<■112行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可> >>1 「鳥瞰(バードアイ)」さん >義務教育で「世界システム論」は絶対教えておくべきだと思いました。 ウォーラーステインさんが提起した「近代世界システム」論に添って記述されている世界現代史の本に、木谷勤さんが執筆して山川出版社から上梓されている『もういちど読む山川世界現代史』という高校教科書風の装丁と分量の書籍があります。 この山川出版社の「もういちど読む」シリーズは、「高校の教科書を一般読者のために書き改めた教養書。日々変化する世界と日本をとらえ、ニュースの背景がわかる社会人のための教科書。」だそうです。 『もういちど読む山川世界現代史』には、随所に、「中心」「半周辺」「周辺」の用語が使われています。 ◆ 木谷勤(著) 『もういちど読む山川世界現代史』(山川出版社, 2015年) 序章 現代世界の前提 【「近代世界システム」論】 p.7 世界史を多くの国民史の単線ないし平板な羅列でなく、構造の変化や一体化の歴史として描くにはどうしたらよいか。「世界史」の研究者はこの課題に頭を悩ませてきた。 そのなかで今日一番影響力をもつ世界史論は、アメリカ合衆国の社会学者イマヌエル・ウォーラーステイン(1930〜)が提起した「近代システム論」ではなかろうか(『近代世界システム』 I〜IV, 1974〜2011年, 邦訳, 名古屋大学出版会)。 ウォーラーステインは、はじめアフリカ現代社会を研究していたが、そこで彼がいだいた疑問は、第二次世界大戦後アフリカをはじめ世界の旧植民地や従属諸国が政治的に独立しながら、なぜ国民統合や社会の開発が遅々として進まないのかであった。この問いへの答えとして彼は、16〜17世紀に英・仏など北西ヨーロッパの「中心」諸国が大西洋やアジアを股にかけた貿易、および輸出綿布などをつくる代替工業の繁栄を通じて富強になる一方、ほかの後発諸国や地域を「半周辺」や「周辺」として隷属させた「近代世界システム」の構造と機能を明らかにした。 彼の描く世界史像はあまりにもヨーロッパ中心で、この時代に中国やインドなどがはたした独自の役割を軽視しているという批判も聞かれるが、16〜20世紀前半までの近代世界形成の見取り図としてはなお有効であろう。 《国際的配置の出発点》 pp.6-7 現代世界の始まりをいつとするかには諸説ある。もっとも現代に近くとらえるならば、第二次世界大戦後の70年間であろう。また、2014年がちょうど100年にあたる第一次世界大戦の開始をもって、現代の始まりととらえる見方もある。しかし、現代歴史学の世界でもっとも一般的とされるのは、今日の世界のあり方をつくりあげた帝国主義時代、すなわち19世紀の末である。 では、現代を迎える前夜の世界はどのようであったのだろうか。18〜19世紀にまたがり、ヨーロッパを中心に進行した産業革命と国民国家の形成は資本主義の「近代世界システム」をほぼ完成させた。その「中心」はヨーロッパの北西部や中部にあるイギリス・フランス・オランダ・ドイツなどの国々で、その他のヨーロッパ諸国は「半周辺」、ロシアをはじめバルカン以東は「周辺」とされた。 それ以外の諸地域も、当時ヨーロッパ人がまだ足を踏み入れていなかった奥地を除き、ほとんどこの体制に組み入れられていた。非ヨーロッパで当時すでに公式の植民地になっていたのは、インド・インドネシア・フィリピンとアフリカのごく一部だけだったが、以後それまで固有の政体や文化のゆえにヨーロッパ世界との接触を拒否してきた東アジアの国々が、つぎつぎと「周辺」化ないし半植民地化されて「近代世界システム」に組み入れられていった。 このなかで例外的だったのは、「半周辺」から自力で「中心」に上昇したアメリカ合衆国、および明治維新を通じてかろうじて独立を守り、「半周辺」ながら国民国家として「近代世界システム」に初参加した日本だった。そしてこの産業革命期にみられる「中心」か「周辺」か、また「半周辺」かの分岐が、現代世界の国際的配置の直後の出発点になった。 https://www.yamakawa.co.jp/product/64068 https://cir.nii.ac.jp/crid/1971149384795701264 ◆ ウォーラーステインの近代世界システム論 (世界史の窓) :要約 「近代世界システムの二大構成要素・・・・すなわち、一方では世界的な規模での分業体制を基礎として、「資本主義的世界経済」が成立した。 この「世界経済」を構成する各地域−それぞれ、中核、半周辺、周辺とよぶ−はそれぞれに固有の経済的役割をもち、それぞれに異なった階級構造を発展させた。その結果、それぞれの地域には独自の労働管理の方式が成立した。 これに対して政治は、基本的には国家の枠組のなかで動いていたが、各国が「世界経済」のなかで担う役割が違っていたから、国家の構造にも差が生じた。なかでも、中核地域の国家は中央集権化がもっとも進行したのである。」<上掲書Tp.231>ということであろう。 ここでいう中核とは「つまりキリスト教徒支配下の地中海域を含む西ヨーロッパ」であり、人口密度が高く、農業は集約的で、自営農民(ヨーマンなど)が自立しており、都市が発達し、工業が生まれ、商人が経済的にも政治的にも大勢力となった。そこでの労働管理方式は自由な契約労働が行われた。 周辺とは「東ヨーロッパとスペイン領新世界」であり、そこでの労働管理の方式は「奴隷と換金作物栽培のための強制労働」が用いられた。東ヨーロッパにおける再版農奴制と、スペイン領新世界におけるエンコミエンダ制である。 半周辺とは「もとは中核に位置していたのに、いまでは周辺的な構造を持つようになった地域」でまさに両者の中間形態にあたる分益小作制が労働管理の方式としてとられた。それが南フランス、イタリアであり、またスペイン・ポルトガルもそれにあたる。 このような「近代世界システム」が形成されたのが16世紀であったという。<I.ウォーラーステイン、川北稔訳『近代世界システムT』1974 岩波現代選書 p.124〜166より要約> なお16世紀段階ではインドのムガル帝国、中国の明は、この世界システムにまだ組み込まれていない。なお、上掲の川北氏の訳では、周辺は辺境、半周辺は半辺境という訳語があてられている。 https://www.y-history.net/appendix/wh0901-069_1.html ◆ 世界システム論 (ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典) 近代以降の世界全体を単一の社会システム,すなわち世界資本主義体制としてとらえ,その生成・発展の歴史的過程を究明することによって,さまざまな政治経済的諸問題,とりわけ国家間関係,経済的な支配・従属,世界秩序の構造と変動などを全体的に究明しようとする理論。アメリカの歴史社会学者 I.ウォーラステインによって創始された。 まず世界をアメリカおよび他の工業諸国から成る「中心」と,発展途上国から成る「周辺」に分けた上で,前者によって後者が搾取され,さらに両者によってその周辺が搾取されているとする。富める国々は,周辺地域から稼ぎ出した余剰のうちわずかな部分しか周辺地域に配分しない。他方,周辺に属する国々にも「周辺の中心」,すなわち世界経済システムの中心に位置する外国資本と結びついた特権階級や民族ブルジョアジーが存在する。 このように世界を素描する世界システム論は,明らかにマルクス主義的な考え方を下敷きにしている。ここには,国家間に固有の競争や対立への言及はなく,資本主義社会における階級闘争の分析が世界全体に拡大・適用されるのである。 https://kotobank.jp/word/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%97%E3%81%99%E3%81%A6%E3%82%80%E8%AB%96-3191284
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