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ヨーロッパのフン人の祖先は匈奴でアーリア人だった
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1602.html
投稿者 中川隆 日時 2022 年 5 月 31 日 19:16:08: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: 漢民族の起源と中国の歴史 投稿者 中川隆 日時 2021 年 4 月 19 日 08:28:55)

ヨーロッパのフン人の祖先は匈奴でアーリア人だった

雑記帳
2022年05月29日
フン人とアヴァール人とハンガリー征服者の遺伝的起源
https://sicambre.seesaa.net/article/202205article_29.html


 フン人とアヴァール人とハンガリー征服者の遺伝的起源に関する研究(Maróti et al., 2022)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。アジアからヨーロッパへのフン人やアヴァール人やハンガリー人もしくはマジャール人と関連する人口移動の連続的な波は、カルパチア盆地の人口集団に永続的影響を残しました。これはハンガリー人の独特な言語と民族文化伝統において顕著で、その最も近い類例はウラル山脈の東側の人口集団で見られます。現在の科学的合意によると、これら東方とのつながりは、9世紀末にカルパチア盆地に到来した征服ハンガリー人(以下、征服者と省略されます)の最後の移住の波にのみ起因します。一方、中世ハンガリーの年代記や外国の文献やハンガリーの民俗伝統は、ハンガリー人の起源はヨーロッパのフン人にたどることができ、アヴァール人と征服者のその後の波はフン人の系統とみなされる、と主張します。

 フン人とアヴァール人はともに、カルパチア盆地を中心にヨーロッパ東部で多民族帝国を創設しました。370年頃となるヨーロッパの文献におけるフン人の出現の前に、現在の中国の文献から匈奴が消えました。同様に、6世紀におけるヨーロッパでのアヴァール人の出現は、大まかには楼蘭(Rouran)帝国の崩壊と相関しています。しかし、匈奴とフン人との間の関係の可能性は、楼蘭とアヴァール人との場合と同様に、情報源の不足のため依然として大きな議論となっています。

 19世紀以降に言語学者は、ハンガリー語はウラル語族の一派でウゴル諸語派に属し、マンシ(Mansis)語およびハンティ(Khanty)語と最も密接である、という合意に達しました。この言語学的根拠に基づいてハンガリーの先史時代が書き直され、征服者は仮定的なウゴル諸語祖語の人々の子孫とみなされました。同時に、以前に受け入れられていたフン人とハンガリー人の関係は、中世の年代記に対する史料批判により疑問視されました。

 文献証拠と複雑な考古学的記録をつなぐものが不足しているため、古代の人口集団の起源と生物学的関係への洞察を提供するには、考古遺伝学的手法が最適です。そのために、カルパチア盆地のヨーロッパのフン人とアヴァール人と征服期個体群の全ゲノム解析が実行され、これらの集団の長く議論されてきた起源に光が当てられました。本論文の271点の古代人標本の大半は、遊牧民集団の到来の波に好適環境を提供した、ユーラシア草原地帯の最西端である大ハンガリー平原(Alföld)から収集されました。研究対象の標本の遺跡と期間の概要は図1に示され、期間と墓地と個々の標本の詳細な考古学的記述は方法論S1に示されます。研究対象標本のうち73点で、直接的な加速器質量分析法(accelerator mass spectrometry、略してAMS)放射性炭素年代が報告され、そのうち50点は本論文で初めて報告されます。以下は本論文の図1です。
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●標本

 ショットガン配列決定を用いて、古代人271個体でゲノム規模データが生成されました。ゲノム網羅率の範囲は0.15〜7.09倍で、平均は1.97倍です。全てのデータは、ヒト起源(HO)の60万ヶ所の一塩基多型(SNP)と124万ヶ所のSNPの全ての位置で無作為に呼び出されるSNPにより、疑似半数体化されました。関連する現代人のゲノムはHOデータセット形式でのみ利用可能だったので、ほとんどの分析はHOデータセットで行なわれました。PCAngsdソフトウェアで本論文の標本において43組の親族関係が特定され、その後の分析には親族のうち1個体だけが含められました。

 新たなゲノム規模データはユーラシアの既知の古代人2364個体および現代人1397個体と統合され、共同分析されました。研究対象の標本は、カルパチア盆地への連続する歴史的に記録された主要な移住の波から考古学的に区分できる3期間を表しているので、フン人とアヴァール人と征服期標本が別々に評価されました。集団遺伝学的分析で最も類似したゲノムを分類するため、最初の50の主成分分析(PCA)次元から得られた対での遺伝的距離に従って、本論文の標本は全ての既知の古代ユーラシアのゲノムとまとめられました。


●研究対象のほとんど個体には在来のヨーロッパ祖先系統があります

 新たな古代人のゲノムを現代ユーラシア個体群から計算された軸に投影することにより、PCAが実行されました(図2A)。図2Aでは、ほぼ各期間の多くの標本が現代ヨーロッパの人口集団に投影されています。さらに、これらの標本はPC2軸に沿って南北の勾配を形成し、本論文ではヨーロッパ勾配と呼ばれます。主成分50のクラスタ化は、ヨーロッパ勾配内で5つの遺伝的クラスタ(まとまり)を識別し、PC2軸に沿ってよく隔離されています。個々の遠位qpAdmに基づいて各クラスタから代表的標本が選択され、それぞれヨーロッパ中核1〜5に分類されました。ヨーロッパ中核集団は複数期間の標本を含んでおり、異なる人口集団とはみなされず、むしろその後のモデル化に適した異なる局所的ゲノム種類を表しています。各ヨーロッパ勾配の構成員が、ヨーロッパ中核集団からモデル化できることも示されました。以下は本論文の図2です。
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 ヨーロッパ中核1は、ハンガリーのランゴバルド人(関連記事)、イタリア半島の鉄器時代と帝政期と中世の個体群(関連記事)、ギリシアのミノア人およびミケーネ人(関連記事)とクラスタ化します。ヨーロッパ中核2・3・4は、ランゴバルド人およびハンガリーとチェコ共和国とドイツの青銅器時代標本(関連記事1および関連記事2)とクラスタ化しますが、ヨーロッパ中核5はハンガリーのスキタイ人(関連記事)とクラスタ化します。

 教師なしADMIXTURE分析はヨーロッパ勾配に沿ったゲノム構成要素の勾配的な移行を明らかにし(図2B)、南方から北方にかけて、「古代北ユーラシア人(ANE)」と「ヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)」構成要素が増加し、「初期イラン農耕民(イランN)」と「初期ヨーロッパ農耕民(ヨーロッパN)」構成要素が減少します。ヨーロッパ勾配標本がごくわずかなアジア構成要素、つまり「ガナサン人(Nganasan)」および「漢人」構成要素を含んでいることも明らかです。

 ADMIXTUREでも、ヨーロッパ中核1および5がイタリア半島の帝政期およびハンガリーの鉄器時代スキタイ人とそれぞれ類似のパターンを有しているので、同様のゲノムが民族移動時代の前にヨーロッパとカルパチア盆地において存在していた、と確証されます。ヨーロッパ勾配における中世ハンガリー人口集団の多様性は顕著です。これの集団は地元民とみなされますが、類似の人口集団は中世のポントス草原にも存在していた可能性があります。


●ヨーロッパのフン人は匈奴祖先系統を有していました

 フン時代の標本が不足しているにも関わらず、東方から西方へと伸びるPC1軸(図2A)に沿って「フン勾配」を識別できます。2個体(MSG-1とVZ-12673)は勾配の最東端に投影され、現代のカルムイク人(Kalmyks)およびモンゴル人の近くに位置します。両方の墓は戦士のもので、部分的なウマ遺骸が含まれていました。主成分50クラスタ化では、MSG-1とVZ-12673はフン時代の他の2標本と密接にクラスタ化し、それはカザフスタン西部のアクトベ(Aktobe)地域のクライレイ(Kurayly)遺跡の1個体(KRY001)に代表されるクライレイ・フン380年と天山のフンの外れ値個体(DA127)です。

 KRY001とDA127もqpAdmではVZ-12673個体と遺伝的クレード(単系統群)を形成するので、新たな標本が別々に分析されたものの、これら4標本(MSG-1とVZ-12673とKRY001とDA127)はフン人アジア中核の名称で分類されます(図2)。フン人アジア中核も、本論文で用いられたアヴァール人標本数点とともに、モンゴルの多くの匈奴や中世モンゴルやテュルク(関連記事)や鮮卑(関連記事)のゲノムとクラスタ化します。ADMIXTUREでは、フン人アジア中核個体群の類似性が確証され、WHGの痕跡を有さない優勢なユーラシア東部のガナサン人および漢人構成要素を示し、これらの個体がヨーロッパ人の背景を有さない移民を表している、と示唆されます。

 外群f3統計はMSG-1とVZ-12673の共通祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)を示唆し、それは両個体が、初期匈奴の残りの個体群やウラーンズク(Ulaanzukh)や石板墓(Slab Grave)文化的なモンゴル関連人口集団と最高の浮動を共有しているからです。エラーバーは、ロシアの中期新石器時代(MN)ボイスマン(Boisman)やタセモラ・コルガンタス(Tasmola_ Korgantas)のような周辺地域と関連する人口集団とも重複していますが、f3統計の結果はモンゴル起源の可能性が高いことと、これらの個体群の初期匈奴との類似性を示します。

 鉄器時代以前の供給源からの遠位qpAdmモデル化は、MSG-1とVZ-12673において、漢人との混合を予測する、大きなモンゴル北部のフブスグル(Khovsgol)外れ値(DSKC)と、わずかな西遼河新石器時代/黄河後期青銅器時代祖先系統を示唆しますが(図3A)、青銅器時代後の上限からの近位モデル化は、異なる2期間を表す2種類の代替的なモデルを示しました。最良のp値モデルは、大きな後期匈奴(漢人との混合を有します)とわずかなスキタイシベリア/匈奴祖先系統を示しましたが、代替モデルは、大きなカザフスタンの外れ値天山フン人もしくはクライレイ・フン380年と、わずかな匈奴/鮮卑/漢人祖先系統を示唆しました(図3A)。後者のモデルでは、VZ-12673個体は両方の刊行されたフン人アジア中核標本群とクレードを形成しました。結論として、本論文のフン人アジア中核個体群は、初期匈奴と後期フン人のゲノムから等しくモデル化できます。以下は本論文の図3です。
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 他のフン時代の2標本(KMT-2785とASZK-1)はフン勾配の中間に位置するので(図2A)、ヨーロッパとアジアの祖先系統からモデル化できます。KMT-2785の最良の合格モデルは、大きな後期匈奴とわずかな在来ヨーロッパ中核を予測しましたが、代替モデルは大きなサルマティア人祖先系統とわずかな匈奴祖先系統を示しました。両モデルは、最初のモデルの後期匈奴におけるようにサルマティア人を結びつけ、サルマティア人(46〜52%)とウラーンズク石板墓文化(48〜54%)構成要素が予測されました。ASZK-1のゲノムはほぼ全てのモデルでサルマティア人とクレードを形成しました。フン時代の残りの標本はヨーロッパ勾配の北側半分に位置します。それにも関わらず、これらのうち2個体(SEI-1とSEI-5)は、大きなヨーロッパ中核と小さなサルマティア人構成要素でモデル化できます。フン時代の4標本における一般的なサルマティア人祖先系統は、ヨーロッパのフン人への顕著なサルマティア人の影響を示唆します(図3B)。

 CSB-3は大きなヨーロッパ中核祖先系統とわずかなスキタイシベリア祖先系統でモデル化されますが、SEI-6はウクライナのチェルニャヒーウ(Chernyakhiv)文化個体(東ゲルマン/ゴート)のゲノムとクレードを形成しました。ヨーロッパ勾配の上部に位置する外れ値個体のSZLA-646は、リトアニアの古代末期およびイングランドのサクソン個体とクレードを形成しました。この2個体は、おそらくフン人と同盟を締結したゲルマン人集団に属していました。


●フン人とアヴァール人は関連する祖先系統を有していました

 アヴァール人の本論文の調査対象期間標本も、特徴的なPCA「アヴァール人勾配」を形成し、ヨーロッパからアジアへと広がっています(図2A)。PC50クラスタ化は50水準で、12標本で勾配のアジアの極において単一の遺伝的クラスタを形成し、これは8ヶ所の異なる墓地に由来し、アヴァール人アジア中核と命名されます(図2)。合計でアヴァール人アジア中核の12標本のうち10点は初期アヴァール時代に割り当てられ、そのうち4点がエリートに、12点のうち9点が男性に分類されました。エリートの地位は、貴金属の付属品を備えた剣やサーベル、金の耳飾り、金で装飾された帯の付属品など、豊富に供えられた埋葬により示唆されます。

 アヴァール人アジア中核は、バイカル湖地域のシャマンカ(Shamanka)文化銅器時代やロコモティフ(Lokomotiv)遺跡銅器時代標本、またモンゴルの新石器時代東方および北方(関連記事)、モンゴルのフォントノヴァ(Fofonovo)遺跡前期新石器時代(EN)、ウラーンズク石板墓、匈奴の標本とともにクラスタ化します。この結果はADMIXTUREで要約されており(図2B)、ガナサン人と漢人の構成要素がアヴァール人アジア中核では優勢で、アナトリア半島新石器時代とANEの痕跡が伴うものの、イランおよびWHGの構成要素は完全に欠落しています。そのため、アヴァール人アジア中核はアジア東部に由来し、最も可能性が高いのは現在のモンゴルです。

 アヴァール人アジア中核集団内のわずかな遺伝的差異を検出するために、二次元のf4統計が実行されました。アヴァール人アジア中核個体群は、バクトリア・マルギアナ考古学複合(Bactrio Margian Archaeological Complex、以下BMAC)および草原地帯中期〜後期青銅器時代(草原地帯MLBA)人口集団との類似性に基づいて分離でき(図4)、3個体はこれらの祖先系統をごくわずかな割合で有しています。草原地帯MLBA・ANEのf4統計では類似の結果が得られました。イランおよび草原地帯との最小の類似性の3個体もPCAでは明らかに分離されるので、これらはアヴァール人アジア中核1という名称で区別され、他の9点の標本はアヴァール人アジア中核2として再分類されました。以下は本論文の図4です。
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 外群f3統計によると、アヴァール人アジア中核集団はともに、初期匈奴の残りの標本や、ウラーンズク遺跡標本や石板墓文化標本のような、おもに古代アジア北東部(ANA)祖先系統を有するゲノムと最高の浮動を共有しました。f3値の上位50点がある人口集団のうち、41点がフン人アジア中核と共有されていることは注目に値します。さらに、アヴァール人アジア中核1はフン人アジア中核標本の両方で上位50人口集団に位置しており、ヨーロッパのフン人とアヴァール人の共通の深い祖先系統を示します。

 遠位qpAdmモデルによると、アヴァール人アジア中核はフォントノヴァENおよびモンゴル中央部青銅器時代前のゲノムとクレードを形成し(図3A)、両者はANA(83〜87%)とANE(12〜17%)でモデル化されました(関連記事)。全てのデータでは一貫して、アヴァール人アジア中核はひじょうに古いモンゴルの青銅器時代前のゲノムを有しており、ANA祖先系統が約90%になる、と示されます。アヴァール人アジア中核1はウスチベラヤ(UstBelaya)新石器時代(N)95%と草原地帯鉄器時代(草原地帯IA)5%で、アヴァール人アジア中核2はウスチベラヤNが80〜92%と草原地帯IAが8〜20%でモデル化されるので、ほとんどの遠近のqpAdmモデルは遠位供給源を保持しました。アヴァール人アジア中核1の例外的な近位モデルは、ヤナ(Yana)中世とウラーンズクを示唆しますが、アヴァール人アジア中核2では、鮮卑フン人ベレル(Berel)とカザフスタン遊牧民フンサルマティア人祖先系統を示唆します(図3A)。後者のモデルは、フン人とアヴァール人との間で共有された祖先系統も示します。

 アヴァール人勾配の標本76点のうち、26点がアヴァール人アジア中核とヨーロッパ中核の単純な2方向混合としてモデル化でき(図3B)、これらは在来集団と移民の混合子孫であるものの、さらに9点の標本は追加のフン人および/もしくはイラン関連供給源を必要としました。残りの41モデルでは、フン人アジア中核および/もしくは匈奴供給源がアヴァール人アジア中核を置換しました(図3B)。アラン人(Alan)か天山フン人か天山サカ人(Saka)か黒海北岸のアナパ(Anapa)遺跡標本のような、有意なイラン祖先系統を有するスキタイ人関連供給源は、アヴァール人勾配で遍在していましたが、その低い割合を考えると、qpAdmは正確な供給源を特定できませんでした。

 匈奴/フン人関連祖先系統は特定の墓地でより一般的でした。たとえば、ホルトバージ=アルクス(Hortobágy-Árkus、略してARK)やセグヴァール=オロムデュロ(Szegvár-Oromdűlő、略してSZOD)やマコ=ミコッサ=ハロム(Makó-Mikócsa-halom、略してMM)やスザヴァス=グレクサ(Szarvas-Grexa、略してSZRV)のほとんどの標本で検出されました。


●征服者はウゴル人とサルマティア人とフン人の祖先系統を有していました

 征服期標本も、PCAでは特徴的な遺伝的「征服者勾配」を形成します(図2A)。征服者勾配はアヴァール人勾配の北側に位置しますが、PC1軸の中間にしか達しません。PC50クラスタ化は、9ヶ所の異なる墓地に由来する12点の標本で勾配のアジアの極において単一の遺伝的勾配を識別し、征服者アジア中核と命名されます。この遺伝的集団は男女6個体ずつで構成され、12個体のうち11個体は考古学的評価によると征服者エリートに分類されました。征服者アジア中核のPCAでの位置は、現代のバシキール人(Bashkirs)およびヴォルガ川タタール人に対応しており(図2A)、東西のスキタイ人および天山フン人の広い範囲とクラスタ化し、ADMIXTUREでも裏づけられます(図2B)。

 二次元f4統計は、複数の遺伝子流動事象を通じて得られた、征服者アジア中核間のわずかな遺伝的差異を検出しました(図5)。それは、征服者アジア中核が現代中国のミャオ人(Miao)およびウラーンズク石板墓文化標本(ANA)との異なる類似性を有しているからです。これら個体群はミャオ・ANA勾配に沿って直接的に位置しており、これらの祖先系統は征服者集団で共変動するので、ともに到来した可能性があり、起源地の可能性が最も高いのは現在のモンゴルになる、と示唆されます。ミャオ人およびANAとの最高の類似性を有する4個体もPCAの位置が変化したので、この4個体は征服者アジア中核2と命名され、残りは征服者アジア中核1と命名されました(図2)。ANEとBMACの軸に沿って、これらの標本はより分散した位置を示したものの、征服者アジア中核2個体群はやや高い割合のBMAC祖先系統を示しました。以下は本論文の図5です。
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 混合f3統計から、征服者アジア中核1の主要な混合供給源は古代ヨーロッパ人口集団と現代ガナサン人の祖先だった、と示唆されます。ヨーロッパ人側の最も可能性が高い直接的供給源は草原地帯MLBA人口集団だったかもしれず、それは、これらが草原地帯全体のヨーロッパ祖先系統の分散を示したからです。外群f3統計から、征服者アジア中核1は現代シベリアのウラル語族話者人口集団、つまりサモエード語派(Samoyedic)のガナサン人やセリクプ人(Selkup)やエネツ人(Enets)、ウゴル諸語のマンシ人と最高の浮動を共有しており、征服者アジア中核は現代ハンガリー人の近縁言語の進化史を共有していた、と示唆されます。

 f4統計も実行され、共有された進化史が近縁言語に限定されていたのかどうか、検証されました。f4統計の結果、征服者アジア中核1はじっさいにマンシ人と最高の類似性を有しており、最も近い近縁言語はハンガリー語でしたが、サモエード語派話者集団との類似性はエニセイ語族(Yeniseian)話者のケット人(Kets)やチュクチ・カムチャツカ語族(Chukotko-Kamchatkan)話者のコリャーク人(Koryaks)と同等でした。このため、マンシ人が征服者アジア中核と共同分析されました。

 鉄器時代前の供給源から、マンシ人はメゾフスカヤ文化集団とガナサン人とボタイ(Botai)文化集団から、征服者アジア中核1はメゾフスカヤ文化集団とガナサン人とアルタイMLBA 外れ値とモンゴルLBA中核西方4DからqpAdmモデル化でき、これらの集団の後期青銅器時代祖先系統を共有するものの、ガナサン人的祖先系統は、征服者アジア中核ではアルタイ山脈・モンゴル地域に由来するBMACなどスキタイシベリア的祖先系統によりほぼ置換されたことを示す、と確証されます。同じ分析ではケット人とコリャーク人について合格モデルは得られず、それらの集団が異なるゲノム史を有していた、と確証されます。

 近位供給源から、征服者アジア中核1は一貫して、マンシ人(50%)と前期/後期サルマティア人(35%)とスキタイシベリア外れ値/匈奴/フン人(15%)の祖先系統でモデル化でき、征服者アジア中核2は割合が変化した同等のモデルを示しました(図3A)。これらのモデルにおける供給源は一貫性のない期間を定義しているので、混合年代を明確にするためDATES分析が実行されました。DATESから、マンシ人とサルマティア人の混合は征服者個体群の死の53世代前、つまり紀元前643〜紀元前431年頃に起きた、と明らかになり、サウロマタイ(Sauromatian)/初期サルマティアに明確に相当します。マンシ人・スキタイ人とフン人関連の混合は24世代前もしくは紀元後217〜315年頃と年代測定され、鉄器時代ではなく、匈奴後でフン期の前の年代と一致します(図6)。以下は本論文の図6です。
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 征服者勾配のほとんどは、移民と地元民の混合子孫と証明されました。征服者勾配の標本42点のうち31点は、征服者アジア中核とヨーロッパ中核の2方向混合としてモデル化できます(図3B)。残りの標本はおもにエリートに分類され、その多くはアヴァール人勾配に投影されます(図2A)。これらのうち標本5点は、フン人とイラン人の関連する追加供給源を必要とする征服者アジア中核でモデル化できます。合計で外れ値17個体には征服者アジア中核祖先系統が欠けており、アヴァール人アジア中核もしくは匈奴/フン人関連供給源で置換されており、イラン関連の第三の供給源が伴います。

 本論文のデータから、フン人関連のゲノムを有する征服者エリート個体群は特定の墓地に集まっていたようです。たとえば、セゲド=エサロム(Szeged-Öthalom、略してSEO)やナジケーレシュ=フェケーテ=デュレ(Nagykőrös-Fekete-dűlő、略してNK)やシャーンドルファルヴァ=エペルイェシュ(Sándorfalva-Eperjes、略してSE)やサレトゥドヴァリ=ポロシャロム(Sárrétudvari-Poroshalom、略してSP)の各標本は、この祖先系統を有しています。


●新石器時代とコーカサスの標本

 3ヶ所の異なる墓地から、ハンガリーの新たな新石器時代標本のゲノム3点が配列されました。2個体はハンガリーのティサ(Tisza)川新石器時代文化を、1個体はハンガリーのスタルチェヴォ(Starčevo)初期新石器時代文化を表しています。他のゲノムは各遺跡から以前に刊行されており、この研究の新たなゲノムは以前に刊行された標本と同じADMIXTURE特性とPCA位置を示し(図2)、PC50クラスタ化ではアナトリア半島およびヨーロッパ農耕民ともクラスタ化します。

 征服者との考古学的類似性の可能性がある、コーカサス地域に由来する標本3点(図1)も配列されました。PCAでは、アナパの個体群はコーカサスの現代人標本に投影され(図2)、コーカサスとBMAC地域の古代人標本とともにクラスタ化します。アナパ個体群のADMIXTURE特性は、イラン(33%)とヨーロッパ新石器時代(19%)とANE(8%)とアナトリア半島新石器時代(6%)とフン人(6%)とガナサン人(3%)の構成要素を示唆し、WHG構成要素を示唆しません。これらのデータは、ヨーロッパとイランと草原地帯の混合を示唆し、草原地帯標本にはANA祖先系統が含まれます。

 qpAdmから、アナパ個体群はコーカサス地域に由来する古代人のゲノムを有している、と明らかになり、それは、アルメニアMBAが各モデルで主要な供給源(76〜96%)だからです。単一のより低いp値のモデルでは、ロシアのサルトヴォマヤキ(SaltovoMayaki)標本は本論文のアナパ標本群とクレードを形成しましたが、この解釈は要注意で、それは、利用可能なサルトヴォマヤキの3点のゲノムの網羅率がひじょうに低いからです(0.029倍と0.04倍と0.072倍)。PCAでのサルトヴォマヤキ標本群との近接性およびそのクラスタ化から、アナパ標本群の近位供給源はサルトヴォマヤキ標本群と類似している可能性があり、それはこれらが同時代の個体群で、両者ともにハザール可汗国(Khazar Khaganate)の一部だった可能性があるからです。


●Y染色体とミトコンドリアDNAの結果

 PCAの遺伝的勾配に沿っての片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)の分布は、一般的パターンを示します。勾配のアジア側ではアジアのハプログループを有する個体群が、勾配のヨーロッパ側ではヨーロッパのハプログループを有する個体群が見つかります。アジアからヨーロッパに向かう勾配沿いに同じ傾向が広がり、アジアのハプログループの頻度が減少し、ヨーロッパのハプログループの頻度が増加します。

 この法則のいくつかの例外は、ほとんどの場合混合個体群で検出されました。それにも関わらず、ヨーロッパ勾配の数個体はアジアのハプログループを有しており、遠方のアジアの祖先を証明します。これはヤノシダ=トツケルプツァ(Jánoshida-Tótkérpuszta、略してJHT)遺跡の後期アヴァールの墓地においてとくに顕著で、男性3個体のY染色体ハプログループ(YHg)は、そのヨーロッパ人ゲノムにも関わらず、アジアのR1a1a1b2a(Z94)でした。ヨーロッパ勾配では、マダラス=テグラヴェト(Madaras-Téglavető)遺跡の中期アヴァールの1個体(MT-17)もYHg-R1a1a1b2aでしたが、この墓地では、他の男性3個体は全員、アジア人のゲノムを有するYHg-N1a1a1a1a3a(F4205)でした。

 フン人アジア中核の2個体(VZ-12673とMSG-1)はYHg-R1a1a1b2aで、フン人勾配の1個体(ASZK-1)も同様でした。フン人アジア中核に統合された、以前に刊行された他の2個体、つまりクライレイ・フン人380年と天山フン人のYHgはそれぞれR1a1a1b2aとQで、これらのYHgがフン人では一般的だった可能性を示唆します。刊行された匈奴後のフン時代のゲノム(フン時代遊牧民、フン・サルマティア人、天山フン人、鮮卑・フン人ベレル)全てを検討して、YHgは23個体のうち10個体がR1a1a1b2aで、9個体がQと分かり、上記の観察が裏づけられます。これらのYHgは匈奴から継承された可能性が最も高く、それは、これらのYHgが頻繁に見られるものの、フン時代の前のヨーロッパでは稀だったからです。ヨーロッパ人ゲノムを有する本論文のフン時代の標本の残りはYHg-R1a1a1b1の派生で、これはヨーロッパ北部と西部において一般的で、上述のようにこれらの標本の多くのゲルマン人との類似性と一致します。

 アヴァール人アジア中核の男性9個体のうち、7個体はYHg-N1a1a1a1a3a、1個体はC2a1a1b1b、1個体は(R1a1a1b2aの可能性がひじょうに高い)R1a1a1bでした。これにより、現代のチュクチ人(Chukchis)やブリヤート人(Buryats)で最も高頻度のYHg-N1a1a1a1a3aも、以前に示されたようにアヴァール人エリート間では高頻度だった、と確証されました。YHg-N1a1a1a1a3aはアヴァール人勾配の構成員でも一般的で、特定の墓地に集まっているようです。

 アルクト(Ároktő、略してACG)やフェルギョ(Felgyő、略してFU)やSZODやチェペル=カヴィスバニャ(Csepel-Kavicsbánya、略してCS)やキシュケーレシュ=ヴァゴヒディ・デュロ(Kiskőrös-Vágóhídi dűlő、略してKV)やクンペザー=フェルセペザー(Kunpeszér-Felsőpeszér、略してKFP)やソリヨスパロス=フェルセパロス(Csólyospálos-Felsőpálos、略してCSPF)やキスクンドロズマ=ケッテーシュハタール2(Kiskundorozsma-Kettőshatár II、略してKK2)やタタールゼントギョロギ―(Tatárszentgyörgy、略してTTSZ)やマダラス=テグラヴェト(Madaras-Téglavető、略してMT)のアヴァール時代墓地では、男性全員もしくは大半がYHg-N1a1a1a1a3aで、そのほとんどにはアジアの母系が伴っていました。これらの墓地は移民アヴァール人集団に属していたに違いありませんが、在来人口集団は分離していたようで、それは多くのアヴァール時代墓地がアジア人祖先系統の痕跡を示さないからです。

 後者に含まれるのは、メリクト=サンクデュロ(Mélykút-Sáncdűlő、略してMS)やゼゲド=フェヘルトA(Szeged-Fehértó A、略してSZF)やゼゲド=クンドム(Szeged-Kundomb、略してSZK)やキスクンドロズマ=ケッテーシュハタール1(Kiskundorozsma-Kettőshatár I、略してKK1)やキスクンドロズマ=ダルハロム(Kiskundorozsma-Daruhalom、略してKDA)やオロシャザ=ボヌム・テグラギアル(Orosháza-Bónum Téglagyár、略してOBT)やゼックタス=カポルナデュロ(Székkutas-Kápolnadűlő、略してSZKT)やホモクメギー=ハロム(Homokmégy-Halom、略してHH)やアラッティアン=トゥラト(Alattyán-Tulát、略してALT)やキスケロス=ポヒブジュ・マッコ・デュロ(Kiskőrös-Pohibuj Mackó dűlő、略してKPM)やシュケスド=サゴッド(Sükösd-Ságod、略してSSD)で、アジア人系統は稀にしか見られません。SZKとALTとKK1とOBTとSZKTとHHとSZMの墓地では、ほとんどの男性はYHg-E1b1b1a1b1a(V13)で、これはバルカン半島において最も高い頻度となるので、これらの墓地の標本の多くはヨーロッパ中核1もしくはその近くに位置し、典型的なヨーロッパ南部人のゲノムを有していました。

 アジアからの移民を表すアヴァール時代の墓地の第三の集団がありますが、遺伝的背景は異なります。MMやドゥナヴェッセ=コヴァッソス・デュロ(Dunavecse-Kovacsos dűlő、略してDK)やアルクス・ホモクバニャ(Árkus Homokbánya、略してARK)やSZRVの男性のYHgでは、R1a1a1b2aとQ1a2a1が優勢で、これらはヨーロッパのフン人で典型的に見られ、ほぼアジアの母系が伴っていました。これらアヴァール時代の人々は、アヴァールに加わったものの、別々の共同体で孤立していたフン人残党を表していたのかもしれません。これらの墓地の標本のqpAdmモデルがフン人アジア中核もしくは匈奴祖先系統の存在を示唆したように、これらの推論はゲノムデータと完全に一致しています。上述のように、フン人祖先系統はYHg-R1a1a1b2aで見られるようにいくつかの他の墓地の標本にも存在していますが、それらの墓地では、人口集団は遺伝的には均一ではありませんでした。

 征服者人口集団は、フン人およびアヴァール人と比較して、より不均質なハプログループ組成を有していました。征服者アジア中核の男性6個体のYHgでは、3個体がN1a1a1a1a2、1個体がD1a1a1a1b、1個体がQ1a1a1で、一般的にアジアの母系が伴います。他の2個体はYHg-N1a1a1a1a2a1cで、征服者エリートの1個体(SO-5)と庶民の個体(PLE-95)で検出されたので、このYHgは征服者集団に固有のようです。以前の研究で示されたように(関連記事)、このYHgは明らかに征服者とマンシ人をつなぎます。別の関連するYHg-N1a1a1a1a(M2128)は、本論文の新たな征服者エリート標本2点と、以前の研究の他の征服者エリート標本2点で検出されました。このYHgは現代ヤクート人(Yakuts)において一般的で、ハンティ人(Khantys)やマンシ人やカザフ人では頻度がより低いので、マンシ人と征服者をつなげるかもしれませんが、中期アヴァール時代の1個体にも存在していました。

 ヨーロッパのYHg-I2a1a2b1a1aも征服者集団、とくに以前にも示されたようにエリートにおいて固有であり、高頻度でアジアの母系が伴うことは、注目に値します。これは、YHg-I2a1a2b1a1aが在来人口集団よりも移民で一般的だった可能性を示唆します。さらに、他の2系統のYHgが征服者では顕著な頻度で見られました。YHg-R1a1a1b2aはエリート3個体と庶民2個体に存在しましたが、YHg-Qはエリート3個体で見られ、これはフン人との関係の痕跡かもしれず、ゲノム水準でも検出されました。ほぼ全てのYHg-R1a1a1b2aもしくはQの征服期男性がフン人関連祖先系統を有していたので、この結果もゲノムデータと一致します。


●考察

 本論文で明らかにされたフン人とアヴァール人と征服者のゲノム史は、歴史学と考古学と人類学と言語学の典拠と一致します(図7)。本論文のデータから、ヨーロッパのフン人とアヴァール人の軍事的および社会的指導者層の少なくとも一部は、それ以前となる現在のモンゴルなどに広がっていた匈奴帝国起源の可能性が高く、フン人とアヴァール人の両集団は初期匈奴の祖先にまでさかのぼれる、と示されます。北匈奴は2世紀にモンゴルから駆逐され、その西方への移住期間に直面した最大の集団の一つがサルマティア人でした。

 以前の研究では、ウラル地域におけるフン人とサルマティア人の混合文化の形成はヨーロッパにおけるフン人の出現前と推定され、これは本論文のフン人標本で検出された有意なサルマティア人祖先系統と一致しますが、この祖先系統は後期匈奴でも存在していました。したがって、本論文のデータは、複数の歴史家により主張されたように、ヨーロッパのフン人の祖先が匈奴である、という見解と一致します。本論文のフン人標本では、ゴート人もしくは他のゲルマン人のゲノムも検出され、これも歴史的な情報源と一致します。以下は本論文の図7です。
画像

 本論文のアヴァール人アジア中核個体群のほとんどは前期アヴァール時代を表しており、「エリート」標本の半分はアヴァール人アジア中核に分類されました。他のエリート標本もこの祖先系統を高い割合で含んでおり、この祖先系統がエリートで高頻度だったものの、庶民にも存在していた可能性を示唆します。エリートは起源がよく定義されているひじょうに古いアジア東部ゲノムを保存しており、それはYHgのデータからも推測されます。

 本論文のデータはアヴァール人の楼蘭起源とも一致しますが、単一の低網羅率の楼蘭標本のゲノムは、qpAdmでは適合性が不充分でした。しかし、アヴァール人勾配個体群の半分未満はアヴァール人アジア中核祖先系統を有しており、アヴァール人集団の多様な起源が示唆されます。本論文のモデルから、アヴァール人は匈奴/フン人アジア中核およびイラン関連祖先系統を有する集団を組み込み、それはおそらく以前主張されたように、ポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)におけるヨーロッパのフン人とアラン人の残党でした。フン人関連ゲノムを有する標本が別々の墓地に埋葬されたので、さまざまな遺伝的祖先系統を有する人々は区別されたようです。

 アヴァール人の後にカルパチア盆地に到来した征服者は、ユーラシア西部との混合水準増加とともに、別のゲノム背景を有していました。その中核人口集団は現代のバシキール人およびタタール人とひじょうに類似したゲノムを有しており、以前の片親性遺伝標識の結果と一致します。そのゲノムはいくつかの混合事象により形成され、そのうち最も基礎的なのは後期青銅器時代の頃のメゾフスカヤ文化集団とガナサン人の混合で、「ウゴル諸語祖語」遺伝子プールの形成につながりました。これは一般的な人口統計学的過程の一部で、そこでは草原地帯MLBA人口集団がBMAC集団からの流入とともに東部フブスグル関連シベリア人からの流入を受け、ANA関連混合が東部草原地帯で遍在するようになり、スキタイシベリア人の遺伝子プールが確立されました。その結果、ウゴル諸語祖語集団はメゾフスカヤ文化領域の近くで、カザフスタン北部地域において後期青銅器時代から初期鉄器時代の初期スキタイシベリア人社会の一部になったかもしれません。

 本論文のデータは、征服者とマンシ人が共通の初期の歴史を有していると予測した、言語学的モデルを裏づけます。その後、マンシ人はおそらく鉄器時代に北方へ移住し、孤立して青銅器時代のゲノムを保持しました。対照的に、征服者は草原・森林地帯に留まり、イラン語話者の初期サルマティア人と混合し、それはハンガリー語におけるイランの借用語の存在でも証明されます。この混合はサルマティア人が部族を掌握し、ポントス・カスピ海草原を占拠する前に、近隣部族を統合し始めた時に起きた可能性が高そうです。

 全ての分析から一貫して示唆されるのは、征服者の祖先はさらに、ヨーロッパのフン人の祖先と特定できる漢人・ANA関連祖先系統を有するモンゴルからの集団と混合した、ということです。この混合は、フン人が370年にヴォルガ川地域に到来し、サルマティア人と征服者の祖先などウラル地域の東側の在来部族を統合した前に起きた可能性が高そうです。これらのデータは、征服者と、トランスウラル地域のウェルギ(Uyelgi)墓地のクシュナレンコヴォ・カラヤクポヴォ(Kushnarenkovo-Karayakupovo)文化個体群との間の系統発生的つながりから推測されているように(関連記事)、フン人の移動経路に沿って、初期サルマティア人の近くのウラル地域周辺の征服者の原郷と一致しています。

 最近、ハンガリー人を例外として、ガナサン人的な共有されているシベリア人の遺伝的祖先系統が、全てのウラル語族話者人口集団で検出されました。本論文のデータは、ハンガリーを征服した中核人口集団が多くのガナサン人祖先系統を有していた、と示すことにより、この逆説を解決します。現代ハンガリー人でこれが無視できるという事実は、在来人口集団と比較しての移民の数のかなりの少なさに起因する可能性が高そうです。アヴァール人と征服者の両方におけるフン人アジア中核祖先系統を有する多数の遺伝的外れ値は、これらの連続する遊牧民集団がじっさいに重複する人口集団から集められたことを証明しています。なお、関連する最近の研究では、アヴァール人支配層がユーラシア東部起源だった、と示されています(関連記事)。


参考文献:
Maróti T. et al.(2022): The genetic origin of Huns, Avars, and conquering Hungarians. Current Biology.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2022.04.093

https://sicambre.seesaa.net/article/202205article_29.html  

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