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スイス人の起源
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投稿者 中川隆 日時 2020 年 9 月 01 日 11:35:30: 3bF/xW6Ehzs4I koaQ7Jey
 

(回答先: ヨーロッパ人の起源 投稿者 中川隆 日時 2020 年 8 月 25 日 16:02:53)

スイス人の起源

雑記帳 2020年04月28日
中期新石器時代〜前期青銅器時代のスイスの人口史
https://sicambre.at.webry.info/202004/article_43.html


 中期新石器時代〜前期青銅器時代のスイスの人口史に関する研究(Furtwängler et al., 2020)が報道されました。遺伝学的研究により、新石器時代のヨーロッパ中央部の人々は遺伝的に、先住のヨーロッパ狩猟採集民と、アナトリア半島西部早期農耕と関連した系統を有する新たに侵入してきた人々との混合だった、と明らかにされてきました。青銅器時代への移行直前の新石器時代末期には、ヨーロッパで新たな系統構成の到来が遺伝的に検出され、それはヨーロッパ中央部と東部の縄目文土器複合(Corded Ware Complex、CWC)の出現と一致します。この新たな遺伝的構成は、ヤムナヤ(Yamnaya)複合と関連する個体群で見られる、ポントス-カスピ海草原(中央ユーラシア西北部から東ヨーロッパ南部までの草原地帯)からの系統と最も密接に関連していました。この新たなヨーロッパ第三の系統構成は、ヨーロッパの多くの地域で証明されていますが、その他の他地域における到来の正確な年代は、この遺伝的混合の基礎となる人口統計学的過程と同様に、あまり明確ではありません。

 スイスの新石器時代は考古学的に、有機物が保存されている湖岸と沼地の定住地遺跡、ローヌ渓谷の高山遺跡、高山峠遺跡で占められています。定住地遺跡とは別に、新石器時代末期になると巨石墓など石製の遺跡が発見されてきました。湿地帯遺跡の木製品など、スイスでは年代測定可能な新石器時代の遺物が豊富に発見されており、ヨーロッパ中央部の人口史の研究に寄与しています。スイスにおけるCWC関連発見物は、湖岸の居住地で排他的に発見されており、東部のチューリッヒ湖地域と西部の三湖地域でとくに多く発見されています。ヌーシャテル湖(Lake Neuchâtel)の遺跡は、CWCの影響を受けた地域の南西端に位置します。東部では、新たな縄目文土器様式が急速に採用された一方で、西部ではこの過程が数世紀続きました。

 湖岸や湿地には多くの新石器時代および前期青銅器時代遺跡がありますが、それらと直接的に関連した埋葬はありません。これは、すでに紀元前五千年紀には石の墓が用いられていたからでもあります。しかし、この埋葬習慣はおそらく紀元前3800年頃に終わり、その頃には湖岸の居住地が多くなり始めました。前期青銅器時代の埋葬は、ローヌ渓谷など内陸部高山地域に集中しており、この時期の湖岸の居住地は知られていません。多くの墓がある期間では居住地がなく、その逆に多くの居住地がある期間では対応する埋葬がありません。そのため、これまでに刊行されてきたスイスの古代ゲノムは4個体分だけです。そのうち1個体は後期更新世狩猟採集民で、残りの3人は鐘状ビーカー(Bell Beaker)現象と関連しており、支石墓に埋葬されています。

 本論文は、新石器時代から青銅器時代のスイスにおける遺伝的構成の移行、つまり草原地帯関連系統の到来時期・起源・混合過程と、この移行の前後の社会的・人口統計学的構造について、詳細に調査します。本論文は、スイスとドイツ南部とフランスのアルザス地域の、新石器時代から前期青銅器時代の96人のゲノム規模データを報告します。また、前期鉄器時代とローマ期から1人ずつ、ゲノム規模データを報告します。年代はすべて放射性炭素年代測定法に基づいています。

 96人のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)は、N1a・W・X・H・T2・J・U2・U3・U4・U5a・U5b・K・U8です。全ゲノム解析では、120万ヶ所の一塩基多型が特定され、その中にはX染色体の49704ヶ所と、Y染色体の32670ヶ所も含まれます。Y染色体ハプログループ(YHg)はおもに、G2a2a1a2a・I2a1a2・R1b1a1b1a1a2b1です。この96人の遺伝的データは、ヨーロッパ中央部および西部の同時期の個体・アナトリア半島新石器時代農耕民・ポントス-カスピ海草原の同時代399人、さらには現代人と比較されました。

 主成分分析では、異なる2クラスタが識別されました。一方は紀元前4770〜紀元前2500年頃の個体群で、もう一方は紀元前2900〜紀元前1750年頃の個体群です。このうち最古級の個体群はアナトリア半島関連早期農耕民に近く、もっと後の巨石埋葬文化の個体群は、ヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)およびイベリア半島もしくはドイツ中央部の前期〜中期新石器時代個体群の方へと移動するとともに、現代サルデーニャ島個体群に近縁です。この移動は、ヨーロッパの他地域でも観察されている、中期新石器時代における狩猟採集民系統の増加を反映しています(関連記事)。

 紀元前2900〜紀元前1750年頃のクラスタは、それ以前の個体群と比較して、それ以降の他のヨーロッパ集団と同じように、ヤムナヤ文化関連系統の方へと移動しています。このクラスタでは、最古級の個体群が草原地帯の後期新石器時代集団に最も近いのに対して、それよりも新しい個体群は、再び中期・後期新石器時代クラスタの方へと移動します。末期新石器時代と前期青銅器時代の全個体は、現代ヨーロッパ人の範囲内に収まりますが、本論文で取り上げられた新たに解析された個体群は、現代スイス人集団とは重ならず、中期青銅器時代以後のスイスにおける追加の集団遺伝的変化が示唆されます。

 本論文で新たに分析された個体群は、WHGとアナトリア半島西部新石器時代農耕民(ANF)とサマラ(Samara)の草原地帯の牧畜民(YAM)の間に位置し、ヨーロッパの「アイスマン」のような後期新石器時代個体群や青銅器時代の鐘状ビーカー複合個体群と類似しています。そこで本論文は、新たに分析した個体群をWHGとANFとYAMの3系統の混合としてモデル化しました。その結果、全体的なパターンは以前の分析と一致しており、前期〜中期新石器時代の個体群はWHGとANFの双方向の混合だったのに対して、紀元前2700年頃以降の個体群にはかなりのYAM関連系統が見られます。さらに、この構成比は遺跡間で大きく異なり、時間の経過とともに減少する傾向があります。

 直接的に移行期の個体群を取り上げていない、ドイツとイギリスの新石器時代と青銅器時代の個体群を分析した以前の研究と比較して、本論文は空白期間のない新石器時代から青銅器時代への移行期の個体群も対象としています。本論文で新たに分析された個体群では、YAM関連系統は紀元前2700年頃以前には実質的に存在せず、紀元前2700年頃になると急激に増加します。この移行期の個体群では、YAM関連系統の割合は0〜60%で、次の1000年では25〜35%に低下します。また、本論文の分析対象地域では、YAM関連系統が出現して1000年後にも、YAM関連系統なしでモデル化できる4人の女性がいます。

 新石器時代末期と青銅器時代の個体群の常染色体とX染色体の比較から、常染色体はX染色体よりもYAM関連系統にずっと密接と明らかになりました。これは、女性よりも男性がYAM関連系統をこの地域に多くもたらした、と推定する以前の研究と一致します。またこの地域では、紀元前2700年頃以降にミスマッチ率が増加していることから、遺伝的多様性が大きく増加した、と推測されます。本論文の分析対象個体群では、YAM関連系統のピークは紀元前2750年頃で、他の研究で推測されている紀元前2600年頃より古くなっています。この違いは、草原地帯関連系統がより早期に到来したことを示唆しているかもしれませんが、分析の不確実性の範囲内のため、決定的ではありません。また、分析対象の個体群の年代は時間的に不均一なので、将来のより高密度な標本での改善が期待されます。

 この新石器時代から青銅器時代にかけての遺伝的構成の大きな変化については、単一の混合事象ではなく、数百年にわたって起きていた、と推測されます。イベリア半島・ブリテン島・ドイツ・スイスの地域間比較では、YAM関連系統を有する集団と在来の新石器時代集団との混合は、紀元前3000〜紀元前2500年頃と類似した年代を示し、その最初の場所については明らかにされません。この混合は、まずスイスで起きたか、その他の場所で混合した集団が、スイスへと移動してきたのかもしれません。

 次に本論文は、YAM関連系統を有する集団と混合したのがどの新石器時代集団なのか、qpAdm分析で検証しました。その結果、イベリア半島の中期新石器時代集団とフランスの新石器時代集団では適合したものの、スイスの後期新石器時代もしくは球状アンフォラ(Globular Amphora)文化(GA)個体群を追加すると失敗しました。これは、フランスやイベリア半島よりも東方に位置するスイスの後期新石器時代集団とGA関連集団が、より西方のANFおよび草原地帯牧畜民よりも、スイスの新石器時代末期と青銅器時代の集団の遺伝的起源として相応しいことを示唆します。

 5ヶ所の埋葬地の個体群で親族関係が確認されました。そのうち女性は少なく、孫の世代では女性のmtHgが継承されていない場合もある一方で、男性のYHgは孫の世代にも継承されています。この母方もしくは父方のみで継承される単系統遺伝の結果と安定同位体分析から、本論文の分析対象地域は当時、同時代のヨーロッパの他地域でも示唆されていたように(関連記事)、女性が出生地を離れて遠方の集落で結婚し、男性が出生地に留まるような、父系的社会だった可能性が高そうです。

 スイスの現代人と末期新石器時代集団との比較では、現代スイスが3言語(ドイツ語・フランス語・イタリア語)地域に分割されたうえで検証されました。その結果、これら3地域とも、単純な継続モデルは棄却され、末期新石器時代および前期青銅器時代個体群との遺伝的類似性は、現代イタリア語地域集団では最小限、フランス語地域集団ではより古い遺跡の個体群でアレル(対立遺伝子)の共有が多く、ドイツ語地域集団とはより新しい遺跡の個体群でアレルの共有が多い、と明らかになりました。

 機能的一塩基多型も分析されました。ヨーロッパ人では明るい肌の色と関連するSLC24A5の複数の派生的アレルは、本論文の分析対象の全個体で見られました。また、明るい肌の色と関連するSLC24A5の頻度は増加する傾向にあり、明るい目の色と関連するHERC2の頻度は、末期新石器時代にかけて増加する傾向にありました。ヨーロッパでは現在高頻度の乳糖耐性変異(rs4988235)は、本論文の分析対象となった中期および後期新石器時代個体群には存在しません。唯一の例外は紀元前2105〜紀元前2036年頃となる末期新石器時代の個体で、乳糖耐性変異の見られるヨーロッパの個体としては最古級となります。これら古代集団に乳糖耐性変異がほとんどないことは、この変異が末期新石器時代に生じ、青銅器時代の始まり以降に頻度が増加した、との仮説と一致します。

 本論文の分析結果は、中期および後期新石器時代のスイスの個体群はヨーロッパの後期狩猟採集民と早期農耕民の子孫で、紀元前2700年頃以後、草原地帯関連系統も見られるようになった、という以前の研究と一致します。ドイツのエルベ川〜ザーレ川地域とスイスのシュプライテンバッハ(Spreitenbach)のCWC個体群の遺伝的類似性は、CWCがヨーロッパ中央部の大半において比較的遺伝的に均一な集団だったことを示唆します。

 上述のように、遺伝的に推測される社会・家族構造は、草原地帯関連系統の到来前後を通じて同じく父系的だったようで、安定同位体分析でも確証されています。前期青銅器時代には女性の遊動性がより高かったことも、この社会・家族構造と関連しています。上述のように、前期青銅器時代までと現代とで、スイスの集団の遺伝的構成は異なっています。この変化をもたらした複数の要因のうちとくに本論文が注目するのは、西ローマ帝国末期以降のいわゆる大移動です。

 上述のように、草原地帯関連系統がスイスに到来してから1000年後まで、草原地帯関連系統の検出されない女性が複数確認されました。そのうち最も新しい個体の年代は紀元前2213〜紀元前2031年頃です。これは、青銅器時代開始期には異なる遺伝的構成の集団が近接して共存していたことを示唆します。この複数の女性のうち1人は、安定同位体分析により地元出身ではない、と明らかになっています。スイスで新たに確立した草原地帯関連系統を有する集団と、草原地帯関連系統をまったく或いはほとんど有さない遊動的な女性たちとの混合は、スイスにおける草原地帯関連系統の到来から数世紀にわたる、草原地帯関連系統の勾配の原因になった、と推測されます。

 そこで問題となるのは、この草原地帯関連系統を有さない集団がヨーロッパ中央部のどこにいたのか、ということです。初期の単系統遺伝の研究で示唆されるように、強い遺伝的分化を示す言語的に孤立したアルプス渓谷は、その有力候補と考えられます。しかし、類似したパターンを示すドイツ南部のレヒ川渓谷の事例(関連記事)を考慮すると、草原地帯関連系統のない集団の起源はそれほど南にあるとは限らない、と本論文は指摘します。安定同位体分析では、草原地帯関連系統を有さない4人の女性全員が生涯ずっとスイスにいたのか不明です。したがって、この4人の女性の出身地がさらに南方、たとえばまだこの時期の古代DNA研究の不足しているイタリアだった可能性もある、と本論文は指摘します。しかし、草原地帯関連系統を有さない個体群は、たとえばイベリア半島では紀元前2479〜紀元前1945年頃まで、クレタ島のミノア文化集団では紀元前2900〜紀元前1700年頃まで、サルデーニャ島ではその後でさえ確認されており、この時期のスイスにおける草原地帯関連系統を有さない集団の起源地の解明は今後の課題です。

 また本論文は、草原地帯関連系統がスイスに到来したのが、ドイツやイギリスと同じ頃か、やや早かったことに注目しています。ただ本論文は、イギリスとドイツのエルベ川〜ザーレ川地域において、後期・末期新石器時代と前期青銅器時代の間の標本が不足していることから、ヨーロッパ中央部における草原地帯関連系統の拡大経路の正確な解明には、さらなる調査が必要と指摘しています。このように、まだ詳細が不明な点もあるとはいえ、ヨーロッパにおける完新世の集団形成史は、アジア東部も含むユーラシア東部よりもずっと進んでいます。今後は、ユーラシア東部に関しても古代DNA研究が急速に進展することを期待しています。


参考文献:
Furtwängler A. et al.(2020): Ancient genomes reveal social and genetic structure of Late Neolithic Switzerland. Nature Communications, 11, 1915.
https://doi.org/10.1038/s41467-020-15560-x

https://sicambre.at.webry.info/202004/article_43.html  

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