★阿修羅♪ > 近代史5 > 285.html
▲コメTop ▼コメBtm 次へ 前へ ★阿修羅♪
フランス人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/285.html
投稿者 中川隆 日時 2020 年 9 月 01 日 11:25:24: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: ヨーロッパ人の起源 投稿者 中川隆 日時 2020 年 8 月 25 日 16:02:53)


フランス人の起源


雑記帳 2020年06月02日
中石器時代から鉄器時代のフランスの人口史
https://sicambre.at.webry.info/202006/article_2.html


 中石器時代から鉄器時代のフランスの人口史に関する研究(Brunel et al., 2020)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。過去1万年、ユーラシア西部集団は2回の大きな文化的変化を経てきました。最初は、新石器時代における狩猟採集生活様式から食料生産に基づき生活様式への移行です。その次が、紀元前三千年紀と紀元前二千年紀における冶金術の発展と改善で、青銅器時代となり、次に鉄器時代へと発展しました。古代ゲノムは過去の集団を特徴づけるのに役立ってきました。通時的連続は、ヨーロッパと定義された地域の時間的なゲノム規模動態を調査してきており、これらの文化的変化が、ユーラシア西部集団の遺伝的構成を深く変えた人口統計学的変化の結果だった、と明らかにしました(関連記事)。

 現在のフランスでは、これらの移行の基礎となる人口統計学的過程は、地域全体の規模ではまだ調査されていません。部分的なミトコンドリア配列情報もしくは部分的なY染色体配列に基づいて、個々の考古学的遺跡に限定された一握りの研究が行なわれてきただけです。その地理的位置により、フランスはヨーロッパ西部の集団移住の理解に戦略上重要な位置を占めます。北部の新石器時代線形陶器文化(Linear Pottery、Linearbandkeramik、略してLBK)と、南部のインプレッサ・カルディウム複合(the Impressa and Cardial complexes、略してICC)という新石器化のヨーロッパ中央部および地中海の両方の傾向は、フランスで確立ましたが、その相互作用の程度は未解決のままです。さらに、青銅器時代と鉄器時代の始まりにおける、ヨーロッパ全域の冶金術の発展と拡大のランスにおける遺伝子プールへの影響は、まだ不明です。

 本論文は、農耕開始前の中石器時代から鉄器時代までの7000年にわたる人口統計学的動態を調査するため、54ヶ所の異なる考古学的遺跡から標本抽出された243人を遺伝的に分析し、完全なミトコンドリアゲノムと、Y染色体を含む核の一塩基多型データを提示します。分析された243人のうち、40人で直接的な放射性炭素年代測定結果が得られました。また、223人で完全なミトコンドリアゲノムが得られ、62人の男性でY染色体ハプログループ(YHg)が決定されました。これらヨーロッパ西部のデータは、これまで欠けていた地理的間隙を埋め、ヨーロッパにおける過去の人口動態のより全体的な視野を可能とします。


●フランスの中石器時代の基層

 フランスのシャラント(Charente)県アグリス(Agris)のレペラッツ(Les Perrats)遺跡の中石器時代5人のゲノムデータが生成されました。放射性炭素年代測定法による較正年代は紀元前7177〜紀元前7057年で、この中には低網羅率のショットガン配列の3人が含まれます。この5人は全員ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)がU5bで、以前の研究で示されているように、mtHg-U5bは中石器時代のフランスでは主流で(85%)、U5a(15%)が続きます。

 フランスで発見された中石器時代狩猟採集民は、ゲノム規模の主成分分析では端に近く、ヨーロッパ西部中石器時代個体群の近くに位置します。14000年前頃となるイタリアのヴィラブルナ(Villabruna)遺跡個体の系統が、ヨーロッパ西部および中央部全域で完新世狩猟採集民において支配的である一方で、ベルギーのゴイエット(Goyet)遺跡で発見された 19000年前頃の個体(Goyet Q-2)に表されるマグダレニアン(Magdalenian)関連系統が、イベリア半島では完新世まで続いていた、と報告されています(関連記事)。

 イベリア半島の狩猟採集民ではこの両系統が見られますが、他のほとんどの地域ではヴィラブルナ関連系統のみが存在します。フランスの狩猟採集民におけるこの後期更新世2系統の割合を調べるためqpAdmが用いられ、レペラッツ遺跡の狩猟採集民は、スペインの中石器時代のラブラナ(La Braña)もしくはカネス1(Canes1)遺跡の個体群と比較して、相対的に高いマグダレニアン関連系統(31.3〜45.6%)を有しており、イベリア半島外の狩猟採集民におけるマグダレニアン関連系統が示唆されます。最近公表された研究でも、フランスで発見された新石器時代個体群のゲノムでマグダレニアン(ゴイエットQ2)関連系統が確認されています(関連記事)。


●フランス新石器時代における移住と混合の継続的な波

 新石器時代開始時のアナトリア半島新石器時代系統の到来は、単系統遺伝(父系と母系)でもゲノム規模でも明確です。紀元前5300年前頃に始まるフランスの新石器時代農耕民の母系は狩猟採集民よりも多様で、時間の経過に伴い頻度が変動します。前期および中期新石器時代個体群は、ヨーロッパ南部と遺伝的類似性をより多く共有しており、その遺伝的多様性は同時代のヨーロッパ集団に含まれます。LBK関連個体群のうち3人は、他のヨーロッパ中央部前期新石器時代(EN)個体群と遺伝的にクラスタ化し、LBK関連の他の早期農耕民と遺伝的浮動を共有します。フランス北東部の7100年前頃となるMor6個体は、LBK関連個体群として例外的に、イベリア半島EN個体群の遺伝的多様性の範囲内に収まり、ヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)の共有されたアレル(対立遺伝子)の最高の割合を有します。qpAdmでその起源を検証すると、アナトリア半島新石器時代系統とゴイエットQ2の混合モデルが最適で、従来これはイベリア半島のEN個体群でのみ報告されてきた構成です。

 Mor6個体はゴイエットQ2系統の最北端の事例となります。これまで、ヨーロッパで新石器時代農耕民と混合したヨーロッパ西部の狩猟採集民集団におけるマグダレニアン(ゴイエットQ2)関連系統は、中石器時代狩猟採集民の遺伝的データの不足のため、明確ではありませんでした。イベリア半島におけるこの系統の観察は、ICCをLBK新石器時代移民と区別する特徴として解釈されてきました。ゴイエットQ2系統が、9100年前頃となるフランス西部のレペラッツ遺跡や、フランス中央部東方の15500年前頃となるRigney1(リニー1)遺跡や、ドイツ南西部の15000年前頃となるホーレフェルス(Hohlefels)および14600年前頃となるブルクハルツヘーレ(Burkhardtshöhle)という洞窟遺跡で発見された狩猟採集民で、ヴィラブルナ系統と一緒に見つかったという観察は、むしろこの混合がヨーロッパ西部の狩猟採集民の特徴であることを示唆します。本論文のデータセットで唯一の男性中石器時代個体のYHgがIである一方、フランスのLBK個体群のYHgは相対的に多様で、C1a2・G2a・H2に区分されます。

 フランス東部では、中期新石器時代への移行は、紀元前4700〜紀元前4500年頃となるドナウ川圏のグロスガルタハ(Grossgartach)文化の個体群に代表されます。グロスガルタハ文化個体群は、mtHg頻度とゲノム規模両方の主成分分析では、同時代のヨーロッパ中央部個体群と近く、ドナウ川圏内の遺伝的均一性が示唆されます。フランス北部の中期新石器時代個体(BUCH2)は、アナトリア半島新石器時代系統とともに狩猟採集民系統を有しており、この狩猟採集民系統はゴイエットQ2系統とヴィラブルナ系統との混合です。ここでも改めて、ゴイエットQ2系統が新石器時代ではヨーロッパ南西部に固有ではない、と確認されます。

 しかし、LBK個体群からWHGへの微妙な変化が観察され、WHGとの共有アレルの増加が反映されています。これは、ヨーロッパ全域における他の古代集団からの観察を反映しており、割合はより高くなっています。この現象はフランスではひじょうに早く出現するようで、新石器時代でも時代が進むと、さらにWHG関連系統が強くなります。mtHgでも、中期新石器時代以降の農耕民で、中石器時代狩猟採集民に特有の系統がさまざまな頻度で見られるようになり、たとえばU5bです。フランス北東部のシャンパーニュ地域で支配的なこれらのmtHgは、在来の狩猟採集民と拡散してきた農耕民との混合のさまざまな割合を示唆します。紀元前4500年頃以降となる中期新石器時代の後半になると、フランス北部および南部の個体群は、主成分分析ではほとんど区別されません。イベリア半島とは異なり、フランスの古代集団における新石器時代系統の起源となった移民は、明確には確定できませんでした。qpAdmを用いると、フランスの中期新石器時代後半の個体群における狩猟採集民系統の起源は、フランス南部の個体群のみ、ゴイエットQ2的系統のさまざまな水準を有しており、異なる狩猟採集民集団との混合が示唆されます。


●フランスの鐘状ビーカー複合期

 新石器時代末に、鐘状ビーカー複合(Bell Beaker Complex、略してBBC)が出現し、ヨーロッパ中に広がりました。BBCは地理的分布が広範で、在来の後期新石器時代および銅器時代文化と共存しているという点で、独特です。本論文はBBC関連の2人(CBV95およびPEI2)を報告しています。フランスのBBC関連個体群は、ユーラシア草原地帯系統のさまざまな割合を示します。フランス北部のCBV95は、本論文のデータセットでは草原地帯系統のヤムナヤ(Yamnaya)系統の割合が最高となり、YHg-R1b1a1bで、紀元前2500年頃のフランスにおいてYHg-R1bの存在の最初の明確な証拠となります。YHg-R1bは後期新石器時代のヨーロッパ中央部における草原地帯からの移民の到来と関連づけられており、ヨーロッパの他地域とフランス南部のBBC関連個体群で報告されていますが、青銅器時代前のイベリア半島ではほぼ見られません。

 BBC人工物を伴うフランス南西部のカルカソンヌ(Carcassonne)近くの埋葬遺跡で発見された男性個体PEI2は、主成分分析では新石器時代個体群の遺伝的多様性の範囲内に収まります。しかし、アナトリア半島新石器時代とヴィラブルナとヤムナヤ・サマラ(Yamnaya_Samara)の3集団をソースとした混合比率のモデル化では、PEI2で28.3%の草原地帯系統が検出されます。これらの観察は以前の知見と一致し、草原地帯系統が後に出現し、ヨーロッパ南西部ではヨーロッパの他地域よりも低い影響を及ぼした、と確証します。CBV95でもPEI2でも、混合モデルではヴィラブルナ系統は含まれず、既知の後期新石器時代個体群とは異なります。


●青銅器時代と鉄器時代の相対的な連続性

 フランスの青銅器時代の個体群は、低頻度ながら新たなmtHgであるU2・U4・Iを示します。ヨーロッパ東部集団と後期新石器時代ヨーロッパ中央部集団で最初に報告されたこれらのmtHgは、青銅器時代の始まりにおけるポントス草原地帯牧畜民の母系に由来する集団との遺伝子流動を示唆します。BBC関連個体CBV95における早期出現で示されているように、青銅器時代にはYHgの劇的な置換が起き、本論文の標本でも、YHg-R1bが既存の新石器時代系統の多様性を置換しました。青銅器時代では13人のうち11人、鉄器時代では10人のうち7人がYHg-R1bです。

 青銅器時代と鉄器時代のフランスの個体群は、主成分分析では共通の位置を占め、現代のヨーロッパ中央部個体群の方へと移動し、青銅器時代のブリテン島およびヨーロッパ中央部の遺伝的多様性の範囲内に収まり、草原地帯構成は均質化します。ヨーロッパ中央部とは対照的に、鉄器時代にはユーラシア東部の遺伝子型へのさらなる移動は見られません。代わりに、青銅器時代個体群間で不均一に分布していた草原地帯構成(30〜70%)は均一になっていき、フランスのハルシュタット(Hallstatt)文化およびラ・テーヌ(La Tène)文化の個体群は、現代人および古代人の両方へと似た類似性を示します。

 これは、フランスにおける青銅器時代から鉄器時代への移行が、おもに文化拡散に起因しており、外部集団からの大きな遺伝子流動がなかったことを示唆します。この知見は、鉄器時代後半のケルト人がすでにヨーロッパ西部で確立されていた集団の子孫で、BBCの境界内にいた、という考古学的および言語学的仮説と一致します。しかし、青銅器時代までのヨーロッパ集団間の相対的な遺伝的均質性のため、ヨーロッパの異なる地域間のその後の移住は、これまでの水準の網羅率では容易に気づかれないかもしれない、と本論文は注意を喚起します。以下は、系統構成の経時的変化を示した本論文の図1です。

画像
https://www.pnas.org/content/pnas/early/2020/05/20/1918034117/F1.large.jpg


●表現型関連の遺伝標識の分析

 変化する生活様式と環境への遺伝的適応の進化的年表を調べるため、身体および生理学的特性と関連する、73人の常染色体遺伝子座が分析されました。まず、目や肌の色(色素沈着)と関連する遺伝的多様体(SLC24A5・SLC45A2・GRM5・HERC2・IRF4・TYR)が調べられました。中石器時代狩猟採集民とアナトリア半島新石器時代農耕民は、色素沈着アレルで異なっており、後者は現代ヨーロッパでほぼ固定されている明るい肌と関連する派生的アレルを有していますが、前者はむしろ濃い色の肌と明るい色の目を有します。中石器時代個体群は、SLC45A2とGRM5遺伝子座で祖先的な色素沈着多様体を有しており、より濃い色の肌と関連しています。対照的に、フランスの新石器時代集団ではこれら2遺伝子座の派生的アレルが顕著に高くなっていますが(SLC45A2で24.9%、GRM5で38.4%)、現代ヨーロッパにおけるこれらのアレルの頻度(SLC45A2で93.8%、GRM5で68.9%)よりはずっと低くなっています。SLC24A5は明るい肌の色と関連している主要な変異で、本論文で分析された新石器時代集団の96%で見られ、現代ヨーロッパにおける99%に近くなっています。

 これらの結果は、フランスにおけるそれらの変異の異なる進化的年表を示唆し、明るい肌の色という類似した表現型は、いくつかの選択事象の結果である可能性が高そうですが、こうした特製の遺伝的決定はより複雑で、これら3遺伝子座だけではコードされていない可能性が高いでしょう。目の色に関連する多様体(HERC2とIRF4)を有する中石器時代個体は、青い目と関連するアレルを有しています。新石器時代には、これら2多様体の頻度はそれぞれ29.6%と24.4%に達しました。興味深いことに、これら2多様体は新石器時代後の軌跡が異なるようです。HERC2の頻度は青銅器時代に37.5%から上昇して現代ヨーロッパで最終的に63%以上に達しましたが、IRF4は青銅器時代の23.81%から現代の11%に低下しました。遺伝型の特定された新石器時代個体群は誰も現代ヨーロッパ人の乳糖耐性関連変異を有しておらず、この変異のもっと後の起源と一致します。

 現代ヨーロッパ人集団における最近の正の選択の痕跡を示す、いくつかの自然免疫関連多様体も分析されました。多くの免疫応答関連遺伝子(NOS2A・TOLLIP・CCL18・STAT6・IL3)に関して、現代ヨーロッパ人と派生的アレルの頻度が比較されました。その結果、これらの遺伝子座の選択が新石器時代に先行する一方で、TLR1–6–10遺伝子座(自然免疫応答関連のToll様受容体ファミリー)の多様体の頻度は、フランス新石器時代集団では現代ヨーロッパ人よりもずっと低い、と示唆されました。TLR1–6–10遺伝子クラスタは、ハンセン病か胚結核か他の結核への耐性と関連している可能性があります。本論文のデータは、農耕と家畜への接近の開始がこの遺伝子座への選択圧とはならなかった、と示唆します。同様に、SH2B3もしくはSLC22A4におけるセリアック病と関連する多様体は、さまざまな環境毒素の炎症と除去に果たす役割に起因する正の選択の標的だった可能性がありますが、フランス新石器時代集団では現代人集団の頻度には達していません。


●まとめ

 古代ゲノム研究によるフランスの7000年の人口史は、現代ヨーロッパ集団で依然として痕跡の見られる、多くは大きな文化変化と混合事象を伴う、連続的な移動事象を明らかにします。フランス西部の中石器時代個体群のゲノムデータは、ゴイエットQ2に表される上部旧石器時代のマグダレニアン関連系統の遅い存続が、イベリア半島に限定されていなかった、と示します。この知見は、マグダレニアン関連系統が見られる地域を拡大し、この混合がどこで起きたのか、という問題を提起します。ヨーロッパ西部からのより多くの個体が、マグダレニアン関連系統の歴史をよりよく特徴づける研究に必要です。

 フランス北部の新石器時代人がアナトリア半島の早期農耕民の子孫で、したがって在来の狩猟採集民とは異なる集団を形成した一方で、その後の狩猟採集民との混合が検出され、農耕共同体との漸進的な統合が支持されます。狩猟採集民との混合の過程は、広範ではあるものの、地域的な変性と起源を示します。しかし、フランス南部の利用可能なデータは乏しく、LBKとICCの間の接触が起きたのかどうか結論づけることも、それに続く新石器時代文化に存在するかもしれない遺産を識別することもできません。他のフランス北部および南部の他地域のゲノムデータが、中期および後期新石器時代の異なる文化集団の起源と関係に関する仮説を確証するのに必要です。

 常染色体遺伝子座の研究は、フランスの新石器時代の人々と現代ヨーロッパ人との間の違いを明らかにしました。派生的アレル頻度は、高緯度と食性変化への適応と一致する、色素沈着と食性と免疫に関連する遺伝子座への選択を示唆します。また、フランスの中石器時代狩猟採集民も新石器時代農耕民も乳糖耐性アレルを有しておらず、青銅器時代末までにのみこのアレルの存在を報告した、より東方の新石器時代集団に関する研究と一致します。

 本論文の重要な結果は、フランスにおける青銅器時代と鉄器時代の個体群間の遺伝的継続性ですが、鉄器時代の個体群間では異質性がより低下しています。そのような状況では、ヨーロッパのある地域から他地域へけいの移動の追跡はより困難になるので、より深い時空間的分析が必要です。

 最近、中石器時代と新石器時代のフランス全域を対象とした古代ゲノム研究が公表されましたが(関連記事)、本論文はそれよりもさらに対象とする時代を拡大しています。本論文の見解は、じゅうらいの研究と大枠では一致していますが、最近公表された研究と同様に、イベリア半島外での新石器時代におけるマグダレニアン(ゴイエットQ2)関連系統の存在を報告するなど、新たな知見を提示しています。ユーラシア西部、とくにヨーロッパの古代DNA研究はユーラシア東部よりもずっと進んでいますが、より詳細なヨーロッパ人口史の解明には、さらに古代ゲノムデータが必要となります。本論文では、フランスにおける青銅器時代と鉄器時代の集団間の相対的な遺伝的連続性が示されていますが、本論文で指摘されているように、より高解像度の研究が提示されれば、ある程度大きな遺伝的変化が見えてくるかもしれません。日本人の私としては、ユーラシア東部、とくにアジア東部とヨーロッパとの古代DNA研究の差が今後少しでも縮まっていくよう、期待しています。


参考文献:
Brunel S. et al.(2020): Ancient genomes from present-day France unveil 7,000 years of its demographic history. PNAS, 117, 23, 12791–12798.
https://doi.org/10.1073/pnas.1918034117

https://sicambre.at.webry.info/202006/article_2.html  

  拍手はせず、拍手一覧を見る

コメント
1. 2020年9月01日 11:26:59 : WyT5nCL4pQ : YzlncmJkNllTTWc=[13] 報告
雑記帳 2020年06月01日
フランスとドイツの中石器時代と新石器時代の人類のゲノムデータ
https://sicambre.at.webry.info/202006/article_1.html

 フランスとドイツの中石器時代と新石器時代の人類のゲノムデータに関する研究(Rivollat et al., 2020)が公表されました。採集から農耕への変化となる新石器時代への移行は、人類史における最重要事象の一つです。ユーラシア西部では、新石器時代の生活様式は、紀元前七千年紀から続く、レヴァント北部からのアナトリア半島経由の可能性が高い西方への拡大として示されてきました。二つの主要な考古学的によく定義された流れに沿って、農耕は拡大しました。一方はドナウ川沿いでのヨーロッパ中央部への拡大で、もう一方は地中海沿岸でのイベリア半島への拡大です。

 最近の大規模なゲノム研究では、農耕拡大は人々の拡散を通じての拡大によるものだったと示されますが、地域単位での研究では、拡散してきた農耕民と在来の狩猟採集民との間の混合が複雑で地域的だった、と示唆されます。大陸経路はヨーロッパ南東部から中央部で比較的よく考古学的記録が見つかっており、とくに新石器時代線形陶器文化(Linear Pottery、Linearbandkeramik、略してLBK)において、ひじょうに限定的な最初の生物学的相互作用を伴う急速な拡大が示されています。その後、千年紀以上にわたって、拡散してきた農耕民は在来の狩猟採集民と共存し、文化的交換を続けた証拠があります。ヨーロッパ南東部における新石器時代の拡大は地中海沿岸経路と関連しており、拡散してきた農耕民の最初の定住後の、少なくとも千年紀の狩猟採集民との増加する混合パターンが、イベリア半島で観察されます(関連記事)。これらの研究から浮かび上がってくる全体像は、ヨーロッパ全地域において、最初の拡散してきた農耕民と在来の狩猟採集民との間の混合はほとんどなく、新石器時代が進むにつれて狩猟採集民系統が増加していった、というものです。新石器時代でも後期段階で検出された狩猟採集民要素は、カルパチア盆地とイベリア半島に地域的起源がある、と示されてきました。

 考古学的観点から、後期狩猟採集民と早期農耕民との間の相互作用のさまざまな様式を定義して示すことは容易ではなく、明確で正確な時空間的枠組みを生成するには、高解像度データと正確な分析手法が必要です。大陸経路に沿って、中石器時代集団と新石器時代集団との接触の証拠が西方に向かって増加します。全体として、最後の狩猟採集民の石器群は技術的および様式的に、初期農耕民の石器群にむしろ類似しています。狩猟採集民との接触兆候は、中石器時代後期の石刃と台形石器の範囲における、地域的伝統を有するほぼ細石器タイプです。移住農耕民と狩猟採集民の間の接触の考古学的兆候は、ドイツ南西部において、ヘッセン州の最初のLBK遺跡群だけからではなく、ファイインゲン(Vaihingen)からも報告されてきました。フランス北西部のラオゲット(La Hoguette)やドイツ西部のリンブルク(Limburg)の土器のような農耕民および狩猟採集民と土器を有する集団の間の共存は、LBK集落内で記録されています。集落内での共存の証拠はもはや観察できませんが、特定の狩猟採集民装飾品がヨーロッパ西部中央の埋葬地で観察されてきており、中期新石器時代を通じてこれらの異なる集団の共存伝統が継続したことを示唆します。

 地中海西部経路では、主な不確実性は、イタリアにおけるインプレッサ・カルディウム複合(Impresso-Cardial complex、略してICC)の拡散の起源です。後期の狩猟採集民集落はイタリア半島北東部に集中していますが、最初期の農耕民は南部に出現し、地理的にはほとんど重なりません。対照的に、最後の狩猟採集民と最初の農耕民の間の不連続性は、フランス南部ではもっと顕著です。これは、最後の狩猟採集民の石刃と台形石器のインダストリーと、最初の農耕民の道具一式の顕著な様式の違いに基づいています。これらの不一致は、文化的・人口的変化を合理的に主張します。しかし、フランス南部もしくはイベリア半島における中石器時代から新石器時代への遷移を提供する層序系列はわずかで、ほとんどの場合、明確な層序の間隙が記録されており、推定される地域的相互作用と一致させるのは困難です。新石器時代系列における連続的な石器群、もしくは稀な石器時代の再発は、地中海沿岸の最初の農耕民の植民後、少なくとも3世紀にわたってアルプス南部のみで見られます。

 ヨーロッパ北西部では、新石器時代の生活様式の到来はもっと複雑です。考古学的研究では、中石器時代から新石器時代への相互作用と交換の様相はひじょうに違いがあり、地域的な多様性が見られます。紀元前5850年以降となるICC開拓者集団によるフランス南東部の植民と、紀元前5300年頃までとなるフランス北東部の最初期農耕民集団による植民との間には、もっと顕著な年代的間隙さえあります。大西洋沿岸へと至るヨーロッパ西部の新石器時代農耕民集団拡大の二つの主要な流れの経路と、在来の中石器時代社会との相互作用の程度は両方、次の世紀の地域全体の物質文化で見られる多様性のモザイク状パターンを生み出しました。このパターンは文化水準でよく説明されてきましたが、とくに現在のフランスでは、現在まで利用可能なゲノムデータはありません。パリ盆地の農耕民のミトコンドリアDNA(mtDNA)研究は、狩猟採集民に特徴的なmtDNAハプログループ(mtHg)、とくにU5の割合が、ヨーロッパ中央部および南部よりも高いことを強調し、さまざまな過程の作用を示唆します。

 本論文の目的は、現在のフランスおよびドイツを主要な対象として、新石器時代最初期段階の人類集団間の文化的および生物学的相互作用の複雑さと変異性を解明することです。本論文の対象研究地域は、ヨーロッパ中央部(ドナウ川経路)の初期農耕共同体と、フランス南部(地中海沿岸経路)の初期農耕共同体との収束、および在来の後期狩猟採集民とのさまざまな形の相互作用を包含するのに適しています。


●主成分分析

 本論文は、現在のフランスとドイツの12遺跡で発見された101人のゲノム規模データを新たに報告します。年代は紀元前7000〜紀元前3000年頃で、中期石器時代が3人、新石器時代が98人です。約120万ヶ所の一塩基多型データ(平均網羅率0.6倍)と、mtDNAデータ(平均網羅率249倍)が得られました。一親等の関係は下流分析では除外されています。これらの新たなデータが、既知の古代人(629人)および現代人(2583人)と比較されました。また、古代人30個体の新たな放射性炭素年代測定結果も得られました。

 中期石器時代個体で新たに報告された、ドイツのバート・デュレンベルク(Bad Dürrenberg)の1個体(BDB001)とボッテンドルフ(Bottendorf)の2個体(BOT004およびBOT005)は、主成分分析ではヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)の範囲内に収まります。後期新石器時代となる漏斗状ビーカー文化(Trichterbecherkultu、Funnel Beaker Culture、略してTRB)関連のエルベハーフェル(Elb-Havel)のタンガーミュンデ(Tangermünde)遺跡の1個体(TGM009)は、WHGと新石器時代農耕民の間の中間に位置します。新たに配列された新石器時代個体群は、既知の地域的な2亜集団とクラスタ化します。一方は、ヨーロッパ中央部および南東部の新石器時代個体群で、もう一方は、PC1軸でわずかにWHGに寄っているヨーロッパ西部(イベリア半島とフランスとブリテン諸島)の新石器時代個体群です。4集団を対象としたf統計(単一の多型を対象に、複数集団で検証する解析手法)では、これらの観察はヨーロッパの狩猟採集民との類似性のさまざまな程度に由来する、と確認されます。ドイツのシュトゥットガルト・ミュールハウゼン(Stuttgart-Mühlhausen、略してSMH)とシュヴェツィンゲン(Schwetzingen、略してSCH)とハルバールシュタットHalberstadt(Schwetzingen、略してSCH)の前期新石器時代個体群(既知の44人と新たな42人)はLBKと関連し、ヨーロッパ中央部の早期農耕民集団の均一な遺伝的集団を形成します。

 フランスの新石器時代集団は、ヨーロッパ西部新石器時代個体群とクラスタ化しますが、ICCとなるフランス南部のペンディモン(Pendimoun、略してPEN)遺跡とレスブレギエーレス(Les Bréguières、略してLBR)遺跡の個体群は、さらにWHGへと寄っています。これは、他のあらゆる早期新石器時代個体群よりも高い狩猟採集民構成と、同時代のイベリア半島の西部早期農耕民集団と比較しての、混合の異なる歴史を示唆しています。PENおよびLBRの両遺跡については、狩猟採集民系統が少ないAと多いBという亜集団に区分されます。フランス南部の新石器時代個体群は、ヨーロッパ南東部および中央部農耕民の亜集団の範囲内に収まるアドリア海地域のICC関連個体群とは集団化しません。ヨーロッパ中央部および西部の両集団は依然として紀元前五千年紀と紀元前四千年紀に存在しており、ライン川沿いの地理的境界が示唆されます。フランス北部の中期新石器時代では、ギュルジー(Gurgy、略してGRG)遺跡とプリッセ・ラ・シャリエール(Prissé-la-Charrière、略してPRI)遺跡とフルーリー・シュル・オルヌ(Fleury-sur-Orne、略してFLR)遺跡の個体群が均質なように見える一方で、オベルネ(Obernai、略してOBN)遺跡の個体群は3集団を形成します。第1は同時代のヨーロッパ西部個体群と近く(OBN A)、第2はより強い狩猟採集民構成を有し(OBN B)、第3はヨーロッパ中央部農耕民と近くなっていますが(OBN C)、これら3集団は類似した文化的および年代的背景を共有しています。


●ヨーロッパ農耕民集団における一般的狩猟採集民系統の定量化

 qpAdmを用いて、直接的な放射性炭素年代の得られている新規および既知の新石器時代個体群の、経時的なヨーロッパ狩猟採集民系統の割合が推定されました(モデルA)。ヨーロッパ中央部および南部の各地域における農耕の最初期には、無視できる程度の狩猟採集民系統を有する顕著に類似したパターンが観察され、狩猟採集民系統は農耕確立の数世紀後に次第に増加していきました。追跡可能な狩猟採集民系統を有さない最後の個体群は、紀元前3800〜紀元前3700年頃に消滅します。ヨーロッパ南東部は、セルビアの鉄門(Iron Gates)地域と関連する個体群で特定のパターンを示し、ブリテン諸島は新石器時代の到来時期における突然で一定した狩猟採集民構成を示します。新たにゲノム規模データが報告されたライン川東方の西部LBK集団は、狩猟採集民系統がより高く変動的と報告されている、ブルガリアのマラク・プレスラヴェッツ(Malak Preslavets)遺跡のようなヨーロッパ南東部とは対照的な、エルベ・ザーレ川中流地域とハンガリーのトランスダニュービア(Transdanubia)からの推定を確証します。しかし、現在のフランスでは状況が異なり、ヨーロッパ他地域と比較して全体的に狩猟採集民系統の最高の割合が観察されるだけではなく、フランス南部のPENおよびLBR遺跡の最古の個体群にも狩猟採集民系統が見られます。この観察はまた、単系統遺伝標識でも支持されます。フランス南部地域の西部早期農耕民におけるY染色体ハプログループ(YHg)は、狩猟採集民に由来するI2aのみです。対照的に、mtDNAではもっと一般的な新石器時代の遺伝的多様性が見られ、以前に報告されたように狩猟採集民起源の可能性がある2系統のmtHgであるU5およびU8も見られます。

 ライン川のすぐ西に位置する中期新石器時代のOBN遺跡の2個体(OBN B亜集団)も、ライン川東方のLBK遺跡集団とは対照的に、狩猟採集民構成の高い割合を示します。追加の狩猟採集民系統の割合を定量化するため、ドイツのLBK関連集団がアナトリア半島新石器時代系統とヨーロッパ狩猟採集民系統の混合としてモデル化され、OBN亜集団がLBK関連集団とヨーロッパ狩猟採集民との混合としてモデル化されました。その結果、このモデルはよく支持され、OBN B亜集団において狩猟採集民系統の最大31.8%の過剰が得られました。ライン川東方のLBK関連集団における強い狩猟採集民系統の欠如を考慮すると、これは最初の農耕民の到来に続く数世紀の間の在来集団からの遺伝子流動と推定されます。さらに、OBNの男性個体群のYHgは在来狩猟採集民からもたらされたI2a1a2とC1a2bのみで、ライン川のすぐ西方の地域における狩猟採集民系統のより大きな割合のさらなる証拠を提供します。


●ヨーロッパ狩猟採集民の遺伝的構造

 アナトリア半島新石器時代農耕民系統を有するヨーロッパ初期農耕民の共有された最近の系統と、ヨーロッパ本土全域での急速な拡大により、考古学で提案されているような、ゲノム水準で異なる新石器時代における農耕民拡大の複数の経路を区別することは、困難になっています。既知のデータでは、ヨーロッパ東部から西部へと、狩猟採集民系統の増加が観察されますが、これは単純に農耕起源地からの地理的距離の結果かもしれません。そこで、さまざまな拡大経路の兆候を検証するため、ヨーロッパの狩猟採集民系統における次第に出現してくる地理的構造を利用しました。本論文では、氷期後のヨーロッパの狩猟採集民系統は、それぞれ混合勾配のある主要な3クラスタにより説明されます。それは、ベルギーのゴイエット(Goyet)遺跡で発見された 19000年前頃の個体(Goyet Q-2)的な系統と、イタリアのヴィラブルナ(Villabruna)遺跡で発見された14000年前頃の個体と関連するWHG系統と、ヨーロッパ東部狩猟採集民(EHG)系統です。さらに、これらクラスタ間の2つの勾配が観察できます。一方は、イベリア半島の狩猟採集民により形成される(関連記事)ゴイエットQ2とWHGとの間の勾配で、もう一方は、ヨーロッパ南東部やスカンジナビア半島やバルト海地域の狩猟採集民により形成されるEHGとWHGの間の勾配です。

 この観察に続いて、全ヨーロッパ狩猟採集民個体がf4統計で検証されました。全ヨーロッパ集団で負のf4値が得られ、WHGクラスタと共有される系統が示唆される一方で、正の値はEHGの方へと引きつけられます。qpAdmでは、WHG関連のヴィラブルナとEHGとゴイエットQ2の混合としてヨーロッパの狩猟採集民個体群がモデル化でき、その最適なサブクレードが確立されます(モデルB)。早期農耕民との混合の兆候を示す狩猟採集民のいくつかに適合する、アナトリア半島新石器時代系統が追加されます。本論文はそれぞれの結果で、最も節約的なモデルを選択しました。ヨーロッパ南東部とスカンジナビア半島の狩猟採集民を含むEHGとWHGの間の勾配の個体群は、EHG 系統のかなりの割合を有するので、WHG個体群とは区別できます。上述のドイツの中石器時代個体群(BDBおよびBOT)はWHGクラスタの一部を形成します。

 以下では、ヨーロッパの農耕到来時期において、EHGとWHGの間の広範な系統勾配が、新石器時代の農耕民拡大で提案されているドナウ川経路と重なる、ヨーロッパ中央部および南東部の主要な地域(現在のドイツ・ハンガリー・セルビア・ルーマニア・ウクライナ)を覆っている、という観察を活用します。その結果、ICC土器と関連した地中海沿岸経路の前期新石器時代農耕民と、とくにフランスとスペインに到来した前期新石器時代農耕民が、EHGとWHGの間の勾配のEHG側からの系統は少なく、代わりにヴィラブルナ関連WHGおよびゴイエットQ2関連系統の支配的な混合兆候を示す、という仮説が提示されます。


●農耕民集団における異なる狩猟採集民系統の追跡

 狩猟採集民個体群と同様に、全新石器時代集団でもf4統計が実施され、新石器時代集団の狩猟採集民の東西勾配との類似性が推定されました。新石器時代集団のf4値はほとんど負で、ヴィラブルナとの共有された系統が示唆されますが、ヨーロッパ南東部のいくつかの集団ではEHGの共有された系統が同程度になる、と示唆されます。qpAdmを用いて、ヨーロッパの全新石器時代集団を対象に上述のモデルBでこれらの起源が定量化されましたが、多くの早期新石器時代集団では狩猟採集民構成がひじょうに少なかったことに起因して遠方のソースを用いたことで、モデルBはEHG構成を確実には検出できませんでした。

 そこで、分析をより近くのソースに限定し、WHG系統の代表として、また地中海沿岸経路の代理として、ライン川西方となるルクセンブルクのロシュブール(Loschbour)遺跡の中石器時代個体が選ばれました。遺伝的には狩猟採集民に見えるものの、農耕文化との関連で発見されたハンガリーのKO1個体が、大陸経路の狩猟採集民系統として選ばれました。f4統計では、正のf4値は、EHGとWHGの間の勾配の代理としてKO1と共有された系統を示唆します。次に、負の値は、ロシュブールに代表されるWHGクラスタと過剰な共有された系統を示唆します。この結果は、ライン川東方の農耕民集団がKO1と、ライン川西方の農耕民集団がロシュブールとのとより多く共有された系統を有する、という傾向を示します。

 注目すべき例外は、ドイツのハーゲンのブレッターヘーレ(Blätterhöhle)遺跡の中期新石器時代集団の個体群と、ボーランドの紀元前4700〜紀元前4000年頃となるレンジェル文化(Lengyel Culture)のブジェシチ・クヤフスキ集団(Brześć Kujawski Group、略してBKG)のN22個体(関連記事)と、タンガーミュンデ遺跡の1個体(TGM009)で、その全個体はWHG関連個体群との強い類似性を示しますが、ライン川東方に位置します。qpAdmで新石器時代集団の狩猟採集民構成がモデル化され、それには提案されている農耕民集団の両拡大経路で遭遇したかもしれない狩猟採集民2ソースが含まれます(モデルC)。狩猟採集民2ソースが支持される場合に、qpAdmで最適のモデルが選択されます。

 多くの新石器時代集団では狩猟採集民系統の割合がひじょうに低いので(10%未満)、最終的なソースを確実に特徴づけることは依然として困難です。それにも関わらず、支持されるモデルからの混合パターンは、明確な地理的兆候を示します。ヨーロッパ中央部(現在のハンガリー・オーストリア・ドイツ)のLBKと関連した新石器時代集団は、低い狩猟採集民系統の割合を有し、おそらくはEHGとWHGの間の勾配の狩猟採集民個体群との混合に由来し、それは起源前6000〜紀元前5400年頃となる新石器時代農耕民集団の拡大の先行段階に、ヨーロッパ南東部で起きました。ドイツのライン川東方の中石器時代個体(BDB001)も対象としたf4統計では、LBK集団への在来集団の影響は支持されませんが、それはライン川西方のロシュブールと同じパターンです。これは、近隣に存在した、ヨーロッパ中央部のBDB001のようなロシュブール的狩猟採集民からの追加の遺伝子流動が、最初の新石器時代集団ではごく僅かだったことを示唆します。

 しかし、紀元前4000〜紀元前3500年頃となるドイツのザクセン=アンハルト州のバールベルゲ(Baalberge)集団は、LBK集団へのKO1およびロシュブール的系統の両方の組み合わせと比較して、そのような狩猟採集民系統の顕著な増加を示します。バールベルゲ集団における最大で21.3±1.5%に達するWHG系統の増加は、在来のロシュブール的系統、もしくは考古学的データで示唆されているように、紀元前五千年紀にこの兆候を有する西方からの農耕集団の拡大により起きた、と示されます。本論文で対象とされたライン川西方の全ての新石器時代集団では、在来のロシュブール的狩猟採集民起源のように見える最初の農耕民集団も含めて、より高い狩猟採集民系統を有する異なるパターンが観察され、考古学的データと一致します。


●ヨーロッパ中央部における狩猟採集民系統の後期の存続

 ドイツ中央部の新石器時代集団とは対照的に、ドイツ北東部のタンガーミュンデ遺跡の1個体(TGM009)は、狩猟採集民系統の異なるパターンを示します。遠方のソースでモデル化すると、TGM009は63.6±5.2%のヴィラブルナ関連系統を有します。近くのソースを用いると(モデルC)、狩猟採集民系統は48.1±6.4%のKO1関連系統と、25.8±6.1%のロシュブール的系統に区分されます。KO1を通じてTGM009で観察されたEHG関連兆候が、スカンジナビア半島中石器時代との地域的な後期の接触という考古学的記録で示唆されているように、スカンジナビア半島狩猟採集民に由来するのかどうか決定するため、f4統計が適用されました。f4値は顕著に負で、TGM009がスカンジナビア半島狩猟採集民よりもヨーロッパ南東部狩猟採集民の方と多く系統を共有する、と示唆されます。そのため、ハンガリーのKO1の代わりにスウェーデンのムータラ(Motala)を用いたqpAdmモデルは、適合度が低くなました。

 TGM009の特定の場合では、紀元前3200〜紀元前2300年頃となる、「新石器時代狩猟採集民」とみなされる円洞尖底陶文化(Pitted Ware Culture、略してPWC)の個体群が、外群のモデルCセットの適切な同時代の近位ソースであるのか、検証されました。その結果、アナトリア半島新石器時代系統とロシュブール系統とKO1系統の3方向モデルが支持されます。しかし、ムータラ狩猟採集民を外群として追加すると、4方向モデルが最も支持されます。それは、アナトリア半島新石器時代系統21.7±2.4%、ロシュブール系統24.4±6.2%、スウェーデンPWC系統12.6±1.1%、KO1系統41.3±7.3%です。ヨーロッパ中部〜東部の黄土地帯周辺におけるPWC集団の小さいながらも安定した寄与は、ヨーロッパ中央部における後期新石器時代集団と最後の狩猟採集民集団との間の相互作用の複雑さを追加します。


●狩猟採集民と初期農耕民との間の混合年代の推定

 DATESを用いて、早期農耕民と狩猟採集民との混合時期がさらに調べられました。主成分分析でも見られたように、両集団はライン川を挟んで東西のパターンを示します。このパターンは、狩猟採集民系統の割合だけではなく、その質的な痕跡にも依存しています。PENおよびLBR遺跡のフランス南部4集団の推定年代は、拡散してきた農耕民が、紀元前5850年頃の到来後比較的早く(100〜300年のうち、紀元前5740〜紀元前5450年頃)に在来の狩猟採集民と混合した、と示唆します。これらの推定年代は、初期農耕の確立に関する考古学的データとも一致しますが、混合がイタリア半島で起きた可能性も除外できません。

 フランスの他地域では、LBK後の集団はより古い混合年代を示し、狩猟採集民構成は強く、新石器時代初期段階におけるWHG関連系統狩猟採集民との混合事象が推定されます。対照的に、フランス北部のOBN 遺跡では、異なる狩猟採集民系統の割合と対応する混合年代を有する、区別可能な集団間の異質性遺伝的兆候が明らかになります。OBN3集団の推定年代間の違いは、OBN集団が最近の継続する混合事象よりもむしろ、遺伝的下部構造を示す、と示唆されます。


●フランスにおけるゴイエットQ2の追跡

 ゴイエットQ2とヴィラブルナとアナトリア半島新石器時代系統をソースとしてqpAdmを用い、マグダレニアン(Magdalenian)関連のゴイエットQ2的系統が新たなヨーロッパ西部新石器時代集団で推測されました(モデルD)。ゴイエットQ2関連構成は、フランス西部のPRI個体群(6±3%)とパリ盆地のGRG個体群(3.7±1.3%)で観察されます。イベリア半島新石器時代集団と類似して、紀元前4300〜紀元前4200年頃のPRI集団は、狩猟採集民構成の1つとしてゴイエットQ2でうまくモデル化でき、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)後もゴイエットQ2構成を保持していたフランス西部の在来狩猟採集民との混合、もしくはもっと後の段階における新石器時代イベリア半島系統集団との遺伝的接触が示唆されます。注目されるのは、大西洋沿岸のPRI遺跡個体群が、ヨーロッパ狩猟採集民とのわずかに新しい年代(紀元前5200年頃)の混合を示唆していることで、これはフランス西端における新石器時代集団の到来がより遅かったことと一致します。


●ブリテン島およびアイルランド島とのつながり

 f4統計では、ブリテン島とアイルランド島の新石器時代集団が、他集団よりもフランスの大西洋沿岸のPRI集団と遺伝的浮動を共有しているのか、検証されました。以前の研究では、ブリテン島の初期農耕民集団は遺伝的にイベリア半島の農耕民集団と類似している、と示されていましたが(関連記事)、本論文でも改めて、LBR遺跡A亜集団とフランス中期新石器時代集団とイベリア半島中期新石器時代集団との類似性の共有が確認されました。これは、WHG 系統の多い狩猟採集民比率で示されます。しかし、本論文におけるフランス新石器時代遺跡群の結果に基づくと、イングランドとウェールズとスコットランドの集団は、大西洋沿岸経由だけではなく、ノルマンディーのFLR遺跡集団やパリ盆地のGRG遺跡集団やフランス南部のICC後のLBR遺跡A集団経由でも、地中海新石器時代集団とつながっている、と示唆されます。以下は、中石器時代から新石器時代にかけてのヨーロッパの狩猟採集民と農耕民の系統割合の変化を示した図4です。

画像
https://advances.sciencemag.org/content/advances/6/22/eaaz5344/F4.large.jpg


●まとめ

 ヨーロッパにおけるアナトリア半島農耕民系統は、多くの地域で報告されてきました。農耕生活様式と関連した個体群における狩猟採集民からの増加する遺伝子流動の再発パターンは、最初の接触および仮に「狩猟採集民再起」と呼ばれる事象の後に何世紀も起き、イベリア半島やヨーロッパ北部および中央部やカルパチア盆地やバルカン半島で観察されてきました。しかし、新石器時代農耕民集団拡大の主要な経路(ドナウ川沿いのヨーロッパ中央部への拡大と、地中海沿岸でのイベリア半島への拡大)に関する仮説では、ゲノムデータの比較は試みられてきませんでした。本論文が提示した一連の新たな結果は、両方の経路が交差した現在のフランスへの重要な洞察を提供します。ヨーロッパにおける異なる中石器時代の遺伝的基盤により、新石器時代集団で観察された混合狩猟採集民構成の質量に基づき、新石器時代の拡大経路の追跡が可能となります。

 フランス南部の新石器時代集団は地中海ICC拡大経路の一部で、他地域の拡大農耕民集団の早期と比較すると、異なる遺伝的構成を示し、大陸経路関連集団よりもかなり高い狩猟採集民構成の割合を示します(PEN遺跡B集団で最大56±2.9%)。フランス南部のPENおよびLBRの年代は、イタリア半島北西部のリグリーア州やフランス南東部のプロヴァンスやフランス南西部のラングドックといった地中海沿岸地域における最初の農耕民の定住よりも400年(16世代)ほど遅くなりますが、より近い世代での在来集団との混合事象(3〜6世代前)が示唆されます。考古学的研究では、新石器化第2段階の地中海西部、とくに狩猟採集民の人口密度がより高い地域における、拡散してきた農耕民と在来の狩猟採集民との間の相互作用の増加が主張されています。本論文でも、フランス南部の新石器時代集団の拡大期における、そうした相互作用の遺伝的痕跡が確認されました。これは考古学的観点から、狩猟採集民が最初期農耕民の後の物質文化内で観察される明確な変化に寄与してきた、と示唆されます。

 しかし、アドリア海沿岸東部のICC個体群では、より類似しているヨーロッパ中央部集団と比較して、わずかな狩猟採集民系統しか有していません。これは、イタリア半島のアペニン山脈の両側で観察される物質文化内の技術的伝統の差異に関する仮説と適合します。それは、起源がまだ不明のバルカン半島およびティレニアとつながるアドリア海伝統集団です。ティレニア側の強い狩猟採集民構成を、同じ地域の特定の土器伝統と関連づけ、これを狩猟採集民の新たな意味づけの結果とみなす見解は魅力的です。しかし、イタリア半島中央部および南部の利用可能なゲノムデータが不足しているため、この仮説を直接的に検証はできません。さらに、イベリア半島のICC個体群も、狩猟採集民系統をあまり有しません。まとめると、ICC関連個体群がそれ自体均一な遺伝的構成を有するという仮説は棄却され、相互作用のより地域的に微妙なシナリオが主張されます。

 ヨーロッパ中央部早期農耕民は、狩猟採集民構成の割合がひじょうに低く(平均して5%)、それは農耕民拡大の初期段階におけるハンガリーのトランスダニュービアでの混合に由来する可能性が高そうです。これは、考古学的記録の一般的な観察と合致するだけではなく、最初のLBK石器群が後期中石器時代の石刃および台形石器複合と類似している理由も説明できます。これは、ドイツ黄土地域全域の最初の農耕民の速い拡大を主張する、以前の古代DNA研究も確証します。ドイツ南西部および東部のLBK集団は、ルクセンブルクのロシュブール遺跡個体よりもハンガリーのKO1個体の方と類似性を多く共有しています。ドイツ南部の遺跡群の農耕民集団における推定混合年代は、SMHで19.2±3.8世代前、SCHで12.3±8.2世代前で、カルパチア盆地およびオーストリアの混合年代より新しいか、同時代となります。共有されるKO1的狩猟採集民系統の、一時的な遅延と微妙な増加から、LBK集団を年代的に追跡でき、考古学的研究により示唆されているように、トランスダニュービアの中核地域からのLBKの拡大というモデルとよく一致します。しかし、現在の解像度では、フランス北西部のラオゲットやドイツ西部のリンブルクのような早期LBK期においてはとくに、狩猟採集民およびより西方の遺跡群の南方からの影響を有する集団との接触に関する考古学的証拠の増加は説明されません。

 ヨーロッパ中央部の状況とは対照的に、ライン川西方地域は、紀元前五千年紀に異なる遺伝的構成を示します。最初の農耕民はロシュブール関連狩猟採集民構成をより高い割合で有しており、OBN遺跡B集団に分類されるアルザス地域の個体群の中には、後には最大で33.3±3%まで増加する事例も見られます。mtDNAデータは、この知見を支持します。紀元前五千年紀のフランスの全集団において、狩猟採集民と密接な関連のあるmtHg-U5・U8の平均的な割合は、ライン川東方のLBK集団の1.4%よりも高い15.5%です。フランス北部のLBK関連個体群のゲノムデータはありませんが、この狩猟採集民構成から、最初の農耕民集団が到来した後に混合が起きた、と推測できます。

 フランス北西部中央に位置するOBN遺跡の3集団におけるヨーロッパ狩猟採集民構成をqpAdmでモデル化すると、4.3〜31.8%の間の狩猟採集民構成の増加が観察され、それは在来のロシュブール関連集団に区分されます。しかし、この手法は他の同時代のフランス集団には直接的に適用できません。それは、新石器時代農耕民集団拡大の地中海沿岸経路と関連した追加の移動の可能性があるからです。この場合、フランス北部における最初のLBK農耕民の到来に続き、双方向の狩猟採集民と農耕民の相互作用の単純な過程を複雑にする可能性があります。現在のゲノムデータでは、検出された兆候が、可能性のある南方からの遺伝的寄与により混乱しているのかどうか、決定できません。しかし、フランス北部におけるGRGおよびFLR遺跡集団の推定混合年代は、より古い混合事象が30世代(840〜930年前)以上前に起きた、と示唆します。フランス北部における最初の新石器時代定住の確立した年代と一致して、南部ICCで得られた重複・同時代の年代は、フランス南部における最初の狩猟採集民の寄与の兆候と一致し、それに続いて狩猟採集民系統を有する集団が北方へ拡大します。

 フランス西部中央の大西洋沿岸のPRI 遺跡とパリ盆地のGRG遺跡の個体群で検出されたゴイエットQ2的狩猟採集民構成は、LGM後もゴイエットQ2的構成が残存したイベリア半島とのつながりを示唆します。それは、ゴイエットQ2的狩猟採集構成を有する在来だったかもしれない狩猟採集民との混合、もしくはイベリア半島の最初の農耕共同体との接触、あるいは紀元前五千年紀におけるイベリア半島からの新石器時代集団との交流に起因するかもしれません。考古学的データは、これら3仮説すべてと適合的です。しかし、PRIとイベリア半島との間の遺伝的類似性が示される一方で、上述のブリテン諸島と地中海新石器時代との間の類似性から、パリ盆地経由でのおもにノルマンディーと地中海地域とのつながりが最良の説明となります。イングランドとスコットランドとウェールズは、フランス西部よりも、フランス北部・南部およびイベリア半島の方と高い遺伝的類似性を示します。対照的に、新石器時代アイルランド集団は、他のブリテン集団よりもフランス北部沿岸および地中海地域との類似性が低くなっており、大西洋の枠組み内で説明できます。この全体的パターンは、ブリテン諸島西部および東部への新石器時代農耕民集団拡大は、異なる2つの現象と速度だった、という考古学的データから提示された仮説と一致します。

 まとめると、本論文で強調されるのは、地中海西部沿岸とライン川西方地域との間の文化的および生物学的相互作用の多様なパターンです。これは、新石器時代農耕民集団の拡大期における高い変動性を確証し、過程および持続期間と同様に、狩猟採集民構成の異なる割合を示します。狩猟採集民集団間の遺伝的構造により、初期農耕民における地域的な混合をたどることができ、ライン川西方ではヨーロッパ中央部および南東部と比較して狩猟採集民系統の割合が高いものの、それは在来のWHG関連集団に起因します。狩猟採集民と初期農耕民のゲノムデータ数は増加しており、中石器時代から新石器時代への移行期の地域的な動態の解明と、大小の地域的な規模での、時間の経過に伴う過程と発展の理解を深めるのに役立ちます。本論文の観察に基づくと、大まかなモデルでは、農耕民と狩猟採集民の相互作用の充分な範囲と詳細を一致させる可能性がますます低くなった、と明らかになり、将来の研究では、より多くの地域に焦点を当てたモデルの使用が提唱されます。


参考文献:
Rivollat M. et al.(2020): Ancient genome-wide DNA from France highlights the complexity of interactions between Mesolithic hunter-gatherers and Neolithic farmers. Science Advances, 6, 22, eaaz5344.
https://doi.org/10.1126/sciadv.aaz5344


https://sicambre.at.webry.info/202006/article_1.html

2. 2021年1月17日 12:34:36 : qyJgLmnfmM : Z3VUUGFqUlBLSzY=[11] 報告
雑記帳 2021年01月17日
後期新石器時代から鐘状ビーカー期のフランスの人類集団の遺伝的多様性
https://sicambre.at.webry.info/202101/article_23.html


 後期新石器時代から鐘状ビーカー(Bell Beaker)文化期のフランスの人類集団の遺伝的多様性に関する研究(Seguin-Orlando et al., 2021)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。後期新石器時代から青銅器時代にかけて、ヨーロッパ西部では重要な集団と社会の変化が起きました(関連記事)。これらはポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)起源の牧畜民から在来集団への大規模な遺伝子流動を含み、それは低下していく狩猟採集民系統とアナトリア半島農耕民系統の拡大という複雑な相互作用に続く重要な事象です。

 この移行は、現在のブリテン島(関連記事)やアイルランド(関連記事)やイベリア半島(関連記事)や地中海諸島(関連記事)やドイツ(関連記事)からの広範な古代ゲノムデータを通じて報告されています。しかし、そうした移行はフランスではほぼ見過ごされています。フランスではほとんどの焦点が中期新石器時代(63個体)に当てられており、例外は後期新石器時代の網羅率0.05倍の1個体です(関連記事)。これにより、紀元前3400〜紀元前2700年頃にかけての主要な移行期間は遺伝的に標本未抽出となるので、狩猟採集民の持続と草原地帯移民の正確な時間枠は不明です。本論文はこれを改善するため、紀元前3400〜紀元前1600年のフランスの古代人24個体のゲノム解析結果を報告します。


●遺跡と放射性炭素年代測定

 本論文で新たにDNAが解析されたのはフランスのパリ盆地と南西部の遺跡の個体で、後期新石器時代と鐘状ビーカー(Bell Beaker)文化期と前期青銅器時代です。パリ盆地ではモンアイメー(Mont-Aimé)遺跡(11個体)、フランス南西部ではマスルージュ(Mas Rouge)遺跡(1個体)と花束洞窟(Grotte du Rouquet)遺跡(6個体)とBVP洞窟(Grotte Basse de la Vigne Perdue)遺跡(3個体)と亀洞窟(Grotte des Tortues)遺跡(4個体)です(図1A・B・C)。

 直接的な放射性炭素年代測定では、モンアイメー遺跡の地下被葬者2個体は紀元前3400〜紀元前2900年頃と示唆されました。花束洞窟の6個体は全員、モンアイメー遺跡の2個体とほぼ同年代です。亀洞窟の個体は、後期新石器時代となる紀元前3100〜紀元前2900年頃の1個体(TORTD)と、紀元前三千年紀半ばの2個体(TORTCおよびTORTE)と、紀元前二千年紀前半の1個体(TORTF)です。この結果から、亀洞窟は後期新石器時代から前期青銅器時代まで集団埋葬地としてたまに用いられたと示唆され、以前の考古学的証拠と一致します。BVP洞窟も同様ですが、紀元前三千年紀半ばから紀元前二千年紀半ばまでと、より短い期間の使用です。以下、本論文の図1です。
画像


●ゲノム解析

 モンアイメー遺跡の3個体(2H10と2H11と1H13)では、歯周病など口腔疾患に関連する細菌のDNAも検出されました。これらの細菌は、健康な現代人や5700〜120年前頃の個体でも確認されています。虫歯は、青銅器時代や産業革命という生活様式の変化に伴って初めて出現したわけではないようです。X染色体と常染色体の網羅率の比率から、13人が男性と推定されます。合計24個体のゲノムデータが得られ、平均網羅率は0.20〜23.88倍です(中央値は0.96倍)。比較的高い網羅率は、13.91倍の2H10と23.88倍の2H11です。


●父系および母系と親族関係

 同じ遺跡の個体は同じミトコンドリアハプロタイプを有しておらず、母系での関連性はないと示唆されます。対照的に、男性はほぼ全員Y染色体ハプログループ(YHg)I2a1で、例外は、モンアイメー遺跡の1個体(H2a1)と、BVP洞窟遺跡の4400年前頃となる1個体(R1b1a1b1a1a2a1)です。近いか不完全に網羅されているものの合致するハプロタイプは、フランス北部(Rixheim-Zac du Petit-Prince 遺跡のRIX2標本のR1b1a1b1a1a2と、Obernai PAEI遺跡のOBE3626-1標本のR1b1a1b1a1a2a5)と、フランス南部(Rec de Ligno遺跡のPIR3116B標本のR1b1a1b1a1a)の同時代の鐘状ビーカー文化および青銅器時代個体群で以前に報告されました。これは、侵入してきた草原地帯牧畜民からの混合を反映しているかもしれず、この侵入により、イベリア半島集団では、他の染色体がほぼ完全に置換されました(関連記事)。YHg-I2a1は以前には、ヨーロッパのさまざまな狩猟採集民集団で見られました。これは、2H11のような少なくとも一部のモンアイメー遺跡個体における、ヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)系統の存続を示唆しているかもしれません。

 YHg-I2a1は明らかに高頻度で、後期新石器時代のフランス全体における一般的な優勢を反映しているかもしれません。しかしこれは、父系的に組織化された共同体を示唆しているかもしれません。なぜならば、個々の遺跡では個体群の間で共有されるミトコンドリアハプロタイプを示さないからです。これをさらに調べるため、124万の一塩基多型において遺伝的関連性のパターンが評価されました。その結果、モンアイメー遺跡の5個体が遺伝的に関連している、と示唆されました。地下墓2号では、父(2H10)と息子(2H17)は、別の男性個体(2HxC5x196x1131)とはより低い関連性でした。この3人は類似のY染色体ハプロタイプを共有しており、父系でのつながりが確認されます。

 しかし、父(2H11)と娘(1H06)との関係も特定され、この2個体は解剖学的に成人と判断されました。少なくとも一部の女性が出生共同体に留まった可能性があることは、厳密な父系規則が守られなかったことを示唆します。あるいはこれは、少なくとも一部の女性が夫婦関係に関わっていなかったか、死後に父の共同体に遺骸が送還されたことも示唆しているかもしれません。分析をより多くの個体に拡張し、出生地の情報をもたらす同位体特性を統合することで、共同体における他の女性にもどの程度当てはまるのか、という評価に役立つでしょう。それにも関わらず、モンアイメー遺跡1および2の間に一親等の関係が存在することは、両墓地が厳密に同時代に同じ集団により利用されていたことを裏づけます。


●近親交配と集団の多様性

 ホモ接合連続領域(ROH)内に含まれるゲノム断片は、親族内の結合を示しているかもしれません。ROH(runs of homozygosity)とは、両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じアレルのそろった状態が連続するゲノム領域(ホモ接合連続領域)で、長いROHを有する個体の両親は近縁関係にある、と推測されます。またROH内に含まれるゲノム断片は、ヘテロ接合性のゲノム規模水準の過小評価をもたらすかもしれず、そこから有効人口規模に関する情報が得られます。

 モンアイメー遺跡における、親族結合内の存在を評価し、有効人口規模を推定する両方の目的で、ROHanが高網羅率の2個体(2H10と2H11)に適用されました。しかし、ROHゲノム断片は限定的で、キョウダイ間の近親交配が報告されているアイルランドのニューグレンジの巨石遺跡(関連記事)を除くと、他の新石器時代個体群間で観察されるものと同程度でした。これは、モンアイメー遺跡の親族内結合が、あったとしても限定的だったことを示唆します。ROHの推定されたヘテロ接合性は、ニューグレンジを除いて、他の高網羅率の新石器時代個体群ゲノムで見られるものと同等でしたが、ヨーロッパ西部の中石器時代狩猟採集民よりは大きい、と示されました。これは、狩猟採集共同体と比較して、人口拡大を可能とする新石器時代食料生産経済と一致します。


●DNAメチル化と表現型の推測

 モンアイメー遺跡の高網羅率の2個体(2H10と2H11)と、以前に報告された4個体を用いて、中石器時代から新石器時代にかけて、重要なDNAメチル化の変化を経験したかもしれない遺伝子が特定されました。分析は組織固有の特徴を避けるため、歯に限定されました。遺伝子本隊内のDNAメチル化パターンは、新石器時代と中石器時代の組み合わせよりも、新石器時代個体群の組み合わせの間で一般的により類似している、と明らかになりました。しかし、新石器時代となるドイツのシュトゥットガルト(Stuttgart)遺跡の女性1個体は、この研究チームの実験室で処理された新石器時代となるモンアイメー遺跡の1個体(2H10)よりも、同じ実験室で処理された、中石器時代となるルクセンブルクのロシュブール(Loschbour)遺跡の男性1個体の方と密接と明らかになりました。これは、DNAメチル化の推論に影響を与える技術的なバッチ効果を示唆します。

 これらの効果と性別特有の識別特性を避けるため、異なる実験室で最高の網羅率の男性個体群に分析が限定されました。中石器時代のロシュブール遺跡個体と比較して、新石器時代となるアイルランドのジャーポイント(Jerpoint)遺跡個体(ジャーポイント14)と2H11個体両方において、DNAメチル化が平均して少なくとも50%変化した、合計611の遺伝子プロモーターが特定されました。特定の機能分類で有意に濃縮されていないものの、これらは低メチル化よりも新石器時代に高いメチル化を受けている事例を多く含んでいました。具体的には、液性免疫補体の反応の最初の鎖となるC1Qbと、T細胞成熟に関わる重要なシグナル伝達分子であるLCKです。これらが歯や血液組織の制御の変化を反映しているのかどうか評価するには、さらなる研究が必要です。次に、DNAメチル化水準を用いて、高網羅率の2個体(2H10と2H11)の死亡年齢が推測されました。方法論の改善の必要はあるものの、2H10は29歳、2H11は42歳で死亡したと推定されます。

 DNAメチル化パターンを用いて正確な表現型を推測することはできませんでしたが、高網羅率の2個体の90の遺伝子座の遺伝子型を用いることで、形態と色素沈着や行動や医学的表現型が推測されました。両個体とも乳糖不耐性で、rs653178におけるセリアック病や、rs1800497とrs2283265における嗜癖行動の増加増加や、rs4994における優れた持久力のリスクアレル(対立遺伝子)増加はありませんでした。両個体はおそらく茶色の目と黒髪を有していましたが、髪の太さに相乗効果を示すアレルは有していませんでした(rs4752566とrs3827760)。2H11はおそらく肌の色が濃く、2H10の肌の色はひじょうに薄くはないものの、濃い色との間の中間でした。興味深いことに両個体は、ドーパミンやノルエピネフリンやセロトニンといった神経伝達物質の酸化に関わる酵素をコードするモノアミン酸化酵素A遺伝子座で、異なるハプロタイプを有していました。これは、より高い酵素生産(rs3027407やrs909525)もしくはより低い酵素生産(rs1137070やrs1465107やrs2072743やrs6323)と関わるアレルの異なる組み合わせを伴います。これと、遺伝子と環境の相互作用の存在により、正確な表現型の結果を予測することは困難になります。しかし、この遺伝子座で観察された遺伝的差異は、両個体における攻撃的および衝動的行動を起こすさまざまなリスクを示唆します。


●モンアイメー遺跡の新石器時代個体群における不均一な中石器時代系統

 本論文で新たにDNA解析された後期新石器時代18個体と、以前に報告された古代人2000個体との間の遺伝的類似性が特定されました。592998ヶ所の常染色体遺伝子座におけるユーラシア西部現代人796個体間の遺伝的変異を特徴づける主成分に古代の個体群を投影することで、フランスの全ての後期新石器時代個体はアナトリア半島農耕民(ANF)とヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)を分離する軸に沿って、以前に分析されたフランスの前期および中期新石器時代個体群とクラスタ化する、と明らかになりました(図3A)。この軸に沿って他の後期新石器時代個体群を分離すると、モンアイメー遺跡の父と娘の組み合わせ(2H11と1H06)は、WHGと、前期新石器時代となるインプレッサ・カルディウム複合(Impresso-Cardial complex、略してICC)のフランス南東部のペンディモン(Pendimoun、略してPEN)遺跡の個体(PEN_B)と、より密接な遺伝的類似性を示します。PEN_Bは、WHG系統の過剰を有すると報告されています(関連記事)。

 外群f3統計とf4統計を用いると、1H06および2H11と遺伝的に最も密接な古代の個体群は、おもにアイルランドとブリテン島とフランスとイタリアとルクセンブルクの狩猟採集民である、と明らかになりました(図3B〜F)。そのような類似性は、残りのどの後期新石器時代16個体でも検出されず、その16個体は遺伝的に、ヨーロッパ西部規模でより拡散していました(図3F)。D統計(ムブティ人、WHG、検証者、1H06もしくは2H11)でも、1H06と2H11におけるWHG系統の過剰が確認され、本論文でDNA解析された他の全個体と比較してより顕著です。D統計(ムブティ人、ANF、検証者、1H06もしくは2H11)では、これらの個体群におけるANF系統の相互の欠如が明らかになりました。以下、本論文の図3です。
画像

 教師ありADMIXTURE分析では、1H06と2H11のWHG系統は、それぞれ57.5±3%と、65.7±2.9%と示唆されました(図4B)。これは、本論文でDNA解析された他の後期新石器時代個体群では、WHG系統が18.5±1.6〜28.8±1.7%であることと対称的です。新石器時代個体群がWHG およびANF系統で構成される qpADMでの集団モデル化でも、1H06と2H11両個体のWHG系統の過剰(それぞれ50.6±5.1%と63.3±4.1%)が裏づけられます。同等の過剰を示す個体は他の後期新石器時代個体群(9.9〜29.9%)では見られず、PEN_B個体(51.6±4.8%)を除いて、フランスの前期新石器時代個体群では例外的です。マスルージュ遺跡個体(MAS15)と花束洞窟世紀個体(ROUQW)と亀洞窟遺跡3個体(TORTCとTORTDとTORTE)では、ANF系統のみで構成されるより単純なモデルが支持され、WHG系統はせいぜい限定的と確認されました。しかし、より複雑なモデル化は、第二の、以前に報告されたヨーロッパ西部に存在する狩猟採集民の遺伝的集団として、ベルギーのゴイエット(Goyet)遺跡で発見された19000年前頃のゴイエットQ2(Goyet Q-2)個体のような系統の存在を裏づけません。

 次に、DATESの連鎖不平衡(LD)減少のパターンを用いて、2H11および 1H06個体内のWHG系統の有意な過剰が、最近の混合なのか古代の混合なのか、さらに単一の混合なのか複数の混合なのか、評価されました。2H11と1H06を除いてモンアイメー遺跡の全個体をANF系統とWHG系統の組み合わせとしてモデル化すると、混合年代はこれら個体群の39.5±8.5世代前(紀元前4300年頃)と推定されました(図4E)。2H11と1H06を対象にした同様のモデル化では、混合は1H06で17.2世代前と6.2世代前に起きた(紀元前4100〜紀元前3800年頃)、と推定されました。これは、新石器時代集団と中石器時代集団との間の、紀元前3800年頃までの、かなりの期間(少なくとも5世紀)複数回の散発的な接触を示唆します。

 興味深いことに、1H06とその父親である2H11のゲノム内で推定されるWHG系統からは、1H06の母親(2H11の妻)は平均して37.9%のWHG系統を有しており、現時点でのモンアイメー遺跡の他の個体群で推定される割合よりも大きい、と示唆されます。これは、モンアイメー遺跡のような、WHG系統の割合が個体によりさまざまな遺伝的に不均一な後期新石器時代共同体を裏づけます。重要なことに、本論文で推定された最も新しい混合年代は、以前にドイツのエスパーシュテット(Esperstedt)の中期新石器時代個体群内で推定された最も新しい混合年代より400年新しくなります。考古学的証拠は、狩猟採集民と新石器時代集団との間の紀元前4200年頃までの相互作用を裏づけます。そのような証拠は、フランス北部では紀元前4900年頃以後には見られないので、本論文の結果は、この地域における農耕の到来に続く狩猟採集民集団の文化変容過程を示唆しているかもしれません。以下、本論文の図4です。
画像


●鐘状ビーカー文化と青銅器時代の人口変化

 本論文のデータセットには、後期新石器時代18個体に加えて、フランス南部の亀洞窟遺跡とBVP洞窟遺跡(図1C)の鐘状ビーカー文化4個体と、前期青銅器時代2個体が含まれます。主成分分析では、鐘状ビーカー文化3個体は、親子関係の2H11と1H06を除いて、フランスの他の後期新石器時代個体群と重なります(図3A)。しかし、BVP洞窟遺跡の鐘状ビーカー文化期の1個体(GBVPK)と、前期青銅器時代となるBVP洞窟遺跡の1個体(GBVPO)および亀洞窟遺跡の1個体(TORTF)は、他の以前に報告されたフランスの前期〜中期青銅器時代個体群(関連記事)とクラスタ化するものの、ロシア西部のサマラ(Samara)地域のヤムナヤ(Yamnaya)草原地帯牧畜民とのより密接な類似性を示す軸に沿って移動します。

 D統計(ムブティ人、ヤムナヤ集団、検証者、GBVPKかGBVPOかTORTF)でも、両遺跡の他の個体の一部と比較しての、これら3個体におけるヤムナヤ系統の統計的に有意な過剰が示唆されます。教師ありADMIXTURE分析とqpADM での3方向集団モデル化では、これら3個体のゲノムにおける、WHGおよびANF系統に加えて、23.6±1.4%〜42.1±4.7%のヤムナヤ関連系統の存在が確認されます(図4C)。これは、両遺跡から100km以内の遺跡群で発掘された個体群を含む、フランスの鐘状ビーカーおよび前期〜中期青銅器時代個体群のゲノムで推定される25.9〜54.8%のヤムナヤ系統と一致します。

 LD減少パターンは、草原地帯由来の遺伝的系統が、GBVPKのようなヤムナヤ系統を示す最初の個体の年代から9.2±3.6〜10.4±3.5世代前にフランス南部に入って来た、という年代推定を提供します(図4E)。この推定年代は紀元前2650年頃に相当し、紀元前2400年頃のブリテン島と紀元前2500〜紀元前2000年頃のイベリア半島における有意な草原地帯由来系統を示す以前の報告(関連記事)よりも早くなります。しかし、本論文の推定は、最小限のWHGとの混合を示すモンアイメー遺跡個体群や、花束洞窟遺跡の個体群や、BVP洞窟遺跡および亀洞窟遺跡の個体群を含む、人口モデル化において考慮された後期新石器時代の代理にも関わらず、一貫していると明らかになりました。

 また本論文のデータは、BVP洞窟遺跡個体群内の有意なヤムナヤ関連系統を有する個体と、そうではない個体との共存を明らかにします。これと、同時代の近隣地域(Dolmen des Peirières)の遺跡の鐘状ビーカー文化1個体(PEI2)で推定されるヤムナヤ系統の欠如は、草原地帯牧畜民と関連する個体群との非遍在的な混合を含む、フランス南部の鐘状ビーカー文化集団における複雑な遺伝的構成を裏づけます。これは、ヨーロッパ中央部における以前の報告と一致しますが、紀元前三千年紀後半に草原地帯関連系統により在来の遺伝子プールの90%が置換されたブリテン島(関連記事)とは対照的です。

 本論文では、現在のフランスの埋葬遺跡の古代の被葬者24個体のゲノムが解析され、後期新石器時代から前期青銅器時代の集団におけるゲノムの変化が報告されました。フランス南西部の鐘状ビーカー集団は、草原地帯由来の遺伝的系統を、全員ではなく一部が示し、それは紀元前2650年頃となり、ヤムナヤ関連系統の最初の出現となります。モンアイメー遺跡の後期新石器時代個体群のゲノムは、中石器時代文化の証拠がもう存在しない年代における、新石器時代集団と中石器時代集団との間の複数回の散発的な接触の証拠を提供します。これは、中石器時代集団が少なくとも紀元前四千年紀の第1四半期までこの定期に存続したものの、その後には文化変容が続いたことを示唆します。


参考文献:
Seguin-Orlando A. et al.(2021): Heterogeneous Hunter-Gatherer and Steppe-Related Ancestries in Late Neolithic and Bell Beaker Genomes from Present-Day France. Current Biology.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2020.12.015


https://sicambre.at.webry.info/202101/article_23.html

▲上へ      ★阿修羅♪ > 近代史5掲示板 次へ  前へ

  拍手はせず、拍手一覧を見る

フォローアップ:


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
最新投稿・コメント全文リスト  コメント投稿はメルマガで即時配信  スレ建て依頼スレ

▲上へ      ★阿修羅♪ > 近代史5掲示板 次へ  前へ

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/ since 1995
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。
 
▲上へ       
★阿修羅♪  
近代史5掲示板  
次へ