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広島と長崎に米軍が原爆を投下してから80年(櫻井ジャーナル)
http://www.asyura2.com/25/warb26/msg/250.html
投稿者 赤かぶ 日時 2025 年 8 月 06 日 01:30:05: igsppGRN/E9PQ kNSCqYLU
 

広島と長崎に米軍が原爆を投下してから80年
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202508050000/
2025.08.05 櫻井ジャーナル

 アメリカ軍がウラン型原子爆弾「リトル・ボーイ」を広島へ、プルトニウム型原爆「ファット・マン」を長崎へ投下してから今年で80年になる。広島へは8月6日、長崎へは8月9日。広島では9万人から16万6000年が、長崎では6万人から8万人がそれぞれ殺されたとされているが、核分裂反応を利用するという性格上、人びとのDNAが傷つけられ、障害苦しんだ人も少なくない。

 広島と長崎への原爆投下を許可したのは大統領に就任してまもないハリー・トルーマンである。アメリカ、イギリス、中国が「ポツダム宣言」を発表する2日前、7月24日のことだ。日本が「ポツダム宣言」にどう反応するかを見ずにトルーマンは原爆投下による市民虐殺を決めた。

 原爆の開発プロジェクトは「マンハッタン計画」と名付けられていたが、主導した国はアメリカでなくイギリスだった。1940年2月にバーミンガム大学のオットー・フリッシュとルドルフ・パイエルスのアイデアに基づいてプロジェクトが始まり、MAUD委員会なるものが設立されている。

 1943年には核兵器用のウランとプルトニウムを製造するため、テネシー州オーク・リッジに4施設が建設され、そのひとつはオーク・リッジ国立研究所へと発展した。ワシントン州に建設されたハンフォード・サイトではプルトニウムを製造するため、1944年9月にB原子炉が作られている。

 この「マンハッタン計画」を統括していたアメリカ陸軍のレスニー・グルーブス少将(当時)は1944年、同計画に参加していたポーランドの物理学者ジョセフ・ロートブラットに対し、その計画は最初からソ連との対決が意図されていると語ったという。原爆を開発する目的がソ連である以上、「ポツダム宣言」に対して日本がどのように反応するかは意味がなかったわけだ。(Daniel Ellsberg, “The Doomsday Machine,” Bloomsbury, 2017)

 ナチスに支配されたドイツは1941年6月にウクライナとベラルーシへ軍事侵攻、ソ連との戦争を始めた。「バルバロッサ作戦」だ。1941年7月にドイツ軍はレニングラードを包囲し、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点に到達した。

 それを見てアドルフ・ヒトラーはソ連軍が敗北すると確信、再び立ち上がることはないと10月3日にベルリンで語っている。またウィンストン・チャーチル英首相の軍事首席補佐官だったヘイスティングス・イスメイは3週間以内にモスクワは陥落すると推測しながら傍観していた。(Susan Butler, “Roosevelt And Stalin,” Alfred A. Knopf, 2015)

 しかし、ソ連軍の抵抗でこうした予想通りにことは進まない。ドイツ軍は1942年8月にスターリングラード市内へ突入するが、ここでソ連軍に敗北、1943年1月に降伏した。この段階でドイツの敗北は決定的。それを見てイギリスは慌てた。

 イギリスのウィンストン・チャーチル首相は1943年1月、アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領やフランスのシャルル・ド・ゴールとカサブランカで会談している。「無条件降伏」という話が出てくるのはこの会談だった。この条件はドイツの降伏を遅らせることが目的だったとも言われている。米英はソ連対策を講じるための時間的な余裕が必要だった。

 1943年7月にアメリカ軍とイギリス軍は犯罪組織の協力を得てシチリア島へ上陸、その一方、ナチスの幹部はOSSの幹部だったアレン・ダレスと接触し始める。「サンライズ作戦」だ。

 その後アメリカの軍や情報機関はナチスの幹部や協力者を逃走させ、保護、そして雇用する。「ラットライン」、「ブラッドストーン作戦」、「ペーパークリップ作戦」などだ。こうした工作でナチスの幹部や協力者はアメリカの保護下に入り、工作にも参加することになる。

 1945年4月にルーズベルト大統領が急死、その翌月にドイツは降伏。その直後にチャーチル首相はソ連に対する奇襲攻撃を計画、アンシンカブル作戦が作成された。7月1日にアメリカ軍64師団、イギリス連邦軍35師団、ポーランド軍4師団、そしてドイツ軍10師団で「第3次世界大戦」を始めるというものだが、イギリスの参謀本部がこの計画を拒否したので実行されていない。

 1945年7月26日に退陣したチャーチルは大戦後の46年3月にアメリカのフルトンで「鉄のカーテン演説」を行い、「冷戦」の幕開けを宣言。FBIの文書によると、チャーチルは1947年にアメリカのスタイルズ・ブリッジス上院議員に対し、ソ連を核攻撃するようハリー・トルーマン大統領を説得してほしいと求めている。(Daniel Bates, “Winston Churchill’s ‘bid to nuke Russia’ to win Cold War - uncovered in secret FBI files,” Daily Mail, 8 November 2014)

 大戦中、ウクライナでナチスやイギリスの対外情報機関MI-6と連携していたOUN-B(ステパン・バンデラの信奉者たち)は1943年春にUPA(ウクライナ反乱軍)として活動し始め、その年の11月には「反ボルシェビキ戦線」を設立した。(Grzegorz Rossolinski-Liebe, “Stepan Bandera,” ibidem-Verlag, 2014)

 第2次世界大戦後の1946年4月に反ボルシェビキ戦線はABN(反ボルシェビキ国家連合)へと発展し、66年にはAPACL(アジア人民反共連盟、後にアジア太平洋反共連盟に改名)と合流してWACL(世界反共連盟。91年にWLFD/世界自由民主主義連盟へ名称変更)の母体になる。(Scott Anderson & Jon Lee Anderson, “Inside the League”, Dodd, Mead & Company, 1986)

 戦争が終わった直後、MI6は反ソ連組織の勢力拡大を図り、1947年7月にインテルマリウムとABNを連合させ、9月にはプロメテウス同盟も合流させた。翌年の後半、新装ABNはバンデラの側近だったヤロスラフ・ステツコを中心に活動を開始。ステツコと同じようにバンデラの側近だったミコラ・レベドはアメリカのアレン・ダレスの配下に入る。

 ステツコの人脈は後にKUN(ウクライナ・ナショナリスト会議)を創設、1986年に彼が死亡すると妻のスラワ・ステツコが引き継ぎ、2003年に死ぬまで率いることになる。

 KUNの指導者グループに所属していたひとりにワシル・イワニシンなるドロボビチ教育大学の教授がいたが、その教え子のひとりであるドミトロ・ヤロシュはイワニシンが2007年に死亡すると後継者になる。このタイミングでヤロシュはNATOの秘密部隊ネットワークに参加したと言われている。

 1941年6月のバルバロッサ作戦から現在に至るまでナチズム信奉者の対ロシア戦争は続いているのだが、その背後にはイギリスやアメリカの支配層が存在している。

 イギリスが対ロシア戦争を始めたのは19世紀のこと。同じ頃、イギリスは対中国戦争も行った。アヘン戦争と第2次アヘン戦争(アロー戦争)だが、内陸部を制圧することはできなかった。戦力が圧倒的に足りなかったからだ。その後、イギリスは日本で体制転覆に成功、日本は朝鮮半島から中国を侵略、略奪を始めている。

 原爆投下や焼夷弾による絨毯爆撃を指揮したアメリカ軍のカーティス・ルメイは1948年からSAC(戦略空軍総司令部)の司令官に就任、1954年にはソ連を破壊するために600から750発の核爆弾を投下し、118都市に住む住民の80%、つまり約6000万人を殺すという計画を作成、57年に作成された「ドロップショット作戦」では300発の核爆弾をソ連の100都市に落とすることになっていた。(Oliver Stone & Peter Kuznick, “The Untold History of the United States,” Gallery Books, 2012)

 沖縄では1950年代に「銃剣とブルドーザー」で土地が強制接収されて軍事基地化が推し進められた。1953年4月に公布/施行された布令109号「土地収用令」に基づき、武装米兵が動員された暴力的な土地接収で、55年の段階で沖縄本島の面積の約13%が軍用地になっているのだが、これはアメリカの核戦略と無関係ではないだろう。

 ​その頃、アメリカではICBMの準備が進み、統合参謀本部議長だったライマン・レムニッツァーや空軍参謀長だったルメイたちは1963年後半までにソ連を先制核攻撃するという計画をたてた​。まだソ連がICBMの準備ができていない時点で攻撃したかったのだ。その作戦の障害になっていたジョン・F・ケネディ大統領は1963年11月22日にテキサス州ダラスで暗殺されている。この暗殺の責任をソ連になすりつける動きもあったが、成功しなかった。

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コメント
1. 赤かぶ[248837] kNSCqYLU 2025年8月06日 01:34:25 : E0b6jxnVSQ : b2ZISlJIejFPZm8=[54] 報告
<■55行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>


【番組内容】
米軍が広島、長崎に原爆を投下してから、もうすぐ80年。原爆投下機に搭乗した米兵の孫と両方で被爆者の孫が出会い、友情を築いてきました。2人が広島に集い、出会いのきっかけ、それぞれの家族におこった出来事や日米の関係、戦争への謝罪と和解への思い、そして葛藤を語り合いました。
※2025年6月20日に収録しました

【関連記事】
祖父は広島と長崎、両方の投下機に搭乗 アリ・ビーザーさん自己紹介
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原爆投下に罪悪感がなかった祖父 世界は核兵器の真実を受け入れたか
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祖父は広島と長崎両方の「二重被爆者」 原田小鈴さんの自己紹介
https://www.asahi.com/articles/ASSBK2C4ZSBKPTIL00QM.html?iref=omny
核兵器は戦争を抑止せず、廃絶を いつまで叫び続ければいいのか
https://www.asahi.com/articles/AST2V21SZT2VPTIL00YM.html?iref=omny

【出演・スタッフ】
アリ・ビーザーさん(原爆投下のB29乗組員ジェイコブ・ビーザーさんの孫)
原田小鈴さん(広島・長崎二重被爆者・山口彊さんの孫)
田中美穂さん(カクワカ広島共同代表)
田井中雅人(核と人類取材センター事務局長)
MC・音源編集 岸上渉

2. 赤かぶ[248838] kNSCqYLU 2025年8月06日 01:35:37 : E0b6jxnVSQ : b2ZISlJIejFPZm8=[55] 報告

3. 赤かぶ[248839] kNSCqYLU 2025年8月06日 01:39:28 : E0b6jxnVSQ : b2ZISlJIejFPZm8=[56] 報告
<▽33行くらい>

【原爆投下80年】広島で何があったのか……被爆者の最後の世代に聞く

2025/08/05 BBC News Japan

アメリカが広島と長崎に原子爆弾を投下してから、今年で80年を迎える。第2次世界大戦終結の契機となったこの攻撃では、広島市の人口35万人のうち約7万8000人が即死。長崎市では、人口24万人のうち少なくとも4万人が爆発の衝撃で死亡したと推定されている。

現在、世界各地で紛争が続く中、軍事的緊張の高まりや新たな核軍拡競争の懸念が強まっている。

BBCのジョーダン・ダンバー記者が、実際に原爆を経験した、あるいはその影響を受けた最後の世代を取材した。

この番組「ヒロシマで何が起きたのか (What Happened at Hiroshima)」全編は、日本ではBBCニュースチャンネルで8月9日(土)午後6時30分から放送される。視聴方法はこちら。https://www.bbcworldnews-japan.com/wa...

BBCニュースサイトの記事はこちら。
https://www.bbc.com/japanese/articles...

4. 赤かぶ[248840] kNSCqYLU 2025年8月06日 01:54:49 : E0b6jxnVSQ : b2ZISlJIejFPZm8=[57] 報告
<■263行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>

あす広島原爆投下から80年 惨状伝える写真を撮影したカメラマン 込められた思い【ワイド!スクランブル】(2025年8月5日)

2025/08/05 ANNnewsCH

 8月6日は広島原爆の日。被爆から80年となる。原爆投下直後の街を撮影し、惨状を世間に伝えるため奔走した、あるカメラマンを取材した。

■原爆投下直後に撮られた写真

写真展 来場者
「すごく悲しい気持ちになりました」
「生身の人間が生きていたということに、すごく憤りを感じました」

 広島への原爆投下から6日で80年。東京・目黒にある東京都写真美術館では、原爆被害を伝える写真展が開催されている。

 1945年8月6日、歴史上初めての原子爆弾が広島に投下された。

 たった1発の爆弾が、半径2キロ以内の市街地を焼け野原にした。記録ではその年のうちに、およそ14万人が命を落としたとされている。

 被害の大きさを伝える当時の写真の数々。中でも来場者が食い入るように見つめていたのは原爆が落とされた“その日”に撮影された5枚の写真だ。

写真展 来場者
「残された方たちの意思をすごく感じて。すごく心に染みるものがありました」

 この写真を撮影したのは、当時・中国新聞のカメラマンだった松重美人さんだ。

 この写真が多くの人の目にふれるまでには、苦難の道のりがあったという。

 原爆が落とされた時、松重さんがいたのは、爆心地から2.8キロほど離れた理髪店。親戚家族と一緒に暮らしていたという。ここで松重さんと暮らしていた、おいの大屋基起さん(83)に話を聞いた。

「優しい人だった、僕に対しては。仕事には厳しかったでしょうけど」

 この場所も原爆の影響を受けた。松重さんが撮影した写真には、爆風によりガラスが砕け散り散乱している様子が収められていた。

 実は、松重さんが助かったのは奇跡的なことだったと大屋さんは語る。

「出勤の途中で、笑い話だけど、トイレに行きたくなって帰ってきた。それで助かった」

 勤務先の中国新聞は爆心地からおよそ900メートルの場所にあった。出勤が遅れたことで命拾いしたという。

 原爆投下後、松重さんはすぐさま中国新聞社へと向かい、道中で、原爆被害の実態を記録しようとカメラを構えたという。

「シャッターを切るのがいいのか悪いのか。心を鬼にしてシャッターを切ったと常々言っていました」

 当時の様子を松重さんはこう残している。

「カメラに手をかけたがシャッターが切れない。20分ほどためらい、やっとの思いで1枚目のシャッターを切った」

 使命感と混乱、そして悲しみ…。さまざまな感情が渦巻くなか、必死にシャッターを切ったというのが、この写真だ。

 服が裂け、肌がむき出しの人。焼け焦げた子どもを抱いている女性もいる。

松重さん(雑誌寄稿文から)
「目を開けて!目を開けて!と子どもの名前を呼び続ける半狂乱の母親。まさに地獄だ」
「頬に涙が流れ、ファインダーをとおす情景がうるんでいたのが、今も私の脳裏から消えない」

 葛藤の末、撮影された写真は、原爆の惨状を伝える貴重な証拠だ。しかし、この写真は撮影から数年の間、封印された過去があった。

■立ちはだかる原爆報道の規制

大屋さん
「心を鬼にしてシャッターを切ったと常々言っていましたから」

 広島への原爆投下直後、カメラマンの松重さんが、決死の思いでシャッターを切った5枚の写真。しかし、すぐに世に出ることはなかった。

 その理由は戦後、日本を占領した連合国軍、GHQが定めた「プレスコード」だ。

 “連合国軍への批判”や“原爆の被害や影響に関する報道”が禁止された。

 プレスコードが敷かれるなか、中国新聞社の記者らは原爆の記録を隠しながら世に出す機会をうかがったという。松重さんもその一人だ。

大屋さん
「隠すのは悪いことですけど、あの当時だったら無理もないことだと思いますね」
「(Q.松重さんのプレスコードとの闘いは?)すごかったでしょうね。今にして思えばね」

 原爆の惨劇を伝えなければ。その使命感の元、仲間と奔走した松重さん。そして、原爆投下から11カ月後、1946年7月6日の夕刊ひろしまに松重さんの写真が掲載された。見出しは「世紀の記録写真 人類平和のスタート」だ。

 GHQの検閲が緩い夕刊を選び、原爆被害の写真だと分からないような見出しを付けた。

 しかし、その後も検閲は続き、松重さんの写真が日本や世界に伝わったのは、プレスコードが失効した1952年。原爆投下から7年の月日が経っていた。

 晩年、松重さんは写真とともに各地で平和を訴え続けた。

松重さん(当時74歳)
「40年過ぎる今も、あの情景が私の胸に焼きつき消えることがありません」(1987年6月1日)

 松重さんは、人の心の中に平和のとりでを築きたいと願っていたという。時を超え、松重さんの写真は物言わぬ語り部として、今も人々に原爆の悲惨さを訴え続けている。

写真展 来場者
「日常…だったものが急に奪われてしまったということが伝わってくる写真だったなと思いました」
「かわいそうだった」
「写真で見るというのはインパクトも大きいので、特に子どもにはダイレクトに伝わりやすいと思います」

 松重さんは92歳で亡くなる前の年にこんなことを語っていた。

「あの現場にいた者の務めというか、平和を願って話すんです」(2004年 地元の取材に対し)

 平和を願い続けた松重さん。しかしおいである大屋さんは懸念を口にする。

「これはいつまで経っても語り続けないといけないと思うんですけども、今、世界では戦争が起きているじゃないですか。だんだん(広島の記憶)は薄れていく可能性があるのではと思いますね」

 松重さんの思いと逆行する世界。その要因ともなったGHQによるプレスコードは、さまざまな影響を及ぼしたという。

■原爆報道規制「プレスコード」とは

 戦後の原爆報道がプレスコードにより、厳しく規制された時期があった。

 プレスコードとは、GHQによる新聞・出版などへの検閲の基準だ。
    
 終戦を迎えた直後は、広島・長崎の原爆に関する報道が一時的になされたが、GHQはこれを見逃さず、終戦からおよそ1カ月後の1945年9月19日にこのプレスコードを発令した。

 GHQへの批判や原爆に関する記事などが検閲され、多くが発禁処分とされた。

 この状態は、講和条約の発効に伴い、1952年にプレスコードが失効するまで7年間にわたって続いた。

 プレスコードは戦後日本の報道・出版界に大きな影響を与えた。

 新聞や雑誌、科学論文に続いて、ラジオや映画シナリオに至るまで厳しい検閲を受け、原爆投下直後の広島・長崎の惨状や白血病や脱毛などといった健康被害を適切な時期に正しく伝えることができなかったのだ。

 7年にわたって、原爆の実態や被爆者の苦しみが“隠されたまま”の状態が続き、支援の遅れにもつながった。

 アメリカで在米被爆者の研究をし、プレスコードの影響についても詳しい、ミシガン州立大学のナオコ・ワケ教授は、「プレスコードは医療や科学的研究に対しても大きな妨げとなった」「原爆投下直後の爆心地が高濃度に汚染されていることなどが、適切に警告されるべきだった」と話している。

 また、「原子力や放射線に関する研究が制限されてしまい、人間社会に最善となる形での探求ができなかった」と、さまざまな影響を及ぼしたと指摘している。

■写真で“被爆者の今”伝える活動

 原爆の被害を今に伝える多くの写真があるが、そんななか、被爆者の今を新たな視点で伝える写真家がいる。

 先月、新宿で開催された原爆をテーマにした写真展。しかし、展示されていた写真は、子どもたちを優しく見つめる女性や撮影者と談笑しているであろう男性。

 実は、展示されている人は皆、広島と長崎で被爆した人たちだという。

写真家 tanamaさん
「(原爆の)被害に遭っただけで、普通の人たちなんですね。普通の人生を送っている人たちっていうのが、私も接するなかですごく実感して、こういう側面を伝えていきたいなと思った」

 撮影したのは、長崎県出身で写真家のtanamaさん。被爆者たちの日常から原爆を身近に感じてほしいという思いで、都内に暮らす被爆者の写真を撮り続けてきたという。

 恥ずかしがり屋ではにかむ笑顔を見せるのは、木村さん。この写真は遺影に使われたという。その写真から来場者が感じたことは…。

川崎在住 来場者(51)
「自分の痛みだけじゃなくて他人の方の痛みも受け止めたり、そしゃくしながら生きられたうえでの笑顔だと思うと、すてきだなと思いました」

 来場者は何気ない被爆者たちの姿からその人生に思いをはせていた。

世田谷在住 来場者(64)
「80年経った現在もつながっているというふうに思えて、胸にくるものを感じてしまいました」

埼玉県在住 来場者(40)
「もしかしたら自分の隣に住んでいらっしゃったかもしれないしとか、実際に存在された人が受けたことなんだなって」

■日常を切り取る新たな視点

 写真家のtanamaさんが、あえて被爆者の日常的な風景を切り取るのには、ある思いがあった。

 「広島・長崎だけではなく、東京でも多くの被爆者が生活していることを知ってもらいたい」「原爆の悲劇的な写真ばかりでなく、被爆者の普段の表情から、その人の人生に思いを寄せるきっかけになれば」ということだ。

(「大下容子ワイド!スクランブル」2025年8月5日放送分より)

[テレ朝NEWS] https://news.tv-asahi.co.jp

5. 赤かぶ[248841] kNSCqYLU 2025年8月06日 01:59:13 : E0b6jxnVSQ : b2ZISlJIejFPZm8=[58] 報告
<■86行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>

広島・長崎の記録を未来へ…原爆の白黒写真を最新AI技術で“カラー化” 戦争の記憶を風化させないための新たな試み

2025/08/02 FNNプライムオンライン

戦後80年。記憶の風化が進む中、当時の白黒写真をカラー化する技術が注目されています。

広島・長崎の記録を未来へと受け継ぎ、“記録”を“記憶”として残していこうという新たな試みです。

1945年8月6日、広島に投下された原子爆弾の瞬間を捉えた白黒写真には、空高く立ち上る巨大なきのこ雲が写っています。

最新のAI(人工知能)技術でこの写真をカラー化すると、青空の中にくっきり立ち上がったきのこ雲の一部がオレンジ色に染まっていることがわかります。

同じ写真でも、白黒とカラーでは受ける印象がまったく異なります。

長崎に投下された原爆のきのこ雲も、カラー化により破壊の衝撃がより生々しく伝わってきます。

神奈川・川崎市の「川崎市平和館」で開催中の特別展『天然色で見る広島・長崎と80年後の世界』では、被爆地・広島と長崎の記録写真をカラー化して公開しています。(※8月4日・12日・18日・19日は休館)

川崎市平和館の吉澤朋充館長は「白黒の写真ではなかなかリアルに伝わらないものが、カラー写真を通して見ることにより、自分たちに近いものとして捉えてもらえると思い、今回企画した」と話します。

広島に原爆を投下した爆撃機・B-29「ENOLA GAY」の乗組員たちや、満員の列車に乗り込む兵士や市民の姿もありました。

これらは、東京大学大学院 情報学環・渡邉英徳教授の研究室の協力でカラー化されました。

まず、230万組以上の画像を学習したAIを使って、白黒写真にふさわしい色を自動でつけていきます。

違和感のある部分は人の手で丁寧に修正されます。

被爆者の証言や当時のカラー写真などから、きのこ雲が白だけではないことが確認され正確な再現につながっています。

渡邉教授は「先端技術を使ってカラー化された写真を見ると、まず引きつけられる。“まるで今起きた出来事のようだ”と感覚をつかんでもらえるはず」と話します。

渡邉教授は、戦時中の動物たちの写真もカラー化。
終戦の日を前に、1冊の本にまとめました。

東京大学大学院 情報学環・渡邉英徳教授:
人間以外の生き物も戦争に巻き込まれていた。その動物たちの目線から戦争について改めて考えてもらいたい。

溝にはまった馬を兵士が助けようとする写真をカラー化すると、その情景がより鮮明に浮かび上がります。

東京大学大学院 情報学環・渡邉英徳教授:
(兵士は)馬を助けようとしているヒーローとみることができるが、戦争に巻き込まれた動物からみれば、命の危険にさらされていることにほかならない。

渡邉教授は「80年前に起きた出来事と今現在、我々が置かれている状況を重ね合わせて平和な時代にしようというメッセージ。受け止めてもらえるととてもいいなと思う」と話し、記憶を継承する上で“視覚の力”が果たす役割を強調します。

80年前の戦争の記憶をどう受け止め、どう伝えていくのか。
静かな試みが確かに広がっています。

FNNプライムオンライン
https://www.fnn.jp/

6. 2025年8月06日 02:27:18 : aD39qGVdqU : Q3Q3LkplbkZkNTI=[1518] 報告
■死者数

 * ヒロシマナガサキの原爆 21万人(S20年時点)

 * 主要都市への B−29 絨毯爆撃 38万7000人

 非戦闘員に対する無差別殺戮!

 いまイスラエルが ガザでやってるよ〜な・・・こと

 ジェノサドって言うやつだよね!


7. 罵愚[1873] lGyL8A 2025年8月06日 05:29:18 : dLV7KORD0A : TkxhRUl1ZEs1Yk0=[1336] 報告
>>6
>いまイスラエルが ガザでやってるよ〜な・・・こと

 いま、この声さえもあげられない人々が、地球上の人類の1/3もいる。

制約を受けた平和運動、指導されたり強制された民主主義……

[18初期非表示理由]:担当:掲示板を『自分の意見をできるだけ多く繰り返し書く場所』と考えているhttp://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/616.html#c93こと、かつ管理人の依頼を無視するhttp://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/615.html#c41ことにより全部処理

8. 減らず口減らん坊[1602] jLiC54K4jPuMuILngvGWVg 2025年8月06日 08:16:33 : CXM55bnQyw : VTlPNjQ0Y2tRMXc=[80] 報告
>>6
まったくだ
全ての元凶はアメリカである
さっさと中国にでも下るがよろしwww
さ〜て、できるかな〜www
これからも巨悪に加担する、悪の国民「普通の日本人」どもよwww
9. 罵愚[1864] lGyL8A 2025年8月06日 18:18:38 : dLV7KORD0A : TkxhRUl1ZEs1Yk0=[1339] 報告
>>8. 減らず口減らん坊さん
>全ての元凶はアメリカである

 …と言える根拠は何だろうか? 東西冷戦の結果から、なにを学んだのだろうか?

[18初期非表示理由]:担当:掲示板を『自分の意見をできるだけ多く繰り返し書く場所』と考えているhttp://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/616.html#c93こと、かつ管理人の依頼を無視するhttp://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/615.html#c41ことにより全部処理

10. 知的上級者 さん[395] km2TSY_ji4mO0iCCs4Lx 2025年8月06日 20:13:26 : VTH59AY6XQ : WWk1VDA0bXVWVGM=[4472] 報告
<▽33行くらい>
アメリカは日本に原爆を落としていない

それを裏付ける・示唆するものはいくらでもあるのだが
ここでは難しい知識なしで、それに自分で気付ける話を紹介しよう


【予備知識】
戦前、アメリカは日本の理研に物理学者の視察団を送り
どのような原爆を計画しているか知っていたし
開戦するまで日米の核物理学者の交流もあった
そもそも最初に原爆の可能性に気付いたのは東北大の彦坂氏である

そして原爆開発は、
2号研究: 仁科博士/理研/陸軍
F研究:  理論の湯川・実験の荒勝/京大/海軍
が行った


【問題】
アメリカは原爆使用の民間人大量虐殺者という汚名に対し
「日本に原爆を投下される前に、こっちが先にやっただけだ」
と反論すれば、多くの人々を納得させられたはずだ
なぜそう言わないのか?


【答え】
原爆は日本の自爆だったから

それはつまり、日米戦争は八百長だったということ
すると、米兵は米政府に殺されたということになるので
アメリカは日本の原爆の開発から否定するしかない

更に、思慮深い米国民なら
新型爆弾の殺傷力を調べるための都市での実験を
正当化するために日米が協力して戦争状態を作ったのか
と気付いてしまうでしょう

「そんなバカなことがあるかっ!!」と激怒しているアナタ
アナタの答えを是非教えて下さい


【関連事項】
戦後、アメリカの犯罪捜査部隊のデビッド・スネル氏が
朝鮮半島の日本人に聞き込み調査した内容を
1946年10月2日のアトランタ新聞に掲載した

当初、名古屋で原爆開発し、その後、朝鮮の興南の山の洞窟で製造していたこと
1945年8月12日にその沖合で爆発的な光、直径1000ヤードの火球があったこと
その他に、日本のウラン供給やソ連の興南への進軍などが書かれてある

その新聞の翌日にはAP通信が「ジャップが原爆開発したというレポートは信じるに足らない」
という記事を出して、スネル氏の報告を全否定

しかし、在朝鮮米軍司令部防諜部隊の1947年1月16日付け報告書では
興南の沖合で原爆に似た爆発があったことも、日本の科学者の氏名も
スネルの報告は正確だと反論

軍の調査結果を新聞にブチまけたのも含めて
米軍と米政府の間に軋轢があるね
軍は知ってるのだろう

11. T80BVM[1769] VIJXgk9CVk0 2025年8月06日 20:29:55 : GsZBvM0tLE : SVlIZDNSaFZRUUE=[25] 報告
【れいわの決意】日本人守るため核のない未来実現を誓う
https://www.youtube.com/watch?v=ew4a08cSMOY

ああ、れいわ新選組は最高だなあ
逆に、紙谷徴兵ハーレム党は最低だ
バカ市ナエナエ(壺)政権なんぞ最悪、ヘドが出るってwww

おまけ
さや(核武装)と、飼い主の三橋貴明は新打法がいい
世界一の嫌われ者・ハニートランプ(池沼)も同じことだwww

以上

12. にゃん次郎[11] gsmC4YLxjp@YWQ 2025年8月06日 22:48:25 : m9xsvzn6YK : UWJhSlVldkV5ZGc=[1] 報告
10のアタオカは非表示にすべき。陰謀論の米国トランプ信者だろう。
13. 罵愚[1862] lGyL8A 2025年8月07日 05:47:29 : dLV7KORD0A : TkxhRUl1ZEs1Yk0=[1340] 報告
 毎年、セミの声とともに湧きあがる反戦スレッドが、今年は、低調だな。
今年の敗戦記念日を★阿修羅♪はスル−するのか?
右翼も左翼も、本国の衰亡につき合っている。セミも鳴かない、今年の夏…

[18初期非表示理由]:担当:掲示板を『自分の意見をできるだけ多く繰り返し書く場所』と考えているhttp://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/616.html#c93こと、かつ管理人の依頼を無視するhttp://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/615.html#c41ことにより全部処理
14. 罵愚[1860] lGyL8A 2025年8月07日 06:09:44 : dLV7KORD0A : TkxhRUl1ZEs1Yk0=[1341] 報告
 支那蝉も、ロシア蝉も、アメ蝉も、朝鮮蝉も…今年の夏は静かだ。
なんと鳴けばよいのか? 今年の鳴き声を本国から教えてもらえなかったのだろう。
このまま命令が途絶えたら、日本の蝉は永久に沈黙するのだろうか? 日本の四季は永久に消えたのだろうか?
 それとも、秋になれば、自分の声をとり戻した秋の虫が鳴きはじめるのを、期待して待つべきなのだろうか?

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15. シリア、暗黒時代に突入[182] g1aDioNBgUGIw42Vjp6R44LJk8uT_A 2025年8月07日 09:30:26 : iyJ6B0Rzxc : ZU51VmQ3ZkVrNlk=[1] 報告
<■66行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
>>10 

日本が原爆の製造を試みていたことは、誰もが知る事実。
そして、終戦の3日前に、実際に成功したということも。
ただし、それをもって、広島の原爆が日本製というのは全く根拠のない単なる空想である。 10番はちょっと頭の変なシトね。


以下が、この問題を掘り下げた本である。

Japan's Secret War: Japan's Race Against Time to Build Its Own Atomic Bomb 15. August 1995 by robert Wilcox

アマゾンの本の紹介より:
“ロバート・ウィルコックスは、日本占領期にアメリカの諜報機関が収集した資料と、生き残った参加者への徹底的なインタビューに基づく長年の研究を経て、マンハッタン計画の日本版を、その初期から実際の兵器実験の可能性まで、初めて詳細に記述しています。物語には、将来のノーベル賞受賞者を含む日本の著名な科学者、北米で活動するスペインのスパイ網、そして第三帝国崩壊直前の数日間にウランを積んで日本に接近しようと必死に試みたドイツの潜水艦が登場します。しかし、おそらく最も興味深いのは、日本の原子力研究の最終段階が行われたとみられる朝鮮北部の巨大な工業団地です。終戦後、ソ連軍が朝鮮に侵攻した際、彼らはこの工業団地全体を解体し、ソ連に送り返しました。彼らがそこからどのような情報を得たのかは推測することしかできません。この新版には、日本がこれまで公表されていたよりもはるかに長い時間を原子力計画に費やしていたことを示す、最近発掘された研究成果が収録されています。”


ドイツの潜水艦は米軍につかまり、没収されたウランは、広島に落とした原爆に使用されました。


こんな記事もありますよ:

https://theimaginativeconservative.org/2020/09/untold-story-japan-atomic-bomb-robert-k-wilcox.html

"日本は1930年代後半、初期の革新的な核開発について十分に認識していました。ニルス・ボーアの友人である仁科芳雄や、アルバート・アインシュタインの同僚である荒勝文作といった一流の物理学者を擁していました。真珠湾攻撃以前から、日本の物理学者たちは日本の原爆開発計画を提唱し、計画は開始されましたが、日本の指導者たちは戦争がすぐに終わると考えていたため、優先順位は低かったのです。

しかし、戦争が長引くにつれて、計画の優先順位は高まりました。日本にとっての問題は物理学ではありませんでした。彼らは原爆の製造方法を知っていました。30年にわたる研究を経て、私はその十分な証拠を掘り起こしました。大きな問題は、ウランのような核分裂性元素を見つけ出し、それを爆弾燃料に分離し、爆弾へと加工することでした。占領下のアジア全域、つまり朝鮮、中国、満州、そして日本は、これらの鉱物資源を産出し、独自の物理学開発計画に貢献しました。戦前に日本が建設した巨大な工業団地を有していた朝鮮北部が、その産業を提供しました。当時、爆弾製造は工学上の偉業であり、朝鮮の興南(フンナム)で精鋭の日本人物理学者と技術者たちが取り組んでいました。

仁科と荒勝は、それぞれ日本本土における日本陸軍と海軍の実験計画を率いていました。彼らは戦争初期、東京をはじめとする各地でウランなどの核分裂性元素の分離を行いました。当初、両軍はライバル関係にあり、個々の成果は自国でのみ生み出していました。しかし、日本の戦況が悪化するにつれ、両軍は協力関係を築くようになりました。実験用の分離装置は改良され、朝鮮に輸送されました。連合軍による日本への爆撃を免れた朝鮮で、日本の原子力計画の最終的な開発が行われました。ただし、他の地域でも関連活動が行われていた兆候は見られます。朝鮮で陸軍の調査官を務め、後にライフ誌の著名な特派員となったデビッド・スネルは、1946年にアトランタ・コンスティチューション紙で、その結果として朝鮮沖で核兵器の発射実験が行われたことを初めて報じました。

しかし、その頃にはアメリカの優先順位は変化していました。今やロシアが新たな敵となっていたのです。アメリカはソ連に対抗する同盟国として、近隣の日本を必要としていた。世界初の原爆攻撃を受けた日本が、自国も原爆の製造と使用を試みていたことを公にしたくなかったのは当然のことだ。アメリカは日本の協力を求め、計画を秘密にしておくことに同意した。一方、ソ連は核兵器工場を略奪する一方で、朝鮮半島北部を外部から遮断した。さらに、その地域に接近した米軍機を撃墜した。朝鮮半島の日本軍工場に関する情報は事実上封鎖され、歴史家たちは暗闇の中に閉じ込められていた。"

16. シリア、暗黒時代に突入[183] g1aDioNBgUGIw42Vjp6R44LJk8uT_A 2025年8月07日 09:54:05 : iyJ6B0Rzxc : ZU51VmQ3ZkVrNlk=[2] 報告
 

ま、なんとか上級とかいうのは、春画のエキスパートの著書を読んで、広島原爆は日本製と言ってるのよ!! (笑)

17. シリア、暗黒時代に突入[184] g1aDioNBgUGIw42Vjp6R44LJk8uT_A 2025年8月07日 14:58:14 : fP2cyPh4oE : SXdXTUFVbzd3Ymc=[1] 報告

20年以上も前に、ドイツで、ナチドイツが日本に送ったウラニウム235に関するドキュメンタリーを見た事がある。確か、BBCのドキュメンタリーだったような気がする。


調べてみたら、以下のヴィデオが見つかった:
https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=rT5FjYBi7Bw  55mi

Nazi Uranium for the Manhattan Project The U Boat U 234 with U 235 Nuclear cargo

18. 虎公、イラン攻撃決定[15] jNWM9oFBg0ODiYOTjVWMgoyIkug 2025年8月07日 16:56:07 : fP2cyPh4oE : SXdXTUFVbzd3Ymc=[2] 報告
>>12 トランプ信者だろう。

     ↑

それ、本当です!!

ぺポとか言うのと一緒になって、プーチンとトランプが一緒になってDSをぶち壊し、新しいい世界を築く、という妄想の中に生きています!! (笑)

それだけだったら結構な事だけど、『広島原爆は日本製』とか、『虎プーが新しいい世界を築く』と言う様な<難解>な事は、自分たちの様な<天才>にしか理解できない事、と間抜けたことを言っている!!

そうそう、プーチンと北のジョンウンが、広島原爆は日本製との証拠をもうすぐ出す、とかも言っていた。
  

19. 罵愚[1858] lGyL8A 2025年8月07日 18:15:40 : dLV7KORD0A : TkxhRUl1ZEs1Yk0=[1342] 報告
 この話題については、 ★阿修羅♪の戦争b26掲示板と日本の出版界のレベルは、年ごとに低下しているな。
 いずれ忘れたときが、三発目を喰らうときなんだろう…きっと、、、

[18初期非表示理由]:担当:掲示板を『自分の意見をできるだけ多く繰り返し書く場所』と考えているhttp://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/616.html#c93こと、かつ管理人の依頼を無視するhttp://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/615.html#c41ことにより全部処理
20. シリア、暗黒時代に突入[185] g1aDioNBgUGIw42Vjp6R44LJk8uT_A 2025年8月07日 18:43:53 : fP2cyPh4oE : SXdXTUFVbzd3Ymc=[3] 報告
>>10 軍の調査結果を新聞にブチまけたのも含めて
     米軍と米政府の間に軋轢があるね
     軍は知ってるのだろう

       ↑

己の無知、丸出し!
哀れ、リサーチする能力さえ備えていない。

21. evilspys[1630] goWCloKJgoyCk4KQgpmCkw 2025年8月08日 00:44:04 : LY52bYZiZQ : aXZHNXJYTVV4YVE=[18609] 報告
リスナー様の3つのコメントとあまり教わることのない歴史の裏の考察
管理人のぼやきラジオ
2025/08/07
https://www.youtube.com/watch?v=GcMr-m2MrtY
22. シリア、暗黒時代に突入[187] g1aDioNBgUGIw42Vjp6R44LJk8uT_A 2025年8月09日 01:27:17 : qrZjUGzO9U : RVFPc1JsWnNWOUE=[2] 報告
<▽36行くらい>
>>10 

知的上級者 さん[344] km2TSY_ji4mO0iCCs4Lx 2024年7月22日 21:09:15 :

なので北朝鮮とロシアは、日本がいよいよやるな、となったときに
朝露それぞれが持つ、かつての日本が原爆を作った施設・設備を公開するだろう
それは来月、再来月くらいではないか

無知とは恐ろしい、その上級者とかいう輩はこういうバカげた事を一生懸命書いている!!

ほんの少し調べれば、1995年に日本の原爆開発について研究調査した著書(286ページ)が米国で発行されていた事にぶつかる。 (初版は1985年だった様です)

2020年にはアップデイトされた第3改訂版があらわれ(301ページ)、題名は以下の様に改定されている。
Japan's Secret War: How Japan's Race to Build its Own Atomic Bomb Provided the Groundwork for North Korea's Nuclear Program

。。。。
ところで、米国が、日本に原爆落としたのは、ソ連攻撃の為のリハーサルでした。

https://globalresearch.ca/video-hiroshima-nagasaki-dress-rehearsal/5856670
『マンハッタン計画:広島・長崎はソ連を地上から消し去るリハーサルだった』

広島と長崎への原爆投下からわずか 6 週間後、米国陸軍省は 1945 年 9 月 15 日に、ソ連の 66 都市を 204 個の原子爆弾で爆撃するという秘密計画を発表した。

詰り、米国は、米国とソ連が同盟国であった時代にすでに「ソ連を地図から消し去る」ことを計画していたのだった。機密解除された文書によって確認されたように、広島と長崎は「リハーサル」として機能したのである。

https://globalresearch.ca/history-of-nuclear-war-the-90-seconds-to-midnight-the-pentagons-1945-doomsday-blueprint-to-wipe-the-soviet-union-off-the-map/5806293

80 Years Ago: The Hiroshima Nagasaki “Dress Rehearsal”: Oppenheimer and the U.S. War Department’s Secret September 15, 1945 “Doomsday Blueprint” to “Wipe the Soviet Union off the Map
80年前:広島・長崎の「リハーサル」:オッペンハイマーと米国陸軍省の1945年9月15日の秘密「終末計画」は「ソ連を地図から消し去る」ことだった

 

23. シリア、暗黒時代に突入[188] g1aDioNBgUGIw42Vjp6R44LJk8uT_A 2025年8月09日 01:35:12 : qrZjUGzO9U : RVFPc1JsWnNWOUE=[3] 報告
<▽41行くらい>
本のリンク先:

Japan's Secret War: Japan's Race Against Time to Build Its Own Atomic Bomb

https://amazon.com/-/de/dp/156924815X/ref=sr_1_2?__mk_de_DE=ÅMÅŽÕÑ&crid=BJXZRKBML6UR&dib=eyJ2IjoiMSJ9.vep-LrRPUzLG2voWRBVWF78Air6YDxRwTK2nQ_mcw_cXUkA24knFRxxJ1BiHryPRnpilyrizR4ktelSuT5OerPKLxEX0vYoHNEvffJ6_v-T_5HOeRVZrELn7_Zekwzj2KZYxjQh5qtcGc4qlFObN5x4TzEX0UfkhYG_PmQqiQP-RFHwJ2q0cVegs1mEBZhC4CaR2a7B1VyS1MJhLxX76gRF8JmayIWCikFxT2-spkQs.X0Grgwxq8uiiOOOcyzoRDyLy-NvClvOSN46BMoom8Xk&dib_tag=se&keywords=Japan%27s+Secret+War&qid=1754670683&s=books&sprefix=japan%27s+secret+war%2Cstripbooks-intl-ship%2C400&sr=1-2


Japan's Secret War: How Japan's Race to Build its Own Atomic Bomb Provided the Groundwork for North Korea's Nuclear Program

https://amazon.com/-/de/dp/B09GB4TFN2/ref=sr_1_1?__mk_de_DE=ÅMÅŽÕÑ&crid=BJXZRKBML6UR&dib=eyJ2IjoiMSJ9.vep-LrRPUzLG2voWRBVWF78Air6YDxRwTK2nQ_mcw_cXUkA24knFRxxJ1BiHryPRnpilyrizR4ktelSuT5OerPKLxEX0vYoHNEvffJ6_v-T_5HOeRVZrELn7_Zekwzj2KZYxjQh5qtcGc4qlFObN5x4TzEX0UfkhYG_PmQqiQP-RFHwJ2q0cVegs1mEBZhC4CaR2a7B1VyS1MJhLxX76gRF8JmayIWCikFxT2-spkQs.X0Grgwxq8uiiOOOcyzoRDyLy-NvClvOSN46BMoom8Xk&dib_tag=se&keywords=Japan%27s+Secret+War&qid=1754670683&s=books&sprefix=japan%27s+secret+war%2Cstripbooks-intl-ship%2C400&sr=1-1

24. 罵愚[1821] lGyL8A 2025年8月09日 16:35:08 : dLV7KORD0A : TkxhRUl1ZEs1Yk0=[1347] 報告
 論点の根源を破壊してしまうが、第二次世界大戦は、ヨ−ロッパで戦われたナチスが破れた戦争と、アジアの大日本帝国が破れた大東亜戦争…米名、太平洋戦争の、ふたつの異種の戦争を合体させた別名で、それ自体が戦争の実態を不明瞭なものにしてしまっている。
 つまり、日本がアジアで戦った戦争は、日本人が命名したとおりの大東亜解放戦争であり、その戦争目的の半分ぐらいは、その後の国共内戦やヴェトナム戦争を経て達成されている。

 目的達成率が50%にとどまった理由の大部分は、日本の敗戦にあることは当然だが、大日本帝国がその廃止を戦争目的とした白人キリスト教徒による全地球植民地化の陰謀については、半分は残り、半分は潰すことができたと、わたしには思える。
 というか…思わなければやっていられないよナ……



[18初期非表示理由]:担当:掲示板を『自分の意見をできるだけ多く繰り返し書く場所』と考えているhttp://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/616.html#c93こと、かつ管理人の依頼を無視するhttp://www.asyura2.com/13/kanri21/msg/615.html#c41ことにより全部処理

25. シリア、暗黒時代に突入[189] g1aDioNBgUGIw42Vjp6R44LJk8uT_A 2025年8月09日 16:58:41 : GWVL2bAQAo : N2hIRlpveHFPSnc=[1] 報告
<▽32行くらい>

「トリニティ実験」だけで「広島原爆投下」を決行するのは、無理があるのではないかという疑問には、核に関する第一人者であるMITのテッド・ポストル教授が
『ウラニウムの核爆弾の実験は不要である』と、ブラジル在住の工学関係の教授ニーマのチャンネル”Dialogue Works”の以下に述べるのエピソードでも答えている。
https://youtube.com/watch?v=1gTSkc_EMhM 約75分

Prof. Ted Postol: The War That Solves Nothing: Why Attacking Iran Is a Losing Game

ここで、教授は、イランを核兵器保有国と思っていいと述べ、ウラン濃縮について述べた後、広島に落としたウラニウムA−ボンブは実験は不要と言っている。 米国は、広島に落とした原爆が成功することを知っていたから、実験しなかった。それと同様、イランも実験する必要はないのだ、と。
詳しい事を知りたかったら、ヴィデオを見るように。 勿論、英語だけど、現在では、自動翻訳で見ることもできます。

。。。。。

さて、米軍が最初に製造したのはプルトニウムの核爆弾。プルトニウム製は簡単に大量にできるようで、長崎に落としたものがプルトニウムボンブと知った日本は、もっと落とされるかもしれないと思い降参した、との説もあります。


ところで。『広島原爆は日本製』と騒いでいる連中が頼りにしているのは、春画収集家が2021年に出版した書物の様である。 ここでは、日本が核兵器開発をしていた事が全く知られていない事の様に述べられていらしい。 故に、なんとか上級者とかが、一生懸命、これは『自分達のみが知る隠された真実』だが、『北朝鮮とロシアは知っている』と、得意げにのたまっている。

ナントカ上級者とかの口調:
>>10 それを裏付ける・示唆するものはいくらでもあるのだが
ここでは難しい知識なしで、それに自分で気付ける話を紹介しよう


ここで『広島原爆日本製』と騒いでいる 
   ↓
https://asyura2.com/23/hasan136/msg/344.html
原爆は日本軍の手により水中起爆された/藩復興計画《09》〈GESARAB〉

26. シリア、暗黒時代に突入[190] g1aDioNBgUGIw42Vjp6R44LJk8uT_A 2025年8月09日 17:02:21 : GWVL2bAQAo : N2hIRlpveHFPSnc=[2] 報告
<■63行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>

さて、以下は上に述べたロバート・ウイルコックスの著書へのリビューをここで掲げておく。2012年のリビューである。これを読むと、戦時中の日本の朝鮮北部における核兵器開発は、戦争参加国のどの国も知っていたようである。

ID名:electronic shopper USA  29. Dec. 2012
”Great reading, It should also be called" How Korea got the Bomb"

邦訳:”この本は1980年代後半から長らく存在してきました。第二次世界大戦中、世界の主要国は皆、原爆開発に取り組んでいましたが、アメリカは先手を打ったのです。

日本が北朝鮮の興南で小型ウラン原爆の実験の最終段階にあった頃、アメリカはプルトニウム型原爆の大量生産を開始していました。第二次世界大戦で使用された最初の原爆の製造には、アメリカは20億ドルを費やしました。

アメリカが最初に製造した原爆はプルトニウム型原爆で、ニューメキシコ州の実験台で実験され、その性能が実証されました。アメリカが使用した2番目の原爆は、日本の広島に投下されたウラン型原爆です。このタイプの爆弾は以前に実験されたことがありませんでしたが、性能は実証されました。アメリカが使用した3番目の原爆はプルトニウム型原爆で、ニューメキシコ州で実験されたものと同じタイプでした。このプルトニウム爆弾は日本の長崎に投下され、戦争を終結させました。

第二次世界大戦中、ウランは不足しており、どの国も第二次世界大戦中にウラン型原子爆弾を大量生産することは不可能でした。プルトニウム型原子爆弾は従来の原子爆弾とは異なり、原子炉を用いることではるかに少ないウランで製造できます。日本の科学者は、長崎での爆発後に放射性キセノン129の痕跡が大量に検出されたため、日本に投下された2発目の原爆がプルトニウム爆弾であると認識していたと推測します。そして、日本の科学者は、アメリカが大量のプルトニウム型原子爆弾を大量生産し、それを日本に対して使用するだろうと認識しました。そのため、日本は降伏したのです。

この本はとても興味深いです。この本には、日本が北朝鮮の興南(フンナム)という場所でこの原子爆弾を製造しようとしていたと書かれていました。私は彼の言葉を信じます。北朝鮮、ロシア、中国は、第二次世界大戦後、そこに残っていた旧日本軍の原爆施設を利用したので、原爆が製造できたと推測します。

第二次世界大戦終結直前の数日間、ロシアは対日戦争に参戦しました。ロシアは中国に駐留していた日本軍を攻撃しました。そして、第二次世界大戦末期に日本が占領していた地域を攻撃した際、ロシアは北朝鮮のこれらの施設に直行しました。北朝鮮のこれらの施設は、日本軍によって完全に破壊される前にロシアに接収され、その後数年間ロシアに保持されました。ロシアはすでにアメリカから原爆製造計画を入手していたけど、日本が既に保有していたものよりは、大きく遅れていました。また、ロシアは第二次世界大戦後に財政難から、第二次大戦中にアメリカが行ったように20億ドルもの資金を原爆製造に費やす余裕はありませんでした。

朝鮮戦争中、北朝鮮はアメリカ海兵隊によって興南地域から追い出されました。米海兵隊が興南の旧日本軍核施設を占拠してから2日後、中国は朝鮮戦争に参戦した。そして、施設が破壊される前に海兵隊を追い出した。これが中国が朝鮮戦争に参戦した理由の一つかもしれない。第二次世界大戦でソ連が行ったように、興南の旧日本/ソ連核施設を手に入れようとしたのだ。これらの施設は、原爆開発計画の開発と支援に利用されるはずだった。1950年10月26日付のロサンゼルス・タイムズの記事によると、興南にはソ連(北朝鮮ではない)がウラン鉱石処理工場を所有しており、当時連合軍がそれを占拠していたという。

これが、中国が1953年7月27日に朝鮮戦争休戦協定に署名するまで2年間交渉を遅らせた理由を説明しているのかもしれない。この遅延により、中国は後に独自の原爆開発に必要な情報を得るのに十分な時間を得た。中国の最初の原爆と水素爆弾はプルトニウムではなくウランを原料としていたことも興味深い点です。

北朝鮮が現在、ウランを原料とする原爆、そして将来的にはプルトニウムを原料とする原爆の開発を進めているのも、まさにこれらの施設と場所です。

著者のロバート・K・ウィルコックス氏には脱帽です。日本の核開発計画について素晴らしい解説をされており、感銘深く、有益な情報も得られました。彼の著書はAmazonでわずか数ドルで購入できます.”

27. シリア、暗黒時代に突入[191] g1aDioNBgUGIw42Vjp6R44LJk8uT_A 2025年8月09日 17:41:32 : GWVL2bAQAo : N2hIRlpveHFPSnc=[3] 報告
<▽45行くらい>
こんなリビューもあります:
ID:James Rondo Jensen  USA am2. Mai 2013
Japan almost beat the US to the Atomic Bomb

“15年前、第二次世界大戦の終わりに、米海軍は、ニシナという名前の科学者の抗議にもかかわらず、東京の5つのサイクロトロンを海に投げ込んで破壊したと聞きました。今日まで、誰が彼らの破壊を承認したのか誰も知らない。私は、東京港の船の端を越えて1つのサイクロトロンが倒れている1つのサイクロトロンの写真を見つけました。私の叔父の4人が戦争中に太平洋の軍隊に仕えたので、この物語は私を魅了しました。又、私の父はワシントン州ハンフォードのマンハッタンプロジェクトに取り組んでいたため、そしてパールハーバー自体の再建に取り組んでいたためです。

しかし、ロバート・K・ウィルコックスは、もう一度、珍しい物語の底に到達し、それについて魅力的な本を書くという彼の途切れの決意を反映した素晴らしい本をもう一度作成しました。何百ものFOIAリクエストを提出し、彼が情報を見つけるかもしれないと思っていたあらゆる場所に手紙を書き、できるだけ多くの人々にインタビューすることで、彼が謎の小説のように読むこのテキストに巧みにまとめた情報を作成しました。

ストーリーの最も驚くべき部分の1つは、この日本のプロジェクトにおけるドイツの役割と、ウランだけでなく、新しいドイツ軍、飛行機、図面、青い版画のサンプルを輸送するための潜水艦を使用した事です。 1930年代に日本、ドイツ、イタリアによって締結された三者協定は、この情報と資料の共有の根拠を形成しました。日本には物理学研究の長い歴史があったことがわかりました。アインシュタインは1920年代に日本を訪れました。

物語のもう1つの驚くべき部分は、戦後、米国の捜査官が日本の原子爆弾の開発において日本がどこまで進歩していたかを発見しようとすることに効果がなかったことです。

ストーリー全体を解明するための鍵の1つは、日本が戦争の終わりに核研究開発の証拠と記録を必死に破壊したときに、日本の科学者が密かに焼却することを密かに拒否したという文書でした。この文書は黒田カズオが隠していましたが、後に米国の手に渡りました。 ウィルコックス氏の本の蒸留である「軍事歴史」からの優れた1時間のプログラムは、[...]ニシナ博士自身が実際にインタビューされています。

しかし、私にとって物語の最も驚くべき部分は、日本の原子爆弾プロジェクトが、極限の予算、少数の核科学者、限られた産業能力にもかかわらず、どれだけ進歩したかです。
米国の巨大なマンハッタンプロジェクトと比較して、日本の核計画は驚くほど小さかったが、独自の「ガジェット」を製造して設立することができたことです。

第二次世界大戦中の日本の核計画に関する事実と、戦後の米国のそれに関するずさんな調査が何らかの理由で日米間双方で50年間も隠されていましたが、現在は情報が入手可能です。

最後に、原子爆弾の日本に対する悲惨な結果について罪悪感を感じるアメリカ人には、日本は米国とまったく同じことをしようとしていた事をウィルコックス氏が実証しているので、この本を読むことを勧めます。
  

28. シリア、暗黒時代に突入[192] g1aDioNBgUGIw42Vjp6R44LJk8uT_A 2025年8月09日 17:47:19 : GWVL2bAQAo : N2hIRlpveHFPSnc=[4] 報告

というわけで、

アメリカは謝らない。
日本は、弱みを握られ、アメリカの言いなり、

ということになったのです!!

29. 知的上級者 さん[398] km2TSY_ji4mO0iCCs4Lx 2025年8月09日 22:11:13 : VTH59AY6XQ : WWk1VDA0bXVWVGM=[4475] 報告
<■53行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
>シリアなんとか
個別に全てに反論してやりたかったが、遅れてすまん
「これはどうなんだ?」という話があったら
http://www.asyura2.com/16/warb17/msg/827.html
の方に書いてもらえば、そのうち必ず返答しよう
その際はくれぐれもコピペじゃなくて、自分でそれを理解して自分の言葉で書くように
そうでないと議論にならないからね
他のみなさんも何か疑問があったら書いといてくださいね
年に1回以上はチェックするようにしますから


知的上級者さまが>>10で言いたいのは
アメリカはどういう理由で日本の原爆開発を隠すのか?
その理由は「原爆が日本の自爆だったから」であり
これに納得できる反論が無いと「自爆」決定になるぞってこと


>日本が原爆の製造を試みていたことは、誰もが知る事実。
当初、GHQが日本の原爆開発を必死に隠していた
炊書や核分裂の実験装置であるサイクロンの海洋投棄など

だから日本人は日本がまさか原爆開発していたなどとは思わず
一斉にアメリカを非難していたものだ
でもネット時代になって隠し通すこともできず、京大は湯川秀樹の日記公開もした

すると、日本が民間人の大量殺戮を計画していたってことで
アメリカを責めることはできなくなったわけだ


ところで日本は、原爆開発を2号研究とF研究の二つに分けた
2号研究は失敗することを前提に、それでウランが足りなかった
核濃縮が出来なかったと内外に知らしめようとしたものだ
福島で子供たちにウランを掘らせて、それを撮影して展示していたし

本命はF研究であり、核濃縮は「遠心分離法」だ
京大は遠心分離機の設計図を書いたところで終戦を迎えたとしている
そりゃそうだろう、物理屋はそこまでで、後は機械屋の仕事だ
高速回転しても振動しない遠心分離機の開発が必要だ

ところで原発用のウランの核濃縮方法は遠心分離機が主流だ(今は知らん)
その遠心分離機を最初に開発したのはどこの国でしょうか?
アメリカは遠心分離法は失敗している

これらの話は全て「自爆」を裏付けている

>そして、終戦の3日前に、実際に成功したということも。
>ただし、それをもって、広島の原爆が日本製というのは全く根拠のない単なる空想である。
誰がそんなことを言ってるんだよ、ホントいい加減な奴だ
スネル氏が新聞に書いた記事だって、
広島原爆の後に、日本がようやく原爆実験に成功したって話だぞ
スネル氏は日本人に聞いた話として「実験」としているはずだ

しかし興南での核爆発があった1945年8月12日に、まさにソ連軍が興南の核施設を占拠して
当然、核爆発も目撃している
日本の核実験成功と、ソ連軍による核施設占拠が同日って偶然か?

ロシアの声だったかスプートニクに書いてある
それは実験ではなく、ソ連の進軍を知った日本が核濃縮済みウランを処分したものだと
つまり、もっと前に日本は核実験を済ませていたことになる
つまり、ソ連の進軍が無ければ広島に続く自爆があったってことで
ソ連の進軍に救われた何十万人もの日本人の命があったことを知っておこう

ソ連は核施設を解体して、日本人技術者もろともソ連に運び去った
遠心分離機を運び出したはずだ
そしていつ原爆開発に成功したかも聞き出したろう

ソ連は欧米日の核物理研究のカヤの外に置かれていたため
国家の存続にかけて対日参戦して技術を奪う必要があった

そして日本の方は、ソ連に真実を知られてしまったため
口封じのために瀬島隆三を送って密約を交わす必要があった
それでシベリア抑留と北方領土が差し出された

気が付かないか?ここら辺の話もすべて「自爆」だからだよ

30. シリア、暗黒時代に突入[193] g1aDioNBgUGIw42Vjp6R44LJk8uT_A 2025年8月09日 23:14:17 : GWVL2bAQAo : N2hIRlpveHFPSnc=[5] 報告

ほほう、自分で調査したのかね。(笑)

31. シリア、暗黒時代に突入[194] g1aDioNBgUGIw42Vjp6R44LJk8uT_A 2025年8月09日 23:21:20 : GWVL2bAQAo : N2hIRlpveHFPSnc=[6] 報告

>>29 その上級とやら、

自分の言葉??(笑)

下らん言い訳する前に、ウイルコックスの著書を読みたまえ!! ピリオド。

32. シリア、暗黒時代に突入[195] g1aDioNBgUGIw42Vjp6R44LJk8uT_A 2025年8月09日 23:49:03 : GWVL2bAQAo : N2hIRlpveHFPSnc=[7] 報告

テッド・ポストル教授のヴィデオは、7:20 頃から、ウランの濃縮とイランの核兵器製造可能性に関しての説明があります。

教授は、イランは、イスラエルと同様、未申告の核兵器保有国とみなすべきである、と言っている。

理由は、イランは、13,000のウラン濃縮用遠心分離機を持っているが、もし、その3%隠し持っていたら(4−500台)、簡単に核兵器製造に用いるウランの濃縮ができ(90%に)、最悪の状態でも、数週間で10個くらいの核爆弾を製造できる濃縮ウランにできるから。

ウラン濃縮に必要なエネルギーは、10%から11%に濃縮するエネルギーと50%から100%に濃縮するエネルギーは同量であり、最終段階の濃縮段階には時間がかからない。つまり、最初の分離工程には時間がかかるけど、濃縮されればされるほど短期間で濃縮できる様になる。 

イランには、60%に濃縮したウラニウムが400sあることになっているから、核爆弾製造に必要な90%の濃縮ウランを作る工程は、60uほどの部屋と適当な電力があれば可能である。だから、イランは、イスラエルと同様の未申告の核兵器保有国と考えてよい、ということです。

33. シリア、暗黒時代に突入[196] g1aDioNBgUGIw42Vjp6R44LJk8uT_A 2025年8月09日 23:59:37 : GWVL2bAQAo : N2hIRlpveHFPSnc=[8] 報告
>> 知的上級者さまが>>10で言いたいのは
   アメリカはどういう理由で日本の原爆開発を隠すのか?
   その理由は「原爆が日本の自爆だったから」であり
   これに納得できる反論が無いと「自爆」決定になるぞってこと

   ↑

このシト、頭、おかしいんじゃない??

34. シリア、暗黒時代に突入[197] g1aDioNBgUGIw42Vjp6R44LJk8uT_A 2025年8月10日 00:21:55 : GWVL2bAQAo : N2hIRlpveHFPSnc=[9] 報告

ナントカ上級というのは、どっかで読んだことを、書きつなげて、勝手な憶測をし、それが、事実と言っているにすぎない。 話にならない!!

このコメントにも、愚かな<反論=言い訳>をしてくるだろう。
事実と言っているのではない、とかなんとか。(笑)

おい、これはどうなったのだ?!

>>朝露それぞれが持つ、かつての日本が原爆を作った施設・設備を公開するだろう それは来月、再来月くらいではないか。


馬鹿らしくて、付き合っていられないね!!

ところで、私は、女性です!

  

35. シリア、暗黒時代に突入[198] g1aDioNBgUGIw42Vjp6R44LJk8uT_A 2025年8月10日 01:05:52 : GWVL2bAQAo : N2hIRlpveHFPSnc=[10] 報告
最後にもう一言:

>>10 軍の調査結果を新聞にブチまけたのも含めて
    米軍と米政府の間に軋轢があるね
    軍は知ってるのだろう

      ↑
   
    バカげた推論!!

  このシトの主張、全てがこんな感じ。 無知丸出し!!


  

36. 知的上級者 さん[400] km2TSY_ji4mO0iCCs4Lx 2025年8月10日 11:25:37 : VTH59AY6XQ : WWk1VDA0bXVWVGM=[4477] 報告
>シリアなんとか

知的上級者さまが
「アメリカはどういう理由で日本の原爆開発を隠すのか?」
と名指しで聞いていらっしゃるのだから

  いい加減に答えてみたらどうなの


回答例1
 アメリカの支配力を高めるために、
 アメリカだけが原爆を製造できたことにしたいから

回答例2
 日本が原爆を作ったことは内緒にしてと頼まれたから

回答例3
 原爆開発で日本に先を越されていたことが恥ずかしかったから

これは推論なんだから、何でも思いついたことを書けばいいんだよ
書かないと「シリアなんとかさんて頭悪いのね」って思われちゃうよ

37. 秘密のアッコちゃん[1806] lOmWp4LMg0GDYoNSgr@C4YLx 2025年8月10日 14:07:58 : n4vXmS4Gso : WUN2WklXQ0Fya0k=[1244] 報告
<■303行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
ソ連の対日参戦「正当化、全く受け入れられぬ」 政府、平和条約締結目指すも進展兆しなく
2025/8/9 20:58
https://www.sankei.com/article/20250809-TEJ6YANB4VJONJFWFY25GBOZ3M/
第二次大戦末期の昭和20年8月に旧ソ連が日ソ中立条約を破って対日参戦して2025年8月9日で80年を迎えた。
日本政府は、対日参戦とその後の北方領土不法占拠を一貫して非難してきた。
ソ連の流れをくむロシアに対しては
「北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結する」
(令和7年版外交青書)
との方針を掲げる。
ただ、ロシアによるウクライナ侵略の影響で日露関係は冷え込み、交渉進展の兆しは見えていないのが現状だ。
岩屋毅外相は2025年8月8日の記者会見で、ソ連の対日参戦について
「当時まだ有効であった日ソ中立条約に明白に違反する」
と改めて強調した。
「ロシア政府による、対日参戦を正当化する主張は全く受け入れられるものではない」
とも訴えた。
日本が昭和31年の日ソ共同宣言でソ連と国交を回復した後も、対日参戦に端を発した北方領土問題は未解決のまま推移してきた。
平成30年11月には、安倍晋三首相(当時)とロシアのプーチン大統領が平和条約締結交渉の加速化で合意し、融和ムードが高まったかにも見えたが、安倍氏の首相在任中の決着は叶わなかった。
輪をかけて、ロシアによるウクライナ侵略が日露関係に影を落とした。
侵略開始後、日本はプーチン氏の資産凍結などの制裁を発動し、ロシアは平和条約交渉の中断を発表した。
こうした状況を背景に、日本は令和4年版外交青書に、北方領土に関して
「日本固有の領土であるが、現在ロシアに不法占拠されている」
との立場を明記した。
「不法占拠」
は平成15年版以来、
「日本固有の領土」
は同23年版以来の表現で、最新の令和7年版にも引き継がれている。
自民党ベテランは
「ウクライナ侵略を続けるプーチン政権と平和条約交渉に臨むことは難しい」
「ロシアの体制の変化を待つしかない」
と語る。
岩屋氏は会見で、平和条約締結を目指す方針を
「堅持していく」
とした上で
「日露関係は厳しい状況にあるが、必要な意思疎通は続けていく」
と説明した。

ウクライナ侵略と重なるソ連の対日侵攻 国際ルールを平然と踏みにじる…参戦から80年
2025/8/9 20:20
https://www.sankei.com/article/20250809-IN3D3GVVWJLE3PPB5PFTMSOWG4/
第二次大戦末期に旧ソ連が日ソ中立条約を破って対日参戦して2025年8月9日で80年を迎えた。
日本がポツダム宣言の受諾をはじめとして降伏の意思を何度も示す中、ソ連は一切を無視して北方領土まで侵略し、居座った。
国際ルールを平然と踏みにじるその姿勢は、ウクライナ侵略を続ける後継国家ロシアの姿と重なる。
1945年8月9日未明、日本軍の
「最後の戦争」
の戦端は、ソ連軍が満州(中国東北部)に侵攻して開かれた。
日本が米英との和平仲介をソ連に頼んだ最中だ。
日ソは1941年4月、中立条約に調印。
ソ連は1945年4月に条約不延長を通告したが、中立規定は1946年春まで有効なはずだった。
ソ連がフィンランドに対してと同様、条約を破ったのは明らかだ。
満州侵攻翌日の1945年8月10日、日本はソ連を含む各国にポツダム宣言を受諾する意向を通知している。
1945年15日には昭和天皇の
「終戦の詔書」(玉音放送)
が流れ、1945年9月2日には戦艦「ミズーリ号」で降伏文書に調印した。
尚もソ連は北海道占領も視野に侵略を続けた。
日本側は民間人だけで約24万5千人が亡くなったとの統計もある。
ソ連は1991年に崩壊したものの、ロシアは北方領土を不法占拠し続け、ウクライナへの攻撃を止めない。
平和条約を結んでいない軍事大国は、今も日本の隣国だ。

ソ連対日参戦から80年、ロシアのウクライナ侵略が犠牲者調査にブレーキ 実態解明は停滞
2025/8/8 20:45
https://www.sankei.com/article/20250808-QRSAMBMOXRJLPIR2V7QHCZ4Q3E/
旧ソ連が終戦直前に日本へ宣戦布告してから2025年8月8日で80年。
旧ソ連は60万人近くの日本の軍人や民間人を強制抑留し、約1割が犠牲になったとみられる。
日本政府は遺族の願う犠牲者の遺骨収容や特定を進めてきたが、再び≠フロシアによる戦争が活動を阻む。
■推計で57万5000人抑留
旧ソ連は1945(昭和20)年8月8日、日ソ中立条約を一方的に破り、日本へ宣戦布告した。
ソ連軍は満州をはじめとした土地で民間人に対して虐殺や性的暴行、略奪などを重ね、共産党体制崩壊後の現在も北方領土の不法占拠は続く。
当時のソ連最高指導者、スターリンは1945(昭和20)年8月23日に日本軍将兵の抑留を決定。
その後、1956(同昭和31)年に公式の帰還が完了するまでに国の推計では民間人も含む約57万5千人が抑留された。
抑留者は開発などの過酷な労働に従事させられた。
飢えや寒さ、感染症などによる犠牲者は少なくとも約6万人に上る。
即決裁判によって処刑された抑留者がいた記録も残されている。
厚生労働省は現在も犠牲者の特定などの事業を実施するが、ロシア国内での遺骨収容は同国による2022年のウクライナ侵攻を受けて中断。
調査も進んでいない。
厚労省援護・業務課の担当者は
「再び活動できる状況になった時に対応できるよう、怠らず準備したい」
としている。
■抑留者の氏名は「ア― ― 」?
終戦後に旧ソ連によって抑留された日本人を巡っては、ロシア政府の対応や時間の経過などが遺骨収容や全貌解明を難しくしている。
一方で、これまであまり注目されてこなかったモンゴル抑留に動きもみられる。
厚生労働省によると、抑留された約60万人のうち約1万4千人がモンゴルに送られ、約2千人が亡くなったとされる。
モンゴルからは令和4〜6年にかけて相次いで資料提供を受けており、犠牲者の特定が進む。
今年2025年7月にモンゴルを訪れた天皇、皇后両陛下は、首都ウランバートル郊外にある抑留者の慰霊碑に供花された。
また、ジャーナリストの井手裕彦さんは今年2025年、同国を調査。
埋葬地の可能性のある2カ所の情報を得たと2025年6月に明らかにした。
一部で明るい兆しもあるが、抑留者の実態解明は停滞気味だ。
ロシアのエリツィン大統領(当時)は平成5年の来日時、
「非人間的な行為」
と謝罪したが、厚労省は推定される犠牲者のうち約1万3千人について、ロシア政府をはじめとして名簿などの資料提供を受けていないとする。
現在までに身元が特定された犠牲者は約4万1千人。
残る犠牲者については名簿上の氏名の表記が
「ア― ― 」
と記されているのみなど、資料の不備が特定を阻む。
厚労省の担当者は
「容易にできる特定は既に終わり、難しいものばかりが残されている」
「1日でも早く戦没者を救い出すという気持ちで作業を進めている」
と話した。
■全国強制抑留者協会・吉田一則事務局長
抑留された日本人は決して国際法上の
「捕虜」
などではない。
旧ソ連国内の犯罪者と同じ環境で扱われ、奴隷労働を強いられた。
背景には戦争拡大によって不足した労働力を補う狙いがあった。
旧ソ連は官僚国家であり、文書管理は徹底されていたはずだが、蓄積された情報は隠蔽されてきた。
そうした情報開示への不誠実さはロシア政府になっても変わらない。
多数の抑留者のカルテがあるとみられる公文書館から
「修理中」
を理由に訪問さえ断られた例まであった。
抑留の全体像について明らかになっていない点はあまりにも多い。
旧ソ連の侵攻から80年が経ったが、ウクライナでは現在もロシアによる侵略戦争が続いている。
体験者の証言などで抑留のつらさを語り継ぐことに加え、現在世界で起きている問題についても目を向けながら抑留問題を問い直すべきだ。
先人たちが経験したことと照らし合わせ、再び侵略されないために何が必要かを考える契機とするべきだ。

ユダヤ難民と北海道を救った樋口中将の孫、隆一氏「祖父は平和ボケやめよ、と言うのでは」
2025/8/9 13:00
https://www.sankei.com/article/20250809-MPGE4YTBNJOGLOGK7443X2PE2I/
2025年8月15日、わが国は終戦から80年を迎える。
戦争の惨禍や平和の尊さを考えると共に、戦後、GHQ(連合国軍総司令部)による占領政策などで封印された歴史と記憶にも目を向けるべきだ。
こうした中、戦時中、ナチス・ドイツの迫害からユダヤ人を救済し、終戦直前、日ソ中立条約を破って対日参戦してきたソ連の北海道侵略を阻止した樋口季一郎陸軍中将が改めて注目されている。
樋口中将の孫で、バッハ研究で知られる明治学院大学名誉教授の樋口隆一氏にインタビューした。
「祖父は戦後、海外に展開していた軍人らを帰還させる北部復員監を退いた後は、如何なる職業にも就くことなく、静かに『慰霊の日々』を送っていた」
「亡くなった多くの部下らを悼みながら」
「宮崎県小林町(現小林市)で祖母方の田畑を耕していた時は、毎朝、畑から東西南北に向かって手を合わせていたそうです」
「博学多識で何でも知っていた」
「話も面白く、いつも引き込まれた」
「ただ、私にはほとんど戦争については話さなかった」
隆一氏は、年齢が58歳離れた祖父について、こう振り返った。
5年前、祖父が密かに書きためていた軍人時代の記録や戦後の遺稿を編著者としてまとめ、『陸軍中将 樋口季一郎の遺訓』(勉誠出版)を出版した。
■戦後は静かに「慰霊の日々」
樋口中将は明治21(1888)年、兵庫県阿万村(現南あわじ市)生まれ。
陸軍幼年学校、陸軍士官学校を経て、超難関の将校養成機関である陸軍大学校を合格・卒業した。
情報将校としてロシアや欧州、満州などで活動した後、ハルビン特務機関長、参謀本部第二部長(情報担当)、第九師団長(満州・牡丹江警備)、北部軍司令官、第五方面軍司令官を歴任した。
「人道の将」
と樋口中将が評されるのは、ハルビン特務機関長時代の昭和13(38)年、ナチス・ドイツの迫害から逃れて満ソ国境オトポール駅に殺到したユダヤ人難民にビザを発給して、輸送列車などで大連・上海へと向かわせた
「オトポール事件」
が大きい。
■ユダヤ難民にビザ発給
隆一氏は
「祖父が昭和45(1970)年に亡くなった時、朝日新聞が祖父の死とユダヤ難民救出について報じ、親戚中が大騒ぎになった」
「私が小学生の時、日本で事業を始めたユダヤ人が訪ねてきて、祖父に感謝を伝えて『ぜひ、顧問になってほしい』と言ってきたことがあった」
「お土産の果物が豪華だったことを覚えている」
「祖父は訪問を歓迎しながらも、顧問については『それとこれは話が違うので遠慮します』と断った」
と言い、続けた。
「朝日新聞は救出されたユダヤ難民を『2万人』と報じたが、祖父は自筆原稿に『何千人』と書いていた」
「祖父はオトポール事件前年の第一回極東ユダヤ人大会でも、来賓として
『ユダヤ民族は研究心に富み勤勉であり』
『共に手を携えて、世界平和と人類の幸福に貢献したい』
などと祝辞を述べて問題になっていた」
「ドイツは同盟国だが
『日本はユダヤ人迫害をやってはならない』
という確固たる信念を持っていたようだ」
もう1つ、樋口中将の
「功績」
として伝えられるのが、北海道と南樺太、千島列島の防衛を担当していた第五方面軍司令官だった昭和20(1945)年8月、
「自衛戦闘」
を展開して、最高指導者・スターリン率いるソ連軍の
「北海道侵略を阻止」
したことだ。
■ソ連の北海道侵略を阻止
ソ連は80年前の1945年8月9日、有効だった日ソ中立条約を破って対日参戦してきた。
満州や南樺太、朝鮮半島、千島列島に一方的に侵攻してきた。
将兵だけでなく、無辜の民間人も多数殺害され、凌辱された。
これに樋口中将は
「飽ク迄自衛戦闘ヲ敢行スベシ」
と命じた。
1945年8月15日に
「終戦の詔勅」
が発布された後、1945年8月18日に始まった千島列島北端の
「占守(しゅむしゅ)島の戦い」
では、上陸してきたソ連部隊に大損害を与えた。
隆一氏は
「スターリンは当時、トルーマン米大統領に『北海道北部の占領』を要求していた」
「祖父が『ソ連軍を撃滅せよ』と命じて自衛戦闘をしなかったら、北海道どころか東北までも分割占領されていた」
「私が中学生時代、ドイツが東西に分断され、ベルリンの壁が建設された(1961年〜)」
「当時、神奈川県大磯町に住んでいた祖父が『隆一、ドイツの地図を書いてみろ』と言い、ベルリンについて話をしてくれたことがある」
「私は大学院生になって、バッハ研究のため東ドイツに留学した」
「その時、『ドイツ分断の悲劇』を目の当たりにした」
「祖父には『ソ連の北海道占領を阻止した』という自負があったのではないか」
「ある米戦略研究者も
『あの時、ソ連に北海道を侵略されていたら「自由で開かれたインド太平洋」もあり得なかった』
というメッセージを私にくれた」
と語った。
■自衛のための戦闘
樋口中将は前出の『樋口季一郎の遺訓』に収められた文章で、ソ連の対日参戦について、次のように書き残している。
《(ソ連は)強盗が私人の裏木戸を破って侵入すると同様の、武力的奇襲行動を開始したのであった》
《かかる『不法行動』は許されるべきでない》
《もし、それを許せば、いたるところでこのような不法かつ無智な敵の行動が発生し、『平和的終戦』はありえないであろう》
《ソ連はこのようにエゲツナイことを平気でやるのである》
《彼らは紳士ではなく恐るべき横紙破りである》
《私はこの戦闘を『自衛行動』すなわち『自衛のための戦闘』と認めたのである》
スターリンは戦後、樋口中将を
「戦犯」
として引き渡すよう要求してきたが、GHQのマッカーサー元帥はこれを拒否したという。
背景の1つとして、ユダヤ人団体が樋口中将の引き渡しに反対して
「圧力」
を駆けたと言われている。
■マッカーサーは引き渡しを拒否
戦後80年、わが国を取り巻く安全保障環境が悪化する中、一部メディアや識者は例年のように
「平和」
を前面に掲げ、防衛力整備に疑問を投げかけるような発信をしている。
樋口中将の『遺訓』には、次のような回想もある。
《昔の祖国日本には理想があった》
《その理想には多少の行き過ぎがあったにしても、ともかくも一定の進むべき目標があり、少なくとも酔生夢死(=酒に酔い、夢を見て一生を終えること)ではなかった》
(中略)
《現在はそれが全く喪失せられ、ただ獣類の如く、はたまた鳥類の如く、その日その日を生きかつ楽しめばよいとされている》
(中略)
《そのような民族が、果たして存在の価値があるのか》
■日本人の魂に合致する憲法を
日本国憲法についても、こう記している。
《この(憲法)前文は、だいたいにおいてポツダム宣言に対し、
『悪うございました。将来は米国の言うことを聞きます』
と云う降伏宣言を成文化したものと見てよく(中略)『主権』を有する国家の憲法に挿入すべき内容ではない》
《平和主義を協調するあまり、媚態的に『不戦主義』にまで発展し、『他国の信義に信頼し、安全と生存を保持』せんとするは、あまりにも卑屈に堕し、現実に即せざる》
《我らの祖国日本が真に独立を恢復(回復)したとするならば、当然我ら日本人の魂に合致する憲法が生まれなければならぬ》
「平和」を守り、日本と日本人を守り抜くためにも、樋口中将の『遺訓』を参考にすべきではないか。
■自分の頭で考えて、独自の判断
隆一氏は
「国際情勢を見れば、世界各地で戦争が起きている」
「日本周辺では、ロシアと中国、北朝鮮がタッグを組んで、何をするか分からない」
「台湾有事も懸念される」
「とても『平和』ばかりを唱えている場合ではない」
「祖父は上意下達、がんじがらめの軍隊の中で、自分の頭で考えて、独自の判断が下せた」
「非常にユニークだったと思う
「孫から見ても、凄い人でした」
「もし祖父が生きていたら、現在の日本について
『そろそろ平和ボケはやめて、世界の中の日本の地政学的危険をよく考えろ』
と言いたいのではないでしょうか」
と語っている。

一般財団法人「樋口季一郎中将顕彰会」では、札幌市にある札幌護国神社に、樋口中将の功績をたたえる銅像を建立する活動を行っている。
詳しくは、同財団HP(https://general-higuchi.org/)で。

<主張>ソ連の対日参戦 露の不法行為を忘れるな
社説
2025/8/9 5:00
https://www.sankei.com/article/20250809-2LM3GTBRYFISBHGI77H4ZRYSKQ/
80年前の1945年8月9日、ソ連が日ソ中立条約を破って対日参戦した。
満州に続き南樺太や朝鮮半島、千島列島に一方的に侵攻し、将兵だけでなく無辜の民間人も殺害し凌辱した。
北方領土の不法占拠や戦後のシベリア抑留に連なる無法の極みである。
ソ連の蛮行により、終戦期から戦後にかけて日本人が味わった辛苦は計り知れない。
日ソ中立条約は1941年4月に締結され、有効期間は5年だった。
相互の不可侵や、一方が第三国から攻撃を受けた場合に他方が中立を守ることを定めた。
モンゴルと満州国の領土保全も互いに尊重するとした。
日本が条約を守ったからこそ、ソ連はナチス・ドイツとの激突に集中し、勝利できた。
それにもかかわらずソ連は中立条約を一方的に破棄し、広島に原爆を投下されていた日本に不意打ちを喰らわせた。
今日のロシアは中立条約に違反した事実を隠して
「対日戦勝」
を喧伝している。
言語道断だ。
日本が1945年8月14日にポツダム宣言を受諾してもソ連は攻撃を続けた。
昭和天皇は1945年8月15日に終戦を告げる玉音放送を行った。
だが、ソ連軍は1945年8月18日、千島列島に侵攻し、日本が降伏文書に署名した後の1945年8月9月5日になって北方領土の占拠を終えた。
火事場泥棒である。
この間、満州での葛根廟(かっこんびょう)事件や北海道留萌沖での樺太からの引き揚げ船の撃沈をはじめ、ソ連軍は民間人も標的にした。
日本人引き揚げの過程では中国残留孤児も生まれた。
満州や朝鮮などから約60万人とされる日本軍将兵や民間人がシベリアなどソ連各地やモンゴルに連行され、強制労働や飢えで約6万人が死亡した。
この抑留は、武装解除後の日本軍将兵らを祖国に帰還させるとしたポツダム宣言にも国際法にも違反する行為だった。
ソ連・ロシアにとって、国際合意や国際法は破るために存在しているかのようだ。
これは今日のウクライナ侵略にも通底する。
ウクライナは1994年のブダペスト合意(覚書)で核兵器放棄と引き換えに米英露から
「安全の保証」
を得たが、ロシアは2014年にクリミア半島を併合し、2022年にはウクライナに全面侵攻した。
ロシアの不法行為に目を瞑るべきではなく、約束破りを続けるこの国の本質を忘れてはならない。

<産経抄>本性の変わらぬ国、ソ連の対日参戦80年
2025/8/9 5:00
https://www.sankei.com/article/20250809-U6UO74BX2BOBJAB4GSDIYNMCQQ/
作家の五木寛之さんは昭和20年の8月を、両親と暮らす朝鮮の平壌で迎えた。
12歳だった。
街は満州から逃れてきた日本人で溢れ、やがて占拠したソ連軍の暴行や略奪が始まる。
五木さんの住まいでも、ソ連兵は狼藉を働いた。
▼病床に伏した母を軍靴で踏みつけにする。
庭へ放り出す。
銃口を向けられた少年と父は、吐血する母をじっと見ているしかなかった。
事件を境に母は一切の食事を受け付けなくなり、失意のうちに亡くなったという。
五木さんが書き留めた悲痛な記憶である(『運命の足音』)。
▼ソ連は80年前の1945年8月9日、日ソ中立条約を破って対日参戦した。
侵攻した満州や朝鮮半島、南樺太では、無辜の民間人にまで容赦ない銃火を浴びせた。
昭和天皇の玉音放送が流れた後も停戦に応じず、南樺太や千島列島、北方領土を奪ってもいる。
▼戦地では辱めを受けるのを恐れ、捕らわれる前に自ら命を絶った日本人女性も少なくない。
五木さんのなめた辛酸もまたソ連(ロシア)の本性を物語る。
シベリア抑留、中国残留孤児、北方領土の不法占拠。
長い月日を経ても癒えることのない痛みを残した、かの国の罪である。
▼五木さんはこうも書いていた。
「私と父親とは、母の死以後、ずっと共犯者としてうしろめたい思いを抱きながら生きてきた」。
作家1人の思いではあるまい。
かの国に大事なものを奪われた多くの人々の中で、未だ消えぬ情念の火ではないか。
▼間もなく3年半となるウクライナ侵略も、戦地での暴力や凌辱、領土の略奪という構図は変わらない。
国と国の約束事は
「破るためにある」
というソ連の地金を、ロシアのプーチン大統領は忠実に引き継いでいる。
国際社会にとって80年前の教訓は尚重い。


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