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並行世界線、スピ界隈、ヒーリング瞑想、不確定情報、ナチズム(神秘主義)的オカルト話etc.探求心の開放の場↓ここ
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投稿者 Air−Real 日時 2025 年 10 月 28 日 15:41:54: dsfJ1hAY0z6VI gmCCiYKSgXyCcYKFgoGCjA
 

(回答先: 医療、薬物、治癒、漢方など有用な情報共有する場所↓ここ 投稿者 Air−Real 日時 2025 年 10 月 27 日 04:35:28)

トランプ革命成功の世界線

完全に日本はエネルギー分野において矛盾した政治状況(外交)に自ら追い詰められてドツボにはまった様子。

CIAはナチズムそのもの。ペーパークリップ作戦からそれは決定的に理解されること。つまり表向きそこに被せた美談であるノルマンディー作戦の真相はヒトラー救出作戦。

認識力の低い国民目線では認知し得ない可能性が大だが、第二次WWも作り物ということ。

つまり日本人は当時から、日本人の魂を持ってない連中に大量に供物代に載せられた生け贄ということ。それは今までのわれわれも同様のものだったということ。

マヤ語でバンザイは神への供物の意味。だとしてホピの祖先でも有るマヤ人は神武が祖親(神)。供物はあくまで供物の意。では何故それが変遷したかはピラミッド建立の時代まで遡るということ。

アイヌがその子孫だが、エジプトの初代の王はわれわれ同様の顔をしている。白人種がそのルーツではない。

当時王族(オオキミ)は世界中に散らばって世界中を治めていた。現日本人は多国籍の顔をしているが、混血児ということ。

エジプトを治めていたのは分家。よって16弁菊花紋。24弁その上。よって現在の皇室はトップではない。ルーツはラー。あのラーだ。(ラームーセスという名も三位一体表すものか)

ネフェルティティ第二妃はヤハウェが作った白人種の末裔。エジプトに現れたラーを自分たちの神だと信じ込んだ。それが謀略の末、王権を乗っ取った。正式なファラヲは伝えられている史実とは異なり、縄文式ロケットで一族ともに洞爺湖に逃げている。

その後ラーが訪れた際、そこが変貌してることに気付きそれ以降エジプト王家にラーが現れることはなくなった。そこから神を戻そうとして誤った儀式を始めた。それが黒魔術の儀式の原形として似非宗教全般に伝わったものだ。

彼らはラーと同じ構造物をアマゾン流域にそのルーツと同じものを見つける。そこに驚いてマヤ文化を敵対視したことが現在までわらわれを祟る結果となったものだと理解する。日本の雛型は世界中に存在したマヤ文化だからである。

白人種のルーツだとされてきたものは全て劣等感による強奪によるものである。だから彼らは全ての文化性の発祥地とされるイスラム圏を憎んできた。

ではその劣等感の出所はどこであろうか?

彼らの魂は火星から着ている。肉体を滅ぼし、つきなしとなり、魂の旅を続けるための生まれ変わる土台を失っていた。そこで同居先として地球があてがわれた。それを手伝ったのがヤハウェである。

本来的に、そこでは前例のようにー過失で地球に衝突したマルドゥクからの移住者のようにー地球の住民に対して与えたトラウマと自分たちのカルマ(業)の軽減を目指すべく、到底先住民に受け入れられない容姿に整えた上で地球人の魂の向上を手伝わなくてはならなかったはずなのである。そこには苦行だけがある。(彼らの多くは現在ほぼカルマが解消され、その多くは日本人として修験者、芸人などとして生まれ変わっている。そのルーツは赤鬼青鬼。サルボボも同一のもの。)

しかしそこでヤハウェは後に誤った選択と他の神の批判にさらされる決断をしてしまう。非常に優秀な神の似姿と彷彿させる肉体をーその宇宙の放浪者にー作り与えてしまったのである。

これが白人種に優越性を感じさせる特徴となった。選民思想、白人至上主義を唱えさせるに十分な直接的な由来であることは間違いない。(このあたりはセス情報による)

その半面、自分達のルーツが全く期待通りのもので無かったばかりにスターウォーズで謂うところの暗黒面に墜ちてしまったものが作り出したのが悪魔(強い力)への信仰であり、肉体として黒人がそのシンボルであったためにしだいにその対に当たる白=弱さと結びつき、アンチキリストがキリスト教を乗っ取る始末となった。

固有の概念に全て乗っ取りを企む宗教的支配欲である。

よって多くがまだ勘違いをしているように!、数多の固有名詞に捉えられる組織体、或いは概念的な立場やイメージは全て本来中立のものであり、そこに後付けで被せられるイメージがそれらの印象を決定づけ(乗っ取)る事になるのである。

人間の意識の負の側面が元凶である。

この負性が生む波長がナチズム(純粋神秘主義)のもう一つの側面と結びつき、占有欲と支配欲に溺れた魂を引き寄せてしまうのである。そうするほどに益々自己弁護欲に取り憑かれ、劣等感が拭えないことになってしまう。

ヤハウェは全体を見守る立場であることは明白であり、大元は、地球を最初の実験ー神の意識から切り離された存在ーの場として、地上に降りたった創始メンバーの共同体の魂の内と伝えられる。八幡さまとして知られる。

別段これらの話は誰かが咎められるような話でない。何故ならここにいるものは誰でもその事を承知の上でここを訪れているからだ。つまりボランティアでここに着いている。氷河期世代などと蔑まれる世代はこの最終章に関わりたくてなだれ込んだ魂達であるwだからオイルショックベイビーなんて事象が起こったw数が多いのだ。一説にはギリギリまで流入し過ぎて節目がずれ込んだともw
 

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コメント
1. Air−Real[81] gmCCiYKSgXyCcYKFgoGCjA 2025年10月28日 17:44:23 : i1owLrCBOw : QmRaVXhmRzYuY2s=[3] 報告
今週の石井かおりさんの空模様、的確ですよ。
2. Air−Real[86] gmCCiYKSgXyCcYKFgoGCjA 2025年11月02日 22:59:08 : EUJUyND1CM : bGdIU2QxSFF1My4=[5] 報告
トランプ訪日の際、それまで一切気にもしなかったことに今更気付いて驚いたということが一つあった。それは初めて現天皇の下の名前を知ったこと。名字は未だ知らない。戸籍上はどうなっているのか?

もし名字すら無いなら総画数19画。旧字体で徳は15画。感情のコントロールが利かない名前だ。名付けの際の思惑を疑う。一体誰がつけたのか?

指先の太さで本物か影武者かを見分けることが出来るようだが、どれが本物かは知らない。本物など居るのか?確かに歴代の徳仁とする人物の写真を観れば、指の太さはまちまちである。

本物はどこに居る?

因みに(?)外運20画は人の良し悪しを見抜く力がない、よく言えば人が良くて騙されやすく、悪く言えば保守的な社会性に丸め込まれやすい。わたしに親しい間柄に多く、わたしとまったく対称的であるため、わたしに悩みの種を齎す相手として感じてきた(現在進行形)。

3. Air−Real[87] gmCCiYKSgXyCcYKFgoGCjA 2025年11月02日 23:06:48 : tmWnd9IcFo : RFhoeEV6YlhoUzY=[1] 報告
上記にマルドゥクについて誤った記載を遺したことをお詫びします。直後に気づいていたのに手直し遅れまして申し訳御座いません。

マルドゥクは衝突された側の星です。イスラム教と対応した星だったかと記憶します。

地球がある現在の場所がかつてそれだったとされていますから今の地球の魂は恐らく一度完全に崩壊したものを修正して記憶もリセットに近い大手術が行われた後と理解します。ぶつかった側の星は金鉱脈を目当てに現在の地球に接近した労働者の乗り物で、その乗組員たちはそれ以降地球人類を陰から支えてきました。雪男とされるUMAもその一員で、何らかの事由で人類が滅亡する事態に備えて地下深くに隠れ住んで居ます(セス情報)。

その時のトラウマを経験した魂が現地球人の中にいますが、殆ど記憶が戻らない状態になっているとした話が、例の6と7の架け橋、特定のアカシックレコードのエリアの凍り付いた場所とされています。レムリアについての記述に関して当時の王子の記憶が非常に曖昧になって、幼児化してしまったという話です。

4. Air−Real[88] gmCCiYKSgXyCcYKFgoGCjA 2025年11月02日 23:46:11 : tmWnd9IcFo : RFhoeEV6YlhoUzY=[2] 報告
<△26行くらい>
十年ほど前、仕事中、車の運転席で仮眠してると、苦しい姿勢だった所為か体が半分起きてる状態でぐっすり肉体だけ眠らせてしまった。寝てるのに車が勝手に発進してるような感覚になり、どんどん道をすごいスピードで走り出す映像が見えて必死にブレーキを踏もうとするも身体が目を覚ましてくれないという悪夢を体験した。

その時から寝起きや身体に疲労がたまった状態で寝付くときに時折二倍速のような小さなスクリーン映像を半眼にした瞼裏に見る様になった。

意識して出来るときもあるが殆ど顕在意識には悪夢に近い出来事なので封印していた。

以前から暗がりに青やオレンジの光の気配を必ず感じるようになっていたが、それがここ数年で暗視フィルターを介したように暗がりで室内の構造や距離感をある程度把握出来るものとなった。

寝起き後、夢での景色を脳裏に引きずった状態で起きあがると暗がりにも反転した白い光を観じ、そこに時折だが何らかの粒子状の流れが見えていた。

それが今年ハッキリ意識に捉えることができた。目に見えないものが見えたと認識する場合、それが一般には肉眼に捉えられないものの場合、どう表現するのが適当なのかわからない。

その上で何が見えたかを表現すると「夥しい数の半透明な粒子状の物質がギッシリと川の流れのようにわたしの周囲(胴回り)を左回転し、勢いよく流れていた」その時頭にふと浮かんだ形容詞は「バブル」である。細胞的でもある。

それは次の瞬間、胸の位置から前方に真っ直ぐ放射するものとなった。その時、「この流れの先はどこまで続いてるのだろう」と疑問を持った。目の前にあったのは鏡である。

こうした経験から最低でも電子レヴェルで事象や物事について判断しないと何も解った事にならないと考え始めるようになった。

その時心拍数が異常に乱れていたことも覚えている。

5. うりわり[274] gqSC6ILtgug 2025年11月13日 02:06:13 : 7H7mxlphPs : Q2JEYTU2VjV1NGc=[6] 報告
ウシトラマンが私生児的に気に入らないネタだったのは分かるが、^2は何が逆鱗ネタだったか? M81? いや、多分、パラサイト・アダ
6. 偽装皇帝[334] i1WRlY1jkuk 2025年12月06日 06:36:54 : 6uloccORhs : bHgyZW00MVp6TFU=[134] 報告
<■205行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>

私の旧ブログに書いた「真面目な」運命論だが、そういうスレッドが見当たらないので、このコメント欄を拝借させてもらう。ある意味、「カルト思想」と認定されるかもしれない。まあ、自分では「人生哲学」だと思っている。

(以下自己引用)


情報学的に見た「運命」

     (酔生夢人)

(1)

運命はあるか無いかと言えば、それはある。ただし、運命が不変的か可変的かと言えば、それは可変的だろう。簡単な話、君は今すぐにでもビルの屋上から飛び降りて自分の人生を終わりにすることもできる。この場合、運命は君によって作られた。つまり可変的だったのだ。だが、それをする「勇気」というより無謀さは君にはおそらく無い。
それに対して、君がビルから飛び降りなかったのが君の運命であり、だから運命とは不変的なのだ、と占い師の類は言うかもしれない。だが、運命を司る存在がいちいち君のことなど考えているはずはない。もしも「彼」が君の運命にそれほど関心があるなら、「彼」はなぜ犬や猫やミミズやアメーバの「運命」に無関心なのか。それともミミズやアメーバの運命まで「彼」はいちいち考えて決定しているのか。運命という思想は、自己の存在や人間存在を過大視したがる人間の自惚れの産物だとも言える。
もちろん、不変的だからこそ「運命」と言うのであり、可変的な運命という考えは論理矛盾だと考える人もいるだろう。それならば、そういう意味での「運命」は存在しない。
では、可変的なのになぜ運命という言葉を私はここで使うのか。それは、個人の人生には大きな傾向があると考えるからだ。

その考えを簡単に言えば、「人は自分の望む人生を無意識的に選び取っている」ということだ。べつに新しい思想ではない。多くの「生き方指南の書」が同じことを言っている。しかし、それを詳しく説明した書物が少ないから、私がこの文章を書いているのである。

私のこの文章は、情報学的観点から「運命」について考え、良く生きるためのヒントを探ってみようというものだ。


(2)

そう、人は自分の望む人生を無意識的に選び取っている。
別の言い方をすれば、自分はこのような人生を望んでいる、とあなたが情報を外部に発信しているから、外部の状況はあなたにそれを実現させるように変化していくのである。
そんなはずはない、私の不幸な運命を私自身が選び取るはずはない、と思う人もあるだろう。もちろん、世の中には不可抗力的な運命もある。天災地変などは個人の意思や生き方とは無関係に不特定多数の人の身の上に起こるものである。そういう偶発事を私は運命とは言わない。それはただの災難だ。だが、生き方の上では、不幸な生き方を自ら選び取っている事例は無数にある。
よくある例が、すべてに恵まれた女性が、ろくでもない男に騙されて不幸になるという事例だ。芸能界や芸術の世界では、優れた女性はだめな男とくっつくべしという法律でもあるのかと思うくらい、そういう例が多い。
では、これは不可抗力だったのか? そう思う人はいないだろう。それとも、女性が馬鹿だっただけなのか? そう言ってしまえば話はお仕舞いである。だが、おそらく事実はそうではない。これは一種のタナトス(死や破滅への欲望)が働いた結果だというのが私の考えだ。つまり、彼女たちは破滅したかったのである。それは、彼女たちの社会的成功によって得られたもの(金・名声・豪勢な生活等々)が彼女たちに真の満足を与えず、心の中に空虚なものがあったからである。彼女たちは自分の現在の生活が癪に触っていたのである。なぜ自分はこれほど成功しながら不幸なのか。そこで、彼女たちは自分の生活を破壊する可能性のある男が近寄ってきた時に、ぞくぞくするようなスリルを味わう。
つまり、彼女たちはそういう駄目男、ロクデナシをこそ求めていたのである。
まあ、以上は話の一つの側面にすぎない。そういう駄目男が本当に彼女たちには魅力的に見えたのかもしれないし、そういう男たちの詐欺師的技能が奏功したということも多いだろう。
私が言いたいのは、彼女たちは無意識的にそうなる運命を選んでいたということだけだ。

(3)

我々は常に外部に情報を発信しながら生きている。
あなたの着る服、あなたの髪型、あなたの話し方、あなたの表情、あなたの癖の一つ一つが外部への情報なのである。もちろん、あなたの話す内容や行動はもっとも大きな情報だ。だが、毎日の微細な表情の一つ一つも情報なのである。それはあなたがどういう人間であり、何を望み、何を好んで何を嫌っているかを周囲の人に教えている。
変な話だが、あなたを真に知っているのはあなたではなく、あなたの周囲の人間なのである。あなたが自分自身について知っていると思っていることはあなた自身の主観にすぎない。あるいはただの「そう見えてほしい」という願望や妄想にすぎない。
この言葉を嘘だと思うなら、自分の写真を見てみるとよい。それはあなたの予想とは大きく異なるはずだ。あるいは自分の録音された声を聞いてみるとよい。これが自分の声とも思えない変な声のはずである。ではどちらがあなたの真の姿か? もちろん写真や録音された声だ。我々は自分自身を騙しながら生きていると言っていいくらいである。そういう甘やかしがないと生きるのが苦痛なのだから、この騙しは無益なわけではないのだが、しかし、それを事実だと思わないほうがいい。
まず、「我々は自分自身の客観的な姿を知らない」ということを肝に銘じておこう。ソクラテスが一生のモットーとしたデルフォイの神託も「汝自身を知れ」ということだった。それだけ自分自身の真の姿を知るのは困難なことなのである。

さて、我々は自分自身についての情報を周囲に撒き散らしながら毎日を生きているわけだが、考えてみるとこれはなかなか危険な行為である。自分の弱点を自分の敵に知られてはいけないわけだから、我々は自分の欠点や弱点をなるべく隠すようにする。これを「蔵拙」と言う。精神年齢の低い人間は「嘘はいけない」という大人の嘘を心から信じていたりするから、こういう蔵拙も嘘の一種だと思って偽悪的な生き方をしたりするが、これはあまり賢い生き方ではない。周囲の人間はそれを微笑ましく思って許容しはするだろうが、「社会の暗黙の了解」との本格的な衝突が起こった場合にそのかっこいい偽悪を守ることは難しい。そこでいつもの偽悪をひっこめて偽善に従うというみっともない羽目になるわけである。まあ、社会人として生きるということは演技者として生きることであり、その演技の大半は偽善なのである。
話が少し逸れたが、我々は日々自分自身についての情報を撒き散らしながら生きている。では、その結果どうなるか。次の章で述べよう。

(4)

我々が自分自身についての情報を周囲に発散し続けると、周囲はそれに反応する。あなたがAという歌手が好きでBという歌手が嫌いなら、周囲の人間はあなたと話す場合にAという歌手の話をし、Bという歌手の話を避けるだろう。
これが運命を引き寄せるということである。
つまり、あなたが発信した情報によってあなたに集まってくる情報にバイアス(偏向)や制限がかかってくるのである。
そこで、女が好きな人間の周囲にはワイ談好きな連中や女そのものが集まり、金が好きな人間の周囲には金の話が集まることになる。そうなると、相互作用によってより一層、女関係やお金関係の情報が彼のところに集まりだす。女についての情報が集まれば、当然、女を得る機会が増え、金についての情報が集まれば、金を得る機会が増える。

プレイボーイが女にもてるのは、彼に魅力があるからではない。彼が、自分は女好きであるという情報を発信しているからである。プレイボーイであること自体がもてる理由だと言ってもいいだろう。
金の好きな人間が砂漠の真ん中で生活していて金が儲かるわけはない。金の集まる場所で生活し、自分は金を欲していることを明らかにするからこそ、彼のところに金の情報が集まるのである。もっとも、そういう儲け話は「そんなに儲かるなら自分でやれば」という一言でお仕舞いになる怪しげな話も多いのだが、少なくとも金儲けの機会が増えることは間違いない。
これが運命を引き寄せるということだ。
そして、その人の運命はその人が無意識に選んでいる、ということだ。

(5)

デール・カーネギーやナポレオン・ヒルなどの「生き方指南の書」で言われているのは、「目標を具体的にし、それを常に意識せよ」ということである。このことの理由は、情報論的に言えば、目的を意識し明確化することで、その目的に関連する情報に対して意識が強く働くようになるからである。その目的に関連する情報に気がつけば、その情報を利用して目的が達成できる可能性も高まるわけだ。しかし、私はそれだけでは不十分だと思う。自分の願望や目標を情報として周囲に発信すると、いっそう成功可能性が高まることは前に書いた部分から明らかだろう。あなたがその情報を求めていることが分からないと、周囲の人もあなたにその情報を伝える必要を感じないだろう。
「類は友を呼ぶ」というのは、情報の集まり方についても言えることなのである。情報は類似情報を集める、と言い換えてもいいだろう。
逆に言えば、いくら情報を集めても、その視野から外れた情報は集まらないということだ。その外部的情報の中にこそ必要な情報がある可能性もあるわけだから、創造的な仕事をしようという場合は「食わず嫌い」をしてはいけないということである。

(6)

もう一度「運命」の話に戻ろう。

ほとんどの人間は自分の現在の状況に不満を持っているだろう。では、どういう状況を望むのかと言えば、案外とそれを明確に言える人はいないものだ。せいぜいが、男なら美女をはべらして酒池肉林の御馳走を食うという程度の、低レベルの極楽をイメージするくらいだ。あるいは恋愛中の人間なら、愛する相手に愛し返されたならそれだけで天国だと言うかもしれない。はっきり言って、どちらも馬鹿馬鹿しい望みである。前者は1時間もたてば満腹して、それ以上は食い物を見るのもいやになるだろう。後者は、自分を愛するようになった相手の現実の姿が、そのへんのただの男や女と何も変わらないことに半日で気づくだろう。枯堂夏子ではないが、恋愛など、片思いの間が最高なのである。
つい興奮して乱暴な発言をしてしまったが、要するに、我々の願望などあいまいなものにすぎないのである。だから、我々は(いつでも望む物に交換可能だと信じている)金を得ることを目標にするのである。だが、その金を得た後、どうするのかはほとんど考えていない。まあ、働かないで、のんびり遊んで生きられたらいいなあ、というのがほとんどの人間の願望の最大公約数だろう。ところが、一生遊んで暮らせる財産を持っている大金持ち連中が毎日遊んで暮らしているかというと、そうでもないのである。つまり、彼らにとっては遊びよりも仕事の方が楽しいのである。働くのが楽しいのだから、金が儲かる。金を得るのは楽しいから、もっと金を求める。金を求める明確な目的があるのだから、金が集まる。こういうサイクルで、金持ちはいっそう金持ちになり、貧乏人はずっと貧乏人のままとなるのである。
こうして金持ちが自分の望む運命を手に入れるのは分かった。だが、では貧乏人は貧乏人の運命を望んだだろうか? そんなはずはない、と世の貧乏人の皆さんは声を荒げるだろう。まあ、落ち着きなさい。かくいう私も貧乏人だが、自分が自分の求めた運命を手に入れていることは分かっている。

あまりにも有名な話で、世界中に同じパターンの話があるのだが、知らない人のために書こう。
ある南のリゾート地に、大会社の社長が遊びにやってきて、休暇を楽しんだ。彼がぶらぶらと散歩をしていると、そこに原住民が昼寝をしていた。こういう怠け者の大嫌いな社長さんは、その男を叩き起こして、「そんなに怠惰な生活をして恥ずかしくないのか。少しは働いたらどうだ」と言う。男は「働いたらどうなる」と言う。社長さん「金が手に入る」男「金を手に入れてどうする」社長「いくらでも遊べる」男「たとえば?」社長「そうだな、こんなリゾート地でのんびりと昼寝ができる」
という話だ。
意味わかりません? 分からない人はもう一度読むように。
つまり、私が貧乏人であるのは、このリゾート地の原住民と同じことである。金があっても金がなくてもやることは同じだから、金を求める気持ちがない。だから、金が手に入る気づかいはない、というわけだ。せいぜいが、病気の時の保険程度の金があればいいなあと思っているが、無ければ無いで、医者にかからなければいいだけだ。医者に行くのを我慢した結果、病気をこじらせて死んでも仕方がない。近代以前の社会では、どんな高貴な人でもたいした治療は受けていなかったのだから、何も不満はない。
というわけで、私が貧乏なのは、私が、あくせく働いてまで金を求めるのは嫌だなあ、と心の底で思っているからである。そしてそういう情報を私は常に無意識のうちに外部に流しているわけだ。そうなると、金の話は私の上空を素通りしていくのは理の当然だろう。
これが、多くの貧乏人の方々が貧乏人の運命を自ら手に入れているということの説明だが、まだ納得いただけないだろうか?
同様に、男運の悪い女はそういう運命を自ら求めているのであり、やたらと病気や怪我になる人間はそういう運命を自ら求めているのである。後者は、考えられる限りの不摂生をしながら、病気になるとその治療に狂奔するという場合もある。まあ、病気や怪我は本人の責任ではない場合も多いのだが、私のように臆病な人間は生まれてから一度も骨折などしたことはない。骨折などというのは勇敢な人間、言い換えれば危険に立ち向かう人間の勲章であり、それもやはり自らを骨折する可能性の中に投げ込んだことから来る、性格的運命の一つなのである。

(7)

最後に、こういう「運命原理」に対し、どういう態度を取るのがいいかと言えば、言うまでもなく、何もしなくていいのである。その運命は、あなたが望んだものなのだから。もしも自分の運命を心から変えたければ、まず自分自身の無意識を見つめることである。その結果、自分の性格的運命に甘んじるか、それを変えるか決意するが良い。運命を本気で変えるつもりなら、前に書いたように「外部への情報発信」をすることである。できるだけ多くの人に対して情報を発信すれば、運命を変えるきっかけとなる情報もそのうち手に入るだろう。簡単な話、海で溺れている人間が「助けて」と叫べば、誰かが助けるだろうが、叫ばないと、ただ泳いでいるだけと見做されるかもしれない。情報発信とはそういうものである。助けが欲しければ、助けを求めて叫びなさい。これが「求めよ。さらば与えられん」ということである。

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