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[番外地7] 住所が無いと仕事も日雇い労働しかできなくなり、その賃金ではそこから這い上がれなくなる 中川隆
8. 2023年1月02日 06:42:15 : fq1x42yv8Y : bUpuZ2ZRTnY0MjI=[1]
あなたは家賃を払えなくなって催告書を突きつけられたことがあるか?
2018.12.12
https://blackasia.net/?p=10409

2018年11月29日。大阪市西成区で43歳の男が逮捕されている。この男は「路上で強盗に襲われてカネを奪われた」と警察に通報して、大家には「そのせいで家賃が払えない」と説明していたのだが、これが嘘の強盗被害だった。

「強盗に遭ったと言えば大家が同情して家賃の支払いを待ってくれる」と考えて、嘘の強盗被害をでっち上げて警察に被害届を出していたのだった。供述が曖昧だったので、警察が追及したところ、嘘であることを認めた。

住所を失いたくなかったが、男は結局住所を失った。

認知症の母親の介護から生活が破綻して、最後に母親殺害に至った事件があった。「私の手は母を殺めるための手だったのか」と母を殺した男は慟哭したことで知られている痛ましい事件だ。(ブラックアジア:認知症の悲劇「私の手は母を殺めるための手だったのか」)

彼が母親を殺すことになるのは、家賃が払えなくなって家を追い出されることになる日だった。

経済的に困窮すると、いろんなものを失っていくが、最後まで人が死守したいと考えるのは「住居」である。それを失ったら、事実上すべてを失ったも同然だ。

しかし、金がないとあっさりと失ってしまうのも住居である。住居を維持するというのは経済的に困窮した人間には大変な負担だからである。(鈴木傾城)


家賃を滞納すると、いったいどうなるのか?

2016年10月7日、加藤未香という24歳の女性が家賃を4ヶ月も滞納した挙げ句「仕事もなく、生きていくことがもう嫌になった」という理由で、家賃催促にきた大家を刺し殺して逮捕されるという事件があった。

24歳の女性が包丁で大家を刺し殺すのだから、尋常ではない精神状態に追い込まれていたと推測される。

収入もなく、貯金もない人間が4ヶ月も家賃を滞納したら、もう返すことはできない。そして、強制退去されれば新しい住処に入ることもできなくなる。追い出されるその日が人生の終わりだと彼女は思いつめてしまったのは無理もない。

大家も家賃収入が入らなければ他人に部屋を貸している義理はない。回収するのに必死だったはずだ。

最近は多くが不動産を生業とする管理会社が間に入っているので家賃滞納が起きた場合、その取り立ては管理会社が行うことになる。

家賃を滞納すると、すぐに管理会社から迅速に支払うように電話が入る。多くの滞納者は電話があると驚いてしまって、たとえ金がなくても必死になって金を掻き集めて支払う。

しかし、ない袖は振れない人もいるわけで「近いうちに支払います」と言いながら支払わない人も出てくる。そうすると、内容証明郵便で「契約解除予告状」というものが届き、数ヶ月のうちに契約解除に至る。

その合間に、連帯保証人に連絡がいき家賃の請求を連帯保証人にするケースも出てくるのだが、そうなったときは連帯保証人も寝耳に水であり、家賃の支払いを渋るケースが多い。

連帯保証人は、実際には法的に支払う義務があるのだが、現実はそれほどすんなりといかないのである。

最近では連帯保証人を家賃保証会社が行うこともあるのだが、家賃保証会社の場合は、当事者が一ヶ月でも滞納すると、一瞬にして部屋の退去を求められる。

契約解除に至るとどうなるのか。

部屋の鍵を勝手に変えてしまう管理会社もあれば、不在時に勝手に所持品を撤去してしまう荒っぽい管理会社もある。


あなたは家賃を払えなくなって催告書を突きつけられたことがあるか? カネがないのに、こんなものを送りつけられたら絶望しかないはずだ。


「無一文」で放り出されるのではないという事実
以前、池袋北口のラブホテル街を抜けた向こうにあるアパートが密集した地区を歩いていたとき、あるアパートの前に寝具から家具から家電まで、一切合切を放り出されていた光景を見たことがある。

家賃滞納で部屋の中のものを、何もかも放り出されたらしいのはおおよそ想像が付いた。こうしたやり方は違法なのだが、違法などと言ってられない事情が大家にもある。

家賃を滞納する側も、住居を失うというのは死活問題なのだが、同時に大家の方も家賃を滞納されたまま住まれるのは死活問題である。

なぜなら、ほとんどの大家は借金をして不動産を所有しており、家賃収入をそのまま借金の返済に回しているからだ。家賃滞納が起きると、自分が銀行に絞められる。

そのため、大家は自分の資産を守るために、何が何でも「強制退去」させようと必死になる。そのために何度も家賃の督促を行い、内容証明郵便で証拠を取る。

そして、3ヶ月で裁判を起こし、6ヶ月以内には強制退去を完了させる。

多くの滞納者は勘違いしているのだが、強制退去されたら「無一文」で放り出されるのではない。莫大な損害賠償を請求されて放り出されるのだ。

今まで滞納した家賃の請求はもちろん、退去費用も、裁判費用も、違約金も、遅延損害金も、損害賠償金も、ありとあらゆるものを乗せられて、請求されるのである。

金がないから放り出されるのだが、返さなければならない借金を背負わされて放り出されるのだから、困窮して住居を失う人が「これで人生が終わった」と考えるのは無理もない。

世の中は、金のある人間には配当や利息で不労所得を山ほど与えるのだが、金のない人間からは持っているものを奪い、さらに借金を覆いかぶせる仕組みになっている。


絶対に「住所」だけは失ったらいけないのだ

損害賠償は「裁判命令」である。そこから逃れられない。さらにブラックリストにも載せられて就職にも困難をきたす。いったん金がなくなると、すべてを奪われた上に、将来の稼ぎも奪われることになる。

その前に、次の住処(すみか)が見つからない。

大家が家賃の回収よりも強制退去の方を望むのはなぜか。それは、金を滞納する人間は「滞納癖」があると経験則で知っているからだ。

滞納しない人間は10年でも20年でも同じところに住み続けても1回も滞納することはない。しかし、滞納癖のある人間は、頻繁に家賃の遅延を起こし、滞納し、いったん支払ってもまた気が付けば滞納を繰り返す。

だから一度でも滞納が起きると、大家は家賃を回収するよりも、もっと信頼できる人に貸したいと合理的に考える。次もきちんと払ってもらえるのかどうか分からないというのは、銀行に借金を持っている人間にとっても眠れない事態だ。

家賃を滞納している側だけでなく、滞納されている側もまた夜も眠れないのである。

だから家賃の滞納が起きると強制退去させる方向に向かい、困窮した人は住居を失ってより困窮してしまう。

住んでいる場所を失うというのは、受けられるべき行政の保護からも弾き飛ばされるということになる。生活保護も住居がないと受けられない。

仕事も住居がなければ見つからないことの方が多い。カードどころか、銀行口座も、郵便局の口座も、住所がなければ作れない。さらに携帯電話も住所がなければ手に入らない。

住所を失った時点で、すべてを失うのである。住所を失うというのは、単に寝る場所を失うだけでなく、社会から抹殺されるも同然なのである。

そのため、どんなに小さくてもボロボロでも何でもいいから、現代社会との接点を見失わないためには、絶対に「住所」だけは失ったらいけないのだ。社会から抹殺されたくなければ……。(written by 鈴木傾城)


住んでいる場所を失うというのは、受けられるべき行政の保護からも弾き飛ばされるということになる。生活保護も住居がないと受けられない。仕事も住居がなければ見つからないことの方が多い。カードどころか、銀行口座も、郵便局の口座も、住所がなければ作れない。さらに携帯電話も住所がなければ手に入らない。


https://blackasia.net/?p=10409
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/527.html#c8

[近代史3] 宮脇淳子 皇帝たちの中国  中川隆
18. 2023年1月02日 06:55:07 : fq1x42yv8Y : bUpuZ2ZRTnY0MjI=[2]
アジア人物史月報 - 内田樹の研究室
2023-01-01
http://blog.tatsuru.com/2023/01/01_1844.html

姜尚中さんが編集にかかわっている『アジア人物史』というシリーズが出ることになって、月報にエッセイを頼まれた。

 歴史の風雪に耐えたものだけが生き残り、歴史の淘汰圧に耐えきれなかったものは消えてゆく。よくそう言われる。でも、それほど軽々しくこのような命題に頷いてよいのだろうか。私はいささか懐疑的である。
 たしかに「棺を蓋いて事定まる」という古諺の意味なら私にも分かる。ある人がどれほどの人物だったのか、その人の事績がどれほど意義のあるものだったのかは生きている間には確定しない。死んでからそれなりの時間が経たないとほんとうのところは分からない。その通りである。でも、死んでからあまり時間が経つと、それはそれで分からなくなる。死んで50年くらいまでなら、史料もあるし、記憶している人もいる。でも、100年くらい経つと、文書は四散し、生き証人は死に絶える。1000年も経つと、日常生活の中でその人の名が口の端にのぼるということは、よほどの例外的人物以外についてはなくなる。
 だが、それでよいのだろうか。
 歴史の淘汰圧はつねに正しく、残るべきものは必ず残り、消えるべきものは必ず消える。歴史という審級は過たず残るものと消えるものを判別するという信憑のことを「歴史主義」と仮に呼ぶとする。「歴史は絶対精神の顕現過程である」とか「歴史は真理が不可逆的に全体化してゆく過程である」とか「歴史は鉄の法則性に貫かれている」とかいう考え方をする人たちのことを私は「歴史主義者」と呼ぶ。私が勝手にそう命名しているだけで、別に一般性を請求する気はない。そして、これもまた個人の感想であるが、私は歴史主義に対してかなり懐疑的である。
「・・・の時代は終わった」とか「これからは・・・の時代だ」とかいう広告代理店が好む言葉づかいは典型的に歴史主義的なものである。だが、The latest is the best 「一番新しいものが最高だ」というのは、少し考えればわかるけれど、まったく事実ではない。
 今ここにあるものは存在する必然性があるから存在するのであり、今ここにないものは存在すべきではなかったから存在しないのであるというタイプの単純な「リアリズム」と「歴史主義」は同一の思考のコインの裏表である。 
 歴史主義は政治的ステイタス・クオを正当化したい人々や、消費者の欲望を亢進させようとする人々にとってはたしかにきわめて好都合なイデオロギーだろう。だが、もう一度繰り返すが、これはまったく事実ではない。
 私たちの目の前に今あるものだけが「歴史の風雪に耐えて生き延びたもの」「存在する必然性のあるもの」であり、ここにないものは「歴史の風雪によって淘汰されたもの」あるいは「存在する必然性がないもの」だということはない。そもそも私たちの目の前に今あるものの相当部分は少し経てば(場合によっては数か月ほどで)「歴史の淘汰圧に耐えきれず消えるもの」なのである。
 だから、ひねくれた言い方になるが、歴史家は「歴史という審級」の判定力を軽々には信じるべきではないと思う。
 いや、別に私がそんなことを言わなくても、おそらく職業的な歴史家というのは実は「歴史の判定力」をそれほど信じていない人なのだろうと思う。もし「歴史の判定力」をほんとうに信じていたら、打ち捨てられた古文書を渉猟したり、誰も訪れることのない旧跡の由来をたどったりすることをしないはずだからである。記憶すべきことが忘れられ、讃えるべき功績や糾弾されるべき悪行について語り継ぐ人がいないという事実を歴史家ほど熟知している人はいないはずだからである。
 だとすれば、歴史家の本務はむしろ「歴史の淘汰圧」に抗うことではないか。歴史家ひとりひとりの判断において「語り継ぐべきこと」を史料のうちから掘り起こし、今に蘇らせることこそが歴史家の仕事ではないのだろうか。
 
 司馬遷の「列伝」の第一は伯夷列伝である。伯夷叔斉は王位を辞して野に逃れ、周の禄を食むことを拒んで隠棲して餓死した仁者である。司馬遷はなぜ伯夷叔斉のような徳者が餓死し、盗蹠のような悪人が富貴を究め天寿を全うするのか、その理不尽にこだわった。「天道は是か非か。」そして、伯夷叔斉が今に名をとどめ得たのは孔子の功績によると書いた。仁者賢人の名がさいわい今も記憶され、顕彰され得たのは孔子の事業である。「天道」がそうしたのではない。
 司馬遷が「列伝」の筆を「天道はしばしばアンフェアである」という伯夷叔斉の逸話から起こしたことは偶然ではないと思う。司馬遷は賢人や仁者を記憶のアーカイブにとどめるのは天の仕事ではなく、人間の仕事だと考えたのである。
 歴史家は「私がここで書き留めておかないと人々の記憶から忘れ去られてしまうかも知れない人」を選り出してその「列伝」を残す。司馬遷は「歴史そのもの」に人物の良否を判定する力するがあるとは考えなかった。誰の事績を書き残し、誰の徳性や叡智を称えるべきか、非とすべきか、それを決めるのは歴史家ひとりひとりの見識であると考えた。私は歴史家の構えとして、これは正しいと思う。
 私たちの世界は今どこでも「歴史修正主義者」たちが跳梁跋扈している。彼らは「歴史の淘汰圧」が実はあまり信用できないということをよく知っている。真実を否定することも、作話を正史に記載させることも可能であることを彼らは知っている。歴史そのものには必ず真実をその正しい地位に就け、虚偽を「歴史のゴミ箱」に投じるだけの力はない。この仕事について、私たちは「天道」からの支援を当てにすることはできない。その責務を果たすのは一から十まで歴史家なのである。
 この『アジア人物史』の企図は司馬遷の「列伝」のそれに通じるものだと思う。私が読んだ範囲では、執筆者たちがその事績を詳細に語ってくれた人物のほとんどを私は知らなかった。しかし、「ほとんどの読者が知らない人物」の事績を語り、集団的記憶に刻み付けておくことこそが歴史家の最もたいせつな仕事の一つなのだと思う。
(2022年5月18日)
http://blog.tatsuru.com/2023/01/01_1844.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/139.html#c18

[昼休み54] これを聞けば中国がよく分かります _ 宮脇淳子 「真実の中国史」講義  中川隆
28. 中川隆[-12814] koaQ7Jey 2023年1月02日 06:55:31 : fq1x42yv8Y : bUpuZ2ZRTnY0MjI=[3]
アジア人物史月報 - 内田樹の研究室
2023-01-01
http://blog.tatsuru.com/2023/01/01_1844.html

姜尚中さんが編集にかかわっている『アジア人物史』というシリーズが出ることになって、月報にエッセイを頼まれた。

 歴史の風雪に耐えたものだけが生き残り、歴史の淘汰圧に耐えきれなかったものは消えてゆく。よくそう言われる。でも、それほど軽々しくこのような命題に頷いてよいのだろうか。私はいささか懐疑的である。
 たしかに「棺を蓋いて事定まる」という古諺の意味なら私にも分かる。ある人がどれほどの人物だったのか、その人の事績がどれほど意義のあるものだったのかは生きている間には確定しない。死んでからそれなりの時間が経たないとほんとうのところは分からない。その通りである。でも、死んでからあまり時間が経つと、それはそれで分からなくなる。死んで50年くらいまでなら、史料もあるし、記憶している人もいる。でも、100年くらい経つと、文書は四散し、生き証人は死に絶える。1000年も経つと、日常生活の中でその人の名が口の端にのぼるということは、よほどの例外的人物以外についてはなくなる。
 だが、それでよいのだろうか。
 歴史の淘汰圧はつねに正しく、残るべきものは必ず残り、消えるべきものは必ず消える。歴史という審級は過たず残るものと消えるものを判別するという信憑のことを「歴史主義」と仮に呼ぶとする。「歴史は絶対精神の顕現過程である」とか「歴史は真理が不可逆的に全体化してゆく過程である」とか「歴史は鉄の法則性に貫かれている」とかいう考え方をする人たちのことを私は「歴史主義者」と呼ぶ。私が勝手にそう命名しているだけで、別に一般性を請求する気はない。そして、これもまた個人の感想であるが、私は歴史主義に対してかなり懐疑的である。
「・・・の時代は終わった」とか「これからは・・・の時代だ」とかいう広告代理店が好む言葉づかいは典型的に歴史主義的なものである。だが、The latest is the best 「一番新しいものが最高だ」というのは、少し考えればわかるけれど、まったく事実ではない。
 今ここにあるものは存在する必然性があるから存在するのであり、今ここにないものは存在すべきではなかったから存在しないのであるというタイプの単純な「リアリズム」と「歴史主義」は同一の思考のコインの裏表である。 
 歴史主義は政治的ステイタス・クオを正当化したい人々や、消費者の欲望を亢進させようとする人々にとってはたしかにきわめて好都合なイデオロギーだろう。だが、もう一度繰り返すが、これはまったく事実ではない。
 私たちの目の前に今あるものだけが「歴史の風雪に耐えて生き延びたもの」「存在する必然性のあるもの」であり、ここにないものは「歴史の風雪によって淘汰されたもの」あるいは「存在する必然性がないもの」だということはない。そもそも私たちの目の前に今あるものの相当部分は少し経てば(場合によっては数か月ほどで)「歴史の淘汰圧に耐えきれず消えるもの」なのである。
 だから、ひねくれた言い方になるが、歴史家は「歴史という審級」の判定力を軽々には信じるべきではないと思う。
 いや、別に私がそんなことを言わなくても、おそらく職業的な歴史家というのは実は「歴史の判定力」をそれほど信じていない人なのだろうと思う。もし「歴史の判定力」をほんとうに信じていたら、打ち捨てられた古文書を渉猟したり、誰も訪れることのない旧跡の由来をたどったりすることをしないはずだからである。記憶すべきことが忘れられ、讃えるべき功績や糾弾されるべき悪行について語り継ぐ人がいないという事実を歴史家ほど熟知している人はいないはずだからである。
 だとすれば、歴史家の本務はむしろ「歴史の淘汰圧」に抗うことではないか。歴史家ひとりひとりの判断において「語り継ぐべきこと」を史料のうちから掘り起こし、今に蘇らせることこそが歴史家の仕事ではないのだろうか。
 
 司馬遷の「列伝」の第一は伯夷列伝である。伯夷叔斉は王位を辞して野に逃れ、周の禄を食むことを拒んで隠棲して餓死した仁者である。司馬遷はなぜ伯夷叔斉のような徳者が餓死し、盗蹠のような悪人が富貴を究め天寿を全うするのか、その理不尽にこだわった。「天道は是か非か。」そして、伯夷叔斉が今に名をとどめ得たのは孔子の功績によると書いた。仁者賢人の名がさいわい今も記憶され、顕彰され得たのは孔子の事業である。「天道」がそうしたのではない。
 司馬遷が「列伝」の筆を「天道はしばしばアンフェアである」という伯夷叔斉の逸話から起こしたことは偶然ではないと思う。司馬遷は賢人や仁者を記憶のアーカイブにとどめるのは天の仕事ではなく、人間の仕事だと考えたのである。
 歴史家は「私がここで書き留めておかないと人々の記憶から忘れ去られてしまうかも知れない人」を選り出してその「列伝」を残す。司馬遷は「歴史そのもの」に人物の良否を判定する力するがあるとは考えなかった。誰の事績を書き残し、誰の徳性や叡智を称えるべきか、非とすべきか、それを決めるのは歴史家ひとりひとりの見識であると考えた。私は歴史家の構えとして、これは正しいと思う。
 私たちの世界は今どこでも「歴史修正主義者」たちが跳梁跋扈している。彼らは「歴史の淘汰圧」が実はあまり信用できないということをよく知っている。真実を否定することも、作話を正史に記載させることも可能であることを彼らは知っている。歴史そのものには必ず真実をその正しい地位に就け、虚偽を「歴史のゴミ箱」に投じるだけの力はない。この仕事について、私たちは「天道」からの支援を当てにすることはできない。その責務を果たすのは一から十まで歴史家なのである。
 この『アジア人物史』の企図は司馬遷の「列伝」のそれに通じるものだと思う。私が読んだ範囲では、執筆者たちがその事績を詳細に語ってくれた人物のほとんどを私は知らなかった。しかし、「ほとんどの読者が知らない人物」の事績を語り、集団的記憶に刻み付けておくことこそが歴史家の最もたいせつな仕事の一つなのだと思う。
(2022年5月18日)
http://blog.tatsuru.com/2023/01/01_1844.html

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