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米大統領とイスラエル首相の会談に合わせてイランで反政府デモ、イラン攻撃の噂
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202601120000/
2026.01.12 櫻井ジャーナル
イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は12月29日、フロリダ州の「マール・ア・ラーゴ」でドナルド・トランプ米大統領と会談した。ガザでの大量虐殺の後始末についても話し合ったかもしれないが、昨年6月に失敗したイランへの攻撃についても議論しただろう。
その会談に合わせるかのようにイランでは反政府活動が始まった。アメリカをはじめとする西側諸国の経済戦争のダメージが大きいが、それだけでなくマスード・ペゼシュキアン大統領の失政で人びとの生活は苦しくなり、不満が高まったことが大きい。その不満を利用して欧米諸国は反政府活動を仕掛けたということだ。最高指導者のアヤトラ・アリ・ハメネイ師はアメリカが混乱を煽っていると非難しているが、そうした状況だ。
デモでは、クルド人のほかCIAやモサドと関係の深いバルーチ人が重要な役割を果たしていると言う人もいる。この抗議活動だけで体制が転覆するとは思えないが、トランプ政権にはそれを利用し、アメリカ軍に攻撃させようという動きもある。
世界の報道を見ると、火炎瓶がモスクにも投げ込まれ、デモ参加者がショットガンを発射する状況になった。デモ参加者と警察官、双方に死者が出ているが、デモが激しくなり、いくつかの都市で政府の建物を放火、一般の建物を破壊するようになると参加者は減少しているようだ。
こうした流れは2013年11月から14年2月にかけてのキエフにおけるネオコン主導のクーデター、14年9月から12月にかけての香港における「佔領行動(雨傘運動)」と呼ばれた反中国運動と似ている。香港の反政府行動は背後にアメリカのCIAやイギリスのMI6がいて、方励之、柴玲、吾爾開希を含む行動のリーダーたちは抗議活動が沈静化した後、米英情報機関が作ったイエローバード(黄雀行動)と呼ばれる逃走作戦によって国外へ脱出している。
イランで行われている反政府デモはイスラエルによるイランの体制転覆計画と結びついている可能性が高い。昨年6月13日にイスラエル軍はイランをミサイルとドローンで攻撃した際、イランの防空システムが作動せず、イランのモハンマド・バゲリ参謀総長やIRGC(革命防衛隊)のホセイン・サラミ司令官を含む軍幹部、さらに少なからぬ核科学者が殺害された。サイバー攻撃があったとも言われている。
攻撃開始から8時間から10時間でイランの防空システムは回復、反撃が始まり、イスラエルの都市がドローンやミサイルで破壊された。イスラエルはアメリカ、イギリス、フランス、ドイツといった国々から兵器を供給され、情報を提供されていたが、イランを屈服させることはできなかった。
イスラエルはイランの体制を転覆させられなかっただけでなく、自国が大きなダメージを受けた。イスラエルの情報機関モサドの司令部や軍情報部アマンの施設、イスラエルの核開発計画でも中心的な役割を果たしてきたワイツマン研究所も破壊されている。
イスラエルやアメリカなどのミサイル保有数から考え、イランが攻撃を続けたならイスラエルやアメリカは対応できず、敗北したと見られていたが、イランは攻撃を続けなかった。イスラエルやアメリカが攻撃をやめたからだ。イスラムの教えに従ったと言われている。
しかも、イランはこの6カ月の間に弾道ミサイルの生産を増強し、ロシアや中国との軍事・情報協力の強化によって戦争の準備を進めてきたと言われている。トランプ大統領の甘言も通用しないだろう。
かつてイギリスはイランを支配、石油が生み出す富を盗んで帝国を維持していた。フランクリン・ルーズベルト大統領は1941年8月、アメリカが参戦する条件として「植民地の主権回復」をウィンストン・チャーチルに認めさせている。ドイツが降伏する前月にルーズベルトは急死するが、大戦後にそれが問題になる。
1951年にイランでは首相に選ばれたモハンマド・モサデグはイギリスの石油会社AIOC(アングロ・イラニアン石油)の国有化へ向かう。筆頭株主がイギリス政府であるAIOCはイギリスを支えていた会社に他ならない。1950年だけでこの会社が計上した利益は1億7000万ポンドに達していたが、そのうち1億ポンドをイギリスがとっていた。1945年から50年にかけて2億5000万ドルの利益を石油は生み出しているが、その大半をイギリスの巨大資本と王族が独占していた。(Daniel Yergin, "The Prize", Simon & Schuster1991)
イギリスの圧力で1952年7月にモサデグは辞任、アーマド・カバム・サルタネーが首相になるのだが、庶民の怒りを買うことになり、5日間で職を辞してしまい、再びモサデグが首相になった。
AIOCには独自の情報機関CIBがあったのだが、そのCIBは親イギリス派だけでなくツデー党(コミュニスト)も支援してモサデグ政権を揺さぶるのだが、その一方でアメリカがイランの利権を手に入れようと暗躍していた。モサデグ政権を独力で倒す力がないイギリスもアメリカのアレン・ダレスに接近する。ダレスは当時「民間人」だったが、アメリカの情報機関を動かしていた。アメリカの情報機関でこの件を担当したのはカーミット・ルーズベルト(シオドア・ルーズベルト第26代米国大統領の孫)だ。
1953年1月にアメリカ大統領となったドワイト・アイゼンハワーはイランでの工作を承認する。アレン・ダレスはこの年の2月からCIA長官を務めるが、その兄であるジョン・フォスター・ダレスは国務長官に就任した。ふたりともウォール街の弁護士だった。そしてアメリカとイギリスは共同で秘密工作をスタートさせ、モサデグ派と見られていたイランの主要な将軍は殺害、反政府勢力を摘発していた警察庁長官のマームード・アフシャルタス将軍が1953年4月に拉致され、数日後に酷い損傷を受けた死体となってテヘランの道端で発見された。
そして同年6月、ジョン・フォスター・ダレス国務長官はモサデグ政権を転覆させる準備の許可を弟のアレン、そしてCIAで中東地域の工作を指揮していたカーミット・ルーズベルトに出している。モサデクを倒す目的で「エイジャクス(アイアース:トロイ戦争の英雄)作戦」が練り上げられたのはこの頃だ。7月にカーミット・ルーズベルトは「ジェームズ・ロックリッジ」の名前でイラクからイランへ入り、山間部の隠れ家から作戦を指揮しはじめる。
イランでモサデグを支持するデモが始まると、アメリカのロイ・ヘンダーソン大使が抗議、デモは中止させられた。その間、反モサデグ派は街に出てモサデグ支持の新聞社や政党、政府施設などを襲撃し、CIAのエージェントがテヘラン・ラジオを制圧して偽情報を流した。結局、最後はモサデグがクーデターの鎮圧を放棄してアメリカとイギリスはイランを植民地化することに成功した。
モサデグ政権を倒してイギリスは石油利権を守ることに成功したものの、その代償としてアメリカの巨大石油企業をイランへ引き込むことになった。AIOCはクーデターの翌年、1954年に社名をBPへ変更、カーミット・ルーズベルトは1958年にCIAを離れ、ガルフ石油の社長に就任している。
このクーデター以降、アメリカとイギリスはイランの石油で大儲けするのだが、そのシステムは1979年2月にイスラム革命で終わった。その革命で誕生した現在の体制をアメリカとイスラエルは倒そうとしているわけだが、ロシアと中国は現体制を守ろうとするだろう。
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【櫻井ジャーナル(note)】
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