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イスラエルによるパレスチナ人虐殺を批判してきた国連の委員会メンバーが辞任
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202507170000/
2025.07.17 櫻井ジャーナル
国連人権理事会が2021年に設置を決めた「パレスチナ占領地に関する独立国際調査委員会」の委員3名、クリス・シドティ、ナビ・ピレイ、ミルーン・コタリが辞表を提出した。7月9日には国連のパレスチナ問題担当特別報告者であるフランチェスカ・アルバネーゼに対し、ドナルド・トランプ大統領は「制裁」を課しているいるが、委員会のメンバーはアメリカからの「制裁」を恐れたのではないかとも言われている。
今回辞任した3名やアルバネーゼはイスラエルのパレスチナにおける虐殺に批判的で、イスラエルを支援しているアメリカやヨーロッパ諸国から非難されていた。イスラエルは欧米が中東地域を支配するための拠点であり、欧米の帝国主義国に代わって「汚い仕事」をしてきたとも言われている。欧米諸国とイスラエルはイスラエルによるパレスチナ人虐殺を批判する人に「反ユダヤ主義者」というタグをつけて攻撃、虐殺を含む弾圧を正当化してきた。
パレスチナ人虐殺の背景にあるのは「ユダヤ主義」ではなく、「シオニズム」である。シオニズムとは「シオンの地」へ帰るという考え方。キリスト教で「旧約聖書」と呼ばれている書物を歴史書であるかのように扱うシオニストがシオンをパレスチナだとしているだけのことだ。
一般的に「近代シオニズムの創設者」とされている人物は1896年に『ユダヤ人国家』という本を出版したセオドール・ヘルツルだが、その前からシオニズムという考え方は存在した。海賊行為で富を蓄積していたエリザベス1世の時代(1593年から1603年)、イングランドに出現した「ブリティッシュ・イスラエル主義」が始まりだと考えられている。
その当時、イングランドの支配層の間で、アングロ-サクソン-ケルトは「イスラエルの失われた十支族」であり、自分たちこそがダビデ王の末裔だとする信じ、人類が死滅する最後の数日間にすべてを包括する大英帝国が世界を支配すると予言されているという妄想が広まっていた。
イギリスや西側世界にシオニズムを広めた人物としてブリティッシュ外国聖書協会の第3代会長を務めた反カトリック派のアントニー・アシュリー-クーパー(シャフツバリー伯爵)が知られているが、17世紀初頭にイギリス王として君臨したジェームズ1世も自分を「イスラエルの王」だと信じていたという。
その息子であるチャールズ1世はピューリタン革命で処刑されたが、その革命で中心的な役割を果たしたオリヴァー・クロムウェルをはじめとするピューリタンも「イスラエルの失われた十支族」話を信じていたとされている。クルムウェルはユダヤ人をイングランドへ入れることを許可したが、稼ぎ方を海賊行為から商取引へ切り替えるためだった灯されている。ユダヤ人は商取引や金貸しに長けていた。
エリザベス1世が統治していた時代、イングランドはアイルランドを軍事侵略、先住民を追放し、イングランドやスコットランドから入植者をアイルランドのアルスター地方へ移住させた。
ピューリタン革命の時代にもアイルランドで先住民を虐殺している。クロムウェルは革命で仲間だったはずの水平派を弾圧した後にアイルランドへ軍事侵攻して住民を虐殺したのだ。
侵攻前の1641年には147万人だったアイルランドの人口は侵攻後の52年に62万人へ減少。50万人以上が殺され、残りは「年季奉公」や「召使い」、事実上の奴隷としてアメリカなどに売られたと言われている。
ダブリン出身でプリマス・ブレザレンを創設したジョン・ネルソン・ダービー牧師は1830年代から宗教活動を始めたが、彼はキリストの千年王国がすべての文明を一掃し、救われるのは選ばれた少数のグループだけだと考えていた。
世界の邪悪な力はエゼキエル書で特定されている「ゴグ」であり、そのゴグはロシアを指すと主張、ユダヤ人がイスラエルに戻って神殿を再建したときに終末を迎えるとしている。つまりキリストが再臨するということ。シオニストにとって対ロシア戦争とパレスチナ制圧は一体のことである。
19世紀のイギリス政界では反ロシアで有名なヘンリー・ジョン・テンプル(別名パーマストン子爵)が大きな影響力を持っていた。彼は戦時大臣、外務大臣、内務大臣を歴任した後、1855年2月から58年2月まで、そして59年6月から65年10月まで首相を務めている。ビクトリア女王にアヘン戦争を指示したのもパーマストン卿だ。
このように始まったシオニズムは19世紀に帝国主義と一体化し、パレスチナ侵略が具体化してくる。イギリス政府は1838年、エルサレムに領事館を建設し、その翌年にはスコットランド教会がパレスチナにおけるユダヤ教徒の状況を調査、イギリスの首相を務めていたベンジャミン・ディズレーリは1875年にスエズ運河運河を買収。そして1917年11月、アーサー・バルフォアがウォルター・ロスチャイルドへ書簡を出してイスラエル建国への道を切り開く。いわゆる「バルフォア宣言」だ。
ディズレーリが書いた小説『コニングスビー』の中に、次のようなことが書いてある。
「(ジョン・)ハムデン(オリバー・クロムウェルの従兄弟)による最初の運動から1688年の最後の最も成功した運動(名誉革命)に至るまで、イングランドにおけるホイッグ党指導者たちの最大の目的はベネツィア共和国をモデルとした高貴な貴族制の共和国をイングランドに樹立することであり、当時のあらゆる思索的な政治家がそれを研究し称賛することだった。」
今でもイギリスはイスラエルの背後にいるのだが、中でもサー・トレバー・チン卿が最も重要な人物だとされている。すでに実業の世界から引退しているが、イギリスの政界で最も影響力のある人物のひとりだ。
2005年には「イスラエル・英国ビジネス協議会」の共同議長としてイスラエルを訪れ、アリエル・シャロン首相の輸出国際協力会議に参加。2018年にはトニー・ブレア元首相をはじめとする英国政界の有力者数名が出席したハイム・ヘルツォグ元イスラエル大統領の盛大な祝賀会を共同主催している。
チン卿は1980年代以降、イギリスの二大政党である保守党と労働党の圧力団体である労働党イスラエル友好協会(LFI)と保守党イスラエル友好協会(CFI)の両方に資金を提供、イスラエルのパレスチナ人虐殺に批判的だったジェレミー・コービンを攻撃する一方、キア・スターマーが首相になるのと助けた。昨年10月にチン卿はイギリスの外務省と密かに会談し、イスラエルへの武器輸出について助言を行ったともいう。
スターマーは2020年にチン卿から5万ポンドを受け取って以来、「無条件でシオニズムを支持する」と公言、親イスラエル色を強めている。その前、彼は労働党のパレスチナ中東友好協会に所属していた。
トニー・ブレアもチンをスポンサーにしていた政治家のひとり。イギリスの労働党は1982年9月にレバノンのパレスチナ難民キャンプ、サブラとシャティーラで虐殺事件が引き起こされた後、親イスラエルから親パレスチナへ変化していたが、それを親イスラエルへ引き戻したのがブレアにほかならない。
ブレアは労働党を親イスラエルへ引き戻しただけでなく、社会民主主義を放棄して大企業に接近していく。チン卿はそのブレアの大口献金者だったが、富豪のマイケル・レビーも有力スポンサー。
ブレアとイスラエルとの関係は遅くとも1994年1月に始まっている。このときにブレアは妻のチェリー・ブースと一緒にイスラエル政府の招待で同国を訪問、帰国して2カ月後にロンドンのイスラエル大使館で富豪のマイケル・レビーを紹介されたのだ。
その2カ月後、つまり19944年5月に労働党の党首だったジョン・スミスが心臓発作で急死、その1カ月後に行われた新党首を決める投票でブレアが勝利している。レビーやLFIのようなイスラエル・ロビーを資金源にしていたブレアは労働組合の影響を受けなかった。
アメリカにおけるイスラエル・ロビーの強大さは有名だが、イギリスのイスラエル・ロビーも強力だ。こうしたネットワークがパレスチナでの住民虐殺を支援している。
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