドクトリンであり、2001年1月から始まるジョージ・W・ブッシュ政権はこの報告書に基づいて政策を決めていた。

 ブッシュ政権はアメリカ国内でファシズム化、国外で侵略戦争を推し進めたが、それを可能にしたのは2001年9月11日の出来事。ニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、人びとがショックで茫然自失している間に世界は大きく変化した。

 ウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官によると、ウォルフォウィッツは1991年の段階でイラク、シリア、イランを殲滅すると語り、2001年9月11日の10日ほど後にドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺はイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、イラン、スーダンを攻撃対象国リストに載せていたという。(​3月​、​10月​)

 ヨーロッパではNATOが1999年3月にユーゴスラビアを先制攻撃、解体してから東へ拡大、ロシアへ肉薄していく。つまりチェコ(1999年3月)、ハンガリー(1999年3月)、ポーランド(1999年3月)、ブルガリア(2004年3月)、エストニア(2004年3月)、ラトビア(2004年3月)、リトアニア(2004年3月)、ルーマニア(2004年3月)、スロバキア(2004年3月)、スロベニア(2004年3月)、アルバニア(2009年4月)、クロアチア(2009年4月)、モンテネグロ(2017年6月)、北マケドニア(2020年3月)。そしてアメリカはウクライナへ手を伸ばした。

 ウクライナは人工的に作られた国で、何度も領土が付け加えられてきた。宗教的には西側のカトリックと東側の東方正教会で別れ、これは言語の差にも表れている。西部はウクライナ語、東部や南部はロシア語。選挙の際にも支持者が別れる。

 2004年11月の大統領選挙で勝利したビクトル・ヤヌコビッチは東部と南部を地盤とする政治家でロシアとの関係を重視、つまり欧米支配層にとって好ましくない人物だった。そうした人物を当選させた選挙を彼らは「不正」だと宣告、社会的な混乱が仕組まれる。「オレンジ革命」だ。その結果、アメリカに好かれていたビクトル・ユシチェンコにすげ替えられた。

 ユシチェンコの下で首相になったひとりで投機家のジョージ・ソロスをパトロンにしていたユリア・ティモシェンコはネストル・シュフリチと電話で話した際、ロシア人を殺すと繰り返していたことも判明している。こうした心理が2014年のクーデター以降にも表れている。

 ウクライナの西部では反ロシア感情が強く、1920年代にはOUN(ウクライナ民族主義者機構)が組織されている。またその当時、バルト海からエーゲ海まで、つまり中央ヨーロッパをカトリックで統一しようという動きがあり、インターマリウムが組織された。

 OUN・B(ステファン・バンデラ派)はイギリスの情報機関MI6やドイツのゲシュタポ(国家秘密警察)と関係があるが、インターマリウムはイギリスやフランスの情報機関から支援を受けていた。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 イギリスでは19世紀からユーラシア大陸の周辺部を支配して内陸部を締め上げ、最終的にロシアを制圧して世界の覇権の握るという考えがあり、それをハルフォード・マッキンダーという学者が20世紀初頭にまとめている。この戦略はジョージ・ケナンの「封じ込め政策」やズビグネフ・ブレジンスキーの「グランド・チェスボード」につながり、この発想が第1次世界大戦や第2次世界大戦でも表れていた。

 ビクトリア女王の時代、イギリスの政策を決定していたグループに所属していたセシル・ローズは1871年にNMロスチャイルド&サンの融資を受けて南部アフリカでダイヤモンド取引に乗り出して大儲けした人物だが、1877年に彼は「信仰告白」を書いている。その中で彼はアングロ・サクソンを世界で最も高貴な人種だと表現、その人種が支配地域を広げることは義務だとしていた。ローズの告白を読むと、イギリスやアメリカを支配している人びとの行動を理解しやすい。

 マッキンダーの戦略に出てくるユーラシア大陸の周辺部を締め上げる三日月帯の東端は日本。日本はイギリスやアメリカの戦略にとって重要な位置にあり、日本人は彼らの傭兵的な役割を果たしてきた。これは本ブログで繰り返し書いてきたことだ。日本のエリートは米英の支配者に従属することで地位と富を維持してきたと言えるだろう。アメリカの支配は永遠に続き、そのアメリカは「善」であり、日本はアメリカに従うべきだと彼らが考えたいのは当然だ。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202202270002/

3. 中川隆[-13618] koaQ7Jey 2022年3月01日 12:49:38 : 6oimzvqJ1E : eWhINHdRc1pwYk0=[7] 報告

2022.03.01XML
ロシアとウクライナが交渉を始めたが、米英を後ろ盾とするネオ・ナチは健在
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202202280002/


 ロシアとウクライナの代表による交渉が2月28日に始まったが、戦闘の終結に向かうかどうかは不明だ。ボロディミル・ゼレンスキー大統領が軍や親衛隊を掌握できていない可能性もあり、交渉の期間を利用してアメリカ/NATOを後ろ盾とするネオ・ナチが戦闘体制を整えることも考えられる。

 アメリカのジョー・バイデン大統領が昨年1月、大統領に就任した。それ以来、ロシアの「縄張り」とも言うべき黒海へ軍艦を入れ、軍用機を飛行させて恫喝、あるいは挑発してきた。国境近くに数万人規模の部隊を集結させたこともある。

 2009年1月から17年1月にかけてバイデンはバラク・オバマ政権の副大統領を務めたが、その時もロシアとの関係を悪化させる政策を推進していた。オバマ、バイデン、あるいはヒラリー・クリントンの背後にいる勢力の意向だろう。

 1980年代のアメリカは旧保守と新保守が対立していたが、1991年12月にソ連が消滅してから新保守の影響力が強まり、2001年9月11日の出来事で新保守が主導権を完全に握ったように見える。2001年1月から大統領はジョージ・W・ブッシュだ。

 ネオコンに担がれていたブッシュ大統領は国内をファシズム化する一方、正規軍を使って他国を侵略、殺害、破壊、略奪を繰り返すことになるが、これは新保守が1992年2月に立てた計画に沿っていた。

 アフガニスタンやイラクは正規軍で攻め込んだが、思惑通りに進まず、オバマ時代の2010年頃からズビグネフ・ブレジンスキーが考え出したジハード傭兵を使った侵略に切り替えた。今でもジハード傭兵はアメリカの手先として活動しているが、ウクライナではネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)が使われている。

 バンデラは1920年代からOUN(ウクライナ民族主義者機構)の幹部だった人物。リーダーのイェブヘーン・コノバーレツィが1938年に暗殺されると、OUN内で反ロシア感情の強いメンバーがバンデラの周辺に集まり、41年3月に分裂、バンデラ派はOUN-Bと呼ばれるようになる。そして1941年6月にバルバロッサ作戦が始まった。

 このOUN・Bをイギリスの情報機関MI6のフィンランド支局長だったハリー・カーが雇う一方、ドイツが資金を提供し、バンデラの側近だったミコラ・レベジはクラクフにあったゲシュタポ(国家秘密警察)の訓練学校へ入った。

 アメリカやイギリスの金融資本はナチスを資金面から支えていたことが明らかになっている。例えばディロン・リード、ブラウン・ブラザース・ハリマン、ユニオン・バンキングなどの金融機関がそうした資金を流すパイプだった。

 その経営陣にはジョージ・ハーバート・ウォーカー、その義理の息子であるプレスコット・ブッシュ、ブッシュと同じエール大学のスカル・アンド・ボーンズに入っていたW・アベレル・ハリマンも含まれている。

 プレスコットが働いていたウォール街にはアレン・ダレスという弁護士もいて、ふたりは親しくなる。プレスコットの息子、ジョージ・H・W・ブッシュは1976年1月から77年1月にかけてCIA長官を務めることになるが、偶然ではないだろう。

 ブラウン・ブラザース・ハリマンやユニオン・バンキングでプレスコットはW・アベレル・ハリマンと重役仲間だったが、このふたりはエール大学で学生結社のスカル・アンド・ボーンズに入っていた。ハリマンの弟子にあたる人物がジョー・バイデンである。

 JPモルガンをはじめとするウォール街の住人たちとファシズムとの関係が明確になったのは1933年から34年にかけて計画されたクーデターだ。ニューディール派を率いるフランクリン・ルーズベルトが1932年の大統領選挙で勝利、それに危機感を抱いたウォール街がニューディール派の排除を目論んだのである。

 ウォール街のクーデター派はドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしていた。彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領への信頼感を失わせるようなプロパガンダを展開、50万名規模の組織を編成して恫喝して大統領をすげ替えることにしていたという。

 計画の中心的な存在だったJPモルガンは司令官としてダグラス・マッカーサーを考えていたが、人望があり、軍の内部への影響力が大きいスメドリー・バトラーを取り込まないとクーデターは無理だという意見が通り、バトラーに働きかけた。

 しかし、バトラーは憲法を遵守する考えの持ち主。そこで計画を聞き出した上でカウンタークーデターを宣言、議会で詳細を明らかにしている。

 バトラーから話を聞いたジャーナリストのポール・コムリー・フレンチはクーデター派を取材、「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」という発言を引き出している。金融資本は親ファシズム。第2次世界大戦の終盤からアメリカの情報機関などはナチスの高官や協力者を保護、逃亡させ、雇い入れているが、これは必然だった。

 もし、ルーズベルトが大統領を続けていたなら、大戦後にウォール街とナチスとの関係にメスが入った可能性が高いが、ドイツが降伏する前の月、つまり1945年4月に急死してしまった。そして、戦後に始まるのは反ファシスト派の弾圧、いわゆる「赤狩り」だ。

 巨大金融資本とナチスとの関係は一貫している。ウクライナでネオ・ナチが影響力を持っている理由はそこにあると言えるだろう。ロシア人がウクライナのネオ・ナチに神経を使ってきたのはそのためだ。

 ナチス時代のドイツは1941年6月にソ連侵攻を開始している。「バルバロッサ作戦」だ。西側には約90万人だけを残し、310万人を投入するという非常識なものだったが、これはアドルフ・ヒトラーの命令。西側から攻めてこないことを知っていたかのようだ。

 ドイツ軍は7月にレニングラードを包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点に到達した。10月の段階でドイツだけでなくイギリスもモスクワの陥落は近いと考えていたのだが、12月にソ連軍が反撃を開始、年明け直後にドイツ軍はモスクワで敗北してしまう。ドイツ軍は1942年8月にスターリングラード市内へ突入するが、ここでもソ連軍に敗北、1943年1月に降伏。この段階でドイツの敗北は決定的になった。

 1991年にソ連が消滅して以降、NATOは東へ支配地を拡大させてきたが、これは時間をかけたバルバロッサ作戦にも見える。その最終局面でネオ・ナチが出てきたわけである。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202202280002/

4. 2022年3月07日 06:23:07 : kvmYCXGq46 : SUR0MEpYSFdhamM=[1] 報告
2022.03.07XML
ネオ・ナチが拠点にしてきたマリウポリなどから市民の脱出が始まった
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202203060000/


 マリウポリやボルノバーハから市民を脱出するルートが3月6日の朝から開いたと伝えられている。3月4日に親衛隊の主力である「アゾフ大隊(またはアゾフ連隊)」の拠点はマリウポリ。その拠点がミサイルで破壊され、5日の午前11時から市民の脱出が始まることが決まるが、ウクライナ兵に阻止され、中止になっていた。

 親衛隊は2014年3月、クーデターの翌月に組織された。アゾフ大隊はこの年の5月にネオ・ナチを中心に編成され、親衛隊の中核になる。創設資金を出したイゴール・コロモイスキーはウクライナ、キプロス、イスラエルの三重国籍を持つシオニストの富豪。その後、アゾフはアメリカからも資金を受け取っている。

 アメリカの白人至上主義者に関する裁判でFBIの特別捜査官が2018年10月に提出した宣誓供述書でも、アゾフ大隊はネオ・ナチ思想と結びつき、ナチのシンボル主義を使っていると認めている。この武装集団を称賛するということは、ネオ・ナチを称賛することに等しい。

 

 ネオ・ナチは自力でここまで生き延びてきたわけではない。1942年8月にドイツ軍25万人はスターリングラードの市内へ突入するが、11月にソ連軍が反撃を開始、ソ連軍に完全包囲されてしまった。生き残ったドイツ軍の将兵9万人余りは1943年1月に降伏する。

 そのころからドイツのSS(親衛隊)は実業家のマックス・エゴン・フォン・ホヘンローヘをスイスにいたアメリカの戦時情報機関OSS(戦略事務局)のアレン・ダレスの下へ派遣して交渉を始めている。

 しかし、ウォール街とナチスとの関係は第2次世界大戦の前から始まっている。遅くとも1933年にダレスが所属していたアメリカの金融界(ウォール街)はナチスに接近、資金を提供するようになったのだ。ディロン・リード、ブラウン・ブラザース・ハリマン、ユニオン・バンキングなどが資金を供給するパイプだった。

 1944年になるとOSSのフランク・ウィズナーを介してダレスのグループがドイツ軍の情報将校、ラインハルト・ゲーレン准将(ドイツ陸軍参謀本部第12課長)と接触、同志的な関係になる。

 ダレスたちは1945年の初頭、ハインリッヒ・ヒムラーの側近だった親衛隊のカール・ウルフに隠れ家を提供、さらに北イタリアにおけるドイツ将兵の降伏についての秘密会談が行われた。「サンライズ作戦」である。1945年5月にドイツは無条件降伏、その前の月にアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は急死した。(Christopher Simpson, “The Splendid Blond Beast”, Common Courage, 1995)

 ドイツの情報将校だったゲーレンはソ連関連の資料を携えてCIC(米陸軍対敵諜報部隊)に投降、アメリカ第12軍のG2(情報担当)部長だったエドウィン・サイバート准将とゲーレン准将は1946年7月に新しい情報機関の創設を決めた。いわゆる「ゲーレン機関」だ。この組織にはナチスの残党が吸い込まれていき、1956年4月から西ドイツの国家機関、BND(連邦情報局)になる。

 一方、アメリカの国務省はナチスの元幹部や元協力者の逃走を助け、保護し、雇い入れる「ブラッドストーン作戦」を1948年から秘密裏に始めている。この年に作成されたNSC20では、「結果として戦争を起こし、ソ連政府を打倒する」という方針が示されていた。(クリストファー・シンプソン著、松尾弌訳『冷戦に憑かれた亡者たち』時事通信社、1994年)

 ナチスの元幹部や元協力者を逃すルートが「ラットライン」、ナチスの科学者を保護し、自分たちの研究開発に役立てようという「ペーパークリップ作戦」もあった。

 ウクライナのネオ・ナチでステファン・バンデラを中心に集まっていたOUN・Bは1943年春にUPA(ウクライナ反乱軍)として活動を開始する。その年の11月に「反ボルシェビキ戦線」を設立、大戦が終わった後の1946年4月にこの組織はABN(反ボルシェビキ国家連合)になる。

 ABNは中央ヨーロッパをカトリックで支配しようというインターマリウム構想の勢力と連合、バンデラの側近だったヤロスラフ・ステツコが指揮するようになった。

 1948年にアメリカでは極秘のテロ組織OPCが設立され、アルバニア対する工作を最初に行う。この極秘組織とステツコたちは連携するが、ソ連のスパイだったMI6のキム・フィルビーからソ連側へ情報は伝えられていた。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 東アジアでは1954年にAPACL(アジア人民反共連盟、後にアジア太平洋反共連盟に改名)が組織されるが、このAPACLとABNは1966年に合体してWACL(世界反共連盟。1991年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)になる。この組織がCIAと緊密な関係にあったことは広く知られている。(Scott Anderson & Jon Lee Anderson, “Inside the League”, Dodd, Mead & Company, 1986)

 こうした形でアメリカはナチス人脈を保護、育成、さまざまな工作に利用した。第2次世界大戦でナチスは滅びなかった。ナチスの黒幕が健在だからだ。その黒幕はソ連消滅後にナチスの後継者、いわゆるネオ・ナチを旧ソ連圏へ送り返して工作に使う。

 そうしたネオ・ナチが現在、ウクライナで大きな影響力を持ち、ロシア制圧を目指している。分離独立が良いか悪いかという話ではない。そのネオ・ナチが今回のロシア軍による作戦で劣勢。そこでアメリカはシリアなどからアル・カイダ系武装集団やダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)の戦闘員をウクライナへ移動させているようだ。
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2022.03.06XML
避難する人びとに対する対応から見える西側の偽善と虚偽
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202203060000/

 ウクライナでロシア軍と戦っているのはネオ・ナチ(ステファン・バンデラの信奉者)を主体とする親衛隊だと言われている。ウクライナの安全保障会議から漏れたと言われている文書によると、ウクライナ側の軍事力は75%が破壊されている。東部地域で親衛隊が支配できている場所はマリウポリだけだ。

 マリウポリからザポリージャをつなぐ市民の脱出ルートをロシア軍は設定、そのプランをICRC(赤十字国際委員会)へ通知。3月5日午前11時から脱出が始まる予定だったが、ウクライナ兵に阻止され、脱出は困難になったようだ。マリウポリにいるキエフ側の兵士は親衛隊員の可能性が高い。

 ウクライナの現体制は2014年2月のネオ・ナチによるクーデターから始まるが、クーデター軍は5月9日にマリウポリへ戦車部隊を突入させ、銃撃で住民を死傷させた。その際、住民が逃げずに集まり、兵士に抗議している。その様子は携帯電話で撮影され、世界に発信された。クーデターで排除されたビクトル・ヤヌコビッチ大統領が支持基盤にしていた東部と南部では住民の多くがクーデターに反対していた。

 ​そして現在。OHCHR(国連人権高等弁務官事務所)によると、2月24日から3月3日の深夜12時までの間に殺されたと確認された市民は331名​。ドンバスに限ると77名だという。ロシア軍は軍事施設を集中的に攻撃しているとされているので、マリウポリから市民が脱出することを親衛隊は恐れているだろう。

 日欧米の政府やメディアはロシア軍の攻撃を非難しているが、アメリカ主導で2003年3月に開始したイラクへの先制攻撃では違う光景が見られた。イギリスの医学雑誌、ランセットに発表されたジョンズ・ホプキンズ大学とアル・ムスタンシリヤ大学の共同研究によると、開戦から2006年7月までに65万4965名以上のイラク人が死亡、そのうち60万1027名は暴力行為(要するに戦闘)が原因だとしている。またイギリスのORB(オピニオン・リサーチ・ビジネス)は2007年夏までに約100万人が殺されたという調査結果を公表している。アメリカが制裁されたという話は聞かない。

 ウクライナからポーランドへ多くの人が脱出しているが、快く受け入れられているのは、西側メディアの表現を借りると、「目が青く、ブロンドのキリスト教徒」だ。​同じように脱出しようとしたインド人学生の場合、国境でウクライナの兵士や警官に阻止され、棍棒などで殴打されている​。「目が青く、ブロンドのキリスト教徒」でない人びとが置かれた立場はインド人学生と似ている。

 アメリカはヤヌコビッチを2度、大統領の座から引きずり降ろしている。2004年から05年にかけての「オレンジ革命」と2014年のクーデターだ。これは東部や南部の人びとの意思を踏みにじる行為でもある。

 歴史的な背景から東部や南部にはロシア語を話す人が多く、ロシアに親近感を持つ人が少なくない。巨大金融資本をはじめとするアメリカやイギリスの支配層はそれが許せなかった。そして2014年にはネオ・ナチが使われたのである。

 クーデター体制はネオ・ナチの影響力が強くなり、政治経済は破綻した。ロシアとの関係修復を訴えていたボロディミル・ゼレンスキーが2019年の3月から4月にかけて実施された大統領選挙で勝利した理由はそこにあるのだが、ゼレンスキーにはアメリカ/NATOやその手先であるネオ・ナチの圧力を跳ね除ける力はなかった。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202203060000/

5. 中川隆[-13458] koaQ7Jey 2022年3月24日 10:54:29 : 7EzgAf4sc2 : UExyUHlKbXVPcVk=[4] 報告
2022.03.24XML
ネオ・ナチが敗走、市民が西側メディアにとって都合の悪い事実を語り始めた
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202203240000/

 西側の有力メディアはウクライナの戦況について、「勇敢な市民が邪悪な侵略軍に立ち向かい、勝利する」というダビデとゴリアテ的なハリウッド風の話を流しているが、ネオ・ナチの親衛隊は敗走、ロシア軍は作戦通りに支配地を広げているようだ。

 ロシア軍の支配地域が拡大するにつれ、ネオ・ナチへの恐怖から解放された人びとが口を開き始めた。​マリウポリから脱出できた住民のひとりはカメラの前で市内の状況を説明​している。

 市街戦で住民が死亡することを避けるため、ロシア軍はマリウポリからザポリージャをつなぐ市民の脱出ルートを設定、そのプランをICRC(赤十字国際委員会)へ通知している。3月5日午前11時から脱出が始まる予定だったが、ウクライナ兵に阻止された。親衛隊は住民が脱出することを嫌い、外へ出ようとする人びとを銃撃したとしている。

 親衛隊の中核、「アゾフ大隊(またはアゾフ連隊)」だが、証言した男性によると、若い女性はアゾフ大隊のメンバーが隠れている地下室へ連れて行かれレイプされているとも語っていた。またマリウポリ空港の地下にはSBU(ウクライナの治安機関)の「図書館」と呼ばれる秘密刑務所があり、拷問も行われていたとする証言がある。

 ロシア軍がウクライナを攻撃し始めた直後、西側メディアは「目が青く、ブロンドのキリスト教徒」、要するに北欧系の難民は助けなければならないと叫んでいたが、西側メディアが言うところの「医療天使」に所属する弁護士、ジャナディ・ドラザンコはウクライナのメディアに対し、部下の医師たちに対し、ロシア人捕虜は全員去勢するよう命じたと語った。ロシア人は人間でなくゴキブリだからだという。

 さすがにこの発言ば問題になり、ドラザンコは取り消すが、これは彼らの本音だろう。第2次世界大戦当時にもウクライナの「民族主義者」は同じように考えていた。その民族主義者の中で最も反ロシア感情の強い人びとがステファン・バンデラの周辺に集まり、OUN・Bを結成したのである。その流れを汲んでいるのがウクライナのネオ・ナチだ。

 カメラの前で証言した人物も西側メディアがロシア軍が攻撃したと伝えていた産婦人科病院は医師や看護師などスタッフ、そして患者は追い出され、戦闘員が入って要塞化されていたとしている。劇場を破壊したのはアゾフ大隊だとも語っている。

 病院についてはオンライン新聞の「レンタ・ル」もマリウポリから脱出した別の人物から同じ証言を得ている。その記事が掲載されたのは現地時間で3月8日午前0時1分。マリウポリからの避難民を取材したのだが、その避難民によると、​2月28日に制服を着た兵士が問題の産婦人科病院へやってきて、全ての鍵を閉め、病院のスタッフを追い払って銃撃ポイントを作った​としている。証言内容は同じだ。

 ロシア軍がウクライナに対する攻撃を始めたのは2月24日だが、その前からドンバス(ドネツクとルガンスク)の周辺には親衛隊のほか、アメリカの傭兵会社アカデミー(ブラックウォーター)などが派遣した戦闘員、さらにウクライナ軍の兵士を訓練するという名目でアメリカの特殊部隊員が入っていたと言われていた。

 また、​CIAは2015年からウクライナの特殊部隊員をアメリカ南部で訓練しているとも伝えられている​。ドンバス側の発表によると、今回の戦闘でアメリカ人「教官」3名、マイケル・ホーカー大尉、ローガン・シュラム中尉、クルーズ・トブリン中尉の死亡を確認したという。

 アゾフ大隊はドンバスのマリウポリを拠点にしてきたが、すでに半分はロシア軍が制圧したと伝えられている。マリウポリにいた戦闘員の相当数はロシア軍が包囲する前に脱出したが、アゾフ大隊のメンバーは残ったようだ。追い詰められたアゾフ大隊は住民を人質に立てこもっているという。

 この武装集団は2014年5月、「右派セクター」が中心になって編成された。右派セクターを2013年11月に組織した人物がドミトロ・ヤロシュとアンドリー・ビレツキー。右派セクターは2014年2月のクーデターで中心的な役割を果たした。

 ウクライナはNATO加盟国でないが、ヤロシュは2007年、NATOの秘密部隊ネットワークに組み込まれている。その当時、アメリカNATO大使を務めていた人物がクーデターを指揮することになるビクトリア・ヌランドだ。

 アゾフ大隊の創設を資金面から支えていた人物はイゴール・コロモイスキー。ウクライナ、キプロス、イスラエルの三重国籍を持つシオニストの富豪だ。この人物だけでなく、アメリカの「ユダヤ系富豪」がウクライナのネオ・ナチのスポンサーを務めてきた。

 第2次世界大戦の終盤からアメリカ支配層の一部はナチスの幹部や協力者の逃亡を助け、保護、訓練、工作に使うこともあった。その後継者も育成している。そうしたネットワークを通じて世界各地、例えばブラジル、クロアチア、スペイン、アメリカ、フランス、ギリシャ、イタリア、スロバキア、チェコ、イギリス、スカンジナビア諸国、そしてロシアからメンバーを集めている。ウクライナでは10代の若者1万5000人ほどを集めて訓練してきたとも言われている。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202203240000/

6. 中川隆[-13436] koaQ7Jey 2022年3月25日 01:04:44 : 7PVKZcCBCU : dWR2bzBCTWZtaHM=[17] 報告

2022.03.14XML
公然とロシア侵略を進めてきた米英にとって止めの一手がウクライナのNATO化
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202203140002/

 ウラジミル・プーチン露大統領がドンバス(ドネツクやルガンスク)の独立を承認する2日前、ウクライナの政治家、オレグ・ツァロフは「​大虐殺が準備されている​」と題する緊急アピールを発表していた。ボロディミル・ゼレンスキー大統領がごく近い将来、ドンバスで軍事作戦を開始するという情報をキエフから得たというのだ。

 それによると、この地域を制圧した後、キエフ体制に従わない住民を「浄化」するという内容で、西側からの承認を得ているともしていた。この作戦と並行してSBU(ウクライナ保安庁)はネオ・ナチと共同で「親ロシア派」の粛清を実行することにもなっていたとされている。戦闘が始まった後、ロシア軍はウクライナ軍が残した文書を回収、​3月にドンバス(ドネツクやルガンスク)をウクライナ軍は攻撃する計画だった​ことが判明したという。こうした計画をドンバスやロシア政府が察知していた可能性はある。

 ロシア政府は軍事作戦を始めた際、ゼレンスキー政権に対し、クリミアとセバストポリがロシア領だと認めてNATO加盟をウクライナは断念し、非武装化(攻撃的な軍事施設や兵器を持たない)して中立を宣言するように求めた。そして「非ナチ化」も目標のひとつにしている。

 現在のウクライナ体制は2014年2月にバラク・オバマ政権がネオ・ナチを使ったクーデターで作り上げた。それ以来、ネオ・ナチはウクライナで大きな影響力を維持している。そのクーデターを現場で指揮していたのが国務次官補だったビクトリア・ヌランドであり、ホワイトハウスで担当していたのが副大統領を務めていたジョー・バイデンだ。現在、ヌランドは国務次官、バイデンは大統領をそれぞれ務めている。ウクライナとナチズムとの関係は本ブログでも繰り返し書いてきたので今回は割愛するが、この問題を避けてウクライナ情勢を理解することは不可能だ。

 ロシア軍はウクライナに対する攻撃を巡航ミサイル「カリブル」の発射で始めた。ハリコフ、クラマトルスク、ドニプロ、マリウポリ、ザポリージャ、そしてキエフで爆発音が聞かれたと伝えられているのだが、アメリカ軍がウクライナに保有していた生物兵器の研究開発施設も攻撃のターゲットだったとする分析がアメリカで流れた。

 ウクライナにアメリカが生物化学兵器の研究施設を保有していたことは現地のアメリカ大使館も認めていた。一時削除されていたが、隠しようがない。しかも​ヌランド国務次官は3月8日、上院外交委員会でウクライナにおける生物化学兵器について質問され、そうした研究施設が存在することを否定しなかった​。

 そのWHOはロシア軍がウクライナへの軍事作戦を始めた直後、​ウクライナの保健省に対し、危険性の高い病原体を破壊するように強く勧めた​とロイターは伝えている。WHOはウクライナにあるアメリカ軍の研究施設で危険度の高い病原体を扱っていることを知っていた。

 ウクライナでアメリカの生物兵器の研究開発施設を建設するという話が流れたのは2013年のことだった。アメリカ国防総省がハリコフ周辺にレベル3のバイオ研究施設を作ろうとしていると訴えるリーフレットがまかれたのだ。実際、建設されたとされている。このほかドニプロ、ミコライフ、リビフ、ウジホロド、テルノポリ、ビンニツヤ、キエフにも施設があり、研究員は外交特権で守られていたという。

 こうした施設は「エコヘルス連合」も」運営に参加しているとされているのだが、この構図は武漢病毒研究所(WIV)と似ている。アンソニー・ファウチが所長を務めるNIAID(国立アレルギー感染症研究所)は2014年からコロナウイルスの研究費としてピーター・ダスザクの「エコヘルス連合」へ数百万ドルを提供、その一部はWIVの研究員へ提供されていたと伝えられているのだ。エコヘルス連合はWHO(世界保健機関)にアドバイスする立場にもある。それだけでなく、NIAIDの上部機関である​NIH(国立衛生研究所)からWIVへ研究費として370万ドルが提供​されていたとも伝えられている。

 ロシア軍は自国の安全が脅かされることを容認しないとしてウクライナを攻撃した。核弾頭を搭載できる超音速ミサイルだけでなく、生物化学兵器やネオ・ナチの問題もある。アメリカはモスクワを5分程度で核攻撃できるミサイルをウクライナに配備し、危険度の高い生物化学兵器を研究開発する施設を建設、第2次世界大戦でロシア人を惨殺したナチスの後継者にウクライナを任せている。そのナチスにはウクライナのステファン・バンデラ(OUN・B)も含まれている。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202203140002/

7. 中川隆[-13421] koaQ7Jey 2022年3月26日 05:52:47 : yCCTUAAjGk : RWlLbFNmbGpJaEk=[3] 報告

2022.03.26XML
ウォール街と関係の深いCIAと特殊部隊の危険な行動に統合参謀本部がブレーキ
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202203260000/


 ロシアの「十月革命」でソ連が誕生すると、アメリカの国務省はファシストの巣窟と化した。そうした外交官の中にジョージ・ケナン、ジョセフ・グルー、ジョン・フォスター・ダレス、アレン・ダレスも含まれている。

 ケナンは人口の6・3%を占めるにすぎない人びとが世界の富の約半分を握っている情況を維持するための仕組みが必要だと考えていた人物で、フォーリン・アフェアーズ誌の1947年7月号に匿名で発表した論文でソ連を封じ込めるべきだとする議論を展開した。

 第2次世界大戦後、アメリカでは戦時情報機関OSSは廃止され、CIAが創設されるが、当初、この新機関の活動は情報の収集と分析に限定され、破壊活動は許されなかった。

 そこでケナンは1948年6月に破壊活動を目的とする機関の創設を提言、ジョージ・マーシャル国務長官や後任長官のディーン・アチソンがそれを支持し、NSD10/2という文書が作成された。そして創設されたのがOSP(特殊計画局)。名称はすぐにOPC(政策調整局)へ変更された。資金やスタッフはCIAから出ていたものの、名目上はケナンが創設した国務省のPPS(政策企画本部)が管理していた。1952年8月にCIAの秘密工作部門「計画局」が創設されたが、その中核になったのがOPCだ。(Stephen Dorril, “MI6”, Fourth Estate, 2000)

 OSS時代から破壊活動を統括した人物がアレン・ダレス。OPCの初代局長に就任したフランク・ウィズナーはダレスの側近のひとり。ダレス自身、1951年1月に副長官としてCIAへ乗り込み、計画局が創設されたのである。

 すでにドイツの敗北が決定的だった1944年、イギリスの特殊部隊SOEとOSSの1部門だったSOはゲリラ戦部隊「ジェドバラ」をフランスで編成した。大戦中、西部戦線でドイツ軍と戦っていたのは事実上、市民のレジスタンスだけだが、その主力がコミュニストだったことから、これに対抗するために作り上げたのである。この部隊の内部には93チームが存在、そのひとつを指揮していた人物が後のCIA長官、ウィリアム・コルビーだ。このジェドバラ人脈がOPCやアメリカ軍の特殊部隊につながる。この人脈を基盤にし、ヨーロッパにも秘密部隊のネットワークが作られ、後に「NATOの秘密部隊」と呼ばれるようになった。

 このように国務省、CIA、特殊部隊は根は同じで、共同して動くことが少なくない。その典型例がベトナム戦争における「フェニックス・プログラム」だ。この秘密工作は正規軍の指揮系統になく、CIAの指揮下にあった。

 1967年6月にICEXとして始動、NSC(国家安全保障会議)のロバート・コマーが指揮することになった。この人選はエバン・パーカーによるものだが、パーカーはOSS出身で、ジェドバラに参加していた。ICEXはすぐに「フェニックス・プログラム」へ名称が変更になった。

 この秘密工作の中核メンバーはアメリカ軍の特殊部隊から引き抜かれたが、実働チームはCIAが組織したPRU(地域偵察部隊)という傭兵部隊。海軍の特殊部隊SEALsの隊員だったマイク・ビーモンによると、PRUを構成していたメンバーは凶悪な犯罪で投獄されていた囚人たちが中心で、フェニックスは「ベトコンの村システムの基盤を崩壊させるため、注意深く計画されたプログラム」だという。

 1968年3月にソンミ村のミ・ライ地区とミ・ケ地区で引き起こされた農民虐殺事件、いわゆる「ソンミ事件」はこのプログラムの一部だとされている。

 この虐殺事件はアメリカ陸軍第23歩兵師団第11軽歩兵旅団バーカー機動部隊第20歩兵連隊第1大隊チャーリー中隊に所属するウィリアム・カリー大尉の率いる第1小隊によって引き起こされた。犠牲者の数はアメリカ軍によるとミ・ライ地区だけで347人、ベトナム側の主張ではミ・ライ地区とミ・ケ地区を合わせて504人だという。

 この虐殺が表面化した理由は、現場の上空にさしかかったアメリカ軍のヘリコプターに乗っていた兵士が止めたからだ。ヒュー・トンプソンという乗組員がヘリコプターから地上へ降りたが、その際、彼は同僚に対し、カリーの部隊が住民を傷つけるようなことがあったら、銃撃するように命令していたと言われている。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)

 こうした虐殺を従軍記者や従軍カメラマンは知っていたはずだが、報道していない。帰国後、議員に告発した兵士もいたが、政治家は動かない。政治家のスタッフをしていたジェフリー・コーワンからこの話を聞いた調査ジャーナリストのシーモア・ハーシュが取材、記事にしたものの、ライフやルックといった有名な雑誌からは掲載を拒否され、ワシントンを拠点とするディスパッチ・ニュース・サービスという小さな通信社を通じて伝えている。1969年11月のことだ。コーワンは当時、ユージン・マッカーシー上院議員の選挙キャンペーンに参加していたが、ハーシュもマッカーシー陣営に加わっていた。

 報道を受け、陸軍参謀長に就任していたウィリアム・ウエストモーランドは事件の調査をウィリアム・ピアーズ将軍に命令する。ピアーズは第2次世界大戦中、OSSに所属していた人物。1950年代初頭にはCIAの台湾支局長を務め、その後もCIAとの関係は続いていた。ピアーズの任務は事件の真相を隠蔽することにあった可能性が高い。16人が告発されたが、裁判を受けたのは4人、そして有罪判決を受けたのはカリー大尉だけ。そのカリーもすぐに減刑されている。

 ソンミ村での虐殺が告発されていた1968年7月、コリン・パウエル少佐(当時)がベトナム入りをしている。ジョージ・W・ブッシュ政権で国務長官に就任したあのパウエルだ。配属されたのはカリー大尉と同じ第23歩兵師団。彼自身、事件後に現場を訪れて衝撃を受けたと2004年5月4日に放送されたCNNのラリー・キング・ライブで語っている。

 ベトナム戦争でアメリカはふたつの戦闘集団を送り込んでいた。ひとつは正規軍、もうひとつはCIAと特殊部隊だ。この構図は今でも続いているだろう。

 ニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃されてから3カ月後の2001年12月、ドナルド・ラムズフェルド国防長官は統合参謀本部の作戦部長だったグレゴリー・ニューボルド将軍をオフィスに呼びつけ、イラク侵攻作戦について報告させた。

 ニューボルドによると、その場にいたのはラムズフェルドのほかポール・ウォルフォウィッツ国防副長官、リチャード・マイアーズ統合参謀本部議長、ピータ・ペイス副議長、そして後にCIA長官となるウィリアム・ハインズ。(Andrew Cockburn, “Rumsfeld”, Scribner, 2007)

 ウェズリー・クラーク元欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)最高司令官によると、世界貿易センターとペンタゴンが攻撃されてから10日ほどのち、統合参謀本部で攻撃予定国のリストが存在することを知らされたという。まずイラク、ついでシリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そして最後にイランの順だったという。(​3月​、​10月​)

 この計画に正当性がなく、政府が偽情報を流していることを知っていた軍の幹部は背広組と対立、アメリカの対イラク軍事作戦の内容がリークされている。

 そこで、ラムズフェルド長官は2002年7月12日付けのペンタゴン幹部宛てメモでリークを止めるように命令しているが、その内容までがロサンゼルス・タイムズ紙に掲載されてしまった。

 アメリカがイラク侵攻作戦を開始する前、エリック・シンセキ陸軍参謀総長は議会でラムズフェルドの戦略を批判した。グレグ・ニューボルド海兵隊中将は2002年10月に統合参謀本部の作戦部長を辞し、2006年4月、タイム誌に「イラクが間違いだった理由」というタイトルの文章を書いてブッシュ政権を批判している。(Greg Newbold, “Why Iraq Was a Mistake”, TIME, April 9, 2006)

 その記事が出る直前にアンソニー・ジニー元中央軍司令官もテレビのインタビューで国防長官を批判、同年3月にはポール・イートン少将、4月に入るとジョン・バチステ少将、チャールズ・スワンナック少将、ジョン・リッグス少将もラムズフェルド長官を批判している。

 バラク・オバマ政権は2011年春、ムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)を使い、リビアとシリアに対する侵略戦争を始めた。その年の10月にカダフィ体制が崩壊、カダフィ自身が惨殺されるが、その時点でNATO軍が手を組んでいた地上部隊の主力LIFGがアル・カイダ系だということが発覚した。

 カダフィ体制を破壊した後、オバマ政権は戦闘員と武器をシリアへ集中させるのだが、その戦闘員がアル・カイダ系だということが知られている。そこでオバマ政権は「穏健派」という概念を持ち出し、「良いアル・カイダ」と「悪いアル・カイダ」という話を作り出す。

 アメリカ政府は「良いアル・カイダ」を支援しているのだというわけだが、アメリカ軍の情報機関​DIA(国防情報局)は2012年8月、反シリア政府軍の主力はサラフィ主義者やムスリム同胞団だと指摘​、シリアで戦っているアル・ヌスラの実態はAQIと同じだと報告している。

 バラク・オバマ大統領が言っていたような穏健派は存在しないということだが、その存在しない勢力へ提供された武器は「過激派」へ流れ、シリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになるとも警告していた。

 この警告は2014年にダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)という形になって現れる。1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国が宣言され、その勢力は6月にモスルを制圧。その際にトヨタ製小型トラック、ハイラックスの新車を連ねたパレードを行い、その様子を撮影した写真が世界に伝えられた。その年の8月、フリンはDIA局長のポストから外され、退役させられた。

 偵察衛星、無人機、通信傍受、人間による情報活動などでアメリカの軍や情報機関は武装集団の動きを知っていたはずで、そうしたパレードは格好の攻撃目標だが、アメリカ軍は動いていない。

 2011年10月から15年9月まで統合参謀本部の議長を務めたマーチン・デンプシー陸軍大将もアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュを危険だと考えていたが、オバマ大統領はデンプシー議長の警告に耳を貸さない。やむなく​アメリカ軍は2013年秋からアル・カイダ系武装集団やダーイッシュに関する情報を独断でシリア政府へ伝え始めた​。

 オバマ政権はシリア政府軍が住民を虐殺しているという偽情報を流し始める。バシャール・アル・アサド体制を悪魔化し、リビアのようにアメリカ/NATO軍が空爆を始めようとしたのだが、嘘が発覚して失敗していた。

 DIAがオバマ政権の政策が危険だとする報告書をホワイトハウスに提出した2012年8月、シリアに対する直接的な直接的な軍事介入のレッド・ラインは生物化学兵器の使用だアメリカ政府は宣言した。12月にはヒラリー・クリントン国務長官がアサド大統領は化学兵器を使う可能性があると語る。

 そして2013年1月29日付けのデイリー・メール紙には、オバマ政権がシリアで化学兵器を使ってその責任をアサド政権に押しつける作戦をオバマ大統領が許可したという記述がイギリスの軍事関連企業ブリタム防衛の社内電子メールに書かれているとする記事が載った。(同紙のサイトからこの記事はすぐに削除された)

 そして2013年3月にアレッポで爆発があり、26名が死亡したのだが、そのときに化学兵器が使われたという話が流れる。シリア政府は侵略軍であるジハード傭兵が使用したとして国際的な調査を要請するが、イギリス、フランス、イスラエル、そしてアメリカは政府軍が使ったという宣伝を展開した。

 しかし、​攻撃されたのがシリア政府軍の検問所であり、死亡したのはシリア軍の兵士だということをイスラエルのハーレツ紙が指摘​、​国連独立調査委員会メンバーのカーラ・デル・ポンテも反政府軍が化学兵器を使用した疑いは濃厚だと発言​している。

 オバマ大統領はシリアの体制転覆に積極的だったが、チャック・ヘーゲル国防長官やマーチン・デンプシー統合参謀本部議長は上院軍事委員会で直接的な軍事介入に慎重な姿勢を示している。議会の好戦的な要求をこのふたりが抑えていたのだ。

 しかし、ヘーゲルは2015年2月に解任されてアシュトン・カーターに交代、デンプシーは同年9月に再任を拒否され、ジョセフ・ダンフォードが後任になった。戦争に慎重な人物から好戦的な人物へ入れ替えたのである。

 デンプシーは2015年9月25日に議長から退いたのだが、その5日後にロシア軍がシリア政府の要請で軍事介入。その後、ロシア軍は兵器と戦闘能力の優秀さを世界へ見せつけることになる。この時、アメリカを中心とする支配システムは揺らぎ始めた。


https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202203260000/

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