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今も続く東西冷戦の背景
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投稿者 中川隆 日時 2021 年 7 月 06 日 12:48:45: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: アメリカ人による極悪非道の世界侵略の歴史 投稿者 中川隆 日時 2021 年 3 月 23 日 07:16:40)

今も続く東西冷戦の背景


2021.07.06
軍事的な状況を理解せずに戦争熱を煽る防衛副大臣
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202107060001/

 中山泰秀防衛副大臣は6月28日、アメリカのシンクタンク、ハドソン研究所での講演で中国とロシアの脅威を強調、中国がミサイルでアメリカの東海岸やホワイトハウスに照準を定めることは可能だと語ったようだが、アメリカは1950年代からミサイルで中国やソ連を攻撃する能力を持っていた。しかも、その攻撃能力をアメリカは実際に使う計画だったことが明らかになっている。今でもアメリカの基本戦略は侵略であり、日本から台湾にかけての弧状列島は侵略拠点。日本人は傭兵と見なされているだろう。

 中山は言及しなかったようだが、ロシアが航行させている巨大原子力潜水艦「ベルゴロド」には津波を引き起こせるという核弾頭を搭載した原子力推進の水中ドローンが搭載され、イギリスのサン紙はこの空母を「​シティ・キラー​」と呼んでいる。このドローンは人工知能で航行するという。中山副大臣は脅威を煽っている割に、軍事的な現実を把握していないようだ。

 ところで、アメリカは1945年7月16日にニューメキシコ州のトリニティ(三位一体)実験場でプルトニウム原爆の爆発実験を行って成功、これを受けてハリー・トルーマン大統領は原爆の投下を許可、8月6日に広島へウラン型が投下され、9日には長崎へプルトニウム型原爆が投下された。

 ソ連の制圧に執念を燃やすイギリスのウィンストン・チャーチルは下野した翌年、1946年3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行って「冷戦」の開幕を宣言、その翌年には​アメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようトルーマン大統領を説得してほしいと求めている​。

 さらにチャーチルは1951年4月、自宅でニューヨーク・タイムズ紙のジェネラル・マネージャーだったジュリアス・アドラーに対し、ソ連に最後通牒を突きつけ、それを拒否したなら​20から30発の原爆をソ連の都市に落とすと脅そうと考えている​と話していたことを示す文書が発見されている。その年の10月にチャーチルは首相へ返り咲く。

 アメリカでも先制核攻撃の準備は進んでいた。例えば、JCS(統合参謀本部)は1949年に出した研究報告の中で、ソ連の70都市へ133発の原爆を落とすと想定、54年にSAC(戦略空軍総司令部)は600から750発の核爆弾をソ連に投下して118都市に住む住民の80%、約6000万人を殺すという計画を考えていた。そして1957年初頭には300発の核爆弾でソ連の100都市を破壊するという「ドロップショット作戦」が作成されている。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)

 テキサス大学のジェームズ・ガルブレイス教授によると、JCS議長を務めていたライマン・レムニッツァーやSACの司令官だったカーティス・ルメイを含む好戦派は1963年の終わりにソ連を先制核攻撃する予定を立てていた。その頃にアメリカはICBMを配備でき、しかもソ連は配備が間に合わないと見ていたのだ。1950年代にアメリカが沖縄を軍事基地化した理由もここにある。

 アメリカが核ミサイルを発射した場合、ソ連は中距離ミサイルで反撃せざるをえない。中距離ミサイルでアメリカを攻撃するにはアメリカの近くにミサイルを持ち込む必要がある。ソ連がキューバにミサイルを持ち込んだのはそのためであり、アメリカの軍や情報機関がキューバを制圧しようとしたのも同じ理由だ。そして1962年のキューバ危機が引き起こされた。

 この危機を話し合いで解決したジョン・F・ケネディ大統領はアメリカの好戦派にとって目障りな存在。そのケネディは1963年11月にテキサス州ダラスで暗殺され、CIAは暗殺の背後にソ連やキューバがいるとする噂が流した。​このタイミングで核戦争を始めるつもりだった​と言われている。この噂が事実に反することをFBIから聞いた新大統領のリンドン・ジョンソンは核攻撃を承認せず、全面核戦争は回避されたわけだ。

 そのソ連が1991年12月に消滅、アメリカの支配者は誰に気兼ねすることなく、好き勝手に世界を侵略できる時代が訪れたと考えた。手始めに攻撃したのがユーゴスラビア。21世紀に入ると、「9/11」を利用してイラクを先制攻撃するが、制圧に手間取り、しかもロシアではウラジミル・プーチンが自国を再独立させた。ネオコンの世界制覇計画はこの段階で崩れたのだが、強引にロシアを再び屈服させようとしてきた。

 その過程でウクライナの政権をクーデターで潰し、ロシアとEUを分断して両者を屈服させようとしたのだが、ロシアは中国へ向かい、中国とロシアは戦略的同盟関係を結んだ。アメリカや日本で「ありえない」と言われていたことが起こったのだ。

 こうした状況だが、西側の私的権力は「COVID-19(2019年-コロナウイルス感染症)騒動」を利用して「資本主義の大々的なリセット」を実現すると宣言した。そのためには中国とロシアを従属させる必要がある。ジョー・バイデンが大統領に就任して間もない段階でロシアや中国を恫喝したのはそのためだろうが、これは失敗した。逆に脅され、ロシアと中国の関係を強化させてしまった。アメリカ政府の恫喝は逆効果になっているが、中山副大臣は遠吠えさせられたと言えるだろう。

 アメリカ軍は韓国軍と3月8日から大規模な軍事演習を実施、12日にはアメリカ、日本、インド、オーストラリアの4カ国(クワッド)の首脳がオンライン会議を開いた。3月15日にアントニー・ブリンケン国務長官とロイド・オースチン国防長官は日本を訪問、茂木敏充外相や岸信夫防衛相と会談、その際にブリンケン国務長官は中国の「威圧的で攻撃的な姿勢」を批判。​オースチン国防長官は3月18日に、アメリカ軍は朝鮮を「今夜にでも攻撃する準備ができている」と威嚇​している。

 3月18日と19日にはアメリカと中国の外交責任者がアンカレッジで会談、アメリカからはブリンケン国務長官と国家安全保障補佐官のジェイク・サリバンが、また中国からは中央外事活動委員会弁公室の楊潔篪主任と王毅外交部長がそれぞれ出席した。席上、アメリカは中国を威圧しようとしたのだが、中国から強い反撃にあっている。つまり恫喝は失敗した。

 3月22日と23日には中国側の要請でセルゲイ・ラブロフ外相が中国を訪問、王毅外交部長と会談し、両国の同盟関係を強く印象づけた。その際、中国とロシアはドル離れを確認、貿易決済で自国通貨を使うようにすることで合意している。アメリカの支配システムを支えてきたドルへの決別宣言だ。アメリカはドル体制に変わる新しいシステムを築かなければならない状況になっている。

 こうした中、太平洋でアメリカの完全な従属国は日本とオーストラリアくらいだろう。その日本の陸上自衛隊は5月11日から17日にかけてアメリカ軍やフランス軍と合同で「軍事訓練」を霧島演習場、相浦駐屯地、九州西方海空域で実施、同時に海上自衛隊は東シナ海でアメリカ軍、フランス軍、そしてオーストラリア軍と合同で「軍事訓練」を実施した。黒海では6月28日から7月10日にかけてアメリカ軍を中心とする軍事演習「シー・ブリーズ」が実施されているが、この演習にも日本は参加している。

 日本の陸上自衛隊は6月18日から7月11日にかけてはアメリカ軍と軍事演習「​オリエント・シールド21-2​」を日本で実施。アメリカからは約1700名、日本からは約3000名が参加するという。なお、「オリエントシールド21-1」は昨年10月26日から11月6日にかけて琉球諸島南西部で行われた。また航空自衛隊は7月5日から8日にかけてフィリピンのクラーク空軍基地でフィリピン空軍と「HA/DR(人道支援/災害救援)」を目的とする訓練を実施している。

 バイデンを含む欧米の支配者は今回のパンデミックを利用してルビコン側を渡った。つまり回帰不能点を超えたと言えるだろう。世界の支配システムを「リセット」し、自分たちが支配する新たな世界を築こうとしているのだが、簡単ではない。明治維新の直後に成功した戦術が今でも有効だとは言えない。アメリカの命令であろうと、日本が中国やロシアに仕掛ければ、それに応じた報復を受けることになる可能性が高い。彼らはバイデンが「ルビコンを渡った」と認識しているはずだ。今は慎重に動かなければならない時期である。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202107060001/  

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コメント
1. 中川隆[-5097] koaQ7Jey 2021年7月06日 13:03:10 : SCCzU5D3XF : eFNVRS9iT3BRQ2s=[11] 報告
ウォール街やシティと戦った共産主義者のフランクリン・ルーズベルト
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1037.html

共産主義者だったチャップリン (1889年4月16日 - 1977年12月25日)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/202.html

アメリカ軍はなぜ不利なノルマンディに上陸したのか 「戦後」を作った錯覚
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1053.html

スターリンはなぜ北海道占領計画を放棄したのか?
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1016.html

ヒトラーの共産主義との戦い
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/638.html

西側で第二次大戦を戦ったのはレジスタンスだが、その主力はコミュニスト
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1195.html

英米はドイツ軍がソ連に勝てないとわかる迄は、ウォール街のエージェントのヒトラーと戦う気は全く無かった
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/615.html

昭和天皇はウォール街のエージェントだったので、共産主義者のルーズベルト大統領と対立して対米戦争を起こした
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/614.html

関東軍の中枢は共産主義者の巣窟であった。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1055.html

近衛上奏文
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1126.html

餓死した英霊たち
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/975.html

鬼塚英昭 戦争はすべて八百長 『日本の真相』
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1052.html

明治維新と太平洋戦争の真相
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/390.html

天皇一族の正体
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/383.html

戦後日本のバブル崩壊以前の一億総中流社会は共産主義者ばかりの GHQ が意図的に作ったものだった
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/830.html

ユダヤ人のエージェントで強硬な反共だったウィンストン・チャーチル
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1036.html

チャーチルはソ連を核攻撃しようとしていた
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1028.html

イスラエルは中東の対立を煽る為に作られた
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/833.html

J・F・ケネディ-はヤラセの東西冷戦体制を終わらせようとしたのでユダヤ金融資本に殺された
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1102.html

東西冷戦の時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/719.html

ベトナム戦争の時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/723.html

共産主義の時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/613.html

2. 2021年7月23日 15:49:52 : lomcF4oKuY : U01VblJyTjVseXc=[17] 報告
2021.07.22XML
 アメリカやイギリスの金融資本を中心とした資本主義体制が限界に達したことは彼ら自身も認識、例えばWEF(世界経済フォーラム)のクラウス・シュワブは昨年6月、「COVID-19(新型コロナウイルス)」のパンデミック騒動を利用し「​資本主義の大々的なリセット​」を実行すると宣言しました。

 「リセット」しないと現在の支配システムを維持できないということですが、その支配システムは2度の世界大戦を経て確立されています。そして現在、金融資本は新たな世界大戦を必要としているようです。その戦いに勝利するため、ヨーロッパでの支配力を強め、中東支配を確かなものにし、ユーラシア大陸の東岸部で主導権を握ろうとしてきました。TPP、TTIP、TiSAはそうした目的で打ち出されましたが、思惑通りには進んでいません。中東での戦いはロシアに負けつつあります。

 第1次世界大戦ではドイツを弱体化させることに成功しましたが、ロシアを金融資本の配下に置くことは失敗しました。金融資本は戦争に反対していたグリゴリ・ラスプーチンを暗殺しましたが、ドイツはロシアとの戦争継続を嫌い、即時停戦を主張していた亡命中のボルシェビキの幹部を帰国させ、それがソ連の誕生につながります。

 そうした背景があるため、ドイツとソ連の関係はその後、良好でしたが、ナチスの登場で状況が一変、ドイツ軍は第2次世界大戦でソ連を攻撃します。ナチスを資金面から支えていたのはイギリスやアメリカの金融資本でした。ドイツにソ連は勝ったものの、2000万人以上が殺され、工業地帯の3分の2を含む国土の3分の1が破壊されたと言われています。アメリカは事実上、戦場にならず、軍需産業と金融資本がビジネスで大儲けし、ドイツや日本が略奪した財宝を横取りすることに成功しました。

 ところで、ドイツ軍の主力がスターリングラードで降伏したのは1943年1月。それを見てイギリスとアメリカはあわててシチリア島への上陸作戦を実行しますが、住民に人気のあったコミュニストを押さえ込むためにマフィアと手を組みました。ハリウッド映画の宣伝で有名なノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)はシチリア島上陸の翌年、1944年6月のことです。その間、アレン・ダレスなど反コミュニスト派はドイツ側と善後策を協議、ナチスの幹部や協力者を逃亡させ、保護し、雇うという工作を行います。

 ダレスたちはフランクリン・ルーズベルト大統領に無断で動いていたのですが、そのルーズベルトは1945年4月に急死、5月にドイツが降伏します。その直後にウィンストン・チャーチルはソ連に対する奇襲攻撃を目論み、JPS(合同作戦本部)に対してソ連を攻撃するための作戦を立てるように命令しました。そしてできあがったのが「アンシンカブル作戦」です。1945年7月1日にアメリカ軍、イギリス連邦軍、ポーランド軍、そしてドイツ軍でソ連を奇襲攻撃し、「第3次世界大戦」を始めることになっていましたが、実行されませんでした。参謀本部が拒否したからだと言われています。

 1945年7月16日にはアメリカのニューメキシコ州にあったトリニティ(三位一体)実験場でプルトニウム原爆の爆発実験が行われ、成功しています。この成功を受けてトルーマンは原爆を実戦で使用することを許可、7月26日にポツダム宣言が発表され、8月6日に広島へウラン型が、9日には長崎へプルトニウム型原爆がそれぞれ投下されました。

 マンハッタン計画を統括していたアメリカ陸軍のレスニー・グルーブス少将は1944年、ポーランドの物理学者ジョセフ・ロートブラットに対し、計画は最初からソ連との対決が意図されていると語ったということです。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017)

 ポツダム宣言が発表された1945年7月26日にチャーチルは下野、そして「鉄のカーテン演説」を行います。1947年にはアメリカの​スタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求め​、1951年4月にはニューヨーク・タイムズ紙のジェネラル・マネージャーだった​ジュリアス・アドラーに対し、ソ連に最後通牒を突きつけ、それを拒否したなら20から30発の原爆をソ連の都市に落とすと脅そうと考えている​と話したといいます。

 そのソ連は1991年12月に消滅、ネオコンなどはアメリカが「唯一の超大国」になったと認識、好き勝手に何でもできる時代になったと考えます。ボリス・エリツィン時代のロシアはイギリスやアメリカの金融資本の属国になり、国内は犯罪者たちに支配されました。ロシアは破綻国家になったということで、アメリカの支配者は中国など潜在的ライバルを潰しにかかります。

 こうしたネオコンたちの計画は21世紀に入ってウラジミル・プーチンたちがロシアを曲がりなりにも再独立させたことで破綻します。そこでロシアを再び屈服させ、中国を揺さぶろうとしますが、裏目に出てロシアと中国は戦略的な同盟関係を結ぶことになりました。アメリカを中心とする勢力はロシアと中国、両方を相手にせざるをえず、アメリカが優勢だとは言えない状況です。おそらく現状では世界大戦を始められないでしょうが、米英の私的権力に残された時間はあまりありません。

https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202107220000/

3. 中川隆[-13617] koaQ7Jey 2022年3月01日 12:50:08 : 6oimzvqJ1E : eWhINHdRc1pwYk0=[8] 報告

2022.03.01XML
ロシアとウクライナが交渉を始めたが、米英を後ろ盾とするネオ・ナチは健在
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202202280002/


 ロシアとウクライナの代表による交渉が2月28日に始まったが、戦闘の終結に向かうかどうかは不明だ。ボロディミル・ゼレンスキー大統領が軍や親衛隊を掌握できていない可能性もあり、交渉の期間を利用してアメリカ/NATOを後ろ盾とするネオ・ナチが戦闘体制を整えることも考えられる。

 アメリカのジョー・バイデン大統領が昨年1月、大統領に就任した。それ以来、ロシアの「縄張り」とも言うべき黒海へ軍艦を入れ、軍用機を飛行させて恫喝、あるいは挑発してきた。国境近くに数万人規模の部隊を集結させたこともある。

 2009年1月から17年1月にかけてバイデンはバラク・オバマ政権の副大統領を務めたが、その時もロシアとの関係を悪化させる政策を推進していた。オバマ、バイデン、あるいはヒラリー・クリントンの背後にいる勢力の意向だろう。

 1980年代のアメリカは旧保守と新保守が対立していたが、1991年12月にソ連が消滅してから新保守の影響力が強まり、2001年9月11日の出来事で新保守が主導権を完全に握ったように見える。2001年1月から大統領はジョージ・W・ブッシュだ。

 ネオコンに担がれていたブッシュ大統領は国内をファシズム化する一方、正規軍を使って他国を侵略、殺害、破壊、略奪を繰り返すことになるが、これは新保守が1992年2月に立てた計画に沿っていた。

 アフガニスタンやイラクは正規軍で攻め込んだが、思惑通りに進まず、オバマ時代の2010年頃からズビグネフ・ブレジンスキーが考え出したジハード傭兵を使った侵略に切り替えた。今でもジハード傭兵はアメリカの手先として活動しているが、ウクライナではネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)が使われている。

 バンデラは1920年代からOUN(ウクライナ民族主義者機構)の幹部だった人物。リーダーのイェブヘーン・コノバーレツィが1938年に暗殺されると、OUN内で反ロシア感情の強いメンバーがバンデラの周辺に集まり、41年3月に分裂、バンデラ派はOUN-Bと呼ばれるようになる。そして1941年6月にバルバロッサ作戦が始まった。

 このOUN・Bをイギリスの情報機関MI6のフィンランド支局長だったハリー・カーが雇う一方、ドイツが資金を提供し、バンデラの側近だったミコラ・レベジはクラクフにあったゲシュタポ(国家秘密警察)の訓練学校へ入った。

 アメリカやイギリスの金融資本はナチスを資金面から支えていたことが明らかになっている。例えばディロン・リード、ブラウン・ブラザース・ハリマン、ユニオン・バンキングなどの金融機関がそうした資金を流すパイプだった。

 その経営陣にはジョージ・ハーバート・ウォーカー、その義理の息子であるプレスコット・ブッシュ、ブッシュと同じエール大学のスカル・アンド・ボーンズに入っていたW・アベレル・ハリマンも含まれている。

 プレスコットが働いていたウォール街にはアレン・ダレスという弁護士もいて、ふたりは親しくなる。プレスコットの息子、ジョージ・H・W・ブッシュは1976年1月から77年1月にかけてCIA長官を務めることになるが、偶然ではないだろう。

 ブラウン・ブラザース・ハリマンやユニオン・バンキングでプレスコットはW・アベレル・ハリマンと重役仲間だったが、このふたりはエール大学で学生結社のスカル・アンド・ボーンズに入っていた。ハリマンの弟子にあたる人物がジョー・バイデンである。

 JPモルガンをはじめとするウォール街の住人たちとファシズムとの関係が明確になったのは1933年から34年にかけて計画されたクーデターだ。ニューディール派を率いるフランクリン・ルーズベルトが1932年の大統領選挙で勝利、それに危機感を抱いたウォール街がニューディール派の排除を目論んだのである。

 ウォール街のクーデター派はドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしていた。彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領への信頼感を失わせるようなプロパガンダを展開、50万名規模の組織を編成して恫喝して大統領をすげ替えることにしていたという。

 計画の中心的な存在だったJPモルガンは司令官としてダグラス・マッカーサーを考えていたが、人望があり、軍の内部への影響力が大きいスメドリー・バトラーを取り込まないとクーデターは無理だという意見が通り、バトラーに働きかけた。

 しかし、バトラーは憲法を遵守する考えの持ち主。そこで計画を聞き出した上でカウンタークーデターを宣言、議会で詳細を明らかにしている。

 バトラーから話を聞いたジャーナリストのポール・コムリー・フレンチはクーデター派を取材、「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」という発言を引き出している。金融資本は親ファシズム。第2次世界大戦の終盤からアメリカの情報機関などはナチスの高官や協力者を保護、逃亡させ、雇い入れているが、これは必然だった。

 もし、ルーズベルトが大統領を続けていたなら、大戦後にウォール街とナチスとの関係にメスが入った可能性が高いが、ドイツが降伏する前の月、つまり1945年4月に急死してしまった。そして、戦後に始まるのは反ファシスト派の弾圧、いわゆる「赤狩り」だ。

 巨大金融資本とナチスとの関係は一貫している。ウクライナでネオ・ナチが影響力を持っている理由はそこにあると言えるだろう。ロシア人がウクライナのネオ・ナチに神経を使ってきたのはそのためだ。

 ナチス時代のドイツは1941年6月にソ連侵攻を開始している。「バルバロッサ作戦」だ。西側には約90万人だけを残し、310万人を投入するという非常識なものだったが、これはアドルフ・ヒトラーの命令。西側から攻めてこないことを知っていたかのようだ。

 ドイツ軍は7月にレニングラードを包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点に到達した。10月の段階でドイツだけでなくイギリスもモスクワの陥落は近いと考えていたのだが、12月にソ連軍が反撃を開始、年明け直後にドイツ軍はモスクワで敗北してしまう。ドイツ軍は1942年8月にスターリングラード市内へ突入するが、ここでもソ連軍に敗北、1943年1月に降伏。この段階でドイツの敗北は決定的になった。

 1991年にソ連が消滅して以降、NATOは東へ支配地を拡大させてきたが、これは時間をかけたバルバロッサ作戦にも見える。その最終局面でネオ・ナチが出てきたわけである。

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